Coolier - 新生・東方創想話

鬼山悲哀録

2011/09/26 23:30:46
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それは昔々の物語。
今では語る者も途絶えた物語。


■ 


ある所に、大江山の四天王と呼ばれた鬼達が居た。
伊吹童子、茨木童子、星熊童子、金熊童子。
山の四天王は数々の鬼を配下に従えて大江山に現れ、
その山に住まう人々を恐怖に陥れた。


その後、人々は大江山は鬼の住まう地として近寄らなくなり、次第に
鬼の恐怖だけを伝説として残し、空想の生き物として扱うようになった。
そしてそれは、四天王が一角、茨木童子が片腕を失くし山を去った後も続く。

四天王が三匹となった現在。
大江山はにわかに騒がしくなった。
その原因は、一匹の鬼にある。

金熊童子。
気性が荒く、言動もまるで男のような鬼。
大雑把で、一言で言えば粗暴なのだが、そうかと思えば、信じられないほど打たれ弱くもある。
小さな事を根に持ち、責めれば手が先に出る。

特徴的な目と、勇儀と同じ、腰ほどまで伸びた長い金色の髪。
背丈は萃香よりは高く、勇儀よりは低い。
萃香より弱く、勇儀より弱い。
矜持は誰より高く、心はまるで硝子のよう。

なんとも、面倒で手がかかる鬼。
それが、萃香と勇儀が抱く金熊童子の共通の印象であった。

茨木童子が去ってから、はや三ヶ月。
その伝説と成り上がった大江山に。
今日も怒号が響く。





「畜生! ド畜生! ぶっ殺してやる!!」
「吼えるんじゃないよ金熊。器が知れる」
「五月蝿い! 構えろ! 素っ首叩き落としてくれるわ!」


そしてまた、大江山の岩肌が砕け散る。
四天王という名を冠してはいるものの。
決して一枚岩という訳ではない。
仲良しこよしとは程遠く。


中でも、鬼の王である伊吹童子と、最近四天王と呼ばれるようになった金熊童子は、
顔をあわせる度に拳を合わせる程であった。
といっても、下克上を目論んで金熊が一方的に喧嘩を吹っかけているだけだ。

金熊が仕掛け、あっさりと伊吹が叩きのめす。
同じ鬼であってもその実力は、天と地ほどの差がある。

そうなると、流れはいつも同じ。
場を収めるのは星熊の役割であった。


「そこまでっ! ほーら、金熊。お前の意地っ張りも相当だな」
「なっ! 離せ星熊っ!」

後ろから羽交い絞めにされた金熊童子は、じたばたと暴れるが
ガッチリと固められたまま、後ろに引きずられてゆく。


「毎度すまないねぇ勇儀」
「気にするな萃香。その通り毎度のことさ」
「離せ~~! 後生だ、離せ星熊ぁ!」


ひらひらと笑いながら、手を降る伊吹に星熊は苦笑いで応える。
なおも暴れて手足を振り回す金熊童子を
ひょい、と腰を持って抱え上げるとそのまま去ってしまった。


茨木童子が片腕を無くし、行方不明になってから。
この流れが三匹にとっての日常となっていた。





少しして、大江山中腹。
緑生い茂る森の中でのこと。
長い金の髪が二人分。
森の中で特に異彩を放っていた。

「しかしまぁ、なんだね。アンタもいい加減諦められないのかい? 
 いくらなんでもお前が萃香に叶うはずないだろう」
「わかってるわ! だが、諦め切れん気持ちは同じ鬼のお前もわかるだろう!」
「いや、私はそうでもないぞ。お前と同じにするなよ」
「ふん。軟弱者が」
「なんとでも言いな。伊吹に打ちのめされたアンタに言われても痛くも痒くもない」
「……………………」
「ぐうの音も出ないだろ」
ニヤニヤと笑いながら、勇儀が頭に手を置こうとするが
「うるさいっ!」
金熊の手によって弾かれる。


「おお、今のは少し痛かったぞ。やるじゃないか」
「喧嘩を売ったな、よし買った! かかってこい!」
「わかったわかった。今のは私が悪かったよ……本当にアンタは喧嘩っ早いな。
 いつかそれで痛い目に合うぞ」
「余計な世話だ!」
「……まぁ、萃香の力に憧れる気持ちは、わからんでもない」
「だ、誰が憧れたなどと言った!」

