ナズーリンの朝はビターテイストのコーヒーから始まってしまった。
「おはよーございます!」
最近できた命蓮寺の分社、その入り口を任されている響子の声が気持良いくらい響き、続けて来訪者を出迎える声が次々と立ち上る。
コーヒーを持ち上げてふーふーっと熱を冷ましているうちに、本日初の参拝客2名はクリーム色の壁や天井を見渡しながらカウンターの隅へ、観葉植物の近くの席についた。日当たりの良い、ガラス際の席を避けたのは戸惑いもあるのかもしれない。
ナズーリンとて、まだ頭の中を整理できていないのだから。
「はい、ご注文を山彦します! コーヒーとモーニング南無参セットを2つ!」
『イエス、南無参!』
しかし、参拝客の戸惑いを敏感に感じ取った響子が付き添い、丁寧に説明をしたからだろうか。男性二人組は笑顔で響子に『朝の説法コース』を注文し、その後も落ち着いた様子で雑談に花を咲かせているようだった。
その内容がこの命蓮寺分社を称える内容であったため、優れた聴覚で盗み聞きしていたナズーリンに言い表せないむず痒さを与えてくれる。
「おまたせしました。南無参セットになります。どうぞごゆっくり」
説法コースを星が運び、それに舌鼓を鳴らす合間も男たちが再び感動を言葉に乗せる。カウンター越しで咲く星の微笑みも、料理に一味加えているのかもしれない。
しかし、星が若干ふらついて見えるのは何故だろうか。
「どうもありがとうございました」
料理を食べ終え、最後に賽銭を奉納し出ていく男たち。その表情には満足しか感じ取ることができない。間違いなく再度足を運ぶことだろう。
そのお客を見送った星が、別の席で座るナズーリンの傍へと近寄ってきて。
「どうですか、これでまた一つ。毘沙門天様への信仰が積み重なるというものです!」
フリフリの、桃色衣装で胸を張り、自慢してくるものだから。
ナズーリンも微笑みを返し、主を見上げ、満々の笑みで口を開いた。
「ご主人……、ちょっと裏口行こうか?」
◇ ◇ ◇
命蓮寺――
そこは、聖と星の理想を叶える場所。
そして、妖怪と人間を繋ぎ、毘沙門天への信仰も高める正義ある場所だった。
星もそれを十分理解していたし、常に実践しようとしていた。だから、ナズーリンは安心して命蓮寺の事務や経理の仕事の一部を手伝いながら、最近は星も上々だと毘沙門天にこっそり報告もしたものだ。
主からの失せモノの依頼もなく、贅沢にも物足りなさすら感じ始めた毎日は幸せでありながら、
『自分でなくても星の監視はできるのでは?』
といった、安寧の日々だからこそ浮かぶ愚考や、ときどき頭の中に姿を見せる不安に自ら苦笑すらしていたところだ。
そんな、ある日のこと。
ナズーリンが中庭を眺めながら部屋でゆっくりしていたとき、聖がいきなり部屋にやってきて、
『星が、分社を建てたいと言いまして……』
開口一番、不安げな表情でナズーリンを見下ろした。
『いえ、すでに……建ててしまいまして……人里に……』
『……え?』
地底の鬼と、地上の鬼の協力を得て、ほとんど出費なしで作ってもらったのだという。
ありえない話を聞いて『何をしているんだご主人は』と、ナズーリンの中に嘲りの感情が浮かんできたものの、最近の頑張りを一番見てきたと自負できる彼女は、素直にこう返したのだった。
『どこか抜けたところもあるかもしれないが、ご主人ならば大丈夫さ』と。
その後、聖から響子がすでに分社に手伝いに回っていると聞き、これは自分も動かねばと朝のうちに行動を起こした。
これまで山の神様だって侵入しなかった人里、そこにいきなり分社を建てるなど、他の神や仏を崇める先人に喧嘩を売る行為にもなりかねないからだ。だからこそ、ナズーリン本人が交渉等で星を支える必要があるだろうと、急いで足を運んでみたら。
『命蓮寺分社建設記念! ドリンクおかわり自由!』
「……え?」
命蓮寺分社という、重厚な文字の立て看板の横……
ガラス張りに加え、明るい配色をした建物が異様なコントラストを放っており。
ナズーリンはもう一度自分の目だけでなく、ダウジングや直感をフル活用してもう一度命蓮寺を探してみるが。
『臨時出家者募集中! 三食通勤手当付き!』
『妖怪の方も歓迎! 明るく楽しいお寺です!』
「……え?」
何度探しても、二度見しても。ダウジングロッドで地面を耕してみても。
『命蓮寺分社』
無言で蹴り倒したくなる看板が、はっきりと立っており。
人里において圧倒的な存在感をまき散らす建物が命蓮寺だと告げてきたのだ。
「は、はははっ……、ま、まさか」
さすがにこれはないだろう。
誰かの悪戯に違いない。
と、苦笑しながら店内……いや、境内の中に入って、
「おはよーございます!!」
「まさかだったよっ!」
「はぇっ!?」
元気のよい声が正面からナズーリンの鼓膜を刺激してきて、ナズーリンは思わず瞳に涙を浮かべてしまった。
そのままなし崩しで店内に案内され、コーヒーなる慣れない液体を出されて……
窓越しに、遠い目をすること30分。
「……信仰とは、力。それを効率的に得るにはどうすればいいか」
そして今、裏口に至る。
「そのために自分が努力しなければいけないことはなにかと、必死に考え抜いたのです!」
いつもとは違い、紅魔館のメイド服にヒラヒラとした布を足して、桃色を加えたようなあまり見たことのない服装と。頭の上のカチューシャ。膝上の布の位置が若干高いのがナズーリンの余計な説教心をくすぐってくるが。そんな小さなことは置いておくとしてだ。
まずはあの分社の存在は何なのか、主人である星から聞きださねばならない。決意を新たに様子を見守るナズーリンの気を知ってか知らずか、ぐっと拳を握りしめた星は、瞳を燃やして熱く語り続けた。
