気が付くと、そこはいつか見た風景だった。
「わぁ……」
早苗は思わず感嘆の息を漏らす。
あの河川敷、あの駄菓子屋、あの曲がり角。
何もかもがあのときのままで、それはひどく懐かしくて。
「……変わってないなあ」
自分の頭の中にあったそれと、寸分違わぬあの日の景色。
まるで自分の記憶をそのままなぞって作り上げられたかのような情景に、早苗は思わず目を細めた。
「……っと、こうしちゃいられないわ」
そう。
今の自分には目的がある。
あまり長く感傷に浸っている暇はないのだ。
浮つく心を抑えながら、早苗は歩く。
何度も通った通学路。
下校中の生徒達が、まばらに通り過ぎてゆく。
「…………」
その中に、いつかの自分の姿を重ね合わせる。
あの頃は、ただただ毎日暢気に暮らしていた。
朝起きたら、母の用意してくれたご飯を食べて。
そしたらのんびりし過ぎてしまい、慌てて家を飛び出して……。
ぱたぱたと走り抜けた、いつもの曲がり角。
そこを曲がった先に―――。
「……あ」
いた。
あの日と変わらぬ、その姿―――。
「りさ」
「早苗」
ふたり、息を止めて見つめあう。
その一瞬は、まるで永遠のようにも感じられたが―――。
「……早苗っ!」
「わっ」
りさ、と呼ばれた少女は勢いよく早苗に飛びついた。
思わず後ろに倒れそうになるのを、早苗は寸でのところで堪えた。
「早苗早苗早苗早苗っ……!!」
「ちょ、り、りさってば……もう」
りさはぎゅうっと、万感の想いを込めるかのごとく、早苗を強く抱きしめる。
早苗は少し苦しそうにしながらも、そんなりさを優しく抱きしめ返した。
「…………」
「…………」
二人は無言のまま暫し抱擁し、やがて自然と距離を取った。
改めて、互いの顔を見つめあう。
「……久しぶりだね、早苗」
「……うん」
嬉しいような、恥ずかしいような。
はにかみ合いながら、これまでの時間をなぞる二人。
「とりあえず……あるこっか」
「うん」
何処へ行く、ということもなく。
ただただのん気に。
ただただぶらぶらと。
そうやってあてどもなくほっつき歩くのが、二人のいつものやり方だった。
「いやー、でもホントびっくりしたよ。いきなり現れるんだもん、早苗ったら」
「えへへ……ごめんね、りさ」
未だ信じられないといった面持ちで、しげしげと早苗の顔を覗き込むりさ。
それに対して、ただただ苦笑いを浮かべることしかできない早苗。
「まあでも、元気そうで良かったよ。本当、どこに行っちゃったのかと思ってたからさ」
「あー……まあ、ちょっと色々あって」
「色々、かあ」
「うん。……色々」
「そっかぁ」
早苗の言葉の意味など知る由も無かろうが、りさはそれ以上追及しようとはしなかった。
相手が踏み込んでほしくない線は絶対に間違えない。
りさは昔から、そういう気遣いのできる女の子だった。
「……ところで、早苗」
「ん? なに?」
「……なんか背ぇ、伸びてない?」
そう言って、りさはじとっとした目で早苗を見上げた。
といっても、頭一つ分もない、僅かな差ではあるのだが。
「あー……まあ、ちょびっとは」
「ふぅん」
「そういうりさは……変わってないね」
「うるさい!」
「あうっ」
ずびし! と、りさは早苗の二の腕のあたりを真横から鋭く突っついた。
「いたいじゃないの」
「天罰よ」
「理不尽すぎる」
早苗が突かれた腕をさすっていると、りさはまたも目を皿のようにして早苗の身体―――のとある一部分―――を凝視し始めた。
「…………」
「こ、今度は何?」
「……なんか、でかくなってない?」
「なっ」
素早く、両腕で隠す早苗。
「あーっ! 隠したってことは、やっぱりでかくなったんだ!」
「ち、ちがっ……。りさが、その、変な目で見るから……」
「ちぇーっ。私はちっとも変わってないっていうのに」
「ああ……」
「何よその同情心に満ち溢れた目は!」
「あうっ!」
二度目のずびし! が早苗の二の腕に刺さった。
……そんなおバカなやりとりをしながら歩くこと、十数分。
「おおー!」
早苗はまたも感嘆の声を上げた。
いつか見た景色のまま、あの日と同じ姿をした公園がそこにあった。
「懐かしいっしょ?」
「うん!」
得意気に微笑むりさに、早苗は満面の笑みで頷く。
