Coolier - 新生・東方創想話

幸間「命蓮寺キメラ」

2011/11/16 05:50:14
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「あの、入信の希望なんですけど・・・」
 私は極力、恐る恐る、それも陰気な声音でもって声をかけた。
「はい?」
 間の抜けた声で、振り返ったのは、ここ命蓮寺の新参者、山彦の妖怪、幽谷 響子だ。
 山にいない、反響も普段はさせない変わった奴。
 トレードマークっぽくなった箒を手に脳天気な顔して、同じところをぐるぐる廻っているように思える。
 彼女は門前の掃除なんて言ってはいるけれど、そう汚れているわけではない。
 なんといっても建設されて数年足らず。パッと見てもピカピカで門前どころかどこもかしこも掃除の必要なんてないんじゃないだろうか。

 ご苦労なことで・・・。
 
 内心、舌を出して、私は彼女の様子を伺った。
 彼女がどういうヤツなのかより今は、怪しげな反応を起こされないで自然な返答を示してくれることが肝心だ。
 私は、人間の姿を真似て命蓮寺を訪れているのだから。
 伝説の妖怪、封獣 ぬえがまさかこんな姿をするなんて思いもしないだろう。
 うっすらと口元が歪む。
 私は表情を隠して警戒をしつつ、上目遣いで響子を見やる。
 ・・・少し上目遣い過ぎるだろうか。
「はい、入信希望ですねっ!!ではではでは、こちらへどうぞっ!!!」
「っ!?」
 私の心配を他所に妖怪少女は声を張り上げた。
 キンキンとした大声に思わず耳を塞ぐが、一歩、遅かった。
 声は呼気に乗って走り、掌からすり抜けて耳へ。私の頭の中に侵入して四回転半して振動を続ける。
 バカの一つ覚えのようにでかい声。
 音の通り道を一方的に遮断して、脳内で響き渡る様は新手の兵器のようだった。
 反響もする性質の悪い爆裂に近い爆発音は、来訪があったことを寺院内にいる連中にあっさり伝えたことだろう。
 建物すら揺らしかねない、本当にでかい声だった。
 私は未だに振動の余韻に頭を揺らされていた。
 耳を抑えながらくらくらする様子に響子は気を使って声をかける。先ほどと同じ音量で。
「あの、どうかしましたかっ!?」
「い、いえ、なんでも。その、こ、声が大きくって」
「あ、ごめんなさいっ!?みんなにもよく注意されててっ!!!」
 二度目、三度目と容赦無く爆音が走り抜けた。
 キンキンというのを通り越して、周囲から聞こえてくる音を完全遮断し、目眩を誘発させ始める。

 誰だ、こんな全自動自立式拡声型生体兵器を設置したやつはっ。
 人間だったら、一回目でさえ泡吹いて倒れかねないぞ。

「―――も、もう、わかったから」
「え、えっと」
 本当になんてやつなんだろうか、こいつは。
 嫌気が差しながら半眼を向けると、彼女は再び騒音を響かせようと息を吸い込んでいた。

 ちょっと待った、トドメを刺すつもりなのか。

「ちょ、ちょっと、待っ」
「響子」
「へ?」
 抗議の声を上げる前に、凛とした声が山彦を制した。
 響子の後方、寺院内からよく知った人物の一人、虎丸 星が姿を表していた。
 威厳を装い毘沙門天代理は私に歩み寄ると、
「申し訳ない。この者は、まだ加減がわからなくってね」
 やんわりした声で話しかけてきた。
「あ、いえ、そんな・・・。お気遣いありがとうございます」
 正直に、ほっと息をつく。
 あのままだったら、こんなお遊びはとっととやめて、出ていったことだろう。
 まぁ、こんなイタズラをしてる必要性はどこにもないけれど。
 べっと小さく舌を出す。
 そんなことにも気が付かずに星は響子に向き直り、注意を促していた。
「響子、声の大きさはいつもの四分の一程度にしておきなさいと言っているだろう?そのままでは死人がでてしまうぞ」
「・・・・・・はい、ごめんなさい」
 死人が出るようなやつを門前に置いとくなよ。
「・・・私、こればっかりは調節を忘れてしまって。毎回迷惑をおかけして申し訳ないです」
「ま、まぁ、その声のお陰で私も知ることができたんだから。そ、その、これからは気をつけなさい」
「はい・・・」
 しかし星は注意も一言だけで、響子の悪気の無さと萎み方に一気にあたふたとしている。
 この押しの弱さというか、なんというか。
 いつものやり取りを眺めつつ、私は再度、息を吐き出した。

