ねずみ色の雲が空を覆い尽くす、雨の日の幻想郷。
説法を聴きに訪れる人間も居らず、久方ぶりに命蓮寺は暇だった。
「聖も今日は外出しているし……写経でもしようか」
「え゙」
「……なんだいその反応は」
私の言葉に対して、いかにも嫌そうな声色で返したのはぬえだ。
更に彼女は「ナズは分かってないねえ~」と、煽るかの如き口調で続ける。
「雨で信者は寺に来ない、さりとて聖は外出中……この完璧な環境、クソ真面目に写経などする者が居ようかいや居ない!」
「端的に言いますと」
「バレなきゃよくね」
酷いサボタージュ理論である。伊達に異名が『命蓮寺のSWJR ERK』ではない。
しかし、寺の暮らしとは決して仕事ではないのだ。勿論休みなど存在せず、常に気持ちを引き締めて生活をしていく。
そう、それが命蓮寺に住む者の務めであり――ぬえ以外の皆が自覚している事であろう。
「ぬえの言う通りよねー。折角お休みなんだから楽しいことをするべきだわ」
「雨の中陰鬱に過ごすのも嫌だし、私も賛成ー」
ほらね? くそったれ。
そういう訳で一輪、それからムラサの言葉には、寺に住む者の自覚などミジンコ並みにも存在しなかった。
「わしは新入りだからのう。ここはおとなしく、かつ民主的な『多数決』に従うぞい」
「私もマミゾウさんと同意見ですっ」
便乗するかの如く、最近外の世界からやって来た二ッ岩マミゾウ、それから響子までもがサボタージュ案の事実上賛成に回る。
民主主義という名の正義のもと、いつの間にやらナズーリン包囲網が出来上がっていた。完全にファシズム扱いである。
「まあまあ、ナズ。今日くらいはお休みにしてもいいじゃないですか。聖だってこれぐらいは許してくれますよ」
「……うぐぐ」
そして、駄目押しするのはご主人――こと寅丸星の鶴の一声だ。
最後の望みも綺麗に吹き飛び、多数決は見事『ナズーリン陣営1:6サボり隊』で大敗であった。民主主義怖すぎ。
「で、今日がオフなのは分かったけど……何かやる予定はあるの?」
こうして発足したサボタージュ体制の下、疑問を投げかけたのはムラサ。
確かにいくらオフとはいえ、やる事が無ければただ暇を持て余すばかりだろう。
「ふっふ……勿論。こんな事もあろうかと、私が秘密裏に開発していたものがあってだな……!」
しかし、それに答えるはぬえ。
彼女はちゃぶ台の下から折り畳まれた紙を取り出し、要領良く開いていく。
開ききった時、その紙はちゃぶ台1つを占領する程度の大きさになっていた。
「……何これ。何か色々と書いてあるけど」
「ふむ、一輪君。これは恐らく『人生ゲーム』というやつじゃな?」
「人生ゲーム?」
一輪の言葉に、マミゾウさんが片手で眼鏡を上げながら答える。
ぬえは「流石マミゾウ、分かってるじゃん」とご満悦で、更に続けて説明を始める。
「これはまあ、簡単に言うと『すごろく』だね。ただ『すごろく』みたいな淡白なものじゃなくて、お金があったり結婚したり、とにかくリアルな訳よ」
「へえ……現実的な『すごろく』、ってことね。おもしろそうじゃない!」
乗り気な一輪の言葉に、私も含めた一同は小さく頷いた。
ぬえの手作りというところだけが心配だが、説明を聞いたぶんでは中々面白そうだ。
「決まり、じゃあ早速始めるよ」とぬえが音頭を取り、『ぬえ型人生ゲーム』はスタートしたのだった。
「ええと、一番最初は私ですねっ!」
じゃんけんの結果、一番に決まったのは響子だ。元気な声で宣言してから、彼女はゆっくりとサイコロを振る。
――6。いきなり大きな目が出た。
「へえ、いきなりやるじゃん」
「中々良い出だしですね、響子」
「えへへ~」
ぬえとご主人の言葉にニマニマしながら、響子は自分のコマを6マス分進めていく。
スタート地点から6マス先。そこで響子を待っていたものは――
うんこをふむ 死亡
……うんこ。
「なんですかこれッッ!!?」
それを見た瞬間に響子は、一種の悲鳴にも似た叫びを上げた。
いまにも目玉が飛び出さん勢いで、そのマスとぬえとを交互にガン見している。
引き攣った笑いのまま固まる私とご主人、俯いて失笑するマミゾウさん、その横で大爆笑しながら転がる一輪とムラサ。
「ちょッ、ぬえさん!?」
「ん? どした響子? あ、お通夜マス踏んだから響子はゲーム終了ね」
「お通夜マス!? てかうんこ踏んだだけで何で死ぬんですかどうして!?」