照れたように、頬を染めて顔を背ける金熊に、勇儀は苦笑する。
こいつの良い所は決して嘘がつけない所だ。
だが、それはそれとして。
言わなければならないことは、言わなければならない。
いつまでも、金熊がこの状態では下の鬼に顔が立たない。


「いや、確かに憧れてるよ。狂信と言っていい。
 金熊アンタ、茨が去ってから何度萃香に破れた?
 毎日毎日、狂ったように土を舐めてるじゃないか」
「……それが、どうした」


勇儀はふいに立ち止まり。
向かい合って、金熊童子の目を見ていった。

「鬼として力に惚れる。それは当然のことだ。
 だが、伊吹のアレは鬼の王の力だ。いずれ鬼神となる者の資質だ。
 それを超えてなんとする金熊よ。全て見下ろせる場所に立った所で
 この大江山では虚しいだけよ」

勇儀の瞳。
意思の灯った強い光。
萃香に次いで茨木。
茨木に次いで星熊。
大江山歴代三位の勇儀の存在はその順位が示すほど軽くない。

その瞳に見つめられて、金熊はそれを受けきる。
まだ未熟とはいえ、四天王の座についた鬼だ。
金熊もまた、言動が示すほど軽くは無い。

しばしの間二人は目で語った。
そして、勇儀が再び口を開く。

「それとも、萃香を憎むか?」
「……言うな星熊。伊吹が憎い訳ではない。有体に言えば好ましくも思っている。
 だが、譲れんのよ」

そう言って、金熊は自分の右腕を左腕で強く握った。

「腕一本でここまで上ってきた私だ。同じく腕一本で頂点に立つ伊吹に、
 負けっぱなしではいられん。私に敗れた鬼たちの為にもな」

勇儀は、萃香が腕一本で頂点に立ってはいない事を知っていた。
アレはアレで、力以外にも秀でた所がある。
そこを見極められない辺りに、金熊の敗因があるのだが……

だが、しかしだ。

「それに、伊吹は私が四天王に昇る時、約束してくれた。
 いずれ私が伊吹を越える時、鬼の王の座を渡すとな。
 正直に言えば王の座などどうでもいい。
 私は、伊吹がただ私のことを相手と認めてくれた事が嬉しかった」


そう言い放つ金熊の目は一点の濁りも無かった。
その金熊を見て、勇儀はため息をつく。
こいつは、本当に真っ直ぐなだけなのだ。
鬼という道に正面から立ち向かい過ぎている。

「本当にどうしようもない奴だねぇ! アンタは!」
「おわっ! 何をする星熊!」

頭をぐしゃぐしゃと、かき回されて金熊はまた暴れた。
 
「しょうがない、アンタ今夜は私んとこに来な! ヤケ酒といこうじゃないか!」
「それならば伊吹も呼べ! 再戦申し込んでやる!」
「酒でか? 卑怯者、あいつは酒を飲まないぞ」
「実力でだ!」

肩を組み、豪快に笑いながら二人は山を歩く。
勇儀は、心の底からこの真っ正直な鬼が好きだった。





勇儀が自分の住処に金熊を招き入れるようになって
数日後のこと。
いつものように、金熊が萃香を探していたところに。
勇儀がやってきた。

「おう、星熊の。伊吹を見なかったか?」
「金熊、聞いて驚きな。萃香の奴、山を降りてるぞ」
「なんだとっ!? 臆したか伊吹!」
「馬鹿を言うな。少し前に命知らずの人間が山に入っただろ?
 あの時は軽く脅かして帰してやったが、どうもそいつの所にいったらしい」
「え……何故だ? トドメでも刺しにいったか?」
「まさか……あーいや、でも、確かに何故だろうねぇ……」

二人はうなる。
人が大江山に立ち入ることがあり得ないように。
鬼が大江山を降りることも、ほとんどあり得ない。

鬼としては、人間が恐れてくれるだけで充分。
無理な殺戮を良しとはしていない。
勿論、人を食う鬼もいるから食料として攫うことはあるが、それも必要最低限だ。
進んで山を降りることなど……


