雪が降っている。
大きな雪が降っている。
たくさんたくさん降っている。
手を伸ばし、触れてみた。
伝わる感触はもふもふのふわふわ、そして、じんわり暖かい。
お砂糖まぶして齧りついたら美味しいかな――なんて思っていると、すぅと肌に染み込んだ。
――永遠亭の月兎こと、私、鈴仙・優曇華院・イナバは、亭の縁側で白い空を眺めている。
雪に影響されたんだろうか。
なんだか私もふわふわふらふら。
布団の中に潜り込んで欠伸を一つ、いざお休み――そんな感じだ。
いけないいけない、寝ちゃ駄目だ。
今日は……今日は……。
あれ……?
降り止む気配のないつきたてのお餅のような雪を感じながら、ふと思う。
はて、今は何時だったろうか。
や、惚けた訳じゃない。
ふと、頬を擽る穏やかな風が吹いた。
寒くも暑くもなく、ただただ優しいその風は、そう、凪。
ぶれていた焦点を合わせると、瞳に映るのは守矢神社の風祝――東風谷早苗さん。
……なんだけど。
感じた風の柔らかさとは違って、何故かつんとした表情の早苗さん。
何か怒らせるような事したかな――ふらつく意識をかき集めつつ、私は控えめに手を振る。
気付いた早苗さんは、どうという事もなく微笑みを浮かべ、手を振り返してくれた。
早苗さんの微笑は、象徴される凪のようにとても優しい。
うん、だから。
少し緊張していた私の顔が綻ぶのは、致し方なしと言えよう。
ふにゃら。
にやけた笑みを浮かべる私。
気付いたのかいないのか、早苗さんは小さく頭を下げ、室内に入って行った。
うむぅ……やっぱり何か怒らせちゃったのかなぁ?
首を捻って考えていると、視界の隅に肩を竦める少女が現れた。
少女っていうか巫女。
霊夢だ。
早苗さんの後を追ってきたんだろうか。
だとしたら、怒らせたのは霊夢なのかな。
去って行ったほうに目を向け、動作で聞いてみた。
首が横に振られる。
加えて、ちらりと後ろに視線を向けた。
その先に原因がある――やんわりとした微苦笑を浮かべながら、もう一度肩を竦め、霊夢は早苗さんに続いた。
それはともかく。
霊夢ってあんな顔するんだ。
ぴりぴりしている表情ばかり見ていたためだろう、殊更可愛らしく見えた。
ふにゃら。
と、再び顔をにやつかせている私に、雪の塊が頭に落ちてきた。
当たり前だけど冷たいでやんの。
……あれ?
目をぱちくりとしながら頭の上の雪を払おうとする。
髪に触れるはずの手は、けれど、肌の温かさを伝えてきた。
頭皮に触れている訳じゃない、私よりも先に潜り込んだのだろうその手は、私よりも大分大きかった。
おっかなびっくり見上げると、目の前にいるのは乾の神様。
それと、寄り添うように横にいる坤の神様。
神奈子さんと諏訪子さんだった。
神奈子さんが、雪を払うために一度二度、撫でるように手を振った。
感謝の意を示そうとした私は、だけど気付いて動きを止める。
服はともかく、なんだかおフタリとも絆創膏だらけ。
固まる私に、おフタリは顔を見合わせ頬を掻く。
なるほど。
早苗さんの態度と霊夢の指摘に納得する。
ここに来る前、神奈子さんと諏訪子さんが一戦交えたのだろう。
とは言え、ぴたりと並び立つその様に、険悪な雰囲気は微塵も感じ取られなかった。
雨降って地固まると言った所か、むしろ、私が知る普段よりも、お互いの距離が近いような。
ような、じゃなくて、近い。物理的に近い。諏訪子さんが神奈子さんの腰に手を回し、おフタリして奥へと入っていった。わおぅ。
一人、一妖、一匹、一柱……その後も続々と、訪問客がやってきた。
どうやら今日は、宴が行われているようだ。
幻想郷らしい、姫様が好きそうな人妖入り混じった大宴会。
皆が集まっているのは、この亭の中でも最も広い大広間だろうか。
ぼぅとそんなことを思うのは、ここからだと喧騒がほとんど聞こえないから。
比較的耳の良い私がそう感じているのだから、或いは誰かに頼んで空間や何かを弄っているのかもしれない。
私も、参加しようかな。
傍らに置いている盆の上の猪口を一つ取り、くぴりと飲んで、薄く笑む。
宴に参加しようと思ったことは、紛れもない本心だ。
だけれど、それが本気でないこともまた、真実だった。
とめどなく降り落ちてくる雪を眺めていると、時間の経過が曖昧になってきた――。
ふと、空を見上げる。
無意識に、向かい来る‘力‘を感じたからだろうか。
否、もっと単純な理由で、空の色の比率が変わったからだった。
雪が、白い雲からではなく、青い空から降ってきている。
気付けば、蒼天と呼べる天気になっていた。
同時、見知った可愛らしい少女の姿を視界に捉える――数少ない私の友達、魂魄妖夢も、宴に来てくれたようだ。
此方の視線に気付いたのだろう、妖夢の口が開きかける。
零されるのは挨拶か、再会を喜ぶ歓声だろうか。
後者だと嬉しいな。
思いつつ、口に人差し指を当てる。
「――!?」
妖夢が、一瞬遅れて私が、目を皿のように丸くする。
時間の差は、彼女が当事者で、私が傍観者だったから起こったもの。
声が発せられようとした刹那、雪のように白い手が彼女の口を押さえた。
その手の主は、妖夢のご主人様、西行寺幽々子さんだ。
唐突な主の動作に見上げる妖夢。
応えることなく、幽々子さんが妖夢を抱いた。
どうやっているのか見当もつかないが、発せられているはずの声も完全に押さえこんでいる。
呆気にとられる私に、幽々子さんは両手を振り、妖夢ともども部屋へと入っていった。
一瞬のやり取りを終え、私は息を吐く。
早苗さんや霊夢、妖夢には気付くことが出来た。
けれど、神奈子さんや諏訪子さん、幽々子さんの接近は意外以外のなにものでもない。
勿論、特に意識していなかったと言う事実の上で、なのだが。
それでも、同じ条件下であれば、彼女たちは気付くのだろう――‘力‘の差か。
……それはそれとして、ちょびっと妖夢が羨ましい。だって幽々子さんにぎゅっとされていた。おっぱい攻めだ。いいなぁ――んがっ!?