「そうです、考えて、考えて……、一睡もせずに二十日を過ぎた頃でした」
「寝ろ」
「神が、いえ、毘沙門天様が私に天啓を与えてくださったのですっ!」
「いいから寝ろ」
良く見ると星の目の下にうっすらとクマが見える。本来睡眠がほとんど必要のない妖怪に出る症状ではないはずなのに。
つまり精神的疲労による極度の寝不足状態であるのは明らかで……さすがにこの状態の星に暴力を振るうのはまずい。穏便に交渉で済まそう……
「毘沙門天様は言いました、『可愛い子が料理作ってくれると、嬉しいよね?』と」
「言ってたまるかっ!」
「あうちっ!」
そう思っていた時代がナズーリンにもありました。
背中のダウジングロッドを閃かせ、額に一撃。
スコーンっと小気味好い音を残して、星がわずかに仰け反り。
「……はっ!」
目を見開いて、左右に首を振る。
ダウジングロッドを肩の上で弾ませて、ほっと胸を撫で下ろし。
「ふぅ、やっと正気に戻ったかい、ご主……」
「毘沙門天様が、スカートをもう少し短くした方がいいと……」
胸に手をあてたまま、ナズーリンはくじけた。
◇ ◇ ◇
『とりあえず、妙な状態に陥っている星を放っておくわけにはいきません』
ナズーリンが諦めて命蓮寺(本店)へと戻り事情を説明したところ、聖は苦言を呈したが、
『しかし……あの子が人と妖怪の交流を第一に考えてくれたことだけは、嬉しく思います』
そこまで怒った様子には見えない。
決して寺と分類してはいけないものではあろうが、飲食店という枠内に収まるのであれば星の活動は認める。それが聖の判断であった。
わずかな時間ではあるがナズーリンも人間が楽しそうに食事をしていた現場を見てしまったわけで、その言い分に別段反対することは無い。
が――
『……しかしですね、ナズーリン?』
『ハハッ、わかっているさ。それはそれで見張り役がしばらく必要、というわけだろう?』
『助かります。大変かもしれませんが、お願いできますか?』
『ああ、もちろん』
それが本来の私の仕事だからね。
続く言葉を喉で止めて、ナズーリンは一度は匙をぶん投げた星の元へと、命蓮寺分社(二号店)へと再び足を踏み入れることとなったわけだ。
ちょうど朝食と昼食の間であるし、目立たない隅の席に陣取って客や店員の態度をしっかりと目につけてやろうと意気込んで扉をあけて、みたのだが……
「いらっしゃいませっ! 申し訳ありませんが、カウンターの隅の席でよろしいですかっ!」
余裕のない響子の声に、眼を丸くしてしまう。
ともあれ、初めから隅の席を狙っていたナズーリンは視線を忙しなく動かしながら二つ返事で承諾し、カウンターの隅に腰を下ろした。
「なんだ……これは」
確か、往復時間にして、わずか半刻。その程度しか経過していないはずなのに、店内のほぼすべてが埋まっている。そんな事実に驚きを隠せずにいたナズーリンの肩を、正面から優しく星が叩いてくる。
何事かと顔をあげてみれば、星が申し訳なさそうな顔で。
「もうしばらくお待ちください」
などと他人行儀に頭を下げてくる。それほど忙しいということなのだろう。
しかし、それはそれで結構。忙しい時間帯こそ、店の真価が問われるというものなのだから。それをゆっくり眺められれば、この分社が正常に営業できているかを知ることにもつながる。
ナズーリンは頬杖をついて、頭をわずかに動かしながら店内に視線を這わせた。
入口の左右には、縦に置かれたテーブルと、それを囲むようなソファーのセットが5つずつ、合計10セット。そこから大人2人が余裕で行き来できる広さの通路を挟んで、ナズーリンがいる長いカウンター。両側には店員が出入りする通路があり、観葉植物も置かれていて、中央には精算用の箱と、……触手付きのグロテスクアイが設置されていて。タイミングばっちりで目が合った。
なるほど、いたってシンプルでおちつける空間設計……
な、わけがあってたまるか。
「はい、どうぞ」
ナズーリンが大きな目玉と遠距離にらめっこを継続していると。聞き慣れない声が頭の上から降ってくる。すらりと背が高く、黙っていればスタイルの良い美人。店内で邪魔になるであろう羽根をもった店員は、ナズーリンの手元に紙切れを残して立ち去ってしまう。
十中八九、あの不思議なイビルアイもどきの関係者に違いなく、ナズーリンは目を細めながら折りたたまれた紙を開き、
『あなたの考えは、うにゅっとじゃじゃーんっとお見通しよ』
なにこれうざい。
主に飼い主がうざい。
いきなりな一行が目に入ってきて、思わず破り捨てそうになるナズーリンであったが、なんとかその欲望を抑え込み、思いのほか丁寧な文字を読み進めていった。するとどうだろうか、地上の妖怪や人里との交流をより密にしたいという願いが、文章からあふれ出てくるほどで、
「平たく言えば業務提携です」
「う、うわっ!」
いつの間に移動したのだろうか。
レジの横に転がっていた触手目玉と持ち主のさとりがカウンター越しに立っていた。
「注文はお決まりですか、お客様?」
「君は会計担当ではなかったのか?」
「いいえ、正確には店員ではありません。私も地底の方で温泉を経営し始めたところですし。手伝いはしていますが、あなたと似たような立場と思っていただければ」
ナズーリンと同じく、地底メンバーの見張り役。そう言いたいのだろう。
さとりがいた会計のところには今お燐が立っていて、そろばんを目にも止まらぬ速さで弾きながら、業務にあたっていた。さすが『猫の手も借りたいとき、本当に頼れる数少ないネコ系』、『お空限定中間管理職』という妙な二つ名がつき始めただけはある。
え? 星も広く言えばネコ系じゃないかって?