「昔よく乗ったよね、これ」
「あー! 乗った乗った! てやっ!」
りさが近くにあったブランコを指差すと、すかさず早苗が駆け寄り、間髪入れずに飛び乗った。
「子供かあんたは」
「子供よ? まだ未成年だもん」
しれっとそう言って、立ち乗りのまま、ギーコギーコとブランコを漕ぎ出す早苗。
「ほら、りさも」
「はいはい」
やれやれと軽く肩を竦めながらも、満更でもなさそうな表情でりさもブランコに足を乗せた。
ギーコギーコと、仲良く並んで立ち漕ぎをする二人。
ある程度振り幅が大きくなってきたところで、早苗が悪戯を思いついた子供のような顔になって言った。
「ねぇねぇ、りさ」
「ん?」
「昔よくやったよね。靴飛ばし」
「あー……一応言っとくけど、やるなよ?」
「なんで? いいじゃん、久しぶりにやろうよ」
「……いや、見えるじゃん」
りさが冷静にツッコむ。
今日の早苗は巫女装束ではなく私服に身を包んでおり、下はスカートを穿いていた。
ちなみにりさは高校の制服を着ているので、当然ながらスカートだ。
しかし早苗はケロッとした顔で、
「いいじゃん別に。誰もいないんだし」
「…………」
確かに今この公園には、早苗とりさ以外には人っ子一人いなかった。
そういう問題じゃないだろ、と言いたげな表情のりさだったが、早苗の漕ぐブランコがどんどん振り子状に振り幅を大きくしていくのを見ているうち、やがて観念したように言った。
「……わかったよ、もう。好きにしたら」
「言われずとも!」
満面の笑みで、ぐっと親指を立てる早苗。
呆れ顔のりさを尻目に、もぞもぞと、片方の靴を半脱ぎの状態にする。
そして、ブランコが最高点に達した瞬間―――。
「えいっ!」
早苗は振り子の勢いそのままに、足を高く振り上げた。
すると、ぽーんと綺麗な弧を描き、早苗の靴は遥か彼方に飛んでいった。
「おおお! すごいすごい! 栄光の架け橋だ!」
早苗、大興奮。
「……ようやるわ」
片や、そんな彼女を呆れ眼で見つめるりさ。
そんな彼女に対し、当たり前のように早苗は言う。
「じゃあ次、りさの番ね」
「えっ」
「えっじゃなしに」
「……やっぱり?」
「うん」
「……どうしても?」
「うん!」
早苗は有無を言わせぬ笑顔で力強く頷いた。
りさは大きく嘆息すると、
「……わかったわよ、もう……」
ギーコギーコと、体の反動を使ってできるだけ振り幅を大きくする。
そして、先ほどの早苗くらいの高さまで到達したところで、
「これで……どうだっ!」
もうどうにでもなれと言わんばかりに、りさが思い切りよく足を振り上げると、そのつま先からすっぽ抜けた靴が、これまた大変美しいアーチを描いて遥か彼方に飛んでいった。
「おおお!」
早苗、再び大興奮。
一方、飛ばした当の本人のりさは、
「あちゃー、飛ばし過ぎたか……」
靴の消えた方向を眺めながら、早くも後悔じみた表情を浮かべていた。
「…………」
そんなりさに対し、早苗はなぜかちらちらと意味深な視線を送っている。
「? 何よ?」
「……りさ」
「?」
「……見えてた」
「うるさいわ! つかあんたも見えてたっつーの!」
「……やだ」
「頬を染めるな気色悪い!」
そんなアホみたいなやりとりを交わしつつ、二人はブランコから降り、公園の出入り口へと向かった。
早苗の靴もりさの靴も、公園を遥かに越えて飛んでいったため、二人は、揃ってけんけんでの靴探しの旅に出ることを余儀なくされた。
「一体どこまで飛んでいったのよ……」
「まったく、りさが大人げなく思いっきり飛ばすから」
「あんたにだけは言われたくないわ!」
ぶつくさと文句を言い合いながら、公園を出たあたりを見回す。
道路を辿り、空き地を越えて、河川敷の所まで来てようやく、二つの靴が不時着しているのが見つかった。
「あー! 私の勝ちだ!」
一際大きな歓声を上げたのは早苗である。
確かにその言葉通り、早苗の靴はりさのそれより数メートルほど奥に飛んでいた。
「あー、よかったね」
一方りさは、至極どうでもよさそうな表情でそう言うと、淡々と靴を履き始めた。
そんなりさに向けて、早苗は嬉しそうに言った。
「私、ソーダアイスね」
「……はい?」
目をぱちくりとさせるりさ。
「はいじゃなくて。勝ったから」
「……奢れと?」
