欲しい物とか申しつけがあれば、何なりと。いつでもお呼び下さい。
そんなこと言われなくても、レミリア・スカーレットは、コンビニのおにぎりの開け方がわからないとかの理由で十六夜咲夜を呼び出すだろう。
しかしレミリアはコンビニのおにぎりを食べたことがなかった。見たことも無い。何しろ幻想郷にはコンビニもないし、コンビニおにぎりは幻想入りするには人気があり過ぎる。
そう、コンビニおにぎりは人気がある。何故あんな変な入れ物におにぎりが包まれているのかと言うと、のりがご飯に接触しているとのりが水気を吸ってしまい、パリパリではなくなってしまうからだそうだ。
コンビニおにぎりはたかがライスのボールにしては100円ちょいとやや値段が張り過ぎる感はあるかもしれない。しかしただ米を握って固めたのみの食糧でなく、ちゃんと『料理』としてクオリティを保持している。そんなコンビニおにぎりを、さっきも言ったようにレミリアは見たこともないので、今は全く関係がない。
レミリアが咲夜を呼び出したのも、全く別の用事からである。
「『自由』がさ、欲しいのよね、私」
「はい」
「思うんだけど、ここの窓。ほら、ここの窓から、外見えるじゃない。湖のトコではしゃぎまわってる妖精見える? ほら、今ちょうどいる。ほら」
「見えません」
「もうちょっと近寄っていいわよ」
「はい」
「ほら、ね。このクソ暑いのに、よく遊ぶわよね。ああやって日が暮れるまで遊んだら、うちに帰って風呂入ってあったかい布団で寝るのよね」
「さあ、どうでしょう。妖精が風呂に入るのを見たことがないですし…」
「や、別に妖精の生態を研究してるわけじゃないんだ。つまりさ」
「はい」
「人は誰だって実力を欲するけれど、それはより『自由』を手に入れるためである。じゃあ、こんな立派なお屋敷を持って、地上最強の強さを持って、そして、たかがお日様の下で遊ぶことすらできない私ってのは、何なのかしらね」
「いえ、それは違います。お嬢様は力で鬼に劣り、速さで天狗に劣っています。地上最強は無いでしょう」
「や、別に私の実力自慢をしたいわけじゃなくてね」
お嬢様の話はその後も、最後まで要領を得ず、何だか飽きれ気味に『もういいわ、どっか行って』と言われ、話は終わってしまった。
十六夜咲夜は、結局主が何のために自分を呼び出したのか全くわからぬまま、部屋を追い出されてしまったのである。
「失礼します」
一礼して部屋を出た。
すると、文字にするとすごく物騒なことが起こった。
悪魔が飛びかかってきたのだ。
「咲夜さん! 大丈夫でしたか!? 痛いことされませんでしたか!? 怖くなかったですかっ!?」
「ああ、うん。ありがとう。どいて」
パチュリー様がかつて召喚した『小悪魔』である。図書館で司書っぽいことをやる一方、ちょいちょい自分に絡んでくる。そうかと思えばしばしば外出し、人間と一緒に遊んだりするらしい。ちっとも悪魔らしくない。
「それで、何の用事だったのですか? お嬢様は」
「入るなり、妖精は風呂に入るのかって聞かれたわ」
「はあ。それで何て答えたんですか?」
「知らないって答えたわ」
「はあ」
「自分を最強とも仰られた気がする」
「それで何て答えたんですか?」
「それは無いって言ったわ」
「なんてこと言うんですか」
小悪魔は、かつては図書館にのみ居た。あの頃は、本の整理や読書などをして時間を過ごしていたそうだが、今は、人と話すのを楽しんでいるらしい。
召喚されるまでは魔界なる場所にいたらしく、こっちに住んでいる人々は小悪魔からすれば新鮮で、観察するのが楽しいと。
「さて、今から私の前を歩くのは許すけど、後ろは駄目よ」
「なんでそんなひどいこと言うんですか」
「モップかけるから」
「なるほど」
咲夜は全くひどいことなど言っていない。彼女は普段なら時間を止めてモップがけをするのに、小悪魔とのコミュニケーションを楽しむために、それをしないのだ。
「こあくまのこ~は~♪」
「股間のこ~」
「とっさに出る言葉がそれって女の子として相当駄目です、咲夜さん」
「じゃあ、コサックダンス」
「私コサックダンスだったんですね」
小悪魔との会話もどこか上の空の咲夜だが、そもそもいつも呆けているような性格のため、それも全然目立っていなかったのである。
………
……
…
咲夜は公務員に向いている。
何故なら17時を過ぎると一切仕事をしなくなってしまうからだ。たった今この瞬間から、咲夜の着ているメイド服は概念が仕事着から私服に変わる。
「さて、夕飯の支度をしないと」
咲夜は夕飯の支度をするべく、キッチンへ向かった。
夕飯の支度は勤務ではなく、紅魔館という家庭に住む自分の役割だと思っている。今日はお好み焼きを作ろうと思った。
「まず長いもをおろします」
キッチンにて、咲夜は袖をまくり、ネトネトする長いもをジャシジャシとすり始めた。
その一方で、考え事もしていた。
今日お嬢様に呼び出されたことについてだ。
確かに彼女は、わけのわからない用事で自分を呼び出すことがある。そして、呼び出されたと思ったらわけのわからない話をされたことだって、今日が初めてじゃない。
しかしさっき新しい発想を思いついたのだが、実は『わけのわからない話』は、自分などには到底理解が及ばないだけで、実はレミリアからしたらちゃんと意味の通った話になっているのではないだろうか。その可能性を考慮したことはなかった。
今日の妖精の話とかにしても、今にして思えば彼女は妖精が風呂に入るのかどうかを知りたがっていたのではない気がする。もっと違うことを言っていたはずだ。しかし具体的な話の内容をやはり覚えてはおらず…。
「ふおお」
持っていた長いもはすっかり液体になっており、咲夜は自らの指をおろした。
血が出て少し長いもと混ざったが、この館に限って血が混ざるトラブルはさして問題がない。
豆知識:咲夜の能力で時間を戻すと、怪我した指は戻らないが、おろした長いもは元に戻る。
「いいこと思いついた」
咲夜は次の長いもをおろしながら、いいことを思いついた。
自分如きではお嬢様の高度な話を理解することができない。では、小悪魔ならどうだろうか。
彼女は頭がいい。彼女にお嬢様の話を聞かせれば、正解にたどり着くまでは望まずとも、彼女なりの解釈を聞かせて貰えるかもしれない。
「それがいい。それは名案だわ、うん。そうしましょう」
「何やってるんですか咲夜さん」
背後から何者かに話しかけられることで、咲夜は流し場が長いもまみれになっていることに気付いた。ボールからとうの昔に溢れ出てしまっていたのだ。
「美鈴、あなた門番はどうしたの」
「いやですよ咲夜さん、17時過ぎたら働かなくていいって言ったの咲夜さんじゃないですか」
「それは私だけで、あなたは別よ。侵入者に終業時刻なんて無いんだから」
「そんなひどい。まあ大丈夫です、代わりに小悪魔を立たせてますから」
「貴様、人を使えるようになったとか、随分偉くなったものね」
「や、違うんです。彼女が自分から門番をやってみたいと申し出たのですよ」
「まああの子ならそれぐらい言うでしょうね」
好奇心が旺盛だから。
「それで咲夜さん、この大量の長いもどうするんです?」
「負けないぐらい大量のキャベツを切ります」
「うひゃあ」
今日の料理はやや大変そうだったので、美鈴が手伝いに来てくれて助かったと咲夜は思ったのだった。
………
……
…
「次に負けないぐらい大量の小麦粉を混ぜます」
「負けないぐらい大量の卵を」
「大量の肉を」
「もやしを」
「かまぼこを」
べしん!
