Coolier - 新生・東方創想話

小秋日和

2011/10/03 02:53:21
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注:それなりに長いので、のんびりとお付き合いいただければと思います。





一日目





その日、博麗霊夢の朝は早かった。
何のことはない、たまたまいつもより早く目が覚めてしまっただけである。いつもならすぐに二度寝をたくらむところであるのだが、夏らしくない外気の適度な涼しさと、この間の宴会で破壊され、なおした後も多少歪んでいる障子の隙間から差す日差しの鬱陶しさがその気にさせただけのことだ。
「あとは気分よ、気分」
誰にでもなく言い訳がましい言葉を放ちながら、彼女はさっさと着替え、湯を沸かすべく薬缶を火にかける。湯が湧くまでの暇な時間をつぶそうと、手近にあったそう新しくもない新聞に軽く目を通した。
(人里で流行り病、魔法の森に巨大キノコあらわる、それに……命蓮寺の夏祭り、か)
ぼうっと読みふけっていたとき、不意に甲高い笛のような音が響き渡った。
「っと、いけない」
大慌てで薬缶を火からおろし、急須と椀を用意して茶を淹れる。
一服した後、霊夢は「ほっ」と息を吐くと、
(朝食の前に掃除でもして、お腹を空かせておこうかしら)
そう思い立ち、少しばかりうきうきとしながら立ちあがって裏の勝手口へと向かった。

――そうしただけだというのに。

「……どういうことかしらね、これは」
霊夢は目の前、すなわち博麗神社の境内を見やった。見慣れた石畳の上に紅の衣をまとった影――彼女の記憶が正しければ、おそらく紅葉の神である秋静葉―― が倒れている。
もちろん、幽霊も妖怪も恐れない程度の肝の強さを持つ霊夢からすれば、神が境内に倒れていたくらいでは何とも思わない。問題はその身長が以前会った時の六割弱程度しかないことで、同時にそれが厄介事の臭いを色濃く漂わせているということであった。


『すみません、ご迷惑をおかけして……』
霊夢が介抱してやると(といっても布団に寝かせてやっただけであるが)、程なくして静葉は目を覚ました。今は所変わって神社の客間である。
「いいわよ、別に」
申し訳なさそうにする静葉をよそに霊夢はそう言い、二人分の茶を淹れてその一つを差し出した。あわてて再び頭を下げる静葉に「気にしなくていいってば」と切り返しつつ、ずいぶん腰が低い神様だと半ばおかしく思い、いささか毒気を抜かれながら茶を口に運ぶ。
しばらく、二人が茶をすする音だけが部屋に響いた。
『あ……あのっ』
先に口を開いたのは客人の方であった。
「何?……と言っても、分かり切ってるけどね」
『はい……出来れば、助けていただきたいのです』
静葉は俯き、自分の体を見つめるようにした。そして、正面に向き直って話し始める。
『最初に気づいたのは、一月ほど前のことでした。妖怪の山の麓に一本の椛がぽつんと立っている場所があって、毎日様子を見に行っていたんですが……ちょうど目線の高さくらいだったはずの一本の枝が、少しばかりそれより高くなっているような気がしたんです。……もしかしたら気のせいかも知れないと、その日は特に気に止めませんでしたが』
そこまで話して、小さな神は少し息を整えた。
『その枝の位置は次第に私の目線の高さから離れていって、半月ほど後にはとうとう私の背丈を追い越してしまいました。私の妹神である穣子はとっくに気づいていたようで色々と気にかけてくれましたが、この症状はどんどん進行して……』
「今に至る、と」
悲しげに首肯する静葉。
「難題ね……」
霊夢は眉間を指で押さえて考え込んだ。これまでに解決した異変は多々あるが、そのどれにもこのようなレアケースは含まれていない。ふととあるキーワードが頭をかすめ、いくらなんでもたったひと月でこれはないだろう、とは思いながらも一応頭の中にとどめておいたところで、

くきゅるるる~。

『……あう』
静葉が真っ赤になってうつむいた。
「……以外と自己主張するのね、あんたも」
『いいいいやそんなつもりでは、あのその……』
「冗談よ」
からかうとオーバーリアクション気味にあたふたとする様子を微笑ましく思いつつ、それをうっすらと表情にも表しながら霊夢は席を立った。
「どうせ私もまだだったし、せっかくだから食べていくといいわ。しばらく待ってて」
幸い、神社に涼みに来た知り合い連中が色々差し入れてくれるおかげもあって食糧は十分すぎるほどあるし、久しぶりに図々しくない誰かと食卓を囲むのもやぶさかではない。
(それに、なんだか放っておけないのよね)
霊夢は一人、静葉には見えないように苦笑した。


霧雨魔理沙はいつものように上空から博麗神社の境内に着地し、箒を降りた。いつもならここで掃除をしている霊夢がおなじみの不機嫌そうな顔で対応してくれるのだが、今日は結構早く来たせいかその姿は見えない。うまそうな匂いがしているところを見ると、おそらくは朝食を作っているところだろうと想像して、早起きは三文の得ということわざを思い出しながら彼女は一人ニヤついた。
「こいつは役得だな。さて、勝手に上がらせてもらうぜ、と」
神社の裏手に回り、靴を脱ぎ捨ててひょいと縁側に飛び乗る魔理沙。オンボロ、もとい相当の年月を過ごした風格のある廊下をギシギシと歩いていく。
「さー、今日のメニューはなんだろな」
台所の扉を開け放ち、「おはよーさん」と元気よく挨拶すると同時に目に飛び込んできたのは、見覚えのある巫女服に今はエプロンを追加で纏っている姿。
「……ついに朝飯までたかりに来るようになったのね」
ものすごい目で見据えてくる霊夢に、しかし魔理沙は否定の仕草をしてみせた。
「ちょっと早い時間に遊びに来ただけさ。たかるつもりだったのはお茶だぜ?」
確かに朝食もまだだったけどな、とけらけら笑う図々しい友人に、巫女はため息で返答する。
「……まあいいわ。タダで食わせるつもりはないし」
「おいおい、そりゃないぜ。私に賽銭なんて期待しても無駄だって分かるだろ?」
そんなの当然だとばかりに霊夢はふん、と鼻を鳴らして、
「最初からそんなの考えちゃいないわよ。……ここで調理の手伝いをするか、あっちで客人の相手をするか選びなさい」
「ん、後者だな」
考え込むようなそぶりを微塵も見せず答えが返ってきて、それが予想と微塵も違わなかったため霊夢は少し安心した。もっとも、手伝いなんてさせたら食用キノコと毒キノコをごっちゃに混ぜ込んで出しかねないからそちらの方が望ましいのだが。
「それにしても、このオンボロ神社に客が来るなんてな」
「あんたが言うな。ほら、さっさと行きなさい」
しっしっ、と手を振る霊夢に「そう邪険にするなよ」と苦笑し、魔理沙は台所の真向かい、居間の障子に手をかける。
「邪魔する……ぜ?」
居間に居たのは、どこかで見たような恰好の……
「子供?」
そう言うと相手はえらくショックを受けた様子で、反論しようとしているのか一生懸命口をパクパクさせていた。
「いやいや、悪かった。秋の神様の姉さんのほう……だよな?なんかいつもより小さかったからさ」
ちゃぶ台を挟んで客人の真正面、敷いてあった座布団に座って脱いだ帽子を脇に置くと、魔理沙は興味深そうに身を乗り出した。
「ところで、どうしてそうなったんだ? 悪いキノコでも食べたのか?」
ぶんぶんと首を振り、またもや口ぱくで答える静葉。
「……えっと、今喋ってるのか?」
ガーン!という擬音が似合う表情が見える。
「あー、違う違う。からかってるんじゃなくて、本当に聞こえないんだ。……もう一度やってみてくれるか?」
耳に全神経を集中させ、話を促す。……が、やはり口が動くのは見えど声は全く聞こえてこない。耳の良さには結構自信があるのだが。
「んー、やっぱりダメみたいだな……ちょい待ち」
魔理沙はスカートのポケットをごそごそやり、一冊のメモ帳と万年筆を取り出すと、それを静葉に投げてよこす。いきなりものを放られてあたふたとしながらも、静葉は両手でそれらをなんとか受け止めた。
「残念ながら、私には今のお前さんの声は聞こえないみたいだ。だから、そこに言いたい事を書いて渡してくれ。……あ、私の声は届いてるんだよな?」
何かを気にしたような表情で頷く静葉。そして、早速メモ帳に何かを書き始め、両手で丁寧に手渡してきた。魔理沙はぞんざいに片手で受け取って確認する。
『私の声、本当に聞こえませんか?』
「ああ。……驚いてるってことは、霊夢には聞こえてた様子だったんだな?」
静葉が頷き、魔理沙は手帳を再び静葉に手渡しながら続けた。
「霊夢はあれでも一応神職だからな、神の言葉が聞こえない道理はないだろうさ。でも、私みたいな一般人には聞こえないとなると……やっぱり、」
そこまで言った瞬間、障子がかららと音を立てて開き、お櫃を抱えた霊夢が入って来た。
「出来たわよ。魔理沙、配膳手伝ってくれる?」
「おうよ」
間が悪いけど続きは食後にな、と言い残して霊夢の後をついて行く魔理沙。静葉も手伝いを申し出ようとしたが、「客人は楽にしてなさい」と制止される。
やがてちゃぶ台には料理が次々と並べられていき、華やかな食卓へと変化を遂げた。


「やっぱり霊夢は料理が上手だな。毎日馳走になりたいくらいだぜ」
「本当にやったら出入り禁止にするわ」
「もちろん冗談さ」
がちゃがちゃと食器を二人で洗いながら、二人は会話を交わしていた。
「なあ、ところであのちみっ子のことなんだが」
「なんか心当たりでもある? ……あら、もう終わり? 二人だと早いわね。助かるわ」
「おう、もっと頼ってくれてもいいぜ。……でだ、私が思うにあの原因は――」
「信仰、かしらね」
言おうとした言葉が霊夢の想定内だったことに少しばかりつまらなさを覚えつつ、魔理沙は続ける。
「まあ、そうだ。神は人が祀る事により生まれて信仰が続く事により生かされる、その理は不変のはずだからな。縮んだり喋れなくなったりする理由としては一番しっくりくると思うぜ」
「それは分かってるわよ。私だって考えなかった訳じゃないわ」
「じゃあ、どうしてそれを言ってやらない?悪戯に不安がらせるだけじゃないのか?」
ため息を挟んだ後、霊夢は返答する。
「……あの子がああまで縮んだのはわずか数週間の間で、と言ってたけど、おかしいの。急過ぎるのよ」
魔理沙は少しの間頭に手を当てて考え込んだ後、ようやく合点が行ったとばかりに手を打った。
「人々の心変わりが早すぎる、ってことだな?」
「心変わりにしても、忘れるにしてもね。人も妖怪もそう簡単に信じる者を変えたり忘れたりは出来ないし、しないはずよ。どこぞの地獄烏がいくら鳥頭でも、主人のことを忘れたりはしないでしょ?」
「あー……そうだな、言われてみればその通りだ」
納得した様子の白黒少女は頭に手をやり、帽子をかぶっていればそのつばに当たる空間をつかんでようやくそれを居間に置いてきたことに思い至り、ばつが悪そうにその手を引っ込めた。
「意外と難航するかもしれないな」
「そうかも、ね」
居間でぽつりと正座して待っている静葉を一瞥し「気の毒だけど、気長にやるしかないわね」と漏らすと、霊夢はそちらへ向かって歩き出す。魔理沙もそれに従った。
待たせたわね、と声をかけると、静葉は希望を込めた目でこちらを見上げてくる。
『あの、何か分かりましたか?』(霊夢が通訳してやった)
「いんや」
静葉の背後に胡坐をかいて座りこんだ魔理沙は、静葉を足の上に乗っけて抱きかかえる。ずいぶんと馴れ馴れしい態度ではあったが、静葉は特に気にならないようで、むしろ魔理沙の足が痛まないようにと正座を崩して足を伸ばしていた。
「まずは情報収集が先決だとさ。守矢神社にでも聞き込みしてみるか?」
『あ、山の神社なら妹が行ってくれているはずです。今日の夕刻に落ち合う予定で』
「……」
『魔理沙さん?』
膝の上の静葉が目を合わせて話そうと必死に上目遣いで見上げる顔は、実に幸せそうなものであった。
「なあ霊夢、ものすごく可愛いんだが」
「静かになったと思ったら……」
霊夢が呆れる一方で、当の静葉は何が何だか分からずにクエスチョンマークを浮かべている。
『あ、あの……』
「気にしないでいいわ。……ともかく、あんたの妹が向こうで仕入れた情報を持って帰ってくるまでは時間があるわね」
「そうだな。まだぶっちぎりで朝だ」
言って、見上げた空が青々と明けていたのが暑苦しかったのか、そこから目を背けて手元の茶を口に含む魔理沙。
「だから、こっちでも出来る事をしましょう」
「出来る事?」
「ええ。ちょうど調べ物に最適な奴もいるしね」
ん?と不思議そうに自分を指差した白黒に首を振ってみせると、霊夢は不意に立ち上がり障子を開けた。そして、
「ふんっ」
不意にその辺の茂みに陰陽玉を投げ込み、
「わひゃっ!」
素っ頓狂な声とともに黒い翼がそこから覗いたのを見逃さず、瞬きする一瞬でそれに肉薄して引きずり出す。
『あっ……文さん!』
首根っこを掴まれた射命丸文は、服の襟で首を絞めつけられて「うげぇ」とうめき声を上げた。
「まったく、朝っぱらから御苦労さまねぇ。スクープの臭いでも嗅ぎつけたのかしら?」
「いやはや、気づいていたのに無視ですか。少々お人が悪いですね……」
「こそこそ覗いてる方がよっぽど人が悪いわよ」
適当に引っ張り出した座布団の上に烏天狗を放り、自らも席に戻ると、霊夢は冷めた茶を一気に飲み干してから自分の分だけ注いだ。
「――で?何をしてたわけ?」
「うう……お茶、入れてくれないんですか……」
いい加減扱いの酷さに涙目になりつつある文を「はっきり言って自業自得だが元気出せよ」と魔理沙がなだめ、静葉がおろおろしながら慰めると、ようやく気力が戻って来たか文は口を開いた。
「静葉様の調子がおかしい事は風の噂で知っていましたし、ずっと目を光らせていました。そうしたら今朝早く、静葉様と穣子様が博麗・守矢両神社に向かうということで、ボディーガードも兼ねてこっそり着いて行くことにしたんです……あ、もちろん穣子様の方にはちゃんと代理を行かせましたよ」
「ははあ。ずいぶん厳重だな」
「それはそうですよ。妖怪の山とも御縁の深い、大切な神様ですからね」
静葉に微笑みかける文。
「……なんだ、以外と人気あるじゃない」
いつの間にか持ってきていた湯のみに沸かし直した茶を注ぎ文に手渡しつつ、霊夢も静葉をじっと見つめた。抱きかかえられている魔理沙を含め三人の視線を受けて、当の神本人は多少気恥ずかしそうにはしているものの嫌そうな様子一つ見せずにおとなしくしている。
やがて、霊夢は気がついたように座布団に座った。
「……話題がすっかり逸れたわ。文、ひとつ頼まれてくれるかしら」
「ん、何でしょう」
「紅魔館の図書館で、この件に関係ありそうな資料を探してみて頂戴。手間賃として飯くらいは食わせてやるからさ」
「願ってもないことです。ただ、何しろ蔵書量が多すぎますので、ある程度探して見つからなくてもご容赦くださいよ」
早速出立しようと立ちあがる文。と、その横から
「おいおい霊夢、紅魔館だったら私の方が適任じゃないのか?」
と少々不満げに魔理沙が身を乗り出してくる。霊夢は「あんたじゃ警戒されるでしょうよ」と軽く一瞥すると、訝しげな視線をそちらに送りつけた。
「それにしても、あんたが働きたいなんてね……どうせ昼飯目当てでしょうけど」
「いいじゃないか、減るもんじゃなし。私にも仕事くれよ」
飯は減るし手間が増えるわよ、と図々しい友人の頭を小突いてから、仕方なし、とばかりな表情で巫女は口を開く。
「不純な動機が気に入らないけど、特別にあんたにも仕事をやるわ」
「お、なかなか話せるな。何をすりゃいいんだ?」
「じゃ、とりあえず――」


