「ねえ雛、また流し雛だった時の事夢見てたの?」
「うん、ちょっとね」
「人形も眠るのね、どんなからくりなのかしら」
にとりが私を軽く茶化す。時々私は目を閉じて、ただの流し雛だった頃の夢を見る。
人形が夢を見るのか? そもそも人形に睡眠があるのか。と思われる人々もおられるだろうけれど、人形も見る物は見るのだと思って欲しい。
誰かが私を作り、願いを込めて体を撫でた。それで誰かの厄が私に宿り、私を流す事で人はその厄を避ける事が出来る。
私は当時も、厄神となった今も、その事を苦痛に思っていない。むしろ大好きな人間の役に立てて嬉しいと思っている。
だけど、流される時、これで人間が厄から解放される事を喜ぶと同時に、この人間達ともっと一緒に居たかったのに、という口惜しさも確かに感じたのだ。
夢と分かっていても、同じ夢を見ている間だけは、作ってくれた人の手のぬくもり、その人の幸せを願う気持ち、別れの辛さをリアルに追体験できてしまう。それゆえ、目覚めた後はいつも、ああ人間に会いたい、会って言葉を交わし、友達になりたいと言う気持ちに駆られてしまうのだ。
私は人々の厄を集める。私自身その厄で不幸になることはない。でも、私に関わった者は人間妖怪妖精の区別なく不幸になってしまう。だから、みんなと仲良くしたいと思えばこそ、会いに行ってはいけない。なんと残酷な運命なのか。
人間に会いたい。山に侵入してきた巫女と戦ってから、ますます私は人間との接触を渇望するようになった。そしてある日、厄に影響されにくい体質か何かを持っているらしい、数少ない話し相手、河童のにとりや一部の天狗と言った仲間たちの目をかいくぐり、こっそり人里を訪れる事にした。
もし見つかった時に話す大義名分は、人々の厄を回収に行く、と言う事にしよう。もっとも、実際それもあるのだけど。
◇
始めは里の通りを一往復して帰る事にした。長時間の滞在なら人々に影響を与える事はないだろう。見慣れない者に対する視線を気にしながらも、厄が集まっている場所、人の姿を目に収め、通りの端から端まで歩く。そして、引き返す時にそれを集めていく。笑顔を振りまいて。
ひととおり厄を回収する事に成功したので、今日はもう山に帰る事にする。
明日また訪れてみよう。
次の日、同じように里の通りを歩いていると、不意に一人の女の子に呼び止められた。子供の目線に会うようにしゃがんで聞いてみると、私が厄を取ったおかげでお母さんの病気が治ったという。厄神となって初めて人に感謝された。涙があふれてくる。私は確かに人に必要とされている。これこそ、私の存在意義なの。
さらに次の日、病気のお母さんの厄を取り除いた噂が広まったらしく、よそよそしかった里の人々の目が、見違えるほど暖かなものになった。厄神様のおかげで、仕事がうまくいくようになりました。おかげで仕事場での怪我人が出なくなりました。妻が無事子供を出産しました。などなど。私は人と仲良くしてるんだ。人に必要とされるお人形なんだ。
生きる喜びって、こんな感じを言うんだろうな。
次の日も、その次の日も、その里の厄を集め、人々と短い時間だけ談笑した後、山へ戻る、という生活が続いた。この里は白沢が時々見周りに来るが常駐していないので、私の存在は貴重らしかった。だけどずっと里に居ついていれば、せっかく回収した厄がまた里じゅうへ散らばってしまう。
残念だけど、仕方ないわよね。
◇
「ねえ、最近雛、とっても元気だね」
「そうかしら?」
「そうだよ、生き生きしている雛ってとっても可愛いよ」
「ありがと、ちょっと新しい楽しみが出来てね」
◇
とうとうこの日が来てしまった。この里から集めるべき厄がもうないのだ。