その時、二人は深く考えなかったが。
これが、物語の始まりだった。





ある日の午後。
山で稽古をしてる最中、金熊は勇儀に呼び出された。

勇儀と金熊の住処。
自然の洞窟に多少手を加えただけの簡素な家だが。
屋根はあるし、雨風は防げる。
よく二人はここで酒を飲み、寝食を共にしていた。

その薄暗い家の中。
中央で、勇儀は胡坐をかいていた。

「突然どうしたんだ? 急に呼び出して」
「金熊。心して聞きなよ」
「あ、ああ」

勇儀の真剣な目つきに、普段のそれとは違う鋭さを感じ、意識を切り替える。

「最近、山で萃香を見たか?」
「いいや、最近になってぱったりと。お陰で体がなまってなまって仕方がないな」
「金熊……お前にとって辛いことを私は言わなければならないかも知れない。覚悟をしてくれ」
「……なんだっていうんだ?」
「萃香のことなんだが……どうやら、あいつ……」


勇儀の次の言葉を聴いて、金熊は勇儀の家を飛び出した。
その反応を予測していた勇儀は、すぐに追いかけて金熊の腕を掴んだ。
瞬間、山の木々が勢いよく揺れて、葉は二人を中心として千切れ飛ぶ。
金熊は、息も荒く全身を激しい怒りに任せて昂らせていた。

「どこへ行くつもりだい! 金熊!」
「ええぃ離せ星熊!」

普段の金熊ではあり得ないほどの力で、腕を振り払われ、勇儀は手を離してしまう。
慌てて勇儀は金熊の前に立ちふさがる。

「退けぇ!」
「だめだ!」
「退かぬならば、お前といえど容赦はしないぞ!」
「止まるんだ! ここで私たちが争っても何の意味もないことがわからないのかい!」

勇儀が金熊の肩に手を置いて諭す。
だが、完全に頭に血がのぼった金熊の耳に言葉は通じない。

「だから、伊吹に直接問いただす!」
「居場所は私にもわからない! 今は萃香が山に戻るのを待つんだ!」
「人里にいるのだろう! ならば片っ端から人間を殺していけばいつかたどり着くではないか!」
「人間を無闇に殺すのは鬼の道理じゃない! 頭を冷やすんだ!」
「五月蝿い! 止めてくれるな!」

肩に置かれた手を叩き落とし、金熊は勇儀の頬を殴った。

「っ! この! 頭を冷やせって言ってるだろう!」

だが、勇儀も萃香に続く実力を持つ四天王の一人である。
踏みとどまり、逆に金熊を殴り飛ばす。
地面を擦って転がった金熊に、勇儀は間髪いれずに跨り、両腕を両膝で押さえこんだ。

「離せっ! 離せぇ!」
「落ち着け!!」
「これが落ち着いていられるかっ!! 伊吹がっ! ……畜生! ふざけるな!」
「金熊……!」

勇儀は、跨ったまま、金熊の顔面に拳を添える。
同じ鬼といえど、勇儀ほどの鬼の本気の一撃を顔面に受けたらタダではすまない。
最悪、死ぬこともありえる。
その現実を目の前にして、金熊は多少落ち着きを取り戻した。

「私だって言いたくなかった! それに、まだ決まった訳じゃない!」
「伊吹が……人に恋をしただと!? そんなこと信じられるか!!」
「だから、萃香を信じるんだ! アレは私たちの王だ! そんなはずがない!」
「だが! しかし……」

段々と落ち着いてきた金熊は、しかし。
ある者が視界に入り、また前後不覚に陥る。

「……やあ」

頭に双角。
手には枷。
伊吹萃香。

気まずそうに手をあげる。
久方ぶりのその姿を見て、再び怒りが湧いてくる。
そのおかげで一瞬。ほんの一瞬だけではあるが。
単純な力で、勇儀を上回った。

力ずくで上に乗った勇儀をなぎ倒し、凄まじい速度で接近した。
思い切り振りかぶり

「伊吹ぃぃいいいい!!!!」

思い切り、叩きつけた。

山に到着した萃香はいきなり、金熊に殴りつけられ。
そのまま吹き飛ばされ、岩に激突し、崩れ落ちる。

「金熊っ! 止めるんだ!」
「かかってこい伊吹! その程度で寝るほど腑抜けたか!」

勇儀の静止も耳に入らず、ずかずかと金熊は萃香に向かっていく。
だが。

「おい萃香! ……どうした。おい、おい!」

横たわる萃香をそのまま蹴り上げる。
倒れたまま何の反応もない。
「どうした、んだ?」
金熊がここで初めて冷静さを取り戻し、首をかしげる。
一瞬、萃香の体がびくんと跳ね、口から一筋の血を流す。
それを見た勇儀がもしや、と近寄り萃香の体を触る。