魔理沙と文を送り出して程なくした頃。
「あー、カビ臭っ」
口元を覆う布をきつく締め直しつつ、霊夢は蔵の戸をさらに押しあけた。
「暗いわよ。足元気をつけなさい」
『はい』
静葉が手にした蝋燭の炎と外からの日光に照らされ、薄暗い空間で積まれてある物の輪郭がはっきりとしてくる。いかにも役に立たなそうなガラクタの群れに混じって無造作に置いてあった一際古い本の山を見つけ、霊夢は笑みを浮かべた。
「神社なんだから神に関する書物はあって当然よね。……さ、運び出すから手元照らして頂戴」
『あ、す、すみません』
見慣れないものがいっぱいの空間に興味津々だった静葉は、霊夢の一言に我に返って蝋燭を構えなおした。
『それにしても、色々なものがありますね』
「本当ね。誰がこんなに集めまくったのかしら……よっと」
自分なら重さでひっくり返っているであろう量の本を平然と持ち上げる様子に感嘆しつつ、荷物のせいで足元の見えない霊夢を先導する静葉。
『段差、気を付けてくださいね』
「はいよ」
ひときわ大きい段差を乗り越え、カビ臭い空間から日向へ抜け出て本を下ろした霊夢は「ふぅ」と息を吐くと、今抱えていた本の量を見てさらに「はぁ」ともう一息吐いた。
「さて、ここからが本当の一苦労よね」
適当なところに腰掛け、本の束のうち一番上の一冊を手に取りその中身をのぞいてみると、太古の大層達筆な(もちろん皮肉だ)字体で描かれたミミズ文字が延々とのたくっていた。霊夢はそれを見て思い切り顔をしかめ、静葉も手に取った別の一冊をぱらぱらとめくって残念そうな表情になる。
「どう?読める?」
『ええ、やっぱり神の教えについての本みたいです。神そのものについては、何も』
「そうよね、そううまくは……」
脊髄反射で口を動かした霊夢が違和感に気がつくまでは、たっぷり数秒を要した。
「読めるの?こんな古代文字が」
『え、あ、はい』
へえ、と感嘆して無遠慮に視線を向けてやると、静葉はいささか照れくさかったようで顔を伏せた。
『こ、これでも昔からの神なので……その、一応は』
「一応にしちゃ、ずいぶんと手際よく読んでたじゃない?」
『そういえば、速読だと妹によく言われます』
「そういう事でいいのかしら……ま、いいか」
巫女はすっくと立ち上がり、台所の方を一瞥した。
「そういう事なら、悪いけど本の解読は任せていいかしら? 私は役に立てないみたいだしね」
『は、はいっ!頑張ります!』
「そんなに気張らなくてもいいわよ。お腹すいたら戻ってきなさい、昼食作っておくから」
『え?でも、あの、昼食までごちそうになる訳には』
「朝食、まずかった?」
『滅相もない!毎日食べたいくらいで……』
思わず本音を吐いた口を手で覆い真っ赤になる静葉を見て、霊夢は満足そうに口の端をゆがめた。
「家主の招きには遠慮せずに応じるものよ。……それじゃ、また後で」
すたすたと歩き去っていく霊夢の背中に会釈をしたのち、彼女が差し出してくれた厚意に自分は全力でそれに応えようと静葉は気を入れ直し、改めて本に向き合った。
頁をめくり、ざーっと内容に目を通していくと、どうやら今度はこの幻想郷の神々について書かれた本のようで、見知った名前がいくつか載っているのが見える。
『……もしかして』
めくる手を比較的早め(あんまり早めると古くなった紙はすぐに破れそうだったので、適度に)、いろはにほへとの順に並ぶ神の名を読み飛ばしていった。
そして、
『あ……あった』
彼女ら姉妹の名を記した頁をようやく見つけ、少しばかり安心する。順序で行けば穣子の方が先であり、この本でもそうなっていたので、妹について記された箇所を静葉は少し見てみることにした。
『豊穣の神、秋穣子……村で豊作祈願の儀式を行っているさなかに現れ、優雅な舞を披露してくれる……うん、私もあの子の踊り、好きだな』
そう言えば最近、豊作祈願の儀式が年々堅苦しくなってる、と愚痴を漏らしていたのを思い出す。昔のにぎやかで思わず飛び言って踊りたくなるような、どちらかと言えば祭りと呼ぶべきであろうものと比べると、どうも近代のはいかにも儀式と言った感じで盛り上がりに欠けるそうだ。「これはこれで雰囲気あって好きなんだけどね」と彼女は笑っていたが。
と、突然すぐそばで蝉が大声で鳴き始め、考え事に没頭していた静葉の意識を引き戻した。
『いけないいけない。次……』
静葉はわずかに緊張気味に、自らの事を記した項に目を通した。
『紅葉の神、秋静葉……秋祭りの折に妹神と揃って現れ、囃子に合わせて優美な歌声を披露してくれる……かぁ』
いつだか参加した人里の秋祭りを懐かしむと同時に、少しだけ寂しさを覚える。
思えば、妖怪の山がまだ今ほど開けてはいなかった時代、静葉の祀られていた小さな山は紅葉狩りの名所であった。秋になると人々はこぞって山に訪れ、山頂にあった彼女の祠に手を合わせてくれ、またそこでの宴に招いてくれたものである。
……その祠は雷に打たれ、今はもう焼跡を残すのみ。山の治安もどこかから流れてきたはぐれ妖怪たちが増えるにつれだんだんと悪くなり、近年は心ある妖怪たちが巡回・警備している守矢神社の参道などを除けば、そういった山々に人が立ち入る事は滅多にない。彼女の祀られていた山の紅葉も、今や遠くから見つめられるだけになってしまった。
『寂しい、けど』
祠が焼けた日、静葉の身を案じて一番に飛んできてくれたのは穣子であり、また「一緒に住もうよ」と提案してくれたのも穣子であった。祠の場所が麓と山頂に分かたれていた故に少し距離があった姉妹の関係を結びつけてくれたという意味では、静葉はあの雷に感謝すらしている。もちろん、大事な大事な妹にも。
『……うん。もう少し、頑張ろう』
親愛なる妹と、親身になって色々してくれている協力者たちの顔を思い浮かべつつ、静葉は少し気合を入れ直して再びページに目を通す作業に戻った。


「おーい、誰かー?」
八雲家の玄関で声を張り上げるが、いつもはすぐに藍あたりが応答するはずなのにやけに静かなのはどういうことかと帽子の下の頭を傾ける。留守かと思った矢先、玄関先までバタバタと足音が響き、かちりと小さな音がした。戸を引くと案の定鍵が外れている。
「よう、どうしたん……って、あれ?」
「ああ魔理沙、いい所に! 手伝ってください!」
「いや、お前がどうしてこんなところに居るんだよ……」
「細かい事はいいから! 来たからには働いてもらいますよ!」
割烹着姿の魂魄妖夢(妙に似合う)は魔理沙の腕を引き、廊下をものすごい速度で歩いていく。危うくバランスを崩しかけながらやっとこさ台所にたどり着くと、
「あら、魔理沙もお手伝いしてくれるの?助かるわ」
同じく白玉楼に居るはずの西行寺幽々子が、ナイフでリンゴを剥いていた。
「妖夢、そろそろ説明してくれ。私の処理能力じゃ把握しきれないぜ」
「……このリンゴとタオルを持って客間に向かってください。そうすれば分かります」
皿に盛ったリンゴと桶に入れた濡れタオルを渡されますます訳が分からなくなった魔理沙は、客間のふすまを開けた瞬間すべてを理解した。
「ありゃ、まあ……」
そこでは、紫、藍、橙の三人が布団を並べて仲良く寝込んでいたのである。
「妖怪が罹りやすい種類の流行り病だそうです……とはいっても、ほとんど症状は風邪と変わりないようですが。診てもらったところによれば、空気感染の危険性は低いそうだし、そもそも人間が罹った例はないらしいので、私たちはマスクなしでも大丈夫と思いますよ。……じゃあ、タオルを替えてあげてください」
「あ、ああ」
あとから現れた妖夢が紫の額のタオルを慣れた手つきで交換するのに倣って藍の額に手を伸ばし、
「あちっ!」
うっかり触れたその温度が、今朝神社で飲んだ茶と大差ないほどであったのに驚き、魔理沙はあわてて手を引っ込めた。
「おいおい妖夢! すごい熱じゃないか!」
「あ、言い忘れていましたね、すいません。おそらく60度、70度位の熱はあると思うのでなるべく手早く取り替えてあげてください。火傷します」
「先に言えって……」
言われたとおりにささっと藍の額からタオルを剥がし「あっちい!」先ほど妖夢に持たされた冷たいものを入れ替わりに額に乗せる。藍がかすれた声で「済まないね、魔理沙……」と言うのを聞いて、「ん、気にすんな」と魔理沙は笑って見せた。
続いて橙のも同様に取り換え、兎の形に剥かれたリンゴを食べさせたりしてやっていると、
「では、替えのタオルを冷やしてきますね」
妖夢が席を立つのを、魔理沙は驚いて呼びとめる。
「へ? まだ替えたばっかりだぜ?」
「そうなんですが……何しろ体温が高すぎて、すぐに温まってしまうのです。乾くのも早いですし」
そう言われ、見てみれば皆の額から湯気が上がっているように見える。微妙に蒸し暑いのは加湿でもしているのかと思ったが、なるほどこれが原因だろう。
「げほっ、ごほっ!」
「おっとと。紫、大丈夫か?」
咳込んだ紫に駆け寄ると、いつもの飄々とした雰囲気とは大違いの弱弱しい声で、
「魔理沙……水、あるかしら……?」
「水が飲みたいのか?……おーい妖夢、水頼むぜー!」
台所から「はーい」との声が返って来た数秒後、準備を終えて色々と補充物資を携えた妖夢が戻ってくる。服の上からでも熱が伝わってくる紫の身を起して、コップ入りの水を手渡すと、「ありがとうね」とやはりかすれた声で返事が返ってきた。
「なあ、紫」
「どうしたの……?」
水をのどに流し込んで一息ついた紫に、魔理沙は何もない空間を指でなぞるジェスチャーをする。
「ちょこっとだけ、スキマ開けるか?」
弱弱しく頷く紫。
「それなら、悪いが博麗神社まで頼めるか」
「ええ……」
紫がちょいと指を動かすと、その軌跡から空間が裂ける。向こう側に見える見慣れたちゃぶ台目がけて魔理沙は、紫が流行り病のため看病中であること、昼までには帰れなさそうだということを殴り書きしたメモを放り込んだ。
「悪いな。代わりに今日はしばらく看病してやるぜ」
「ありがとう……助かるわ……」
スキマを閉じた紫を再び寝かせてやると、その額に妖夢の手が伸びてタオルの温度を確かめた。
「結構熱いですね……そろそろ交換しましょうか。魔理沙、これを」
「はいよ、っと。ほら紫、冷たいぞー」
魔理沙が素早く額の煮えタオルを交換する手際を見て妖夢は「慣れるの早いなぁ……」と呟くと、こっそり自らの指の火傷に薬を塗り直した。


「……紫は無理そうみたいね。文、あんたはどうだった?」
「うーん……神の教えについて書かれた文献はあっても、神そのものについて書かれた文献は全然ありませんでしたね……一応香霖堂にも聞いてみましたが、収穫はほとんど」
『そう、ですか……』
申し訳ないです、と頭を下げられて、紅葉の神は『い、いえ、そんなっ』とひたすら恐縮する(オーバーアクション気味だったので通訳するまでもなかった)。
ちなみに静葉が解読した文献の中にもそう都合よく解決策が載ったものが見つかるはずもなく、文が戻ってくるまでの残り時間を境内の掃除やティータイムに費やしていたのだが、成果がなかったのはお互いさまと文はそれについては特に触れることなく、
「地道に探すしかなさそうですねぇ」
と暢気に味噌汁を啜って「あ、美味しい」と舌鼓を打った。
ちなみに今は昼もだいぶ過ぎ、もはや夕刻と呼んでもいいような時間帯である。幻想郷最速の記者と言えども流石に紅魔館の膨大な資料をあさるのは時間と手間がかかったようで、それをおくびにも出さない文に霊夢は少しだけ感心した。
「いやー、御馳走様です。流石宴会料理で鍛えているだけあって、美味でしたよ」
持参のハンカチで口元を拭い、立ち上がる文。
「……さて、ちょうどいい頃合いですから妖怪の山までお送りいたします、静葉様」
『はい。お願いします』
「――では霊夢さん、明日もここに集合、と言うことでよろしいですか?」
「あんたは飯たかろうとしてるだけでしょうよ」
向けられた鋭い視線に文は小さく「うっ」と唸った。
「ありゃ……そんなに露骨でしたか?」
「鏡でも見てみるのね」
天狗に辛辣な一言を浴びせると、霊夢は静葉に向き直って、
「あんたは明日も来るといいわ。出来る限りは力になるから」
と微笑み、静葉もまた笑顔で『……はい!』と返事を返した。
「よろしい。さ、早く妹に無事な顔見せてやんなさい」
『はい。今日はお世話になりました』
静葉は深々とお辞儀をして、とてとてと文のもとに駆けていく。「それでは」と会釈する二人に霊夢は小さく手を振ってやった。
飛び去っていく彼女らの姿が小さな点になり、やがて見えなくなると、
「――さて。私も準備しないとね」
いそいそと少しばかり早い戸締りをし、台所の火を消し忘れていないか確認する。手土産は、と少し迷ったが、結局は裏庭の木で取れたリンゴに落ち着いた。
なるべく甘そうなものを選び取ると、運ぶ途中にぶつかりあってリンゴが痛まないように丁寧かつ慎重にそれを風呂敷に包み、胸元に抱える。少し急げば日が暮れる前には着くだろう。
「……もう寝てなきゃいいけど」
本人に聞こえる訳もない皮肉を言いながら、霊夢は八雲の御屋敷を目指して、飛んだ。





二日目





『霊夢さーん……』
か細い声を必死に張り上げる静葉であったが、霊夢が出てくる気配は一向にない。
「いらっしゃらないんですかね……」
文は気まずそうな表情を浮かべ、静葉に続けて神社の主の名を呼んだが結果は一緒、声や物音の一つすら聞こえてこない。
『どうしましょう……』
不安げに見上げてきた静葉と顔を見合わせると、文は少し唸った後に覚悟を決めたように顔を上げ、
「仕方ない。奥の手と行きますか」
首から下げた小袋(「お小遣い❤」と書いてある)の中でジャラジャラと鳴っている硬貨のうち一枚をつまみだすと、それを指で勢いよく弾き飛ばした。
かたん、と木を叩く音が聞こえ、狙い違わず硬貨は賽銭箱に吸い込まれる。
「よし、大当たり」
感嘆して小さく拍手する静葉の横で文は小さく拳を握り、霊夢がその音を聞きつけ出てくるのを今か今かと待つ。
「ここまで奮発したんだから、早く出てきてもらわないと」
「そりゃどうも」
「ひえっ!?」
てっきり神社の中から出てくると思っていた人物の声が背後からして、文は心臓が口から飛び出そうになった。
見れば霊夢は後ろに魔理沙を引き連れ、いつもよりも眠そうに見える分さらに不機嫌そうな雰囲気を漂わせていたが、『霊夢さん!』と駆け寄ってくる静葉にだけは「お早う、静葉」と愛想よく微笑んでいた。
「な、なぜ後ろから……?」
「昨日紫んとこに見舞いに行って、一晩手伝ってきたのよ。落ち着いたみたいだから妖夢と幽々子に任せてきたわ」
肩を軽く叩きながらのそのそと霊夢は本殿へと歩いていき、静葉はちょこちょことそれに続く。霊夢と対照的に昨日と変わらず元気そうな魔理沙は、
「ようブン屋、朝飯なら食ってきちまったぜ。残念だったなぁ」
とニヤニヤ笑いを浮かべながら歩み寄ってきた。
「本気でご飯をたかるためだけに来たわけじゃありませんよ、失礼な」
いささかムッとして反論する文に、しかし魔理沙はこう続けた。
「そう怒るなよ。うまくやれば今日も昼飯にありつけるかもだぜ?」
「それは……そうですね、御馳走してもらえるならそれに越したことはないです」
ぼそぼそと二人話していると、しびれを切らした霊夢の声が飛ぶ。
「そこの白黒二人、入るならさっさと入りなさいよ」
「おっと、今行くぜ」
「私も白黒呼ばわりされたような……あー! 入ります! 入りますから閉めないでー!」
愛想を尽かした巫女が障子を閉ざす前に、幻想郷最速とその次点を自称する彼女らはその足を活かして中へと滑りこんだ。
各々が適当に引っ張り出した座布団を座りやすいように敷き、昨日と同じように円卓を囲む。
「さて、守矢神社の面々の見解を聞かせてもらおうかしらね」
『はい……』
霊夢に促され、一瞬息をためたのち、静葉はぽつりと口を開く。
『原因は、おそらく信仰の減衰だろうと。神奈子様も諏訪子様も、口を揃えておっしゃいました』
「……そう」
あまり意外そうにはせず、しかし霊夢は考え込むようなそぶりを見せた。と、
「霊夢、翻訳忘れてるぜ」
「そうですよ、せっかく当事者なんですからしっかり伝えてもらわないと」
図々しい客人二人ががやがやと騒ぎたて、霊夢の考え事を寸断する。そう言えばこいつらには聞こえないんだったわね、といまさら思い起こしながら、巫女は鬱陶しそうに口を開いた。
「あーうるさい。原因は信仰よ、信仰」
「信仰だって?」
急に静まり返ったその場で、魔理沙が疑問符を視線に乗っけて送ってくる。霊夢はその視線を真っ向から受け返した。
「ま、信仰ってお墨付きが出たなら、そう考えるしかないんじゃない?」
「そりゃそうだが……ああくそ、こんがらがってきたぜ」
頭を押さえて唸り始める魔理沙とは裏腹に、霊夢の頭の中では、あらかじめ立てていた仮定がいくつかの断片的な情報により少しずつ補完され、真実味を帯びていくのを感じていた。
「……よし。やる事は決まったわね」
「お、今日もお仕事ですか?」
お気に入りの手帳を構え、俄然瞳にやる気を宿らせる文。しかし霊夢は首を横に振った。
「そうそう何度も昼飯出してやる訳ないでしょうが。第一、私は今から行かなくちゃいけないとこがあんのよ」
「そんなっ!せっかく集まったのに何もしてないじゃないですか!」
「頼んだ覚えはないけどね」
酷いです、とわざとらしく泣き崩れる文。そこはかとなくムカついたので袖から取り出した扇子をその頭部に振りおろしてやると、快音が響くと同時に少し溜飲が下がった。
「ほ……ほんの冗談なのに……」
頭を両手で押さえて呻く文に「やかましい」とつれないセリフを浴びせかけ、霊夢は腰を上げた。それにぱっと反応した魔理沙が傍らに置いた帽子を手に取り、後をひっついて行く。へたれている文を立ち直らせてその背中を押しながら、静葉もすぐにあとに続いた。