……要は『お通夜マス』とやらを踏むと人生が終了するらしい。無論原理不明。
いやそんな事よりも、これでは全員が1ターン目、6分の1の確率で死亡(しかも死因がうんこ)するという事ではないか。致死率がSARSレベルのうんことは恐怖過ぎる。
「はいはい、響子のターンは終わり。よし次ー」
「そんな理不尽なああ……」
未だ戦慄する私を尻目に、響子の人生はこの瞬間終わりを告げた。
「ど、どんま、い、響子、ぶふっ! つ、次は私ねっ……」
続くは一輪。笑いの収まらないままにサイコロを投げ落とす。
震える手から落ちたサイコロの指す目は、――2。
即死は免れたようである。
「2、2ね……ぶふっ」
「……一輪さん」
「ご、ごめんね響子……うぐふ」
いよいよ響子も真顔になってきたところで、一輪はコマを2マス進める。
6分の5の命を勝ち取った一輪の進んだマスには――
うんこをふむ 死亡
一輪は発狂した。
◇
「初めは頑張ってたけどだんだんネタが思いつかなくなって使い回しちゃったゴメンネゴメンネ(はあと」などという制作側の事情は、消費側の私達からすれば大変どうでもいい話である。
どちらにせよ――ぬえによる設計の杜撰さは、実際のゲーム進行に響きまくった。
初回の死亡率が3分の1だった事はまだいい、しかしその後3マスに1回のペースでうんこが落ちていては堪ったものでは無い。
結局中盤にさえ差し掛からないうちに葬式ラッシュという、なんとも残念な結末を迎えてしまったのであった。
「ぬえさん」
「はい」
「なんでこんなにうんこが落ちているんですか」
「すいません」
「誠意を示してください」
「全員に正体不明おはぎを奢ります」
「普通のおはぎにしてください」
ムラサによる戦後裁判も開廷し、『ぬえ型人生ゲーム』は無論押収。
こうして、再びやる事が無くなってしまった。皆が皆手持ちぶさたで、境内を叩く雨音だけがやたらによく響き渡る。
――いや、これは、チャンス?
んん、とわざとらしい咳払いをして、
「さて……やる事も無くなったみたいだし、ここは写きょ」「えっ」「えっ」「えっ」「えっ」「えっ」「えっ」「お前らどんだけ写経嫌なんだよ!」クソが!
「で! ……みんな何か暇つぶしできそうな事ないの?」
パン、と手を叩いて、先程の戦犯ぬえは一同に問いかけた。
しかし、誰一人とて反応がない。ぬえは大きく溜め息をついて、その視線をマミゾウの下へ向ける。
「じゃあ1人ずつ訊いてくから考えておいてねー。まずマミゾウ、何か無い?」
「むう、わしか?」
「あんたよあんた」
「ふむ……『戦時に役立つ戦略的ターザン』なら教えられないことも無いのじゃが――」
明らかに死亡フラグである。ぬえの表情も少しだけ引き攣る。
どちらにせよ、外がこの雨ならば廃案にならざるを得ないだろう。安心。
「響子は? 何か無い?」
次に視線を向けられたのは響子。彼女もまた「んー」と唸り、暫くしてから重々しく口を開く。
「……暇つぶしになるかは分かりませんけど、『戦時に役立つ戦略的ヤッホー』というものが」「パクリはいけません」「すいませんでした」瞬殺である。
続く一輪は「犬のうんこを避ける国際会議」と明らかにPTSD気味なので却下。
その後のムラサも思いついていないようでそのままスルーされる。
「……あ、ちょっと待って!」
――と、思いきや。スルーされる直前、何か思い出したようにムラサは声をあげた。
怪訝な表情で、ぬえは視線を戻す。
「どうしたよ」
「いやね、今思い出したんだけど……最近、この寺の住人が出演する紙芝居をね、作ったのよ!」
「出演……って、私達がムラサの作った紙芝居の中に?」
「そうそう」
「ほお……」と私。「でも何でそんなものを?」
「人里の寺子屋と親善を図る――みたいな理由だったかな? とにかく子供に披露するために紙芝居を作って欲しい、って聖から言われてたの」
ああ――その話ならば多少耳にしている。
寺子屋から命蓮寺に交流会のオファーがあったとか何とかと、前に聖が話していた。
結局雨天で中止になってしまったという事だったが――なるほど、それがここで役立つとは。
「それ、結構気になりますね……」
「確かに、私達まだ見てないしねえ」
ご主人とぬえの言葉に、ムラサは笑って「確か私の部屋にあったから、ちょっと持ってくるわっ」とその場から立ち去る。