なんぞ急に一固まりの雪が降ってきた。
ふやけた表情をしていた私に直撃する。
頭を冷やせと言うことですね、解ります。
幽々子さんの‘質‘だろうか。間違ってはいないはずだが、少し違う気もする。彼女の雪はもっと柔らかく、そう例えるならお――んがっ!?
頭を振って、雪を飛ばす。
左右に散るはずの滴は、けれど後方に流される。
一陣、二陣、三陣と風が強く吹き、共に化身たちが降り立った。
部屋へ迎え入れるため、彼女たちに、私は笑む。
返されたのは、三者三様の動作。
一陣目――椛が目を丸くし、頬を朱に染める。
二陣目――はたてが口を尖らせて、カメラを取り出した。
三陣目――そんな二名を、文さんが、左右の手で押し留める。
物言いたげな二名に肩を竦め、早く中に入るようにと促す文さん。
大人びた仕草に、椛がほぅと息をつき、はたてが不承不承に、歩みを進めた。
そして、パチンとウィンク一つを残し、文さんも奥へと消えていった。
極稀に、だけど。
何時もは飄々とした文さんが、とても格好よく見える。
正直真似てみたいと思うのだが、私がそんな仕草をしても滑稽なだけだろう。
或いは、攻撃準備と取られてしまうだろうか。
先の椛とは違った――ように思える――溜息を零し、私は微苦笑を浮かべた。
雨か雪か……判別付かない冷たい滴が、慰めるように頬へと触れた――。
宴が始まり、もう数時間。
集まるばかりだった参加者も、そろそろ数が尽きた模様。
催されている部屋の方から、足音が、一つ二つと近づいてくる。
一人と一妖、一人と三妖、一人と二柱、一人と半人半妖、半人半霊と一妖……。
思い思いの相手と共に、各人が帰路につく。
時に笑み、時に手を振り、時に頭を下げる。
結局、私は乗り遅れてしまったようだ。
まぁいいか――だって、宴会なんて日常茶飯事、今の時間の方が珍しい。
雪が降る、雪が降る、美味しそうな雪が、私の周りを取り囲む――。
空ばかり眺めていたからだろう。
お二方が私に近づくのを、いや、通り過ぎたのさえ、気付かなかった。
そんな私が、視線を正面に、お二方に向け得たのは、そう言う‘力‘を放たれたから。
懐かしい、月の‘力‘。
声が出かける。
口は、確かに開いた。
だけれど、向けられた、凛とした、また、麗らかな視線に、私は、言葉を飲み込んでしまった。
四五歩駆ければ手が届く、そんな距離に、私の‘元‘飼い主、綿月依姫様と豊姫様が立っている。
何時の間に……?
思考と疑問が絡まり、何も出来ず、何も言えない。
そう思うのは、自身とお二方に対する、体の良い言い訳だろうか。
お二方を、同僚を、月を――全てを捨てて逃げ出した私が、何を言えるだろう。
固まる私に、依姫様が息を吐き、豊姫様がご自身の帽子を取る。
ぴょんと小兎が飛び出して、奥へと戻っていった。
へ? ……あぁ。
こっちに来てから何回か、お二方とも顔を合しているんだった。
満面の笑みを浮かべる豊姫様に、顔に手を当て依姫様が、それはもう大きな溜息を零す仕草をした。
そして、依姫様は、その手を一度振り――此方に向ける。
依姫様の瞳は変わらず凛としていて、だけど、それ以上の情報を読みとることができない。
豊姫様の表情も同じくで、麗らかに笑んでいるだけだった。
仕草を、そのままに受け取れと言うことだろうか。
お二方の口が、ゆっくりと、言葉を想像させるように、開かれる。
『帰りましょう、鈴仙』
思考が止まる。
感情が弾ける。
身体は――けれど、動けなかった。
いや、うぅん、そうじゃない、私は、動かなかった。
一瞬の後、今日これまでで一番大きな音が、後方から聞こえてきた。
私が振り向くのと、誰かがその横を小走りで通り過ぎるのは、ほぼ同時。
誰か……否、彼女は私だ。
私と同じ名を持つ少女――レイセンが、お二方に置いていかれまいと、駆けてきた。
傍らに辿りつき、伸ばされた手を取るレイセン。
肩で息する彼女を、依姫様が労わった。
仕方ない、と言った風に。
私は、顔を伏せ、自身の勘違いに頬を掻く。うわぅ恥ずかしい。
少しして視線をあげる。
そこには、もう誰もいなかった。
お二方とレイセンも、帰路につき、月へと帰ったのだろう。
お別れの挨拶くらい――思っていると、頭に、囁くような声が届いた。
『なによなによ、ついて来いとまでは言わないけれど、手を握るくらいしてもいいじゃないっ』
『そうねぇ、でも、私たちも何も言わなかったしねぇ』
『……むぐ』
『と言う訳で、あの子が拾えるような波長にて本音をお届けしています』
『お姉様、貴女なんでもありですか!? あ、いや、こほん、アレは貴女を試すためにしたことよ』
『キリッ。……うどんげさん、またお会いしましょうね』
『レー、セーッン!?』
『近いうちに遊びに行くわ。じゃあ、切るわね』
『ちょ、お姉様、私まだ……! あぁもぅ、今度は私たちの世話もすること! 以上!』
空を見上げる。
煌々と輝く月が、既に昇っていた。
再会の念を強く込め、私は一つ、頭を下げた。
月に照らされ輝く雪が、撫でるように、頭につもった――。
猪口を呷り、ほぅと一息。
大広間では、宴とは別の喧騒が始められたようだ。
参加者が帰っても、そもそも亭には何十羽もの兎たちがいる。
幾つもの部屋を隔てているとは言え、彼女たちの様子は容易に想像できた。
