Coolier - 新生・東方創想話

博麗霊夢の日常 ~霍 青娥編~

2011/10/20 16:53:22
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 博麗神社――、の台所。

「♪フンフ~ンフフフ~ン」

 まな板の上で一定のリズムで食材の切れる音と包丁がまな板を叩く音が響いている。台所に立っているのはもちろんこの神社の主、博麗霊夢だ。鼻歌交じりに夕餉の支度をこなしている。
 時間はもう陽が沈むまで間もなくといったところだ。今日の神社は何事もなく平和だった。暇な魔法使いやら妖怪やら誰かしらが、日に一度は顔を出しては茶をせがみ菓子をせがみどうでもいい話をして帰っていくのが彼女にとっての日常だったので、そういう意味では珍しい日だったのだ。
 今日彼女に残された仕事と言えば、自分の夕餉を平らげ、風呂で汗を流し、月を眺めながら独りで静かに酒を呑み、今日干したばかりのふかふかの布団で気持ち良く眠りにつくことだけであった。

「♪フフ~ン」

 おかげ様で上機嫌である。霊夢がこれほどにまで上機嫌であるのは、今日一日の珍しさ以上の珍しさだ。「霊夢の機嫌が良いと雨が降るぜ」とは彼女の友人、霧雨魔理沙の弁だが、どちらかと言うと晴れの日が多い。適当に言っていただけである。
 人の幸不幸で天気が突然変わるわけなどないが、人の幸不幸は案外突然変わってしまう。一寸先は闇という言葉があるくらいなのだから。
 そして闇は訪れた。やはり唐突に。キャベツを千切りにしていた霊夢の包丁が、何十往復目かになるキャベツ切りへと振り下ろされようとした時に。

がきぃっ――!

 霊夢の手に残った感触は、おおよそキャベツを切ったものとは程遠く、まったくの異物だった。そう、それはまさしく岩。安い刃物では簡単に負けてしまう頑丈な岩であった。
 道理でおかしな音がするわけだ。道理で反動で手が痺れるわけだ。道理で包丁が砕けてしまっているわけだ。
 霊夢はこの一瞬で起こった出来事を、当たり前に過ぎていこうとした日常の一コマに滑り込んだ『異変』について、ゆっくり一つ一つ確認するように思い出していった。

「こんばんわ~」

 すると、岩が喋った。千切りにしたキャベツを乗せた岩が。キャベツの間からちらほらと覗く岩肌は青かった。
 さらに珍妙な事に、その岩には妙な輪っかが備わっていた。しかも2つである。そして岩と輪っかを繋ぎとめているかのように、先端がこれまた妙な形状をした棒がくっ付いていた。

「……何の用よ?」

 霊夢は喋る岩に向かって言葉を返す。
 否、岩ではない。それは単なる比喩表現であって、霊夢は少々の間だけでも現実を逃避したかっただけである。
 目の前にいるのは紛れも無く岩などではなく、かといって人でもない、妖の類である。でなければ、台所に突如として穴が出現し、その穴から包丁を平気な顔をして砕く頑丈さを有している何者かがひょっこり頭を出してくることの説明がつかないからだ。
 霊夢の言葉に反応するかのように、青い髪の、頭頂部しか見えていなかった妖の者がするすると霊夢の前に顔を現した。

「吃驚した?」

 笑顔でそう言ったのは、未だキャベツを頭に乗せていることをまるで意に介していない様子の邪仙、霍青娥だった。
 邪仙。邪の道を往く仙人。キャベツが頭部に乗っている程度で心動かされない超然としている辺りが、腐っていても仙人たる所以なのだろうかと、一瞬霊夢は思ったがそんな事はどうでもいい事で、実際霊夢はどうでもいいとすぐに切り替えた。
 それよりも、霊夢の思考はこの眼前の邪仙に対する怒りで最早埋め尽くされていた。

「もう、感想くらい言って欲しいわね……よっこいしょ」

 穴の縁に手をかけて全身を霊夢の前に現した青娥は不満そうに、しかし相変わらず楽しそうに言った。
 そして何気ない動作でようやく頭に乗っていたキャベツを払い落としてから台所を降りた。
 ――それが引き鉄だった。

