Coolier - 新生・東方創想話

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2011/09/08 19:40:31
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 紅魔館の長い廊下の突き当たりに、重く閉ざされた扉がある。
 その中では一人の少女が数多くの従僕を使役しながら、来る日も来る日も分厚い書物の頁を繰っていた。
 背の高い書架が、まるで岩壁の如く峨々として聳え立つ大図書館。
 僅かな衣擦れの音も、時折従僕達が交わす囁き声も、書物が全て飲み込む場所……

*

 その日は朝から体調が優れなかったパチュリー・ノーレッジは、やや不機嫌な気持ちのまま読みかけの魔導書を手にとった。
 お気に入りのロッキングチェアに体を預け、銀細工の栞を挟んだ頁を開くと、すうっと双眸が細まる。人の心に作用する魔法の概論についての記述が並び、それを追って植物や動物の挿絵が数点、緻密な観察に拠るであろう細かさで描きこまれていた。

「こんな植物、あったかしらね……」
「幻想郷内部では確認されておりません。但し、探索の完了している範囲に限りですが」

 独り言のような小ささの呟きだったが、それに応じて抑揚の無い声が響く。
 元々薄暗い図書館の、そのまた暗がりの中に潜むように、パチュリーの直ぐ側には小悪魔が控えていた。

「そう。まぁ、この本が書かれたのがそもそも、外の世界だものね。推して知るべしと……」

 不意に声が途切れ、その後に続いたのは苦しそうな喘ぎと咳の音だった。口元を抑えて激しく咳き込む主の背を撫でつつ、小悪魔は近場にいる仲間に水を持ってくるように目配せする。運ばれた水が注がれたマグを受け取ったパチュリーは、喉を冷やそうとするかの様にゆっくりと嚥下し、その所作を何度か繰り返すと、やがて体から強張りが抜けていった。

「……ああ、少し、落ち着いたわ。有難う」
「ご自愛を」

 未だ苦しげではあるものの、発作は落ち着きを見せたらしい。微笑に一礼をもって返した小悪魔は、ところで、と相変わらず抑揚のない声で云った。

「どうやら来客のようです」
「……そう。誰かしら」
「メイド長が現在、此方へ案内している様です。恐らくはあの人間かと存じますが……今朝方からお体が優れない様ですし、お断り致しましょうか」

 小悪魔の目は、パチュリーの先に有る扉の更に向こう側を見通すように見開かれている。主の体調を慮っての言葉が添えられるのも、小悪魔の従者としての有能さの一端を表していた。

「大丈夫よ。此処に通して構わないわ」

 パチュリーの返答に対して僅かな沈黙の後、小悪魔は再度一礼してから扉へ向かう。観音開きのそれが軋みながら開かれると、そのすぐ前に咲夜と魔理沙が立っていた。

「パチュリー様にご友人がお見えです」
「……どうぞ、此方へ。ご案内致します」

 小悪魔は慇懃に魔理沙を迎え入れる。物腰柔らかく、控えめな態度。完璧な立ち居振る舞いである。
 しかし、その言葉の中の微かな刺……『何もこんな時に』という苛立ちの響きを鋭敏に感じとったパチュリーは、クスリと笑った。

「よう。ご機嫌麗しくは……なさそうだな」
「もう少し喘息の調子が良ければ、その無礼な物言いに相応の返礼をして差し上げたのだけどね」

 トレードマークの三角帽を無造作にサイドチェストに投げ出しながら、人を喰った挨拶をする魔理沙にパチュリーは事もなげに応じた。
 ケラケラと明るい笑い声を立て、大げさに身震いのジェスチャーをしつつ、魔理沙は小悪魔が用意した椅子に腰掛ける。

「まぁそう言うなよ。今日は手土産もあるこったし」

 手にした麻袋の中から幾つかの小さな円錐形の物を取り出し、差し出す。手にとって香りを嗅ぐと、スッと鼻腔をくすぐる清涼感のある香りがした。

「薬草かしら」
「喉の痛みだの、咳が出る時に焚くと良いんだとさ。八意の大先生が云ってたから間違いないだろ」
「偶には役に立ちそうなものを持ってくるわね。で、誰から掠め取ってきたの?」
「酷い云われようだな。態々作ってきたってのに全く」