加えて、姫や師匠も。
『おかたづけー、おかたづけー』
『ほらほら貴女たち、歌ってばかりいないで手も動かしなさいな』
『おかたづけー、おかたづけー』
『いえ、姫様はお休みになられても……頬を膨らませて拗ねないでくださいっ』
身内をかばう訳ではないが、普段はもっと、兎たちは働き者だ。
何時ものまとめ役がいないから……それも、騒いでいる一因かもしれない。
けれど何より、姫や師匠との作業が楽しくて、ついついはしゃいでしまっているんだろう。
勿論、解らぬお二方ではない。
だから、師匠は言葉を強く出来ないでいる。
だから、姫様は共に楽しまれている。
きっと、皆、笑顔。
――そんな様子を頭に浮かべ、その場にいない私の顔も、綻んだ。
もう一口と、猪口に口をつける。
出来るだけ静かに嚥下した。
ずずずぅ。
……残ってないでやんの。
小さな猪口に見切りをつけ、盆に載る徳利を引っつかみ、垂直に口へと立てた。
とんとん、と徳利の底を軽く叩く。……ちくしょう、こっちも空か。
もう随分と此処にいる。
一度だって離れちゃいない。
喉は渇くしお腹だって空いてきた。
そろそろ室内に戻ろうか。
今ならまだ、宴の余り物だってあるかもしれないし。
徳利を戻し、猪口の代わりと空を仰ぐ。
雪が降っている。
大きな雪が降っている。
たくさんたくさん降っている。
さも私をこの場に釘付けにするように。
髪に、耳に、顔に、触れては溶け、染み込んでいく。
ふと、思い出す。
今宵振る雪は、ふわふわのもふもふ。
きな粉をまぶせば、きっと、きな粉餅に早変わり。
と言うことはつまり、恐らくそのままでもお餅のようなものに違いない!
雪が降る、雪が降る、覆うのに両の手が必要なほど、大きな雪が降り落ちる。
眼前で揺れる雪に、私は両手を差し出した。
手に触れたソレを溶かさないよう、そっと掴む。
その感触は想像通りで、だから、自然と笑みが浮かんだ。
声を出す代わりに心で感謝の意を念じ、私は、大きく大きく、口を開いた――(いただきます)。
「……つまり、私としては、お腹が空いていたのでお餅を食べた、と言う認識なの。
だって、とっても美味しそうだったのよ?
許されるべき」
‘雪‘を見上げながら、ぐっと拳を握り、私は力説した。
「うん、喧しい」
‘雪‘が、言葉の割に、にっこにこ笑いながら言い返してきた。あれ、許された?
「あ、そうだ、食感は良かったわ!」
「嬉しそうに言うんじゃないよ」
「いだだだだっ!?」
ぴ、と立てた人差し指をぎゅうと掴まれ、私は悲鳴を上げる。許されていなかったようだ。
場所は変わらず、永遠亭の縁側。
見上げる空は暗く、此方も既に夜になっている。
時間が経過しているのだろう、室内の喧騒も落ちついてきているようだ。
「たくもう、思いっきり噛みやがって」
「舐めたり吸ったりもしたわ」
「言わなくて宜しい」
ただ、‘雪‘だけが違う。
正確には、‘雪‘じゃなかった。
そう思っていたものは、今も眼前で揺れる耳。
‘永遠亭の地兎‘こと、我が同僚、因幡てゐの耳だった。
――どうやら、私は長い長い夢を見ていたようだ。
てゐの耳に齧りつき、彼女が悲鳴を上げるまで、私は延々と寝ていた模様。
妙に夢を覚えているのは、現でも宴が行われていたからだった。
つまり、夢に出てきた人妖は、宴会に来て、帰っていった。
「流石に、月の姫君たちは来てないけど」
「そっか」
「来てたら、起してるよ」
「うん」
「……それに、こっち側の鴉は写真撮ってったしね」
てゐの指が、私の口周りを拭う。
はらりはらりと白い‘雪‘改め毛が払われた。
くっついていても気にならないほど、彼女の毛は柔らかい。
……フラッシュに気付かなかったのは、てゐが腕で目を覆ってくれていたからだろうか。
「あはは、あのヒトらしいなぁ」
「『らしい』って、夢ん中じゃ諌めてたんでしょ?」
「うんまぁ……」
「なんで?」
「多分だけど、理想みたいなものを投影しちゃったんじゃないかな」
「射命丸に対する理想像、ね」
「格好いいお姉さんって素敵だもの。でへへ」
『あんたの好みなんて聞いてない』
頬を掻く私に、言葉なく冷たい視線を浴びせるてゐ。幻視余裕でした。
けれど、結局その姿は幻だった。
頬に留まっていたてゐの指がすぅと離れ、私は、促されるように行先を視線で追う。
てゐは、その手を自身の首元に当てた。
一二度首を揉み、小さく頭が振られる。
残る片手を後方に置き、背を伸ばし、溜息を吐く。
「理想、ね……」
小さな呟き。
何を意図しているか理解できず、私は小首を捻った。
密着しているのだ、視線が此方に向けられていなくても、てゐには伝わっただろう。
その上で、だろうか。
再度大袈裟に息を吐き、肩を竦め、詰るような言葉が続けられた。
「だとしたら、鈴仙はとんだ薄情者うさ。
あれやこれやが出てきているのに、このてゐちゃんがいないなんて。
宴会に参加できないわ足は痺れるわ耳なんて噛まれるわ、とっとと膝から頭を落としておけば良かったうさ」
きょとんとする私。
てゐには届かない。
目の開閉だけでは、仕方ないだろう。
「頭を乗せているのは、膝じゃなくて腿……」
「そー言うことを言っているんじゃない」
「突っ込むならこっち見なさいよ」
てゐが、意固地になった振りをする。
だって、そうでしょう?
