その日、おやつの時間を前にして、火焔猫燐は非常に珍しいモノを目撃した。
地霊殿の居間にてステルスガール・古明地こいしが、何やら思い悩むような顔で一枚の紙を凝視していたのだ。
いつも朗らかな表情をするようになった彼女が、何かに悩むというのは滅多に見られない。
「こいし様?」
「あっ、お燐!お姉ちゃん知らない?」
「さとり様なら朝からお買い物で、夜まで戻らないそうですけど」
「そっかぁ。お姉ちゃんに心を読んでもらえればなって思ったんだけど」
首を傾げるこいし。それに対し、燐もまた彼女と逆方向に首を捻る。
こいしの発言が要領を得ないのは珍しい事では無い。大抵、すぐに説明を求める事となる。この時もそうだ。
「なんのお話ですか?あたいは何がなんだか」
「あ、ごめんごめん。これ」
ぴらり、と彼女は手にしていた一枚の紙片を示した。
燐はそれを受け取って眺める。とは言え、わざわざ手に取って眺める程の内容では無かった。
そこには、子供のような字でただ一言。
『こいしたんです』
「………」
「これ、お空の字だよね?」
「そうですね。こんなにふにゃふにゃで子供が書いたみたいな字、お空以外にありえない」
鴉っ娘、霊烏路空が書いた物とは、こいしにも分かっているようだ。燐もすぐに頷く。
彼女が何を思い、このような怪文書を書いたのか。地霊殿の主の妹を、『たん』付けで。しかもそれだけ。
こいしが悩みの表情を見せたのも、燐には納得出来た。
「お空、私に何かあるのかなぁ」
「う~ん……普段はあたいとおんなじで、『こいし様』って呼ぶのに」
「紹介文みたいにも見えるけど、それにしても『こいしたん』って」
「可愛いとは思いますけど」
こいしとは真逆で考えている事がすぐに分かる空だからこそ、この文章が醸す不可解な雰囲気を増長させている。
暫しの思案を経て、不意にこいしが手を上げた。
「わかった、ナゾ改名!」
「こいし様!いくら『こいし』が小石を連想させるからって名前まで変えなくても!」
「ちが~う!解明!第一、発音だけじゃ別に変わんないでしょ!小説じゃあるまいし!」
「これってしょうせt」
「うぎゃわー!わたしの話を聞けぇーっ!」
燐のアレな発言を、彼女の襟元を掴んで前後にシェイクする事で抑え込むこいし。
げほげほとせき込み、燐もようやく彼女の話を聞く事にした。このままではお昼に食べたかまぼこ丼が出てきてしまう。猫は反芻動物では無いのだ。
「うにゃあぁぁ……あぅ。で、何か分かったんですか?」
「『○○たん』と言えば、いわゆる一つの萌えワード。お空はきっと、地上に遊びに行く内に地上に住む人間たちの『OTAKU文化』に毒されちゃったのよ!」
「地上ってそんなトコなんですか?あたいも何度も行ってますけど、別段そんなコト」
「その慢心が命取りなのよ!このままじゃお空が『フヒヒwww』とか『フォカヌポウwwwww』とか『ニャーンwww』とか言い出しちゃうわ!
地霊殿にそんなヘンタイ文化を広げちゃダメよ!早く止めなきゃ!」
「こいし様、あたいちょっと傷つきました」
自分の存在を三割程否定された気分になり、うなだれる燐。しかしこいしはそんな彼女にも気付かず熱弁を振るう。
「きっとその内お空は日常生活でも『萌えー萌えー!』なんて言い出すわ!そしてモエモエ言いながらキャンプファイヤーでも始めるのよ!
