あたいは死神を辞めます。
四季様は何も言わない。死神の退職は上司の閻魔次第だ。受理してくれれば辞める事が出来るのだけど、認めなければ一生死神のままだ。四季様が無言を貫けば、あたいの処分も決まらない。
だがもしも認めなくても知ったことかい。四季様には迷惑が掛かるけど、その時は逃げてでも辞めてやる。あたいの決意は固かった。例え誰が何と言おうと、最早この決断を変えることは出来ない。
四季様は目を瞑り、重厚そうな椅子に体重を預け、口をつむぐ。重苦しい沈黙は部屋中に充満し、生半可な覚悟であれば冷や汗を垂らしながら言ったことを撤回して貰うだろう。あたいもよく休暇やらを申請する時、そうやってすぐに撤回したものだ。閻魔を相手にするときは、自分も覚悟を持って挑まなきゃいけない。
一歩も下がる事は許されない。臆しては負けなのだ。あたいがちょっとでも気圧されたら、その瞬間に四季様は悔悟の棒を突きつけて不可の二文字を叩きつける。普段のあたいであれば、よっぽどの我慢をしなければならなかった。
だけど、残念ながら今のあたいは普段のあたいではない。あの出来事を切っ掛けに、小野塚小町は変わってしまった。ただ暢気に船を漕いでいたあたいは、もうどこにもいないのだ。
彼女と一緒に死んでしまった。だから愉快で陽気なあたいはもういない。船を漕ぎ続ける事は出来ても、死神でいることは出来なかった。辞めて何になるのか、全く考えていない。衝動的な辞職だ。だけど後悔はしていない。あたいは心底から、この職を辞めたかったのだ。
長すぎる沈黙の果てに、四季様は目を閉じたまま口を開く。
「死神を辞めたいという申し出は珍しい事ではありません。そして中には受理されて、そのまま亡霊として生きる者も少なくない。その結末が如何なるものであるか、私には知らされていませんがロクなものでないことは確かです。一度辞めてしまえば二度目はありませんから、例え何をしたところで復職は不可能。それでも辞めますか?」
「辞めます」
間髪入れぬ答えは決意の表れだった。四季様が何を言おうと、もうあたいは決めてしまった。今更、揺らぐことなんて有り得ない。
「私が辞めないでください、とお願いしても?」
「……………………」
権力にも暴力にも脅迫にも屈さないつもりだったけど、これにはさすがに参った。普段は口うるさくガミガミとお小言ばかりで、てっきりあたいの事なんて他の死神以下の存在でしかないと思っていただけに、この言葉は胸に染みいった。
目を開く。愛玩動物のようではないが、どこか縋るような弱さが見える。常に規律正しく、自分の部屋でも背筋を曲げない四季様。そんな四季様が見せる弱さにどういう意味があるのか、鈍感なあたいでも分かる。
「あなたは確かに怠惰で不真面目で私語も多い。仕事の面ではお世辞にも優秀とは言えませんでした。部下としては最低点を付けます」
辛辣だが反論できない。全て事実だし。
「ただ、職場の仲間としては逆に私が助けられました。こういう性格ですので周囲との摩擦も絶えません。あなたが仲介役として間に入ってくれなかったら、こじれていた案件も少なくはないでしょう」
「四季様……」
「それに、その、あなたが居なくなると職場が寂しくなる」
頬へ朱を散らし、視線を逸らす。目を合わさない時は本当にやましいことか照れくさい時だけ。これにはさすがの決意も揺らぎかけたけど、所詮は水に石を投げ込むだけの行為。波紋は立てても、そこにある水は何も変わらない。
唇を噛みしめ、拳を握りしめる。これを言えば四季様は失望するだろう。いつまでも未練に引きずられるような方ではない。すっぱりとあたいの事は忘れ、次の死神候補を探すはずだ。少なくとも四季様の補佐に関しては心配することもないだろうし。
だからあたいもきっぱりと言ってしまおう。
「すいません、四季様。それでも、あたいは辞めたいんです」
もう一度目を閉じ、重い溜息を吐いた。
「分かりました、受理します。小野塚小町、あなたの退職を認めます」
その瞬間、胸の苦しみがスッと消えていくような錯覚を覚えた。そして同時に訪れたのは虚無感。もうあたいは死神ではない。五月蠅い小言を聞かなくても済むし、筋肉痛に悩まされることもないのだ。束縛から解放されたはずなのに、どうしてこんなにも空しさを覚えてしまうのか。
当たり前だ。あたいは仕事が辛いから辞めたんじゃない。ただ、この死神という職から逃げ出しただけなのだ。未練だってある。本当はもっとやっていたい。だけど知ってしまった以上、最早死神という職を続けることは不可能だ。
緩みかけた涙腺を引き締め、頭を下げる。最後まで礼に徹する。それがあたいの出来る、唯一の恩返しだ。四季様は椅子を回し、こちらから見えるのは背もたれの部分だけ。それでもあたいはしばらくの間、頭を下げ続けた。
自然と出そうになる謝罪の言葉をしかし、四季様の謝罪が遮った。
「ごめんなさい、小町」
何を謝る必要があるのか。四季様は何も悪くないというのに。
「私があんな仕事を頼まなければ、あなたはきっと死神のままでいられた。私一人だけで勤めれば良かったのに、あなたに頼ろうとした私の弱さが全ての原因ね」
「それは違いますよ、四季様。だって、あなたは閻魔を辞めようとしていない」
誰もが嫌になるのなら、あたいの目の前に居る人は何だ。まだ閻魔を続けているじゃないか。逃げ出してしまったのはあたいだけ。だから四季様は悪くない。
「弱かったのはあたいの方です。全てから逃げ出そうとしているんですから」
四季様は何も言わなかった。これ以上は続けても泥沼になるだけだ。最後の別れを醜い言い争いで終わりたくはない。そういう気持ちの表れだろう。あたいも同じ気持ちだ。
この人とは綺麗に別れたい。だけど本当は、もっと格好良く別れたかった。
こんな、こんな、情けない結末を迎えるとは。
あの頃のあたいは露ほどにも思っていなかった。
四季様の仕事は大変だ。代わりたいと思えないぐらいに忙しい。それをたった一人でこなしているんだから、本当あたいの上司は優秀だよ。口うるさいのが玉に瑕だけど。
そんな四季様が仕事中に溜息を吐いたもんだから、思わずあたいは驚いた。今月三途の川を渡した霊の数だとか、勤務報告書の提出は死神の役割。上司への報告だけは欠かしてはならないと何度も耳にたこが出来るほど聞かされた。だからあたいも報告だけはサボったことがないし、四季様だってこの程度の仕事はお手の物のはずだ。
溜息を吐くなんて珍しい。だけど、四季様が見つめるのは書類の束ではなくカレンダーだった。
「もうすぐですね」
あたいもカレンダーを見たけど、何がもうすぐなのかさっぱり分からない。誰かの誕生日ではないし、何処かへ出かけるわけでもない。ただ四季様の顔色は優れていないから、きっと気の重い予定なのだろう。
何かあったかな。あたいは首を捻ったけど特にこれといったものは思い浮かばなかった。閻魔だけの行事か会議か。それならあたいが知らないのも無理はない。
「よほど嫌な予定があるみたいですね」
「嫌というより気が進まないだけです。まぁ、この日を待ち望んでいた人間など一人もいないでしょうし」
顔をしかめながら書類を整える。四季様が書類を確認するまで、あたいはこの部屋から出ることが許されない。勝手に出て行けば怒るだろうし、かといってこのまま滞在するのは危険だ。あたいの第六感が警鐘を鳴らしている。
厄介事に巻き込まれそうだ。面白いことなら進んで参加するが、厄介事やら面倒事は六文銭を払うからお引き取り願いたい。昼寝をこよなく愛するあたいには両者とも相応しくないのだ。
怒られることを覚悟で部屋を出て行くか、それともこのまま何もなく終わるのを祈るのか。無情にも過ぎ去った時間はあたいから選択肢を奪った。
ふと書類から顔をあげた四季様が、じっとこちらの方を見る。後ろを振り返っても、あるのは武骨そうな扉だけだ。誰もいない。そう、あたいしか。
「小町」
「聞こえません」
「こんな密室で何を言うのですか。小町」
もう逃げられない。こうなっては例え逃げ出したところで四季様は追ってくる。意外と執念深いのだ、この人は。
「聞きたくありませんけど、何ですか?」
てっきり嬉しそうな顔で言うと思ったんだけど、四季様は何か言いたそうに口を開いてから難しい顔で腕を組んだ。ぽっかりと空いた口も今ではすっかり閉じている。厄介事を押し付けるにしては、随分と思い悩むじゃないか。妙だね。
しばし考えたところでようやく結論が出たらしい。それはあたいにとって凄く良くないものだった。
「小町、私の手伝いをしてくれませんか?」
お願いのように聞こえるが強制である。嫌だと言えばお小言が続き、用事があるんでと逃げ出せば当日まで付きまとう。そういう面倒臭い一面を持つ人だからこそ、逆に仕事は評価されているのだ。一種の職業病ではないかと最近思うようになった。
肩を落とすしかない。もうその言葉を言われた時点であたいの負けは決まっていたようなものだ。
「ええ、いいですよ」
それでもやっぱり四季様の顔色は優れず、むしろ気まずそうに口元を押さえている。何かやらかした時のあたいも、こういう表情をよくしていた。
「嫌だったら断ってもいいんですよ?」
珍しい。一度頼み込んだから嫌だと言っても許さないのが四季様だ。こうやってちゃんと確認をとるなんて、まさかそれほどに厄介な事なのか。そこまで考えたところで、そもそも何かやるのか聞いていなかったことを思い出す。
四季様も言い忘れたことに気付き、軽く赤面しながらコホンと咳をした。
「一週間後に稗田阿求が亡くなります。つきましては稗田阿礼との約束により、生前葬を行わなければなりません。あなたには、その手伝いをして貰いたい」
案の定、面倒くさそうだ。ただ、そこまで躊躇することなのかと疑問に思う。そもそも四季様がこの程度の行事に嫌そうな顔を見せるだなんて、そこからして有り得ない。そんなにも大変なんだろうか、稗田の生前葬ってやつは。
「ちなみに、小町は稗田の生前葬へ参加した経験はありますか?」
「ありませんね。前の時はまだ死神見習いでしたし、そういう行事に参加させて貰えませんでした」
だから何も知らない。
「そうですか。生前葬に関しては別に普通の葬儀と大差ありません。まぁ、当人が生きているというのは大きな違いかもしれませんが、運営する側からみれば些末なものです」
「だけど、あたいそういう運営とか苦手なんですよ」
管理とかスケジュールとか聞いただけで蕁麻疹が出そうになる。あたいとは縁遠い単語だ。おそらく今後も相容れることはない。
四季様はあたいの上司だ。さすがに、そのぐらいの事は分かっていた。
「あなたにお願いしたいのは運営の手伝いではありません。生前葬の後。稗田阿求の棺桶を運ぶ手伝いをして貰いたいのです」
まだ生きているのに棺桶へ入れるのかという疑問は、すぐさま自分の中で解消した。そうだ、阿求が亡くなる日は決まっているのだ。当然、時間も秒単位で既に決定しているのだろう。その時間に棺桶へ入り、後は普通の葬儀と同じく火葬場へ持っていくのか。
あたいの予想は概ね合っていた。四季様も特に否定はしない。
確かに、これは気が進まない。親友ではないとしても阿求とは顔見知りだ。彼女が死ぬ瞬間を看取るのはあまり楽しいことではない。ただそれにしたって、四季様は多くの人間が死ぬ所を看取ってきた。今更気が進まないというのは不自然に思えるのだけど。
何にしろ断る理由はなくなった。阿求の葬儀だ。せめてあたいも何かの力ぐらいにはなってやってもいいだろう。色々とお世話になったことだし、最後の時ぐらいはこっちが助けてやらないと。
「分かりました。お手伝いさせて貰います」
得意気に胸を叩く。
一瞬だけ安堵の表情を見せる四季様。だけどすぐに頬を引きつらせ、自制するように目を閉じた。様々な葛藤が表情から見受けられる。生憎とあたいはさとりじゃないので、四季様が何を考えているのか分からない。それでも何か苦しんでいることは確かだ。
阿求だけじゃなく、四季様の手伝いも出来れば最良である。もっとも、そこまで役に立てるのか甚だ疑問だけど。
「生前葬の後を担当するのは、今のところ私とあなたしかいません。出来れば、あと一人か二人ほど助力を請いたい。小町、幻想郷で誰か手伝ってくれそうな人に声をかけてください。ただし、必ず仕事の内容は説明してくださいよ」
「了解です」
稗田阿求は顔が広かった。幻想郷縁起を作っていたせいだろう。きっと生前葬は華やかに行われるし、多くの人妖が集まることだろう。手伝いだって阿求と親しげにしていた奴らへ声をかければ一発だ。
この時のあたいは、心の底からそう信じていた。
稗田の屋敷を前にして途方に暮れる。四季様の頼みを了解して三日。そうだ、もう三日も経つのに協力してくれる人はいまだにゼロだった。
真っ先に尋ねたのは射命丸文のところ。阿求は文の新聞へ連載小説を掲載していた時期もあり、その後も色々と面倒を掛け合っているんだとか。普段は物静かな阿求が声を荒げるのは妖精が悪戯をした時と文が電話を掛けてきた時の二つしかないらしい。
喧嘩するほど仲が良いを地で行くような二人だ。阿求の葬儀とあらば文も協力してくれるだろう。その思いが勘違いだったことに気付くまで、さほど時間はかからなかった。
「あ、いや、その、お手伝いしたいのは山々なんですが色々と都合がありますし……」
煮え切らない返事は文らしくない。普段のこいつなら煙に巻くことはあっても適当にお茶を濁すことなんてしないはずだ。しかも文の目は泳いでいる。本心からでないことは誰の目からも明らかだった。
阿求を看取るのは嫌だとしても、コイツに限ってはそんなことで断るとも思えない。悪趣味が服を着て歩いているようなもの。友人の死に水をとるぐらいで怯えるようなタマじゃない。
「薄情だねぇ、いわば阿求の命日になろうかって日なのに。ちょっとぐらい融通してくれても良いんじゃないのかい?」
「当然、生前葬には出ますよ。ただ、それが終わった後まではちょっと難しいかと」
「仕事なら簡単さ。四季様だって居る」
「ああ、昔に手伝ったことがあるから何をするかは知ってますよ」
面食らったが阿求は転生者だ。以前に同じような生前葬が開かれていても不思議ではない。
「だったら全部分かってるだろ。手伝ってくれると頼もしいんだがね」
「……時に小町さんは何をするのか知っているんですか?」
「心外だな。あたいだって馬鹿みたいに何も知らないわけじゃないんだよ。まぁ、あまり詳しくは聞かされてないから偉そうな事は言えないけどね。阿求を棺桶に入れてから火葬場へ連れて行くまでを担当するそうだ」
仕事と言っても思いつくのは大したことのないものばかり。ただ、棺桶に入れる作業はあまり気が進まない。人の死を多く見てきたのはあたいも同じだけど、何度見ても慣れることはなかった。
「それだけですか?」
「うん? 何かあるなら教えてくれたって良いんだがね」
それは切実な気持ちでもあった。四季様は何か言いにくそうにしていたし、経験者が語ってくれるのなら大歓迎だ。あたいとしても知っておくべきことは知っておきたいし、当日四季様へ迷惑をかけることだけは御免だ。
一度引き受けた依頼なのだから、出来ることならちゃんとしておきたい。怠惰だ怠惰だと馬鹿にされるけど、やるべき時にはやる女なんだよ。あたいは。
