十月二日のこと
大雨を幾度か経て、めっきり朝晩の冷え込みが目立つようになった。
いよいよ、夏が過ぎて秋の季節が来たことを実感できる時期になった。
そんな折、西行寺の令嬢から秋の茶会へのお誘いのお手紙を頂戴した。
永遠亭が協賛し、紅魔館の主や八雲の賢者も招かれているとのこと。
そんな大変な茶会の席に私のような者が呼ばれるなど場違いと思われたが、妹紅も是非と書いてある。
なるほど、彼女も貴族の生まれである。
それ故、こういった雅な世界は馴染みも深く、また趣も解して招くに相応しき人物と言える。
妹紅も楽しい一時が過ごせることだろう。
かぐや姫からの強い要望があったという事実は食べてしまおう。
余計なことを言えば妹紅がへそを曲げる。
正直なところ、このような雅な世界には興味がある。
彼女達幻想郷の大人物を見て話す機会などはそうそうありはしない。
酒宴で見ることはあっても、やはり話しかけるのは気が引けるものだ。
これは光栄なお誘いだと、喜んで私は参加する旨返事をした。
さて、あとは妹紅を誘うだけだ。
果たして妹紅は承諾してくれるだろうか。
それだけが少し、不安なことだ。
十月三日のこと
茶会の案内を受けた翌日、さっそく妹紅を誘ってみた。
はじめは私の申し立てにあまり気乗りがしないと言って断っていたが、結局は私の希望と勧めにしたがって、そうまで言うのであればと承諾してくれた。
早めの紅葉を見て楽しみ、茶を飲んで歓談するのが今回の茶会の目的だ。
そうして集うのは幻想郷第一等の人物達だ。
私は心躍った。
呉服を新調した。
妹紅は自前の秋らしい一等品がある。
これは彼女に似合っていて大変良いものだ。
実に楽しみだ。
当日は、妹紅と一緒に、並んで歩いていくことにしよう。
夏から秋へと季節の移ろうそのときを、女二人美しい幻想郷の山河をめでながら歩くのも一興だ。
期待に胸高鳴って、なかなか眠れない毎日が続きそうだ。
すずろに歌なども作ってしまった。
やっぱり恋歌になってしまった。
秋風の すだれ動かし 吹くをさへ 君くやと思ふ 我が身切なし
妹紅は鈍感。憎らしいことだ。
でも大好きだから、一緒に茶会に参加できて、嬉しいな。
十月十日のこと
当日、茶会の席は小山の八合目に設けられた。
見下ろす紅葉はまばらなれども、見上げる赤は燃える如し。
なるほど、確かに秋を先取りした、風流な集まりであると思う。
ただ微妙に寒いのが気になる。
どうもそれは私ばかりではないらしい。
鈴仙や妖夢も、ちょっと肌寒そうにしている。
二人ともかわいい和服である。
その中で咲夜は端然としているのが流石である。
膝丈のスカートは寒そうだなぁっと思うのだが、あれが従者の正装なのだろう。
鈴仙と妖夢は和服だから咲夜に比べればよっぽど温かいだろうが、それでも寒いのが目に見えて分かる。
このあたりは、ちょっと従者の格の違いか。
なんて思ってみたものの、この二人は今日、別に従者として来た訳でもあるまい。
彼女達も相応の立場ならば、毅然として振舞うに違いない……たぶん。
そんなこんなを思いながら、茶会の準備ができるまで、私は妹紅と来賓同士で挨拶をしてまわることにした。
さてさて、それにしても皆の主ぶりの見事さには恐れ驚くことだよ。
冥界の姫の優美で洗練された立ち振る舞いの艶やかなるは、同じ女として自分が恥ずかしくなることだ。茶席の用意をすっかり取り仕切る様などは、まるであわただしい様子などなく、むしろ安穏としているくらいなのに、着々と茶の席が整うさまは素人が端から見ても良くわかって、手際の見事さが素晴らしかったよ。命ずるのは常に従えたる冥者にあらずして、永遠亭の兎たちであるのに、あの兎たちがすっかり従順に働くのだから、妹紅と一緒に前代未聞のことだと笑いあったことは愉快だった。
月の姫もまた流石流石の御振る舞いにあることだ。こんなところにわざわざと思われるような、とても良いところにこしらえられた小屋の日陰に静かに佇み、風にそよいで凛然とある姿はどこか月の面影がある。そうしてその鈴の音鳴るが如き声音の美しきはえも言われぬ。私などは、女ぶりがたらぬと自覚すること数多ある身だから、何とも憧れて胸の焦がれる気持ちさえするよ。何をすることもなく、ただただ端座しているだけで華になるのは生粋の姫だからに違いない。これは妹紅も大いに認めて、憎まれ口も挟まなかったし、かぐや姫も場を尊んで、常にならざる姫ぶりで迎えてくれた。
