晴天の折、山の空気は滑らかな湿度で非常に爽やかであった。
とある少女がその空を見上げる。青さを透かし見えるほどに薄い雲が日差しを和らげ、少女の白肌を心地良く包んだ。
その少女はまだ十歳にも満たないくらいの年頃だった。染めた様子もないが髪は金髪で、それでも顔立ちは着物に下駄が似合うような様相である。
涼しげな水色で、裾に可愛らしく咲くスミレが描かれたワンピースを着ていて、足元では同じく水色に紫のワンポイントリボンが装飾してあるパンプスを履きこなしている。
そしてクリーム色のつば広帽子を被ったその姿は、青空の一部を切り取って、天使の形に仕立て上げたかのようだった。
汚れや撚れの一つさえない衣類からは、家柄の良さも感じられる。
例えば広い草原の庭を持つ洋館、そんな背景が似合うであろう少女が、何故こんな山の中で空を見上げているのか。
少女が見上げていたのは空ではない。
その空を自由自在に飛び回る、紅白の巫女服を着た黒髪の少女に見とれていたのだった。
「あっ……おーい!」
びゅるるぅ、と。
どれくらい、空を泳ぐ少女に見とれていただろうか。少しだけ強く風が頬を叩いて我に返った。
「ん? あ、まーりさー」
ま・り・さ、金髪の少女はそう呼ばれた。字に起こせば魔理沙。少女の名である。
黒髪の少女が魔理沙に向かって高い所から手を振るので、魔理沙も大きく振り返した。
「霊夢ー。ちょっと降りてこいよ! クッキー焼いてきたんだ、一緒に食べよ!」
「いいよー」
黒髪のほうは霊夢と呼ばれた。霊夢は了解して目的の無かった飛翔を中断し、緩く螺旋を描きながら魔理沙の元へと降りてくる。
地に足を付けた。それでも霊夢は、何処かふわふわと浮いている雰囲気を持った少女であった。年の頃は魔理沙と変わらない。なのにその浮きだった様子は、子供っぽさや無邪気さというよりもいっそ、悟りの先にある超然的な印象を感じさせた。
「ねえ魔理沙。さっきぐるりと回った時に見えたんだけど、それ何?」
「ん、これか」
霊夢が指を差して、魔理沙は首を斜め下に向ける。
魔理沙の後ろには人影があった。頭の位置は魔理沙の腰より少し高いくらいだが、その人影は思いっきり腰を折り曲げている。しゃんと胸を張れば魔理沙よりも背は高そうだったが、卑屈さやら消極性やらを存分に漂わせている様子であった。
魔理沙を盾として構えるように霊夢と向かい合う。この時点でかなりの小心者であると窺える。
「道中で拾ってきた。河童らしいぜ。名前は何とかにとり」
「何とかに、鳥?」
「何とか、にとり、だ。苗字が思い出せないけど、にとりって名前だった」
「にとりねぇ。うーん。ま、よろしくね」
魔理沙の後ろで、にとりは微動だにしなかった。霊夢も、返事を待つことはなかった。
「じゃ、行こっか」
「おう」
博麗神社へと続く山道。先導する霊夢の斜め後ろを魔理沙が行き、その真後ろをにとりがずっとくっついて行った。
元よりこの山は博麗神社の敷地内。歩けば程なくして、神社が目前に見えてくる。
歩いている間も魔理沙は元気で、一息吐いてからも霊夢はぽけっとしていて、多少人馴れしてからもにとりは静かだった。
「いいよな、霊夢は空が飛べて」
「クッキーは焼けないけどね」
「なんで私は空が飛べないんだ?」
「空を飛べないと思ってるからでしょ」
「うぅん……納得がいかない」
茶菓子のクッキーにいまいちそぐわない、いつも通りの温かい緑茶を携え、三人は神社の賽銭箱の前。
霊夢と魔理沙がお盆を挟んで横並びに座り、魔理沙の隣ににとりが座っている。
石段に座り屋根の影で日差しを避けながらも、風が運んでくる暖かさに、ゆっくりと意識を世界と同化させようとしていた。
「いい天気だな、眠いぜ」
「眠いわ。もうおやつの時間だもの。昼寝も悪くはないわね。……それにしても、やっぱり魔理沙は口が悪いわね。お人形みたいな顔してるんだから、もっと女の子らしくすれば?」