・・・この様子なら見破らることもないか。

 安堵とも、ため息ともつかない息だった。
 その後、響子は頭を下げて掃除に戻り、私は星に案内され怪しまれることなく寺院へと足を踏み入れた。
 キョロキョロとしながら、住み慣れた場所を改めて見直す。

・・・驚いた。

新しい発見が何一つないなんて。

そりゃ当然か。
いつも寝起きしてるんだし。

 だけど、正体を隠して入るのは初めてだった。
 思いの外、心臓の鼓動が早いかもしれない。
 ドクン、ドクンと心臓が脈打っているのがわかる。
 こんな思いつきの他愛ないイタズラに興奮するとは、封獣 ぬえの名前も堕ちたもんだなんて自嘲してしまう。
「どうかされましたか?」
「え、あ、いや、なんでも、ありませんよ」
「そうですか?まあ、緊張されているのかもしれませんね。こういったところはあまりこられないとか?」
 星は営業用の顔でキラキラと白い歯を見せて話かける。
 あまりの普段との差に思わず、私は目を逸らして笑いを堪えた。
「・・・っっ、そ、そそそんなところです・・・っ」

駄目だ、吹き出してしまいそうだ。

「ちょうど寺の者はほとんど開けていて、私と先ほどの彼女だけ・・・、あー、もう一人いたはずなんですが」
「?」
 星の歯切れの悪い様子に、私の笑いはどこかへ転がり落ちてしまった。
「神出鬼没で・・・」

・・・・・・なんだ、私のことか。

 星は軽く頭をさするようにして話ながら、進んでいく。
 曰く、困った困った、と。
 そんな様子を横目で眺める私は、ものすごく面倒くさそうな表情をしていることだろう。

まぁ、そんなもの。

 事実、私は集団で動くには不向きだろうし、ここが合っているかというのもわからないし。
 ・・・生き連れみたいなものなのだろうか。
 星を無視して、ぼんやりと見上げた空は胸焼けしそうなくらい晴れ晴れしていた。

「ここが本堂です」
「え?」

 唐突に星に言われて本堂まで来ていたことに気付かされた。

いつの間に。

 驚きはしたけれど、その先の本堂には驚きもしない光景が広がっていた。
 相変わらずの堅苦しい毘沙門天の象がでーんと鎮座しているだけの間。

面白みの欠片もないなぁ。

 嘆息を一つ。
 あまりの面白さの無さに、ここまでの行程を考えて見たけれど、なぜだか何一つ思い出せなかった。
 星や響子とのやり取りに緊張したり、高揚したりしたことは覚えているのに。
 そもそも。

どうやって下足、脱いできたっけ。

 そんなことも思い出せなかった。
 なんて思っていると、再び気が付いたときには『入信希望届け』なんて紙を前に座っていた。

不思議だ。

 時間の流れが早かったり遅かったり。
 しかし、それ以上に、「これ、本物だろうか」なんて、ツッコミ満載な用紙を作成しているこの寺のことが不思議でしょうがなかった。

でもそうだ、私はこれをしにきたんだ。

 正体を隠して、入門。騙されて盛り上がっている所で種を明かしてやろうって根端。
 退屈しのぎに考えついただけなんだけど、結構楽しめそうだと思った。
 みんなにイタズラをするのは、もう随分と昔の話しだったから。
 私はニンマリとして筆に取った。
 おっと。
 にこやかに私の様子を見つめる星にバレないように、一瞬で表情を戻す。

・・・。

 一瞬で戻したとはいえ、ここまで見られていて気が付かないのもどうだろうか。
 そんな呆れも押しのけて、私はせっせと紙に向かった。

問:あなたは神を信じますか?

 チェック。

問:二人の子どもがお腹をすかせています。あなたは買ってきたばかりのりんご三つを~

 なにこれ、チェック。

問:あなたの理想はこの地をもって飛躍を~

 ああ、もう面倒くさい。とりあえずチェック。

 チェック、チェック、と。

 あんけーとって感じで作られた用紙の最後で、私は手が止まった。
「あ、あ~」
「どうかしました?」
「こ、これって?」
「はい?」
 星は首をかしげた。
 何かおかしな項目だろうかという様。
 そう、不可思議な項目なんてそこにはなかった。
 何かを書き残すものには付きものの一般的な判別のための項目。
 しかし、これは、私が苦手な項目だ。

