アリス・マーガトロイドはいつも独りだった――などと言ってしまうと誤解を招くに違いないけれど、それでも私はふとそんなことを思ったりする。
とはいえ、それは私が他人と接さずにこれまで生きてきたという意味では当然無い。私は必要なものがあれば人里まで出向いて買い物をするし、人里で祭りがあれば出し物として人形劇を披露したりもする。神社で宴会があると聞けばいつも参加し、同じように集まってきた人間や妖怪たちと酒を飲み交わす。
端から見れば孤独とは縁遠い生き方をしていると、それは私自身でさえ思う。だからこそ到底孤独とはいえない私が突然「私はいつも独りだった」などと語り出したならば、私の頭がおかしくなったのではないかと心配されても不思議ではない。
しかしあえて誤解を恐れずに言えば、それでも私はいつも独りだった。
といってもこの言葉には何か深い意味があるというわけでは決してなく、ただ時折そんなことを思ってしまうことがある、といった程度の話だ。
だから言ってしまえばそれは事実ではない。嘘だと言われれば、あるいはそうなるのかもしれない。そうであればこれは単純に「私が嘘つきだった」というだけで終わる話なのだろう。
けれど、思ってしまう。
それは一度や二度ではなく、これまで幾度となく私は自分を孤独だと思ってきた。そしてそれはいつだって、他人と接しているときに限って、そう思うのだ。あるいは、他人と接しているからこそ、私はそんなことを思うのかもしれない。他人と接すれば接するほど、その相手がどこか遠くへ行ってしまうような感覚。もしかすると遠くへ行ってしまうのは私自身なのかもしれない。無意識のうちに私はその場から一歩引いて、全体を見渡すようにして、自らを傍観者としてそこに置こうとしているような――。
といってもそんなことはいくら考えても堂々巡りするだけで、あまり意味があるとは言いがたいのだけれど。
ただ、思うのだ。
――孤独というものは、もしかすると一人では感じることができないものなのではないだろうか。
一人ではあっても、独りではない。
孤立ではあっても、孤独ではない。
まるで言葉遊びだけれど、それでも私はふいにそんなことを思うのだ。
このことに関して誰かの言葉を借りるなら、それは、「孤独は山にはなく、むしろ町にある」ということになるのだろうか。
――不思議な感覚があった。
それはまるでずっと天高く浮かび上がっていくような、あるいは地の底まで果てなく落ちていくような。そういった感覚の中を、私ははっきりとしない意識のままただひたすらに漂い続けていた。
――私は一体どこへ行くのだろう。
小さな不安を覚えながら、それでも私の身体はそんな私の思考とは無関係にどこかへと向かっていく。
それはまるで、何者かに誘われているかのようだった。それこそ釣り針に食いついてしまった魚のように、しかしそれでいて逃げようともがくことさえもできない。あえてたとえるなら、今の私はそんな状況に置かれていた。
不確かな意識のまま、どこかへと浮かび上がるような、どこかへと沈んでいくような。
そして唐突に、私を包んでいた不思議な感覚が消えていく。
静止。
私は止まっていた。
もしかしたら私は最初から止まっていて、動いていたのは周りの世界だったのかもしれない。そんなことを思ってしまうほどに、私は完全に静止していた。微動だにしない。――違う、できなかった。
「――目を開けなさい」
誰かが私にそう命令する。その声で私の朦朧とした意識は徐々に晴れ渡っていく。
目を開ける。
目の前には一人の少女が立っていた。どこか見覚えのある、少女――。
――その少女は、私だった。
「なっ……」
驚きのあまり私は小さく声を漏らした。そして私は身体を動かそうとして――ようやく自分の置かれている状況に気付く。
それは限りなく細い、白銀の糸だった。
私が普段人形を操る際などに使用する、特殊な魔法の糸――それが私の全身を拘束するようにきつく絡み付いている。拘束された両手首はまるで吊るされているかのように、頭の上へと引っ張り上げられていた。下半身もスカートの上から幾重にも巻きついた糸が、両脚のふとももから足首までをきつく拘束している。そんな今の私の身体は、まるで一本の棒になったかのようだった。
ここはどこなのか。目の前にいる「私」は何者なのか。どうして私はこんな状況に置かれているのか。
私には分からないことだらけだった。
「あなたは誰?」
私は最初にそれを尋ねた。
目の前にいる彼女はそんな私を見て、クスリと嗤った。
「私? 私はアリス・マーガトロイド――。それはあなただって知っているはずよ」
「……違う」
私は彼女の言葉を否定した。
何故ならアリス・マーガトロイドとは私の名前なのだから。
それは私の名前であって、だから彼女の名前であるはずがない。私の否定の根拠はそんな単純な理屈だった。しかし単純でありながら、もしくは単純であるが故に、それは私にとって何よりも確かに信じられる根拠でありえた。もし彼女がアリス・マーガトロイドであるということを認めてしまったなら、その瞬間、私は何者でもなくなってしまう。
だから私は否定する。
彼女はアリス・マーガトロイドではない。
彼女は、「私」ではない。
「アリス・マーガトロイドは私の名前。あなたの名前ではないわ」
「……あなたも知っているはずだけど、そう。覚えてないのね」
彼女はどこか呆れたような声で呟く。
「覚えてないって、何を」
私は少し苛立った声でそう言った。というよりも、こんな身動きの取れない状況で苛立つなという方に無理があるのだけれど。
「本当に、覚えていないようね。それとも、あえて思い出さないようにしているのかしら? ――あなたは私だった、ということを」
彼女はどこか挑発するように言った。
しかし私には彼女の言葉の意味が理解できない。
――私が彼女だった?
「そう。あなたはかつて私だった。けれどあなたは私――アリス・マーガトロイドという人間を殺し、そして今のあなたになった。もちろん覚えているわよね? ……魔法使いの、アリス・マーガトロイド」
彼女は私をまっすぐと、それこそ射抜くように見ながら言う。そうしてようやく私は彼女のその言葉の意味を理解できた。
「つまりあなたは、あなたがまだ人間だった頃の私だと、そう言いたいのね?」
そう理解できたけれど――納得はできなかった。
私はかつて普通の人間として生き、そしてある日を境に魔法使いとなった。
それは確かな事実だった。
けれど私は人間だった頃の私と、魔法使いである今の私の、そのどちらもが確かに私であると思っている。私には人間だった頃の記憶も当然ある。当時の私が何を欲しがり、何を目指して生きていたのか、私は当然覚えている。そして、私の欲しいものは人間のままでは手に入れることが出来ないことを私は痛感し――だから私は魔法使いとなることを決意した。
その決断は確かに大きな決断だった。けれど私は確かに自分でよく考え、そして自分が納得した上で魔法使いになったのだ。
その決断をした私も、その後の私も――確かに種族(レース)は変わってしまったけれど――それでもそのどちらもが私だと、そんな確信が私にはある。
だからたとえどんなに姿形が私と酷似していようとも、彼女が人間だった頃の私であるという言い分を、私は認めようとは思わなかった。
過去の私は、今の私を形作る大切な一部なのだから。
「冗談はよして。私があなただったなんて、そんなこと――」
「――あるわけない? ……本当に、そう言い切れるものかしら?」
「……あなたは一体何が言いたいのよ」
彼女の勿体つけたような言い草に、私は苛立ちを隠さずにそう尋ねた。
すると彼女は呆れたように嘆息して、口を開く。
「都合のいい事ばかり覚えているようね、アリス・マーガトロイド。何も失わずに魔法使いになれるなんて、まさかそんなことを――。……いいわ、それなら思い出させてあげる。あなたが忘れてしまった、本当の過去のあなたを」
彼女はそういうと、身動きの取れない私にゆっくりと近づいてくる。
そして私の顔の前で手のひらを広げて――それを私の額に押し当てた。