こくりと、大きく頷く早苗。
「勝ってから言うなよ……」
「何言ってるの。昔からそうだったじゃん」
「まあそうだけどさ」
確かに昔から、「靴飛ばしで負けた方はアイスを奢る」というのが二人の間のならわしだった。
ちなみに冬はたい焼きだった。
「……まあいいか。私も食べたいし」
「わぁい!」
無邪気に喜ぶ早苗に、やれやれと息を零すりさ。
いつしか止まっていたはずの二人の歯車は、いつの間にかすっかり昔の通りにかみ合っていた。
―――河川敷からすぐのところに、駄菓子屋がある。
早苗とりさの、昔からの行きつけの店だ。
りさは店先のアイスケースからソーダアイスを二つ取り出すと、店内に入り、中にいた女性に声を掛けた。
「すいません、これください」
「はいはい……って、」
店主とおぼしき年配の女性は、その声に反応するや、
「早苗ちゃんじゃないの! 久しぶりねぇ」
りさを通り越して、その後ろにいた早苗に声を掛けた。
早苗は少し驚きながらも、すぐに居住まいを正して答える。
「はい! こちらこそ、どうもお久しぶりです!」
「またこっちに戻ってきたのかい?」
「いえ、今日はちょっと用事で来ただけで……またすぐに行かなくちゃいけないんです」
「そうかい、それは残念だねぇ。まあまた近くまで来たら、いつでも遊びにおいで」
「はい! ありがとうございます!」
会計を済ませ、手を振る店主と笑顔で別れてから、二人は再び河川敷へと戻った。
「あー、気持ちいい」
「うんうん。やっぱこれよねー」
傾斜になっている堤防に寝そべり、夕風を受けながら、アイスを頬張る。
昔から変わらぬ、二人だけのぜいたくなひとときだ。
「うっ……きたぁ……」
「うまうま」
顔をしかめて頭を押さえるりさに、満足そうにアイスをかじる早苗。
あの日と変わらぬ、いつもの光景。
―――そんな、永遠にも似た時間が流れているかのように思われたころ。
「……ねぇ、早苗」
「うん?」
アイスを食べ終えたりさが、ふいに真面目な表情になった。
身体を起こし、早苗に向かって尋ねる。
「……早苗が今日、ここに来た理由って……何なの?」
「…………」
その瞬間、手慰みにアイスの棒を弄んでいた早苗の動きが止まった。
「や。別に、言えないんだったらいいんだけど……」
「…………」
急に押し黙った早苗を見て、慌てて手を振るりさ。
しかし、早苗も身体を起こすと、りさを真正面から見据え、真剣な表情になって告げた。
「りさに、会いたかったから」
「……え?」
二人の間を、一陣の風が通り抜けた。
早苗は続けて言う。
「……私、ずっと気にしてたの」
「…………」
「……この町を離れるとき、りさに黙って出て行ったこと」
「…………」
りさは何も言わず、ただただ神妙な顔つきで早苗を見つめている。
「本当は言いたかった。……今までどうもありがとう、またね、って」
「…………」
「でも、できなかった。それをしたらもっと、辛くなるって分かってたから」
「…………」
「でも……ずっとずっと、引っかかってた。やっぱりあのとき、ちゃんと言うべきだったって」
「……早苗」
そこでようやく、りさは早苗の名を呼んだ。
早苗の表情が、少しばかり安堵を含んだものへと変わる。
「だから私、りさにそれを言うために、今日……ここに来たの」
「……そうだったんだ」
「……うん」
早苗はすぅっと息を吸うと、満面の笑みを浮かべて言った。
「―――りさ。小さい頃からずっとずっと、仲良くしてくれて本当にありがとう。私、りさと一緒に居られて、本当に本当に……楽しかったよ」
「早苗……」
その瞬間、りさの瞳から大粒の涙がこぼれた。
「わ、私も……早苗とずっと一緒に居られて、本当に……楽しかった」
「りさ」
「急にいなくなっちゃったときは、正直、訳分かんなくて、何がどうなったのって感じだったけど、でも、今日、こうしてまた会えて……」
「うん」
「もう一度、ちゃんと、話ができて……よかった」
そこまで言うと、りさは今日出会ったときと同じように、再び早苗に抱きついた。
早苗もそっと、りさの背中に両手を回した。
「ごめんね、りさ。今までずっと、言えなくて」
「ううん、もういい。もういいよ、早苗」
「ありがとう。……りさ」