これで里に入る口実がなくなった。無理に里に入り浸れば、逆に厄をもたらしてしまう。
少し考えてみる。おそらく、神さまの最終目標は、神さまを必要としない世の中にする事。
曲がりなりにも私はこの世界の神の一柱。その私が長きにわたって必要とされるのは、本来不幸な事。
昔の人の格言にも『英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸である』とある。
分かっているんだけど、分かってはいるんだけど……。
◇
人々ともうち解けてだいぶ経ったあと。大きな厄を見つけた。
放置しておけば、多くの人を不幸に巻き込みかねないほどの厄だった。人々は私を見るや否や、厄神様が来て下さったぞ、不幸を取り除いてくれるぞ、と言ってくれた。すでにその界隈で人が転んだり、荷車の積み荷が崩れて怪我をしたり、露店の食物が腐ったりと言った事が起きているらしい。
もちろん私はその厄を吸い取り、これで一安心だと皆に感謝された。
私はこの里を愛し、守り、また私も愛されている。
◇
陽が落ちてから、私は空に浮かび上がり、大好きな里を眺め、両手を広げ、体をくるくると回転させて、溜めた厄を解き放つ。里に厄が振りまかれていく。
こっそり厄を撒き、次の日回収に行く。こうすれば里に行く口実ができる。人とふれあえる。これで人間といつも一緒に居られる。
「嬉しいな」
「なるほど、あんたの自作自演だったと言うわけね」
聞き覚えのある声、博麗霊夢だった。私は振り向かずに口を開く。
「天狗の新聞読んだ事ない? 夜雀が人を鳥目にして、鳥目を治すやつめうなぎを売りつけるの、いわゆるマッチポンプ。妖怪兎の賽銭詐欺の話も読んだ。人外ならこういった事は誰でも大なり小なりしている事じゃない。厄も死者が出る段階になる前に回収しているし」
「でも、怪我人が出たわ」
「分かってる、でも全部厄を集め終えたらここを去らなきゃいけない、厄を溜めた私が里に居続けたら、みんなを不幸にしてしまう。そしたら嫌われちゃう。でも私はもっと人間と触れあっていたい。だからこうでもするしかないのよ」
「あんたが人間と敵対しないのは分かっている。でも、人の幸せを思えばこそ、振りまいた厄を集めたら、二度と里に近づかないで。そうすれば黙っていてあげる。致命傷になる前に厄を回収すれば問題ないと言ったけど、今夜厄を振りまいて、昼回収するまでに死者が出ない保証はない」
「もし拒否したら?」
「あんたを退治する。あんたの境遇には同情できる、でも、害意はなくても結果的に人を傷つけるなら、冷徹に処置せざるを得ない」
あのとき山であった時とは別人かと思えるほど、冷たい刃のような声だった。
「弾幕ごっこの時はあんなに暢気でほわほわした感じだったのに」
「緊急時は別よ」
「アハハ、ねえ、人を愛したら罪なんですか? 人に愛されたいと思ったら罪なんですか? 人の幸せのために人に作られたお人形が、人と一緒に居たら罪になるんですか。答えてよ。ねえ答えてよ。答えなさいよ!」
「罪よ」 霊夢はそう言い放った。
「畜生」
私は感情が高ぶって歯ぎしりし、霊力の塊を霊夢に投げつける。
彼女はよけようとはせず、霊力の塊は額に当たった。嫌な音がした。
私の憎悪がぶつかって、可愛らしい少女の顔面に青いあざができ、片方のまぶたが切れ、血が滲んできた。
なぜだろう、全然気持ちがすっきりしない。ちっとも癒されない。
「すっきりした? しないでしょ。嫌な気分になったでしょ? あんたが里の人にやってるのも同じ事。お願いだから、これで鬱憤は晴れたという事にして、厄を集めて去って頂戴」
「私はただ、人と仲良くしたかっただけなのに……」