「おい、嘘だろ萃香……金熊、こりゃあダメだ。冗談じゃない。萃香のやつ気絶してるよ」
「なんだとっ!?」

勇儀に言われて、驚いた金熊も慌てて萃香の体を揺するが。
本当に気絶している。

そっと、萃香の体を地面に置いて呆然と二匹の鬼は立ち尽くす。
鬼の王の没落。
格下である金熊の一撃で気を失うほどに萃香は弱っていた。
理由は明白。
萃香は、最早鬼では無くなり掛けているのだ。

人を殺し、人に憎まれることが鬼の証ならば。
人を愛し、人に愛されることは許されない。
今の萃香は余りに鬼からかけ離れすぎていた。





鬼の洞窟。
勇儀と金熊の住処で、三匹の鬼が座り込んでいた。
萃香と勇儀は向かい合い、金熊は壁に持たれかかり、煙管を銜えて恨みがましく萃香を睨みつけている。
重々しい沈黙が洞窟に満ちる。

「正気か、伊吹」
口火を切ったのは金熊であった。
「ええ、お願い。この通りよ」
胡坐をかいたまま、萃香が頭を下げようとする。
だがその前に、勇儀が手で萃香の頭を受け止めた。
「それは流石に止めておきな。アンタが頭を下げたら私たちはどうすればいい」
「……私はもう以前の私じゃない。好きにさせてくれ」
ぺん、と渇いた音が響く。
勇儀が萃香の頬を張った音だ。

「アンタが頭を下げちまったら、金熊の前に私がアンタを殺しそうだよ」
「勇儀……」

勇儀は悲しげな目で萃香を張った手を見つめる。
水を掬うような力で、壊さないように壊さないように手加減をして叩いた。
萃香を……いや、鬼を相手に、ここまで力を加減して使う日が来るなんて。
開いた手を握りしめる。

「いいだろう。これはケジメだよ。金熊もいいな?」
「……勝手にしやがれ。元より力を失った鬼など興味は無い」

問われた金熊は、そう言って煙を吐き出し、煙管に詰まった葉を地面に叩き落とした。

「聞いたな、萃香。私たちは今後アンタと、その人間に一切手だしはしない。
 その代わり、今後一切の大江山への立ち入りを禁止する」
「誓える?」

まだ、鬼の王としての威厳を微かに残した声で、萃香が問う。

「鬼の名にかけて」
勇儀は即答した。
「金熊、あんたは?」
萃香に問われた金熊は、いらただしげに、手に持っていた煙管を砕いた。
そしてそのまま、砕いた煙管を萃香に投げつける。
「ぐっ……!」
痛みに身を震わせながらも、萃香は金熊を見た。
「金熊、誓うか!?」
語気を荒げ、萃香は金熊に問う。
すると金熊は萃香の胸倉を掴んで、顔を近づけた。
「誓おう、鬼の名にかけて」
そう言うなり、立ち上がって洞窟の外へいってしまった。
勇儀と萃香は金熊の姿が見えなくなるまで、ずっと見ていた。
やがて、その姿も消えた頃。


「あいつは、いつかアンタと酒を呑みあえる日を楽しみにしていたんだ」
「ああ、知ってるよ」
「あいつ、未だにアンタが飲兵衛だって知らないんだよ」
「ああ」
「アンタに勝ったら、無理矢理呑ませるって言っててさ。アンタもそれ知ってるから
 呑めないフリして、何かの拍子でワザと負けて呑んで驚かせてやろうって言ってたよな」
「ああ……」
「約束したんだろ? 金熊を相手と認めてさ、いずれ乗り越えられたら王の座を渡すってさ。
 そんな約束しといて、一度も本気で戦わずに居なくなっちまうのかよ……」
「…………」
「何で、人間に恋なんかしたんだよ、萃香……」