『氏名』

 あっさりしているそれは、非常に非情な難問だった。

「えっと・・・、あなたの名前ということなんですけど」

いや、わかってるよ。

「名前が無いなんてことは・・・」

いや、あるけど。

「流石に書いていただかないと、こちらも困ってしまうというか」
 にこやかな笑みを貼りつけたまま星はなんだか汗々していた。
 キラキラとした表情が、あちこちピクピクと動く。
 ちょっと表情の固まりっぷりが面白かった。
 いっそ、「ありません」なんて言ったらどうだろうか。
 それはそれで面白いかもしれない。
「そ、そうですね、むむ難しいというなら、ここは私がなんとか方法を考えて」
 いや、可哀想な結果が浮かんだ。
 従者にくどくど言われて、ひたすらに頭を下げる姿が。結構な涙目で。

 毘沙門天代理、頑張れ。今更だけど、威厳、足りないぞ。

「いえ、大丈夫です。ちょっとこの入信の件を考えたくって」
「え・・・、あ、あぁ、そ、そうでしたか・・・」
 可哀想な結果を回避するべく答える。

本当に真面目で困ったもんだ。
もっと、テキトーにしていれば・・・。
・・・・・・・・・おいおい。

 考えたい→断られると思ったのだろうか。
 先ほどの予想と全く同じような涙目をした毘沙門天代理が今、現時点で目の前に鎮座していた。
 ハハッと誤魔化す笑いを返して、私は再び用紙に視線を落とした。

 氏名、名前、ねーむ。
 ちっちと筆を揺り動かして考える。

とりあえず・・・。


『氏名』 封


 ×の字で、すぐに消した。

う~ん、本当に考えてなかった。
名乗ることのほうが少ないから、こればっかりはしょうが無いか。
正体不明が売りな妖怪なんで。

 私は散々唸った挙句、テキトーに『風』と書きなぐった。







「う~~~ん、いいイタズラの後は気持ちいい~~」
 私は元通りの姿で大きく伸びをした。
 あの後、星は目を輝かせて用紙を受け取っていた。じきに聖も帰ってくるからなどと引き止められはしたけれど、用事があるから後で来るなんて約束をして逃げてきた。
 長いは無用。イタズラの成功率が下がってしまう。
 何はともあれ、今回のイタズラの成功は間違いないだろう。
 後は、みんなの反応を見るために寺を一望できる大木で待機する。
 高い高い立派な大木の上だった。
 一つ高くなった丘の上にある大樹の上は地のものを小さく小さく見せていた。
 小さくなった全てを見下ろしていると、毎回のように制覇したかのような気分になる。
 平安の街を恐怖に陥れたときのように。

何を隠そう、ここは少ないお気に入り。

 命蓮寺にしてはいいセンスをしている場所。
 朝日が登るのも夕日が沈むのも少しばかり早く感じられる。人に発見されることのない高さで、邪魔者もない。
 蒸れて来る緑の鬱陶しさが難点ではあるけれど、好条件が揃っている。
 それに、最大のポイントは飛ばなくても空が近いこと。
 これは重要。
 天狗がいくら早く飛んでも、巫女が高く飛んでも、こんなに楽をして手に入る景観はそうそう無い。
 なんでも幻想郷の妖怪は月まで行こうとしたらしいけど、私だったら面倒くさくてこれで十分。

ん?そもそもヤツらは景観目的だったのかな。

まぁ、いいや。

 ・・・お気に入りの理由として渋々、「命蓮寺が見れるから~」とか言っておこう。
 南無三、南無三。

 さて、私としては本当に後は様子見だけ。
 誰か気がつくだろうか。
 星も響子も最後まで気が付かなかったようだし。
 ちょろいもんだった。
 あっさりしすぎていて、拍子抜けがなかったとは言わない。
 けれど、彼女たちに対するイタズラというのは、どうしてだろうか、自分でも呆れるほどニヤニヤしていた。

ちょっと想像してみる。

ムラサは・・・きっと気が付かないだろうなぁ。見たまま地を行く真っ直ぐだから。入門希望があったなんて聞いただけで、嬉々としてはしゃぐかも。聖の手を取って、ぶん回すようにしているかもしれない。

それで、一輪。彼女は雲山も相まって鋭いところがあるけれど、どうだろう。ムラサを筆頭に騒ぐ一団の様子を、しれっとした顔で頬を緩めて見ているんじゃないだろうか。みんなとの距離を常に一定にとって見守っているような奴だし。

それでそれで、ナズーリンは。星が相手にしたということで訝しんでいるかもしれない。もっとも、本気でそういうわけじゃないのはわかる。ツンデレ?いやいや、あれにはデレは少なすぎる。口先だけで星は封じられるだろうけれど。まぁ、なんにしてもご主人に穴がないか慎重にしているんだろう。