早苗はゆっくりと、自分の身体からりさを離す。
りさの顔は涙にまみれながらも、どこか晴れ晴れとした面持ちだった。
「……じゃあ、またね。……りさ」
その一言を告げた瞬間、世界が一気に光を失う。
約束は果たされた。
最後に早苗が見たりさは、最高に輝く笑顔で―――。
「またね、早苗」
そう言った、ように思えた。
「―――以上です。良い夢は見られましたか?」
早苗がうっすらと瞼を開けると、そこには穏やかな笑顔で自分を見つめる古明地さとりの姿があった。
「……はい」
徐々にはっきりとしてくる視界の中、早苗はまだ半分夢心地にいるような声で答えた。
―――ここは地霊殿にある、さとりの部屋。
早苗とさとりは、部屋の中央で、互いに椅子に座った状態で向かい合っていた。
まだ幾分ぼんやりとした表情の早苗に対し、さとりは落ち着いた声色で尋ねた。
「……気分はいかがですか?」
「はい。……なんだか、すごく不思議な気分です」
「というと?」
心を読めばすぐにでも分かる事だろうが、さとりはあえて、早苗自身の言葉で語らせることにしたらしい。
早苗は内心を少しずつ言語化していくように、ぽつりぽつりと話し始めた。
「何というか……頭の中では分かってるんです。これは夢なんだって。現実とは違うんだって」
「…………」
「現実のりさは、もうとっくに私の事なんか忘れていて……思い出すはずもなくて」
「…………」
「もしもう一度会うことがあっても、私の事なんか気付きもせずに、素通りしちゃうんだろうなって」
「…………」
「そこまで分かっているのに、でも……不思議と、心がすっきりしたんです」
「……それは、何よりです」
さとりは優しく微笑んだ。
「私が見せた夢は、あなたの心の中にあった夢。ずっとずっと、叶うことのなかった夢。それをたとえ仮初めでも、形にして見せることで―――あなたの心が、少しでも救われたのなら。私にとって、こんなに嬉しいことはありません」
「はい。……本当に、どうもありがとうございました」
早苗は椅子から立ち上がると、さとりに向かって深々と頭を下げた。
「……いつかまた、心が辛くなったら……お願いしてもいいですか?」
「ええ、もちろんです。またいつでも来てください」
笑顔で見送るさとりにもう一度頭を下げ、早苗は地霊殿から出て行った。
その直後、さとりの背後に一つの気配が出現した。
「へぇ。なかなか上手いこと考えたもんだね、お姉ちゃん」
「こいし」
さとりが振り返ると、いつからそこにいたのか、妹の古明地こいしが部屋の壁に背中をもたれかけて立っていた。
こいしは愉快そうに笑って言う。
「他人のトラウマを抉り、暴き出すことでストレスを与える覚りの能力……それをまさか、こんな形で使うなんてね」
「……どんな能力でも、使い方次第でまったく別の可能性が生まれる。覚りの能力だって、最初からそういうものとして生み出されたわけではないわ」
「ふぅん。……変わったね、お姉ちゃん」
こいしはそれだけ言うと、用は済んだとばかりにふらふらと部屋の出口の方へと歩き出した。
その瞬間、さとりが声を上げた。
「こいし」
「ん?」
ぴたっと、こいしは出口の前で立ち止まった。
振り返ることはなく、さとりに背を向けたままで。
その背中に向けて、さとりは言う。
「もし」
ごくりと唾を飲み込み、できる限りの大きな声で。
「もしもう一度、あなたが心を開いてくれるのなら」
「…………」
「そのときは、私、あなたの夢も―――」
「……考えとくよ」
その一言だけを残し、こいしはふっと消えた。
「…………」
さとりは自身がいつの間にか立ち上がっていたことに気付いてから、ぼんやりと天井を見上げた。
「……なかなか、上手くいかないものね」
自嘲気味なその呟きだけが、静かな空間に吸い込まれて消えていった。
了
「わぁ……」
早苗は思わず感嘆の息を漏らす。
あの河川敷、あの駄菓子屋、あの曲がり角。
何もかもがあのときのままで、それはひどく懐かしくて。
「……変わってないなあ」
自分の頭の中にあったそれと、寸分違わぬあの日の景色。
まるで自分の記憶をそのままなぞって作り上げられたかのような情景に、早苗は思わず目を細めた。
「……っと、こうしちゃいられないわ」
そう。
今の自分には目的がある。
