―――ある朝霊夢は異変を解決し、機嫌良く薄紫色の空に舞っている。
臆病であることが何よりも嫌いな村人が一人幻想郷の土地に居た。幻想郷は妖怪が主役として語られる事が多いけれども結構人間が居るようだからそんな人も一人は居るだろう。
彼は、臆病であることが嫌いであるのに見た目も評判も英雄豪傑といった風ではない。と言って痩せていたり又病弱であったりという訳でもない。細工が得意で、それで食っているような男。で、臆病であることが嫌い。それは臆病である事が嫌いなのであって……、臆病と思われ笑われる事が嫌いであるのとは違う。臆病と思われるのを嫌う態度は寧ろ彼の嫌悪するところであった。そういう勇者気取りは所詮臆病と思われることにたいして臆病なのだと思っていた。それで自分の行動に、無意味な制約を設けている。
彼の持論では、人間はもっと自由である筈なのだ。何に対しても、もし臆病であると、人は本当なら出来る筈の事を、恐怖のせいで出来ない。出来ないと思い込んだままである。自分の利害に著しく影響する訳ではないこともだ。リスクと利益を考えればしてもよい、又はするべきである筈の事をしない。彼は行為において臆病である事が嫌だった。
例えば行為の善悪についても、ふつう人が悪行をしないというのは単に死後地獄に堕ちるとか、生きているうちになら刑務所に送られるとか、村八分にされるとか巫女に裁かれるといった事を、恐れている、恐怖から出た行いに他ならないのではないか、と彼は考える。悪事と言ったって、案外大した事はないのかもしれないぜ、と。だがそれをもって結論とするにはまだ少し距離が有った。
悪を語るには悪を知っていなければならない。彼は思った。悪を行う事のリスクを実際極めて精確に知っていなければなるまい、と。悪とは何であろう。罪悪感や良心の呵責は実際耐えられないものなのか? 捕まる、という事が全てではないにせよ、例えば、罪を犯しておいて誰にも捕まらないというのは、そんなに難しいことなのか? 自分のあるいは他人のルールを破るという事は、問題解決目的遂行の為にとる方策として、本当に、割に合わない手段なのか。
ある時気が付けば彼は暇な時間には、いや仕事中にも、寝ている間にもずっとそういうことを考えていた。ところがこうして思索を行う事自体が、彼自身をひどく臆病にしてしまう事にも、彼は気付く。思索は行動の為の時間を否が応にもどんどん奪うのだ。彼は自分が思索にかまけて、善も悪も、本当には為していない事に驚く。
彼は知らないが、思索の八割は臆病であるがゆえに為されるのであると言った哲学者が外界には居た。無論知っても彼はその説を支持しやしないだろうが、それでも彼は思索そのものが目的になっていないかと疑いながら、注意深く、行動に向けて思索を高め、計画を進め、思慮を深めていこうとした。悪を知るには、やはり悪を行う事であろう。それで悪のもたらす害悪と神秘が実は思ったより大いなるもので、それに驚愕するか、そうでなければ悪なんてやっぱり大した事無いな、と笑ってやるか、自分の手段の一つとして備え躊躇わずに遂行出来るようになるのだ。煙草を自分で、試しにちょっと吸ってみてから、やはりこれは百害有って一利なしだよ、とまた強い自分の意思でやめてしまうように。では、どう行動するのがよいか。
そう、結局行動が全てである。行動をして経験を積まねばならぬ。悪を行なわずに悪を知る事は出来ない。何もせずに善悪について、本質的には行動の持つ性質であるそれらについてあれこれ考えるのは、中世の学者たちが人体を解剖せずに男と女で肋骨の数は違うのかと議論を重ねていたのと、全く同じくらいに滑稽ではないか。それで行うとしたら、無駄を省いて、なるべく一回でやりたい、それには大きな悪でなくては駄目だ。スリルを楽しみたい人がちょろっと小さい店で万引きなどして犯罪を知ったと思うのは、また比喩を使うが、それはつまりコップ一杯の塩水を見て私は海を知ったと公言するようなものだ。大きな悪でなくては駄目だ。大きな悪!