八雲の賢者は、阿求を訪れることがことしばしあったものだから、私も同席して何度か話をしたことがあるけれども、そのときは正装をして、厳かな風格のある賢者ぶりであった。しかし茶席では趣を変えて見目麗しい紫の一重の洋服を召されていた。いつもは幼くも尊く恐れ多き方であると思って恐縮していたが、この日は幼くも妖艶であったから、大変な末恐ろしさを感じたことだよ。だから長き黄金の髪を風にたなびくままにさせ、彼岸花の一群を愛でる様などは、実にお美しくあるも、近寄り難いことは尚更であった。
そこに妹紅が珍しがって話しかけるから、私はちょっと驚いた。
「武蔵野の河岸・山村の名残・こがね彩るふちの花。河岸花は歌詠みておもしろ」
と妹紅が語りかければ、
「まぁ、懐かしき日の国を知る人がここにいましたわ。貴方の仰るとおりですね。きっと、私と同じように、河岸花の哀れにも美しい様を好まれるのでしょう。外界では、まだ武蔵野の河岸花はまばらに見ることもできますが、秋の田畑の縁を彩る朱の見事な華やかさは、もう殆ど見ることが出来なくなってしまいましたわ。それなのに山村の名残を見ることは多くなったように思われるのは、なんともあさましくあわれなことです。それでも、この郷ではまだ秋の田畑を彩る河岸花の美しい様を見られますから、私はそれを喜んで、毎年密かに郷へ下りてまなでることもあるくらいです」
と答える顔の嬉しきさまは疑い得ぬことだ。真心の言葉・真実の温かい感情を見てはすっかり、先ほどまでの恐れ怪しむ気持ちがなくなった。あぁ、この人も本当は優しい人なのだなと、妹紅を見て一入に思ったことだよ。
しかし実に嬉しきことは、大賢者と打ち解けて楽しそうに語り合う妹紅の姿を見れたことだよ。
容姿秀麗にして凛然として、女ながらも頼りがいのある人と常から親しくまた恋しく思っている人の、愛しいあのわずかにかすれた魅力的な声の音で、歌詠むさまはえも言われず。黒地に赤染分け、白と金の彩なす鳳の刺繍は華麗なれども背に負って、尾のたなびく様・翼広げ舞い飛ぶ様の僅かばかり見える趣こそ見事也。白の長髪と相まって、長形の銀無垢・獅子牡丹の煙管を片手に携えて風を受ける様などは本当に絵になることだ。
これからも末永くお慕い申し上げて、せめて心ばかりは千代に八千代にお傍にありたいものだと切なくも嬉しくときめいたよ。
つい心の中で詠んだことには、
(永久に咲け 我が身一つの恋なれど 思い染めしは 蓬莱の花)
そのとき、八雲紫が、
「あら、さっきから物思いに耽っていらっしゃるように思えますけれども、さて、きっと歌の一つでも考えていらっしゃるからでしょう。巧拙は問うはずもないこの秋の楽しい宴席です。どうぞ、ご自由にお詠みなさい」
と言われたので驚いた。
まさか、かの歌を詠むわけにもいかず、ついつい口に出た歌は、
「初瀬山 ふりさきみれば 雲居立つ 雨に添い立つ 二杉の松」
と、常一人夜に寂しくまた恋しさに綴った歌の一つが出てしまったよ。
「あら、素敵な歌ですわ」
と八雲紫は微笑んで、「貴方はどう思われますか?」と妹紅に尋ねることこそ意地が悪いよ。
「見たままの感動を詠むのが歌の良さだというのが私の歌論なのだけれども、慧音の今の歌は、如何にも作った歌で良くないね。雲と雨で男女の情交を、二杉の松で男女の情愛を詠っているけれども、技巧が先にたつのは良くないよ。初瀬山と用いたのは、雲雨・二杉の松と、古歌に習った縁語だろうけれども、それがかえって賢しらで良くない。季語は元来なくとも良し。歌風定まった後は、かえって技巧ばかりを気にして、良い歌は少なくなってしまったのが私は残念で仕方が無いよ。
あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
とある有名な歌も、吟味すれば上の句は意味を持っていない。ただ下の句があればそれで意は通じる。だから私は、世人ほどこの歌を評価していないんだ。それでもこの歌は韻を踏み、詠んだ軽快さが秀逸だから、上の下くらいには評価している。慧音の歌は詠んでも良くない。もっと見たまま感じたままの、素直な気持ちを詠めばよいのに。そうすればきっと、人の心を動かす、素敵な歌が作られるし、それが歌道にかなったことだよ」
と思い伝わらぬことを安堵する一方で、
(そんなに素直になれたら苦労しないよ!!)
とか、
(じゃぁ、素直に詠んだら、妹紅は受け入れてくれるの?)