「いえいえ、特に言うような事はありませんよ。閻魔様が何も言っていないのなら、私の方からも何も」
含むような物言いだが、問いつめて白状するような天狗でもない。断る意志も固そうだ。無理強いをしても戦力にはならないし、ここは大人しく諦めておくのが吉だろう。
だがまぁ、一人目から上手くいくほど人生ってのは甘くない。文と別れたあたいは、すぐさま次の候補の所へ向かった。だけどまさか、文だけじゃなくて他の奴らにも軒並み断られるとは思わなかった。
紫や霊夢には忙しいと断られるし、慧音は生前葬で手一杯らしい。分かってはいたが、やはり阿求の生前葬はかなり豪華なものになりそうだ。誰も彼もかがそちらへ掛かりきりになって、あたいを手伝ってくれそうな人が少なくなった。暇そうなのは戦力にならない奴らばっかりだし、結局三日経っても候補すら集められない。
仕方ない。最後の一人にと残しておいた大本命の所へ向かうとしよう。せめて一人ぐらいは見つけておかないと四季様も失望するだろうし、何よりも当日のあたいが大変になる。
四季様の使いで何度か訪れたことのある屋敷。遊びに来たこともある。緊張する必要なんか無いのに、不思議とあたいの胸はいつもよりも早く鼓動を刻んでいた。もしも彼女にも断られたら、もうこの幻想郷で手伝ってくれる人妖はいないだろう。そりゃあ緊張だってするさ。
いつまでも玄関前で立ち往生するわけにもいかない。意を決して玄関の戸へ手をかけようとしたところで、おもむろにあちらから戸が開いた。驚いたのはあたいだけじゃなく、あちらさんも同じだ。玄関の戸を越えた向かい側には目を丸くした稗田阿求がいた。
「い、いらっしゃいませ」
「ごめんください」
阿求が先に動揺してくれたおかげで、あたいの声は震えていない。情けないところを見せずに済んだと、心の中でホッとする。
「どこかへお出かけかい?」
軽装な出で立ちにも関わらず、阿求という少女は思わぬ遠出をするのだ。それでいて無事に帰られるのだから、生存能力に関しては幻想郷でもトップクラスに入るのではないかとあたいは睨んでいる。
ただ、今日は違ったらしい。微笑みながら、「ちょっと挨拶回りに行くだけです」と返される。
「小町さんにもご迷惑をかけると思います。ほら、もうすぐ私が死ぬ日じゃないですか」
死神であるからには誰かを看取る経験だって数多くしてきた。間もなく死ぬ人間だって腐るほど観察してきたのだ。然るに阿求ほど何気なく、自分の死を捉えている人間をあたいは見たことがなかった。思わずこちらが戸惑ってしまうほど冷静に、阿求は死を受け入れているようだ。
そこには狂人独特の危うさもない。まともな精神状態でありながら死と向き合えるだなんて、なんという心を持っているのかと感心すらしてしまう。
「迷惑ってほどじゃないさ。あんたには色々と助けてもらったこともあるからね。まぁ、せめてもの恩返しだと思いな」
「助かります。ああ、ひょっとして何か私に用ですか?」
「ん、いや用があるのは別の奴。あいつは中にいるのかい?」
「ええ、大人しくお留守番しているはずです」
他では恐れられている大妖怪も、ここではただの客人扱いか。いや客人は留守を任されない。部下と呼ぶのが適切か。
あれを部下とは恐れ入る。あたいの下にやってきたら、降格してでも断りたくなる。
「それでは、また何か用がありましたらお知らせください」
「いってらっしゃい」
阿求を見送り、さて、と玄関を潜った。和風の造りはどこか心を落ち着かせ、緊張感を取り払ってくれる。あたいだって弾幕ごっこには自信のある方だ。例え勝負を挑まれたところで負ける気はしない。彼女を恐れているとしたら、それは性格の方。
あの気まぐれさを発揮されて断られでもしたら、あたいは四季様に会わせる顔がない。それだけは何としても避けなければならない。
さすがは広い稗田の屋敷。今でも週に一度はお手伝いさんが通っているだけのことはある。あたいが住んだら何年経っても迷いそうだ。ただ、その部屋の殆どが資料部屋のように使われているのが気になるけど。
本の海に支配された部屋を越え、ようやく居間に辿りついたあたいへ浴びせられたのは冷たい一言だった。
「死神だなんて縁起が悪いわね。帰りなさい」
職業を名乗って驚かれることにも恐れられることにも慣れていたが、出会い頭に帰れと言われるのはなかなかに堪えるものがある。思わず口の端が引きつっても、それは仕方ないと誰もがフォローしてくれるだろう。
「会って早々にご挨拶だね。しかし、天下の風見幽香がまだ人間に固執していたとは驚きだよ」
幻想郷縁起が出版されたのも今は昔。幾度かの改稿はあったものの、内容はそれほど変わっていない。だから抗議をしようと思えば何年でも出来るのだが、まさか本当にやる妖怪がいるとは思わなかった。
初版から数年経っても幽香は抗議の意味をこめて阿求の屋敷へ通っていた。これがただの口実なら微笑ましい話なのだが、こいつは本当に毎日抗議しているから下手なクレーマーよりもタチが悪い。
さぞや阿求も辟易しているだろうと思いきや、案外この来訪者との出会いを楽しみにしているようだ。おかげで今では幽香と阿求の仲が良いのは幻想郷公認となっている。最早新聞のテーマにもならないほど当たり前の事実として受けいれられていた。
思春期の男女なら周りの視線が気になって、ついつい冷たく当たってしまうところだけど幽香と阿求なのだ。そういうこともなく、いつもと変わらず今日も抗議を続けているそうだ。幽香も大概執念深いね。
「まぁ、それも後少しだけよ。せめて死ぬまでには改稿させたかったけど」
それを寂しげに言ったら絵になるのに、至って平然と言うものだから此処の連中はどういう死生観を持っているのかと問いただしたくなる。
しかし、この分だと何とか一人は確保出来そうだ。やっぱり何だかんだと言いながら仲は良さそうだし。断るような真似はしないだろう。
安心しながら、あたいは切り出した。
「今日はあんたに頼みがあって来たんだよ。阿求の生前葬の後――」
「断る」
「あたいと四季様の手伝い……って!」
仕事は終わったとばかりに幽香はお茶を啜る。断るにしても早すぎた。まだ最後まで言っていないのに。
いや、そもそも幽香が断ったことにあたいは驚くべきだ。
「せめてちゃんと聞いとくれよ」
「どうせ私の思った通りの事を言うんだから、聞くだけ無駄よ」
平然と言い放つものだから、そうかもしれないと納得しかける。いやいや、そんなわけあるかい。さとり妖怪じゃないのだから、話は最後まで聞かないと分からないに決まってる。
半ば憤るようなあたいに向かって、本当に何気なく幽香は言った。
「以前にも似たような誘いを受けたことがあるもの。あれは確か、阿未の時だったかしら」
考えてみれば幽香も長寿の妖怪だ。文のように以前手伝っていても不思議ではなかった。ただ、ならばどうして阿求の時は断るのか。その謎は解けていない。仲の良さはあたいの保証付きだ。嫌いだから断るとも思えない。
そして忙しいはずもない。写真撮影のある文と違って、幽香はせいぜい生前葬に参加するぐらいだ。それだって誰かと連むような奴ではないし、二次会だの三次会だのにも出席しないだろう。あたいの手伝いをする時間は充分にあるはずだ。
だとすれば残るのは気まぐれしかない。この妖怪は時として妖精のように気まぐれで、吸血鬼のように傲慢で、それでいてスキマ妖怪のように胡散臭い。つまりは気分屋なのだ。こんな大事な用事を気分で決めて欲しくはないが、こうなるかもしれないと心の何処かでは予測していた。だからこその緊張感だった。また胸が苦しくなる。
「あんたが手伝ってくれないとは予想外だ。さすがの気分屋も此処は手を貸してくれると踏んでいたんだが」
素知らぬ顔で幽香は空っぽの湯飲みを置いた。急須の中身を確認して、こちらを振り向くことなく煎餅へと手をかける。
「気分で決めたわけじゃないわよ。嫌なものは嫌。ただそれだけ」
尚更理解不能だ。確固たる意志で断るというのなら、その理由を聞かせて貰いたいところだ。それを話す妖怪ではないと知っているけど、それでも訊きたくなるのは文にも断られているせいか。
責めるようなあたいの視線を無視しながら、今度は窓の外へと視線を向ける。なかなかこちらを向こうとしない奴だ。
「逆にそこまで勧誘してくるってことは、あなたは何も知らないんでしょうね。可哀相に。昔の私も何も知らなかった。だけど知ってしまえば、こういう態度をとるようになる」
死神にホラーは通用しない。だけど思わせぶりな台詞は有効だ。現にあたいは気になってしょうがなかった。一体、阿求の生前葬では何があるのか。いや、正確には終わった後の話だけど。それでも何か特別な事があるとは思えない。
「何をするってんだい、生前葬の後に」
「変わった事はしないわよ。ただ阿求の入った棺桶を火葬場へ持っていくだけの作業。並の妖怪でも勤まるような仕事よ。あなたと閻魔の二人だけでも、まぁ頑張れば済むわ」
「出来れば頑張りたくは無いんだけどね」
「そんなの私の知ったこっちゃないわ」
暖簾に腕押し。糠に釘。何を言ったところで彼女の意志は揺るぎそうにない。文もそうだった。
まったく、何があるってんだろうね。俄に不安感が足下からせり上がってくる。
だけどもう引き受けた頼み事だ。今更断るなんて出来ない。
「仕方ない。じゃあまぁ、私らだけで何とかしてみるよ。ただ気が変わったら、いつでも私か四季様の所へ連絡してくれ。親友の最後ぐらい看取ってやりたいだろ?」
しかし幽香は何も言わない。やっぱり無駄だ。諦めよう。
そのまま帰ろうと背中を向けた途端、幽香が聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。
「親友だからこそよ」
「あん?」
振り返ってみても言葉は繰り返されない。幽香は相変わらずこちらを見ようとしないし、もう何か言いそうにも無かった。再び背中を向けたところで、もうお茶を啜る音さえ聞こえてこない。
幽香は無言のままだった。
結局、あたいがやったことは三日間駆け回っただけ。骨折り損のくたびれもうけだ。四季様の落胆する顔が今からでも見える。
執務室の前。立ちつくすあたいの前には意味もなく重厚そうな扉が立ちはだかっていた。厳めしいドアノブは岩のように動かない。単に、部屋へ入りたくないから身体が拒絶しているだけなんだろうけどさ。
四季様の落ち込む顔はあまり見たくなかった。笑顔が似合うとはお世辞にも言えないけれど、少なくともしょげた表情よりかはマシだ。しかも、その原因があたいとなれば気が進まないのも当然じゃないか。
あたいを死神として勧誘してくれたのは四季様だ。もしも四季様がいなければ、今頃あたいがどうなっていたか想像に難くない。ただ一つだけ言えるのは、暢気に船を漕いでいられるのも四季様のおかげということ。だから出来れば期待に応えたかったし、あまり迷惑をかけたくなかった。だったらサボるなと言われそうだけど、まぁそれはそれだ。
「はぁ……」
通りかかった他の閻魔が不審者でも見るようにあたいの横を通り過ぎていく。いつまでも扉の前で溜息を吐いているわけにもいかない。いつかは開けなくてはいけないのだから、踏ん切りをつけて今開けよう。
サバサバとした性格と言われる事も多いけど、四季様が絡めば五月晴れとはいかない。夏の空のように俄雨が襲うことだってあるのだ。もっとも、それを恐れていたら夏を楽しむことなんて出来ないのだから気にせず突っ走るのが一番だ。
「失礼します」
声が震えていたのは愛嬌ということで見逃して貰いたい。仕方ないさ。あたいだって女の子。緊張するときはする。
四季様は忙しそうに書類を片づけていた。阿求の生前葬だけでなく、普段の業務も平行してこなさなければならない。本当はこの勧誘も自分の手でしたかったんだろうけど、時間がそれを許さなかった。だからこそ期待に応えたかったのだけど。
顔をあげる暇もない。ちゃんと読んでいるのか疑いたくなるほどの速度で書類に目を通し、すかさず判子を押してそれぞれの箱へと仕舞っていく。工場のような流れ作業は相変わらずだ。閻魔ではなく事務職へ就けば良いと上司から勧められている話にも納得がいくほどの効率だった。
「ご苦労様でした。それで協力してくれる人は見つかりましたか?」
三日も掛けたのだ。普通は見つかる。むしろ見つからないとおかしい。
残念ながらあたいはおかしかった。
「すいません、今のところは誰も……」
文や慧音にも断られ、あげくの果てには最有力候補の幽香にまでけんもほろろに断られる始末。楽観的すぎだと罵られても反論できない。簡単に集まると思っていたのは事実だ。まさかこんなにも拒絶されるとは想像すらしていなかった。
もっとも、それはあたいだけに限るらしい。四季様は落胆した表情を欠片もみせずに「そうですか」とだけ呟いた。書類を捌く手つきにも遅れはない。
妙だ。多少なりとも表情に影を落とすと思っていたのだが。
「仕方ありませんね。当日は私とあなたの二人で頑張ることにしましょう」
さほど忙しい仕事ではなさそうだが、それにしたって二人というのは如何なものか。四季様は生前葬の準備にも携わっているし、当日にも色々と忙しくなるだろう。あたいだって暢気に寝そべりながら煎餅を齧っているわけにもいかない。やることは一杯ありそうだ。
確実に二人だけでは手が足りない。
「あの、四季様。他の閻魔や死神に協力を求めることは出来ないんですか?」
人間や妖怪が駄目でも、まだ是非曲直庁には多くの閻魔や死神がいる。中には暇を持てあます連中もおり、言えば助けてくれそうなものだが。四季様はあっさりと、あたいの考えを否定した。
「稗田の葬儀は厳密に担当者が決められていますから、他の閻魔を呼ぶことは難しいでしょう。手続きが面倒ですし、あちら側も呼ばれて来るとは思えない」
「じゃあ死神はどうです? 頼めば助けてくれそうな奴にも心当たりがありますけど」
ピタリと、まるで時間が止まったかのように四季様の手が動かなくなる。何かまずい事を言ったのかと思い出そうとするけれど、特に何か変わった事を言ってしまった覚えはない。
筆先から墨から垂れ落ち、書類に染みを作ったところで四季様が口を開いた。
「もう一度確認しますが、小町。本当に私の手伝いをしてくれるのですね?」
「当然じゃないですか」
「……そうですか。以前に手伝って貰った死神もいますが、彼らは全て辞めています」
唐突な事実にあたいは驚いた。死神を辞めるだなんてよっぽどの事だ。そうそうあることではないし、そいつらの上司もよく認めたものだと感心すら覚える。
まだ脳天気だったあたいを引き締めるように、四季様は淡々と告げた。
「その死神が辞めたいと言ったのは、稗田の葬儀が終わってからの事です。分かりますか、小町。稗田の葬儀に関わった死神は例外なく、全員が辞めたいと申し出ているということの意味を」
書類から顔を上げる。真剣な眼差しがあたいへ問いかけていた。
危うく怯みそうになった自分を抑える。この程度の眼力で後ずさるようなあたいではない。四季様には悪いけれど鬼や神の方が威嚇に関しては上だ。
だが本題はそこじゃない。眼力なんて二の次だ。問題は四季様の言葉の方。