この悪戯兎が、『私の夢に出てきていない』と言う理由だけで、意固地になる訳がない。
地上では最も付き合いが長いのだ、今回に限らず、そんなことは波長を視るまでもなく解っている。
加えて、そも、てゐは勘違いをしている。
私は、両手を伸ばし、てゐの頬を掴んだ。
視線を合わせるため、顔を此方に向けさせる。
然程の抵抗は見られず、思い通りにことは進んだ。
「ねぇ、てゐ」
けれど、意外なものが指に触れている。
冷たく、溶け、染み込む。
それは、‘雪‘。
「見当違いも甚だしいわ。
あんたはずっと、傍にいた。
だから、夢の中の皆は、無言だったのよ?」
――季節外れなその現象に囚われるより早く、てゐの瞳に視線を合わせ、言葉を紡ぐ。
「現の私と同じように、夢のあんたは寝ていたの。
入れ替わったって言った方が解り易いかしら。
つまり、私はあんたの枕代わりだった訳」
大袈裟に、てゐの目が開く。
だけど、一瞬後、すぐに細められた。
視線が逸らされることはなく、ただ、頬に触れていた手に、手を重ねられる。
「……理想、ね」
微苦笑で零された呟きは、先ほどと変わらず、その意図が理解できなかった。
「えと、子ども扱いっぽいのが気に入らない?」
「どうだろうね。ともかく、ありがと、鈴仙」
「夢だし、素直なあんたとか気味悪い」
胡乱気な視線に返されたのは、幼い姿に似合わない、どこか大人びた微笑。
「あんたの目に狂わされているうさ」
あ、なんだか何時も通り。
そんなことを考えていると、きゅうと気の抜けた音が耳に届く。
或いは、身体の内側から外側に響いた。
お腹空いてたんだっけ。
起き上がるより早く、てゐが、私の口元に正真正銘のお餅を運んでくる。
傍らに置かれている盆に、徳利と猪口、積まれたお餅が載っていた。
「はいよ」
「なんでこっちにはあるのよ」
「鈴仙と違って、私は抜け目がないからじゃない?」
「あむ、あむあむあむ、あむんっ」
「聞いちゃいねぇ……」
睡眠欲と食欲が満たされて、余は満足じゃ。
性欲? 人間じゃないんだから。
……いや、柔ぁらかいものは好きだけど。
「おっぱいとか」
「いきなり何を言い出すのかね」
「てゐの腿も柔らかくて好きだよー」
言いつつうつ伏せになり、顔を左右に振る。
太すぎもせず細すぎもしない健康的な太腿だ。
ひょっとしたら、姫様に負けないくらい気持ちいいかもしれない。
ひゅん、と拳が風を切る音。拙い、調子に乗り過ぎた?
「……もうちょっと、寝てる?」
「拳骨ですね、解ります」
「じゃなくてさ」
振り落とされると思った拳は、けれどその直前に開かれたようで、私の髪を撫でてきた。
さらり、さらり。
言葉はなく、数度撫でられる。
一定のリズムが、満たされていた睡眠欲をまた呼び起こす。
「うん。今度は食べ物も用意する!」
「欲まみれだね、この兎は」
「てゐにも悪戯するわ」
おーい、と呼ぶ声は、しかし頭に残らない。
態勢を戻し、眠りに落ちる前に、てゐに笑む。
「ひざまくら、ありがとう、てゐ」
目を細め、髪を撫で、てゐも笑みを浮かべた。
「ほんと、鈴仙はずるいねぇ」
「おやすみ」
「お休み」
何時もの挨拶を交わし、私は、再び眠りに落ちるのだった――。
雪が降っている。
大きな雪が降っている。
たくさん、たくさん、降っている――。
<了>
《亭の他の面々も眠りにつくようです》
「ひめさまひめさま、おふとんがたりません!」
「布団がないならそのまま寝ましょ」
「えーりんさまえーりんさま……、まくらもたりないです……」
「むぅ……布団はともかく、枕は安眠に欠かせないわねぇ」
「じゃあ、年の順に膝を貸していきましょう」
「よしきた」
《/亭を覆う肌寒い夜の空気は、永琳が全力でなんとかしました》
大きな雪が降っている。
たくさんたくさん降っている。
手を伸ばし、触れてみた。
伝わる感触はもふもふのふわふわ、そして、じんわり暖かい。
お砂糖まぶして齧りついたら美味しいかな――なんて思っていると、すぅと肌に染み込んだ。
――永遠亭の月兎こと、私、鈴仙・優曇華院・イナバは、亭の縁側で白い空を眺めている。
雪に影響されたんだろうか。
なんだか私もふわふわふらふら。
布団の中に潜り込んで欠伸を一つ、いざお休み――そんな感じだ。
いけないいけない、寝ちゃ駄目だ。
今日は……今日は……。
あれ……?