「なん……ッ!」
「なん?」
「ってことしてくれんのよぉおおおおおッ!!」
「わきゃああああああああああああああ!?」

 溜め込んだ怒りを遠慮なく爆発させた霊夢がそう叫ぶと同時に、青娥の顔面を鷲掴みにして勝手口に向かって投げ飛ばした。
 投げ飛ばした後になって勝手口が粉砕してしまうことを霊夢は後悔したが、それもやはり一瞬で怒りに飲み込まれてどうでも良くなった。

「!?」

 しかし、杞憂だった。
 青娥が勝手口と激突する直前、青娥は扉に手を触れた。するとそこにちょうど人一人が通れるくらいの大きさの『円』がくり抜かれ、彼女の体と共に扉の向こうへと消えていったのだ。しかもおかしな事に、くり抜かれた『円』は青娥の体が通過していった後に元通りに直っていた。

「チッ……」

 しかし霊夢は知っていた。それが彼女の能力であると知っていた。青娥の能力が『壁をすり抜けられる程度の能力』であることを知っていたのだ。
 故に勝手口は粉砕されることなく、最小限の破壊(青娥としては触れただけだが)に留まり、さらには何事も無かったかのように扉は元通りに修復されたのだ。それが更に癪に障った霊夢は、勢い良く扉を開け放って青娥の前に仁王立ちした。

「けほッ、けほッ……! ちょ、ちょっとちょっと、何するのよぉ……あーあー汚れちゃった……」

 霊夢に投げ飛ばされた青娥はしかし盛大に転げ回ったようで、彼女の服は所々土色に染まっていた。ただ擦り傷といったものは一切無く、金剛不壊である仙人の頑健さをいかんなく発揮してみせていた。青娥は不満気な瞳を霊夢に向けた。その瞳が恐怖の色に変わるのは一瞬の出来事だった。

「あ、あの~……霊夢、さん……?」

 青娥が引き攣った微笑みで呼びかけた先に立っていたのは、鬼である。
 か弱きはずの人間の少女とは到底思えない怒気を放っている。しかしか弱きと思っていた少女のその細腕が、自らを片手だけで投げ飛ばしたのだという事実がある。この少女は人間ではなく鬼であることが青娥の脳内で大決定した瞬間であった。そうでないと納得できないからだ。
 霊夢の威圧感の前に、身動きが取れず、ただただ霊夢を見上げるだけだった青娥に霊夢はすっと右手を伸ばし、二本指を立てた。

「……あんたは二つの罪を犯したわ。一つは私の包丁をあんたの石頭が砕いてしまった罪。悲しい事に、予備が無いのよねぇ。もう一つは私の貴重な食糧を粗末にした罪。調理道具を買う余裕も無ければ、食糧を買う余裕も中々無いわよ。この二つの罪の合わせ技一本で、あんたには地獄を見てもらうことにしたから覚悟なさい」

 霊夢は淡々と、表面上平静を保った態度でしかし残酷な口調で宣告すると、青娥に有無を言わせず大地を蹴った――。





「……ごめんなさいぃ~」

 それから数十分後、青娥は大地に倒れ伏していた。服は既にボロボロで、髪はグチャグチャで、体のあちこちに痣が出来、何箇所かで出血している。
 しかし縁側で胡坐をかいて酒をあおりながら見下ろす霊夢の表情は不機嫌そのものだ。

「……あれだけやったっていうのにどんだけ頑丈なのよ、あんたは……」

 霊夢としては宣言通りに地獄を見せるつもりで攻撃したのだが、結果はこの程度に留まってしまった。
 原因はやはり、仙人の頑丈さ。先の異変でも青娥には傷を付けるので精一杯だった。このまま攻撃し続けていればあるいはもっと大きな傷を負わせられるかもしれなかったが、それだけの時間と労力を費やす前にある程度怒りが収まったことで今に至っている。

「これでも一応、仙人ですので……」
「もう何だっていいわよどうでもいいわよ。ったく、私の豪勢になるはずだった夕食が白いご飯と、生き残った千切りキャベツの味噌汁にきゅうりの漬物だけの侘しいものになってしまうなんて……」
「……今度何かご馳走しますよ?」