「痛い! 何するんですか咲夜さん!」
「お好み焼きにかまぼことか何舐めた真似しくさろうとしてんの!」
「ええっ!? 私の家じゃ普通に入れてましたよ! おいしいんですよ! ていうか、私はかまぼこ入ってないとお好み焼き食ってる気がしないんです!」
咲夜は包丁を美鈴の眼前に突き付けた。
「言っとくわ。私のお好み焼きにかまぼこ入れたら*す…!」
「は、はい…」
「わー、いい匂い! 今晩はお好み焼きですか?」
背後から小悪魔の声がした。本日のキッチンは千客万来だ。
彼女は美鈴の弁によると確か今門番をしていないとおかしいはずなのだが、それは胸の内にそっとしまいこんだ咲夜だった。
「あ、かまぼこ! いいですねー、私、かまぼこ入っていないとお好み焼き食べたって感じがしないんですよ。さすが咲夜さんですね!」
「そうでしょ? こう見えて私、お好み焼きわかってるから」
咲夜は生地にかまぼこを追加した。生地の匂いをクンクンと嗅いでみたが、ここからいい匂いはしないなぁ、と思った。
さて、これであとは焼くだけだ。
「美鈴、ヘラそこの棚にあるから取って」
「…はい」
「そしたら、倉庫に行って鉄板と薪とコンクリートブロックを準備してね」
「え? 何? フライパンで焼かないんですか?」
「こんな大量の生地をフライパンで焼けるわけないじゃない」
いや、別に焼けると思います。とツッコもうとした小悪魔だったが、咲夜が妙に真剣にズレたことをやっているのを見るのが好きなので、そのままことの経過を見送ることにしたのだった。
………
……
…
「どうしましょう咲夜さん、これヘラじゃひっくり返りませんよ」
夜の紅魔館。
庭には巨大な鉄板の上に、巨大なお好み焼きが存在していた。半径2メートルはある。
ジュウジュウと香ばしい香りとともに湯気を立ち上げており、なんだなんだと集まった館中の妖精メイドが見物していた。
「咲夜さん咲夜さん、こんなの持ってきました。二人で協力すればひっくり返せますよ」
「でかした」
小悪魔が持ってきた二枚のでっかい薄っぺらな材木を利用して、巨大お好み焼きをひっくり返すことで、この巨大お好み焼きは完成となる。
「よし、片方は私が持つわ。美鈴そっちお願い」
「わかりました。それじゃ、3.2.1で行きましょう」
「3.2.1の1で行くのね?」
「いや、3.2.1、ウンッ! で行きましょう」
「3.2.1、…ウンッ! で行くのね?」
「や、ちょっと今のタイミングおかしいです咲夜さん。1から一拍子置かなくていいですから」
「いいから早く返してください。焦げますよ」
「ええい、ままよ! 行くわよ美鈴、それッ、3.2.1!」
「わっ、そんないきなり!」
しかし奇跡的にタイミングが合い、巨大お好み焼きは見事にひっくり返った。
周りからは『おおおおおお』と歓声とともに拍手まで聞こえていた。何しろ今ミスってお好み焼きが地面にぶちまけたりなんかしたら、自分たちの夕飯も無しになってしまう瀬戸際だったのである。
「よしよし。それじゃそろそろ火を消しましょう。移すお皿も無いからこのまま立食ね。立食パーティね」
「私の知ってる立食パーティーと違う」
小悪魔がきびきびと動き、人数分の紙皿と割り箸まで用意してくれたので、食事はスムーズに運んだ。
「おいおい。夜の王に対して割り箸と紙皿で立って飯を食えとは、ずいぶんなことだな」
これだけの騒ぎをレミリアが聞きつけないのもおかしなことである。しかし騒ぎではなく美味しそうな匂いが気になって来たのである。
「あっ、申し訳ありませんお嬢様。すぐに椅子の準備を」
「いいよ、別に。たまにはこういうのもおつなもんだ」
レミリアは巨大お好み焼きから少々を切りはなし、ソースとマヨネーズをかけてもぐもぐと食した。
「うん、ウマい」
「そうですか、よかったです」
「…うん。ありがとう、咲夜」
「…? ありがとうとは?」
「やだな。今日私が、日中外に出れないことを気にしているようなことを言ったから、せめて食事だけでもいつもと違う野外で楽しい食事をと思って取り計らってくれたんだろ。やっぱりお前は優秀なメイドだ」
「はは、それほどでもあります。こう見えて私、お好み焼きわかってますから」
「そうか」
咲夜も巨大お好み焼きを切り離して、大量のマヨネーズで真っ白にしてから食した。咲夜はマヨラーだったのだ。
………
……
…
「う~ん、これはわからない」
巨大お好み焼きの日から、一週間が経過していた。
一週間かけて、咲夜は自分の記憶を本にする魔法を、図書館で少しずつ研究していた。
そしてそれがやっと完成したので、小悪魔に、これまでレミリアから聞かされた、わけのわからない話を読ませてみたのである。
「なんでしょうかね、これは」
「私にも皆目だわ」
「でも少なくとも一週間前のこれは、妖精が風呂に入るかどうかを知りたがっていたのではないと思います」
「やっぱりそうかしら。私、お好み焼き以外はてんで駄目だから」
図書館の一角にて、咲夜と小悪魔は本をめくり、ああでもないこうでもないと議論を重ねていたのだ。
「あれ? なんですか、これ。コンビニおにぎり?」
「こら、勝手に人の記憶を読まないのよ。貴女が読んでいいのはお嬢様のお話のところだけ」
「ご、ごめんなさい」
巨大お好み焼きの前の日、八雲紫から食わされた『コンビニおにぎり』なるものは、大変美味だった。
普通おにぎりと言えば携帯食料であり、冷たいおにぎりと言えば、のりがべじょっとくっついて、米もなんだか残念なことになっている物を想像する。
しかし八雲紫がくれた奴は、なんとも言えず美味だった。他にも何ちゃらソンとか何ちゃらマのおにぎりもあるが、自分にくれた奴が、彼女は一番好みらしい。よくわからない。
「この日のレミリア様は、何だか散歩に行きたいようなことを仄めかしていますし、この日のレミリア様は、ご自身の能力を自慢しているようですし、この日のレミリア様は、ご自身の不自由さの不満を語っているようですし、…それと、これは昨日のものですよね?」