萌えろよ萌えろ、炎よ萌えろ!炎を擬人化して、木や水とのカップリング同人誌で一山当てるつもりね!」
「こいし様?もしも~し」
「稼いだお金でもいっちょキャンプファイヤー、ついでにバーベキュー大会よ!お燐、ダンスの練習しなきゃ!」
「え、ちょ」
「まいむまいむまいむまいむ」
いきなり肩を組まれ、こいしと二人っきりのラインダンスが始まる。気分は宝塚。スポットライトは火葬場の炎で十分だ。
そのまま数分間足を上げ下げして、乳酸上昇率がややアップしてきた所でようやく燐は解放された。
「……ふぅ、疲れちゃう。やっぱりこの線はなしね」
「最初っから否定して下さい……涼しい季節なのに汗かいちゃった」
燃やすのは旧地獄だけでいい。ため息の燐と、帽子でぱたぱたと顔を煽ぐこいし。
ようやく落ち着いた所で、再度のシンキングタイム。
「お空かぁ……本人がいれば聞き出して来れるんですけどね」
「ダメよ、私が考えるの!見た目は幼女、頭脳はアダルト、その名は名探偵こいし!」
「何ですかそのR指定がかかりそうな表記」
能力を鑑みるとどう考えても犯人向きだが燐は敢えて言わない。するとこいしはそのまま妄想を続ける。
「お燐が黒、改め黒コゲの組織ね。だって黒いし、服も仕事もお腹も」
「お腹は黒くないですよ!清く正しい火焔猫です!」
「黒コゲの組織が売買するのはきっと焼け残った骨ね!唐揚げ用軟骨、犬の運動用大腿骨などを販売する大手骨メーカー」
「元のアレよりいくばく潔白じゃないですか?」
ちょっといいかも、と思ってしまった事はさて置く。
妄想から推理へと戻り、こいしは再び頭を捻る。燐も考えはするが思い付かないので、夕飯の事を考え始めた。
今日のご飯には何をかけて食べようか、と考えていた彼女の肩を、不意にこいしが揺さぶった。
「わかったぁ!」
「ふにゃあっ!ち、ちゃんと考えてましたよ!別におかかとかつおぶしとけずりぶしのどれがいいかなんて考えてませんよ!」
「全部おんなじじゃない!そうじゃなくてわかったの!ナゾ戒名よ!」
「それは『かいみょう』じゃないですか」
「もー!読もうと思えば『かいめい』って読めるじゃない!さっきと言ってるコトがちがう!お燐のばかー!」
「むしろ、なんでワザと間違えるんですか」
「ドジっ子が今のチャーミングなトレンドなの!」
「さっきはOTAKU文化を否定してたのに……」
「そ、それは……お燐のばかー!お鍋に入れて和みまくりな写真撮って売っちゃうよ!?知らぬ間にグラビアデビューだよ!?
そこから有名になって、悪い人にだまされて、どんどん写真での露出が多くなって最終的ににゃーんなコトになっても知らないんだから!」
「ちょ、落ち着いてくださいよぉ」
むきー、と両手をブンブン振ってどこからか仕入れたベタ展開知識を披露するこいし。燐がそれを宥めていたその時であった。
「うにゅ?お燐にこいし様、なにしてるのー?楽しそうだからわたしも入れてー!」
のんびりした声と共に、謎の渦中にいる人物である空が部屋に入って来たのだ。
相変わらずのノーアラートフェイスに、それだけで場の空気は和やかなものになる。
せっかく本人が来たのだから、直接訪ねよう――― そう思い、燐が口を開いたのだが。
「お空、丁度よかった。あのさ……」
「なぁに、おり……あっ、あっ、あああぁぁぁ!!!」
呼びかけに応えかけた空が、彼女達の方を見るなり唐突に絶叫したのだ。
突然の大声に驚き、固まる二人へ肉薄したかと思うと、
「だめぇぇぇぇっ!!」
こいしが手にしていた、例の『こいしたんです』とだけ書かれた紙をひったくった。
「きゃっ!お、お空、それ……」
「み、み、見ちゃダメです!お燐も見ないでよぉ!」
顔を真っ赤にし、恥じらった様子で空は紙片を隠す。
「お空、どうしてそんな」
あの紙片の何がそこまで空を動かすのか。彼女の態度を不可解に思った燐が尋ねる。
すると彼女は、恥ずかしさに耐えかねてか目をぎゅっと閉じて叫んだ。
「だだだ、だってぇ……ら、ラブレターはヒトに見せるモノじゃないでしょ!!」
――― 地霊殿の居間を包む、静寂。
燐もこいしも、空の言った内容を脳内で分かりやすく変換するのに、数秒を要した。
「……ら、ラブレター?恋文?なんでまた……」
「そ、そうだよぉ……だって、お燐がこないだ教えてくれたじゃない……」
「あ、あぁ……こないだの……」
空の言葉に、説明を求めるこいしの視線が燐へ向く。
彼女は語り出した。数日前の出来事を。
『お、お燐……』
『ん?どうしたいお空』
仕事も終わった夕刻、もじもじとした様子で空が燐の自室を訪ねてきた。
相談があると言うので聞いてみると、驚きの言葉。
『わ、わたしね……す、す、すきな、ひとが、いるんだけど……』
『ホントかい!?そりゃあいいコトじゃないか、応援するよ』
「あ、ありがとう!でも、どうやって伝えたらいいのか分かんなくって……』
『直接言うのは……恥ずかしいよなぁ』
そうでなきゃ、こうして相談には来ないだろう。燐は少し考え、彼女に知識を授けた。
『そんじゃ、ベタだけど手紙で伝えるってのは?』
『おてがみ?』
『そそ、ラブレターってヤツさ。古典的だけどその分想いは伝わりやすいよ』
『うにゅ、ありがとお燐!書いてみるね!やっぱりお燐はたよりになるなぁ』
『やめてくれよ、恥ずかしい。お空のためになったなら良かったよ』
顔を輝かせる空に、赤らめる燐。彼女の恋が上手くいく事を願いつつ、その時はそれで終わった筈だった。
「……というワケなんです」
「そっかぁ……んん?」
「うぅー……恥ずかしいよぉ……」
燐の話を聞き、ピンと来た顔のこいし。空は相変わらず、紙片もとい手紙を後ろ手に隠して恥ずかしげな表情。
「『こいしたんです』って……まさか、『恋したんです』ってコト……?」
「う、うにゅぅ」
こくり、と小さく頷いた空。それに合わせ、ふにゃりと脱力したのはこいしの方だ。
「なんだそりゃあ。お空、ラブレターに『恋したんです』はちょっと変かもよ。それに、大事な手紙ならこんな所に置いちゃダメよ」
「そ、そうなんですか?かいたこと、ないから……それと、さとり様とかに見てもらおうと思って、ここに……」
「よ~しよし。ここはこの恋色名探偵・こいしちゃんにまっかせなさい!
