Coolier - 新生・東方創想話

2011/10/03 04:39:16
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風は朝から吹いていた、その風は正午を過ぎるとビューっという音をたてるようになり、夕暮れになると激しい雨音も混ざっていた。
部屋の窓には吹きつけた雨が線を引いていた。
銀髪の少女はその窓から薄暗い空をうかがい、煙草の煙のような色をした雨雲が西から東に流れていくのを眺めていた。
「すごいはやいよ」と少女は雲を指しながら言ったが言葉は返ってこなかった。
後ろを振り向くと誰も座っていないロッキングチェアがゆっくりと無音で揺れていた。
少女は窓際を離れると開けっぱなしのドアに近づき、そこから顔を出した。
電話に出ている父親の声が聞こえた、その声は電話の相手を気遣っているようだった。
父親が部屋に戻ってくると少女は訊いた。「どうかしたの?」
少女の背は父親の腰のあたりまでしかなかった。
「どうもしないよ」と父親は言った。「それよりも晩御飯のことだけどね、今日は買い物に行ってないから材料が無いんだ」
彼は窓を見た、少女も窓を見た。表の通りでは海にポツポツと浮かぶ小さな島々の様に水溜りが並んでおり、雨はそこで波紋をつくっていた。
「こんな天気だから?」と少女は訊いた。
「そう、買い物に行かなくちゃ、と思っているうちに降ってきちゃったんだ」
「車ってないとやっぱりフベンだね」
「まぁ、確かに車があれば酷い雨でも買った物がそんなに濡れることはないけど」彼は言葉を続けようとしたが「お父さんは車のうんてんが出来ない」と少女が続けた。
「そんなこんなで晩御飯をお店に頼もうと思うんだ」
「お店の人、たいへんだね」
彼は苦笑した。
それは娘の一言が強い雨と風の中でバイクに乗る人に向けられているのに対して、彼は雨が降り出した途端に鳴り始める店の電話が頭に浮かんだからであった。
「それで何がいい?」と彼は訊いた。
「ハンバーグ」
「じゃあ、いつも頼んでいる所でいいね」
彼は娘に確認すると部屋を出る前にベッドの横のテーブルにある写真に目を移した。
そこには彼と少女それから一人の女性が写っていたが、隣の写真には彼と少女の二人しか写っていなかった。
その女性は少女の母親、彼の妻だった。
彼女は娘の5歳の誕生日を迎えた数日後に癌で亡くなったのだった、1年半ほど前のことだ。
そして先ほどの電話、それは彼の中学生からの友人が亡くなったという知らせだった、轢き逃げだった。
その友人の言葉を彼は思い出した。
彼の故郷(そう彼が現在住んでいる場所は外国、彼は異邦人だ)、大学の夏休み、蒸し暑く、陽に焼けたポスターが貼ってあるコインランドリーだ。
他に客は居なかった。
友人は回っている自分の洗濯物を見て言った。
「もう俺らの同級生で死んだやつっているのかな」
洗濯機の回る音が彼の頭を掻きまわし、薄らとした不安を呼びこんだ。
彼はそっと部屋のドアを閉めた。

出前は時間通りに届いた。
届けたのは太った若い男だった、レインコートは濡れており雨が玄関に垂れた。
男は受け取ったお金を太い指で数えていた、父親は男に多めのチップを払っていた。
数え終えると男は「またのご利用をお待ちしております」と言った。
「ご苦労さまです」と父親は言った。
男は少し頭を下げて出て行った。
父親は料理の入った白いプラスチックの入れ物を重ねて運んだ、プラスチック越しに手の平に伝わる料理の暖かさは気味が悪かった。
廊下にはキッチンから漏れた光が白い線を作っていた。だがキッチンに入ると思った以上にそこは暗かった。
外の荒れた天気の色を吸いこんだその場所には薄い灰色が滲んでおり、彼は少し肌寒く感じた。
少女はコンロの前でお湯が沸騰するのを待っていた、手元には茶葉の入ったティーポットがあった、少女は一人で紅茶を淹れていた。
父親はテーブルに料理を並べると娘の慣れた手つきを眺めた。
不慣れでおっかなかった頃には彼は気付かなかったが、その姿は彼の妻に似ていた。
見た目や性格、仕草までもが彼の妻を知るものなら誰もがそっくりと口にした、そのことに彼の妻は「あなたの遺伝子が弱すぎるのよ」と言っていた。
似ている部分?
彼が訊いたとき「歯並び」と彼女は答えた。
「歯並び?」
「そう」
「でも二人とも歯並びは綺麗じゃないか」
「そうだけど」と言って彼女は唇を突きだした。「あなたの妻である私が保証します」
「参ったな」と彼は照れながら言った。
それにしても、と彼は思った、6歳の娘に紅茶を淹れてもらっているなんて君が知ったら何て言うだろうか。
「あなたが頼りないから娘が強くなっちゃったのよ」なんて言うんだろうな……。

