布都が犬になっていた。
何を言っているのか分からないと思うが私にもさっぱり分からない。
目が覚め朝餉の支度をし、「ここは私の聖域です」と布団を離さず駄々をこねる太子様を叩き起した。
そして配膳を済ませておこうと向かった先に居たのは犬。
その頭頂部にはどこかで見覚えのある烏帽子が器用に乗っかっている。
「ヘッヘッヘッ……ワンッ!」
犬は私たちが食事をするちゃぶ台、それも布都の席を陣取りこちらに向いている。
烏帽子とその状況から察するにこれは布都らしい。布都なのか?
まあいい、何はともあれ落ち着け私、これは巧妙な罠だ。
あいつがふざけているだけ。きっとそうに決まっておる。
どこかに隠れて、私が慌てふためくのを眺めて楽しもうとしていのだろう。朝っぱらから迷惑な奴。
だが、私は冷静で冷やっこい女、蘇我屠自古。これしきの事で取り乱したりなどしない。
布都の悪戯などすべてまるっとお見通しなのだ。そしてこちらには対抗策が存在しているのだから。
対抗策、それは朝御飯を盾にすること。仙界の台所事情は私の手の内にある。
私に逆らう者は罰が与えられる。分かりやすく言うとご飯抜きの刑。
くっくっく、出てきたら説教をしてやろう。ここはペット連れ込み禁止だ。
「布都、お前の取るべき道は二つ。今すぐ出てきて謝るか、謝りながら出てくるかだッッッ!」
部屋中に聞こえる声で警告を促す。まあこれで大丈夫だろう。
そんな楽観的な気分で罪人の自首を待つ。
しかし、
「……あれ?」
1分、2分と経っても出てくる気配がない。
「い、今出てこればおかわりは1回だけ許してやんよ!」
近代稀に見る譲歩案だ。これ以上の待遇はあるまい。
しかしながら一向に気配どころか音さえ聞こえない。
まさか持久戦を挑もうというのか?
いやありえない。あいつが飯を前に耐えれる性分ではないことは長年の付き合いから分かっている。
だとしたら、
「ハッハッハッ」
「ま、まさか……お前、本当に布都なのか……?」
「ワンッ!」
犬が肯定するように吠えた。
「そんな……」
目の前が真っ白になる。
由々しき事態だ。前から犬っぽいとは思っていたが本当に犬になるなんて……
唯でさえ『種族 :人間?(尸解仙を自称する道士)』と微妙でもやもやさせられているのに、
よもや『種族:犬』にジョブチェンジですか? これじゃあどう反応していいか困るじゃないの……
しかし、よく見るとどことなく布都の面影があるような。
犬がフンと鼻を鳴らす。それがどことなくあいつのアホ面に見えてくる。
というか一度そう見えるともうあいつ以外に考えられなくなってしまう。
「その生意気そうな顔は間違いないわね」
「ワンワン!」
「なんという姿に、尸解仙とはかくも恐ろしいものなの……」
足に力が入らない。いや私に足はないんですけど。
その場にへたり込んで呆然とする。浮かぶのは人の形を保っていた布都との思い出。
いろいろ衝突もした。太子様のこと、一族のこと。晩御飯のおかずの取り合い。etc...
奇妙な関係だがそれでもなんとかうまくやってこれた。昨日までは。
「犬に使役されるなんて真っ平ごめんよ」
「クゥ~ン……」
あ、いま落ち込んだのかな?
でも泣きたいのはこっち。犬が主人なんて嫌すぎる。
ちょっと想像してみて欲しい。頑張って弾幕の嵐を潜り抜けた先に待っていたのが犬だとしたら?
ワンワン吠えながら自信満々の顔で出てきたら?
字幕部分が『ワンワン』だったら?
私ならPC毎ガゴウジサイクロンしちゃうね。絶対。
それにもっと大変なこともある。
御飯の世話、お風呂、毛繕い、散歩。全部面倒見なきゃいけないんだもん。
……面倒?
「ん? 考えてみればいつもやっていることとあんまり変わらないわね」
御飯は私の担当だし、お風呂は1人で頭を洗えないからシャンプーを手伝っている。髪の手入れも風呂上がりにやった。
散歩も1人じゃ危なっかしいから出来るだけ付き添うようにしている。
「なんも問題無いじゃん」
あとはトイレの世話くらいか。それはなんとか躾けよう。
ただやはり問題はある。
「喋れないのは困るなぁ」
言葉を交わせないというのは致命的だ。
コミュニケーションがとれないといざという時が心配である。
そもそもこの体で弾幕を放てるのか?
