「芳香、柔軟体操の時間です」
「うぇー」
にこにこ笑いながら青娥は言った。
いつも笑ってるけど。笑ってない顔なんて憶えてないけど。
それにしても柔軟はやだなぁ。
「なに嫌そうな顔してるの」
「柔軟はやだなぁ」
めんどくさいし。おんなじことの繰り返しだし。
肩と足の付け根は動くんだから十分だと思うのになー。
前後に90度も動けば十分じゃん?
「怪我したら危ないでしょう?」
「いいよー。別に痛くないんだし」
痛いってなんだっけ。思い出せないな。
よくないことって青娥が……あれ? 青娥が言ってたんだっけ?
首をゴキリと傾げる。なんか、とても嫌なことだった気がする。
死ぬことと同じくらい嫌なことだった気がする。
でも痛くないんだし。どうでもいいんじゃないのかな。
「ダメ。痛くなくても怪我は怪我です」
すっと青娥の笑みが消えた。怖い。忘れてたけど笑ってない青娥すごい怖い。
内心すぐ修理できるくせにとむくれながら渋々従う。
壊れたら直せばいいのにさ。
「では……腕を前から上げて背伸びの運動っ!」
青娥は声を張り上げる。
うわーまだ怖い顔のまんまだ。早く笑って欲しい。
「はい! いーちにー! さーんしー! ごーろーく!」
「ひええええー」
体中をギシギシメキメキいわせながら動かす。
おう、爪先立ち出来なくて転んだ。
「今日はこのくらいにしましょう」
疲れた。痛くもないし疲れもしないんだけど気分的に疲れた。
ぶっ倒れたまま起き上がりたくない。なんか青娥がべたべた触ってくるけどどうでもいい。
ぬ、青娥そこ曲がんない。骨入ってる。……曲げるわけじゃないのか。折れるかと思ったけど。
「ふむ。どこも怪我してないわね」
柔軟後の損傷チェックも嫌なんだよなー。触られて恥ずかしいし。
大体自分で柔軟程度で壊れるほど柔に作ってないって自慢してたくせに。
早く棺桶に戻りたい。愛しのマイベッドよー。
ベッドってなんだっけ? 飼い猫?
「そろそろご飯の仕度しないとね……」
「ごはん!」
動きっぱなしでおなかすいた気がする! 気分的に!
起き上がったら青娥は笑っていた。おお、怖くなくなってる。
「何か食べたいものはありますか?」
「んー、なんでもいいよ。青娥の作るごはんはなんでも美味しいし」
「芳香は変わらないわね、昔から好き嫌いなく食べて」
作る方はかえって困るのに。そう呟いて苦笑する。
昔から? 青娥はあんまり昔のこと言わないのに何時のことだろう。
そも変わらないって? 私は青娥が甦らせたキョンシーなんだから変わるわけがない。
何故そんなことを言うのかわからない。私が変わったことがあったのだろうか。
時々、青娥はよくわからないことを言う。
「それじゃ作ってきますね」
言って彼女は台所に向かう。
いなくなった青娥の表情を思い出す。
苦笑だった。あまり見た覚えのない顔。
なんか――……寂しそうな笑い方だった、な。
それが、なんだか印象的だった。
がつがつと並べられた料理をたいらげていく。
「おいしい?」
「おいしい!」
手が使えないから犬食いだけど、青娥はその辺も考慮に入れて皿を並べてくれるから食べ易い。
それに手で食べれないからって味が落ちるわけじゃないのだ。美味しいものは美味しい。
なにより青娥の料理はちょっとやそっとで味が落ちるような代物ではない。
ずっと食べ続けている私が言うのだから間違いない。
「もう、顔中べたべたじゃない」
おっと勢い良過ぎたか。ごしごしと顔を拭われる。
「お箸を使えるくらいにはなりたいわねぇ」
「オハシ?」
「私が使ってるこれ。でもまずはスプーンとフォークかしら」
「スプー?」
「後で教えてあげるわ。いつかはお箸使えるようになりましょうね」
布巾を畳んで青娥は微笑む。
「芳香は日本人なんだから」
ニポンジン? なんだろうそれ。
ただ、また彼女は寂しい笑い方をしている。
どこか遠くを見るような、そんな笑い方。
寂しい。なんでだろう? 私が居るのに。青娥と私。二人じゃ足りないのかな?
