「ねぇ屠自古。長さが丁度良いお箸ってないかしら?」
昼食が終わり、食器を片付けて一息のお茶を啜っていた私に、青娥はそう尋ねた。
私はしばらくその答えを考えて、こう問い返す。
「丁度良い……ってどれぐらいの長さ?」
「うーん、2尺5寸くらい」
「ぶっ!?」
私はお茶を噴き出す。
聞き間違いかと思ったが、本人は至って大真面目だ。
その長さは、最近勉強して覚えた現在の単位に換算して、75せんちめーとるぐらい。
そんな長い箸、見たことも聞いたこともない。菜箸を2本繋げたって、その長さには到達しないだろう。
「……そんなに長い箸なんかどうするの? 第一、青娥は自分の箸を持っているじゃない」
昔からこの邪仙のやることは意味不明だったが、今回ばかりは至極真っ当な問いをぶつけてみる。
確か青娥は、青銅製の重たそうな箸を愛用していた。それも自国の文化らしく少し長かったが、今回はその比じゃない。
もしかして、私を含む皆が復活した記念に箸を増長したいとか。
「いえ。これは芳香のためなのよ」
青娥はそう手をイヤイヤと振りながら、私の妄想まで訂正する。
芳香とは、青娥の部下で半死半生らしい。私も復活してからが初対面なので、それぐらいの認識しかない。
だが、青娥の芳香に対する溺愛ぶりはイヤというほど知っている。
ご飯もお風呂も寝所も一緒。手を動かせば頭を撫で、口を開けば芳香を褒めて甲斐甲斐しく世話をする。
先日など芳香の指先が全部動くようになったことを、2時間に渡り延々と楽しげに自慢された。
その芳香のための箸。青娥なら純金製の箸でも贈りそうな勢いだが、長さにこだわる意図が未だに分からない。
すると、まだ意味が飲み込めない私を置いてきぼりに、青娥はいつもの底意地が悪そうな冷笑を幸せそうな破顔に変えて語り始める。
「こないだ芳香の指が動くようになったことは話したわよね。それで食事の時、箸を一人で持てるようになったのよ。
さすが芳香。並のキョンシーには真似できないわ。
それでね、お箸をたどたどしくこう持って、お豆を取ろうと頑張っているの。
『うおぉ~、難しいぞう』なんて真剣な表情でね、でも『青娥様みたいに、お箸でご飯をしたいから頑張る』って言ってくれたのよ。
もう、このいじらしさを表現するのは私でも困難ね。それで」
「ま、まぁともかく、そんなに長い箸はここにない。人里の道具屋でも訪ねるといいよ」
「……ふむ、それもそうね。じゃ、少し出かけるわ」
また惚気話が加速しそうだったので適当に打ち切ると、青娥は持ち前の我が道を行く性格を発揮して、とっとと部屋から出てしまった。
「……本気でそんな長い箸を買う気なんだ」
いよいよ謎が深まった。
多分芳香に与える箸なのだろうが、果たして指先しか動かせない芳香に使いこなせるのだろうか。
もっとも、そんな長さじゃ常人でも使用するのは困難を極める。
上手くご飯をつまんでも口まで絶対届かない。短く持っても、反対側が重くて箸の操作もままならないだろう。
まさに、箸にも棒にもかからないとはこのことだ。
だが、そんな私の難問が解けない様なもどかしい思いは、今日の夕飯時に晴れることとなる。
――◇――
「いただきます」
「「「「いただきます」」」」
食事は神子様の挨拶から始まり、皆で一斉にいただく。復活した神子様が提案し、以来この形式が続いている。
今日の主菜はブリ大根。ご飯に白菜の味噌汁、ほうれん草の白和えも付けた。
最近は家事一般が担当の私が作った料理を、皆が美味いと食べる姿を見ることで悦に浸ることを日課としている。
だが、今日は違う。
いつもは全体を見回してから私の膳に手をつけるのだが、今回は私の正面に並んで座る青娥と芳香の主従コンビを凝視する。