と思って、段々と彼女が心憎くなって来た。
そんな私達を見てただ一人、八雲紫は楽しそうだった。本当に彼女は意地の悪い人だ。
このときはなんともいえない居た堪れない心地がしたから、体裁が悪くて私は妹紅を置いて茶席に戻ってしまった。
しかしやっぱりこれははやまったと、ちょっと後悔をしているところに、妹紅が追いかけて来てくれて、「ごめんごめん、別に慧音を責めるつもりで言ったんじゃないよ。」と優しい言葉をかけてくれるのは、嬉しくもまた憎らしく思えたから、顔をあわせはしなかった。でもあまり丁寧に謝るものだから、悪い気持ちもしなかったので、妹紅の袖をぎゅっと握って、それを和解のしるしにしたよ。
茶席に戻ると、紅魔の主が、国立の趣向を珍しく思われたのだろう。あれおかしと見て回っていた。特に赤い大傘をお気に召されたご様子で、見上げながら手を伸ばしていらっしゃるお姿は、微笑ましく和やかなことであったよ。
従者携え、無邪気に異国の風情を楽しまれる様など、目にも嬉しきことにあれば、ついつい分を弁えず、
「あの大傘をたいそうお気に召されたご様子ですね。朱が見事な一品です。美を知る者は、異国の趣きにも通じるのがお早いことです。どうでしょうか。里の誉ある匠工に頼み、あれに劣らぬ大傘を作らせましょうか」
とかしずきて申し上げれば、
「まぁ、たいへん嬉しいことを仰ってくれます。国許の趣向を第一と思ってはおりますが、郷に入りては郷に従えとの諺もあると聞き及びます。また、この国の四季は故国にはない素晴らしいものです。それを楽しむには、やはりこの国の仕来りに従うのが一番でしょうね。ただ、常々そう思ってはいたのですが、中々機会がなく、ついそのままにしておいてしまいましたわ。これは大変に良い機会です。貴方は人里の賢者として名高い貴人・上白沢慧音ですわね。貴方に任せるのが一番であると思いますから、この国の秋を楽しむ諸種の道具を一式用意して頂戴」
と、私のような者を頼ってくれる嬉しさよ。
レミリアと名で呼ぶことをお許し頂いたものの、恐れ多きこと、身の程に合わぬことと申し上げれば、
「打ち解けて親しく話すことこそ茶会の楽しみというものですわ。また、貴方は卑しからぬ確かな身の方です。日の国の作法は知らぬわけではありませんが、それも行き過ぎてはかえって失礼と諺にもあります」
と仰られたそのお言葉の確かさに、私はすっかり痛み入ったよ。
そうしてしばし秋の風情を楽しみながら歓談した後に、
「貴方の様な貴人に対して、今日までちゃんとした挨拶をしておりませんでしたことは私の不明です。後日、是非ともしかるべき場をもうけて、この非礼をお詫びしますわ」
とのお言葉を頂戴したことは、実に名誉の至りであるよ。
いよいよ茶会が始まった。
およそ場違いなほどに茶の術も知らず、また諸芸に疎い私がこの席に呼ばれていることを今更ながら恐悦する。
心の支えは、妹紅が悠然として私の横に座っていることである。
またレミリアが、座布団の上で、かわいらしく、ぺたんと女の子座りをしていることと、それを皆がよしと認めるような、和やかな会であることが、幾分にも私を気楽にさせた。
西行寺氏が先立って、「茶は清茶と申します。細かい作法もございますが、茶を通じて少しでも皆様が楽しく打ち解け、お話をして頂くことこそ本意に適うことであります。」と、意を安ませ給うたことはまこと女人の優れた気遣いだよ。
「茶の道には詳しいの?」とレミリアが私に尋ねて来たから、「煎茶ならば。」と答えたら、「あら、私も少しは。」と西行寺氏が応じる。「売茶翁の心意気こそ、茶の本道にかなうものです。」と仰る言葉に、「道理で。先ほどのお言葉は、むしろ煎茶道のものと思っておりました。私は西土の道に習っております。」と答えると、「ならば今日は、煎茶の会にするべきでしたかしら。」と仰られた。それに対して、「西土の茶会は当家に心得たものがありますわ。だから、私はこっちのほうが興味深く楽しめます。」とレミリアが答える。「なんとそれは良い知らせです。後日、是非教えを賜りたく存じ上げます。」とお願い申し上げれば、「一席を用意してお招きいたしますわ。」とありがたくもお誘い頂いた。
