唐突だが、宇宙の始まりは「無の揺らぎである」と言った人がいるらしい。
要するに、宇宙が誕生する前は何もない状態であり、そこからいかにして宇宙が始まったか、という事を論理的に考えるとそうなるらしい。
だが、と思う。
そもそも「無」という事は「0」であるという事だが、それを観測する事は不可能であり、一方で観測出来ないから「無」だと断定して良いというものでもない。
となると、「無」を認知することが出来ない以上は揺らぎの始まりを知りえる事は不可能、となる。
つまり何が言いたいかというと、この世の中には人智を超えた何がしかが必ず存在しており、それに到達することは不可能、とまで言い切るのは今尚その神秘に挑戦している外の世界の学者に申し訳ないので控えるが、どうしたって人には分からないものがあり、それは別に恥ずべき事ではないということだ。
そんな自らの言い訳のような言葉を脳内で列挙しながら、射命丸文は困っていた。
具体的にどれくらい困っていたか、というと、新聞の記事にするネタが無くて頭を抱えて途方に暮れている時や、締切まで後30分にも関わらず新聞の半ページ近くが未だ白紙という絶望状態であった時や、守矢神社の二柱が核融合反応炉並みのとんでもない物をいきなり作ろうとした時並みに、困っていたのだ。
「…………」
原因は、すぐ目の前。
恋人でもある、青い髪に青いワンピースが特徴的な氷の妖精、チルノ。
何故かチルノは、口に直径数ミリの細長い焦げ茶色のスティック状の物を咥え、ジッと文の事を見詰めているのだ。
「…………」
意味が分からない。
先ほど列挙した宇宙の神秘を解明するくらいには難解だと思う。
だが当のチルノは、文なら勿論分かるよね、とばかりにワクワクとした瞳でただただ見上げてくるだけで、一切のアクションを取ろうとしないのだ。
新手のなぞなぞにしては出題が言葉ではなく映像のみというのは斬新過ぎる。
それを口に咥えて、チルノが文を見詰め始めてかれこれ3分経過していた。
まずここまでに至った経緯を改めて考えてみよう。
今日はチルノが文の自宅に遊びに来る、という事だったので文は新聞作りをある程度進めた後に、迎え入れる為に部屋の掃除をして、お茶とお菓子を用意し、ついでに一枚お煎餅をパリパリと食べながら、そわそわする自分を抑えながら時間を潰していた。
というのも、チルノはいつも約束の時間の30分以上前に突撃してくるのだが、何故か今日は5分前になっても来る気配がない。
ひょっとして山に入る時に天狗に捕まったのでは?等という想像が文の中に過ぎれば、こうしてはいられない、とチルノ捜索の為に玄関の扉をバンッ!と開け放つと、丁度そこにはたった今到着したばかりと思わしきチルノが、突然開かれた扉に目を丸くしているところだった。
まさかの玄関先での出会いにお互いに目を丸くしたのだが、まぁ己の中での想像が杞憂に終わったとあればホッと肩の力も抜ける。
「いらっしゃい、チルノさん」といつものように笑顔を浮かべて彼女を迎え入れようとしたら―――
これである。
「うん! はい、文!」と元気良く言葉と共に、チルノが手に持っていた箱状のものから例のスティック(?)を取り出し、期待に満ちた視線で見詰めながら口に咥えたのだ。
何度思い返してもそこに論理的な意図が全く読み取れなかった。
チルノはよく三段論法の頭と終わりだけを会話に混ぜ込む事があるが、遂にそれが行動にまで出てきてしまったようだった。
視線に込められる謎の期待感に負け、目の前のチルノの行動についてその常人の数倍とも言われる思考能力を駆使して延々と頭を悩まさせ続けていた文であったが、最終的に得られた結論は「分からない」であった。
「えーと……チルノさん?」
硬直状態から3分20秒後のプライベートと公の狭間である玄関先。
文は、恐る恐る、といった風で恋人に尋ねてみたのだ。
「なんですか、それ?」
「え、文知らないの?!」
「いや、もうはい。1から100まで全く意味が分かりませんよ?」
驚きの声を上げて、口に加えていたスティックがポロリ、と零れ落ちるのを慌てて空中でキャッチしたチルノが、信じられない、と目を見張った。
新聞記者をやっていることもあり、文の知識量は、動かぬ大図書館ほどではないにしても非常に多い。
その為、チルノの中では自分の恋人に分からない事は何も無い、と認識されており問答無用で先ほどの体勢になったらしい。
「文でも分からないことって、あるんだね」
「ええ、長く生きていても分からない事は山とありますよ?」
珍しい物を見た、とチルノが目を丸める様子に苦笑しつつ、改めて尋ねた。
「それで、それは一体何なんでしょうか……?」
「あ、えっとね!紫に貰ったんだけど、名前忘れちゃったけど外の世界のお菓子なんだって!」
「……ほう、外の世界の……」
「うん! 二つ袋があって、橙に一つ上げて、もう一つをあたいにくれたの!」