あまり長く感傷に浸っている暇はないのだ。
浮つく心を抑えながら、早苗は歩く。
何度も通った通学路。
下校中の生徒達が、まばらに通り過ぎてゆく。
「…………」
その中に、いつかの自分の姿を重ね合わせる。
あの頃は、ただただ毎日暢気に暮らしていた。
朝起きたら、母の用意してくれたご飯を食べて。
そしたらのんびりし過ぎてしまい、慌てて家を飛び出して……。
ぱたぱたと走り抜けた、いつもの曲がり角。
そこを曲がった先に―――。
「……あ」
いた。
あの日と変わらぬ、その姿―――。
「りさ」
「早苗」
ふたり、息を止めて見つめあう。
その一瞬は、まるで永遠のようにも感じられたが―――。
「……早苗っ!」
「わっ」
りさ、と呼ばれた少女は勢いよく早苗に飛びついた。
思わず後ろに倒れそうになるのを、早苗は寸でのところで堪えた。
「早苗早苗早苗早苗っ……!!」
「ちょ、り、りさってば……もう」
りさはぎゅうっと、万感の想いを込めるかのごとく、早苗を強く抱きしめる。
早苗は少し苦しそうにしながらも、そんなりさを優しく抱きしめ返した。
「…………」
「…………」
二人は無言のまま暫し抱擁し、やがて自然と距離を取った。
改めて、互いの顔を見つめあう。
「……久しぶりだね、早苗」
「……うん」
嬉しいような、恥ずかしいような。
はにかみ合いながら、これまでの時間をなぞる二人。
「とりあえず……あるこっか」
「うん」
何処へ行く、ということもなく。
ただただのん気に。
ただただぶらぶらと。
そうやってあてどもなくほっつき歩くのが、二人のいつものやり方だった。
「いやー、でもホントびっくりしたよ。いきなり現れるんだもん、早苗ったら」
「えへへ……ごめんね、りさ」
未だ信じられないといった面持ちで、しげしげと早苗の顔を覗き込むりさ。
それに対して、ただただ苦笑いを浮かべることしかできない早苗。
「まあでも、元気そうで良かったよ。本当、どこに行っちゃったのかと思ってたからさ」
「あー……まあ、ちょっと色々あって」
「色々、かあ」
「うん。……色々」
「そっかぁ」
早苗の言葉の意味など知る由も無かろうが、りさはそれ以上追及しようとはしなかった。
相手が踏み込んでほしくない線は絶対に間違えない。
りさは昔から、そういう気遣いのできる女の子だった。
「……ところで、早苗」
「ん? なに?」
「……なんか背ぇ、伸びてない?」
そう言って、りさはじとっとした目で早苗を見上げた。
といっても、頭一つ分もない、僅かな差ではあるのだが。
「あー……まあ、ちょびっとは」
「ふぅん」
「そういうりさは……変わってないね」
「うるさい!」
「あうっ」
ずびし! と、りさは早苗の二の腕のあたりを真横から鋭く突っついた。
「いたいじゃないの」
「天罰よ」
「理不尽すぎる」
早苗が突かれた腕をさすっていると、りさはまたも目を皿のようにして早苗の身体―――のとある一部分―――を凝視し始めた。
「…………」
「こ、今度は何?」
「……なんか、でかくなってない?」
「なっ」
素早く、両腕で隠す早苗。
「あーっ! 隠したってことは、やっぱりでかくなったんだ!」
「ち、ちがっ……。りさが、その、変な目で見るから……」
「ちぇーっ。私はちっとも変わってないっていうのに」
「ああ……」
「何よその同情心に満ち溢れた目は!」
「あうっ!」
二度目のずびし! が早苗の二の腕に刺さった。
……そんなおバカなやりとりをしながら歩くこと、十数分。
「おおー!」
早苗はまたも感嘆の声を上げた。
いつか見た景色のまま、あの日と同じ姿をした公園がそこにあった。
「懐かしいっしょ?」
「うん!」
得意気に微笑むりさに、早苗は満面の笑みで頷く。
「昔よく乗ったよね、これ」
「あー! 乗った乗った! てやっ!」
りさが近くにあったブランコを指差すと、すかさず早苗が駆け寄り、間髪入れずに飛び乗った。
「子供かあんたは」
「子供よ? まだ未成年だもん」
しれっとそう言って、立ち乗りのまま、ギーコギーコとブランコを漕ぎ出す早苗。
「ほら、りさも」
「はいはい」
やれやれと軽く肩を竦めながらも、満更でもなさそうな表情でりさもブランコに足を乗せた。
ギーコギーコと、仲良く並んで立ち漕ぎをする二人。