妹紅が西行寺氏に、「若冲の絵なども、きっとお持ちでしょう。」と問えば、「大典和尚の掛け軸も。」と答えられ、「次は是非。」と求めるも、「外には出せませぬから。」と仰られた。「ならば参りましょう。」と言うものの、「蓬莱人は招けませんわ。」と仰られたことの軽妙でおもしろいことはなかったよ。
そうして会話を楽しむ間に、「粗茶ですが。」と用意してくださったお茶を頂く。泡の立てぬ作法を見るに、「表ですか。」と問わば、「今日は。」と答えられるのは、流石の文化人だよ。表も裏も、心得ておられる。
宴もたけなわとなりて、レミリアが戯れに「蓬莱の玉の枝を見せて頂戴。」と言う。
かぐや姫、はてどこからか取り出して蓬莱の玉の枝を見せ給える。
「これは見事ね。我が屋敷にある宝玉・名画と交換しないかしら?」
とレミリアに誘われても空言にて受け止められる顔。
「どうかしら、妹紅。」との戯れごとに、「からたまや!! からたまや!!」と返す妹紅に軍配はあり。
八雲氏、西行寺氏、私は大いに笑い、妹紅もしたり顔。ただレミリアばかりは良くのみこめず惑い顔。
西行寺氏が「紫、どうかしら。」と問えば、「優曇華也。」と口元に扇携えてしたり顔に笑われる。
これにはかぐや姫も「お上手なこと。散々にやられて立つ瀬がありませんわ。」とさめざめ言って袖も濡らさんばかりの演技ぶり。
当の優曇華は何事か知れず、ただただ呆気に取られてあるのもおかしい。
かぐや姫、負けてばかりはおられぬと見えて、西園寺氏に請い、直々に茶をたてたまう御姿の見事さよ。
「煎茶ならばなおよし。」と妹紅が言うに、「茶々を入れない。」とたしなめる姫様も天晴れ。
妹紅に茶を勧めて曰く、「いくひさ!! いくひさ!!」とは、これもまたうまし。
やはりただ一人、レミリアだけは分からず、かわいいふくれ面におわしますれば、私がご説明申し上げる。
「からたまや、とは宝珠への賛辞ですが、語源は唐玉で、つまりは異国の珍しく有難い玉という意味です。これを蓬莱の玉の枝に言うのだから実にうまいものです。しかし蓬莱の玉の枝は、伝説の一品。唐玉どころではありませんから、ちょっとした皮肉がきいていておかしいのです。いくひさ、は、幾久々の省略で、末永くという意味の長寿の祝言です。これを不老不死の蓬莱人に言うのはどうでしょうか。なかなか、滑稽でうまいじゃありませんか。そうそう、優曇華とは、三千年に一度咲くと伝えられている花で、この花が咲くときは御仏がこの世に現れると言われております。それくらい珍しいものという意味なのですけれども、御仏が現れるとなれば、これは蓬莱の玉の枝どころではございませんわ。それがかぐや姫の従者につけられた名前ですから、なおさら皮肉が利いて面白いのです」
こう仰ると、聡い君であるよ、レミリアはすっかり納得した様子。
「これからは貴方を頼りましょう。うちのは、機転が利かないし、諸芸にもとんと疎いから」
と仰って、私を重んじてくれるのはなんとも面映く嬉しかった。
茶会は終わり、里に帰りて妹紅と晩酌をして楽しむ。
「今日は燗にて。美酒を用意しました。鮮魚を料理して持ってまいりますから、一緒に楽しみましょう」
と本当に気分よく嬉しい気持ちでお酌をすれば、
「見事な饗應(あるじぶり)で、決して劣ることがないね」
と上機嫌で返してくれる。
こうして愛しい人が、楽しく酒を嗜んで、私にも陽気に接してくれることは、何にも増して幸せなことだ。
そうして月夜を眺め、幸せそうにうっすらと微笑んでいるあの人は、あぁ、やっぱり私が恋しく思うのも仕方のないくらいに素敵だなと、思って胸がときめいたよ。
そのあとは美味しい料理を作って、二人でつつましくも楽しい酒宴となった。
妹紅が私のことをどう思っているのかは、正直分からないのだけれども、それでも一緒にいて、きまりの悪いようなことは全くなくて、どこか不快のないように、お互い気を使いあって楽しい毎日を送っている。
きっと私は、どんなことがあっても、この人への気持ちは変わらないのだろうな。
あるいはこの人は私に愛を向けてくれることはないのかも知れないけれども、それでも私は、幸せだと思う。
どうか、私達ふたりの仲が、いつまでもこんなに、楽しいものでありますように。
大雨を幾度か経て、めっきり朝晩の冷え込みが目立つようになった。
いよいよ、夏が過ぎて秋の季節が来たことを実感できる時期になった。
そんな折、西行寺の令嬢から秋の茶会へのお誘いのお手紙を頂戴した。