幻想郷最強の力を持つ、スキマを操る妖怪、八雲紫。
日常的にスキマを操っては外の世界とも行き来して、そうやって外の世界の嗜好品やら何やらを輸入しているのは知っていたが、実際に輸入されたそれを見るのは初めてだった。
物珍しそうに眺めていれば、「はい!」とチルノがその箱を手渡してくれた。
どれどれ、と文がそれを眺めると、なるほど長方形の全体的に鮮やかな赤い箱に先ほどチルノが咥えていたスティック状の物がプリントされている。
箱の中を覗き込んで見れば、内側は無機質な灰色で統一されており、箱の体積の約半分ほどを占めているプラスチック製の袋の中にギッシリと先ほどのスティックが詰っている。
くるり、と箱を反転させてみると、裏側には成分表示やら何やらが書いてあり、例の焦げ茶色の部分はチョコレートであり、一袋に22本、例のスティックもといお菓子が入っている事が分かった。
ポキ ポキ ポキ。
チルノは先ほど口に加えていたお菓子を美味しそうに食べている。
どうやら文がお菓子の箱を見ている内に飽きてしまったらしい。
徐々にお菓子がチルノの口の中に消えていく様子を眺めながら、結局先ほどの行為はなんだったのだろう?と文は首を捻った。
「えーと……それで、チルノさん。これがお菓子だという事は分かりましたけど、先ほどの行為は一体何だったんですか?」
「―――んっ! えっとね、紫がこれを大切な人におすそわけする時は、ああやって口に咥えて反対側から食べて貰いなさい、って言ってたの!」
ごっくん。
口に含んでいたお菓子を飲み込むと、チルノは純真無垢な笑顔を浮かべて言い放った。
「は?」
「それで、どれだけ短い距離まで食べてもらえるかで、どれだけその人から大切にされているか分かるのよ、って!」
先ほどの状態から、反対側から食べる?短い距離まで?
文はポカン、とチルノの顔を見詰め、視線が自然とその唇へと吸い寄せられ―――
「……はぁ?!」
ボン、と瞬間的に顔に熱が集まるのが分かった。
あのままお互い向き合って短い距離まで食べ進めれば自然と唇が重なり最終的にキスをすることになる、なんていう無駄に冷静な思考をした己の頭を思わず抱えた。
(あのスキマ妖怪、チルノさんに何て嘘を……!)
もしかしたら外の世界ではそんな行動が本当に流行っている(?)のかもしれないが、それ以上に例のスキマ妖怪が嘘を吐いたとしか思えなかった。
しかも、チルノはそれを嘘だとは欠片も思っていない。
つまり、先程のゲーム(?)を行い、恥ずかしさで距離を残せば残すほど、チルノは「大切に思って貰えていない」と思い込むことになってしまう。
(……はっ?!まさか今この状態をスキマを使って監視してあざ笑っているんじゃ―――?!)
その可能性を思い至れば、ひくり、と頬を上がったのが分かった。
動揺を押し殺し、すっ―――と目を閉じて今ここに向けられている視線は無いかと周囲に気を配ると―――
「……あれ?」
「文?どうかしたの?」
何処からも、そういった不穏な視線が感じられなかった。
肩透かしを食らった文は、一体なんなんだ、と頭を掻きながら、不思議そうに見上げてくるチルノを困ったように眺める。
因みに。
当の紫がどうしていたかというと、例の嘘をチルノと橙の二人に教えた後すぐにチルノが文の家と向かい、そして橙も「分かりました!では私は藍様に上げてきますっ!」と勢い良く飛び出して行ってしまい、自分に御裾分けしてくれなかった式の式を想って枕を涙で濡らしていた。
「えと、チルノさん。 私が先ほどの状態で反対側から食べ始めるとしますよね」
「? うん」
「その後どうなると思いますか?」
「え? 何が?」
あ、駄目だ分かってない。
改めて先程の状態がいかなる結末を生むか、という事を諭そうとしたのだが、チルノはキョトン、と不思議そうに見上げるだけだった。
あくまでチルノにとって先程の行為は、文がどれだけチルノの事を思っているのか、というパロメーターにしかならないのだろう。
何とか逃げ出せるかなー……等と考えていた文であったが、そんな上の空の相手を見てチルノは何かに思い至ったのか、あ、と小さく声を上げると、恐る恐るといった風に尋ねてきた。
「えと、ひょっとして文、今お菓子食べたくなかった……?」
「あー……うん、そうですね、ちょっと先ほど食べたお煎餅がお腹にありまして……」
「そっか、ごめんね……?」
「いえいえ、折角持ってきてくれたのに、済みません」
結局チルノは分からぬままだったが、謎の着地点が現れれば渡りに船とばかりにそこに落した。
しゅん、と肩を落して残念がるチルノの様子が何だか可哀想であったが、いくらなんでも真昼間の玄関先でそれをやれば色々と危ない世間体とかが。夜ならとか部屋の中なら良いと言う訳ではないのだけれど主に理性が。
「ですから、勿体無いですしチルノさん一人で全部食べ「じゃああたい、もこーに上げてくるね!」ストーーーーップ?!!!」
ガシィィッ!!