例外なく死神が辞めてしまう仕事だなんて、座ると死んでしまう椅子のように信憑性のない話だ。もしもこれが噂好きの同僚から出た言葉なら、一笑に付してから次の話題を要求している。それほどに胡散臭い話でも、四季様の口から出た言葉なら俄然真実味が増してしまう。
あたいも死神だ。四季様はきっと危惧しているのだろう。あたいも辞めてしまうんじゃないかと。
「大丈夫ですよ。あたいはそこらの死神とは違いますから。絶対に辞めたりなんてしませんて」
安堵させる為の言葉だったのに、四季様はむしろ辛そうに顔をしかめた。そして雛のように口を開いて、すぐさま貝のように閉じる。何か言いたい事でもあったのかと、しばらく待ったところで何もなく、再び部屋の中に仕事の音が戻ってきた。
「私からの話は以上です。仕事に戻りなさい」
むむむ。こんな気持ちのまま仕事に戻るだなんて面倒……いやいや気分が悪い。ここは一つ、もうちょっとだけ勧誘を続けるとしよう。
当日だって人手が足りなければ苦労するはずだ。出来れば楽をしたいじゃないか。やはり人数は大事だ。協力者を増やさなくては。
一度断られたぐらいで諦めるなんて、そもそもあたいらしくない。もうちっとだけ粘ろうか。せめて当日までは交渉してもいいはずだ。
決して仕事をサボりたいわけではない。これも立派な公務のうちさと、自分を納得させてからあたいは部屋を退出する。
さあて、もう一度幽香の所にでも行ってみようかね。
「私の表記を変える気になった?」
「なりません」
「慧音お勧めの店で羊羹を買ってきたわ」
「へえ、それは美味しそうですね。いま切っています」
要求の中に日常会話が混ざっている。それほどまでに同じやり取りを繰り返してきたのか、この二人は。仲の良い親友というくくりでも収まらない、最早長年連れ添った夫婦と呼ぶべきなのかもしれない。
「小町さんも食べますか?」
「羊羹は大好物さ」
「では多めに装っておきますね」
筍の皮みたいな包みを抱え、阿求は台所へ急ぐ。こうなるとあたいも何か手土産を持ってくるべきだったかと後悔してしまうから不思議だ。普段は滅多にそんな事をしないんだけど。
まぁ、既に羊羹があるのだ。他に何か持ってきても迷惑なだけだろう。
幽香は何処からともなく取り出した本に夢中だ。まるであたいの事なんて眼中にないような態度だけど、多分本当に眼中にないのだろう。江戸っ子もかくやというぐらい頑固なのが風見幽香という妖怪だ。いや、そもそも大妖怪と呼ばれる連中は例外なく頑固なのだ。経験は頭を固まらせる。無駄に長く生きた連中ほど、その傾向は強い。
かくいう四季様も年季の入った組であり、例に違わず超が付くほどの頑固者であった。そんな奴らを説き伏せるだなんて、面倒くさいったらありゃしない。これが四季様の頼みでなければ、とっくの昔に投げ出してたところさ。それに将来のあたいが迷惑するとあっては、ここで折れるわけにはいかない。
「あんたも随分と気が利くんだね。手土産持参とは恐れ入ったよ」
ペラリとページを捲る。無視ときた。余程本に集中しているのか、それともあたいとは口もききたくないのか。幽香は性格がねじ曲がっていても陰険ではない。意地悪で無視するとは思えないし、よっぽど本が面白いのだろう。
ふと気になって表紙を覗き込んでみれば、どこかで聞いたようなタイトルが飛び込んできた。はてさて、何処で聞いたのやら。しばし考え込み、最近里で噂になっている本だと気付いた。
あれでいてミーハーな四季様は早速取り寄せたものの、「私には合いませんでした」と一刀両断した作品だ。生憎とあたいは小説よりも漫画派なのでお邪魔するのは古本屋ではなく、もっぱら紅魔館であった。あそこは下手な本屋よりも漫画の品揃えが良く、吸血鬼や門番と一緒にダラダラしながら読書するのが休日の楽しみになっていた。
「それ、面白いかい?」
キリの良い所だったのか、それとも単に答える気になったのか。幽香は本からページを捲る手を休めず、視線も本から話さずに口を開く。
「さあ、感想なんて人それぞれよ。面白いかどうかは読んでみないと分からない。ただ少なくとも、私にとっては面白いわ」
「四季様はつまらないって言ってたからさ。どう何だろうと思ってね」
何気ない一言だったが、幽香には聞き逃せない言葉だったらしい。おもむろに本から顔をあげると小馬鹿にしたような顔で溜息を吐かれた。
「あのね、妖精だってさっき言った言葉ぐらいは覚えてるわよ。感想なんて人それぞれ。閻魔が何て言ったかは知らないけど、あなたの感想を言えるのはあなただけなのよ。読みもしないのに他人の感想で踊らされるなんて馬鹿丸出しね」
辛辣な言葉に驚きを隠せない。熱くなるのは花の事だけではなかったのか。意外な一面を見た気がした。
ただ言葉自体はあまり間違っているとは思えない。多少乱暴ではあるけど、あたいだってお気に入りの漫画を読んでもいない奴が馬鹿にしたら同じような台詞を吐くだろう。兎にも角にも、ちょっとだけでも良いから読んでみないと始まらないのだ。
「そう、読まないと何も分からないのよ」
怒りや侮蔑は引っ込み、代わりに哀れみとか悲しみの色が濃く浮かび上がる。本がそうさせるのか、それとも何か思い出してしまったのか。あたいには後者に見えたけど、実際の所はどうなんだろう。
すぐさま元の表情に戻り、再び読書を始めてしまったから真相は闇の中だ。加えて阿求が羊羹を運んできた。小豆の良い香りがあたいの鼻腔をくすぐる。なるほど匂いだけでも分かる。これは美味い羊羹の香りだ。
皿に添えられた竹のヘラも有り難い。幽香との会話はすっかり吹き飛んでしまい、あたいの視線は羊羹へ釘付けとなってしまった。
「あら、本当に美味しそう。無理をして買った甲斐があるわね」
「そういえばある和菓子屋さんが泣いてましたよ。朝から大妖怪が店の前にいたせいで客がまったく来なかったって」
「まぁ、迷惑な奴もいたものね。だけど私達には関係ないわ。さあ、阿求。私の分も寄越しなさい」
「はいはい」
皿を渡しながら、阿求の視線が置かれた本へと注がれる。
「どうでしたか?」
「まぁまぁね。今回は逆に主人公が動きすぎかしら。魅力を見せすぎて逆に押しつけがましくなってる。こういうのは匂わせるぐらいでいいよ。天狗の新聞じゃないんだから、そんなに何度も見せつける必要はない。後の詳しい感想は書いて送るわ」
「助かります」
ひょっとすると、あの本は阿求が書いたものだったのか。天狗の新聞で連載をしていたのは知っていたけど、まさか出版もしていたとは。幻想郷縁起だけじゃなかったんだねえ。
しかし幽香も熱心だ。感想を書いて送るなど、とてもあたいにゃ真似できない。
「さあ、ではそろそろ羊羹を頂きましょう。せっかく切ったばかりなんですから、早く食べた方が良いに決まっています」
そうだった。あたいの持っている皿の上には美味しそうな羊羹が並んでいるのだ。目の前に人参をぶら下げられている事を忘れるだなんて、もう八咫烏を馬鹿に出来ない。
阿求の言う通りだ。こういうものはいつまでも置いておくものじゃない。
竹のヘラを掴み、羊羹へ刺した。さして力を入れたわけでもないのに、スッとヘラが羊羹を貫通する。それでいて全く崩れないのだから、これは口に入れる前から楽しみじゃないか。
ではいよいよ味の方をと思ったところで、唐突に幽香が顔を上げた。
「食べる前に言っておくわ、小町」
「うん?」
「断る」
さて、とあたいは混乱した。まだ何も言っていないのだ。何に対して断られたのか全く見当もつかない。確かにあたいは幽香を仕事の勧誘に来たわけだけど、まさかこのタイミングで断ったというんだろうか。
幾ら何でも自由すぎる。頼む前から断られたのは初めての経験だ。
「せっかく美味しそうな物があるんだから、泥沼の言い争いを続けて余韻を台無しにしたくない。だから先に言ったのよ。どうせ、あなたが言いそうな事なんて分かっているし」
その気持ちはあたいも痛いほど理解できる。四季様と飲みに行った時は必ずそうだ。酒を飲む前に説教を聞き、言いたい事を終えてから一気に酒を飲み干す。酔いが回ったところで説教されたら、さすがのあたいだって机をひっくり返しかねない。
余韻というのは大事だ。特に食べ物の余韻は。
だから理解は出来るのだけど、それでもあたいは引き下がるわけにはいかなかった。幽香が一番可能性は高いはずなのだ。それに阿求の葬儀でもある。出来れば参加した方が良いのではないか。
突っ込んだ話もしたくはあるが、なにせ此処には当事者がいる。遠慮のない話はあたいの十八番だけど、さすがにこれから死ぬ者の前で葬儀は如何なものか。もっとも肝心の当人は全く気にしていなかったようだ。
「私の事は気にせず、どうか話を続けてください」
まるで他人事のように聞こえるが、阿求はしっかりと会話の内容を理解しているはずだ。よくもまぁ平気でいられるなと改めて感心してしまう。あたいのよく知る人間という生き物は、こういう場合は怒るか悲しむ。あるいは逃げ出してしまうか、いずれにせよ阿求の反応は軽く異常だ。
「そんな事言われても、既に話は終わっているのよ。これ以上は時間の無駄。死神だって限りある時間を無駄にはしたくないでしょ?」
「ああそうさ。だからあんたに手伝って欲しい。そうすればあたいの時間も浮いて、他の事にあてられるだろ?」
「知ったことじゃないわね。私はやらない」
議論など無駄だ。最初から幽香は結論を出している。後はそれを鉄壁の守備で守り通すだけ。交渉の余地など何処にもなかった。
やはりただの徒労だったか。それでもあたいは諦めきれず、せめてとっかかりは無いのかと探す。
「じゃあ、せめて断る理由を教えてくれ。そこまで頑固にやりたくないと言うんだ。余程の理由が無いとあたいは納得できないよ」
「別にあなたを納得させる必要なんて無いけど、そうね……」
幽香はチラリと阿求の横顔を覗く。あたい達のやり取りが終わるのを待たずに羊羹を頬張る少女が、視線に気付いて幽香の方を見た。すかさず目を逸らし、今度はあたいの方を見る。
「人生を楽しく生きたいから、かしら」
何じゃそりゃ。意味分からん。
麗らかな午後の一時を終えて、舌に残る羊羹の甘さに満足しながらあたいは軽く落ち込んだ。結局、何も進んでいない。
幽香の意志は固すぎた。手応えも何もあったもんじゃない。良い感触があれば明日も通うつもりだったが、あの様子だと千年経っても首を振らないだろう。まだ賽の河原で石を積み上げていた方がマシだ。
「みすちぃー、さけぇー」
空になった徳利を振る。こういう気分の時はミスティアの屋台で一杯やるのがあたい流の過ごし方だった。
「今日は随分と荒れてるね。また閻魔様にお小言でも言われたのかしら?」
「あたいだって毎日怒られてるわけじゃないさ。今日は別件」
「ふーん、死神ってのも大変ね。はい、お待ち」
待ったましたとばかりにお猪口へ注ぐ。あたいの悩みもこの酒のように透き通っていたら楽で助かるのにねえ。物言わぬ液体に心の中で話しかけながら、グイッと息も吐かずに飲み干した。喉を灼くようなこの感覚が溜まらない。鼻の奥から熱気がこみ上げ、身体の隅々まで熱くなっていくようだ。
程よい酔い加減が頭の中を整理してくれる。やはり酒は良い。悩んでいる時は酒に限る。
「みすちーさあ、阿求の葬式があるだろ。あれの後に色々と仕事があるんだけど手伝ってくれない?」
「悪いけど、二次会の料理を頼まれてるから忙しいのよ。当日の仕出しも私の担当だから、腕によりをかけて作るわよ。阿求はここの常連さんでもあったんだから」
本当に阿求は顔が広い。ここまで交友関係の広かった稗田は過去にも居なかったのではないか。あたいが知っているのは稗田阿求だけだから詳しい所は分からない。四季様なら知っていそうだけど、今は出来れば顔を合わせたくなかった。
半ば仕事をサボっての勧誘だ。さすがに怒鳴られることは無いとしても軽い説教を喰らう可能性は充分にあった。もっとも四季様の“軽い”は象に比べれば“軽い”とか、そういった類のものだ。客観的に見たら足が痺れるぐらいには長くて重い。
それに何の成果も無いのだ。せめて勧誘が成功しているのなら、あたいとしても胸を張って立てるのだけれど。サボるだけサボって誰も呼べなかったとなればサボタージュが目的だと言われても仕方ない。確かにそういう気持ちが半分ぐらいあったのは事実だが、四季様に楽をさせてあげたいという思いもあったのだ。……多少は。
「だけど幽香は断るばかりだし、文は全然捕まらなくなったし。他の連中は軒並み忙しいか、そもそも使えないかのどちらかだ。まったく、そもそも勧誘なんて意味があるのかね? あたいと四季様でも出来そうなもんだけどさ」
棺桶を運ぶのは重いかもしれなけど、あたいには腕力と能力があった。人の入った棺桶ぐらいなら持てるし、火葬場までの距離を弄ればあっという間だ。人手があったらあったで楽が出来るけど無くても別に困らないはず。どうして四季様はあそこまで人を増やそうとするのだろう。あたいのように楽することを考えているとは思えない。
もしかして、あたいだけでは力不足と思っているのか。だとしたらこれほど悲しいことはない。そりゃあ確かにあたいは誰も勧誘できなかったけど、そちらは基本的に専門外なのだ。得意なモノを見てくれれば、四季様だってきっと評価してくれるはず。
亡くなった阿求を棺桶に収め、その棺桶を運び、後は火葬場で燃やすだけだ。特に大きな失敗をするような場面は無いし、何だったらあたいだけでもこなしてみせる。
「あたいだってね、本気になれば強いんだよ」
「よく知ってるよ」
成長したとはいえ阿求はまだまだ小さい方だ。体重もさほど重くない。問題なのは棺桶の重さぐらいだけど、あたいが抱えるのなら何の問題もないはずだ。そうさ、特におかしな点なんて何処にもない。
なのに、どうして文やら幽香は断ろうとするのか。四季様だって浮かない顔ばかりしてる。もしかしたら手品みたいに棺桶へ入った阿求が化け物に変わったりするんだろうか。そいつはおっかないが、それにしたって幻想郷じゃあ恐れるほどのもんじゃない。神様と吸血鬼と鵺が同じ宴会に参加するような世界なんだよ。今更化け物ぐらいで怯えるような連中でもあるまい。
だとすれば、あいつらは何を嫌がっていたのか。阿求の死を見たくないという理由だったら、今後は幽香達を見る目も変わるだろう。友人の死を喜んで迎える奴がいるとすれば、それは心の底で嫌っているだけのこと。本当に好きな者が死ねば、誰だって悲しむに決まっている。
ましてや看取れと言うのだ。普通の人間なら拒否しそうなものだが、あいつらは射命丸文に風見幽香なのだ。どちらも並の精神どころか死神すらも跳ね返しそうな肝っ玉の持ち主。とてもそんな繊細な理由で断るとは思えない。
「なあ、みすちー。死んだらどうして欲しい?」
酒の魔力か。話題がコロコロと変わる。
「そうねえ、私が死んだら屋台と一緒に焼いて欲しいなあ。この子は私の一部みたいなもんだから、死ぬ時も一緒がいいね」
「ああ、そりゃあみすちーらしい」
多くの死を見てきたあたいからすれば、阿求の死に方は実に幸せだ。
ミスティアは屋台と一緒に死にたいと願っている。しかし幻想郷にあっては危険というのは何処にでも潜んでいる。ひょっとしたら明日にでも霊夢あたりが本気を出して退治してしまうかもしれない。あるいは大妖怪に目をつけられて殺されてしまう可能性だってあった。