八坂神奈子と洩矢諏訪子があのように答えた根拠を知るため、またそのお墨付きを受けて構築した仮定の妥当性の判断、ついでに行くべきだと告げた巫女の勘。さらには図々しい昼飯イーターどもから逃れるための理由づけ、というような諸々の理由から、霊夢が守矢神社に向かうことにしたのは当然の流れであった。
というわけで、守矢神社。
「邪魔するわよ」
「はい、いらっしゃいませ」
「おーおー、みんなお揃いで」
次々と着陸し挨拶する一団を、境内の掃除の真っ最中であった東風谷早苗と洩矢諏訪子が箒をふるう手を止めて出迎える。
「それにしても霊夢さん、遅かったじゃないですかー。お昼になっても来なかったら呼びに行こうかと……」
「あん?何で?」
掃除をほっぽって駆け寄ってきた早苗に疑問をぶつけると、逆に不思議そうな表情が返ってきた。
「何で、って……明日の宴会と明後日の豊作祈願の準備のために打ち合わせしましょうって言ったじゃないですか、この間。もしかして忘れてたんじゃ……」
「そうだったかしらね?」
早苗の咎めるような視線をかわそうとそっぽを向くが、首にわずかに浮かぶ冷や汗は生憎と上手く隠せてはいなかった。
「……まあ、結果的には来ていただけたので不問にしときます。さ、早いところ相談して、明日の料理の試食も兼ねてお昼にしちゃいましょう。食べて行きますよね?」
「あー、それは有難いんだけど」
「「お昼!?」」
ここで口に出すのはまずかったわね、と言おうとした矢先、色々と分かりやすい連中がその一言に反応して即座に現れる。
「なあなあ、私たちも試食会参加していいよな?」
「腹ぺこの烏天狗をこのまま見過ごすような事はありませんよね?」
「は、はあ……それは、構わないと思いますが」
やったぜ、とハイタッチを交わす魔理沙&文。その光景に呆れと笑顔を半々に浮かべる早苗の袖を霊夢が軽く引っ張った。
「どうせ昼食の準備があるんでしょ?手伝うわ。打ち合わせも台所でしちゃいましょ」
「あ、はい! 助かります。……では諏訪子様、申し訳ありませんがお掃除お願いしますね」
早苗の呼び掛けに対し、はいよー、と元気な声が返ってくる。こちらもちらりと後ろを振り返り見ると、静葉が諏訪子と一緒に箒を握りしめて表情にやる気をみなぎらせている、実に微笑ましい光景が目に入った。
「……ほんと、人がいいわね。いや、神がいいとでも言うのかしら」
「? どうかしました?」
「いーや、別に」
「はあ……では、台所に行きましょうか。こっちです」
微妙に納得いかなそうな表情の早苗に誘われ神社の裏手に回ると、博麗神社より多少新しさを感じさせる勝手口がすぐに顔を出す。履物を脱いで床板に足をおろすと、適度な冷やっこさが快く感じられた。
「はい、こちらです。――じゃあ、早速で悪いですが始めましょう。とりあえずは兎鍋に入れる野菜を刻んで頂けますか?」
「はいよ、っと」
手渡されたエプロンを身につけて、霊夢は包丁を握る。
「それから、レイアウトなんですけど――」
「ああ、それは、いくつかのブロックに分けて――」
口を動かしながら、手はてきぱきと人参、大根、水菜といった野菜類を食べやすい大きさにカットしていく。
「――ってとこかしら。ほら、手が疎かになってるわよ」
「す、すいません。でも、助かりました。流石というか」
「そりゃ、あんたよりは宴会については年季あるもの」
最初は場所なんか勝手にやってろという状態だったのだが、人数が増えてからはそうも言っていられなくなったので専ら下準備の手伝いに顔を出す紫とか妖夢と一緒に場所割等を考えていたのが役に立っているだけである。もっとも、今回の宴会では療養中らしい紫が口を出すことはありえまいが。
ま、それは今のところいい。霊夢は改めて今回ここに来た主目的を果たそうと、再び口を開いた。
「……さて、ひとつ片付いたとこでもう一ついいかしら。秋静葉のことで、食後にちょっと付き合ってもらいたいんだけどさ」


しばらくのち、自室で雑務を行っていたところに早苗が呼びに来たのを区切りとして、八坂神奈子は筆をいったん休めた。
「お疲れ様です、神奈子様」
「ああ。そろそろ昼餉かい?」
「はい。準備が整いましたので」
「……」
「神奈子様? どうなさいました?」
「……いや、少し考え事をね。さ、行こうか」
早苗を先頭に、神奈子らはきしきしと廊下を歩き始める。
「そうだ、早苗。博麗の巫女はちゃんと来たのかい? 静葉も」
「あ、はい……まあ……」
「?」
急に言葉を濁すようにした早苗に少しばかり疑問を感じつつ、居間へとつながるふすまを開けると、そこには――
「くぉら強欲天狗!あたしの肉横取りしてるんじゃねーわよ!」
「生煮えのうちが一番おいしいんですよ!……あー諏訪子様! それ私の肉!」
「年長者に譲るのが礼儀ってもんでしょー。じゃ、いただきまー」
「おっと、もらいっ」
「うわーん!何すんのさ、この白黒魔女ー!」
「食べざかりに譲るのが年長者の義務ってね」
『み、皆さん落ち着いて……お鍋がひっくり返っちゃいますよぅ』
あまりにも目に余るあさましい光景に、神奈子は思わずふすまを閉じた。
「なんだい、ありゃ」
「あの……先ほど霊夢さんと静葉様にくっついて団体でいらっしゃいまして……」
早苗が申し訳なさそうに目を伏せる。
「まさか、あれほどとは……」
「そうさね。諏訪子はともかく、霧の字と新聞屋があんなにやり手とはね……はっ!」
静かに観察結果を述べる神奈子はすぐに事の重大さに気付いたようで、早苗の手をとって再び突入する。すなわち、
「あんた達!私らの分まで食うんじゃないよ!」
大声のおかげか、ようやく全員の目線が神奈子の方に向く。
「なんだ、いたの?」
「留守かと思ったぜ」
「留守って……諏訪子、あんたは知ってたでしょうが」
「知ってたよー。言ってないけど。……あ、これ早苗と静葉の分の肉ね」
「あ、ありがとうございます。さ、静葉様」
『す、すいません……え、あれ、神奈子様の分は……?』
「いけね、忘れてた」
「……(じわり)」
「大丈夫大丈夫、本当はちゃんと神奈子のもあるからさ……ほら、泣かないでって」
いよいよ神奈子がマジ泣きしようかというところで、諏訪子が隠し持っていた最後のひと皿を差し出す。疲れているだろうのを鑑みてさりげなく肉の量を割り増ししてあるのが諏訪子なりのねぎらいの気持ちだ。
一方で戦慄したのは白黒コンビであった。
「嘘だろ……!?あいつ、私に肉取られて泣きかけてたじゃないか……いつの間に……」
「そんな……決して素早いとは思えない手つきだったのに……」
「ああ、うん。手抜きしてるように見せかけて別に三人分確保するのは骨が折れたねぇ」
おかげであんまり食べられなかったし、とそれとなく神奈子に視線を送る諏訪子。いつの間にか涙の原因が感動にすり替わっていた神奈子は「一緒に食べようか」と諏訪子の隣に座って自分の分の肉を二人の間に置いた。もう片方の隣には早苗が座り、「私の分もどうぞ」と同じようにする。静葉はそんな光景を見て、感動に瞳を潤ませていた。
だが実際は、諏訪子が先ほどの乱闘の中で口にした肉は文と魔理沙に次いで三番目、比較的おとなしく食べていたとはいえ霊夢よりも多いのである。お涙頂戴の寸劇を演じ神奈子と早苗からさらに肉を獲得する強かさ、というかセコさは流石の一言であった。その事実を知るのは、悲しきかな諏訪子本人のみだったが。
「ちぇー……午後からまた紫んとこの手伝いしなきゃならんから、肉の食い貯めしたかったんだがな」
「私は麓の豊作の儀式の取材に着手するという義務が……」
ぶつぶつ言いながら、今度は野菜をがつがつと奪い合うように食べ進めて行く魔理沙と文。
(こりゃ、早苗達には悪いけど助かったわね……)
そんな状況の中で霊夢は一人、内心で安堵していた。


「すっかり遅くなっちゃいましたね」
「そうねー……」
食後すぐに守矢神社を出たはずが、少しばかり遠出をして最後に妖怪の山麓の人里で用事を済ませると、空は夕暮れを通り越して青ざめていく最中であった。流行り病がまだ影響しているのか家から出る人の姿は普段に比べて少ないが、それでも人々の持つ活気という物は失われていないようで、賑やかな喧騒がしっかりと聞こえてきたことに霊夢は少し安心した。
「これなら頼んだ事のひとつはうまくいくかしらね。明後日だから、急で悪いけど」
「心配いりませんよ。……少し覚える事は多そうですけど、頑張ってみます」
「頼むわよ。……ま、ウチじゃちょいと出来ないしね」
霊夢の口調にはわずかばかりの自嘲がこもっていた。しかし、早苗はこう返す。
「博麗神社に人が全然寄り付かないのは確かですけど、霊夢さんはこうやって静葉様のお力になって差し上げてるじゃないですか。私は、それでいいと思います。適材適所です」
あ、私いいこと言ったかな、などと思いながら霊夢の反応を待つ早苗。すると、
「……あんたのその、ごく自然に毒吐くところ、大っ嫌い」
「えぇ!?」
私そんなに悪い事言いました!? と早苗があたふたとするのを横目で見て、霊夢はくすりと笑った。
(ま、少しは救われたけど……それとこれとは、ね)
感謝の気持ちをしかし口には出さず頭の中にとどめながら、霊夢は薄暗い空へと飛び上がった。早苗もそれに続き、怒って飛び去ろうとしたとでも思ったのかあわてて追いかけてくる。
「霊夢さーん……機嫌直して下さいよぉ」
「うるさい毒女。暴言の罰よ」
「ど、毒女って……」
なんとか隣に並んで飛ぼうとする早苗をひょいひょいとつれなくかわしながら速度を上げていくと、頂上の守矢神社の灯りはすぐに見える。高度を下げて行くと屋根の上に諏訪子が坐しているのが見え、こちらを見つけて手を振ってきたので一応振り返してやった。
「は、早いですよ」
先に着地して待っていると、ずいぶん遅れて早苗がひいひい言いながら到着する。
「私に言わせりゃあんたが遅いのよ。……まあいいわ、ちゃんと送り届けたわよ。じゃね」
「あ、ちょい待ち!」
霊夢が再び飛び上がろうとしたところを、本殿の屋根から諏訪子が呼びとめた。
「何さ。昼の連中を連れてきた事なら謝らないからね」
「そんなん気にしてないって。それより、こいつの話聞いてやってくれない?」
諏訪子が屋根から飛び降りる。それと同時に、今まで闇にまぎれて見えなかったもう一つの影が同じようにして飛び降りようとして失敗し、すっころんでお尻を強打したのが見えた。
「い……いっだぁ……」
「このイモ臭い匂い……あんた、秋穣子?」
「イモ臭いは余計よ!」
穣子はぴょんと起き上がり、「あとね、臭いんじゃないの。香りなの!」と釘を刺してきた。
「あー、分かったわよ。で、あんたが何の用?」
「おっと、そうだった。えっとね……って、分かってると思うけど」
穣子はすたすたと駆けてきて、霊夢のすぐ真向かいに立つ。いつもの癖で何が来るのかと警戒する霊夢の目の前で彼女は大きく息を吸い、
「姉さんのために色々してくれて、本当にありがとう」
ぺこり、と頭を下げた。
「私よりもそこの諏訪子とか神奈子に礼を言うのが先なんじゃない? そいつらだって今回の件では役に立ってると思うけど」
仮にも神相手に「役に立ってる」との尊大な評価に、諏訪子は苦笑い、神社の方からは大きなくしゃみの音が響いた。
霊夢が「どうなの?」と今一度尋ねると、穣子は笑って首を振る。
「諏訪子様と神奈子様、それから早苗にはもうお礼をしたの。そしたら、貴女も功労者のひとりだ、って教えてくれてね」
諏訪子の方に目線をやると、彼女はわざとらしくあさっての方向を向いて口笛を吹き始める。
「姉さんも霊夢にはすごく感謝してるよ。だから、気持ちだけ……ってどうしたの?真っ赤になっちゃって」
「……なんでもないわよ」
照れているのを隠そうとうつむく霊夢の様子を見て、穣子は少し笑い、しかしすぐに笑顔を曇らせた。
「……姉さんのために、私ももっと何か出来ればいいんだけど」
「人々に尽くすのは神様の本分なんでしょ? 人里の御祈りに答えたりして、その合間に色々やってあげたんならそれでいいじゃない」
「……でも」
豊穣の神が顔に影を落とすのを見て霊夢はため息をつき、くしゃくしゃと頭をかきながら口を開いた。
「それじゃあ、あんたはあいつのためにベストを尽くそうとは思わなかったわけ? そんなの神様仕事のついででいいやとでも思ってたの?」
「ち、違うよ!私はいつでも姉さんのこと考えてたもん!」
必死に反論する穣子。「だったら」と霊夢は穣子の腕をつかみ、無理やり引き寄せる。
「しゃんとなさい。あんたは静葉のために最良と考えて出来る限りのことをしてきた、それをいまさら悩んでどうするっていうのよ」
「う……」
思わずうなだれる穣子。
――と、その頭にぽん、と霊夢の手が載せられた。
「……悩むくらいなら行動で示してやりなさいよ。たった一人の、あんたの家族でしょ」
険の色が消えた声が聞こえて穣子が恐る恐る顔を上げると、そこには博麗の巫女のいつも通りの仏頂面……ではなく、ほんの少しだけそれよりも柔らかい表情があった。思わず「う、うん」と返事をすると、その表情がそこはかとなく満足そうなものに変わる。
そんな二人のやり取りをみて、諏訪子はけらけらと笑った。
「いやあ、博麗の巫女ってのは迫力があるねぇ」
「あんたんとこのが迫力なさすぎるだけよ」
こっぴどく言われて体育座りで落ち込む早苗の頭をよしよしと撫でる諏訪子。
「で、これで終わり? それなら……」
「あ……霊夢っ」
「ん?」
「良ければさ、その……一緒に夕食でも、って」
引き留める声に振り向いてみれば、穣子は先ほどとは打って変わって少し歯切れの悪い様子で、表情もどこか強気が失せていた。
「あたしからも頼むよ」
横から言葉を重ねるのは諏訪子である。
「静葉も霊夢がくれば喜ぶだろうし」
「……ま、行くにはやぶさかじゃないんだけど……紫がね」
「紫さん……ですか?」
早苗の問いに、複雑な表情をしながら、霊夢は紫が今どんな状況にあるかを話した。
「……そういうわけ。早めに見舞い兼手伝いに行ってやりたいのよね」
「ん、事情は分かった」
諏訪子は深く頷き、笑みを浮かべた。
「だったら、見舞いの品代わりに少し包んであげようか。それくらいならそんなに時間もとらないし、どう?」
「そりゃ有難いけどさ。……いいの?」
ちらと向けられた霊夢と諏訪子の視線を受け、早苗はにこやかに頷く。
「お安いご用ですよ。ただ、代わりにと言ってはなんですけど……」
「分かってるわよ。顔見せ程度でよけりゃ挨拶してくるわ」
「話が早くて助かります。それじゃ」
言うが早いか早苗は即座に霊夢の手を取り、歩き始める。後ろから背中を押してくるのは穣子だ。
「心変わりのないうちに上がってください」
「同じく」
「あのねぇ……別に逃げやしないわよ」
口の端をひくひくさせて笑みとも怒りとも取れないような表情を浮かべながら、有無を言わさず連行されていく霊夢。昼と同じように神社の裏手から上がって廊下を歩いて行くと、食欲をそそる香りが鼻をくすぐり始めた。
「や、戻ったよ」
諏訪子がふすまを開けると、静葉が相変わらず律儀に正座しながら『あ、お帰りなさい』と返し、穣子の隣で軽く手を振る霊夢の姿を見つけて顔を輝かせた。神奈子の姿が見えないが、台所からいかにも調理中な音がしてくるのでおそらくはそこだろう。
「それじゃ、私らは準備してくるよ。――早苗、行こっ」
「はい。では、しばしおくつろぎください」
早苗を伴って台所に消える諏訪子を見送っていると、「霊夢、座って待とうよ」と穣子に肩をたたかれたので勧められるままに座布団に腰を下ろす。穣子はその正面、静葉の隣に腰掛けた。
『お帰りなさい、霊夢さん。お疲れさまでした』
「ただいま、でいいのかしらね」
ぐきぐきと音を立てながら肩を回す霊夢。静葉は心配そうに、
『お疲れ、ですか?……あ、お茶入れましょうか。穣子も飲むでしょう?』
妹の返事を待たず、また妹から向けられる複雑な感情の入り混じった視線に気づかずに、手際良くお茶をついで二人に手渡す静葉。霊夢は一応受け取りながらも、
「あんたね……人の心配をする前に、もっと聞きたい事はないの?今日はどんな成果が得られたとか、それでどうやってあんたの体を治すのか、ってさ」
『え、あ……す、すみません……』
途端にびくっとなる静葉に、そんなに怖く見えただろうかと霊夢はあわてて取り繕う。
「違う、怒ってるんじゃなくて……その、下手したらどうにかなっちゃうかもしれないのよ?神様のことは良くわかんないけど、普通はもっと貪欲に生にしがみつこうとするものじゃないの?」
霊夢の質問に、静葉は悩んだ末何か言おうと口を開きかけて、
「……確かに、姉さんはその辺ちょっと抜けてると思う」
それを遮り言葉を紡いだのは穣子であった。
微妙にショックを受ける静葉に、穣子は「あ……」と少し後悔したような表情を見せるが、もう引き返せないとばかりに少し怒ったように続けた。
「覚えてる?昔、姉さんの社が雷に打たれて私が心配して見に行った時も、私が聞く前に「穣子、怪我はなかった?」とか聞いてきたよね」
『……それは……』
「……確かにすごい雷だった。人里にも落ちて、火事になって大騒ぎしてた。……でもね、雷の被害を受けた張本人がその心配してきたあたしの心配するのはどうしてもおかしいよ。恩着せがましいみたいだからあまり言いたくないけど、あのとき姉さんは私に一つも助けなんて求めなかった。あの時私が一緒に暮らそうって言いださなかったら、野ざらしになろうが全然構わない気でいたでしょ? 今回もそう――姉さんは自分のことなんてどうでもいいの!? もっと自分を大切にしてよ!」
思いのたけを一気に吐き出し、肩を震わせて呼吸する穣子。静葉はその語気に圧されていたのか、何も言えないようだった。
「えっと、まずいこと言っちゃったかしら」
やがて訪れた沈黙に耐えきれず口を開いた霊夢に、静葉はゆっくりと首を振った。
『……霊夢さんの仰ることももっともです。穣子の言う通り、私は他人を思うあまり自分を軽んじているのかも知れません』
「……」
一瞬、先ほどの穣子のように弱気からの発言に聞こえたが、不思議とそうではないように感じられた。もう一つ二つ質問をしてその真意を探ろうとした矢先、
「お待たせしました、霊夢さん」
タイミング悪く早苗からお呼びがかかり、霊夢は肩透かしを食らった気分になった。
「どうしたんですか?冷めちゃいますよ?」
「今行くわよ。……それじゃ、悪いけど紫の見舞いに行くから今日はおいとまするわ。本当はもう少し長く話してたかったんだけどね」
『そうですか……それでは、紫さんによろしくお伝えください』
頷いて席を立ち、振り返ると、食卓の雰囲気が重くなったことに責任を感じてか姉妹揃って微妙に不安げな表情をし、無言で手を振っていた。
一応手を振り返しつつ廊下へ出ると、霊夢はふすまを静かに閉じる。
「――聞こえてた?」
早苗は首を縦に振った。
「おかげさまで、穣子様に微妙に感じた違和感の正体がはっきりしました。静葉様に何もできない無力感に加えて、いくら心配しても肝心の静葉様自身が己が身を軽んじているように見えて、やきもきしているんでしょうね」
「そうね。……食卓が少し険悪になったかもしれないけど、フォローは任せるわ」
「それは気になさらないでください。と、それにしても」
早苗が不思議そうな目線を注いでくる。
「何よ、鬱陶しい」
「そんなバッサリいかなくてもいいじゃないですか……少し気になったんです」
「何がさ」
「穣子様が胸の内を語った理由、です。私たちだけの時はそんな事なかったのに……」
「あら、分かんないの?」
本気で不思議な表情を返されて早苗は「うぅ……」と唸り、
「どうせ私は頼りないですよ……」
といじけて壁に指で何やら描き始めるが、しかし霊夢は呆れたように首を振った。
「違うわよ。あんた、どうせあの連中と一緒に食卓についてたんでしょ」
台所で盛りつけ作業を行っている二柱を親指で指すと、早苗は「当然です」と頷いた。
「原因はそれよ。普段は生活感丸出しで気付かないけど、一応あいつらも格の高い神だろうしね。緊張して本音なんか出ないわよ」
「じゃ、じゃあ、私が話すに値しないとか思われてたわけではないんですね?」
「ま、そうだといいわね」
あっけらかんと言い放ち、早苗が「……いじわる」と恨めしげに呟くのを聞き流しつつ霊夢は玄関から見える外の景色を眺めた。月の位置はまだそんなに高くはないが、しかし帰ってきた時間よりは確実に上にある。「遅いぜー、霊夢ー」とぶーたれる魔理沙の顔が脳裏をかすめた。
「うん、そろそろ行くわ。土産ありがとうね」
手を出すと、早苗はしぶしぶと言った感じで、抱えていた風呂敷包を霊夢の手に納めた。
「……絶対、霊夢さんの方が毒舌な気がします」
「あら、私はさっき言われた分に上乗せして返してるだけよ」
「うぅ」
一言で面白いように押し黙る風祝。
「……これはしばらく使えそうね」
「やめてくださいよー……」
「冗談よ、冗談」
霊夢はちっともそれらしくない口調で言い、さっさと靴を履いて玄関を出る。早苗も簡易な履物を纏ってそれに続いた。
「心配ないと思いますが、一応お気をつけて。明日お待ちしてます」
「ええ。どうも御世話様」
礼の言葉をかけた後霊夢はほんの一瞬だけ居間の方を見やったが、「心配しなくても、あとは任せてください」と微笑みかける早苗の言葉に頷き、背を向けて夜空へとその身を浮き上がらせる。
「霊夢ー」
呼び声に目を向ければ、早苗の両隣に台所で作業していたはずの二柱が手を振って、あるいは腕を組んでいる姿が見えた。見送りの大仰さに苦笑して手を振り返すと、その動作を最後に未練が吹っ切れたようにもうそちらへは振り返ることなく、霊夢は空の一点へと向けて思い切り加速しようとして、
「おっと、傾かないようにしなきゃね」
……風呂敷包みがあまり風で暴れないようにと思いなおして、非常につつましい速度でふわふわと飛んで行った。