ハハッ……
「心中お察しします」
「お願いだから心を読まないでくれないか……」
頼んでもないのに出されたコーヒーは同情のつもりだろうか。あまり好みではない飲み物ではあったが、とりあえず感謝の言葉を返し、ふと、店内を見れば先ほどと比較してわずかに空席が目立ち始めたところ。やっと客足が落ち付いてきたようだ。
そのおかげで余裕のできた星がナズーリンたちへと近寄ってくる。
「どうです? なかなかのものでしょう?」
少しだけ誇らしげに笑う星を見て、ナズーリンはなるほどと頷いた。
経理や書類整理等、事務的能力だけは異常なほど優秀な星に、相手の心理をついて的確な経営戦略を練ることができるさとりが加わっているのだ。
それならば、この繁盛具合も納得できるというもの。
分社としては誉められないが、喫茶店経営としては出だし上々。と、素直に誉め称えるべきところではある。
しかし、だ。
「そうね、早ければそろそろ……」
「ああ、ありえるね」
「何がですか?」
星が首を傾げた、そのときだった。
「おいおい、舐めてんのか!」
怒声が響いたと思った直後。
硬いものがぶつかり合う音と破砕音が加わりその場の空気が一瞬にして凍りつく。
それを横目で眺めながら、
「出る杭は、打たれるかもしれないよ。ご主人」
ぼそり、とつぶやいた。
◇ ◇ ◇
星が慌てて掛けていく姿を視界の隅に置きながら、ナズーリンは横目で状況を探る。
音から判断してグラスが割れた。客にそうさせるほどの事態が起きたのか。視覚と聴覚、そして潜ませたネズミの同胞たちを利用して探り。
「む?」
探り当てた結果を大雑把にまとめ終えた後、あからさまに眉を潜める。そしてその心を読んださとりも、含み笑いを零した。
なぜならその内容が、
「この店員がスープに指入れて持ってきやがった! 食中毒にでもなったらどうしてくれるんだ!」
こんな内容だったからである。
なんと大袈裟なことだろうか。
もし本当に店員が指を入れていたとして、そこまで大騒ぎする必要性があるとは思えない。
もしそれを口にして命を落とす可能性があるのなら話は別であるが、そんなことがあるはずがない。
非常識だ。
ナズーリンはハハッと鼻で笑いながら体の向きを変え、被害にあったと思われる店員の姿を視界に収めると。
『臨時職員:黒谷ヤマメ』 (能力:未記入)
おもいっきり、咽た。
可愛い文字で名前だけ書かれたネームプレート。それ秘められた極大の破壊力に当てられ、椅子に座ったまま背中を丸めて咳を繰り返す。
そして、声が出せない状態で、カウンター内のさとりへと向き直り、現在進行形の騒動を震える指で差し示した。
「……アア、ナントイウコトデショウ」
「こほっ! かほっ! なんであいつが接客なんだ! おい、こら、顔を背けるな、って、いや、何で第三の目はこっち向ける!」
「しかしですね、人員の割り振りはそちらの星さんが」
「……ご主人に、ヤマメのことをなんて説明した?」
「地底の中でも明るく元気、お客様を出迎える場所に良く待機してくれる気の利く妖怪です」
「……能力は?」
病気を操る程度の能力。
通常の者であれば、この能力を知ってこういった場所に連れてくるとは思えないが。
「さて、覚えがありませんわ」
「ああもぉぅ~~~、ごしゅじぃぃぃぃん!」
清々しく、やりきった笑顔。
そんな表情を見せつけられ、ナズーリンは頭を抱える。雇う相手の特性をどうしてもっと良く調べないのか。
とか、言うとどうせ。
『ナズーリン……あなたは、人や妖怪を外見や能力で推し量るというのですか。正義である毘沙門天様に仕える私に、そのような配慮のない行動を示せと?』
本気でこう返すに違いない。
もう、ナズーリンのこめかみに青筋が浮かんでも揺るがないほどに。なので、今さら起きてしまったことだ。
人員については何も言うまいと、突っ伏していたナズーリンが諦めきって顔を上げる。
軽く額に手を添え、腕を杖にしながら。
「それで?」
「はい? なんのことです?」
「はぁ、今さら惚けないでくれないか。続きは私がやるから、情報を寄こせと言っているんだ」
何やら、星まで巻き込んで現場はよりヒートアップし始めている。
これ異常続けさせたら周囲のお客に必要以上のストレスを与えかねない。だから、ナズーリンはほどほどまで盛り上がった今、要求した。
「情報料はお持ちですか?」
「私への慰謝料でどうだろう?」
「ふふ、それで構いません」
そしてナズーリンはさとりから小さなメモを受け取って、渦中へとゆっくり飛び込んでいくのだった。
◇ ◇ ◇
「入れてただろうが!」
「入れてないって言ってるでしょ!」
しばらく放置した結果、そこではヤマメと男による視線の火花大会が開催されている模様。
ヤマメの言い分は『指を入れて持ってきた覚えはない』であるし、柄の悪そうなザンバラ頭の客の言い分は『間違いなく指を入れて持ってきていた』である。
もちろん、交渉は平行線。
「私が替えの料理をお持ちしましょうか?」
なので仕方なく星が妥協案を提示してみるが、やったことを認めたくないヤマメは面白くない顔をするし、さらに、お客の方が。
「そんなのチンタラ待ってられるかよ! その店員に頭下げさせろ!」
その一点張りである。
料理もいらない、時間もない、でも、抗議はする。傍目からすれば、意地や面子のための行動と感じられるかもしれないが。
「星、ちょっと邪魔するよ」
「あ、すみませんナズーリン……」
奥の厠に用がある。
そういった身振りで困り顔の星の横から割り込み、数歩進んだところでヤマメとの睨み合いながら通路に足を出す男のつま先にぶつかってしまった。
「う、うわっ!」
「なんだよ、おいっ」
バランスを取ろうとしたのが悪かったのだろうか。
下手に耐えたせいで、倒れる向き変化し、ちょうど男の膝の上に飛び込む形になってしまう。
そのときだった。
慌てて起き上がろうと、椅子に手を置こうとするナズーリンと。
さっさと退かして、交渉を続けたい男の手が重なり。
瞬間、ナズーリンがそっとメモを男に握らせる。