布都が「屠自古~、ご飯よそってくれないかの?」等とのたまっているが、とりあえず無視。
理由は簡単。ついにあの箸の使い道が明らかとなるからだ。
青娥はあの後、夕飯前には帰ってきた。
聞けば、長い材木を削って表面をなめしただけなので、すぐ完成したとのこと。
道具屋で売っていなかったので、わざわざ細工師に頼んだらしい。その細工師の困惑した顔が目に浮かぶ様だ。
ともかく、青娥は「今日の夕飯から使えるわね」とホクホクした顔だった。
これは是非とも確認せねばいけない。
そして食事が始まろうとしたその時、青娥が口を開いた。
「芳香。渡したいものがあるの」
「うお? なぁに?」
「芳香はお箸の練習を頑張って、もう大抵の物をつまんで運べる様になったわよね。
そんないいこいいこの芳香に、芳香だけが使うお箸をあげたいと思うの。
今までは割り箸で練習していたけど、今日からちゃんとしたお箸で食べましょうね」
そう母の様な物言いで、青娥がやたら細長い箱を取り出した。一同も何だ何だと注目が集まる中、それを開封する。
すると中には、予想通り箱と同等の長さの箸が納まっていた。
事情を知らない神子様と布都は、「「長っ!?」」と綺麗に声を重ねる。
……よかった。私だけが不思議だった訳ではないらしい。
少し安心した所で、私は固唾を飲んで青娥の動向を窺う。
改めて見ても手に余る長さだ。そんな長い箸を芳香に持たせて、いったいどうするというのだ?
だがそんな心配は、次の瞬間とても意外な形で裏切られる。
その長箸を置いたのは、芳香の手ではなく食事机の上。
私が呆気にとられていると、青娥はその箱からまた何かを取り出した。
それは、またもや箸だった。
ただし、長さはいたって普通の5寸(15せんちめーとる)ほど。白木の上品な角型で、四隅が丸く面取りされている。
なにより目を引いたのは、箸尻の太い部分に『芳香』と焼印が押してあったことだ。
ようやく私は勘違いに気づく。これが、芳香にあげる箸だったのだ。
芳香はその一品物の箸を目の当たりにして、やや濁った目を丸くした。
「青娥様。これ、これは私のか!?」
「そうよ。これなら持ち手が太くて、芳香にも扱いやすいでしょう。
森の近くにあった道具屋で見つけて、これはいいものだと確信して買った物なの。
名前は私が仙術で入れてみたんだけれど、どう?」
「う、うおぉ!! 青娥様、ありがとう! あの、すごく、すごくいいぞぅ!」
「私も喜んでもらえて嬉しいわ」
誕生日に贈り物を貰った子供の様に喜びを態度で表現する芳香と、慈愛に満ちた顔でそれを見守る青娥に場が和む。
しかし、私はまだ腑に落ちない。
この雰囲気に水を差したくはないのだが、じゃあ長い箸は何のために? という疑問がまだ残る。
その答えは、食事中に明かされた。
――◇――
「はい、芳香。あーん」
「あーむ。むぐむぐ。青娥様も、あーん」
「うん、あむっ」
芳香が危なっかしい手つきではあるが、ゆっくりと『青娥の膳』からほうれん草を持ち上げ、青娥の口元へと運ぶ。
青娥はそれを口で受け止め、ゆっくり咀嚼する。
次は青娥が『芳香の膳』の大根を手に持った長い箸でつまみ、芳香の口元へ持っていく。
芳香はよく味が染みた大根を啄ばむ様にしてほお張り、美味しいことを表す屈託のない笑みを浮かべる。
私達はその食べさせ合いに、ただただ見とれていた。
長い箸は自分が食べる為の箸じゃない。
相手に食べさせる為の箸だったのだ。
芳香の肘は、まだ曲がらない。故に、たとえ箸が持てても結局はご飯が口まで届かないのだ。
だから芳香は、食事を犬の様に口を付けて食べるか、誰かに食べさせてもらうかしかない。
勿論、青娥は後者を選択した。自分が食べさせる役目を担って。
だが、その体制に心を痛めた者がいた。
「青娥様、お腹へってない?」