降り止む気配のないつきたてのお餅のような雪を感じながら、ふと思う。
はて、今は何時だったろうか。
や、惚けた訳じゃない。
ふと、頬を擽る穏やかな風が吹いた。
寒くも暑くもなく、ただただ優しいその風は、そう、凪。
ぶれていた焦点を合わせると、瞳に映るのは守矢神社の風祝――東風谷早苗さん。
……なんだけど。
感じた風の柔らかさとは違って、何故かつんとした表情の早苗さん。
何か怒らせるような事したかな――ふらつく意識をかき集めつつ、私は控えめに手を振る。
気付いた早苗さんは、どうという事もなく微笑みを浮かべ、手を振り返してくれた。
早苗さんの微笑は、象徴される凪のようにとても優しい。
うん、だから。
少し緊張していた私の顔が綻ぶのは、致し方なしと言えよう。
ふにゃら。
にやけた笑みを浮かべる私。
気付いたのかいないのか、早苗さんは小さく頭を下げ、室内に入って行った。
うむぅ……やっぱり何か怒らせちゃったのかなぁ?
首を捻って考えていると、視界の隅に肩を竦める少女が現れた。
少女っていうか巫女。
霊夢だ。
早苗さんの後を追ってきたんだろうか。
だとしたら、怒らせたのは霊夢なのかな。
去って行ったほうに目を向け、動作で聞いてみた。
首が横に振られる。
加えて、ちらりと後ろに視線を向けた。
その先に原因がある――やんわりとした微苦笑を浮かべながら、もう一度肩を竦め、霊夢は早苗さんに続いた。
それはともかく。
霊夢ってあんな顔するんだ。
ぴりぴりしている表情ばかり見ていたためだろう、殊更可愛らしく見えた。
ふにゃら。
と、再び顔をにやつかせている私に、雪の塊が頭に落ちてきた。
当たり前だけど冷たいでやんの。
……あれ?
目をぱちくりとしながら頭の上の雪を払おうとする。
髪に触れるはずの手は、けれど、肌の温かさを伝えてきた。
頭皮に触れている訳じゃない、私よりも先に潜り込んだのだろうその手は、私よりも大分大きかった。
おっかなびっくり見上げると、目の前にいるのは乾の神様。
それと、寄り添うように横にいる坤の神様。
神奈子さんと諏訪子さんだった。
神奈子さんが、雪を払うために一度二度、撫でるように手を振った。
感謝の意を示そうとした私は、だけど気付いて動きを止める。
服はともかく、なんだかおフタリとも絆創膏だらけ。
固まる私に、おフタリは顔を見合わせ頬を掻く。
なるほど。
早苗さんの態度と霊夢の指摘に納得する。
ここに来る前、神奈子さんと諏訪子さんが一戦交えたのだろう。
とは言え、ぴたりと並び立つその様に、険悪な雰囲気は微塵も感じ取られなかった。
雨降って地固まると言った所か、むしろ、私が知る普段よりも、お互いの距離が近いような。
ような、じゃなくて、近い。物理的に近い。諏訪子さんが神奈子さんの腰に手を回し、おフタリして奥へと入っていった。わおぅ。
一人、一妖、一匹、一柱……その後も続々と、訪問客がやってきた。
どうやら今日は、宴が行われているようだ。
幻想郷らしい、姫様が好きそうな人妖入り混じった大宴会。
皆が集まっているのは、この亭の中でも最も広い大広間だろうか。
ぼぅとそんなことを思うのは、ここからだと喧騒がほとんど聞こえないから。
比較的耳の良い私がそう感じているのだから、或いは誰かに頼んで空間や何かを弄っているのかもしれない。
私も、参加しようかな。
傍らに置いている盆の上の猪口を一つ取り、くぴりと飲んで、薄く笑む。
宴に参加しようと思ったことは、紛れもない本心だ。
だけれど、それが本気でないこともまた、真実だった。
とめどなく降り落ちてくる雪を眺めていると、時間の経過が曖昧になってきた――。
ふと、空を見上げる。
無意識に、向かい来る‘力‘を感じたからだろうか。
否、もっと単純な理由で、空の色の比率が変わったからだった。
雪が、白い雲からではなく、青い空から降ってきている。
気付けば、蒼天と呼べる天気になっていた。
同時、見知った可愛らしい少女の姿を視界に捉える――数少ない私の友達、魂魄妖夢も、宴に来てくれたようだ。
此方の視線に気付いたのだろう、妖夢の口が開きかける。
零されるのは挨拶か、再会を喜ぶ歓声だろうか。
後者だと嬉しいな。
思いつつ、口に人差し指を当てる。
「――!?」
妖夢が、一瞬遅れて私が、目を皿のように丸くする。
時間の差は、彼女が当事者で、私が傍観者だったから起こったもの。
声が発せられようとした刹那、雪のように白い手が彼女の口を押さえた。
その手の主は、妖夢のご主人様、西行寺幽々子さんだ。
唐突な主の動作に見上げる妖夢。
応えることなく、幽々子さんが妖夢を抱いた。
どうやっているのか見当もつかないが、発せられているはずの声も完全に押さえこんでいる。
呆気にとられる私に、幽々子さんは両手を振り、妖夢ともども部屋へと入っていった。
一瞬のやり取りを終え、私は息を吐く。
早苗さんや霊夢、妖夢には気付くことが出来た。
けれど、神奈子さんや諏訪子さん、幽々子さんの接近は意外以外のなにものでもない。
勿論、特に意識していなかったと言う事実の上で、なのだが。
それでも、同じ条件下であれば、彼女たちは気付くのだろう――‘力‘の差か。
……それはそれとして、ちょびっと妖夢が羨ましい。だって幽々子さんにぎゅっとされていた。おっぱい攻めだ。いいなぁ――んがっ!?