「あんた、弾幕ごっこできるの?」
「ウォ~ン」
「やっぱり無理よね……」
犬が磐舟に乗って出てきたらシュールすぎる。
こうなれば誰かに相談するしかない。ここはやはり太子様がいいか。
そう考えながら布都を撫でる。すると気持ちよさそうに目を細めた。どうやら受け入れてくれたらしい。
「あら? あんたのことだから噛み付かれると思ったけど案外素直なのね」
嬉しそうに尻尾をフリフリ。
なでなで。可愛いなぁ。人間の時もこうだとよかったのだけど。そんなことを考えていると襖の開く音がした。
「お腹が空きました」
「およ、太子様?」
「おはようございます……その犬は何ですか? 朝ごはん?」
視線を上げると襖の方に太子様が立っていた。まだ眠そうに眼を擦り、壁に向かって喋っている。私は壁ではない。
ああそういえば朝食の準備をしに来たのだった。布都のせいで忘れてしまってた。
しかし丁度いい。太子様にこの事を報告しなくては。
「さすがに犬を食卓に並べる気はありませんよ。それより大変なんです。布都が犬になっちゃいました」
「はあ、布都が犬に……?」
自分で言っておいてなんだが、この伝え方には無理があるな。
太子様も頭に“?”を浮かべながら犬に視線を向ける。顔を近づけまじまじと、隅から隅まで見渡すとこう呟いた。
「確かに犬ですね」
ガクン。
この方はまだ寝ぼけているのだろうか? 反応がおかしい。
「いやいや、犬なのは確かですよ。そしてそれが私達の同朋、物部布都なのです」
「ほほう、これが布都ですか。どうりで見当たらないと思ってました。おはようございます」
「ワンッ」
「うん、いい返事です。では食事にしましょう」
「ちょっと待ってッ! それだけですか? もっと、こう、なんか、慌てるとか、ビックリするとか……」
「ビックリはしましたよ? 人って犬になれるんですねすごい。さあ、ごはんです」
グ~っとお腹を鳴らしながら飯を催促する我が主。
不測の事態にも態度を変えない屈強な精神力は尊敬に値する。
これが人の上に立つ聖者の姿なのか……私も見習わないといけないな。
……だがやっぱりこの反応は違うと思う。
「だから大変なことなんですよ! 犬では私達の今後の活動に支障をきたしてしまいます。なんとか元に戻さないと」
「とはいえ原因が分からないですし。まずはごはんを……」
「道教の術や尸解仙の副作用とかじゃないんですか?」
「いえ、犬に変化する術など知りません。副作用についても違うと思います。きっとごはんを食べれば治ると思います」
「では一体どうして……まさか寺の連中の攻撃とか! 鵺ややまびこを飼ってるらしいですから」
「そちらも可能性は薄いと思います。布都以外に被害はないんでしょう? 攻撃にしては程度が低い。あと、ごはん食べたい」
うーん、太子様の言うとおり寺の奴らはなさそうか。
他の可能性を模索する。その間太子様が何かを訴えているのは無視しておこう。
可能性としては、
1.誰かにやられた。
2.自分でやった。
1なら犯人を探す必要がある。そして元に戻させないといけない。
2ならどのようにして術をかけたのかを調べて対策を練る。
ただ、どちらも動機が分からない。
犯人がいるならなぜこんな真似を? 布都自身ならどうして自分を犬に変えたのか?
頭が混乱する。私は犯人でも布都でもないのだ。分かるわけがない。
「まさかこれが物部の秘術と道教の融合……?」
そうなら私では手に負えない。私は尸解仙ではないのだ。仙術もタオも秘術も知らない。
私は今、肉体を捨てたことを後悔している。
もしかしたらずっとこのままなのかも。そんな不安が心の奥底から沸き出てきた。
二度と話すことも出来ず、弾幕ごっこすることも、喧嘩することも……笑い合うことすら出来なくなってしまうのかもしれない。
「……ゃだ」
そんなの嫌だ。
好きだとか嫌いだとか考えたことなんてなかった。
「元に戻ってよ……悩みがあるんだったら相談して……私に非があるなら謝る……だから」
いつも一緒にいるのが、1400年前から当たり前のことだと思ってた。
その当たり前が無くなるだけで、私はこんなに苦しくなってしまう。涙を止められなくなってしまうんだ。
「いつもの、生意気な布都に……」
あとは言葉にならなかった。
顔は涙でグシャグシャ。声は嗚咽で喋れない。
ああ、こいつの為に泣くことなんて一生無いと思ってたんだけどなぁ。
こんなに依存してたなんて、蘇我一族として恥ずかしい。。
でも、友達としてなら、いいよね?