「スカートのままふわふわと空飛んでる奴に言われたくないな」
「見られてもいい材質なのよ」
「材質か」
「会った時からそうだけど、なんで魔理沙はそんな喋り方してるの?」
「あー……近くに居た奴の言葉が移ったんだ」
「魔理沙ってお兄さん居たっけ?」
「まぁ、そんなところだ」
「返事になってないわよ」
「眠いからな」
「ええ、眠いけど」
三人は仲良く揃って欠伸をした。
「ん、このままだと賽銭箱の前でぶっ倒れるわね」
「おお、そうだな。……霊夢も対して口が良いわけじゃないよな?」
「あらそんなことは無いですわよ」
「……まぁ」
よっこらしょと霊夢が立ち上がり、魔理沙とにとりが続く。霊夢はお盆を抱え上げると、そのまま台所を目指して歩き出した。
「クッキーごちそうさま」
「あぁ。また来るぜ」
軽い調子で別れを済ませる。魔理沙は山を降りる道に向かって歩き出す。
にとりは勝手に付いてくるので気にはせず、空を見上げてぽつりと呟いた。
「飛べれば楽なのにな」
ただの人間である少女魔理沙は、空を飛ぶ程度の能力さえも持っていなかった。
「魔理沙は、なんで空を飛びたいの?」
魔法の森――の近くにある普通の森。
正確に言えば魔法の森の端っこに位置しており、やたらと瘴気を振り撒くキノコやらキノコやらが殆ど生えていない地帯だ。
魔理沙はそこに秘密基地を構えていた。
普段は昼間を一人そこで過ごし、夜になると人里にある実家に戻るという生活をしている。今は、にとりと一緒で二人だ。
「お、喋れたのか」
「喋れたよ。名前言ったじゃん」
「霊夢の前じゃ全くそんな様子が無かったからな」
「あの人は……妖怪に厳しい気がする」
「そうか? まぁ、私は妖怪じゃないから、妖怪が感じたことなんて分からないけど」
ガラクタ弄りが趣味であるらしいにとりの目から見ても、ガラクタの中のガラクタであると断言できそうなガラクタを、魔理沙は適当に弄っていた。
やれ魔法の実験だと称して、魔理沙はいつもこの秘密基地でガラクタを生産している。
「それで、どうして魔理沙は空を飛びたいの?」
「そりゃなぁ。毎日みたいに霊夢を見てれば思う。だってほら、自由そうじゃん」
「人間が空を飛べるわけなんてないよ。妖怪か巫女でもない限り」
「そういう河童は飛べるのか?」
「……私は、飛べないけど。その内飛ぶよ、どうにかして」
「私もその内飛ぶんだぜ。どうにかしてな」
ガラクタ弄りに戻る。今日は風が強く、森がざわざわと鳴いていた。にとりはその音に少しだけ冷や汗を垂らす。不気味に静かなのが嫌なようだった。
「ところでさっきから何を作ってるの?」
「んー……キノコの傘と足を自動で切り分ける装置。中々上手いとこ切ってくれないんだ」
「あーあー……切るための機構に力を入れすぎてるんだよ。まずは傘と足を見分ける部分を作らないと。こうさ、スイッチを付けてそこに傘が触れたら、勝手にこうやって刃がね……」
「おお、なるほど。流石は河童だ」
「うん。まぁ、ね」
「そうなると違う動力が必要になるんじゃないか? あんまり巨大化すると面倒だ」
「いや、この動力だけで後はそれを順番に伝えていくように組み替えればいいんだし――」
二人はとっぷりと集中していく。
喋る言葉とガラクタの鳴る音で、森の悲鳴は耳から掻き消されていった。
しんと静まり返ったかのような、秘密基地の外。
時間が止まってしまったかのよう。少々幼い二人は、幼いが故に目の前のこと以外に耳を塞いて、目を閉じる。
時計さえない秘密基地の中で、時間の経過に気づいたのは、手元の“カラクリ”が殆ど見えなくなってしまってからだった。
「あれっ、魔理沙、何か暗くない?」
「お? お、おお……本当だ」
西の空を見た。
夕陽は頭の先までを隠し、うっすらと赤色の名残が頼りなく空を彩る程度となっていた。
