博麗霊夢は朝起きた。
そしていつもの日課であるラジオ体操をしようと思い、表に出たところ、落とし穴に落ちたのである。
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季節は夏の終わり頃。昨日雨が降ったばかりとはいえ、こうまで地面が柔らかくなることもあるまい。
空は曇天であるが、雨の気配はしない。今日は涼しい一日になるだろうな、と思った。
「いい湯だったわ」
博麗霊夢は風呂上りだった。
今朝、早朝の日課であるラジオ体操をしようと表に出たところ、落とし穴に落ちたのである。結構な規模のやつであり、地面も水をふんだんに含んでいたため、当然の帰結として霊夢は泥まみれとなった。したがって風呂に入って汚れを落としてきたのだ。
「よう霊夢」
「あら魔理沙、人ん家に勝手にあがるとか」
「風呂を貸してくれないか」
魔理沙は泥まみれだった。
境内に空いた穴は二つに増えていた。今しがた魔理沙も落とし穴に落ちたらしいことは明白だった。
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風呂を出て、礼を言ってから、魔理沙は去って行った。
霊夢は、彼女は何か用事があって神社を訪れたのではないのかと疑問に思ったが、ともあれ今日のラジオ体操は中止にしようと思った。
風呂上りに汗をかきたくないからである。今日は出かける予定もないし、ご飯は昨晩の余りのすき焼きがある。つまりお茶さえ淹れてしまえば縁側から動かなくて済むということだ。
「そういえば、最近香霖堂に行ってないなぁ」
幼き日の自分は、暇になればしょっちゅう香霖堂に遊びに行っていた記憶がある。夜が終わらなくなる異変が終わった頃ぐらいから、あまり行かなくなった気がする。
久々に遊びに行くのも悪くない気がする。霖之助さんだって、自分の姿を見れずに寂しがっているかもしれない。
なわけないない、と霊夢は自己ツッコミをした。人は独りでは生きられないが、霖之助は半分人じゃない。他者との関係の内にアイデンティティを見出し、それを糧に生きねばならぬという人の欠点を持たないのだ。
「一生一人で生きれる、かぁ。羨ましいかなぁ。羨ましくもない気がするけど」
そう独り言を言った時、新たな来客にして、二人目の犠牲者が現れた。
風見幽香は、神社に訪れ、笑顔で右手を振って『ごきげんよう』と言おうとしたようだが、笑顔のまま素早く真下にスライドして行き、姿は見えなくなった。
「幽香ー、風呂貸そうかー?」
境内には大きな穴が地面に三つ空いていた。今日の博麗神社は落とし穴まみれなので、迂闊に動くこともできない。
やがて幽香は落とし穴から這い上がってきたが、何が何やらわからぬという面もちで、さらにもう一歩歩き、また別の落とし穴に落ちたのだった。
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二つ目の落とし穴に落ちた後、幽香は空を飛べば落とし穴に落ちずに済むことに気付き、そして神社の風呂を借りたのだった。
「幽香ー、湯う加減はどう?」
「すこぶる悪くないわ」
霊夢は脱衣所に置いてある幽香の服を見た。
ファッションなどに興味のない霊夢でも、ハッキリとダサいと言い切れるチェックの服が置いてあった。彼女は毎日これを着て出かけるが、これしか持ってないのだろうか。それともこれが余所行きなのだろうか。
「しかも何これ。ブラなの? デカ過ぎ。スイカでも万引きするつもりか、アイツは」
何だか妙に巨大なブラにビックリしたので、霊夢はとりあえずそれを隠した。
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……
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「いいお湯だったわ」
「どういたしまして」
縁側でお茶を飲んでいたところ、風呂から上がった幽香が歩いてきた。
「ねえ霊夢。貴方私の下着隠したでしょ」
「隠してない」
「ならいいんだけど」
幽香は風呂を借りた礼を言って去って行った。
彼女もまた、何か用事があって神社に来たのではないのか。最初から風呂を借りる目的で訪れたのだろうか。
そこまで考えて、霊夢は、日頃から神社に訪れる有象無象が用事などを持ってきた試しが一度もないことを思い出した。
魔理沙や、幽香。レミリアに萃香にその他諸々。神社には多くの来客があり、霊夢は必ずお茶を飲んでそれを出迎える。
そんな生活が数年続いている。霊夢は自分が霖之助のように、他者との関係性無くして生きられるような強い人間だとはうぬぼれていなかった。神社にたびたび訪れる来客が無ければ、自分は退屈に蝕まれ、少なくとも今の自分を保てなくなってしまうだろう。
他者と関わることの無くなった人間は、顔つきが弛み、それより先か後かわからないが、生活習慣が悪くなる。ラジオ体操をやらなくなり、風呂に入らなくなり、縁側でお茶を飲むことも無くなり、布団で寝てるだけの生活になるだろう。
そのことを霊夢は無意識下で恐れた。用事も無く訪れる人々の用事は、唯一霊夢自身に他ならない。なら自分に飽きてしまったなら、みんなはもう神社に来なくなってしまうかもしれない。
だから落とし穴を掘った。異変解決の時に働く独特の感覚『勘』の赴くままに、昨晩、一生懸命掘った。雨が降った後なので作業も捗った。
そのことをすっかり忘れて朝一番に自分が落ちたりもしたが。
霊夢は自分から他者に対してコミュニケーションを持ちかけるということをしたことがなかった。だから幼稚園や小学校の子供と同じような、下手くそなそれになってしまうのは、仕方のないことである。
「はぁい、霊夢。ごきげんよう」
「今日は千客万来ね」
スキマからにょっきりとスキマ妖怪が生えてきた。彼女は空間移動をするため、落とし穴にはハマらず、霊夢の隣まで一っ跳びだ。
「はい、十か月遅いクリスマスプレゼント。あんたにピッタリでしょ」
「え、何このスイカでも万引きするんじゃないかってサイズのブラ」
いつもと違うコミュニケーションの入り口を作れたため、霊夢は満足した。彼女はよく『何事にも興味がない』と言われるが、それは彼女の個性ではなく、単に未熟な部分だった。しかし他者とのコミュニケーションに魅力を感じ始めた霊夢は、やがて成長し、精神的にも熟成した立派な大人になるだろう。
「ねえ霊夢、これ誰の? 誰か神社で寝たの?」
「ねえ紫、ポン酢のポンって何かしら?」
「いや、ねえ。このブラは誰の。くんくん。このほんのり植物臭いブラは」
しかし今日一日霊夢は紫との会話が全くかみ合わず、あまり楽しい思いをしなかったそうな。
コミュニケーションツールとして落とし穴を掘る霊夢かわいい。
個人的には、『大人の階段霊夢』っていう初期タイトルの方が印象的でよかったのではないかと思います。
湯加減?
犯人はてゐかと思ったけど霊夢自身だったのか
後、幽香が笑顔のまま落ちてく所を想像したら凄いシュールで笑ったw
おもしろかったです
>「幽香ー、湯う加減はどう?」
これは『幽香』と『湯う加』がかかった、当時の私なりに精一杯考えさせて頂いたギャグでございます。
当時は振ったギャグが気づかれずにスルーされたのを、あえて説明するのを恥に思い、特に触れぬままにしておきましたが、
『自分が誤字だと勘違いされたままのギャグ』の気持ちに考えが及んだ結果、きちんと説明をさせて頂いた次第であります。
簡単ではありますが、皆様への謝辞と作品の補足のための書き込みでした。
今後とも私めの作品をよろしくお願い致します。