そして数分後、やや厚めの画用紙束を手にしたムラサが戻ってきた。
「思い出してよかったわ。ちゃんと部屋にあったし」
「それは何より。で、誰が読むんだい?」
「それなら任せて。私、交流会でも読む係の予定だったから、練習はしてあるわ」
私の問いかけに胸を張るムラサ。それならば任せて問題は無いだろう。
ささっとセッティングして、準備も完了。一同が見つめる中――いよいよ『ムラサ紙芝居劇場』の開演である。
「それでは、はじまりはじまり~……」
◇ ◇
◆ ◆
◇ いちりんさんとくもやま ◇
◆ ◆
◇ ◇
「おかしい」
開始早々、一輪からクレームが来た。
「何か」
「何かじゃないわよ。くもやまって誰よ」
「そりゃ雲山(うんざん)の事に決まってるじゃない」
「じゃあなんでくもやまなの」
「キャベツ君とブタヤマさんみたいな感じで、こうね」
「雲山はブタですか」
初っ端からグダりまくっているのだが、そこを強行突破しようと試みるムラサ。
ただ、一輪もそこまでこだわる様子はなく、「まあ主人公ポジ貰ったからいいや」という事で和解した。
「じゃあ、さっそく話に入るわよー」
むかしむかし……あるところに、いちりんさんとくもやまがいました。
ある日、いちりんさんは川へ洗濯に、くもやまは山へ芝刈りに行きました。
いちりんさんが洗濯をしていると、突然川上から何かが流れてきます。
それは何と、1つの大きな――ナズーリ
「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て!!」
中断!
「何よナズ、突然大声出して」
「何もこれも、どうして私が川を流れているんだ!?」
「必然よ」
「必然じゃねえよ! つかこれ完全に桃太郎のパクリじゃないか!」
「オマージュと言いなさいオマージュと。それからまだ『ナズーリ』としか言ってないでしょ。もしかしたらナズーリリッピ州かもしれないじゃない」
「どこだよ!」
「ともかく、続けていくよー」
それは何と、1つの大きな――ナズーリンでした。
「結局私じゃないか!」
「あら、不思議な事もあるものねえ」
「……」
今回もろくでもない匂いがしてまいりました……
それは何と、1つの大きな――ナズーリンでした。
「これは大きなナズーリンだ」といちりんさんは驚き、それを引き上げて家に持ち帰りました。
くもやまが帰ってからそれを見せると、くもやまは「Oh…It’s very big」と呟いてから「このナズーリン、割ってみようず」と言い始めました。
もう勝手にしてくれ……
しかしいちりんさんは「でもぶっちゃけ、これ普通のナズーリンよね」と言います。
それを聞いたくもやまも「確かに、これがシークレットナズーリンだったらなあ」と落胆気味です。
ナズーリンは絶望しました。これが資本主義、自由社会の生んでしまった弊害なのだと。
家を飛び出した彼女はボリシェヴィキ党へ入党、そしてのちのスターリンとなり赤化運動に花を咲かせていくのでした……
花咲かせません。
赤くなりません。
「……とまあ、これで第一部は終了よ」
ここでムラサが一息ついた。こんな茶番でも体力は使うらしい。
しかし初っ端からこんなでは、見てる側の体力も無くなってしまうのではないか――
――と、思いきや。私と一輪以外の面々は、皆一様に不満そうな表情をムラサに向けていた。
「……みんなどうしたよ」
「いや、だってさ……」とぬえ。
「私達、全く出番無いですし……」とご主人。
「ぶっちゃけ、ナズーリンさんが騒いでるだけじゃつまらないといいますか」と響子。
「わしの出番も延々と来なさそうだしのう……佐渡に帰るか」とマミゾウさん。
実に辛辣な響子の台詞に、陰で私が涙を流していたのはともかく――マミゾウさんにまで佐渡へ帰られてしまっては、これまた大変な問題だ。
「不満の声も上がっている事だし……ムラサ、全員が目立って活躍するようなところまで飛ばせないか?」
私の提案に、ムラサも「えー」と不満気だ。
「そりゃ、出来ない事も無いけど……でも第89部まで飛ばす事になるわよ」
「どんな紙芝居だよ」長編過ぎませんか。
「ま、みんなが言うならしょうがないねー。第89部から再開するわよ」
ともかく、これで全員納得した様子である。
87部ほど話を飛ばして、再び物語は幕を開けた。
89.