 青娥は窺うように言った。物で釣るようなやり方は好ましくないと思ったからだ。しかし博麗神社にとっての貴重な食糧を、食糧たる役目を果たさせてやれぬまま逝かせてしまった責任は、これしかないとも青娥は考えていた。
 無論、そこに付加価値を付けて、だ。つまりは、霊夢に食事を振舞ってあげること。奢る、という選択肢もあったが、幻想郷に来てまだ日が浅い青娥には金銭的な問題でその選択肢は却下された。よって手料理。
 後は、霊夢の反応次第である。
 青娥がおそるおそる顔を上げてみると――。

「えっ!? ホント!?」

 ――先程まで放っていた容赦ない殺気は脱兎の如く失せてしまったかのような破顔がそこにはあった。

「え、ええ……」
「っしゃ!!」

 遂にはガッツポーズが飛び出す始末である。
 青娥もここまでの反応は考えていなかったので、霊夢の大袈裟すぎる反応に思わずたじろいでしまっていた。

「まま、そんなところで寝転がってないでこっち来なさいよ。ご相伴に預からせてあげるわ」

 そう言って、ポンポンと自分の隣を叩く。青娥は霊夢のあまりの態度の豹変っぷりに苦笑しながら立ち上がり、丁寧に埃を払ってから霊夢の隣に腰を落ち着けた。

「あんたの分のお猪口も持って来ないとね」

 霊夢は立ち上がって奥に消えていった。その後姿はとても楽しそうであった。
 それを見送った青娥は、霊夢が戻ってくるまでのわずかな時間、ぼんやりと月でも眺めることにした。

「ふぅ……」

 夜の穏やかな風が木々を揺らし、その擦れ合った音が青娥の耳に響く。その耳障りの良い音と、ようやく人心地がついたせいか、自然とため息が漏れ出てしまう。
 感嘆と安堵のため息だ。心休まるのだ。青娥にとってそれは、随分と久しい感覚だった。何せ、豊聡耳神子の復活の時まであの暗い霊廟を根城にしなければならなかったからだ。もちろん、必要に迫られて霊廟の外に出なければならない時もある(多くが芳香の食糧の確保の為であった。何を食べさせていたかは言わぬが華)。霊廟が神子の死に不審を持った仏教の僧侶たちによって、霊廟の真上に寺を建てられる、という形で封じられてしまっていた為、比較的隠密行動に向いた自身の能力を以ってしてもなかなかに苦労させられていた。タイミング悪く僧侶と遭遇し戦闘に発展した事など、トラブルを挙げればキリがない。
 だから、こうして縁側でのんびり月を眺め、夜風に当たり、さらにお酒まで飲むことが出来る今という瞬間が、とても心休まるものであることを深く深く再認識した。
 しかしそれも、今ここに至ればみな懐かしく感じるものなのだな、と月を見ながらしみじみ思っているところで、霊夢が廊下から姿を見せた。

「ほら、あんたの分」
「ありがとう」
「それと、つまみ。きゅうりの浅漬け」
「あら、美味しそう」
「美味しいに決まっているじゃない。私が漬けたんだから」

 ふふん、と得意気に鼻を鳴らし、青娥のお猪口に酒を注ぐ霊夢。

「これはこれは、ご丁寧に」
「博麗の巫女にお酌してもらえるなんて、これであんたも晴れて幻想郷の住人ね」
「まあ嬉しい! でしたら、是非太子様たちにもしてやって下さいな」
「まぁおいおいね……。とりあえず、ようこそ、幻想郷へ――」

『乾杯』

 縁側に杯同士がぶつかる音が小さく響いた。





 二人は月ときゅうりと適当な話を肴にしてお酒を愉しんでいた。博麗神社は人妖入り乱れての大宴会が常として催されているので今日のような日は珍しかったが、それをこの二人がやりにくく感じることは決して無かった。
 二人とも、静かに呑む方が好きなのである。