ぱっと一瞬私の視界が白に染まったような気がして、次の瞬間、私の意識は闇に落ちていった。
意識が戻る。
まず視界に入ったのは見覚えのない天井だった。
私はどうやら寝台に身体を横たえているらしい。
ふと、私の意思とは無関係に私の体が動く。次の瞬間、私は寝台の上で上体だけを起こしていた。
何やら声が聞こえる。
「体調はどう?」
知らない誰かが、そんなことを尋ねた。
そして私は、やはり私の意思とは関係なく答える。
「別に、いつも通りよ。長くて一月……それは変わらないでしょう?」
どこか投げやりにそういった私。
どうやらこれはすでに起こった過去の出来事を、映像として過去の私の目を通して見せられているだけのようだ。
長くて一月――その言葉の意味を、私はすぐに理解することが出来なかった。
「確かに、その通りだけど――」
「だったら、今の体調なんて瑣末なことでしょうに。それよりも悪いけど、用件がそれだけなら早く出て行ってくれないかしら? ……私には、もう時間がないのよ」
「……そうね」
そういって知らない誰かは部屋をあとにした。
それを確認することもせず、私はすぐに身体を横たえる。そうして枕元にある作りかけの人形を手に取った。
まるで、身体を起こしていることさえ辛いといったような雰囲気で、私は――。
――そこで映像は途切れた。
目を開けると、そこには私の姿をした彼女がいた。
「……今のは、何?」
私は思わず尋ねてしまう。
「何って、あなたの過去よ」
いやらしく嗤いながら、彼女はそう言った。
「……嘘よ。私はあんな過去、知らないわ」
「嘘じゃない。あれは実際にあったこと。あなたが忘れてしまった、不都合な事実」
「不都合な、事実……?」
「……そういえばあなた、今はどんな魔法の研究をしているのだったかしら?」
私の問いかけを無視して、唐突に話題を変える彼女。
すでに主導権は彼女にあった。私は仕方なく彼女の質問に答える。
「どんな魔法って、完全な自立人形の完成よ。それがどうしたっていうのよ?」
「ならここからが本題。……あなたはそんなものを作って、一体どうしたいのかしら?」
――自立人形を作って、どうしたいのか。
というよりか、そもそも。
どうしてそんなものを作ろうと思ったのだったか。
「あれ……どうして……」
どうしてだろう。
私はそんな大切なことを思い出すことが出来なかった。
そんな私を見て、彼女は静かに口を開く。
「そういえばあなたは、こんなことを言われたことがあるわね。『人の形をしたものには心が宿る。それは妖怪と何が違うのかしら』って。その理屈で言えば、あなたが作ろうとしている自立人形というのは、人間と一体何が違うというのかしら?」
体があって、心があって――そして魂がある。
それは私の命令さえ必要とせず、自立し、自律する。
私の作ろうとしている自立人形とはそういったものだった。
それはもしかしたら、人間と何も変わらないのかもしれない。
そして、それを作ろうとすることは――。
「あなたは、神にでもなるつもり?」
――あるいは、そんな傲慢に繋がるのかもしれない。
けれど、違う。
「違う、私はそんなつもりじゃ……」
「そうね。そう、あなたは別に神になりたいわけじゃない。……ただ、孤独から抜け出したいだけ。ただそれだけのために、あなたは私の人として死ぬ権利を奪い、そして永遠にも似た時間を手に入れた」
彼女は私を睨みつけるようにして、続ける。
「そうやってあなたは決断を保留した。結末を先送りにして、あなたはただ姑息に逃げ回っているのよ……そうでしょう、魔法使いのアリス・マーガトロイド! あなたは自分が孤独だと認めたくない一心で、ただ意味も無く生きながらえているだけなのよ!」
彼女は激昂してそんなことを言った。
――決断を保留した。
そう言われて、私は昔のことを思い出す。それはまだ人間だった頃の記憶。何故か忘れていた、不都合な事実。
私は小さな頃から、どうしてか体が弱かった。体調がいいときは外で遊んで友達を作ったりもしたけれど、それでもすぐに体調を崩して長い間寝込むことも多かった。そうしてあるとき久しぶりに外に出てみると、外の世界はすでに私の知っている世界ではなかった。以前一緒に遊んだはずの友達もすでに私のことを忘れていて、私の知らない遊びに夢中になっていた。
実際のところ、それは些細なことだったと思う。どこにでもある小さな不幸だっただろう。
けれどそんなことでさえ、小さな私には大きな疎外感を残した。
そうして気付くと私は自分で人形を作って、一人で人形遊びをするようになっていた。
私は今まで忘れていたけれど。
きっと、それこそが私の《人形遣い》としての原点だった。
――ああ、そうだ。
思い出してみれば、何ということもない事実だ。不都合でも何でもありはしない、それはただ当たり前の感情だった。
――私は、寂しかったのだ。
だから人形を作った。最初はそれだけの話だったのだ。
しかし、やがて私は気付いた。それは結局どこまで行っても物言わぬ人形でしかなく、決して友達の代替とはならないのだ。
だから――。
――だから?
だから私は自立人形を作ろうとした?
そうやって自ら友達の代替を作ろうとした?
そんな――そんな馬鹿馬鹿しいことのために、私は今まで?
「……違う」
「違わないわ。何一つ違いはしないのよ、アリス・マーガトロイド。今のあなたの生き方はそれこそ一人遊びでしかない。空しい一人遊びのために人間の私を殺して、魔法使いになって、そうして無意味にただ生きながらえただけ。あなたは魔法使いとなった瞬間から、何一つ変わっていないわ。何も変化していない。何も成長していない。一歩たりとも前進していない。……あなたはただ、静止しているだけ」
――静止。
魔法使いになって、永遠にも似た時を手に入れて。そうすればずっと前に進み続けられると思っていた。私は今日までずっと、前に進んでいると思っていた。
けれど実際はずっとその場で止まっていただけなのかもしれない。私の姿をした彼女の言うことはおそらく正しいのだろう。
本当のところ私は、自立人形を作ろうとなんてしていないのだ。
口では自立人形を作ることを目的と言いながら、実際は全力でそれを為そうとはしていない。
理由は単純に、怖いからだ。
自分の作った人形とさえ友達になれなかったら――。
――私は本当に独りだ。
アリス・マーガトロイドはいつも独りだった。
私は常々考えてきたそれを、どこか逆説的な考えだと思っていた。
けれど、違うのだ。
実際のそれは至極真っ当な正答であって、逆説などでは決してなかった。
私はそれを理解していた。理解をしていて、それでも決して認めようとはしなかった。何故ならそれは、私にとって不都合な事実だったから。
本当は、私は自分が独りだなんて認めたくはなかった。それが正しい答えだというのなら、私はそんなものを知りたくはなかった。
だから私はそれを知らなかったことにした。忘れたことにしたのだ。
――そうだ。
私はあのときから一歩も進んではいなかった。
私は決断を保留して、結末を先送りにして、ただその場で静止しているだけだった。
それはまるで、老いることのない人形のように。
人形は老いることなく、ただ朽ちていくだけだ。それはきっと、私も同じ――。
――そんなことを考えている私に、彼女が口を開く。
「……つまらないわ。今のあなたは、本当につまらない。今のあなたの生には何の価値もありはしない。こんな醜態を晒し続けるくらいなら、あのときに人として死んでおけばよかったのよ。私は、あなたみたいな奴のために――」
彼女は何かを言おうとして、しかしそこで口をつぐんだ。
そのかわりに、どこか悔しそうに歯を食いしばって、そして言う。
「――死ねばいいのに」
彼女がそういうと同時に、私を拘束していた糸がより強く私を縛り上げる。
息も出来ないほどに強く絡みつく糸に、やがて私は静かに意識を失った。
――――――
――――
――魚が泳いでいた。その魚は眠りながら、水の流れに誘われるようにただゆらゆらと水中を漂っている。魚は夢を見ていた。
魚は陸に上がることが出来なかった。魚は空を飛ぶことが出来なかった。
