今回は所々視点切り替えがあります。
あたい、小野塚小町はお休みを貰いました。
~三時間前~
いつものようにシフト表を提出した後、あたいは意気揚々と仕事場に向かった。
船着き場につくと、すでに他の船たちは出払った後だった。まぁ、そっちの方が気が楽でいいんだけどね。
それでも今日は遅れられない理由があるし。
「さてと、今日も来てくれるかねぇ……」
んー、と大きく伸びをしながら、昨日の出来事を思い出す。
偶然とはいえ、あいつに会えたこと、一緒にお昼を過ごしたことを思い出すと自然と笑みがこぼれる。
そしてあいつと交わした約束。
「ま、あんなんじゃあ普通は来ないよねぇ……」
別れ際にした口約束。それも一方的に。
そもそも約束と言えるほどのものでもないかもしれない。それでも心が踊ることに変わりはなく、あたいはいつもよりも早足気味に出発の支度をした。
~少女支度中~
「珍しいですね。あなたがこんなに早く出勤しているとは……」
鼻歌交じりに支度をしていると背後からそんな言葉がかけられる。っていうかこの声には嫌な予感しかしないんだけど……
「え……映姫様……」
あたいの背後には、あたいの上司にあたるお方―――四季映姫様が立っていた。
正直、現状で一番会いたくない人に当たっちゃったねこりゃ……
「小町、珍しく朝会えたというのに挨拶の一つもないんですか?」
「あー……おはようございます……」
「はい。おはようございます」
「じゃあ、あたいはそろそろ……」
「随分と早いそろそろですね……折角朝早くに会えたっていうのにそれはないんじゃないですか?」
「はぁ……じゃあどうすればいいですかね……肩でも揉みましょうか?」
「それもいいですね。お願いします」
さも当然のように近くにあった椅子に座り背中を向ける映姫様。
あ……墓穴った……こりゃ長くなるねぇ……
心底後悔しながら、渋々映姫様の一回り小さな肩に手を添え親指にリズミカルな力を加えていく。
「それで……どういったつもりなんですか? あ、もう少し上で……」
「へ? どういうつもりとは?」
「私以上の重役出勤(呆)が日課のあなたが朝早く出勤なんて……ん、そこもっと強くお願いします」
「いや、映姫様より遅いって……そんなこと言ったらここの連中皆そうなりますって」
「私は度の問題を言ってるんですよ~あ~そこいいですぅ~……」
いや、映姫様出勤するの一番早いじゃん……つか映姫様の肩超硬ぇ。指折れそう……
「どこにお昼過ぎに出勤するような部下がいるんですか……?」
「そいつは今映姫様の肩揉んでます」
「小町……?」
「よし! じゃあ、あたいはそろそろ……」
これ以上ここでいらない時間を食うわけにはいかないさね。
言っとくけど、こっち見た映姫様の目が怖かったから逃げるわけじゃないからね。取って喰われそうだなんてこれっぽっちも思っちゃいないからね!
「まぁ、待ちなさい。今日は別に説教するつもりはありません」
「じゃーなんですかー? あたい本気でそろそろ……」
「あなたにお休みをあげようと思ってですね……」
「おつかれしたー」
お休みと言う聞きなれない、だけど魅惑的な単語を耳にした瞬間あたいの体は条件反射的にその場を去ろうとした。
もちろん映姫様がそれを許すはずもなく、通り過ぎようとするあたいの頭に鋭い一撃をかましてくれた。
「最後まで話を聞きなさい!」
「きゃん」
いった~。お休みあげる言ったのにぃ~……
頭をさするあたいを見下ろしながらため息をつく映姫様。
「先に言っておきます。これは執行猶予みたいなものだと心得ておきなさい」
「執行猶予て……あたい何か気に障ることでも?」
「さぁ? 思い当たる節はないんですか?」
「いや~、ありすぎてどれのこと言ってんのか……」
「自覚はあるんですか……あなた完っ全に黒ですね……」
盛大にため息をつく映姫様。
でも、だったらなんであたいにお休みなんか……
「はぁ、つまり……今から休みを与えるのはその後に私の監視下で働いてもらうためです」
「映姫様の監視下……ですか……」
「そうです」
「ちなみに仕事内容は?」
「デスクワーク」
「今までナマ言って本気すんませんしたーっ!!」
「安い土下座ですね……残念ながらこれは決定事項です!!」
「えぇ~!?」
冗談じゃないよ!!