ある程度振り幅が大きくなってきたところで、早苗が悪戯を思いついた子供のような顔になって言った。
「ねぇねぇ、りさ」
「ん?」
「昔よくやったよね。靴飛ばし」
「あー……一応言っとくけど、やるなよ?」
「なんで? いいじゃん、久しぶりにやろうよ」
「……いや、見えるじゃん」
りさが冷静にツッコむ。
今日の早苗は巫女装束ではなく私服に身を包んでおり、下はスカートを穿いていた。
ちなみにりさは高校の制服を着ているので、当然ながらスカートだ。
しかし早苗はケロッとした顔で、
「いいじゃん別に。誰もいないんだし」
「…………」
確かに今この公園には、早苗とりさ以外には人っ子一人いなかった。
そういう問題じゃないだろ、と言いたげな表情のりさだったが、早苗の漕ぐブランコがどんどん振り子状に振り幅を大きくしていくのを見ているうち、やがて観念したように言った。
「……わかったよ、もう。好きにしたら」
「言われずとも!」
満面の笑みで、ぐっと親指を立てる早苗。
呆れ顔のりさを尻目に、もぞもぞと、片方の靴を半脱ぎの状態にする。
そして、ブランコが最高点に達した瞬間―――。
「えいっ!」
早苗は振り子の勢いそのままに、足を高く振り上げた。
すると、ぽーんと綺麗な弧を描き、早苗の靴は遥か彼方に飛んでいった。
「おおお! すごいすごい! 栄光の架け橋だ!」
早苗、大興奮。
「……ようやるわ」
片や、そんな彼女を呆れ眼で見つめるりさ。
そんな彼女に対し、当たり前のように早苗は言う。
「じゃあ次、りさの番ね」
「えっ」
「えっじゃなしに」
「……やっぱり?」
「うん」
「……どうしても?」
「うん!」
早苗は有無を言わせぬ笑顔で力強く頷いた。
りさは大きく嘆息すると、
「……わかったわよ、もう……」
ギーコギーコと、体の反動を使ってできるだけ振り幅を大きくする。
そして、先ほどの早苗くらいの高さまで到達したところで、
「これで……どうだっ!」
もうどうにでもなれと言わんばかりに、りさが思い切りよく足を振り上げると、そのつま先からすっぽ抜けた靴が、これまた大変美しいアーチを描いて遥か彼方に飛んでいった。
「おおお!」
早苗、再び大興奮。
一方、飛ばした当の本人のりさは、
「あちゃー、飛ばし過ぎたか……」
靴の消えた方向を眺めながら、早くも後悔じみた表情を浮かべていた。
「…………」
そんなりさに対し、早苗はなぜかちらちらと意味深な視線を送っている。
「? 何よ?」
「……りさ」
「?」
「……見えてた」
「うるさいわ! つかあんたも見えてたっつーの!」
「……やだ」
「頬を染めるな気色悪い!」
そんなアホみたいなやりとりを交わしつつ、二人はブランコから降り、公園の出入り口へと向かった。
早苗の靴もりさの靴も、公園を遥かに越えて飛んでいったため、二人は、揃ってけんけんでの靴探しの旅に出ることを余儀なくされた。
「一体どこまで飛んでいったのよ……」
「まったく、りさが大人げなく思いっきり飛ばすから」
「あんたにだけは言われたくないわ!」
ぶつくさと文句を言い合いながら、公園を出たあたりを見回す。
道路を辿り、空き地を越えて、河川敷の所まで来てようやく、二つの靴が不時着しているのが見つかった。
「あー! 私の勝ちだ!」
一際大きな歓声を上げたのは早苗である。
確かにその言葉通り、早苗の靴はりさのそれより数メートルほど奥に飛んでいた。
「あー、よかったね」
一方りさは、至極どうでもよさそうな表情でそう言うと、淡々と靴を履き始めた。
そんなりさに向けて、早苗は嬉しそうに言った。
「私、ソーダアイスね」
「……はい?」
目をぱちくりとさせるりさ。
「はいじゃなくて。勝ったから」
「……奢れと?」
こくりと、大きく頷く早苗。
「勝ってから言うなよ……」
「何言ってるの。昔からそうだったじゃん」
「まあそうだけどさ」
確かに昔から、「靴飛ばしで負けた方はアイスを奢る」というのが二人の間のならわしだった。
ちなみに冬はたい焼きだった。
「……まあいいか。私も食べたいし」
「わぁい!」
無邪気に喜ぶ早苗に、やれやれと息を零すりさ。
いつしか止まっていたはずの二人の歯車は、いつの間にかすっかり昔の通りにかみ合っていた。
