ぼうし、ぼうし、帽子を見かけませんでしたか。ここいらで落としたはずなんです。
見ていませんか、そうですか。だったら、ぼうし、ぼうし、帽子を売ってくださいな。黒くて、丸くて、ちょっと懐かしいにおいのする帽子が欲しいんです。
「申し訳ないが、うちはお面屋でね」
「うん、そうだったわね。ごめんなさい」
返事は待たずに、私は騒がしい人通りの中に戻る。流れをさかのぼるように歩きだした。
知ってるわ。祭りの屋台で聞いてもどうにもならないってことくらい。
でも聞きたかった。ぼうしぼうし、私の大切な帽子の行方を。
見せておきたかったのよ。見てみたかったのよ。お姉ちゃんから貰った帽子を無くした、馬鹿な私というものを。
コートの前をかき合わせた。雪を知らない乾いた風なのに、不思議と冬の香りがする。
そのまま街外れまで歩く。見つからなかった。飾りのリボンすら、地面に這わせた目の中に飛び込んでこない。
たまたま見つけられなかっただけ。それか親切なひとが拾ってくれたのだ。そうに違いない。
もう一度だけ、聞いてみよう。でも、誰に? 親切なひとって、本当にいるの?
うつむいていた顔を持ち上げた。いる。誰かは知らない。でも、いる。
そう信じていないと、今度は涙まで落としてしまいそうだ。
屋台が並ぶ大通りを歩いていると、ぽっかりと人のいない場所があった。
そして、“私”がいた。いつも着ている服で、ぴったり閉じた瞳をフワフワさせて、探していた帽子を被って、声を張り上げている。
私二人の目が合う。ニコリと笑われた。透き通るような笑みだな、と思った。
同じ笑顔を、自分も使っているのだろうか。できれば違うといいな、とも思った。
「こんにちは。私はこんなところで何をしているの?」
「やぁ。祭りの夜には見せ物も必要だろう?」
「いつの間にか大道芸人になっていたのね」
「うん。でも立ち止まってくれたのはお嬢さんが初めてだ」
「そう。寂しかった?」
「もちろん。観客のいない舞台ほど孤独なものはない」
「私に芸は出来ないわ」
「するのは私」
「知ってる。でも私でしょ?」
ポンと音がした。返事のかわりに柔らかいものが飛んでくる。
猫のぬいぐるみだ。見覚えがある毛色。
「困ったお嬢さんにプレゼントだよ。抱きながら、ショーに付き合っておくれ」
くるくると手品が始まる。炎が手のひらから生まれ、炎から鳥が生まれ、鳥の卵から蛇が生まれた。
おざなりに拍手を返す。あまり興味がもてない。
帽子。私が無くしたのに、“私”は被っている、黒い帽子。それだけが見えている。
帽子どころじゃない。自分まで、落としてしまっていたんだ。
落としたのは一体何時なんだろう。帽子と一緒に? 気付かなかった。スルリと、簡単に落としてしまうのだろうか、自分自身なのに。
でも、お姉ちゃんとのつながりを被っているのは、今現在の持ち主は、私ではない。
大切なものなのに。いろんなものを無くしたけど、これだけは無くさないようにと、瞼を堅く閉じたのに。
コートの中をまさぐる。コードの先についた瞳を軽くなでた。まだ消えていない。いつか、コレも落としてしまうのだろうか。
どうしてなんだろう。
「つまらないかい?」
「えっ」
「ボウッとして、心が飛んでいってしまったように見えてさ」
「ううん、ごめんなさい。ちょっと、ビックリしちゃったの。私の手品って、すごいのね」
「そりゃどうも」
「楽しかったわ。……これ、返すね」
腕の中でつぶれていたぬいぐるみを手渡した。強く抱きしめすぎてクタクタになったその子が帽子の中に押し込まれる。ポン、とまた軽い音がして、作りもののカラスが暗い空の先に消えていった。
見上げていた視線を戻すと、また私と“私”の目が合う。ニヤリと空っぽに笑われた。
目の前に、帽子が差し出される。お気持ちだけでもこの中に、という声がまるで昨日からのように遠くから聞こえた。
両手が先に動いていた。帽子を掴んだと気付いたのはその後だ。
背中を向けて、走っている。
音が追いかけてきた。人を蹴飛ばした。声が増えてもまだ走った。
胸の上でもみくちゃにしている、帽子の手触りがただ嬉しかった。
「ただいま、お姉ちゃん」
「あら、おかえりなさい。お祭りは楽しめた?」
「それがね、帽子を落としちゃったの。でも安心してね。ちゃんと見つけたわ」
「帽子を?」
「でも私を落としてきたままなの。明日、拾いに行かなくちゃ」
「こいし。もう少し、分かりやすく言ってくれるかしら」
だからこれを、そういって抱えてきたものを見せる。
帽子はどこかに行っていた。手の上に、なにかよく分からないものが乗っている。
生き物に見えて、乗り物に見えて。最後に蛇の形をとって、それは消えてしまった。
「あ、あれ? え?」
困ったような顔で笑われる。
お姉ちゃん。ごめん、ごめんなさい。私は盗みを働きました。落とした帽子を、落とした私が被っていて。あの子にお姉ちゃんを取られるのがイヤで、私は奪い取ってきた。
だから罰なんだ。帽子は帽子じゃなくなった。私なんかが持ってちゃダメなんだ。
ごめんなさい。お姉ちゃん、ごめんなさい。“私”にも、ごめんなさい。
「お姉ちゃん。謝っておいてほしいの。私がご迷惑をおかけしました、って」
「まずは落ち着きましょ、ね? 謝るって相手も分からないし、こいしの言いたいことをゆっくり教えて」
「無くしたの。あの黒い帽子を。だから……」
「いつも被っている、あの帽子のことよね?」
「うん」
「あれなら、玄関のコート掛けにひっかかっていたわ。着替えるときに脱いで忘れていったんじゃない」
「え?」
「心配しなくていいの。ちゃんとあるから」
「……うん」
「不安だった? 何かやってしまったのなら、明日お姉ちゃんと一緒に謝りに行きましょう」
ハンカチが差し出される。ようやく、自分が泣いていることに気付いた。
一滴も落とさないように拭き集める。
ごめんなさい。言おうとしたけど、口が動かない。
かわりに、笑う。虚ろじゃない笑顔を作れた。
明日はこの顔で謝ろう。“私”に許してもらえなくても、戻ってきてもらうためには色のついた笑顔でいたい。
そう、思った。
雰囲気がよかったです。
素敵な話をありがとうございますぬえちゃんかわいい。
ありがとうございました。
全体的にふわふわした文章が可愛かった
ぬえちゃんドンマイ。
作者さんの書く少女は良い。