「このきゅうり、本当に美味しいわ」
「漬け方がいいからよ。つまり私の功績」
「そうね、それもあるわね。ピリ辛で」
「何か引っ掛かるわね……まぁ、確かに元の素材が良いのも認めるべきかもね。河童がくれた物だし」
「河童もやはり幻想郷にいるのですね。あちらの世界ではついぞ会う機会が得られなかったのですが……是非お会いしてみたいですね」
「変な奴らに興味を持つのねぇ……」
「仙人ですから」
「変わり者め」

 霊夢が酒を流し込み杯を置こうとすると、既に青娥が次を足そうと準備をしていた。
 霊夢が杯を差し出す。
 青娥が注ぐ。
 恭しく杯に注ぐその姿が、やけに色っぽく霊夢の目に映った。彼女が身に着けている半透明の布(安物だとは本人の談)、青と白を基調とした清楚さをイメージさせる服装が、さながら天女っぽさを演出し、月明かりに照らされる白い肌は、とにかく扇情的だった。
 つまるところ、霊夢は見惚れてしまっていたのだ。

「…………」
「霊夢さん?」
「……え? な、何?」
「もういっぱいまで注いでしまいましたよ?」
「えっ、あ、ああ! そうね、これ以上は入れてもしょうがないわよね!」

 霊夢は慌てて杯を自分の手元に戻すとたまらずぐいっと一気に飲み干してしまった。喉を通り過ぎる酒が熱い。そして顔が熱い。主に頬が。しかしこれは酒のせいであって、決して青娥に見惚れてしまっていたからではないのだ。きっと紅くなってしまっている自らの頬の事はなるべく忘れるようにした。静かに青娥に杯を差し出し、再び注いでもらう。その間、霊夢は月を見てやり過ごした。

「はい、どうぞ」
「……ありがと」

 注いでもらったお酒を自分の口元に持って来る際、ちらと青娥を見ると微笑みながら霊夢を見ていた。その顔がまた非の打ち所のない美しさで、また見惚れてしまうのも癪なのですぐに視線を前に戻した。

「で?」
「?」
「河童には会いに行くの?」
「そのうちにでも」
「奴らの棲みかは妖怪の巣窟よ」
「まあ」
「河童は……まあ臆病な連中だし問題ないとは思うけれど、それよりも上司の天狗たちが面倒ね。連中の排他主義は人間はおろか、妖怪にすら優しくないわ」
「天狗もいるのですか」
「天狗の他にも色々いるわよ、『妖怪の山』は。神様とか……あぁ、そう言えば仙人もいるわね」
「同業者ですか!? それは是が非でもお会いしたいですね!」

 自分と同じ仙人の存在を知るや、色めき立って霊夢に顔を近づける青娥。予想以上の反応に霊夢は驚き、反射的に仰け反った。

「ちょおっ……!?」
「その方は妖怪の山のどの辺りで暮らしているのでしょう? 名は? 仙人とお知り合いという事はやはり『タオ』に関して何か手ほどきを受けていたりしているのですか?」
「っ……ええぃ! 近いわ! 落ち着け!」
「いだっ!?」

 顔を近づかれたままの質問攻めに、色々と耐えられなくなった霊夢は懐に忍ばせていた陰陽玉を取り出して青娥の頭を打ちつけた。青娥は不意打ちを受けて思わず怯んだものの、特にダメージを負った様子はなかった。

「何が「いだっ!?」よ。傷一つ負ってないくせに」
「何となく声が出ちゃいました。頑丈な体で良かったです」
「頑丈って次元じゃ済まないわよ、それ」

 仙人の頑丈さに呆れつつ、霊夢は陰陽玉を懐に戻した。
 そして青娥の質問に答える。

「……で、まぁ、その仙人なんだけれど、名前は茨木華扇。家は……妖怪の山の中腹辺り、かしらね。前に一度行ったことがあるけれど、いまいちはっきりと憶えてないのよね。あと『タオ』とかいうのは知らん。滝行とかはやらされたけれど」
「ほうほう、華扇殿、ですね……」
「……ま、わざわざ捜しに行かなくともしょっちゅうウチに来るわよ。説教しにね……」
「あら、それでしたら神社で待っている方が確実なのでしょうか?」
「そうね」
「では私もしょっちゅう神社に顔を出させて頂きますね」
「…………あ゛!?」