「うふふ、今ご飯を食べているのよ。これからお腹一杯になるわ」
「よかった。青娥様のご飯が後なの、私イヤ。
私も一緒にご飯食べたい。一緒に美味しいってしたい」
「……もう、気にしなくていいって言ったのに」
そう真面目な表情で白菜を挟み上げて、青娥に食べさせる芳香。
対する青娥は、恋人に食べさせてもらっているような至福の表情だ。
以前は青娥が芳香にご飯を食べさせてから、自分の食事を済ませていた。
そのせいで、青娥の食事はいつも後回し。
芳香は、冷めたご飯を一人で食べる青娥を見るのがたまらなく嫌だったのだ。
だから、芳香は一生懸命に箸を練習した。
差し向かいに座る愛しいご主人様に、同時進行でご飯を食べてもらえる様に。
そんな想いに、青娥は応えた。
ピンと伸びた芳香の腕に普通の箸で、長さは2尺ほど。芳香にご飯を食べさせてもらうために必要な間隔だ。
そこから席を立たずに青娥がお返しに食べさせるには、なるほどこの長さの箸が要る訳である。
これなら、互いに億劫な思いをせずにすむ。
芳香はご飯を落としたりしないよう慎重に箸を運ぶ。
食事の進行は非常にゆっくりだが、それでも青娥は気長に待って、相手の膳から交互に食べさせ合う。
それはまるで、相手を労わる気持ちを最大限の形で伝え合うようで。相手との親愛を連綿と紡いでいるようで。
まさにその箸は、青娥と芳香の絆に架かる橋だったのだ。
――◇――
「ごちそうさまでした」
「「「「ごちそうさまでした」」」」
神子様の挨拶で食事が終わり、私は食器類を盆に重ねていた。
そして当然のごとく、皆の箸と一緒にあの箸も手渡されてしまった。
どうやって洗えばいいのか。どこに仕舞えばいいのか。
そもそも食器満載の私を手伝うどころか、こんな持ちづらさに特化した箸を渡して何も思う所がないのか。
いっぺん青娥と議論を交わしたい主題が頭にごろごろ噴出してきたが、他愛もない食後のお喋りで睦みあう青娥と芳香に、終ぞ私は何も言わなかった。
以前はこうした時間も取れなかったのだ。それを邪魔するのは無粋だろう。
自分でも損な性格だと思うが、とりあえず食器を水に浸けなければいけない。
よっこいせと盆を厨に持って行こうとしたら、こちらを見つめる布都と目が合った。
「……何? 手伝ってくれるの?」
「いや、その箸を見ておったのだ」
「ええ~、まだ見足りないの?」
私は少々呆れた声をあげる。食事時に散々見ただろうに、まだ鑑賞に堪えうる魅力はこの箸にないだろう。
だが、次の一言は聞き捨てならなかった。
「この箸があれば、我も屠自古に食べさせてもらえるかと思ってな」
「ちょっ! な、何を言い出すのよ! 皆の前で!」
「よいではないか。知らぬ仲ではないし、我もあーんってやってもらいたいぞ」
「そ、そんな急に……心の準備が……」
あれ、な、何を私は言っているのだ! ええい、この、早まるな! 私の鼓動!
そうだ。ここは布都を睨んで毅然と断るべき……何で布都の顔を直視できないんだ!
私は理解できない内心の激しい動揺に身を焦がしてしまう。
私が食器を持ったまま緊張して立ち尽くしていると、視線を感じた。
「……いいな~、い~い~な~。屠自古にご飯を食べさせてもらえるなんて、布都はいいな~」
「み、神子様!? 何故そのようなジト目で私達を睥睨なさるのですか!?」
まるで地の底から這い上がるような暗く嫉ましげな声に、私は慌てる。
「神子様! 別にやると決まったわけじゃ」
「青娥と芳香で一組、布都と屠自古で一組。そして、私は一人。
奇数は残酷ですねホント。私は永遠に手酌と手箸ですよ、ははっ。
こんなことなら、箸なんかできなきゃよかった……これからはもう、手づかみでいいかな」
「気をしっかり持ってください!!
