Coolier - 新生・東方創想話

スナップショット・ランデブー

2011/09/04 19:36:04
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 たぶん喋らなければ綺麗なんじゃないですかね、あの風祝は。

 ふと、私がそんな風に思ったのは、もう幾度目かは分かりませんが、あの風祝、東風谷早苗にカメラを向けた時でした。
 カメラのファインダー越しに、物憂げな早苗さんの横顔を見ていると、私はどこか高揚した気分になっていったのです。
 折しも季節は秋で、涼風が髪を揺らし、青白の腋出し巫女装束の早苗さんは、少し寒そうに顔をゆがめるのでした。
 そんな姿を見るたびに、寒いのでしたら上着を着ればいいと思うのですが、どうやらそういう訳にもいかないようです。

「どうして幻想郷の巫女はそんなに寒そうな格好をしているんですかね、全く理解できませんよ」

 何の考えも無しに私がそう呟いた瞬間、凄い勢いで答えが返ってきました。

「文さんだって、そんなミニスカで綺麗な脚線美を晒してるじゃないですか、ああ細くて妬ましい」

 それにしてもまったく言葉のキャッチボールをする気がないようですね、この風祝は。
 私の言葉に答えるどころか、理不尽に文句を言ってくる始末です。
 どこの橋姫ですか貴女は、と思ったのですが、それは口に出さずに、私は別の事を口にするのでした。

「で、何で私を呼んだのですか。ああ聞くまでもなかったですね。また霊夢さんに負けたんでしょう?」
「……」

 私の言葉に早苗さんは無言でそっぽを向くのでした。
 その様子を見て、私は内心の愉しさを抑えきれずに、思わず口角を吊り上げました。
 この反応こそが疑いようもなく、雄弁に答えを告げているのでした。

「やっぱりですね……。まったく、霊夢さんに負けるたびに私を呼び出すんですから……。貴女が幻想郷に来て、知り合ってからずっとそうじゃないですか」

 私は貴女の愚痴吐き袋じゃないんですよ。
 そう付け加えたいところを、ぐっと我慢して、私は早苗さんの姿をカメラに収めるのでした。
 どういう訳だかわからないのですが、早苗さんは弾幕ごっこに負けると、私を呼び出してこうして写真を撮らせるのです。
 不審に思って、前に理由を質したことがありましたが、

「負けた自分の姿を残すことで、次頑張ろうっていう気がするじゃないですか」

 そんな風な、理由になっているような、なっていないようなよく分からない答えが返ってきました。
 確かに、戦に負けた戒めのために自分の苦渋の姿を絵に描かせた武士が昔はいました。
 ですが、こんな毎回写真に残していたら、その効果も薄れるんじゃないですかね。
 私などはそう思うのですが、早苗さんの考えは違うようです。
 まあ、撮らせてくれるというものを、こちらから断る必要もないですから、余計なことは言わないでおきましょう。
 それにしても、秋風に洗われた髪や、怒ったように尖らせた唇も全部好ましく見えますね。
 まあ、そんなことは口が裂けても言いませんけど。
 それは言わぬが花というものです。
 私はこれ以上肩入れして踏み込むつもりはないですし、早苗さんからも踏み込ませる気はないですから。
 あちらは山の巫女で、こちらは天狗の記者。そんな知人としての距離感がちょうど良いんですよ。
 ただ一つ分かっていることは、こうして早苗さんの写真が日々増えていくと言うことだけです。

*    *

 数日後、再び早苗さんに呼び出されたので、私は守矢神社に向かいました。
 まったく我ながら付き合いの良いことです。
 いつものように境内に降り立つと、私はキョロキョロと早苗さんの姿を探すのでした。
 本殿のそばで掃き掃除をしていたので、すぐにその姿を見つけることが出来ました。
 しかし、どうもいつもと様子が違います。
 急ぎ足で私の方に近づいてきたかと思うと、そのまま私の手を取り、神社の裏へと連れて行くのです。
 その勢いに押されるように、私はなされるがまま、早苗さんに引きずられていったのでした。
 しかし、そんな風に連れてきたくせに、いざ顔を合わせると、早苗さんは何か言いにくそうにモジモジとしているのです。
 まだ心にゆとりのあった私は、そんな不審な態度をとり続ける早苗さんをじっと観察するのでした。
 いつも落ち着いている人ではないのですが、今日はいつも以上に落ち着きがありません。
 それだけでなく、頬はどことなく上気して、朱に染まっているような気もします。
 ふと、私の中で一つの疑念が浮かんできました。
 あり得ないと頭では分かっていたのですが、改まった様子だったので、変に期待してしまっている自分がいました。
 そう、いつも晩に一人で致してしまっているときの妄想のように……。
 ですが、やはりそんな都合のいい話があるはずがありませんでした。
 ようやく決心が付いたのでしょう、早苗さんは小さく深呼吸してから、ようやく口を開きました。

「文さんは、恋ってしたことあります?」

 その言葉は、やはり私の期待を裏切る物でした。
 確かに、思わせぶりな質問ではあったのですが、どうやらその質問は私だけに対しての質問というよりは、聞きやすい妖怪の一人に聞いただけというものでした。
 それは、その質問を私にするのが恥ずかしいというのではなく、内容自体が恥ずかしい、そんな印象を受けました。
 そしてそれは、その声色からも明らかなことでした。