なんぞ急に一固まりの雪が降ってきた。
ふやけた表情をしていた私に直撃する。
頭を冷やせと言うことですね、解ります。
幽々子さんの‘質‘だろうか。間違ってはいないはずだが、少し違う気もする。彼女の雪はもっと柔らかく、そう例えるならお――んがっ!?
頭を振って、雪を飛ばす。
左右に散るはずの滴は、けれど後方に流される。
一陣、二陣、三陣と風が強く吹き、共に化身たちが降り立った。
部屋へ迎え入れるため、彼女たちに、私は笑む。
返されたのは、三者三様の動作。
一陣目――椛が目を丸くし、頬を朱に染める。
二陣目――はたてが口を尖らせて、カメラを取り出した。
三陣目――そんな二名を、文さんが、左右の手で押し留める。
物言いたげな二名に肩を竦め、早く中に入るようにと促す文さん。
大人びた仕草に、椛がほぅと息をつき、はたてが不承不承に、歩みを進めた。
そして、パチンとウィンク一つを残し、文さんも奥へと消えていった。
極稀に、だけど。
何時もは飄々とした文さんが、とても格好よく見える。
正直真似てみたいと思うのだが、私がそんな仕草をしても滑稽なだけだろう。
或いは、攻撃準備と取られてしまうだろうか。
先の椛とは違った――ように思える――溜息を零し、私は微苦笑を浮かべた。
雨か雪か……判別付かない冷たい滴が、慰めるように頬へと触れた――。
宴が始まり、もう数時間。
集まるばかりだった参加者も、そろそろ数が尽きた模様。
催されている部屋の方から、足音が、一つ二つと近づいてくる。
一人と一妖、一人と三妖、一人と二柱、一人と半人半妖、半人半霊と一妖……。
思い思いの相手と共に、各人が帰路につく。
時に笑み、時に手を振り、時に頭を下げる。
結局、私は乗り遅れてしまったようだ。
まぁいいか――だって、宴会なんて日常茶飯事、今の時間の方が珍しい。
雪が降る、雪が降る、美味しそうな雪が、私の周りを取り囲む――。
空ばかり眺めていたからだろう。
お二方が私に近づくのを、いや、通り過ぎたのさえ、気付かなかった。
そんな私が、視線を正面に、お二方に向け得たのは、そう言う‘力‘を放たれたから。
懐かしい、月の‘力‘。
声が出かける。
口は、確かに開いた。
だけれど、向けられた、凛とした、また、麗らかな視線に、私は、言葉を飲み込んでしまった。
四五歩駆ければ手が届く、そんな距離に、私の‘元‘飼い主、綿月依姫様と豊姫様が立っている。
何時の間に……?
思考と疑問が絡まり、何も出来ず、何も言えない。
そう思うのは、自身とお二方に対する、体の良い言い訳だろうか。
お二方を、同僚を、月を――全てを捨てて逃げ出した私が、何を言えるだろう。
固まる私に、依姫様が息を吐き、豊姫様がご自身の帽子を取る。
ぴょんと小兎が飛び出して、奥へと戻っていった。
へ? ……あぁ。
こっちに来てから何回か、お二方とも顔を合しているんだった。
満面の笑みを浮かべる豊姫様に、顔に手を当て依姫様が、それはもう大きな溜息を零す仕草をした。
そして、依姫様は、その手を一度振り――此方に向ける。
依姫様の瞳は変わらず凛としていて、だけど、それ以上の情報を読みとることができない。
豊姫様の表情も同じくで、麗らかに笑んでいるだけだった。
仕草を、そのままに受け取れと言うことだろうか。
お二方の口が、ゆっくりと、言葉を想像させるように、開かれる。
『帰りましょう、鈴仙』
思考が止まる。
感情が弾ける。
身体は――けれど、動けなかった。
いや、うぅん、そうじゃない、私は、動かなかった。
一瞬の後、今日これまでで一番大きな音が、後方から聞こえてきた。
私が振り向くのと、誰かがその横を小走りで通り過ぎるのは、ほぼ同時。
誰か……否、彼女は私だ。
私と同じ名を持つ少女――レイセンが、お二方に置いていかれまいと、駆けてきた。
傍らに辿りつき、伸ばされた手を取るレイセン。
肩で息する彼女を、依姫様が労わった。
仕方ない、と言った風に。
私は、顔を伏せ、自身の勘違いに頬を掻く。うわぅ恥ずかしい。
少しして視線をあげる。
そこには、もう誰もいなかった。
お二方とレイセンも、帰路につき、月へと帰ったのだろう。
お別れの挨拶くらい――思っていると、頭に、囁くような声が届いた。
『なによなによ、ついて来いとまでは言わないけれど、手を握るくらいしてもいいじゃないっ』
『そうねぇ、でも、私たちも何も言わなかったしねぇ』
『……むぐ』
『と言う訳で、あの子が拾えるような波長にて本音をお届けしています』
『お姉様、貴女なんでもありですか!? あ、いや、こほん、アレは貴女を試すためにしたことよ』
『キリッ。……うどんげさん、またお会いしましょうね』
『レー、セーッン!?』
『近いうちに遊びに行くわ。じゃあ、切るわね』
『ちょ、お姉様、私まだ……! あぁもぅ、今度は私たちの世話もすること! 以上!』
空を見上げる。
煌々と輝く月が、既に昇っていた。
再会の念を強く込め、私は一つ、頭を下げた。
月に照らされ輝く雪が、撫でるように、頭につもった――。
猪口を呷り、ほぅと一息。
大広間では、宴とは別の喧騒が始められたようだ。
参加者が帰っても、そもそも亭には何十羽もの兎たちがいる。
幾つもの部屋を隔てているとは言え、彼女たちの様子は容易に想像できた。