「う……うぅ……」
ほら、太子様も泣いてらっしゃる。布都、貴女の為に。よかったわね。
「お腹が空きました……」
…………あとで殴ろう。
◇
一通り泣いたらすっきりした。
相変わらず布都は犬のままで、おとぎ話のような奇跡で元に戻るなんて展開は無し。
でも慰めるかのように私のそばにずっと寄り添ってくれていた。それが少しだけ嬉しい。
太子様もさめさめと頭にこぶを作って泣き続けている。空気を読めないのが悪いよ、うん。
とまぁ悲しむのはここまでにして切り替えよう。
例え犬だろうと布都は布都だ。他の何者でもない。
だから今まで通り……とはいかないけど、普段のように接しようと思う。躾もしないとだし。
そういやまだ朝だ。随分と時間をかけた気がする。私もいい加減腹ペコ。朝食にしよう。
「気を取り直して、ごはんを食べましょうか!」
「ワンッ」
「ごはんっ*:・'゜☆゜'・:*:.。.:*:・'゜★゜'・:」
待ってましたと言わんばかりに元気な声が聞こえてくる。布都も嬉しそうだ。太子様なんて星を飛ばしている。
そうだ、布都はどうやってごはんをあげればいいんだろう?
体に気を使って健康的なメニューは心掛けているけど普通の食事を食べさせて大丈夫なのかな?
でも犬用のエサは無いし、それにきっと布都だから大丈夫だよね。と勝手に納得する。
茶碗は大きめのに移せばいいかな。
「ワン」
「ごはんが食べれる幸せ……生き還ってよかったー」
布都の声は2度と聞くことは出来ないかもしれないけど、それでも一緒にいられる幸せを噛みしめよう。
太子様と私、布都。2人と1匹の新しい関係が今日から始まる。
でも、なんとかやっていけそうだ。怖がる必要なんてない。これからは私がこの大切な家族を守ろうではないか。
気合いが入るってもんだ。誰にも邪魔はさせない。私は叫ぶ。
「やってやんよ―――」
「ただいま帰ったぞ! 朝餉には間に合ったな」
「―――えっ?」
気の強い声と同時に襖が開く。そして現れたのは、
「いやー、あまりにも天気が良いものだから朝錬に気合いを入れすぎた。我としたことが時間の経過を忘れておったわ」
あっはっは、と無邪気で無垢な可愛らしい笑みを携えた、
「ん、どうした屠自古? 我は腹が減ったぞ。飯にしよう。太子様もそれを望んでおられる」
「ごーはーんー」
「おお、犬っころもおったか。どれ、おぬしも食っていくがいい。屠自古の食事は美味だぞ」
「ワンワンッ」
少し抜けたとこもある尸解仙を自称する道士で、今は犬になってしまったはずの、
「呆けてないで早く支度をせんか屠自古」
物部布都だった。
「布都……? えっ? なんで?」
「むう……本当にどうした? どこか変だぞ。風邪でも引いたか?」
「はへ? 布都が居る。でも布都は犬に……犬も居る。布都はいぬ。いや居る。布都犬……」
なんだこれ?
突然の出来事にこれ以上ないくらい混乱している。
犬の布都と人の布都。どちらも存在しているの……? あれ? これはどういうこと?
プシューと頭がやかんのように沸騰して、目の前がぐるぐると廻る。
そして―――
「お、おい! 屠時古!?」
私の意識はどこかへと飛んで行った。
◇
「……ん、あれ、私」
目を開くと居間の天井が現れた。
頭には枕のようなものが、どうやら座布団を丸めたものを敷いているようだ。
「気がついたか」
声が聞こえる。なんだか懐かしいようなあいつの声……あいつ? あいつって布都?
