…胡乱な頭ではあるが、少し整理してみよう。
私が今、置かれている状況を。
「ん…」
穏やかな眠りの海の底から意識を引き上げるのは、優しく支えられながら揺すられる、鉛のように重い身体。
ぼんやりとまどろむ五感を横切るのは、高らかに響く秋の虫たちの合唱と、稲穂色に輝く月明かり。心地よく肌を撫でてゆく、ほんのりと暖かく広がる平原の感触と、私の腰に食い込む指の感触。そして、
「おや、お目覚めかい?」
陽気で下町気取りな、二つの緋色のお下げの少女の声だった。
もはや聞き慣れたその声に、重く閉じていた瞼が細く開く。
暖かい平原は、蒼い着物の背中。今しがた目覚めた意識に、後ろ手に抱かれた腰。…どうやら、気を失っていた間に私は彼女の背中に負ぶさっていたようだ。
「ああ、無理はしなくて良いよ。寝たけりゃまた寝てれば良い。出血大判振舞いで、お前さん家に着いたら布団も敷いてあげるからさ。」
「…そんな馬鹿でかい声で寝て、…むにゃ…。」
耳に残る陽気な声を非難しようと出た私の声は、酷くしわがれている上に語尾が切れていた。全身に圧し掛かっている気だるい重圧が、私を再び眠りの中へと引きずり込もうとする。
返ってきたのは、いつもの堅物も形無しだねぇ、と、相変わらずどこか嫌味なにやけ声。
「しっかし驚いたよ。夜中に太陽が現れたように光が射したもんだから何事かと行って見れば、焼け野原のど真ん中でぼろぼろのお前さんが倒れてたんだから。…どんな無茶をしたのかは知らないけど、いつも言ってるようにやり過ぎはよろしくないよ?」
妙な説教口調の声も、やはりいつもの彼女のもの。その時ふと、彼女の発言に若干の違和感が混じっているのに気付いた。
「…、なぁ、お前が見たのは私一人だけ、だったのか?」
寝ていても良いのに、とぼやいた後、彼女が答える。
「んぅ、その通りだったけど?もしかして今夜の相手ってのは、あの姫様だったのかい?」
「…そうか。」
…と言う事は、あいつは従者か誰かが連れて帰ったのだろう。
それよりも、ふと脳裏を過ぎった既視感に、私は質問に答えずに一人ごちていた。
…あの時と、同じだ。
あいつとの決闘の末、一人取り残された私と、そこに遅れてやってきた彼女。
月夜に照らされた、塒への帰り道。
そして、何故か懐かしいような安心感を覚える、私より少し広い背中。
…寝起きの胡乱な頭ではあるが、塒に着くまでの間に、少し思い出してみよう。
「永遠の時」を生きる孤独な少女と、「死」を運ぶ少女の、
対極する、有り得る筈の無かった、邂逅を。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
「難題『仏の御石の鉢』」
「がぁッ!?」
堪えきれず、藤原妹紅の口から一塊の悲鳴が吐き出された。
前方から襲い掛かる光の矢に、脇腹を刺し貫かれる。若竹が生い茂る竹林を薙ぎ倒しながら吹き飛ばされる身体は、そのまま背中から地面に叩きつけられた。
「う、っぐ…、かぐ、や、…てめェッ…」
地面に突き刺さる光弾に身体を縫いとめられて、上手く体を起こせない。激突した衝撃で広がった風穴から、身体の芯を焼き焦がす鈍痛や生温い血がどくどくと溢れ出し、夜の空気に、締め固まった大地に滔々と飲み込まれて行く。
それでも藤原妹紅はどす黒い憎悪を貌に顕にしながら、透き通るような夜空を睨む。その先には、一人の少女の姿があった。
「残念ねぇ、私の本気をこれっぽっちも出させられないなんて。貴女が売ってきた千年分の油の滓の量を見てみたいものだわ。」
失笑と嫌味を隠さないその言葉は、月の光を受けて輝く唇から紡ぎだされる。その持ち主こそ、先ほど光弾を放った蓬莱山輝夜その人である。
切れ長の目と真直ぐ整った鼻筋、すらりと美しい曲線を描く頬を持った、整った顔つき。その輝夜の美貌は、あまりにも自然に侮蔑の表情を作っていた。
「言わせて置けば、…がハッ!」
気に食わない。銀色の月光に透き通る黒髪も、世の老若男女が誰でも息を飲むその顔も、姫の威厳を崩さない立ち振る舞いも、妹紅にとっては全て気に食わなかった。恨み言を吐こうとした口からは、しかし赤黒い血がだらしなく零れるだけで、そのことが余計に妹紅を苛立たせる。
そんな妹紅を下目に、輝夜の唇が釣り上がる。
「興が醒めたわ。今夜はこの辺にしといてあげる。次に殺しにくるときは、生まれ変わって出直すくらいの覚悟をしてくることね。ま、三枚目のスペルにすら届かなくなった今の貴女じゃ、何年掛かるか分ったものではありませんけど。」
台詞の置き土産を残しながら輝夜はきびすを返し、星の瞬く夜空へと飛び去って行く。虫の声と輝夜の声が木霊する戦場跡には、紅と白の無残な敗者の姿だけが残された。
白熱していた空気が冷え始め、辺りには虫の声と風で擦れる笹の葉のざわめきだけが響く。
憎悪に変わり心を侵蝕する底冷えの敗北感に妹紅の身体がかしぎ、力の抜けた身体はあられもなく地面に寝そべる。
惨めな屈辱の味に冒された身体は、頑として言うことを聞いてくれなかった。戦闘の激憤に滾っていた心身から、血と体温と覇気がじわじわと染み出して行く。
「…く、…しょ、…っ…」
何故、勝てない。
奴は、私の父の仇ではなかったのか。
高笑いを響かせながら父を殺した奴の頸を、復讐の炎で燃やし尽くしてやるのではなかったか。
そのために強奪した蓬莱の薬を飲み、死に執着しながら、あの悔しく憎らしいほどの美貌を追い求めながら、時を積み重ねてきたのではなかったか。
「ちく、……ょぉっ…」
何故、勝てない。
知らずこの幻想郷に流れ着いたのは、つい先日のこと。竹林の中に隠れるようにしてたたずむ永遠亭を見つけたとき、己に渦巻いた感情に、知らず異常に昂っていた。
不死の身であるが故に腰を据えられずいくつもの地を転々とし、その合間に修行に明け暮れる空白とも呼べる日常に、ついに区切りを付ける時が来たのだ。仇敵と果たし合うための時は、ここにようやく見つけられたのだ。
だと、いうのに。
「ちくしょ…、ぉっ…」
何故、勝てない。
この土地の決闘の規則であるというスペルカードルールに則った闘いにおいて、妹紅は連敗を重ねていた。それだけではない。最初は五枚のうち三枚を切れそうになっていた勝負の結果は、二桁から数えるのも億劫になった今や、一枚目を切るのが精一杯という悲惨なものになっていた。
悪化して行く戦績と焦りが妹紅の心を病的に急き立てる。しかし、攻め手を変えても、特訓を重ねても、忌々しい笑顔は遠のいて行くばかり。それは知らず、妹紅の中に悪循環となって渦巻いていた。
「畜生ぉぉぉぉおオおおおォおッッ!!!」
何故、勝てない。
負の連鎖に苛まれる妹紅は、現状を恨み、ただ怨嗟の声を上げ続ける。
答えるのは、初夏の虫の声と、笹の葉が風で擦れてざわめく音と、
「おや?おかしいな、死んだ人間の臭いをかぎつけてきたんだが。」
ふと聞こえた、飄々とした女の声だった。
ありったけの声と共に吐き出した意識を引き上げ、周囲に視線をめぐらす。と、私のすぐ隣には宵闇の中で立つ人影があった。
「どうやら、お前さんが臭いの元のようだねぇ。しかしまぁ、こりゃあまた珍しいお人に出会ったもんだよ。」
―――こちらを襲う気はないらしい。注意深く視線を上げてその女を観察する。
青いスカートを穿き、胸元を大きく開けた使用人風の和服を帯で締めている。大きく歪曲した何かを担ぎ、緋色の髪を左右で止めた彼女は、履いている下駄と相成りかなりの長身に見えた。
「身体は明らかに虫の息なのに、魂のほうは頑として動こうとしないとは。っと、お目覚めだったかな?」
ふと彼女と目が合い、気づいたのか顔を寄せてくる。髪と同じ色を持つ瞳が興味津々にこちらを覗き込んで来た。真直ぐにこちらを見つめる視線が、眩しい。
「…何だよ。」
悪意や畏怖を持たない視線に慣れない私は、そっぽを向いてぼやく。
「あぁ、こりゃ失礼。何しろ、肉の檻を纏って転生を拒む魂なんて、あたいは見るのが初めてでねぇ。」
悪びれた様子もなく、にひひと笑って頭を掻く彼女。
垢抜けたその態度は、私の苦手とするものの一つだ。面倒な事に野次馬根性もあると見られる。
しかし、彼女の一言が、私にはどうにも気にかかった。少なくとも、一目見ただけで自分の正体を何となくでも理解してきた人間は、輝夜とその従者ぐらいなものだったはずだ。
「…転生が、…何だって?」
「ああ、お前さんの魂のことさね。要はあんた、普通じゃ死ねないんだろ?脇腹の風穴も塞がり始めているじゃないか。」
この得体の知れない女には、私の正体がほぼばれているのかも知れない。それにしても、再生している人間を見て怪しまないとは、相当な変人のようだ。
「…分る、のか?」
「まぁ、それなりの数の魂を彼岸に送り渡してきたからね。あたいの目でも寿命が見えないんだから、その魂はどうやら天然ものじゃあないようだけどね。」
―いくつもの魂を彼岸に送ってきた人間…?寿命が見えない…?ますますもって怪しい奴だ。
懐疑と少しの好奇心から、今更のような疑問を口にする。
「何物だ、お前…?」
「っとと、そういや自己紹介がまだだったね。あたいは小野塚小町。三途の河の船頭をやってるしがない死神さ。」
言われてみると彼女が手に持っているのは、よくよく見れば大きな鎌の様だ。刃が曲がりくねっているのを見る限り、とても用途に適しているとは思えないのだが。
「…死神?お迎えってのは生きてる人間を地獄に連れて行くのが仕事なんじゃないのか?」
知らぬ間にだいぶ口が動くようになってきているのを感じる。傷はだいぶ塞がってきているようだった。
「ああ、それは死が迫った人間に対してだけさ。わざわざ元気でぴんぴんしてるお人を連れて行くなんてかったるいし、何よりあたいの仕事に入ってないからねぇ。必要以上の仕事はしないってのが、あたいのポリシィなのさ。」
「…職務怠慢なんじゃないか、お前?」
「いやいや、そういわれると照れるねぇ。誉めてもなぁんにも出ないってば、あっはっはっは!」
…何だろう、ものすごく調子が狂う奴だ。上手く表現できないが、いつの間にかずるずると話を乗せられているような、そんな感じがする。暢気でお調子者な変り種の死神に、私は付き合ってられんと大きな溜息で返事を返した。
「はっはっは、手厳しいねぇこりゃあ。…ところでさ、お前さん、いつまでそこで寝そべってるつもりだい?」
ふと、小町がごく当たり前の疑問を口にする。それも確かに、そうだ。いつまでもここでだらしなく寝そべっているわけにもいかない。
何となく小町の言葉が癪に障っていたところだ。そろそろここから立ち去ろうと思い、平気であることも分らせようと、勢いをつけて上半身を起こそうとして、
「お前に言われなくても帰って、…っぐぅっ!?」
脇腹に焼けるような痛みが襲う。勢いを付けすぎた為だろうか、閉じかけた傷が開いてしまったようだ。とっさに脇腹を押さえた手からは、生温い粘液の感触がする。
「やれやれ…。強気なのは大変結構なんだがねぇ、もうちょっと身体を大事にしたらどうだい?いくら死なない身体を持ってるったって、無理に動かしたら堪えるんだろうからさ。」
呆れるように小町が呟く。威勢がから回ってしまい、顔から火が出るような思いだった。
と、
「ほら、家はどこだい?送っていってあげるよ。」
こちらに手が差し出される。船頭の職業ゆえか、女性にしては少々いかついその手には肉刺がつぶれたような跡が残っており、あまり綺麗なものとはいえなかった。
「…いい。お前の手を借りなくとも、自力で帰れる。」
私にとってその誘いを受ける理由はない。どの道、時間が経てば歩ける程度には帰れるようになるのだから。
「こらこら、人の親切には素直に乗っておけってお母さんに教わらなかったんかね?それに、あたいには小町っていうちゃんとした名前があるんだから、『お前』なんていわれると悲しくて涙が出てきちまうじゃないか。」
ぽか、と軽く頭をどつかれる。おまけに説教までもらってしまっては、これではまるでこちらが悪人である。
「…分ったよ。ちぇっ、仕方ねえな…」
「そうそう、その心意気さね。あたいの背中を貸してやるから、おぶさんなよ。」
肩幅の広い背中に身を預ける。それほど小さくはない私の身体を、小町は軽々と担ぎ上げた。
陽気な船頭の背中に身体を委ね、月明かりだけが照らす竹林の中を往く。鎌は負ぶさるのに邪魔なので、私が持つことになった。
「…そういえば、お前さんについて何にも聞いてなかったね。名前だけでも教えてくれんかな?」
「妹紅…。ふじわらの、もこう、だ。」
「もこう、か。うん、強気でぴんぴんしたお前さんに似合う、情熱的でいい響きのする名前じゃぁないか。」
「嫌味じゃあ、ないんだろうな…?」
「何言ってんだい、素直な誉め言葉さ。何も考えずに受け取っときゃいいんだよ、こういうのは。」
「…ふん。まぁ、いいか…。」
身体が自然と小町に寄りかかっているのは、多分こいつとの話で疲れているからだろうなと、妹紅はそう思うことにした。
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主が寝静まった部屋の戸を静かに閉めながら、月の従者は考える。
全ての過ちはどこにあったのだろうか。主によるあの娘の父親の殺戮を、彼女に見られた不運か。あるいは、あの時月の都を沸かせていた『戦争』の展望を読み取れなかった自らの愚かさか。あるいは、あの娘と主を二度にわたって結びつけた運命のより糸か。それともあるいは、主の要求の名の下に、言われるがままに禁忌の秘薬を作り上げさせた見えざる手による悪戯か。
おそらく、それらはいずれも正しいのだろう。そして、それを覆す事は主の力をもってしても叶わないのだから、数々の過ちをもって頑固に縛り上げる因縁と言う名の彼女の呪縛を断ち切り、清算するほかない。
しかし、あえて呪縛に囚われる事に固執する主は、差し伸べられる従者の救いの手を良しとしない。一度解決策を主に持ちかけた事は有ったものの、次の瞬間に首をもがれて以来はその話は暗黙の禁忌となった。
故に、従者は悔やみ続け、ただ自らの中で祈り続ける。願わくは、主の進む道に救いあれ、と。
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「いやぁ、本当にありがとうござんして。何とお礼したらいいのやら。」
「…ん、良いんだ。私だって、別に大したことはしてないんだから。」
気温が上がり始め、日が暮れるのもだいぶ遅くなった初夏の幻想郷。
辺りにはクビキリギスやヤブキリ等の声がざわめきだし、自然の即興曲を奏でる。
人里から少し離れた水辺に立つ人影を、夕日が赤々と照らし出していた。そこにいたのは、妹紅と農家の人間らしい男、そしてその男の子供と思われる少女だった。
「全くもって、こいつには森にはあんまり深く入るんじゃないと言ってるんですが、どうしてこうも言う事を聞かないもんでしょうかねぇ。ほら、お前もちゃんと姉ちゃんにお礼しとくんだよ。」
「うぅ~、でもわたし、森の中でお花をつんで飾るのが好きなんだもーん。」
「そういうのは、1人で行くもんじゃないって言っとるだろうに。今度は妖精の悪戯で大怪我するかも知れんぞ?」
妹紅が人里での買出しを終え、家路へと向かう昼下がりのこと。摘んだ花を両手いっぱいに抱えた一人の少女が光の三妖精の悪戯を受け、困って大泣きしていたのを見つけ出したのは、全くの偶然だった。いつものように懲りない妖精たちを炎を使った自前の妖術で軽くあしらい、何事もなかったかのように送り届けていると、気がつけば夕暮れ時も近い頃合になっていた。
「まあ、そこまでこの子を責めてやるなよ。これからは私に言ってくれれば、暇な時なら連れて行ってやるからさ。」
「いや、そう言ってもらえて嬉しいんですが、しかし…」
困惑する父親。もっとも、妹紅にとっては妖精くらいならどうという事もないのだが。娘のほうはというと、
「えっ?連れてってもらえるの!?」
「こらっ、まだ良いと言った訳じゃ、」
「この子さえ良ければ、私は引き受けるぞ。」
「やったぁ!ありがとう、お姉ちゃん!」
そんな父親を差し置いて大はしゃぎの様子である。
「全く、しょうのない奴だなぁ…。じゃあ、本当にすんませんが、御願いしてもいいですかねぇ?」
「ああ、構わんさ。居ない時もあるだろうが、居る時はいつでも話に乗るぞ。」
その後に礼として食べ物などを両手に持てるだけ持たされ、彼女の家を後にする頃には辺りはもうまもなく日が落ちようかという頃だった。
「やれやれ、あの親子にも困ったもんだ…。引き受けたは良いがあの子はどうにも人懐っこくて付き合いに困るし、あの父親もこんなにたくさんの礼をしてくるなんて…。」
「それにしちゃあ、割かしまんざらでも無さそうな顔をしてたじゃないかい?」
「――、無視してやってたんだが、まだそこにいたのか…。」
少し後ろから語りかけるあの暢気な声の主に、妹紅は声に込められるだけの嫌味を込め、細めた目線だけを向けて答える。
「悲しいねぇ。あたいはずっとここでお前さんのことを眺めててやってたってのに。」
…先の親子との会話の時から、釣りをしている小町は妹紅の視界の中に入っていた。親子がいる手前でもあったので無視を決め込んでいたのだが、妹紅に気づいた小町は三人のやりとりを見ながらニヤニヤと笑っているだけであった。親子の目がなければ、視線が交された瞬間に弾幕勝負が始まっていた事だろう。
「しっかし、仕事をしない公務員だな。人里の警察もどきが見たら泣くぞ?」