「ええ。昨日のことだからよく覚えているわ。『私がどんなことをしたって、あなたは私の側にいてくれる?』って聞かれたわ」
「それで、どう答えたんですか?」
「もちろんですって答えたわ」
「さすがです」
二人の会話を聞きながら、図書館の別の一角で、パチュリー・ノーレッジは小さく笑った。
あの子の、不器用を通り越して、もはや馬鹿と言いたくなるぐらいの性格は、ちっとも変わっていないものだ。もっとも、自分はそんな彼女が好きだから、いつまでも彼女の友人を名乗り、ここにいるわけなのだが。
「さて…、久しぶりの運動になりそうね。こないだ作ったスペルカードはどこに行ったかしら…貧血で全部は唱えられそうにないけれど」
………
……
…
その数日後、紅魔館より、幻想郷中を包み込む紅い霧が発生した。
パチュリーはそのことを事前に知っていた。夜な夜な、レミリアが図書館に忍び込んでは、霧を発生させる魔法を本で読んで勉強していたのを知っていたからだ。
咲夜といいレミリアといい、なぜか行動が似ているものだと、面白く思っていたのだ。
「……コホン、んっんっ」
先ほどから、紅魔館は大騒ぎだ。門から始まった騒ぎは段々近づいてきて、ついには図書館内部にまで達成し、妖精メイドやトラップの入り乱れる、大変騒がしい空間と化していた。
さっさと静かにして、読書を楽しみたいものだ。紅茶はしばらくやってこないだろうけれど。
「そこの紅白! 私の書斎で暴れない!」
「書斎?」
「お嬢様になんの用?」
「霧の出しすぎで、困る」
「じゃぁ、お嬢様には絶対会わせないわ」
………
……
…
要するに、レミリアは。
傘も持たずに、堂々と、太陽の下を歩いてみたかったのだ。
「あー、いい天気ね」
レミリアは、両腕をウンとお日様に向かって伸ばして伸びをした。
頭上に輝く太陽は、容赦なく吸血鬼の命を奪いかねない危険なものだが、霧のおかげでその威力は薄れ、吸血鬼の肌を焼く程のものではなくなっていた。むしろ適度に暖かく、未知の心地よさすら生んでいた。
もっとも霧のせいで、せっかくの外でも、一メートル前の風景が霞んで見える状態だが…。
「そうですわね」
しかし、全然霞まない距離に、一番必要な人がいる。だったら風景が見えないことなど、些細な問題だ。
自分には彼女さえいれば、いいのだから。
「それにしても、驚きです。この霧」
「ハハン、スゴイだろう。私ほどになれば、霧を出す程度の魔法は朝飯前なのさ」
「ええ、私はてっきりレミリア様のお尻かどこかから、絶えず霧を噴出しているものと思っていましたよ」
「まあ本来は体から出すものなんだけど、今回は流石に道具を使ったよ」
二人は外にいた。ちょっとした散歩で、荷物なんか何も必要ない。二人とも手ぶらである。
レミリアの右側に咲夜がいて、咲夜の左手に、傘はない。なら、代わりのものを何かしら握りたくなるのは必然である。
レミリアは、咲夜と手を繋いで歩いたことが一度もなかったのだ。
………
……
…
それからどれぐらいしてかは知らないが、館より「むきゅー」という、世に発する者が二人もいないであろう悲鳴が聞こえた。
「あっ、パチュリー様が殺されましたわ」
「おや、本当だな。こりゃ大変だ」
「次は、私が行かないと」
「殺されにかい?」
「殺されても、死にませんわ」
するりと、二人の手が離れた。そして咲夜は時間を止めて館に戻り、モップを持って全速力で紅白の巫女に向かって突進をした。
「あー、お掃除が進まない! お嬢様に怒られるじゃない!!」
………
……
…
博麗の巫女はやはり強く、咲夜は歯が立たなかった。
咲夜は、人の気持ちを理解するのが苦手だという自身の欠点を自覚していた。今回の異変が起こるまでレミリアの気持ちも理解できずにいたことも悔いていた。
だが、今主が望んでいることならわかる。今発生しているこの霧を、要するに一分一秒でも長く、止めさせないでいることが、主への奉仕だと、咲夜は考えていた。
やることさえわかっていれば、あとは突っ走るのみ。実力行使は、咲夜の得意技だった。
相手の望む通りに戦い、さらに力で圧倒する。これが文句を言わせないコツである。
「お嬢様に怒られる前に、せめて1ボムでも潰させないと!」
スペルはもう全て使い果たしてしまったため、適当な名前を宣言し、やたらめったら弾をばら撒き始めたのである。
………
……
…
咲夜は日に二度の敗北を喫し、そしていよいよ、霊夢とレミリアの戦闘が始まった。
レミリアは、持てる限りの実力を以て戦った。しかし、最後まで霧を発生させている使い魔を止めようとはしなかった。
そんなところに割く魔力さえケチらなければ、ひょっとすれば巫女に一太刀ぐらい浴びせることができたかもしれないのに。
レミリアは、霊夢との戦いに敗れてしまった。
スペルカード戦で負けたら、敗者はおとなしく負けを認める。それが幻想郷のルールだった。
だから敗者たるレミリアは、負けたからには、やはり霧を止めなければならない。
「…ねえ、霧を止めるの、あとちょっとだけ待って貰うのって駄目? あと五分弱ぐらい」
「駄目」
「…そっか、わかった」
レミリアが霧を止め、幻想郷の霧は晴れた。こうしてこの異変は、無事解決したということになる。
………
……
…
「びえええええええん!! ぱぁあああちぇええええ!!! 負けちゃったよぉおおおおお!!!」
「あーはいはい、いい子いい子。それより図書館の復旧作業手伝って」
散々(主に霊夢が)暴れ回ったせいで、図書館は壊滅的な被害を受けていた。道中の小悪魔が、負けていいよと言われていたのに無理に頑張ったものだから、それもやはり被害を広めていた。
「ごめんなさい、パチュリー様。私も頑張れば一機ぐらい奪えるかと…」
「あぁ、いいのよいいのよ。むしろ、よく働いてくれたわ」
「…? そうですか?」
自分は暴れるだけ暴れて、結局巫女に1ボム消費させることもできなかったのに。