大きな悪とは何であろうか。何か密室とか使って、極めて細密に手の込んだ、探偵小説に描かれるような完全犯罪をするのはどうか、とも彼は考えたが……、彼は嘆息する、駄目なんだな、これが。捕まらない事に最大の注意を向けても仕方がないのだ。ああいうのは、犯人の好敵手に相応しい探偵に解きほぐされて完全犯罪とは最大の犯罪でも最高の犯罪でもない。性質としては上手な万引きに似ている。あるいは、逃走経路を周到に用意したピンポンダッシュ。それよりは、激情、捕まってもいいから、殺したいから殺すという殺人のほうが、いくらか高貴で、犯罪というものの本質に関係しそうだ。万引きよりは銀行強盗である。もちろん捕まりたくはない、捕まりたくはないのだが……、それは犯罪のスケールとはまた別に規定される事のように思えた。だから、捕まらない事に注ぐ努力は寧ろ、最小限でなくてはならない。
では誰かを誘拐して、身代金を要求し、せしめておきながら、卑劣! 残酷なやり方でその子を殺してしまうというのはどうか、と思ったが、それも足りない。犠牲者、迷惑を被る人たちは、所詮一部の市民に過ぎないのだ、なんともスケールの小さい話ではないか。もっと歴史に残るような事は出来ないのか。
それで引き続き大きな悪とはなんであろうか、と幾日か考えたときに、やはり大きさを保証するのに最も確かであるのが世間からの認識ではないか、と彼には思われた。さっき完全犯罪として一つ、ばれない殺人を考えたが、殺人が何故悪事の代表格として探偵小説などで扱われるのかと言うと、他人の運命に干渉してその人の命を、未来を、永遠に奪ってしまうからだとか、何をしても不可逆だとか死は誰もが避けたいのだとかそういう以前に、世間からの認識(あるいは読者の認識)では、極めて大きな悪である為、というのが有るだろう。小説では取り上げにくくなるが強盗殺人になるともっと悪い。もっと悪いことだと認識されているからである。爆弾で人をふっ飛ばしたり、ビルをふっ飛ばしたりすると余計迷惑の度合いが上がって良い。それも、昼日中から堂々と行われるのが良いようだ。
なるべく大勢の人を困らせる悪というと、いわゆる異変だろうか。幻想郷名物。だがそれを起こす能力が自分に有るのかと考えた時に、甚だ疑わしかった。初動は首尾よく異変を起こせた所で、人里の自警団あたりが出てきて自分を葬り難なく解決、、とされてしまう可能性も少なくなかった。不確定要素が多すぎる。又異変の主催者として名乗りを上げたら、その上で更に自分の生き方を決めるというのが難しくなってしまいそうではないか。第一物凄く手間がかかる。それにもともと、そう世間に迷惑をかけたい訳ではなかった。
それから二日考えて、大きな悪というなら、なるべく有名な人を殺すのが、話題にもなっていいのではないかと思われた。
例えば、平成を終わらせるとか。こんなものはほとんど冗談の一つだ。実際余りに非現実的過ぎる。男は外の世界に出た事が無いし、天皇陛下はいつも多くのボディガードに守られているだろう。実現不可能だ。それで、もっと身近に、この幻想郷に居る標的を殺す事にした。しかも自由気ままに飛んでいる。標的は博麗霊夢だ。
博麗霊夢は、ある日、霧雨魔理沙と遊ぶだろう。射命丸文とは頭の良い風にレトリックの散りばめられた会話を試みるだろう、又レミリア・スカーレットに抱きつかれるだろう。彼女も又彼と同じ世界に住んでいるのだ、彼もまた彼女と同じ世界に住んでいるのだ、と言った方が良いかもしれないが。賽銭は少ないが、人、妖怪問わず人気が有る。異変(つまりはとにかく大勢の他人に迷惑をかける行いだ)が有れば飛んでいって、それを大抵の場合力尽くで……解決する。霧雨魔理沙とともに、以前は十六夜咲夜とも並んで、八雲紫をサポートに付けたり、最近では東風谷早苗、魂魄妖夢とともに、空飛ぶ船を追ったり、神霊どもの出所を探したりしている。