「次はもう少し上手くやることだよ……人里は、狭いからね?」
ぞっとするほど、低い声。
それを男だけ聞こえる声音でつぶやき、何事もなかったかのように身を起こす。そして、愛想よく『ごめんなさい』と謝ってから、厠の方へと歩いていき。
「あ、えっ?」
小さな背中に、男が驚く声と。
「……あ~、うん、やっぱり指は入ってなかったかもしれないなぁ」
「ほーら! やっぱり勘違いじゃないの。今度から気をつけてね」
事態が急速に静まって行く様子を感じながら、
「あのペテン妖怪め。最初からこれが狙いか」
少しだけ悔しそうに、ふんっ、と鼻を鳴らした。
◇ ◇ ◇
「そうですか、聖がそんなことを……」
「ああ、だからご主人。名は改めてくれると助かるよ」
日が地平線に沈み、空が茜色に染まり始めた頃。
一日の業務を終えた星とナズーリンは共に一つのテーブルに付き、久方ぶりのお茶を楽しんでいた。
「わかりました、そのあたりは一般公募するとしましょう。どなたかネーミングセンスのある方がいらっしゃればいいのですが」
「レミリ――、むぐっ!?」
「それ以上いけない!」
ナズーリンは素早く、新たなる来訪者の口をふさぐ。
自分用の紅茶を手にするさとりが不穏な名前を口走ろうとしたからだ。
「こらこら、手を貸してくださったさとりさんにそのようなことをしてはいけません」
「そのようなことをしなければこの建物の命が危うかったのでね」
「あら、聞き捨てなりませんね。さきほどの功績を考えていただければありがたいのですが?」
「あからさまな誘いの手口を仕掛けておいて、良く言うよまったく」
「……えっと、なんのことです?」
「こっちのことだよ」「こっちのことです」
「……はぁ、そ、そうですか」
出る杭は打たれる。
その言葉通り、人里になかった洋食を織り交ぜた軽食や甘味の専門店が話題になり始めたことを知り、団子屋等、先に店を構えていた所が何かちょっかいを掛けてくるのではないか。
そんな予測をしていた。
そして、そんなときである。
『黒谷ヤマメ』
という明らかに接客に向かない能力を持っている者を前に出した場合。相手からして見れば、カモがネギをしょってやってきたようなもの。
しかし、そうやって食いつかせることがさとりの目的だったのだ。
そして食いついてくれた雇われ者、もしくは店の関係者に対し必要な脅し(さとり曰く『お願い』)を書き込んだメモを手渡して、先に痛い目を見てもらう。
もし、行動に起こさなくても、偵察に来た段階でもうさとりのブラックリストに加わるというわけである。
ちなみに、メモの内容は……『穏便』という単語の意味が揺らぐ程度であった。
「後腐れなく済ませることは大事、ということだよ、ご主人」
店に対する嫌がらせ行為を摘発しないのも、良い意味で共存していくためである。表向きの経営しかできない星には難しいところではあるかもしれないのだが。
「綺麗過ぎて餌のない場所では、魚は生きていけないとも言いますしね」
「あの、二人とも……、できれば私にもわかるお話を……」
「はは、すまなかったね。ご主人、話ならもう終わったよ。それで、少し個人的に尋ねたいことがあるんだが」
「ええ、いいですよ。なんなりと」
ただ、ナズーリンは朝から不満に思っていたことがあった。
聖を指示を優先しながらも、どこか奥底に隠していた思い。ずっと仕舞い込んでおこうと決意しかけたのに、間ができると、どうしても胸の奥から浮かび上がってしまう。
「どうして……、響子だったんだい?」
「何がです?」
「ほ、ほら、どうしてあれだけいる命蓮寺の中から響子だけを選んでこっちに連れてきたのかが、気になってね」
「ああ、そういうことでしたか。それならば簡単ですよ」
簡単、その言葉を耳にした瞬間、ナズーリンの胸がちくりと痛む。
他に選択肢はない。
遠回りにそう言われている気がして。
「響子さんが好きだから、とか?」
「さとり!」
だからだろうか、さとりの揺さぶりにも簡単に気を荒立ててしまう。その問いに関する答えは容易に想像できてしまうから。
「ええ、好きですよ」
そう、星ならばそう言う。
「響子も命蓮寺の一員ですからね、嫌いなはずがありません」
仲間として、好き。
そんなわかりきった答えであるはずなのに、
「命蓮寺に来てからまだ日が浅いですし、特定の仕事を多く持っていなかったからというのが、響子を選んだ大きな理由でしょうね」
どうしても不満を感じてしまうのは、ナズーリンの我儘なのだろうか。
我儘だから。
どうしようもない、馬鹿だから。
「私に手伝わせようとは……、いや、私を連れて行こうとは思わなかったのかい?」
「ふむ、ナズーリンを、ですか」
主人を困らせるような、馬鹿げた問いかけをしてしまうのだろうか。
それでも、星は答える。
まっすぐナズーリンを見つめて、すべてを包み込んでしまうような微笑みを作り。
「私は、いつも貴方にお世話になっていました。宝塔の件でも、聖の件でも。だから私も最初はあなたに手伝って貰いたいと思って、いえ、あなたに甘えようとしてしまったのでしょうね」
途中で説明を切り、少しだけ恥ずかしそうに頬を染める。
「ですから、今回ばかりはあなたに負担を掛けたくなかったのです。今でも立派に働いてくれている『私の大切な』ナズーリンに苦労を背負わせるのだけは、どうしても避けたかった」
しかし、星が頬を染めた直後。
ナズーリンの顔が蒸気を吹き上げそうなほど真っ赤に染まる。しかし星は気づかない。彼女が口走った言葉の中に、大変な意味合いをもつモノが含まれているのに。
「でも、結局は負担を掛けてしまったようで主人として立つ瀬がないというか……、ああ、それと……」
「ご、ごちゅ、ごひゅじん! もういい、わかった! わかったから!」
「いいえ、ちゃんと最期まで言わせてください」
「はぅ、でも、さとりが……」
『ごちそうさまです』
そんな言葉が聞こえてきそうなほど、活き活きとしたさとりとは対照的に、わたわたと両腕を胸の前で踊らせるナズーリンの余裕のなさは加速していくばかり。