一方の星は絶対に悔しがって、荒れるように怒ってる。
あれだけ近くにいたのに気が付かない方が悪いんだ。
まぁ、怒りを向けられてたとしても、かわす自信も行動力も私にあるのだから、彼女は悔しむばかりになるかな。
・・・毘沙門天、もっと頑張れ。

あ・・・、あと響子は・・・まだまだかな。私の正体っていうもの自体がわかっていないはずだし。
化けてましたなんていっても、驚くだけかもしれない。
生活にも私にも、もう少し慣れてもらわないとやっていけないね。

 一人ひとりの動きに思考を巡らす。
 そうしている時間が何よりも心を踊らせた。
 けれど、最後の一人の表情が頭をよぎって、想像は止まった。
 いつも慈愛に満ちて微笑む、顔。

・・・どんな、顔をするだろうか・・・。

そうだ・・・それで、白蓮は。

白蓮は・・・・・・・・・なんて言うのかな。

 なんだかバツが悪くて、視線を泳がせる。
 空は青一色で、面白くもなんとも無い。すぐに視線は少しは面白そうな地へ走る。
 ふと、寺を出ていく二人の人間の姿が見えた。
 何度も何度も深々と頭を下げて手を合わせる老夫婦。星が嬉しそうな、困ったような、はにかんだ顔をしているのがわかる。

あんな顔、以前では見れなかった。

 星だけでなく、聖の理想に付き従う全員がそうだ。
 それは、彼女たちの活動が実を結んだことを示しているということでもある。
 聖白蓮の理想。

人間も妖怪も隔てない世界、か。

 実際、最近は妖怪だけでなく人間の入信者も増えていた。
 人間にとって妖怪は脅威。
 この幻想郷ではいくら取って食われることがないといっても、それは一つの不安が薄いというだけだ。
 大きな異変が起これば、当てられて発狂する者もいるだろうし、自然との調和だって変わる。それは見えない所で影響を及ぼして死者を出す。
 そうなった者を糧にする妖怪は当然いるわけだし。
 ・・・。
 それに外の世界からの餌なんてたかが知れている。一年での数は妖怪の食事量に匹敵しているのだろうか。
 何にしても、与えられる食事なんてのは、決まってうまくないものだ。

「ま、私はもう人なんて食べる気しないけどね・・・」

 妖怪は至って明確単純な生き物だ。
 存在意義が決まっているから、人間のそれに比べれば悩みも欲求も少ない。
 元々がそうなのに、長く生きれば勝手に知恵を得、欲求が減り、解消法を見いだせる。
 食事なんておまけという奴もいるだろう。幻想郷の古い妖怪なんてのはそうしてうまく付き合ってるらしい。
 だけど、すべてがそうじゃない。
 妖怪は人間を食う存在。
 そこは、どうあっても変えられない部分だ。
 妖怪の闇の一部分。
 そういった暗い不明瞭なところに命蓮寺の光は浸透し始めているんだろう。
 それは人間だけではなくて一部妖怪にも言えるのか。

人間とうまく付き合っていきたいっていう奴もいるから。

 そんな話を聞いた時、私ははっきりと驚いたのを覚えている。
 そんなこと、起こりえるわけないって。

そうやって、びっくりしたけれど、それも・・・・・・くない。

 お互いの関係、誤解を解決に導く一端を担うかもしれない命蓮寺。
 これからの在り方はもっと複雑になっていくんだろう。
 一度、事件が起これば人間は妖怪に不信感を抱く。
 実害が出れば、怒りだって持つさ。
 それが、すれ違いだとしても、そうなれば人間が攻撃に出る可能性は低くないはずだ。
 妖怪も人間もただではすまない。
 そうなる前に命蓮寺は大掛かりな舵を切らなければいけなくなる。
 でも、それはどちらにもつけないだろうあの寺の、白蓮の理想が終わり、なくなってしまうかもしれないことでもある。
 命蓮寺以外の幻想郷の巫女は表面上、人間の見方だから。