……わかりました。毎回は無理ですけど、お箸でご飯を食べさせて差し上げます。
だから、やけっぱちになって飛鳥はおろか石器時代に逆行するのだけは勘弁してください」
「マジですか!?」
「マジですよ。ていうか、どこで覚えたのですか? その言葉」
私がため息混じりにした妥協案に、神子様のお顔がみるみる晴れた。
「ああ、復活してよかった。神様感謝いたします。アーメンハレルヤ」
「神子様。あなたのお立場でその発言は問題です」
まったく。どんなに偉くなってもこのお人は、精神構造が大昔から変わらない。
まぁ、そんな所も含めてお慕いあげているのだが、ともかく明日にでもやたら照れる仕事が増えそうだ。
私がそう思いながら苦笑いで話を締めようとしていると、突然布都がぱんと手を打った。
「よし。そうと決まれば話は早い。早速、長箸を二組注文しに行こうぞ」
「早速って、こんな時間は迷惑……二組?」
「うむ。屠自古が神子様に使う用と、我が屠自古に使う用だ」
「ちょっと待てい!」
さすがに私も突っ込みをいれる。だが布都はきょとんとした表情だ。
「な・ん・で! 私が布都に食べさせてもらうことが決まったのよ!?」
「え? 屠自古が神子様に食べさせる間に、屠自古の口へご飯を運ぶ役割が必要であろう。
我がその役目にふさわしいではないか」
「真顔でドキッとすること言わないで! じゃあ布都はいつご飯を食べるのよ」
「神子様、我にご飯を食べさせてはもらえぬか?」
「うん、いいよ」
「循環するの!?」
「ほら、これで問題ない。箸の注文は三組じゃな」
神子様の軽―い返事で謎の三角関係が成立。最早やることが確定してしまった。
私は次の食事から始まるであろう非常にこっ恥かしい儀式を想像して、顔が熱くなるほど赤面する。
「はい芳香、あーん。どう、美味しい?」
「美味しい! 甘くて、すこしベタってしてる。でもちょっとしょっぱいのがいい!」
「芳香はみたらしが好きなのね。今度また買ってきてあげる」
いつの間にやら、あっちは食後のおやつで二人の世界だ。
私もあーゆーふうに開き直れたら、どんなに楽だろう。
やっぱり損な性格だ、と再認識してしまった。
――◇――
その後霊廟の食卓では、箸の平均長さが著しく伸びた。
しかしその箸は、新天地同士が結ばれ人々の交流が深まる様に、1000年の時を越えた仲間の輪を繋ぎ互いの関係を深めた。
うん。案外悪くない。
最近はそう思う余裕も出てきて、私は朱に染まった手で布都の口にうどんを持っていくのだった。
「毎回相手が同じなのもなんだから、たまに相手を変えようって提案してよかったでしょ、屠自古」
「……確信犯ね、青娥」
……悪くないったら、ないのだ。
【終】
昼食が終わり、食器を片付けて一息のお茶を啜っていた私に、青娥はそう尋ねた。
私はしばらくその答えを考えて、こう問い返す。
「丁度良い……ってどれぐらいの長さ?」
「うーん、2尺5寸くらい」
「ぶっ!?」
私はお茶を噴き出す。
聞き間違いかと思ったが、本人は至って大真面目だ。
その長さは、最近勉強して覚えた現在の単位に換算して、75せんちめーとるぐらい。
そんな長い箸、見たことも聞いたこともない。菜箸を2本繋げたって、その長さには到達しないだろう。
「……そんなに長い箸なんかどうするの? 第一、青娥は自分の箸を持っているじゃない」
昔からこの邪仙のやることは意味不明だったが、今回ばかりは至極真っ当な問いをぶつけてみる。
確か青娥は、青銅製の重たそうな箸を愛用していた。それも自国の文化らしく少し長かったが、今回はその比じゃない。
もしかして、私を含む皆が復活した記念に箸を増長したいとか。
「いえ。これは芳香のためなのよ」
青娥はそう手をイヤイヤと振りながら、私の妄想まで訂正する。
芳香とは、青娥の部下で半死半生らしい。私も復活してからが初対面なので、それぐらいの認識しかない。