永遠亭が協賛し、紅魔館の主や八雲の賢者も招かれているとのこと。
そんな大変な茶会の席に私のような者が呼ばれるなど場違いと思われたが、妹紅も是非と書いてある。
なるほど、彼女も貴族の生まれである。
それ故、こういった雅な世界は馴染みも深く、また趣も解して招くに相応しき人物と言える。
妹紅も楽しい一時が過ごせることだろう。
かぐや姫からの強い要望があったという事実は食べてしまおう。
余計なことを言えば妹紅がへそを曲げる。
正直なところ、このような雅な世界には興味がある。
彼女達幻想郷の大人物を見て話す機会などはそうそうありはしない。
酒宴で見ることはあっても、やはり話しかけるのは気が引けるものだ。
これは光栄なお誘いだと、喜んで私は参加する旨返事をした。
さて、あとは妹紅を誘うだけだ。
果たして妹紅は承諾してくれるだろうか。
それだけが少し、不安なことだ。
十月三日のこと
茶会の案内を受けた翌日、さっそく妹紅を誘ってみた。
はじめは私の申し立てにあまり気乗りがしないと言って断っていたが、結局は私の希望と勧めにしたがって、そうまで言うのであればと承諾してくれた。
早めの紅葉を見て楽しみ、茶を飲んで歓談するのが今回の茶会の目的だ。
そうして集うのは幻想郷第一等の人物達だ。
私は心躍った。
呉服を新調した。
妹紅は自前の秋らしい一等品がある。
これは彼女に似合っていて大変良いものだ。
実に楽しみだ。
当日は、妹紅と一緒に、並んで歩いていくことにしよう。
夏から秋へと季節の移ろうそのときを、女二人美しい幻想郷の山河をめでながら歩くのも一興だ。
期待に胸高鳴って、なかなか眠れない毎日が続きそうだ。
すずろに歌なども作ってしまった。
やっぱり恋歌になってしまった。
秋風の すだれ動かし 吹くをさへ 君くやと思ふ 我が身切なし
妹紅は鈍感。憎らしいことだ。
でも大好きだから、一緒に茶会に参加できて、嬉しいな。
十月十日のこと
当日、茶会の席は小山の八合目に設けられた。
見下ろす紅葉はまばらなれども、見上げる赤は燃える如し。
なるほど、確かに秋を先取りした、風流な集まりであると思う。
ただ微妙に寒いのが気になる。
どうもそれは私ばかりではないらしい。
鈴仙や妖夢も、ちょっと肌寒そうにしている。
二人ともかわいい和服である。
その中で咲夜は端然としているのが流石である。
膝丈のスカートは寒そうだなぁっと思うのだが、あれが従者の正装なのだろう。
鈴仙と妖夢は和服だから咲夜に比べればよっぽど温かいだろうが、それでも寒いのが目に見えて分かる。
このあたりは、ちょっと従者の格の違いか。
なんて思ってみたものの、この二人は今日、別に従者として来た訳でもあるまい。
彼女達も相応の立場ならば、毅然として振舞うに違いない……たぶん。
そんなこんなを思いながら、茶会の準備ができるまで、私は妹紅と来賓同士で挨拶をしてまわることにした。
さてさて、それにしても皆の主ぶりの見事さには恐れ驚くことだよ。
冥界の姫の優美で洗練された立ち振る舞いの艶やかなるは、同じ女として自分が恥ずかしくなることだ。茶席の用意をすっかり取り仕切る様などは、まるであわただしい様子などなく、むしろ安穏としているくらいなのに、着々と茶の席が整うさまは素人が端から見ても良くわかって、手際の見事さが素晴らしかったよ。命ずるのは常に従えたる冥者にあらずして、永遠亭の兎たちであるのに、あの兎たちがすっかり従順に働くのだから、妹紅と一緒に前代未聞のことだと笑いあったことは愉快だった。
月の姫もまた流石流石の御振る舞いにあることだ。こんなところにわざわざと思われるような、とても良いところにこしらえられた小屋の日陰に静かに佇み、風にそよいで凛然とある姿はどこか月の面影がある。そうしてその鈴の音鳴るが如き声音の美しきはえも言われぬ。私などは、女ぶりがたらぬと自覚すること数多ある身だから、何とも憧れて胸の焦がれる気持ちさえするよ。何をすることもなく、ただただ端座しているだけで華になるのは生粋の姫だからに違いない。これは妹紅も大いに認めて、憎まれ口も挟まなかったし、かぐや姫も場を尊んで、常にならざる姫ぶりで迎えてくれた。