 小悪魔が運んできたハーブティを受け取りつつ、パチュリーは香皿を持ってくるように小悪魔に告げた。運ばれたそれに香を乗せ火を近づけると、くゆる煙と共に呼吸器を癒す香りが場を包んでゆく。

「悪く無いわ」

 短い言葉の素っ気無さに反して、パチュリーの顔に浮かんだ喜色に満足したように魔理沙は頷き、ハーブティを啜った。
 暫く二種類の香りを楽しむように続いた沈黙による静寂は、空になったカップを置く音で破られる。

「それで、お礼の要求は何かしら」
「おいおい、人聞きが悪いぜ。ただの善意だよ」
「あらそう?なら、このままお引き取り頂こうかしら。今日はあまりご機嫌麗しくも無い事だしね」

 不本意そうに唇を尖らせる魔理沙を尻目に、含みを持った笑顔のパチュリーが混ぜっ返した。降参というように両手を上げ、そのまま魔理沙は両手を頭の後ろで組んで嘆息する。

「どうも魔法使いっての底意地が悪いのが多いな」
「貴女も魔法使いじゃないの。いいから早く要件を云いなさい」

 苦笑いしながら、魔理沙が先だっての麻袋の中から一冊の本を取り出す。それは余りにも状態が悪かったが、微かにざらつく手触りから、元は革張りの表紙だったであろう事が判る。
 一般的な形状より少し小振りな本。稀覯書は見慣れているパチュリーでも見たことのない装丁だった。

「随分とボロボロね」
「まぁ、正直ゴミみたいな見た目だしな。中身も私には読めなかった。ただ、なんというか……上手く言えないんだが」
「異様な雰囲気。魔法的な波動。呪われた本……表現する語句は数々あれど、早い話『なんか気になる』わけね」

 魔理沙が黙ったまま頷く。先ほどとは打って変わって表情が引き締まっていた。

「悔しいが、本は読めない者が持っていてもただの紙切れだ。中身も判らないまま此処の蔵書にして下さいと差し出すつもりは毛頭無いが、読んでもらえるなら非常に助かるぜ」
「相も変わらず利己的なこと」

 今度はパチュリーが苦笑いする番だった。
 しかし、と考える。この本が気になる事は事実だ。もしこの話を蹴れば、魔理沙はさっさと本を懐に仕舞ってしまうだろう。ならば、読んだ上で交渉カードに使ったほうが良い。
 一瞬でそう判断したパチュリーは、手の中の本をおもむろに開いた。

「虫食いが酷いわね……これは、タイトルかしら。『棄命の書』……?」
「読めるか?」
「……少し待って頂戴」

 硝子細工に触れるような手つきで、パチュリーがゆっくりと頁をめくって行く。事実、そうしないと綴りがばらばらになってしまいそうなほどに状態が悪い。
 待たされる立場の魔理沙はそわそわと落ち着かなかったが、急かすような真似はしなかった。ただ、パチュリーの横顔に浮かぶ表情から本に書かれた内容を読み取ろうとするかの様に、じっと見つめ続けている。

「……終わったわ」

 ゆっくりと本が閉じられたのは、お替りに運ばれてきたお茶がかなり微温くなってからだった。それを口を湿らせる程だけ含んで、パチュリーはホゥと吐息を吐く。

「それで、内容は?」
「魔法使いになる方法、その記述書」

 端的な答えである。一瞬怪訝そうな顔をした魔理沙は、やがて肩を竦めた。

「なんだ。それじゃあ、役に立たないか。ご大層なものかと思ったのにガッカリだぜ」
「読めない本が必ず素晴らしい内容だとは限らないもの。苦労して解読して、その挙句美味しいシチューの作り方だったりね。だけど」

