幻想郷。
神や妖怪、まさしく幻想の存在が当たり前のように跋扈するこの地で、私は生を受けた。
人里に在るあまり裕福ではないが温かい家庭で両親の愛情を一身に受けて今年で十年。
つまり十歳。
寺子屋での成績もいいし、なんでも器用にこなせて、我ながらませている方だ、とは思うのだけど。
それでもまだまだ甘えたい年頃である。
――だから。
「貴女はお姉ちゃんになるのよ。弟か妹かわからないけど、仲良くしてあげてね」
ほんの少し膨らんだお腹をさすりながらお母さんが言ったその言葉は、受け入れがたい物だった。
仲良くなんか出来る訳がない。
だってお母さんのお腹の中を陣取っているソイツは敵なのだ。
私からお母さんを、ひいてはお父さんまで奪ってしまう、最悪なお邪魔虫。
だから、つい。
「いらない、そんな子」
と、言葉を溢してしまって。
そしたら、お母さんの顔が、とても悲しそうにクシャって歪んで。
それを見たら、胸がきゅうっと締め付けられた。
「なんで、そんなことを言うの」
お母さんがそう言った瞬間。
背を向けて駆け出していた。
逃げ出したのだ。
お母さんから、お腹の中のちっこいのから、自分自身から。
私は、子供だから。
気付いたら森の中。
見上げれば木々の間、狭い空は朱色から紺色へと移り変わろうとしていた。
「どうしよう……」
森には入るなと言われていたのに。
お腹を空かせた獣や妖怪に、食べられてしまうから。
ガササッ!
「――ッ!」
後から考えれば。
それは多分、風が草木を揺らした音だったのだろう。
「わあああああああああああああああああああっ!」
でも。
恐怖で頭が真っ白になっていた私は、全速力で走った。
逃げなきゃ、逃げなきゃ、と。
ただ、闇雲に。
その結果。
完全に迷子となったわけである。
「ふぇ、……っう」
木の根元に背をくっつけて。
必死に泣き声を噛み殺し。
膝を抱えて丸くなった。
「……ううっ」
もう辺りは真っ暗で、明かりといえば細い月光のみ。
顔を上げ、空を見上げる。
木々の隙間から覗く今夜の月は、雲が掛かっていて本当に頼りない姿だ。
――何故だか。
物心ついた時から、気付くと月を探していた。
「……」
なにか。
なにか、大切なことを忘れているような。
とても、大切な物を失くしてしまったような。
そんな気がする、のに。
どうしても、思い出せない。
ただ、わかるのは、月を見る度に、嬉しいような、悲しいような、愛しいような、どうしようもなく寂しいような気持ちになるということで。
それで、いつも。
******気がして。
ガササッ、ガサッ!
「~~ッ!」
不意打ち。
気が抜けている時に響いた、明らかに生き物が草木を掻き分ける音。
逃げる事も出来ない。
ぶっちゃけ、腰が抜けた。
やだな。
死にたく、ないな。
だって。
だって、まだ。
ごめんなさい、って、言ってないのに。
それに。
会いたかった。
――誰に?
「……よかった。生きてた」
声。
綺麗な、よく通る声。
安堵したような、だけどどこか困惑しているような。
でも、そんな諸々関係なくて。
その声は。
その声であるというだけで。
私の鼓膜を突き破り、脳を震わせ、心臓を握り潰した。
蒼銀の髪と、紅い瞳。
真っ白な肌とヒラヒラしたドレス。
大きな蝙蝠の翼。
形のいい唇から覗く、牙。
歩み寄ってくる人ではない存在から、目が離せない。
恐怖ではなくて。
この感情、は。
――ズクン。
頭に激痛が走る。
「くぁ……っ!?」
「どうした、さく……っ」
彼女は。
言いかけた言葉を飲み込み、唇を噛み締めた。
その顔は、酷く辛そうで。
私はとても悲しくなった。
でもそれは。
彼女が辛そうだったからじゃなくて。
彼女が飲み込んでしまった言葉を、聞きたかったからで。
――酷いのは私だ、と。
よくわからないけど。
罪悪感で胸がいっぱいになった。
だから目尻から零れた涙は痛みのせいではなくて。
だけど『ごめんなさい』は言えなかった。
『自業自得よ』と。
とてもよく知った声で、誰かに言われた、気がした。
「――もう、大丈夫か?」
しばらくして。
窺うように、そう問い掛けられた。
「……はい」
本当は。
鋭い痛みはすぐ遠退いたものの、鈍痛が尾を引いていたのだけど。
堪えられないほどではなかったのでそう返した。
「……嘘吐きだ、お前は」
彼女はそう言うと、私の隣に腰を下ろした。
やっぱり恐怖は感じない。
それを不思議にも思えない。
「騒ぎになっていたよ。捜索隊も出てる。半獣が指揮を執っていた」
間を繋ぐように述べられた事柄に反応して彼女を見詰める。
ギリギリ肩が触れない程度の所に居るから、顔の距離も近い。
多分、背丈も然程変らないのだろう。
とても、大きく見えたのだけど。
羽根のせいかな。
今は、窮屈そうに折り畳まれている。
「先生が?」
「ああ。きっとお仕置きされるぞ」
「……やだな。先生の頭突きは、お父さんの拳骨より痛いから」
「拳骨されたのか?」
「はい。子供は早く寝ないといけないのに夜更かしして。それに、危ないから駄目だって言われてたのに屋根に登った」
「それは、お前が悪い。言いつけは守らないとね。でも何故そんなことを?」
「……月、が」
「ん?」
言いよどむ。
本当に自分でもよくわからないのだけど。
何故か、息が詰まった。
「月が、綺麗だったから」
彼女が、何故か、本当に何故か、驚いたみたいに目を見開く。
「いつも、探しちゃって。気付くと見上げてて。月が。なんでか。おかしいと思うのに、でも」
言葉が止まらない。
今まで誰にも言った事はなかったのに。
堰を切ったように。
溢れる。
「私を呼んでいる、気がして」
見開かれていた彼女の目が、潤んで。
唇が、震えて。
その震える唇から。
掠れた声で、途切れ途切れに。
想いが。
やっぱり、溢れた。
「……もう、呼べない、の」
息が、出来ない。
「貴女は、貴女だから。だから貴女はいなくて。もう何処にも、いなくて。だから、呼べないの」
くしゃ、って。
歪んだその顔だって。
ほら、もう。
どうしようもなく愛しい。
「わたし、は」
もういっぱいだよ。
溺れそうだよ。
ううん。
溺れていたの。ずっと。
「私は、私です」
だから。
息を分け合いましょう。
「……く、や」
か細い声で、縋るように。
「さくや、咲夜……ッ」
呼ばれた名前は、聞いた事のない響きで。
それなのに、知っている気がして。
でもそんな諸々関係なくて。
「はい」
彼女が呼んでくれるなら、なんだっていいのだ。
私は、私だから。
もう、ちっこい奴に嫉妬しないでよさそうだ、と。
そう思いながら、瞼を閉じた。
ただひらがなで書くべき所が漢字になっていたりと云々があるので-100点。
切なくもしあわせなお話でした…!
でもこういう話にするんだったら、タグに「咲夜」「の、生まれ変わり」は蛇足かなー、と思います。
ネタバレに近いものがあると思う。
幻想郷だもの