それなのに、のちになぜか咲夜からも礼を言われて、小悪魔は、一体どうしてみんなが自分を褒めてくれるのか、さっぱりわからなかったのである。
咲夜は、自分が他人の気持ちを理解するのが苦手だということを自覚していた。
レミリアが霧を発生させるまで、彼女の気持ちを汲み取れなかったことを反省もしていた。
しかし、たかが一緒に散歩に行こうと言うのに、ああまで回りくどく言うことはあるまいと、パチュリーは思ったのだった。
「それにしても咲夜よ、なんだあれは。奇術エターナルなんちゃら」
咲夜をしても、冷静になって思い返すと、やはりあれは恥ずかしいものであったのだった。
………
……
…
あの巨大お好み焼きのパーティが、館の妖精メイドから好評だったことで、月に一度ぐらいのペースで、野外で派手な夕食パーティをするというのが、紅魔館の恒例行事になりつつあった。
「美鈴ッ、準備はいい!? 3.2.1、ハイッ!」
「ひぃぃい!!」
何故か今回もひっくり返す手間を要する巨大料理を製造するハメになったのであった。長いもと小麦粉と卵及びさまざまな具を混ぜて完成させる物体。そう、またお好み焼きである。
「やったー! 無事ひっくり返りました! 美鈴さんすごい!」
「もはやこれ、掛け声とか関係なしに、咲夜さんの動きに私が合わせるだけになってますよ…」
「それで上手くいくのならいいのよ。流石は美鈴の気遣う程度の能力だわ」
「そんなのじゃないです」
前回は、考え事をしていた咲夜がうっかり長いもをおろし過ぎてしまい、突発的に起こった巨大お好み焼きパーティだったが、今回は咲夜が日付を計画して開催したものだ。
「おお、ウマそうじゃないか」
呼ばれずともやはりレミリアは居た。そしてお好み焼きを取り、もりもりと食したのだった。
「咲夜さん、それヤバいですって! 本当に食べるんですか!?」
「普通よこのぐらい。むしろ今日は少ないぐらい。私の本領は豚の生姜焼きの時にこそ発揮される」
咲夜がマヨネーズびたしのお好み焼きを食うパフォーマンスは人気があった。ギャグでやっているようにしか見えないのだが、マヨラーの常識は凡人には狂気にしか映らないものである。
「やれやれ、うちの住民はどいつもこいつも騒がしいな」
「レミリア様! 見覚えのないメイドが混じってると思ったら、こいつ霊夢です! 食い物の匂い嗅ぎつけてきやがった! みんな戦闘準備!」
「バレたか」
かくしてお好み焼きパーティは、急きょ弾幕パーティに変更されたのだった。
しかしそのパーティの出席者に、咲夜とレミリアだけが含まれなかった。隙を見て、二人だけで散歩に行ってしまったのである。
「全く、騒がしいことですね、うちのメイドたちは」
「本当だな」
気温の高い夜だった。蝉の鳴き声も大分している。
レミリアと咲夜の二人は、手ぶらで歩いていた。
「お嬢様、今日は『テンション』が高いのではないですか?」
「ん? 何で? 言われてみれば確かにそうだが」
「だって、今日は満月ではないですか」
「ははっ、なるほど」
太陽の代わりに、お月様が辺りを照らしているので、不思議に明るい。
「太陽ほど派手ではありませんが、月明かりというのもこれで風情があるものなのです」
「私の十分の一も生きてない人間が風情を語るか。ああ、本当にテンション上がってきた。なんか面白い話ないのか、咲夜」
「以前食べたやたらおいしいコンビニおにぎりの話をいたしましょうか」
「何だそれ、普通のおにぎりとは違うのか」
「三つ頂いたのですが、全ておいしかったのです」
「おいおい」
一つ目を食べて、あまりのおいしさに、残る二つをレミリアと一緒に、ピクニックにでも行って食べてみたいものだと思ったのだが、よくよく考えたらレミリアは外出を好まないし、となればやっぱりこのおにぎりは全て自分の物にすべきであると、咲夜は考えたのだった。
「海老マヨはおいしかったのですが、マヨがちょっと足りない感じでしたわ」
「いいよもうその話。何も面白くない」
「次の話題が全然出てこないのです」
「いいよ、ゆっくり考えて。次にお日様が上るまではまだたっぷり時間があるんだ」
そう、少なくとも咲夜が話題を考えている分だけ、二人は一緒にいることができるのだから。
「今、時間を止めて図書館で『日常で使えるジョーク集』を読破してきましたわ。すべては万事OKです。まずは男性恐怖症の女と女性恐怖症の男がエレベーターに閉じ込められた話を」
どこか抜けているのがかわいい咲夜である。にわかに肩を透かされた気持ちもした。
そんなこと言われなくても、レミリア・スカーレットは、コンビニのおにぎりの開け方がわからないとかの理由で十六夜咲夜を呼び出すだろう。
しかしレミリアはコンビニのおにぎりを食べたことがなかった。見たことも無い。何しろ幻想郷にはコンビニもないし、コンビニおにぎりは幻想入りするには人気があり過ぎる。
そう、コンビニおにぎりは人気がある。何故あんな変な入れ物におにぎりが包まれているのかと言うと、のりがご飯に接触しているとのりが水気を吸ってしまい、パリパリではなくなってしまうからだそうだ。
コンビニおにぎりはたかがライスのボールにしては100円ちょいとやや値段が張り過ぎる感はあるかもしれない。しかしただ米を握って固めたのみの食糧でなく、ちゃんと『料理』としてクオリティを保持している。そんなコンビニおにぎりを、さっきも言ったようにレミリアは見たこともないので、今は全く関係がない。
レミリアが咲夜を呼び出したのも、全く別の用事からである。
「『自由』がさ、欲しいのよね、私」
「はい」
「思うんだけど、ここの窓。ほら、ここの窓から、外見えるじゃない。湖のトコではしゃぎまわってる妖精見える? ほら、今ちょうどいる。ほら」
「見えません」
「もうちょっと近寄っていいわよ」
「はい」
「ほら、ね。このクソ暑いのに、よく遊ぶわよね。ああやって日が暮れるまで遊んだら、うちに帰って風呂入ってあったかい布団で寝るのよね」