「こいつはいけない。そろそろ帰らないとな」
「人里へ戻るの?」
「いや……今から森を人里に突っ切るのはちょっと危ない。近くに知り合いの家があるんだ。そこに行く。にとりも来るか?」
「魔理沙以外の人は居るの?」
「居るさ」
「じゃあ、やめとく」
「そうか。まぁ、ひとまず道に出よう」
秘密基地の外に出ると、立ち並ぶ木々は太陽の悪あがきを完全に掻き消していて、そこに居る人の不安を容赦なく煽ってくる。
秘密基地を出てから真っ直ぐに、少しだけ歩けば比較的舗装された道に出ると分かっていても、闇は何処からともなく真っ黒な腕を伸ばしてきて、迷い込んできた人を捉えてしまいそうな気配を出していた。
二人は短いながらも深い闇の森を歩き出す。
「……にとり、大丈夫か?」
「うん。まぁ、未熟だけど多少は頑丈だし。沢までそんなに遠くはないから」
「まあ道に迷って此処に辿り着くしその沢への帰り道を私が説明出来るくらいだからそんなに遠くはないな」
「うん……今度からコンパスを持ってくるしそれは無かったことにしてくれよ」
「おう。弱虫の河童がガン泣きで人間に助けを求めてきたのは無かったことにしてやるぜ」
「……信じてるよ。それから魔理沙」
「ん、何だ?」
丁度、舗装された道に出た。
これで別れようかというところだった。
「私の苗字は河城だ」
「おお。そうだった。よっぽどのことがない限り、忘れないようにする」
「じゃあね」
「じゃあな」
そうして二人は背中を見せ合った。
にとりが迷わず暗闇を歩けたかどうかはともかく、魔理沙はあっという間に目的の場所へとやってきた。
こんな時間に誰が好んで森の近くまでやってくるのか。それでもこの店は暖簾を出して、店内のランプを点けて営業中を現していた。
「おーい、香霖。お邪魔するぜ」
「なんだ、客かと思ったら魔理沙か。どうしたこんな時間に?」
「泊めてくれ」
「……また秘密基地とやらでなんかやってたのか? 一人で」
「今日は友達付きだったぜ」
暖簾に書かれた文字は香霖堂。そして店内に座っていた男の名前は香霖――というわけではない。魔理沙だけが呼ぶ愛称であり、正しくは森近霖之助と言った。
ノック一つもない入店に、営業用の柔らかい表情は一瞬だけで、直ぐにむすっとした表情に戻ってしまう。
「全く。親父さんが心配するだろう。それに、いい顔もされないはずだぞ。まだ魔法にこだわってるのか」
「……まあ、線路の上を走るのは好きじゃないんだ」
「やれやれ誰と張り合ってるんだ。魔理沙、お前はまだ子どもなんだから、もう少し可愛気のあるように育ってやったらどうだよ」
「親父は嫌いだ。私の恩人で――私の先生は、魔法使いだった。憧れた人の後を追うことの、何が悪いかな?」
「全く達者な口だ。博識なのは喜ばしいけどね、魔理沙。本の虫だったお前が外に目を向けた時は、親父さんも喜んでたが……一年足らずで困らせるようになるとは。後、俺の喋り方を真似るのは止めないか」
「いいや、この喋り方は“私の”オリジナルだぜ」
「……ふーむ。真似てばかりで、自分の人生、か」
どうして親父さんの生き方を真似てやらないものかと、霖之助は心の中で憂う。尤も、元から近いものには近づく必要はないという心理だって、理解出来ないわけではない。
魔理沙は頭がいい。努力の仕方も知っているし、苦痛の耐え方も知っている。
きっと優秀な魔法使いになってしまう。
それは魔理沙の父親が目指してほしい未来に欠片も触れておらず、むしろ正反対を目指すことになる。
このままではきっと、子どもながらにして親元を蹴られるだろう。
むしろそれを推測して、魔理沙は既に一人暮らしの準備を始めているのかもしれない。
「しかし壊すくらいしか能がないお前に魔法使いが務まるか?」
「し、失礼な。何処にそんな証拠があるっていうんだ。今日はクッキーも焼いたんだぞ」