だが、青娥の芳香に対する溺愛ぶりはイヤというほど知っている。
ご飯もお風呂も寝所も一緒。手を動かせば頭を撫で、口を開けば芳香を褒めて甲斐甲斐しく世話をする。
先日など芳香の指先が全部動くようになったことを、2時間に渡り延々と楽しげに自慢された。
その芳香のための箸。青娥なら純金製の箸でも贈りそうな勢いだが、長さにこだわる意図が未だに分からない。
すると、まだ意味が飲み込めない私を置いてきぼりに、青娥はいつもの底意地が悪そうな冷笑を幸せそうな破顔に変えて語り始める。
「こないだ芳香の指が動くようになったことは話したわよね。それで食事の時、箸を一人で持てるようになったのよ。
さすが芳香。並のキョンシーには真似できないわ。
それでね、お箸をたどたどしくこう持って、お豆を取ろうと頑張っているの。
『うおぉ~、難しいぞう』なんて真剣な表情でね、でも『青娥様みたいに、お箸でご飯をしたいから頑張る』って言ってくれたのよ。
もう、このいじらしさを表現するのは私でも困難ね。それで」
「ま、まぁともかく、そんなに長い箸はここにない。人里の道具屋でも訪ねるといいよ」
「……ふむ、それもそうね。じゃ、少し出かけるわ」
また惚気話が加速しそうだったので適当に打ち切ると、青娥は持ち前の我が道を行く性格を発揮して、とっとと部屋から出てしまった。
「……本気でそんな長い箸を買う気なんだ」
いよいよ謎が深まった。
多分芳香に与える箸なのだろうが、果たして指先しか動かせない芳香に使いこなせるのだろうか。
もっとも、そんな長さじゃ常人でも使用するのは困難を極める。
上手くご飯をつまんでも口まで絶対届かない。短く持っても、反対側が重くて箸の操作もままならないだろう。
まさに、箸にも棒にもかからないとはこのことだ。
だが、そんな私の難問が解けない様なもどかしい思いは、今日の夕飯時に晴れることとなる。
――◇――
「いただきます」
「「「「いただきます」」」」
食事は神子様の挨拶から始まり、皆で一斉にいただく。復活した神子様が提案し、以来この形式が続いている。
今日の主菜はブリ大根。ご飯に白菜の味噌汁、ほうれん草の白和えも付けた。
最近は家事一般が担当の私が作った料理を、皆が美味いと食べる姿を見ることで悦に浸ることを日課としている。
だが、今日は違う。
いつもは全体を見回してから私の膳に手をつけるのだが、今回は私の正面に並んで座る青娥と芳香の主従コンビを凝視する。
布都が「屠自古~、ご飯よそってくれないかの?」等とのたまっているが、とりあえず無視。
理由は簡単。ついにあの箸の使い道が明らかとなるからだ。
青娥はあの後、夕飯前には帰ってきた。
聞けば、長い材木を削って表面をなめしただけなので、すぐ完成したとのこと。
道具屋で売っていなかったので、わざわざ細工師に頼んだらしい。その細工師の困惑した顔が目に浮かぶ様だ。
ともかく、青娥は「今日の夕飯から使えるわね」とホクホクした顔だった。
これは是非とも確認せねばいけない。
そして食事が始まろうとしたその時、青娥が口を開いた。
「芳香。渡したいものがあるの」
「うお? なぁに?」
「芳香はお箸の練習を頑張って、もう大抵の物をつまんで運べる様になったわよね。
そんないいこいいこの芳香に、芳香だけが使うお箸をあげたいと思うの。
今までは割り箸で練習していたけど、今日からちゃんとしたお箸で食べましょうね」
そう母の様な物言いで、青娥がやたら細長い箱を取り出した。一同も何だ何だと注目が集まる中、それを開封する。
すると中には、予想通り箱と同等の長さの箸が納まっていた。
事情を知らない神子様と布都は、「「長っ!?」」と綺麗に声を重ねる。
……よかった。私だけが不思議だった訳ではないらしい。
少し安心した所で、私は固唾を飲んで青娥の動向を窺う。
改めて見ても手に余る長さだ。そんな長い箸を芳香に持たせて、いったいどうするというのだ?