苦笑を浮かべながら告げた言葉はチルノの驚愕的な発言に遮られ、文は今まさに飛び立とうとしたその小さな肩を絶叫と共に勢い良くキャッチした。
「え?ど、どうしたの?文?」
「いえ、ちょっと今、気合でお煎餅が消化されてしまって丁度お菓子を食べたかったくなったんですよ瞬間的に、ええもう!」
突然肩を掴まれ、若干血走った目で見つめてくる恋人の様子にチルノは肩を震わせたが、それでも文と一緒に食べられる!と思えば「本当!?」と嬉しそうに笑みを浮かべた。
一方の文は、と言えば、あははは…と乾いた笑みを浮かべながら、とりあえず最悪の事態を回避できた、と胸を撫で下ろしていた。
だが、こうなってしまえばもう後には引けない。
さっさと一本だけ御裾分けして貰い、後は各々で全て食べ切ってしまおう。
そう心に誓えば肩から手を離し、あの、と指を立ててチルノに提案してみた。
「えと、御裾分けは部屋に入ってからにしませんか」
「え、なんで?」
なんで?とくるか。
確かにチルノはこれが傍目から見ると相当なものだという事の自覚がないのだから、わざわざ部屋の中でやる必要性が見出せない。
ならばその必要性を見出させるしかない、と文は上擦りそうな声で必死に理性を繋ぎとめる。
「ほ、ほら!折角のお菓子ですしお茶とか用意しようかと!」
「あたいは、今して欲しいな……」
ぐふぅ。
上目遣いでのその発言は理性に対する強烈なボディーブローだった。
チルノにしてみれば、先程仕入れたばかりの『自分がどれだけ大切に思われているか』を知るための指標を試したい、というだけの思いだけが先行しているのだが―――
(何とかする方法……これがかなり恥ずかしい行動だと教える方法は無いものか……)
期待に満ちた視線をヒシヒシと顔に感じながら、何とか挽回の一手は無いものか、と頭を悩ませた文にある妙案が浮かんだ。
「―――そうだ」
「ん? 何ー?」
「京都へ行こう」
「……へ?」
「ではなく!ちょっとまずはお手本を見せて欲しいので、チルノさんからやってくれませんか?」
受身に回ってるから恥ずかしいという思いが浮かばないんだ、と結論付ければ、文は袋の中から一本スティックを取り出し、先端を唇で挟めば、チルノと視線を近づけるように少し腰を落して「はい、どうぞ」と言わんばかりに笑顔を浮かべた。
きっと、これでどうなるかチルノさんも気づいてくれるはず―――
「うん、分かった!」
チルノは満面の笑みを浮かべ、文が咥えているスティックの片側の先端を口に含み、食べ進めていく
ポキ ポキ ポキ ポキ ポキ ポキ ガシィッ!!
本日二度目の文による制止が入った。
肩に置かれた手に力が込められ、これ以上進むことが出来ないと分かれば、チルノはキョトン、と距離にして約5センチの場所にある文の瞳を見詰めて首をかしげた。
互いの息遣いすら感じられる距離である。
間近で「どうしたの?」と問うてくる青い瞳に目を奪われつつ、文は流れる冷や汗を感じながら後悔していた。
本来の文の筋書きでは、大体これくらいの距離になればどうなってしまうかを悟ったチルノが顔を真っ赤にして離れる筈だったのだが、若さゆえかチルノに『躊躇い』の三文字は全く無かった。
ポキッ!
