湿った土の匂いが漂っている。
ここ数日、幻想郷は雨に降りこめられていた。
「どうにも、気が進みませんね」
窓枠に寄り掛かっている文が、そぼ降る雨を眺め、投げ捨てるように呟いた。
こんな天気では、取材に出かける気にもなれない。
いや、雨はなんとでもなるのだが、淀んだ空を眺めていると動くのが億劫になってくる。
「でも、もう五日も発刊してませんよ。いいかげん書かなくていいんですか?」
椛が、背を向けたまま言った。
「椛こそ、こんなところで昼酒飲んでていいんですか? 見張りがあるでしょうに」
「いいんですよ、この雨では滝も水が増え過ぎてしまって。だから、梅雨の間はここが詰め所です」
この天狗、最近肩の力が抜けてきたのはいいが、どこぞの紅白に似てきている。
私の机で、だらだらと酒をあおっている椛を見ていると、少し羨ましくなってきた。
だが、締め切りは私を待たない。
今日中に書き上げなければ、明後日の朝刊が、夕刊に早変わりだ。
仕方なく、残りの紙面を、手帳からひねり出そうと思い決め。
手帳を開いた。
「…これは、一体?」
少し、目を細めた。
開いた頁には、ただ。
水無月十九日 霧の湖で
と書かれていた。
一昨日の日付、自分の筆跡。
しおり代わりに、写真を挟んだ跡。
同じペンに、インク。
不都合な点は一つも無い。
だが、私はこの書付を書いた覚えが無かった。
「一昨日は、一日博麗神社に入り浸ってましたよね…?」
私は、そう覚えている。
現に文々。新聞の原稿には、一昨日の霊夢の乱酔っぷりが写真付きで書かれようとしている。
「ねえ、椛。昨日、私は霧の湖に行くって言っていましたっけ?」
「また唐突ですね…確かに、チルノさんに会いに行くって言ってましたよ」
「むぅ…妙ですね」
椛は、私に聞いたと言っている。だが、その事も記憶にはなかった。
こんなことは、四桁生きてきて初めての経験だ。天狗もボケるのだろうか?心は若いつもりだが。
しかし、それらしい兆候もなかったし、まだボケるとしても早すぎるのでは?
はたてにバレたらどう騒ぎ立てられることやら…。いやいや、まだボケたと決まったわけではない。
そう、私の思い過ごしかもしれない。
頭の中は、そんな事をしばらく、窓際でこねくり回していた。
「…窓際で考え事ですか? らしくもない」
空になった湯飲みをおき、椛が口を開いた。
稀にだが、彼女はけっこう、物事の核心を突く。毒舌気味なのはいただけないが。
そう、椛の言う通りだ。今日の私はらしくない。
「…そうですね! 少し取材に出かけます。留守番、頼みますよー!」
「あっ、あの! 私はこの後…」
文は飛び出した、未知への好奇心に駆り立てられて。
見回りのある椛を置き去りにして。
「さてと、まずは聞き込みですね」
どこに行くかはもう決まっている。
程なくして、博麗神社の戸を叩いた。
だいぶ待つと、戸が開き、野良猫を洗濯機に放り込み脱水したような姿の巫女が出てきた。
一昨日はずいぶん飲ませたが…まさか三日酔いとは。いささかやり過ぎたかもしれない。
「あやややや、ひどいものですねぇ」
「ええ、ひどいわよ。私はまだ頭が痛くて胃がひっくり返りそうなの。三日酔いなのよ。なぜか分かる?」
「なにかイヤなことでもあったんですか? だけど酒は飲んでも飲まれるなと昔かr」
「あんたらがメチャクチャに飲ませたからよ鳥頭! 鬼と天狗と飲み比べさせるんじゃないわよ!」
「でも、お金に釣られて飲み比べを始めたのは霊夢さんでしたよ?」
霊夢が絶句した。
まったく、これだから神社通いはやめられない。
だが、今日の要件は、この紅白の痴態を激写することではなかった。
「それはそれ、今日は一つ依頼があって来たんです」
少し勇気を出して、これ以上なく不機嫌な顔の霊夢に言った。
「…まぁいいわ、聞かせて」
霊夢は「依頼」と聞いた瞬間に、顔を引き締めた。
髪はぼさぼさで、隈ができて、心無しか頬がやつれた顔ではあったが。
「一昨日…私は、帰り際に霧の湖に行くようなことを言っていましたか?」
「あんたらに酔い潰されたのだもの、覚えてないわよ」
「それは盲点でした…! では、今日はこれで」
「…えぇっ!? ちょっと、待ちなさいよ! それだけなの!? ねぇっ! あっこら、逃げるなバ烏!」
霊夢の叫びが聞こえてくるが、残念ながら文の記憶には留まらなかった。
(あとは霧の湖でチルノさんに聞き込み、それもダメだったら…どうしましょうか)
考えても、もう方策は見つからなかった。あとはチルノが頼りだ。
直ぐに、霧の湖に着いた。
いつもながら、ここは寒い。だが、今日はいつにもまして寒かった。
これだけ寒いと言うことは、近くにあの氷精がいるということだ。
「あ、射命丸! ひさしぶりー!」
探すまでもなく、チルノは文を見つけて飛んできた。
まったく、ヒマな妖精もいたものだ。
いつもならば、ささやかな幸運に浸る所だが、チルノの一言が引っかかった。
「久しぶり、ということは…一昨日、私はここに来てないんですね?」
「うん!」
現実は厳しい。非情だ。
しかし、ここ以外にもう手がかりはない。
このまま未解決では、気になって夜も眠れない。
どんな小さな手がかりでも掴もうと、いつも通りに食い下がる。
「そうですか、では他に何かいつもと変わったことはありますか?」
「うーん………あ! そういえば紫をよく見かけるよ」
「紫さんが? 外を歩いているなんて珍しいですね、何をしていたかわかりますか?」
「えーとね、いつもあっちの森に入っていくんだけど」
チルノの指さす先には、紫の傘が揺れていた。
二人は、顔を見合わせた。
「…奇跡ですね。とりあえず尾行しましょうか。協力ありがとうございました」
「…これには流石のあたいもビックリね。それじゃー、捕まらないようにがんばってね!」
チルノも尾行のなんたるかは理解しているらしく、陽が落ち始めた湖を帰っていった。
文はチルノを見送った視線をもう一度紫に戻す。チルノの言った通りに、森に入っていった。
あのスキマ妖怪が傘を差して雨の森を歩いている。しかも夕暮れ時に。
これはもはや異変と言っていい。
手帳の事に関係があろうとなかろうと、紫の行き先を突き止めねば気が済まない。
文は、手帳の事を忘れかけていた。
普段よりいくらかの緊張を持って文が尾行を始めた。
紫はいつもと違って随分気を緩めている。尾行はそう難しくなかった。
なんの波乱もなく事態は進んでいく、15分ほど歩いただろうか。
小さな茅葺の家が見えてきた。小さな池と、ツユクサの植わった庭。
妖怪のうろつく森の中にはいかにも不釣合だ。
少し建て付けの悪い引き戸を、無遠慮に開け、紫がそこに入って行った。
しばらくすると中から酒器の触れ合う音が聞こえた。
森の中の一軒家。様子の変な紫。夕暮れ時。これは、きな臭い
文の胸が高鳴る。もし、もしやすると、あのスキマ妖怪が男と密会?
今はもう、手帳のことなどはどうでもいい。次々と一面記事のレイアウト案が飛び交った。
だが、それは、数秒後にすべてボツになる。
「妖怪酒屋、湖水庵?」
腐りかけた立て看板には、そう墨書してあった。
つまり、つまりだ。
紫は、居酒屋に入ったわけだ。
…ただの居酒屋、潰れかけの小さな居酒屋に入っただけなのか。
これが、どうして一面記事になれるというのか。
ついてない、全くついていない。もう日も暮れるというのに。
半日飛び回り、スキマ送りも覚悟して、尾行した成果がこれか。
「…折角ですし、入りますか」
文は、酔う前からふらついた足取りで、歩いていった。
軽く軋み、引き戸が開いた。
「こんばんわー…」
「あら…どうするの?」
紫がこちらに視線を向けもせず、カウンターのむこうにいる、店主であろう青年に声をかけた。
今までに聞いたことが無い、優しい声音で。
だが、言っていることはどうも穏やかではない気がする。
「あの、ここって居酒屋…」
不穏な空気を感じた文が口を開くと、椅子に腰掛けている蒼髪の青年が言葉を継いだ。
「ええ、いらっしゃいませ」
良かった、この店主はごく常識的な妖らしい。それに、紫が解らないのはいつもの事だ、気にすることはない。
すぐに文は紫の言動を頭の片隅に追いやった。
「お銚子一本熱くして、何かしら肴をおまかせでお願いします」
「はい、ただいま。お席は空いている所をどうぞ」
店主が椅子から立ち上がる。
ごく常識的な受け答えに、店に入った時の違和感が薄らいでいった。
少し離れた席に文が座ろうとすると紫が隣の席を進めた。
「ここ、座りなさいな」
「えっ…?」
あまりに予想外の行動に、思わず身構えてしまった。
「何で引くのよ…」
呟いた紫が、心無しか老けて見えた。
それを見て、店主が笑う。
紫の隣に座った文は考えを巡らせた。
いつもと違う顔を見せる紫、そんな紫を見てクスクスと笑っている店主。
あの大妖怪のこんな姿を、今までに見たことが無い。
これは案外、その目もあるやも知れない。
雨に打たれ、燻っていた文のブン屋魂が再び燃え盛った。
だが焦らない。まずはただの客として、密かに探りを入れて行くべきだ。
「紫の、知り合いなんですね」
店主が、徳利に酒を移しながら言った。
呼び捨てか、これはいよいよきな臭い。
少し、誘いをかけてみようか。
「ええ、そんなものです。ご亭主は、紫さんとは、どういった知り合いなんです?」
意外にも、この問いには紫が答えた。
「幻想郷が生まれて十年程度、まだ荒れていた頃に随分と世話になったのよ、それ以来の縁」
「あれ、腐れ縁って言わないんだ」
「一応感謝してるってことよ、タダ酒も飲んでるものね」
紫に接するときは、口調からして違うのか。
やはりこの関係、怪しい。けれど、それよりも文は気になることがあった。
「幻想郷が生まれて十年頃からいるのなら、どこかで顔を会わせていそうな物ですが。 名を、お聞きしても良いですか?」
尋ねると、微かな違和感を感じた。
少し、嫌な感じ。頭の中を撫ぜられるような、包まれるような。だが、それは直ぐに消えた。
「世捨て妖の名など、気にしたって仕方がないですよ。…はい、お待たせしました」
言葉を濁して、酒と肴を置いていく。
文の皿には小振りの鮎の背ごしが、紫には、小鉢にうるかが盛られていた。
どうにも軽くあしらわれた。だが焦る必要はない。
なにより、目の前にある熱燗が、今は何より魅力的だ。
「いただきます」
手酌で飲み始めた。
聞こえるのは雨音と、店主が皿を洗う音だけ。
それも消え、本の頁を繰る音に変わる。
久しく感じたことの無い、心地のよい沈黙を感じた。
「いいですね、この感じ」
知らずに、文は口を開いていた。
「そう言ってくれるお客さん、珍しいです。たまに妖精さんが来ますけど、みんな陰気臭いって言って。すぐ帰っちゃいますよ」
店主が本から目を上げて、苦笑を浮かべながら言った。
紫も、盃を置き呟いた。
「そもそも、ここに私以外の客が来ること自体、稀だもの」
「あれ? じゃあどうやって生計を立てているんですか?」
「私のヒモよ」
からかっているんだ、冗談だ、嘘だ、これは罠だ。
遊ばれているのだ。そう、これは罠だ! 訊いたら負けだ!
「…それ、本当ですか?」
「嘘よ」
「瀬戸には天候管理を任せているの。最近は外の気候もだいぶ変わってね。で、ここと外がズレてきたのよ。その調整の仕事にいくらか報酬を払っているの」
かなり重大な事実だが、文は自分を呪うのに忙しく、あまり聞いていないようだった。
「はぁ、もういいです… もう一本、冷で」
こうなったら飲むしかない、これ以上続けても遊ばれるのがオチだろう。
「私もそうするわ、冷たすぎはイヤよ」
紫も酒を頼む。
しかし、この関係、ただの友人にも見えない。
「葉茗荷の味噌漬けでいいですか?」
「いいですね。私、茗荷好きなんですよ」
言葉を交わしながら考える。さっきも紫には何も言わずにうるかを出していた。
今もそうだ、紫も何も言わないし気にもしていない。この二人は、随分と長くこんな関係を続けていたのだろう。
さっき紫が、瀬戸と呼んだこの青年。やはり、知りたい。
「やっぱり、瀬戸さんとは、それなりの関係なんですよね?」
我慢しきれず、口に出していた。堪え性のない千二百余歳である。
「抱いて面白そうな男でもないし、気にしたことは無いわね」
紫からはやはり、人を食ったような答えが帰ってきた。いや、文字通りの意味ではなく。
紫に聞いてもだめだ、矛先を変えてみようか。
「瀬戸さんはどうです? いい雰囲気になったりならなかったり…」
「私生活の質問は、お店の外でお願いします」
にべもない、水商売でもあるまいに。これは、どうやら紫と同類であろうか?