誰があんな陰気な仕事進んでやるかってんだい!! しかも映姫様と一緒にとか……
映姫様の指が折れそうな肩みたいになるのはごめんだよ、ホント……
「休日を与えるのはせめてもの情けです。が、この休日が終わったら覚悟しとくことです!!」
映姫様の纏うオーラが瞬時に閻魔のものになる。反論を許さない時に見せるオーラだ。
ビシッといつものしばき棒(あたいにはそれにしか見えない)をあたいに突きつけ、
「閻魔と同じ仕事ができるのです。光栄に思いなさい。」
と言い放ち、足音高らかに部屋に戻って行った。
後に残されたあたいはため息をつく。
「…………こんなことなら、早くに来るんじゃなかった……」
慣れないことはするもんじゃないってことかねぇ……
あたいは空を見上げながらそう思った。
今日も彼岸は憎たらしい程快晴だった―――
―――そんなこんなで今現在。
「ど~すっかねぇ~……」
急に休みを貰ってもやること無いんじゃあ意味がない。
今すぐあの場所に行ってもいいんだけど、あんまり早く行ってもねぇ……昼寝をするような気分にもなれないし……
サボってる時は休み欲しいとか思ってたけど、貰ったら貰ったで路頭に迷っちまうとはねぇ……結構無欲だと思ってたんけど……
「あたいも存外、贅沢な奴だったってことかい」
そりゃまぁ、映姫様に何度も説教されるわけだ。
思って自嘲気味の笑いが込み上げる。
「まぁ、折角映姫様直々にお休みを戴いたんだ。無駄にする訳にもいかないね、っと」
言ってあたいはひとまず自分の家に戻ることにした。
時間に焦ることはなくなったんだ。昨日のお礼もかねて今日はあたいが腕を振るってやろうじゃないか。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………んぅ」
窓から差し込む光の眩しさに私は目を覚ました。起床一番の目の前には見慣れた無機質で、それでいて高級感漂う天井。
視線をそのまま横に移す。視界に映るのは小さな小物箪笥と木製の簡素な机のみ。
整頓され切った部屋からは生活感を感じさせず、我ながら味気ない部屋だと実感させられる。
上体を起こし、そのままベッドから足を降ろす。
「うわ……酷い寝癖……」
部屋に備え付けの洗面台の前に立った私の頭はこれでもかというほどうねっていた。
「これは……直すのが大変ね」
洗面器に水を溜めながら、霞がかかった記憶をたどる。
そこで自分がまだお休みの間であることを思い出す。
そしてため息。
「……今日は……何をすればいいのかしら……」
溜まっていく水をぼーっと見る。
そこで一つの言葉が脳に響く。
『明日もまた会えると嬉しいねぇ』
そういえばあんなこと言ってたわね……
思えば今日こんなに体がだるいのも昨日の夜、一人で悶々として寝るのが遅くなったからだ。
一晩寝て改めて思い返すと、どうしてあの時あんなに自分が取り乱していたのか理解に苦しむ。
普通に私が作ったものがおいしいと言ってくれたから?
いいや……似たような言葉ならお嬢様や霊夢に何度も言われてきた。
「まぁ、退屈な日々に気が滅入ってたせいでしょうね……」
それっぽい理由にもならないが、分からない以上そういうことにしておこう。
蛇口を締め、水を止め顔を洗う。
顔に広がる心地いい冷たさが私の意識をはっきりとしたものしていく。
「……ふぅ」
濡れた顔をタオルで拭きながら私の頭は今日は何をしようかと思案していた。
今日もあの場所に行った方がいいのかしら。
昨日今日と同じ場所に行ったんじゃあ、他に行くところがない奴とか思われそうよね。
っていうかあいつは今日も来るって言い切れるかしら。なんか今一信用しきれないというか、あの言動は多少胡散臭いというか……
って、なんであいつのことをまた考えてるの!? やめやめ!!