「あ、そうだ」
「うん?」
明暗を思いついた。じゃない、名案。
「キョンシーをもっといっぱい作らないか? そうすれば無敵のキョンシー軍団だー」
これなら青娥も寂しくないぞ。
「つよいぞーかっこいいぞー」
我ながら素晴らしい。これ以上の名案はあるまい。
青娥は寂しくなくなるしいつぞやの侵入者共にも負けない軍団が出来る。
侵入者って誰だったっけ。まあいいや、これで青娥は笑ってくれる。
「そうねぇ」
にこにこと笑いながら青娥は私を見る。
お、褒められる? 褒められるかな?
「私は、要らないかな」
あっれ。
「なんで?」
「だってほら、芳香一人でもこんなにいっぱい食べるのにそれが大勢になったら大変だわ」
「ああそうかー」
盲点盲点。それは確かに大変だ。
食料の奪い合いになるし共食いになるかもしれない。
……キョンシーって美味しいのかな? 自分を食べるのは嫌だから確かめられない。
うーん。気になるなー。一体くらい食用に作ってくんないかなー。
おっとっと、忘れるところだった。気にはなるけどそんなのどうでもいい。
これがダメとなるとどうすれば青娥の寂しさ消せるんだろう。
「私のキョンシーは芳香一人よ」
悩みながらも食事を続けていたらしく、空の皿の前で唸る私の顔を青娥は拭う。
拭われながら彼女の顔を見る。笑ってる。寂しそうな、満たされているような。そんな笑顔。
寂しいのか寂しくないのか判然としない。彼女が何を求めているのかわからない。
私を見ているような、見ていないような……ううん、何考えてるのかわかんなくなってきた。
まーなんかして欲しくなったら命令するかぁ。私が考えるよりいい答え出すだろうし。
ん……私だけってどういう意味だろう? うぬぬ?
「さ、そろそろ寝ましょうか」
「あーうん」
疲れたなぁ。気分的に。休まないとダメかぁ。
「棺桶の保冷剤代えておきましたからね」
「ありがとー」
青娥に誘われるまま棺桶の置いてある部屋まで歩く。いや飛ぶ。私歩けないし。
愛しのマイベッドが見えた。彼女が棺桶の蓋を開けると冷気がぼわっと広がる。
シーツの下に青い保冷剤がびっしり詰め込まれてる。うむ寝心地良さそう。
「もうキョンシーになって結構経つんだし、腐らないわよ?」
暗にベッドで寝ないかと彼女は言う。もう何度も言われてるからそれくらいはわかる。
ベッドつってもなぁ。これが私のベッドだし。彼女が使ってるようなのはちょっと落ちつかない。
うん? ベッドってなんだっけ?
「習慣かなー。棺桶で寝てた時間の方が長いしー」
「まあ千年以上寝てたからねぇ」
もうどれくらいになるっけ? ここに来る前も青娥と一緒に居た気がする。
憶えてないけど。楽しかったような、幸せだったような、そんな気がする。
あーなんだっけ。妖怪退治とかしてたような。あの妖怪美味しかったっけ?
青娥がレーゲンドーシとか名乗って田舎で暴れてる妖怪をチョーブクしたりなんだり。
違ったっけか?
「どうしたの芳香。今日はいやに考え込んでるじゃない」
「うん? あー、えーとね」
訊いとこうかな。何訊けばいいんだろ。
うーん、うーん……あ、そうだ。
「ねえ青娥」
「なぁに芳香」
「なんで私を甦らせたの?」
どうも私はニポンジンとやららしい。青娥は唐って国から来たと言っていた。
違う国の人間だ。彼女がキョンシーとして使役するなら唐の死体がいいだろうに。
青娥といっしょに妖怪退治の旅をしてた頃も疑問だった気がする。
その国の死体を使えばよかったのに私をずっと使ってた、ような。
そういうのって、不便だと思うんだけど。
あれ。旅とかしてたっけ。
おや? なんで答えないんだろう。いつもは私が余計なこと考えだす前に答えてたのに。
見れば、虚を突かれたように彼女は目を丸くしていた。
「青娥?」
「え、あ、ああ……」
なんだろう。こんなうろたえてる青娥初めて見る。忘れてるだけかもしれないけど。
「嫌だった?」
「ぜんぜん。青娥のごはん美味しいし。ただなんでかなって思った」
強張った顔のまま、笑みを浮かべることを忘れたまま彼女は逆に訊いてきた。
おやおや? 訊いちゃまずいことだったのかな? 怒っては、いないみたいだけど。
怒っているというより驚いているというより、怯えて、いる?