だがこれで終わる射命丸ではない。
「それじゃ、看板まで粘らせてもらいましょうか」
「きちんとお代は頂きますよ。…はい、どうぞ」
瀬戸の酒の支度が終わった。
文には冷酒と葉茗荷の味噌漬け、紫には冷酒と葉付き生姜の味噌漬けが供される。
再び暖かい沈黙が流れ始めた。
その沈黙を文が乱した。好奇心、あるいはそれ以上の何かに駆り立てられて。
「けど、不思議な話ですね。瀬戸さん、こんなに人懐っこそうなのに、なぜ世を捨てたんですか?」
言葉にしてから、どうやら、自分はあまり触れてはいけないものに触れたのかもしれないと気づく。
楽しげに行を追っていた瀬戸の瞳は、今は亡い、何かを映していた。
まるで、時が止まったように感じた。
「相も変わらず、女々しいわね」
「必要なことだよ、忘れてはいけないことだ」
瀬戸が、苦笑した。
その目は、もうあの目ではなかった。
元の時間が流れだす、何事も無かったかのように。
何かの、間違いだったのだ。文はそう思う事にした。
「そろそろ看板ですよ」
瀬戸の言葉で、壁の時計に目をやる。時計は、亥の刻を過ぎていた。
あれから、随分と飲んだかもしれないし、ほんの二、三本かもしれない。
こんな酔い方は、久しぶりにした。
「お代は、いくらですか?」
「そうですね…五銭ほどですかね」
「あやや? いくら何でも安いですよ」
「いいのよ、露命を繋ぐだけの金は払っているし、払わなくたって特に不都合はないんだから」
紫が引き戸を開きながら毒口を叩いた。やはり、勘定を払おうとはしなかった。
「…それでは、お言葉に甘えて」
勘定を払い、店の外に出て瀬戸を待つ。
紫はスキマを開いたのだろう、もう姿は見えない。
それなりに酔ったが、いつも通りの取材はできるだろう。
程なくして瀬戸が出てきた。
「隠していたわけではありませんが、私、文々。新聞の記者、射命丸文と申します。それを踏まえ、約束通り取材をさせてもらえますか?」
「ええ、答えられる範囲で、何なりと」
驚くでもなく、瀬戸が微笑みながら言った。どうにも、この顔には気勢をそがれる。
だが、そんな事は些末な事だ。取材を始めよう。
「それでは、まず妖としての種族を詳しくお教え願えますか?」
「特に名前は無いんですよ、言うなれば水の妖怪ですかね」
「水の妖怪ですか、河童などよりも、妖精に近いのですか?」
「妖精というよりも、精霊ですね。水そのものと言って差し支えないかもしれません。」
「水そのもの…ですか。大したものですね」
やはり、大物だ。おそらく紫とも並び得るだろう。
神と言っても、差しつかえが無さそうなものではあるが。
質問を続けた。
「二つ目の質問です。紫さんとの出会いを聞かせてもらえませんか?」
「随分と昔に、水底に隠りました。そして人間達に忘れ去られ、消えかけて。そんな時幻想郷に入ったんですよ。そのうちに、紫と潰しあって。それ以来の仲です」
妖怪にとっては、ありふれた幻想入りの切っ掛け。
だが、なぜだろうか。
もっと知りたい。
何があったのか。何を思ったのか。
「詳しく、聞かせてもらえますか?」
やめるべきだ、そう思っても言葉は止まらなかった。
「人間の魂を喰らう、それだけのはずでしたが、有ろうことか獲物である女性と情を交わしてしまった。そして、子が生まれました。その生涯は、安寧や幸せを手に入れることは無かった。それを機に水底に篭もりました。やがて、幻想郷に入り、どうやら此処では消えないらしい、そう知ってから再び人を喰らい始め、そんな時に紫と潰し合いました。その後は紫の説明したことと何も違いませんよ」
訥々と語り終えて溜息をつき、瀬戸は晴れ上がった夜空を仰いだ。
気のせいでは、なかったのだ。
『なぜ世を捨てたのか』
あの問いの答えは、これだったのか。
嫌な事を語らせただろう。聞いた事は忘れるべきだ。
「記事には、できそうもないですね」
気づけばそんなことを口走っていた。
いつもと違いすぎる自分。この男にあってから、ずっとこの調子だ。
だがおかしいとも思わない。きっと、紫もこんな調子なのだろう。そう思った。
「そう言うと、思っていました」
空を仰いだまま瀬戸がそう言った。その姿が、美しく。
「今日の取材は終わりです。今度は取材抜きで、寄らせてもらいますよ」
慌てて言葉を濁す。今、私は照れてたんだろうか? 本当にどうかしている。今日の私は。
「まだ、聞きたいことがあるのでしょう?」
瀬戸は、真直ぐに私を見据えて言った。
不意に、斬りつけられたような気がした。
聞きたい事? 自問する。
答えはすぐに見つかった。
確かに、聞きたいことは残っている。だが、私はそれを押し込めていたようだ。
もはや確信にも似て、それは心のなかに蟠っていた、それ。
聞かなくてはならないのだろう、きっと。
「…では、お聞きします。 私の手帳について、知っていますか? 」
「ええ」
やはり、そうだった。
初めの、紫の言動がそうだったのか。
瀬戸も、私を知っていたかのようだった。
あたかも、以前私がここに来たかのような。
ならば、考えつくのは。
「記憶を、操れるのですか?」
「ええ。これで、九回目ですよ」
やはり、否定はしなかった。手帳の事も、私は忘れたのか。なら。
「今回も、消しますか?」
「今回はそのつもりはありませんよ、一つ、約束を守れるのなら」
「一体、どんな?」
「絶対に、僕の事を他言しないこと」
少し、ほっとした。そんなに大層な事でもない。
頷いて、言った
「ええ、そんな事でよければ」
「ありがとう。約束を守ってくれること、期待しています」
「では、これで失礼します」
「ええ、おやすみなさい」
飛び立った時に、声が聞こえた。
「またのお越しを、お待ちしています」
・ ・
「消さなかったのね」
月を眺めていた瀬戸が、振り向いた。
「見てたんだ」
「ええ、二回目からずっと。で、どうするの? 今からでも間に合うわよ」
瀬戸が黙り込み、再び月を仰ぐ。
暫しの後に、月を仰いだまま言った。
「妖で在れば、そう思えるようになった」
「それで、苦しんできたのでしょう?」
「それでも、さ」
溜め息が出た。呆れた男だ。
どうしたって、結局は捨てきれないのだ。
そんなだから、二人の少女の一生を奪ったというのに。
スキマを開く。
「それでも、僕は」
声が追ってきた。聞く気はない。
スキマを、閉じた。
・ ・
紫が冬眠に入ったら、少しつまらないな。
次は、誰か他の妖怪と来てみたい。まあ、無理な相談だけど。
そんなことを考えながら、引き戸を開く。
「いらっしゃい」
立て付けの悪い引き戸、椅子に座って、本を読む瀬戸。
いつも通りの光景。だが、少し足りないものがあった。
「あやや、今日は紫さんは来てないのですか?」
「ええ」
珍しい事もある。あれから三月は経つが、今日までしばしば通ってきて、紫がいない日は一度もなかった。
「喧嘩でもしましたか? いい加減、愛想をつかされたとか」
「まさか。紫の考えてることは、僕にもよく解りませんから。きっと、何か事情があるんでしょうね」
瀬戸が酒の支度を始めた。
「瀬戸さんも、分からないこと、あるんですね」
「ええ、沢山ありますよ。男女の仲とか、若々しさの秘訣とか、知りたい事だらけです」
酒の支度をしながら言った。それがあまり真剣だったので、文は思わず吹き出した。
「笑わないでくださいよ、本気なんですから」
「いえ、あまり真剣でしたからつい… あ、私でよければ教えましょうか。若々しさの秘訣」
「じゃあ、聞かせてくれますか?」
「唯一最大の秘訣は、好奇心ですね」
「好奇心、ですか」
「ええ、好奇心のままに幻想郷を飛び回る。倦むことがないですよ、こればかりは」
「そんなものですか、好奇心なんて、久しく失っていましたよ」
瀬戸が、少し寂しそうに笑った。
「ええ、それのおかげで、とある吸血鬼なんて、幼いまま五百年を生き続けてますよ」
「幼いまま、ですか? 不思議な方ですね」
瀬戸が米茄子の田楽と、熱燗を置く。
それが一つずつなのが、少し気になった。
「ええ、ある時は本当に子供みたいですけど、ある時は人も妖も構わず心酔させるような。不思議な幼女です」
「いや、幼女って…。知り合いなんですか?」
瀬戸がいつもの苦笑を浮かべていた。
熱い酒を干す。それで、紫が居ないことは、あまり気にならなくなった。
「ええ、竹馬の友ってやつですよ。瀬戸さんと同じ蒼髪の、わがままでちょっと臆病な、小さくて可愛い吸血鬼ですよ」
「なんなんですか、それ。ちょっと会ってみたいですね」
瀬戸が、笑った。
引き戸が開く時の、少し軋んだ音がした。
振り返る、そこにはレミリアがいた。
噂をすれば影、って奴だろうか。それとも、以心伝心? いや、それとも運命か?
彼女はきっと、あの約束を守るだろう。瀬戸も、きっと彼女の記憶を消したりはしないだろう。
レミリアと、紫と、瀬戸と過ごす時間。それを想像し、少し嬉しくなった。
「・・・レミィ?」
瀬戸が、搾り出すように呟いた。
私が理解できたのは、そこまでだった。
・ ・
「ようやく、巡り逢えた!」
掌に、紅い光が迸る。ソレは、セトナを貫く為に、翔ける。
逆上はしていない。冷静だ。
いつも通りに、殺すだけ。
「レミィ? レミィなのか!?」
叫ぶヤツの躰を紅い槍が掠めた。困惑と恐怖に満ちた表情、ソレは、しばらく忘れたくない。そんなことをうっすらと思った。
「貴様を殺す為に!」
別にためらいはしないが、コレをするのは久しぶりだ、出来れば最後にしたい。
お気に入りの蒼髪が、血のような紅に染まる。妹とお揃いの紅い瞳が、冷たく鋭く、蒼に染まる。
この感覚は、好きじゃない。
「五百年を生きた!」
床に紅く光る手を叩きつけた。
彼方を繋ぐ門が開き、このボロ家の天井を突き破りながら、悪魔が湧き出る。
破れた天井から、弓張月が見えた。
満月にはまだ遠いが、いける。殺せる。
「汚らわしい鬼に成り果てようとも、貴様と、もう一度巡り逢う為だけに!」
生きてきた、そこまでは言わなかった。
ヤツを悪魔が囲み、貫いた。そう見えた。
唐突に、声が聞こえた。
「少し、時間が欲しい」
悪魔の咆哮の中で、その声だけが、はっきりと耳に届いた。
悪魔共が、水の槍に貫かれ、水の剣に断ち割られ、還っていく。
逃したのか? そう気づいた時には、水滴が、剥き出しになった地面に吸い込まれていくだけだった。
・ ・
「はぁ…」
窓枠にもたれ、ため息をついた。
もう、秋は果て、冬が忍び寄ってくる。そんな季節だった。
あれ以来湖水庵には行っていない。レミリアにも、紫にも遭わないまま。
あの日以来、文々。新聞は編集者急病のため休刊。そういうことになっている。
別に天狗仲間の間では珍しいことではない。
だが、天狗仲間に、香霖堂の店主や、博麗の巫女などの様々な人や妖、あの鬼までもが見舞いにやって来た。
どいつもこいつも、編隊飛行をするモケーレムベンベを見たような顔をしている。本当に勘弁してほしい。次に来たら追い返してやろう。
そうだ、いい加減に再刊しなくては。
だが、そう思っても躰は動かない。
何故だろうか? そう考えながら。
高く冷たく澄み渡る空を、私はただ眺めていた。
「もう、冬が来ますね」
今日は非番の椛が、背を向けたまま言う。座っているのは私の机。机上にはぐい飲み。
妖を窓辺に追いやっておいて、いい気なものだ。
返事の代わりに、もう一度ため息をついた。
「何が、あったんですか?」
答える気は、無かった。
瀬戸との約束を破る気は、無い。
黙り込んだ。
「やはり、言えませんか」
「ええ」
椛がくすりと笑った。
「変わりませんね。千年前と少しも変わらない」
「そんなに、変わりませんか?」
「ええ、強情でわがまま勝手、こうと決めたら一歩も譲らず、そのくせに、のらりくらりと小狡く立ち回る。ずっとこれですよ」
「千年も一緒にいると、お互いにそんなところばかり見えてくるものですよ」
「それでも、私は誰よりも貴女を知っている」
何か言い返そうとしたが、言葉が見つからなかった。
きっと、その通りだ。千年を、疎みあったり、嫌いあったり、好きあったりしながら、生きてきたのだ。
「ぼんやり空を眺めているより、わがまま勝手に飛び回る方が、貴女には似合っています」
椛が、窓枠に腰掛けて、言った。
白い髪が、冷たくなってきた風に、靡いた。
少し、肩が軽くなった気がした。
私は、どうしたって私だ。
誰にも出来る事、出来ない事があるのだ。
出来る事を、やれば良い。
「やはり、らしくないですかね」
「ええ、とっても」
「じゃあ、出かけましょうか」
「そうですね、それがいいです」
手帳を、ポケットに押し込む。
カメラの埃を払い、首から下げる。
玄関から踏み出した。
覚悟は、もう決まっていた。
「今日は、非番ですから」
椛の声が聞こえた。
・ ・
「お嬢様、客人です」
咲夜の声に、目を開ける。
「お引き取り願いなさい」
真昼間から、非常識な客だ。第一、今は誰にも会いたくない。
紫の作ってくれた、千載一遇の好機をふいにした。
あれから随分と探したが、セトナには一度も出会わなかった。いざとなれば水に溶け込んで隠れ住むのだろう。
そうなれば私には見つけられない。たぶん、二度と逢えないのだろう。
また、目を閉じた。頭から布団をかぶる。
「それが、射命丸様が『取材に来た』と」
文が? そうか、あの時、あそこには文も居たのだったな。そんなことを今更思い出す。
そうか、文が居たのだったな、なら。
「通しなさい」
「はい、お嬢様」
ベッドから這い出し、髪と服を整え、椅子に座った。
「久しぶりですね、レミリア」
「ええ、腑抜けていたのではと心配したけど。杞憂だったようね」
一月ぶりに会った文の瞳には強い光があった。輝きと言っていいほどの光が。
「今日は、聞きたいことがあってきました」
「その前に、条件があるわ」
「…わかりました」
文が真っ直ぐに私を見つめる。
今までも、小狡く、抜け目ないふりをしていた。
だけど、きっと奥の奥では、この剛直な光を失わないまま、真っ直ぐに生きてきたのだろう。
羨ましいな、と思った。
「セトナを、瀬戸を探しなさい」
文の顔が、はっきりと歪む。意地の悪いことを言っている。その自覚はあった。
だって私は、文の親友を、殺そうとしているんだ。
「こちらからも、条件があります」
文は、いささかも揺らいではいなかった。強い妖だ、私とは比べようも無いほどに。
「聞かせて」
「殺しあう前に、話をして下さい」
「…いいわ」
やはり、愚直な妖だ。一途とも言うのだろうか?
話を聞いたとて、殺すことに変わりはないのに。それでも、文は何かを望んでいるのだろう。
それは、私が捨て去ったモノだ。そんな気がした。
私も、こんな風に生きてみたかった。
だが、それは、もう叶わない。
「それでは。なぜ、瀬戸さんを殺そうとするのか。過去に何があったのか。聞かせて下さい」
「なぜ、知るの?」
「親友の事を知るために。何が出来るのかを、知るために」
「そう、そうね」
文は自分の心さらけ出していた。全て話そう、そう思った。
「私も、人だった」
・ ・
ワラキア東部の小さな町、そこで私は生まれた。
しばらくは歳相応の子供らしい生活もできたのだろう、さほど暗い記憶はなかった。
両親は忙しく働き、あまり私にかまわなかったが、祖父母に随分と甘やかされた。よく、膝に抱かれ、昔話などを聞いていた。
生活は貧しかったけれど、貧しいなりによく食べ、よく遊んだ。
けれど、8歳になった時に、祖父母が相次いで死に、親に捨てられた。
「大きな街に行くんだよ、レミィ」
そう言われて、まだ8歳になったばかりの妹を、人に預けて馬車にのり、どこか遠くの街まで出かけていった。
「レミィ、少しの間、ここで待っていてくれる?」
今まで見たことのない笑顔で、母さんが言った。
「うん、わかった」
自分が、捨てられたことに気づいたのは、翌朝だった。
それからは、地獄。腐った残飯を漁り、物乞いをして、殴られ、嘲られながら命を繋ぐ。
そんな暮らしのなかで、色々なことを考えた。
今、フランはどうしているだろう?