八雲の賢者は、阿求を訪れることがことしばしあったものだから、私も同席して何度か話をしたことがあるけれども、そのときは正装をして、厳かな風格のある賢者ぶりであった。しかし茶席では趣を変えて見目麗しい紫の一重の洋服を召されていた。いつもは幼くも尊く恐れ多き方であると思って恐縮していたが、この日は幼くも妖艶であったから、大変な末恐ろしさを感じたことだよ。だから長き黄金の髪を風にたなびくままにさせ、彼岸花の一群を愛でる様などは、実にお美しくあるも、近寄り難いことは尚更であった。
そこに妹紅が珍しがって話しかけるから、私はちょっと驚いた。
「武蔵野の河岸・山村の名残・こがね彩るふちの花。河岸花は歌詠みておもしろ」
と妹紅が語りかければ、
「まぁ、懐かしき日の国を知る人がここにいましたわ。貴方の仰るとおりですね。きっと、私と同じように、河岸花の哀れにも美しい様を好まれるのでしょう。外界では、まだ武蔵野の河岸花はまばらに見ることもできますが、秋の田畑の縁を彩る朱の見事な華やかさは、もう殆ど見ることが出来なくなってしまいましたわ。それなのに山村の名残を見ることは多くなったように思われるのは、なんともあさましくあわれなことです。それでも、この郷ではまだ秋の田畑を彩る河岸花の美しい様を見られますから、私はそれを喜んで、毎年密かに郷へ下りてまなでることもあるくらいです」
と答える顔の嬉しきさまは疑い得ぬことだ。真心の言葉・真実の温かい感情を見てはすっかり、先ほどまでの恐れ怪しむ気持ちがなくなった。あぁ、この人も本当は優しい人なのだなと、妹紅を見て一入に思ったことだよ。
しかし実に嬉しきことは、大賢者と打ち解けて楽しそうに語り合う妹紅の姿を見れたことだよ。
容姿秀麗にして凛然として、女ながらも頼りがいのある人と常から親しくまた恋しく思っている人の、愛しいあのわずかにかすれた魅力的な声の音で、歌詠むさまはえも言われず。黒地に赤染分け、白と金の彩なす鳳の刺繍は華麗なれども背に負って、尾のたなびく様・翼広げ舞い飛ぶ様の僅かばかり見える趣こそ見事也。白の長髪と相まって、長形の銀無垢・獅子牡丹の煙管を片手に携えて風を受ける様などは本当に絵になることだ。
これからも末永くお慕い申し上げて、せめて心ばかりは千代に八千代にお傍にありたいものだと切なくも嬉しくときめいたよ。
つい心の中で詠んだことには、
(永久に咲け 我が身一つの恋なれど 思い染めしは 蓬莱の花)
そのとき、八雲紫が、
「あら、さっきから物思いに耽っていらっしゃるように思えますけれども、さて、きっと歌の一つでも考えていらっしゃるからでしょう。巧拙は問うはずもないこの秋の楽しい宴席です。どうぞ、ご自由にお詠みなさい」
と言われたので驚いた。
まさか、かの歌を詠むわけにもいかず、ついつい口に出た歌は、
「初瀬山 ふりさきみれば 雲居立つ 雨に添い立つ 二杉の松」
と、常一人夜に寂しくまた恋しさに綴った歌の一つが出てしまったよ。
「あら、素敵な歌ですわ」
と八雲紫は微笑んで、「貴方はどう思われますか?」と妹紅に尋ねることこそ意地が悪いよ。
「見たままの感動を詠むのが歌の良さだというのが私の歌論なのだけれども、慧音の今の歌は、如何にも作った歌で良くないね。雲と雨で男女の情交を、二杉の松で男女の情愛を詠っているけれども、技巧が先にたつのは良くないよ。初瀬山と用いたのは、雲雨・二杉の松と、古歌に習った縁語だろうけれども、それがかえって賢しらで良くない。季語は元来なくとも良し。歌風定まった後は、かえって技巧ばかりを気にして、良い歌は少なくなってしまったのが私は残念で仕方が無いよ。
あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
とある有名な歌も、吟味すれば上の句は意味を持っていない。ただ下の句があればそれで意は通じる。だから私は、世人ほどこの歌を評価していないんだ。それでもこの歌は韻を踏み、詠んだ軽快さが秀逸だから、上の下くらいには評価している。慧音の歌は詠んでも良くない。もっと見たまま感じたままの、素直な気持ちを詠めばよいのに。そうすればきっと、人の心を動かす、素敵な歌が作られるし、それが歌道にかなったことだよ」
と思い伝わらぬことを安堵する一方で、
(そんなに素直になれたら苦労しないよ!!)
とか、
(じゃぁ、素直に詠んだら、妹紅は受け入れてくれるの?)