勇儀はうな垂れた。
勇儀もまた、金熊と同じく萃香の強さに惹かれた鬼だったのだ。

「勇儀……本当に、ごめん」
「いや、いいんだ。もう終わったことさ。さぁ、何処へなりと消えるがいい」
うな垂れたまま、追い払うように手を振った。
それを見て萃香は無言のまま立ち上がり、洞窟の外へと歩いて行った。
だが、ふいに立ち止まり。振り返らずに勇儀に言う。

「勇儀、鬼の首領はアンタがやってよ」
「柄じゃないよ。次に鬼の頭が出てくるとすれば、それは金熊だ」
「そう……支えてやってよ。あいつは不器用だから」
「アンタ以外に鬼の王が務まると思ってるのかい? 
 そんな事を言うぐらいなら、最初からっ……こんなことするんじゃないよ!」
声を押し殺して、勇儀は声小さく叫んだ。
「うん……そうだよね……」
その一言だけ残して、萃香は今度こそ洞窟から去った。
残された勇儀は、萃香が去ったことを確認して静かに立ちあがる。





「よう」
「おう」
金熊の場所はすぐに知れた。
洞窟に一箇所の出入り口。
そこから少しばかり離れた所に居た。
この場所からなら、ついさっき出ていった萃香が見えただろう。
だが、暴れたような音は聞こえてこなかった。
ということは、静かに見送ったのだろうか。
「あんなんになっちまったら、もう殴る価値もないよな」
いや、諦観か。
「そうだねぇ」
「まさか、こんな日が来るなんてよ。やってられねぇ」
「ああ、やってられないねぇ」
「星熊」
「ん?」

金熊はしゃがみこんでしまった。
下を俯いたまま喋る。
それは、いつも前を向いている金熊にしては珍しいことだった。

「伊吹は、この後どうなる?」

どうなる。
それはこの後萃香が山を降りて、人と暮らす。
そんなことを聞いているのではないということは、わかる。
もっと大きな話だ。

鬼として。
人を愛した鬼は、どうなるのか。
それを金熊はまだ知らない。
まだ若い鬼である金熊は、想像もつかないことなのだろう。

「本来は、鬼はどこまであっても鬼のままだ。
 人を愛そうが、人を喰わなくなろうが、山を降りようが鬼のままさ」
「だが、あの伊吹はとてもじゃねぇが鬼とは言えない」
「ああ。そこが問題なんだ。萃香はもう、鬼であることを辞めているのさ」
「どういうことだ?」

「人に、成りたがってるんだ。
 人と同じ物を食べ、同じように生き、同じように死ぬ。
 力を忘れ、希望に願う、その姿は最早、鬼とは呼べないだろう?
 だから変わるのさ」

「変わる?」
その言葉に反応し、金熊は勇儀を見上げる。
勇儀は、そんな金熊を見て一瞬言葉を詰まらせる。
とても……不安そうな顔だったから。

「変わる。渇望の妖となるか、失墜の妖となるか……または、人と成り遂げるか。
 いずれにせよ……知れたことさ。萃香の行く道は堕落の一途だ」

もうそれ以上、勇儀は金熊の顔を見ていられなかった。
あれほど気丈な鬼が、今は見る影も無い。
勇儀は、金熊から顔を背ける。
途端に、体が震える。
その体を、勇儀は自分の手で肩を掴み無理矢理止める。

「そりゃあ……そりゃあねぇだろう萃香よぅ……」

か細い声で、囁く金熊の声に。
勇儀は初めて、鬼の泣く音を聞いた。
それはどちらの音だったのだろうか。


大江山は、秋を迎えようとしていた。
鬼達の心など知らず、時は進む。





皮肉な話ではあるが。
萃香が山を降りてからのこと。
金熊の成長ぶりは目を見張るものがあった。


これといって大して何があった訳ではない。
見た目にしても、何も変わっていない。
ただ、強くなった。


食料の調達が終わり、金熊が山に帰ってきたある日。
勇儀は、金熊に初めて戦いを挑まれた。

そこで、初めて金熊の急速な成長を知る。
その日は当然のように勇儀が勝ったが、このまま進めば十年と経たず追い越されてしまうかもしれない。
嘘偽りなく、勇儀はそう思った。