 テーブルの真ん中に無造作に本を投げ出し、ロッキングチェアから身を起こしたパチュリーは、おもむろに魔理沙に正対して付け加えた。

「この本は想像以上だわ。正確に言えば、『完全な魔法使いになる方法の記述書』よ」
「……どういう意味だ?」

 射るような視線に戸惑いながら、魔理沙が問い返す。

「私のような類の魔法使いに変じる方法が書かれているのよ。言うまでもなく私は人間ではない。貴女は人間。私と貴女を隔てるものを超越する方法論、その極めて簡単な実現法」
「それってつまり、捨食捨虫の法以外での成り方、ってことか?」

 魔理沙の脳裏に、一瞬アリスの姿が過ぎった。
 生まれつきの魔法使いでない人間が魔法使いになるためには、人の根幹を成す部分を捨て去らなければならない。物を食べずとも良い体になること、身体的成長を放棄し、長命になること。。それをして捨食・捨虫の法と呼ぶ。
 どちらも今の魔理沙が成し得られるものではない。いつかその領域を踏み越えたいと思い、故に努力を怠らずにいるのだ。だが、パチュリーの言が事実だとすれば、その本はそれを省略して結果だけを勝ち得るものだという。
 信じがたいと言った顔で、魔理沙はパチュリーを見返した。

「私が読めないからって、適当に言ってるんじゃないだろうな」
「そのつもりなら、まだ美味しいシチューの作り方だったと答えたほうが気が効いてるわ」

 疑いの眼差しを正面から受け止め、パチュリーは身動ぎもせずに言い返す。
 
「この本の記述が事実だと仮定すれば、魔理沙の言うとおり、捨食捨虫の法を使わずに完全な魔法使いに成れるでしょうね」
「……それは、試せる方法か?必要な材料とかは」
「特にその辺りに問題はなさそうね。でも、魔理沙」

 唐突に薄笑いをたたえた表情になると、パチュリーは身を乗り出して本の上に手を置き、囁くような声でこう尋ねた。

「本当に、良いの?」
「……何?」

 語調が唐突に嘲笑うような響きに変じた事に戸惑い、魔理沙の眉根に皺が寄る。意味が判らないと言わんばかりの表情。
 しかし、魔理沙の困惑を無視してパチュリーは話題の舵を大きく切った。

「ねぇ、魔理沙。この図書館に一体何冊の本があると思う?」

 云われて思わず周囲を見回した魔理沙は、改めてこの図書館の大きさを実感する。
 本の痛みを嫌い、昼夜問わず締め切られた薄暗い室内に点々と灯された灯り。それに浮かび上がる、天井近くまでの高さで伸び上がる書架。その間を使い魔たちが忙しそうに動き回っているのが微かに見えた。まるで隠れん坊に興じる子供たちの影絵のような姿に、一瞬だけくらりと目眩がした気がした魔理沙は慌てて頭を振る。

「私は本を著し、読み、智識を蓄える事に生を意味を見出している。その積み上がった結果がこの図書館よ。書架の数は限りなくあるし、所々魔法で空間を弄って拡充している位の量よ。尤も、それもそろそろ足りなくなってきているんだけど」
「ご大層な話になってきたが、それとさっきの質問に何の関係が……」
「簡単な話よ」

 話が見えず、苛立たしげな魔理沙の言葉を、涼やかな声が遮る。再び薄笑いが張り付いた顔に戻ったパチュリーは、殊更声を潜めた。

「完全な魔法使いになったら、貴女何をするの?」
「何……って」

 返答に窮する質問。
 改めて思えば、そこに至るための努力をすることがあっても、完全な魔法使いになって何がしたいかなど考えたことも無かった。が、しかし、それはある意味で当然だとも言える。人を超え、不老長命になることが既に過分すぎるほどの目標なのだから。
 逡巡し、視線を彷徨わせる魔理沙を見つめる双眸が、お気に入りの本を眺める時のように細くなる。ついと顔を背けたパチュリーは、再び椅子に体を預けて呟いた。

「完全な魔法使いになるということはね。自らの先に広がっている時間という狂気を踏み固め、一段ずつ積み上げた無限の階梯を登ることと同義」
「…………」
「勿論、そうなれば今の魔理沙とは比べ物にならない魔力と、人が渇望してやまないほぼ無限の時間が手に入る。けれど」