「ほら!」と少女の弾んだ声がした。「こう茶はいったよ」
灰色の滲むその場所では少女の淹れた紅茶は優しい香りがした。

二人は少女の通う学校の話をしながら出前を食べた。
少女は習ったことや友達のことを頑張って説明しようとしたが、全部伝えきろうとする少女の話はあちらこちらに飛び、自分の説明に納得のいかない個所は何度も繰り返された。
でも彼は飽きることなく話を聴き続けた。
聴き続けている間、彼のフォークは止まっていた。

食べ終えた二人はリビングの二人掛けのソファーに腰を下ろし一緒にテレビを見た。
それはイギリスの番組で一般人のお宝を鑑定士が鑑定するものだった。
珍しいものが好きな少女はその番組を毎週かかさず楽しみにしていた。
その傍ら、父親はテレビの司会者の思わせ振りな声が何だか知らない言語のように感じられた。
彼の視線は近くのテーブルに落ち始め、耳は家を包む雨音とうなる風に向けられる、意識は次第に友人の死に向かっていた。
友人の死を聴いたとき、彼はその事実をうまく飲み込めずにいた。
だがしばらく時間が経ち、こうしてソファーに体を沈めて全身の力を抜いていくと友人の死という事実が彼の心を捉えた。
それは悲しみというよりは悔しさだった。
なぜ友人なのだろうか……。
幾ら考えても切りの無いことと理解しながら彼は考えられずにはいられなかった。
死に至るまでの過程に潜むランダムな要素、そこにはどうしようもない闇が感じられた。
運命と呼ぶには……というやつだ。
彼はその運命という言葉が浮かんだ自分にガッカリした。
何でも片づけてしまうその言葉を安易に用いたことが嫌だった、でもそれが悔しさというやつなのだろうとも感じた。
初めて鼻の奥がツンとした、彼は娘に悟られまいと少し身をよじってその感覚を誤魔化した、娘は番組に夢中だった。
彼は友人に最後に会ったときのことを思い出してみた。
2週間近く前のことだ。
仕事で近くに来るというのでわざわざ会いに来てくれたのだった。
夜には会えないから会社の昼休みに近くの喫茶店で会った。
窓側の席、晴れ、彼は紅茶を頼み、友人はコーヒーを頼んだ、氷が多かった。
他愛もない話をした、仕事は順調なのとか、彼の娘の話とか、ローンの話とか。
それと結婚はまだなのかい?とも彼は訊いた。
友人は、どうなんだろうね、なんて言ってはぐらかし、間を置いた、水を飲むとか、外を見るとか、指をいじるとかでだ。
それから友人は「毎日出入りしている自分の家がな、全く……、自分と関係のあるものに思えないんだよ」と唐突に口にした。
その言葉は無理に引っ張りだした印象を受けた。
常にそのことが友人の心に引っかかっていたのだ。
だが抱えている内にいつの間にか、それを出すタイミングを失ったのだ。
友人は続けた。
「それに最近、俺は両親の墓参りに行ったんだ。何年ぶりかは忘れてちまったけど、とにかく久しぶりにだ。荒れてはいなかった、多分、弟が掃除してくれてたんだ。俺は墓石の頭から水をかけるだけにして、花と線香を供えた。そして手を合わした。すると驚くことにだな、恥ずかしながら願っちまったんだよ『叱ってほしい』ってな、知っているはずだろうけど、俺は家を勝手に飛び出し、もうまともに両親と顔を合わせていなかった。そんなガキがだ、両親の墓前で『叱ってほしい』だなんて……これはなんて酷い親不孝なんだろうな」

「どうしたの?」
少女が彼を見ていた、番組はすでに終わっておりビールの暑苦しいCMが流れていた。
「どうもしないよ」と彼は言った。
「本当?」と少女は訊いた。
「本当さ」と彼は答え、「それよりもテレビが終わったからお風呂の時間だね」
「うん」
「今日はアレだよ、シュワシュワする入浴剤を入れていい日だよ」
「やったぁ」
「でも溶けている間に湯船に入っちゃ駄目だからね」
「分かってる」
「それじゃ、着替えを持ってお風呂に入いるんだ」
だが少女は浴室に踏み入れると入浴剤を湯に溶かすよりも先に頭と体を丁寧に洗い、シャワーで泡を落とすと入浴剤と共に浴槽に体を沈めた。
浴槽の底では入浴剤が泡を出しながら溶けていき、少女は水面に昇っていく泡に手の平を被せたり、掴んだりするなどしてその細やかな感触を楽しんでいた。