それでも夢を見ている間だけはそれらが許された。
魚が自由に陸上で生活していたらそれはどうにもおかしいだろう。魚が自由に空を飛んでいたらそれはとても奇妙なことだろう。
しかしどんなにありえないことでさえ夢は受け入れる。
魚は眠っているときは自由だった。
――否。
魚は眠っているときにこそ、本当に自由でいられた。
欲しいものを欲しいと、夢を見ている間だけは言うことが出来たのだ。
やがて魚は目を覚ます。
そして目を覚ました魚は――。
――
――――
――――――
気付くと、私は見覚えのある天井を見上げていた。普段から使っている寝台に、私はその身体を横たえている。窓の外はまだ暗い。日が昇るまではまだ少しあるような時間、静かな鳥の声だけが聞こえてきた。
どうやら私は今まで眠っていたらしい。
「あれは……夢……?」
私とよく似た姿をした、人間だった頃のアリス・マーガトロイドを名乗る彼女。それはもしかすると、私が作り出した幻だったのだろうか。
私は身体を起こそうとして寝台に手をつく。
すると――。
「痛っ……」
ふと、手首に痛みが走った。
私はその痛みの理由を知ろうと、自分の手首を見る。
手首には、糸のような細いものできつく縛られた痕が残っていた。
「これって……」
それは私にとって信じがたいことだった。
まさか夢の中での出来事が現実の私の体に傷痕を残すなんて。それはありえないことだった。だとすれば、私は考えを改める必要がある。
おそらく夢だと思っていたあの出来事は、ただの夢ではなかったのだろう。
しかし、では夢でなかったら一体何だというのか――。
私がそんなことを考えようとしたとき、ふいに家の扉を叩く音が聞こえた。どうやら来客らしい。
「こんな朝早くから、一体誰よ……」
私は思考を遮られて少し苛立ちながら呟く。
痛めている手首に気をやりながら私は寝台から起き上がると、私は玄関の方へと歩き出した。
「どちら様?」
私は扉越しに声をかける。
「私だぜ」
《私》では誰だか分からないが、その特徴的な口調から来客が魔理沙であることを知る。
それから私は人形に簡単な命令を与える。それに応じた人形は鍵をあけてドアノブにぶら下がるようにしてドアを開けた。
ドアの外には魔理沙の姿があった。魔理沙はドアノブにぶら下がった人形をじっと見つめていた。
「どうしたの、魔理沙。私の人形なんて見慣れているでしょう?」
私はそう尋ねた。
魔理沙にとっては、私の人形は別段珍しいものではないはずなのだ。
「いやまあ、それはそうなんだけどな……」
「……?」
魔理沙は何かを誤魔化すように言いよどんだ。
私はそれが何故なのか理解できず、ただ小首をかしげる。
少し気になりはするが、しかし魔理沙が言わないのであれば無理に尋ねることもないだろう。私は話題を変えるように、魔理沙に問いかける。
「まあいいわ。それで、魔理沙は一体何の用なのかしら?」
魔理沙が私の家を訪ねてくること自体はさほど珍しいことではない。しかし、こんな早朝に訪ねてくることはほとんどなかった。それだけに今回の魔理沙の来訪は日常のそれではなく、何か特別な理由があるような気がした。
「ん、いや、用というか何というか……」
しかし魔理沙は先ほどと同じようにはっきりとしない答えを返した。
よく分からないけれど、魔理沙の話は長くなりそうだった。それにまだこの時間、外はうすら寒い。
「……とりあえず、上がる?」
だから私はそういって、魔理沙を家の中に招き入れた。
テーブルに私と魔理沙は対面するように座る。
人形に温かい紅茶を入れさせながら、私は早速尋ねる。
「それで魔理沙。こんな朝早くに、どうしたのよ」
しかし魔理沙は紅茶を入れている私の人形を見つめているだけで、どうやら私の声は聞こえていないらしい。
「……魔理沙?」
「え、ああ……悪い、ちょっとぼうっとしてたぜ」
「……そう。それで、魔理沙の用件なんだけど――」
私は改めて尋ねなおす。
「ああ、うん。……あのな、アリス。多分私は今から変なことを言うと思うし、的の外れたことも言うと思う。それを怒らずに聞いてくれとは言わないけど、出来れば最後まで聞いて欲しいんだ」
「……? ……いいわ」
急に真剣な表情でそんなことを言う魔理沙を、私は不可解な面持ちで見つめながらただ一言そう返事した。
そうすると魔理沙は一度瞑目し、次の瞬間、何かを決意したように私を真っ直ぐに見つめた。
「……私は、夢を見たんだ」
「夢……?」
私は一瞬、自分の見た夢を思い出した。ずきりと、手首の痕が痛む。
「その夢にはアリスが出てきた。夢の中のアリスは悲願だった完全な自立人形を完成させていた。だから私はアリスに言ったんだ。『おめでとう』ってな。それで私は尋ねた。『次は何を作るんだ?』って。そうしたらアリスは出来た自立人形を指差して言ったんだ。『それはこの子に訊いて』って」
魔理沙は続ける。
「私はその意味がすぐに理解出来なかった。私は人形に訊きたかったわけじゃなくて、アリスに訊きたかったんだ。『アリスの次の目標は何だ?』ってな。でもアリスは答えない。……いや、答えていたんだ。ただ私が気付かなかっただけで……。次の瞬間、アリスは自分の胸をその手に持ったナイフで貫いていた――夢はそこで終わる」
世の中にはつまらない話というものが確かに存在するが、他人の見た夢の話というのはその最たるものだと私は思っている。眠っているときに見る夢なんて、それこそ何の意味も持たないただの記憶の残滓だと、私は今までずっとそう考えてきた。
けれど私は魔理沙の夢の話をじっと静かに聞いていた。それは別に、その夢に私が出てきたからというわけではない。それが関係ないとは言わないけれど、もっとも重要なのはそれが、《魔理沙から見た未来の私》の話であるという点だった。
魔理沙の夢は魔理沙の記憶の残滓によるもので、そしてそれが魔理沙にとって不自然なものでなかったからこそ――。
――だからこそ魔理沙は私を訪ねてきたのだ。
「……そう」
私はただ呟くようにそういった。
魔理沙は一呼吸置いて、また口を開く。
「夢の中のアリスには、次の目標なんてなかったんだ。ただ完全な自立人形を作れば、それで《終わり》だった。……別に、この話自体は何でもない話だぜ。ただの夢の話で、夢の中のアリスがそうだったというだけでさ。確かにそんな夢を見て私は少し不安にはなったが、所詮夢は夢だぜ。……でもな、私は考えた。『現実のアリスは、本当に夢のアリスとは違うのか?』ってな。私の知っているアリス・マーガトロイドは、自立人形を作った瞬間に終わらないと、そう断言できるのか? ……私には断言できなかったんだぜ。だって私は知らないんだ。アリスが、どうして自立人形を作ろうとしているのか。見ようによっては新たに生物を作ることと変わらない、そんな神域を侵すようなことを目指しているのか。アリスは何も語らないから、私は何も知らないんだ」
魔理沙はそんなことを言って、私の目を真っ直ぐに見据える。
魔理沙の目が私に、どうして自立人形を作ろうとしているのかを静かに尋ねていた。
私はそんな魔理沙の真っ直ぐな目が怖かった。その目は今、私の心の奥を覗こうとしている。私の醜い、そして矮小な願望を。私も直前まで忘れていた、そんな不都合な事実を――真っ直ぐに覗こうとしているのだ。
正直に話したら、私は魔理沙に見損なわれるかも知れない。それが怖くて、だから私は逃げるように言った。
「別に、大した理由なんてないわよ。便利で面白そうだから研究してる、ただそれだけよ。魔理沙だって星と光の魔法を研究してるのは派手で面白そうだからでしょう?」
あるいは、これで誤魔化せるのではないか。
そんな私の淡い期待は、しかし――。
「――確かに、私の場合はそうだぜ。でも、だからこそ私は不安になるんだ。正直な話、私は不安で不安で仕方なくて、だからこんな時間にここまで訪ねてきたんだぜ。……アリスの人形は確かに便利だよな。ドアを開けたり、紅茶を入れたり、他にも生活に必要なことは全部代わりにやらせることが出来て、な」
「……何が言いたいのよ」
私は魔理沙の言葉に棘を感じて、少しいらだったようにそう言った。