ではどういう時に、彼女を殺せるだろうか。男は空想を巡らせる。
今この瞬間、博麗神社の縁側ででもお茶を飲んでいるだろう、霊夢をそこに押し入って殺すのはあまり賢い方策ではない。
何しろ男は弱い村人である。博麗霊夢は強い。多分幻想郷の人間で一番強い。他の方法を取らねばならぬ。
ここに、その強弱の関係を逆転させうる武器を仮想しよう。彼の所有する一丁の銃。勿論彼はまだ所有していない。これから獲得するのだ。古い、幻想入りした銃を持っている知り合いを知っている。借りるか買うかすれば良いだろう。いくらかの銃弾も何処かから買えるだろう。これでバーン!! と撃てばそれで仕舞いだ。ライフル銃が望ましい。確か知り合いが持って得意気にしていたのも、確か狙撃用のライフル銃だった筈だ。
十分な練習も密かに積もう。悪を行い、生き方を決めるためには苦痛でもなんでもない。いや、銃を好きになろう。彼は、自分で自分を穏やかで、人を傷つけない性質だと思っていたが、同時に、いざという時にはいかに残酷にも冷酷にもなる事が出来る筈だと思っていた。それが彼にとって自由という事だから。
博麗霊夢を狙撃する、博麗霊夢に恨みは無いが。その計画を立てる。もはや異変が効率的に解決されなくなったとして、絶妙に生活に支障を生じない程度の迷惑を被るだろう。外の世界の人たちも。もう東方シリーズの新作は発表されない事になる! 姿の見えぬ犯人は、そうしてみんなに憎まれるだろう。大いなる悪だ!
でもその時、彼は派手な弾幕を残さない。綺麗な弾幕をばらまいて、自分を誇る事をしない。実際そういう事に価値を見いだせないのだった。そもそもできやしないし。一人の小さな市民である。弾幕ごっこをするのは少女たちだけだと決まっているのだ。又テーマソングを流したりもしない。作曲は面倒だ。ただ一発、ただの一発だけだ。それで日は登り始めても、まだ暗い、そんな時間の空に溶けこむように、彼はふっと消える。おまけに彼には動機が無い。誰も彼が犯人だとは思わないだろう。そう誰も……。過去を見通す目でも持っていない限りは。
例えば……男は空想する、永遠亭の蓬莱山輝夜か他の誰か、又はまだ出て来てない新たな敵役が、いつか何か不届きな異変を起こすだろう。それでみんなが大いに迷惑する。博麗霊夢の出動だ。
霊夢は気ままに飛ぶ。勘で飛ぶ。勘が彼女を異変の原因となる土地、人物へと導くのだ。そこに思考は無い。そして立ちはだかる敵どもを又それも勘と熟練の経験によって、機械のように、撃退し、撃墜し、敵の首魁を追う。
やがてそいつが追い詰められて言うのだ。
「さぁそろそろ、心の準備は出来たかしら」
「出来てない」
「今まで、何人もの人間が敗れ去っていった五つの難題。貴方達に幾つ解けるかしら?」
気の抜けたやり取り。それで長々と弾幕勝負が有って、美しい弾幕、それを相互に張り合うのだ、でもいずれ、必ず、決まって最後には何かの理由で博麗霊夢が勝ち、敵は墜ちる。それはほとんど予定調和だ。決まっている事だ。
そうして巫女は、異変を起こす、悪を行うという方策が、引き合わない手段であると、教える。教える……悪や騒動が割に合わないとはもしかしたら事実ではないかもしれないが、巫女は実際価値観を暴力によって押し付けている。それを事実にしている。実際幻想郷を守っている……素晴らしいことだ!