もし・・・、いや、そうなったとき・・・。
そこに、私は・・・。
・・・私なんかがいたら、きっと。

 正体不明が私の売り。
 正体不明こそが私の力の源。
 混乱は心をかき乱して、闇を増加させる。
 そこに力を見出す妖怪。

こんな妖怪、置いていれないか。
白蓮がなんと言おうとも、切った方がいいに決まっている。
そうして、私はまた、一人。
いや、いつだって、一人だったか。

乾いた笑いが漏れた。

ああ、私の声だった。
他には誰もいないんだ。
私の声。
赤ん坊とも獣ともつかない・・・・・・正体、不明の。

「あ~ぁ、あの人間、あんなに頭下げちゃってさ。何が・・・ありがたいんだか。代理と善人しかいないとこなのに・・・」

―――ぬえ。

昔々を思い出した。

「・・・馬鹿馬鹿しい。そんなんじゃ、すぐに破綻するって」

―――、一緒に、いきましょう。

私の名前を読んでくれた記憶を。

「・・・・・・ふん。・・・面白くも・・・ない」

そうだ。
こんなところ、お気に入りでもないのさ。

 記憶を弾きだして、私は高い高い空から落下するように降りた。







 幻想郷中を巡る。
 見るでもなく、眺めるでもなく、ぐるっと。
 どうせ行く宛もないのだし、この際だ。

「ぬぇ~~~~」

 時折、鳴いてみた。
 なんだ案外、驚かれるものなんだな、なんて。
 お株を取られた小傘はさぞかし肩を落とすことだろう。
 そう思って、笑った。
 さっきと変わらずに乾いたような声しか出なかったけれど。

 そんなことをして、ここはもうどこだろうか。
 夕日が沈もうとしていた。
 蕩けたような橙色の妖怪の目玉みたい。
 遠く遠くに真ん丸く落ちる。
 泣いているように空に線を残しながら。
 それが死んでしまうのを待って、上空には沈むように浮ぶ闇が滲んでいた。
 光星はまだ見えない。
 滲む黒が、黒く暗く広がっていこうとしているだけだった。

 ここは幻想郷の最果てなんだろうか。
 いつの間に、到達したのか。
 私が一番初めについてしまったような、心地良さと・・・それと。

・・・これは、なに?

「ぬぇ~~~~」
 私は一人、鳴いてみた
 反響も残響もない。すっと、応答もなく消えた。
 しんと静まり返り、闇を待つ空が広がるばかり。

あの山彦がいたなら、こんな声も跳ね返してくれるだろうか。
なんとなくやってみただけの、でも勢いもない声だとしても。
きっと、情けないに違いない。
そうしたら、お腹を抱えて笑えるのに。
・・・どうして、今は、笑えないのかな。

 つまらない。
 どうあっても、詰まりそうもない。

 空っぽなのに、張り裂けそうだった。

 空中に停滞して、空を見上げる。
 ぼんやりと、橙色の空。
 ぼんやりと、黒色の空。

「塗り潰せたら、楽だろうに」

 私はつぶやいていた。
 どうやっても、混ざりきらない矛盾した存在の私が。
 明かすことのできない存在なのだと自覚させられる。

「私は・・・・・・」

―――私はどうしたい?

 誰かが尋ねた。
 潜むように私の声で問う。
 なんでもいいから、答えてくれる声が聞きたかった。

「私は・・・・・・」

『私』は・・・・・・。

「・・・・・・滑稽、だね・・・」

・・・いい様じゃないか、幻獣。

「・・・幻獣?」

鵺とはそういうものだろう?

「・・・幻、というなら」

幻は、都合のいい時に現れて・・・。

「・・・消えればいいはずなのにね」

・・・・・・。

 声は都合よく答えてくれなかった。

なんて意地の悪いやつ。
誰に似たんだか・・・。

 散々、隠れてケタケタ笑っていた自分を思い浮かべる。

・・・本当、意地の悪いやつ。
今日だって、そうだ。

「あ」

 急にどうでもいいことを思い出した。
「『風』って人間がいないってなったら、アイツら、探し回るんじゃ」
 それどころか、大げさに神隠しとか、妖怪の仕業とかになってたら、どうしたものか。

まぁ・・・。

「ハハハ」

 唇が笑みを作っただけで、なんだか痛い。
 妖怪でも口角炎ってのになるんだろうか、なんて。
 切れてしまったような、痛みだった。

「・・・・・・・・・・・・・・・帰ろ」

どこに?

 声。
 また、都合のいい時に声が答える。

本当の本当に意地の悪い・・・私め。

「・・・みんなの、ところ」

みんな?

「白蓮・・・とか、みんな」

・・・帰ってどうする?

「・・・待ってる、怒ってさ。・・・そんで・・・・・・心配して」

心配?

「私が・・・帰るのを」

―――待っているとでも思うのか?