―――河川敷からすぐのところに、駄菓子屋がある。
早苗とりさの、昔からの行きつけの店だ。
りさは店先のアイスケースからソーダアイスを二つ取り出すと、店内に入り、中にいた女性に声を掛けた。
「すいません、これください」
「はいはい……って、」
店主とおぼしき年配の女性は、その声に反応するや、
「早苗ちゃんじゃないの! 久しぶりねぇ」
りさを通り越して、その後ろにいた早苗に声を掛けた。
早苗は少し驚きながらも、すぐに居住まいを正して答える。
「はい! こちらこそ、どうもお久しぶりです!」
「またこっちに戻ってきたのかい?」
「いえ、今日はちょっと用事で来ただけで……またすぐに行かなくちゃいけないんです」
「そうかい、それは残念だねぇ。まあまた近くまで来たら、いつでも遊びにおいで」
「はい! ありがとうございます!」
会計を済ませ、手を振る店主と笑顔で別れてから、二人は再び河川敷へと戻った。
「あー、気持ちいい」
「うんうん。やっぱこれよねー」
傾斜になっている堤防に寝そべり、夕風を受けながら、アイスを頬張る。
昔から変わらぬ、二人だけのぜいたくなひとときだ。
「うっ……きたぁ……」
「うまうま」
顔をしかめて頭を押さえるりさに、満足そうにアイスをかじる早苗。
あの日と変わらぬ、いつもの光景。
―――そんな、永遠にも似た時間が流れているかのように思われたころ。
「……ねぇ、早苗」
「うん?」
アイスを食べ終えたりさが、ふいに真面目な表情になった。
身体を起こし、早苗に向かって尋ねる。
「……早苗が今日、ここに来た理由って……何なの?」
「…………」
その瞬間、手慰みにアイスの棒を弄んでいた早苗の動きが止まった。
「や。別に、言えないんだったらいいんだけど……」
「…………」
急に押し黙った早苗を見て、慌てて手を振るりさ。
しかし、早苗も身体を起こすと、りさを真正面から見据え、真剣な表情になって告げた。
「りさに、会いたかったから」
「……え?」
二人の間を、一陣の風が通り抜けた。
早苗は続けて言う。
「……私、ずっと気にしてたの」
「…………」
「……この町を離れるとき、りさに黙って出て行ったこと」
「…………」
りさは何も言わず、ただただ神妙な顔つきで早苗を見つめている。
「本当は言いたかった。……今までどうもありがとう、またね、って」
「…………」
「でも、できなかった。それをしたらもっと、辛くなるって分かってたから」
「…………」
「でも……ずっとずっと、引っかかってた。やっぱりあのとき、ちゃんと言うべきだったって」
「……早苗」
そこでようやく、りさは早苗の名を呼んだ。
早苗の表情が、少しばかり安堵を含んだものへと変わる。
「だから私、りさにそれを言うために、今日……ここに来たの」
「……そうだったんだ」
「……うん」
早苗はすぅっと息を吸うと、満面の笑みを浮かべて言った。
「―――りさ。小さい頃からずっとずっと、仲良くしてくれて本当にありがとう。私、りさと一緒に居られて、本当に本当に……楽しかったよ」
「早苗……」
その瞬間、りさの瞳から大粒の涙がこぼれた。
「わ、私も……早苗とずっと一緒に居られて、本当に……楽しかった」
「りさ」
「急にいなくなっちゃったときは、正直、訳分かんなくて、何がどうなったのって感じだったけど、でも、今日、こうしてまた会えて……」
「うん」
「もう一度、ちゃんと、話ができて……よかった」
そこまで言うと、りさは今日出会ったときと同じように、再び早苗に抱きついた。
早苗もそっと、りさの背中に両手を回した。
「ごめんね、りさ。今までずっと、言えなくて」
「ううん、もういい。もういいよ、早苗」
「ありがとう。……りさ」
早苗はゆっくりと、自分の身体からりさを離す。
りさの顔は涙にまみれながらも、どこか晴れ晴れとした面持ちだった。
「……じゃあ、またね。……りさ」
その一言を告げた瞬間、世界が一気に光を失う。
約束は果たされた。
最後に早苗が見たりさは、最高に輝く笑顔で―――。
「またね、早苗」
そう言った、ように思えた。
「―――以上です。良い夢は見られましたか?」
早苗がうっすらと瞼を開けると、そこには穏やかな笑顔で自分を見つめる古明地さとりの姿があった。