人も妖怪も自分の死に方を決められない。それどころか死に場所さえ決めさせて貰えないのだ。自殺でもしない限り。
その点、阿求はとても幸せだと思う。生前葬まで生きることが出来たなら、後はもうちゃんと決まった日付の決まった時刻。しかも苦しむことなく、安らかに逝く事が出来るのだから、これを幸せと言わずして何を幸せと言うのか。
転生するとはいえ記憶は消える。せめて最後の旅立ちくらい、見送ってやるのが親友の勤めだろうに。
あたいは酒を煽った。
「理解できないねえ、本当」
準備や日々の業務に追われ、気が付けば今日は葬儀の日だった。ちなみに勧誘は一向に進んでおらず、このままいけば四季様とあたいの二人だけになる。
だが、それはもう諦めた。今更誰か誘って来るとは思えないし、多少面倒くさいのを我慢すれば良いだけの話だ。阿求の葬儀なのだから、それぐらいは耐えられる。四季様もさして催促しなかったし、そこまで人手が欲しかったわけではないのだろう。
多数の人妖が訪れる事を見越し、葬儀の会場は稗田の屋敷ではなく里の集会所で行われる事となった。四季様は朝からそちらに行っており、屋敷に残っているのはあたいと幾人かのお手伝いさんだけ。あちらで葬儀を終えてから、棺桶ごとこちらの屋敷まで運ばれてくるらしんだけど、そんな手間のかかる事せずにあちらで全部終えてしまえばいいのに。
由緒ある家系というのも大変である。あたいは気楽な家に生まれて良かった。
「小野塚様」
「ん、どうかしたのかい?」
様付けに慣れなくて、一瞬誰のことかと悩んでしまった。
「こちらの準備はほぼ終わっていますので、そろそろあちらへ行かれる時間かと」
会場の葬儀はあくまで生前葬。本当に看取るのは屋敷の方なのだから、別に無理をしてまで行く必要はない。ただまぁ、生前葬とやらに興味が無いと言えば嘘になる。そこそこ死神をやってきたが、生前葬に立ち会った経験は一度も無かった。
普段はボーッとするだけで時間を潰せるのだけど、今日だけはどうにも落ち着かない。する事が無いというのなら、あちらに行っても良いだろう。お手伝いさんの言葉にあたいは頷いた。
幸いにも屋敷と会場は近い。だからドタバタと両方を行き来する者も少なくないし、かくいうあたいもその一人になってしまったわけだ。どれだけ仕事に遅刻しそうになっても決して走らないあたいが、こんなにも一生懸命に駆けたのは何年ぶりだろう。毎日は御免だが、たまにはこうして走るのも気持ちいいもんだ。
「おや、丁度良い所に」
「これはこれは、誰かと思ったら慧音先生じゃないか」
四季様のみならず慧音先生やら八雲紫、あとは博麗霊夢なんかも激務に追われる側の人妖だ。この四人は殊更やることが多いらしく、今の仕事で弱音を上げそうなあたいの数十倍ぐらい働いているというから頭が下がる思いだ。
「そちらへの備品で一つほど不可解な物がありまして、あなたか閻魔に尋ねようと思ったのですが」
「へえ、何だろうね」
「洗面器です。ただし水は入れるなと」
ふむ、と顎に手を置く。普通は洗面器へ水を張るものだが、そこを敢えて入れるなとは慧音先生じゃないけど何か意味があるのではないかと思うのは当然だ。残念ながらあたいには分からないけど、四季様の注文だったら特に問題はないだろう。
「あたいにもさっぱりだが、とりあえず四季様の言うとおりにしてくれ。多分、何か大切な意味があるはずだから」
「分かりました。私もただ気になっただけですので、準備の方はちゃんとしてあります」
言うや否や、慧音先生は猛然と駆け出した。彼女もまた、会場と屋敷を頻繁に往復する側の妖怪だ。寺子屋の教師には辛いかけっこかもしれないが、妖怪なのだから多少の酷使には耐えられる。まぁ、あたいは慧音先生が倒れないよう祈ることぐらいしかできないわけで、立ちつくしても仕方ない。
急いで会場へと向かおう。
近くて尚かつ人が多い。迷う道理はなかった。通りに溢れるほど人妖がごった返す機会など、新年の大宴会ぐらいのもの。年中行事にも劣らないとは、どれほど阿求が愛されていたのかよく分かるというものだ。
もっとも博麗の巫女の葬儀もかなりの壮大なものになるそうだが、そちらにも参加したことがないので詳細は分からない。いつかは出ることになるんだろうがね。
混み合う表を避け、裏口から会場へと入る。丁度調理場だったらしく、みすちーの怒声とネズミのように駆け回る給仕の姿が印象的だった。邪魔にならないよう気を付けながら、ちょいと料理の味見をしつつ調理場を抜けていく。
「こらー!」
また誰かが叱られている。お玉を握りしめるみすちーの顔はこちらを向いているような気もしたけど、まぁ多分気のせいだろう。自然と足が速くなったのも気のせいだ。
慌ただしい廊下を一人だけ暢気に歩く。普通の葬儀ならここらでお経の一つでも聞こえてきそうなもんだが、阿求の場合は色々と勝手が違うらしい。
そもそも稗田阿求は完全に死するわけではなく、これはいわば転生の為の通過儀礼に過ぎない。だからこその生前葬であり、いわばお祭りのようなものだ。お経は必要ないと阿求から断ってきた。四季様によれば歴代の阿礼乙女も断っていたらしいし、そういうものなのかもしれない。
お経の代わりに会場から届いてきたのは宴会もかくやという馬鹿騒ぎ。道理でみすちーが鬼の形相で働くわけだと、会場に入ってから納得をした。うわばみが泣いて謝る鬼の飲みっぷりに加え、底なしに食べる妖怪共。酒も料理も切らしたら負けだと語るみすちーからすれば、大妖怪に錆びた刀で挑み掛かるようなものだ。無謀とも言える。
「さあ飲め、稗田! あっちの世界じゃ浴びるほど飲むっていう考えはないんだから、こっちの世界でたらふく飲まないとな!」
「ほら遠慮するな! どうせ死ぬんだから死ぬほど飲め!」
星熊やら伊吹の鬼に囲まれ、苦笑しながらも酒を飲み干す阿求。これから死ぬ人間が宴席の中心にいるもんだから混沌具合にも拍車がかかるってもんだ。
酒の宴に参加していない連中も阿求の棺桶に花を入れるや、すぐさま荒波へと飛び込んでいく。あたいも花も入れてから参加したいところだけど、残念ながら本番はこれからなのだ。飲むに飲めない。
ちなみに喧噪から離れるようにしてゆっくりと料理や酒の味を楽しんでいる連中も居るには居るのだが、あそこへ割って入るのには並々ならぬ勇気と胆力が必要だ。幽香、永琳、輝夜に紫にレミリアもいる。おまけにあっちの仏頂面は天魔だし、十王様も何人か参加しているようだ。さしものあたいもちょっとビビる。
下手に目を付けられても困るし、ここは早めの退散が吉である。そそくさと誰も入っていない棺桶の前に立った。花だけではなく、色々な贈り物も詰め込まれている。年齢は少女ではないにしても、阿求の身丈はまだまだ少女。成人用の棺桶は些か大きすぎるようで、多少の物を入れたところで窮屈になりはすまい。
生憎とあたいは何も用意してこなかった。幽香やら文のように気心の知れた奴らなら兎も角、阿求との思い出の品があるわけでもなし、ここは無難に花を入れるのが一番良いだろうと考えたからだ。
まぁ名酒の一本でも贈ってやろうかとも思ったが、火葬にアルコールはどうだろうと思いとどまった経緯もある。
「しかし、こいつは妙な気分だね」
空っぽの棺桶に花を入れるなど、死神でも体験した奴は極希だろう。かといって誇るような気持ちにもなれず、ただ静かに名も知らない花を贈った。
これで良し。後は屋敷へ戻るとしよう。ここには誘惑が多すぎる。
手頃な場所にあった酒瓶を掴み、あたいは逃げるようにして会場を抜け出した。こうなるとツマミも欲しいが、みすちーに頼んでも怒鳴られるだけだろう。仕方ない、適当に貰っていくか。
などと考えていた矢先の事。まるで通せんぼをするように廊下の角から幽香が表れた。さっきまで会場に居たはずなのに、どこをどう通ったらあたいの前に立てるのか。疑問だが幽香ならやりかねない。
避けて通ろうとしたのだが、鏡のように幽香も動く。
「あの、そこ通りたいんだけどね」
声にも出してみたのだが、生憎と効果は全く無かった。幽香は依然として無表情で無言のまま、あたいの道を塞いでいた。そのくせ、あたい以外の奴が通れば目もくれずに素通ししている。何かの嫌がらせだろうか。
「小野塚さん!」
この上なんだと振り返ってみれば、これまた会場にいたはずの阿求がいるではないか。もっともこっちは顔中が汗だくだし、肩で息をしている。澄まし顔の幽香とは大違いだ。
「お、お呼び止めしてすいません。ちょっとあちらの準備が気になったもので」
「ああ、大丈夫さ。みんな上手いことやっている。だからこそ、あたいがこうしてこっちに来られたんだから」
色々と心配もあったのか、阿求の顔に安堵が浮かぶ。まさか阿求と会わす為に通せんぼをしていたのかと幽香の方を見てみたが、いまだにあたいを通す気はないらしい。何だというんだ、まったく。
「しかしまぁ、稗田の家も大変だな。やり残した事も沢山あるだろう」
てっきり同意してくれるもんだと思っていたが、阿求は不思議そうに首を傾げた。
「それは次の阿礼乙女がやってくれるでしょうから、やり残したわけではありませんよ」
「……そうかい」
んー、何だろうこの違和感は。違和感という言葉が正しいのかどうかにも違和感を覚えてしまう。首の真ん中あたりに何かが引っかかっているような、そういうもどかしさがあたいを襲っていた。
確かに阿求は転生者。言い分は間違っていないのだが。
「チッ」
「ん?」
舌打ちのした方を見たが、そこには無表情の幽香がいるだけ。他には誰もいない。
「うぉーい! 主役が逃げるなー!」
会場の方から怒号のような鬼の声が届く。この分だと当分は逃がして貰えないだろう。
苦笑を零しつつ、「それでは」と頭を下げて阿求は会場へと戻っていった。予定の時間には解放して貰いたいところだけど、そちらはあたいが心配してもしょうがない。あそこの会場には大妖怪レベルの化け物が何人もいることだし、鬼が渋っても大丈夫だろう。
問題があるとすれば、こちらの大妖怪か。幽香はまだあたいの道を遮ったままだ。ただ、その目はもうあたいを見ていない。何を見ているのかと視線の先を追ったところで、ボソリと聞こえるか聞こえないかの音量で幽香が呟く。
「やるわ」
喧噪の中にあって、その声はあまりにも小さかった。しかし、何故かあたいの耳には届いた。
「えっ?」
疑問符を浮かべたのは聞こえなかったからではない。何をやるのか、それが分からなかったから。
「あなたの手伝いをやってあげるわ」
どういう心変わりだろう。しかし人手が増えたのだから喜ばずにはいられない。これであたいも四季様も楽が出来る。どうして急に引き受けたのかは疑問だが、下手に突いて機嫌を損ねられても困る。
「そうかい、そいつは助かる。じゃあ、後で屋敷の方へ来てくれ」
幽香は何も言わなかったが、沈黙は肯定と受け取るべきだろう。まさか直前でやっぱり止めたとか言わないよなと不安になるあたいをよそに、幽香は静かに見つめていた。阿求が走り去っていった方向を。
屋敷へ戻り、酒の味を愉しんでいた間に生前葬は終わりを迎えたらしい。飲み足りない奴や食べ足りない奴、兎に角騒ぎたい連中は二次会へと雪崩れ込むだろうが、とりあえずこれで生前葬は終わりだ。こちらの葬儀には列席者もいなければ見物人もおらず、四季様とあたいと幽香ぐらいのものだ。
何でも稗田阿礼の遺言らしいけど、面倒な風習を残してくれたもんだ。いっそ百人ぐらいで大々的に祭り上げろと言ってくれれば、あたいだって楽が出来たのに。
里の男共が空っぽの棺桶を屋敷まで運ぶ。まるで神輿だ。違いがあるとすれば棺桶の方が質素で、後は掛け声が無かったぐらい。額の汗を拭いながら、男達は床の間のある部屋へ棺桶を置いて退散していく。
「あら、慧音はまだ会場かしら?」
むさ苦しい男達の熱気の中から聞こえてきたのは愛らしい少女の声。絹糸のような髪の毛は棺桶が運び込まれてきた時から気になってはいたのだが。里にあんな綺麗な髪の男がいたっけかなと思っていた。
特徴的な髪を掻き上げ、玉のような汗を裾で拭き取るのは妹紅。慧音先生の親友でもあり、不老不死の体現者だ。正直、四季様は彼女の事をあまり良く思っていない。閻魔からすれば死なない蓬莱人など手に余るんだろう。
あたいにとっても苦手な相手であることは間違いない。死神から見れば歩く敗北宣言のようなもの。どうやったところで死なないなんて、骨折り損のくたびれもうけだ。
「終わったとはいえ、あっちも片づけで忙しいだろうから。先生もあっちだと思うよ」
酒臭い息で答える。あわよくば会場の方へ行ってくれないかという思惑もあった。
しかし妹紅は慧音先生よりも棺桶が気になるらしい。蓋の閉まった棺桶の周囲を周り、興味深そうに眺めている。そりゃそうだろう。妹紅には一生縁のない代物なんだから。
「阿求は此処で死ぬの?」
「ああ、そうだ」
「ふーん」
蓬莱人から見た死とは、果たして如何なるモノなのか。哲学者でもないし倫理学者でもないし、ましてや文学者でもない。それでも少しだけ気になった。
あたいにとっては商売道具だ。正直、明日お前は死にますと言われたところで取り乱しはしないだろう。四季様も同じはず。それほど死は身近にあったし、まるで玩具のように扱ってきた。今更恐れるのも馬鹿らしい。
だが人間にとっては、どれだけ魔法や科学が発達してもいまだ克服できない最悪の病気だ。発症すれば奇跡でも起きない限り助からない。恐怖の代名詞と言っても過言ではあるまい。
では妹紅はどうなのか。人間でありながら死神とは真逆で死から最も縁遠い存在。そんな彼女は死をどう思うのか。ふと気になったので訊いてみた。
「死、か」
妹紅は棺桶の前へ座り込み、あたいが厨房からくすねてきた枝豆をかっさらう。
「どう思ってると言われても困るわね。それは空気をどう思うのか、という質問と似たようなものだから」
「空気?」
死と空気。蓬莱人の視点では結びつきそうにない二つだ。それはむしろ、あたいや四季様側の見方である。
「あなたは何か勘違いしているようだけど、私は別に死なないわけじゃない。死んだら復活しているだけ。私は誰よりも多く死んでいるし、誰よりも死の身近にいるの。そんなものの印象を訊かれても何と答えていいものか悩むわね」
ふむ、不死ではなくただ蘇っていただけと。妹紅にとっては呼吸をするのと死んで蘇ることに大差はないだろう。さすがのあたいだって死んだら蘇るのは難しい。まぁ、あたいの死は人間や妖怪の死とは微妙に異なるんだけど、それでも死んだら終わりだ。
そういった意味では、妹紅はあたいよりも阿求に近いのか。死んだら終わりではなく、転生して新たに生きることが出来る阿礼乙女。記憶の継承は出来なくとも、阿礼乙女という存在は受け継がれている。死んでもすぐに次がある妹紅と似ていると言えば似ているではないか。
だったら、阿求も似たような考え方をしているのかもしれない。ああそういえば、さっきそんな事を言っていたな。
『それは次の阿礼乙女がやってくれるでしょうから、やり残したわけではありませんよ』 さとり妖怪ならずとも、あの言葉が本心だった事ぐらいは分かる。
いくら転生者とはいえ人間は人間。多少の恐怖ぐらいは有ってもいいのに、よくもまぁあれだけ平然としていられるものだと会う度に感心しているぐらいだ。うっかり事故でもあれば簡単に死んでしまうのに。
……あん?