「皆さん……これが最後のネギですよ」と寅丸が言います。
というのも、今日は響子が空き缶を152個しか拾えなかったので、リサイクルショップから足元を見られてしまったのです。
今や家計は火の車。命蓮寺の外ではぬえがマッチを売っていました。
「近藤雅彦も幻想入りしたんじゃのう」と痩せ細ったマミゾウがしみじみ――
――――――――
――――
――
「…………」
……もう誰にも、彼女の暴挙に突っ込みを入れる余力は残っていなかった。
◇
そうこうしている間に雨も弱くなり、僅かに覗いたおひさまは西へ傾いていた。
そろそろ、聖も帰ってくる頃である。何だかんだ最後まで暇することは無かったのだから、いよいよ写経も立場が無い。
「はあ……取りあえず、充実した一日だったわね」
一輪の呟きに、一同は力無く頷く。
家からは一歩も出ていない、しかし感じるこの充実した疲労感。
インドアも良い物だなあ、なんて、この場の全員が思い始め――
「ちょっと待った――――っ!!」
――たかと思いきや。
疲労に沈む私達の中に一人、バンと平手でちゃぶ台を叩きつける者がいた。
毘沙門天の代理にして私のご主人――寅丸星だった。
「……なんですかご主人」
「なんですかも元気ですかもありません! 私に順番が回ってきてないじゃないですかっ」
あー、そういえば……――とすっかり忘れていた様子で、ちゃぶ台に倒れ込んだぬえが小さく呟く。
因みに、ご主人以外の全員がそんな感じの顔をしていた。いくらご主人が空気だったところで、まあどうでもいいや的思考なのだろう。
しかし生憎、我がご主人がそれを許す筈も無く。
「ちゃんと私だってプレゼンを考えてたんですから! 皆さん見て下さいよっ!」
半分泣きべそをかきながら、そのように懇願してくる始末。
はあ、とどうしようもない溜め息をついたのはぬえだ。
「つってもさあ、そろそろ聖だって帰ってくるし」
「そんなに時間はかかりませんから安心して下さい!」
「……本当だね? じゃあちゃちゃっとやっちゃってよ」
「本当ですか!?」
ぬえの許諾を手にし、パアと一瞬にして明るい顔になる。
ご主人、滅茶苦茶嬉しそうである。そんなにやりたい事だったのだろうか。
「というのもですね、ナズ」
その旨をご主人に伝えると、ご主人は明るい顔のまま解説を始める。
「私も日々命蓮寺で生活していて、たびたび気になる事が多々あるのです。しかしそれを解き明かそうにも、普段の生活では満足な時間が無い」
「だからこの時間を利用して、それを実践しようと」
「その通りです! 皆さんもこの際、そういう事を試してみたいとは思いませんか!?」
そんなご主人の言葉で――みんなの瞳に、少しだけ光が戻ったような気がした。
少なくとも、写経よりは興味を持ってくれたのだろう。
ご主人様は満足そうに頷き、ニコニコと笑顔を見せる。
「で……、実際に何をするつもりなの?」
声を発せるレベルには回復した一輪が尋ねると、ご主人は「はい、少々お待ちを」を言い残し、駆け足で部屋から出ていく。
数十秒もしないうちに、ご主人は部屋へ戻ってきた。
その両手に2本、縦に長い謎の容器を持って。
「お待たせしました、皆さん」
容器をちゃぶ台に置き、颯爽と口を開くご主人。
更に彼女は、ちゃぶ台の下から小さなボウルを取り出す。
「……それ、何じゃ?」
明らかに不安げなマミゾウさんの言葉にも「ふっふ……今に分かりますよ」と濁すご主人。
一同の怪訝な視線を一身に受け――再び話し始める。
「この容器にこそ、私が日々気になっているものがあります……これです!」
容器を半回転させ、そこにでかでかと記述された文字を私達に見せてくる。
混ぜるな危険!
……
……星、さん?