三日目





午後を少し回ったころ。周囲の木々の新緑がまぶしい境内では、少しばかり気の早い天狗やら鬼やらがその景色を肴に早速酒を楽しんでいた。しかし、ここにいる妖怪たちの全員がそのようにしているかと言えばそうでもなく、一部の天狗や河童たちはいつも通りにスタッフとして会場の準備を手伝っていた。
「文殿ー、この赤い毛氈は……」
「あー、ちょっと待ってくださいね」
射命丸文と犬走椛もそういった準備に参加していた妖怪たちの一人である。文は手に持った見取り図をしばし眺め、品位の高い客用の赤い毛氈の置き場を探すが、さっぱり見当たらない。……と、紙の隅っこの方に、見落としそうな小さい字で八雲紫らが欠席する旨とその分の赤い毛氈が不要であることが書かれていた。
「椛、それは今日は不要だそうです。多分いつもの調子で出してしまったんでしょう」
「わかりました。倉庫に返してくるであります」
「頼みますね」
尻尾をふりふり歩いて行く椛を見送って、文は会場を眺めた。早くから準備を始めただけはあって、おおむね宴会場としての体は出来上がっていると言っていいだろう。
「どうだい文。だいたい終わったかな?」
「ええ、早すぎるくらいですよ。にとりさん」
それはよかった、と横から現れた河城にとりは満足げな笑みを浮かべた。
「あとは照明装置かねえ。あまり明るくし過ぎると月見の風情が薄れるから、加減が難しいんだ」
「しかし、少々鳥目気味な私たちには月明かりだけでは暗すぎます」
「はは、また加減が難しくなるね」
場所ごとに明暗分けたらどうでしょう、と文が助言すると、にとりは「それだっ!」とうずうずした顔で持ち場へと走って行った。今の閃きを早速試してみるのだろうということが容易に想像でき、宴会がまたいつもより快適になるかと思うとそれだけで文は今夜がより楽しみになった。
「只今戻りました、文殿」
「ん、椛。ご苦労様です。荷物はもうないですか?」
手ぶらで帰ってきた椛は、案の定こっくりと頷いた。
「それなら昼食に行ってくるといいでしょう。出来れば私の分も確保しておいてくれると助かります」
「分かりました。……文殿はしばらくここで?」
「一応は現場の監督を任された身ですから。まあ、何もないとは思いますがね」
「なるほど。了承したであります」
敬礼を残し、椛は神社裏手の一角へと昼食を受け取りに消えていく。文は再び会場へと目線を戻し、その光景が先ほどまでとほぼ変わらないことを確認すると今度は視線の先を空へと向けた。
「……まだ、ですかねぇ」
憎らしいほどまっさらで人影一つ見えない空を見上げ、文はつぶやく。
博麗霊夢はまだ会場に現れていない。早苗曰く「紫さんの看病で忙しいでしょうから、無理は言えないですよ」とのことだったが、それにしても先日と比べて遅すぎやしないだろうか。八雲紫の病状が予想以上に悪化したのか、あるいは別の要因によるものかと勘繰るも、あくまでそれは推測の域を出る事はない。霊夢を呼びに行くついでに真実を探る事もできなくはないだろうが、現場の監督としてここに拘束されるという仕事を引き受けた以上は、それを放棄してここを離れることを彼女の責任感が許さなかった。
「どうしたでありますか、難しい顔で」
「っ!?」
考え事に意識を沈めていた文に不意にかけられた声は、その心臓を勢いよく跳ねさせるのに十分な威力であった。
「ももっ、椛!?貴女ご飯を食べに行ったはずじゃ……」
「? 私の分も確保しておいてくれ、と言われたのは文殿でありますよ?」
椛はよいしょ、と腰を下ろすと文にも座るように勧め、手に持った皿を二人の真ん中あたりに置いた。皿の上にはいくつかの握り飯と簡素なおかずが載っており、椛に差し出されるままに文も握り飯の一つを手に取り口へ運ぶ。
「ねえ、椛」
「なんでありまふ?」
椛は口をもぐもぐさせながらこちらを振り向いた。
「……なんか、かなり苦いんですが」
「ああ、諏訪子様曰く「当たりつき」だそうでありまして。ちょうど良くふわっとしてて薄味なのが早苗さんの握ったもの、ちょっと硬いけど塩味が程良く効いてるのが神奈子様の、硬さが早苗さんと同じくらいで塩加減が神奈子様と同じくらい、それでもって中の具に凝ってるのが諏訪子様の、だそうであります」
「具?」
手に持った白飯の塊の中からは、何やら焦げ茶色の物体が覗いている。
「ええと、これは……」
「あー、それはただの焼き味噌」
文の肩のあたりから、いつの間にかふわふわと浮かびながら覗きこんでいたらしい諏訪子の声がする。彼女はそのまま足音高く地面に降り立って、
「とはいっても、少し色が悪かったから念入りに焼いてたら焦げ味噌になっちゃったんだけどね」
と悪びれずに言った。
「とんだ当たりつきもあったものですね……大丈夫なんですか?本当に」
「ま、変な味はしなかったし、流石にこれは危ないだろってものは入れてないから。大丈夫でしょ」
諏訪子の言葉にいささかの不安を感じながらも、文は握り飯をまた一口かじり、もぐもぐと咀嚼した。なるほど焼き過ぎな感はあるものの、時折のぞく塩味と渋みはまさしく味噌のそれであり、白飯には割とよく合うということが二口目にしてようやく分かる。安全性に多少不安が残ることさえ気にしなければ普通に美味しいおにぎりだ。
それを伝えてやると、諏訪子は満足そうにして、
「また面白いもの探して握ってこよっと」
と少し不穏なセリフを残して裏方へと消えていった。
「まったく、お茶目な神様もいたものですね」
「同感であります」
苦笑いを交わし、各々の手にした食べかけの握り飯を胃に納める作業に戻る。
少し経って、ようやく文は手にした一つ目を食べ終え、再び「椛」と呼びかけた。
「はい?」
「いえ、大したことではないんですが……食事時くらい私に付き合わずに羽を伸ばしても構わないんですよ?」
「……もしかして、暗にあっち行けと言われてるでありますか?」
椛の尻尾がしょぼんと垂れ下がったのを見て、文は少し付け足す。
「いえ、私が貴女と一緒にいるのが嫌というわけではなくて……むしろ、貴女こそ私と一緒で構わないのかと」
「ああ、そういうことでありますか」
椛は悩んだ様子もなく答える。
「だって、私がそうしたら文殿は一人きりじゃないですか。一人でする見張りのわびしさは良く知ってるのでありますよ。……だから、せめて二人でご飯でも食べながらの方が良いかなと思い立った次第で」
「……」
文は何も言わず、椛においでおいでの仕草をする。椛が何だろうという表情を浮かべつつも素直に寄ってくると、
「ああもう、椛ってばいい子!」
「むぐー!?」
その頭を胸に押し当てるようにぎゅうと抱きしめてやった。
「あ、文殿、首がぁぁ……」
「後でお酒の席でも力いっぱい可愛がってあげますから、今はこれで我慢してくださいねっ!」
「ひどい藪蛇でありますよぉ……ぐげっ」
いい加減首の骨とか呼吸の限界が近づいた椛が手をぺちぺちやってくるのにもお構いなしに過激なハグを続ける文だったが、不意に押さえつける手を緩めた。
「けふけふ……ど、どうしたでありますか?」
喉を押さえながら尋ねる椛に、文は口の端をわずかに釣りあげる笑みを浮かべながら空の彼方をちょいちょいと指す。椛は手をひさしの形にしてその方角を覗き込むと、すぐに「ああ」と頷いた。
「……私がここに立っている、もう一つの理由ですよ。ようやくご到着の様ですね」
空の彼方に小さく見えたのは、間違いなく人影であった。