これ以上、星のナズーリンに対する思いを聞かされ続けたら、茹でダコならぬ茹でネズミにでもなってしまいそうだ。
「あのですね、ナズーリン……」
「うう……」
星が真剣な瞳で見つめる。
それだけで、もう、ナズーリンの心臓は張り裂けてしまいそうで
「もう一つ、私がここにあなたを連れてこなかった理由は……」
血が沸騰してしまいそうで、
「ネズミというのは、あまりこういった店には良くないと巷で耳にしたものですから」
「……ハハッ」
ナズーリンは、笑った。
店内を片付け終え、次々と帰宅準備を進めている。
地獄烏、化け猫(火車)、山彦(≒犬)、そして、ヤマメを何か言いたそうな瞳で順番に見つめて。
最後に、正面の元虎妖怪を見据える。それから……
ハハッ、と自嘲気味に笑った。
釣られて星も、ハハハッと笑って。
続いてさとりも、ふふふっと笑って。
次の日、ナズーリンの胃に穴が開いた。
「おはよーございます!」
最近できた命蓮寺の分社、その入り口を任されている響子の声が気持良いくらい響き、続けて来訪者を出迎える声が次々と立ち上る。
コーヒーを持ち上げてふーふーっと熱を冷ましているうちに、本日初の参拝客2名はクリーム色の壁や天井を見渡しながらカウンターの隅へ、観葉植物の近くの席についた。日当たりの良い、ガラス際の席を避けたのは戸惑いもあるのかもしれない。
ナズーリンとて、まだ頭の中を整理できていないのだから。
「はい、ご注文を山彦します! コーヒーとモーニング南無参セットを2つ!」
『イエス、南無参!』
しかし、参拝客の戸惑いを敏感に感じ取った響子が付き添い、丁寧に説明をしたからだろうか。男性二人組は笑顔で響子に『朝の説法コース』を注文し、その後も落ち着いた様子で雑談に花を咲かせているようだった。
その内容がこの命蓮寺分社を称える内容であったため、優れた聴覚で盗み聞きしていたナズーリンに言い表せないむず痒さを与えてくれる。
「おまたせしました。南無参セットになります。どうぞごゆっくり」
説法コースを星が運び、それに舌鼓を鳴らす合間も男たちが再び感動を言葉に乗せる。カウンター越しで咲く星の微笑みも、料理に一味加えているのかもしれない。
しかし、星が若干ふらついて見えるのは何故だろうか。
「どうもありがとうございました」
料理を食べ終え、最後に賽銭を奉納し出ていく男たち。その表情には満足しか感じ取ることができない。間違いなく再度足を運ぶことだろう。
そのお客を見送った星が、別の席で座るナズーリンの傍へと近寄ってきて。
「どうですか、これでまた一つ。毘沙門天様への信仰が積み重なるというものです!」
フリフリの、桃色衣装で胸を張り、自慢してくるものだから。
ナズーリンも微笑みを返し、主を見上げ、満々の笑みで口を開いた。
「ご主人……、ちょっと裏口行こうか?」
◇ ◇ ◇
命蓮寺――
そこは、聖と星の理想を叶える場所。
そして、妖怪と人間を繋ぎ、毘沙門天への信仰も高める正義ある場所だった。
星もそれを十分理解していたし、常に実践しようとしていた。だから、ナズーリンは安心して命蓮寺の事務や経理の仕事の一部を手伝いながら、最近は星も上々だと毘沙門天にこっそり報告もしたものだ。
主からの失せモノの依頼もなく、贅沢にも物足りなさすら感じ始めた毎日は幸せでありながら、
『自分でなくても星の監視はできるのでは?』
といった、安寧の日々だからこそ浮かぶ愚考や、ときどき頭の中に姿を見せる不安に自ら苦笑すらしていたところだ。
そんな、ある日のこと。
ナズーリンが中庭を眺めながら部屋でゆっくりしていたとき、聖がいきなり部屋にやってきて、
『星が、分社を建てたいと言いまして……』
開口一番、不安げな表情でナズーリンを見下ろした。
『いえ、すでに……建ててしまいまして……人里に……』
『……え?』
地底の鬼と、地上の鬼の協力を得て、ほとんど出費なしで作ってもらったのだという。
ありえない話を聞いて『何をしているんだご主人は』と、ナズーリンの中に嘲りの感情が浮かんできたものの、最近の頑張りを一番見てきたと自負できる彼女は、素直にこう返したのだった。
『どこか抜けたところもあるかもしれないが、ご主人ならば大丈夫さ』と。
その後、聖から響子がすでに分社に手伝いに回っていると聞き、これは自分も動かねばと朝のうちに行動を起こした。
これまで山の神様だって侵入しなかった人里、そこにいきなり分社を建てるなど、他の神や仏を崇める先人に喧嘩を売る行為にもなりかねないからだ。だからこそ、ナズーリン本人が交渉等で星を支える必要があるだろうと、急いで足を運んでみたら。
『命蓮寺分社建設記念! ドリンクおかわり自由!』
「……え?」
命蓮寺分社という、重厚な文字の立て看板の横……
ガラス張りに加え、明るい配色をした建物が異様なコントラストを放っており。
ナズーリンはもう一度自分の目だけでなく、ダウジングや直感をフル活用してもう一度命蓮寺を探してみるが。
『臨時出家者募集中! 三食通勤手当付き!』
『妖怪の方も歓迎! 明るく楽しいお寺です!』
「……え?」
何度探しても、二度見しても。ダウジングロッドで地面を耕してみても。
『命蓮寺分社』
無言で蹴り倒したくなる看板が、はっきりと立っており。
人里において圧倒的な存在感をまき散らす建物が命蓮寺だと告げてきたのだ。
「は、はははっ……、ま、まさか」
さすがにこれはないだろう。
誰かの悪戯に違いない。
と、苦笑しながら店内……いや、境内の中に入って、
「おはよーございます!!」
「まさかだったよっ!」
「はぇっ!?」
元気のよい声が正面からナズーリンの鼓膜を刺激してきて、ナズーリンは思わず瞳に涙を浮かべてしまった。
そのままなし崩しで店内に案内され、コーヒーなる慣れない液体を出されて……
窓越しに、遠い目をすること30分。
「……信仰とは、力。それを効率的に得るにはどうすればいいか」
そして今、裏口に至る。
「そのために自分が努力しなければいけないことはなにかと、必死に考え抜いたのです!」