と思って、段々と彼女が心憎くなって来た。
そんな私達を見てただ一人、八雲紫は楽しそうだった。本当に彼女は意地の悪い人だ。
このときはなんともいえない居た堪れない心地がしたから、体裁が悪くて私は妹紅を置いて茶席に戻ってしまった。
しかしやっぱりこれははやまったと、ちょっと後悔をしているところに、妹紅が追いかけて来てくれて、「ごめんごめん、別に慧音を責めるつもりで言ったんじゃないよ。」と優しい言葉をかけてくれるのは、嬉しくもまた憎らしく思えたから、顔をあわせはしなかった。でもあまり丁寧に謝るものだから、悪い気持ちもしなかったので、妹紅の袖をぎゅっと握って、それを和解のしるしにしたよ。
茶席に戻ると、紅魔の主が、国立の趣向を珍しく思われたのだろう。あれおかしと見て回っていた。特に赤い大傘をお気に召されたご様子で、見上げながら手を伸ばしていらっしゃるお姿は、微笑ましく和やかなことであったよ。
従者携え、無邪気に異国の風情を楽しまれる様など、目にも嬉しきことにあれば、ついつい分を弁えず、
「あの大傘をたいそうお気に召されたご様子ですね。朱が見事な一品です。美を知る者は、異国の趣きにも通じるのがお早いことです。どうでしょうか。里の誉ある匠工に頼み、あれに劣らぬ大傘を作らせましょうか」
とかしずきて申し上げれば、
「まぁ、たいへん嬉しいことを仰ってくれます。国許の趣向を第一と思ってはおりますが、郷に入りては郷に従えとの諺もあると聞き及びます。また、この国の四季は故国にはない素晴らしいものです。それを楽しむには、やはりこの国の仕来りに従うのが一番でしょうね。ただ、常々そう思ってはいたのですが、中々機会がなく、ついそのままにしておいてしまいましたわ。これは大変に良い機会です。貴方は人里の賢者として名高い貴人・上白沢慧音ですわね。貴方に任せるのが一番であると思いますから、この国の秋を楽しむ諸種の道具を一式用意して頂戴」
と、私のような者を頼ってくれる嬉しさよ。
レミリアと名で呼ぶことをお許し頂いたものの、恐れ多きこと、身の程に合わぬことと申し上げれば、
「打ち解けて親しく話すことこそ茶会の楽しみというものですわ。また、貴方は卑しからぬ確かな身の方です。日の国の作法は知らぬわけではありませんが、それも行き過ぎてはかえって失礼と諺にもあります」
と仰られたそのお言葉の確かさに、私はすっかり痛み入ったよ。
そうしてしばし秋の風情を楽しみながら歓談した後に、
「貴方の様な貴人に対して、今日までちゃんとした挨拶をしておりませんでしたことは私の不明です。後日、是非ともしかるべき場をもうけて、この非礼をお詫びしますわ」
とのお言葉を頂戴したことは、実に名誉の至りであるよ。
いよいよ茶会が始まった。
およそ場違いなほどに茶の術も知らず、また諸芸に疎い私がこの席に呼ばれていることを今更ながら恐悦する。
心の支えは、妹紅が悠然として私の横に座っていることである。
またレミリアが、座布団の上で、かわいらしく、ぺたんと女の子座りをしていることと、それを皆がよしと認めるような、和やかな会であることが、幾分にも私を気楽にさせた。
西行寺氏が先立って、「茶は清茶と申します。細かい作法もございますが、茶を通じて少しでも皆様が楽しく打ち解け、お話をして頂くことこそ本意に適うことであります。」と、意を安ませ給うたことはまこと女人の優れた気遣いだよ。
「茶の道には詳しいの?」とレミリアが私に尋ねて来たから、「煎茶ならば。」と答えたら、「あら、私も少しは。」と西行寺氏が応じる。「売茶翁の心意気こそ、茶の本道にかなうものです。」と仰る言葉に、「道理で。先ほどのお言葉は、むしろ煎茶道のものと思っておりました。私は西土の道に習っております。」と答えると、「ならば今日は、煎茶の会にするべきでしたかしら。」と仰られた。それに対して、「西土の茶会は当家に心得たものがありますわ。だから、私はこっちのほうが興味深く楽しめます。」とレミリアが答える。「なんとそれは良い知らせです。後日、是非教えを賜りたく存じ上げます。」とお願い申し上げれば、「一席を用意してお招きいたしますわ。」とありがたくもお誘い頂いた。
妹紅が西行寺氏に、「若冲の絵なども、きっとお持ちでしょう。」と問えば、「大典和尚の掛け軸も。」と答えられ、「次は是非。」と求めるも、「外には出せませぬから。」と仰られた。「ならば参りましょう。」と言うものの、「蓬莱人は招けませんわ。」と仰られたことの軽妙でおもしろいことはなかったよ。
そうして会話を楽しむ間に、「粗茶ですが。」と用意してくださったお茶を頂く。泡の立てぬ作法を見るに、「表ですか。」と問わば、「今日は。」と答えられるのは、流石の文化人だよ。表も裏も、心得ておられる。
宴もたけなわとなりて、レミリアが戯れに「蓬莱の玉の枝を見せて頂戴。」と言う。
かぐや姫、はてどこからか取り出して蓬莱の玉の枝を見せ給える。
「これは見事ね。我が屋敷にある宝玉・名画と交換しないかしら?」
とレミリアに誘われても空言にて受け止められる顔。