「ご苦労様でした、静葉様。少し休憩しましょうか」
『あ、はい』
静葉は早苗の差し出した湯のみを礼を言って受け取り、中の茶を口に含んだ。
守矢神社の台所は手伝いに来てくれた妖怪たちへの昼食の炊き出しをちょうど終え、ようやく一息ついたところである。今の静葉の背丈では調理場に立つのは少しばかり無理があるため専ら完成した料理を外へと届ける役回りであったが、料理の減りの速さから台所との往復回数は結構なもので、ましてや実際にその量を調理していた早苗らの苦労がどれほどのものかは想像に難くない。
静葉は無言で早苗の後ろに回り、その肩を叩き始めた。
「はふぅ」
早苗の気の抜けたような声に、不思議と静葉の頬も緩んでくる。が、心に重くのしかかる先日の妹の言葉がその笑顔をすぐに消した。
結局、穣子とは朝食の席で軽く会話したくらいで、働く場所が違う事もありほとんど顔を合わせていない。食べ物を運ぶ際にたまにばったり出くわして「転ばないでね」などと声をかけてくれる際にお礼を言うくらいはあったけれども、やはりそのやり取りはどこかぎこちなかったというのが自分でもわかる。
(やはり私は、あの子の思いやりを無にしてしまっていたのかしら……)
「静葉様?」
声をかけられて気付けば、いつの間にか肩をたたく手を止めてしまっていたようで、何事かと心配をはらんだ瞳がこちらに向けられていた。『あ、ご、ごめんなさいっ』とあわてて再開しようとするその手を早苗はそっと抑え、
「お気持ちだけで十分ですよ。さ、座ってお休みください」
笑顔なれど有無を言わせない威力を込めて静葉を再び座らせる。
「駄目ですよ、お疲れならちゃんと仰って頂かないと。今は静葉様のお身体が何よりも大事なのですから」
『はい……』
つくづく色々な人に心配をかけてしまっているなぁ、とますます落ち込み気味に思考が傾く静葉。と、
「おひとついかがですか? 手作りなんですよ」
横から、緑色の餡にくるまれた餅が懐紙にのせて差し出される。早苗が自分の分をぱくり、とやるのに倣い静葉も一口かじると、ほんのりとした甘みが口の中に広がった。
『あ、美味しい……』
夢中にぱくぱくと食べ進めていく静葉を、風祝は優しげに見つめていた。もちろん、自分の分を消費することも忘れない。
やがて二人同時に食べ終わり、お茶をすすり、『「ほっ」』と息を吐く。
『早苗さん、ありがとうございます。少し、落ち着きました』
「どういたしまして。 ……体も心も、疲れている時には甘いものが一番ですから」
『……』
「昨日の食卓でのこと、まだ気がかりですか?」
『……はい』
少しだけ、静葉の顔に影が落ちる。
『早苗さんは、どう思われますか?』
「……正直に言いますと、心配です。霊夢さんの「働きたいって言ううちは働かせてやって」という口添えがなければ、今日は布団に縛り付けてでも休んでいただくつもりでした」
『あぅ……』
顔の影を濃くする静葉。
「でも、」
再び耳に届いた早苗の声には怒りという色はなく、むしろ弾んでいるように聞こえた。
「私はそんな静葉様の優しさを有難く感じていますし、好きです。みんなも――穣子様も、きっと」
『好き……?』
その一言が心にかかった霧を散らしたような気がして、静葉は思わず早苗の目をまじまじと見つめる。
「あ、えっと、好きと言っても恋愛的な意味ではなくてですね、見ていて良い気持ちになると言うか、その……」
『……』
顔を赤らめてあれやこれやと弁解する早苗の声も耳に入らないように静葉はしばらく考えこむような様子であったが、やがて不意に早苗の手を取った。
『ありがとうございます、早苗さん』
「え、あ、はい?」
ぽかんとした様子の早苗に、静葉は笑いかけた。
『ようやく、分かったような気がします。私がおせっかいな理由……きっと、当たり前すぎて忘れてしまっていたんですね』
「……えーと、私、もしかしてお役に立ちました?」
『はい。とても』
「……」
『早苗さん?』
早苗は返答せず、ボーっと座っていたかと思うと、急にぷるぷると肩をふるわせ始めた。体の具合でも急に悪くしたのかと心配になった静葉がもう一度声をかけようと口を開いたその瞬間、早苗はたっぷりと涙をたたえた瞳をこちらに向け、
「うわーん!静葉様ぁ!」
と静葉を思い切り抱きしめる。
「うう……私、お役に立てますよね? そこまで頼りなくないですよね?」
『は、はい。少なくとも、私は頼りにしていますよ』
「ぐすっ……ありがとうございます……」
とりあえずは涙を拭いた方がいいかと、静葉は近場にあるちり紙の箱に手を伸ばそうとするが、何しろ強く抱きしめられているものだからうまい具合に腕を伸ばせない。
悪戦苦闘していると、不意にその箱が手元へと吸い寄せられるように動いた。
『え……? あっ!』
その名を静葉が呼ぶ前に、箱を押しやってくれた手の主は口元に逆の手の人差し指を当て、そのまま静かに早苗の背後に回る。そして、
「いつまでも真に受けてるんじゃないわよ」
とめそめそ鬱陶しい風祝の後頭部を軽くはたいた。
「へ? その声は……」
「ったく……あんたが本当に頼りないなら、こんなに色々頼む訳ないでしょう」
振り返った早苗の目に飛び込んできたのは、昨日会ったばかりのはずなのにどこか懐かしい、紅白姿の仏頂面。
「れれれ、霊夢さん! いつからそこに!?」
「優しい静葉様の事が好き、のあたりから。感謝しなさいよ? 雰囲気をぶち壊しにしそうな魔理沙は茶菓子で釣ってちゃぶ台部屋に隔離しといてやったんだから。ねえ妖夢?」
「へ?妖夢さんも?」
霊夢が視線を向けるのに合わせて早苗もそちらを向くと、魂魄妖夢がひょこりと顔を出して申し訳なさそうに一礼した。早苗は恥ずかしさが募り、顔を真っ赤にして抗議する。
「ふ……二人とも、聞いてないで声くらいかけてくれればいいじゃないですかぁ!」
「も、申し訳ありません。少し話しかけづらい雰囲気だったもので……」
「それに、あたし達が出てこなかったからこそ静葉も何かひらめいたわけでしょ。問題ないじゃない」
「うぐ、むむ……!」
早苗はまだ何か言いたそうにしていたが、口先で霊夢に勝てないことはこれまでの経験から理解していたので、やめた。代わりに、
「……そういえば、どうして今日はこんなに遅く?」
と心に浮かんでいた疑問を口に出す。
「それに霊夢さん、目が少し赤いような……大丈夫ですか?」
「目が赤いのは余計な御世話。遅くなった理由は……これよ」
袖の中をごそごそとやり霊夢が取り出したのは、ちょうど文が首から下げているお小遣い袋と同じような、紐付きの小さな袋であった。
霊夢は静葉に手招きすると、ちょこちょこやってきた静葉の首にそれをかけてやる。
「どう?違和感とかはない?一応神奈子と諏訪子にもかけてもらって、異常なしだったんだけど」
『はい、大丈夫です。ところで、これは……』
「お手製のお守りよ。って言っても、御神木から欠片をちょこっと頂いて、ありったけの祝詞を彫り込んだだけだけだどね。魔理沙と妖夢も手伝ってくれたから、少なくとも三人分の信仰は詰まってるはずよ。アドバイスをくれた紫の分もあわせれば、多分もっと。急ぎで作ったから見栄えは多少悪いけど、少しはあんたの助けになるんじゃないかと……」
思ってね、と言い終わる前に霊夢はとっさに口元を手で抑える。何事かと早苗らが視線を向けたその先で、霊夢は大きな欠伸をひとつした。
「……」
『……』
しばしぽかんとしてそれを見ていた早苗と静葉だが、やがてこらえきれずに顔を合わせて笑いをこぼした。
「……何よ」
『す、すいません。つい……』
「いつもの機嫌悪そうなイメージと今の可愛らしい欠伸が、どうにも結びつかなかったものですから……」
なおもクスクスと笑う二人に「ふん」とそっぽを向く霊夢。早苗はそんな様子をまた微笑ましく思いながら、いつの間にかぬるくなってしまった静葉のお茶といまだに棒立ちの客人たちを見比べる。
「……とりあえず、改めてお茶にしましょう。魔理沙さんも待ちくたびれていると思いますし」
「では、私も手伝いを」
妖夢が袖をまくる仕草をして一歩前に出、霊夢と並んだ。そのまま隣に流し眼をくれ、肘で軽く小突くと、紅白は
「手伝えばいいんでしょ、手伝えば」
と一層不機嫌そうな様子を見せながらも、早苗に指示をよこすよう促す。
「助かります。それじゃ、私はお湯の用意をするので、御二方はお茶碗と茶葉を用意していただけますか?」
二人が了承し、霊夢がのろのろと、妖夢がその背中を押しながらきびきびと動き始めるのを見て、早苗は足元でやる気満々な表情をしている静葉に向き直る。
「では、静葉様はお菓子をお盆に盛りつけてください。……魔理沙さんがいらっしゃるので、少し多めにお願いしますね」
『はい!任されました!』
例のお守りのおかげだろうか、先ほどまでより心なしか元気良さげに静葉は菓子盆を取りに走り出した。


「やー、待ちわびたぜ」
お茶と菓子を準備して部屋に入るなり、ちゃぶ台に突っ伏していた魔理沙は顔を上げた。
「霊夢にもらったせんべいもあっという間になくなってな。途方に暮れてたところだ」
けらけら笑いながら茶菓子をつまむ魔理沙に「良く食べますね……」と苦笑を向け、早苗は一口お茶をすする。
「ところで、お三方がここにいると言う事は、紫さんの病状はいくらか落ち着いたんですか?」
「はい。熱もほぼ平熱まで下がりましたし、自力で食事をとれる程度には回復しておられました。……本当は、私も残るつもりだったのですが」
「幽々子が「後は私一人で十分だから、貴女達は楽しんでいらっしゃいな」って、半ば強引に送り出してくれてな。……まあ、言われたからには楽しませてもらうが。なぁ妖夢」
魔理沙がそう言って妖夢の肩を抱き、意地の悪い視線とニヤニヤ笑いを向ける。白髪の少女は「今回こそはお手柔らかにしてくださいよ……」と泣きそうな声で懇願した。
「ま、それはおいといて、だ」
おいとかないでぇ、と必死の妖夢をまるっきり無視して魔理沙は立ち上がり、霊夢と早苗に挟まれて座っている静葉をひったくるように抱え上げると、彼女を膝にのせて元の位置に座りなおし、二人の巫女に交互に視線を向けた。
「こいつのことはどうなんだ?霊夢は二人で何か考えてるような事を言ってたが」
マスコット扱いしている割には本気で心配しているらしく、魔理沙の眼は真剣だった。いつの間にか立ち直った妖夢も頷きながらこちらに視線を向けている。
「私はこのままでも良いんだが、静葉はそれじゃ困るんだろう?解決策は……」
むぎゅ。
というのは魔理沙が静葉を抱きしめる擬音であり、同時に霊夢が魔理沙の鼻に指を押し当てる擬音であった。
「魔理沙あんた、二人も揃って何も考えてないと思ったら大間違いよ。もう策は練ってるから時期を待つだけってとこまでは来てるわ」
むぐ、と鼻を押さえる魔理沙に代わり、妖夢が次の問いかけをする。
「時期、とは? いつなんですか?」
「明日の夕方」
「……ず、ずいぶんと早いですね」
霊夢が頷き、早苗に説明を促す。
「はい。実は明日、守矢神社主催の納涼祭りが人里にて執り行われる事になっておりまして、そこで一つ策を講じてみました……と言ってもお祭りですから、策と言うほど無粋なものじゃないですけれど」
「そうか。それならいいんだ」
あっという間に興味をなくしたように、魔理沙は今度は膝の上の神の頬をつつきだす。妖夢は妖夢でそれに手を出したくてたまらなそうな表情をしているけれども、まだ神への敬意が勝っているのか必死に抑えている様子であった。一方の早苗は困惑して、
「え? あの……それだけでいいんですか? 具体的な事はまだ全然話してないんですけど……」
「ん? ああ、私は構わないんだが」
魔理沙に向けられた視線を受け、妖夢は迷わず「いえ、結構です」と答える。
「し、心配してた割には無関心ですね……」
「無関心? そんなことないぜ。私らも私らなりに心配はしてるんだ」
「だったら、どうして……」
「そりゃお前」
魔理沙の顔が悪戯な笑みに染まる。
「先に中身を聞いちゃつまらんだろう」
「へ……」
早苗は脱力のあまり、座布団から転げそうになる。
「し、心配してるんじゃなかったんですか!」
「ちゃんと心配してるぜ」
「それにしては緊張感がないように見えますけど」
「私らしいだろ?」
むきー、といきり立って魔理沙に詰め寄ろうとした早苗を霊夢がなだめる。と同時に、
「魔理沙。そんな人をおちょくった口調だから誤解を招くんです」
と妖夢が軽くたしなめた。
「それに、一言二言足りないでしょう?」
「分かった分かった。ちゃんと言うから、いつもみたいな長話は勘弁な」
「なっ……」
妖夢が何か言いだす前に、魔理沙は手早く続きを切り出す。
「確かに心配はしてる。心配はしてるが、別段不安に思っちゃいないんだ、私らはな」
「どういうことです?」
「どういう事って……なあ、妖夢」
「そうですね」
黒い帽子と白銀の髪の二人は顔を見合わせると、早苗の方に向き直って各々の笑みを浮かべた。

「「頼りにしてるぜ(ますよ)」」

「え……ええ?」
思わず素っ頓狂な声を上げ、少しの間戸惑ったように魔理沙らの方を眺めていた早苗だが、『早苗さん、早苗さん』と呼ぶ声に我に返ってふと視線を下にスライドさせてみた。
『ほら、やっぱり頼もしいです』
静葉がほんわかとした笑顔を向けてくるのを、ようやく実感を持てた早苗は頷きと、向けられたのと同じくらいに明るい笑みで返した。
そして、最後に隣に座る紅白の姿を見つめる。
「何よ」
「いえ、なんとなく」
「……」
いつもの表情は崩さなかった霊夢だが、お茶を一口すすると、ただ一言つぶやく。
「ま、たまには楽させて頂戴よ」
「……素直じゃないねぇ」
「まったくですね」
「うるさいわよ、あんた達。……ほら、もうこの話は良いでしょ」
「へいへい。そんじゃ、そっちはそういう事として、だ」
魔理沙は窓からのぞく、いつしか橙の色が混じり始めた空を指した。
「妖夢のお説教のせいでこんな時間だが、飯まだか?」
「ちょっ!今回は私のせいじゃないでしょう!?」
「ま、まあまあ……そんなに切羽詰まってる訳でもないですし人数もいますし、大丈夫ですよ。じゃ、準備しましょうか?」
事実責任はないはずの妖夢がしかし律儀に頭を下げてくるのを、早苗は「大丈夫、大丈夫ですって」となだめながら連れ立って台所へ向かって行く。
「……で、言い出しっぺのあんたは行かなくていいわけ?」
「いいのか?私が手を出して。非常に私好みの味付けになるぜ?」
「言ってみただけよ。……ほら静葉、おいで」
呆れた目線を飄々と受け流されても霊夢は特に気にした風もなく、魔理沙の腕の中から静葉をひょいと抱え上げる。
「あんたもどうせ働いてた方が居心地いいでしょうから、少し手伝って頂戴。わざわざ魔理沙のおもちゃになることもないしね」
なんだよー、と口をとがらせる魔理沙に「出来たら試食くらいはさせてやるから邪魔しに来ないように」と念を押し、静葉を地面に下ろしてやる。
『あ、そうだ。お二人とも……』
二人の視線が静葉に向く。
『あの、このお守りのお礼、まだでしたから。……本当に、ありがとうございます。大事にしますね』
「おー、そうしてやってくれ。霊夢も喜ぶ」
「……否定はしないけどさ、あんたに言われると気が抜けるわね」
霊夢は軽く嘆息して、台所から響く早苗の呼び声に「わかったわよ」と返事を返す。
「ねえ、静葉」
『はい?』
廊下をきしきしと歩きながら、霊夢は今一度静葉に声をかけた。
「さっきのお礼、妖夢にも言ってやってくれる?多分あいつも嬉しいと思うから」
『はい!そのつもりです!』
「ありがとね」
台所にて「遅いですよ」と不機嫌そうにする早苗に曖昧な返事で答え、手渡されたエプロンを身につけながら、霊夢は静葉が心なしか元気そうにしているのを見て小さく微笑んだ。