「それじゃあ、私は慧音の所に行くわね。こっちは任せたわよ」
「あ、ああ。任せとくれよ」
閃きのように舞い降りた疑問符が、雷のようにあっさりと霧散した。喉に詰まっていた何かが舌の上まで出てきていたのに、うっかり喋ったもんだからまた喉の奥まで引っ込んでしまったようだ。
実に気持ち悪いけど、まぁ思い出せないのなら大した事ではない。無理をして脳みそを使ったところで、どうせ阿求はもうすぐ死ぬのだ。
もしも思い出したら、また次の阿礼乙女に教えてやるとしよう。
時刻は三時を回ったところ。四季様の報告によれば阿求が死ぬ時間は五時だという。まだまだ余裕があると言えるし、もう間もなくとも呼べるだろう。あたいは当然、前者だったが四季様は後者だったらしい。
会場の片づけも終わってないだろうに、阿求を連れて屋敷まで戻ってきた。顔色は当然のように優れず、露骨なまでに疲労の色が見え隠れしている。阿求が着替えるからと奥へ引っ込んだのを見計らい、四季様は畳の上へ思い切り寝ころんだ。
「あー」
声にならない声。こういう時は水を欲しているのだと身体が覚えていた。すぐさま汲んできた水を飲み干し、おもむろに起きあがる。
「こっちの準備は万端のようですね」
ちょっと寝ころんだだけで、もう気持ちを切り替えていた。さすがは四季様。いつまでも怠けているはずがなかった。あたいとは大違いだね、本当。
「そういえば四季様。空の洗面器って何に使うんですか?」
部屋の片隅に置かれた洗面器。いまだ出番は来ていない。
四季様はそちらの方を見ようともせず、「いずれ分かります」とお茶を濁すように言った。いつもはハキハキといらぬ所まで白黒つけるのに、珍しいこともあったもんだ。そういえば酒やツマミを見ても何も言わないし、普段なら軽いお説教があっても良いもんだが。
どういう心境の変化だろう。四季様に限って、まさか疲れで見逃してくれているとも思えないし。
「さて、いつまでも暢気にはしていられませんよ。なにせ私達二人しかいないのですから」
「ああ、その事なんですが。実は、幽香が参加してくれることになったんですよ」
「風見幽香がですが? 彼女は無理だろうと諦めていましたが……そうですか」
やはり四季様の表情は優れない。あたいが手伝うと言った時と同じ顔をしていた。
文といい、幽香といい、そして四季様といい。何かあたいの知らない真実を隠しているような気がする。だからこそ誰もがこんな単純な作業を嫌がっているのではないか。だとしても、結局あたいに出来ることなどない。
四季様は簡単に口を割るような方ではないし、幽香や文も言わずもがなだ。あれに白状させるくらいなら、さとり妖怪から読心術を習った方がよっぽど早い。
気が付けば酒やツマミが片づけられていた。いつまでも置いておくわけにはいかないのだが、もう少し愉しみたかったという気持ちもある。まぁ、そちらの愉しみは終わってからとっておく事にしよう。仕事の後の一杯が格別なのは、ずっと我慢しているからなのだ。
「あら、阿求は?」
何の前触れもなく、突如として部屋へ現れた幽香。最低限の礼儀という言葉も大妖怪の辞書には載っていないらしい。勝手を知りすぎるにも程がある。案の定、四季様は手助けに来た妖怪に対し、早くも不満の色を浮かべた。
「呼び鈴ぐらい鳴らしてはどうですか。他人の家なのですから」
「別にわざわざ知らせる必要なんてないでしょ。こうして顔を合わせれば来たことぐらい分かるんだから」
「そういう問題じゃありません」
下手をすれば、このままお説教モードへ突入してしまいそうな雰囲気だ。幽香は平然と部屋を見渡しているし、四季様も退く様子はない。さすがに時間が来れば諦めてくれるだろうけど、それまでずっとお説教を背景にして待つというのはストレスで身体がすり切れそうだ。
かといって割って入れば飛び火するのはあたいの方。どうにもならない。
「礼儀というものは善意で成り立ちます。あなたにも欠片ほどの良心があるのなら、まずは礼儀は守ることから始めてはどうでしょう?」
四季様の言葉など無かったかのように幽香は腰を降ろした。かなりまずい。四季様の頬が引きつっている。あれは怒る寸前の表情だ。
思わず腰を浮かせる。
「というわけで、お邪魔します。あややややや、何だか一触即発の空気が流れてますねえ」
脳天気な台詞で乱入してきたのは、紛れもない射命丸文。予期せぬ訪問客に四季様も幽香も頭の上に疑問符を浮かべている。勿論、あたいもまったく同じだ。
注目を浴びて怯む様子もなく、文は引きつった笑顔で後頭部をかく。
「まぁ、阿求にはお世話したりされたりしましたから、最後ぐらいは貸しを作っても良いんじゃないかと。そう思っただけです」
幽香は苦笑を浮かべ、四季様は「助かります」とだけ告げる。これで四人。棺桶を運ぶにしては足りない数だけど面子を考えれば余るくらいだ。むしろ幽香一人で事足りる。いや、下手をすればココにいる面子は誰もが一人で運べるのかもしれない。あたいも運べるけど疲れるからやらないだけで。
文は端に置かれた洗面器へチラリと視線を送り、幽香に何か耳打ちをした。狭い部屋なれど聞こえないものは聞こえない。気にはなるが無理をしても反撃を喰らうだけ。ここは大人しく阿求の登場を待つことにしよう。
それにしても時間が掛かる。着替えるだけでこんなにも待たされるものなのか。あたいのも着替えるのに面倒な服を着ているけれど、それだって十五分もかからない。
何だかんだと言いつつ覚悟を決めているのだろう。阿求は人間だ。本心では並々ならぬ決意があるに違いない。そう考えれば時計の針が三時半を示していることだって、むしろ納得がいく。
「お待たせしました」
結局、阿求が現れたのは三時半を過ぎたところだった。いつもの服ではなく全身が真っ白な死に装束。やはり時間をかけるような服装ではない。
「随分とかかったね」
「ええ。屋敷の者達との別れがまだでしたので。すいません」
「あ、いや、別に責めてるわけじゃないさ。気を悪くしたならあたいが謝るよ」
屋敷の人間は会場へ行けなかった。別れを済ませるならココしか有り得ない。考えが足りなかったか。
阿求には覚悟とか決意は必要なかった。今更足がすくむような人間ではない。
儚くも美しい笑みとは相対するように、その佇まいは凛々しくて今から死ぬとは到底思えなかった。まぁ、病気や事故で死ぬわけではないのだ。言うなれば外見が老いていない老衰。寿命だ。
避けることもできず、いずれは誰しもが迎える終着点。……蓬莱人には関係ないかもしれないけど。
しかし、その最後にあって阿求の態度は屹然としていた。何度も転生を繰り返しているだけあって、死ぬのもお手の物だったりするのかね。記憶は残っていないとの話だったけど、魂には色々と刻まれる。ここで稗田阿求が過ごした人生は決して無駄にはならない。
「時間はまだありますね。ではお茶でも入れてきましょうか」
珍しく、その台詞を吐いたのは四季様だった。是非曲直庁ではいつも死神にやらせている事なのに。驚いたのはあたいだけではない。
「あっ、いえ、それなら私がやりますよ」
「阿求は座っていなさい。今日はあなたが主役なのですから。それに私のいれたお茶を飲んで貰いたいのです」
さすがは四季様。こう言われたら阿求も無理強いはできない。
「小町、あなたも手伝いなさい」
「えっ? でも、あたいお茶の入れ方なんて……」
鋭い眼光が反論を封じる。そこそこに長い付き合いだ。ある程度なら目で何を伝えたいのか分かる。黙ってついてこいとの御命令だ。
「分かりました。五人分でいいんですね?」
「ええ」
ひょっとしたら気を遣ったのか。阿求と幽香と文。積もる話もあるだろうけど、あたい達がいたら遠慮して喋られない。文や幽香に限ってそんな事があるのか疑問だけど、意外と繊細な部分もあるんじゃないかって最近は思うようになった。まぁ、ただの勘だけどさ。
四季様もやるじゃないかと感心しつつ部屋を出て、しばらく歩いたところで突然立ち止まる。そして手を引かれて入ったのは、本が壁を覆い隠すカビくさい書庫だった。
「ど、どうしたんですか四季様?」
二人っきりになりたかったとか恋人じゃあるまいし、こんな部屋へ連れて来られても戸惑うことしか出来ない。四季様は俯いたまま喋らず静かなものだ。阿求と別れを済ませた屋敷の人間は外へ出ている。それも四季様の命令だったが、どうしてそこまで人手を減らそうとするのか理解できない。あたいには人手を探せと言っておきながら、片方では誰も屋敷に入れるなとは。
「ここまで黙っていましたが、真実を教えずにあなたを参加させるのは不公平というものです。小町、ちゃんと全てを話します。その上でもう一度だけ判断してみてください。この仕事をやるのか、やらないのか」
嬉々として他人を騙せるようなタイプではない。四季様は何でも説明せずにはいられない閻魔だ。黙っているのも辛かっただろう。あたいを心配したというよりは、苦しいから喋らずにはいられなかった。間違いない。
お喋りではないが真実を隠しておけるようなタイプではなかった。言わなければならない事を言わなければ気が済まない。それがあたいの知る四季様だ。
「みんなが何かを隠していたのは気付いてましたが、そこまで大仰に隠すような事をあたいに話しても良いんですか?」
「構いませんというより、話さなければならなかった。だけど私も幽香も文も、誰一人として喋ることが出来なかった。それは別に誰かの圧力とか怖くて話さなかったわけではない。言葉で伝えたところであなたには何も伝わらない、そう思ったからです」
心外である。それではまるで、あたいが馬鹿みたいじゃないか。憤りは表情にも現れ、申し訳なさそうに四季様が顔を逸らした。
「風見幽香も射命丸文にも全く伝わっていませんでした。だから多分あなたもそうなるだろうと勝手に判断してしまった。その事については謝ります」
「あ、いや、話してくれるんならいいんです。別にあたいも怒ってるわけではないですから」
本当は怒っていたけれど、しょげた四季様の顔を見ても尚怒っていられるほど器は小さくなかった。責めてどうこうしたいわけでもなし、話してくれるのならこれ以上の追求は無用だ。
あたいを見上げる四季様の目には不安と後悔が入り交じっている。話すべきなのか、まだ迷っているのだろう。だけどココまで来て止めるなんて、四季様にとってもあたいにとっても苦しいだけだ。
あたいは黙って四季様の次の言葉を待った。
「……この後、何をするのかあなたはどこまで知っていますか?」
「え? 阿求が亡くなり、それで骸を棺桶に入れてから火葬場へ運ぶんでしょう?」
特に変わった作業があるとは誰からも聞いていない。だから本当は人数が足りないのか、それとも多いのか、それすらもよく分かっていなかった。四季様はただ人を集めてくれと言っただけだし、とても死神が辞めたくなるような仕事では無い。
やはり何かあるのか。
「手順は大凡間違っていません。しかし順序が逆になっているものがあります」
「逆、ですか」
「ええ。阿求が亡くなってから棺桶に入れるのではなく、棺桶に入れてから阿求が亡くなるのです」
どうしてそんな面倒な真似を、と言おうとしたところで気付いたら。まさか、いやそんな残酷な事を四季様が許すわけがない。
「もしかして生きたまま阿求を火葬するつもりですか!」
「さすがにそんな事はしませんよ。棺桶の中で息を引き取ってから火葬場へ連れていくのです。勿論、亡くなった事は私が確認しますから生きたまま燃やすなんて真似はさせない」
安心はしたが、同時に疑問も浮かんでくる。これが本当に四季様の伝えたかった事なのかと。たかが手順が逆になっただけ。生きた人間を棺桶へ詰めるのは悪趣味かもしれないが、死神が辞め、四季様や幽香が口を閉ざし、言ったところで伝わらないような情報ではない。
何か他に隠している事があるのではないか。
「そして私達がやるべき仕事はもう一つだけある」
やっぱりそうだ。気が付けば唾を飲み込んでいた。
沈黙に代わり緊張感が支配する部屋。さすがのあたいも背筋を伸ばし、身体が硬直するのを抑えられない。
四季様は真剣な表情で口を開く。
「それは阿求が亡くなるまで棺桶を押さえていることです」
「……ふぇ?」
緊張の糸が切れた。思わず間の抜けた声が出たって誰もあたいを責められない。そりゃそうだ。どれだけの闇が隠されているのかと覗き込んだら、可愛らしいネズミが一匹ほど顔を見せてチューと鳴いた。今のあたいの心境はそんな感じだ。
目の前にいるのが四季様でなかったら、適当にそこら辺へ腰を降ろして「なんだそんな事かい」と呆れた顔で呟いただろう。さすがに四季様の前でそんな醜態を見せるほど馬鹿じゃないけど、気持ち的には呆れかえりすぎてひっくり返っていた。肩の力も自然と抜けていく。
「阿求が暴れて外へ出ないよう、私達は棺桶の蓋を押さえていなければならない」
「そんなもの、釘でも打っておけば良いんじゃないですか? 蓋を開ける時は外せばいいだけですし」
「私もそうしたかったんですが稗田阿礼がそれを禁じています。一つ、阿礼乙女を看取るのは少人数で良い。一つ、阿礼乙女は死ぬ前に箱の中へ入り、そのまま箱の中で死ぬこと。一つ、阿礼乙女の入った箱を封じ込めてはならない。この三つは破ることのできない稗田阿礼との契約です」
阿礼も面倒な遺言を残してくれたものだ。そんな役割は釘に任せておけばいいのに。わざわざあたいや四季様、ましてや幽香や文の手を借りるまでもない。何なら、あたい一人でも勤まりそうな仕事だ。まぁ、さすがにそれは面倒だから提案したりしないけど。
それにしたって蓋を押さえるだけとは。いや、ひょっとしたらまだ何かあるのかもしれない。そうだ、あれだけ脅されたのだ。この程度で終わるわけがない。
「それで蓋を押さえてから、あたい達は何を?」
「ですから阿求が外に出ないよう亡くなるまで押さえるだけです」
「それだけ?」
「ええ、それだけ」