「さあ、どうでしょう。妖精が風呂に入るのを見たことがないですし…」
「や、別に妖精の生態を研究してるわけじゃないんだ。つまりさ」
「はい」
「人は誰だって実力を欲するけれど、それはより『自由』を手に入れるためである。じゃあ、こんな立派なお屋敷を持って、地上最強の強さを持って、そして、たかがお日様の下で遊ぶことすらできない私ってのは、何なのかしらね」
「いえ、それは違います。お嬢様は力で鬼に劣り、速さで天狗に劣っています。地上最強は無いでしょう」
「や、別に私の実力自慢をしたいわけじゃなくてね」
お嬢様の話はその後も、最後まで要領を得ず、何だか飽きれ気味に『もういいわ、どっか行って』と言われ、話は終わってしまった。
十六夜咲夜は、結局主が何のために自分を呼び出したのか全くわからぬまま、部屋を追い出されてしまったのである。
「失礼します」
一礼して部屋を出た。
すると、文字にするとすごく物騒なことが起こった。
悪魔が飛びかかってきたのだ。
「咲夜さん! 大丈夫でしたか!? 痛いことされませんでしたか!? 怖くなかったですかっ!?」
「ああ、うん。ありがとう。どいて」
パチュリー様がかつて召喚した『小悪魔』である。図書館で司書っぽいことをやる一方、ちょいちょい自分に絡んでくる。そうかと思えばしばしば外出し、人間と一緒に遊んだりするらしい。ちっとも悪魔らしくない。
「それで、何の用事だったのですか? お嬢様は」
「入るなり、妖精は風呂に入るのかって聞かれたわ」
「はあ。それで何て答えたんですか?」
「知らないって答えたわ」
「はあ」
「自分を最強とも仰られた気がする」
「それで何て答えたんですか?」
「それは無いって言ったわ」
「なんてこと言うんですか」
小悪魔は、かつては図書館にのみ居た。あの頃は、本の整理や読書などをして時間を過ごしていたそうだが、今は、人と話すのを楽しんでいるらしい。
召喚されるまでは魔界なる場所にいたらしく、こっちに住んでいる人々は小悪魔からすれば新鮮で、観察するのが楽しいと。
「さて、今から私の前を歩くのは許すけど、後ろは駄目よ」
「なんでそんなひどいこと言うんですか」
「モップかけるから」
「なるほど」
咲夜は全くひどいことなど言っていない。彼女は普段なら時間を止めてモップがけをするのに、小悪魔とのコミュニケーションを楽しむために、それをしないのだ。
「こあくまのこ~は~♪」
「股間のこ~」
「とっさに出る言葉がそれって女の子として相当駄目です、咲夜さん」
「じゃあ、コサックダンス」
「私コサックダンスだったんですね」
小悪魔との会話もどこか上の空の咲夜だが、そもそもいつも呆けているような性格のため、それも全然目立っていなかったのである。
………
……
…
咲夜は公務員に向いている。
何故なら17時を過ぎると一切仕事をしなくなってしまうからだ。たった今この瞬間から、咲夜の着ているメイド服は概念が仕事着から私服に変わる。
「さて、夕飯の支度をしないと」
咲夜は夕飯の支度をするべく、キッチンへ向かった。
夕飯の支度は勤務ではなく、紅魔館という家庭に住む自分の役割だと思っている。今日はお好み焼きを作ろうと思った。
「まず長いもをおろします」
キッチンにて、咲夜は袖をまくり、ネトネトする長いもをジャシジャシとすり始めた。
その一方で、考え事もしていた。
今日お嬢様に呼び出されたことについてだ。
確かに彼女は、わけのわからない用事で自分を呼び出すことがある。そして、呼び出されたと思ったらわけのわからない話をされたことだって、今日が初めてじゃない。
しかしさっき新しい発想を思いついたのだが、実は『わけのわからない話』は、自分などには到底理解が及ばないだけで、実はレミリアからしたらちゃんと意味の通った話になっているのではないだろうか。その可能性を考慮したことはなかった。
今日の妖精の話とかにしても、今にして思えば彼女は妖精が風呂に入るのかどうかを知りたがっていたのではない気がする。もっと違うことを言っていたはずだ。しかし具体的な話の内容をやはり覚えてはおらず…。
「ふおお」
持っていた長いもはすっかり液体になっており、咲夜は自らの指をおろした。
血が出て少し長いもと混ざったが、この館に限って血が混ざるトラブルはさして問題がない。
豆知識:咲夜の能力で時間を戻すと、怪我した指は戻らないが、おろした長いもは元に戻る。
「いいこと思いついた」
咲夜は次の長いもをおろしながら、いいことを思いついた。
自分如きではお嬢様の高度な話を理解することができない。では、小悪魔ならどうだろうか。
彼女は頭がいい。彼女にお嬢様の話を聞かせれば、正解にたどり着くまでは望まずとも、彼女なりの解釈を聞かせて貰えるかもしれない。
「それがいい。それは名案だわ、うん。そうしましょう」
「何やってるんですか咲夜さん」
背後から何者かに話しかけられることで、咲夜は流し場が長いもまみれになっていることに気付いた。ボールからとうの昔に溢れ出てしまっていたのだ。
「美鈴、あなた門番はどうしたの」
「いやですよ咲夜さん、17時過ぎたら働かなくていいって言ったの咲夜さんじゃないですか」
「それは私だけで、あなたは別よ。侵入者に終業時刻なんて無いんだから」
「そんなひどい。まあ大丈夫です、代わりに小悪魔を立たせてますから」
「貴様、人を使えるようになったとか、随分偉くなったものね」
「や、違うんです。彼女が自分から門番をやってみたいと申し出たのですよ」
「まああの子ならそれぐらい言うでしょうね」
好奇心が旺盛だから。
「それで咲夜さん、この大量の長いもどうするんです?」
「負けないぐらい大量のキャベツを切ります」
「うひゃあ」
今日の料理はやや大変そうだったので、美鈴が手伝いに来てくれて助かったと咲夜は思ったのだった。
………
……
…
「次に負けないぐらい大量の小麦粉を混ぜます」
「負けないぐらい大量の卵を」
「大量の肉を」
「もやしを」
「かまぼこを」
べしん!