想定外の事態に、思わず文は歯と顎に力を込めればチルノと繋がっていたスティックを折りさった。
あ、と悲しそうな目をするチルノを見ない振りして、肩から手を離せば、そそくさと顔を背けて折れた分だけ口の中に収め、ポキポキと食べながら頭を抱えた。
あ……チョコ、甘い。
「ん……折れちゃったね」
ごくん、と折れたお菓子を飲み込み、残念とばかりの声色を出すチルノの声を聞きいていると段々文の心に『不公平』という思いが鎌首をもたげてきた。
これだけ自分が恥ずかしいと思っているにも関わらず、こうもチルノだけが平然としているのは釈然としない。
思えばいつも突拍子も無い行動に振り回されるのは、文の方だった。
勿論振り回されるのが嫌という訳ではないし、それを楽しいとも思っている。
だが、今回は黒幕がスキマとはいえ、いつもいつも、やられっぱなしなのはどうにも腑に落ちなかったし、いくら行動が天然素材100%故だとしても許せない事だってある。
「………ありがとうございました、チルノさん。やり方が分かったので、今度はまたチルノさんが咥えてくれますか?」
「……え? あ、うん!!」
嬉しそうに笑顔を浮かべるチルノに、お菓子一本を手渡しながら文は思った。
いいだろう、やってやろうじゃないか―――
伊達に1000年以上、生きてきた訳ではないのだ。
スティックを口に咥え、わくわく、と目を輝かすチルノを見詰めながら、すぅ、と文は呼吸を整えて精神を集中させた。
スキマの気配も、哨戒天狗の気配も、山にいる妖精の気配も、無い。
自分達に注意を向けている者は、誰もいなかった。
「―――じゃあ、行きますね?」
「んっ!」
目を開け、ゆっくりとチルノへと顔を近づけ、咥えられているスティックのもう片方の先端を口に含む。
カリ―――
先端を前歯で噛むと、舌の上にチョコレートの甘い味が広がった。
チルノは未だに、どれだけ近づいてくれるのか―――とワクワクと期待に満ちた表情だった。
「…………」
「…………」
ポキ ポキ ポキ ―――
後、8センチ。
ポキ ポキ ポキ ポキ ポキ ―――
後、3センチ。
ここに至り、まるでキス程の距離だと気付いたチルノが「え?」と驚きに目を見開いた。
その様子に、クスリ、と文は笑みを浮かべ―――
ポキ ポキ ポキ ―――
0
ビクリ、とチルノが肩を震わせたが、文はその肩へと手を回し、逃しはしない。
すぐ間近の青い瞳が混乱に揺れ、その頬が急激に紅に染まっていく様を冷静に観察しながら、それでも文はその距離を変えようとはしなかった。
「―――」
「―――!」
たっぷり、5秒間。
「―――ふ、ぅ」
「ぷはっ?!」
体ごと離すように唇を離せば、互いに口に入っているお菓子をポキポキと食べながら、止めていた呼吸を再開する。
ゴクリ。
口一杯に広がった甘い味を飲み込めば、文はチルノをチラリと盗み見た。
イチゴほどに顔を真っ赤にしたチルノは、未だ混乱が続いているようで唇に手を当てたままアワアワと地面を見詰めながら戦慄いていた。
「さ、チルノさん―――?」
「ふぇっ?!」
優しく声をかけると、チルノは顔を真っ赤にせながら跳ねるように文を仰ぎ見る。
それに、クスリ、と笑みを浮かべると文は人肌以上に熱いチルノの頬を指で撫でた。
「そういえば先程折れてしまいましたから、チルノさんが私の事をどれだけ『大切に思っていてくれる』のかまだ分からないんですよね―――」
「う、ぇ?!で、でもっ…!!」
ニコリ。
本日最上の笑顔を、口をパクパクと開閉し続け今にも卒倒しそうなチルノに向けた。
「とりあえず、玄関先にずっと居ても怪しまれてしまいますから、そろそろ家に入りましょう? お菓子の残りは―――お茶でも飲みながら食べましょうか」
「あ、う、うん、ッ!」
カクカクと。
まるでロボットのように動くチルノの背中に手を添えて、家の中へと招きいれる。
開きっぱなしだった扉を閉める直前に、ガサリ、と文の手の中のお菓子の箱が音を立てた。
残りの本数は、後19本――――
要するに、宇宙が誕生する前は何もない状態であり、そこからいかにして宇宙が始まったか、という事を論理的に考えるとそうなるらしい。
だが、と思う。
そもそも「無」という事は「0」であるという事だが、それを観測する事は不可能であり、一方で観測出来ないから「無」だと断定して良いというものでもない。
となると、「無」を認知することが出来ない以上は揺らぎの始まりを知りえる事は不可能、となる。