なんだ、と声に出さなかった自分を褒めてあげたいくらいだ。例えば棺桶に入るのが伊吹の鬼や星熊だったら四季様達の動揺も理解できる。あれの入った蓋をたった四人で押さえつけようというのだ。下手をすれば命がけになる。そりゃあ何度も確認したくなるだろう。本当にこの仕事をやるのかと。
だが中に入るのは阿求だ。今も至って大人しいし、とても死を前にして暴れるとは思えない。だけどまぁ、ひょっとしたら今際の際に蓋を開けようと暴れ出すかもしれない。だけど所詮はただの人間。あたい一人だって押さえる事は簡単だ。
まぁ、四季様は兎も角として幽香や文は死神ではない。人間が死の間際に見せる抵抗へ驚きなり恐怖を覚えたとしても不思議ではない。火事場の馬鹿力とは言うが、その力たるや並の妖怪ならくびり殺せるのではないかという程だ。
もっともあたいは死神。そういった現場には何度も立ち会っているし、死にそうな人間を看取った回数だって四季様よりも多い。今更驚く事も無いだろう。
「小町、暴れる阿求よりも本当に警戒するべきは彼女の悲鳴です」
「大丈夫、分かってますよ。そりゃ確かに死にそうな人間の言葉は恐ろしいものがありますけど、あたいは死神なんですけど。いわばプロです。そういうのは慣れっこですから、問題ありません」
「……ならいいのですが」
この部屋に入ってから随分と時間をくってしまった。そろそろ戻った方がいいだろう。
四季様の表情から察するに、もう隠している事は無さそうだ。だったら、もうあたいから訊く必要はない。後は不安そうな四季様に見せてあげるだけだ。あたいが本気になったら、どれだけ仕事が出来るのかを。
「小町」
「はい?」
「最後にもう一度だけ訊きます。ここで辞めても誰もあなたを責める者はいない。だから正直に答えてください。本当に仕事を手伝ってくれるのですね?」
あたいは笑い、頭の後ろで指を組んだ。
「当然ですよ。なんてったって、あたいは死神なんですから」
全てが終わったら幽香や文も見直すことだろう。死神という職業の凄さを。
あたいは四季様の言うとおりになっていた。きっと幽香や文もこんな態度をとったのだろう。だから四季様もそれ以上何も言わなかった。
その事に気付くのは、あともう少しだけ先のこと。
時計の針は四時半を過ぎている。四季様は瞑想するように座禅を組んだままピクリとも動かない。あたいだったら思わず寝てしまいそうになるけど、まさか四季様に限ってそんな事はあるまい。
気を鎮めたいのは皆も同じらしく、幽香は庭が気になるからと部屋を出たきり帰ってこない。文もメモ帳にペンを走らせてはいるのだが、あまり意味のある文章にはなっていないようだ。気もそぞろに四方へ視線を泳がせ、時折悩ましげに頭を掻いている。
落ち着いているのは壁にもたれかかって欠伸を噛み殺しているあたいと、いつものように平然とお茶を飲む阿求ぐらいだ。いやはや、こうなると四季様の言葉もいよいよ疑わしく思えてくるじゃないか。これほど落ち着いた人間が取り乱すとは、俄には信じがたい。
まぁ、菩薩のように穏やかな奴が死の間際には見苦しい真似をするなんて事も数多くあったわけだし、いざとなったらどうなるか分からない。油断だけは禁物だけど、それにしたって四季様達の浮つきようは異常だ。
「お饅頭、食べますか?」
「喜んで頂くよ」
酒もツマミも無くなって口寂しいところだ。阿求の申し出は渡りに船だった。
茶色い饅頭を食べようと口を大きく開けたところで、文が「あー」と間の抜けた声を出す。
「どうした?」
「……いえ、何でもないです」
奥歯に物が挟まったような言い方をする。チラリチラリと洗面器に視線を送っている事と何か関係があるのだろうか。何にしろ意味不明だ。あたいは気にせず、そのまま饅頭を頬張った。小豆の甘さが口の中に染み渡る。これはお茶も欲しいじゃないかと思ったところで、阿求がそっと手渡してくれた。
良い嫁になりそうだが、これから死んでしまうのだから惜しい。せめてもう少しぐらい時間をあげてもいいものを、是非曲直庁というのは融通のきかない組織だ。もっとも、当の阿求がそれを望むとは思えない。普通に転生を受け入れているし、ヘタに先延ばしにされても当惑するだけかもしれなかった。
普通の人間なら抗議してでも延命させて貰うんだろうね。死神のあたいにゃ、いまいち実感のない話だけどさ。
饅頭をあらかた食べ終わったところで幽香が庭から帰ってきた。スカートの裾が土で汚れている。本当に土いじりをしていたのか。人間には厳しいくせに相変わらず植物には優しいようで。
「そろそろ時間じゃない?」
幽香の言葉で、四季様がおもむろに目を開ける。もうすぐ五時だ。阿礼の遺言を守るつもりなら阿求を棺桶に入れなくてはならない。
「そうですね。では始めましょうか」
立ち上がる四季様。メモ帳を仕舞い込む文。そしてどこか悲しげな幽香。三人に見守られながら死に装束の阿求が腰を上がる。ふわりと広がった服の裾は、まるで今にも抜け落ちそうな霊魂のように見えた。しかし当の阿求に儚さなど微塵もなく、何の気負いもない風に歩き出す。
手も足も震えてはいない。むしろ幽香や文の方が怪しいくらいだ。
棺桶に足を入れても尚、阿求に動揺した様子はない。
「結局、あなたに訂正させる事は出来なかった」
幽香の言葉でようやく阿求が振り返った。悲しみも悔しさも何も滲んでいない顔を笑顔に変える。
「まだチャンスはありますよ。阿礼乙女がいる限り」
「私はあなたに訂正して欲しかったんだけどね」
真正面から阿求の言葉を叩ききる幽香。困った顔で他の連中の顔を見渡す阿求だったが、四季様は無表情で文は苦笑いを浮かべるばかり。あたいの方を見られても、何と言っていいものか言葉に困る。
幽香の言いたいことも理解できるのだ。蓬莱人とは全く違う。転生した阿求は阿求ではなく、新しい阿礼乙女なのだ。稗田は不老不死かもしれないが稗田阿求はここで死ぬ。だから幽香は別れの言葉を告げようとしただけ。
ただ阿求には届かない。彼女にとっては自分も稗田の一部。転生した新しい阿礼乙女と阿求にさしたる違いなどないと思っているようだ。だからこそ死を前にしても動揺を見せない。だってただ転生するだけなのだから。
「阿求、時間です」
冷静な四季様の一言で、止まりかけていた部屋の時間が動き出す。目を逸らす幽香に気をとられながらも、阿求は無言で棺桶の中へと入っていった。様々な花や贈り物に囲まれながら、ゆっくりと目を閉じる。
「さようなら、阿求」
「ええ、さようなら幽香さん」
二人が交わした別れの挨拶には、それぞれ違う意味が込められていた。幽香の言葉は本当の別れの挨拶だったが、阿求にとっては形式的なものに過ぎなかったらしい。阿求以外はその違いに気付いており、文も何も言えないまま棺桶の蓋を閉めていく。
釘を打てないのだから、後はあたい達の仕事だ。
「私と小町は頭の方を押さえます。幽香と文は足をお願いします」
頷く文と無言のまま動く幽香。彼女たちが何を考えいるのか推測するのも難しい。ただ、どちらとも喜んでいないのは確かだ。
結局、最後まで阿求は別れさせてくれなかった。さようならも受け取ってくれないのだから、せっかくの想いも全く伝わっていない。きっと阿求は自分を囲んでいる花や贈り物にも遠慮というか転生するぐらいでこんな事までしなくてもいいのに、という感じの念を抱いているはずだ。
そんな阿求に何を言ったところで、大袈裟ですよと笑い返されるのが関の山。真剣な表情で伝えたところで幽香のように空しい想いをするだけだ。それを分かっているからこそ、二人の表情は厳しくも険しい。
人間でありながら蓬莱人と近い考えを持つ阿求。だからこそあたいは不思議に思うのだ。そんな奴がどうして暴れるのだと。
あれは演技でも何でもない。阿求は本当に死をただの転生の手段としか思っていない。だからこそ幽香も文も悔しげな表情をしているわけで、間違っても暴れるようなタイプではないのに。何を警戒しているのだろうか、四季様達は。
病に倒れた親を看病する時のように四季様達は真剣な表情を崩さない。些か緊張しすぎではないかとツッコミを入れたくなるぐらい力をこめて棺桶を押さえている。そのまま壊してしまいそうだ。
「四季映姫、彼女にはちゃんと説明したんでしょうね?」
「しました」
唐突に始まった会話は、どうやらあたいの事らしい。全員の視線がこちらを向いていた。
「小町、もっとしっかり押さえなさい」
「あ、はい」
言われてから慌てて押さえる。突然話題に出され、いつのまにか力が抜けていたようだ。幽香は苦い顔でこちらを睨み付けた。
「なるほど、道理で誰も教えてくれなかったわけね。信じるわけがないのだから、言ったところで無駄に決まっている」
「小町さん。一度経験した妖怪からの忠告なんですが、絶対に手を離さないでくださいね。それだけは本当にお願いです」
幽香の苦言もさることながら、文からのお願いも不可思議だ。棺桶に入っているのは博麗の巫女じゃない。稗田阿求だ。どれだけ力を駆使したとしても、この四人に勝るとは到底思えない。
だがそう思っていたのはあたい一人だけだったらしい。横にいた四季様も真剣な表情をこちらへ向けた。
「小町、死ぬのが怖くない人間なんてこの世にいませんよ」
分かっていますよ、と本来なら返すはずだった。あたいは死神だ。そのぐらいの事は実体験で学習している。だからこそ胸を張ってそう言えば良かった。それで話は終わるはずだった。
微かに両手が違和感を覚えた。最初は地震かと思った。だけどすぐに気が付いた。僅かながらだが、中の阿求が蓋を押そうとしているのだ。それは叩くというほど激しいものではないが、確かに中の人間の意志を感じる。
「兎に角、絶対に手を離すんじゃないわよ」
幽香はまだ感じ取っていないのか。そうだ、彼女達が押さえているのは足の方。阿求が手で押し返しているのなら、感じ取れるのはあたいと四季様だけ。ハッと隣を見れば、青い顔で四季様もこちらを見ていた。
それでようやく幽香と文も悟ったのだ。もう既に始まっているのだと。
だが所詮は阿求の腕力。予想通りの非力さだ。あたいと四季様が押さえていれば蓋が開くことは永遠にない。案の定、二人がかりで押さえつければ中からの抵抗など微々たる――
「……っ!?」
油断するなと言われたそばから油断していた。大砲でも撃たれたのかと錯覚するぐらいの衝撃が両手を襲う。一瞬のことだったから思い切り殴っただけなのかもしれない。もしもあと少し力を緩めていたら、今頃は忠告も空しく蓋が開いていたことだろう。なるほど、確かに慢心していたらいけない。
再び襲い来る衝撃も分かっていればさほどではない。足の方も暴れているらしく、幽香と文が必死な顔で押さえつけていた。
あれほど泰然自若としながらも、やはり阿求は人間だったか。死を間近に控えれば、これほど取り乱してしまうのだから。まぁ、棺桶の中は殆ど光も入らない暗闇だ。そこでこれから自分に待ち受ける運命を冷静に振り返ってみれば、誰だって暴れずにはいられないだろう。
それこそ自殺志願者だって死ぬのは嫌だと飛びだしてしまうかもしれない。阿求が出ようとする気持ちは人として当然のことだし、むしろようやくあたいは安心できた。何だかんだと言いながら、やっぱり阿求も死ぬのは怖いんだと。
「小町! ちゃんと押さえつけなさい!」
「は、はいっ!」
感慨に耽っていたせいか、いつのまにか腕の力が緩んでいた。危ない危ない。油断は禁物と自覚してから時間も経っていないのに、ここで全てをご破算にするわけにはいかないのだ。
体重をこめて蓋を押さえつける。こうすれば阿求の力では開けられない。
本気を出せばこんなものだ。やっぱり大した作業では無かった。結局、四季様達の忠告はオーバーだったのだ。これしきの作業でへこたれるようなあたいではない。
このまま押さえ続けて、後は五時を迎えるだけ。そう思っていた矢先のこと。
あたいは声を聞いた。
いや、声なのかどうか分からない。獣の叫び声か、あるいは土砂崩れの轟音か。あたいの少ないボキャブラリーではそれを表現することが出来なかった。そもそも、この音を表現できる人妖がこの世にいるのかと疑いたくなる。そんな音が聞こえてきた。
部屋の中にはラジオもテレビもない。四季様達は青い顔で無言のまま蓋を押さえつけている。だから自然と声の出所は絞られていた。最初から分かってはいたけれど、認めたくなかった気持ちもある。
初めての体験だった。普通の人間なら死に際の言葉など限られている。「死にたくない」だとか「うわぁぁぁぁ」とか、リストにしたところで紙が三枚ほどあれば事足りるぐらいだ。
だけど阿求は違った。脳が頑なに拒否をしているが、これは阿求の出している声だ。彼女が死に際に発する、いわば遺言のようなもの。死に慣れた死神からすれば、本来は子守歌のように目を閉じて聞き入ってもいいはずなのに。身体も心もこの音を拒絶している。
「小町!」
四季様の声から遠くから聞こえる。耳をやられたわけではない。五感は正常だ。いや、正常だからこそこの音に耐えられない。
生理的嫌悪を抱かせる音を集め、耳元で大合奏をされているようなものだ。身体という身体から汗が流れだし、気が付けば呼吸は今にも死にそうなほど荒い。そのくせ息は苦しく、両方の腕にもまったく力が入らない。
呪いでもない。洗脳でもない。そういう類の技にはある程度の耐性があるし、そもそも身体と心が感じ取っているのだ。これはただの音に過ぎないと。
脳を直接叩かれているような頭痛がする。背中に一本ずつ針を入れられているような錯覚を覚える。だけどどこも悪くはないのだ。傷付いている場所なんてどこにもない。
分かっている。分かっているのに、今すぐにでも服を脱いで身体中を洗い流したくなる。畳にのたうちまわり、思い切り叫び声をあげたくなる。
「しっかりしなさい!」
隣で四季様が励ましてくれていなかったから、今頃はそうしていただろう。