 パチュリーは一旦言葉を切ると、物憂げな手つきでケープを外し、リボンを抜き取る。
 腹部まで顕になった、あまりにも白い肌と浮きだした肋骨、常人より早く浅い呼吸に忙しなく上下する胸……それらからは、活動的な生の温かさよりも、陰鬱に漂う死の影が強く連想された。

「私の様に喘息に苛まれ、貧血に眩む体を引きずって、それでも死なずに済むと判っているのは……悲劇かしら?喜劇かしら?」

 魔理沙の膝の上で握られた拳が震える。今にも泣き出しそうな顔をした魔理沙は、まだ余りにも幼い一人の少女でしかなかった。

「パチュリーは、そうならない様にしろと云うのか?私が努力してるのは不幸せになる、無駄な行為だとでも……」
「まさか。違うわよ、魔理沙。そうじゃないの。貴女が完全なる魔法使いになりたいなら、いくらでも協力して上げたいと思ってるわ」
「じゃあ、何故そんなことを云うんだ!」

 ついに魔理沙の口から激昂の声が漏れた。思わず立ち上がった後、自分の声の大きさに我に帰り、力なくのろのろと席に着く。
 テーブルに肘をつき、頭を抱えたまま、一言一言搾り出すような声が漏れた。

「パチュリーが、そういう事は、一番詳しい筈……じゃないか」
「今、魔理沙は私達の領域の入り口に立っている。私は、こちらに踏み込む前にちゃんとその意味を教えておく義務と、権利があるわ」

 魔理沙の手に、ひんやりした手が重ねられる。顔を上げると、いつの間にか立ち上がったパチュリーが魔理沙の肩を抱いていた。
 小さな魔法使いの縋るように揺れる瞳を真っ直ぐに受け止めて、紫色の魔女が哂う。
 
「パチュリー」
「大丈夫よ、魔理沙。何もかも全部教えてあげるから。それでこそ私は、貴女が演じてくれるだろう悲劇と喜劇を特等席で観られるのだもの」

 魔理沙の心臓が、ドクンと音を立てた。一拍ごとに早くなる拍動に連動し、呼吸もその秩序を乱し始める。
 この期に及んで、魔理沙は漸く理解した。パチュリーは全て見通していること、そして、魔法使いという種族が、どういうものなのかも……
 全身を襲う、痛みとも苦しみともつかない感覚に抗って、ともすれば崩れ落ちてしまいそうな体を無理やり起こす。
 肩に回されたパチュリーの手を弱々しく払い、大きく何度か深呼吸をした魔理沙は、続けて吐き捨てるように呟いた。

「……この本を読むのは止めておくぜ。適当に本棚に放り込んでおいてくれ」
「あら、千載一遇のチャンスじゃない?」

 クスクスと笑うパチュリーを睨みつけ、魔理沙は三角帽を被り、よろめきながら立ち上がった。

「……仮に私が本物の魔法使いになるとしたら、それは自分の力でじゃなきゃ嘘になる。大切なものは自分で奪うから楽しいんだ」
「帰るの?そろそろ陽が落ちるわよ」
「良いさ。夜に飛ぶのは別段嫌いじゃない。昼間に飛ぶのが一番好きだけどな」
「そう……じゃあ、案内させましょう」

 小悪魔を振り返ろうとするパチュリーを片手で制して、魔理沙は頭を振った。

「いや、良い。勝手知ったるなんとやらだ。適当に帰るぜ。邪魔したな」
「さよなら。次はもう少し面白い本を期待しておくわ」
 
 魔理沙はその言葉に一瞬足を止めたが、振り返ることはせずに足早に立ち去ってゆく。いつもより少し小さく見えるその背を見送って、パチュリーは再びロッキングチェアに深く深くその身を沈めた。

「……居るかしら」
「はい。此処に」

 掠れた声に応じて、小悪魔が現れた。ひざ掛けを持ってくるように頼み、ぐったりと脱力する。疲れと、酷い倦怠感が襲ってきていた。
 目を閉じれば魔理沙との会話の情景が浮かぶ。例えるなら裏切りを非難するような……いや、もう少し複雑な想いの詰まった顔。
 あぁ、今日は本当に機嫌麗しくは無い日だったと思いながら、いつしかパチュリーの意識は深い静寂に沈んでいった。