つまり何が言いたいかというと、この世の中には人智を超えた何がしかが必ず存在しており、それに到達することは不可能、とまで言い切るのは今尚その神秘に挑戦している外の世界の学者に申し訳ないので控えるが、どうしたって人には分からないものがあり、それは別に恥ずべき事ではないということだ。
そんな自らの言い訳のような言葉を脳内で列挙しながら、射命丸文は困っていた。
具体的にどれくらい困っていたか、というと、新聞の記事にするネタが無くて頭を抱えて途方に暮れている時や、締切まで後30分にも関わらず新聞の半ページ近くが未だ白紙という絶望状態であった時や、守矢神社の二柱が核融合反応炉並みのとんでもない物をいきなり作ろうとした時並みに、困っていたのだ。
「…………」
原因は、すぐ目の前。
恋人でもある、青い髪に青いワンピースが特徴的な氷の妖精、チルノ。
何故かチルノは、口に直径数ミリの細長い焦げ茶色のスティック状の物を咥え、ジッと文の事を見詰めているのだ。
「…………」
意味が分からない。
先ほど列挙した宇宙の神秘を解明するくらいには難解だと思う。
だが当のチルノは、文なら勿論分かるよね、とばかりにワクワクとした瞳でただただ見上げてくるだけで、一切のアクションを取ろうとしないのだ。
新手のなぞなぞにしては出題が言葉ではなく映像のみというのは斬新過ぎる。
それを口に咥えて、チルノが文を見詰め始めてかれこれ3分経過していた。
まずここまでに至った経緯を改めて考えてみよう。
今日はチルノが文の自宅に遊びに来る、という事だったので文は新聞作りをある程度進めた後に、迎え入れる為に部屋の掃除をして、お茶とお菓子を用意し、ついでに一枚お煎餅をパリパリと食べながら、そわそわする自分を抑えながら時間を潰していた。
というのも、チルノはいつも約束の時間の30分以上前に突撃してくるのだが、何故か今日は5分前になっても来る気配がない。
ひょっとして山に入る時に天狗に捕まったのでは?等という想像が文の中に過ぎれば、こうしてはいられない、とチルノ捜索の為に玄関の扉をバンッ!と開け放つと、丁度そこにはたった今到着したばかりと思わしきチルノが、突然開かれた扉に目を丸くしているところだった。
まさかの玄関先での出会いにお互いに目を丸くしたのだが、まぁ己の中での想像が杞憂に終わったとあればホッと肩の力も抜ける。
「いらっしゃい、チルノさん」といつものように笑顔を浮かべて彼女を迎え入れようとしたら―――
これである。
「うん! はい、文!」と元気良く言葉と共に、チルノが手に持っていた箱状のものから例のスティック(?)を取り出し、期待に満ちた視線で見詰めながら口に咥えたのだ。
何度思い返してもそこに論理的な意図が全く読み取れなかった。
チルノはよく三段論法の頭と終わりだけを会話に混ぜ込む事があるが、遂にそれが行動にまで出てきてしまったようだった。
視線に込められる謎の期待感に負け、目の前のチルノの行動についてその常人の数倍とも言われる思考能力を駆使して延々と頭を悩まさせ続けていた文であったが、最終的に得られた結論は「分からない」であった。
「えーと……チルノさん?」
硬直状態から3分20秒後のプライベートと公の狭間である玄関先。
文は、恐る恐る、といった風で恋人に尋ねてみたのだ。
「なんですか、それ?」
「え、文知らないの?!」
「いや、もうはい。1から100まで全く意味が分かりませんよ?」
驚きの声を上げて、口に加えていたスティックがポロリ、と零れ落ちるのを慌てて空中でキャッチしたチルノが、信じられない、と目を見張った。
新聞記者をやっていることもあり、文の知識量は、動かぬ大図書館ほどではないにしても非常に多い。
その為、チルノの中では自分の恋人に分からない事は何も無い、と認識されており問答無用で先ほどの体勢になったらしい。
「文でも分からないことって、あるんだね」
「ええ、長く生きていても分からない事は山とありますよ?」
珍しい物を見た、とチルノが目を丸める様子に苦笑しつつ、改めて尋ねた。
「それで、それは一体何なんでしょうか……?」
「あ、えっとね!紫に貰ったんだけど、名前忘れちゃったけど外の世界のお菓子なんだって!」
「……ほう、外の世界の……」
「うん! 二つ袋があって、橙に一つ上げて、もう一つをあたいにくれたの!」
幻想郷最強の力を持つ、スキマを操る妖怪、八雲紫。
日常的にスキマを操っては外の世界とも行き来して、そうやって外の世界の嗜好品やら何やらを輸入しているのは知っていたが、実際に輸入されたそれを見るのは初めてだった。
物珍しそうに眺めていれば、「はい!」とチルノがその箱を手渡してくれた。