フランも、捨てられたのだろうか?
いいや、きっと、フランは私がこうなっていることも知らずに、楽しく暮らしているだろう。
だって、父さんは私の事は、避けていたけど、フランはとっても大好きだった。
フランは、私の可愛い妹は、幸せなのだろう。
なぜ、私とフランは髪の色が違うんだろう?
それはきっと私とフランは、何かが違うからだ。
そして、それはきっと、お父さんに関係があるんだ。
だって、お父さんは、私を抱きあげることはなかったけれど、フランはとても可愛がってた。
きっと、お父さんは私のことが嫌いなんだろう。だから捨てたんだ。
なら、なんでお母さんは私のことを捨てたんだろう?
そうだ、フランが生まれてから、いつもいつも「麦がたりない」って言ってた。
だから、きっと私は麦のかわりに捨てられたんだろう。
私が捨てられたから、フランはいっぱいパンを食べるんだ。フランのためなんだ。
フランのために私は捨てられたんだ。
なら、私はなんのために生きてたんだろう?
その答えを出す前に、私は黒死病に罹った。
「まだ小さいのにな、もったいねえ」
「後で香水かけとけよ、お前も真っ黒くなっちまうぞ」
「わーってるよ、こんなのに関わりあって死んだんじゃぁ、やってらんねえ」
助けを求める私に、そんな言葉が降ってくる。生まれて初めて、人を呪った、憎んだ。
誰も私を助けようとはしなかった。
下らない迷信に振り回される愚か者、今ならそう言える。
だが、あの時の私にはそんな愚か者共に縋るしかなかった。
それも、すぐにやめた。
手足に黒い斑点が浮き上がり、足の付根がひどく腫れ上がり、痛んだ。躰が熱くて、凍えるように寒い。
死ぬんだ。そう思いながらただぼんやりと目を開けている。
打ち捨てられている私を、誰か覗き込んだ気がした。そして、目の前が暗くなる。
「おはよう」
男の声。死んだんだろうと思った。
だってこんなに暖かくて、いい気持ちなんだ。さっきまではあんなに辛かったのに。それに、髪も躰も、きれいになっていた。
なら、ベッドの横に座ってる蒼い髪の男は、天使なんだろう。けど、それにしては疲れた顔をしている。
「初めに言っておくよ、君は遠からず死ぬ。僕がする事は、君に安らかな死を贈る事だけだ」
男の言ったことで、どうやら、私は死んでいないらしいと気付いた。
男の言っていることはよく分からないが、どうでもいい。暖かいベッドの中にいる。それが嬉しかった。
「僕はセトナ、君の名前は?」
「…レミィ」
「素敵な名前だね、レミィ」
その時から、セトナはずっと、動けない私の枕元にいてくれた。いろんな話をしてくれた。
空を飛び回る、光り輝く大きな船。
湖で遊び回る、小さな妖精たち。
そんな他愛のないお伽話。その他にも色々教えてもらった。
ずっと東には、大昔に忘れ去られて、誰の記憶からも消えてしまった、深い森の中の都があること。
ずっと西には、とても高い山の上に、世界中のどんな王様よりも、沢山の黄金を持った王様がいること。
ずっと南には、昔々、とても大きな国があって、そこの王様は、死んだ後も色々な宝物で飾られて、今もまだ眠り続けてること。
ずっと北には、一面を永遠に溶けることの無い氷と雪で覆われた大地があって、そんなところにも人が生きていること。
それだけではない。
私が聞いたことには、セトナは何でも答えてくれた。知りたいことは何でも教えてくれた。
なぜこんな事を、という事まで知っていた。
多分、セトナは人間ではないのだろうと思った。それも不思議ではなかった。
のどが渇いたら、暖かくて甘いお茶を淹れてくれた。
お腹は空かなかった。なぜかと聞くと、静かに終わる準備を躰がしているんだよ、と教えてくれた。
終わる、と言うのは死ぬってことなんだろう。それを聞いても悲しくはなかった。今は、こんなにも幸せなのだから。
四日目の、夜。
本を読んでくれているセトナの声が不意に遠くなった。
声を出そうとしても、出ない。体が、動かない。
セトナが、そっと本を閉じたのが見えた。
何かが私に寄り添ってきた。
それは冷たくて、快くて。ゆっくりと私の躰の中に染み入る。
これが、死か。そう思った。
でも怖くない、セトナがそばに居てくれる。手を握ってくれている。
けど、まだ一つ、知りたいことが残っていた。
「セトナは、私のこと、好き?」
言葉になったかは、わからなかった。
私が、閉じていく。
これで、終わりなんだ。
私は今、笑えてるかな?
・ ・
ゆっくりと、目を開く。
血の臭い、誰かの叫び声、肉の焦げるイヤな臭い。
それらがまとめて流れ込んできた。
なんだ、私は地獄行きだったのか。まあ、仕方ないか。そう思った。
立ち上がり、辺りを見回す。
叫び声の主は、フランだった。
おかしいな、なぜフランの髪が紅いのだろう。目が蒼いのだろう。
フランが死ぬわけはない、地獄に堕ちるわけはない。あんな姿のはずがない。
なら、これは夢か。嫌な夢だ。
あそこにあるのは、何だ?
見覚えのある布切れが張り付いた、肉。
そうか、あれは、父さんと、母さんか。
窓の外を見る、窓には、紅い髪で、蒼い目の私が映っている。
頬に触れると、指先の血が、線を描いた。
冷たく、粘りつく感触。
フランの、長く尾を引く叫び声。
不意に、覚醒する。
記憶が、雪崩込んでくる。
父さんの臓物を引き摺り出した。母さんの顔を削ぎ落とした。
フランの首に、歯を立てた。
そうだ、私は鬼になったんだ。
私は
私は
・ ・
その夜、私は全てを失った。
ただ一つ残ったのは、恐怖で気が触れ、私と同じ鬼になった、愛しい妹。
なぜ、運命はこうも理不尽なのだろう。
私達は人としての死さえも、奪われた。
ストリゴイカ
それが私たちの新しい名。
紅い髪、蒼い目を持ち、自らの血族を求め、喰らい、乾きを癒す。それだけの存在。
随分と後になって、パチュリーが教えてくれた。
片思いのまま、結ばれずに死んだ者。
ストリゴイに血を奪われ死んだ者。
自殺者、魔女、偽証者、大罪人。
そんな人間が死んで、十字架の下に埋葬されなかった時、ストリゴイに成るらしい。
あの時、私は確かに恋をしていた。それは、取り返しのつかない間違いだったのか。
その間違いを憎めばいいのだろうか? それとも、セトナを憎めばいいのだろうか?
それとも、両親を、十字架を?
考えても答えは出ない。
なら、全てが憎い。
愛も恋も、捨てた。
両親を、憎しみのままに嬲り殺した。
十字架を、汚し続けた。悪魔を従え、血を啜って。
後は、セトナだけ。
セトナを、殺すだけ。
それで、復讐は終わり。
それで、おわり。
・ ・
「…これで、おしまいよ」
「さ、帰りなさい」
レミリアが背を向け、ベッドに潜り込んだ。
「あの…」
「帰りなさい」
頑で、触れ難い何かを感じた。泣きたいのかもしれない。そう思った。
「そうします。また、近いうちに」
踵を返した。門を過ぎたところで、自分が泣いていることに気づいた。
なぜだろう、誰の為に泣いてるのだろう。考えることが多すぎた。
湖水庵に来ていた。
意味はない。
そう思っても躰は動かず。半分消し飛んだ縁側に腰掛けていた。
私は、何かやらなければならない事がある。なのに、それが見えない。
私は、何がしたいのか。しなければならないのか。
私は、何が出来るのか。
私は、何で。
「あぁー、もう!」
立ち上がり、腹立ちまぎれに石くれをけ飛ばし、髪をかき乱す。
まるで、泥水から土を拾い集めるようだ。
何も見えず、触れれば逃げていく。
嫌になる。私は、親友のために何が出来るのかすら分からない。
「可愛い」
「へぅあっ?!」
驚きのあまり、思わず変な声が出た。平静を取り戻すのには、少し時間が必要だった。
「紫さんですか…」
「面白いもの見せてもらったわ。ありがと」
「見ないで下さい」
本当に、どういう生き方をすればここまで性根が曲がるのだろうか。
「用がないのなら、帰って下さいよ」
「伝言があるわ、聞きたくないなら言わないけど」
伝言? 誰から?
文の脳裏には、一人しか思い浮かばなかった。
「…聞きます」
「霜月三日に、待っている。と」
誰が? やはり、一人しか、思い浮かばなかった。
「確かに、聞いたと伝えて下さい」
紫が、かすかに頷いてスキマに帰っていった。
「良い友を持ったわね」
閉じかけたスキマから、声がした。
何かが、剥がれ落ちた気がした。
私も帰ろう。今は、躰が動く。
日は、落ちていた。
あと半月、答えが出るかは分からない。けれど、もう探す必要も無い気がしていた。
身を切るような冷気を感じる。霧の湖には氷が張っていた。そろそろ、初雪だろう。
湖水庵に着いたのは半刻ほど前だろうか、紫はどこで会うかを伝えなかったが、文には確信があった。
ここに来る。
期待は、裏切られなかった。背後に不意に気配があらわれる。
「二ヶ月ぶりですかね」
聞き覚えのある声、それを聞いた瞬間、どうしようもない程に安心していた。
「ええ、お久しぶりです」
どこか懐かしい声に答え、文は振り返った。
瀬戸は、あの目をしていた。
「霧は、晴れましたか?」
「ええ、晴らしてくれた友がいます」
「そうですか」
瀬戸が、微笑んだ。だが、目は哀しげだった。
何がしたいのか、何が出来るのか。それが分からなかった。
けど、もう迷わない。
簡単な事だ。こんなにも簡単な事だ。
椛が教えてくれた事。
そう、私はいつも通りであれば良い。
私は、私であれば良い。
清く正しい射命丸。人も妖も問わず、事の大小を問わず、貴賎を問わず、真偽を問わず、ただ伝える。
自らに、従い。
それが私だ。
「レミリアに、伝えたいことはありますか?」
しばしの沈黙の後。瀬戸が、呟いた。
「霜月十一日の満月に、君のいる場所で。と、伝えて下さい」
「…わかりました」
瀬戸は、レミリアと逢い、殺されようとしている。
予想はついていた。だが、私は動揺していた。
「人生に、憧れたことはありませんか?」
「え…?」
瀬戸の突然の問いに、上の空でいた私は戸惑った。
だが、これはごまかしでも繰り言でも無い。瀬戸は確かに、何かを伝えようとしていた。それはわかった。
「…私には、よく分かりません」
「そうでしょうね。貴女は過去を忘れ、今を生きていける」
瀬戸の問いかけが、不意に、重く迫ってくるように感じた。
後悔も、絶望も、数えきれないほどに重ねた。
だが、私は、悲しいほど簡単に、それらを過去に押し込め、生きている。
幸せな今を。
瀬戸は、そうではないのか。後悔も、絶望も、全てを抱え、生きているのか。
過去だけを映して。悔いて。
「ただ人を喰らい、魂を喰らい、生きてきた、死すらも与えられず。そんな目に、死は、例えようもなく美しく見えた。そして、憧れた」
瀬戸は、淡々と語る。だが、文には、瀬戸の悲しみが、見えすぎていた。
瀬戸が、背を向けた。
止めようと、踏み出す私を振払うかのように、声が響いた。
「僕が、傷つけた、壊した、殺した。愛してくれた人々を、レミィを、そしてきっと貴女をも。僕は、怖い」
瀬戸の、渇ききった声。それは、自らへの憎しみであり、怨嗟であり、懺悔だった。
文は、知った。瀬戸にとっては、死こそが救いなのだ。それしか、瀬戸には残されていないのだと。
「貴女に、知ってもらえてよかった」
霧の中に、瀬戸が去っていった。
文は、ただ立ち尽くしていた。
・ ・
酒を呷った。
全く、莫迦な男だ。紫はそう思った。
自分の知るだけでも三百年、罪人のように生きていた。
絶望、後悔、そんな物は人間の心にだけあればいい。
だがあの男はそれを認めなかった。そうしなかった。
瀬戸は、セトナは、人間だった。
妖に堕ちようと、人の魂を喰らおうと、あの男は人間だった。
人と共に生き、人に触れ、触れる物をみな壊し、傷ついた。
妖にとって、人を愛することがどういう事なのか。
分からないはずは無い。
気付かないはずが無い。
それでも、愛した。
過ぎ去り、忘れ去られた過去の日々と、同じ様に。
セトナも、ようやくこの閉じられた輪から放たれるだろう。
レミリアは、私の出来なかった事をしてくれる。
彼には用意されていなかった、終わりを。
死を、セトナに贈る事ができる。
永く、いい友でいてくれた。そのことさえ、覚えていればいい。私は、忘れない。
何故だろうか?