けれど魔理沙は私のそんな様子を意に介した風もなく、ただ自分の中で葛藤するように、しかしすぐに何かを決意したように私の目を見て、そして言った。
「……私は不安なんだよ。そうやってアリスが便利な人形を作って、その人形に自分の仕事を代わりにやらせて……いつか、《生きること》さえ自分の代わりに人形にやらせてしまうんじゃないか、って」
魔理沙はそう言った。
それは魔理沙の見た夢が辿った結末だった。
――ああ、そうか。
魔理沙は最初から気付いていたのだ。
私が決断を保留していることに。結末を先送りにしていることに。そしてただ、その場で静止していることに。
魔理沙から見れば、それは生きる意志に乏しいように思えただろう。
いつも前だけを見て真っ直ぐに進んでいる魔理沙からすれば、ずっと止まっているだけの私は理解しがたい存在だったに違いない。
でも、だからって――。
「――っ、あはははは」
私は笑った。
「な、何がおかしいんだよ!」
「だって魔理沙、違っ、それ、あはははは」
私はそうしてしばらくの間笑い続けた。
それが収まるまで、魔理沙は少し不機嫌そうな顔をして待っていた。
「――ごめんね、魔理沙。魔理沙が珍しく真剣に話をするから何を言い出すのかって思っていたから。でも、私が元々人間だったというのは魔理沙も知ってるでしょ? そんな私が生きることをやめるために自立人形を作ろうとして、それで魔法使いになったりしたら本末転倒じゃない。私は別に死にたがりじゃないし、生きるのを面倒に思うほど面倒くさがりでもないわ。まあ、人形にあれこれやらせているから面倒くさがりに思われても仕方ないけど……それで、もしかして魔理沙は私が死ぬ夢を見て、不安になって飛んできたの?」
「……ああ、そうだよ。アリスがいなくなってしまうような気がして、居ても立っても居られなくなって……なんだこれ、めちゃくちゃ恥ずかしいぜ」
魔理沙はそういって顔を赤くしながら俯くようにした。
それはまるで、怖い夢を見て不安に涙する小さな子供と似たような感情で――。
だからこそ魔理沙は恥ずかしいと思い、それを見た私は魔理沙にもかわいいところがあるのだと思ったのだ。
「……魔理沙は、私がいなくなったら、嫌かしら?」
ふと、どうしてか私はそんな恥ずかしいことを質問していた。
それはおそらく、目の前にいる魔理沙が素直にその感情を私に見せてくれたからなのだろう。
魔理沙は答える。
「……嫌に決まってるぜ」
「そう……そっか、そういうことだったのね」
そして私は気付いた。
どうして自分が静止しているのか。どうして自分が自立人形を全力で作ろうとしていないのか。どうして自分があんな夢を見てしまったのか。
――その夢の中で、どうして過去の自分が今の自分を責めたのか。
「……魔理沙」
「何だ?」
「ありがとう」
私は一言礼をいった。
魔理沙は何に対して礼を言われたのか分からず、ただきょとんとしていた。
「私、独りじゃなかったみたいね」
「……は? …………もしかして、アリスが自立人形を作ろうとしてたのって、自分の手で友達を作ろうとか、そんな理由なのか?」
「そうよ。……心配して損したかしら?」
「――あははは、なんだそりゃ! くだらねー!」
魔理沙がそういって笑うから。それに釣られて私も笑ってしまう。
そうして私は理解した。
私は今、幸せだったのだ。
ずっと欲しかった友達に囲まれて、幸せな時間を過ごしていた。その幸せな時間の中で私は静止していた。自立人形を作ることに全力を尽くさないのは、友達の代替としてのそれを必要としていなかったからだ。
気付いてしまえば、それは単純な理由だった。
しかしそんな単純なことにさえ、今まで私は気付けないでいたのだ。
幸せであるという現実に気付かず、どこか冷めた表情で不幸を気取っている私を、過去の私は許せなかったのだろう。
その幸せは、過去の私が欲しくても手に入れられなかったもので――。今それが手の中にあるというのに、そのことに気付かなかった私を見てやりきれない思いを持っていたに違いない。だから私はあんな夢を見た――いや、しかしそれだけでは過去の私が言っていたことのいくつかが説明出来ない。
だから私はさらに考える。
――彼女が私に見せた過去の光景。
――私の忘れてしまった不都合な事実。
――姑息に逃げ回っている。
――人間の私を殺して、魔法使いになって。
――無意味にただ生きながらえただけ。
――何も成長していない。
――何も、成長していない?
そこで私はようやく理解する。
私は過去の私と、同じ過ちを犯していた。だから彼女は私を許せなかったのだ。
――過去の私にも、友達はいたというのに。
生まれつき体が弱く、やがて大きな病気を患った私は医師に余命三ヶ月と宣告された。病床に臥して、動くことさえままならない私ではあったが、小さな頃から人形を作って遊んでいたためか、人間の身ながら人形を操る魔法を扱うことが出来ていた。その人形によって、一人で何とか生活することは出来ていたが、やはり当時の稚拙な魔法では限界があった。そこに訪ねてきたのが私と歳の近い、医師の娘だった。彼女は私を熱心に看病してくれた。けれど私はそんな彼女につらく当たった。私は彼女が医師の娘としての義務感や私に対する同情心で看病をしているのだと思っていたのだ。当時の私は結局気付くことが出来なかった。彼女がどんな気持ちで私を看病していたのか。真に、私の友達になってくれたであろう彼女に、最後までつらく当たったまま――私は種族としての魔法使いとなり、そして人里から逃げるように姿を消したのだ。
私は気付けなかった。すぐそばにあったそれに、気付くことが出来なかった。
幾星霜の年月を経て、彼女が亡くなって、そしてようやく私は彼女の本心に気付くことができた。けれどそれは私の心に後悔しか生まないものだった。それは私にとって不都合な事実だった。
だから私はそれを忘れることにした。
忘れてしまえば後悔することはない。
――けれど、その後悔を糧に成長することもまたなかったのだ。
きっと過去の私を名乗る彼女は、私のその行為を許さなかった。彼女の後悔を、私は全て無駄にしていたのだ。ただ自分の心を守るためだけに現実から姑息に逃げまわっていただけだった。
許されない。許されるはずがない。
――死ねばいいと、そう言われても仕方がない。
私はようやく全てを理解した。そうして全てを思い出したのだ。
「ねえ魔理沙、幸せになるために一番大事なことって分かる?」
「幸せになるため? ……なんだそりゃ?」
「正解は、《幸せに気付くこと》よ」
「……?」
魔理沙はどうして突然私がそんなことを言ったのか分からないと、不可解な面持ちで首をかしげる。
そうして魔理沙は少し考えていたようだが、結局考えることを諦めたようで、別の話題を口に出した。
「そういえばアリス。目的が友達を作るためだったなら、もう自立人形を作るのは止めるのか?」
魔理沙がそんなことを尋ねた。
私は答える。
「……いや、続けるわよ」
「それは、どうしてだ?」
「――だって、誰も作ったことのないモノって、面白そうじゃない」
私がそういって笑うと、魔理沙も「確かに」と言って笑った。
そんな魔理沙の顔を見て、私の欲しかったものはこんなにも身近にあったのだと気付く。近くて、当たり前のようにそこにあった。
過去の私はそのことに、失ってからようやく気付いた。私は思う。今回は失う前に気付けて本当に良かった、と。
そんなことを思って、だから私は魔理沙に言った。
「ねえ、魔理沙」
「ん、何だ?」
「後でちょっと付き合ってくれないかしら?」
「それは別に構わないが、一体どこに行くんだぜ?」
先に承諾の言葉が来る。そんな、利害を無視した関係。
今の私があるのは、やはり過去があってこそなのだ。
だから私は――。
「お墓参り。……私に大切なことを教えてくれた、私の最初の友達の、ね」
――私は彼女に謝罪と、そして何よりも感謝の言葉を伝えようと思うのであった。