「ずっと気になっていたんですう……やるなって言われたらやっちゃうのが毘沙門天の本能ですよねえ……」
「おい、ご主人」
ご主人の目はラリっていた。
「さあ皆さん、一気に行きますよおっ! このサンポールとカビキラーを、混ぜ――」
全員が一斉にご主人をぶん殴ったのは、それからたった0.5秒後の事である。
説法を聴きに訪れる人間も居らず、久方ぶりに命蓮寺は暇だった。
「聖も今日は外出しているし……写経でもしようか」
「え゙」
「……なんだいその反応は」
私の言葉に対して、いかにも嫌そうな声色で返したのはぬえだ。
更に彼女は「ナズは分かってないねえ~」と、煽るかの如き口調で続ける。
「雨で信者は寺に来ない、さりとて聖は外出中……この完璧な環境、クソ真面目に写経などする者が居ようかいや居ない!」
「端的に言いますと」
「バレなきゃよくね」
酷いサボタージュ理論である。伊達に異名が『命蓮寺のSWJR ERK』ではない。
しかし、寺の暮らしとは決して仕事ではないのだ。勿論休みなど存在せず、常に気持ちを引き締めて生活をしていく。
そう、それが命蓮寺に住む者の務めであり――ぬえ以外の皆が自覚している事であろう。
「ぬえの言う通りよねー。折角お休みなんだから楽しいことをするべきだわ」
「雨の中陰鬱に過ごすのも嫌だし、私も賛成ー」
ほらね? くそったれ。
そういう訳で一輪、それからムラサの言葉には、寺に住む者の自覚などミジンコ並みにも存在しなかった。
「わしは新入りだからのう。ここはおとなしく、かつ民主的な『多数決』に従うぞい」
「私もマミゾウさんと同意見ですっ」
便乗するかの如く、最近外の世界からやって来た二ッ岩マミゾウ、それから響子までもがサボタージュ案の事実上賛成に回る。
民主主義という名の正義のもと、いつの間にやらナズーリン包囲網が出来上がっていた。完全にファシズム扱いである。
「まあまあ、ナズ。今日くらいはお休みにしてもいいじゃないですか。聖だってこれぐらいは許してくれますよ」
「……うぐぐ」
そして、駄目押しするのはご主人――こと寅丸星の鶴の一声だ。
最後の望みも綺麗に吹き飛び、多数決は見事『ナズーリン陣営1:6サボり隊』で大敗であった。民主主義怖すぎ。
「で、今日がオフなのは分かったけど……何かやる予定はあるの?」
こうして発足したサボタージュ体制の下、疑問を投げかけたのはムラサ。
確かにいくらオフとはいえ、やる事が無ければただ暇を持て余すばかりだろう。
「ふっふ……勿論。こんな事もあろうかと、私が秘密裏に開発していたものがあってだな……!」
しかし、それに答えるはぬえ。
彼女はちゃぶ台の下から折り畳まれた紙を取り出し、要領良く開いていく。
開ききった時、その紙はちゃぶ台1つを占領する程度の大きさになっていた。
「……何これ。何か色々と書いてあるけど」
「ふむ、一輪君。これは恐らく『人生ゲーム』というやつじゃな?」
「人生ゲーム?」
一輪の言葉に、マミゾウさんが片手で眼鏡を上げながら答える。
ぬえは「流石マミゾウ、分かってるじゃん」とご満悦で、更に続けて説明を始める。
「これはまあ、簡単に言うと『すごろく』だね。ただ『すごろく』みたいな淡白なものじゃなくて、お金があったり結婚したり、とにかくリアルな訳よ」
「へえ……現実的な『すごろく』、ってことね。おもしろそうじゃない!」
乗り気な一輪の言葉に、私も含めた一同は小さく頷いた。
ぬえの手作りというところだけが心配だが、説明を聞いたぶんでは中々面白そうだ。
「決まり、じゃあ早速始めるよ」とぬえが音頭を取り、『ぬえ型人生ゲーム』はスタートしたのだった。
「ええと、一番最初は私ですねっ!」
じゃんけんの結果、一番に決まったのは響子だ。元気な声で宣言してから、彼女はゆっくりとサイコロを振る。
――6。いきなり大きな目が出た。
「へえ、いきなりやるじゃん」
「中々良い出だしですね、響子」
「えへへ~」
ぬえとご主人の言葉にニマニマしながら、響子は自分のコマを6マス分進めていく。
スタート地点から6マス先。そこで響子を待っていたものは――
うんこをふむ 死亡
……うんこ。
「なんですかこれッッ!!?」
それを見た瞬間に響子は、一種の悲鳴にも似た叫びを上げた。
いまにも目玉が飛び出さん勢いで、そのマスとぬえとを交互にガン見している。
引き攣った笑いのまま固まる私とご主人、俯いて失笑するマミゾウさん、その横で大爆笑しながら転がる一輪とムラサ。