金熊が勇儀を打ち破ったのはその一週間後のことだった。





その日から、数日後。
鬼達の住まう山は、次の首領を欲していた。
後釜に就いたのは、大方の予想通り金熊童子。
副首領には続いて星熊童子が収まった。


元より、組織ばった集まりではない鬼達といえど
ケジメはケジメとしてつけなければならない。
今回の顛末の説明と、新しい首領の顔見せといったものは最低限必要なことだった。


そんな日を控えた前夜。
勇儀と金熊は住み慣れた家で、酒を呑んでいた。

「なぁ星熊」
「あん?」

しかし、そこに以前の活気はもう無い。
アレ以来、金熊は嘘のように大人しくなってしまった。
傍目からは、普通の少女のようにすら見える。


「私は、もうお前より強くなった」
「そうだな」
「自分でも驚くほど、強くなったもんだと思う」
「ああ、大したもんだよ」
「今まで強くなるために色々したよ、馬鹿みたいな事も沢山した」
「知ってるよ」
「星熊。私は……伊吹より強くなれたのかな」


夜の洞窟に、灯篭が一つ。
その日は風が妙に強く。
薄明かりが、今にも消えそうなほどだった。


「ああ、きっとね。私が言うんだ、間違いないよ」
勇儀は出来る限りの笑顔で、それに応えた。
「だな」
金熊もまた、笑顔で返す。
「よっ、と」
そして金熊は立ち上がった。
「ちょっと夜風にあたってくるよ」
「ああ。その前に金熊」
「うん?」

背伸びをして、洞窟の外に向かう金熊に勇儀は声をかける。


「何で、今聞いた?」


金熊は、上げていた腕を下ろす。
「何が?」
「何で、今萃香の話をしたのかってことさ」
「別に。他意はないさ。気にするな」
「それじゃあ他のことを聞かせてくれ。金熊、アンタ人を喰わないよな?」
「ああ」
「この前、何で山を降りた。今までただの一度も人間を調達したことの無いアンタが」

お互い、言いたいことはわかっている。
だから、お互い、止めるつもりは無いことを理解していた。


「それは妄執だ。金熊。力は操るものだ。力に狂っちゃいけないよ金熊」
「……聞くな星熊。お前は何も知らない方が、都合が良い」
「力が恋しいか? もう充分さ。充分だとも。金熊、お前はもう充分に強すぎる」
「もう遅い……!」

金熊は下を俯き、拳を握った。
それを見て、初めて勇儀は感づいた。

まさか今のは。
怒号。
なのだろうか。
弱々しく、か細い叫びはあの金熊童子の声なのだろうか。
以前とは比べ物にならないほど強くなった鬼の、
以前とは比べ物にならないほど弱い声。

搾り出すような声を聞いて、勇儀は全てを察した。
目をつぶって、頭を振る。

「そうか。なに、今言いたくないなら明日の朝にでも話してくれれば、それでいい」
「ああ、朝には戻る」
「最後にひとつだけ言わせてくれ、金熊」
「何だ?」
「いい加減、私のこと名前で呼べよ」
「……それもこれも」


そう言い残し、金熊は自分の髪を掴んだ。

「全て。明日の朝に」

そして、自分の爪でその髪をばっさりと切り落とした。
勇儀とお揃いの長い金髪。
お互いそれほど意識していなかったにせよ。
金熊にとってその髪は、勇儀との友情の証だった。


その後は何も語らず、歩いていってしまった。
暗い洞窟に金色が鮮やかに影を落とす。


そして暫くして。

「私は、非道な鬼だな。金熊」

ぽつり、勇儀は一人になった住処で呟き。
ふっと、灯篭の火を吹き消した。





気づいたら、私は人里から離れた場所にあるボロ屋の前に居た。
もうすっかり寒くなった風がやけに強く、あたりの草花を揺らす。
びゅうびゅう、と。
草木も眠る時間に、まるで似つかわしくない風の音。
それは、そんな深夜のことだった。


私は、私は、ただ。


ボロ屋の中からは、叫び声が聞こえる。
人間の声。
女の泣き叫ぶ声。


私は、そのボロ屋の戸口に立つ。


「よう」


風が強い日だと言うのに。
空は快晴、月明かりが強い。
だから、私からはその女の姿がよく見える。
しかし、相手からは私の姿は影になって見えないだろう。


「あ、あんた……は」

だと言うのに。
その女が私の姿を確認できたのには理由がある。

「お前の男か。そうだ、私が殺したよ」

そしてまた、私が他の者の名前を呼ばず、他の者もまた私の名前を呼ばない理由がある。
そう。
伊吹萃香。
星熊勇儀。
茨華扇。
他の四天王と同じく。
金熊童子もまた、名前があった。