*

「ん……」

 目を覚ますと、辺りは静寂に包まれていた。手近の時計に目を凝らすと、既に深夜と呼ぶべき時間になっている。
 体には頼んだひざ掛けではなくブランケットがかけられ、先ほど魔理沙が持ってきた香が焚きしめられていた。
 小悪魔が気を利かせたのだろう。今はその気配を感じなかったが、後でねぎらいの言葉をかけよう……そんな風に考えていると、別の気配が背後で揺らめいた。

「お目覚めかい、我が友よ」
「珍しいわね、レミィが此処に来るなんて」

 首を回して振り向くと、この館の主たるレミリアが中空に浮かんでいた。蝙蝠の羽をはためかせ、音もなくパチュリーの側に降り立つと、友の体を気遣うように額に手を当てる。

「熱はそう高くないようだな。体調が悪いのに魔理沙と会ったりするからこうなる」
「知っていたの?」
「あらましは先刻、小悪魔と咲夜から聞いたよ。あの白黒の人間には一度礼儀を叩きこんでやらないと……紅魔館にきて、このレミリアに挨拶も無しとはどういう了見なのか」

 態とらしく牙を剥き、怒りのポーズをとるレミリアに、パチュリーは思わずクスリと笑ってしまう。
 もう、長い付き合いなのだ。それが本気かどうかなど、一々聞くまでもなかった。

「レミィはあの時分は夢のなかじゃない。挨拶のために叩き起こしたら余計機嫌が悪くなるくせに」
「まぁ、ね。……しかし、妙な本が持ち込まれたもんだ。魔理沙の奴もいくら読めないからといって、パチェの手を煩わせに来るとは」
「そんな筈ないのよ」
「……あン?」

 レミリアが首を傾げる。パチュリーはテーブルの上に放り出されたままになっていた本に手を伸ばすと、先ほどとは違い無造作にパラパラと開く。今にも本が崩れ落ちてしまいそうだったが、特に気にするでもなく眼が文字だけを追ってゆく。

「魔理沙が以前此処から持ちだした本にね、今日持ってきたこの本と同じ言語形態で書かれたものがあったのよ。それについて質問を求められた記憶があるわ」
「つまり、奴はこの本も読めていた筈だと?」
「そうなるわね」

 最後の頁に書かれた文章に眼を落としながら、パチュリーは楽しそうに微笑む。

「こう有るわ。『ここに我が生涯を費やした研究の成果を書き記し、私は自らの命を断つ。辿り着くまでに掛かりし時間の膨大さと、それすら一睡の夢と変えるこの先の時間を思わんが為なり』……あの子、怖くなったのよ。恐らく、これを見てね」

 パチュリーの手の中の本を覗き込んで、レミリアも文字を追ってみる。のたうつ文字の羅列は彼女には理解できないものだったが、書き遺した人物の絶望と苦悩が凝縮されているようにも見えた。

「だから、読めないなんて下手な嘘をついて、選択の権利を押し付けた。本を私に読ませている途中の魔理沙の心は透けて見えるようだったわ。どう思う?どうしたら良い?私は何を選択すべきなんだ?って」
「それで?なんて答えてやったのさ」
「ここに書いてある事をそのまま繰り返してあげたわ。力も時間も、膨大に手に入る。そのかわり、永劫無限の戦いが始まる……この著者が、戦う前に逃げた相手との」

 パチュリーとレミリアは顔を見合わせて、同じようにクックッと喉を鳴らして哂った。二人の顔に抑え切れない残酷さが張り付き、空気が淀むような悍しさが放たれる。
 まともな人間がこの場に居合わせたなら、気を失う事で自我を守ろうとしただろう。ゆらゆら揺れる蝋燭の灯すら、余計に彼女たちの影の沌さを増すためにあると錯覚するほどの瘴気。
 