「失敬だねぇ。あたいだって一応きちんと仕事はしてるってのにさぁ。たまたま、そう、た・ま・た・ま、あたいの所に魂が来ないってだけさね。」
ぷぅ、とわざとらしく膨れる小町に、妹紅は大きく一つ溜息をついた。
―全く、この死神ときたら仕事をしている様子がまるで見受けられない。しかも、それを悪びれる様子もなく、あっけらかんと釣りをしている始末である。不死である妹紅には縁のないものであるが、仕事仲間の顔を拝んでみたいものだと思ってしまうのであった。
「ところでさぁ、―お前さんが下げてるその風呂敷はなんだい?さっき娘さんと話してた時には持ってなかったと思うんだが。」
ふと小町の目が、妹紅の手荷物に留まる。
―こういう所には聡いのだからこれまた面倒なものだ。
「…お前には関係ないものだ。」
いらぬ詮索をされたくない妹紅は、勤めてつっけんどんに返す。
「そう言ってくれるなって。…すんすん、おっ?なんだか良い匂いがするじゃあないか。」
風呂敷の中身に勘付いたように、小町の目がにんまりと細くなる。風呂敷の中に入っているのは、自前の畑で取れた芋と、この湖で取ったという魚の干物だった。風呂敷に包んでも匂いが漂う魚のほうに気づいたのだろう。
「ははぁん、さてはさっきの親御さんからもらってきた代物だね?ちょうどいいや、あたいももらったばかりの給金で酒を買ってきてたところだし、手も付けていないから一杯行くってのはどうだい?」
ここぞとばかりに酒盛りを提案してくる小町。出来すぎたような準備の良い状況に、妹紅は呆れかえった声で返す。
「…あのなぁ、どうしていきなりそうなるんだよ。私のこれは別にそういうのに使うために貰ったわけじゃねえんだぞ?」
「なぁに言ってんだか。あたいの方には酒があって、お前さんのほうには食いもんがある。酒につまみと来たら、宴会が始まるのは自然の摂理じゃあないかい。」
―そんな人間たちに都合の良い自然の摂理があるならば、今頃幻想郷からは妖怪や吸血鬼などとうにいなくなっているに違いない。
「ほらほらぁ、遠慮すんなってば!せっかく良い物を見せてやろうと思っていたのに、早くしないと本当に日が暮れちまうじゃないかい。それともお前さん、これからどこかの巫女の真似事にでも出かけるのかい?」
「ぁ、いや、そういう訳じゃないんだが…」
ずずいっと迫ってくる小町に、妹紅は思わず本音を出してしまった。
「そういうことなら良いじゃないか。ほら、さっさとあたいの舟に乗った乗った!」
「のゎっ、って、ち、ちょっと、腕を引っ張るなぁ!」
赤から黒に移り行く夕暮時の空の下、水辺に二人の少女の賑やかな声が響く。
「…ったく、何でこんな目に…。」
「なんだい、そんなしかめっ面をしてるとせっかくの酒が台無しになっちまうじゃないか。ささ、お前さんも一杯っ。」
「…はぁ…。」
山の端に半分ほど沈んだ夕日と昇り始めの月が空を彩る中、岸からだいぶ離れた湖の真ん中に、人が四、五人ほど乗れるくらいの小さな船が浮かんでいた。あちこちがつぎはぎだらけの小舟に、ちゃぷちゃぷと水音が響く。
舟の中には開けられた酒瓶と、肴代わりに妹紅の買出しの品が並べられていた。野菜の糠漬けや魚の塩辛など、だいぶ質素なものではあったが。
「んっ、くっ…。っはあ~っ。麹が効いててコクのある良い酒じゃあないかい。静かに飲むにはぴったりの代物だねぇ。」
「…まぁ、味も悪くないか…。」
「しかし、三点リーダーの多いお人だねぇ、お前さんも。それはそうと、なかなか行けるクチのようだけど?」
ちなみに三点リーダーというのは、「…」の事である。図表中で項目同士をつなげるのに使われる事もある。
「ここに来るまでに、村人たちの手助けをしてきた時とかに礼としてもらった事が良くあったからな。飲む機会はそれなりにあったんだ。」
―もっとも、同じ人から再び礼を受け取ってきた事は、ここに来るまでは一度もなかったのだが。
「ふぅん。伊達に千年生きてきたわけじゃあないって事か。」
ちょうどその時、もうまもなく山の向こうに沈もうかという夕日が、いっそう強く妹紅たちを照らし出した。
「おっ、ちょうど良い頃合だ。妹紅、あっちを見てみなよ。」
小町が夕日のほうを指差す。
思わず、それを見た妹紅の息が飲み込まれる。
空が、燃えていた。
稜線の向こうに隠れ始めた夕日はいよいよ琥珀色の輝きを増し、照らすものを火酒の色に染め上げる。一日の終わりを告げるその光は、明日の始まりに向かうにつれて橙色から黄丹、照柿へと色を変え、一つの大きな炎を形作っていた。静かに波打つ湖水はその輝きを歪め、陽炎を映し出しているようだった。
妹紅の紅い瞳がその炎に吸い寄せられている間にも沈む猛火は色を変えていき、次第に赤みを増していく。光が徐々に小さくなるにつれ色相はより暗い色へと移り変わっていき、深い藍色が空に滲む。雲に遮られた光で炙り出される影と夜の帳の濃紺色が混じる、自然が織り成す墨流しは湖面の陽炎と合わさり神秘的な光景を作り出していた。
「……ぁ…」
橙色の光が一瞬だけ見せるその静かで雄大な光景に、妹紅は思わず感嘆の息を漏らす。太陽が完全に山の向こうに落ちて残り美を残すだけになっても、その目は山の端に釘付けになっていた。
「どうだった?あたいのオススメの珍百景の一つはさ。」
「…夕日って、こんなに綺麗なものだったんだな。今までに見た事が無いくらいだ。」
「そいつは上々。あんたを誘った甲斐があったってもんだよ。」
酒が回り始めてほんのりと紅く頬を染めた小町も、たいそう上機嫌なようだ。
「秋口の頃にも同じような景色が見れるんだけどね。あれもあれで風情があるんだが、なにぶん冷えるんであたいはこっちのほうが好きなのさ。」
残り火も薄れて藍色の夜の闇に染まって行く中、小町が静かに語りだす。
「嫌な事や悩み事があるお方に会ったときには、この時期ならあたいは必ずこの景色を見せてやるのさ。赤々と輝く夕日が山の向こうにくれて行くところをじっと見ていれば、大抵の場合はすっきりしていく。この景色を見れて良かった、この素敵な夕日を見るために生を受けてきた気がするって、顔が晴れたお方はみんな口をそろえてそう言うんだ。妹紅だって、まんざらじゃあなかっただろう?」
「…そう、なのかもな。腰を落ち着けて一つの景色をじっくり眺めるなんて、今まで考えた事もなかった。でも、それがこんなに美しいものだったとは…。」
意識せず妹紅の口から零れた答えは、素直な感激を表すものだった。それを聞いた小町が、にんまりと笑顔を作る。
「…ふぅん、お前さんもそんな顔ができるんだねぇ。」
「なっ、何だよ人の顔を見ていきなりニタニタし出して。」
慌てて取り繕おうとする妹紅だったが、先程までのその顔は小町には見せた事がないような、刺々しい雰囲気が一切抜け落ちた穏やかなものだった。
「そう照れなさんなって。ほら、さっきの顔をも一度見せておくれよ。その顔でいればもっと気楽に生きられるからさ。」
「んぁーっ、そういわれても無理だってば!っていうか、そういう変な所で懐っこくなるのはやめろっつてるだろーが。っんなこら、だからよせっつーの!」
再びずずずいっと近寄る小町を、顔に火がついた妹紅はしっしっと撥ね退ける。
「はっはっは、こりゃ失礼。あんまり騒ぐと舟がひっくり返っちまうしね。それより、ぼちぼち二次会としゃれ込もうか。」
「二次会?まだ何かあるというのか?」
辺りはすっかり暗くなり、天蓋には真砂をちりばめたように星が瞬き始めていた。
「そ、夕日の次の肴はこの星空さ。なぁんにも邪魔するものがない夜空を見上げながら、ただ黙って杯を乾かす。それだけで良いのさ。」
言いながら小町は瓶の中身をお互いのお猪口に半分ほど注ぎ、妹紅に渡す。
「ほら、軽く寝っ転がってみなよ。そのまま何も考えずに空を眺めてみるといいさ。」
言われたとおりに妹紅は船底に横になり、そのまま上を見上げる。瞳に映るのは、湖水より深く広がる透き通った群青の空と、大小さまざまな輝きを放つ星の数々、そして小さく浮かぶ月だけだった。
耳に聞こえるのは、遠くから聞こえる虫たちの合唱と、時折揺れる舟が立てる静かな水音、そして古ぼけた舟が軋む音のみ。目の前を飛ぶ虫も、天蓋を隠す薄雲も、ばら撒かれる弾の音も、何一つ見えず聞こえはしない、ただ静かな時間が流れて行く。
「…どうだい?」
閉じた箱庭の中のような空間に心を預けていた妹紅の耳に、静かで優しい声が聞こえる。
「ん…。良いもの…、かも知れないな。」
こういうゆったりとした時間を過ごすのも悪くはないのかもしれない、と妹紅は思った。
お猪口に付けた唇から、染込むように微熱が広がって行く。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
終った寺子屋の仕事を片付けながら、半獣の少女は考える。
彼女の選んだ道は、今更止めることなど出来はしない。もともとは普通の人間でしかなかった彼女は、彼女が定めた業を果たすために禁忌の道を選んだ。それを止めるということは、彼女が積み重ねた永い永い月日と想いを踏みにじる事に他ならない。少女に出来る事は、ただその行く先を見守る事だけなのだ。
それでも、と少女は思う。彼女が進む道は茨で埋め尽くされたものであり、たとえそれを最後まで歩き続けたところで、終着は空虚と後悔に満ちた底のない奈落でしかないと。そして、それを知っているからこそ、盲目的に突き進むその顔を張ってでも連れ戻したいと願う。だが、自らの能力で彼女の歴史を改竄してしまっては根本的な解決にはならず、何よりそれは自身の傲慢でしかないのだ。自らの過去を閉ざし続け、態度を頑なに変えない彼女に対しては、少女は何一つなす術を持たなかった。
故に、少女は絶望へと続く洞穴をただ見守り続け、ただ自らの中で祈り続ける。願わくは、彼女の進む道に救いあれ、と。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
耳を満たすのは、よりいっそう騒がしさを増した虫たちの声と、時折通り抜ける風の音、そしてそれに囁き声を上げる笹の葉のみ。一際広く開かれた竹林の中の空き地の中央に、妹紅はただ静かに座禅を組んでいた。
目を閉じ、自らの存在を自然の中に分散させると同時に意識は内へと閉じ込め、自らの精神を限りなく無防備にしてゆく。
その姿は一見すると、この竹林の中では余りにも無防備に思えるように見える。なぜならこの竹林こそはそこに住む妖精たちの格好の遊び場であり、同時にそこに赴く人間たちは妖精の悪戯の格好の標的である為である。自らの力を信じて疑わない妖精たちは、自分より力が弱いくせに生意気ぶる人間たちに一泡吹かせてやろうと、純粋かつ無邪気であるが故に、時には悪戯事では済まされないような悪事を働く事もあるのだ。
しかしこれこそが、妹紅の竹林で行う鍛錬の一つであった。自然の中に溶け込んだ不和に反応し仕掛けられた妖精の攻撃を、被弾する寸前で意識を汲み上げてかわし、反撃を叩き込み退散させる。無防備な状態であらゆる角度から叩き込まれる不意打ちを逆にいなす為に、妹紅が独自に編み出したものだ。
―要は、妹紅自身を寄せ餌とする妖精釣りである。
―さて、今日も竹林の違和感に感づいた妖精の一団が、好奇心のままに標的に近づいてきた。その数は三匹ほど。妹紅が先日撃退した光の三妖精ほどではないが、力も好奇心も並みの妖精より強く、里の人間たちから恐れられる困ったお転婆娘たちだった。
一匹の頭領を務めているらしい妖精が、迷い込んだ哀れなおもちゃの様子を物陰から窺う。反撃も警戒の意思も無い事を悟ると、好機とばかりに他の二匹を散開させる。三方から攻撃を集中させ、一気に仕留める作戦に出るようだ。恐れも威嚇も見せない獲物に若干の退屈を感じながらも、それを上回る悪戯の達成感を求め頭領の妖精は陣形を組んでゆく。彼女たちにとっては今日の獲物は、仕留め甲斐こそ無いが自らの好奇心の格好の餌食だった。
陣形を整えた妖精たちが力を溜め、頭領の合図で一斉に弾幕を解き放つ。純粋であるが故に美しい形も避けにくい弾道も持たず、しかし命中の意思だけは確かに持つ弾幕が、獲物を仕留めんと極彩色の渦となって妹紅に襲い掛かってゆく。
悪戯の成功を確信した妖精たちの顔が愉悦に変わる。がしかし、その確信は現実として訪れる事はなかった。着弾するその寸前、微動だにしなかった獲物の姿が忽然と姿を消したためだった。
何が起こったのかと慌てふためく妖精たちに、灼熱の風が吹き付ける。
それは、上からだった。
体のごく僅かな周囲まで閉ざされた意識が弾幕を察知した瞬間、妹紅は弾速をはるかに上回る電光石火の速さで意識を覚醒させ、溜め込んでいた力を炎として爆発させ、その推進で弾幕が張られていない上部へと飛翔したのだ。並の人間の目には、今しがた妖精が見たものと同じ光景が映るだろう。
数刻の後、荒れ狂う熱風でようやく獲物の気配が頭上に移動したと悟る。しかし時はすでに遅く、顔を上げた妖精たちの目前では喉を焦がすような熱気を放つ、紅蓮の炎を纏った三羽の頸の無い怪鳥が迫っていた。
なす術も無く猛火に飲み込まれ、自然へと回帰してゆく哀れな誘蛾達を見下ろしながら、妹紅はゆっくりと地上に降り立つ。研ぎ澄ましていた意識を落ち着け、ふぅ、と一つ、大きく息を吐き出す。
と、ぱちぱちと自らの手によるものでない拍手の音が聞こえた。
「いやぁ、これは驚いた。お前さん、人間とは思えん離れ業をやってのけるねぇ。」
忘れもしないあの暢気な声に、妹紅はまたか、と肩を落とした。
―意識を閉じており気がつかなかったとはいえ、いつから見られていたのだろうか。
「おい、そこのサボり覗き魔。お前、いつからそこにいたんだよ。というか、船頭のお前がこんな陸のど真ん中にいて良いものなのか?」
「ま、寄せ餌に釣られたかわいそうな子猫ちゃんたちが、お前さんを見つけた頃くらいからかな。」
にかっと笑顔を作ったと思えば、
「しっかし、覗き魔に陸の上の船頭とはひどい言われようじゃないかい。あたいだって、仕事とありゃあ陸の上にだってお迎えに行くさ。ほんと、相変わらずつっけんどんなお方だねぇ。」
また頬を膨らませて頭から煙を出しているような仕草をする小町。鍛錬のついでにこいつのひん曲がった根性を叩きなおしてやろうかとも思ったが、この心太のような精神を持った小生意気な女には通用しないと悟ったのでやめる事にした。
「でもこりゃいやはや、なんとも見事なものを拝ませてもらったよ。あたいの知るところだと、人間の身でやってのけるのは片手に収まるくらいさね。ところでそんな大げさな術は、どこで覚えてきたんだい?」
すねていたと思いきや今度は好奇心をたたえた子供のように尋ねてくる。よくもまぁころころと顔を変えられるものだ。
「…別にお前に教えるような事でもないだろ。大体この幻想郷じゃ、弾幕や妖術なぞ三度の飯のようなものだ。」
「そう言ってくれるなよまったくぅ。杯を交わした仲なんだし、小さな秘密の一つや二つを隠したがるなんてよそよそしいってもんだよ。」
全く、始めて会った時といい先日の湖畔でのことといい、この女の話術に乗せられてしまっている。
抵抗をあきらめた妹紅は、やれやれと言った感じで語りだした。
「――ここに来る前に妖術師とやらを騙る奴に会ったことがあってな。そいつにあらかた基礎のところは聞いたんだよ。そいつの術は基本はしっかりしてたんだが妖力がからっきしで、やってた術は中身のこもってないただの出鱈目だったんだが、私はそれに少し改良を加えて、この形にしているんだ。」
「なるほどねぇ、伊達に永く生きてるわけじゃないって事か。」
「ん、…一応死なない体であるとはいえ、身を守る事は必要だからな。ここに来てからは特にそうだ。妖精どもといいたまに出てくる妖怪といい、全く油断も隙もあったものじゃない。」
危うく自分の過去を話してしまいそうになり、妹紅はぐっと口を噤んだ。月の姫との決して絶つことのできない因縁など、ひっきりなしに世話を焼いてくる心配性の半獣はともかく、こいつに話してやる筋合いは無い。
そんなこちらの感情など微塵も解せず、死神は質問をまくし立てる。
「…でもそういうことは、要は護身術って事で身に付けたものなんだろう?にしちゃあ、大分攻撃的な術だねぇ。追っ払うどころか、逆に相手を食らっちまうようなさ。何かこだわりでもあるんかい?」
小町にとっては何気なく放ったであろうその言葉が、真っ直ぐに自分の核心を突くのを感じた。
この会話の流れは、まずい。頭の中で危険信号が次々と灯りだす。
拒否反応を示した口が、条件反射のように言葉を紡ぐ。
「…お前には関係ないことだ。」
「でもまぁ、あたいに言わせると、お前さんにしてはだいぶ感情がむき出しになってるような気がするんだよねぇ。気持ちを素直に出せないお前さんだからこそなのかもしれないけど…」
こちらの気分などお構いなしに、小町は考えをめぐらせ続ける。
…言えない。私が生きてきた意味など、他人の心に土足でずかずか入り込むこいつに知られる意義は無い。これは私が自ら課した、私だけの命題だ。
「………」
「…それにあの炎は、妖精達を追い払ったあとも残って、あいつらが死んだあとも燃え続けてた。あとに塵一つ残さないようなしつこさでさ。」
まだこちらの答えを引きずり出そうとしてくる。
―言うな。それ以上は私の領分だ。入ってくるんじゃないっ…。
「……。」
「……」
…やめろ。私の中を勝手に覗くなっ…!
「…れ。」
「…」
五月蝿い五月蝿い五月蝿い。黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れだまれ黙レだマれダマレダマレ!!!