そもそも私にあいつから一方的に言われたことを守る筋合いは無いし。
ぶんぶんと頭を振って考えるのをやめる。
「うん。今日は新しい紅茶のブレンドを考える日にしましょ」
あいつのことを考えないように私は今日一日をそれに費やすことを態々宣言した。
~少女支度中~
「さて、どうせ考えるなら『十六夜スペシャル』を超えるものを考えないとね」
目の前に多種多様な茶葉とその他食材や薬草等を広げて私はパンと手を合わせた。
因みに新しいブレンドを試作するときはポットとカップは使わない。
パチュリー様にこれを使えば研究に専念できると言われ譲っていただいた『びーかー』と『しけんかん』とやらを使う。
なんでか分からないけど、これを使うときはなんかそれっぽい感じがして楽しいのは確かだ。
特に今回みたいに腰を据えて新作を考えるのは久しぶりだからわくわくしてしょうがない。
「『十六夜スペシャル』はすっきり感を極めた作品よね。だったら今作は……緑茶みたいな渋みなんかを意識してみるのも面白そうね……それとも……」
色々と思案していると不意に脳裏にあいつの顔が浮かぶ。
小町と……一緒にお茶……か……
「って、何考えてるの私!! あいつは関係ないってば」
その場でイメージを振り払うようにぶんぶんと頭を振る。
違うわよ? 別に小町と一緒にお茶してるところとか想像してないからね!?
「こんなんじゃ、新作と言える物は出来ないわ。しっかりしなさい私!!」
自分で自分に喝を入れる。
せっかくお嬢様に頂いたお時間なのよ。お嬢様の為に時間を割いてこそお嬢様の従者よ!!
あんな昼寝しかしてないどっかの門番みたいな奴にうつつを抜かしてる場合じゃないわ!!
気合を入れなおすように自分の頬を叩く。
少し刺すような刺激で自分の緩んだ気を引き締め、改めて机の上を眺める。
用意した様々な茶葉と、その他材料が織り成す光景はまさしくよりどりみどりと言った感じで、これからの充実するであろう時間を約束された気持ちになる。
「さて、始めますか!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「うし。出来た」
そう言ってあたいは目の前に広がる自分が作り上げた料理を眺めた。
言えることがあるとしたら、和食オンリー。
作れるものに限界のあるあたいにしたら上出来なんだけど、気になることと言えば……
「同じお弁当なのに、咲夜が持ってきてくれたお弁当とは随分と色合いが……」
煮物やら、和え物やらどれもこれも地味な色ばかり。
昨日の咲夜が持ってきてくれたお弁当に見た目的な意味で比べたら雲泥の差って言ってもいいかもね。
「……まぁ、別に喰えないもんじゃないからいいか」
多少余ったおかずを口に含んで頷く。
「うん……我ながらよくできてるね」
むぐむぐと口を動かしながら窓の外を眺める。
さて、これからどうすっかねぇ……
まだ昼までには時間があるし……普段しないことをしたせいか、いい感じに疲労感があるし。
「果報は寝て待てってね」
言いながらあたいは畳の上に寝転がった。
「ふぃ~……はてさて、後はあのメイドさんのお口に合うかどうかだよねぇ……」
胸が躍るのを感じつつあたいの意識はあっという間に睡魔に呑み込まれていった―――
◇◇◇◇◇◇◇◇
「………ん……」
気づけば私は机に突っ伏した状態だった。
「…………あれ……私……」
寝ぼけた頭で記憶をたどるも霞がかかったように明白ではない。机の上を照らす蝋燭も新しいのを使っていたはずなのに、もうすでにほんの僅かな状態になっていた。
「………私……寝てたの……?」
言いながら机の上を見渡す。
様々な紅茶の葉が用意されていたが、数種類ほど手が付けられていない状態だったので恐らくは眠ってしまったのだろう。
と、そこで私の視界に見慣れない物が映った。
「これのせいか……」
そう言って私が手に取ったのは欠けたきのこ。
そういえば、見慣れないそれを面白半分で混ぜたようなそうでないような……
基本的にうちは口に含めないようなものは倉庫に入ってないはずだけど、恐らく魔理沙あたりだろう。材料の中に紛れていたのかもしれない。