だがそんな心配は、次の瞬間とても意外な形で裏切られる。
その長箸を置いたのは、芳香の手ではなく食事机の上。
私が呆気にとられていると、青娥はその箱からまた何かを取り出した。
それは、またもや箸だった。
ただし、長さはいたって普通の5寸(15せんちめーとる)ほど。白木の上品な角型で、四隅が丸く面取りされている。
なにより目を引いたのは、箸尻の太い部分に『芳香』と焼印が押してあったことだ。
ようやく私は勘違いに気づく。これが、芳香にあげる箸だったのだ。
芳香はその一品物の箸を目の当たりにして、やや濁った目を丸くした。
「青娥様。これ、これは私のか!?」
「そうよ。これなら持ち手が太くて、芳香にも扱いやすいでしょう。
森の近くにあった道具屋で見つけて、これはいいものだと確信して買った物なの。
名前は私が仙術で入れてみたんだけれど、どう?」
「う、うおぉ!! 青娥様、ありがとう! あの、すごく、すごくいいぞぅ!」
「私も喜んでもらえて嬉しいわ」
誕生日に贈り物を貰った子供の様に喜びを態度で表現する芳香と、慈愛に満ちた顔でそれを見守る青娥に場が和む。
しかし、私はまだ腑に落ちない。
この雰囲気に水を差したくはないのだが、じゃあ長い箸は何のために? という疑問がまだ残る。
その答えは、食事中に明かされた。
――◇――
「はい、芳香。あーん」
「あーむ。むぐむぐ。青娥様も、あーん」
「うん、あむっ」
芳香が危なっかしい手つきではあるが、ゆっくりと『青娥の膳』からほうれん草を持ち上げ、青娥の口元へと運ぶ。
青娥はそれを口で受け止め、ゆっくり咀嚼する。
次は青娥が『芳香の膳』の大根を手に持った長い箸でつまみ、芳香の口元へ持っていく。
芳香はよく味が染みた大根を啄ばむ様にしてほお張り、美味しいことを表す屈託のない笑みを浮かべる。
私達はその食べさせ合いに、ただただ見とれていた。
長い箸は自分が食べる為の箸じゃない。
相手に食べさせる為の箸だったのだ。
芳香の肘は、まだ曲がらない。故に、たとえ箸が持てても結局はご飯が口まで届かないのだ。
だから芳香は、食事を犬の様に口を付けて食べるか、誰かに食べさせてもらうかしかない。
勿論、青娥は後者を選択した。自分が食べさせる役目を担って。
だが、その体制に心を痛めた者がいた。
「青娥様、お腹へってない?」
「うふふ、今ご飯を食べているのよ。これからお腹一杯になるわ」
「よかった。青娥様のご飯が後なの、私イヤ。
私も一緒にご飯食べたい。一緒に美味しいってしたい」
「……もう、気にしなくていいって言ったのに」
そう真面目な表情で白菜を挟み上げて、青娥に食べさせる芳香。
対する青娥は、恋人に食べさせてもらっているような至福の表情だ。
以前は青娥が芳香にご飯を食べさせてから、自分の食事を済ませていた。
そのせいで、青娥の食事はいつも後回し。
芳香は、冷めたご飯を一人で食べる青娥を見るのがたまらなく嫌だったのだ。
だから、芳香は一生懸命に箸を練習した。
差し向かいに座る愛しいご主人様に、同時進行でご飯を食べてもらえる様に。
そんな想いに、青娥は応えた。
ピンと伸びた芳香の腕に普通の箸で、長さは2尺ほど。芳香にご飯を食べさせてもらうために必要な間隔だ。
そこから席を立たずに青娥がお返しに食べさせるには、なるほどこの長さの箸が要る訳である。
これなら、互いに億劫な思いをせずにすむ。
芳香はご飯を落としたりしないよう慎重に箸を運ぶ。
食事の進行は非常にゆっくりだが、それでも青娥は気長に待って、相手の膳から交互に食べさせ合う。
それはまるで、相手を労わる気持ちを最大限の形で伝え合うようで。相手との親愛を連綿と紡いでいるようで。
まさにその箸は、青娥と芳香の絆に架かる橋だったのだ。
――◇――
「ごちそうさまでした」
「「「「ごちそうさまでした」」」」
神子様の挨拶で食事が終わり、私は食器類を盆に重ねていた。
そして当然のごとく、皆の箸と一緒にあの箸も手渡されてしまった。
どうやって洗えばいいのか。どこに仕舞えばいいのか。
そもそも食器満載の私を手伝うどころか、こんな持ちづらさに特化した箸を渡して何も思う所がないのか。
いっぺん青娥と議論を交わしたい主題が頭にごろごろ噴出してきたが、他愛もない食後のお喋りで睦みあう青娥と芳香に、終ぞ私は何も言わなかった。
以前はこうした時間も取れなかったのだ。それを邪魔するのは無粋だろう。
自分でも損な性格だと思うが、とりあえず食器を水に浸けなければいけない。
よっこいせと盆を厨に持って行こうとしたら、こちらを見つめる布都と目が合った。
「……何? 手伝ってくれるの?」
「いや、その箸を見ておったのだ」
「ええ~、まだ見足りないの?」
私は少々呆れた声をあげる。食事時に散々見ただろうに、まだ鑑賞に堪えうる魅力はこの箸にないだろう。
だが、次の一言は聞き捨てならなかった。
「この箸があれば、我も屠自古に食べさせてもらえるかと思ってな」
「ちょっ! な、何を言い出すのよ! 皆の前で!」
「よいではないか。知らぬ仲ではないし、我もあーんってやってもらいたいぞ」
「そ、そんな急に……心の準備が……」
あれ、な、何を私は言っているのだ! ええい、この、早まるな! 私の鼓動!