少女が風呂に入ると、彼は再びソファーに体を沈め、リモコンを手に取った。
テレビの画面は数秒の間を置いて移り変わり、すぐに一周した、どれもつまらなそうだった。
彼はテレビの画面をニュースにすると、音量を少し下げ、リモコンをテーブルに置いた。
それから瞼を閉じ、お腹に手を置いた。
リビングはやけに広く感じられたが、やがてその感覚も薄れていった。
お腹に置かれた手には冬の凍える日、冷たい風も吹く中、外で誰かを待つときに首筋を照らす陽の光のような暖かさ、寒さと混じり合う繊細な暖かさがあった。

少女が風呂を上がった音がすると彼は5分ほどしてから洗面所へ向かった。
洗面所ではパジャマ姿の少女が鏡の前で口を開いて、頭を色んな角度に傾けていた。
「何しているんだい?」
「ムシバないかな、って」
「寝る前にちゃんと磨いたら、ならないよ」
「うん、大じょうぶみたい」
「それは歯医者さんだけが分かることだよ」
「でもどこもクロくないよ」
「黒くなくても危ないことはあるんだよ」
「そうなの?」
「そうなの」と言って彼は娘の両肩に手を乗せしっかり立たせた。「だから毎日磨こうね」
彼は少女の形のいい頭にタオル被せ、髪を拭いてやり、遠くから優しくドライヤーをかけてやった。
彼の指の間を流れる少女の髪はとてもサラサラしており、固くもなく柔らかすぎもしなかった。
少女は柔らかく目をつむり気持ち良さそうにしていた。
少女は父親のゴツゴツはしているけれどその大きな手が好きだった。

少女の髪を乾かすと父親は風呂に入った、彼の目には浴室のタイルの白さが際立って映った。
それは清潔さよりも居心地の悪さを生む白さで、タイルの隙間に潜むカビはその白さを払っているようだった。
彼はシャワーの温度を高くし、頭を、その次に体を洗った。
湯船に浸かると、疲れのこもった小さな息をこぼした。
そして彼は自分が今まで日常に近いところであり続けようとしていたことに気付いた。
それはある穴に対し、その穴の直径よりも僅かに大きなモノを通そうとするような、疲れる無駄な作業だった、でも無意識にそうしていた。
日常。
一体どこまでが日常なのか、急にそのことが彼の中であやふやになった、いやそもそも日常とは……。
妻と最も親しい友人を35で失っている彼はこれからの自分に何が待っているのかという考えに取りつかれた。


















娘が大人になるにつれ、僕らは一緒に年をとってシワクチャになっていくはずじゃなかったのだろうか……。





風呂を上がった彼はリビングのソファーで寝ている少女を見つけた。
点けっぱなしのテレビは駅馬車をやっていた、話がうまく掴めず、興味が薄れて寝てしまったのだ。
彼が本体のボタンを押してテレビを消すと、音だけでなく熱までが奪われた感じがした。
彼は遠くから寝ている少女を眺めた。
柔らかく瞼を閉じ、静かに呼吸をしている6歳の少女はいつもより小さい印象を受けた。
彼は近づき、少女の手をとった、その小さな手は軽く握られていた。
彼はその小さなコブシを両手で包んだ。
「親不孝でもいい、でも大人になったらどうか暖かい場所を見つけてほしいんだ」

外は未だに荒れていた。
雨はいたる所で大きく弾けありとあらゆるものを濡らした。
うなる風はどの家にも等しくぶつかり、住人の意識を散らしていくとどこかに去った。
月は全く空に映らず、地上には手を伸ばせば飲み込まれそうな闇が広がっていたのだった。
咲夜さんの過去には色んな話があり、その中には絶望的な境遇とかあるわけですが、個人的にはいきなりポンとそこに放り込まれるよりは家族が機能していた時代もある気がするんですよね。
それと咲夜さんは家族が機能していたらお父さん子な気がします。

誤字の指摘、ありがとうございます。
空きビンの底
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コメント



0.350簡易評価
2.100君の瞳にレモン汁削除
確かに、咲夜さんの家族というのはなかなか登場しないですよねぇ。

誤字です。
親不幸→親不孝
かと。
3.90奇声を発する程度の能力削除
何だか読んでて心苦しくなった…
4.80名前が無い程度の能力削除
しかし、これだけだとちょっと……あれだな。現在の描写が少し欲しいかも。