「店を手伝う度に売り物を壊していく奴は誰だ。この間見せてもらった秘密基地の出来も散々だったじゃないか」
「あっ、そ、それは違うぞ。明日明るくなったら見に来るといいぜ。改めて作り直したんだ。完璧に」
「……もしかして友達というのは河童かなにかか?」
「はっ!? ど、どうしてそれを!」
「今自分で言った。しかし魔理沙は嘘が下手だな」
「ぐぅ……いいんだよ。嘘なんて吐かなくても。嘘吐きは泥棒の始まりだ。嘘を吐いたって何の良いこともない」
「魔法使いなら嘘の一つくらいさらっと吐いてしまうもんだ」
「…………そうなのか?」
「ああそうだ。真似たがりが泥棒にならなくてどうする」
その言葉に、魔理沙は唸りながら黙った。近い将来魔理沙が恨まれたとすれば、その呪いはきっと霖之助へと降りかかってくるだろう。
「ま、まぁ。いいだろ壊す魔法。派手で豪快で、私にぴったりじゃないか」
「空も飛べないくせにな」
「この……なんでさっきから香霖はそう。物を壊すしか出来なくても空を飛べなくても、私は魔法使いになるんだ」
「……まあ、それはそれでいいだろう。きっとお前が空を飛び回る姿なんてものを見たら、親父さんは卒倒するに違いないからな」
「あー……それは見てみたいな」
「やめとけ」
「やるぜ……ふぁ」
魔理沙が脈絡もなく大口を開けた。
「うん、眠い」
「二階に行って眠りなよ。親父さんには俺が言っておくさ」
「ああ……私に苦情が来ないように頼むぜ」
「明日たっぷり絞ってもらうように言うさ」
「嫌な奴だなぁ香霖は」
「お互い様だよ魔理沙」
「おやすみ」
「おやすみ」
のろのろと階段を上がっていく魔理沙を見て、霖之助は思う。
そして、人里へ行くために立ち上がりながら呟いた。
「……喋り方を、少しは正してやるべきかな。俺……僕、私、か」
翌日のこと。
神社の境内を掃き掃除していた霊夢の前に現れたのは、左手に『いい感じの竹箒』を。右手に目隠しをされたにとりを連れた魔理沙だった。
「ま、魔理沙? ココドコ!?」
「あら、その河童喋れたの?」
「だっ!?」
「おう、霊夢」
「れ、霊夢――さんが居るの……?」
状況が掴めずに声を荒げていたにとりだったが、霊夢の存在を意識に認めると共に、もごもごと声のトーンを小さくさせていった。
「なんか嫌われてるのね私」
「博麗の巫女は妖怪の敵らしいんだろ?」
「いやまあ……でも今はその妖怪に指導受けてる立場だから、そんな条件反射みたいに見つけては倒すなんてしないわよ」
「らしいぜにとり」
「わ、私を虐めないの……?」
「昨日の私が何をしたっていうのよ」
魔理沙がにとりの目隠しをはらりと取る。おどおどとした目だったが、何とか正面に霊夢を見据えているらしかった。
「よろしくね?」
「よ、よろしく……」
「うむ。昨日聞けなかったからざわざわしてたのよ」
「嘘吐け。霊夢がそんなこと気にしてるわけないだろ」
「言ってくれるわ。で、魔理沙は何をしに来たの?」
「見ての通りだぜ!」
境内の石畳に、柄の先をカチリと鳴らす。
まるで魔法使いが乗っていそうないい感じの箒だ。勿論、霊夢が手にしている庭掃き用の竹箒も、全く同じことが言えるのだが。
「私が空を飛ぶ様を、見せに来たんだ」
「何? 飛べると思ってるの?」
「飛べないわけがない、と思ってるんだよ」
「そう」
霊夢の、さして興味もないといった様子も気にせず、魔理沙は笑顔で胸を張っている。
その後ろで、にとりは相変わらず背中を丸めていた。
よーし見てろよーと言いながら、魔理沙は着々と空を飛ぶ準備をしていた。箒を持ち直して、跨って。
「さあにとり」
「……? 何?」
「乗れ」
「ひゅい!?」
「魔理沙……死人は出ないんでしょうね。まだ祈祷は習ってないわよ」
「勿論だぜ」
「ちょ、ちょっと待って!」