今宵の酒は、ひどく苦い。
・ ・
「入りなさい」
レミリアの声が聞こえた。
扉が軋み、開く。開けてしまった。そう思った。
踵を返し、このまま帰ってしまったら。何度もそう考えたが、できなかった。
親友の願い。それを叶えるため、私は親友を死へと押しやる。
半月を背負い、レミリアは窓辺に座っていた。
「…伝言です」
レミリアが、深紅の瞳で私を見据えた。美しいな、そう思った。
「聞かせて」
「 『霜月十一日の満月に、君の居る場所で逢おう』 そう伝えて欲しいと」
「ありがと」
レミリアが微笑んだ。頬には、涙が伝っていた。
静寂が、部屋に満たされる。
レミリアが、私に背を向け月を仰ぐ。もう、話は終わりだと言わんばかりに。
違う。そう思った。
まだ一つ、やり残していた。
「愛してくれた人間達を壊し、失い、そんな事を繰り返し生きていた。そして人生に、人間の死に憧れた。そう、言っていました」
レミリアが、笑った。それは高らかに、愉しげに響いた。
「上手い話もあったものね、私は殺したい、セトナは死にたい。いいじゃない、両想いのハッピーエンドね。けど、五百年の絶望の埋め合わせは出来そうも無いわ」
心から愉しそうに、笑い、泣いていた。
レミリアの哀しげな笑いに、涙に。心が衝き動かされた。
それはすぐに、言葉に姿を変え、溢れ出した。
「おかしいですよ。二人とも悲しんで、苦しんで、それで、殺しあって。こんな終わり方って、ないですよ」
レミリアの笑いが、涙が、止まる。
背筋の寒くなる程に紅い瞳で、私を見据え、問いかけた。
「なら、他の終わりがあるかしら?」
「許す事は、出来ないんですか?」
レミリアが、少し笑って、言った。
「罪は、許されないわ」
愚問だったと気付く。
許せたのなら、セトナが五百年の絶望を生きる事も、レミリアが五百年、憎しみだけに生きる事も、ありはしなかったのだ
「許されはしないわ。愛する妹の首に歯を立てたこと。両親を引き裂き、嬲り殺したこと。私も、同罪よ」
レミリアも、同じだったのだ。
セトナと同じように、過ちに囚われ、悔い、そうやって生きてきた。たった一つ、違ったのは。
「でも、私はまだマシね。憎めたのだから」
セトナは自分を憎み、レミリアは全てを憎んだ。それだけのことだった。
「二人とも、十分に苦しんだじゃないですか。もう、許されても、罪を忘れても、いいとは思いませんか?」
「そうね、そうできたら、幸せでしょうね」
「なら…」
意を得た私の言葉を遮り、レミリアが呟く。
「でも、運命だもの」
突き付けられる、その現実。
翻らない、覆らない事実。
もう、止まらない。
歪んだ歯車は。
もう、誰にも止められないのだ。
「帰りなさい」
その言葉に、抗おうとも思わなかった。
この結末へと導いたのは、私だ。
レミリアに背を向け、部屋を出て、館の門を潜った。
家に帰り、夜。床の中でふと思う。
私は、間違ったのだろうかと。
・ ・
満月。
いい夜だ、そう思った。
虫の音。草が風に靡き、さざめく音。月の光。
全てが心地よい。
湖の畔で、立ち止まった。
ここなら、いいだろう。周りには、木と草と水の他には何も無い。
霧の湖が、月を映している。鏡よりも美しい水面に、映る月。
それが、不意に揺れた。
セトナが、立っていた。
「この日を、五百年。夢見ていたよ」
言いたい事があった気もするが、それはどうでも良くなっていた。
口を衝いて出たのは、恨みでも、憎しみでもない。それが、意外だった。
「僕は、思っても見なかったな。レミィに何があったのかさえ、まだ知らないのだからね」
あの日と同じ顔で、同じ声で、レミィと呼ばれる。それはあまり気分が良くなかった。
「レミリア・スカーレット。紅魔館当主のストリゴイカ。それだけさ」
「…その、翼は?」
「混じり合い、穢れきった血だ、理由など忘れたよ」
「そっか、辛い思いをさせたね。レミリア」
「気に病む事はないさ、終生を共に過ごせる友が出来た」
心にも無い事を口走っていた。だが、本当の事だ、そうも思った。
「文も、そうかい?」
「ああ。最近は、随分とお前を気にしていたよ」
「…また間違ったな、僕は」
それきり、言葉は絶えた。
暫くの後、口を開いたのは、セトナだった。
「やっぱり、死ななければならないのかな?」
「おかしな事を言うじゃないか、その為に来たんだろう?」
私に背を向け、月を見上げて言った。
「そのつもりだったけどね。僕が、なぜ生きていたのか分からなくなった。知りたくなった」
あまり真剣に言うので、思わず吹き出した。堪えきれず、笑い出す。
セトナと二人で、高らかに笑う。
こんな空惚けた事を言えるのも、文のおかげなんだろう。
「散々、その身に刻み込んだのではないのか?」
セトナが、静かに振り向いた。
「罪を、忘れない為だよ」
光で編まれた、紅い槍が翔る。
それはセトナを貫く事は無く、空に消えた。
セトナの姿は、見えなくなっていた。
「避けたら、当たらないじゃないか」
「尚更、死ぬわけにはいかなくなったからね」
左隣から声がした。向き直り、問う。
「それでは、困るな。一体、なぜ?」
「生きる為に」
頑で、優しい顔。あの時に見た顔も、これだった気がする。
随分と、疲れた顔だった。
「…結局、こうなる運命だったらしいわね」
「ああ、でも、十分だよ」
十分、確かに、そうだろう。
確かに、私達の終わりには、相応しいだろう。
スペルカードを取り出した。
もう、必要は無い。そう思った。
一枚づつ、破り捨てる。
「あれ、いいのかい?」
「ええ」
「そっか」
最後の、一枚。
半ばまで裂いた。
少し、躊躇い。
破り捨てた。
・ ・
紅い光が見えた。
考える前に、羽撃いた。
何故、何の為。
そんな繰り言には飽いた。
私は、私だけに従う。
二人が見えた。
瀬戸が、レミリアが見えた。
どうすればいいかなど、分からない。
ただ、辿り着けば、きっと何かが分かる。今までが、そうだったように。
黒い翼に力を込めた。
何かが、私を飲み込んだ。
「水を差すモノではないわよ」
紫の声がする。
眼下では、レミリアと瀬戸が切り結んでいる。
ならば、ここはスキマか。
紫が、私をスキマに閉じ込めたのか。
「出して下さいよ! 私は、私は…!」
怒りのままに、声を荒げた。だが、紫は微笑んだだけだった。
「瀬戸が、ただ死を待っていたと思う?」
紫が、私を見据える。
そんな事は、どうだっていい。そう思っても、なぜか言えなかった。
「彼は、死なないのよ」
紫は、何を言っているのだ? 解らない。
セトナは、死なない?
ならば何故、死ぬと言った? 殺すと言った?
「神が死ぬなんて、あり得ないもの」
「…神?」
「ええ、人の恐怖と、畏怖と、憧憬に生み出された神。信仰を失い、忘れられ。消えることも叶わずに。…妖怪になった、神」
紫の言葉を理解し、言葉を失う。
人に生み出され、忘れられ、堕ち、忌まれ、それでも人を愛したのか。
かつて自分を崇め、信じてくれた人を喰らったのか。
それでも、人を愛し、人と生きようとしたのか。
その果てに、殺しあうのか。
愛してくれた、人と。
二人を、見る。
紅い槍、蒼い剣。
きっと通じ合えたであろう、二人。
そこに在るのは、それだけだった。
ただ、それだけだった。
・ ・
両の手で突かれた槍が、首を掠める。
突き出された左腕を斬り上げた。
手応え。成果を確かめるよりも早く、槍が薙がれる。
防いだ剣が砕かれた。
飛び退り、八本目の剣を湖から作り出す。
レミリアが、右腕一本で槍を提げている。
左は、使えないのか。ならばこれでおあいこだ。
大きく、息をした。
運命は、決まっている。そんな事は知っている。
ただ、最後まで足掻き続ける。
今までに過ぎ去った人々が、そうであったように。
定められた死に向かう、刹那の輝き。
其れにこそ、憧れたのだ。焦がれたのだ。
僕は、今、そこにいる。
レミリアが跳んだ。
叩き付けられる槍を、右に跳び、躱す。
踏み込み、首を薙ぐ。地に突き立てられた槍に止められた。
そのまま刃を落とし、手首を切り下ろす。
だが、手応えは無い。
槍から離した右手で、胸を強かに打たれた。
弾け飛び、飛び退り、また対峙する。
満月が、僕らを照らした。
月光を宿す、紅い瞳。
あの日と同じだ。ふと想った。
レミリアが、槍を脇に引き付け、駆ける。
誘い込まれるように、剣を下段に下ろした。
これで、終わるのだろう。
躱そうとも、思わなかった。
・ ・
胸を、紅く光る槍が貫いた。
首を、蒼く光る剣が撥ね切った。
二人が、崩れ落ちる。
「後は、任せるわ」
その声が終わらないうちに、私はスキマから弾き出された。
何を、任せると言うのか。
その意味を考えはしなかった。
セトナに駆け寄り、抱き起こす。
セトナはまだ、そこにいた。
「駄目だな、僕は。貴女を傷つけたくは、無かったのに」
いつもの苦笑を浮かべ、言う。
言葉が、出ない。
ただ涙が溢れ、セトナの傷から湧き出る、蒼く澄み渡った水と混じりあう。
「預っていた写真、返しますよ」
セトナが、一枚の写真を取り出した。
セトナと私が映っている、少し手ぶれした写真。
私が忘れてしまった過去の、小さな欠片。
震える手で受け取ろうとしたソレは、風に舞い、消えて行った。
傷跡に、小さな手が置かれた。
隣には、躰を紅く染め上げた、レミリアが居た。
「分かりあえた筈だった」
レミリアは、湧き出る水に血を浸しながら、それだけを呟いた。
「どこで、間違ったんだろうね」
「さあ、分からないわね」
二人の諦めきった、呟き。
「間違ってなんか、いませんよ。伝え損ねただけです、想いを、言葉を」
ようやくそれだけを絞り出す。
伝えたかった残りの言葉は、涙になって、零れ落ちた。
「そうね、そうだったわね」
レミリアが微笑み、立ち上がる。
「でも、もう手後れよ」
そう言って、小さな背を向けた。
「僕は、今からでも、遅くはないと思うよ」
セトナが、呟いた。
レミリアの歩みが止まった。
セトナが、言葉を、紡ぎ出す。
「永く、苦しんだ。けど、幻想郷で皆と出逢い、共に生きて。瀬戸流水は、幸せだった」
辛かった、悲しかった、苦しんだ、恨んだ。
それでも、私達は生き続けた。
「幸せだった」
哀しい別れを、幸せな別れを繰り返し、生きた。
これも、一つの幸せな別れなんだ。
けど、悲しい、苦しい。
涙が、止まらない。
瀬戸の指が、私の涙を拭う。
その指も透き通り、水に還っていく。
不意に、頭の中に何か優しいものが触れた。
忘れるのか?
こんなに哀しいのに、苦しいのに。
忘れたくない。
幸せだったのに。
楽しかったのに。
愛していたのに。
もう、言葉にしようとも、思わなかった。
ただ、泣いた。
・ ・
川に膝まで漬かりながらも、河城にとりの心は千々に乱れていた。
数日前の事だ。
紫が訪ねてきたと思ったら、なんと! 目に涙を浮かべ、頼みがあると言ったのだ。
そして、すわ幻想郷存亡の危機かと思い、内容も聞かぬうちに引き受けてしまった。
思えば、早まった事をした。
紫は、私が頷いた頭を上げきらないうちに、ふた抱えもある書類の山をスキマからほうり出して帰っていったのだ。
私が甘かった。つくづくそう思う。
一応、書類に目を通してみたが、表題にある幻想郷の災害管理とは名ばかり。
人間の畑の為に雨を降らす、湿度を管理する、気温を調整する、霜害を防ぐ。そんなことばかり。
なぜ私がこんなことをしなければならないというのか。お山の大将に任せておけばいいではないか。
丸一日かけて、ようやく書類に目を通したと思ったら、二日続きのこの大雨だ。
何をどうしても、ちっとも晴れはしない。
雲を全て吹きとばしても、降り続けているのだ。
大体、この季節に雨が降るなんて、非常識にもほどがある。
氷の張った池を雨が叩いているなんて、見ているだけで頭が痛くなる。
しかし、ようやく解決できそうだ。
今朝がた、水に霊魂のような物が混じっていることに気がついたのだ。
きっと、そいつが犯人だ。そうに決まっている。そうに違いない。
「ぬぬぬ…」
なかなか捕まらないが、そろそろ終わりだ、腐れ幽霊め。
「ぐむむ… んぬっ!」
ついに捕まえた。後は引きずり出すだけだ!
「あれ? 生きてるのかな?」
「ひゅい!?」
目の前に、蒼い髪の男が立っていた。
・ ・
「運命は、奇なものだねぇ」
「ええ、ホントにそうね。まさか貴男と酒を酌み交わそうとは、思っても見なかった」
「だからこそ、面白い」
「そうね。本当にその通り」
「文さんから、教えてもらったよ」
今では、彼女は忘れているのだろう。
だが、僕は忘れていない。多くを教え、与えてもらった事を。
それで、いい。
レミリアが少し笑った。
「大したものよね、文も」
「ああ、ここまで自分が変わるとは思えもしなかった」
「だからこそ、面白い」
二人の声が重なる。
少しの間、笑った。
この時間も、文が与えてくれた時だ。
あの、一途で、ひたむきな妖が。
「私は、許すつもりは無い」
暫くの沈黙の後に、レミリアが口を開いた。その目は、蒼かった。
「けど、憎み続けるのにも飽いたんだろう?」
「ああ、だから」
「水に流す事にしたわ」
言って、一息に盃を干した。
もう、目は紅かった。
また、静寂が満ちた。
黙然と、盃を呷る。今までのように、過ぎ去った過去を見つめながら。
だが、今までとは少し違う。
その過去は、手の届きそうな程、近くにあった。
二度目の恋をした、その日々は。
少し、寂しかった。
「なんで私までつれてくるのさ? スキマの社長に押し付けられた仕事だってあるのに」
「まぁまぁ、旅は道連れ世は情け。昔から言うじゃないですか」
「旅でもないし、情けなんかカケラもありはしないけどな! こんなことなら、最初っから言うんじゃなかったよ、全く」
それから、半刻ほどは経ったろうか。店の外から、騒々しい声が聞こえてきた。
レミリアが、くすりと笑う。
「今日は、大繁盛ね」
「ああ、紫が来たら驚くよ」
少し軋み、引き戸が開いた。
胸の痛みは、忘れることにした。
ここ数日、幻想郷は雨に降りこめられていた。
「どうにも、気が進みませんね」
窓枠に寄り掛かっている文が、そぼ降る雨を眺め、投げ捨てるように呟いた。
こんな天気では、取材に出かける気にもなれない。
いや、雨はなんとでもなるのだが、淀んだ空を眺めていると動くのが億劫になってくる。
「でも、もう五日も発刊してませんよ。いいかげん書かなくていいんですか?」
椛が、背を向けたまま言った。
「椛こそ、こんなところで昼酒飲んでていいんですか? 見張りがあるでしょうに」
「いいんですよ、この雨では滝も水が増え過ぎてしまって。だから、梅雨の間はここが詰め所です」
この天狗、最近肩の力が抜けてきたのはいいが、どこぞの紅白に似てきている。
私の机で、だらだらと酒をあおっている椛を見ていると、少し羨ましくなってきた。
だが、締め切りは私を待たない。
今日中に書き上げなければ、明後日の朝刊が、夕刊に早変わりだ。
仕方なく、残りの紙面を、手帳からひねり出そうと思い決め。
手帳を開いた。
「…これは、一体?」
少し、目を細めた。
開いた頁には、ただ。
水無月十九日 霧の湖で
と書かれていた。
一昨日の日付、自分の筆跡。
しおり代わりに、写真を挟んだ跡。
同じペンに、インク。
不都合な点は一つも無い。
だが、私はこの書付を書いた覚えが無かった。
「一昨日は、一日博麗神社に入り浸ってましたよね…?」
私は、そう覚えている。
現に文々。新聞の原稿には、一昨日の霊夢の乱酔っぷりが写真付きで書かれようとしている。
「ねえ、椛。昨日、私は霧の湖に行くって言っていましたっけ?」
「また唐突ですね…確かに、チルノさんに会いに行くって言ってましたよ」
「むぅ…妙ですね」
椛は、私に聞いたと言っている。だが、その事も記憶にはなかった。
こんなことは、四桁生きてきて初めての経験だ。天狗もボケるのだろうか?心は若いつもりだが。
しかし、それらしい兆候もなかったし、まだボケるとしても早すぎるのでは?