「ハハ、ハハハ」

 痛い。
 唇が、心臓まで裂けるように。
 痛い。
 何百年ぶりの弾幕ごっこより数千倍---痛い。

「待ってるわけないか」

 今度は万倍、痛かった。

目からなんか出てるのは、その痛みのせいだ。
中の私が、意地悪するから・・・。
そのせいだけ。
三つも四つも混ざった妖怪の鵺。
そうだとも、私がそういう風にしたんだ。
誰かに気がついてもらうためでもない、私を私と形容できる形にして。
理解不能、正体不明の幻想。
それこそ、私だ。

「私のココロまで正体不明だなんて、笑っちゃう」

・・・正体不明は私の力。
だから。
今の私は・・・・・・きっと最強だ。

「・・・・・・怖いものなんてないや」

濡れた頬が熱いのは照り返しのせい。
視界がぼやけるのは太陽の光にやられたから。
私の感情なんかじゃない。
だって、私ですら、私がわからないのだから。

「しょうがない。ネタバレといこう」

 私は宙で体を踊らせた。
 暗闇が覆い始めた天井では旋回も軽やかだ。
 向かうは慣れ親しんだ寺。
 勝手に居つき、勝手に離れるだけ。
 昼間の真新しい記憶を思う。
 発見のない場所。
 面白みもない場所。
 そんな所でしたことは、我ながら面白くないイタズラだったと思った。
 未だに光星は見えない薄闇。
 それでも、命蓮寺に着く頃には真っ暗になって、私の姿を認識できないくらいにしてくれるだろう。





 命蓮寺はなんだか慌ただしかった。一人の元人間だけが。
 その一人しかいない状態だったにも関わらずに。
「あ、あの~」
「えっ?」
 寺院内の庭を惑う元人間はお鍋の蓋を手にオロオロとする聖 白蓮だった。
 全員、緊急の用事かなにかで出払ったのだろう。
 この様子だと料理をして帰りを待とうと思いはしたが、心配のし過ぎで取るもの手につかず、かな。
 だからって、蓋持って挙動不審な尼っていうのはどうなんだろうか。
 まぁ、大抵、こんな感じだった。
 何かあったとき、彼女は留守番。
 みんなが帰ってくると、こうして外に出て待ち焦がれている。
 本人は最前線で物事の解決に当たりたいのだろうけど、みんながそれをさせてはくれない。

白蓮になにかあったらって。

 声をかけると、彼女は驚いてこちらを見て、駆け寄ってきた。

 タッ・・・・・・、タッ・・・、タッ。

 彼女が近づく。
 足音が、次第に早く大きくなっていく。
 その度に、同じように鼓動が早く大きく打った。
 白蓮の姿が徐々に輪郭を濃くしていって、私は自身の手を握りこんだ。
 震えて、それを隠そうとして、うまく握れなかったけれど。
 握った手は、じっとりと汗ばんでいた。

 昼間の人間の姿。
 白蓮は初めて見る姿だ。
 闇に紛れて、顔まで見ることはできないだろうし。
 どうして、緊張する必要があるのか。
 平然としてればいいんだ。
 私は言い聞かせる。
 そうとも、入門はなかったことにしてもらいたいと告げればいいだけ。
 やっぱり信じられないと、私では仏門に入るに値しないと。
 それで、去ればいい。
 それで、・・・お終い。
 どこへなりとも行ける。
 今までのように、一人でも大丈夫だから。
「私、昼間に」

「ぬえ!?」

「え?」
 唐突に呼ばれて私は間抜けな声を漏らした。
 ストンと落ちるような声だと思った。

今、彼女はなんと言っただろうか?

「ぬえ」と呼んだだろうか。

こんな暗くて、離れていては姿もあやふやなのに。

 白蓮は私の戸惑いも待たずに、すぐに私の元にたどり着いてしまった。
 目の前の女性は私の顔を見て、ほっと息を吐き出した。
「ぬえ、今までどこに行っていたのですか!?星もムラサも一輪もナズーリンも響子も、みんな心配していたのですよ?」
 白蓮は言葉の語尾が僅かに釣り上がっていた。
 でも、すぐにでも泣きだしてしまいそうな顔だった。
「良かった」
 そう言って、彼女は泣くように微笑んだ。
 彼女は私の手を取る。

暖かくなんて、ない。

 手の温度は同じくらい。
 ただ、感触が五月蝿いくらい誇張して伝わった。

あの時と、同じ。

「みんな、貴女を探しに行ってしまっているけど、そろそろ一度戻ってくるわ」
「・・・」
 私は彼女の声にも、動きにも応じることができないまま、立ち尽くした。

どうして白蓮はそんな顔をして、私に触れているのだろうか。

 理解ができない。
 彼女は、なんなのだろうか。

「・・・・・・びゃく・・・聖・・・なんで、わかった?」
 疑問、疑問、疑問。
 心から湧き出して、脳まで言ってから溢れ出す。
 口腔からシトシトと転がりだしたのは、小さな疑問と・・・。
 私は・・・震えているみたいだ。