「青娥……?」
彼女の顔を覗き込む。
私より背の低い彼女が俯いているから、首やら腰やらゴキゴキと賑やかになるけど無視する。
あ、背骨あたりがポキって鳴った。まあいい。痛くないし。
私の身体より彼女の方が心配だ。
「芳香が可愛いからよ。これじゃダメ?」
可愛い。そりゃ嬉しいけど、いくら私でも誤魔化されない。
だって青娥はまだ私を見ない。怯えたように視線を逸らしたまま。
なんだろう。いつも自信満々な青娥らしくない。
なんだろう、なんだろう――こういう青娥は、なんか嫌だ。
柔軟体操よりも、ずっと嫌。
「青娥」
前に伸ばしたままの両手を青娥の肩に乗せる。
ゆっくりゆっくり両手を曲げていく。ギシギシ関節が悲鳴を上げるけど無視して彼女の頭を抱く。
「ごめんね」
困らせるつもりなんてなかった。怯えさせたくなんかなかった。
彼女は笑ってる方がキレイなのに。私が笑顔を奪ってしまうだなんて。
「芳香……」
私の胸元で彼女は呟く。
どうすれば――いいのかな。
「芳香……!」
うん? そんな暴れられるとくすぐったい気がするぞ?
「いた、痛い! 芳香放して! 頭、頭割れる!」
「おおっと」
力加減間違えたー。えっと、放す放す……関節がメキメキうるさいな。
解放された青娥はその場で座り込んで肩で息をしていた。
「芳香……やっぱり……ぜぇ……柔軟……続けましょう……ぜぇ……」
うむ、言い返せない。危うく放すの遅れて抱き潰すところだった。
この怪力に動かせない関節……やっぱ不便かも。
「ご、ごめんね?」
「別に……いいですよ。慰めようとしてくれたんでしょう?」
言って、彼女は笑顔を私に向けてくれた。
苦笑だったけれどさっきよりずっといい顔。
うん、やっぱり青娥は笑ってる方がいい。
笑ってくれた……抱き締めたのがよかったのだろうか?
だったら、今度から青娥が笑ってない時は抱き締めよう。
「もう寝ましょう。明日も柔軟体操しっかりやりますからね」
笑顔がちょっと怖いのは気のせいだろうか。
気圧されたわけじゃないけど素直に棺桶に入る。
「それじゃ芳香、おやすみなさい」
「うん。おやすみなさい」
棺の蓋が閉じられる。柔軟か。とりあえずやってみよう。
安全に青娥を抱き締められるようになりたいし。
それで彼女が喜んでくれるなら柔軟も嫌じゃない。
真っ暗闇の中で目を閉じる。忘れないように、寝ながら考え続けたいな。
死体だから考え続けなきゃ忘れてしまう。寝てる間も想い続けたい。
私は、夢を見ないけれど。
そして翌日。
「柔軟体操始めますよ」
「うん」
昨日のことはまだ憶えてる。こういうの奇跡と言うんだっけ。
「あら、今日は素直ね?」
「いいからやろう」
忘れない内に早くやりたい。早く柔らかくなりたい。
青娥を抱き締める。それが目標だ。
「? ……それじゃ、腕を前から上げて背伸びの運動」
言われた通り、彼女の掛け声に合わせて体を動かす。
全身がメキメキビシビシうるさい。でも痛くないんだし構わない。
もっと早く、もっと強く。彼女を抱き締めても壊さないように。
ゆっくりゆっくり言われてるけどじれったくなってきた。
「ごーろーく、しーちはーち」
……まどろっこしい。
私は、早く、青娥を抱き締めたいんだ。
「腕を大きく開いて……」
腕。抱き締めるのに必要な部分。
ここを強く、早く!
「せいやぁっ!」
「芳香!?」
ぶちっ
「お?」
ぷらぷら。
「おお?」
ぶらぶら。
「おおおー」
ぶんぶんぶん。
「青娥! 動いた!」
「いやちょっと待って。動いたっていうかそれ」
あれ? なんで青い顔してるの。
青娥は慌てた様子で私の腕を診ている。
「……腱が切れてる」
「ケン?」
なにそれ。
「腕を動かす大事な部分よ。あああどうしよう」
……もしかしてまずいことになってる?