「痛い! 何するんですか咲夜さん!」
「お好み焼きにかまぼことか何舐めた真似しくさろうとしてんの!」
「ええっ!? 私の家じゃ普通に入れてましたよ! おいしいんですよ! ていうか、私はかまぼこ入ってないとお好み焼き食ってる気がしないんです!」
咲夜は包丁を美鈴の眼前に突き付けた。
「言っとくわ。私のお好み焼きにかまぼこ入れたら*す…!」
「は、はい…」
「わー、いい匂い! 今晩はお好み焼きですか?」
背後から小悪魔の声がした。本日のキッチンは千客万来だ。
彼女は美鈴の弁によると確か今門番をしていないとおかしいはずなのだが、それは胸の内にそっとしまいこんだ咲夜だった。
「あ、かまぼこ! いいですねー、私、かまぼこ入っていないとお好み焼き食べたって感じがしないんですよ。さすが咲夜さんですね!」
「そうでしょ? こう見えて私、お好み焼きわかってるから」
咲夜は生地にかまぼこを追加した。生地の匂いをクンクンと嗅いでみたが、ここからいい匂いはしないなぁ、と思った。
さて、これであとは焼くだけだ。
「美鈴、ヘラそこの棚にあるから取って」
「…はい」
「そしたら、倉庫に行って鉄板と薪とコンクリートブロックを準備してね」
「え? 何? フライパンで焼かないんですか?」
「こんな大量の生地をフライパンで焼けるわけないじゃない」
いや、別に焼けると思います。とツッコもうとした小悪魔だったが、咲夜が妙に真剣にズレたことをやっているのを見るのが好きなので、そのままことの経過を見送ることにしたのだった。
………
……
…
「どうしましょう咲夜さん、これヘラじゃひっくり返りませんよ」
夜の紅魔館。
庭には巨大な鉄板の上に、巨大なお好み焼きが存在していた。半径2メートルはある。
ジュウジュウと香ばしい香りとともに湯気を立ち上げており、なんだなんだと集まった館中の妖精メイドが見物していた。
「咲夜さん咲夜さん、こんなの持ってきました。二人で協力すればひっくり返せますよ」
「でかした」
小悪魔が持ってきた二枚のでっかい薄っぺらな材木を利用して、巨大お好み焼きをひっくり返すことで、この巨大お好み焼きは完成となる。
「よし、片方は私が持つわ。美鈴そっちお願い」
「わかりました。それじゃ、3.2.1で行きましょう」
「3.2.1の1で行くのね?」
「いや、3.2.1、ウンッ! で行きましょう」
「3.2.1、…ウンッ! で行くのね?」
「や、ちょっと今のタイミングおかしいです咲夜さん。1から一拍子置かなくていいですから」
「いいから早く返してください。焦げますよ」
「ええい、ままよ! 行くわよ美鈴、それッ、3.2.1!」
「わっ、そんないきなり!」
しかし奇跡的にタイミングが合い、巨大お好み焼きは見事にひっくり返った。
周りからは『おおおおおお』と歓声とともに拍手まで聞こえていた。何しろ今ミスってお好み焼きが地面にぶちまけたりなんかしたら、自分たちの夕飯も無しになってしまう瀬戸際だったのである。
「よしよし。それじゃそろそろ火を消しましょう。移すお皿も無いからこのまま立食ね。立食パーティね」
「私の知ってる立食パーティーと違う」
小悪魔がきびきびと動き、人数分の紙皿と割り箸まで用意してくれたので、食事はスムーズに運んだ。
「おいおい。夜の王に対して割り箸と紙皿で立って飯を食えとは、ずいぶんなことだな」
これだけの騒ぎをレミリアが聞きつけないのもおかしなことである。しかし騒ぎではなく美味しそうな匂いが気になって来たのである。
「あっ、申し訳ありませんお嬢様。すぐに椅子の準備を」
「いいよ、別に。たまにはこういうのもおつなもんだ」
レミリアは巨大お好み焼きから少々を切りはなし、ソースとマヨネーズをかけてもぐもぐと食した。
「うん、ウマい」
「そうですか、よかったです」
「…うん。ありがとう、咲夜」
「…? ありがとうとは?」
「やだな。今日私が、日中外に出れないことを気にしているようなことを言ったから、せめて食事だけでもいつもと違う野外で楽しい食事をと思って取り計らってくれたんだろ。やっぱりお前は優秀なメイドだ」
「はは、それほどでもあります。こう見えて私、お好み焼きわかってますから」
「そうか」
咲夜も巨大お好み焼きを切り離して、大量のマヨネーズで真っ白にしてから食した。咲夜はマヨラーだったのだ。
………
……
…
「う~ん、これはわからない」
巨大お好み焼きの日から、一週間が経過していた。
一週間かけて、咲夜は自分の記憶を本にする魔法を、図書館で少しずつ研究していた。
そしてそれがやっと完成したので、小悪魔に、これまでレミリアから聞かされた、わけのわからない話を読ませてみたのである。
「なんでしょうかね、これは」
「私にも皆目だわ」
「でも少なくとも一週間前のこれは、妖精が風呂に入るかどうかを知りたがっていたのではないと思います」
「やっぱりそうかしら。私、お好み焼き以外はてんで駄目だから」
図書館の一角にて、咲夜と小悪魔は本をめくり、ああでもないこうでもないと議論を重ねていたのだ。
「あれ? なんですか、これ。コンビニおにぎり?」
「こら、勝手に人の記憶を読まないのよ。貴女が読んでいいのはお嬢様のお話のところだけ」
「ご、ごめんなさい」
巨大お好み焼きの前の日、八雲紫から食わされた『コンビニおにぎり』なるものは、大変美味だった。
普通おにぎりと言えば携帯食料であり、冷たいおにぎりと言えば、のりがべじょっとくっついて、米もなんだか残念なことになっている物を想像する。
しかし八雲紫がくれた奴は、なんとも言えず美味だった。他にも何ちゃらソンとか何ちゃらマのおにぎりもあるが、自分にくれた奴が、彼女は一番好みらしい。よくわからない。