「もしかしてお前さん、誰かを殺」
―――瞬間、劫と、空気が爆ぜた。
爆裂する怒気が、無粋な心の侵入者の口を轟音でかき消すのと。
「黙れええええええええええええぇえエエええェぇエっ!!!」
妹紅の怒号が竹林に響き渡るのはほぼ同時だった。
怨嗟の声と共に妹紅の手から放たれた拒絶の炎弾が、小町の頬を掠めて飛んで行く。喋り続ける死神のお下げの端を焼き落とし、彼女の頬に一筋の火傷の跡を残して瞬きの間に通り過ぎて行った灼熱は、しかし一瞬にしてその場の空気を氷点下まで凍らせた。
空気の流れが運動量を無視して静止した事を感づいた彼女の口からは、出かけた言葉がそのまま放り出された。最後まで意味を持たせられなかった一言が、二人の間で虚しく漂う。
音や傾きかけた日の光までもが凍りつく空寒い空間の中で、取り残された二人はただ視線を交わす。突然の威嚇にきょとんとする小町の瞳には、
「これ以上ッ、…私の、中に、入って、来るんじゃ、…ねェッ!…ブチ…、殺す、…ぞっ!!」
赤黒く渦巻く憎しみの炎を滾らせた、怒りに狂う妹紅の瞳が映っていた。
炎弾を放った妹紅の手は真っ直ぐ小町の眉間へと伸び、その指先にはやはり瞳に宿したものと同じ色の炎が灯っていた。威嚇ではない本物の殺気に、妹紅の顔が歪む。
「言わせて、おけばッ…、…勝手、に、他人の、…ッ心に、ズカズカ、入り込んで、…きやがってッ…!!」
小町に向けられた殺意の銃口は、感情を抑えられずカタカタと震えていた。
対する激情を向けられた本人は、炎が掠った瞬間こそ一瞬目を見開いたものの、至って平静な顔を妹紅に向けていた。ただいつもの飄々とした顔つきは消え、この場の空気を映し出した冷え切ったものになっていた。
身を刺すような敵意が渦巻く中、ただ逆巻き猛る煉獄の瞳と起伏の無い凪の瞳が交差する。
と、凍てついた空気を裂いて、それ以上に冷たく抑揚のない声が流れる。
「そう、その眼だよ。」
小町のその言葉は、妹紅が今まで耳にしなかった静かな声音だった。しかし、
「うるせぇッ!!」
炎の魔槍が、再び小町のすぐ脇を通り過ぎる。激昂した妹紅の耳には、もはや彼女の言葉は届いていなかった。
今度こそ小町は口を噤み、再び二人の間に沈黙が下りる。
刺々しい空気の中、復讐者が最後の警告と呪詛の言葉を口にする。
「…良いか。もう私に対して余計な詮索をするな。それだけじゃない。もう二度と、私の前にへらへらした面を下げて現れるな。苛立たしいんだよ、手前ぇの面構えも、下町気取りな言葉遣いも、下世話な性分もなッ…!」
対する死神は微動だにせず、能面を被ったまま妹紅の暴言を受け止め続ける。その態度がこちらを煽っているかのように余計に腹立たしく感じられ、逆上した妹紅は、
「…今の言葉を忘れるな。次に目を合わせたときは、お前の間抜けなその貌を焼き払ってやる!」
決別の言葉を一方的に叩きつけ、竹林の奥へと飛び去っていった。
小町の視界から妹紅が完全に消え去ったときには、辺り一面にはすっかり斜陽が指していた。だだっ広い焼け野原を通り抜ける風は、どこか薄ら寒い空気を漂わせる。いつの間にか、あれだけ静かだった竹林にはいつもよりけたたましい虫の声が木霊していた。
冷徹な空気の名残が漂う広場の中心で、死神からひとつ、溜息が漏れた。竹林は、以前と変わらぬ静寂を取り戻しつつある。
ふと、先ほど炎が通り過ぎていった方へと振り返る。行き場を失った炎弾はその先にある一本の竹へと命中し、直撃を受けたそれは抑えきれない憎悪の熱に飲み込まれ、ぱちぱちと草木が爆ぜる音を立てていた。
「やれやれ…、この後始末はいったい誰がするんだかねぇ。」
小町の口から漏れたその言葉には、自分でやるという意思はない。代わりに彼女はおもむろに懐から煙管を取り出し、その口を燃え上がるたき火へと近づけた。
「ほんっと、妙なところでお堅いんだから、あの娘も…」
火は他の竹に燃え移り始め、いよいよ火事の様相を成して行く。立ち上る煙の中、新たに一筋のか細い糸のような煙が加わった。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
「ちょいとー、そこのお人~!」
小町の耳に、こちらに駆け寄ってくる足音と職務質問の声が唐突に響く。横目で振り向いた小町の目線の先にいるのは、
「はっ、はっ、はぁ…。―んもぅー、何してるのさ~、こんな所で。何、もしかして死にたがりな訳ぇ?」
小町の背丈の胸元ほども無い、桃色の服に人参を模した首飾を下げた妖怪兎だった。全速力で走ってきたのだろうか、肩で大きく息をつく。
「あー、そう見えちまうかい?あたいとしてはまっぴら御免なんだけど、…確かにこれじゃあそう見えちまっても仕方ないかねぇ。」
…兎が勘違いするのも無理はない。小町がのんびりと煙管を燻らせているその場所は、夕暮れ時の日光をも覆い尽くすほどの炎の壁に包まれているのだから。そして、
「全くぅ、そんな事言ってるんだったら、さっさとここから――ってうわぁっ!?」
――めりめりめり、ずしん。
今や広場は燃えてゆく竹が次々と倒れこみ、激しく火の粉を巻き上げてゆく、地上の煉獄になりつつあった。それを見て、ようやく小町の口から煙管が離れる。
「うゎっちちちち…。こりゃもう飛んで逃げるしかないかなぁ…。ほら、誰とも知らないそこのお人!私だって炙られるのも煤で汚れるのも嫌なんだから、早く、」
さっさと逃げ出そうとせがむように服を引っ張る兎の腕を、ぱしっ、と、少々いかつい手が掴んだ。
「んな、っちょ、一体何を―。」
「まぁまぁ落ち着きなって。―んじゃあ、さっさとここからとんずらするとしますかね。」
―――ぐにゃり。
二人に向かって次々と雪崩れ込んでくる炎波の前で、因幡の素兎の視界が紫光に歪んだ。
「…、あり?ここは―。」
眩暈を起こさせるような濁った光が消えた時、彼女はいつの間にか人里の入り口で突っ立っていた。顔を向けた先には、竹林が火事だー、とのたまいながら里の男達を扇動する小町の姿。その声に釣られ、纏や水鉄砲などを担いだがたいの良い男達が次々に竹林へと走ってゆく
「―、ふぅ。ま、これくらい煽っておきゃあ何とかなるだろうね。」
「あんたが自分で行くっていう考えは無いのかい…。」
「なっはっは、いやだってめんどくさいじゃん?お駄賃が出るってんなら別だけど、業務と興味のどっちにも掠らない仕事なんて、やってもしょうがないしさ。」
「…はぁ、いくら私でもそこまで薄情にはなれないわさ。」
身勝手で狡賢さに定評の有るこの兎だったが、こればかりは流石に嘆息してしまった。いくら自由気侭に動き回る彼女でもここまで物臭ではないと断言できる自信は有る。対する怠け者の死神は、手厳しいねぇ、と懲りる様子も無く頭を掻くだけだった。
「まぁいっか…。ところでさぁ、あんたはあの火事の元凶とかは見たりしてないの?」
溜息を一つ置いて話題を変えた兎を、んぅ?、と小町が見下ろす。きょとん、と言う文字が浮かんできそうな顔の小町に対し、彼女はさらに質問を続けた。
「いやぁほら、あんなに強い火の中でのほほんとしてるぐらいだから、火を放った奴について何か知ってるんじゃないかって思ってさ。―まぁ、あんたは違うと思ってるけど。」
「さっすが嬢ちゃん、話が分るねぇ。勿論、あたいじゃあないよ。」
にんまりと頷く小町に対し、誉めてないんだけど、とむくれる妖怪兎。
「―で?犯人に心当たりがあるなら教えておくれよ。それが本当だったらあんたにちょっと幸運を分けてやっても良いし、人ん家の庭で騒ぎを起こした馬鹿をとっちめられるし、お互いに気分の良い取引だと思うんだけど。」
「ん~…、それが、…まぁ、お前さんに教えていいのかどうか悩むんだけどねぇ…。」
竹林に住むその者の名を口にして良いものか逡巡する小町に対し、
「…教えてくれないんだったら、あんたを犯人と言う事にしておくけど?庭の主からの罰として、その物臭性分をネタに一生分いびってやってもいいんだわさ?」
迷いの竹林の最大の理解者こと因幡てゐの、屈託無い笑顔の封筒に入った脅迫状が突きつけられる。
「わぁったわぁった、それだけは勘弁しておくれよ。…妹紅だよ、藤原妹紅。」
「―――妹紅、…だって?」
その名を耳にしたとき、一瞬、てゐの空気が凍りついた。
「…?知ってるのかい、妹紅の事。」
「―――ああ、よぉく知ってるともさ。引越しのご近所回りにと家を焼かれちゃあ、忘れるほうが無理だってモノよ。」
お世辞にも気前良くとは言えない面持ちで、出会い頭を語るてゐ。
「…、お前さんさえ良ければ、その辺りをもうちょっと詳しく教えてくれんかね?」
「―ふん、まぁ、いっか。あまり思い出したくない事だけど、もうあの件に関してあたしは村人A同然だしね―――。」
毒々しい水銀の光と、濃紺と漆黒の渦巻く闇が天蓋を覆い始めていた。
その真下では、暮れ損ねた小さな夕日の残り火が未だ明々と燃え続ける。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
月が、満ちようとしていた。
蓬莱山輝夜が立つその部屋は、永遠亭の中でも最奥に位置する、本人とその従者である八意永琳のみが入る事を許される、住人にとって禁忌の部屋だった。もっとも、従者もその部屋に入るのは中を清掃するときのみ、それも一月に一度有るか無いかの程だったので、実質的にこの部屋を目的を持って使うのは輝夜だけだった。
部屋の障子からは月光が射しているため外につながっている事が伺えるが、庭の空間もそこだけ完全に塀で遮断され、上から覗かない限り中の様子は窺い知れなかった。部屋の中も鍵だけではなく輝夜本人の能力による封印と壁一面に施された防音処理により外界とは隔離されており、中の様子を垣間見るには障子の外から僅かにもれ出る物音を聞き取る以外にはなかった。
部屋の存在が異質なら、部屋の中もまた異質であった。屋敷にあるものの中でもっとも高級な畳が敷いてあり、内部の装丁も平安の貴族の屋敷を思わせる立派なものであったが、部屋の主の人格を疑うほどに荒れに荒れていた。
―袈裟に一息に引き裂かれ、寝床を惜しげもなく曝しだす蚊帳。
―台座の周りにきらめく塵となって広がる、装飾品の残骸の数々。
―幾筋も壁に刻まれた、鋭利な剣尖によると思われる切創や列創、刺創の痕跡。
―飛び散った装飾品の破片が突き刺さり、ささくれ立つ畳。
永遠と言う名の飾られた牢獄の中でも一際異彩を放つその部屋の中で、その主は壁に立てかけられた大きな鏡を見つめる。幽鬼のように立ち尽くす彼女の表情は、月明かりに照らされながらも濃密な逆光の影に覆われ、詳しく窺い知る事はできない。
不意に、輝夜が手に持っていたものを自らの前に掲げる。それは胸の高さ程までの長さを持つ、きらびやかに装飾された薙刀であった。灰色の月光の中に目を凝らすと、その部屋の中にはそれと同じものがいくつもいくつも散乱しており、それらはどれもからからに乾燥しこびり付いた赤黒い血に塗れていた。彼女を映し出す鏡も、一枚や二枚ではない。乱雑に、しかしそれら全てがその中心を四方八方から曝け出すように置かれたそれらは、その殆どが照明の無い部屋の闇をそのまま映し出していた。
部屋に聞こえるのは、彼女の静かな息遣いのみ。何度目かの吐息が漏れた時、入射する月光が、生気の無いその顔を照らし出す。と、
ばりばりばり、がしゃん。
盛大に、耳を劈く衝撃音が、部屋に鳴り響いた。
「…そろそろ、月が満ちる夜だったわね…。」
部屋の外では、その前を通りかかった薬師が一人ごちていた。
防音の処置が施された部屋ではあったが、しかし主の立てる騒々しい物音はそれでも防ぎきれずに、微かながら外に漏れ出ていた。それを彼女は主を止めに入るでもなく、また住人に異常を知らせに駆け出すでもなく、ただ静かに聞き止めていた。
いくつもの磁器が砕ける音。それに続いて一つの口から紡がれる、命乞い、怒気、戸惑い、そして狂喜じみた高笑い。更に続いて、ぞぶりという有機物を貫く鈍い音と、びちゃびちゃと言う汚い水音。
やがてそれらの音が不意にぴたりと止んでしまうと、間もなくして、かちり、と部屋の施錠が解かれる音がした。
「行って来るわ。湯上り後の用意をしておいて。」
口元を覆わんばかりの有機的な鉄の臭いが開け放たれ、中から輝夜が姿を現す。おぼつかない足取りで廊下の奥の暗闇へと歩き去る彼女の背中からは、夥しい量の赤黒い生命の源と、微かな空気が漏れ出ている。
凄惨な傷を負っているとは思えないほど平然と外出の用意を命ずる彼女の貌は、暗く固い笑みに歪んでいた。
屋敷の兎達なら卒倒してしまいそうな光景を目の前にしながら、
「かしこまりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
従者は静かに言葉を返した。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
「難題『龍の頸の玉』」
「がァうっ!?」
目も眩むような五行の波に紛れ、光の槍の壁が妹紅へと迫る。光弾に気を取られていた妹紅の神経に、両腕から刺傷の感覚が走った。
左右の腕に一つずつだった刺し穿つ痛みは、見る間に全身へと拡散していく。二本の光槍で空中に縫いとめられ身動きが取れない妹紅に、第二、第三の殺意の雨が降り注ぐ。無造作な弾の奔流に捕らわれた体を殴りつけられ、さらにその奥からの光源色の刺突の波にさらされ、妹紅の体は一瞬のうちにして満身創痍となった。
「ぐはっ、…あぁガッ!!」
ごぷり、と妹紅の口からてらてらと光る赤黒い血の塊が吐き出される。大量の失血により靄のかかり始めた思考は絶え間ない痛覚の波に侵蝕され、戦意や敵意はもはやごっそりと抜け落ちていた。
防衛本能に紅く染まる視界の片隅に、
「…つまらない人。」
ふと、紅く揺らめくスカートの裾が映った。
「今回は一枚目のスペルカードで根を上げてしまうなんて。どこまで堕落していくのかしらね、貴女は。」
こちらを見下ろす声は、酷くのっぺりとしており、感情は読み取れない。普段の妹紅ならそれがこの上ない失望の現れであると感じ激憤するのだろうが、今日の妹紅はただ頸をたれるだけだった。
「………」
…何故。
視界にかかった靄が次第に紅い闇に変わって行く中、妹紅はふと自問する。
…どこまで堕落して行くのかしらね。
…何故、堕落した。
頭上からの輝夜の声が反響する。抑揚の無い罵倒がより思考を鈍化させ、痛覚へ、自問へと、妹紅の思考を更に狭めてゆく。
果ての無い水中に取り残されたような頭で、水泡のような情景の断片を眺める。
―兎や妖精たちが跋扈する竹林にひっそりと佇む屋敷。
―半白沢の少女との邂逅。そこから始まった数々の里の人間達との接触。
―そして、
「千年を生きた貴女の力とやらもこの程度のものなのね。本当、死ぬ事が無いだけに余計に鬱陶しくて仕方ない人だこと。」
一際大きく、鮮烈に光を浴びるあぶくの中に映るのは。
………赤黒く染まった檻の中で、高笑いをあげ続ける黒髪の少女と、
二つの紅いおさげに、にやけた、
―――ごきゃっ。
全身の痛覚が頭を包み込むような圧力に変わるや否や、妹紅の思考はそれでふっつりと途切れた。
妹紅を戒めていたいくつもの楔が虚空へ掻き消え、支えを失った身体が力なく垂れ下がる。
「こんなのが月の民たるこの私に父親の仇討ちだなんて、てんで笑わせてくれるわ。せめて、此度のその死に際だけは愉しませて欲しいわね。」
桃色の裾から伸びる腕が、白髪を鷲掴みにする。そのまま輝夜は腕に力を込め、呆気なく、妹紅の頭蓋を握り潰した。
皮膚の内側が砕ける嫌な音と共に、彼女の顔の孔と言う孔から彼女だったものが噴出す。つぶつぶと粘ついた液体が、上品な衣を荒々しい赤色の装飾で塗りたくってゆく。その様を、輝夜は水晶玉の向こう側を傍観するような顔で見つめていた。
と、
「へぇ、実に見事で味気ない弾幕じゃないかい。確実に相手を仕留める弾道を持ちながら、その実弾に殺意が込められていないとは。」
事の顛末を静観していた声の主が、ようやく口を開いた。輝夜は気だるげに黒髪を翻らせ、その声へと返答する。
「私達の無意味な殺し合いを覗き見するとは、また物好きな女がいたものね。加勢するのでしたらお相手いたしましたし、悪戯に茶々を入れるようでしたら竹炭の代わりにでもして差し上げようかと思っていましたのに。」
「あっはっは、こりゃ参った参った。最初っからあたいの事は無視してくれていたわけだ。お陰で月見のついでに手合いを拝ませてもらえたけど、愛想のよろしくないお方だねぇ。せめて名前とかおもてなしの一言ぐらいはくれてもいいじゃないかい。」
竹薮の影から下駄の音と共に、声の主が姿を現す。陽気な声に違わず、その顔はこの凄惨な風景を目の当たりにしながら、腑抜けの様なにやけた笑いを含んでいた。
「他人の個人的事情を垣間見て愉しむ悪趣味な人などに自ら進んで声をかけるほど、私は落ちぶれてはおりませんので。まぁ、そちらから掛けられた声ですし、口だけは合わせて差し上げますが。―それで、どのようなご用件かしら、下っ端の死神さん?」
対する輝夜のあくまで静かな抑揚のない言語の羅列に、手厳しいねぇ、と小町は手を頭の後ろで組んだまま苦笑を漏らす。そのまま月光の下へ進み出て、青白い光が完全に彼女の姿を捉える所で立ち止まると、一呼吸の後に小町が語り始めた。
「いやね、最近こちらに移り住んできたって言う死なない人間達が、竹林の奥でなにやら物騒な事をやらかしてるって聞いたもんでね。興味があったもんで仕事のついでに見物させてもらおうと思ってさ。ついでに、」
ふと、そこで小町が頭の後ろで組んでいた手を解く。先ほどから切っ先を覗かせていた右手に携えた大鎌が白銀のきらめきを暴露させ、
「―――何をしても死なないお前さんたちの首を取る事もできれば、死神冥利に尽きる事は無いと思って、ね。」
だらしなく垂れていた朱色の双眸が、極上の獲物を嗅ぎ付けた獣の色を帯びる。人間の形をした理性の仮面を剥ぎ取れば、その下では昂奮と渇望に舌と涎が浅ましく垂れているかの様に。
対する不死の姫の貌はますます平坦になって行き、それに反してその瞳はより強く侮蔑に細まっていった。再びの戦闘を察知した二人の間で、過冷却された敵意の白煙が漂い出す。
「―――ふん、呆れた。ヒトカタの死を蒐集する卑しい存在は数有れど、神と言う字を冠しながらここまで下賎なモノを見たのは、貴女が始めてよ。」
呟きに合わせて、輝夜の右腕に収まっていた枝がゆっくりと鎌首を上げてゆく。枝の先に付いた七色の珠の輝きを見て、小町はそれが意味するところを理解した。
「…良いわ。先程の小競り合いにもこれが弱すぎて退屈していたところですし、相手をして差し上げます。その大きな口上に違わぬ程度の力は見せて頂きたいわね。」
言いながら、輝夜は左手の力を緩める。その手に握っていたモノはそのまま落下し、地面に落ちたところで、べちゃり、と嫌な音を立てた。
小町はそれに目もくれず、ただ彼女が持つ珠の高貴で妖しげな煌きに、ほう、と感嘆の声を漏らす。
「…なるほど、蓬莱の珠の枝か。無垢の権化にして権力の象徴をお目にかかれるとは、あたいもなかなか捨てたもんじゃあないみたいだ―」
死神の言葉の最後は、彼女の姿と共に掻き消えていた。同時に、小銭の形を模した弾幕が、月の姫へと襲い掛かる。
扇状にばらまかれた小さな円盤の群れが、月光に鈍く照らされながら輝夜へと迫る。放たれた弾はしかし、妹紅のスペルカードに比べれば数量、密度、弾速のいずれも二周り以上劣ったものだった。
牽制弾である事をすぐに察知した輝夜は、しかし敢えて本気を見せ付けて足蹴にやるのも悪くないと考えを変え、右手の枝に力を込めて、自らのカード名を告げた。
「難題『龍の頸の玉』」
直後、瞬時にして輝夜の周りに光源色の海が出現する。先刻妹紅の体を嬲ったものと同じ形の弾と槍が、二層の球状に展開された。
相反する指向を持った二つの弾幕が接触する。小銭の弾幕は光弾に触れた瞬間、相手が持つ魔力に耐え切れず、あっけなく弾道を鉛直方向へ逸らされる。ばらばらと、いくつもの円盤が地表に落ちて行く音が聞こえた。
「ほほう、お姫様のような振舞いをしておきながら、結構力押しで攻めてくる弾幕じゃないかい。ギャップ萌えっていうんだっけ、こう言うの?うん、結構結構!」
「冗談。圧倒的制圧を以って優雅に勝負を決める事こそが姫たる私の義務だと心得ております故、貴女のような不届き者に対して、鼠のように忙しく動く道理も無いという事です。」
右後方からの陽気な声に対して、輝夜は目線だけを向けながら返答する。そして、姫の自称に相応しい風のように優雅な仕草でそちらに振り向くと、時計回りに動いた小町の軌道にそって三原色の槍衾を展開する。光弾の輝きによって視界がやや阻まれているものの、やはりそちらからも小銭の弾幕が展開されているようで、相手の本体に被弾した感覚は無いものの、じゃらじゃらという安い撃墜音が聞こえる。
と。
「いやぁ、ここまでごり押しで攻められると清々してくるもんだねぇ。まるで絨毯爆撃機って感じかね。
―じゃぁ、あたいはその操縦士の懐に忍び込み、首を手折る暗殺者って所かな!」
輝夜の視線の先から聞こえる小町の声に、肉の味に飢え牙を剥いた野犬のような響きが混じった。と同時に、輝夜の背後の気配が不穏なざわめきを帯び、知らず攻勢に沸いていた空気が冷却される。
「っ!?」
咄嗟に振り向いた先は、小町が最初に立っていた場所だった。ちょうど輝夜が放った弾幕が薄くなったその瞬間、そこにあらかじめ撒かれていたであろう小銭弾が、風切る音を立てながら一直線に輝夜の顔面に向けて放たれていた。
「くっ!」
顔面、それも眼に向かっていた凶弾を、辛くも首を捻って回避する。不意を疲れた攻撃と、まだ微かに残る気配のざわめきに少々肝を冷やした輝夜は、
「このッ…。女性の貌を損なう軌道で弾を放つとは、己が矮小さを恥じなさい!」
若干声音を荒げて奇襲を詰った。もう一度枝に魔力を込め、より満遍なく球状に槍衾を展開する。しかし、やはり着弾の手ごたえは無く、代わりに、
「おおっと、これは失礼。しかし、『弾幕の外にいるあたい』ばかりを気にかけている場合かなッ、と…!」
喉笛に獣の息を大口で吹きかけられたような声音に加え、今度は輝夜全体を包み込むように気配のざわめきが広がり、周囲の体感温度が一気に零下した。
被弾の危機を察知し周囲に警戒をめぐらせると、視界一面に半透明の尾ひれが付いたような球が浮かんでいた。それらからは微かではあるが、犬の遠吠えを極端に低くしたような不気味な奇声が発せられており、輝夜の頭で不規則に反響する。その有機的な不協和音を以って、輝夜は何が起きているのかを唐突に察した。
(これは…っ!)