とはいえ、それは私が他人と接さずにこれまで生きてきたという意味では当然無い。私は必要なものがあれば人里まで出向いて買い物をするし、人里で祭りがあれば出し物として人形劇を披露したりもする。神社で宴会があると聞けばいつも参加し、同じように集まってきた人間や妖怪たちと酒を飲み交わす。
端から見れば孤独とは縁遠い生き方をしていると、それは私自身でさえ思う。だからこそ到底孤独とはいえない私が突然「私はいつも独りだった」などと語り出したならば、私の頭がおかしくなったのではないかと心配されても不思議ではない。
しかしあえて誤解を恐れずに言えば、それでも私はいつも独りだった。
といってもこの言葉には何か深い意味があるというわけでは決してなく、ただ時折そんなことを思ってしまうことがある、といった程度の話だ。
だから言ってしまえばそれは事実ではない。嘘だと言われれば、あるいはそうなるのかもしれない。そうであればこれは単純に「私が嘘つきだった」というだけで終わる話なのだろう。
けれど、思ってしまう。
それは一度や二度ではなく、これまで幾度となく私は自分を孤独だと思ってきた。そしてそれはいつだって、他人と接しているときに限って、そう思うのだ。あるいは、他人と接しているからこそ、私はそんなことを思うのかもしれない。他人と接すれば接するほど、その相手がどこか遠くへ行ってしまうような感覚。もしかすると遠くへ行ってしまうのは私自身なのかもしれない。無意識のうちに私はその場から一歩引いて、全体を見渡すようにして、自らを傍観者としてそこに置こうとしているような――。
といってもそんなことはいくら考えても堂々巡りするだけで、あまり意味があるとは言いがたいのだけれど。
ただ、思うのだ。
――孤独というものは、もしかすると一人では感じることができないものなのではないだろうか。
一人ではあっても、独りではない。
孤立ではあっても、孤独ではない。
まるで言葉遊びだけれど、それでも私はふいにそんなことを思うのだ。
このことに関して誰かの言葉を借りるなら、それは、「孤独は山にはなく、むしろ町にある」ということになるのだろうか。
――不思議な感覚があった。
それはまるでずっと天高く浮かび上がっていくような、あるいは地の底まで果てなく落ちていくような。そういった感覚の中を、私ははっきりとしない意識のままただひたすらに漂い続けていた。
――私は一体どこへ行くのだろう。
小さな不安を覚えながら、それでも私の身体はそんな私の思考とは無関係にどこかへと向かっていく。
それはまるで、何者かに誘われているかのようだった。それこそ釣り針に食いついてしまった魚のように、しかしそれでいて逃げようともがくことさえもできない。あえてたとえるなら、今の私はそんな状況に置かれていた。
不確かな意識のまま、どこかへと浮かび上がるような、どこかへと沈んでいくような。
そして唐突に、私を包んでいた不思議な感覚が消えていく。
静止。
私は止まっていた。
もしかしたら私は最初から止まっていて、動いていたのは周りの世界だったのかもしれない。そんなことを思ってしまうほどに、私は完全に静止していた。微動だにしない。――違う、できなかった。
「――目を開けなさい」
誰かが私にそう命令する。その声で私の朦朧とした意識は徐々に晴れ渡っていく。
目を開ける。
目の前には一人の少女が立っていた。どこか見覚えのある、少女――。
――その少女は、私だった。
「なっ……」
驚きのあまり私は小さく声を漏らした。そして私は身体を動かそうとして――ようやく自分の置かれている状況に気付く。
それは限りなく細い、白銀の糸だった。
私が普段人形を操る際などに使用する、特殊な魔法の糸――それが私の全身を拘束するようにきつく絡み付いている。拘束された両手首はまるで吊るされているかのように、頭の上へと引っ張り上げられていた。下半身もスカートの上から幾重にも巻きついた糸が、両脚のふとももから足首までをきつく拘束している。そんな今の私の身体は、まるで一本の棒になったかのようだった。
ここはどこなのか。目の前にいる「私」は何者なのか。どうして私はこんな状況に置かれているのか。
私には分からないことだらけだった。
「あなたは誰?」
私は最初にそれを尋ねた。
目の前にいる彼女はそんな私を見て、クスリと嗤った。
「私? 私はアリス・マーガトロイド――。それはあなただって知っているはずよ」
「……違う」
私は彼女の言葉を否定した。
何故ならアリス・マーガトロイドとは私の名前なのだから。
それは私の名前であって、だから彼女の名前であるはずがない。私の否定の根拠はそんな単純な理屈だった。しかし単純でありながら、もしくは単純であるが故に、それは私にとって何よりも確かに信じられる根拠でありえた。もし彼女がアリス・マーガトロイドであるということを認めてしまったなら、その瞬間、私は何者でもなくなってしまう。
だから私は否定する。
彼女はアリス・マーガトロイドではない。
彼女は、「私」ではない。
「アリス・マーガトロイドは私の名前。あなたの名前ではないわ」
「……あなたも知っているはずだけど、そう。覚えてないのね」
彼女はどこか呆れたような声で呟く。
「覚えてないって、何を」
私は少し苛立った声でそう言った。というよりも、こんな身動きの取れない状況で苛立つなという方に無理があるのだけれど。
「本当に、覚えていないようね。それとも、あえて思い出さないようにしているのかしら? ――あなたは私だった、ということを」
彼女はどこか挑発するように言った。
しかし私には彼女の言葉の意味が理解できない。
――私が彼女だった?
「そう。あなたはかつて私だった。けれどあなたは私――アリス・マーガトロイドという人間を殺し、そして今のあなたになった。もちろん覚えているわよね? ……魔法使いの、アリス・マーガトロイド」
彼女は私をまっすぐと、それこそ射抜くように見ながら言う。そうしてようやく私は彼女のその言葉の意味を理解できた。
「つまりあなたは、あなたがまだ人間だった頃の私だと、そう言いたいのね?」
そう理解できたけれど――納得はできなかった。
私はかつて普通の人間として生き、そしてある日を境に魔法使いとなった。
それは確かな事実だった。
けれど私は人間だった頃の私と、魔法使いである今の私の、そのどちらもが確かに私であると思っている。私には人間だった頃の記憶も当然ある。当時の私が何を欲しがり、何を目指して生きていたのか、私は当然覚えている。そして、私の欲しいものは人間のままでは手に入れることが出来ないことを私は痛感し――だから私は魔法使いとなることを決意した。
その決断は確かに大きな決断だった。けれど私は確かに自分でよく考え、そして自分が納得した上で魔法使いになったのだ。
その決断をした私も、その後の私も――確かに種族(レース)は変わってしまったけれど――それでもそのどちらもが私だと、そんな確信が私にはある。
だからたとえどんなに姿形が私と酷似していようとも、彼女が人間だった頃の私であるという言い分を、私は認めようとは思わなかった。
過去の私は、今の私を形作る大切な一部なのだから。
「冗談はよして。私があなただったなんて、そんなこと――」
「――あるわけない? ……本当に、そう言い切れるものかしら?」
「……あなたは一体何が言いたいのよ」
彼女の勿体つけたような言い草に、私は苛立ちを隠さずにそう尋ねた。
すると彼女は呆れたように嘆息して、口を開く。
「都合のいい事ばかり覚えているようね、アリス・マーガトロイド。何も失わずに魔法使いになれるなんて、まさかそんなことを――。……いいわ、それなら思い出させてあげる。あなたが忘れてしまった、本当の過去のあなたを」
彼女はそういうと、身動きの取れない私にゆっくりと近づいてくる。
そして私の顔の前で手のひらを広げて――それを私の額に押し当てた。
ぱっと一瞬私の視界が白に染まったような気がして、次の瞬間、私の意識は闇に落ちていった。
意識が戻る。
まず視界に入ったのは見覚えのない天井だった。
私はどうやら寝台に身体を横たえているらしい。
ふと、私の意思とは無関係に私の体が動く。次の瞬間、私は寝台の上で上体だけを起こしていた。