「ちょッ、ぬえさん!?」
「ん? どした響子? あ、お通夜マス踏んだから響子はゲーム終了ね」
「お通夜マス!? てかうんこ踏んだだけで何で死ぬんですかどうして!?」
……要は『お通夜マス』とやらを踏むと人生が終了するらしい。無論原理不明。
いやそんな事よりも、これでは全員が1ターン目、6分の1の確率で死亡(しかも死因がうんこ)するという事ではないか。致死率がSARSレベルのうんことは恐怖過ぎる。
「はいはい、響子のターンは終わり。よし次ー」
「そんな理不尽なああ……」
未だ戦慄する私を尻目に、響子の人生はこの瞬間終わりを告げた。
「ど、どんま、い、響子、ぶふっ! つ、次は私ねっ……」
続くは一輪。笑いの収まらないままにサイコロを投げ落とす。
震える手から落ちたサイコロの指す目は、――2。
即死は免れたようである。
「2、2ね……ぶふっ」
「……一輪さん」
「ご、ごめんね響子……うぐふ」
いよいよ響子も真顔になってきたところで、一輪はコマを2マス進める。
6分の5の命を勝ち取った一輪の進んだマスには――
うんこをふむ 死亡
一輪は発狂した。
◇
「初めは頑張ってたけどだんだんネタが思いつかなくなって使い回しちゃったゴメンネゴメンネ(はあと」などという制作側の事情は、消費側の私達からすれば大変どうでもいい話である。
どちらにせよ――ぬえによる設計の杜撰さは、実際のゲーム進行に響きまくった。
初回の死亡率が3分の1だった事はまだいい、しかしその後3マスに1回のペースでうんこが落ちていては堪ったものでは無い。
結局中盤にさえ差し掛からないうちに葬式ラッシュという、なんとも残念な結末を迎えてしまったのであった。
「ぬえさん」
「はい」
「なんでこんなにうんこが落ちているんですか」
「すいません」
「誠意を示してください」
「全員に正体不明おはぎを奢ります」
「普通のおはぎにしてください」
ムラサによる戦後裁判も開廷し、『ぬえ型人生ゲーム』は無論押収。
こうして、再びやる事が無くなってしまった。皆が皆手持ちぶさたで、境内を叩く雨音だけがやたらによく響き渡る。
――いや、これは、チャンス?
んん、とわざとらしい咳払いをして、
「さて……やる事も無くなったみたいだし、ここは写きょ」「えっ」「えっ」「えっ」「えっ」「えっ」「えっ」「お前らどんだけ写経嫌なんだよ!」クソが!
「で! ……みんな何か暇つぶしできそうな事ないの?」
パン、と手を叩いて、先程の戦犯ぬえは一同に問いかけた。
しかし、誰一人とて反応がない。ぬえは大きく溜め息をついて、その視線をマミゾウの下へ向ける。
「じゃあ1人ずつ訊いてくから考えておいてねー。まずマミゾウ、何か無い?」
「むう、わしか?」
「あんたよあんた」
「ふむ……『戦時に役立つ戦略的ターザン』なら教えられないことも無いのじゃが――」
明らかに死亡フラグである。ぬえの表情も少しだけ引き攣る。
どちらにせよ、外がこの雨ならば廃案にならざるを得ないだろう。安心。
「響子は? 何か無い?」
次に視線を向けられたのは響子。彼女もまた「んー」と唸り、暫くしてから重々しく口を開く。
「……暇つぶしになるかは分かりませんけど、『戦時に役立つ戦略的ヤッホー』というものが」「パクリはいけません」「すいませんでした」瞬殺である。
続く一輪は「犬のうんこを避ける国際会議」と明らかにPTSD気味なので却下。
その後のムラサも思いついていないようでそのままスルーされる。
「……あ、ちょっと待って!」
――と、思いきや。スルーされる直前、何か思い出したようにムラサは声をあげた。
怪訝な表情で、ぬえは視線を戻す。
「どうしたよ」
「いやね、今思い出したんだけど……最近、この寺の住人が出演する紙芝居をね、作ったのよ!」
「出演……って、私達がムラサの作った紙芝居の中に?」
「そうそう」
「ほお……」と私。「でも何でそんなものを?」
「人里の寺子屋と親善を図る――みたいな理由だったかな? とにかく子供に披露するために紙芝居を作って欲しい、って聖から言われてたの」
ああ――その話ならば多少耳にしている。
寺子屋から命蓮寺に交流会のオファーがあったとか何とかと、前に聖が話していた。
結局雨天で中止になってしまったという事だったが――なるほど、それがここで役立つとは。
「それ、結構気になりますね……」
「確かに、私達まだ見てないしねえ」