いつもとは違い、紅魔館のメイド服にヒラヒラとした布を足して、桃色を加えたようなあまり見たことのない服装と。頭の上のカチューシャ。膝上の布の位置が若干高いのがナズーリンの余計な説教心をくすぐってくるが。そんな小さなことは置いておくとしてだ。
まずはあの分社の存在は何なのか、主人である星から聞きださねばならない。決意を新たに様子を見守るナズーリンの気を知ってか知らずか、ぐっと拳を握りしめた星は、瞳を燃やして熱く語り続けた。
「そうです、考えて、考えて……、一睡もせずに二十日を過ぎた頃でした」
「寝ろ」
「神が、いえ、毘沙門天様が私に天啓を与えてくださったのですっ!」
「いいから寝ろ」
良く見ると星の目の下にうっすらとクマが見える。本来睡眠がほとんど必要のない妖怪に出る症状ではないはずなのに。
つまり精神的疲労による極度の寝不足状態であるのは明らかで……さすがにこの状態の星に暴力を振るうのはまずい。穏便に交渉で済まそう……
「毘沙門天様は言いました、『可愛い子が料理作ってくれると、嬉しいよね?』と」
「言ってたまるかっ!」
「あうちっ!」
そう思っていた時代がナズーリンにもありました。
背中のダウジングロッドを閃かせ、額に一撃。
スコーンっと小気味好い音を残して、星がわずかに仰け反り。
「……はっ!」
目を見開いて、左右に首を振る。
ダウジングロッドを肩の上で弾ませて、ほっと胸を撫で下ろし。
「ふぅ、やっと正気に戻ったかい、ご主……」
「毘沙門天様が、スカートをもう少し短くした方がいいと……」
胸に手をあてたまま、ナズーリンはくじけた。
◇ ◇ ◇
『とりあえず、妙な状態に陥っている星を放っておくわけにはいきません』
ナズーリンが諦めて命蓮寺(本店)へと戻り事情を説明したところ、聖は苦言を呈したが、
『しかし……あの子が人と妖怪の交流を第一に考えてくれたことだけは、嬉しく思います』
そこまで怒った様子には見えない。
決して寺と分類してはいけないものではあろうが、飲食店という枠内に収まるのであれば星の活動は認める。それが聖の判断であった。
わずかな時間ではあるがナズーリンも人間が楽しそうに食事をしていた現場を見てしまったわけで、その言い分に別段反対することは無い。
が――
『……しかしですね、ナズーリン?』
『ハハッ、わかっているさ。それはそれで見張り役がしばらく必要、というわけだろう?』
『助かります。大変かもしれませんが、お願いできますか?』
『ああ、もちろん』
それが本来の私の仕事だからね。
続く言葉を喉で止めて、ナズーリンは一度は匙をぶん投げた星の元へと、命蓮寺分社(二号店)へと再び足を踏み入れることとなったわけだ。
ちょうど朝食と昼食の間であるし、目立たない隅の席に陣取って客や店員の態度をしっかりと目につけてやろうと意気込んで扉をあけて、みたのだが……
「いらっしゃいませっ! 申し訳ありませんが、カウンターの隅の席でよろしいですかっ!」
余裕のない響子の声に、眼を丸くしてしまう。
ともあれ、初めから隅の席を狙っていたナズーリンは視線を忙しなく動かしながら二つ返事で承諾し、カウンターの隅に腰を下ろした。
「なんだ……これは」
確か、往復時間にして、わずか半刻。その程度しか経過していないはずなのに、店内のほぼすべてが埋まっている。そんな事実に驚きを隠せずにいたナズーリンの肩を、正面から優しく星が叩いてくる。
何事かと顔をあげてみれば、星が申し訳なさそうな顔で。
「もうしばらくお待ちください」
などと他人行儀に頭を下げてくる。それほど忙しいということなのだろう。
しかし、それはそれで結構。忙しい時間帯こそ、店の真価が問われるというものなのだから。それをゆっくり眺められれば、この分社が正常に営業できているかを知ることにもつながる。
ナズーリンは頬杖をついて、頭をわずかに動かしながら店内に視線を這わせた。
入口の左右には、縦に置かれたテーブルと、それを囲むようなソファーのセットが5つずつ、合計10セット。そこから大人2人が余裕で行き来できる広さの通路を挟んで、ナズーリンがいる長いカウンター。両側には店員が出入りする通路があり、観葉植物も置かれていて、中央には精算用の箱と、……触手付きのグロテスクアイが設置されていて。タイミングばっちりで目が合った。
なるほど、いたってシンプルでおちつける空間設計……
な、わけがあってたまるか。
「はい、どうぞ」
ナズーリンが大きな目玉と遠距離にらめっこを継続していると。聞き慣れない声が頭の上から降ってくる。すらりと背が高く、黙っていればスタイルの良い美人。店内で邪魔になるであろう羽根をもった店員は、ナズーリンの手元に紙切れを残して立ち去ってしまう。
十中八九、あの不思議なイビルアイもどきの関係者に違いなく、ナズーリンは目を細めながら折りたたまれた紙を開き、
『あなたの考えは、うにゅっとじゃじゃーんっとお見通しよ』
なにこれうざい。
主に飼い主がうざい。
いきなりな一行が目に入ってきて、思わず破り捨てそうになるナズーリンであったが、なんとかその欲望を抑え込み、思いのほか丁寧な文字を読み進めていった。するとどうだろうか、地上の妖怪や人里との交流をより密にしたいという願いが、文章からあふれ出てくるほどで、
「平たく言えば業務提携です」
「う、うわっ!」
いつの間に移動したのだろうか。
レジの横に転がっていた触手目玉と持ち主のさとりがカウンター越しに立っていた。
「注文はお決まりですか、お客様?」
「君は会計担当ではなかったのか?」
「いいえ、正確には店員ではありません。私も地底の方で温泉を経営し始めたところですし。手伝いはしていますが、あなたと似たような立場と思っていただければ」
ナズーリンと同じく、地底メンバーの見張り役。そう言いたいのだろう。
さとりがいた会計のところには今お燐が立っていて、そろばんを目にも止まらぬ速さで弾きながら、業務にあたっていた。さすが『猫の手も借りたいとき、本当に頼れる数少ないネコ系』、『お空限定中間管理職』という妙な二つ名がつき始めただけはある。
え? 星も広く言えばネコ系じゃないかって?