何やら声が聞こえる。
「体調はどう?」
知らない誰かが、そんなことを尋ねた。
そして私は、やはり私の意思とは関係なく答える。
「別に、いつも通りよ。長くて一月……それは変わらないでしょう?」
どこか投げやりにそういった私。
どうやらこれはすでに起こった過去の出来事を、映像として過去の私の目を通して見せられているだけのようだ。
長くて一月――その言葉の意味を、私はすぐに理解することが出来なかった。
「確かに、その通りだけど――」
「だったら、今の体調なんて瑣末なことでしょうに。それよりも悪いけど、用件がそれだけなら早く出て行ってくれないかしら? ……私には、もう時間がないのよ」
「……そうね」
そういって知らない誰かは部屋をあとにした。
それを確認することもせず、私はすぐに身体を横たえる。そうして枕元にある作りかけの人形を手に取った。
まるで、身体を起こしていることさえ辛いといったような雰囲気で、私は――。
――そこで映像は途切れた。
目を開けると、そこには私の姿をした彼女がいた。
「……今のは、何?」
私は思わず尋ねてしまう。
「何って、あなたの過去よ」
いやらしく嗤いながら、彼女はそう言った。
「……嘘よ。私はあんな過去、知らないわ」
「嘘じゃない。あれは実際にあったこと。あなたが忘れてしまった、不都合な事実」
「不都合な、事実……?」
「……そういえばあなた、今はどんな魔法の研究をしているのだったかしら?」
私の問いかけを無視して、唐突に話題を変える彼女。
すでに主導権は彼女にあった。私は仕方なく彼女の質問に答える。
「どんな魔法って、完全な自立人形の完成よ。それがどうしたっていうのよ?」
「ならここからが本題。……あなたはそんなものを作って、一体どうしたいのかしら?」
――自立人形を作って、どうしたいのか。
というよりか、そもそも。
どうしてそんなものを作ろうと思ったのだったか。
「あれ……どうして……」
どうしてだろう。
私はそんな大切なことを思い出すことが出来なかった。
そんな私を見て、彼女は静かに口を開く。
「そういえばあなたは、こんなことを言われたことがあるわね。『人の形をしたものには心が宿る。それは妖怪と何が違うのかしら』って。その理屈で言えば、あなたが作ろうとしている自立人形というのは、人間と一体何が違うというのかしら?」
体があって、心があって――そして魂がある。
それは私の命令さえ必要とせず、自立し、自律する。
私の作ろうとしている自立人形とはそういったものだった。
それはもしかしたら、人間と何も変わらないのかもしれない。
そして、それを作ろうとすることは――。
「あなたは、神にでもなるつもり?」
――あるいは、そんな傲慢に繋がるのかもしれない。
けれど、違う。
「違う、私はそんなつもりじゃ……」
「そうね。そう、あなたは別に神になりたいわけじゃない。……ただ、孤独から抜け出したいだけ。ただそれだけのために、あなたは私の人として死ぬ権利を奪い、そして永遠にも似た時間を手に入れた」
彼女は私を睨みつけるようにして、続ける。
「そうやってあなたは決断を保留した。結末を先送りにして、あなたはただ姑息に逃げ回っているのよ……そうでしょう、魔法使いのアリス・マーガトロイド! あなたは自分が孤独だと認めたくない一心で、ただ意味も無く生きながらえているだけなのよ!」
彼女は激昂してそんなことを言った。
――決断を保留した。
そう言われて、私は昔のことを思い出す。それはまだ人間だった頃の記憶。何故か忘れていた、不都合な事実。
私は小さな頃から、どうしてか体が弱かった。体調がいいときは外で遊んで友達を作ったりもしたけれど、それでもすぐに体調を崩して長い間寝込むことも多かった。そうしてあるとき久しぶりに外に出てみると、外の世界はすでに私の知っている世界ではなかった。以前一緒に遊んだはずの友達もすでに私のことを忘れていて、私の知らない遊びに夢中になっていた。
実際のところ、それは些細なことだったと思う。どこにでもある小さな不幸だっただろう。
けれどそんなことでさえ、小さな私には大きな疎外感を残した。
そうして気付くと私は自分で人形を作って、一人で人形遊びをするようになっていた。
私は今まで忘れていたけれど。
きっと、それこそが私の《人形遣い》としての原点だった。
――ああ、そうだ。
思い出してみれば、何ということもない事実だ。不都合でも何でもありはしない、それはただ当たり前の感情だった。
――私は、寂しかったのだ。
だから人形を作った。最初はそれだけの話だったのだ。
しかし、やがて私は気付いた。それは結局どこまで行っても物言わぬ人形でしかなく、決して友達の代替とはならないのだ。
だから――。
――だから?
だから私は自立人形を作ろうとした?
そうやって自ら友達の代替を作ろうとした?
そんな――そんな馬鹿馬鹿しいことのために、私は今まで?
「……違う」
「違わないわ。何一つ違いはしないのよ、アリス・マーガトロイド。今のあなたの生き方はそれこそ一人遊びでしかない。空しい一人遊びのために人間の私を殺して、魔法使いになって、そうして無意味にただ生きながらえただけ。あなたは魔法使いとなった瞬間から、何一つ変わっていないわ。何も変化していない。何も成長していない。一歩たりとも前進していない。……あなたはただ、静止しているだけ」
――静止。
魔法使いになって、永遠にも似た時を手に入れて。そうすればずっと前に進み続けられると思っていた。私は今日までずっと、前に進んでいると思っていた。
けれど実際はずっとその場で止まっていただけなのかもしれない。私の姿をした彼女の言うことはおそらく正しいのだろう。
本当のところ私は、自立人形を作ろうとなんてしていないのだ。
口では自立人形を作ることを目的と言いながら、実際は全力でそれを為そうとはしていない。
理由は単純に、怖いからだ。
自分の作った人形とさえ友達になれなかったら――。
――私は本当に独りだ。
アリス・マーガトロイドはいつも独りだった。
私は常々考えてきたそれを、どこか逆説的な考えだと思っていた。
けれど、違うのだ。
実際のそれは至極真っ当な正答であって、逆説などでは決してなかった。
私はそれを理解していた。理解をしていて、それでも決して認めようとはしなかった。何故ならそれは、私にとって不都合な事実だったから。
本当は、私は自分が独りだなんて認めたくはなかった。それが正しい答えだというのなら、私はそんなものを知りたくはなかった。
だから私はそれを知らなかったことにした。忘れたことにしたのだ。
――そうだ。
私はあのときから一歩も進んではいなかった。
私は決断を保留して、結末を先送りにして、ただその場で静止しているだけだった。
それはまるで、老いることのない人形のように。
人形は老いることなく、ただ朽ちていくだけだ。それはきっと、私も同じ――。
――そんなことを考えている私に、彼女が口を開く。
「……つまらないわ。今のあなたは、本当につまらない。今のあなたの生には何の価値もありはしない。こんな醜態を晒し続けるくらいなら、あのときに人として死んでおけばよかったのよ。私は、あなたみたいな奴のために――」
彼女は何かを言おうとして、しかしそこで口をつぐんだ。
そのかわりに、どこか悔しそうに歯を食いしばって、そして言う。
「――死ねばいいのに」
彼女がそういうと同時に、私を拘束していた糸がより強く私を縛り上げる。
息も出来ないほどに強く絡みつく糸に、やがて私は静かに意識を失った。
――――――
――――
――魚が泳いでいた。その魚は眠りながら、水の流れに誘われるようにただゆらゆらと水中を漂っている。魚は夢を見ていた。
魚は陸に上がることが出来なかった。魚は空を飛ぶことが出来なかった。
それでも夢を見ている間だけはそれらが許された。
魚が自由に陸上で生活していたらそれはどうにもおかしいだろう。魚が自由に空を飛んでいたらそれはとても奇妙なことだろう。
しかしどんなにありえないことでさえ夢は受け入れる。
魚は眠っているときは自由だった。