そうだ。ここは布都を睨んで毅然と断るべき……何で布都の顔を直視できないんだ!
私は理解できない内心の激しい動揺に身を焦がしてしまう。
私が食器を持ったまま緊張して立ち尽くしていると、視線を感じた。
「……いいな~、い~い~な~。屠自古にご飯を食べさせてもらえるなんて、布都はいいな~」
「み、神子様!? 何故そのようなジト目で私達を睥睨なさるのですか!?」
まるで地の底から這い上がるような暗く嫉ましげな声に、私は慌てる。
「神子様! 別にやると決まったわけじゃ」
「青娥と芳香で一組、布都と屠自古で一組。そして、私は一人。
奇数は残酷ですねホント。私は永遠に手酌と手箸ですよ、ははっ。
こんなことなら、箸なんかできなきゃよかった……これからはもう、手づかみでいいかな」
「気をしっかり持ってください!!
……わかりました。毎回は無理ですけど、お箸でご飯を食べさせて差し上げます。
だから、やけっぱちになって飛鳥はおろか石器時代に逆行するのだけは勘弁してください」
「マジですか!?」
「マジですよ。ていうか、どこで覚えたのですか? その言葉」
私がため息混じりにした妥協案に、神子様のお顔がみるみる晴れた。
「ああ、復活してよかった。神様感謝いたします。アーメンハレルヤ」
「神子様。あなたのお立場でその発言は問題です」
まったく。どんなに偉くなってもこのお人は、精神構造が大昔から変わらない。
まぁ、そんな所も含めてお慕いあげているのだが、ともかく明日にでもやたら照れる仕事が増えそうだ。
私がそう思いながら苦笑いで話を締めようとしていると、突然布都がぱんと手を打った。
「よし。そうと決まれば話は早い。早速、長箸を二組注文しに行こうぞ」
「早速って、こんな時間は迷惑……二組?」
「うむ。屠自古が神子様に使う用と、我が屠自古に使う用だ」
「ちょっと待てい!」
さすがに私も突っ込みをいれる。だが布都はきょとんとした表情だ。
「な・ん・で! 私が布都に食べさせてもらうことが決まったのよ!?」
「え? 屠自古が神子様に食べさせる間に、屠自古の口へご飯を運ぶ役割が必要であろう。
我がその役目にふさわしいではないか」
「真顔でドキッとすること言わないで! じゃあ布都はいつご飯を食べるのよ」
「神子様、我にご飯を食べさせてはもらえぬか?」
「うん、いいよ」
「循環するの!?」
「ほら、これで問題ない。箸の注文は三組じゃな」
神子様の軽―い返事で謎の三角関係が成立。最早やることが確定してしまった。
私は次の食事から始まるであろう非常にこっ恥かしい儀式を想像して、顔が熱くなるほど赤面する。
「はい芳香、あーん。どう、美味しい?」
「美味しい! 甘くて、すこしベタってしてる。でもちょっとしょっぱいのがいい!」
「芳香はみたらしが好きなのね。今度また買ってきてあげる」
いつの間にやら、あっちは食後のおやつで二人の世界だ。
私もあーゆーふうに開き直れたら、どんなに楽だろう。
やっぱり損な性格だ、と再認識してしまった。
――◇――
その後霊廟の食卓では、箸の平均長さが著しく伸びた。
しかしその箸は、新天地同士が結ばれ人々の交流が深まる様に、1000年の時を越えた仲間の輪を繋ぎ互いの関係を深めた。
うん。案外悪くない。
最近はそう思う余裕も出てきて、私は朱に染まった手で布都の口にうどんを持っていくのだった。
「毎回相手が同じなのもなんだから、たまに相手を変えようって提案してよかったでしょ、屠自古」
「……確信犯ね、青娥」
……悪くないったら、ないのだ。
【終】
素晴らしき家族愛だ!