そしてそれは、私の名前では無い。
私一人だけ、死んだ金熊童子の後釜として、受け継いだのだ。
その金熊という姓を。
だから、私の本名は金熊とは別にある。


「お前の力に、恋焦がれたんだ。だから、お前の力を奪ったそいつが憎くて憎くてたまらなかった。
 殺しても殺しても、飽き足らなかった。どうしても、自分を止められなかったんだよ……これは、それだけの話なのさ」


何故、私の姿が暗闇でわかったかなんて。
そんな事、誰でも知っている。
私の本名と同じくらい。
そんな事、誰でも知っている。

真夜中、暗い暗い闇の中。
その最中に光る。


緑の両眼。


「裏切ったなパルスィイイイ!!!」


女の声は、鬼の声に変わる。
咆哮。慟哭。大地を揺らす。
伊吹萃香は、あらん限りの力をもって、金熊童子……水橋パルスィの腹を殴りつけた。

腹が抉れ、腸が弾け飛ぶ。
吹っ飛び、地に転がり。
口に苦い味が広がる。
そんな間も無く、今度は反対側の腹を蹴り上げられる。

なんとか立ち上がるが、頬を殴りつけられた。
首の骨がギリリと、嫌な音をたてて軋む。
再び、倒れた私に跨り、何度も何度も殴る。
顔を。足を。腕を。体を。
眼球を。骨を。内臓を。

「嘘吐きめ!! 裏切り者め! 約束一つ守れぬ軟弱者め…!」

萃香の流す涙と、私の血液が混じり合う。
鬼の王と呼ばれた者の、全力の暴力に私の一生が滲んで映る。
それはそれは、とても綺麗な景色だった。


それからの記憶は、ほとんど無い。
ただ、鬼の体とは頑丈なもので。
体の半分以上を、肉塊に変えられてもまだ、生きているものらしい。

「そこまでだっ!!」

勇儀の声。
頭の裏に、温かい感触がある。
どうやら、勇儀が何がしかの手当てをしてくれたらしい。
お陰で、私は意識を取り戻したのか。


「パルスィ! アンタは、鬼としてやってはいけないことをした!
 同じ鬼である萃香の力に嫉妬し、その力に眩んで萃香を亡き者にしようとしたな!!」

茶番だ。
萃香は鬼では無くなっていたし、私にしても萃香の力を奪おうとなどしてはいない。
私はただ、萃香に力を思い出して欲しかったのだ。

「鬼の道理を外れたアンタは、これから嫉妬の妖としてその身を落とせ!!
 それがこの場の落とし所だ! 萃香、アンタもそれでいいね!?」

茶番だが。
それが、最善の選択なのも事実だった。
結果的に見れば、私という犠牲を払っただけで、萃香は再び鬼として舞い戻ったのだ。
だから、これでいい。

今度こそ、私は意識を失った。


一方、放心して立ち尽くした萃香は。
ただ言われるがまま、勇儀の声を聞いているのみである。






そして、長い年月が経った。
萃香は大江山に戻り、再び鬼の王の座に就いた。

あの一件の後、萃香がどういった心境を経て今に至るのかは誰も知らない。
だが、以前より朗らかに、悪く言えばだらしなくなった鬼の姿に
周りの者は違和感を覚えながらも、次第に馴染んでいった。

そんな鬼の隣に。
またもう一匹の鬼が居た。
星熊勇儀だ。


「なぁ萃香」
「んー?」

山頂からの眺めを見つつ、萃香は酒を呑む。


「私、山を降りるよ」
「降りて、どこへ行くんだい?」
「地の底さ」

二人は、お互い前を向いている。
眼前に広がる景色を、薄ぼんやりと眺めている。

「パルスィの所に?」
「そうだな」
「いってやりなよ。多分、あいつも寂しがってる頃だろ」
「止めないのか?」
「ああ、止めないよ。勇儀の好きなようにしなよ」
「そうか……世話になったな」
「いやいや、私の方こそ色々世話になったよ。いずれ合うこともあるだろう。それまで達者にね」
「萃香もな」