はたてにバレたらどう騒ぎ立てられることやら…。いやいや、まだボケたと決まったわけではない。
そう、私の思い過ごしかもしれない。
頭の中は、そんな事をしばらく、窓際でこねくり回していた。
「…窓際で考え事ですか? らしくもない」
空になった湯飲みをおき、椛が口を開いた。
稀にだが、彼女はけっこう、物事の核心を突く。毒舌気味なのはいただけないが。
そう、椛の言う通りだ。今日の私はらしくない。
「…そうですね! 少し取材に出かけます。留守番、頼みますよー!」
「あっ、あの! 私はこの後…」
文は飛び出した、未知への好奇心に駆り立てられて。
見回りのある椛を置き去りにして。
「さてと、まずは聞き込みですね」
どこに行くかはもう決まっている。
程なくして、博麗神社の戸を叩いた。
だいぶ待つと、戸が開き、野良猫を洗濯機に放り込み脱水したような姿の巫女が出てきた。
一昨日はずいぶん飲ませたが…まさか三日酔いとは。いささかやり過ぎたかもしれない。
「あやややや、ひどいものですねぇ」
「ええ、ひどいわよ。私はまだ頭が痛くて胃がひっくり返りそうなの。三日酔いなのよ。なぜか分かる?」
「なにかイヤなことでもあったんですか? だけど酒は飲んでも飲まれるなと昔かr」
「あんたらがメチャクチャに飲ませたからよ鳥頭! 鬼と天狗と飲み比べさせるんじゃないわよ!」
「でも、お金に釣られて飲み比べを始めたのは霊夢さんでしたよ?」
霊夢が絶句した。
まったく、これだから神社通いはやめられない。
だが、今日の要件は、この紅白の痴態を激写することではなかった。
「それはそれ、今日は一つ依頼があって来たんです」
少し勇気を出して、これ以上なく不機嫌な顔の霊夢に言った。
「…まぁいいわ、聞かせて」
霊夢は「依頼」と聞いた瞬間に、顔を引き締めた。
髪はぼさぼさで、隈ができて、心無しか頬がやつれた顔ではあったが。
「一昨日…私は、帰り際に霧の湖に行くようなことを言っていましたか?」
「あんたらに酔い潰されたのだもの、覚えてないわよ」
「それは盲点でした…! では、今日はこれで」
「…えぇっ!? ちょっと、待ちなさいよ! それだけなの!? ねぇっ! あっこら、逃げるなバ烏!」
霊夢の叫びが聞こえてくるが、残念ながら文の記憶には留まらなかった。
(あとは霧の湖でチルノさんに聞き込み、それもダメだったら…どうしましょうか)
考えても、もう方策は見つからなかった。あとはチルノが頼りだ。
直ぐに、霧の湖に着いた。
いつもながら、ここは寒い。だが、今日はいつにもまして寒かった。
これだけ寒いと言うことは、近くにあの氷精がいるということだ。
「あ、射命丸! ひさしぶりー!」
探すまでもなく、チルノは文を見つけて飛んできた。
まったく、ヒマな妖精もいたものだ。
いつもならば、ささやかな幸運に浸る所だが、チルノの一言が引っかかった。
「久しぶり、ということは…一昨日、私はここに来てないんですね?」
「うん!」
現実は厳しい。非情だ。
しかし、ここ以外にもう手がかりはない。
このまま未解決では、気になって夜も眠れない。
どんな小さな手がかりでも掴もうと、いつも通りに食い下がる。
「そうですか、では他に何かいつもと変わったことはありますか?」
「うーん………あ! そういえば紫をよく見かけるよ」
「紫さんが? 外を歩いているなんて珍しいですね、何をしていたかわかりますか?」
「えーとね、いつもあっちの森に入っていくんだけど」
チルノの指さす先には、紫の傘が揺れていた。
二人は、顔を見合わせた。
「…奇跡ですね。とりあえず尾行しましょうか。協力ありがとうございました」
「…これには流石のあたいもビックリね。それじゃー、捕まらないようにがんばってね!」
チルノも尾行のなんたるかは理解しているらしく、陽が落ち始めた湖を帰っていった。
文はチルノを見送った視線をもう一度紫に戻す。チルノの言った通りに、森に入っていった。
あのスキマ妖怪が傘を差して雨の森を歩いている。しかも夕暮れ時に。
これはもはや異変と言っていい。
手帳の事に関係があろうとなかろうと、紫の行き先を突き止めねば気が済まない。
文は、手帳の事を忘れかけていた。
普段よりいくらかの緊張を持って文が尾行を始めた。
紫はいつもと違って随分気を緩めている。尾行はそう難しくなかった。
なんの波乱もなく事態は進んでいく、15分ほど歩いただろうか。
小さな茅葺の家が見えてきた。小さな池と、ツユクサの植わった庭。
妖怪のうろつく森の中にはいかにも不釣合だ。
少し建て付けの悪い引き戸を、無遠慮に開け、紫がそこに入って行った。
しばらくすると中から酒器の触れ合う音が聞こえた。
森の中の一軒家。様子の変な紫。夕暮れ時。これは、きな臭い
文の胸が高鳴る。もし、もしやすると、あのスキマ妖怪が男と密会?
今はもう、手帳のことなどはどうでもいい。次々と一面記事のレイアウト案が飛び交った。
だが、それは、数秒後にすべてボツになる。
「妖怪酒屋、湖水庵?」
腐りかけた立て看板には、そう墨書してあった。
つまり、つまりだ。
紫は、居酒屋に入ったわけだ。
…ただの居酒屋、潰れかけの小さな居酒屋に入っただけなのか。
これが、どうして一面記事になれるというのか。
ついてない、全くついていない。もう日も暮れるというのに。
半日飛び回り、スキマ送りも覚悟して、尾行した成果がこれか。
「…折角ですし、入りますか」
文は、酔う前からふらついた足取りで、歩いていった。
軽く軋み、引き戸が開いた。
「こんばんわー…」
「あら…どうするの?」
紫がこちらに視線を向けもせず、カウンターのむこうにいる、店主であろう青年に声をかけた。
今までに聞いたことが無い、優しい声音で。
だが、言っていることはどうも穏やかではない気がする。
「あの、ここって居酒屋…」
不穏な空気を感じた文が口を開くと、椅子に腰掛けている蒼髪の青年が言葉を継いだ。
「ええ、いらっしゃいませ」
良かった、この店主はごく常識的な妖らしい。それに、紫が解らないのはいつもの事だ、気にすることはない。
すぐに文は紫の言動を頭の片隅に追いやった。
「お銚子一本熱くして、何かしら肴をおまかせでお願いします」
「はい、ただいま。お席は空いている所をどうぞ」
店主が椅子から立ち上がる。
ごく常識的な受け答えに、店に入った時の違和感が薄らいでいった。
少し離れた席に文が座ろうとすると紫が隣の席を進めた。
「ここ、座りなさいな」
「えっ…?」
あまりに予想外の行動に、思わず身構えてしまった。
「何で引くのよ…」
呟いた紫が、心無しか老けて見えた。
それを見て、店主が笑う。
紫の隣に座った文は考えを巡らせた。
いつもと違う顔を見せる紫、そんな紫を見てクスクスと笑っている店主。
あの大妖怪のこんな姿を、今までに見たことが無い。
これは案外、その目もあるやも知れない。
雨に打たれ、燻っていた文のブン屋魂が再び燃え盛った。
だが焦らない。まずはただの客として、密かに探りを入れて行くべきだ。
「紫の、知り合いなんですね」
店主が、徳利に酒を移しながら言った。
呼び捨てか、これはいよいよきな臭い。
少し、誘いをかけてみようか。
「ええ、そんなものです。ご亭主は、紫さんとは、どういった知り合いなんです?」
意外にも、この問いには紫が答えた。
「幻想郷が生まれて十年程度、まだ荒れていた頃に随分と世話になったのよ、それ以来の縁」
「あれ、腐れ縁って言わないんだ」
「一応感謝してるってことよ、タダ酒も飲んでるものね」
紫に接するときは、口調からして違うのか。
やはりこの関係、怪しい。けれど、それよりも文は気になることがあった。
「幻想郷が生まれて十年頃からいるのなら、どこかで顔を会わせていそうな物ですが。 名を、お聞きしても良いですか?」
尋ねると、微かな違和感を感じた。
少し、嫌な感じ。頭の中を撫ぜられるような、包まれるような。だが、それは直ぐに消えた。
「世捨て妖の名など、気にしたって仕方がないですよ。…はい、お待たせしました」
言葉を濁して、酒と肴を置いていく。
文の皿には小振りの鮎の背ごしが、紫には、小鉢にうるかが盛られていた。
どうにも軽くあしらわれた。だが焦る必要はない。
なにより、目の前にある熱燗が、今は何より魅力的だ。
「いただきます」
手酌で飲み始めた。
聞こえるのは雨音と、店主が皿を洗う音だけ。
それも消え、本の頁を繰る音に変わる。
久しく感じたことの無い、心地のよい沈黙を感じた。
「いいですね、この感じ」
知らずに、文は口を開いていた。
「そう言ってくれるお客さん、珍しいです。たまに妖精さんが来ますけど、みんな陰気臭いって言って。すぐ帰っちゃいますよ」
店主が本から目を上げて、苦笑を浮かべながら言った。
紫も、盃を置き呟いた。
「そもそも、ここに私以外の客が来ること自体、稀だもの」
「あれ? じゃあどうやって生計を立てているんですか?」
「私のヒモよ」
からかっているんだ、冗談だ、嘘だ、これは罠だ。
遊ばれているのだ。そう、これは罠だ! 訊いたら負けだ!
「…それ、本当ですか?」
「嘘よ」
「瀬戸には天候管理を任せているの。最近は外の気候もだいぶ変わってね。で、ここと外がズレてきたのよ。その調整の仕事にいくらか報酬を払っているの」
かなり重大な事実だが、文は自分を呪うのに忙しく、あまり聞いていないようだった。
「はぁ、もういいです… もう一本、冷で」
こうなったら飲むしかない、これ以上続けても遊ばれるのがオチだろう。
「私もそうするわ、冷たすぎはイヤよ」
紫も酒を頼む。
しかし、この関係、ただの友人にも見えない。
「葉茗荷の味噌漬けでいいですか?」
「いいですね。私、茗荷好きなんですよ」
言葉を交わしながら考える。さっきも紫には何も言わずにうるかを出していた。
今もそうだ、紫も何も言わないし気にもしていない。この二人は、随分と長くこんな関係を続けていたのだろう。
さっき紫が、瀬戸と呼んだこの青年。やはり、知りたい。
「やっぱり、瀬戸さんとは、それなりの関係なんですよね?」
我慢しきれず、口に出していた。堪え性のない千二百余歳である。
「抱いて面白そうな男でもないし、気にしたことは無いわね」
紫からはやはり、人を食ったような答えが帰ってきた。いや、文字通りの意味ではなく。
紫に聞いてもだめだ、矛先を変えてみようか。
「瀬戸さんはどうです? いい雰囲気になったりならなかったり…」
「私生活の質問は、お店の外でお願いします」
にべもない、水商売でもあるまいに。これは、どうやら紫と同類であろうか?