どれどれ、と文がそれを眺めると、なるほど長方形の全体的に鮮やかな赤い箱に先ほどチルノが咥えていたスティック状の物がプリントされている。
箱の中を覗き込んで見れば、内側は無機質な灰色で統一されており、箱の体積の約半分ほどを占めているプラスチック製の袋の中にギッシリと先ほどのスティックが詰っている。
くるり、と箱を反転させてみると、裏側には成分表示やら何やらが書いてあり、例の焦げ茶色の部分はチョコレートであり、一袋に22本、例のスティックもといお菓子が入っている事が分かった。
ポキ ポキ ポキ。
チルノは先ほど口に加えていたお菓子を美味しそうに食べている。
どうやら文がお菓子の箱を見ている内に飽きてしまったらしい。
徐々にお菓子がチルノの口の中に消えていく様子を眺めながら、結局先ほどの行為はなんだったのだろう?と文は首を捻った。
「えーと……それで、チルノさん。これがお菓子だという事は分かりましたけど、先ほどの行為は一体何だったんですか?」
「―――んっ! えっとね、紫がこれを大切な人におすそわけする時は、ああやって口に咥えて反対側から食べて貰いなさい、って言ってたの!」
ごっくん。
口に含んでいたお菓子を飲み込むと、チルノは純真無垢な笑顔を浮かべて言い放った。
「は?」
「それで、どれだけ短い距離まで食べてもらえるかで、どれだけその人から大切にされているか分かるのよ、って!」
先ほどの状態から、反対側から食べる?短い距離まで?
文はポカン、とチルノの顔を見詰め、視線が自然とその唇へと吸い寄せられ―――
「……はぁ?!」
ボン、と瞬間的に顔に熱が集まるのが分かった。
あのままお互い向き合って短い距離まで食べ進めれば自然と唇が重なり最終的にキスをすることになる、なんていう無駄に冷静な思考をした己の頭を思わず抱えた。
(あのスキマ妖怪、チルノさんに何て嘘を……!)
もしかしたら外の世界ではそんな行動が本当に流行っている(?)のかもしれないが、それ以上に例のスキマ妖怪が嘘を吐いたとしか思えなかった。
しかも、チルノはそれを嘘だとは欠片も思っていない。
つまり、先程のゲーム(?)を行い、恥ずかしさで距離を残せば残すほど、チルノは「大切に思って貰えていない」と思い込むことになってしまう。
(……はっ?!まさか今この状態をスキマを使って監視してあざ笑っているんじゃ―――?!)
その可能性を思い至れば、ひくり、と頬を上がったのが分かった。
動揺を押し殺し、すっ―――と目を閉じて今ここに向けられている視線は無いかと周囲に気を配ると―――
「……あれ?」
「文?どうかしたの?」
何処からも、そういった不穏な視線が感じられなかった。
肩透かしを食らった文は、一体なんなんだ、と頭を掻きながら、不思議そうに見上げてくるチルノを困ったように眺める。
因みに。
当の紫がどうしていたかというと、例の嘘をチルノと橙の二人に教えた後すぐにチルノが文の家と向かい、そして橙も「分かりました!では私は藍様に上げてきますっ!」と勢い良く飛び出して行ってしまい、自分に御裾分けしてくれなかった式の式を想って枕を涙で濡らしていた。
「えと、チルノさん。 私が先ほどの状態で反対側から食べ始めるとしますよね」
「? うん」
「その後どうなると思いますか?」
「え? 何が?」
あ、駄目だ分かってない。
改めて先程の状態がいかなる結末を生むか、という事を諭そうとしたのだが、チルノはキョトン、と不思議そうに見上げるだけだった。
あくまでチルノにとって先程の行為は、文がどれだけチルノの事を思っているのか、というパロメーターにしかならないのだろう。
何とか逃げ出せるかなー……等と考えていた文であったが、そんな上の空の相手を見てチルノは何かに思い至ったのか、あ、と小さく声を上げると、恐る恐るといった風に尋ねてきた。
「えと、ひょっとして文、今お菓子食べたくなかった……?」
「あー……うん、そうですね、ちょっと先ほど食べたお煎餅がお腹にありまして……」
「そっか、ごめんね……?」
「いえいえ、折角持ってきてくれたのに、済みません」
結局チルノは分からぬままだったが、謎の着地点が現れれば渡りに船とばかりにそこに落した。
しゅん、と肩を落して残念がるチルノの様子が何だか可哀想であったが、いくらなんでも真昼間の玄関先でそれをやれば色々と危ない世間体とかが。夜ならとか部屋の中なら良いと言う訳ではないのだけれど主に理性が。
「ですから、勿体無いですしチルノさん一人で全部食べ「じゃああたい、もこーに上げてくるね!」ストーーーーップ?!!!」
ガシィィッ!!