――否。
魚は眠っているときにこそ、本当に自由でいられた。
欲しいものを欲しいと、夢を見ている間だけは言うことが出来たのだ。
やがて魚は目を覚ます。
そして目を覚ました魚は――。
――
――――
――――――
気付くと、私は見覚えのある天井を見上げていた。普段から使っている寝台に、私はその身体を横たえている。窓の外はまだ暗い。日が昇るまではまだ少しあるような時間、静かな鳥の声だけが聞こえてきた。
どうやら私は今まで眠っていたらしい。
「あれは……夢……?」
私とよく似た姿をした、人間だった頃のアリス・マーガトロイドを名乗る彼女。それはもしかすると、私が作り出した幻だったのだろうか。
私は身体を起こそうとして寝台に手をつく。
すると――。
「痛っ……」
ふと、手首に痛みが走った。
私はその痛みの理由を知ろうと、自分の手首を見る。
手首には、糸のような細いものできつく縛られた痕が残っていた。
「これって……」
それは私にとって信じがたいことだった。
まさか夢の中での出来事が現実の私の体に傷痕を残すなんて。それはありえないことだった。だとすれば、私は考えを改める必要がある。
おそらく夢だと思っていたあの出来事は、ただの夢ではなかったのだろう。
しかし、では夢でなかったら一体何だというのか――。
私がそんなことを考えようとしたとき、ふいに家の扉を叩く音が聞こえた。どうやら来客らしい。
「こんな朝早くから、一体誰よ……」
私は思考を遮られて少し苛立ちながら呟く。
痛めている手首に気をやりながら私は寝台から起き上がると、私は玄関の方へと歩き出した。
「どちら様?」
私は扉越しに声をかける。
「私だぜ」
《私》では誰だか分からないが、その特徴的な口調から来客が魔理沙であることを知る。
それから私は人形に簡単な命令を与える。それに応じた人形は鍵をあけてドアノブにぶら下がるようにしてドアを開けた。
ドアの外には魔理沙の姿があった。魔理沙はドアノブにぶら下がった人形をじっと見つめていた。
「どうしたの、魔理沙。私の人形なんて見慣れているでしょう?」
私はそう尋ねた。
魔理沙にとっては、私の人形は別段珍しいものではないはずなのだ。
「いやまあ、それはそうなんだけどな……」
「……?」
魔理沙は何かを誤魔化すように言いよどんだ。
私はそれが何故なのか理解できず、ただ小首をかしげる。
少し気になりはするが、しかし魔理沙が言わないのであれば無理に尋ねることもないだろう。私は話題を変えるように、魔理沙に問いかける。
「まあいいわ。それで、魔理沙は一体何の用なのかしら?」
魔理沙が私の家を訪ねてくること自体はさほど珍しいことではない。しかし、こんな早朝に訪ねてくることはほとんどなかった。それだけに今回の魔理沙の来訪は日常のそれではなく、何か特別な理由があるような気がした。
「ん、いや、用というか何というか……」
しかし魔理沙は先ほどと同じようにはっきりとしない答えを返した。
よく分からないけれど、魔理沙の話は長くなりそうだった。それにまだこの時間、外はうすら寒い。
「……とりあえず、上がる?」
だから私はそういって、魔理沙を家の中に招き入れた。
テーブルに私と魔理沙は対面するように座る。
人形に温かい紅茶を入れさせながら、私は早速尋ねる。
「それで魔理沙。こんな朝早くに、どうしたのよ」
しかし魔理沙は紅茶を入れている私の人形を見つめているだけで、どうやら私の声は聞こえていないらしい。
「……魔理沙?」
「え、ああ……悪い、ちょっとぼうっとしてたぜ」
「……そう。それで、魔理沙の用件なんだけど――」
私は改めて尋ねなおす。
「ああ、うん。……あのな、アリス。多分私は今から変なことを言うと思うし、的の外れたことも言うと思う。それを怒らずに聞いてくれとは言わないけど、出来れば最後まで聞いて欲しいんだ」
「……? ……いいわ」
急に真剣な表情でそんなことを言う魔理沙を、私は不可解な面持ちで見つめながらただ一言そう返事した。
そうすると魔理沙は一度瞑目し、次の瞬間、何かを決意したように私を真っ直ぐに見つめた。
「……私は、夢を見たんだ」
「夢……?」
私は一瞬、自分の見た夢を思い出した。ずきりと、手首の痕が痛む。
「その夢にはアリスが出てきた。夢の中のアリスは悲願だった完全な自立人形を完成させていた。だから私はアリスに言ったんだ。『おめでとう』ってな。それで私は尋ねた。『次は何を作るんだ?』って。そうしたらアリスは出来た自立人形を指差して言ったんだ。『それはこの子に訊いて』って」
魔理沙は続ける。
「私はその意味がすぐに理解出来なかった。私は人形に訊きたかったわけじゃなくて、アリスに訊きたかったんだ。『アリスの次の目標は何だ?』ってな。でもアリスは答えない。……いや、答えていたんだ。ただ私が気付かなかっただけで……。次の瞬間、アリスは自分の胸をその手に持ったナイフで貫いていた――夢はそこで終わる」
世の中にはつまらない話というものが確かに存在するが、他人の見た夢の話というのはその最たるものだと私は思っている。眠っているときに見る夢なんて、それこそ何の意味も持たないただの記憶の残滓だと、私は今までずっとそう考えてきた。
けれど私は魔理沙の夢の話をじっと静かに聞いていた。それは別に、その夢に私が出てきたからというわけではない。それが関係ないとは言わないけれど、もっとも重要なのはそれが、《魔理沙から見た未来の私》の話であるという点だった。
魔理沙の夢は魔理沙の記憶の残滓によるもので、そしてそれが魔理沙にとって不自然なものでなかったからこそ――。
――だからこそ魔理沙は私を訪ねてきたのだ。
「……そう」
私はただ呟くようにそういった。
魔理沙は一呼吸置いて、また口を開く。
「夢の中のアリスには、次の目標なんてなかったんだ。ただ完全な自立人形を作れば、それで《終わり》だった。……別に、この話自体は何でもない話だぜ。ただの夢の話で、夢の中のアリスがそうだったというだけでさ。確かにそんな夢を見て私は少し不安にはなったが、所詮夢は夢だぜ。……でもな、私は考えた。『現実のアリスは、本当に夢のアリスとは違うのか?』ってな。私の知っているアリス・マーガトロイドは、自立人形を作った瞬間に終わらないと、そう断言できるのか? ……私には断言できなかったんだぜ。だって私は知らないんだ。アリスが、どうして自立人形を作ろうとしているのか。見ようによっては新たに生物を作ることと変わらない、そんな神域を侵すようなことを目指しているのか。アリスは何も語らないから、私は何も知らないんだ」
魔理沙はそんなことを言って、私の目を真っ直ぐに見据える。
魔理沙の目が私に、どうして自立人形を作ろうとしているのかを静かに尋ねていた。
私はそんな魔理沙の真っ直ぐな目が怖かった。その目は今、私の心の奥を覗こうとしている。私の醜い、そして矮小な願望を。私も直前まで忘れていた、そんな不都合な事実を――真っ直ぐに覗こうとしているのだ。
正直に話したら、私は魔理沙に見損なわれるかも知れない。それが怖くて、だから私は逃げるように言った。
「別に、大した理由なんてないわよ。便利で面白そうだから研究してる、ただそれだけよ。魔理沙だって星と光の魔法を研究してるのは派手で面白そうだからでしょう?」
あるいは、これで誤魔化せるのではないか。
そんな私の淡い期待は、しかし――。
「――確かに、私の場合はそうだぜ。でも、だからこそ私は不安になるんだ。正直な話、私は不安で不安で仕方なくて、だからこんな時間にここまで訪ねてきたんだぜ。……アリスの人形は確かに便利だよな。ドアを開けたり、紅茶を入れたり、他にも生活に必要なことは全部代わりにやらせることが出来て、な」
「……何が言いたいのよ」
私は魔理沙の言葉に棘を感じて、少しいらだったようにそう言った。
けれど魔理沙は私のそんな様子を意に介した風もなく、ただ自分の中で葛藤するように、しかしすぐに何かを決意したように私の目を見て、そして言った。