言われてみれば肘から先がぶらぶらするだけで動かせない。
これじゃ抱き締めるどころじゃない。
「待ってて、すぐ手当てするから」
あちゃあ。修理になっちゃったかぁ。
うーん……青娥の言う通りゆっくりじゃないとダメなのか……
彼女はなにやら難しい字が書かれたお札を私の肘にべたべた貼りつけていく。
そうそう、壊れたらこれ貼って直すんだよね。お? もう肘から先の手応えが戻ってきた。
「芳香、まだ動かしちゃダメです」
まだダメかー。はぁ……早く抱き締めれるようになりたいのになぁ。
「……芳香」
「うん?」
あれ、なんだろう声が怖いぞ。
「なんでこんな無茶したの」
笑ってなかった。明らかに怒ってる。
おおう、これはお説教三時間ぷらすごはん抜きコースの顔。
「いや、あのねー」
素直に吐く。
「早く青娥を抱き締めたくて。力一杯やれば早く柔らかくなるかなーって」
「抱き締める?」
「うん。ほら昨日、青娥抱き締めたら笑ったでしょ? あんな感じで」
何故か、青娥は黙り込んでしまった。え、さらに怒らせた?
どどどどうしよう。このままじゃ青娥のごはんが食べられない。
あやまる? でもどうやってあやまれば――
「……腱、繋がったわね。芳香、ちょっと動かしみて」
「え、はい、うん」
びくびくしながらそっと動かす。
お? こころもちさっきより動くような。まだギシギシいうけど動くことは動く。
でもまだ抱き締めれるほどじゃないか。先は長いなぁ。
いつになったら私は青娥を抱き締めれるのだろう。
「こんなものですかね――」
肘に貼ったお札を剥がして、彼女は私の目の前に来た。
「じゃ芳香、最後です」
最後? まだ損傷チェックするの?
彼女は私を見上げて、怖い顔のまま口を開く。
「私の頭を撫でなさい」
なでる。
彼女がいつも私にしてくれるように?
それじゃまずは、ええと……腕を、上げて……
肘をゆっくり曲げていく。手首をギシリと傾ける。
彼女の頭を潰さないようにそっと置いて、肩と肘を少しずつ動かして……
青娥がしてくれるのと違って、ぐりぐりという感じだったがなんとか出来た。
「うん」
これでいいかと問う前に彼女は私を真っ直ぐに見上げた。
「無理しなくても、これで十分ですよ」
なんでかはわからない。
わからないけど、青娥は笑っていた。
いつも見てる青娥の笑顔。だけど、なんか。
その笑みは、とてもかわいいと、そう思った。
うん、そうだな。
青娥が喜ぶんなら、柔軟体操を続けてもいいな。
抱き締めれなくても、彼女が笑ってくれるのならそれでいい。
死人タンキーで倒しちゃった芳香を抱き上げるような青娥さんがなんかどきどきするのですよ。
惜しい。90度目ましてだったら芳香SSにちょうどよかったのに。
ぎこちなくも優しく抱きしめた芳香の胸で、青娥は健やかな笑い声をあげるのだろうか。
そこには若干腐臭まじりの風が香っているのだろうか。
明日になったら何もかも忘れてしまっているのかもしれない。
そんな危うさを抱えた芳香と、全て織り込み済みの青娥だからこそ、
この作品にちょっとした切なさを感じるのかな。
笑っていて欲しいね、二人には。
どっちが使役してんだかたまにわからなくなりそうですね。
せいよし、かわいい!
二人が互いを思う気持ちとか、二人の心情とか、ちょっとした切なさ。
すべてが良かったです。
抱きしめる事が出来た日には、二人とも笑顔でぎゅーってしてるんだろな。
素晴らしい話をありがとうございました。
芳香のお馬鹿な自傷行為にたいして「めっ」しちゃわずにいられない優しい青娥ママさんホント押忍ッ押忍ッ!!!
芳香の純粋さとちと後ろ暗い青娥の合致から生まれるこの温かさよー! 失礼、ごちそうさまでした。
あと、
<そも変わらないって? 私は青娥が甦らせたキョンシーなんだから変わるわけがない。
もしかして、そもそもですか?
村紗むらむら
芳香よしよし ←New!!
芳香ちゃんを撃墜すると通常弾幕でも発狂しちゃうくらいには、芳香ちゃんに依存してると見える。
しかし死や忘却では無かったことにできないものが、この二人の間にはちゃんと在るのだ。
神霊廟もいいキャラが揃ってるなー。これからが楽しみだわ。
今のところはとりあえず、芳香よしよし。
柔軟体操がんばる芳香かわいい。
それはそうと、せいよしは俺の~ってやつ誰か良いの考えつかないかな…。
好きな人のために頑張る芳香ちゃん可愛いです。
青娥にゃんも芳香ちゃんのこと溺愛してるんだろうなぁ。
この二人に飢えていたので明日への希望が持てました。御馳走様でした。
そんな気分になりました
ともあれ良い神霊廟SSをありがとう!甘酸っぱいぜ!