ハハッ……
「心中お察しします」
「お願いだから心を読まないでくれないか……」
頼んでもないのに出されたコーヒーは同情のつもりだろうか。あまり好みではない飲み物ではあったが、とりあえず感謝の言葉を返し、ふと、店内を見れば先ほどと比較してわずかに空席が目立ち始めたところ。やっと客足が落ち付いてきたようだ。
そのおかげで余裕のできた星がナズーリンたちへと近寄ってくる。
「どうです? なかなかのものでしょう?」
少しだけ誇らしげに笑う星を見て、ナズーリンはなるほどと頷いた。
経理や書類整理等、事務的能力だけは異常なほど優秀な星に、相手の心理をついて的確な経営戦略を練ることができるさとりが加わっているのだ。
それならば、この繁盛具合も納得できるというもの。
分社としては誉められないが、喫茶店経営としては出だし上々。と、素直に誉め称えるべきところではある。
しかし、だ。
「そうね、早ければそろそろ……」
「ああ、ありえるね」
「何がですか?」
星が首を傾げた、そのときだった。
「おいおい、舐めてんのか!」
怒声が響いたと思った直後。
硬いものがぶつかり合う音と破砕音が加わりその場の空気が一瞬にして凍りつく。
それを横目で眺めながら、
「出る杭は、打たれるかもしれないよ。ご主人」
ぼそり、とつぶやいた。
◇ ◇ ◇
星が慌てて掛けていく姿を視界の隅に置きながら、ナズーリンは横目で状況を探る。
音から判断してグラスが割れた。客にそうさせるほどの事態が起きたのか。視覚と聴覚、そして潜ませたネズミの同胞たちを利用して探り。
「む?」
探り当てた結果を大雑把にまとめ終えた後、あからさまに眉を潜める。そしてその心を読んださとりも、含み笑いを零した。
なぜならその内容が、
「この店員がスープに指入れて持ってきやがった! 食中毒にでもなったらどうしてくれるんだ!」
こんな内容だったからである。
なんと大袈裟なことだろうか。
もし本当に店員が指を入れていたとして、そこまで大騒ぎする必要性があるとは思えない。
もしそれを口にして命を落とす可能性があるのなら話は別であるが、そんなことがあるはずがない。
非常識だ。
ナズーリンはハハッと鼻で笑いながら体の向きを変え、被害にあったと思われる店員の姿を視界に収めると。
『臨時職員:黒谷ヤマメ』 (能力:未記入)
おもいっきり、咽た。
可愛い文字で名前だけ書かれたネームプレート。それ秘められた極大の破壊力に当てられ、椅子に座ったまま背中を丸めて咳を繰り返す。
そして、声が出せない状態で、カウンター内のさとりへと向き直り、現在進行形の騒動を震える指で差し示した。
「……アア、ナントイウコトデショウ」
「こほっ! かほっ! なんであいつが接客なんだ! おい、こら、顔を背けるな、って、いや、何で第三の目はこっち向ける!」
「しかしですね、人員の割り振りはそちらの星さんが」
「……ご主人に、ヤマメのことをなんて説明した?」
「地底の中でも明るく元気、お客様を出迎える場所に良く待機してくれる気の利く妖怪です」
「……能力は?」
病気を操る程度の能力。
通常の者であれば、この能力を知ってこういった場所に連れてくるとは思えないが。
「さて、覚えがありませんわ」
「ああもぉぅ~~~、ごしゅじぃぃぃぃん!」
清々しく、やりきった笑顔。
そんな表情を見せつけられ、ナズーリンは頭を抱える。雇う相手の特性をどうしてもっと良く調べないのか。
とか、言うとどうせ。
『ナズーリン……あなたは、人や妖怪を外見や能力で推し量るというのですか。正義である毘沙門天様に仕える私に、そのような配慮のない行動を示せと?』
本気でこう返すに違いない。
もう、ナズーリンのこめかみに青筋が浮かんでも揺るがないほどに。なので、今さら起きてしまったことだ。
人員については何も言うまいと、突っ伏していたナズーリンが諦めきって顔を上げる。
軽く額に手を添え、腕を杖にしながら。
「それで?」
「はい? なんのことです?」
「はぁ、今さら惚けないでくれないか。続きは私がやるから、情報を寄こせと言っているんだ」
何やら、星まで巻き込んで現場はよりヒートアップし始めている。
これ異常続けさせたら周囲のお客に必要以上のストレスを与えかねない。だから、ナズーリンはほどほどまで盛り上がった今、要求した。
「情報料はお持ちですか?」
「私への慰謝料でどうだろう?」
「ふふ、それで構いません」
そしてナズーリンはさとりから小さなメモを受け取って、渦中へとゆっくり飛び込んでいくのだった。
◇ ◇ ◇
「入れてただろうが!」
「入れてないって言ってるでしょ!」
しばらく放置した結果、そこではヤマメと男による視線の火花大会が開催されている模様。
ヤマメの言い分は『指を入れて持ってきた覚えはない』であるし、柄の悪そうなザンバラ頭の客の言い分は『間違いなく指を入れて持ってきていた』である。
もちろん、交渉は平行線。
「私が替えの料理をお持ちしましょうか?」
なので仕方なく星が妥協案を提示してみるが、やったことを認めたくないヤマメは面白くない顔をするし、さらに、お客の方が。
「そんなのチンタラ待ってられるかよ! その店員に頭下げさせろ!」
その一点張りである。
料理もいらない、時間もない、でも、抗議はする。傍目からすれば、意地や面子のための行動と感じられるかもしれないが。
「星、ちょっと邪魔するよ」
「あ、すみませんナズーリン……」
奥の厠に用がある。
そういった身振りで困り顔の星の横から割り込み、数歩進んだところでヤマメとの睨み合いながら通路に足を出す男のつま先にぶつかってしまった。
「う、うわっ!」
「なんだよ、おいっ」
バランスを取ろうとしたのが悪かったのだろうか。
下手に耐えたせいで、倒れる向き変化し、ちょうど男の膝の上に飛び込む形になってしまう。
そのときだった。
慌てて起き上がろうと、椅子に手を置こうとするナズーリンと。
さっさと退かして、交渉を続けたい男の手が重なり。
瞬間、ナズーリンがそっとメモを男に握らせる。
「次はもう少し上手くやることだよ……人里は、狭いからね?」
ぞっとするほど、低い声。
それを男だけ聞こえる声音でつぶやき、何事もなかったかのように身を起こす。そして、愛想よく『ごめんなさい』と謝ってから、厠の方へと歩いていき。
「あ、えっ?」
小さな背中に、男が驚く声と。
「……あ~、うん、やっぱり指は入ってなかったかもしれないなぁ」
「ほーら! やっぱり勘違いじゃないの。今度から気をつけてね」
事態が急速に静まって行く様子を感じながら、
「あのペテン妖怪め。最初からこれが狙いか」
少しだけ悔しそうに、ふんっ、と鼻を鳴らした。