だがこれで終わる射命丸ではない。
「それじゃ、看板まで粘らせてもらいましょうか」
「きちんとお代は頂きますよ。…はい、どうぞ」
瀬戸の酒の支度が終わった。
文には冷酒と葉茗荷の味噌漬け、紫には冷酒と葉付き生姜の味噌漬けが供される。
再び暖かい沈黙が流れ始めた。
その沈黙を文が乱した。好奇心、あるいはそれ以上の何かに駆り立てられて。
「けど、不思議な話ですね。瀬戸さん、こんなに人懐っこそうなのに、なぜ世を捨てたんですか?」
言葉にしてから、どうやら、自分はあまり触れてはいけないものに触れたのかもしれないと気づく。
楽しげに行を追っていた瀬戸の瞳は、今は亡い、何かを映していた。
まるで、時が止まったように感じた。
「相も変わらず、女々しいわね」
「必要なことだよ、忘れてはいけないことだ」
瀬戸が、苦笑した。
その目は、もうあの目ではなかった。
元の時間が流れだす、何事も無かったかのように。
何かの、間違いだったのだ。文はそう思う事にした。
「そろそろ看板ですよ」
瀬戸の言葉で、壁の時計に目をやる。時計は、亥の刻を過ぎていた。
あれから、随分と飲んだかもしれないし、ほんの二、三本かもしれない。
こんな酔い方は、久しぶりにした。
「お代は、いくらですか?」
「そうですね…五銭ほどですかね」
「あやや? いくら何でも安いですよ」
「いいのよ、露命を繋ぐだけの金は払っているし、払わなくたって特に不都合はないんだから」
紫が引き戸を開きながら毒口を叩いた。やはり、勘定を払おうとはしなかった。
「…それでは、お言葉に甘えて」
勘定を払い、店の外に出て瀬戸を待つ。
紫はスキマを開いたのだろう、もう姿は見えない。
それなりに酔ったが、いつも通りの取材はできるだろう。
程なくして瀬戸が出てきた。
「隠していたわけではありませんが、私、文々。新聞の記者、射命丸文と申します。それを踏まえ、約束通り取材をさせてもらえますか?」
「ええ、答えられる範囲で、何なりと」
驚くでもなく、瀬戸が微笑みながら言った。どうにも、この顔には気勢をそがれる。
だが、そんな事は些末な事だ。取材を始めよう。
「それでは、まず妖としての種族を詳しくお教え願えますか?」
「特に名前は無いんですよ、言うなれば水の妖怪ですかね」
「水の妖怪ですか、河童などよりも、妖精に近いのですか?」
「妖精というよりも、精霊ですね。水そのものと言って差し支えないかもしれません。」
「水そのもの…ですか。大したものですね」
やはり、大物だ。おそらく紫とも並び得るだろう。
神と言っても、差しつかえが無さそうなものではあるが。
質問を続けた。
「二つ目の質問です。紫さんとの出会いを聞かせてもらえませんか?」
「随分と昔に、水底に隠りました。そして人間達に忘れ去られ、消えかけて。そんな時幻想郷に入ったんですよ。そのうちに、紫と潰しあって。それ以来の仲です」
妖怪にとっては、ありふれた幻想入りの切っ掛け。
だが、なぜだろうか。
もっと知りたい。
何があったのか。何を思ったのか。
「詳しく、聞かせてもらえますか?」
やめるべきだ、そう思っても言葉は止まらなかった。
「人間の魂を喰らう、それだけのはずでしたが、有ろうことか獲物である女性と情を交わしてしまった。そして、子が生まれました。その生涯は、安寧や幸せを手に入れることは無かった。それを機に水底に篭もりました。やがて、幻想郷に入り、どうやら此処では消えないらしい、そう知ってから再び人を喰らい始め、そんな時に紫と潰し合いました。その後は紫の説明したことと何も違いませんよ」
訥々と語り終えて溜息をつき、瀬戸は晴れ上がった夜空を仰いだ。
気のせいでは、なかったのだ。
『なぜ世を捨てたのか』
あの問いの答えは、これだったのか。
嫌な事を語らせただろう。聞いた事は忘れるべきだ。
「記事には、できそうもないですね」
気づけばそんなことを口走っていた。
いつもと違いすぎる自分。この男にあってから、ずっとこの調子だ。
だがおかしいとも思わない。きっと、紫もこんな調子なのだろう。そう思った。
「そう言うと、思っていました」
空を仰いだまま瀬戸がそう言った。その姿が、美しく。
「今日の取材は終わりです。今度は取材抜きで、寄らせてもらいますよ」
慌てて言葉を濁す。今、私は照れてたんだろうか? 本当にどうかしている。今日の私は。
「まだ、聞きたいことがあるのでしょう?」
瀬戸は、真直ぐに私を見据えて言った。
不意に、斬りつけられたような気がした。
聞きたい事? 自問する。
答えはすぐに見つかった。
確かに、聞きたいことは残っている。だが、私はそれを押し込めていたようだ。
もはや確信にも似て、それは心のなかに蟠っていた、それ。
聞かなくてはならないのだろう、きっと。
「…では、お聞きします。 私の手帳について、知っていますか? 」
「ええ」
やはり、そうだった。
初めの、紫の言動がそうだったのか。
瀬戸も、私を知っていたかのようだった。
あたかも、以前私がここに来たかのような。
ならば、考えつくのは。
「記憶を、操れるのですか?」
「ええ。これで、九回目ですよ」
やはり、否定はしなかった。手帳の事も、私は忘れたのか。なら。
「今回も、消しますか?」
「今回はそのつもりはありませんよ、一つ、約束を守れるのなら」
「一体、どんな?」
「絶対に、僕の事を他言しないこと」
少し、ほっとした。そんなに大層な事でもない。
頷いて、言った
「ええ、そんな事でよければ」
「ありがとう。約束を守ってくれること、期待しています」
「では、これで失礼します」
「ええ、おやすみなさい」
飛び立った時に、声が聞こえた。
「またのお越しを、お待ちしています」
・ ・
「消さなかったのね」
月を眺めていた瀬戸が、振り向いた。
「見てたんだ」
「ええ、二回目からずっと。で、どうするの? 今からでも間に合うわよ」
瀬戸が黙り込み、再び月を仰ぐ。
暫しの後に、月を仰いだまま言った。
「妖で在れば、そう思えるようになった」
「それで、苦しんできたのでしょう?」
「それでも、さ」
溜め息が出た。呆れた男だ。
どうしたって、結局は捨てきれないのだ。
そんなだから、二人の少女の一生を奪ったというのに。
スキマを開く。
「それでも、僕は」
声が追ってきた。聞く気はない。
スキマを、閉じた。
・ ・
紫が冬眠に入ったら、少しつまらないな。
次は、誰か他の妖怪と来てみたい。まあ、無理な相談だけど。
そんなことを考えながら、引き戸を開く。
「いらっしゃい」
立て付けの悪い引き戸、椅子に座って、本を読む瀬戸。
いつも通りの光景。だが、少し足りないものがあった。
「あやや、今日は紫さんは来てないのですか?」
「ええ」
珍しい事もある。あれから三月は経つが、今日までしばしば通ってきて、紫がいない日は一度もなかった。
「喧嘩でもしましたか? いい加減、愛想をつかされたとか」
「まさか。紫の考えてることは、僕にもよく解りませんから。きっと、何か事情があるんでしょうね」
瀬戸が酒の支度を始めた。
「瀬戸さんも、分からないこと、あるんですね」
「ええ、沢山ありますよ。男女の仲とか、若々しさの秘訣とか、知りたい事だらけです」
酒の支度をしながら言った。それがあまり真剣だったので、文は思わず吹き出した。
「笑わないでくださいよ、本気なんですから」
「いえ、あまり真剣でしたからつい… あ、私でよければ教えましょうか。若々しさの秘訣」
「じゃあ、聞かせてくれますか?」
「唯一最大の秘訣は、好奇心ですね」
「好奇心、ですか」
「ええ、好奇心のままに幻想郷を飛び回る。倦むことがないですよ、こればかりは」
「そんなものですか、好奇心なんて、久しく失っていましたよ」
瀬戸が、少し寂しそうに笑った。
「ええ、それのおかげで、とある吸血鬼なんて、幼いまま五百年を生き続けてますよ」
「幼いまま、ですか? 不思議な方ですね」
瀬戸が米茄子の田楽と、熱燗を置く。
それが一つずつなのが、少し気になった。
「ええ、ある時は本当に子供みたいですけど、ある時は人も妖も構わず心酔させるような。不思議な幼女です」
「いや、幼女って…。知り合いなんですか?」
瀬戸がいつもの苦笑を浮かべていた。
熱い酒を干す。それで、紫が居ないことは、あまり気にならなくなった。
「ええ、竹馬の友ってやつですよ。瀬戸さんと同じ蒼髪の、わがままでちょっと臆病な、小さくて可愛い吸血鬼ですよ」
「なんなんですか、それ。ちょっと会ってみたいですね」
瀬戸が、笑った。
引き戸が開く時の、少し軋んだ音がした。
振り返る、そこにはレミリアがいた。
噂をすれば影、って奴だろうか。それとも、以心伝心? いや、それとも運命か?
彼女はきっと、あの約束を守るだろう。瀬戸も、きっと彼女の記憶を消したりはしないだろう。
レミリアと、紫と、瀬戸と過ごす時間。それを想像し、少し嬉しくなった。
「・・・レミィ?」
瀬戸が、搾り出すように呟いた。
私が理解できたのは、そこまでだった。
・ ・
「ようやく、巡り逢えた!」
掌に、紅い光が迸る。ソレは、セトナを貫く為に、翔ける。
逆上はしていない。冷静だ。
いつも通りに、殺すだけ。
「レミィ? レミィなのか!?」
叫ぶヤツの躰を紅い槍が掠めた。困惑と恐怖に満ちた表情、ソレは、しばらく忘れたくない。そんなことをうっすらと思った。
「貴様を殺す為に!」
別にためらいはしないが、コレをするのは久しぶりだ、出来れば最後にしたい。
お気に入りの蒼髪が、血のような紅に染まる。妹とお揃いの紅い瞳が、冷たく鋭く、蒼に染まる。
この感覚は、好きじゃない。
「五百年を生きた!」
床に紅く光る手を叩きつけた。
彼方を繋ぐ門が開き、このボロ家の天井を突き破りながら、悪魔が湧き出る。
破れた天井から、弓張月が見えた。
満月にはまだ遠いが、いける。殺せる。
「汚らわしい鬼に成り果てようとも、貴様と、もう一度巡り逢う為だけに!」
生きてきた、そこまでは言わなかった。
ヤツを悪魔が囲み、貫いた。そう見えた。
唐突に、声が聞こえた。
「少し、時間が欲しい」
悪魔の咆哮の中で、その声だけが、はっきりと耳に届いた。
悪魔共が、水の槍に貫かれ、水の剣に断ち割られ、還っていく。
逃したのか? そう気づいた時には、水滴が、剥き出しになった地面に吸い込まれていくだけだった。
・ ・
「はぁ…」
窓枠にもたれ、ため息をついた。
もう、秋は果て、冬が忍び寄ってくる。そんな季節だった。
あれ以来湖水庵には行っていない。レミリアにも、紫にも遭わないまま。
あの日以来、文々。新聞は編集者急病のため休刊。そういうことになっている。
別に天狗仲間の間では珍しいことではない。
だが、天狗仲間に、香霖堂の店主や、博麗の巫女などの様々な人や妖、あの鬼までもが見舞いにやって来た。
どいつもこいつも、編隊飛行をするモケーレムベンベを見たような顔をしている。本当に勘弁してほしい。次に来たら追い返してやろう。
そうだ、いい加減に再刊しなくては。
だが、そう思っても躰は動かない。
何故だろうか? そう考えながら。
高く冷たく澄み渡る空を、私はただ眺めていた。
「もう、冬が来ますね」
今日は非番の椛が、背を向けたまま言う。座っているのは私の机。机上にはぐい飲み。
妖を窓辺に追いやっておいて、いい気なものだ。
返事の代わりに、もう一度ため息をついた。
「何が、あったんですか?」
答える気は、無かった。
瀬戸との約束を破る気は、無い。
黙り込んだ。
「やはり、言えませんか」
「ええ」
椛がくすりと笑った。
「変わりませんね。千年前と少しも変わらない」
「そんなに、変わりませんか?」
「ええ、強情でわがまま勝手、こうと決めたら一歩も譲らず、そのくせに、のらりくらりと小狡く立ち回る。ずっとこれですよ」
「千年も一緒にいると、お互いにそんなところばかり見えてくるものですよ」
「それでも、私は誰よりも貴女を知っている」
何か言い返そうとしたが、言葉が見つからなかった。
きっと、その通りだ。千年を、疎みあったり、嫌いあったり、好きあったりしながら、生きてきたのだ。
「ぼんやり空を眺めているより、わがまま勝手に飛び回る方が、貴女には似合っています」
椛が、窓枠に腰掛けて、言った。
白い髪が、冷たくなってきた風に、靡いた。
少し、肩が軽くなった気がした。
私は、どうしたって私だ。
誰にも出来る事、出来ない事があるのだ。
出来る事を、やれば良い。
「やはり、らしくないですかね」
「ええ、とっても」
「じゃあ、出かけましょうか」
「そうですね、それがいいです」
手帳を、ポケットに押し込む。
カメラの埃を払い、首から下げる。
玄関から踏み出した。
覚悟は、もう決まっていた。
「今日は、非番ですから」
椛の声が聞こえた。
・ ・
「お嬢様、客人です」
咲夜の声に、目を開ける。
「お引き取り願いなさい」
真昼間から、非常識な客だ。第一、今は誰にも会いたくない。
紫の作ってくれた、千載一遇の好機をふいにした。
あれから随分と探したが、セトナには一度も出会わなかった。いざとなれば水に溶け込んで隠れ住むのだろう。
そうなれば私には見つけられない。たぶん、二度と逢えないのだろう。
また、目を閉じた。頭から布団をかぶる。
「それが、射命丸様が『取材に来た』と」
文が? そうか、あの時、あそこには文も居たのだったな。そんなことを今更思い出す。
そうか、文が居たのだったな、なら。
「通しなさい」
「はい、お嬢様」
ベッドから這い出し、髪と服を整え、椅子に座った。
「久しぶりですね、レミリア」
「ええ、腑抜けていたのではと心配したけど。杞憂だったようね」
一月ぶりに会った文の瞳には強い光があった。輝きと言っていいほどの光が。
「今日は、聞きたいことがあってきました」
「その前に、条件があるわ」
「…わかりました」
文が真っ直ぐに私を見つめる。
今までも、小狡く、抜け目ないふりをしていた。
だけど、きっと奥の奥では、この剛直な光を失わないまま、真っ直ぐに生きてきたのだろう。
羨ましいな、と思った。
「セトナを、瀬戸を探しなさい」
文の顔が、はっきりと歪む。意地の悪いことを言っている。その自覚はあった。
だって私は、文の親友を、殺そうとしているんだ。
「こちらからも、条件があります」
文は、いささかも揺らいではいなかった。強い妖だ、私とは比べようも無いほどに。
「聞かせて」
「殺しあう前に、話をして下さい」
「…いいわ」
やはり、愚直な妖だ。一途とも言うのだろうか?
話を聞いたとて、殺すことに変わりはないのに。それでも、文は何かを望んでいるのだろう。
それは、私が捨て去ったモノだ。そんな気がした。
私も、こんな風に生きてみたかった。
だが、それは、もう叶わない。
「それでは。なぜ、瀬戸さんを殺そうとするのか。過去に何があったのか。聞かせて下さい」
「なぜ、知るの?」
「親友の事を知るために。何が出来るのかを、知るために」
「そう、そうね」
文は自分の心さらけ出していた。全て話そう、そう思った。
「私も、人だった」
・ ・
ワラキア東部の小さな町、そこで私は生まれた。
しばらくは歳相応の子供らしい生活もできたのだろう、さほど暗い記憶はなかった。
両親は忙しく働き、あまり私にかまわなかったが、祖父母に随分と甘やかされた。よく、膝に抱かれ、昔話などを聞いていた。
生活は貧しかったけれど、貧しいなりによく食べ、よく遊んだ。
けれど、8歳になった時に、祖父母が相次いで死に、親に捨てられた。
「大きな街に行くんだよ、レミィ」
そう言われて、まだ8歳になったばかりの妹を、人に預けて馬車にのり、どこか遠くの街まで出かけていった。
「レミィ、少しの間、ここで待っていてくれる?」
今まで見たことのない笑顔で、母さんが言った。
「うん、わかった」
自分が、捨てられたことに気づいたのは、翌朝だった。
それからは、地獄。腐った残飯を漁り、物乞いをして、殴られ、嘲られながら命を繋ぐ。
そんな暮らしのなかで、色々なことを考えた。
今、フランはどうしているだろう?
フランも、捨てられたのだろうか?
いいや、きっと、フランは私がこうなっていることも知らずに、楽しく暮らしているだろう。
だって、父さんは私の事は、避けていたけど、フランはとっても大好きだった。
フランは、私の可愛い妹は、幸せなのだろう。
なぜ、私とフランは髪の色が違うんだろう?
それはきっと私とフランは、何かが違うからだ。
そして、それはきっと、お父さんに関係があるんだ。
だって、お父さんは、私を抱きあげることはなかったけれど、フランはとても可愛がってた。
きっと、お父さんは私のことが嫌いなんだろう。だから捨てたんだ。
なら、なんでお母さんは私のことを捨てたんだろう?