加えて、姫や師匠も。
『おかたづけー、おかたづけー』
『ほらほら貴女たち、歌ってばかりいないで手も動かしなさいな』
『おかたづけー、おかたづけー』
『いえ、姫様はお休みになられても……頬を膨らませて拗ねないでくださいっ』
身内をかばう訳ではないが、普段はもっと、兎たちは働き者だ。
何時ものまとめ役がいないから……それも、騒いでいる一因かもしれない。
けれど何より、姫や師匠との作業が楽しくて、ついついはしゃいでしまっているんだろう。
勿論、解らぬお二方ではない。
だから、師匠は言葉を強く出来ないでいる。
だから、姫様は共に楽しまれている。
きっと、皆、笑顔。
――そんな様子を頭に浮かべ、その場にいない私の顔も、綻んだ。
もう一口と、猪口に口をつける。
出来るだけ静かに嚥下した。
ずずずぅ。
……残ってないでやんの。
小さな猪口に見切りをつけ、盆に載る徳利を引っつかみ、垂直に口へと立てた。
とんとん、と徳利の底を軽く叩く。……ちくしょう、こっちも空か。
もう随分と此処にいる。
一度だって離れちゃいない。
喉は渇くしお腹だって空いてきた。
そろそろ室内に戻ろうか。
今ならまだ、宴の余り物だってあるかもしれないし。
徳利を戻し、猪口の代わりと空を仰ぐ。
雪が降っている。
大きな雪が降っている。
たくさんたくさん降っている。
さも私をこの場に釘付けにするように。
髪に、耳に、顔に、触れては溶け、染み込んでいく。
ふと、思い出す。
今宵振る雪は、ふわふわのもふもふ。
きな粉をまぶせば、きっと、きな粉餅に早変わり。
と言うことはつまり、恐らくそのままでもお餅のようなものに違いない!
雪が降る、雪が降る、覆うのに両の手が必要なほど、大きな雪が降り落ちる。
眼前で揺れる雪に、私は両手を差し出した。
手に触れたソレを溶かさないよう、そっと掴む。
その感触は想像通りで、だから、自然と笑みが浮かんだ。
声を出す代わりに心で感謝の意を念じ、私は、大きく大きく、口を開いた――(いただきます)。
「……つまり、私としては、お腹が空いていたのでお餅を食べた、と言う認識なの。
だって、とっても美味しそうだったのよ?
許されるべき」
‘雪‘を見上げながら、ぐっと拳を握り、私は力説した。
「うん、喧しい」
‘雪‘が、言葉の割に、にっこにこ笑いながら言い返してきた。あれ、許された?
「あ、そうだ、食感は良かったわ!」
「嬉しそうに言うんじゃないよ」
「いだだだだっ!?」
ぴ、と立てた人差し指をぎゅうと掴まれ、私は悲鳴を上げる。許されていなかったようだ。
場所は変わらず、永遠亭の縁側。
見上げる空は暗く、此方も既に夜になっている。
時間が経過しているのだろう、室内の喧騒も落ちついてきているようだ。
「たくもう、思いっきり噛みやがって」
「舐めたり吸ったりもしたわ」
「言わなくて宜しい」
ただ、‘雪‘だけが違う。
正確には、‘雪‘じゃなかった。
そう思っていたものは、今も眼前で揺れる耳。
‘永遠亭の地兎‘こと、我が同僚、因幡てゐの耳だった。
――どうやら、私は長い長い夢を見ていたようだ。
てゐの耳に齧りつき、彼女が悲鳴を上げるまで、私は延々と寝ていた模様。
妙に夢を覚えているのは、現でも宴が行われていたからだった。
つまり、夢に出てきた人妖は、宴会に来て、帰っていった。
「流石に、月の姫君たちは来てないけど」
「そっか」
「来てたら、起してるよ」
「うん」
「……それに、こっち側の鴉は写真撮ってったしね」
てゐの指が、私の口周りを拭う。
はらりはらりと白い‘雪‘改め毛が払われた。
くっついていても気にならないほど、彼女の毛は柔らかい。
……フラッシュに気付かなかったのは、てゐが腕で目を覆ってくれていたからだろうか。
「あはは、あのヒトらしいなぁ」
「『らしい』って、夢ん中じゃ諌めてたんでしょ?」
「うんまぁ……」
「なんで?」
「多分だけど、理想みたいなものを投影しちゃったんじゃないかな」
「射命丸に対する理想像、ね」
「格好いいお姉さんって素敵だもの。でへへ」
『あんたの好みなんて聞いてない』
頬を掻く私に、言葉なく冷たい視線を浴びせるてゐ。幻視余裕でした。
けれど、結局その姿は幻だった。
頬に留まっていたてゐの指がすぅと離れ、私は、促されるように行先を視線で追う。
てゐは、その手を自身の首元に当てた。
一二度首を揉み、小さく頭が振られる。
残る片手を後方に置き、背を伸ばし、溜息を吐く。
「理想、ね……」
小さな呟き。
何を意図しているか理解できず、私は小首を捻った。
密着しているのだ、視線が此方に向けられていなくても、てゐには伝わっただろう。
その上で、だろうか。
再度大袈裟に息を吐き、肩を竦め、詰るような言葉が続けられた。
「だとしたら、鈴仙はとんだ薄情者うさ。
あれやこれやが出てきているのに、このてゐちゃんがいないなんて。
宴会に参加できないわ足は痺れるわ耳なんて噛まれるわ、とっとと膝から頭を落としておけば良かったうさ」
きょとんとする私。
てゐには届かない。
目の開閉だけでは、仕方ないだろう。
「頭を乗せているのは、膝じゃなくて腿……」
「そー言うことを言っているんじゃない」
「突っ込むならこっち見なさいよ」
てゐが、意固地になった振りをする。
だって、そうでしょう?