器用だね君ら
アホの子で恥ずかしいことをさらっと言っちゃう布都ちゃんに、ボケ全開でマイワールド全開の神子さま。そして振り回される屠自古という図が完全に定着しつつありますねw俺得すぎますw
つーか、長い箸は肘の曲がらない芳香に食べさせるためのものなんだから、屠自古、布都、太子は普通の箸でよくね?
ダメ? そうすか……
ご飯も食べてないのにごちそうさまでした
せいよしはもうこのくらいイチャイチャしてないと物足りなくなってきた。
この後、幻想郷に2尺5寸の箸ブームが到来!
から調べながら読んだよ。でも箸でお椀を持ち上げるってすごすぎ。笑ったww お嬢様
新キャラきたーー!
私は神子さんが好きです。かっこいいし!でも布都さんもいい人そう!名前はややこしいですけどね!
超門番
おひさしぶりでござます。わたしは長いお箸で、肘の曲がらない宮古さんが自分で食べるんだと思ってました。
「あーん」ネタはなんかレトロカップルな雰囲気がしますね。とてもおもしろかったです。 冥途蝶
その話では、地獄では箸が長すぎて口に料理を運ぶことができないが、天国ではお互いに食べさせ合うことで万事解決、みたいなやつだったが……
つまり天国はここにあった。
GJ!
せいよし好きにはたまらない話でした。
親バカじゃない親はただのバカです。実の親子じゃなくても愛情たっぷりなのです。
5番様
青娥に出来ないことは、芳香の関節を短期間で曲げるぐらいなもんです。
9番様
意外と身近なところに天国はあるのかもしれません。
11番様
ええ。もしくは、初めての共同作業ともいいます。
13番様
お粗末様でした。私も、こんな神霊廟が大好きです。
14番様
だだだ、ダメっすよ!(焦)あの使いづらいお箸を、たどたどしくも一生懸命に頑張る姿がいいんです。
奇声を発する程度の能力様
ありがとうございます。せいよしは夢のドーンオブザデッド。
16番様
可愛いけりゃ問題ナッシング! お粗末様でした。
20番様
最後のほうで微かに、というかモロに出しました。欲張りなんです、私(テヘ)
とーなす様
長い箸が幾何学的に絡み合う素敵な空間です(笑)こうなったらもう、せいよしはとことんイチャつくべきだと思います。
22番様
2尺5寸の愛情確認お箸……ビックビジネスの予感がします。
お嬢様・冥途蝶・超門番様
ご感想ありがとうございます。
新キャラはイメージが固定されていないので中々難しかったのですが、気に入っていただけてよかったです。
歴史上実在の(?)人物がモチーフになっているので、その辺りを絡めてキャラを眺めるとまた楽しいですよ。
>「あーん」ネタはなんかレトロカップルな雰囲気がしますね。
自分、古い人間ですから……(哀)
25番様
愛と邪仙の前に不可能はありません!
26番様
深く感じ入る逸話ですね。毎日の食卓が天国なんて、とても幸せなことだと考えました。
29番様
でも場の空気はほんわかと丸いのです。
31番様
お褒めにあずかり恐悦至極です。b
37番様
私も同感です。
40番様
せいよし流行れ。むっちゃ流行れ。
固い肉を切ろうとして、箸が折れた。……がま口でした。
ありがとうございます。皆がこうなら、この世は愛に溢れたヘブンなのでしょうね。