そして二人は同時に酒を呑む。

「やっぱり、何だかんだで私はさ、パルスィの事が好きなんだ。
 あんな奴でも……あんな奴だからこそ、私は傍にいなきゃダメなんだ」
「うん……最後に一つだけ、聞いてもいいかな?」
「ん? なんだ?」
「勇儀、あの時なんでもっと早くにパルスィを助けに来なかったの?」
「どうしてそう思う?」
「だって、あの夜ずっとパルスィの傍にいたじゃないか」

それこそ、傍にいなきゃパルスィがダメになる、みたいに心配して。
萃香はそう言って、酒を飲み干した。

「参ったな……あれで、隠れてたつもりだったんだが」
「バレバレだったよ」
「まぁ……なんだ、情けないが助けられなかったんだ。アンタが余りにも怖すぎてな」
「嘘」
「ああ、嘘さ」
「本当は?」

「本当は……私はパルスィを利用したんだ。あいつがアンタに喧嘩を売って、アンタがまた鬼に戻る。
 それがわかってたから、好きにさせたのさ。だが、アンタが完全に鬼に戻るまでに割って入ったら
 もしかしたら、また人間に逆戻りするかもしれない。だから、完全に鬼に戻ってから、助けに入った」
「……そう」
「卑怯者さ。鬼として相応しくないってんなら、パルスィよりよっぽど、私の方が妖怪になるべきだ」
「否定はしないよ」
「おう……私からも、最後に一つ聞いてもいいか?」
「どうぞ」


「アンタ、何で人間と鬼の恋が成立しないってわからなかったんだ?」
「え?」
「初めっから、わかりきってたことだろう。鬼と人の恋なんて、どだい無理なことだ」
「ああ、そういう事か。それなら……」

萃香は、空になった杯を投げ捨てる。
杯は山から麓の森へと落ちていき。
いずれ、見えなくなった。

それを見届けてから、萃香はふいに立ち上がった。
そして深呼吸をすると、空に向かって言った。

「わかってたよ」

勇儀は、その萃香を見ることもなく。
また、酒を呑む。

「いつから?」
「最初からさ」
「最初から?」
「ああ、最初っからさ……」
「……そうか」


暖かな、風が吹いていた。
あれから何度目かの春。
蝶が飛び、花は咲き、太陽が燦燦と輝く季節。

二匹の鬼は、その言葉を最後に別れた。






それは昔々の物語。
今では語る者も途絶えた物語。
駆け足で話したこの物語もまた一つの終わりを見た。


嫉妬の妖怪として生まれ変わった水橋パルスィは。
その後、旧都に住み着き。
地上と旧都を結ぶ、橋姫となり。
通行人の安全を守ることとなる。


星熊勇儀は、パルスィが住まう地底へ向かい。
共に生活をし始めた。 
以前の状態から、一回りも二回りも大人しくなってしまったパルスィに面くらいながらも
それはそれで楽しく暮らし始めた。


そして。
最後に山に残った萃香もまた。
数年後、姿を消した。



だが、突如再び幻想郷に姿を現し。
霊夢以下、人妖入り乱れての宴会騒ぎを起こしたのが、それから五百年後のこと。



その後。
霊夢の手伝いとして、地底探索の折。
偶然にも、パルスィ、勇儀らと思わぬ遭遇をするのは。
それからまた、四年後の出来事だった…………
まずは、この冗長ながらも内容が穴あきのペラッペラな物語を読んで頂けたことに感謝です!!

このSSは『嘘と慟哭』という歌を元に作られています。
誠に勝手ながら『嘘と慟哭』を『萃香編』
このSSを『勇儀編』という形で、書きました。

完全に実力がないゆえの言い訳ですが。
もしお暇な時間があれば、『嘘と慟哭』を聞いた上で、読んで頂けたら、少しはこのSSも……マシになればいいなぁ。
秋風茶流
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コメント



0.620簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
そういった解釈もあるのか……。
7.90奇声を発する程度の能力削除
独特の雰囲気があり面白かったです
11.90とーなす削除
うーむ、パルスィかあ。予想できなかったなあ。
珍しい解釈のSSでした。面白かったです。