そうだ、フランが生まれてから、いつもいつも「麦がたりない」って言ってた。
だから、きっと私は麦のかわりに捨てられたんだろう。
私が捨てられたから、フランはいっぱいパンを食べるんだ。フランのためなんだ。
フランのために私は捨てられたんだ。
なら、私はなんのために生きてたんだろう?
その答えを出す前に、私は黒死病に罹った。
「まだ小さいのにな、もったいねえ」
「後で香水かけとけよ、お前も真っ黒くなっちまうぞ」
「わーってるよ、こんなのに関わりあって死んだんじゃぁ、やってらんねえ」
助けを求める私に、そんな言葉が降ってくる。生まれて初めて、人を呪った、憎んだ。
誰も私を助けようとはしなかった。
下らない迷信に振り回される愚か者、今ならそう言える。
だが、あの時の私にはそんな愚か者共に縋るしかなかった。
それも、すぐにやめた。
手足に黒い斑点が浮き上がり、足の付根がひどく腫れ上がり、痛んだ。躰が熱くて、凍えるように寒い。
死ぬんだ。そう思いながらただぼんやりと目を開けている。
打ち捨てられている私を、誰か覗き込んだ気がした。そして、目の前が暗くなる。
「おはよう」
男の声。死んだんだろうと思った。
だってこんなに暖かくて、いい気持ちなんだ。さっきまではあんなに辛かったのに。それに、髪も躰も、きれいになっていた。
なら、ベッドの横に座ってる蒼い髪の男は、天使なんだろう。けど、それにしては疲れた顔をしている。
「初めに言っておくよ、君は遠からず死ぬ。僕がする事は、君に安らかな死を贈る事だけだ」
男の言ったことで、どうやら、私は死んでいないらしいと気付いた。
男の言っていることはよく分からないが、どうでもいい。暖かいベッドの中にいる。それが嬉しかった。
「僕はセトナ、君の名前は?」
「…レミィ」
「素敵な名前だね、レミィ」
その時から、セトナはずっと、動けない私の枕元にいてくれた。いろんな話をしてくれた。
空を飛び回る、光り輝く大きな船。
湖で遊び回る、小さな妖精たち。
そんな他愛のないお伽話。その他にも色々教えてもらった。
ずっと東には、大昔に忘れ去られて、誰の記憶からも消えてしまった、深い森の中の都があること。
ずっと西には、とても高い山の上に、世界中のどんな王様よりも、沢山の黄金を持った王様がいること。
ずっと南には、昔々、とても大きな国があって、そこの王様は、死んだ後も色々な宝物で飾られて、今もまだ眠り続けてること。
ずっと北には、一面を永遠に溶けることの無い氷と雪で覆われた大地があって、そんなところにも人が生きていること。
それだけではない。
私が聞いたことには、セトナは何でも答えてくれた。知りたいことは何でも教えてくれた。
なぜこんな事を、という事まで知っていた。
多分、セトナは人間ではないのだろうと思った。それも不思議ではなかった。
のどが渇いたら、暖かくて甘いお茶を淹れてくれた。
お腹は空かなかった。なぜかと聞くと、静かに終わる準備を躰がしているんだよ、と教えてくれた。
終わる、と言うのは死ぬってことなんだろう。それを聞いても悲しくはなかった。今は、こんなにも幸せなのだから。
四日目の、夜。
本を読んでくれているセトナの声が不意に遠くなった。
声を出そうとしても、出ない。体が、動かない。
セトナが、そっと本を閉じたのが見えた。
何かが私に寄り添ってきた。
それは冷たくて、快くて。ゆっくりと私の躰の中に染み入る。
これが、死か。そう思った。
でも怖くない、セトナがそばに居てくれる。手を握ってくれている。
けど、まだ一つ、知りたいことが残っていた。
「セトナは、私のこと、好き?」
言葉になったかは、わからなかった。
私が、閉じていく。
これで、終わりなんだ。
私は今、笑えてるかな?
・ ・
ゆっくりと、目を開く。
血の臭い、誰かの叫び声、肉の焦げるイヤな臭い。
それらがまとめて流れ込んできた。
なんだ、私は地獄行きだったのか。まあ、仕方ないか。そう思った。
立ち上がり、辺りを見回す。
叫び声の主は、フランだった。
おかしいな、なぜフランの髪が紅いのだろう。目が蒼いのだろう。
フランが死ぬわけはない、地獄に堕ちるわけはない。あんな姿のはずがない。
なら、これは夢か。嫌な夢だ。
あそこにあるのは、何だ?
見覚えのある布切れが張り付いた、肉。
そうか、あれは、父さんと、母さんか。
窓の外を見る、窓には、紅い髪で、蒼い目の私が映っている。
頬に触れると、指先の血が、線を描いた。
冷たく、粘りつく感触。
フランの、長く尾を引く叫び声。
不意に、覚醒する。
記憶が、雪崩込んでくる。
父さんの臓物を引き摺り出した。母さんの顔を削ぎ落とした。
フランの首に、歯を立てた。
そうだ、私は鬼になったんだ。
私は
私は
・ ・
その夜、私は全てを失った。
ただ一つ残ったのは、恐怖で気が触れ、私と同じ鬼になった、愛しい妹。
なぜ、運命はこうも理不尽なのだろう。
私達は人としての死さえも、奪われた。
ストリゴイカ
それが私たちの新しい名。
紅い髪、蒼い目を持ち、自らの血族を求め、喰らい、乾きを癒す。それだけの存在。
随分と後になって、パチュリーが教えてくれた。
片思いのまま、結ばれずに死んだ者。
ストリゴイに血を奪われ死んだ者。
自殺者、魔女、偽証者、大罪人。
そんな人間が死んで、十字架の下に埋葬されなかった時、ストリゴイに成るらしい。
あの時、私は確かに恋をしていた。それは、取り返しのつかない間違いだったのか。
その間違いを憎めばいいのだろうか? それとも、セトナを憎めばいいのだろうか?
それとも、両親を、十字架を?
考えても答えは出ない。
なら、全てが憎い。
愛も恋も、捨てた。
両親を、憎しみのままに嬲り殺した。
十字架を、汚し続けた。悪魔を従え、血を啜って。
後は、セトナだけ。
セトナを、殺すだけ。
それで、復讐は終わり。
それで、おわり。
・ ・
「…これで、おしまいよ」
「さ、帰りなさい」
レミリアが背を向け、ベッドに潜り込んだ。
「あの…」
「帰りなさい」
頑で、触れ難い何かを感じた。泣きたいのかもしれない。そう思った。
「そうします。また、近いうちに」
踵を返した。門を過ぎたところで、自分が泣いていることに気づいた。
なぜだろう、誰の為に泣いてるのだろう。考えることが多すぎた。
湖水庵に来ていた。
意味はない。
そう思っても躰は動かず。半分消し飛んだ縁側に腰掛けていた。
私は、何かやらなければならない事がある。なのに、それが見えない。
私は、何がしたいのか。しなければならないのか。
私は、何が出来るのか。
私は、何で。
「あぁー、もう!」
立ち上がり、腹立ちまぎれに石くれをけ飛ばし、髪をかき乱す。
まるで、泥水から土を拾い集めるようだ。
何も見えず、触れれば逃げていく。
嫌になる。私は、親友のために何が出来るのかすら分からない。
「可愛い」
「へぅあっ?!」
驚きのあまり、思わず変な声が出た。平静を取り戻すのには、少し時間が必要だった。
「紫さんですか…」
「面白いもの見せてもらったわ。ありがと」
「見ないで下さい」
本当に、どういう生き方をすればここまで性根が曲がるのだろうか。
「用がないのなら、帰って下さいよ」
「伝言があるわ、聞きたくないなら言わないけど」
伝言? 誰から?
文の脳裏には、一人しか思い浮かばなかった。
「…聞きます」
「霜月三日に、待っている。と」
誰が? やはり、一人しか、思い浮かばなかった。
「確かに、聞いたと伝えて下さい」
紫が、かすかに頷いてスキマに帰っていった。
「良い友を持ったわね」
閉じかけたスキマから、声がした。
何かが、剥がれ落ちた気がした。
私も帰ろう。今は、躰が動く。
日は、落ちていた。
あと半月、答えが出るかは分からない。けれど、もう探す必要も無い気がしていた。
身を切るような冷気を感じる。霧の湖には氷が張っていた。そろそろ、初雪だろう。
湖水庵に着いたのは半刻ほど前だろうか、紫はどこで会うかを伝えなかったが、文には確信があった。
ここに来る。
期待は、裏切られなかった。背後に不意に気配があらわれる。
「二ヶ月ぶりですかね」
聞き覚えのある声、それを聞いた瞬間、どうしようもない程に安心していた。
「ええ、お久しぶりです」
どこか懐かしい声に答え、文は振り返った。
瀬戸は、あの目をしていた。
「霧は、晴れましたか?」
「ええ、晴らしてくれた友がいます」
「そうですか」
瀬戸が、微笑んだ。だが、目は哀しげだった。
何がしたいのか、何が出来るのか。それが分からなかった。
けど、もう迷わない。
簡単な事だ。こんなにも簡単な事だ。
椛が教えてくれた事。
そう、私はいつも通りであれば良い。
私は、私であれば良い。
清く正しい射命丸。人も妖も問わず、事の大小を問わず、貴賎を問わず、真偽を問わず、ただ伝える。
自らに、従い。
それが私だ。
「レミリアに、伝えたいことはありますか?」
しばしの沈黙の後。瀬戸が、呟いた。
「霜月十一日の満月に、君のいる場所で。と、伝えて下さい」
「…わかりました」
瀬戸は、レミリアと逢い、殺されようとしている。
予想はついていた。だが、私は動揺していた。
「人生に、憧れたことはありませんか?」
「え…?」
瀬戸の突然の問いに、上の空でいた私は戸惑った。
だが、これはごまかしでも繰り言でも無い。瀬戸は確かに、何かを伝えようとしていた。それはわかった。
「…私には、よく分かりません」
「そうでしょうね。貴女は過去を忘れ、今を生きていける」
瀬戸の問いかけが、不意に、重く迫ってくるように感じた。
後悔も、絶望も、数えきれないほどに重ねた。
だが、私は、悲しいほど簡単に、それらを過去に押し込め、生きている。
幸せな今を。
瀬戸は、そうではないのか。後悔も、絶望も、全てを抱え、生きているのか。
過去だけを映して。悔いて。
「ただ人を喰らい、魂を喰らい、生きてきた、死すらも与えられず。そんな目に、死は、例えようもなく美しく見えた。そして、憧れた」
瀬戸は、淡々と語る。だが、文には、瀬戸の悲しみが、見えすぎていた。
瀬戸が、背を向けた。
止めようと、踏み出す私を振払うかのように、声が響いた。
「僕が、傷つけた、壊した、殺した。愛してくれた人々を、レミィを、そしてきっと貴女をも。僕は、怖い」
瀬戸の、渇ききった声。それは、自らへの憎しみであり、怨嗟であり、懺悔だった。
文は、知った。瀬戸にとっては、死こそが救いなのだ。それしか、瀬戸には残されていないのだと。
「貴女に、知ってもらえてよかった」
霧の中に、瀬戸が去っていった。
文は、ただ立ち尽くしていた。
・ ・
酒を呷った。
全く、莫迦な男だ。紫はそう思った。
自分の知るだけでも三百年、罪人のように生きていた。
絶望、後悔、そんな物は人間の心にだけあればいい。
だがあの男はそれを認めなかった。そうしなかった。
瀬戸は、セトナは、人間だった。
妖に堕ちようと、人の魂を喰らおうと、あの男は人間だった。
人と共に生き、人に触れ、触れる物をみな壊し、傷ついた。
妖にとって、人を愛することがどういう事なのか。
分からないはずは無い。
気付かないはずが無い。
それでも、愛した。
過ぎ去り、忘れ去られた過去の日々と、同じ様に。
セトナも、ようやくこの閉じられた輪から放たれるだろう。
レミリアは、私の出来なかった事をしてくれる。
彼には用意されていなかった、終わりを。
死を、セトナに贈る事ができる。
永く、いい友でいてくれた。そのことさえ、覚えていればいい。私は、忘れない。
何故だろうか?