にとりが魔理沙の服の裾を引っ掴む。その顔は、魔理沙の言動が全て冗談であることを切願していた。
魔理沙はそんなにとりの腕を掴むと、自分の胸元まで男らしく引き寄せる。
「どうしたにとり」
「ち、近いよ魔理沙」
「近くていいんだ。しっかり掴まっておいたほうがむしろいい」
「なんで私を後ろに乗せる必要があるのさ!?」
「そりゃ……」
「別に私は――」
「昨日、にとりが空飛びたいって顔してたからな」
「――っ!」
魔理沙はにとりの目をじっと見た。
にとりは魔理沙の目をじっと見た。
にとりの顔はゆっくりと赤色に染まっていって、最後にはぷいっと顔ごと目を逸らした。
「どうせ飛ぶわけないんだ。危なくなんて、ない」
そう言うとにとりは、観念したかのように箒へと跨る。その表情は、何処となく高揚しているようだった。
「何か空を飛ぶコツでも掴んだの?」
「別にそんなものはない。ただ魔法使いを志してから、空を飛びたいという気持ちに関しては今が一番、高ぶってるよ」
霊夢が魔理沙に言った。
霊夢に魔理沙が言った。
「まぁ気負わないことね。空を飛ぶことなんて、簡単なんだから」
「ああ、そうだな。……自由なんてものは、目と鼻の先にありすぎて、見えないだけなんだ」
簡単に掴んでみせるさ。
そして、魔理沙はゆっくりと目を閉じた。
――飛ぶ。
空に浮いていくイメージなんて出来やしない。私は現実主義者だ。
それほど器用なわけでもない。他人の理性や自分の本能ばかりに縛られて生きている。
達観しているわけじゃないけど、私はきっとそうなんだろうな、っていうのが子どもながらにも分かる。
大事にされて大事にされて、大事にされすぎて気持ち悪い。
だから、私は解き放たれる。
――壊す。
当然のように仲良くしている、地面と靴の絆を壊す。
私の心を支配する、人間は地道を歩くべきであるという思いを壊す。
きっと越えられるはずがない、人間と鳥の垣根を壊す。
人間は選ぶことが出来るんだ。諦めてしまった人生をそのまま諦めることが出来るように。
壊すのは概念。壊すのは常識。壊すのは理性。壊すのは当然。壊すのは現実。
――この手にするのは、自由だ!
「――ま、魔理沙! ねえ、聞こえてる!? 魔理沙! 魔理沙!!」
悲鳴のような歓喜のような。どちらともつかない叫び声をあげるにとりに、魔理沙は気づいた。
「な、何だよにとり、急に」
「急にじゃないよぅ! ずっとだよ! ほら、“見下ろすんだ”! 魔理沙!」
そういえば先ほどから体の感覚がおかしい。にとりに急かされるまま、魔理沙は下を見た。
そこに、手のひらサイズの霊夢が居た。
「あ――」
目の前は澄み渡った青空だった。この瞬間、見据える先には魔理沙たちより高い所にあるものは無かった。
少し斜めに視線を向ければ、人里のような茶色い群落が見えて、更に視線を振り回せば、緑の絨毯が見えて、そそり立つ壁のように山があって、そして魔理沙はもう一度、真下に居る霊夢を見下ろした。
「本当に……飛んでるよ、魔理沙!」
魔理沙は、空に居た。
「霊夢……霊夢! どうだ霊夢! これが魔法使い霧雨魔理沙の、正真正銘、最初の魔法だぜ!」
「ばーか。それは浮いてるっていうのよ。それからどうする気なの? 飛ぶっていうのは、どういうことなの?」
「へっ! 言ってくれるぜ! 空を飛ぶっていう専売特許が奪われたからって……私に何もせがむんじゃないぜ!」
「ほざけ。私はそんながめつい人間にはならないわ――っと」
「よし。ああ言われちゃ黙ってられないな。にとり、し――――っかり私を掴んでろよ。振り落とされないように。魔理沙が最高の空旅をプレゼントするぜ」
「う、うん……っと、うわっ――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ…………!」
にとりが魔理沙の胴体に手を回して、魔理沙が箒をしっかりと握り込む。