この悪戯兎が、『私の夢に出てきていない』と言う理由だけで、意固地になる訳がない。
地上では最も付き合いが長いのだ、今回に限らず、そんなことは波長を視るまでもなく解っている。
加えて、そも、てゐは勘違いをしている。
私は、両手を伸ばし、てゐの頬を掴んだ。
視線を合わせるため、顔を此方に向けさせる。
然程の抵抗は見られず、思い通りにことは進んだ。
「ねぇ、てゐ」
けれど、意外なものが指に触れている。
冷たく、溶け、染み込む。
それは、‘雪‘。
「見当違いも甚だしいわ。
あんたはずっと、傍にいた。
だから、夢の中の皆は、無言だったのよ?」
――季節外れなその現象に囚われるより早く、てゐの瞳に視線を合わせ、言葉を紡ぐ。
「現の私と同じように、夢のあんたは寝ていたの。
入れ替わったって言った方が解り易いかしら。
つまり、私はあんたの枕代わりだった訳」
大袈裟に、てゐの目が開く。
だけど、一瞬後、すぐに細められた。
視線が逸らされることはなく、ただ、頬に触れていた手に、手を重ねられる。
「……理想、ね」
微苦笑で零された呟きは、先ほどと変わらず、その意図が理解できなかった。
「えと、子ども扱いっぽいのが気に入らない?」
「どうだろうね。ともかく、ありがと、鈴仙」
「夢だし、素直なあんたとか気味悪い」
胡乱気な視線に返されたのは、幼い姿に似合わない、どこか大人びた微笑。
「あんたの目に狂わされているうさ」
あ、なんだか何時も通り。
そんなことを考えていると、きゅうと気の抜けた音が耳に届く。
或いは、身体の内側から外側に響いた。
お腹空いてたんだっけ。
起き上がるより早く、てゐが、私の口元に正真正銘のお餅を運んでくる。
傍らに置かれている盆に、徳利と猪口、積まれたお餅が載っていた。
「はいよ」
「なんでこっちにはあるのよ」
「鈴仙と違って、私は抜け目がないからじゃない?」
「あむ、あむあむあむ、あむんっ」
「聞いちゃいねぇ……」
睡眠欲と食欲が満たされて、余は満足じゃ。
性欲? 人間じゃないんだから。
……いや、柔ぁらかいものは好きだけど。
「おっぱいとか」
「いきなり何を言い出すのかね」
「てゐの腿も柔らかくて好きだよー」
言いつつうつ伏せになり、顔を左右に振る。
太すぎもせず細すぎもしない健康的な太腿だ。
ひょっとしたら、姫様に負けないくらい気持ちいいかもしれない。
ひゅん、と拳が風を切る音。拙い、調子に乗り過ぎた?
「……もうちょっと、寝てる?」
「拳骨ですね、解ります」
「じゃなくてさ」
振り落とされると思った拳は、けれどその直前に開かれたようで、私の髪を撫でてきた。
さらり、さらり。
言葉はなく、数度撫でられる。
一定のリズムが、満たされていた睡眠欲をまた呼び起こす。
「うん。今度は食べ物も用意する!」
「欲まみれだね、この兎は」
「てゐにも悪戯するわ」
おーい、と呼ぶ声は、しかし頭に残らない。
態勢を戻し、眠りに落ちる前に、てゐに笑む。
「ひざまくら、ありがとう、てゐ」
目を細め、髪を撫で、てゐも笑みを浮かべた。
「ほんと、鈴仙はずるいねぇ」
「おやすみ」
「お休み」
何時もの挨拶を交わし、私は、再び眠りに落ちるのだった――。
雪が降っている。
大きな雪が降っている。
たくさん、たくさん、降っている――。
<了>
《亭の他の面々も眠りにつくようです》
「ひめさまひめさま、おふとんがたりません!」
「布団がないならそのまま寝ましょ」
「えーりんさまえーりんさま……、まくらもたりないです……」
「むぅ……布団はともかく、枕は安眠に欠かせないわねぇ」
「じゃあ、年の順に膝を貸していきましょう」
「よしきた」
《/亭を覆う肌寒い夜の空気は、永琳が全力でなんとかしました》
ただ、途中で意図は分かるんだけどダレ気味だったかなあ。
まあ、このダレた空気を楽しませたいって気持ちも分かるからこの点で。
まったり。しあわせ。
膝枕いいなーかわいいなー。
ほっこりしました。
良いお話でした