「この日のレミリア様は、何だか散歩に行きたいようなことを仄めかしていますし、この日のレミリア様は、ご自身の能力を自慢しているようですし、この日のレミリア様は、ご自身の不自由さの不満を語っているようですし、…それと、これは昨日のものですよね?」
「ええ。昨日のことだからよく覚えているわ。『私がどんなことをしたって、あなたは私の側にいてくれる?』って聞かれたわ」
「それで、どう答えたんですか?」
「もちろんですって答えたわ」
「さすがです」
二人の会話を聞きながら、図書館の別の一角で、パチュリー・ノーレッジは小さく笑った。
あの子の、不器用を通り越して、もはや馬鹿と言いたくなるぐらいの性格は、ちっとも変わっていないものだ。もっとも、自分はそんな彼女が好きだから、いつまでも彼女の友人を名乗り、ここにいるわけなのだが。
「さて…、久しぶりの運動になりそうね。こないだ作ったスペルカードはどこに行ったかしら…貧血で全部は唱えられそうにないけれど」
………
……
…
その数日後、紅魔館より、幻想郷中を包み込む紅い霧が発生した。
パチュリーはそのことを事前に知っていた。夜な夜な、レミリアが図書館に忍び込んでは、霧を発生させる魔法を本で読んで勉強していたのを知っていたからだ。
咲夜といいレミリアといい、なぜか行動が似ているものだと、面白く思っていたのだ。
「……コホン、んっんっ」
先ほどから、紅魔館は大騒ぎだ。門から始まった騒ぎは段々近づいてきて、ついには図書館内部にまで達成し、妖精メイドやトラップの入り乱れる、大変騒がしい空間と化していた。
さっさと静かにして、読書を楽しみたいものだ。紅茶はしばらくやってこないだろうけれど。
「そこの紅白! 私の書斎で暴れない!」
「書斎?」
「お嬢様になんの用?」
「霧の出しすぎで、困る」
「じゃぁ、お嬢様には絶対会わせないわ」
………
……
…
要するに、レミリアは。
傘も持たずに、堂々と、太陽の下を歩いてみたかったのだ。
「あー、いい天気ね」
レミリアは、両腕をウンとお日様に向かって伸ばして伸びをした。
頭上に輝く太陽は、容赦なく吸血鬼の命を奪いかねない危険なものだが、霧のおかげでその威力は薄れ、吸血鬼の肌を焼く程のものではなくなっていた。むしろ適度に暖かく、未知の心地よさすら生んでいた。
もっとも霧のせいで、せっかくの外でも、一メートル前の風景が霞んで見える状態だが…。
「そうですわね」
しかし、全然霞まない距離に、一番必要な人がいる。だったら風景が見えないことなど、些細な問題だ。
自分には彼女さえいれば、いいのだから。
「それにしても、驚きです。この霧」
「ハハン、スゴイだろう。私ほどになれば、霧を出す程度の魔法は朝飯前なのさ」
「ええ、私はてっきりレミリア様のお尻かどこかから、絶えず霧を噴出しているものと思っていましたよ」
「まあ本来は体から出すものなんだけど、今回は流石に道具を使ったよ」
二人は外にいた。ちょっとした散歩で、荷物なんか何も必要ない。二人とも手ぶらである。
レミリアの右側に咲夜がいて、咲夜の左手に、傘はない。なら、代わりのものを何かしら握りたくなるのは必然である。
レミリアは、咲夜と手を繋いで歩いたことが一度もなかったのだ。
………
……
…
それからどれぐらいしてかは知らないが、館より「むきゅー」という、世に発する者が二人もいないであろう悲鳴が聞こえた。
「あっ、パチュリー様が殺されましたわ」
「おや、本当だな。こりゃ大変だ」
「次は、私が行かないと」
「殺されにかい?」
「殺されても、死にませんわ」
するりと、二人の手が離れた。そして咲夜は時間を止めて館に戻り、モップを持って全速力で紅白の巫女に向かって突進をした。
「あー、お掃除が進まない! お嬢様に怒られるじゃない!!」
………
……
…
博麗の巫女はやはり強く、咲夜は歯が立たなかった。
咲夜は、人の気持ちを理解するのが苦手だという自身の欠点を自覚していた。今回の異変が起こるまでレミリアの気持ちも理解できずにいたことも悔いていた。
だが、今主が望んでいることならわかる。今発生しているこの霧を、要するに一分一秒でも長く、止めさせないでいることが、主への奉仕だと、咲夜は考えていた。
やることさえわかっていれば、あとは突っ走るのみ。実力行使は、咲夜の得意技だった。
相手の望む通りに戦い、さらに力で圧倒する。これが文句を言わせないコツである。
「お嬢様に怒られる前に、せめて1ボムでも潰させないと!」
スペルはもう全て使い果たしてしまったため、適当な名前を宣言し、やたらめったら弾をばら撒き始めたのである。
………
……
…
咲夜は日に二度の敗北を喫し、そしていよいよ、霊夢とレミリアの戦闘が始まった。
レミリアは、持てる限りの実力を以て戦った。しかし、最後まで霧を発生させている使い魔を止めようとはしなかった。
そんなところに割く魔力さえケチらなければ、ひょっとすれば巫女に一太刀ぐらい浴びせることができたかもしれないのに。
レミリアは、霊夢との戦いに敗れてしまった。
スペルカード戦で負けたら、敗者はおとなしく負けを認める。それが幻想郷のルールだった。
だから敗者たるレミリアは、負けたからには、やはり霧を止めなければならない。
「…ねえ、霧を止めるの、あとちょっとだけ待って貰うのって駄目? あと五分弱ぐらい」
「駄目」
「…そっか、わかった」
レミリアが霧を止め、幻想郷の霧は晴れた。こうしてこの異変は、無事解決したということになる。
………
……
…