そしてたった一息の瞬間。霊夢が思わず目を丸くしてしまうほどの速さで、二人の姿は森の向こうへと消えていった。
「……は」
「速いわねぇ。やっぱりあの子は天才だわ」
「うわびっくりしたぁ!」
残された霊夢の隣に突然現れたのは、何だか胡散臭い微笑みを浮かべた顔が、またこの上なく似合っている美しい女性だった。
「空を飛ぶというのは、輪廻や連鎖から解き放たれることのメタファーよ。この瞬間にあの……魔理沙だったかしら? あの子は立ち向かう術を手に入れた。将来霊夢が、博麗の巫女として正式に妖怪退治をするようになっていった時、きっとあの子は霊夢の隣か、はたまた背中か、もしくは正面に立ちはだかるようにして、霊夢の近くを飛び回るでしょう。それを手前に、今の気分はどうかしら?」
難しい顔で中身のないことを述べる女性に、霊夢は田植えを控えた農夫よろしく、全力で面倒くさそうな顔をして応対する。
「……別にどうってことはないわよ。遅かれ早かれ、魔理沙ならきっと空は飛べると思っていた」
「あら。評価してるのね?」
「私の友達だもの。それくらいやってくれないと」
「お熱いこと。それで結局、どうするの?」
「だから、別にどうってことないわ。ただいつも通りいつものように、アンタの問答に答えていくだけよ、紫」
その女性、八雲紫は自身の弟子とも取れる子の成長に、満足気な顔をする。
「……そ。――じゃあやりましょうか、博麗の巫女の修行を。じゃあ今日はお祓いでもやってみる?」
「これまた急ね。どうしてよ?」
「お友達の死霊が二人同時に現れても、冷静に対処が出来るようによ」
「……左様ですか」
紫がすっと空間を裂かせる。霊夢は、その中へと何のためらいもなく消えていった。
「うわぁっ、速い! 速いよ魔理沙! すごい……遠くの景色がくるくる回る。近い景色が、びゅんびゅん近づいて、遠くなる! いつか……いつか私も自分の体で、こうやって空を飛びたいなぁ!」
「うん……そうだな」
魔理沙の歯切れが悪い。にとりは少し首を傾げた。
「どうしたの、魔理沙」
「……いやぁ。今の私はアレなんだよ、地面に居るっていう安定した概念をぶっ壊すことで宙に居る。ということは、だ」
箒の先を傾けて、クンッと旋回する。来た道を戻って博麗神社へと向かうルートで。
「どうやって着地しようか?」
「は?」
「いや、着地の方法はもう決めてるんだよ……うん。ただそれをにとりに伝えておかないと、と思ってな。急にやってしまうと危ない」
「い、いやそれはアレだろう!? スピードを落としながらゆっくり高度を下げてそっと……」
「うん。それなんだよな。気づいているかは分からないがな。これ、速度は自由自在なんだけどさっきから高度を変えれてないんだよ」
「…………は?」
「大丈夫だ! 博麗神社の側に“堕ちる”から何か遭っても直ぐに霊夢が来る!」
「おいちょっと待て魔理沙! ふざけるんじゃない!! れ、冷静になろう! 何か手はあるはずだよ!」
「問題ない! ちゃんと木の上に落ちれば天然のクッションだぜ!」
「やめろって言ってるだろ! 話を聞けうわぁもう博麗神社が目の前だよ! ちょっと何魔理沙勝手に覚悟を決めてるんだよもう少し考えられるだろほら湖に向かって堕ちるとかそうだよ水の中なら私は全然問題ないっておい魔理沙聞いてうあおあおあおああああああああああああああああ落ちてるうううううううううううううううううううううちょっと待っ――――」
にとり→根っこから人間に不信感を抱くようになる
おお…なんと不憫なことか
にとりは可愛いなあ。
ただ、個人的には、あんまり数多くキャラを出さない作品のほうが好きなので、20点はその分です。
こうしてにとりは人間不信に陥るのでした……可愛そうに。
タグ通り爽やかなお話でした。
カッパが不憫じゃのぅw