「気を失う程のものを持ってくるなってのよ……」
この場にはいない白黒に愚痴を垂れつつ私は大きく伸びをした。
椅子から立ち上がりながら窓の方に向き直る。
外は既に生命が休止する時間帯となっていた。
単純に考えて、半日近くは気を失っていたと考えるのが妥当ね。
「………とんでもないものを紛れ込ませたみたいね……」
魔理沙に対して呆れを通り越して感服を覚えていると、くぅ~とお腹が情けない声を上げた。
無理もない。朝起きてからお腹に入れたものと言えば試作段階の紅茶だけ。
「ん~……この時間だと夕食はとうに過ぎているだろうし、何かを作る気にもならないわね……」
言いながら懐中時計を見る。時針は既に十時を指そうとしていた。
ん~、とこれからどうするかを悩んでいた私に一筋の考えが浮かぶ。
「外食……か……」
確かこの時間帯はまだ夜雀の店なら開いているはず。
「………うん、悪くないわね」
少しだけ思案したが他に当てもないので、そこに行くことにする。
簡単に出かけられる格好に着替えて私は部屋を出た。
因みに今日はメイド服で外に出るようなことはしない。
と言うのも昨日帰宅後にお嬢様に休日なんだからメイド服を着るなと言われ、没収されてしまった。
自慢じゃないが私のメイド服を除いた服の数は雀の涙程度のものしかない。
おまけに、着るのが久しぶりのせいか妙に変な心地だ。
「おかしく……ないわよね……?」
廊下を進みながら体のあちこちを見直す。
うーん、こんな気分で外出するのもある意味新鮮ね。
今の私の格好は普段のメイド服とは程遠い、簡素なものだ。『とれーなー』と『じーんず』と言われるもの。
早苗が私に絶対似合うと言って押し付けられたものだ。
まぁ、これに袖を通す気になったのはこれ以外に自前の服をあまり持ち合わせていないってのが大きいけど……それでも似合うって言われたし。
その時は調子に乗ってその数少ない自前の服とか見せたのだが、早苗からはノーコメント。
「あれも普通に可愛いと思ったんだけど……」
今思っても納得のいかないことではある。
早苗からは『ごすろり』とか言われたその服は今や私のクローゼットの奥底で眠っている。
何か分からないけどあの服には惹かれた。フリルとかメイド服に近い何かを感じた。
「ま、今の段階じゃこれが一番無難よね……」
もう一度自分の身なりを見直して、私は外に出た。
「わ……すごい星……」
と、一面に広がる星空に思わず感嘆の息が漏れる。
月の姿は見えず、その代わりと言わんばかりに億万の星が夜空を彩っていた。
これは、昨日の丘から見上げたらさぞかし綺麗でしょうね……
そこで、ふと昨日のあいつの顔が夜空に重なって見える。
「…………」
何を今更……思い出したところで、あいつが言ってたのはお昼頃の話じゃないの。
今行ったところでいるはずもない。約束の時間はとうの前に過ぎたじゃない……
自分で勝手に結論をつけても、本心はまるでそうではないと言ってるみたいに私の足は中々目的地に向かおうとはしない。
「…………行ったところで、いるはずがないのよ」
そう自分に言い聞かせるも私の胸には不快感が顔をのぞかせつつあった。
結局、その不快感に私の心は負けてしまうわけで、私は目的の方角とは反対を向いて
「……気になるわけじゃないわ。単純にあそこからの方が星が綺麗だろうと思っただけで……そう、寄り道よ!!」
誰もいないのにそんな言葉が口から出ていた。
「…………」
胸に募る不快感は次第に大きくなり、私の足は下らない見栄とは裏腹にあの場所に向かっていた―――
◇◇◇◇◇◇◇◇
「………んぁ?」
ふと目が覚め、周囲を見回す。
なぜか暗く、自分が横になっている場所ですら把握できない暗闇の中にあたいはいた。
半身を起こし、再び周りを見回すも相変わらずの暗闇とまだ意識半分の状態のせいか、状況が呑み込めなかった。
「あれぇ……? 確か、今日はぁ………映姫様にお休みを貰って……んで、お弁当…………お弁当っ!!」
そこまで言って、寝ぼけ半分の意識が一気に覚める。
そうだよ!! 今日はあたいがもてなしてやるって気になってたのに!!