苦笑を浮かべながら告げた言葉はチルノの驚愕的な発言に遮られ、文は今まさに飛び立とうとしたその小さな肩を絶叫と共に勢い良くキャッチした。
「え?ど、どうしたの?文?」
「いえ、ちょっと今、気合でお煎餅が消化されてしまって丁度お菓子を食べたかったくなったんですよ瞬間的に、ええもう!」
突然肩を掴まれ、若干血走った目で見つめてくる恋人の様子にチルノは肩を震わせたが、それでも文と一緒に食べられる!と思えば「本当!?」と嬉しそうに笑みを浮かべた。
一方の文は、と言えば、あははは…と乾いた笑みを浮かべながら、とりあえず最悪の事態を回避できた、と胸を撫で下ろしていた。
だが、こうなってしまえばもう後には引けない。
さっさと一本だけ御裾分けして貰い、後は各々で全て食べ切ってしまおう。
そう心に誓えば肩から手を離し、あの、と指を立ててチルノに提案してみた。
「えと、御裾分けは部屋に入ってからにしませんか」
「え、なんで?」
なんで?とくるか。
確かにチルノはこれが傍目から見ると相当なものだという事の自覚がないのだから、わざわざ部屋の中でやる必要性が見出せない。
ならばその必要性を見出させるしかない、と文は上擦りそうな声で必死に理性を繋ぎとめる。
「ほ、ほら!折角のお菓子ですしお茶とか用意しようかと!」
「あたいは、今して欲しいな……」
ぐふぅ。
上目遣いでのその発言は理性に対する強烈なボディーブローだった。
チルノにしてみれば、先程仕入れたばかりの『自分がどれだけ大切に思われているか』を知るための指標を試したい、というだけの思いだけが先行しているのだが―――
(何とかする方法……これがかなり恥ずかしい行動だと教える方法は無いものか……)
期待に満ちた視線をヒシヒシと顔に感じながら、何とか挽回の一手は無いものか、と頭を悩ませた文にある妙案が浮かんだ。
「―――そうだ」
「ん? 何ー?」
「京都へ行こう」
「……へ?」
「ではなく!ちょっとまずはお手本を見せて欲しいので、チルノさんからやってくれませんか?」
受身に回ってるから恥ずかしいという思いが浮かばないんだ、と結論付ければ、文は袋の中から一本スティックを取り出し、先端を唇で挟めば、チルノと視線を近づけるように少し腰を落して「はい、どうぞ」と言わんばかりに笑顔を浮かべた。
きっと、これでどうなるかチルノさんも気づいてくれるはず―――
「うん、分かった!」
チルノは満面の笑みを浮かべ、文が咥えているスティックの片側の先端を口に含み、食べ進めていく
ポキ ポキ ポキ ポキ ポキ ポキ ガシィッ!!
本日二度目の文による制止が入った。
肩に置かれた手に力が込められ、これ以上進むことが出来ないと分かれば、チルノはキョトン、と距離にして約5センチの場所にある文の瞳を見詰めて首をかしげた。
互いの息遣いすら感じられる距離である。
間近で「どうしたの?」と問うてくる青い瞳に目を奪われつつ、文は流れる冷や汗を感じながら後悔していた。
本来の文の筋書きでは、大体これくらいの距離になればどうなってしまうかを悟ったチルノが顔を真っ赤にして離れる筈だったのだが、若さゆえかチルノに『躊躇い』の三文字は全く無かった。
ポキッ!