◇ ◇ ◇
「そうですか、聖がそんなことを……」
「ああ、だからご主人。名は改めてくれると助かるよ」
日が地平線に沈み、空が茜色に染まり始めた頃。
一日の業務を終えた星とナズーリンは共に一つのテーブルに付き、久方ぶりのお茶を楽しんでいた。
「わかりました、そのあたりは一般公募するとしましょう。どなたかネーミングセンスのある方がいらっしゃればいいのですが」
「レミリ――、むぐっ!?」
「それ以上いけない!」
ナズーリンは素早く、新たなる来訪者の口をふさぐ。
自分用の紅茶を手にするさとりが不穏な名前を口走ろうとしたからだ。
「こらこら、手を貸してくださったさとりさんにそのようなことをしてはいけません」
「そのようなことをしなければこの建物の命が危うかったのでね」
「あら、聞き捨てなりませんね。さきほどの功績を考えていただければありがたいのですが?」
「あからさまな誘いの手口を仕掛けておいて、良く言うよまったく」
「……えっと、なんのことです?」
「こっちのことだよ」「こっちのことです」
「……はぁ、そ、そうですか」
出る杭は打たれる。
その言葉通り、人里になかった洋食を織り交ぜた軽食や甘味の専門店が話題になり始めたことを知り、団子屋等、先に店を構えていた所が何かちょっかいを掛けてくるのではないか。
そんな予測をしていた。
そして、そんなときである。
『黒谷ヤマメ』
という明らかに接客に向かない能力を持っている者を前に出した場合。相手からして見れば、カモがネギをしょってやってきたようなもの。
しかし、そうやって食いつかせることがさとりの目的だったのだ。
そして食いついてくれた雇われ者、もしくは店の関係者に対し必要な脅し(さとり曰く『お願い』)を書き込んだメモを手渡して、先に痛い目を見てもらう。
もし、行動に起こさなくても、偵察に来た段階でもうさとりのブラックリストに加わるというわけである。
ちなみに、メモの内容は……『穏便』という単語の意味が揺らぐ程度であった。
「後腐れなく済ませることは大事、ということだよ、ご主人」
店に対する嫌がらせ行為を摘発しないのも、良い意味で共存していくためである。表向きの経営しかできない星には難しいところではあるかもしれないのだが。
「綺麗過ぎて餌のない場所では、魚は生きていけないとも言いますしね」
「あの、二人とも……、できれば私にもわかるお話を……」
「はは、すまなかったね。ご主人、話ならもう終わったよ。それで、少し個人的に尋ねたいことがあるんだが」
「ええ、いいですよ。なんなりと」
ただ、ナズーリンは朝から不満に思っていたことがあった。
聖を指示を優先しながらも、どこか奥底に隠していた思い。ずっと仕舞い込んでおこうと決意しかけたのに、間ができると、どうしても胸の奥から浮かび上がってしまう。
「どうして……、響子だったんだい?」
「何がです?」
「ほ、ほら、どうしてあれだけいる命蓮寺の中から響子だけを選んでこっちに連れてきたのかが、気になってね」
「ああ、そういうことでしたか。それならば簡単ですよ」
簡単、その言葉を耳にした瞬間、ナズーリンの胸がちくりと痛む。
他に選択肢はない。
遠回りにそう言われている気がして。
「響子さんが好きだから、とか?」
「さとり!」
だからだろうか、さとりの揺さぶりにも簡単に気を荒立ててしまう。その問いに関する答えは容易に想像できてしまうから。
「ええ、好きですよ」
そう、星ならばそう言う。
「響子も命蓮寺の一員ですからね、嫌いなはずがありません」
仲間として、好き。
そんなわかりきった答えであるはずなのに、
「命蓮寺に来てからまだ日が浅いですし、特定の仕事を多く持っていなかったからというのが、響子を選んだ大きな理由でしょうね」
どうしても不満を感じてしまうのは、ナズーリンの我儘なのだろうか。
我儘だから。
どうしようもない、馬鹿だから。
「私に手伝わせようとは……、いや、私を連れて行こうとは思わなかったのかい?」
「ふむ、ナズーリンを、ですか」
主人を困らせるような、馬鹿げた問いかけをしてしまうのだろうか。
それでも、星は答える。
まっすぐナズーリンを見つめて、すべてを包み込んでしまうような微笑みを作り。
「私は、いつも貴方にお世話になっていました。宝塔の件でも、聖の件でも。だから私も最初はあなたに手伝って貰いたいと思って、いえ、あなたに甘えようとしてしまったのでしょうね」
途中で説明を切り、少しだけ恥ずかしそうに頬を染める。
「ですから、今回ばかりはあなたに負担を掛けたくなかったのです。今でも立派に働いてくれている『私の大切な』ナズーリンに苦労を背負わせるのだけは、どうしても避けたかった」
しかし、星が頬を染めた直後。
ナズーリンの顔が蒸気を吹き上げそうなほど真っ赤に染まる。しかし星は気づかない。彼女が口走った言葉の中に、大変な意味合いをもつモノが含まれているのに。
「でも、結局は負担を掛けてしまったようで主人として立つ瀬がないというか……、ああ、それと……」
「ご、ごちゅ、ごひゅじん! もういい、わかった! わかったから!」
「いいえ、ちゃんと最期まで言わせてください」
「はぅ、でも、さとりが……」
『ごちそうさまです』
そんな言葉が聞こえてきそうなほど、活き活きとしたさとりとは対照的に、わたわたと両腕を胸の前で踊らせるナズーリンの余裕のなさは加速していくばかり。
これ以上、星のナズーリンに対する思いを聞かされ続けたら、茹でダコならぬ茹でネズミにでもなってしまいそうだ。
「あのですね、ナズーリン……」
「うう……」
星が真剣な瞳で見つめる。
それだけで、もう、ナズーリンの心臓は張り裂けてしまいそうで
「もう一つ、私がここにあなたを連れてこなかった理由は……」
血が沸騰してしまいそうで、
「ネズミというのは、あまりこういった店には良くないと巷で耳にしたものですから」
「……ハハッ」
ナズーリンは、笑った。
店内を片付け終え、次々と帰宅準備を進めている。
地獄烏、化け猫(火車)、山彦(≒犬)、そして、ヤマメを何か言いたそうな瞳で順番に見つめて。
最後に、正面の元虎妖怪を見据える。それから……
ハハッ、と自嘲気味に笑った。
釣られて星も、ハハハッと笑って。
続いてさとりも、ふふふっと笑って。
次の日、ナズーリンの胃に穴が開いた。
ナズがNGでヤマメがOKと考えた経緯について
裏口で話を聞こうか…
それはそうと、笑った笑った。とりあえず星ちんは寝なさいw
きっと夢で天啓がまた降ってくるよ!
ナズ生きろ…
ところどころの小ネタに笑わせてもらいました
特にヤマメのとこはリアルに麦茶吹きました
苦労人似合いすぎだな