「あちゃー……こりゃ寝過ごしちまったかー……」
額に手を当て立ち上がり、窓に近づく。
外は月の姿は無く、星で埋め尽くされた夜空が彩る夜の世界が広がっていた。
「ほぇ~……今日はいい感じに星が出てるねぇ~……じゃなくて!! どうすっかねぇ~……」
言いながら、午前中に作った弁当に目をやる。と、お腹が情けない音を立てて自己主張する。
「……そういえば、弁当作ってからたいした物喰ってないね……」
そこであたいはチラリと外を見やる。
ん~……約束はまぁ、あいつのことだから来たとも思えないし……そもそもあたいの独りよがりなわけで……
「……うん。まぁ、どうせならあそこに行って優雅に星見といくかね」
頭の中を切り替えて、だったら別の楽しみ方をさせて貰おうじゃないか。
頭の中にあいつと鉢会った場所を思い浮かべ、簡単に支度を済まして自宅を後にした。
もしかしたらと一縷の望みを抱いて―――
◇◇◇◇◇◇◇◇
「当然と言えば当然よね……」
小高い丘の上で私はそう独り語ちた。
辺りにはあいつどころか、人の気配すらしない。
まぁ、この場所自体人里から離れているし、こんな時間にいる奴って言ったら妖怪くらいでしょうし……
「じゃなくてっ!!」
そこで思考を中断させる。
「わ、私がここに来たのは星を見に来たのであって、別にあいつに会いに来たわけじゃ……」
再び、誰に言うでもない言い訳が私の口から出る。
当面の私は星どころか視線はどんどん下に沈んで行って……
なんなのよ……どうしてこんな………私……
「……だ、だいたい、向こうが勝手に約束してっただけで、私には関係ないわけで、そもそも律儀に守る必要もないし……」
口から出る言い訳と比例するかのように私の心にはさっきからの不快感が募っていった。
それを何とか取り除こうと、わざわざ声に出して言っているのにその不快感は消えるどころか勢いを増していった。
「それで、せっかくこうして顔を出したってのに……いないし……」
自分で約束がどうこう言った後に、それを破ったことを棚に上げてこの場にいないあいつに不満を言う。
そうでもしないと、この胸に溜まっていく淀んだ気持ちに呑み込まれてしまいそうな気持になっていって……
もう自分が何を言っているのかすら分からなくなってきた。
ただこの胸に溜まる訳の分からない感情をどうにかしたかった。いや、自分ではもうどうにも出来そうになかったから声を出していたのかもしれない。
気づけば私の口からしゃくるようなそれと、目には熱いものが溜まっていた。
気づいた時には既に手遅れで、私の瞳からは留めきれないそれが溢れるように流れ出た。
「なんで………いないのよ………」
当然のことも何故か納得出来なくて……
いないのは当然の事なのに、どこか期待していた自分がいて……
なにより、この形容しがたい感情に翻弄されている自分が情けなくて……
「なんなのよ………どうしてこんなことで…………」
理解できない自分の感情に、押しつぶされそうな不安。
そして、それに抗うことのできない無力感。
私の胸は細い糸で締め上げられているような錯覚を覚え、それにまた恐怖して……
暗闇に包まれた私は最早自分がどういう状態なのかさえ分からなかった。
ただ、あいつが―――小町がいないという当たり前の事実に身を震わしていた。
「…………小町……」
名前を呼んだところで、いないそいつからの返事はない……
「さく……や……?」
―――はすだった。
不意に聞こえた方向に顔を向ける。
そこにいる者が視界に入った時。
そして、それが誰なのかを理解したとき、さっきまでの色々な感情が一気に払拭されたように消え去った。
「こ………まち……?」
◇◇◇◇◇◇◇◇
正直驚いた。
昨日の場所に来てみれば、あたいの想い人はおるわ、しかもなぜか泣いとるわで……
しかもそいつの口から出るのは恐らく……いや、絶対あたいに対する不平不満ばかり。
あたいには色々分からなかった。
実際期待はしてたが、先ずいないだろうと思っていた奴がそこにいた。
信じていなかったって言や、そうなっちまうかもしれないけど、たった一日昼飯を一緒にした奴との軽い口約束なんて誰が守ると思うかい?
それだけでも信じられないってのに、それ以前にそいつは普段凛として引き締まった顔をぐしゃぐしゃにしてあたいの目の前にいるときた……
その姿を見た瞬間に、あたいの中から冷静と言う言葉は消えた。
「………っ!!」
「………こま……ち……?」
だって、想いを寄せた相手が今にも消えちまいそうな表情してたら誰だって……その身を使ってでも慰めてやろうってするのが普通じゃないかい?
しかもそれが、自分の好きな奴だったら誰だってそうしちまうだろ?