読んだら一発でメロメロ、イモリの黒焼きなみにすっごいラブレターの書き方を教えてあげるわ!」
「ほ、ホントですか!?ありがとうございます!イノキのくろやきってなんかすごそう!」
「待て待て、黒焼きにされたら流石に元気じゃいられないと思うぞ」
別な意味で燃える闘魂。結界の向こうまで噂の届く名ファイターを運べたらどんなに名誉な事だろう。
燐はやや興奮しつつ、空の肩を叩いた。
「やれやれ、まあ平穏無事な結末で良かった。お空、あたいも手伝ったげるよ」
当然『ありがとうお燐!』と返ってくると思っていた。だが、
「えっ、その……お、お燐は……ダメ、なの。ごめん」
「へ?」
「お燐には、そのぉ……見せたくないの。ホントにごめんね」
空が燐に否定の言葉を投げたのは、地霊殿での生活が始まってこれが初めてかも知れない。
呆気にとられながら――― 少なからずショックを受けつつ――― も、燐は頷いた。
「あ、ああ……そっか。それならしょうがない」
「お燐は黒コゲの組織だもんね。内容を横流しして、それをネタに脅されてアニマルビデオ出演なんてコトになったら大変だもんね」
「びでお?」
「……こいし様、お空に変なコト教えたら流石に怒りますよ」
じとっ、とした視線を投げられ、こいしは苦笑い。
「冗談だって。まーまー、私に任せなさい。お空の恋、成就できるように努力するから」
「……そうですね。それじゃこいし様、よろしくお願いします。お空、しっかりね」
「う、うん……」
ラブレターを書くというのはやはり恥ずかしいのか、頬を染めながら空は頷いた。
二人に手を振り、燐は居間を後にした。自室に向かいながら、ため息。
「あたい、なんかお空に嫌われる事したかなぁ」
あれほど燐を頼ってきた空が、初めて彼女の助けを拒んだ。姉貴分の立場として可愛がっていた事もあり、燐にはそれがやはり堪える。
だが、
(ま、お空がそうしたいならそれでいいさ。あたいも色恋沙汰は自信がないし……心に詳しいこいし様ならきっと上手くやってくれるさ)
と、彼女は思い直した。あくまで彼女の幸せを願い、燐は自室へと引き上げていった。
――― 三日後の朝。自室で眠る燐の枕元に、一通の手紙が置いてありましたとさ。
寝る前におりんくう頂きました。
「こしいたい」を「こいしたい」と読んでしまう呪いを残しておきますね。
おりんくう!
マァベラス。素敵なお話でしたー
読んだ。爆笑した。
何かいてもおもしろいですね。いやほんとに。
次回も楽しみにしてます!
それはともかくいいおりんくうでした。
二行に一回萌えとかどんなラブレターだそれは。
いや、非常に「らしい」んですけどね。
短編も面白かったです!