すっかり日が暮れ、わずかな雲の散らされた濃紺の空を名月が照らすころ。宴は既に相当の盛り上がりを見せており、守矢神社の境内はわずかな人間と多くの妖怪と多少の神で溢れかえっていた。
そんな境内の隅の一角、辺りよりひときわ照明の強い位置。
「ほーら椛、だらしないですよ。まだ三樽目じゃないですか」
「ひゃ、ひゃんべんひてくらひゃい……」
しこたま飲まされ、その名の通り椛のように真っ赤になってひっくり返っている白狼天狗を見て、
「あんた、本当後輩いじり好きよね……」
真横で飲んでいた姫海棠はたてが呆れながらも何のフォローもせずに一杯あおる。
「たまったストレスを椛にぶつけなきゃ精神も維持できないのかしら。おお、やだやだ」
「ああん!?」
当然、文は即座に食ってかかる。椛が力なく首を横に振る様子は両者ともに見えていないようであった。
「これは先輩と後輩のちょっとしたじゃれあいです! そうやってろくでもない話ばかりでっちあげているから新聞も出鱈目ばっかなんでしょう、貴女は!」
「何よ、取材が早いだけで記事がお粗末なのはあんたの方でしょうが!喧嘩売ってんの!?」
「おー、言い値で売ってやろうじゃないですか!」
どんどんヒートアップする二人のファイトを見かねて、「はいはいそこまで」とにとりが割って入った。
「あんた達、本当に仲悪いねぇ……酒の席の言葉一つでそんなに腹立てることないじゃないさ」
「相手が他の誰かなら笑ってスルーしますけど、はたては無理です。心底ムカつきます」
「そりゃこっちの台詞よ! こんなに気に障る奴なんて、あんた以外いやしないわ!」
「何ですって!」
「何よ!」
「こらこら、鍋がこぼれるって! ああもう、私ひとりじゃ手に余るなぁ」
再び火花を散らし始めた文とはたてを再び引っぺがしつつ、河童仲間と飲んでた方が良かったかなとにとりは一人ため息をつく。と、
「呼んだ~?」
顔色だけなら椛といい勝負といっていいほどべろんべろんに出来上がった穣子が、にとりの真横にどっかと腰を下ろす。その隣には厄神・鍵山雛が「お邪魔するわね」と座り、静かに会釈して微笑んだ。
「おや、お雛に穣子。神奈子様と飲んでたんじゃなかったのかい?」
「んにゃ?神奈子様とぉ?」
とろんとして要領を得ない穣子に代わり、雛が口を開く。
「諏訪子様が、神奈子が面倒臭くなる前に逃げるといいよってこっそり逃がしてくれたの。穣子も面倒臭くなってきたところだしちょうど良かったから、お言葉に甘えさせてもらったわ」
「ああ……」
二人のぶんの器に酒を注ぎながら、にとりはいつだかの宴会で神奈子と一緒に飲んだのを思い出す。なるほど酔った神奈子はいつもより数段フランクかつおしゃべり好きで、自慢の風祝がまだ小さかった頃の話を延々と、かつ無理やり語られ、挙句に危うく本気で怒った早苗のカミナリに巻き込まれそうになったのは良い思い出とは口が裂けても言えなかった。
「神様も大変だねぇ」
「そーそー。だから、おかわりちょーらいよ」
「ちょいとペースが速すぎやしないかね……いいけどさ」
ん、と穣子が突き出した盃に酒をこぼれない程度に満たして返すと、今度は穣子は文らにまとわりついて、「おかわりー」と一瞬で空にした盃を突き付けて酌をさせ始めた。
「結果的に喧嘩の抑止力にはなったかしら?」
「……見てたのかい?」
雛は「傍観していた訳ではないけれどね」と笑って、
「ご一緒させてもらおうかと貴女達の居場所を探していたら、分かりやすい目印があっただけ」
「今は、あんたの連れの方が目立ってると思うんだけどねぇ」
それはそれ、と雛はいつの間にか構えていた徳利をこちらに向けてくるので、にとりは苦笑しつつ、あまり残っていなかった盃の中身を空にして手渡した。あっちはあっちで多少迷惑そうながらもいさかいなくやっているところを見れば、こちらがこれくらい暢気にやっていても大丈夫だろう。
「あ、そういや、静葉はどうしたんだい?昨日ひと悶着あったとは聞いてるから、顔を合わせづらいとは思うけど」
雛は口を開く代わりに、宴の上座にほど近い方をそっと指差した。その指先を追うと、烏天狗の一団に混じって酌をされている静葉の姿が見える。
「最初は、心配だからご一緒しようかと思っていたんだけれど……あの子の吹っ切れたような目を見たら、何だか邪魔してはいけないような気がしてね」
「へえ?世話焼きなお雛が珍しいじゃないか」
「もう、からかわないの。……それにね、本当に心配だと思ったら断られようが私は迷わずついて行くわ」
「分かってるよ、お雛のそういうとこはね。 あんたのお墨付きがあれば私も安心できるってもんさ」
にやりと笑い、にとりは盃を突き出す。雛もその意図をすぐに読み取り、「ありがとう」と小さく言って自らの盃をそれに軽く打ちつけた。
「ぷはーっ。……でも、なんだかんだで心配なんじゃないのかい?」
「当然よ。小さくなったのもそうだけど、あの子たちの姉妹喧嘩は仲直りに時間がかかるのよね」
「ああ!」
にとりはけらけらと笑った。
「そうだねぇ。静葉は少し引っ込み思案だし、穣子も穣子であんまり素直じゃないからね」
のしっ。
「おっとと。何さ、もう……」
肩に感じた軽い衝撃、それから重みににとりが振り返ると、
「……すなおじゃなくて、わるかったねー」
「ひゅい!? みみみ穣子!?」
むこうで天狗達が「穣子様が消えたぁ!?」「落ち着きなさいはたて。まずは座布団の下を探しましょう」などと動揺しているのを、雛があわててなだめに向かう。
そんな様子を尻目に、穣子はにとりの肩にでろんともたれかかったまま口をとがらせた。
「どうせあたしはすなおじゃないし、さけぐせもわるいし、いもくさいわよーだ」
「そこまで言っちゃいないって……なるほど、こりゃ確かに面倒くさいなぁ」
「にとり、にとり。ちょっと」
「ん?」
戻ってきた雛に手招きされて言われるままに目線をやると、静葉が招かれた席の主たちにぺこりと頭を下げて退席するところであった。
「道を間違えて飲んべえさん達のところまで行ってしまってはコトだわ。迎えに行ってあげてくれるかしら?穣子は私に任せてくれればいいから」
小さな姿が視線を不安げにきょろきょろとさまよわせる様は、なるほど放っておくにはあまりにも危なっかしい。渡りに船とばかりに、にとりはかくかく頷いて、まとわりつく穣子をやんわりと引き剥がしにかかる。
「それじゃ、悪いけど頼むよ。ほら穣子、少し外させておくれ」
「むー」
やっとの思いで身を離してくれた穣子の体重を雛に預けると、河童はひょこひょこ髪を跳ねさせて慌て気味に去っていく。それを見送った後、文とはたてが今度は一転しておとなしく飲んでいる様子を見て笑みを浮かべると、雛は「さて」といつの間にか今度はヒトの膝を枕にしていた穣子に向き直った。
「……むぐぅ」
膝枕の配置が変わったことに不満だったのか、小さくうめくような声が返ってくる。
「あら、失礼。――それにしてもよく飲んだわね……そんな恰好でいて、本当に寝てしまったらどうするのかしら」
「ねないもん」
うっすらと開けた目の、瞳だけを雛の方へと向けながら穣子は少し不満げに呟いた。
「……ねーさんと、話すもん」
「静葉と?」
穣子はこくんと頷くと、雛の肩を借りるようにして起き上がり、そのまま肩にのしかかった体勢で喋り始めた。その口調は、先ほどよりはいささかはっきりとしている。
「昨日、ねーさんの気持ちを考えずに自分の気持ちだけぶつけて……それで、気まずくなっちゃって」
「ええ、聞いたわ」
「でも、私はそんな、素面で謝りに行けるほど素直じゃなくてさ……だから、お酒を飲んで酔っ払っちゃえば、少しは覚悟もつくかと思って……」
「ああ……」
雛はわずかに嘆息した。姉妹で顔を合わせないのは逃げ回っていた訳ではなく、むしろ逆だったとは。
ずるりと元通り雛の膝枕に収まった穣子に「それで、覚悟は決まったの?」と声をかけようとしたところで、
「お雛ー、お待たせー」
にとりの声が響き、膝の上の体がびくっと震えた。
「あら、にとり。お帰りなさい。それと……」
繋いだ手の先に居る、小さな紅い影。
「いらっしゃい、“お姉さん“」
『はい、こんにちは。お邪魔します』
雛や他の面々に出迎えられ、静葉はしっかりとした表情で微笑むと、雛の膝の上を見て少し心配そうに『あの、穣子は……』と問いかけた。
「ああ、この子なら……」
起きてるわ、と応えようとした雛のスカートが不意にくいくいと引っ張られ、見れば、穣子は静葉に見えない角度で口元にひとさし指をあてていた。
(まだ、ばつが悪いっていうの?)
小声で話しかけると、小さく首が縦に動いたように見えた。雛は小さく苦笑して、表情をそのままに
「ごめんなさい。寝てしまったみたいね」
と静葉に顔を向ける。
『そう、ですか……』
姉の寂しげな声に穣子の表情が罪悪感丸出しなものになるが、やはり向こうからは見えないようであった。
「まあまあ、静葉。まずはお座りよ。私達がいい感じに騒いでりゃ、そのうち穣子も起きだしてくるだろうしさ」
『にとりさん……』
勧められた座布団に有無を言わさず座らされると、流れるようにはたてが酌をし、文が歓迎の口上を短く述べて盃を持ちながら静葉に目配せをする。
静葉が照れながらも盃を掲げ、乾杯の一言を口の動きで表わすと、たちまちその場は花が咲いたように賑やかな空気に包まれた。


最高潮に達した空気がひと段落すると、丸くなってくしゃみをしている椛を見て文が席を立ち、雛も神奈子らの様子を見に後を追うように姿を消して、席はずいぶんと静かになったように感じられた。
ふと膝の上の穣子が身じろぎし、どうかしたかと慌てて顔を覗き込むが、割と幸せそうな顔をしており一安心して頭を戻す。
「なるほど。妹さん、ですか」
『!?』
「どうして分かるのか、ですか?初歩的な推理ですよ。先ほどまで飲んでいた方々……おそらくは貴女のご友人達とは向ける表情が違います。可愛がっている……という表現が一番よく合うでしょうか」
『そこまで分かるんですか!?』
静葉が言うと、聞きなれない声の主である紫色の髪したやや上品な少女は、無表情にわずかに悪戯っぽさの混じった笑みの色を浮かべて
「ごめんなさい、本当は少し「ずる」をしました」
と、腰のあたりにある赤い球状の物体を撫でつつそこにある目を二、三瞬かせて見せた。
「失礼、挨拶が遅れましたね。私は地霊殿の主たる覚り妖怪、古明地さとりと申します」
深々と礼をして隣に着席するさとりに合わせ、静葉も『こ、紅葉の神の秋静葉です』と礼を返す。
『そう言えば、先ほどから普通に会話ができるのも……』
「ええ。不躾でしたら申し訳ありません」
『そんな! 声を届ける事もままならないこの身には、非常に助かります』
慌てて手を振って否定する様子にさとりは微笑みを浮かべ、そして徐々に不思議そうな様子に表情を変化させた。
「……貴女は……私を警戒なさらないのですか?」
『?』
「いえね。私が言う事でもないですけれど、心の内を無遠慮に見透かされているのですから、普通はもう少し嫌悪感やら警戒心やらを抱いてもいいものですが」
そう言うと心なしか静葉がしゅんとしたように見えて、次にはおそらく姉妹喧嘩であろう、彼女の膝の上に寝ている穣子というらしい神が静葉に感情をぶつけているビジョンが見て取れた。
『妹にも、危機意識が足りないと怒られました。でも……』
そう話す静葉の心は、少しの思案と悩みをちらほらと抱えていたものの、中心にははっきりと見える大きな一つの意思があるようだった。
「……」
『さ、さとりさん……?』
少し考え込んでしまい、静葉の台詞の最後が聞き取れなかった。
「あ……失礼」
無視をしたように見えてしまった事に謝罪しつつ、さとりは続ける。
「それにしても、余計な御世話だったようですね。ただのお人好しならば忠告するつもりでしたが……あ、褒め言葉ですよ? 今のは」
静葉がお人好しという単語に反応して少し小さくなる(比喩表現)のを見て、さとりはさりげなく付け加えた。
「私もきょうだいを持つ身として、妹さんの心配も、そしてもちろん貴女の気持ちもよく分かります。 ……ほら、見えますか?」
指差す先、境内のちょうど真ん中のあたりの上空だろうか。銀髪の少女がくるくる回りながら花火のようにハート型の弾幕をぶちまけているのと、ついでに妖怪たちがそうして夜空を彩る様子を肴に、一層楽しげに宴を謳歌している様子が見えた。
「あれが私の妹のこいしといいます。もともとしょうもない事が好きなのか、無意識でやっているのかはわかりませんが」
『え、ええと……やんちゃな子なんですね』
「ふふ……やんちゃもやんちゃ、しばしばうちを飛び出しておやつの時間まで帰ってこず、服は泥まみれ程度ならマシな方。かといってうちを出るなと言えばかえって家出をするし、仕方なしに連れ出せばあのように暴れる……という始末です。一緒に連れてきたペット達も散々絡まれてあっという間にダウンしてしまいました」
つい、とスライドする指先に合わせて視線を動かせば、すぐ隣の席で、猫耳のゴシック調の服の妖怪とロングヘアに緑色のリボンをつけた真っ黒い羽の妖怪が仰向けになって目を回していた。時折びくびくと痙攣しているのは酒のせいか、それとも何か夢でも見ているのだろうか。
コメントのしようがない静葉が乾いた笑いで答えていると、「でも、」と不意にさとりの表情が変わった。
「あの通りの気まぐれな子ですけど、寝顔とか、可愛いところもあるんです。暴れ疲れて寝てしまったあの子をおんぶしながら宴会の片付けを手伝うのだって、楽ではないですけど、それほどの苦にもなりませんよ。貴女がそうして膝枕をしてあげているのと同じように」
『はい、本当に』
クスクスと声を出して笑って、静葉はもう一度、穣子の髪を梳くように撫でた。
『思わず、世話を焼きたくなっちゃうんです』
それを聞いて大きく頷くさとり。
「そう。そう思うのが当然です。だからこそ……貴女が間違った事をしているとは、私には思えません。が」
『が……?』
「先ほども言った通り、妹さんの気持ちもよく分かります」
それきり言葉を切ったさとりは静葉へと真っ向から視線をぶつけ、静葉がそれをしっかりと受け止めて動じないのを見ると、その表情は堅さを抜いた。
「本当は言う必要もなかったのでしょうけれど、ご容赦くださいね」
『そんなことありません。……本当は、気持ちを固めていても心の底で不安があったんです。でも、その不安を拭いとってくれたのは、間違いなくさとりさんの言葉ですから』
「そう言っていただけると、私も救われます。……あと、差しでがましいついでに、もうひとつだけ」
そう言ったさとりは穣子の耳元に思い切り顔を近づけると、聞き取れないほどの小声で何かつぶやいて顔を戻す。
「夢の中にでも言葉が届いてくれればいいのですが」
『ふふ、そうですね。さっきまでは起きていたのに』
「……やはり、お気付きに?」
『ええ。でも、意地を張るのは今日だけで、明日こそはちゃんと話し合えると思います。そういう子ですから』
「……」
これは本当に要らぬおせっかいを焼いてしまったかなとさとりは笑いをこぼす。
と、そのすぐ後ろで、石畳を打つ特徴的な足音が響いた。
「おや、珍しい組み合わせですね」
二人の頭上を越えるように影が生じ、それは一枚の毛布となって穣子を覆うように着地すると同時に、毛布をかけた手の主は静葉の向かい側にしゅぱっと腰を下ろした。
『文さん!』
「どうも、ただいまです」
目線だけ横に動かし、文は「それから、お久しぶり……ですか?」と続けた。
「前回の宴会からはそんなに間は空いていませんよ」
「そうでしたね。それでは普通にこんばんは、とさせていただきます」
椛に毛布を適当に引っ掛け、なおかつウトウトとしていたはたてを叩き起して「遅いのよぅ……」「帰ってきたら付き合えといったのは貴女でしょう?」と駆け付け三倍とばかりに酒を注がせて一杯やると、ようやく文は一息ついたようだった。
「ぷはぁ」
「……なるほど、博麗の巫女に説教してきたのですか。貴女、少し年寄り臭いんじゃありません?」
「余計なお世話ですよ。まったく、妹さんの方がよほど可愛げがありますね」
「む……」
微妙に空気がとげとげしくなり、静葉がおろおろし始めたところで、
「……妹を褒められて、悪い気はしませんね」
「そうでしょう」
不意に二人はにらみ合う顔をにやりとゆがめた。
「ったく、素直じゃないわよね」
そのやり取りを呆れたような眼差しで見守っていたはたてが、静葉の横に来てこれまた呆れた口調でつぶやく。
「ま、あたしも人のこと言えないけど」
『ふふっ、そうですか?』
当然声は聞こえていなかったはずだが、口の動きから何かを読み取ったのか、はたては照れくさそうに頬をポリポリ掻いた。
その後、戻ってきた雛、そしていつの間にか姉の隣に座っていた古明地こいしも加わって一層宴席は賑やかさを増し、夜はゆっくりと更けていった。





四日目





「……ん」
穣子が気づくと、頭の下には姉の膝枕ではなくそっけない地べたがあり、空はうっすらと明るかった。はっとなって飛び起きようとし、隣に見知らぬ女の子(アクセサリーだろうか、コードにつながった青い球状の物体を抱えていた)が寝ているのを見つけ、一応毛布をそちらにかけ直してやる。
「そうだ、姉さん……」
宴席を見回すと、様々な寝相で転がっている天狗や河童たちに混じり、数人程度だが動き回っている影が見つかった。姉もおそらくはそれに混じって、いつものようにちょこちょこと片付けをしているのだろう。「まったく……」などと口走ってそちらへ歩きだす彼女であるが、内心に怒りや呆れはなく、むしろ安心が勝っていた。
人影の一つに声をかけると、紫色の髪した少女の顔がこちらへと向けられる。その胸元、というにはやや下の辺りには、先ほどの子がしていたアクセサリー?の色違いだろうか、同じくコードにつながった赤い目玉があり、瞬きを一つした。
「あら、貴女は……妹がお世話になりました。毛布を半分お貸しいただいてしまって」
気のせいか、初対面であるはずなのにその声には聞きおぼえがあるような感覚を覚えた。
「あ、ううん、大丈夫。……そっか、やっぱりあの子のお姉ちゃんなんだ」
「ええ。この第三の目とか、そっくりでしょう?」
さとりがコードにつながった目玉を軽く掲げて見せ、言葉に困った穣子は苦笑いで返す。
「……おっと、話がそれましたね。貴女のお姉さんなら今、身の丈ほどの荷物を抱えて倉庫に向かって行きましたよ。少し危なっかしかったですけれど」
「そっか……ありがと、行ってみる。ええと……」
「さとりです。古明地さとり」
「ん、ありがと、さとりさん!」
「さとり」という名の持つ意味に疑問を抱くことなく、会話の違和感にも気付かずにさっさと裏手に駆けだす穣子を、さとりは自らの妹に向けるような目で見送った。
一方の穣子は脇目も振らずに、もちろんそれには気付くことなく駆けていく。
「姉さん!」
その体長から考えればわりあい大荷物と言える量を抱えた小さな影に声をかけると、静葉は気付いて振り返り、表情を喜色で満たした。振り返った拍子に危うげに揺れたそれを、穣子はあわてて支えにかかる。
「手伝うよ。半分ちょうだい」
『ありがとう』
仲良く分けた荷物は半分になったといっても軽く、無茶はしていないという事に穣子は少しだけ安堵をした。
再び、姉の歩調に合わせ、薄暗い中を二人揃ってゆったりと歩く。
「……」
ちらりと静葉の方を見ると、その横顔は落ち込んでいる風でもなく、至っていつも通りであるように見えた。と、急に振り向かれかけ、穣子はいささか慌てながら顔を無理やり真正面に戻す。その後も話しかけようかどうしようかと逡巡しているうちに、大した間もなく倉庫前に到着し、穣子は頭を悶々とさせたままその戸に手をかけた。
『穣子』
不意に響いた声に、戸を引こうとした手が、ぴたりと止まる。
『話しておきたい事があって……一昨日のこと、なんだけどね』
「わっ、私、間違ったことなんて言ってないもん」
考え込んでいた最中に話しかけられ、動揺して、思わず口をついて出た言葉がこれだったことに、穣子は泣きたくなるほど後悔した。
しかし、
『ううん、違うの。私が人に気遣うあまり自分を軽んじていたのは貴女の言うとおりだわ。心配かけてごめんなさい』
予想と少し違った反応と声音に思わず振り返ってみれば、傷ついたでもなく、怒ったでもなく、むしろ嬉しそうにすら見える穏やかな表情がそこにある。
「それじゃ、どうして……」
『その理由よ』
「理由?」
『私が、つい人のことばかり考えてしまう、その理由』
訳もなく少しばかり緊張する穣子の前で、静葉はすーっと息を吸い込んで――