然り、小町が最初に仕掛けておいたのは時間差で輝夜を直撃する小銭弾だけではなく、それに乗せられた幽霊たちだった。不死の存在である輝夜にとって幽霊や亡霊といった死の側の存在からの直接的な攻撃は無力に等しいが、それもかの死神は予測している事だろう。
―そこまで思考が回転した時、輝夜は次のスペルカードを手に取っていた。
弾に乗せていた幽霊達が輝夜を取り囲んだ頃合を見計らい、
「破ッ!」
小町はそれらに「爆散」の指示を送った。その合図がかけられるや否や、幽霊達はその命令を待っていたかのように膨れ上がり、その内にこもった邪念を衝撃波に変え、斃すべき不死の姫へとその衝動を解き放った。
カッ、と月光に似た輝きが球状に炸裂し、その中にいる輝夜へと衝撃を伴った爆風が迫る。外界へ漏れ出た余韻は爆心地から離れた所にいた小町のもとへも吹きつけ、前髪を軽く吹き上げていった。
逃げられたような痕跡も無く、手応えはあった。その中心の様子を注意深く窺う。
霧散して行く光源色の球と槍の壁。薄れてゆく爆散の跡。
その奥から。
「幽霊如きではどうにもならない事は分っていたけど、まさか攻撃のための生贄にするとはね…。ほんっと、どこまで見下げ果てた人なのかしら、貴女は。」
敬体をかなぐり捨てた、薄情な輝夜の声が聞こえた。
爆心から現れ出でた輝夜は顔や手に少々のかすり傷を追っているものの、元の衣服は破れ目一つ付いてはいなかった。代わりに彼女がその上から身に纏っているのは、白銀よりも白く煌く弾幕で織られた羽衣であった。
その瞼に焼付くほどの輝きが、死神にこの不死の娘の名を悟らせる。
「龍の顎の玉に火鼠の皮衣か…。天上人に地の底の住人とは、こりゃとことん巡り合せが悪いみたいだねぇ。」
こりゃたまげたと言わんばかりに、ボリボリと頭を掻く小町。対して、死神を頭上から俯瞰する天上人からは、
「今更気づいたところで無駄な事。人を裁くとは言え所詮は貴女達も地の底で蠢く存在。穢れの大地の側にある貴女が、曇りなき側の者である私に敵うと思って?」
自身の敗北の一切を打ち消す、抑揚のない宣告が下される。同時に枝を振り下ろすと、羽衣のより糸がほつれ、拘束の無くなった光弾がその反動を以ってはじける様に四散する。更にほつれたより糸はそれ同士が絡まりあい、幾多の光の矢となって光弾の合間を縫うように放たれた。
拘束によって運動量を限界まで溜め込まれたそれらは、解き放たれる事を待っていたかのように仕留めるべき相手へと吸い寄せられてゆく。それらの速度は、着弾の後にようやく拘束解除の炸裂音が届く程度のものであった。
瞬く間に押し寄せる光の奔流が、円形の軌道を持ってそれまで漫然と頭を掻いていた死神のいた場所を埋め尽くしてゆく。大地はそれの持つ運動量を凌ぎきれず飛礫となって舞い上がり、後には蹴鞠大の孔がいくつも残される。
二枚目のスペルカードを使い切った輝夜は、抉られ、蹂躙されてゆく哀れな大地を見据える。そこには、弾と共に竹林の遥か彼方まで吹き飛んでゆくか、あるいはその威力に耐えられず肉体を欠損させた死神が、
…そのどちらも、いなかった。
代わりに、その少し後方から、
「成程ねぇ、その理屈じゃあ、あたいがお前さんに勝てないってのは道理だ。しかし、こうは考えられないかい?たとえお前さん自身に穢れは無くとも、穢れに塗れた大地に降り立った時点でお前さんは穢れという物事の綻びに触れている、とは。例えば今みたいに、羽衣で隠しきれなかったお前さんの顔の部分程度の弾幕の綻びを見つけて、そこに飛び込まれる、とかねぇ。」
相変わらず飄々とした態度を崩さない、傷一つ負っていない死神が歩み出た。それを見た輝夜の目に、僅かに懐疑と屈辱と逆上の気が点る。
「…朱に交われば紅くなる、か…。忌々しい意味で思い出すとは思わなかったわ。」
憎々しげに呟く輝夜の言葉に、小町は得意げににやけ顔で返す。そのこちらの激情を逆撫でするような顔を見ながら、輝夜は先程の光速の弾幕を余裕綽々と交わされた理由について思考した。
―確かに小町の言ったように、僅かな弾幕の隙間に飛び込まれたのは事実だろう。しかし、かと言って音をも置き去って迫る弾を簡単に見切れるものだろうか。
よくよく振り返ってみれば、顔を狙って放たれた小銭弾にも小さな違和感を覚える。あれは牽制弾を超える速さで放たれたものではなく、「背後にいきなり出現し、そこから放たれた」物だとしたら―。
そこまで推測した後、輝夜は三枚目のスペルカードの使用を宣言した。
「…お遊戯はここまでよ。あなたの攻め方の種も大体分った事だし、これで引導を渡してあげる。」
「神宝『ライフスプリングインフィニティ』」
輝夜がスペルカードの宣言をした時、枝の宝珠から無数の光糸が展開された。直線状に、そして同心円状に拡がるそれは互いに交わりあって幾多の格子を形成していた。真上から見たならば、自転車の車輪を連想させられる事だろう。
小さな格子による無数の結界は刹那の内に二人の対峙していた空間を埋め尽くし、小町が立っていた場所も一瞬にして光の牢獄に飲み込まれた。
「さあ、大人しく死の淵へと帰ることね!」
同心円の中心に形成された一際大きな空間から結界の十分な拡散を確認した輝夜は、数にして四桁にもなろう程の赤弾を無造作に展開する。徒にばら撒かれた弾はしかし、光糸の壁をまるで存在しないかのようにぬるりと突きぬけ、結界の中でひとしきり暴れた後、更に次の結界の内部へと向けて飛んでゆく。
隙間を見つけて瞬間的に移動するのならば、それよりも先に隙間の無い空間に閉じ込めて蹂躙する。これが輝夜の選択であった。
仮に内部空間の大きい結界の中に飛び込み、その中で弾を交わし続けていたとしても、無造作に放たれ、時に隙間の無い壁となる桁違いの数の暴力を交わし続けることは出来まい。そう考えた輝夜は人ひとりを打ち倒すには過剰とも言えるほどの弾をばら撒き続け、
「ああ、無理無理。その方法じゃあ、『距離を操る程度の』あたいは捕まらないよ。」
自らの戦略の前提が間違っていた事を思い知らされた。
その声は、左前方からだった。
ぎょっとしてそちらを見ると、先程小町が立っていたところから輝夜のいる同心円模様の先端まで、赤紫色の細長い空間が伸びているのが見えた。それが伸びているところでは、結界の壁にぽっかりと人一人が通れるくらいの穴が空いていた。
更に、眼前にはこちらに向かって突進してくる、再びの好機に歓喜した、結界の虜となるはずだったモノ。
その腕からは、漆黒と白銀の二層に分かれた一閃の煌きが長く円弧を描いて伸び、文字通り死神の如く、流れる黒髪をたたえた喉笛へと迫っていた。
―小町の振りかぶった大鎌の一振りが、輝夜の首めがけて疾走する。殺意は無くとも、そこにあるだけで死を告げる斬撃は、間一髪で身をかがめて回避され、あえなく虚空を切った。慣性に置き去りにされた黒髪が、鎌に触れられて宙を舞う。
黒髪の端を犠牲にすることで急降下して一閃を回避した輝夜が、狼狽の色を浮かべた目でこちらを見つめる。時間の経過と共に消失してゆく光糸の結界に合わせて次のカードに手をかけるより先に、すでに発動している小町のスペルカードの名前が、赤紫色に怪しく輝き始める振りかぶりの構えと共に告げられる。
「死符『死者選別の鎌』」
鎌を持った右腕が頂点まで振り上げられるのと同時に、二人がちょうど入るくらいの、鎌が宿すのと同じ赤紫の光を帯びる空間が、輝夜の足元から天を目指すように這い出し、あっという間に二人を飲み込んだ。
本能の鳴らす警鐘に突き動かされ制動を取ろうとする輝夜だったが、どういう訳か着地したその場所から全く動く事ができない。反する小町は空間に飛び込んだ直後、一気に加速度を増して輝夜へと詰め寄り、空いている左手を伸ばして、そのまま彼女の首を鷲掴みに捉えた。
かは、と輝夜の口から苦悶の吐息が漏れる。
首を捕らえた小町はそのまま輝夜を押し倒し、自らもその上に馬乗りになる。右腕は鎌を振り上げたままで、いつ黒髪の美貌が両断されてもおかしくない状況だった。
「っく、かは…、なる、ほど…。どうやら、あなたの能力を、私は、読み誤って、いたようね…。」
首を絞められてろくな呼吸も出来ない状態で、月の姫はその美貌を苦悶に歪めていた。対する死神は、相変わらず飄々とした調子で告げる。
「一つ種明かしをしてやるとね、あたいの能力は『距離を操る程度の能力』なのさ。どんなに相手との距離が近かろうが遠かろうが、あたいにとってそれは久遠であり、鼻先のもの。さっきの光の檻のカラクリも同じことだよ。このスペルカードで穿たれた空間は、『到達できないほどの距離』で隔てられていた、って寸法さ。」
「へぇ…。じゃぁ、あの顔に向けられた貴女の弾も、さっき私がここから動けなかったのも、同じ原理、ってことかしら…?」
「さっすが姫様、飲込みが早いねぇ。弾を避けてたのも同じ理屈さね。」
にかっ、と小町が屈託の無い顔で笑う。その右腕には、笑顔に似ても似つかない、凶相をたたえた大鎌。
「―さて、そろそろその首を頂いてみる事にするよ。何分あたいも見惚れちまいそうな綺麗な顔だから、切るにはすごく惜し」
小町の言葉は、その眼前から一瞬にして消失した輝夜の姿と共に、背後から生まれた鈍い衝撃に掻き消された。
鎌を振り上げた格好のまま、小町の体が前のめりに傾く。背後から生まれた激しい衝撃に七、八間ほど吹き飛ばされ、数度地面に転がされた。
何が起きたか理解できない頭に、地面の視覚が飛び込んでくる。その直後、大きな平たいもので殴打されたような痛覚が全身を駆け巡った。地面に叩きつけられたという事は何とか理解できても、鈍痛に軋む体を制御できず、無様に地表に伸される格好となった。
ざらついた砂が流れる意識の中、背後から咳交じりの澄んだ声が聞こえる。
「折角貴女からわざわざ能力を教えていただいたんですもの、けほけほっ、私も能力をお披露目しないと、けほっ、いけませんわね…、っはぁ。」
平静を取り戻したのか、声音は敬体に戻っていた。
「私の能力は『永遠と須臾を操る程度の能力』。私の周りに流れる時間を無限に引き延ばしたり、無数の刹那を寄せ集めたりすることができますの。貴女の物理的な久遠や刹那など、私の前では取るに足りませんわ。」
輝夜は追撃の手を向けることなく、勝敗の決着を告げるようにとつとつと語りかける。
「ですが、この地に流れ着いてからというもの、弾幕勝負でここまで私の血を猛らせたのは貴女で三人目よ。『金閣寺の一枚天井』を抜かせたことを誇りに思いなさいな。安心なさい、「板の角」でぶつけてはいませんから。」
そこまで語られたところで、ようやく小町の意識が清涼を取り戻す。しかし、彼女の予想外に重い不意打ちを受けた体は、とても満足に動かす事はできなかった。
「っ痛てててて~…。なんっつーか、あかいあくまのメイドとやらとそっくりな能力だことで。おまけに、こんな大玉をまだ持っていたとは…。―おかげで、もう満足に戦えそうも無いねぇ、ってあいったたたた…。」
言いながら、鎌を杖代わりに千鳥のような足取りでよろよろと立ち上がる。その目からは、
「おや、まだ立ち上がるとは本当にしぶといお方。もう一枚ほど天井をお見舞いして差し上げましょうか?」
「おいおい、勘弁しておくれよ、もう…。今回はあたいの負けで良いさね。」
それまで見せていた獣じみた眼光は消えうせ、最初の腑抜けたようなものに戻っていた。
「でもまぁ、なかなか良い機会を愉しませてもらったよ。それに、本当にしたかったことも出来たしね。」
「…?それはどういう、」
小町の口から出た唐突の意味深な言葉に、輝夜は疑問を返そうとする。しかしそれを言い終わらないうちに、
「それじゃあね、月の姫様。素敵で退屈な、良き蓬莱ライフを。」
背中を向けた小町の姿は、いつの間にか竹薮の闇に掻き消えていた。
竹林の中で一際開けた広場の中、天元を通り過ぎてゆく月に照らされたまま、独り残された少女が佇む。辺りを包むのは、笹の葉が夜風にそよぐ音と、雑多な虫達の合唱と、嵐が過ぎ去った後の不自然に静まった空気のみ。珍妙な赤い乱入者も、頭を潰された紅白の少女の死体も、すでに存在していなかった。
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外出から帰ってきた屋敷の主人を迎えながら、旧き世を生きた鵜鷺は考える。
姫は不死であり、それ故に殴ろうが切ろうが焼こうが生命には全く関係ない。
ところがそんな姫に突っかかるあの白髪の娘も、やはり不死なのだ。
すなわち、争う理由も価値も、そこには存在しない。ならば、何故に螺子の壊れたカラクリ人形のような、この道化芝居を続けるのだろうか。掛ける物が最初から無いのなら、永遠の中で汚点にもならずに埋もれてゆく程度の小競り合いに勝った所で、得るものなど何一つ無いというのに。
それに、螺子の壊れたカラクリ人形はその構造を逸した稼動をするに伴い、構成する部品がいずれ欠けてゆき、結果として機構全体を破損させる。恐らく、姫の精神のカラクリは、一番奥底の部品がすでに暴かれ、いずれ誰にも気付かれないところで壊れてしまうのだろう。
そんな愚かしい行為が成す利点は、姫も彼女も知らない。
そして、その暴かれた歯車の孔に完全な形で収まる代理品もまた、彼女は知らない。
故に、同じく悠久の時を過ごした彼女はただ呆れ続け、主の困った悪癖に溜息をつき続ける。願わくは、小競り合いから帰ってきた後の寝床で、翌朝部屋を訪れた者が鼻をつまむほど嘔吐するのは止めてほしい、と。
私が今、置かれている状況を。
「ん…」
穏やかな眠りの海の底から意識を引き上げるのは、優しく支えられながら揺すられる、鉛のように重い身体。
ぼんやりとまどろむ五感を横切るのは、高らかに響く秋の虫たちの合唱と、稲穂色に輝く月明かり。心地よく肌を撫でてゆく、ほんのりと暖かく広がる平原の感触と、私の腰に食い込む指の感触。そして、
「おや、お目覚めかい?」
陽気で下町気取りな、二つの緋色のお下げの少女の声だった。
もはや聞き慣れたその声に、重く閉じていた瞼が細く開く。
暖かい平原は、蒼い着物の背中。今しがた目覚めた意識に、後ろ手に抱かれた腰。…どうやら、気を失っていた間に私は彼女の背中に負ぶさっていたようだ。
「ああ、無理はしなくて良いよ。寝たけりゃまた寝てれば良い。出血大判振舞いで、お前さん家に着いたら布団も敷いてあげるからさ。」
「…そんな馬鹿でかい声で寝て、…むにゃ…。」
耳に残る陽気な声を非難しようと出た私の声は、酷くしわがれている上に語尾が切れていた。全身に圧し掛かっている気だるい重圧が、私を再び眠りの中へと引きずり込もうとする。
返ってきたのは、いつもの堅物も形無しだねぇ、と、相変わらずどこか嫌味なにやけ声。
「しっかし驚いたよ。夜中に太陽が現れたように光が射したもんだから何事かと行って見れば、焼け野原のど真ん中でぼろぼろのお前さんが倒れてたんだから。…どんな無茶をしたのかは知らないけど、いつも言ってるようにやり過ぎはよろしくないよ?」
妙な説教口調の声も、やはりいつもの彼女のもの。その時ふと、彼女の発言に若干の違和感が混じっているのに気付いた。
「…、なぁ、お前が見たのは私一人だけ、だったのか?」
寝ていても良いのに、とぼやいた後、彼女が答える。
「んぅ、その通りだったけど?もしかして今夜の相手ってのは、あの姫様だったのかい?」
「…そうか。」
…と言う事は、あいつは従者か誰かが連れて帰ったのだろう。
それよりも、ふと脳裏を過ぎった既視感に、私は質問に答えずに一人ごちていた。
…あの時と、同じだ。
あいつとの決闘の末、一人取り残された私と、そこに遅れてやってきた彼女。
月夜に照らされた、塒への帰り道。
そして、何故か懐かしいような安心感を覚える、私より少し広い背中。
…寝起きの胡乱な頭ではあるが、塒に着くまでの間に、少し思い出してみよう。
「永遠の時」を生きる孤独な少女と、「死」を運ぶ少女の、
対極する、有り得る筈の無かった、邂逅を。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
「難題『仏の御石の鉢』」
「がぁッ!?」
堪えきれず、藤原妹紅の口から一塊の悲鳴が吐き出された。