だが四季様だって辛いのだ。顔色は青色を通り越し、今や病人のように真っ白だった。それは幽香や文も同じこと。辛いのはあたいだけではない。
だったら、これは何なのだ。閻魔や大妖怪も恐れさせる、この声は何なのだ。
蓋の上に染みが広がる。鼻水は先程から止めどなく溢れ出ていた。拭いたくても中からの抵抗が激しく、両手を離すことは出来ない。次第に染みは広がっていき、あたいはようやく自分が泣いている事に気付いた。
別に悲しくもないのに、どうしても涙が止まらない。嗚咽もあふれ出す。
泣きながらあたいは棺桶の蓋を押さえていた。何も知らない第三者が見れば、それは故人との別れを悲しんでいる人のように勘違いしてしまうだろう。大号泣だ。人生の中でこれほど泣いたことは無いというぐらい、あたいは身体中の水分を出し切るように目から涙を溢れさせていた。
声はまだ続く。時計の針は無情にも五時までの時間がまだ少しあることを示していた。あれほど短いように思えた時間が、今は恐ろしいほどに長く感じる。
まだ続くのか。こんな苦痛が。こんな地獄が。
冷静に考えればゾッとする。だからあたいは冷静さを捨てた。兎に角、今は目の前の蓋を押さえつける。ただそれだけを考えていればいいのだ。
苦しみも痛みも涙も全て無視して、ただ無心で蓋を押さえる。
だけど、どうしても声が聞こえてくるのだ。蓋の隙間から漏れだした声が、まるで生きる者全てを怨む歌のように、あたい達の耳へと運ばれる。これだけの長い時間聞かされていたら、いい加減この声の正体にも気付けた。
四季様達はこの声を恐れていた。そしてあたいは、本来なら誰よりもこの声を聞き慣れていないといけない。
「四季様、あたい分かりました」
嗚咽を堪えながら、赤い目で蓋を見つめる。勿論、両腕の力は緩めない。四季様も必死だから届くかどうか知らないけれど、今はどうしても喋りたかったのだ。
四季様からの反応はない。それでもあたいは続けた。
「あたいは今まで多くの人間の死を看取ってきた。中にはあたいがこの手で奪った者も少なからずいる。だから何度も聞いてきたはずなのに、全く気付くことが出来なかった。人間は絶望しながら死ぬんじゃない。希望を抱きながら死ぬんだということに」
病気にしろ、事故にしろ、寿命にしろ、殺人にしろ、誰しもがいずれは死ぬんだと知りながら生きている。だけど同時に、自分が死ぬのはここじゃないと思いながら死んでいる。世の中には奇跡という厄介な代物があるのだ。
難病から奇跡の復活。意識不明の重病人が奇跡的に助かる。長寿も似たようなものだ。本来は死ぬはずの年齢なのに、それを大幅に越えて生きてしまう。だからこそ人間も妖怪も思ってしまうのだ。どれだけ死にそうな目に遭っても、ひょっとしたら助かるのではないかと。
それは僅かな可能性。だから想いも僅かなものだとしても、完全なる絶望のまま死んでいくのではない。ひょっとしたらという希望を抱いて、人間も妖怪も死んでいくのだ。
そう、阿礼乙女を除いて。
「阿礼乙女は絶対の死を知っている。自分達がいつ死ぬのか完璧に知っている。だからこそ希望も抱けない。間違って長生きすることもできない。この世でただ一人、阿礼乙女だけが本当に心の底から絶望しながら死んでいく」
それは如何なるものか。あたいにも理解できない。
死は蓬莱人以外へ平等にやってくる。いつかはあたいも死ぬのだろう。だが、そこに完全なる絶望はない。例に違わず、微かな希望を抱きつつ命を落とすはずだ。
そう信じていた。この声を聞くまでは。
「あたいが今まで聞いていたのはまがい物。これが本当に死を恐れる人間の声だったんだ!」
否応なしに、声はあたい達に現実を突きつける。微かな希望すら抱かせてくれない。
死神だからこそ知っている。魂もやがては摩耗し、霞のように消えてしまうことを。いくら生まれ変わったところで消滅という死は訪れる。閻魔にも、死神にも。そして阿礼乙女にも。
この声はそれを思い出せてくれる。ああ、そうか。つまりこの声は死そのものなんだ。
だから幽香も文も避けていた。精神が命でもある妖怪からすれば、この声は凶器以外の何物でもない。ただ聞くだけで死を突きつけられる。希望をあたい達から奪っていく。並の妖怪なら、あるいは消滅していたかもしれない。
幽香だからこそ、文だからこそ、死にそうな顔で済んでいるのだ。
「ぐっ……うぅ……」
非力な阿求の最後の力と、声で弱り切ったあたい達の力は同じぐらい。ちょっとでも気を抜けば蓋は開いてしまうというのに、声は依然として夏の蝉のように響いてはあたい達の体力も気力も希望も削り取っていく。
涙も鼻水も枯れ果てることもなく、止めどなく溢れ続けている。
喉の奥が苦しい。必死であたいは歯を食いしばった。
何かがせり上がってくる感触がある。ああ、今になって気付いた。だから文は止めようとしたんだ。迂闊に何か食べれば、吐いてしまうかもしれないから。
己の愚かさに腹が立つ。どうしてちゃんと忠告を聞いておかなかったのか。四季様は言っていた。幽香も文も信じなかった。だけど話してくれたということは、少なくともあたいは信じると思ってくれたからだ。
それなのに全く受け止めることもなく、こうやってただ苦しんでいる。
両の拳を握る。限界はもう近い。
ああ、時が戻せるのなら少し前のあたいを張り倒したい。四季様の忠告はちゃんときけ。お前の知らない恐怖がこれから先に待っているのだと。人間は一度痛い目を見ないと分からない。まさかあたいもそんな馬鹿だとは思ってもみなかった。
「小町!」
四季様の言葉も今は空しい。喉の苦しみは頂点に達していた。
そしてもう一つだけ気付いた。用意された洗面器にどうして水を張らなかったのか。
あたいは蓋から手を離し、代わりに掴んだのは空っぽの洗面器。
泣きながら全てを吐き出す。
時計の針が五時を示すまで、阿求が大人しくなるまで。あたいが棺桶の蓋を押さえることは、もう無かった。
部屋の中を死が通り過ぎていった。沈黙が訪れたところで喋る者はなく、誰のものともしれない荒い息づかいが聞こえるのみ。五時になったことを喜ぶ者などおらず、口を開くことが罪のようにさえ感じてしまうほどの沈黙があった。
あたいの涙は枯れ果てたように出てこない。喉の奥が焼け付くように痛み、口の中を酸味がかった不快感が襲う。冷静になればなるほど、逃げ出してしまった事に対する罪悪感が顔をのぞかせ始めた。
気絶しなかったのは褒めてやってもいいが、結局あたいが押さえていたのは洗面器のふち。四季様を一人にしてしまったのだから、気絶したのと大して変わらない。むしろ自分の意志で逃げ出したぶん、こちらの方が罪は重いのか。
恐ろしい声が聞こえなくても安堵はやってこない。だからあたいは喋るに喋れず、誰かが口を開くのを待っていた。
「よく、引き受ける気になりましたね」
それはあたいに対する非難の言葉ではない。四季様が抱いた純粋な疑問だ。
幽香は肩で息をしながら無言を貫き、仕方なく文が苦笑いしながら答える。当然、彼女の顔色も優れず、全速力で幻想郷を駆け回ったかのように息づかいは荒い。
「散々悩みましたけど、まぁ世話になったのは事実ですから。最後ぐらいは尻ぬぐいをしてあげても良いんではないかと」
本心か照れ隠しなのか、調べる術はさとりにしか無い。だからあたい達は信じるしかなかった。
一方の幽香はしばらく黙りこくっていたが、やがて沈黙に耐えかねたように口を開く。
「稗田阿礼が何よりも恐れたのは、転生する阿礼乙女が死の恐怖を忘れてしまうこと。転生者は蓬莱人とは違う。だけど何度も繰り返すうちに、段々と魂に刻み込まれてしまう。転生者ゆえの死に対する恐怖の亡失」
「死を忘れるのは悪いことではありません。ですが、死という終着点があるからこそ誰しもが必死になって頑張れる。死ぬ前に何かを成し遂げようと努力する。稗田もそれは同じ。存命中に幻想郷縁起を編纂しなければならない。ただ転生を繰り返すうちに、何も自分がしなくても次の稗田がしてくれるのではないかと考えるようになる」
マラソンではなくリレーだと思えば、走り方も色々と変わってくる。確かに阿礼乙女という存在は受け継がれていくかもしれない。しかしその時代を本にすることが出来るのは、その時代に産まれた阿礼乙女しかいないのだ。次へ託せば良いというわけではない。
加えて人間というのは怠惰な生き物だ。果てが無いと分かれば、自ずと怠けるようになっている。死が終着点でなくなれば、まぁいつかやるだろうと必死に頑張ることを辞めるだろう。
「かつて、あなたからそう聞かされた時は何を馬鹿なと思っていたわ。だけど阿求にはその兆候が表れ始めていた。だからこの馬鹿らしい儀式に参加したのよ。次の阿礼乙女がどうなるのかは知らないけど、腑抜けた奴だったら腹が立つもの」
ああ、なるほど。蓋を押さえている最中は必死で考える暇がなかったが、改めて振り返ってみればこれは確かに儀式だ。そう、阿礼乙女が死という恐怖に向き合う為の儀式。
暗い棺桶に閉じこめて、己の境遇について考えさせる。もうすぐ訪れる逃れようのない死を目の当たりにすれば、どんな阿礼乙女だって取り乱さずにはいられない。その混乱こそが阿礼の狙いだ。そうやって腑抜けた魂に刻み込むのだ。絶対の死という恐怖を。
これで次の阿礼乙女は必死さを取り戻すだろう。ここでの行為は無駄ではなかった。必要なことなのだ。そうやって自分を励まさないと、あまりにも空しくて立つ気力すら沸いてこない。
「だけど理解できないわ。どうして少人数で、しかも棺桶を封じ込めたら駄目なのか。こんなもの釘を打ち付けていれば誰も苦労する必要なんて無いのに」
四季様は反論しない。無言は肯定の証。幽香と同じことを思っていたのだろう。
あたいも不思議だった。阿求を閉じこめる意味はあったが別に封じ込めても良かったはずだ。外に出すなと言うのなら、尚更その方が良いに決まっている。
「あー、それについて調べてみたんですけど……」
文が額の汗を拭った。
「稗田阿礼も短命だったらしいんですよ。どうやら稗田の特性みたいなものらしくて、それは閻魔でもどうする事も出来なかった。だからひょっとしたら、長生きする私達に対する嫌がらせなんじゃないかと」
そんな馬鹿な、とは誰も言わなかった。滑稽な推測かもしれない。だけど、文の言葉には真実味があったのだ。
「少なくとも蓋を押さえている人妖は思い出すでしょ。死というのがどれほど怖いものだったのか」
幽香と文が嫌がり、四季様ほどの閻魔が露骨に顔をしかめるぐらいだ。文の言葉が本当だとしたら、効果は覿面だったと言わざるを得ない。
「蓋を封じ込めれば周りに誰もいなくて済む。出来るのなら私だってそうしたいぐらいです。阿礼の遺言さえ無ければ。ああ、充分に有り得ます。聞くところによるとかなり性格も歪んでいたらしいですから」
苦々しい顔で四季様が呟く。だが意図が分かったところで、どうすることも出来ない。阿礼の遺言は絶対なのだ。それが嫌がらせ目的だったとしても、一度閻魔と契約した以上は守り抜かなければならない。
確かに性格が歪んでいる。幻想郷でも比類するのは三人ぐらいだろう。
「ところで二人とも、棺桶を運べるだけの体力は残っていますか?」
チラリとこちらも見るが、今のあたいにそれだけの力は残されていない。見るだけで分かるのだから四季様が声を掛けなかったのも当然だ。
文は肩をすくめ、幽香は棺桶に視線を戻した。どちらも頷こうとしない。どれだけの大妖怪であろうとも、あの声の前には体力など紙切れも同然。吹き飛ばされないようにするのが精一杯だったのだろう。
四季様も予想していたらしく、特に責めるような言葉は無かった。
「分かりました。私も余力はありませんし、里の方々に頼むとしましょう」
助かった。このうえ更に四人で運ぶとなれば、腰の砕けたあたいなど邪魔者以外の何物でもない。
「二人とも助かりました。今日はありがとうございます」
報酬も無ければ名誉もない。考えてみれば、この二人は純粋に阿求の助けがしたかったのだろう。それは友なのか仲間なのか知らないが、何にしろ羨ましい話だ。
四季様はふらふらとしながらも立ち上がり、壁に手をつきながらおぼつかない足取りで部屋を出ようとする。
去り際に、こちらへ顔を向けた。叱責されると思って、身体は自然と硬くなる。
「小町」
「は、はい」
貝のように閉ざされていた口が勝手に開く。喉の奥から不快な息が漏れだした。咳き込みそうになるのを抑え、四季様の顔を見上げる。
四季様は微笑んでいた。
「ご苦労さまでした」
何も言い返せない。言えるわけがなかった。
四季様が立ち去った後も、あたいは黙ることしか出来ない。
最後の最後で手を離した。あれだけ離すなと言われていた手を。いつものように仕事をサボったのとはわけが違う。あたいは逃げ出したのだ。あまりにも声が恐ろしくて、あまりにも気持ち悪くなって、我慢しきれずに持ち場から離れた。
仕事熱心な方ではない。サボったところで胸は痛まない。
だけど仕事から逃げ出した事は一度も無かった。
それなのに四季様はご苦労様と言ってくれる。それがどれほど嬉しくて、どれほど情けないか。枯れ果てた涙がまだわき出てきそうになるほど、あたいは悔しくて拳を握りしめる。
「少なくとも最初の段階で気絶しなかっただけ、私は根性があると思いますよ」
文はそう言って去っていった。
「私も初めてあの声を聞いた時は吐いたわ」
幽香はそう言って去っていった。
誰もあたいを責める者はいなかった。あれだけ忠告されたのに、あれだけ気を付けろと注意されたのに、あたいは決して信じようとしなかった。そんな馬鹿なことがあるわけがないと、こんな仕事は楽に決まっていると、最初から最後までずっと油断していたのだ。
だからこその結末だ。こうして洗面器に縋り付いているのは当然の結果と言えよう。
悔しい。悲しい。腹が立つ。負の感情が混沌となってあたいの中で渦巻いていた。
そして一緒くたになった感情がこう尋ねるのだ。
だったら、次はちゃんとやるのかい?
