ふと目が覚めたとき、時計は子の刻を少し過ぎた頃を指していた。あいつが帰ってから、床に入ったのが9時半だから、まだ3時間も立っていない。今から寝直すとなれど、目が冴えて、一向に寝つけられぬ。仕方なく、寝床を離れ、雨戸を開け、縁側に腰掛けてみることにした。少し秋らしくなった風が頬を撫でる。あの頃と同じ風の匂いがした。
思わば、あれから何年経ったのかな。紫と一緒に永夜を駆け抜けた、あの時から。
未だにあの頃の光景が瞼の裏に浮かんでくる。夜中に起こされ、文句を叩きつける私と、のんびりしているのか、急いでいるのかわからぬ口調で、時折人を食った台詞を吐くあいつ。そんなちぐはぐな二人がいつの間にか切っても切られぬ関係になるなんて、予想できなかった。ただ、今となっては、懐かしい思い出、なんて月並みの言い方をするのは気が引けた。だって、私の中では未だにあの夜は続いているのだから。
「紫……。」
あいつの名前を囁いてみる。そうせば、出てくるかは知らねど、何となく傍に居て欲しかった。でもあいつは居て欲しい時に居てくれたことなんか一度も……。
「霊夢、風邪ひくわよ。」
肩に羽織がふわりと被せられる感触がしたと思うと、紫が苦笑しながら後ろに立っていた。全くあんたって奴は間が悪いのよ。こんなに胸がときめくのも、あんたが悪いんだから。左隣に腰を下ろすと、愛用の煙管で煙草を吹かしながら、紫が空を見上げた。
「月でも見てたの?」
そんなことを聞いてきた。今日は月立の次の夜だから、月なんて殆ど姿を見せていない。そんなことはこの妖怪の賢者にも分かっている筈。でも、その時は、余り気にも留めずにいた。
「月よりも星よりもね、私はあの頃の私たちを見ていた。」
私は正直に語った。私は一息を入れ、言葉を続ける。
「本物の月影はなくとも、私の瞳にはあの夜の偽の白く輝く満月が見える。その中を駆け抜けて行く私たちもね。ねえ、覚えてる?私の歴史を飲茶程度だって言ったこと。」
「あら、昔のことを掘り返すなんて霊夢らしくないわね。それに飲茶云々はあなたが言ったことでしょう。」
「何、今もそう思ってる訳?」
「意地悪ね。その問いにはお答えし兼ねますわ。」
そう言うと、紫はまた煙草を吹かし始める。口から吐き出された白い煙が、暗い夜空に映えるため、殆ど暗闇の中、そこだけに影があり、紫が傍にいることを感じさせてくれる。でも、紫の顔がわからない。こんなにも傍にいるのに、紫は私に本当の顔を見せてくれようとしない。今も闇に紛れて、何かを誤魔化そうとしている。
気になって、手探りで紫の手にそっと私の手を重ねようとする。漸く触れた手はわずかに震えていた。ああ、そうか、今の紫は不安なのだと気がついた。幾ら大妖怪でも妖力の緩みが精神面にかなり作用する。朔からまだ一晩しか経たぬから、十分に力が出せていないのだ。
不意に紫に抱き締められた。心なしか、すすり泣く音が聞こえてくる。
「もし、この煙が絶えば、霊夢の声が消えば、私はこの暗闇に溶け込んで、自分の姿を見失ってしまうのかしら。私は余りにも高慢だった。孤高を気取って、結局自分に現実を見せるのを避けていた。だから、これしきの刹那の事象が私の傍から消えてしまうことが、こんなにも辛いなんて思いもしなかった。」
紫の寂しさが直に伝わってくる。何て切ない抱擁だろう。あれから私も大人に近づいた。紫の背を追いかけ、修業も積んだ。でも、私たちの種族の差は埋めようがなかった。私はいつか消え、紫は残される。その寂しさを思うと、今の紫には耐えきれないのだろう。
「ねえ、紫。過ぎ去った時間は元には戻せない。でも、思い出を抱えて未来を生きることはできる。そうやって人は生きていく。いつかこの身が消えつる時が来ても、思い出を持ったまま笑って死んで行くの。私を覚えていてくれる者がいるから。あんたと一緒に過ごす一瞬一瞬が私の思い出。返さば、あんたの思い出でもある。だから、悲しむことはないわ。私はあんたの中で永久に生きるから。」
紫の頭を撫で、拙い言葉を並べ、慰めてみる。私たちは不器用だ。生きることにも、死ぬることにも。種族の壁に拘り過ぎているのか?それとも、良く似た性格なのか?でも、だからこそ、互いを好きになったのかもしれない。
触れ合った唇の暖かさが、心に染み亘る。このまま二人で深い眠りにつこう。二度と目覚めぬことのない眠りへ。儚い願いを懐いたまま、私は紫を抱いて瞳を閉じた。
以下内容には関係しないけど気になった細かい点幾つか
・冒頭一行目は後書きに書いた方がよろしいかと
・後書きラスト一行は誤解を招きやすい表現と思います。もう少し言葉を選ぶべきかと
やべもう寝ないと