ご主人とぬえの言葉に、ムラサは笑って「確か私の部屋にあったから、ちょっと持ってくるわっ」とその場から立ち去る。
そして数分後、やや厚めの画用紙束を手にしたムラサが戻ってきた。
「思い出してよかったわ。ちゃんと部屋にあったし」
「それは何より。で、誰が読むんだい?」
「それなら任せて。私、交流会でも読む係の予定だったから、練習はしてあるわ」
私の問いかけに胸を張るムラサ。それならば任せて問題は無いだろう。
ささっとセッティングして、準備も完了。一同が見つめる中――いよいよ『ムラサ紙芝居劇場』の開演である。
「それでは、はじまりはじまり~……」
◇ ◇
◆ ◆
◇ いちりんさんとくもやま ◇
◆ ◆
◇ ◇
「おかしい」
開始早々、一輪からクレームが来た。
「何か」
「何かじゃないわよ。くもやまって誰よ」
「そりゃ雲山(うんざん)の事に決まってるじゃない」
「じゃあなんでくもやまなの」
「キャベツ君とブタヤマさんみたいな感じで、こうね」
「雲山はブタですか」
初っ端からグダりまくっているのだが、そこを強行突破しようと試みるムラサ。
ただ、一輪もそこまでこだわる様子はなく、「まあ主人公ポジ貰ったからいいや」という事で和解した。
「じゃあ、さっそく話に入るわよー」
むかしむかし……あるところに、いちりんさんとくもやまがいました。
ある日、いちりんさんは川へ洗濯に、くもやまは山へ芝刈りに行きました。
いちりんさんが洗濯をしていると、突然川上から何かが流れてきます。
それは何と、1つの大きな――ナズーリ
「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て!!」
中断!
「何よナズ、突然大声出して」
「何もこれも、どうして私が川を流れているんだ!?」
「必然よ」
「必然じゃねえよ! つかこれ完全に桃太郎のパクリじゃないか!」
「オマージュと言いなさいオマージュと。それからまだ『ナズーリ』としか言ってないでしょ。もしかしたらナズーリリッピ州かもしれないじゃない」
「どこだよ!」
「ともかく、続けていくよー」
それは何と、1つの大きな――ナズーリンでした。
「結局私じゃないか!」
「あら、不思議な事もあるものねえ」
「……」
今回もろくでもない匂いがしてまいりました……
それは何と、1つの大きな――ナズーリンでした。
「これは大きなナズーリンだ」といちりんさんは驚き、それを引き上げて家に持ち帰りました。
くもやまが帰ってからそれを見せると、くもやまは「Oh…It’s very big」と呟いてから「このナズーリン、割ってみようず」と言い始めました。
もう勝手にしてくれ……
しかしいちりんさんは「でもぶっちゃけ、これ普通のナズーリンよね」と言います。
それを聞いたくもやまも「確かに、これがシークレットナズーリンだったらなあ」と落胆気味です。
ナズーリンは絶望しました。これが資本主義、自由社会の生んでしまった弊害なのだと。
家を飛び出した彼女はボリシェヴィキ党へ入党、そしてのちのスターリンとなり赤化運動に花を咲かせていくのでした……
花咲かせません。
赤くなりません。
「……とまあ、これで第一部は終了よ」
ここでムラサが一息ついた。こんな茶番でも体力は使うらしい。
しかし初っ端からこんなでは、見てる側の体力も無くなってしまうのではないか――
――と、思いきや。私と一輪以外の面々は、皆一様に不満そうな表情をムラサに向けていた。
「……みんなどうしたよ」
「いや、だってさ……」とぬえ。
「私達、全く出番無いですし……」とご主人。
「ぶっちゃけ、ナズーリンさんが騒いでるだけじゃつまらないといいますか」と響子。
「わしの出番も延々と来なさそうだしのう……佐渡に帰るか」とマミゾウさん。
実に辛辣な響子の台詞に、陰で私が涙を流していたのはともかく――マミゾウさんにまで佐渡へ帰られてしまっては、これまた大変な問題だ。
「不満の声も上がっている事だし……ムラサ、全員が目立って活躍するようなところまで飛ばせないか?」
私の提案に、ムラサも「えー」と不満気だ。
「そりゃ、出来ない事も無いけど……でも第89部まで飛ばす事になるわよ」
「どんな紙芝居だよ」長編過ぎませんか。
「ま、みんなが言うならしょうがないねー。第89部から再開するわよ」
ともかく、これで全員納得した様子である。
87部ほど話を飛ばして、再び物語は幕を開けた。
89.