『好きなの』

「へ?」
思わず呆然とする穣子。静葉は少しばかり間をおいて、再び口を開いた。
『私はこの地、幻想郷とそこに住む全てが愛おしい。だから、それらが傷つけばひどく心が痛むの。……いつかの雷の時に私が貴女の心配ばかりしているのはおかしいと言ったでしょ? でもね、私にとってはあのとき、幸運にも無事だった自分の身よりも、今まさに雷の脅威にさらされているあなた達が心配だったの』
「……」
『それに、あのとき私の前に現れた貴女は雨でずぶぬれの上、足も小枝を踏んで傷だらけだったもの。あれじゃ心配するのも無理はないわ』
「そ、それは!」
顔を真っ赤にして反論しようとする穣子に、静葉は『ごめんなさい、冗談よ』と笑いかける。
『――本当は、そうなるのも気にせず何にも増して私を案じてくれた事が……純粋に嬉しかった。だからこそ、私は自分より貴女に気を配ってあげたかった』
「……あ」
『一昨日もそう。神社の掃除を手伝わせてもらったのも、霊夢さんにお茶を淹れたのも、私のために頑張ってくれる人たちに、恩返しには満たないまでも今の私に出来る事をしたかったの』
静葉はそこで言葉を切る。しばらく呆けていた穣子であったが、しばらくのちにぽつりとつぶやくように口を開いた。
「……姉さんは……」
『……』
「やっぱり、お人よしだよ。そうやって、自分が消えそうなのに人のことばっかり……」
『……ごめんなさい』
「でも、」
照れ隠しに横を向いたまま、やや小さい声で言う。
「お人よしな姉さん……私も、好き、かな」
『……ありがと』
「そだ、私も後で姉さんに言いたいこと――」
『ごめん、ね……』
かすれるような声に、穣子が胸をざわつかせながら振り返る。
「っ……!?」
反射的に駆け寄って、なんとか崩れ落ちる前に抱き留めたその体は、軽くて少しばかり冷たい。
「姉さん……!? ねえさんっ!!」
返事は、返って来なかった。


「まさか、こんなことになるなんて……」
倒れて意識を失い、急遽神社に運び込まれた静葉の傍らには、その体にすがって泣きじゃくる穣子、そして切迫した表情の早苗が居た。
「あたしの、せいだ……姉さん……」
「穣子様、落ち着いて下さい。大丈夫ですから」
「でも……でもっ」
穣子をなだめる早苗だが、内心の動揺は抑えきれず、手が震える。大丈夫という言葉だって根拠があってのものではない。実際、一緒になって泣きだしていないのはただ守矢の風祝という立場から来る責任感に支えられているに過ぎないのだ。
と、やや乱暴な足音が響き、やや遅れて障子が音を立てて開かれた。
「早苗、二人の様子はどう?」
「霊夢さん……見ての通りです。静葉様は目を覚ましませんし、穣子様も……」
「そう」
言うが早いか、霊夢は穣子のすぐ傍に距離を詰めたかと思うと、突然その胸倉をつかみ上げた。
「れ、霊夢さん!」
早苗が抗議の声音をして立ちあがろうとするのを視線で止め、霊夢はいまだ涙の止まぬ穣子へと告げた。
「あんたねえ。そこで泣いてるのが静葉のためになることだって思うわけ?」
「だ……だって……」
「だって、何よ」
「姉さんは、私の、せいで……」
「責任でも感じてるの?」
こくんと、頷きだけが帰ってくる。
「随分とまあ、殊勝なことね」
手を離すと、穣子は弱弱しくその場にへたり込んだ。
「ずっとそうしてるつもりなら、もう何も言わないわ。でも……あんたにその気があるならまだまだ出来る事はある、って言ったらどう?」
のろのろとではあるが顔を上げた穣子の瞳に一分の光が戻っていたのを見て、霊夢は不敵に笑った。
「あんた、踊り得意なんだってね?」


「「「紅葉の神楽舞を穣子(様)にやらせるぅ!?」」」
早朝の台所で、早苗、神奈子、諏訪子の三人は声を揃えて叫ぶように言った。対する霊夢は涼しげに
「ええ。文句ある?」
と薄笑いを浮かべている。
「いや博麗の、文句というかなんというか……異例すぎやしないかい?」
「あら、神にささげる舞を神が踊っちゃいけないなんて聞いたことないけど」
「そりゃそうだが……」
「前例がないからって物おじしてたら何もできないわ。第一、出来ない事が出来るからこその幻想郷でしょう?」
「む……」
「野暮言うのは其処までにしときなよ、神奈子」
神奈子の隣から割って入った諏訪子は、威圧的とすら感じさせるような堂々たる姿勢で霊夢に向き合った。
「で、霊夢。見込みはあるの?」
もちろん、霊夢も全く揺るがない。
「それなりにはね。あんたらが体現してくれたみたいに、神が神楽舞を踊るなんてインパクトは相当のもんだわ。もちろん、それだけじゃ一時の話題性にしかならないけど、忙しい中で忘れた昔の信仰を思い出すきっかけとしちゃ十分なんじゃないかしら」
「……悪だくみは、それだけじゃないでしょ?」
ニッ、と不敵に笑う諏訪子。
「悪、は余計よ。……そんじゃ、そういうわけだから。行くわよ早苗」
「は、はい……あ、や、引っ張らないでくださいっ」
ぱたぱたと廊下を速足で歩き去っていく巫女二人を、諏訪子は少し面白げに、神奈子はぽかんとしながら見送る。
「……そういや神奈子、静葉の容体について、何か思うところがあったんじゃないの?」
「いや……今言う事でもないさ。とりあえずはあいつらに任せるよ」
腰に手を当てながら、神奈子は霊夢らが去って行った背中を見送った。


その後、勘の鈍った穣子を叩き直すため、昼過ぎまで地獄の特訓が続いた。
「……こ、こんな感じ――」
「だーっ! 何よ今のだらしない踊り方! 村人の見て覚えたんじゃなかったの!?」
「え!?そ、そんなに酷かった?」
「あの扇子を掲げる仕草はね、それを信仰という形のないものの象徴として「神様、どうかお受け取りください」と捧げるもんなのよ! それをあんなへっぴり腰じゃ向こうも受け取れる訳ないでしょ!?」
「まあまあ、踊りの手順自体はほぼ合ってたんですから……」
「甘やかさない! だいたい、「ほぼ」じゃ困るでしょ! 儀式がいつだと思ってんのよ! やり直し!」
「ひーん! 仮にも神様なんだから、もうちょっと……てか、本当は豊作祈願の主役ってあたし……」
「あん?」
「や、やる! やります!」
……てな具合である。
幸いにも午後過ぎ辺りには穣子の方も勘を取り戻し、空の色が変わり始めるころには三人とも昼食や汗を洗い流したりも含め、諸々の準備を終えた。
そうして、今までドタバタしていたのが少し落ち着いた頃。
「……雛ちゃん」
雛が静葉を見ていた横で、障子が控えめに開かれる。
「姉さんは?」
「見ての通り、何事も無く眠っているわ。……それより、そんなところで喋っている事もないでしょう? お入りなさいな」
障子の隙間からのぞき込んでいた穣子はばつが悪そうに入ってくると、雛の隣、つまりは静葉の枕元を覗き込むような位置にちょこんと座りこんだ。
「……変化無し、か」
「ええ。貴女の方はどうなの?」
「あー、うん。赤いほうの巫女に午前中、容赦なく特訓してもらったし」
苦い顔をして、穣子は午前の様相を思い出す。その霊夢も、踊る役目は穣子に譲ったにせよ「言い出しっぺのあたしが何もしないんじゃ恰好つかないでしょ」と笛の練習に余念がなかったようだが。
「……でも、なんだかんだあったけど、霊夢には感謝してる」
いつもほどの元気はないものの笑顔になった穣子を、雛も安心したように見つめた。
「そうね……始めて聞いたときには驚いたけれど、貴女が納得しているのなら私は応援するだけよ。……人里まで見に行くことは叶わないけれど」
「んーん、気持ちだけで十分だよ。ありがと、雛ちゃん」
座る足を崩し、静葉の顔をそっと見やる。と同時に、
「……やっぱり、ここね」
「穣子様……」
開かれた障子から、一方はいつも通り、一方はやや申し訳なさげにしている巫女二人の姿が覗いた。
「だいたい想像はついてるでしょ?」
「……うん」
軽くお尻をはたいて立ち上がる。
「……無粋は百も承知だけど、あんたあっての儀式だからね」
「大丈夫、ちゃんと分かってる。……ほら、早苗もそんな顔しないで。大丈夫だからさ」
そう言って、対して背丈の変わらない早苗の頭をなでてやると、穣子は最後に後ろへ向き直った。
「それじゃ雛ちゃん、悪いけど……」
「気にしないで。貴女は貴女のすべきことをなさい」
「……ありがとね。じゃあ今度こそ、本当に――」
優しげで、名残惜しげで、また物憂げでもあり。複雑な感情のこもった視線を姉に向け、行ってきます、と呟くとそれきり穣子は振り返らず、その足音もやがて消えた。


夕刻。
ところどころで明るく燃える篝火のせいか、はたまた夏の名残りか、時間の割に辺りは明るい。妖怪の山麓の村、その広場では、大きな舞台がしつらえられ一際多くの篝火の光を受けており、村娘の笛太鼓と歌声に合わせて早苗による豊作祈願の舞が行われていた。
「ほら、有難く見ときなさいよ。あんたのための踊りなんだから」
「う、うん」
舞台袖で待つ霊夢と穣子は、既に着替えを済ませて早苗の舞を鑑賞していた。先ほど練習した際に何度も見たとはいえ、本番とではやはりその雰囲気は決定的に違うものがある。二人とも会話を交わしつつ、目線は舞台から動かなかった。
「でも、なんか、気恥ずかしいね。豊作祈願って意識しちゃうと」
「何度も見てきたんでしょ?」
「そうだけど、さ」
「ま、緊張はしてないみたいで何よりだけど」
霊夢は欠伸を噛み殺しながら言った。踊りが退屈なのではなく、朝の騒ぎもあって結局ろくに眠れなかったらしい。
「やっぱり、休んでた方が……」
「今休んだら本番までに起きる自信はないわ。あたしと早苗も演奏やるってのに、欠けた音楽で踊りたくはないでしょ?」
「そりゃ、そうだけど」
「それに、朝あんな口きいといて、先にあたしが寝くたばるんじゃ恰好がつかないわ」
別に気にしないのに、と否定しようと思って、穣子はやめた。こう言うのも意地を張っているだけでなく、起きていられるようにという自己暗示の類でもあるのだろう。
やがて、早苗の動きが止まるのに合わせるように音楽が消え、会場に拍手が巻き起こった。一礼して舞台袖から降りてくる早苗を、霊夢と穣子も出迎える。
「お疲れ。着替えついでに小休止してくるといいわ」
「すみません、霊夢さん」
替えの衣装とタオル、それから水筒を受け取ると、早苗は穣子の方へと向き直った。
「穣子様、いかがでしたか?」
当の本人(本神)は、少し驚いて、しかしすぐに口を開いた。
「上手くは言えないけど……ちゃんと、届いたよ。私も頑張らなきゃって、力づけられた感じかな」
「それは何よりです。……次は、静葉様の番ですね」
「うん。私も頑張って、姉さんに届けるよ」
早苗は微笑んで、舞台裏の簡易的な控室へと消えていった。それを見送りつつ、穣子は妖怪の山の頂上、静葉がいる守矢神社を見やる。
「……やっぱり、心配?」
「そりゃあね。霊夢が強引に釣れ出してくれなかったら、まだ姉さんの隣で泣いてたかも」
苦笑する穣子だが、すぐにその表情を引き締めて見せた。
「でも、今はやることをやるよ。大丈夫」
「そんならいいわ」
お決まりの表情で返す霊夢。
「ま、せいぜい思いが届くように頑張りなさいよ。多少間違っても、あの子なら気にしないだろうしね」
「……あんまり、間違えたくはないんだけどなぁ」
穣子が微妙に肩を落としたところで、新しい衣装に着替えた早苗が控室から出てくるのが見えた。
「さ、そろそろね」
「うん」
早苗を待ち、揃って舞台へ上る一柱と二人。
司会を務める村人の、「豊穣の神、秋穣子様による紅葉祈願の儀」の開始を告げる言葉により、村人のなかにどよめきが巻き起こる。が、早苗による太鼓の一打ちが響き渡ると、場は再び平常の静けさを取り戻した。
それを待ったかのように、太鼓と笛が少し物悲しさを感じさせるハーモニーを奏で始め、穣子が足を一歩踏み出す。
紅葉祈願の舞が、始まった。


一介の百姓であったとある村人は、信仰を捧げる豊穣の神、秋穣子その人による紅葉祈願の儀という訳のわからない事態に動揺を隠せなかったが、笛と太鼓が奏でるその音色を聞いているうちに不思議と穏やかな気分になっていった。
「……良い曲じゃないか」
「おい。なあ、聞いてるかい」
声をかけてきたのは、隣の家に住む幼馴染で同じく百姓仲間だ。
「聞いてるとも。どうしたんだ」
「この曲に聞き覚えはないかい」
「聞き覚え、だって?」
「ほら、小さい頃よく紅葉を見に連れてってもらってさ、その時にお前の親父さんがよく口ずさんでたじゃないか」
「親父が……あっ、そう言えば!」
彼の脳裏に、彼の小さいころの記憶が思い浮かぶ。
酒好き、かつ粋な質だった父は、宴会とあらばよく餓鬼の自分らを連れて行ってくれたもので、当時は酒なんて不味くて飲めやしないと思っていたけれど、つまみは大変に魅力的だったから、よくついて行ったものだった。そんな宴会の一つに紅葉狩りがあり、御山には妖怪が多くて近寄れないけれど、麓から見るのも乙なもんだと言いながら父が口ずさんでいたのが、そう言えばあの曲だったのだ。
「……懐かしいな」
「だろ」
彼はふと、父親のことを思い出した。ある時腰を痛めてからも元気に暮らしていたが、この間の伝染病で両親とも命を落としてしまったのだ。
しばらく、二人はしみじみと音楽に聞き入っていた。
「そう言えば、お前んとこの親父さんは?まだ元気だったと思ったが」
「ああ、あそこだよ。ほら」
幼馴染の指差した先には、腰が曲がりかけた、そして指差す本人とそっくりな顔立ちをした一人の老人がいた。その眼からは涙がぼろぼろと流れ、見かねた隣の村人から手ぬぐいを渡されている。
「あの通り、相変わらずの泣き上戸さ」
「ははは。……でも、そう言えば俺たち、長らく紅葉なんて見てなかったな。余裕がなくて」
「そうだな……最近は、伝染病やらで、それどころじゃなかったもんな」
「幸い、穣子様のおかげで作物も実りがよさそうだし、冬を越すにも問題はないだろう。秋になったら……行ってみないか、紅葉を見に。酒とつまみももってさ」
幼馴染は「いいな、それ」と歯を見せて笑い、肩を組む。
「良い曲だな」
「ああ」
舞いが終わると同時に、少し涼しげな風が吹いた。