 ぼんやりと頬杖を突きながら月を眺めていた霊夢が青娥の何やら聞き捨てならない台詞を聞いて、眉根に皺を寄せて青娥の顔を見る。
 見る、というよりは睨む、の方が正しいかもしれない。一方の青娥は至って涼しい顔で霊夢の怪訝な視線を受け止めていた。

「だってそうでしょう? 華扇殿は神社にしょっちゅう現れるのでしたら、私もしょっちゅう神社に来なければ」
「その理論、おかしくない?」
「私が来たいからそれでいいのです。これは私の純粋なる欲から来ているのです。そこに理論が介在する余地など、ありはしませんよ」
「えーっ……と、それって要するに私の許可とか実はお構いなしって事でいいのかしら……?」
「端的に言ってしまえば」

 霊夢はがっくりと肩を落とした。そして同時に確信した。
 この仙人にはもう何を言っても無駄であると。
 それは特に用も無くやって来てはお茶とお菓子だけを消費して帰る魔理沙や、スキマから突然現れて朝食昼食間食夕食をつまみ食いする紫、昼間っから酒を呑んではあげく絡み酒してくる萃香、追い返しても追い返しても懲りずに盗撮上等で取材に来る文、そして霊夢を見つめたり撫でたり抱きしめたり一緒にごはん食べたりお風呂入ったり寝たり最早同居しているのでは疑惑も流れている幽香といった、そういった連中と青娥は同類なのだ。

「はぁ……」

 霊夢は悩みの種が二つ増えることが確定した事に頭を掻いた。これから人外の常連がまた一人増えてしまった事。そして――。

「……仕事の邪魔さえしなければ……勝手にすればいいわよ……」
「ありがとう!」

 ――この、さながら天女のような美しさを持つ彼女に、しばらくはドギマギさせられなければならない事だ。
 今も、霊夢の許可(形式上だが)が降りたことへの礼とばかりに、霊夢を抱き寄せて頭を撫でて、霊夢を見事に硬直させている。

「いいこいいこ」
「~~~っ!?」

 まるで子ども扱いである。まさに子ども扱いである。天下の博麗がこのザマである。
 実際問題、青娥の方が圧倒的年上であり、外見についても同様の事が言えるのは間違いない。彼女が子ども好きなのかどうかは知らないが、子どもたちには人気が出そうだな、と霊夢は思った。
 何せ、いい匂いなのだ。ある程度、人間として齢を重ねた霊夢ですら、身動きが取れず、否、身動きを取ろうとも思わないのだ。それはまさしく母のそれに近い。
 霊夢は、かつて母にそうされていた事を思い出していた。そして同時に、もう一人――。

「(これ……幽香に見られたらきっと大変な事になるんだろうなあ……)」

 やたら霊夢を過保護に扱う風見幽香。その彼女のお株を奪うような青娥の行為を目撃してしまった場合、まずここがそのまま戦場になるのは間違いない。そして神社が壊滅するのも間違いないと。そんなことをされたらひとたまりもない。
 そこで霊夢は我に返った。

「こ、こらっ! 離せ、暑苦しい!」
「あぁん」

 霊夢は少しばかり強引に青娥を引き剥がした。青娥は名残惜しそうな声をあげた。いやにセクシーだった。
 名残惜しかったのは霊夢もその通りなのだが、これも神社の為だと断固たる鋼の意志で抑え込んだ。

「変な声あげないでよ」
「だって中々良い抱き心地と撫で心地だったんですもの。まぁ、芳香には敵わないけれどね」
「私は死人に負けたのか……」

 そう言われてしまうと何だかショックを受ける霊夢であった。しかし、神社三度目の全壊の危機を未然に防いだと考えればここはぐっと堪えるべきところではあった。それよりも、夜はもう結構更けていた。アルコールと、ばたばたと動いたせいか、霊夢に程よい眠気がやって来ていた。
 宴もここいらでたけなわとしたほうがいいと、青娥に持ちかけた。

「ていうか、そろそろ帰ったらどうかしら? お気に入りの死体が寂しがってるんじゃないの?」
「そうですねぇ……目的も大体果たしましたし……」
「あん? ……そう言えば、あんた何しにここに来たんだっけ?」