「どうかしら、妹紅。」との戯れごとに、「からたまや!! からたまや!!」と返す妹紅に軍配はあり。
八雲氏、西行寺氏、私は大いに笑い、妹紅もしたり顔。ただレミリアばかりは良くのみこめず惑い顔。
西行寺氏が「紫、どうかしら。」と問えば、「優曇華也。」と口元に扇携えてしたり顔に笑われる。
これにはかぐや姫も「お上手なこと。散々にやられて立つ瀬がありませんわ。」とさめざめ言って袖も濡らさんばかりの演技ぶり。
当の優曇華は何事か知れず、ただただ呆気に取られてあるのもおかしい。
かぐや姫、負けてばかりはおられぬと見えて、西園寺氏に請い、直々に茶をたてたまう御姿の見事さよ。
「煎茶ならばなおよし。」と妹紅が言うに、「茶々を入れない。」とたしなめる姫様も天晴れ。
妹紅に茶を勧めて曰く、「いくひさ!! いくひさ!!」とは、これもまたうまし。
やはりただ一人、レミリアだけは分からず、かわいいふくれ面におわしますれば、私がご説明申し上げる。
「からたまや、とは宝珠への賛辞ですが、語源は唐玉で、つまりは異国の珍しく有難い玉という意味です。これを蓬莱の玉の枝に言うのだから実にうまいものです。しかし蓬莱の玉の枝は、伝説の一品。唐玉どころではありませんから、ちょっとした皮肉がきいていておかしいのです。いくひさ、は、幾久々の省略で、末永くという意味の長寿の祝言です。これを不老不死の蓬莱人に言うのはどうでしょうか。なかなか、滑稽でうまいじゃありませんか。そうそう、優曇華とは、三千年に一度咲くと伝えられている花で、この花が咲くときは御仏がこの世に現れると言われております。それくらい珍しいものという意味なのですけれども、御仏が現れるとなれば、これは蓬莱の玉の枝どころではございませんわ。それがかぐや姫の従者につけられた名前ですから、なおさら皮肉が利いて面白いのです」
こう仰ると、聡い君であるよ、レミリアはすっかり納得した様子。
「これからは貴方を頼りましょう。うちのは、機転が利かないし、諸芸にもとんと疎いから」
と仰って、私を重んじてくれるのはなんとも面映く嬉しかった。
茶会は終わり、里に帰りて妹紅と晩酌をして楽しむ。
「今日は燗にて。美酒を用意しました。鮮魚を料理して持ってまいりますから、一緒に楽しみましょう」
と本当に気分よく嬉しい気持ちでお酌をすれば、
「見事な饗應(あるじぶり)で、決して劣ることがないね」
と上機嫌で返してくれる。
こうして愛しい人が、楽しく酒を嗜んで、私にも陽気に接してくれることは、何にも増して幸せなことだ。
そうして月夜を眺め、幸せそうにうっすらと微笑んでいるあの人は、あぁ、やっぱり私が恋しく思うのも仕方のないくらいに素敵だなと、思って胸がときめいたよ。
そのあとは美味しい料理を作って、二人でつつましくも楽しい酒宴となった。
妹紅が私のことをどう思っているのかは、正直分からないのだけれども、それでも一緒にいて、きまりの悪いようなことは全くなくて、どこか不快のないように、お互い気を使いあって楽しい毎日を送っている。
きっと私は、どんなことがあっても、この人への気持ちは変わらないのだろうな。
あるいはこの人は私に愛を向けてくれることはないのかも知れないけれども、それでも私は、幸せだと思う。
どうか、私達ふたりの仲が、いつまでもこんなに、楽しいものでありますように。
惜しむらくはこの作品を楽しむのに俺の頭が足らないこと。
日本文学に造詣が深いとお見受けします。
煎茶道を嗜む者として売茶翁の名前が出てきたことがうれしい。
こちらでは大分マイナーに思われますから、幻想郷ではそこそこ流行ってるといいなあ。
なのにこんなにやさしい いいなあ
幻想に流れ着いた徒花達に幸あれ
こういう文章書けるようになりたいものです
来てくれなさそうですけどw
後、レミリアが可愛いくて生きるのが辛い
けれども、その特有の文体に負けずに各キャラが確りと立っているのが本当に凄い。
とても良かったです!
一見して読みづらいはずなのにちゃんと読めるのがなんとも妙です。
雅とはやはり敷居が高いもんですね。
雅な雰囲気に合う登場人物たちも素敵でした。
こういうSSがもっと増えるといいなあ。
幻想郷は教養のある暇人が多いので、こんな茶会や歌会がけっこう開かれていそうですね
とはこのような文章に相応しいですね
そんな事なくてよかった・・・
感想に気の利いた一句でも出てこないのが口惜しい。
自分のつたない言葉ではどうにも感想を表せないくらいです。
ほのかなもこけね分も微笑ましい。
賢ぶりすぎず、嫌みが無く洒脱な読後感だけが残った。
ですが自分には何を言っているのかさっぱりでした。
しかし、実際の万葉集は万葉がな表記も含めて結構、技巧を折り込み遊んでいたりもする
古今・新古今が技巧に走り過ぎたから、ちょっと抵抗するもこたん
一方、そういう雅な言葉遊びは好きな慧音先生
内容を咀嚼し切るに足らない我が頭を嘆くばかり…
慧音も妹紅も正式の茶会や、懐石料理の作法とかも知っているのだろう