突如まいむまいむを始めるこいしにこいしたんです。
色々と外の悪影響やら電波やらを受けているこいしたん可愛いよこいしたん
恋したんですとは誰も思わんて
誤字報告を
こいしにも分かっていようだ。
い「る」ようだかと
こいしの名前を活かしたぎなた読みがお見事。(この「こいし」という名前は、言葉遊び的に見ても色々と使いどころが多かったり)
恋するお空が可愛かったです。
それにしても、お空もお燐もとても可愛い。優しいお話でした。
こいしちゃんの突飛な言動が可愛らしかったです
すっかり作者さんのファンになってしまった。
>>1様
うつほちゃんのいい具合なネジの緩まりとか、微妙にズレた子供っぽい思考なんかが上手に表現出来ていたら嬉しいなぁと。
おバカかわいい、って誰かが言ってたけれど結構真理な気がします。
>>2様
自分の中のこいしたん像は非常にコメディチックな感じなのです。真面目なお話で困る。絶対困る。
定番ではあると思いますがおりんりんとうつほちゃんの組み合わせがスキなのですハイ。いい意味で姉妹っぽい。
>>こいした☆お空戦争っ!! 様
\えいえいおー!/ \ばばばば~ん!/ \ぎゅ~って!/
お名前を見ていたら書かずにはいられませんでした。この腰回りがドキドキキューンと来る感じは恋心……では無くてヘルニアです。病院へゴゥ。
>>4様
おりんくう、って言いやすくてステキな略称だなぁと思います。しっくり。
初めての地霊殿モノでしたが面白く読んで頂けて嬉しいです。
>>名前が正体不明である程度の能力様
史上最速です。この後にも一本すぐ出してます。一作品集に三本は初、複数出すのもデビュー以来。
速い分生煮えだったりしないかなぁと不安でしたが、ここ最近で一番のヒット作に。やれ嬉しや。
>>洋菓子様
やっぱり女の子を書くなら可愛く書いてあげたい。難題ですが、少しずつでも精進していきたいと思う所存です。
>>奇声を発する程度の能力様
同じようなご感想をいくつか頂けてとっても嬉しい。個人的にうつほちゃんは書きやすい。これからもお世話になりそうです。
>>直江正義様
一人ひとりの違った可愛らしさというか、可愛い中にも個性が光る、そんな具合のお話を目指しております。頑張らなきゃ。
>>とーなす様
いつも有難う御座います。短編初挑戦。過去最短の33kb(処女作)を大幅更新です。
こいしたんがお空に『可愛い、好き、なでなでしたい、抱きしめたい、おいしそうとかは全部『萌え』でいけるよ!』と吹き込んだせいだとか。
>>14様
お空とは別の方向性でネジがぶっ飛んでる、そんなイメージのEXボス。
あんまりな思考回路に目の方が呆れ返って『やってられるか』と勝手に閉じちゃった説。
>>まりまりさ様
最近のこいしたんは、無意識を使ってお燐の首に『ひよこ』と書かれたプレートをこっそり下げるイタズラが好きなようです。
>>晩飯トマト様
散々妹ちゃんが引っ掻き回したお話をどう収拾つけるか迷って、うつほちゃんの純真なコイゴコロに全てを託す。ありがとううつほちゃん。
まいむまいむにラインダンスが含まれているかは謎ですが、可愛ければヨシ。
>>24様
心眼をシャットアウトした代わりにその他諸々のアンテナがめきめき伸びてますこいしたん。
その内『ちでぢ』なる電波も受信出来るようになるとかならないとか。ますますOTAKU文化の浸透が進む……。
>>27様
『無意識の内についやっちゃうんだ、てへぺろ☆』だそうです。気付かぬ内に段々地底の秋葉原と化していく地霊殿よ。
あ、あと誤字報告有難う御座います&申し訳御座いません。すぐに訂正致しました。
>>ワレモノ中尉様
いつもいつも有難う御座います。自分でもこんなに短くまとめられた事に驚きですハイ。
確かに、こいしたんの名前は珍しい分応用が利きそうですね。
恋とか故意とか濃いとか小石とかこいしのなかにいるとか色々……はっ、いつの間にコードでがんじがらめにされている!?へるぷみー。
>>49様
いやいやそれほどでもござらんよwwwwwwwwフォカヌポウwwwwwwwwwwww
『もうあたいは限界だと思った』だそうです。
>>52様
というか他がはっちゃけすぎ。余所へ行けばボケポジションも十分狙える逸材の筈なんですけどね、お燐。
日々の苦労が偲ばれますが、それ以上に楽しいんだそうです。素敵な所よね、地霊殿。
>>56様
原作からしてアレな言動が多いので、落ち着いてもその名残が変な方向で残ってるんじゃあ、と思ったのがきっかけ。
気付けば地霊殿の誇る最強のボケキャラへと変貌しておりました。可愛ければヨシ。
>>57様
コメディにおける小気味良い軽妙な会話運びに憧れております身としては、そうしてお褒めの言葉を頂けるととっても嬉しい。
ファンだなんていやんそんな。これからも頑張りますので、また宜しければご贔屓に……。