 不意に青娥がそんなことを言った。言われてみれば、青娥は何故今宵博麗神社にやって来たのか。その答えを、霊夢は今に至るまで聞いていなかった。用件を聞きだす前に霊夢がボコボコにしてしまっていたからだ。
 しかしそれでも青娥は目的はほぼ果たしたと言った。ならばその目的とは何なのか。当然のように疑問に思った霊夢は青娥に答えを求めた。
 青娥はすぐに答えた。

「いえ、特に大層な目的ではないのですが、もっと霊夢さんと仲良くなろうと思っただけですよ」
「……おん?」
「出来れば、お友達に」
「……だったら、顔の見せ方には気をつけるべきだったわね」

 霊夢は青娥が現れた時の、あの悲しみに満ちた情景を想起し、それを非難するような目で青娥を見た。さしもの青娥も、それに対しては反論の余地もなく苦笑いするほかなかった。若干目が泳いでいた。

「え、えぇと……そこはほら、お酒を酌み交わせば何とやら……」
「あー?」
「それに私、仙人だから人間の味方ですし」
「邪仙じゃない、あんた」
「ちょっとだけ、自分の欲望に忠実なんです」
「ちょっと……?」
 
 この邪仙こそが、先の異変、新たな来訪者たちの元凶たる要因だという話を霊夢はいつぞや聞いたことがある。理由としてはかなり自分勝手なものであるとも。故に青娥の「ちょっと」という表現には、自らとは大きい隔たりがあるのだろうなあと、霊夢は思っていた。しかし、幻想郷にはそうした自分勝手な都合や理由で異変を起こす連中ばかりなので、大して気にする事でもないのだろう。

「ダメ……ですか?」

 霊夢が少しばかり難しい顔をしていたからだろうか。青娥は心配そうに霊夢の顔を上目遣いで見ていた。その反則級の可愛い仕草を、逃げる余地なく視界に捉えてしまった霊夢は仰け反る。
 もはや霊夢に言えるセリフはこれしか残っていなかった。また顔が紅くなってしまう事を恐れた霊夢は顔を逸らして言った。

「うっ……! か、勝手にすればいいじゃない……!」
「本当!? ありがとう!」
「た、ただし!」
「さっきも言ったけど、私の仕事の邪魔はしないでよ!」
「ええ、心得ましたわ」

 霊夢としてはなし崩し的に押し切られてしまった感が強かったが、青娥はそんなことはどうでもいいんだとばかりに、とても満足そうに喜んでいた。何よりも自己の欲求・満足感を満たすことを重視する。それが霍青娥という人物である。
 仙人なんて生き物は、大抵がそんな奴らなのかもしれないが。無防備、という意味で天然さが目立つ青娥にいいように振り回されてしまった霊夢は、小さくため息を吐きながらそんなことを思っていた。





「今日はおいしいお酒をありがとう。とても楽しかったですわ」

 青娥はふわりと宙に浮いて礼を述べた。幻想郷の夜空を空中散歩してから帰るらしい。
 羽衣を纏って夜を飛ぶその姿はきっと神々しいくらいに美しいのだろうと、霊夢は率直に思った。あまり想像が過ぎると、また顔を紅くしてしまいそうだから途中で自ら遮って、ぶっきらぼうに青娥に手を振って送り出すことに努めた。

「はいはいお粗末様……っていうか忘れてないでしょうね? ご馳走」

 行ってしまう前に取り付けた約束を忘れていやしないか確認する霊夢。青娥はにっこり頷きく。そして両腕を前に伸ばし、自分の部下である芳香の口調を真似しながら自らの実力をアピールした。

「勿論、忘れたりなどしていません。期待して待っていて下さい。私の腕前は、芳香にも『せーがの料理はほっぺたが落ちるくらい美味しいぞ!』と言われるくらいですからね。必ず満足させてご覧にいれましょう」
「ひょっとしてゾンビギャグ?」
「滅相もない」
「そ。まぁ、期待させてもらうわよ」
「はい。それでは、今宵はこれにて失礼させてもらいますね」