想定外の事態に、思わず文は歯と顎に力を込めればチルノと繋がっていたスティックを折りさった。
あ、と悲しそうな目をするチルノを見ない振りして、肩から手を離せば、そそくさと顔を背けて折れた分だけ口の中に収め、ポキポキと食べながら頭を抱えた。
あ……チョコ、甘い。
「ん……折れちゃったね」
ごくん、と折れたお菓子を飲み込み、残念とばかりの声色を出すチルノの声を聞きいていると段々文の心に『不公平』という思いが鎌首をもたげてきた。
これだけ自分が恥ずかしいと思っているにも関わらず、こうもチルノだけが平然としているのは釈然としない。
思えばいつも突拍子も無い行動に振り回されるのは、文の方だった。
勿論振り回されるのが嫌という訳ではないし、それを楽しいとも思っている。
だが、今回は黒幕がスキマとはいえ、いつもいつも、やられっぱなしなのはどうにも腑に落ちなかったし、いくら行動が天然素材100%故だとしても許せない事だってある。
「………ありがとうございました、チルノさん。やり方が分かったので、今度はまたチルノさんが咥えてくれますか?」
「……え? あ、うん!!」
嬉しそうに笑顔を浮かべるチルノに、お菓子一本を手渡しながら文は思った。
いいだろう、やってやろうじゃないか―――
伊達に1000年以上、生きてきた訳ではないのだ。
スティックを口に咥え、わくわく、と目を輝かすチルノを見詰めながら、すぅ、と文は呼吸を整えて精神を集中させた。
スキマの気配も、哨戒天狗の気配も、山にいる妖精の気配も、無い。
自分達に注意を向けている者は、誰もいなかった。
「―――じゃあ、行きますね?」
「んっ!」
目を開け、ゆっくりとチルノへと顔を近づけ、咥えられているスティックのもう片方の先端を口に含む。
カリ―――
先端を前歯で噛むと、舌の上にチョコレートの甘い味が広がった。
チルノは未だに、どれだけ近づいてくれるのか―――とワクワクと期待に満ちた表情だった。
「…………」
「…………」
ポキ ポキ ポキ ―――
後、8センチ。
ポキ ポキ ポキ ポキ ポキ ―――
後、3センチ。
ここに至り、まるでキス程の距離だと気付いたチルノが「え?」と驚きに目を見開いた。
その様子に、クスリ、と文は笑みを浮かべ―――
ポキ ポキ ポキ ―――
0
ビクリ、とチルノが肩を震わせたが、文はその肩へと手を回し、逃しはしない。
すぐ間近の青い瞳が混乱に揺れ、その頬が急激に紅に染まっていく様を冷静に観察しながら、それでも文はその距離を変えようとはしなかった。
「―――」
「―――!」
たっぷり、5秒間。
「―――ふ、ぅ」
「ぷはっ?!」
体ごと離すように唇を離せば、互いに口に入っているお菓子をポキポキと食べながら、止めていた呼吸を再開する。
ゴクリ。
口一杯に広がった甘い味を飲み込めば、文はチルノをチラリと盗み見た。
イチゴほどに顔を真っ赤にしたチルノは、未だ混乱が続いているようで唇に手を当てたままアワアワと地面を見詰めながら戦慄いていた。
「さ、チルノさん―――?」
「ふぇっ?!」
優しく声をかけると、チルノは顔を真っ赤にせながら跳ねるように文を仰ぎ見る。
それに、クスリ、と笑みを浮かべると文は人肌以上に熱いチルノの頬を指で撫でた。
「そういえば先程折れてしまいましたから、チルノさんが私の事をどれだけ『大切に思っていてくれる』のかまだ分からないんですよね―――」
「う、ぇ?!で、でもっ…!!」
ニコリ。
本日最上の笑顔を、口をパクパクと開閉し続け今にも卒倒しそうなチルノに向けた。
「とりあえず、玄関先にずっと居ても怪しまれてしまいますから、そろそろ家に入りましょう? お菓子の残りは―――お茶でも飲みながら食べましょうか」
「あ、う、うん、ッ!」
カクカクと。
まるでロボットのように動くチルノの背中に手を添えて、家の中へと招きいれる。
開きっぱなしだった扉を閉める直前に、ガサリ、と文の手の中のお菓子の箱が音を立てた。
残りの本数は、後19本――――
プリッツが甘いんだが
もこーは多分慧音からもらってるんだろうな
ポッキー食べます?
━━─ε・
むしろあと19回分の様子を、もっとねっとりじっくりですね……。
スキマ生きろ…
最後までチョコたっぷりだもん
あなた、回し者ね。
それはともかく文チルとかあたたしい境地で愉しかった。
goodjob
文チルはやっぱり甘々ですねー。だだ甘い。
あやちるは
はんざいしゅうがする
最後の引きが良いですね