前方から襲い掛かる光の矢に、脇腹を刺し貫かれる。若竹が生い茂る竹林を薙ぎ倒しながら吹き飛ばされる身体は、そのまま背中から地面に叩きつけられた。
「う、っぐ…、かぐ、や、…てめェッ…」
地面に突き刺さる光弾に身体を縫いとめられて、上手く体を起こせない。激突した衝撃で広がった風穴から、身体の芯を焼き焦がす鈍痛や生温い血がどくどくと溢れ出し、夜の空気に、締め固まった大地に滔々と飲み込まれて行く。
それでも藤原妹紅はどす黒い憎悪を貌に顕にしながら、透き通るような夜空を睨む。その先には、一人の少女の姿があった。
「残念ねぇ、私の本気をこれっぽっちも出させられないなんて。貴女が売ってきた千年分の油の滓の量を見てみたいものだわ。」
失笑と嫌味を隠さないその言葉は、月の光を受けて輝く唇から紡ぎだされる。その持ち主こそ、先ほど光弾を放った蓬莱山輝夜その人である。
切れ長の目と真直ぐ整った鼻筋、すらりと美しい曲線を描く頬を持った、整った顔つき。その輝夜の美貌は、あまりにも自然に侮蔑の表情を作っていた。
「言わせて置けば、…がハッ!」
気に食わない。銀色の月光に透き通る黒髪も、世の老若男女が誰でも息を飲むその顔も、姫の威厳を崩さない立ち振る舞いも、妹紅にとっては全て気に食わなかった。恨み言を吐こうとした口からは、しかし赤黒い血がだらしなく零れるだけで、そのことが余計に妹紅を苛立たせる。
そんな妹紅を下目に、輝夜の唇が釣り上がる。
「興が醒めたわ。今夜はこの辺にしといてあげる。次に殺しにくるときは、生まれ変わって出直すくらいの覚悟をしてくることね。ま、三枚目のスペルにすら届かなくなった今の貴女じゃ、何年掛かるか分ったものではありませんけど。」
台詞の置き土産を残しながら輝夜はきびすを返し、星の瞬く夜空へと飛び去って行く。虫の声と輝夜の声が木霊する戦場跡には、紅と白の無残な敗者の姿だけが残された。
白熱していた空気が冷え始め、辺りには虫の声と風で擦れる笹の葉のざわめきだけが響く。
憎悪に変わり心を侵蝕する底冷えの敗北感に妹紅の身体がかしぎ、力の抜けた身体はあられもなく地面に寝そべる。
惨めな屈辱の味に冒された身体は、頑として言うことを聞いてくれなかった。戦闘の激憤に滾っていた心身から、血と体温と覇気がじわじわと染み出して行く。
「…く、…しょ、…っ…」
何故、勝てない。
奴は、私の父の仇ではなかったのか。
高笑いを響かせながら父を殺した奴の頸を、復讐の炎で燃やし尽くしてやるのではなかったか。
そのために強奪した蓬莱の薬を飲み、死に執着しながら、あの悔しく憎らしいほどの美貌を追い求めながら、時を積み重ねてきたのではなかったか。
「ちく、……ょぉっ…」
何故、勝てない。
知らずこの幻想郷に流れ着いたのは、つい先日のこと。竹林の中に隠れるようにしてたたずむ永遠亭を見つけたとき、己に渦巻いた感情に、知らず異常に昂っていた。
不死の身であるが故に腰を据えられずいくつもの地を転々とし、その合間に修行に明け暮れる空白とも呼べる日常に、ついに区切りを付ける時が来たのだ。仇敵と果たし合うための時は、ここにようやく見つけられたのだ。
だと、いうのに。
「ちくしょ…、ぉっ…」
何故、勝てない。
この土地の決闘の規則であるというスペルカードルールに則った闘いにおいて、妹紅は連敗を重ねていた。それだけではない。最初は五枚のうち三枚を切れそうになっていた勝負の結果は、二桁から数えるのも億劫になった今や、一枚目を切るのが精一杯という悲惨なものになっていた。
悪化して行く戦績と焦りが妹紅の心を病的に急き立てる。しかし、攻め手を変えても、特訓を重ねても、忌々しい笑顔は遠のいて行くばかり。それは知らず、妹紅の中に悪循環となって渦巻いていた。
「畜生ぉぉぉぉおオおおおォおッッ!!!」
何故、勝てない。
負の連鎖に苛まれる妹紅は、現状を恨み、ただ怨嗟の声を上げ続ける。
答えるのは、初夏の虫の声と、笹の葉が風で擦れてざわめく音と、
「おや?おかしいな、死んだ人間の臭いをかぎつけてきたんだが。」
ふと聞こえた、飄々とした女の声だった。
ありったけの声と共に吐き出した意識を引き上げ、周囲に視線をめぐらす。と、私のすぐ隣には宵闇の中で立つ人影があった。
「どうやら、お前さんが臭いの元のようだねぇ。しかしまぁ、こりゃあまた珍しいお人に出会ったもんだよ。」
―――こちらを襲う気はないらしい。注意深く視線を上げてその女を観察する。
青いスカートを穿き、胸元を大きく開けた使用人風の和服を帯で締めている。大きく歪曲した何かを担ぎ、緋色の髪を左右で止めた彼女は、履いている下駄と相成りかなりの長身に見えた。
「身体は明らかに虫の息なのに、魂のほうは頑として動こうとしないとは。っと、お目覚めだったかな?」
ふと彼女と目が合い、気づいたのか顔を寄せてくる。髪と同じ色を持つ瞳が興味津々にこちらを覗き込んで来た。真直ぐにこちらを見つめる視線が、眩しい。
「…何だよ。」
悪意や畏怖を持たない視線に慣れない私は、そっぽを向いてぼやく。
「あぁ、こりゃ失礼。何しろ、肉の檻を纏って転生を拒む魂なんて、あたいは見るのが初めてでねぇ。」
悪びれた様子もなく、にひひと笑って頭を掻く彼女。
垢抜けたその態度は、私の苦手とするものの一つだ。面倒な事に野次馬根性もあると見られる。
しかし、彼女の一言が、私にはどうにも気にかかった。少なくとも、一目見ただけで自分の正体を何となくでも理解してきた人間は、輝夜とその従者ぐらいなものだったはずだ。
「…転生が、…何だって?」
「ああ、お前さんの魂のことさね。要はあんた、普通じゃ死ねないんだろ?脇腹の風穴も塞がり始めているじゃないか。」
この得体の知れない女には、私の正体がほぼばれているのかも知れない。それにしても、再生している人間を見て怪しまないとは、相当な変人のようだ。
「…分る、のか?」
「まぁ、それなりの数の魂を彼岸に送り渡してきたからね。あたいの目でも寿命が見えないんだから、その魂はどうやら天然ものじゃあないようだけどね。」
―いくつもの魂を彼岸に送ってきた人間…?寿命が見えない…?ますますもって怪しい奴だ。
懐疑と少しの好奇心から、今更のような疑問を口にする。
「何物だ、お前…?」
「っとと、そういや自己紹介がまだだったね。あたいは小野塚小町。三途の河の船頭をやってるしがない死神さ。」
言われてみると彼女が手に持っているのは、よくよく見れば大きな鎌の様だ。刃が曲がりくねっているのを見る限り、とても用途に適しているとは思えないのだが。
「…死神?お迎えってのは生きてる人間を地獄に連れて行くのが仕事なんじゃないのか?」
知らぬ間にだいぶ口が動くようになってきているのを感じる。傷はだいぶ塞がってきているようだった。
「ああ、それは死が迫った人間に対してだけさ。わざわざ元気でぴんぴんしてるお人を連れて行くなんてかったるいし、何よりあたいの仕事に入ってないからねぇ。必要以上の仕事はしないってのが、あたいのポリシィなのさ。」
「…職務怠慢なんじゃないか、お前?」
「いやいや、そういわれると照れるねぇ。誉めてもなぁんにも出ないってば、あっはっはっは!」
…何だろう、ものすごく調子が狂う奴だ。上手く表現できないが、いつの間にかずるずると話を乗せられているような、そんな感じがする。暢気でお調子者な変り種の死神に、私は付き合ってられんと大きな溜息で返事を返した。
「はっはっは、手厳しいねぇこりゃあ。…ところでさ、お前さん、いつまでそこで寝そべってるつもりだい?」
ふと、小町がごく当たり前の疑問を口にする。それも確かに、そうだ。いつまでもここでだらしなく寝そべっているわけにもいかない。
何となく小町の言葉が癪に障っていたところだ。そろそろここから立ち去ろうと思い、平気であることも分らせようと、勢いをつけて上半身を起こそうとして、
「お前に言われなくても帰って、…っぐぅっ!?」
脇腹に焼けるような痛みが襲う。勢いを付けすぎた為だろうか、閉じかけた傷が開いてしまったようだ。とっさに脇腹を押さえた手からは、生温い粘液の感触がする。
「やれやれ…。強気なのは大変結構なんだがねぇ、もうちょっと身体を大事にしたらどうだい?いくら死なない身体を持ってるったって、無理に動かしたら堪えるんだろうからさ。」
呆れるように小町が呟く。威勢がから回ってしまい、顔から火が出るような思いだった。
と、
「ほら、家はどこだい?送っていってあげるよ。」
こちらに手が差し出される。船頭の職業ゆえか、女性にしては少々いかついその手には肉刺がつぶれたような跡が残っており、あまり綺麗なものとはいえなかった。
「…いい。お前の手を借りなくとも、自力で帰れる。」
私にとってその誘いを受ける理由はない。どの道、時間が経てば歩ける程度には帰れるようになるのだから。
「こらこら、人の親切には素直に乗っておけってお母さんに教わらなかったんかね?それに、あたいには小町っていうちゃんとした名前があるんだから、『お前』なんていわれると悲しくて涙が出てきちまうじゃないか。」
ぽか、と軽く頭をどつかれる。おまけに説教までもらってしまっては、これではまるでこちらが悪人である。
「…分ったよ。ちぇっ、仕方ねえな…」
「そうそう、その心意気さね。あたいの背中を貸してやるから、おぶさんなよ。」
肩幅の広い背中に身を預ける。それほど小さくはない私の身体を、小町は軽々と担ぎ上げた。
陽気な船頭の背中に身体を委ね、月明かりだけが照らす竹林の中を往く。鎌は負ぶさるのに邪魔なので、私が持つことになった。
「…そういえば、お前さんについて何にも聞いてなかったね。名前だけでも教えてくれんかな?」
「妹紅…。ふじわらの、もこう、だ。」
「もこう、か。うん、強気でぴんぴんしたお前さんに似合う、情熱的でいい響きのする名前じゃぁないか。」
「嫌味じゃあ、ないんだろうな…?」
「何言ってんだい、素直な誉め言葉さ。何も考えずに受け取っときゃいいんだよ、こういうのは。」
「…ふん。まぁ、いいか…。」
身体が自然と小町に寄りかかっているのは、多分こいつとの話で疲れているからだろうなと、妹紅はそう思うことにした。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
主が寝静まった部屋の戸を静かに閉めながら、月の従者は考える。
全ての過ちはどこにあったのだろうか。主によるあの娘の父親の殺戮を、彼女に見られた不運か。あるいは、あの時月の都を沸かせていた『戦争』の展望を読み取れなかった自らの愚かさか。あるいは、あの娘と主を二度にわたって結びつけた運命のより糸か。それともあるいは、主の要求の名の下に、言われるがままに禁忌の秘薬を作り上げさせた見えざる手による悪戯か。
おそらく、それらはいずれも正しいのだろう。そして、それを覆す事は主の力をもってしても叶わないのだから、数々の過ちをもって頑固に縛り上げる因縁と言う名の彼女の呪縛を断ち切り、清算するほかない。
しかし、あえて呪縛に囚われる事に固執する主は、差し伸べられる従者の救いの手を良しとしない。一度解決策を主に持ちかけた事は有ったものの、次の瞬間に首をもがれて以来はその話は暗黙の禁忌となった。
故に、従者は悔やみ続け、ただ自らの中で祈り続ける。願わくは、主の進む道に救いあれ、と。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
「いやぁ、本当にありがとうござんして。何とお礼したらいいのやら。」
「…ん、良いんだ。私だって、別に大したことはしてないんだから。」
気温が上がり始め、日が暮れるのもだいぶ遅くなった初夏の幻想郷。
辺りにはクビキリギスやヤブキリ等の声がざわめきだし、自然の即興曲を奏でる。
人里から少し離れた水辺に立つ人影を、夕日が赤々と照らし出していた。そこにいたのは、妹紅と農家の人間らしい男、そしてその男の子供と思われる少女だった。
「全くもって、こいつには森にはあんまり深く入るんじゃないと言ってるんですが、どうしてこうも言う事を聞かないもんでしょうかねぇ。ほら、お前もちゃんと姉ちゃんにお礼しとくんだよ。」
「うぅ~、でもわたし、森の中でお花をつんで飾るのが好きなんだもーん。」
「そういうのは、1人で行くもんじゃないって言っとるだろうに。今度は妖精の悪戯で大怪我するかも知れんぞ?」
妹紅が人里での買出しを終え、家路へと向かう昼下がりのこと。摘んだ花を両手いっぱいに抱えた一人の少女が光の三妖精の悪戯を受け、困って大泣きしていたのを見つけ出したのは、全くの偶然だった。いつものように懲りない妖精たちを炎を使った自前の妖術で軽くあしらい、何事もなかったかのように送り届けていると、気がつけば夕暮れ時も近い頃合になっていた。
「まあ、そこまでこの子を責めてやるなよ。これからは私に言ってくれれば、暇な時なら連れて行ってやるからさ。」
「いや、そう言ってもらえて嬉しいんですが、しかし…」
困惑する父親。もっとも、妹紅にとっては妖精くらいならどうという事もないのだが。娘のほうはというと、
「えっ?連れてってもらえるの!?」
「こらっ、まだ良いと言った訳じゃ、」
「この子さえ良ければ、私は引き受けるぞ。」
「やったぁ!ありがとう、お姉ちゃん!」
そんな父親を差し置いて大はしゃぎの様子である。
「全く、しょうのない奴だなぁ…。じゃあ、本当にすんませんが、御願いしてもいいですかねぇ?」
「ああ、構わんさ。居ない時もあるだろうが、居る時はいつでも話に乗るぞ。」
その後に礼として食べ物などを両手に持てるだけ持たされ、彼女の家を後にする頃には辺りはもうまもなく日が落ちようかという頃だった。
「やれやれ、あの親子にも困ったもんだ…。引き受けたは良いがあの子はどうにも人懐っこくて付き合いに困るし、あの父親もこんなにたくさんの礼をしてくるなんて…。」
「それにしちゃあ、割かしまんざらでも無さそうな顔をしてたじゃないかい?」
「――、無視してやってたんだが、まだそこにいたのか…。」
少し後ろから語りかけるあの暢気な声の主に、妹紅は声に込められるだけの嫌味を込め、細めた目線だけを向けて答える。
「悲しいねぇ。あたいはずっとここでお前さんのことを眺めててやってたってのに。」
…先の親子との会話の時から、釣りをしている小町は妹紅の視界の中に入っていた。親子がいる手前でもあったので無視を決め込んでいたのだが、妹紅に気づいた小町は三人のやりとりを見ながらニヤニヤと笑っているだけであった。親子の目がなければ、視線が交された瞬間に弾幕勝負が始まっていた事だろう。
「しっかし、仕事をしない公務員だな。人里の警察もどきが見たら泣くぞ?」
「失敬だねぇ。あたいだって一応きちんと仕事はしてるってのにさぁ。たまたま、そう、た・ま・た・ま、あたいの所に魂が来ないってだけさね。」
ぷぅ、とわざとらしく膨れる小町に、妹紅は大きく一つ溜息をついた。
―全く、この死神ときたら仕事をしている様子がまるで見受けられない。しかも、それを悪びれる様子もなく、あっけらかんと釣りをしている始末である。不死である妹紅には縁のないものであるが、仕事仲間の顔を拝んでみたいものだと思ってしまうのであった。
「ところでさぁ、―お前さんが下げてるその風呂敷はなんだい?さっき娘さんと話してた時には持ってなかったと思うんだが。」
ふと小町の目が、妹紅の手荷物に留まる。
―こういう所には聡いのだからこれまた面倒なものだ。
「…お前には関係ないものだ。」
いらぬ詮索をされたくない妹紅は、勤めてつっけんどんに返す。
「そう言ってくれるなって。…すんすん、おっ?なんだか良い匂いがするじゃあないか。」
風呂敷の中身に勘付いたように、小町の目がにんまりと細くなる。風呂敷の中に入っているのは、自前の畑で取れた芋と、この湖で取ったという魚の干物だった。風呂敷に包んでも匂いが漂う魚のほうに気づいたのだろう。
「ははぁん、さてはさっきの親御さんからもらってきた代物だね?ちょうどいいや、あたいももらったばかりの給金で酒を買ってきてたところだし、手も付けていないから一杯行くってのはどうだい?」