今宵の酒は、ひどく苦い。
・ ・
「入りなさい」
レミリアの声が聞こえた。
扉が軋み、開く。開けてしまった。そう思った。
踵を返し、このまま帰ってしまったら。何度もそう考えたが、できなかった。
親友の願い。それを叶えるため、私は親友を死へと押しやる。
半月を背負い、レミリアは窓辺に座っていた。
「…伝言です」
レミリアが、深紅の瞳で私を見据えた。美しいな、そう思った。
「聞かせて」
「 『霜月十一日の満月に、君の居る場所で逢おう』 そう伝えて欲しいと」
「ありがと」
レミリアが微笑んだ。頬には、涙が伝っていた。
静寂が、部屋に満たされる。
レミリアが、私に背を向け月を仰ぐ。もう、話は終わりだと言わんばかりに。
違う。そう思った。
まだ一つ、やり残していた。
「愛してくれた人間達を壊し、失い、そんな事を繰り返し生きていた。そして人生に、人間の死に憧れた。そう、言っていました」
レミリアが、笑った。それは高らかに、愉しげに響いた。
「上手い話もあったものね、私は殺したい、セトナは死にたい。いいじゃない、両想いのハッピーエンドね。けど、五百年の絶望の埋め合わせは出来そうも無いわ」
心から愉しそうに、笑い、泣いていた。
レミリアの哀しげな笑いに、涙に。心が衝き動かされた。
それはすぐに、言葉に姿を変え、溢れ出した。
「おかしいですよ。二人とも悲しんで、苦しんで、それで、殺しあって。こんな終わり方って、ないですよ」
レミリアの笑いが、涙が、止まる。
背筋の寒くなる程に紅い瞳で、私を見据え、問いかけた。
「なら、他の終わりがあるかしら?」
「許す事は、出来ないんですか?」
レミリアが、少し笑って、言った。
「罪は、許されないわ」
愚問だったと気付く。
許せたのなら、セトナが五百年の絶望を生きる事も、レミリアが五百年、憎しみだけに生きる事も、ありはしなかったのだ
「許されはしないわ。愛する妹の首に歯を立てたこと。両親を引き裂き、嬲り殺したこと。私も、同罪よ」
レミリアも、同じだったのだ。
セトナと同じように、過ちに囚われ、悔い、そうやって生きてきた。たった一つ、違ったのは。
「でも、私はまだマシね。憎めたのだから」
セトナは自分を憎み、レミリアは全てを憎んだ。それだけのことだった。
「二人とも、十分に苦しんだじゃないですか。もう、許されても、罪を忘れても、いいとは思いませんか?」
「そうね、そうできたら、幸せでしょうね」
「なら…」
意を得た私の言葉を遮り、レミリアが呟く。
「でも、運命だもの」
突き付けられる、その現実。
翻らない、覆らない事実。
もう、止まらない。
歪んだ歯車は。
もう、誰にも止められないのだ。
「帰りなさい」
その言葉に、抗おうとも思わなかった。
この結末へと導いたのは、私だ。
レミリアに背を向け、部屋を出て、館の門を潜った。
家に帰り、夜。床の中でふと思う。
私は、間違ったのだろうかと。
・ ・
満月。
いい夜だ、そう思った。
虫の音。草が風に靡き、さざめく音。月の光。
全てが心地よい。
湖の畔で、立ち止まった。
ここなら、いいだろう。周りには、木と草と水の他には何も無い。
霧の湖が、月を映している。鏡よりも美しい水面に、映る月。
それが、不意に揺れた。
セトナが、立っていた。
「この日を、五百年。夢見ていたよ」
言いたい事があった気もするが、それはどうでも良くなっていた。
口を衝いて出たのは、恨みでも、憎しみでもない。それが、意外だった。
「僕は、思っても見なかったな。レミィに何があったのかさえ、まだ知らないのだからね」
あの日と同じ顔で、同じ声で、レミィと呼ばれる。それはあまり気分が良くなかった。
「レミリア・スカーレット。紅魔館当主のストリゴイカ。それだけさ」
「…その、翼は?」
「混じり合い、穢れきった血だ、理由など忘れたよ」
「そっか、辛い思いをさせたね。レミリア」
「気に病む事はないさ、終生を共に過ごせる友が出来た」
心にも無い事を口走っていた。だが、本当の事だ、そうも思った。
「文も、そうかい?」
「ああ。最近は、随分とお前を気にしていたよ」
「…また間違ったな、僕は」
それきり、言葉は絶えた。
暫くの後、口を開いたのは、セトナだった。
「やっぱり、死ななければならないのかな?」
「おかしな事を言うじゃないか、その為に来たんだろう?」
私に背を向け、月を見上げて言った。
「そのつもりだったけどね。僕が、なぜ生きていたのか分からなくなった。知りたくなった」
あまり真剣に言うので、思わず吹き出した。堪えきれず、笑い出す。
セトナと二人で、高らかに笑う。
こんな空惚けた事を言えるのも、文のおかげなんだろう。
「散々、その身に刻み込んだのではないのか?」
セトナが、静かに振り向いた。
「罪を、忘れない為だよ」
光で編まれた、紅い槍が翔る。
それはセトナを貫く事は無く、空に消えた。
セトナの姿は、見えなくなっていた。
「避けたら、当たらないじゃないか」
「尚更、死ぬわけにはいかなくなったからね」
左隣から声がした。向き直り、問う。
「それでは、困るな。一体、なぜ?」
「生きる為に」
頑で、優しい顔。あの時に見た顔も、これだった気がする。
随分と、疲れた顔だった。
「…結局、こうなる運命だったらしいわね」
「ああ、でも、十分だよ」
十分、確かに、そうだろう。
確かに、私達の終わりには、相応しいだろう。
スペルカードを取り出した。
もう、必要は無い。そう思った。
一枚づつ、破り捨てる。
「あれ、いいのかい?」
「ええ」
「そっか」
最後の、一枚。
半ばまで裂いた。
少し、躊躇い。
破り捨てた。
・ ・
紅い光が見えた。
考える前に、羽撃いた。
何故、何の為。
そんな繰り言には飽いた。
私は、私だけに従う。
二人が見えた。
瀬戸が、レミリアが見えた。
どうすればいいかなど、分からない。
ただ、辿り着けば、きっと何かが分かる。今までが、そうだったように。
黒い翼に力を込めた。
何かが、私を飲み込んだ。
「水を差すモノではないわよ」
紫の声がする。
眼下では、レミリアと瀬戸が切り結んでいる。
ならば、ここはスキマか。
紫が、私をスキマに閉じ込めたのか。
「出して下さいよ! 私は、私は…!」
怒りのままに、声を荒げた。だが、紫は微笑んだだけだった。
「瀬戸が、ただ死を待っていたと思う?」
紫が、私を見据える。
そんな事は、どうだっていい。そう思っても、なぜか言えなかった。
「彼は、死なないのよ」
紫は、何を言っているのだ? 解らない。
セトナは、死なない?
ならば何故、死ぬと言った? 殺すと言った?
「神が死ぬなんて、あり得ないもの」
「…神?」
「ええ、人の恐怖と、畏怖と、憧憬に生み出された神。信仰を失い、忘れられ。消えることも叶わずに。…妖怪になった、神」
紫の言葉を理解し、言葉を失う。
人に生み出され、忘れられ、堕ち、忌まれ、それでも人を愛したのか。
かつて自分を崇め、信じてくれた人を喰らったのか。
それでも、人を愛し、人と生きようとしたのか。
その果てに、殺しあうのか。
愛してくれた、人と。
二人を、見る。
紅い槍、蒼い剣。
きっと通じ合えたであろう、二人。
そこに在るのは、それだけだった。
ただ、それだけだった。
・ ・
両の手で突かれた槍が、首を掠める。
突き出された左腕を斬り上げた。
手応え。成果を確かめるよりも早く、槍が薙がれる。
防いだ剣が砕かれた。
飛び退り、八本目の剣を湖から作り出す。
レミリアが、右腕一本で槍を提げている。
左は、使えないのか。ならばこれでおあいこだ。
大きく、息をした。
運命は、決まっている。そんな事は知っている。
ただ、最後まで足掻き続ける。
今までに過ぎ去った人々が、そうであったように。
定められた死に向かう、刹那の輝き。
其れにこそ、憧れたのだ。焦がれたのだ。
僕は、今、そこにいる。
レミリアが跳んだ。
叩き付けられる槍を、右に跳び、躱す。
踏み込み、首を薙ぐ。地に突き立てられた槍に止められた。
そのまま刃を落とし、手首を切り下ろす。
だが、手応えは無い。
槍から離した右手で、胸を強かに打たれた。
弾け飛び、飛び退り、また対峙する。
満月が、僕らを照らした。
月光を宿す、紅い瞳。
あの日と同じだ。ふと想った。
レミリアが、槍を脇に引き付け、駆ける。
誘い込まれるように、剣を下段に下ろした。
これで、終わるのだろう。
躱そうとも、思わなかった。
・ ・
胸を、紅く光る槍が貫いた。
首を、蒼く光る剣が撥ね切った。
二人が、崩れ落ちる。
「後は、任せるわ」
その声が終わらないうちに、私はスキマから弾き出された。
何を、任せると言うのか。
その意味を考えはしなかった。
セトナに駆け寄り、抱き起こす。
セトナはまだ、そこにいた。
「駄目だな、僕は。貴女を傷つけたくは、無かったのに」
いつもの苦笑を浮かべ、言う。
言葉が、出ない。
ただ涙が溢れ、セトナの傷から湧き出る、蒼く澄み渡った水と混じりあう。
「預っていた写真、返しますよ」
セトナが、一枚の写真を取り出した。
セトナと私が映っている、少し手ぶれした写真。
私が忘れてしまった過去の、小さな欠片。
震える手で受け取ろうとしたソレは、風に舞い、消えて行った。
傷跡に、小さな手が置かれた。
隣には、躰を紅く染め上げた、レミリアが居た。
「分かりあえた筈だった」
レミリアは、湧き出る水に血を浸しながら、それだけを呟いた。
「どこで、間違ったんだろうね」
「さあ、分からないわね」
二人の諦めきった、呟き。
「間違ってなんか、いませんよ。伝え損ねただけです、想いを、言葉を」
ようやくそれだけを絞り出す。
伝えたかった残りの言葉は、涙になって、零れ落ちた。
「そうね、そうだったわね」
レミリアが微笑み、立ち上がる。
「でも、もう手後れよ」
そう言って、小さな背を向けた。
「僕は、今からでも、遅くはないと思うよ」
セトナが、呟いた。
レミリアの歩みが止まった。
セトナが、言葉を、紡ぎ出す。
「永く、苦しんだ。けど、幻想郷で皆と出逢い、共に生きて。瀬戸流水は、幸せだった」
辛かった、悲しかった、苦しんだ、恨んだ。
それでも、私達は生き続けた。
「幸せだった」
哀しい別れを、幸せな別れを繰り返し、生きた。
これも、一つの幸せな別れなんだ。
けど、悲しい、苦しい。
涙が、止まらない。
瀬戸の指が、私の涙を拭う。
その指も透き通り、水に還っていく。
不意に、頭の中に何か優しいものが触れた。
忘れるのか?
こんなに哀しいのに、苦しいのに。
忘れたくない。
幸せだったのに。
楽しかったのに。
愛していたのに。
もう、言葉にしようとも、思わなかった。
ただ、泣いた。
・ ・
川に膝まで漬かりながらも、河城にとりの心は千々に乱れていた。
数日前の事だ。
紫が訪ねてきたと思ったら、なんと! 目に涙を浮かべ、頼みがあると言ったのだ。
そして、すわ幻想郷存亡の危機かと思い、内容も聞かぬうちに引き受けてしまった。
思えば、早まった事をした。
紫は、私が頷いた頭を上げきらないうちに、ふた抱えもある書類の山をスキマからほうり出して帰っていったのだ。
私が甘かった。つくづくそう思う。
一応、書類に目を通してみたが、表題にある幻想郷の災害管理とは名ばかり。
人間の畑の為に雨を降らす、湿度を管理する、気温を調整する、霜害を防ぐ。そんなことばかり。
なぜ私がこんなことをしなければならないというのか。お山の大将に任せておけばいいではないか。
丸一日かけて、ようやく書類に目を通したと思ったら、二日続きのこの大雨だ。
何をどうしても、ちっとも晴れはしない。
雲を全て吹きとばしても、降り続けているのだ。
大体、この季節に雨が降るなんて、非常識にもほどがある。
氷の張った池を雨が叩いているなんて、見ているだけで頭が痛くなる。
しかし、ようやく解決できそうだ。
今朝がた、水に霊魂のような物が混じっていることに気がついたのだ。
きっと、そいつが犯人だ。そうに決まっている。そうに違いない。
「ぬぬぬ…」
なかなか捕まらないが、そろそろ終わりだ、腐れ幽霊め。
「ぐむむ… んぬっ!」
ついに捕まえた。後は引きずり出すだけだ!
「あれ? 生きてるのかな?」
「ひゅい!?」
目の前に、蒼い髪の男が立っていた。
・ ・
「運命は、奇なものだねぇ」
「ええ、ホントにそうね。まさか貴男と酒を酌み交わそうとは、思っても見なかった」
「だからこそ、面白い」
「そうね。本当にその通り」
「文さんから、教えてもらったよ」
今では、彼女は忘れているのだろう。
だが、僕は忘れていない。多くを教え、与えてもらった事を。
それで、いい。
レミリアが少し笑った。
「大したものよね、文も」
「ああ、ここまで自分が変わるとは思えもしなかった」
「だからこそ、面白い」
二人の声が重なる。
少しの間、笑った。
この時間も、文が与えてくれた時だ。
あの、一途で、ひたむきな妖が。
「私は、許すつもりは無い」
暫くの沈黙の後に、レミリアが口を開いた。その目は、蒼かった。
「けど、憎み続けるのにも飽いたんだろう?」
「ああ、だから」
「水に流す事にしたわ」
言って、一息に盃を干した。
もう、目は紅かった。
また、静寂が満ちた。
黙然と、盃を呷る。今までのように、過ぎ去った過去を見つめながら。
だが、今までとは少し違う。
その過去は、手の届きそうな程、近くにあった。
二度目の恋をした、その日々は。
少し、寂しかった。
「なんで私までつれてくるのさ? スキマの社長に押し付けられた仕事だってあるのに」
「まぁまぁ、旅は道連れ世は情け。昔から言うじゃないですか」
「旅でもないし、情けなんかカケラもありはしないけどな! こんなことなら、最初っから言うんじゃなかったよ、全く」
それから、半刻ほどは経ったろうか。店の外から、騒々しい声が聞こえてきた。
レミリアが、くすりと笑う。
「今日は、大繁盛ね」
「ああ、紫が来たら驚くよ」
少し軋み、引き戸が開いた。
胸の痛みは、忘れることにした。
……レミリアが片想いをしたまま埋葬されて妖怪化して家族みんな殺して……んで埋葬したセトナを怨む?
捏造設定はかまいませんが矛盾が多すぎる。
つか矛盾しかない。破綻。
レミリアが登場する前の段階で終わりましょうよ。
骨みたいな作品なんだな、俺から見ると。
血肉が足りていない。人間だってのはわかるんだけど、男か女か、若いのか年食ってるのか、国籍は? 美醜は?
そこんところが判然としない。
んじゃ骨は嫌いか? と問われるとそうでもないんですね、これが。
骨なればこその生々しさ、骨だからこその本質。そんなものが見られるような気がするので。
骨盤からすると女性かな? 頭蓋骨を復元したら結構な美人さんじゃね? などと想像してみるのも楽しいですし。
しかしながら、この骨を一番魅力的に肉付け、復元できるのはやっぱり作者様だけなのだと思うのです。
ご健闘を祈っております。
瀬戸さんは元は神だけど妖怪に格下げしてヒトを食べてたと。
エサの一人であるオカンとスケベしたと。
瀬戸さんとオカンの間の子がレミリアで、オカンとオトンの子がフランだと。
瀬戸さんは死が羨ましくて近づいた(恋心を抱かせるように振舞った?)と。(ストリゴイカは偶然なのかもしれない)
ストリゴイになったレミリアはそうなった原因の全てを憎んだと。
最後の復讐対象が瀬戸さんで、その瀬戸さんは幻想郷で居酒屋しとると。
瀬戸さんは死ぬつもりだったけど、(ココよくわかんないけど)罪を忘れないために生きるとか言い出してバトル展開と。
瀬戸さん致命傷うけて、(何を伝えたかったのか分からんけど)幸せだったとか言って水に還元されたと。
還元されたのを、にとりが引っ張り出してきたと。
許しはしないけど水に流す(「忘れる」ということかな)ことで決着した。あとは酒でも飲もうや。
終盤ですごい置いてけぼりくらった。解答編が存在してないので、類推が正しいのかどうかも不明。
あやふやな理解のまま読みすすめるしかないため、後半に行くにつれてどんどん息が詰まっていくような錯覚。
情報量が不足しているな、と感じる以外については文句なし。
でもやっぱり情報、というか設定がしっかりしていた方がいいですね。
余り詳しく説明し過ぎるのもつまらないですし、しなさすぎると、本当の面白さが十分に伝わらないですから、そこが腕の見せ所ですかね。
私はこの話し好きですね。ワタリ蟹さんのこれからのご活躍に期待します。
次投稿、待ってます。