「人と接したいならいつでも神社に来なさい。弾幕勝負でもなんでも受けてあげる。でも、里の人達はあなたの厄を跳ね返す強い力は持っていないの。理解して」
ここまでされては退くしかなかった。私は自分がまき散らした厄を回収し、山へ帰る。
◇
友人がそんな悩みを抱えているなんて知らなかった。
人間の幸せを願い、仲良くなりたいのに、それがかなわない。
雛のバカ! どうして私に相談してくれなかったの。
彼女の力になってあげたい。そうだ、雛が近くに居ても、厄が人に伝染しないようにすればいいんだ。この河童の技術力で何とかしよう。
鬱展開を討つ展開。それを可能にするのが技術屋の真骨頂だ。
私は厄の原理を知るべく、科学だけでなく宗教関連の本も読み漁り研究を始めた。
雛自身にも協力してもらい、今までに作ったいろいろな感知器や、見えない光線が見えるカメラの前で、厄の散布や回収を実演してもらった。
時には鉄や銅、鉛やゴムなどの様々な素材でプロテクターを作り、それを着た者に厄を付けたり取ったりしてもらい、日頃の運や体調に変化が無いかの実験もした。もちろん被験者はこの私。強い厄のせいで体調を崩した事もあったが、そのたびに雛が厄を取り除いてくれた。
「にとり、もうやめて、あなたも傷ついてしまうわ」
「大丈夫、友達のためだもん。それにこの研究で得られた知見が何かの発明につながるかも知れないでしょ?」
最初私は厄そのものを検出しようとしたが、そこで行き詰ってしまった。厄自体を見たり聞いたり嗅いだり、味わったり触ったりする事にこだわったからだった。
しかし、厄そのものの観測はできなくても、厄が観測可能な物質やエネルギーなどに影響を及ぼせば、それを観測することで、間接的に厄を捉える事ができるんじゃないの、というアドバイスを雛自身から受け、それが大きなヒントとなった。
試行錯誤と体を張った実験の甲斐あって、半年後ついに厄の完全な理解はできなかったものの、その影響を失くす力場の生成に成功する。
始めは雛と二人きりで、私がちょっと嫌な目に遭うレベルの厄を付けてもらい、その装置のスイッチを入れた。
装置は作動し、厄を取ってもらわなくても嫌な事が起こらず、体調も悪化しなかった。成功だ! 私と雛は抱き合って喜びを分かち合い、技術者冥利に尽きると同時に、これで友人が盟友である人間ともっと仲良くなれる。雛が幸せになれると思った。
また、これで雛が山から離れてしまいそうで寂しい気持ちもするのだけど、新たな地平に向かおうとする友人の門出を、むしろ祝福してあげるべきなんだろうなあ。
◇
里全体を覆う力場を作ることのできる装置を作り、それを霊夢さんや慧音さんの立ち会いの元、実際に里で動かしてみる事にした。
不測の事態に備え、雛ファンの天狗に光学迷彩服を着せ、里上空を周回してもらい、たまたま里に来た薬売りの妖怪兎にも付き添ってもらった。
「にとり、ありがとう。これで人間とずっと仲良くできるよ」
「どういたしまして。さあ、スイッチを入れるよ。3、2、1、起動!」
装置は確かに作動した。
雛はこれで厄を人間につけてしまう事なく里に居る事が出来る。
里の人間も厄の脅威から解放される。
厄を無視して生活していけるのだ。
これで……。
「あれ、雛、どこに行ったの? ねえ雛知らない。おーいひなー、今日の主役なんだから顔出しなさいよー」
神さまの最終目標は、神さまを必要としない世の中にする事。
最後の一文にゾクリとさせられ、あとがきで程よく洗い流されました
失礼な事を書いて、また失礼な事を言ってしまうのですが
無茶な冒険をする貴方も大好きです
にとりの気持ちを考えると寂しくて、何とも言えない終わり方でした。
文章はスラスラと読みやすいけど、内容は良い意味で後を引く。