ここぞとばかりに酒盛りを提案してくる小町。出来すぎたような準備の良い状況に、妹紅は呆れかえった声で返す。
「…あのなぁ、どうしていきなりそうなるんだよ。私のこれは別にそういうのに使うために貰ったわけじゃねえんだぞ?」
「なぁに言ってんだか。あたいの方には酒があって、お前さんのほうには食いもんがある。酒につまみと来たら、宴会が始まるのは自然の摂理じゃあないかい。」
―そんな人間たちに都合の良い自然の摂理があるならば、今頃幻想郷からは妖怪や吸血鬼などとうにいなくなっているに違いない。
「ほらほらぁ、遠慮すんなってば!せっかく良い物を見せてやろうと思っていたのに、早くしないと本当に日が暮れちまうじゃないかい。それともお前さん、これからどこかの巫女の真似事にでも出かけるのかい?」
「ぁ、いや、そういう訳じゃないんだが…」
ずずいっと迫ってくる小町に、妹紅は思わず本音を出してしまった。
「そういうことなら良いじゃないか。ほら、さっさとあたいの舟に乗った乗った!」
「のゎっ、って、ち、ちょっと、腕を引っ張るなぁ!」
赤から黒に移り行く夕暮時の空の下、水辺に二人の少女の賑やかな声が響く。
「…ったく、何でこんな目に…。」
「なんだい、そんなしかめっ面をしてるとせっかくの酒が台無しになっちまうじゃないか。ささ、お前さんも一杯っ。」
「…はぁ…。」
山の端に半分ほど沈んだ夕日と昇り始めの月が空を彩る中、岸からだいぶ離れた湖の真ん中に、人が四、五人ほど乗れるくらいの小さな船が浮かんでいた。あちこちがつぎはぎだらけの小舟に、ちゃぷちゃぷと水音が響く。
舟の中には開けられた酒瓶と、肴代わりに妹紅の買出しの品が並べられていた。野菜の糠漬けや魚の塩辛など、だいぶ質素なものではあったが。
「んっ、くっ…。っはあ~っ。麹が効いててコクのある良い酒じゃあないかい。静かに飲むにはぴったりの代物だねぇ。」
「…まぁ、味も悪くないか…。」
「しかし、三点リーダーの多いお人だねぇ、お前さんも。それはそうと、なかなか行けるクチのようだけど?」
ちなみに三点リーダーというのは、「…」の事である。図表中で項目同士をつなげるのに使われる事もある。
「ここに来るまでに、村人たちの手助けをしてきた時とかに礼としてもらった事が良くあったからな。飲む機会はそれなりにあったんだ。」
―もっとも、同じ人から再び礼を受け取ってきた事は、ここに来るまでは一度もなかったのだが。
「ふぅん。伊達に千年生きてきたわけじゃあないって事か。」
ちょうどその時、もうまもなく山の向こうに沈もうかという夕日が、いっそう強く妹紅たちを照らし出した。
「おっ、ちょうど良い頃合だ。妹紅、あっちを見てみなよ。」
小町が夕日のほうを指差す。
思わず、それを見た妹紅の息が飲み込まれる。
空が、燃えていた。
稜線の向こうに隠れ始めた夕日はいよいよ琥珀色の輝きを増し、照らすものを火酒の色に染め上げる。一日の終わりを告げるその光は、明日の始まりに向かうにつれて橙色から黄丹、照柿へと色を変え、一つの大きな炎を形作っていた。静かに波打つ湖水はその輝きを歪め、陽炎を映し出しているようだった。
妹紅の紅い瞳がその炎に吸い寄せられている間にも沈む猛火は色を変えていき、次第に赤みを増していく。光が徐々に小さくなるにつれ色相はより暗い色へと移り変わっていき、深い藍色が空に滲む。雲に遮られた光で炙り出される影と夜の帳の濃紺色が混じる、自然が織り成す墨流しは湖面の陽炎と合わさり神秘的な光景を作り出していた。
「……ぁ…」
橙色の光が一瞬だけ見せるその静かで雄大な光景に、妹紅は思わず感嘆の息を漏らす。太陽が完全に山の向こうに落ちて残り美を残すだけになっても、その目は山の端に釘付けになっていた。
「どうだった?あたいのオススメの珍百景の一つはさ。」
「…夕日って、こんなに綺麗なものだったんだな。今までに見た事が無いくらいだ。」
「そいつは上々。あんたを誘った甲斐があったってもんだよ。」
酒が回り始めてほんのりと紅く頬を染めた小町も、たいそう上機嫌なようだ。
「秋口の頃にも同じような景色が見れるんだけどね。あれもあれで風情があるんだが、なにぶん冷えるんであたいはこっちのほうが好きなのさ。」
残り火も薄れて藍色の夜の闇に染まって行く中、小町が静かに語りだす。
「嫌な事や悩み事があるお方に会ったときには、この時期ならあたいは必ずこの景色を見せてやるのさ。赤々と輝く夕日が山の向こうにくれて行くところをじっと見ていれば、大抵の場合はすっきりしていく。この景色を見れて良かった、この素敵な夕日を見るために生を受けてきた気がするって、顔が晴れたお方はみんな口をそろえてそう言うんだ。妹紅だって、まんざらじゃあなかっただろう?」
「…そう、なのかもな。腰を落ち着けて一つの景色をじっくり眺めるなんて、今まで考えた事もなかった。でも、それがこんなに美しいものだったとは…。」
意識せず妹紅の口から零れた答えは、素直な感激を表すものだった。それを聞いた小町が、にんまりと笑顔を作る。
「…ふぅん、お前さんもそんな顔ができるんだねぇ。」
「なっ、何だよ人の顔を見ていきなりニタニタし出して。」
慌てて取り繕おうとする妹紅だったが、先程までのその顔は小町には見せた事がないような、刺々しい雰囲気が一切抜け落ちた穏やかなものだった。
「そう照れなさんなって。ほら、さっきの顔をも一度見せておくれよ。その顔でいればもっと気楽に生きられるからさ。」
「んぁーっ、そういわれても無理だってば!っていうか、そういう変な所で懐っこくなるのはやめろっつてるだろーが。っんなこら、だからよせっつーの!」
再びずずずいっと近寄る小町を、顔に火がついた妹紅はしっしっと撥ね退ける。
「はっはっは、こりゃ失礼。あんまり騒ぐと舟がひっくり返っちまうしね。それより、ぼちぼち二次会としゃれ込もうか。」
「二次会?まだ何かあるというのか?」
辺りはすっかり暗くなり、天蓋には真砂をちりばめたように星が瞬き始めていた。
「そ、夕日の次の肴はこの星空さ。なぁんにも邪魔するものがない夜空を見上げながら、ただ黙って杯を乾かす。それだけで良いのさ。」
言いながら小町は瓶の中身をお互いのお猪口に半分ほど注ぎ、妹紅に渡す。
「ほら、軽く寝っ転がってみなよ。そのまま何も考えずに空を眺めてみるといいさ。」
言われたとおりに妹紅は船底に横になり、そのまま上を見上げる。瞳に映るのは、湖水より深く広がる透き通った群青の空と、大小さまざまな輝きを放つ星の数々、そして小さく浮かぶ月だけだった。
耳に聞こえるのは、遠くから聞こえる虫たちの合唱と、時折揺れる舟が立てる静かな水音、そして古ぼけた舟が軋む音のみ。目の前を飛ぶ虫も、天蓋を隠す薄雲も、ばら撒かれる弾の音も、何一つ見えず聞こえはしない、ただ静かな時間が流れて行く。
「…どうだい?」
閉じた箱庭の中のような空間に心を預けていた妹紅の耳に、静かで優しい声が聞こえる。
「ん…。良いもの…、かも知れないな。」
こういうゆったりとした時間を過ごすのも悪くはないのかもしれない、と妹紅は思った。
お猪口に付けた唇から、染込むように微熱が広がって行く。
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終った寺子屋の仕事を片付けながら、半獣の少女は考える。
彼女の選んだ道は、今更止めることなど出来はしない。もともとは普通の人間でしかなかった彼女は、彼女が定めた業を果たすために禁忌の道を選んだ。それを止めるということは、彼女が積み重ねた永い永い月日と想いを踏みにじる事に他ならない。少女に出来る事は、ただその行く先を見守る事だけなのだ。
それでも、と少女は思う。彼女が進む道は茨で埋め尽くされたものであり、たとえそれを最後まで歩き続けたところで、終着は空虚と後悔に満ちた底のない奈落でしかないと。そして、それを知っているからこそ、盲目的に突き進むその顔を張ってでも連れ戻したいと願う。だが、自らの能力で彼女の歴史を改竄してしまっては根本的な解決にはならず、何よりそれは自身の傲慢でしかないのだ。自らの過去を閉ざし続け、態度を頑なに変えない彼女に対しては、少女は何一つなす術を持たなかった。
故に、少女は絶望へと続く洞穴をただ見守り続け、ただ自らの中で祈り続ける。願わくは、彼女の進む道に救いあれ、と。
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耳を満たすのは、よりいっそう騒がしさを増した虫たちの声と、時折通り抜ける風の音、そしてそれに囁き声を上げる笹の葉のみ。一際広く開かれた竹林の中の空き地の中央に、妹紅はただ静かに座禅を組んでいた。
目を閉じ、自らの存在を自然の中に分散させると同時に意識は内へと閉じ込め、自らの精神を限りなく無防備にしてゆく。
その姿は一見すると、この竹林の中では余りにも無防備に思えるように見える。なぜならこの竹林こそはそこに住む妖精たちの格好の遊び場であり、同時にそこに赴く人間たちは妖精の悪戯の格好の標的である為である。自らの力を信じて疑わない妖精たちは、自分より力が弱いくせに生意気ぶる人間たちに一泡吹かせてやろうと、純粋かつ無邪気であるが故に、時には悪戯事では済まされないような悪事を働く事もあるのだ。
しかしこれこそが、妹紅の竹林で行う鍛錬の一つであった。自然の中に溶け込んだ不和に反応し仕掛けられた妖精の攻撃を、被弾する寸前で意識を汲み上げてかわし、反撃を叩き込み退散させる。無防備な状態であらゆる角度から叩き込まれる不意打ちを逆にいなす為に、妹紅が独自に編み出したものだ。
―要は、妹紅自身を寄せ餌とする妖精釣りである。
―さて、今日も竹林の違和感に感づいた妖精の一団が、好奇心のままに標的に近づいてきた。その数は三匹ほど。妹紅が先日撃退した光の三妖精ほどではないが、力も好奇心も並みの妖精より強く、里の人間たちから恐れられる困ったお転婆娘たちだった。
一匹の頭領を務めているらしい妖精が、迷い込んだ哀れなおもちゃの様子を物陰から窺う。反撃も警戒の意思も無い事を悟ると、好機とばかりに他の二匹を散開させる。三方から攻撃を集中させ、一気に仕留める作戦に出るようだ。恐れも威嚇も見せない獲物に若干の退屈を感じながらも、それを上回る悪戯の達成感を求め頭領の妖精は陣形を組んでゆく。彼女たちにとっては今日の獲物は、仕留め甲斐こそ無いが自らの好奇心の格好の餌食だった。
陣形を整えた妖精たちが力を溜め、頭領の合図で一斉に弾幕を解き放つ。純粋であるが故に美しい形も避けにくい弾道も持たず、しかし命中の意思だけは確かに持つ弾幕が、獲物を仕留めんと極彩色の渦となって妹紅に襲い掛かってゆく。
悪戯の成功を確信した妖精たちの顔が愉悦に変わる。がしかし、その確信は現実として訪れる事はなかった。着弾するその寸前、微動だにしなかった獲物の姿が忽然と姿を消したためだった。
何が起こったのかと慌てふためく妖精たちに、灼熱の風が吹き付ける。
それは、上からだった。
体のごく僅かな周囲まで閉ざされた意識が弾幕を察知した瞬間、妹紅は弾速をはるかに上回る電光石火の速さで意識を覚醒させ、溜め込んでいた力を炎として爆発させ、その推進で弾幕が張られていない上部へと飛翔したのだ。並の人間の目には、今しがた妖精が見たものと同じ光景が映るだろう。
数刻の後、荒れ狂う熱風でようやく獲物の気配が頭上に移動したと悟る。しかし時はすでに遅く、顔を上げた妖精たちの目前では喉を焦がすような熱気を放つ、紅蓮の炎を纏った三羽の頸の無い怪鳥が迫っていた。
なす術も無く猛火に飲み込まれ、自然へと回帰してゆく哀れな誘蛾達を見下ろしながら、妹紅はゆっくりと地上に降り立つ。研ぎ澄ましていた意識を落ち着け、ふぅ、と一つ、大きく息を吐き出す。
と、ぱちぱちと自らの手によるものでない拍手の音が聞こえた。
「いやぁ、これは驚いた。お前さん、人間とは思えん離れ業をやってのけるねぇ。」
忘れもしないあの暢気な声に、妹紅はまたか、と肩を落とした。
―意識を閉じており気がつかなかったとはいえ、いつから見られていたのだろうか。
「おい、そこのサボり覗き魔。お前、いつからそこにいたんだよ。というか、船頭のお前がこんな陸のど真ん中にいて良いものなのか?」
「ま、寄せ餌に釣られたかわいそうな子猫ちゃんたちが、お前さんを見つけた頃くらいからかな。」
にかっと笑顔を作ったと思えば、
「しっかし、覗き魔に陸の上の船頭とはひどい言われようじゃないかい。あたいだって、仕事とありゃあ陸の上にだってお迎えに行くさ。ほんと、相変わらずつっけんどんなお方だねぇ。」
また頬を膨らませて頭から煙を出しているような仕草をする小町。鍛錬のついでにこいつのひん曲がった根性を叩きなおしてやろうかとも思ったが、この心太のような精神を持った小生意気な女には通用しないと悟ったのでやめる事にした。
「でもこりゃいやはや、なんとも見事なものを拝ませてもらったよ。あたいの知るところだと、人間の身でやってのけるのは片手に収まるくらいさね。ところでそんな大げさな術は、どこで覚えてきたんだい?」
すねていたと思いきや今度は好奇心をたたえた子供のように尋ねてくる。よくもまぁころころと顔を変えられるものだ。
「…別にお前に教えるような事でもないだろ。大体この幻想郷じゃ、弾幕や妖術なぞ三度の飯のようなものだ。」
「そう言ってくれるなよまったくぅ。杯を交わした仲なんだし、小さな秘密の一つや二つを隠したがるなんてよそよそしいってもんだよ。」
全く、始めて会った時といい先日の湖畔でのことといい、この女の話術に乗せられてしまっている。
抵抗をあきらめた妹紅は、やれやれと言った感じで語りだした。
「――ここに来る前に妖術師とやらを騙る奴に会ったことがあってな。そいつにあらかた基礎のところは聞いたんだよ。そいつの術は基本はしっかりしてたんだが妖力がからっきしで、やってた術は中身のこもってないただの出鱈目だったんだが、私はそれに少し改良を加えて、この形にしているんだ。」
「なるほどねぇ、伊達に永く生きてるわけじゃないって事か。」
「ん、…一応死なない体であるとはいえ、身を守る事は必要だからな。ここに来てからは特にそうだ。妖精どもといいたまに出てくる妖怪といい、全く油断も隙もあったものじゃない。」
危うく自分の過去を話してしまいそうになり、妹紅はぐっと口を噤んだ。月の姫との決して絶つことのできない因縁など、ひっきりなしに世話を焼いてくる心配性の半獣はともかく、こいつに話してやる筋合いは無い。
そんなこちらの感情など微塵も解せず、死神は質問をまくし立てる。
「…でもそういうことは、要は護身術って事で身に付けたものなんだろう?にしちゃあ、大分攻撃的な術だねぇ。追っ払うどころか、逆に相手を食らっちまうようなさ。何かこだわりでもあるんかい?」
小町にとっては何気なく放ったであろうその言葉が、真っ直ぐに自分の核心を突くのを感じた。
この会話の流れは、まずい。頭の中で危険信号が次々と灯りだす。
拒否反応を示した口が、条件反射のように言葉を紡ぐ。
「…お前には関係ないことだ。」
「でもまぁ、あたいに言わせると、お前さんにしてはだいぶ感情がむき出しになってるような気がするんだよねぇ。気持ちを素直に出せないお前さんだからこそなのかもしれないけど…」
こちらの気分などお構いなしに、小町は考えをめぐらせ続ける。
…言えない。私が生きてきた意味など、他人の心に土足でずかずか入り込むこいつに知られる意義は無い。これは私が自ら課した、私だけの命題だ。
「………」
「…それにあの炎は、妖精達を追い払ったあとも残って、あいつらが死んだあとも燃え続けてた。あとに塵一つ残さないようなしつこさでさ。」
まだこちらの答えを引きずり出そうとしてくる。
―言うな。それ以上は私の領分だ。入ってくるんじゃないっ…。
「……。」
「……」
…やめろ。私の中を勝手に覗くなっ…!
「…れ。」
「…」
五月蝿い五月蝿い五月蝿い。黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れだまれ黙レだマれダマレダマレ!!!