「びえええええええん!! ぱぁあああちぇええええ!!! 負けちゃったよぉおおおおお!!!」
「あーはいはい、いい子いい子。それより図書館の復旧作業手伝って」
散々(主に霊夢が)暴れ回ったせいで、図書館は壊滅的な被害を受けていた。道中の小悪魔が、負けていいよと言われていたのに無理に頑張ったものだから、それもやはり被害を広めていた。
「ごめんなさい、パチュリー様。私も頑張れば一機ぐらい奪えるかと…」
「あぁ、いいのよいいのよ。むしろ、よく働いてくれたわ」
「…? そうですか?」
自分は暴れるだけ暴れて、結局巫女に1ボム消費させることもできなかったのに。
それなのに、のちになぜか咲夜からも礼を言われて、小悪魔は、一体どうしてみんなが自分を褒めてくれるのか、さっぱりわからなかったのである。
咲夜は、自分が他人の気持ちを理解するのが苦手だということを自覚していた。
レミリアが霧を発生させるまで、彼女の気持ちを汲み取れなかったことを反省もしていた。
しかし、たかが一緒に散歩に行こうと言うのに、ああまで回りくどく言うことはあるまいと、パチュリーは思ったのだった。
「それにしても咲夜よ、なんだあれは。奇術エターナルなんちゃら」
咲夜をしても、冷静になって思い返すと、やはりあれは恥ずかしいものであったのだった。
………
……
…
あの巨大お好み焼きのパーティが、館の妖精メイドから好評だったことで、月に一度ぐらいのペースで、野外で派手な夕食パーティをするというのが、紅魔館の恒例行事になりつつあった。
「美鈴ッ、準備はいい!? 3.2.1、ハイッ!」
「ひぃぃい!!」
何故か今回もひっくり返す手間を要する巨大料理を製造するハメになったのであった。長いもと小麦粉と卵及びさまざまな具を混ぜて完成させる物体。そう、またお好み焼きである。
「やったー! 無事ひっくり返りました! 美鈴さんすごい!」
「もはやこれ、掛け声とか関係なしに、咲夜さんの動きに私が合わせるだけになってますよ…」
「それで上手くいくのならいいのよ。流石は美鈴の気遣う程度の能力だわ」
「そんなのじゃないです」
前回は、考え事をしていた咲夜がうっかり長いもをおろし過ぎてしまい、突発的に起こった巨大お好み焼きパーティだったが、今回は咲夜が日付を計画して開催したものだ。
「おお、ウマそうじゃないか」
呼ばれずともやはりレミリアは居た。そしてお好み焼きを取り、もりもりと食したのだった。
「咲夜さん、それヤバいですって! 本当に食べるんですか!?」
「普通よこのぐらい。むしろ今日は少ないぐらい。私の本領は豚の生姜焼きの時にこそ発揮される」
咲夜がマヨネーズびたしのお好み焼きを食うパフォーマンスは人気があった。ギャグでやっているようにしか見えないのだが、マヨラーの常識は凡人には狂気にしか映らないものである。
「やれやれ、うちの住民はどいつもこいつも騒がしいな」
「レミリア様! 見覚えのないメイドが混じってると思ったら、こいつ霊夢です! 食い物の匂い嗅ぎつけてきやがった! みんな戦闘準備!」
「バレたか」
かくしてお好み焼きパーティは、急きょ弾幕パーティに変更されたのだった。
しかしそのパーティの出席者に、咲夜とレミリアだけが含まれなかった。隙を見て、二人だけで散歩に行ってしまったのである。
「全く、騒がしいことですね、うちのメイドたちは」
「本当だな」
気温の高い夜だった。蝉の鳴き声も大分している。
レミリアと咲夜の二人は、手ぶらで歩いていた。
「お嬢様、今日は『テンション』が高いのではないですか?」
「ん? 何で? 言われてみれば確かにそうだが」
「だって、今日は満月ではないですか」
「ははっ、なるほど」
太陽の代わりに、お月様が辺りを照らしているので、不思議に明るい。
「太陽ほど派手ではありませんが、月明かりというのもこれで風情があるものなのです」
「私の十分の一も生きてない人間が風情を語るか。ああ、本当にテンション上がってきた。なんか面白い話ないのか、咲夜」
「以前食べたやたらおいしいコンビニおにぎりの話をいたしましょうか」
「何だそれ、普通のおにぎりとは違うのか」
「三つ頂いたのですが、全ておいしかったのです」
「おいおい」
一つ目を食べて、あまりのおいしさに、残る二つをレミリアと一緒に、ピクニックにでも行って食べてみたいものだと思ったのだが、よくよく考えたらレミリアは外出を好まないし、となればやっぱりこのおにぎりは全て自分の物にすべきであると、咲夜は考えたのだった。
「海老マヨはおいしかったのですが、マヨがちょっと足りない感じでしたわ」
「いいよもうその話。何も面白くない」
「次の話題が全然出てこないのです」
「いいよ、ゆっくり考えて。次にお日様が上るまではまだたっぷり時間があるんだ」
そう、少なくとも咲夜が話題を考えている分だけ、二人は一緒にいることができるのだから。
「今、時間を止めて図書館で『日常で使えるジョーク集』を読破してきましたわ。すべては万事OKです。まずは男性恐怖症の女と女性恐怖症の男がエレベーターに閉じ込められた話を」
どこか抜けているのがかわいい咲夜である。にわかに肩を透かされた気持ちもした。
さてお好み焼きでも作るかな
なんだろう、このゆるい会話が私にはとてつもなく合ってる。癖になりそう。
これからもたくさん書いてください
呆けてて人の気持ちを察するのが苦手な咲夜さんはすごい新鮮でした。
レミリアが紅霧異変を起こしたのが咲夜と手をつないで外を散歩したかったから、というストーリー付けにも一本取られました。
コミュニケーションが上手くいかないからこそ、こんなにも彼女たちは愛おしく感じられるのかも。
お見事です。