「・・・こんな格好していたのに、なんでわかったんだ?」
 その問に白蓮は困ったように私を見た。
 それはすぐに変わって、泣き出しそうな顔をしていた。
 考えるような素振り。当然のことを質問されたような動きをする。
 彼女の様子に私は目を細める。

『なんで』もなにもない。
きっと、昼間のことは星から話をしている。
いや、星だって私が去ってからすぐに気がついただろう。
これだけの時間、姿を現していなかったのだし。
謝りに来る必要なんてなかったと、どうして気が付かなかったのか。

 返事を待たないまま、私は手を振り払おうと、
「だって、ぬえなんですもの」
 する前に彼女は言った。
 そうして、そうでしょう、なんて言いたそうに視線を向け、微笑む。

あぁ、そうか。彼女程の僧になれば、こんな妖術くらいなんてこと。
「貴女の歩き方も喋り方も息の仕方もこうやって立っているだけで、ぬえだとわかるから」
こんな、妖術くらい、見破ること・・・。



「だって、長い長い間を共にしてきた、家族ですもの」



 キュッと白蓮は手を握った。
 その手がやけに暖かく感じられて・・・懐かしかった。

懐かしい温度。

 外の世界で初めて差し出された手の、その温度。
 一秒にも満たない程で、触れた、弾き返した温度。
 握るなんて恥ずかしくて、似つかわしくないと自分にできた返事。
 白蓮はびっくりして、そして笑っていたっけ。
 彼女はそうやって私に声をかけてくれた。
 外の世界でも、この幻想郷でも。
 誰も近寄ろうともしなかった正体不明の私に。
 誰も彼も馬鹿にして笑っているような私に。

私にそれを向ける意味はなんなのだろうか。

・・・。

・・・・・・。

 私の中の瘴気がゆっくり目を開けた。

 彼女の理想のためか。
 いや、もっと身勝手な理由か。
 僻み、妬み、憎み、厭わしい。
 彼女を疑い、貶める感情。
 いつか邪魔者と言うに決まっている。
 それでも、私を引きこもうとするのかと。
 払い切れない感情。
 いつもの私の中の私。
 けれど、


「帰ろう」


 白蓮は再び微笑んだ。
 無邪気な顔で。

・・・・・・私の想いも知らないくせに。

 それだけで、そんなことだけで、私の心を一蹴した。

それは・・・卑怯だ。

 私の迷いを、いつか邪魔になって離れなければいけないという恐怖を、今だけでも消してしまうんだから。
 ここに居ていいんだよって・・・。

 私は、彼女の手をするっと抜けた。
「あ」
 肩透かしされて、白蓮は声を漏らしてわずかによろめく。
 急々と姿勢を直して、彼女は恥ずかしそうに頬をかいた。

「・・・ごめん」

 私は境内に歩を進めることで、彼女に背を向けて言った。

こんな顔見せられない。
笑ってるんだか、泣いてるんだか、わからないから。
でも、きっと、ひどい顔をしてるんだろうな。

「ごめん・・・なさい」

「ぬえ?」
 白蓮が心配そうに声をかけてきて私は慌てて返事をした。

あ~、どうにも浸らせてくれないらしい、この南無三は。

「ひ、昼間っ、イタズラして入信希望書いたから!この格好で!!!あ、あ、・・・謝りに、来たのっ!!!」
 『謝る』なんて言い慣れない単語に心底むず痒さを覚える。
 なんで慌てているのかも、よくわからなかった。
 ただ、それを聞いて白蓮は納得がいったという表情をして、ポンっと手を打つ。
「じゃあムラサが言っていたのが正解だったみたい」
「ムラサ?」
 思いもしなかった名前に、私はテンッとなった。
「そう、ムラサが星の話と用紙を見て『それって、ぬえが変装して書いたんじゃないの~』って」
「な、ななな」
 完全な不意打ちだった。
「星も、『そう言われれば』なんて唸って、ナズーリンは『ご主人偉い』って言っていたはずなのに、がっくり肩を落としていたの。一輪と響子はまじまじと字を見て『意外とうまい』ですって。私は、そんなことないと思って一人で喜んでしまっていたのに」
 私のことなんか知らずに白蓮は身振り手振りを加えたものまねを披露していく。
 妙に似ているのがまた、今の私には破壊力抜群だった。
 顔の温度が急速に上がっていくのがわかった。

違うっ、全く違うっっ。
私の予想はもっと、こう、そう、こうっ!だったはずなのにっ。
それで、予想通りだったって笑ってやるつもりがぁっ!
え、なに、私は見当違いも甚だしくて、一人で黄昏て!?
い、いい今の私は最強だ、なんて、一体全体どこの誰が思っていたわけ!?
そ、そうだ、きっと私の中の私が勝手に!!!