「もしかしてお前さん、誰かを殺」
―――瞬間、劫と、空気が爆ぜた。
爆裂する怒気が、無粋な心の侵入者の口を轟音でかき消すのと。
「黙れええええええええええええぇえエエええェぇエっ!!!」
妹紅の怒号が竹林に響き渡るのはほぼ同時だった。
怨嗟の声と共に妹紅の手から放たれた拒絶の炎弾が、小町の頬を掠めて飛んで行く。喋り続ける死神のお下げの端を焼き落とし、彼女の頬に一筋の火傷の跡を残して瞬きの間に通り過ぎて行った灼熱は、しかし一瞬にしてその場の空気を氷点下まで凍らせた。
空気の流れが運動量を無視して静止した事を感づいた彼女の口からは、出かけた言葉がそのまま放り出された。最後まで意味を持たせられなかった一言が、二人の間で虚しく漂う。
音や傾きかけた日の光までもが凍りつく空寒い空間の中で、取り残された二人はただ視線を交わす。突然の威嚇にきょとんとする小町の瞳には、
「これ以上ッ、…私の、中に、入って、来るんじゃ、…ねェッ!…ブチ…、殺す、…ぞっ!!」
赤黒く渦巻く憎しみの炎を滾らせた、怒りに狂う妹紅の瞳が映っていた。
炎弾を放った妹紅の手は真っ直ぐ小町の眉間へと伸び、その指先にはやはり瞳に宿したものと同じ色の炎が灯っていた。威嚇ではない本物の殺気に、妹紅の顔が歪む。
「言わせて、おけばッ…、…勝手、に、他人の、…ッ心に、ズカズカ、入り込んで、…きやがってッ…!!」
小町に向けられた殺意の銃口は、感情を抑えられずカタカタと震えていた。
対する激情を向けられた本人は、炎が掠った瞬間こそ一瞬目を見開いたものの、至って平静な顔を妹紅に向けていた。ただいつもの飄々とした顔つきは消え、この場の空気を映し出した冷え切ったものになっていた。
身を刺すような敵意が渦巻く中、ただ逆巻き猛る煉獄の瞳と起伏の無い凪の瞳が交差する。
と、凍てついた空気を裂いて、それ以上に冷たく抑揚のない声が流れる。
「そう、その眼だよ。」
小町のその言葉は、妹紅が今まで耳にしなかった静かな声音だった。しかし、
「うるせぇッ!!」
炎の魔槍が、再び小町のすぐ脇を通り過ぎる。激昂した妹紅の耳には、もはや彼女の言葉は届いていなかった。
今度こそ小町は口を噤み、再び二人の間に沈黙が下りる。
刺々しい空気の中、復讐者が最後の警告と呪詛の言葉を口にする。
「…良いか。もう私に対して余計な詮索をするな。それだけじゃない。もう二度と、私の前にへらへらした面を下げて現れるな。苛立たしいんだよ、手前ぇの面構えも、下町気取りな言葉遣いも、下世話な性分もなッ…!」
対する死神は微動だにせず、能面を被ったまま妹紅の暴言を受け止め続ける。その態度がこちらを煽っているかのように余計に腹立たしく感じられ、逆上した妹紅は、
「…今の言葉を忘れるな。次に目を合わせたときは、お前の間抜けなその貌を焼き払ってやる!」
決別の言葉を一方的に叩きつけ、竹林の奥へと飛び去っていった。
小町の視界から妹紅が完全に消え去ったときには、辺り一面にはすっかり斜陽が指していた。だだっ広い焼け野原を通り抜ける風は、どこか薄ら寒い空気を漂わせる。いつの間にか、あれだけ静かだった竹林にはいつもよりけたたましい虫の声が木霊していた。
冷徹な空気の名残が漂う広場の中心で、死神からひとつ、溜息が漏れた。竹林は、以前と変わらぬ静寂を取り戻しつつある。
ふと、先ほど炎が通り過ぎていった方へと振り返る。行き場を失った炎弾はその先にある一本の竹へと命中し、直撃を受けたそれは抑えきれない憎悪の熱に飲み込まれ、ぱちぱちと草木が爆ぜる音を立てていた。
「やれやれ…、この後始末はいったい誰がするんだかねぇ。」
小町の口から漏れたその言葉には、自分でやるという意思はない。代わりに彼女はおもむろに懐から煙管を取り出し、その口を燃え上がるたき火へと近づけた。
「ほんっと、妙なところでお堅いんだから、あの娘も…」
火は他の竹に燃え移り始め、いよいよ火事の様相を成して行く。立ち上る煙の中、新たに一筋のか細い糸のような煙が加わった。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
「ちょいとー、そこのお人~!」
小町の耳に、こちらに駆け寄ってくる足音と職務質問の声が唐突に響く。横目で振り向いた小町の目線の先にいるのは、
「はっ、はっ、はぁ…。―んもぅー、何してるのさ~、こんな所で。何、もしかして死にたがりな訳ぇ?」
小町の背丈の胸元ほども無い、桃色の服に人参を模した首飾を下げた妖怪兎だった。全速力で走ってきたのだろうか、肩で大きく息をつく。
「あー、そう見えちまうかい?あたいとしてはまっぴら御免なんだけど、…確かにこれじゃあそう見えちまっても仕方ないかねぇ。」
…兎が勘違いするのも無理はない。小町がのんびりと煙管を燻らせているその場所は、夕暮れ時の日光をも覆い尽くすほどの炎の壁に包まれているのだから。そして、
「全くぅ、そんな事言ってるんだったら、さっさとここから――ってうわぁっ!?」
――めりめりめり、ずしん。
今や広場は燃えてゆく竹が次々と倒れこみ、激しく火の粉を巻き上げてゆく、地上の煉獄になりつつあった。それを見て、ようやく小町の口から煙管が離れる。
「うゎっちちちち…。こりゃもう飛んで逃げるしかないかなぁ…。ほら、誰とも知らないそこのお人!私だって炙られるのも煤で汚れるのも嫌なんだから、早く、」
さっさと逃げ出そうとせがむように服を引っ張る兎の腕を、ぱしっ、と、少々いかつい手が掴んだ。
「んな、っちょ、一体何を―。」
「まぁまぁ落ち着きなって。―んじゃあ、さっさとここからとんずらするとしますかね。」
―――ぐにゃり。
二人に向かって次々と雪崩れ込んでくる炎波の前で、因幡の素兎の視界が紫光に歪んだ。
「…、あり?ここは―。」
眩暈を起こさせるような濁った光が消えた時、彼女はいつの間にか人里の入り口で突っ立っていた。顔を向けた先には、竹林が火事だー、とのたまいながら里の男達を扇動する小町の姿。その声に釣られ、纏や水鉄砲などを担いだがたいの良い男達が次々に竹林へと走ってゆく
「―、ふぅ。ま、これくらい煽っておきゃあ何とかなるだろうね。」
「あんたが自分で行くっていう考えは無いのかい…。」
「なっはっは、いやだってめんどくさいじゃん?お駄賃が出るってんなら別だけど、業務と興味のどっちにも掠らない仕事なんて、やってもしょうがないしさ。」
「…はぁ、いくら私でもそこまで薄情にはなれないわさ。」
身勝手で狡賢さに定評の有るこの兎だったが、こればかりは流石に嘆息してしまった。いくら自由気侭に動き回る彼女でもここまで物臭ではないと断言できる自信は有る。対する怠け者の死神は、手厳しいねぇ、と懲りる様子も無く頭を掻くだけだった。
「まぁいっか…。ところでさぁ、あんたはあの火事の元凶とかは見たりしてないの?」
溜息を一つ置いて話題を変えた兎を、んぅ?、と小町が見下ろす。きょとん、と言う文字が浮かんできそうな顔の小町に対し、彼女はさらに質問を続けた。
「いやぁほら、あんなに強い火の中でのほほんとしてるぐらいだから、火を放った奴について何か知ってるんじゃないかって思ってさ。―まぁ、あんたは違うと思ってるけど。」
「さっすが嬢ちゃん、話が分るねぇ。勿論、あたいじゃあないよ。」
にんまりと頷く小町に対し、誉めてないんだけど、とむくれる妖怪兎。
「―で?犯人に心当たりがあるなら教えておくれよ。それが本当だったらあんたにちょっと幸運を分けてやっても良いし、人ん家の庭で騒ぎを起こした馬鹿をとっちめられるし、お互いに気分の良い取引だと思うんだけど。」
「ん~…、それが、…まぁ、お前さんに教えていいのかどうか悩むんだけどねぇ…。」
竹林に住むその者の名を口にして良いものか逡巡する小町に対し、
「…教えてくれないんだったら、あんたを犯人と言う事にしておくけど?庭の主からの罰として、その物臭性分をネタに一生分いびってやってもいいんだわさ?」
迷いの竹林の最大の理解者こと因幡てゐの、屈託無い笑顔の封筒に入った脅迫状が突きつけられる。
「わぁったわぁった、それだけは勘弁しておくれよ。…妹紅だよ、藤原妹紅。」
「―――妹紅、…だって?」
その名を耳にしたとき、一瞬、てゐの空気が凍りついた。
「…?知ってるのかい、妹紅の事。」
「―――ああ、よぉく知ってるともさ。引越しのご近所回りにと家を焼かれちゃあ、忘れるほうが無理だってモノよ。」
お世辞にも気前良くとは言えない面持ちで、出会い頭を語るてゐ。
「…、お前さんさえ良ければ、その辺りをもうちょっと詳しく教えてくれんかね?」
「―ふん、まぁ、いっか。あまり思い出したくない事だけど、もうあの件に関してあたしは村人A同然だしね―――。」
毒々しい水銀の光と、濃紺と漆黒の渦巻く闇が天蓋を覆い始めていた。
その真下では、暮れ損ねた小さな夕日の残り火が未だ明々と燃え続ける。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
月が、満ちようとしていた。
蓬莱山輝夜が立つその部屋は、永遠亭の中でも最奥に位置する、本人とその従者である八意永琳のみが入る事を許される、住人にとって禁忌の部屋だった。もっとも、従者もその部屋に入るのは中を清掃するときのみ、それも一月に一度有るか無いかの程だったので、実質的にこの部屋を目的を持って使うのは輝夜だけだった。
部屋の障子からは月光が射しているため外につながっている事が伺えるが、庭の空間もそこだけ完全に塀で遮断され、上から覗かない限り中の様子は窺い知れなかった。部屋の中も鍵だけではなく輝夜本人の能力による封印と壁一面に施された防音処理により外界とは隔離されており、中の様子を垣間見るには障子の外から僅かにもれ出る物音を聞き取る以外にはなかった。
部屋の存在が異質なら、部屋の中もまた異質であった。屋敷にあるものの中でもっとも高級な畳が敷いてあり、内部の装丁も平安の貴族の屋敷を思わせる立派なものであったが、部屋の主の人格を疑うほどに荒れに荒れていた。
―袈裟に一息に引き裂かれ、寝床を惜しげもなく曝しだす蚊帳。
―台座の周りにきらめく塵となって広がる、装飾品の残骸の数々。
―幾筋も壁に刻まれた、鋭利な剣尖によると思われる切創や列創、刺創の痕跡。
―飛び散った装飾品の破片が突き刺さり、ささくれ立つ畳。
永遠と言う名の飾られた牢獄の中でも一際異彩を放つその部屋の中で、その主は壁に立てかけられた大きな鏡を見つめる。幽鬼のように立ち尽くす彼女の表情は、月明かりに照らされながらも濃密な逆光の影に覆われ、詳しく窺い知る事はできない。
不意に、輝夜が手に持っていたものを自らの前に掲げる。それは胸の高さ程までの長さを持つ、きらびやかに装飾された薙刀であった。灰色の月光の中に目を凝らすと、その部屋の中にはそれと同じものがいくつもいくつも散乱しており、それらはどれもからからに乾燥しこびり付いた赤黒い血に塗れていた。彼女を映し出す鏡も、一枚や二枚ではない。乱雑に、しかしそれら全てがその中心を四方八方から曝け出すように置かれたそれらは、その殆どが照明の無い部屋の闇をそのまま映し出していた。
部屋に聞こえるのは、彼女の静かな息遣いのみ。何度目かの吐息が漏れた時、入射する月光が、生気の無いその顔を照らし出す。と、
ばりばりばり、がしゃん。
盛大に、耳を劈く衝撃音が、部屋に鳴り響いた。
「…そろそろ、月が満ちる夜だったわね…。」
部屋の外では、その前を通りかかった薬師が一人ごちていた。
防音の処置が施された部屋ではあったが、しかし主の立てる騒々しい物音はそれでも防ぎきれずに、微かながら外に漏れ出ていた。それを彼女は主を止めに入るでもなく、また住人に異常を知らせに駆け出すでもなく、ただ静かに聞き止めていた。
いくつもの磁器が砕ける音。それに続いて一つの口から紡がれる、命乞い、怒気、戸惑い、そして狂喜じみた高笑い。更に続いて、ぞぶりという有機物を貫く鈍い音と、びちゃびちゃと言う汚い水音。
やがてそれらの音が不意にぴたりと止んでしまうと、間もなくして、かちり、と部屋の施錠が解かれる音がした。
「行って来るわ。湯上り後の用意をしておいて。」
口元を覆わんばかりの有機的な鉄の臭いが開け放たれ、中から輝夜が姿を現す。おぼつかない足取りで廊下の奥の暗闇へと歩き去る彼女の背中からは、夥しい量の赤黒い生命の源と、微かな空気が漏れ出ている。
凄惨な傷を負っているとは思えないほど平然と外出の用意を命ずる彼女の貌は、暗く固い笑みに歪んでいた。
屋敷の兎達なら卒倒してしまいそうな光景を目の前にしながら、
「かしこまりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
従者は静かに言葉を返した。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
「難題『龍の頸の玉』」
「がァうっ!?」
目も眩むような五行の波に紛れ、光の槍の壁が妹紅へと迫る。光弾に気を取られていた妹紅の神経に、両腕から刺傷の感覚が走った。
左右の腕に一つずつだった刺し穿つ痛みは、見る間に全身へと拡散していく。二本の光槍で空中に縫いとめられ身動きが取れない妹紅に、第二、第三の殺意の雨が降り注ぐ。無造作な弾の奔流に捕らわれた体を殴りつけられ、さらにその奥からの光源色の刺突の波にさらされ、妹紅の体は一瞬のうちにして満身創痍となった。
「ぐはっ、…あぁガッ!!」
ごぷり、と妹紅の口からてらてらと光る赤黒い血の塊が吐き出される。大量の失血により靄のかかり始めた思考は絶え間ない痛覚の波に侵蝕され、戦意や敵意はもはやごっそりと抜け落ちていた。
防衛本能に紅く染まる視界の片隅に、
「…つまらない人。」
ふと、紅く揺らめくスカートの裾が映った。
「今回は一枚目のスペルカードで根を上げてしまうなんて。どこまで堕落していくのかしらね、貴女は。」
こちらを見下ろす声は、酷くのっぺりとしており、感情は読み取れない。普段の妹紅ならそれがこの上ない失望の現れであると感じ激憤するのだろうが、今日の妹紅はただ頸をたれるだけだった。
「………」
…何故。
視界にかかった靄が次第に紅い闇に変わって行く中、妹紅はふと自問する。
…どこまで堕落して行くのかしらね。
…何故、堕落した。
頭上からの輝夜の声が反響する。抑揚の無い罵倒がより思考を鈍化させ、痛覚へ、自問へと、妹紅の思考を更に狭めてゆく。
果ての無い水中に取り残されたような頭で、水泡のような情景の断片を眺める。
―兎や妖精たちが跋扈する竹林にひっそりと佇む屋敷。
―半白沢の少女との邂逅。そこから始まった数々の里の人間達との接触。
―そして、
「千年を生きた貴女の力とやらもこの程度のものなのね。本当、死ぬ事が無いだけに余計に鬱陶しくて仕方ない人だこと。」
一際大きく、鮮烈に光を浴びるあぶくの中に映るのは。
………赤黒く染まった檻の中で、高笑いをあげ続ける黒髪の少女と、
二つの紅いおさげに、にやけた、
―――ごきゃっ。
全身の痛覚が頭を包み込むような圧力に変わるや否や、妹紅の思考はそれでふっつりと途切れた。
妹紅を戒めていたいくつもの楔が虚空へ掻き消え、支えを失った身体が力なく垂れ下がる。
「こんなのが月の民たるこの私に父親の仇討ちだなんて、てんで笑わせてくれるわ。せめて、此度のその死に際だけは愉しませて欲しいわね。」
桃色の裾から伸びる腕が、白髪を鷲掴みにする。そのまま輝夜は腕に力を込め、呆気なく、妹紅の頭蓋を握り潰した。
皮膚の内側が砕ける嫌な音と共に、彼女の顔の孔と言う孔から彼女だったものが噴出す。つぶつぶと粘ついた液体が、上品な衣を荒々しい赤色の装飾で塗りたくってゆく。その様を、輝夜は水晶玉の向こう側を傍観するような顔で見つめていた。
と、
「へぇ、実に見事で味気ない弾幕じゃないかい。確実に相手を仕留める弾道を持ちながら、その実弾に殺意が込められていないとは。」
事の顛末を静観していた声の主が、ようやく口を開いた。輝夜は気だるげに黒髪を翻らせ、その声へと返答する。
「私達の無意味な殺し合いを覗き見するとは、また物好きな女がいたものね。加勢するのでしたらお相手いたしましたし、悪戯に茶々を入れるようでしたら竹炭の代わりにでもして差し上げようかと思っていましたのに。」
「あっはっは、こりゃ参った参った。最初っからあたいの事は無視してくれていたわけだ。お陰で月見のついでに手合いを拝ませてもらえたけど、愛想のよろしくないお方だねぇ。せめて名前とかおもてなしの一言ぐらいはくれてもいいじゃないかい。」
竹薮の影から下駄の音と共に、声の主が姿を現す。陽気な声に違わず、その顔はこの凄惨な風景を目の当たりにしながら、腑抜けの様なにやけた笑いを含んでいた。
「他人の個人的事情を垣間見て愉しむ悪趣味な人などに自ら進んで声をかけるほど、私は落ちぶれてはおりませんので。まぁ、そちらから掛けられた声ですし、口だけは合わせて差し上げますが。―それで、どのようなご用件かしら、下っ端の死神さん?」
対する輝夜のあくまで静かな抑揚のない言語の羅列に、手厳しいねぇ、と小町は手を頭の後ろで組んだまま苦笑を漏らす。そのまま月光の下へ進み出て、青白い光が完全に彼女の姿を捉える所で立ち止まると、一呼吸の後に小町が語り始めた。
「いやね、最近こちらに移り住んできたって言う死なない人間達が、竹林の奥でなにやら物騒な事をやらかしてるって聞いたもんでね。興味があったもんで仕事のついでに見物させてもらおうと思ってさ。ついでに、」
ふと、そこで小町が頭の後ろで組んでいた手を解く。先ほどから切っ先を覗かせていた右手に携えた大鎌が白銀のきらめきを暴露させ、
「―――何をしても死なないお前さんたちの首を取る事もできれば、死神冥利に尽きる事は無いと思って、ね。」
だらしなく垂れていた朱色の双眸が、極上の獲物を嗅ぎ付けた獣の色を帯びる。人間の形をした理性の仮面を剥ぎ取れば、その下では昂奮と渇望に舌と涎が浅ましく垂れているかの様に。
対する不死の姫の貌はますます平坦になって行き、それに反してその瞳はより強く侮蔑に細まっていった。再びの戦闘を察知した二人の間で、過冷却された敵意の白煙が漂い出す。
「―――ふん、呆れた。ヒトカタの死を蒐集する卑しい存在は数有れど、神と言う字を冠しながらここまで下賎なモノを見たのは、貴女が始めてよ。」
呟きに合わせて、輝夜の右腕に収まっていた枝がゆっくりと鎌首を上げてゆく。枝の先に付いた七色の珠の輝きを見て、小町はそれが意味するところを理解した。
「…良いわ。先程の小競り合いにもこれが弱すぎて退屈していたところですし、相手をして差し上げます。その大きな口上に違わぬ程度の力は見せて頂きたいわね。」
言いながら、輝夜は左手の力を緩める。その手に握っていたモノはそのまま落下し、地面に落ちたところで、べちゃり、と嫌な音を立てた。
小町はそれに目もくれず、ただ彼女が持つ珠の高貴で妖しげな煌きに、ほう、と感嘆の声を漏らす。
「…なるほど、蓬莱の珠の枝か。無垢の権化にして権力の象徴をお目にかかれるとは、あたいもなかなか捨てたもんじゃあないみたいだ―」
死神の言葉の最後は、彼女の姿と共に掻き消えていた。同時に、小銭の形を模した弾幕が、月の姫へと襲い掛かる。
扇状にばらまかれた小さな円盤の群れが、月光に鈍く照らされながら輝夜へと迫る。放たれた弾はしかし、妹紅のスペルカードに比べれば数量、密度、弾速のいずれも二周り以上劣ったものだった。
牽制弾である事をすぐに察知した輝夜は、しかし敢えて本気を見せ付けて足蹴にやるのも悪くないと考えを変え、右手の枝に力を込めて、自らのカード名を告げた。
「難題『龍の頸の玉』」
直後、瞬時にして輝夜の周りに光源色の海が出現する。先刻妹紅の体を嬲ったものと同じ形の弾と槍が、二層の球状に展開された。
相反する指向を持った二つの弾幕が接触する。小銭の弾幕は光弾に触れた瞬間、相手が持つ魔力に耐え切れず、あっけなく弾道を鉛直方向へ逸らされる。ばらばらと、いくつもの円盤が地表に落ちて行く音が聞こえた。
「ほほう、お姫様のような振舞いをしておきながら、結構力押しで攻めてくる弾幕じゃないかい。ギャップ萌えっていうんだっけ、こう言うの?うん、結構結構!」
「冗談。圧倒的制圧を以って優雅に勝負を決める事こそが姫たる私の義務だと心得ております故、貴女のような不届き者に対して、鼠のように忙しく動く道理も無いという事です。」
右後方からの陽気な声に対して、輝夜は目線だけを向けながら返答する。そして、姫の自称に相応しい風のように優雅な仕草でそちらに振り向くと、時計回りに動いた小町の軌道にそって三原色の槍衾を展開する。光弾の輝きによって視界がやや阻まれているものの、やはりそちらからも小銭の弾幕が展開されているようで、相手の本体に被弾した感覚は無いものの、じゃらじゃらという安い撃墜音が聞こえる。
と。
「いやぁ、ここまでごり押しで攻められると清々してくるもんだねぇ。まるで絨毯爆撃機って感じかね。
―じゃぁ、あたいはその操縦士の懐に忍び込み、首を手折る暗殺者って所かな!」
輝夜の視線の先から聞こえる小町の声に、肉の味に飢え牙を剥いた野犬のような響きが混じった。と同時に、輝夜の背後の気配が不穏なざわめきを帯び、知らず攻勢に沸いていた空気が冷却される。
「っ!?」
咄嗟に振り向いた先は、小町が最初に立っていた場所だった。ちょうど輝夜が放った弾幕が薄くなったその瞬間、そこにあらかじめ撒かれていたであろう小銭弾が、風切る音を立てながら一直線に輝夜の顔面に向けて放たれていた。
「くっ!」
顔面、それも眼に向かっていた凶弾を、辛くも首を捻って回避する。不意を疲れた攻撃と、まだ微かに残る気配のざわめきに少々肝を冷やした輝夜は、
「このッ…。女性の貌を損なう軌道で弾を放つとは、己が矮小さを恥じなさい!」
若干声音を荒げて奇襲を詰った。もう一度枝に魔力を込め、より満遍なく球状に槍衾を展開する。しかし、やはり着弾の手ごたえは無く、代わりに、
「おおっと、これは失礼。しかし、『弾幕の外にいるあたい』ばかりを気にかけている場合かなッ、と…!」
喉笛に獣の息を大口で吹きかけられたような声音に加え、今度は輝夜全体を包み込むように気配のざわめきが広がり、周囲の体感温度が一気に零下した。
被弾の危機を察知し周囲に警戒をめぐらせると、視界一面に半透明の尾ひれが付いたような球が浮かんでいた。それらからは微かではあるが、犬の遠吠えを極端に低くしたような不気味な奇声が発せられており、輝夜の頭で不規則に反響する。その有機的な不協和音を以って、輝夜は何が起きているのかを唐突に察した。
(これは…っ!)