「……はい」
徐々にはっきりとしてくる視界の中、早苗はまだ半分夢心地にいるような声で答えた。
―――ここは地霊殿にある、さとりの部屋。
早苗とさとりは、部屋の中央で、互いに椅子に座った状態で向かい合っていた。
まだ幾分ぼんやりとした表情の早苗に対し、さとりは落ち着いた声色で尋ねた。
「……気分はいかがですか?」
「はい。……なんだか、すごく不思議な気分です」
「というと?」
心を読めばすぐにでも分かる事だろうが、さとりはあえて、早苗自身の言葉で語らせることにしたらしい。
早苗は内心を少しずつ言語化していくように、ぽつりぽつりと話し始めた。
「何というか……頭の中では分かってるんです。これは夢なんだって。現実とは違うんだって」
「…………」
「現実のりさは、もうとっくに私の事なんか忘れていて……思い出すはずもなくて」
「…………」
「もしもう一度会うことがあっても、私の事なんか気付きもせずに、素通りしちゃうんだろうなって」
「…………」
「そこまで分かっているのに、でも……不思議と、心がすっきりしたんです」
「……それは、何よりです」
さとりは優しく微笑んだ。
「私が見せた夢は、あなたの心の中にあった夢。ずっとずっと、叶うことのなかった夢。それをたとえ仮初めでも、形にして見せることで―――あなたの心が、少しでも救われたのなら。私にとって、こんなに嬉しいことはありません」
「はい。……本当に、どうもありがとうございました」
早苗は椅子から立ち上がると、さとりに向かって深々と頭を下げた。
「……いつかまた、心が辛くなったら……お願いしてもいいですか?」
「ええ、もちろんです。またいつでも来てください」
笑顔で見送るさとりにもう一度頭を下げ、早苗は地霊殿から出て行った。
その直後、さとりの背後に一つの気配が出現した。
「へぇ。なかなか上手いこと考えたもんだね、お姉ちゃん」
「こいし」
さとりが振り返ると、いつからそこにいたのか、妹の古明地こいしが部屋の壁に背中をもたれかけて立っていた。
こいしは愉快そうに笑って言う。
「他人のトラウマを抉り、暴き出すことでストレスを与える覚りの能力……それをまさか、こんな形で使うなんてね」
「……どんな能力でも、使い方次第でまったく別の可能性が生まれる。覚りの能力だって、最初からそういうものとして生み出されたわけではないわ」
「ふぅん。……変わったね、お姉ちゃん」
こいしはそれだけ言うと、用は済んだとばかりにふらふらと部屋の出口の方へと歩き出した。
その瞬間、さとりが声を上げた。
「こいし」
「ん?」
ぴたっと、こいしは出口の前で立ち止まった。
振り返ることはなく、さとりに背を向けたままで。
その背中に向けて、さとりは言う。
「もし」
ごくりと唾を飲み込み、できる限りの大きな声で。
「もしもう一度、あなたが心を開いてくれるのなら」
「…………」
「そのときは、私、あなたの夢も―――」
「……考えとくよ」
その一言だけを残し、こいしはふっと消えた。
「…………」
さとりは自身がいつの間にか立ち上がっていたことに気付いてから、ぼんやりと天井を見上げた。
「……なかなか、上手くいかないものね」
自嘲気味なその呟きだけが、静かな空間に吸い込まれて消えていった。
了
懐かしい気持ちになれました
これ、りさってもしや作者さんですか?
...毬麻 理沙?
魔「理沙」かと直球で考えていた愚直な自分マジ恥ずい。
早苗さんはさとりんの能力の素敵な使い方を知っててきたのでしょうか?
この使い方を思いつくまでのさとりんのエピソードも気になったり。身勝手発言すみません。
さとりの夢体験室、シリーズ化できそうですね。
あれはまったくそういう意図からのネーミングではなく、最近読んだ漫画に出てきた「りさ」というキャラクターから名前だけ借用したものです。
その語感と平仮名での表記が妙に印象に残ったので、そのまま使わせてもらったという次第です。
外の世界に未練や後悔を残してきてないわけがないですよね
だけど切ないなぁ。
同窓会に意気込んで行ったはいいもののいまいち当時のようには
接することが出来なくて微妙な気分で帰宅するのはきっと誰もが通る道。
とかそんな横道的な事を思ったりも。