「皆さん……これが最後のネギですよ」と寅丸が言います。
というのも、今日は響子が空き缶を152個しか拾えなかったので、リサイクルショップから足元を見られてしまったのです。
今や家計は火の車。命蓮寺の外ではぬえがマッチを売っていました。
「近藤雅彦も幻想入りしたんじゃのう」と痩せ細ったマミゾウがしみじみ――
――――――――
――――
――
「…………」
……もう誰にも、彼女の暴挙に突っ込みを入れる余力は残っていなかった。
◇
そうこうしている間に雨も弱くなり、僅かに覗いたおひさまは西へ傾いていた。
そろそろ、聖も帰ってくる頃である。何だかんだ最後まで暇することは無かったのだから、いよいよ写経も立場が無い。
「はあ……取りあえず、充実した一日だったわね」
一輪の呟きに、一同は力無く頷く。
家からは一歩も出ていない、しかし感じるこの充実した疲労感。
インドアも良い物だなあ、なんて、この場の全員が思い始め――
「ちょっと待った――――っ!!」
――たかと思いきや。
疲労に沈む私達の中に一人、バンと平手でちゃぶ台を叩きつける者がいた。
毘沙門天の代理にして私のご主人――寅丸星だった。
「……なんですかご主人」
「なんですかも元気ですかもありません! 私に順番が回ってきてないじゃないですかっ」
あー、そういえば……――とすっかり忘れていた様子で、ちゃぶ台に倒れ込んだぬえが小さく呟く。
因みに、ご主人以外の全員がそんな感じの顔をしていた。いくらご主人が空気だったところで、まあどうでもいいや的思考なのだろう。
しかし生憎、我がご主人がそれを許す筈も無く。
「ちゃんと私だってプレゼンを考えてたんですから! 皆さん見て下さいよっ!」
半分泣きべそをかきながら、そのように懇願してくる始末。
はあ、とどうしようもない溜め息をついたのはぬえだ。
「つってもさあ、そろそろ聖だって帰ってくるし」
「そんなに時間はかかりませんから安心して下さい!」
「……本当だね? じゃあちゃちゃっとやっちゃってよ」
「本当ですか!?」
ぬえの許諾を手にし、パアと一瞬にして明るい顔になる。
ご主人、滅茶苦茶嬉しそうである。そんなにやりたい事だったのだろうか。
「というのもですね、ナズ」
その旨をご主人に伝えると、ご主人は明るい顔のまま解説を始める。
「私も日々命蓮寺で生活していて、たびたび気になる事が多々あるのです。しかしそれを解き明かそうにも、普段の生活では満足な時間が無い」
「だからこの時間を利用して、それを実践しようと」
「その通りです! 皆さんもこの際、そういう事を試してみたいとは思いませんか!?」
そんなご主人の言葉で――みんなの瞳に、少しだけ光が戻ったような気がした。
少なくとも、写経よりは興味を持ってくれたのだろう。
ご主人様は満足そうに頷き、ニコニコと笑顔を見せる。
「で……、実際に何をするつもりなの?」
声を発せるレベルには回復した一輪が尋ねると、ご主人は「はい、少々お待ちを」を言い残し、駆け足で部屋から出ていく。
数十秒もしないうちに、ご主人は部屋へ戻ってきた。
その両手に2本、縦に長い謎の容器を持って。
「お待たせしました、皆さん」
容器をちゃぶ台に置き、颯爽と口を開くご主人。
更に彼女は、ちゃぶ台の下から小さなボウルを取り出す。
「……それ、何じゃ?」
明らかに不安げなマミゾウさんの言葉にも「ふっふ……今に分かりますよ」と濁すご主人。
一同の怪訝な視線を一身に受け――再び話し始める。
「この容器にこそ、私が日々気になっているものがあります……これです!」
容器を半回転させ、そこにでかでかと記述された文字を私達に見せてくる。
混ぜるな危険!
……
……星、さん?
「ずっと気になっていたんですう……やるなって言われたらやっちゃうのが毘沙門天の本能ですよねえ……」
「おい、ご主人」
ご主人の目はラリっていた。
「さあ皆さん、一気に行きますよおっ! このサンポールとカビキラーを、混ぜ――」
全員が一斉にご主人をぶん殴ったのは、それからたった0.5秒後の事である。
あと基本的に全員のツッコミに妥協がなく、鋭くて単純に面白い話だった
命蓮寺はツッコミ養成所なんやなw
でも一番笑ったのは後書き
一番笑ったのは一輪さんの国際会議。
彼女はホントに発狂してるな。もうUNKOのことしか頭にないようだ。
あとナズーリンを割るな。
笑って横っ腹が攣るなんて生まれて初めてだ。こんなに辛いものだとは思いもしませんでした。
なんで斜体になるだけでこんなに破壊力が高いんだww
あと流れてきたナズーリンを割るっていうのはつまりナズーリンの美味しそうな桃s