かくして事件が解決した頃、ちょうど夜が明ける。黎明の、日の出の前の光を浴びて、霊夢はほんの一瞬だけ、振り返るだろう。自分の仕事を誇るように、空中で、照らし出される、楽園の素敵な巫女、その時男の潜んでいる、待ち構えていた草むらが、暗闇が、あるいは物陰が、キラリ、光る! 今の一瞬がスキだったのだ。とほとんど同時に彼女は文脈外の攻撃に頭を撃ち抜かれて死ぬのだ。ライフルはサイレンサー付き。狙撃用なら一キロメートルくらい離れても当たる。ほとんど音なんてしやしないし、仮に音が鳴っても弾丸が音より速いので、銃声は遅れて聞こえてくるのだ。
死体の耳に。多分右のこめかみに入った銃弾が、皮を焦がし、側頭骨をバリンと割って、ちょっと軌道を歪められながらも、硬膜を破って桃色がかったクリーム色の……あのイチゴ豆腐のような脳味噌に侵入し、組織を巻き込み傷つけながら、軌道を曲げられ、左の頬骨のあたりから出ていく。一発で致命傷だ。その衝撃で巫女は吹き飛ばされ、地面に落ちていく。その、途中、落ちていく途中、もはや巫女ではない死体の耳には、銃声の残滓がかすかに聞こえるかもしれない、それに何の意味があろう、落ちて、その衝撃はまた死体を傷つけるだろう、打撲傷、擦過傷、背骨がきっとボキンと折れる、そして嗚呼、血潮は大地に広がり、汲めども尽きず。あわれ血潮は汲めども尽きず!!
誰がそれをやったかは、彼以外にはわからない。すぐに彼は立ち去るからだ。銃も処分するか持ち主に返す。動機も無い。誰も彼には辿り着けない。弱き村人たちの誰が、みんなの人気者たる博麗霊夢をわざわざライフル銃で狙撃しようとするだろうか。だがここに確かに一個の悪が為された、それも考えうるうちで最大の悪の一つが。彼自身は、自分がそれをやった事を知っている。自分が知っているという事が重要なのだ。確かに経験したという事が。それ以外は重要ではない。
だが実は密かに興味が持たれる事も有る。一つ。最大の悪が確かになされ、それをなした者が今も生きて何処かに居るという事実は、妖怪のボスや一級のヴィラン、並み居る悪党たちをして悪の信奉に新たなる自信を持たせしめるだろうか。それとも彼らは強敵、好敵手の理不尽な死を悼み、逆に意気消沈し、更に犯人を強く憎むだろうか。
そうだ、きっと証明しよう。彼は巫女の殺害をもって今から言う事を証明すると決めた。行為の善悪とは、その大きさも含めて、人には結局属しないものだ。心の底まで利己と傲慢に凝り固まった悪の権化の盗人が、ある日ふとした気紛れで、足の下に入った小さい子蜘蛛を見逃す事も、有り得ないとは言えないように、特に悪質な精神も無く、能力も無く、弱い村人が、強力で陰惨残虐な吸血鬼どもにさえ憎まれ忌み嫌われるほどに、最低の悪事を行う事も有るのだ。
そうして彼がそれからの人生を自分の意思で、善を選択して平凡な罪なき市民として生きていくとすれば、彼は信じていた、信じている、それこそ最も偉大な生である、そう、それほど強力に、道徳的に意味の有る行動は無い、嗚呼他にそんな行動は無い!! さあ、銃を借りに行こう!!
非常に不愉快でした
誰が読むのか分かってる?
あれと違ってオチてないけど
全く意味不明でした。
共感を誘わない(なんかしょぼい)語り手は設定としてはいいと思う。
本文中、標的は博麗霊夢だ、まで幻想郷的リアリティに欠ける点が不自然。
それに幻想郷キャラが出てから微妙に文体が違う。
前半では議論調の馬鹿馬鹿しさが、質は微妙だけれど一応ユーモアの形を成していた。
後半でユーモアが展開しないで陶酔的なテロルに至るのが謎。作者の意図が謎。
色気がないという表現は、それは何か違う……(チルノ談)。
彼が悪事というものを知れたのなら幸いです。
多くの人には波長が合わないであろうことは容易に推測できる
そっと評価されるべき
この「彼」は結局、臆病なのだと思います。「思索の八割は臆病」とは言った物です。
悪意のない自覚的な悪である彼に私は感じ入ります。
ただし彼の犯行計画はずさんで稚拙であるように思います。ライフル銃で巫女が殺せるとは考えられません。仮に殺せたとしても逃げ切れるとは考えられません。二次創作である以上、作品の不備であるように思えます。
アンチマテリアルライフルクラスなら届くだろうけど、サイレンサーを付けるにはマズルブレーキ取らないといけなくてこれも射程が落ちる
自分が何をしても敵わない相手の怒りを買った恐怖と、死への恐怖を前にしても、彼は自分が臆病ではないと言い続けられるのでしょうかね?