 悔しいやら恥ずかしいやら、赤熱しっぱなしで目尻に涙が浮かぶ。
 本当に顔を合わせていなくて良かった。
 自分の底の浅さに死んでしまいたいくらいだった。
 後悔しても後悔したりない。
 今日一日がなかったことになってしまえば、
「ただいま戻りましたーっ!!!」
「あー、なんだ、ぬえいるんじゃない」
「本当だっ。おい、ぬえ、昼間はよくもっ!ナズがどれだけ肩を落としたことか」
「ご、ご主人、もう私は大丈夫ですから」
「ふむ、雲山が言ったように一件落着だな」
 後悔すること三秒きっかり。
 たちまち命蓮寺はいつものように五月蝿くなった。
 白蓮が言っていたように全員が戻ってきたのだ。

・・・・・・なんて間の悪い奴らなんだ。

 奴らは私の目の前から右九十度に展開して着地。
 視界を塞がれる前に私は下を向いた。
 格好は人間のままだけれど、みんな平然と話しかけてくるあたりも何とかして欲しい。
「あれ、ぬえ、どうかした?俯いちゃって。聖、なんかあったの?」
「え?別に話をしていただけだけど・・・ねぇ、ぬえ?」
「ぬえ、昼間のことを忘れたとは言わせんぞ」
「だ、だからもうそれは良しにしましょう」
「ぬえさん、字うまかったんですね、今度は是非、写経を」
「その前に、一から、座禅から始めないといけないだろうな」
 そんな適当なことを言いながら、ごちゃごちゃと混雑して話は続いていた。

わあわあ、ぎゃーぎゃーと、本当に、コイツらはっ。

「ぬえ、本当にどうかしたの?」
 そのうち、ムラサが顔を覗き込もうとしてきた。
 ぎょっなって私は逃げ場を探した。
 けれど、三方向は囲まれてしまっている。

こんな顔、見せられるわけないだろうっ、さっきと違った意味で。
くそっ、いっそ弾幕をばら撒いて・・・。

 兎にも角にも、逃げるように回れ左をして視線を避ける。
 しかし、方向転換してようやくそちらにも影があることに気がついた。
 今まで気が付かなかった方がどうかしているくらい、大きな影。
 思わず顔を上げると、そこには雲山のでかでかした顔が私を見ていた。
「・・・・・・・な、なに?」
 狼狽してそれだけつぶやく。

もう、どうにでもなれ。

 もの言わぬ雲山ではあるが、その脇の一輪が声を聞いたようである。
「ん、どうした雲山?なになに・・・ああ、そうか」
 一人納得して、彼女は言った。
「雲山が、『お帰り』だそうだ」
「へ?」
 一輪の通る声に、全員の声がピタっと止まった。
 私はそろりっと首を巡らせる。
 三方向の声と同様にみんな動きを止めて、全員が私を見ていた。
 それに、「そういえば」なんて顔をしている。
 一周して私の視線は雲山の元へと戻る。
 先には、でっかいおっさんが満足気な表情をしていた。

こ、こいつ・・・。

 再び、顔に火が付きそうに熱くなった。
 慌てて下を向こうとして、

 バンッ。

 肩やら背中やらを叩かれた。

「っいたぁ」
 身体的に涙目になりながら振り向くと、


「「「「「「お帰りっ」」」」」」


 みんなが、笑っていた。

くそぅ、こいつら、絶対絶対絶対、私が邪魔になってもどっか行ってやらないからなっ!
絶対、ぜぇったい後悔させてやるんだからなっ!

 大きく息を吸い込む。
 ありったけの返事をしてやろうっ。
 顔の熱が抜けるくらいに。

「―――ただいまっ!!!!!!」

私は変身を解いて、私一人で六人分返すようにムキなって声を張り上げた。
勢いだけで、書いてみました。
どのあたりの話になるのかも不明な感じですが。
とにかく、「ぬえで、命蓮寺で」って書いてみたかった。

彼女たちが幸福でありますように。
やっきょくや
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コメント



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3.90奇声を発する程度の能力削除
読んでてとても穏やかな気持ちになれました
ぬえちゃん可愛いよ
8.100名前が正体不明である程度の能力削除
こんな寺には入信したい!
10.80名前が無い程度の能力削除
しまった!
これはぬえメインの話ではなく、
星が可愛い話だ!
星は俺に任せて皆逃げろ!
23.100名前が無い程度の能力削除
しまった!
皆が可愛すぎて暖かい家族の話だった!

ああ、命蓮寺に光が満ちる