「魔理沙はどうするかな」

 ひょいとテーブルに腰掛け、楽しげにレミリアが問う。それにパチュリーも楽しげに応じた。目を細め、朽ちた表紙を愛しげに撫でながら。

「この本を此処に置いて行ったという事は、未だ未練在りと見るべきでしょうね。きっと方法も論理も、魔理沙は忘れようとする……本当に全部を自力で成し遂げようとするなら、こんなの焼き捨ててしまえば良いのに」
「じゃあ、いずれ取りに来るかもしれない」
「来るわ。きっと来る。『あの本はやっぱり自分で持っておくよ、本棚を使わせてもらうのも悪いからな』なんて殊勝な事を言いながら、その実、畏れ慄いて」

 パチュリーはパタンと本を閉じると、近くに置かれたブックワゴンを引き寄せる。お気に入りやよく読む本だけを集めたその書棚の、一冊分の空きにすっぽりと収まった本の背は、やはり何処か異様な雰囲気を持っていた。

「全く、『棄命の書』とは名付けたものだわ……人は高い処からの誘惑にも、低い処からの誘惑にも弱いものね」

 夜の採光のために開けられた鎧戸の向こうでは、大きな月が中天に登っていた。長く伸びた蒼白い光が二人を照らし出す。
 レミリアの紅い瞳と、パチュリーの濃紫の瞳がその中で幾度か交叉した。

「なぁ、パチェ。魔理沙がどういう形にせよ、完全な魔法使いになったら、どうすると思う?」

 月を見上げながら、淡い光を気持ちよさそうに浴びていたレミリアが、牙を見せて笑いながら不意に尋ねる。
 一瞬きょとんとしたパチュリーだったが、顎に人差し指を当てて暫し、友と同じ様に月を見上げた。

「そうね……力押しが大好きな性格は治るものじゃないし、欲しいものを手に入れるのに躊躇もしない。もしも私の智識を奪いたいと思えば、その時もう一度相対することになるんじゃないかしら」
「弱くはないぞ、あの人間は。それに、その時は『魔法使い』同士だ」
「……その時は、踏み越えた狂気の数の差を思い知らせるだけのことよ」

 スカートの裾をひるがえして床に降り立ったレミリアは、パチュリーの体を押さえて椅子にもたれさせると、ブランケットを掛け直す。そしてそのまま、額にキスをした。

「ともあれ、休みな。全く、体の頑強さだけは人間ベースなんだから無茶をするもんじゃない」
「そうね……ありがと」
「それと、パチェよ。その……少なくとも、私達はとっくに化物同士さ」
「え……うん。……お休み、レミィ」

 ほんの一瞬だけ慈愛の笑みを浮かべたレミリアは、蝋燭の灯を吹き消して闇の中に身を溶かして消えた。残されたパチュリーは月光を浴びながら、高い天井を見上げて夢想する。
 いつの日にか、成長した魔理沙が挑んできたら、その時私はどうするだろうか。あの、陽の中を飛ぶことを好む魔法使いに、私は勝てるだろうか。
 負けて、紅魔館から叩き出され、一人でこの幻想の地を彷徨うことになるかもしれない。本と、かけがえの無い友人を、同時に失うのだ。
 そこまで考えた時、パチュリーの体は氷の手で掴まれたような冷たさに固まった。
 死という、殆ど意識すらしたことの無い概念。だが、生きている意味と、生きている事を知ってくれている誰かが居なくなった時、その状態をそれ以外に一体何と呼べば良いのだろう。

「人は死ぬから死を恐れる。化物は死ねないから死を恐れる……不自由なものね」

 レミリアも、小悪魔も、使い魔達も居ない、耳が痛むような静寂の大図書館。
 その中に響くのはロッキングチェアの軋む音と、パチュリーの嗚咽のような咳の音だけだった。

(了)
初めまして、初投稿させて頂きます、酒虎と申します。

如何でしたでしょうか。宜しければ、ご感想、ご意見等いただければ幸いです。

2011/09/08
酒虎
http://twitter.com/#!/strafe123
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コメント



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2.90奇声を発する程度の能力削除
やや滲み出るダーク感が凄く好み
終わり方も綺麗で良かったです