少なくともあたいはそんな奴を前にして何もしてやれない甲斐性なしとは違うさね。
相手はあたいの突然の抱擁に戸惑いを隠せない様子だったけど、構うもんかい。
「…………あたいで良ければこの胸、いくらでも貸してやるさ……」
そう言って、背中に回した腕に更に力を込める。
咲夜も一瞬だけ躊躇したのか、腕が宙を漂っていたけどその腕は縋るようにあたいの背中に回ってきた。
ちょいと……クサすぎたかねぇ……
内心、そんなことを思いながらあたいはさめざめと泣く声を聴きながら怖くなるくらいに広がる夜空を眺めていた―――
「落ち着いたかい?」
あたいの目の前で顔を真っ赤にしている咲夜にそう、声を掛けてやる。
「………………」
「……? どうかしたかい……?」
「な、なんでもな……」
「ははぁ、さてはあたいの胸が心地よすぎて離れられなくなったかい?」
「な、そんな訳ないでしょっ!?」
少しからかっただけなのに、いつもの落ち着いた反応ではなく予想以上に動揺した様子(しかも涙目)にあたいの嗜虐心が少しだけくすぐられた。
「なんだい、咲夜ってばそんなにあたいの胸が気に入ったのかい?」
「だから違うってば……」
「そういう割にはさっきからあたいの胸ばっか見てるけど?」
「な、私は別にそんなつもりは……」
先ほどから赤く染まった頬を更に真っ赤にさせた咲夜は恥ずかしいのか顔を背けた。
その仕草にあたいの嗜虐心は更に疼きはじめた。
「なんだったら……揉んでみるかい……?」
「えっ!?」
あたいの言葉に一瞬だけ目を輝かせる咲夜。瞬間あたいの顔を見て再び顔を真っ赤にさせた。
「ふぅん……完璧なメイド長様は胸がお好きみたいだねぇ……」
「うぅ………」
最早反論する余裕すらないのか、顔を真っ赤にさせた完璧で瀟洒なメイドはあたいの腕の中で縮こまった。
そんな仕草がまたあたいの胸に何とも言えない感覚を溢れさせる。
「ははは、可愛いじゃないか。どんなに完璧と謳われようと人の子である証拠さ。恥じることは何一つありはしないよ」
「………」
それでも、やっぱり職業上こういうことをされるのに慣れてないのか、耳まで赤くなった顔を隠すように再びあたいに抱きついてきた。
そんな甘える姿がまたあたいの胸をきゅんきゅんさせるわけで。当然のようにあたいは抱き返してやった。
「なんだいなんだい、メイド長様の本質は甘えたがりかい?」
「う、うるさいわね。ちょっと肌寒いからこうすれば一番温かいかなって……」
「まぁ、そういうことにしとこうかねぇ……」
自然とこぼれたあたいの笑みは咲夜には気に入らなかったのか、しばらくそのままだった。
体温を通して伝わる咲夜の鼓動は落ち着き出したとはいえ、まだ早いものがあった。
あたいは、赤子をあやすみたいに背中を撫でてやった。
「………そこまでしてもらうほど錯乱してないわよ……」
「でも悪い気はしないだろ?」
「う………」
「今ぐらいは甘えても閻魔様も何も言いやしないさ」
「…………」
無言になった代わりに更に縋りついてくるように咲夜は密着してきた。
なんだいなんだい、可愛いところもあるじゃないか。ニヤニヤが止まらないねぇ。
なんてことを思っていると、「くぅ~」という音が耳に入る。
「あぅ……」
咲夜の様子から見てそれが咲夜のお腹の音だとすぐに分かった。
「ん? 咲夜……晩飯まだなのかい?」
「いや……えっと………」
と、あたいの腹からも「ぐぅ~」と情けない音がなる。
「…………」
「あ……あははは。実はあたいもまだなんだよねぇ……」
「ふふっ……」
「おっ、ようやく笑ったね。やっぱりお前さんは笑っている方がいいね」
「……そう?」
「あたいが嘘を言うとでも?」
「そうね……あなた、そこまで器用じゃなさそうだし」
「………そこまで言えりゃあもう大丈夫だね」
「ええ……おかげさまでね。色々と情けないところ見せちゃったけど……」
「なぁに、泣いたり笑ったり出来るのは生きてる奴の特権さ」
「あなたが言うと説得力あるわね……」
「そりゃね……伊達に死神やっちゃいないよ」
「あら、真面目に仕事してるの? 意外だわ……」
「………言うじゃないか」
「恥ずかしいところ見られちゃったからね……少しばかりのお礼よ」
言いながら咲夜はあたいから離れた。
ちょっと……いや、かなり残念だったけど、その顔には不安とかそういうのがない爽やかな表情をしていた。
「あ~、なんか久しぶりに泣いたかも……」
「ま、お前さんにはそういう機会は少ないだろうからねぇ……」
「たとえ機会はあっても、今日みたいに泣くようなことは先ずないわね……」
「へぇ……ってことは、なにかい? あたいは貴重なものを見せてもらったってことになるのかい?」
「そうね……そうなるわね……」
大きく伸びをしながら言う咲夜は既にいつもの調子で話していた。
そこにはさっきまでの消えてしまいそうな雰囲気はまったくなく、むしろ力強ささえ感じ取れた。
「でも、ま……あなただったら悪い気はしないわ……」
「そいつは光栄だね。冗談でも嬉しいねぇ……」
「私が冗談でこんなこと言うとでも思ってるの?」
「だとしたら、本気だとでも?」
「私はいつでも本気よ?」
……………
…………
………
えーっと、それはつまり……?