舞いを終えた舞台は一瞬だけ静寂に、そして次には豊穣の儀にも劣らない大きな拍手に包まれ、穣子らは少しふらつく霊夢を支えながら降りてきた。
「霊夢、ほんとに大丈夫?」
「何だか顔色も悪いですけど……」
「いいわよ、あたしの心配は……っと」
役目を果たした彼女らに、舞台下で待っていた村長が大きく頭を下げる。
「巫女様がた、そして穣子様、ありがとうございました。今年の秋もさぞ実りよいものになるやと思います。それに……」
村長は、かつての紅葉狩りの名所であった山を見やった。
「……いえ、懐かしむにはふさわしい場を設けましょう。この後、ささやかながら宴の用意を整えてございます。巫女様がたと穣子様にはぜひご参加いただきたく存じますが……」
と、村長は穣子へと視線を向け、ふと表情を緩ませる。
「静葉様の事も巫女様がたから聞き及んでおります。姉神様のためとあれば無理は言えますまい。また、収穫祭の折にでも顔をお出しくだされ」
「確かに姉さんのそばにはいてあげたいけど……良いの?」
本来、この宴は神への物質的な感謝を表すものとして、精神的な感謝を表す舞いと一組で行われてきた。そこに豊穣神本人(本神)が欠けることを気にしてのことだが、
「大丈夫ですよ、穣子様」
口を開いたのは、早苗である。
「神様への声を伝えるのは、私達の役目です。村の皆さんの感謝の言葉は、帰ってきた私と霊夢さんがちゃんと伝えますから」
「そう言ってくれるのは、嬉しいけど……」
逡巡している穣子に呆れてか、ため息の後霊夢も「遠慮は良いから、先に帰りなさい」と告げる。
「で、でも……本当にいいの?」
「村人の総意たる村長と肝心の巫女が良いっつってんのよ」
ぶっきらぼうな口調で言った後、「それに」と前置きして、やや柔らかい口調で続ける。
「あいつが一番そばにいてほしいのは、あんたのはずでしょ。ほら」
穣子を送り出すように、背中がぺちんとはたかれる。
「霊夢、早苗、村長さん……ありがと!」
一度だけちらと振り返ってもう一度だけ礼を言うと、穣子はまっすぐに山頂の神社へと飛び去った。その姿を揃って見送ってから、霊夢は「早く行きましょ」と村長を促した。
「例の件での相談もしたいしね。いつ頃になるかしら」
「そうですな。上手くいけば、秋本番までには再建が出来るかと」
「それなら大丈夫そうですね」
会話に加わりつつ、早苗は無意識に穣子の影を目で追い、やはり霊夢に「ボーっとしない!」と引っ張られていた。





気がつくと、そこは山道だった。
辺りは暗く、しきりに雨の打ちつける音が、そしてそれに混じり低く大きな雷鳴が響く。
「あ、あれ……?」
記憶に残っているような風景に戸惑い、辺りをきょろきょろと見回していると、一際大きく空に閃光が走ったのが見えた。強烈な光に思わず顔を背ける穣子。
光にわずかに遅れてきた爆音をやり過ごし、再び辺りに目を向けると、
「山火事……!?」
山の頂に灯る橙色の光と、わずかに立ち上る白い煙。
「あそこは……」
はっとなった穣子の脳裏に、頂上の開けた場所にぽつんと立つ社と、そこに彼女とおそろいの黄金色の髪をして佇む一つの影が浮かんだ。
「こうしちゃいられない……姉さん!」
雨に打たれて滲んできた視界を拭うと、穣子は飛ぼうとして、稲光をたたえる空を見て思いなおし、山の頂上にある紅葉の社へと険しい山道を走り出す。
吹き付ける雨粒は、まるで針のようだった。
踏み出すごとに、足の裏を小砂利が容赦なく突き刺した。
「あぐっ!」
さらにぬかるんだ泥に足を取られて、その華奢な体が荒れた山道に叩きつけられる。
「う……」
しかし、
「これくらいっ!」
穣子はまったく動じずに、力いっぱい立ち上がった。
太い木の根を飛び越え、道を遮る茂みをかいくぐり、小石や小枝を蹴飛ばしながら、吹き荒れる暴風を押し返すような勢いで上りゆけば、皮肉にもこれ以上ない目印となった炎の光はぐんぐん視界に近づいてくる。
最後の茂みを押しのけて頂上の少し開けた空間に出ると、そこにはごうごうと燃え盛る姉の社、そして……
「穣子……?」
「姉さん……良かった、ちゃんと無事だったね……」
疲労でよろよろとなりながらも手を伸ばす。
「貴女も、そんなに傷ついて……」
同じように手を差し伸べてきた静葉。
二人がいまにも触れようという瞬間、

「!?」

ひときわ強い閃光が目の前を包んだと同時に、いきなり目の前が開けた。
「……あ、あれ?」
見れば周囲は真白な空間で、そこにただ落葉が舞い散っているという、美しくも異様な光景だった。自らの手や服にも目をやると、転んだ時の傷や泥は跡すら残さず消えていた。……そして、静葉の姿も。
「姉、さん……?」
不安感に襲われて、穣子はゆっくりと歩き出す。歩きつつ周囲を見回すも目に入るものは紅葉ばかりで、いつしかその足取りは早歩きとなり、ついには駆け足となった。
「どこ? どこにいるの? 姉さんっ」
返ってくる言葉もないまま、がむしゃらに走り続ける穣子。足音すら立たないこの空間で、帰ってくる音は自らの衣装がこすれて生じる物のみであり、ましてやいくら行けども見える景色はほぼ変わらない。不安はますます強くなり、胸をより強く圧迫した。
「もう、返事してよ……」
早鐘の様になる鼓動を抑えつけながら、どれくらいの時間走り続けただろうか。
不意に紅葉が少し開け、何かを感じて穣子は少しだけ立ち止まった。
(あれは……)
はるか遠くに見えるは、赤い小さな影。
「ようやく、見つけた……」
安心感が胸に芽生え、穣子は残りの力を振り絞ってその影に向かった。
ようやくたどり着いたその背に声をかけようとしたところで、穣子は一つの違和感に気づいて思わず足をとめる。
「姉さん……?」
その影は薄ぼんやりと光っており、また、インクを滲ませたように輪郭がひどくあいまいだった。
静葉が、ゆっくりと振り返る。
「ど、どうしたの、それ……?」
その問いには応えず、おぼろげな静葉は静かに微笑んだ。そして、ゆっくりと空間にとけるように眩く輝きを増し始める。
「あ……待って!」
穣子は叫びながら、思い切り手を伸ばした。
「私、まだ、姉さんに――!」
叫んで走り寄ろうとする穣子に、静葉は笑顔を浮かべたまま口を動かすが、何を言っているのか聞き取れない。光の中で薄れて、遠ざかっていく姉の姿を追いながら、その手を掴もうとして……


ふと、目が覚めた。
だんだんと蘇る記憶は、祭りから帰って静葉を見守っていた辺りで途切れている。どうやら、疲労が一気に来ていつの間にか眠ってしまったらしい。
「あ……私……」
ぼんやりとしか思い出せない夢の影響かひどく落ち着かない気持ちを抑えながら、穣子は辺りをぼうっと見渡して、少しのちに誰も見当たらないことに気付いた。
「居ないの……? 姉さん……」
ぽつりと呟くように漏れた言葉の後を追うように、その頬を涙が伝った。
胸が針で刺されたように痛む。
「あれ……?」
涙は次々に流れては、頬に描かれた線を繰り返しなぞっていった。
「やだ……」
流れを止めようと袖や手で拭おうとするが、溢れ出るそれは拭う度にむしろ勢いを増しているようにすら思える。
「わたっ……私……」
涙が止まらないことに困惑すら覚え、穣子はその場でうずくまって、ひたすら泣きじゃくった。
目元をこすっては、思い出と後悔とが脳裏に浮かび、新たなしずくが溢れて流れた。

「あら……?」

障子の開く音とともに、誰かの聞き覚えのある声が耳に響いたのは、そんな折である。
「どうしたの……?」
穣子がじっとうずくまっているのを案じてか、影が近寄ってくる気配がした。
「ね……姉さ、が、居なく……」
涙声で思ったように喋れない穣子を、柔らかな、懐かしい感触が包み込む。
「大丈夫よ。落ち着いて」
不意に抱きしめられ、その温かみに「夢……?まだ、続いてるの……?」と錯覚する穣子に、影はさらに優しく語りかけた。
「私はここにいる。ちゃんと、ここにいるわ。だから……大丈夫」
聞こえる言葉とは裏腹に、目を開けたらこの温かみまでもが消えてしまうような気がして、思わず穣子は目をきつく閉じる。
「本当に、夢じゃ、ない……?」
「ええ。本当よ」
「私の、好物は?」
「兎鍋と大学芋。水飴たっぷりの」
「私達の趣味は?」
「私が歌で、貴女が踊り」
「ほっぺた、引っ張って」
「良いけど……」
「……痛い……」
「当り前でしょ、もう……」
「それじゃ、姉さんの名前は?」
「秋静葉。紅葉の神よ」
「私の、名前は?」
「秋穣子。豊穣の神で、私の……」
静葉は言葉を止め、深く大きく息を吸って、再び続けた。
「時には喧嘩もするし、意見が食い違う事もあるけど……そんな事問題にならないくらい大好きな、私のたった一人の妹よ」
うっすらと開いた瞳に、夜の闇の中でも光り輝く、自分とおそろいの黄金色の髪が映る。
「姉……さん」
「なぁに?」
「ごめん、なさい……」
「謝ることないでしょ」と困ったような表情で微笑む静葉に、穣子は「それと、」と続ける。
「おかえり……ねえさん」
顔をくしゃくしゃにしながら言って、そのまま泣き崩れる穣子の頭を優しく抱きかかえながら、静葉は小さく、しかしよく聞こえる声で「ただいま」と返した。





エピローグ





「――で、神奈子はなんて言ってたんだ?」
ふわふわと箒にまたがりながら、魔理沙は隣を飛ぶ早苗に問う。
「それがですね……今回の件は、どうも、思ったよりも深刻ではなかったのではないか、と……」
「「……は?」」
両側を飛ぶ妖夢と魔理沙が揃ってぽかんとしたので、早苗は続きを話し始めた。
「ええとですね、神奈子様が仰るには、神様が信仰を失ったならその姿は薄れていくものなんだそうです。神奈子様と諏訪子様が外の世界で誰からも見えなくなってしまったように」
「へえ、妙な説得力があるな」
「魔理沙、茶化さない。……それでは早苗さん、静葉様の、小さくなったり声が聞こえなくなるというのは……」
「それについて、あくまで推論だそうですが、神としての存在を保ちつつ力の消費を抑えようとして、元通りの信仰が得られるまで持たせようとしたのではないか、と。つまり、その……諏訪子様が仰るには、眠らない冬眠のようなものだそうで」
「……冬眠、ねえ」
「……冬眠、ですか」
早苗を除く二人の頭に浮かんだのは、丸まって炬燵から外に出ようとしないスキマ妖怪の、やけに具体的な姿であった。
「静葉様が倒れられたのも、随分と勝手の違う体で過ごされたために負担がたまっていたのではないか……という事です。ただ、私達が何もしなければ静葉様はいつ元に戻るのか分からなかったかもしれないし、私達がした事は決して無駄ではないとのことでした。紅葉の社も、豊穣の社に隣り合わせで無事に再建されることになりましたし」
「それは何よりですが……確かに、消えてしまう瀬戸際かと思っていたのに、いきなり緊張感に欠ける話になりましたね」
「本当だな。霊夢が気が抜けてぶっ倒れたのも無理ないぜ」
魔理沙は器用に足だけで箒を操りつつ、手を頭の後ろで組んだ。
「まったく、看病してくれる友人が居るんだからあいつは幸せ者だ」
「自分で言いますか」
「恩着せがましくしとかないと、朝飯たかりに来たように見えるだろ? 流石に出入り禁止は嫌だしな」
「……魔理沙さん、霊夢さんにまでご飯たかってるんですか……」
妖夢の苦笑と早苗の呆れを軽く流しながら飛んでいけば、見覚えのある鳥居はすぐに見えてくる。
(さて、手土産がない分、挨拶だけでも考えないとな)
そんな考え事をしていたため、自分が無意識に少しづつ加速して後ろの二人を間接的に急かしていることには全く考えが回らない魔理沙であった。


「ちょっと姉さん、ストップ!」
自分を呼ぶ声が飛び、静葉は何かと振り向いた。首から下げたお守りの袋がそれに合わせて大きく揺れる。
「どうしたの?」
「もう……そんな大荷物持っちゃってさ」
静葉が抱えているのは、薩摩芋が満載された、それなりに重量のある袋だった。
「でも、貴女一人じゃ大変でしょう?」
「それくらい平気だってば。それより、姉さんの方が心配だよ。ただでさえ病み上がりなんだから」
「そうね、無理はしていないつもりなんだけれど……やっぱり、駄目かしら」
しゅんとする姉に「う」と言葉を詰まらせ、しばらく思案顔で唸る穣子だが、不意に
「……そうだ、それじゃ、これでどう?」
穣子は別の袋に半分を詰め替えると、もう半分を「はい」と静葉に手渡した。
「……半分、でいいの?」
「私と姉さんの助け合いの気持ちを、半分ずつ。公平でしょ?」
「ええ。……ありがとう、穣子」
「お礼なんていいよ。姉妹でこれくらい当然だもんね」
穣子はにかっと笑うと、「行こ、姉さん」と手を伸ばし、静葉も微笑んでその手を取る。
ようやく少しづつ色づき始めた山々を背にして、二人は手をつないだまま、やや急ぎ足で歩き出した。
前作から随分間が空いてしまいまして、「お久しぶり」よりは「はじめまして」の方が通りが良い気も致しますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
本当は二週間ほど前に書きあげたかったのですが、往々にして上手くいかず、いささか季節はずれな作品となってしまいました感が否めません。夏の終わり、日差しは強いけれども風は涼しい、そんな日柄を想像しつつお読みくださればと。
それでは、長々とお付き合いいただき有難うございました。御意見等いただけましたら誠に幸いでございます。

また、後日談も現在執筆中ですので、お待ちいただける方はのんびりとお待ちいただければ幸いです。
mag
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コメント



0.970簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
理想のお姉ちゃんだなぁ……。そんな役割が、静葉にはよく似合う。しみじみ。
霊夢さん4徹お疲れ様でした。

ところで魔理沙、チビ静葉様はどうだったよ?
3.100名前が無い程度の能力削除
おお……素晴らしい。情景が目に浮かぶようです。
後日談、楽しみにしております。
5.100奇声を発する程度の能力削除
読み終わってから良い気持ちになれました
7.100名前が無い程度の能力削除
今年の秋こそは、呑んで食べて紅葉狩りをすると決めた。秋っていいよね!!
15.100名前が無い程度の能力削除
いいお姉ちゃんですね
16.90コチドリ削除
お久しぶりです。投稿を再開されたこと、嬉しく思います。

小さな秋神様が大変可愛らしゅうございました。
なんつーの? 小動物チックな愛らしさと梅こけしみたいなほのぼの感が同居している、みたいな?

それでは作品全体の感想いきます。
情景や登場人物達の丁寧な描写は好ましいです。
ただ、秋姉妹及び巫女二人以外、つまり脇キャラですね。彼女達にちょっと筆を割き過ぎかな、とは思いました。
勿論各々物語を膨らませる、或いは深みを与える上での重要な役割を担っているのは理解できるのですけど、
私がお話の本筋であると考える、静葉はもとの姿に戻れるのか、姉妹は仲直りできるのか、
といった物語上の急所が少々ぼやけちゃったんじゃないかな、とも思うのです。
端的にいえば冗長に感じた部分もあったということ。ごめんなさいね。

静葉復活のシーンは素直に感動。
エピローグの二人にも自然と笑みがこぼれました。いい姉妹だね。
好き勝手書いたけど好きですよ、この作品。それではゆっくり後日談を待つことにします。
19.無評価mag削除
コチドリ様、どうもお久しぶりです。ご指摘ありがとうございます。
言い訳がましいコメント返しですが、よろしければお付き合いください。
○季節感
御存じとは思いますが、この作品のタイトルは「秋(静葉)が小さくなる数日間の話」と「小春日和のもじりで、夏の終わりの秋じみた日」をかけて名づけたものです。で、少しその意識が先走り過ぎたせい(大概は自分の考えなしが原因なのですが)もありまして、つとめて秋らしさを抑えたり、あるいは近く迫った秋の気配が見え隠れするシーンがちぐはぐになってしまったことはご指摘の通りで、全く不徳の致すところです。
○脇役
実のところ、酒宴のシーンを描きたかっただけなんです。ごめんなさい。
……というのは半ば冗談としましても、やはりこの作品の静葉は「愛し愛される神様」というイメージがありまして、それを引き立てるシーンとしてやはり幻想郷らしく「酒宴」が欲しかったというのがあります。紫のくだりは、異変の裏で起きていることをちょっと説明したかったというのが。さとりさんは「お姉さん同士の交流」を書きたかった、といった具合です……が、やはり冗長かとの不安はありました。改めてご指摘いただいたこと、感謝です。
○誤字など
非常に助かります。読んで頂いた皆様には誠に申し訳ないです。

以上、文章に粗が目立ったこと、深くお詫び申し上げます。どうかこれからも温かく、厳しく見守っていただければと存じます。
22.100名前が無い程度の能力削除
最後まで落ち着いて楽しむ事の出来る、良い話でした。
各キャラクターそれぞれの個性が、清涼感を湛える昇華を見せていて、ともすれば性悪く書かれがちな部分まで柔らかく、またそれが偏に静葉の人なりのためである事も良く分かりました。

穣子が、静葉を求める場面では、涙がこぼれるほどでした。

後日談も楽しみにしております、お疲れ様でした。
26.80名前が無い程度の能力削除
雰囲気は好きなんですけど、にとりが文に砕けた口調だったり、
椛が妙な言葉遣いだったり、同じ神格同士でむしろ幻想郷では
古参の秋姉妹が守矢二柱に様付だったりとところどころ立場や
地位がおかしく感じてしまう部分がありました。
あと霊夢の言動が少しキツ過ぎてともすれば嫌なやつに見えてしまう
部分もちらほら。
作者さんの考える東方像というものもあるんだとは思うんですが、
妖怪の山のそれぞれの立ち位置なんかは原作準拠の方がいいかもと思いました。