「ぬえちゃん」
「何?」
「私を侵略してみない?」
「はい?」
にこにこ笑うムラサは今日もお花畑の模様。
私は溜息ひとつつき、
「意味が分からない」
「侵略がマイブームなのよ」
会話のキャッチボールすら困難とは。
ムラサは基本バカだけどいざというときはバカなのに。
「バカで結構。私はぬえちゃんに侵略されたい!」
無駄にイケメンである。
「つか、何なの侵略って……私は一体何をすればいいのよ」
「とりあえず触手で攻撃してくれたら嬉しいわ」
「ねぇよンなもん」
「じゃあ羽根で」
適当だな。
「いいから早く! その羽根で私を侵略して!」
「後で病院行きなよ」
呆れ顔で羽根を伸ばし、ムラサをちくちくと侵略する。
「ああっ! いいっ! いいわあぬえちゃん!」
「…………」
私に選択肢があるのならば、今すぐこの友人を地底の火炉に叩き込みたい。
「ああっ! そこ! そこぉ!」
「…………」
「あ、はぁっ……! ぬ、ぬえちゃんのいじわるぅっ……!」
「…………」
なんだろう。
こういうとき、どんな顔をすればいいのか分からないわ。
「はぁ……はぁ……。わ……笑えばいいと思うわ」
「笑えねぇよ」
そんな恍惚とした表情で言われてもな。
ムラサはへたりと床に座り込むと、
「ふぅ……。何にせよありがとう、ぬえちゃん。スッキリしたわ」
「それは何よりです。それでは」
私は幽霊のくせに無駄に肌をツヤツヤさせているムラサに間髪入れずに背を向けた。
一刻も早く正常空間に回帰したい。
「ぬえちゃん!」
「ぬがっ!」
と思った矢先、座ったままのムラサに背中から抱き着かれた。
「な、何よ? もうやんないわよ?」
「ちちち。そうじゃなくて」
「?」
首を捻る私を見て、ムラサはにやりとほくそ笑んだ。
嫌な汗が私の背中をナイアガラ。
「今度は、私のターン」
「!?」
その瞬間、本能が告げた。
逃げろ―――と。
しかし。
「じゃあ私このへんで」
「そうはいかんざき!」
「わっ!」
時既に、遅し。
腕力だけは無駄に強いムラサは、私を腰に抱き着いた体勢のまま強引に押し倒した。
「ちょっ! 馬鹿ムラサ! やめなさい!」
「馬鹿の一念、岩をも通す」
「だから何でそんな無駄にイケメンなのよ!?」
この上なく良い顔をしたムラサは仰向けになった私の上にまたがると、両膝で私の両腕を押さえつけてきた。
俗に言うマウント・ポジションである。
「さあ……覚悟は良いわね?」
「ぜんっぜんよくない!」
懇請にも似た悲痛の叫びも、目の前の馬鹿には微塵も届かず。
ムラサは目を赤く鋭く光らせた。
「それでは……侵略させて頂くでゲソ!」
「キャラが違うんじゃなイカ!?」
「イカもイカリも似たようなものよ!」
喚く私に構いもせず、ムラサは一気に両手を私の脇下に差し込むと、
「こちょこちょこちょ~」
「あっ、ははっ、はははっ!」
思いっきり、くすぐってきた。
「ほ~れほれほれ。こちょこちょこちょ~」
「ちょ、やめっ、あはっ、ばかっ、やめっ、しぬっ」
な、なんていう絶妙な指技を持ってやがるんだ、こいつっ……!
「あははは! ぬえちゃんかわいいわあ~」
「あかん、マジで、はひ、いきが、あは、く、くるしっ……」
「さあぬえちゃん! もっと良い声で鳴きなさい!」
「あ、あほかっ……はひひっ」
アホだ。
こいつは真性のアホだ。
そしておそらく、こいつにやられるがままにしている、私も。
―――三途の川を渡りかけること数十度。
くすぐる側にも体力の消耗はあったらしく、ようやくムラサは手を止めた。
「はぁ……はぁ……」
「ひっ……ひっ……」
ムラサは私の上にまたがった体勢のまま、四つん這いになって私の顔の両横に手をついている。
私は全身の体力が根こそぎ奪われた状態で、痙攣に近い呼吸をしながら、死神とボールを蹴る寸前のPK戦を繰り返している。
二人とも汗だくだくで、全身ぐしょ濡れ状態だ。
「つ、つかれたね……」
「こ、ころすきか……ばか」
「うん……ごめんね。……ぬえ」
「……あ、あやまるくらいなら最初からやんな。……ばか」
やりたい放題やっといて、最後に素直に謝るのは本当に反則だと思う。
いつになく殊勝な顔をするムラサの視線に耐えかねて、私は顔を横に向けた。
すると。
「……あ」
思わず、声が出た。
「え?」
つられて、ムラサも振り向く。
「…………」
「…………」
居間の入り口で、死んだ魚のような目をした星とナズーリンが立っていた。
……うん。
“また”なんだ。すまない。
仏の顔もって言うしね。
謝って許してもらおうとも思っていない。
「いや、あの、ちがっ……」
ムラサは急にわたわたと両手を振り始めている。
一方私は、もうどうにでもなれという諦観の境地に突入していた。
「……はて、何が違うんですか? 汗だくで、息を切らして、ぬえの上にまたがっていたムラサ船長」
「だ、だからちがっ……いや、そこはそうなんだけどっ!」
「……弁解はよしたまえよ。四つん這いになって、今にもぬえに襲いかからんとしていたムラサ船長」
「! そ、それは違うわ! だってもう、襲った後だもん!」
「…………」
「…………」
「あ」
ねぇ、ムラサ。
墓穴を掘るなら、寺の裏でやってくれないかな。
そこにはよく呑気な唐傘妖怪が遊びに来てるから、ムラサならきっと良い友達になれると思う。
「あ、ち、違うのよ!? 襲うっていうのはそういうアレじゃなくて……」
「…………」
「…………」
星とナズーリンは一瞬アイコンタクトを交わした後、
「ご主人」
「はい」
「出家しよう」
「はい」
二人は、一分の乱れもないほどに揃った所作で居間を後にした。
「いやいや! ここもう寺ですからーっ!」
ムラサの無駄なツッコミだけがその場に虚しく響いた。
了
タイトル見てアレなぬえちゃんイメージしたw
出家しよう。