咲夜があたいのことが好きだとでも言うのかい? それが本当であるなら嬉しいけど、あたいもそんな単純じゃあないよ。
「死神をからかっちまうと、魂取られちまうよ?」
「あら、私が死神をからかうほどふざけた人に見える?」
「それでも冗談が言えない程、頭が固いってわけじゃないだろう?」
「そうね。少なからず、冗談にしていいことと駄目なことくらいは理解してるつもりだわ」
「だったら」
「だからよ……」
あたいの言葉を区切るように咲夜はそっと人差し指であたいの口を制した。。
「小町……あなたのことが……好きよ……」
多少の恥じらいを見せつつ、それでも聞き間違いだと言わせないようにはっきりと。
咲夜は自分の気持ちを打ち明けた。
その言葉をあたいは素直に受け取れなくて心にもないことを口走ってしまう。
「本気かい? 死神なんかを受け入れちまってもなんも得しないよ?」
「あら、私が損得で人を好きになるような人に見える?」
「後悔するよ……?」
「あなたへの気持ちを無視した方が後悔するわ」
「お前さんの周りも連中も黙っちゃないよ……」
「そうかしら? どっちかと言うと私の周りはそういうことは気にしない人ばっかりだと思うけど……それに、もしそうなってもあなたが守ってくれるんでしょ?」
「そりゃあ……まぁ……」
それでも、咲夜は自分の気持ちを押し通した。
言い淀むあたいに対して、余裕を持った笑みさえ浮かべて、咲夜はそんなことを言う。
なんか言い包められたみたいで気に入らないね……
ま、でもこれ以上何かを言うのは野暮ってことかね。
咲夜もあたいを―――死神を相手にすることの意味は少なからず分かってくれてると思うし……
何よりも、死神であるあたいはともかく、小野塚小町として咲夜の気持ちを断る理由がないしね。
むしろ願ったり叶ったりで嬉しいくらいさ。
「……お前さんが今から相手しようとしてる死神は一筋縄じゃいかないよ?」
「あなたこそ……半端な気持ちでメイドさんを扱えると思わないでね?」
「ははは、そりゃあ怖いねぇ……せいぜい肝に銘じておくよ」
「そうして頂戴」
そこまで言ってあたいと咲夜の腹の音が重なる。それにまた揃って顔を赤くして笑ったり。
その偶然にさえ何故か運命的なものを感じてしまったり……って何言ってるんだいあたいは……
そんなことを考えたりしたけど、横にいる咲夜の顔を見たら自然に顔が熱くなるのを感じたりして。
でもその感覚は決して悪い気のしない、寧ろ幸福感に満たされるような感覚であって。
あたいと同じようにほんのりと顔を赤くした咲夜の笑顔を見たら今まで以上に愛しさが溢れちまうようで。
空を見上げれば昨日の清々しさと打って変わって、今日の空は神秘的な光で彩られていた。
この空は、忘れられなくなりそうだねぇ……
そんなことを想いながら、あたいは隣に座っている愛しい人に笑顔を向けた―――
とても同意できます
色々と悶えそうになりました
糖死してしまうぞ…