思考の隅に追いやっていたことが、あたいの目の前へ押し出される。
悔しいのなら機会をあげよう。さあ、今度は上手くやってごらん。なあに次は大丈夫さ。だってあんたは全部知っている。だから油断もしないし慢心もしない。きっと次は上手く出来るさ。
だけど、あたいは首を振る。嫌だ嫌だと左右に振るのだ。
冗談じゃない。絶対にやらない。
例え機会を与えられたとしても、リベンジだなんて馬鹿げた考えは全く無かった。一度逃げ出したあたいにその資格は無いだとか、また他人に迷惑を掛けてしまうだとか、そんな小賢しい理由ではない。
ただ純粋に、あの声を聞くのが嫌なのだ。
また百数十年後。映姫様が尋ねてきても、今度はきっぱりと断ろう。四季様には多大な迷惑をかけることになる。だけどそれでも、どうしても、この仕事を再びやろうとは思わなかった。
ああ、だけど。あたいは天井を見上げる。
今なら理解できる。この仕事をやった死神達がどうして辞めていったのか。
「阿求だけじゃないんだ」
人間はこの世界にごまんといる。妖怪も加えればその数は更に増す。あたいのこなしてきた仕事の数など、それに比べれば石粒のようなもの。たかが知れている。
あたいが恐怖するのはただ一つ。もしもこの先、誰かの命を奪うようなことがあって、もしもその人妖が阿求と同じような悲鳴をあげたなら。あたいはどうなってしまうのだろうか。
無いとは言い切れない。だって死神はこの世界で一番、死というものに近い職業なのだから。殺人鬼よりも人を殺めなくてはならない。今まではその事を大して気にはしていなかったけれど、あたいは知ってしまったのだ。
この世には閻魔も妖怪も死神ですら恐怖させる悲鳴があるのだと。
もしもまたそれを聞いてしまったら、あたいの心がどうなるのか。試す気にはなれない。だけど予想は出来る。
破壊力は既に身体が知っていた。
口元を拭う。
結論は出た。いや、吐いた瞬間から決まっていたのだ。
あの時、あたいの身体から何か大切な物も一緒に抜けてしまった。だからこの結論にさして抵抗はない。普段だったら、少し前のあたいだったら、それだけは有り得ないと顔をしかめて首を振っていた。どれだけ悩もうと、そんな結末は許さないと。
笑える話だ。大笑いしてやる。何と間抜けな話なのか。滑稽すぎて涙が出るよ。
妖怪を知らない人間が、妖怪なんてへっちゃらさと胸を叩くようなもんだ。
本は読まないと分からない。そして恐怖は体験してみないと分からない。
そして知ってしまえば遅いのだ。もう忘れることなんて出来ない。
あるいは、この仕事を引き受けた時に決まっていたのか。四季様の頼みに頷いたしまった瞬間、この結末は約束されていたのかもしれない。
だけど、いずれにせよもう終わったことだ。始まりの時を探したところで、時間を戻れるわけでもなし。ただ空しいだけだ。
床の間の前には棺桶が置かれている。阿求の入った棺桶だ。あれだけ暴れたにも関わらず、四季様達のおかげで蓋はまったく開いていない。それがどれだけの偉業なのか、今のあたいには痛いほど理解できる。
中では阿求が息を引き取っているのだろう。四季様は確かめる必要があると言っていたが、とてもあたいはあの蓋を開く気にはなれなかった。あれほど暴れた後なのだ。阿求も綺麗な顔はしていまい。同じように饅頭を食べていたし、あるいは嘔吐した跡も残っているかもしれない。
いずれにせよ、そこに詰まっているのは死に怯えた人間の姿だ。とても好んで見るようなものではないのに、四季様はそれを開こうとしている。改めて、あの人は凄い閻魔だと思う。あたいに唯一の幸福があるとすれば、それだけ凄い閻魔に仕えられたことか。
そして四季様の不幸をあげるとすれば、あたいのような部下を持ったこと。ろくに蓋を押さえることも出来ず、今も逃げ続けることだけを考えている。
四季様に全てを押し付けて、あたいは逃げだそうとしているのだ。
心苦しい。当然だ。あたいは四季様を嫌いではなかった。むしろ好きな人物に入っている。そんな人に砂をかけて逃げだそうというのだから、とても喜べるような話ではない。
しかし、だからといって決意は揺るがない。後ろ向きの決意だとしても、これだけは譲ることが出来なかった。
「死神、辞めよう」
虚ろな目であたいは呟く。
部屋の中にはあたい一人だけ。
棺桶の阿求は何も言わず、洗面器は冷たいままだった。
これ以上の言葉は不要です
この怖さと気持ち悪さはどう書いたところで表現できるものではないです。
お見事でした。
…ってケチつけようと思ってましたが、読み終わった今そんなことは言えません…いま小町と同じ気分です。ごめんなさい
俺は実際に聴きたかった。
阿求の恐怖を、嘆きを、未練を、呪詛を、絶叫を、言語化したものを。
文才に溢れた彼女ならば、さぞかし此方の魂を抉る弔辞を放ったんでしょうね。
……訂正、流石にこれは分を超えた願いだな。作者様の魂を削れ、と言っているに等しいのかも。
作中で妹紅が呟いた一言、「阿求は此処で死ぬの?」
何故かこの台詞が頭から離れない。
しかし、それがこの作品の魅力なのでしょう。
オチが「死そのものの恐怖」という平凡な終着点だったというところにちょっとがっかりな感じがあったのですが、
90kbをさくさく読ませて頂ける手腕はやはり流石です。
文章が大変読み易く、ストーリーも無理のないもので、読むに楽しい時間を過ごさせて頂きました。
ありがとうございます。
今まで読んだ阿求物の中で最もインパクトのある「阿求の死」でした。
貴方が天才か。素晴らしい、圧倒されました。
何度も読みたくなる作品ではありませんが、ずっと忘れられそうにありません。
予想通りなのだけれど予想を確実に上回る、途中で投げ出せるのに引き込まれる。
読んでも後悔。読まないともっと後悔。そんな感じでしょうか。
やばいやばい…
感動(感情を動かされる)させられた!!・・・・・・うぇ、きもちわる(褒め言葉ですよ)
そういう作品なんだけど、やっぱり気持ち悪い。
うん。
阿礼乙女の別れネタは数あれど
ここまで「絵物語にしてはいけない」と感じたのは初...うへぇ
この不快さはナマモノの本能orz
実際、死の恐怖なんて知るべきじゃないと思います。
兎も角、文才もさることながら題材が題材だけに物語にのめり込んでしまいました。
しかし、場面が進むほどににじりよってくる不安感というか、大きな山場は無いのに凄まじくガツンとくる作品だと思います。
『腑抜け』ていた阿求の末期の生々しい恐怖。
想像するだけで、ああ、胃が痛い・・・なんだこのどす黒い痛みは。
ですがこの文章を読めたことに満足しています。不安や焦燥が徐々に迫ってくる感覚がすごいですね
この上で死神を続けられる存在なんて、いるんだろか。いるとしたら、それこそ職業死神ではなく、種族・概念死神になるんだろか。
阿礼一族と閻魔、妖怪たちの根比べですね。釣り合ってるなら、幻想郷の人妖バランスは安泰だ……。
ホントに怖かったです
この世で一番怖いのは人間だなと、まさか阿求に再認識させられるとは。
何か悔しいから、十代目稗田乙女には『阿斗』と名前を送ってやろう。
この話は、実際に死にかけたことのある人間じゃないと真に理解することは叶わないんでしょうね。
どんな声なのか聞いてみたいけど、怖いもの見たさ的な好奇心で臨んだらきっと、小町の二の舞になるのかなあ。
阿求ってのは、死に関して達観した人物だと思っているので、こういう後ろ向きなのは意外でした。
>>口をつむぐ
つぐむ
>>いま切っています
切って来ます?
しかし彼らも人の存在があってこそ、と考えると中々考える物があります。
いやいやしかしこの読後感はお見事です。非常に乾いた風が心に吹きますね。
そんな状態で、なにが聞こえ、なにが見えるのか想像も
つきません。そういう人がもしいるとしたら、そんなことを
話すのか・・・怖いですね・・・
あと、長々読ませて凄まじいオチを期待させて、「死そのもの」がオチというのは、いくらなんでも…
文章やキャラはしっかりしている分、ラストのチープさが際立ってしまった感があります
果たして人間の絶望一声が死神の心を折る程のものなのか。
そもそも死神がこんなに人間臭くて良いのか。
それが小町というキャラの魅力でもあるのでしょうが、違和感が拭い去れません。
作品そのものはとても興味深い内容でした。
義務でないのに、自分の生死をかけて死を看取ってくれる、そんな友達がいるとは幸せですね、
昔、暗い日曜日っていう曲を聞きものすごく死にたくなりましたが、それの数十倍ぐらいかな?
彼女が定期的に向き合わなければならない苦痛を共感してくれるものが、
一人いるだけでどれぐらい心強いものだったのか
同じ儀式を通過した幽香と文がともに人里に近い妖怪になったことを考えれば
逃げ出さずに仕事を続けていくことが心を癒す唯一の手段だったんだろう
というか氏の『おはようからおやすみまで見つめられる稗田』と繋がってるんですねこれ……
あの阿求の死に際がこれとは……ちょっ悲しいっていうか、BADENDすぎる気がします
確かに死刑囚でも、死刑台のロープが切れるかもしれないというかすかな希望を抱きながら死んでいくのでしょうけど
そんな僅かな希望のあるなしが、死神や閻魔や大妖怪をも恐怖させるほどの差を作るものかなと
「樽一杯のワインに匙一杯の汚水を混ぜれば、樽一杯の汚水となる」なんて言葉もありますけど、正直、常人にはそのワインに汚水が混じってるなんて判らないですよね
死神や閻魔や大妖怪のような、並みの死について今まで散々慣れてきた存在だからこそ、そうしたわずかな差を感じてしまうのだとすれば
阿求のような真の絶望を感じながらの死は一種の「幻想」であり、残念ながら私個人はこの小説からそんな幻想を感じ取ることは出来ませんでした
(もちろん、私個人は大して人の死に触れたことなんてありませんから、妖怪なら見慣れているような並みの死でも吐くほどの恐怖を味わってしまうのでしょうが)
言いたいことは全て言われてしまっているので、
ただ、点数だけを入れさせてください。
・どうして棺桶を抑える人が四季達なのか?掟によるなら、人妖は問わないはずである。この声が精神に依存する妖怪を弱らせるなら人間にやらせた方がいいのではないか?人間の最期の馬鹿力は少数の人間では抑えきれないということであるなら、これは妖怪の力を借りることが前提になっている掟なのか。それは人間である稗田阿礼が考えるとは想像しにくい。
・また少人数でやらせる必要もないのではいか、長生きする人への嫌がらせだとしたら多いに越したことをはないはず。そして少人数で抑えきれなかった場合、すなわち蓋が開いてしまったらそれこそ稗田阿礼の意図に反してしまう気がする。
・単純に、妖怪にとって人間の悲鳴はむしろ好物であるはず。死を恐れる悲鳴に臆するというのは、妖怪の根底からずれていると思う。
すばらしい文才です、高く評価させていただきます
耳栓でもしてればいいんじゃないかな。
それでも聞こえてくる声のはずないし。
それか音を操れる人妖に謝礼払ってその声を消してもらえばいい。
しかし、今更義務だなんだと言ったところで幻想郷は最早あり方を変えている。何のために皆が苦しむのか、そう考えれば行き着くのは初代の契約。
なんつーか、阿礼に文句の一つも言いたくなるね。
あ、難儀な人間性を生々しく描いていく作風お気に入りですよ。
きっと、もっと生きていたいと思うんだろうな。
20歳ぐらいで死ぬのは未練を残して成仏させない為とかだったりするのかしらん
正直トラウマになりました
最後に残されていた希望は「未来」或いは「予知」
自分の運命や人の行く末をわかってしまったら生きる希望など無い
人は未来がわからないからこそ必死に生きていけるわけで
脱帽。
ただ虚しい。
どんなに残酷な死よりも、決められた死の方が恐ろしいですよね。
震えが止まらないです。