然り、小町が最初に仕掛けておいたのは時間差で輝夜を直撃する小銭弾だけではなく、それに乗せられた幽霊たちだった。不死の存在である輝夜にとって幽霊や亡霊といった死の側の存在からの直接的な攻撃は無力に等しいが、それもかの死神は予測している事だろう。
―そこまで思考が回転した時、輝夜は次のスペルカードを手に取っていた。
弾に乗せていた幽霊達が輝夜を取り囲んだ頃合を見計らい、
「破ッ!」
小町はそれらに「爆散」の指示を送った。その合図がかけられるや否や、幽霊達はその命令を待っていたかのように膨れ上がり、その内にこもった邪念を衝撃波に変え、斃すべき不死の姫へとその衝動を解き放った。
カッ、と月光に似た輝きが球状に炸裂し、その中にいる輝夜へと衝撃を伴った爆風が迫る。外界へ漏れ出た余韻は爆心地から離れた所にいた小町のもとへも吹きつけ、前髪を軽く吹き上げていった。
逃げられたような痕跡も無く、手応えはあった。その中心の様子を注意深く窺う。
霧散して行く光源色の球と槍の壁。薄れてゆく爆散の跡。
その奥から。
「幽霊如きではどうにもならない事は分っていたけど、まさか攻撃のための生贄にするとはね…。ほんっと、どこまで見下げ果てた人なのかしら、貴女は。」
敬体をかなぐり捨てた、薄情な輝夜の声が聞こえた。
爆心から現れ出でた輝夜は顔や手に少々のかすり傷を追っているものの、元の衣服は破れ目一つ付いてはいなかった。代わりに彼女がその上から身に纏っているのは、白銀よりも白く煌く弾幕で織られた羽衣であった。
その瞼に焼付くほどの輝きが、死神にこの不死の娘の名を悟らせる。
「龍の顎の玉に火鼠の皮衣か…。天上人に地の底の住人とは、こりゃとことん巡り合せが悪いみたいだねぇ。」
こりゃたまげたと言わんばかりに、ボリボリと頭を掻く小町。対して、死神を頭上から俯瞰する天上人からは、
「今更気づいたところで無駄な事。人を裁くとは言え所詮は貴女達も地の底で蠢く存在。穢れの大地の側にある貴女が、曇りなき側の者である私に敵うと思って?」
自身の敗北の一切を打ち消す、抑揚のない宣告が下される。同時に枝を振り下ろすと、羽衣のより糸がほつれ、拘束の無くなった光弾がその反動を以ってはじける様に四散する。更にほつれたより糸はそれ同士が絡まりあい、幾多の光の矢となって光弾の合間を縫うように放たれた。
拘束によって運動量を限界まで溜め込まれたそれらは、解き放たれる事を待っていたかのように仕留めるべき相手へと吸い寄せられてゆく。それらの速度は、着弾の後にようやく拘束解除の炸裂音が届く程度のものであった。
瞬く間に押し寄せる光の奔流が、円形の軌道を持ってそれまで漫然と頭を掻いていた死神のいた場所を埋め尽くしてゆく。大地はそれの持つ運動量を凌ぎきれず飛礫となって舞い上がり、後には蹴鞠大の孔がいくつも残される。
二枚目のスペルカードを使い切った輝夜は、抉られ、蹂躙されてゆく哀れな大地を見据える。そこには、弾と共に竹林の遥か彼方まで吹き飛んでゆくか、あるいはその威力に耐えられず肉体を欠損させた死神が、
…そのどちらも、いなかった。
代わりに、その少し後方から、
「成程ねぇ、その理屈じゃあ、あたいがお前さんに勝てないってのは道理だ。しかし、こうは考えられないかい?たとえお前さん自身に穢れは無くとも、穢れに塗れた大地に降り立った時点でお前さんは穢れという物事の綻びに触れている、とは。例えば今みたいに、羽衣で隠しきれなかったお前さんの顔の部分程度の弾幕の綻びを見つけて、そこに飛び込まれる、とかねぇ。」
相変わらず飄々とした態度を崩さない、傷一つ負っていない死神が歩み出た。それを見た輝夜の目に、僅かに懐疑と屈辱と逆上の気が点る。
「…朱に交われば紅くなる、か…。忌々しい意味で思い出すとは思わなかったわ。」
憎々しげに呟く輝夜の言葉に、小町は得意げににやけ顔で返す。そのこちらの激情を逆撫でするような顔を見ながら、輝夜は先程の光速の弾幕を余裕綽々と交わされた理由について思考した。
―確かに小町の言ったように、僅かな弾幕の隙間に飛び込まれたのは事実だろう。しかし、かと言って音をも置き去って迫る弾を簡単に見切れるものだろうか。
よくよく振り返ってみれば、顔を狙って放たれた小銭弾にも小さな違和感を覚える。あれは牽制弾を超える速さで放たれたものではなく、「背後にいきなり出現し、そこから放たれた」物だとしたら―。
そこまで推測した後、輝夜は三枚目のスペルカードの使用を宣言した。
「…お遊戯はここまでよ。あなたの攻め方の種も大体分った事だし、これで引導を渡してあげる。」
「神宝『ライフスプリングインフィニティ』」
輝夜がスペルカードの宣言をした時、枝の宝珠から無数の光糸が展開された。直線状に、そして同心円状に拡がるそれは互いに交わりあって幾多の格子を形成していた。真上から見たならば、自転車の車輪を連想させられる事だろう。
小さな格子による無数の結界は刹那の内に二人の対峙していた空間を埋め尽くし、小町が立っていた場所も一瞬にして光の牢獄に飲み込まれた。
「さあ、大人しく死の淵へと帰ることね!」
同心円の中心に形成された一際大きな空間から結界の十分な拡散を確認した輝夜は、数にして四桁にもなろう程の赤弾を無造作に展開する。徒にばら撒かれた弾はしかし、光糸の壁をまるで存在しないかのようにぬるりと突きぬけ、結界の中でひとしきり暴れた後、更に次の結界の内部へと向けて飛んでゆく。
隙間を見つけて瞬間的に移動するのならば、それよりも先に隙間の無い空間に閉じ込めて蹂躙する。これが輝夜の選択であった。
仮に内部空間の大きい結界の中に飛び込み、その中で弾を交わし続けていたとしても、無造作に放たれ、時に隙間の無い壁となる桁違いの数の暴力を交わし続けることは出来まい。そう考えた輝夜は人ひとりを打ち倒すには過剰とも言えるほどの弾をばら撒き続け、
「ああ、無理無理。その方法じゃあ、『距離を操る程度の』あたいは捕まらないよ。」
自らの戦略の前提が間違っていた事を思い知らされた。
その声は、左前方からだった。
ぎょっとしてそちらを見ると、先程小町が立っていたところから輝夜のいる同心円模様の先端まで、赤紫色の細長い空間が伸びているのが見えた。それが伸びているところでは、結界の壁にぽっかりと人一人が通れるくらいの穴が空いていた。
更に、眼前にはこちらに向かって突進してくる、再びの好機に歓喜した、結界の虜となるはずだったモノ。
その腕からは、漆黒と白銀の二層に分かれた一閃の煌きが長く円弧を描いて伸び、文字通り死神の如く、流れる黒髪をたたえた喉笛へと迫っていた。
―小町の振りかぶった大鎌の一振りが、輝夜の首めがけて疾走する。殺意は無くとも、そこにあるだけで死を告げる斬撃は、間一髪で身をかがめて回避され、あえなく虚空を切った。慣性に置き去りにされた黒髪が、鎌に触れられて宙を舞う。
黒髪の端を犠牲にすることで急降下して一閃を回避した輝夜が、狼狽の色を浮かべた目でこちらを見つめる。時間の経過と共に消失してゆく光糸の結界に合わせて次のカードに手をかけるより先に、すでに発動している小町のスペルカードの名前が、赤紫色に怪しく輝き始める振りかぶりの構えと共に告げられる。
「死符『死者選別の鎌』」
鎌を持った右腕が頂点まで振り上げられるのと同時に、二人がちょうど入るくらいの、鎌が宿すのと同じ赤紫の光を帯びる空間が、輝夜の足元から天を目指すように這い出し、あっという間に二人を飲み込んだ。
本能の鳴らす警鐘に突き動かされ制動を取ろうとする輝夜だったが、どういう訳か着地したその場所から全く動く事ができない。反する小町は空間に飛び込んだ直後、一気に加速度を増して輝夜へと詰め寄り、空いている左手を伸ばして、そのまま彼女の首を鷲掴みに捉えた。
かは、と輝夜の口から苦悶の吐息が漏れる。
首を捕らえた小町はそのまま輝夜を押し倒し、自らもその上に馬乗りになる。右腕は鎌を振り上げたままで、いつ黒髪の美貌が両断されてもおかしくない状況だった。
「っく、かは…、なる、ほど…。どうやら、あなたの能力を、私は、読み誤って、いたようね…。」
首を絞められてろくな呼吸も出来ない状態で、月の姫はその美貌を苦悶に歪めていた。対する死神は、相変わらず飄々とした調子で告げる。
「一つ種明かしをしてやるとね、あたいの能力は『距離を操る程度の能力』なのさ。どんなに相手との距離が近かろうが遠かろうが、あたいにとってそれは久遠であり、鼻先のもの。さっきの光の檻のカラクリも同じことだよ。このスペルカードで穿たれた空間は、『到達できないほどの距離』で隔てられていた、って寸法さ。」
「へぇ…。じゃぁ、あの顔に向けられた貴女の弾も、さっき私がここから動けなかったのも、同じ原理、ってことかしら…?」
「さっすが姫様、飲込みが早いねぇ。弾を避けてたのも同じ理屈さね。」
にかっ、と小町が屈託の無い顔で笑う。その右腕には、笑顔に似ても似つかない、凶相をたたえた大鎌。
「―さて、そろそろその首を頂いてみる事にするよ。何分あたいも見惚れちまいそうな綺麗な顔だから、切るにはすごく惜し」
小町の言葉は、その眼前から一瞬にして消失した輝夜の姿と共に、背後から生まれた鈍い衝撃に掻き消された。
鎌を振り上げた格好のまま、小町の体が前のめりに傾く。背後から生まれた激しい衝撃に七、八間ほど吹き飛ばされ、数度地面に転がされた。
何が起きたか理解できない頭に、地面の視覚が飛び込んでくる。その直後、大きな平たいもので殴打されたような痛覚が全身を駆け巡った。地面に叩きつけられたという事は何とか理解できても、鈍痛に軋む体を制御できず、無様に地表に伸される格好となった。
ざらついた砂が流れる意識の中、背後から咳交じりの澄んだ声が聞こえる。
「折角貴女からわざわざ能力を教えていただいたんですもの、けほけほっ、私も能力をお披露目しないと、けほっ、いけませんわね…、っはぁ。」
平静を取り戻したのか、声音は敬体に戻っていた。
「私の能力は『永遠と須臾を操る程度の能力』。私の周りに流れる時間を無限に引き延ばしたり、無数の刹那を寄せ集めたりすることができますの。貴女の物理的な久遠や刹那など、私の前では取るに足りませんわ。」
輝夜は追撃の手を向けることなく、勝敗の決着を告げるようにとつとつと語りかける。
「ですが、この地に流れ着いてからというもの、弾幕勝負でここまで私の血を猛らせたのは貴女で三人目よ。『金閣寺の一枚天井』を抜かせたことを誇りに思いなさいな。安心なさい、「板の角」でぶつけてはいませんから。」
そこまで語られたところで、ようやく小町の意識が清涼を取り戻す。しかし、彼女の予想外に重い不意打ちを受けた体は、とても満足に動かす事はできなかった。
「っ痛てててて~…。なんっつーか、あかいあくまのメイドとやらとそっくりな能力だことで。おまけに、こんな大玉をまだ持っていたとは…。―おかげで、もう満足に戦えそうも無いねぇ、ってあいったたたた…。」
言いながら、鎌を杖代わりに千鳥のような足取りでよろよろと立ち上がる。その目からは、
「おや、まだ立ち上がるとは本当にしぶといお方。もう一枚ほど天井をお見舞いして差し上げましょうか?」
「おいおい、勘弁しておくれよ、もう…。今回はあたいの負けで良いさね。」
それまで見せていた獣じみた眼光は消えうせ、最初の腑抜けたようなものに戻っていた。
「でもまぁ、なかなか良い機会を愉しませてもらったよ。それに、本当にしたかったことも出来たしね。」
「…?それはどういう、」
小町の口から出た唐突の意味深な言葉に、輝夜は疑問を返そうとする。しかしそれを言い終わらないうちに、
「それじゃあね、月の姫様。素敵で退屈な、良き蓬莱ライフを。」
背中を向けた小町の姿は、いつの間にか竹薮の闇に掻き消えていた。
竹林の中で一際開けた広場の中、天元を通り過ぎてゆく月に照らされたまま、独り残された少女が佇む。辺りを包むのは、笹の葉が夜風にそよぐ音と、雑多な虫達の合唱と、嵐が過ぎ去った後の不自然に静まった空気のみ。珍妙な赤い乱入者も、頭を潰された紅白の少女の死体も、すでに存在していなかった。
§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§
外出から帰ってきた屋敷の主人を迎えながら、旧き世を生きた鵜鷺は考える。
姫は不死であり、それ故に殴ろうが切ろうが焼こうが生命には全く関係ない。
ところがそんな姫に突っかかるあの白髪の娘も、やはり不死なのだ。
すなわち、争う理由も価値も、そこには存在しない。ならば、何故に螺子の壊れたカラクリ人形のような、この道化芝居を続けるのだろうか。掛ける物が最初から無いのなら、永遠の中で汚点にもならずに埋もれてゆく程度の小競り合いに勝った所で、得るものなど何一つ無いというのに。
それに、螺子の壊れたカラクリ人形はその構造を逸した稼動をするに伴い、構成する部品がいずれ欠けてゆき、結果として機構全体を破損させる。恐らく、姫の精神のカラクリは、一番奥底の部品がすでに暴かれ、いずれ誰にも気付かれないところで壊れてしまうのだろう。
そんな愚かしい行為が成す利点は、姫も彼女も知らない。
そして、その暴かれた歯車の孔に完全な形で収まる代理品もまた、彼女は知らない。
故に、同じく悠久の時を過ごした彼女はただ呆れ続け、主の困った悪癖に溜息をつき続ける。願わくは、小競り合いから帰ってきた後の寝床で、翌朝部屋を訪れた者が鼻をつまむほど嘔吐するのは止めてほしい、と。
とりあえず気になった点をいくつか。
>憎悪に変わり心を侵蝕する底冷えの敗北感に妹紅の身体がかしぎ →憎悪に代わり
>履いている下駄と相成りかなりの長身に見えた →下駄と相俟り、かな?
>どの道、時間が経てば歩ける程度には帰れるようになるのだから
→帰れる程度には歩けるようになるのだから、かな。個人的には
>全く、始めて会った時といい先日の湖畔でのことといい →初めて会った時
>神と言う字を冠しながらここまで下賎なモノを見たのは、貴女が始めてよ →貴女が初めてよ
>不意を疲れた攻撃と、まだ微かに残る気配のざわめきに少々肝を冷やした輝夜は →不意を衝かれた
>輝夜は先程の光速の弾幕を余裕綽々と交わされた理由について思考した →躱された。この後にも二箇所ほど
あと、会話文の中では、末尾の句点はつけない。
三点リーダーは必ず偶数になるようにする。
など、基本的なことも勉強してみてはどうでしょうか。