「……私は不安なんだよ。そうやってアリスが便利な人形を作って、その人形に自分の仕事を代わりにやらせて……いつか、《生きること》さえ自分の代わりに人形にやらせてしまうんじゃないか、って」
魔理沙はそう言った。
それは魔理沙の見た夢が辿った結末だった。
――ああ、そうか。
魔理沙は最初から気付いていたのだ。
私が決断を保留していることに。結末を先送りにしていることに。そしてただ、その場で静止していることに。
魔理沙から見れば、それは生きる意志に乏しいように思えただろう。
いつも前だけを見て真っ直ぐに進んでいる魔理沙からすれば、ずっと止まっているだけの私は理解しがたい存在だったに違いない。
でも、だからって――。
「――っ、あはははは」
私は笑った。
「な、何がおかしいんだよ!」
「だって魔理沙、違っ、それ、あはははは」
私はそうしてしばらくの間笑い続けた。
それが収まるまで、魔理沙は少し不機嫌そうな顔をして待っていた。
「――ごめんね、魔理沙。魔理沙が珍しく真剣に話をするから何を言い出すのかって思っていたから。でも、私が元々人間だったというのは魔理沙も知ってるでしょ? そんな私が生きることをやめるために自立人形を作ろうとして、それで魔法使いになったりしたら本末転倒じゃない。私は別に死にたがりじゃないし、生きるのを面倒に思うほど面倒くさがりでもないわ。まあ、人形にあれこれやらせているから面倒くさがりに思われても仕方ないけど……それで、もしかして魔理沙は私が死ぬ夢を見て、不安になって飛んできたの?」
「……ああ、そうだよ。アリスがいなくなってしまうような気がして、居ても立っても居られなくなって……なんだこれ、めちゃくちゃ恥ずかしいぜ」
魔理沙はそういって顔を赤くしながら俯くようにした。
それはまるで、怖い夢を見て不安に涙する小さな子供と似たような感情で――。
だからこそ魔理沙は恥ずかしいと思い、それを見た私は魔理沙にもかわいいところがあるのだと思ったのだ。
「……魔理沙は、私がいなくなったら、嫌かしら?」
ふと、どうしてか私はそんな恥ずかしいことを質問していた。
それはおそらく、目の前にいる魔理沙が素直にその感情を私に見せてくれたからなのだろう。
魔理沙は答える。
「……嫌に決まってるぜ」
「そう……そっか、そういうことだったのね」
そして私は気付いた。
どうして自分が静止しているのか。どうして自分が自立人形を全力で作ろうとしていないのか。どうして自分があんな夢を見てしまったのか。
――その夢の中で、どうして過去の自分が今の自分を責めたのか。
「……魔理沙」
「何だ?」
「ありがとう」
私は一言礼をいった。
魔理沙は何に対して礼を言われたのか分からず、ただきょとんとしていた。
「私、独りじゃなかったみたいね」
「……は? …………もしかして、アリスが自立人形を作ろうとしてたのって、自分の手で友達を作ろうとか、そんな理由なのか?」
「そうよ。……心配して損したかしら?」
「――あははは、なんだそりゃ! くだらねー!」
魔理沙がそういって笑うから。それに釣られて私も笑ってしまう。
そうして私は理解した。
私は今、幸せだったのだ。
ずっと欲しかった友達に囲まれて、幸せな時間を過ごしていた。その幸せな時間の中で私は静止していた。自立人形を作ることに全力を尽くさないのは、友達の代替としてのそれを必要としていなかったからだ。
気付いてしまえば、それは単純な理由だった。
しかしそんな単純なことにさえ、今まで私は気付けないでいたのだ。
幸せであるという現実に気付かず、どこか冷めた表情で不幸を気取っている私を、過去の私は許せなかったのだろう。
その幸せは、過去の私が欲しくても手に入れられなかったもので――。今それが手の中にあるというのに、そのことに気付かなかった私を見てやりきれない思いを持っていたに違いない。だから私はあんな夢を見た――いや、しかしそれだけでは過去の私が言っていたことのいくつかが説明出来ない。
だから私はさらに考える。
――彼女が私に見せた過去の光景。
――私の忘れてしまった不都合な事実。
――姑息に逃げ回っている。
――人間の私を殺して、魔法使いになって。
――無意味にただ生きながらえただけ。
――何も成長していない。
――何も、成長していない?
そこで私はようやく理解する。
私は過去の私と、同じ過ちを犯していた。だから彼女は私を許せなかったのだ。
――過去の私にも、友達はいたというのに。
生まれつき体が弱く、やがて大きな病気を患った私は医師に余命三ヶ月と宣告された。病床に臥して、動くことさえままならない私ではあったが、小さな頃から人形を作って遊んでいたためか、人間の身ながら人形を操る魔法を扱うことが出来ていた。その人形によって、一人で何とか生活することは出来ていたが、やはり当時の稚拙な魔法では限界があった。そこに訪ねてきたのが私と歳の近い、医師の娘だった。彼女は私を熱心に看病してくれた。けれど私はそんな彼女につらく当たった。私は彼女が医師の娘としての義務感や私に対する同情心で看病をしているのだと思っていたのだ。当時の私は結局気付くことが出来なかった。彼女がどんな気持ちで私を看病していたのか。真に、私の友達になってくれたであろう彼女に、最後までつらく当たったまま――私は種族としての魔法使いとなり、そして人里から逃げるように姿を消したのだ。
私は気付けなかった。すぐそばにあったそれに、気付くことが出来なかった。
幾星霜の年月を経て、彼女が亡くなって、そしてようやく私は彼女の本心に気付くことができた。けれどそれは私の心に後悔しか生まないものだった。それは私にとって不都合な事実だった。
だから私はそれを忘れることにした。
忘れてしまえば後悔することはない。
――けれど、その後悔を糧に成長することもまたなかったのだ。
きっと過去の私を名乗る彼女は、私のその行為を許さなかった。彼女の後悔を、私は全て無駄にしていたのだ。ただ自分の心を守るためだけに現実から姑息に逃げまわっていただけだった。
許されない。許されるはずがない。
――死ねばいいと、そう言われても仕方がない。
私はようやく全てを理解した。そうして全てを思い出したのだ。
「ねえ魔理沙、幸せになるために一番大事なことって分かる?」
「幸せになるため? ……なんだそりゃ?」
「正解は、《幸せに気付くこと》よ」
「……?」
魔理沙はどうして突然私がそんなことを言ったのか分からないと、不可解な面持ちで首をかしげる。
そうして魔理沙は少し考えていたようだが、結局考えることを諦めたようで、別の話題を口に出した。
「そういえばアリス。目的が友達を作るためだったなら、もう自立人形を作るのは止めるのか?」
魔理沙がそんなことを尋ねた。
私は答える。
「……いや、続けるわよ」
「それは、どうしてだ?」
「――だって、誰も作ったことのないモノって、面白そうじゃない」
私がそういって笑うと、魔理沙も「確かに」と言って笑った。
そんな魔理沙の顔を見て、私の欲しかったものはこんなにも身近にあったのだと気付く。近くて、当たり前のようにそこにあった。
過去の私はそのことに、失ってからようやく気付いた。私は思う。今回は失う前に気付けて本当に良かった、と。
そんなことを思って、だから私は魔理沙に言った。
「ねえ、魔理沙」
「ん、何だ?」
「後でちょっと付き合ってくれないかしら?」
「それは別に構わないが、一体どこに行くんだぜ?」
先に承諾の言葉が来る。そんな、利害を無視した関係。
今の私があるのは、やはり過去があってこそなのだ。
だから私は――。
「お墓参り。……私に大切なことを教えてくれた、私の最初の友達の、ね」
――私は彼女に謝罪と、そして何よりも感謝の言葉を伝えようと思うのであった。
誰の日常にも当てはまる永遠の命題だと思います。
魔理沙とアリスの会話も良い感じでした。
ハッピーエンドで良かった。というか、こんな素敵な奴がいるのに友達いないとかそんな結論に達したりしたらいくらアリスでも許さねえ。ちくしょう、俺も魔理沙みたいな友達欲しい。
やはりアリスの自立人形の話は人それぞれの考え方があって面白いです。
いいお話でした
なるほど…