そこで意識がはっきりと戻った。
そうだ、布都が犬になったと思ったら、本物の布都も現れて。それで混乱して倒れてしまったんだ。
「話は太子様から訊いた。我を犬と勘違いした間抜けの話をな」
「ぐっ……でも、いきなり居間に烏帽子被った犬が席についていたら誰だ……って……うぅぅ」
意識が戻ったと同時に冷静になることができた。
言い訳をしようにも冷えた頭の自分が告げる。『んなバカなことあるわけない』と。
どうやら寝ぼけていたのは私の方だったらしい。これでは太子様を笑えない。
恥ずかしさで顔が湯でダコのように赤くなっているのが分かる。それを知ってか意地の悪そうな声で布都が話しかけてきた。
「はは~ん。おぬし、さてはアホだな?」
「うぅぅぅぅぅ~!!」
「くっくっく、だぁーっはっはっは!!! それに我がいなくなったと思って泣いたらしいではないか」
「そそそそれはっ!」
最悪だ。
全部バレてしまった。不覚どころの話ではない。恥だ。
よりにもよってこいつに弱みを握られてしまった。私の人生終了(もう死んでるけど)。
奴は勝ち誇るように笑い転げている。ちくしょう、死にたい(もう死んでるけど!)。
「安心しろ。我はこれからもずっとおぬしを使役し続けてやるからな」
「えっ」
「太子様、我、屠自古。3人はいつまでも、未来永劫共にあるのだ。あ、青娥殿と芳香も同朋だから一緒でもいいな」
「なにそれ、慰めてくれてるの? らしくないよ」
「事実を言ったまでだ。それに使役する者の面倒を見るのも使い主の役目だからな」
フンッとお得意のドヤ顔で言い放つ布都は、生意気にも格好良く私の瞳に映ってしまった。
ああ、悔しいな。こいつを言葉がこんなにも嬉しいなんて。
「……ありがと。ばか仙人」
今日の私は本当にどこかおかしい。でも気分は悪くない。布都の言葉で元気が奥底から湧いてくる。
「あのぅ」
ふと、もうひとつ声が聞こえる。あああ、忘れてた!
顔を向けると、お腹を抑えた太子様が乞うように涙目で私を見ている。
「お腹が空きました……」
ガバッ! 勢いよく立ちあがる。朝食の時間はとっくに過ぎ去ってしまっていた。
勝手に食べればいいのにと思いながらも、皆を待っていてくれた我が主に心の中で感謝する。
すぐに準備しよう。今この場に駄々っ子が2人と1匹。忙しなく要求してくる。
「はいはい、ではお手伝いをお願いしますね」
「了解です。ごはん~」
「我に任せよ!」
「ワンッ」
やっぱりこうじゃなきゃね。私にとってこの感じが一番望ましい。
にこっと笑って台所へ向かう。冷めた料理を温め直さないといけないな。
犬用の食器も用意しないと。ああ忙しい。
今日も仙界は賑やかである。
◇
「……でその犬は一体何なの?」
「これは青娥殿が連れてきたものだ」
「あんの邪仙かッッッ!!!」
「聞くに知り合いの仙人のペットを借りてきたらしい」
「“勝手に”が付きますけどね。青娥さんの戯れには困ります」
食後、まだ皿を舐めまわす犬に視線を送り、そういえばと尋ねる。するとあまり聞きたくない人物の名前が出てきた。
全てはあの方の策略か。いや、いたずらだ。はた迷惑な。
わざわざ布都の烏帽子に似せたものを作ったというのか。
事のあらましはこうだ。
布都は尸解仙となって間もない。それ故仙術の修行を積もうと早起きして鍛練を積むようになった。
そして今日も修行を行おうと準備していたら邪仙青娥娘々が犬を連れて現れたらしい。(その時は烏帽子は被っていなかった)
挨拶をして別れた後、青娥は犬に烏帽子を被せ、居間に放り込んだ。そしてそこに私が登場。このざまというわけ。
「なんでこんなことを……私に恨みでもあるのでしょうか」
「あの人の行動原理なんて難しそうですが実は単純明快。自分の欲求を満たしたいだけ」
「要するに慌てふためく私を肴に楽しんでいたってことね……」
「私がここに来た時には居ましたよ。壁に隠れて。目が合ったら逃げちゃいました」
太子様が呑気に凄い事を言う。
あの邪仙の壁抜けを見極められる者なんてそうはいないはず。実際私がそうだ。きっと布都もわかるまい。
流石は太子様だと感心する。
ってちょっと待て。
「そういえば太子様、まさか最初から犬が布都じゃないと気付いてました?」
「はい。でも、あれは屠自古の戯れかと思って……」
「た、たわむれはおわりじゃ~! 知ってたのなら言ってくださいよう」
「ごめんなさい……」
太子様が本気で取り合ってくれなかった理由が判明した。
結局、私だけが道化だったということ……
身体から力が抜ける。うん、もうなんていうか……
「やってらんねーよッ!」
おわり
想像すると可愛すぎる……!!クリアできねぇ……!!
後華扇のネーミングセンスがww
華扇のネーミングセンスに術戦車バトルが流れました
犬耳と尻尾が生えてくる呪いが降りかかればいいのにw
ふととじは嫁姑関係
布都ちゃんを上回るボケをかました時のとじこちゃんを「あほじこ」と呼ぼう
そんな決意をした昼前
華扇ちゃんネーミングセンスの無さw
カリスマは、カリスマは如何なされた!
いや、首輪なら神子さまが似合う。あの髪だもの絶対似合う。
どちらにしてもかわいいからいいや。
どこか抜けている屠時古ちゃん可愛いです
可愛かったッス