 そうして青娥は優雅に、それはとても優雅に幻想郷の夜へと飛び去っていったのだった。
 霊夢はその姿が月明かりでは見えなくなるまで眺め続けていた。それから一つ大きく伸びをして、静かながらも少しだけ賑やかだった二人だけの酒宴の後片付けをすることにした。

「あ~あ、最後に料理の話なんてするから小腹が空いちゃったじゃないの」

 縁側にはお酒もまだ多少残っており、それならば簡単なつまみでも作ってもう一杯と洒落込むことにした霊夢は、縁側を通り抜けて台所へと向かった。
 
「フンフンフンフーン♪」

 霊夢は上機嫌だった。今日明日の話ではないが、久しぶりにご馳走にありつける機会が得られたからだ。青娥は日本ではなく海を渡った先にある大陸の出身だ。紅魔館の門番と同じ国だ。となれば青娥は彼女と同じ郷土料理を得意としているのだろう。門番の料理は何度か紅魔館で夕食を頂いた(乱入した)際に数回口にしたことがあり、その度に舌鼓を打ってはおかわりをせがむほど(しかし来たのはメイドのナイフ)好みなのだ。
 あくまで本人の談だが、青娥は腕に自信があると言っていた。ならば期待せずにはいられない霊夢であった。
 台所に入る。すぐに足が止まる。霊夢は知ってしまったのだ。正確には忘れてしまっていたのだ。とてもとても大事な事を。答えは霊夢の目の前にあった。

「包丁が! 砕けとる!」

 霊夢の眼前には粉々に砕けた包丁が転がっていた。実に無念そうである。これでは料理が出来ない。明日以降の食事に大いに影響が出ることを、霊夢は完全に失念していたのだ。
 ちなみに、霊夢の家には包丁のストックが無かった。他の調理器具にも大体同様の事が言えた。単純に、博麗神社の財政事情がこのような事態を招いていたのだ。
 上機嫌の先に待っていた落とし穴。それは霊夢がただ見落としていただけの穴だが、気落ちさせるには充分だった。

「はぁ……片付けて寝るか……」

 弁償はもちろんの事、あわよくば色をつけて予備もせしめようかと願望を抱きながら霊夢は縁側へと踵を返し、3切れほど余っていたきゅうりの漬物を齧って小腹を黙らせたのだった。
 ちょっぴり塩味が増していたような気がした。
お読み頂きありがとうございました。サジィーでした。

人知れずシリーズ3作目です。今回は神霊廟から霍青娥氏を博麗神社にお招きしてみました。
青娥ちゃん、可愛いですよね。綺麗ですよね。わたくし、今回で確信致しましたのは幻想郷のお姉ちゃん系キャラ大好きだという事です。
そしてそんなお姉ちゃんたちを霊夢ちゃんと絡ませるのが大好きだという事です。どうでもいいんですけれど『こと』を変換すると『琴』になってしまいます。どういう琴なの? 琴なの?
一番の大好物である「ゆうかれいむ」、そしていまヒートアップしている「かせんれいむ」と「せいがれいむ」。お姉ちゃんに囲まれた妹霊夢ちゃんとっても幸せそう……と日々妄想が止まりません。

それでは、今回はこれにて。また次回もよろしくお願いします。
サジィー
http://noutei.blog75.fc2.com/
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コメント



0.1090簡易評価
5.90奇声を発する程度の能力削除
マッタリしてて面白くとても読みやすかったです
9.100名前が無い程度の能力削除
すんげえ好かったです。
17.100名前が無い程度の能力削除
こんな感じにまったり酒を飲み交わすのはなんとも良いものですねぇ
「私は死人に負けたのか……」など時折出てくる霊夢の心の叫びが妙に面白かったです
18.100名前が無い程度の能力削除
やはり前提にあるのはゆうかれいむなのですね…w

この現場に青娥と華扇がいなかったのが不幸中の幸いとなるかどうなるのか。
しかしいずれは会うんだろうなー
19.100名前が無い程度の能力削除
塩味が..いい余韻です..

霊夢ちゃんには今夜青娥ちゃんの夢とか見て欲しかったりです
22.100名前が無い程度の能力削除
ゆうかりんどんだけだよwww
26.100名前が無い程度の能力削除
イイネ