「は?」

 思わず間の抜けた声を上げた私に、早苗さんは畳み掛けるように言葉を続けたのでした。

「いや、だから恋ですよ、恋。文さんは好きな人っていないのかなあって思ったんですよ」

 それにしても突拍子のない質問です。
 ですから、思わず無言で見返してしまった私を責める人は誰もいないでしょう。
 まず理解できません。
 何故この風祝はこんな質問をしてくるのでしょうか。

「なんでそんな質問を?」

 我ながら芸のない返しですが、困惑したままですので、気の利いた言葉が出てくるはずがありません。

「別に、いつもゴシップを扱っている文さん自身が恋をしてたら面白いなと思っただけですよ」
「それだけ、ですか?」
「はい。そうですよ」

 気の抜けた言葉を投げかける私をよそに、早苗さんの返答はあっけらかんとしたものでした。
 私は、思わずがっくりと肩を落としそうになったのですが、鋼の自制心でなんとかそれを押しとどめることに成功しました。
 まったく本当にこの風祝は、どうしてこんなにも相手の気持ちを考えられないのですかね。
 平気な顔をして、私の気持ちを踏みにじるのです。
 まあ、この射命丸文、たかだか十数年しか生きていないような小娘に、自分でもよく分かっていない内心を悟られるほど迂闊ではありません。
 ですから、早苗さんの言葉で勝手に傷ついている私なんていやしないんです。
 そんな風に自分を強引に誤魔化していると、早苗さんが怪訝な顔を私に向けたのでした。

「黙りこんでどうかしたんですか?」

 どうかしたんですかじゃないですよ。
 むしろどうかしますよ。
 ああ、こんなことなら、あの日思い切って行動に踏み切ればよかったのでしょうか?
 早苗さんが、鳥居の上に腰を掛け、涙を拭っていた、そう、泣きはらした顔を夕焼け色に染めていたあの日のことです。
 折角だから慰めることを口実に、肩ぐらい抱けばよかったんですよ。
 というかですね、いっそのことそれ以上も――。
 いやいや、軽はずみなことをしてはいけません。
 無理矢理というのは私のポリシーにも反しますし、何よりもそんなことをしたら、怖い怖い保護者が黙ってはいないでしょうし。
 ですから、私は誤魔化すようにカメラを構えると、早苗さんの写真を撮ることにしました。
 突然カメラを向けられて、今度は早苗さんが困ったようですが、シャッター音が切られるたびに、乗ってきたのでしょう。
 私が満足する頃にはノリノリでポーズなどを決めていたのでした。
 そうして今日もまた、私の早苗さんアルバムが充実していくのでした。

*    *

 またある日の話です。
 紅白の方もそうですが、幻想郷の巫女というものは、どうしてああも物を食べている姿が微笑ましく見えるのでしょうね。
 あの幸せそうな姿を撮るのが、私はとても好きなのです。
 ですが、どうも彼女達には不評なようです。

「もう文さん、変なところを撮らないでくださいよ」

 この前など、お饅頭を頬張っているところを撮影したら、おみくじ爆弾を投げつけられました。
 うん、理不尽です。
 ですから今日は、私は神社の境内からではなく、母屋の裏から回って、直接早苗さんの部屋に向かいました。
 別に何か深い意図があってそうしたというわけではなく、ましてやいかがわしい気持ちなどみじんもありませんよ。
 ただ、ちょっと驚かしてやろう、そのくらいのものでした。
 すると、そこには珍しく早苗さんが書物に向かっている姿がありました。
 当然、シャッターチャンスですので、音を立てないようにその姿をカメラに納めました。
 ファインダーを通して早苗さんを見ていると、あることに気付きました。
 その表情は真面目に勉強をしているというよりは、懐かしそうに眺めているという感じでした。
 それ故、私はどうしても声を掛けることが出来ず、部屋の外から何とはなしにその様子を眺めるばかりでした。

「おーい、早苗、ちょっといいかい」
「はーい。なんでしょうか?」

 しばらくすると、母屋の方から早苗さんを呼ぶ声がします。
 どうやら、神奈子さんが何か用があって、早苗さんを呼んだのでしょう。
 結局、私は早苗さんと話す機会を逸してしまい、ただ外に立ち尽くしているばかりでした。
 その時、早苗さんが先程まで読んでいた本が私の目の端に留まったのです。
 魔が差すとはこういうことを言うのでしょうか、気が付けば私は早苗さんがいないことを良いことに、早苗さんの部屋に忍び込んでいました。
 常日頃の私であれば、もっとスマートに行動するところでしょうが、その日は違っていました。
 何か強い衝動が私を駆り立てたのです。
 きっと、早苗さんが立ち上がろうとした瞬間、目元を拭った姿を見てしまったからでしょう。
 そういう姿を見てしまうと、俄然何を読んでいたか気になるというのが、記者としての本能と言っても過言ではありません。
 それはあくまで記者としての興味であって、個人的感情で早苗さんに興味があるわけではありませんのであしからず。
 好奇心は猫をも殺すといいますが、私は天狗ですから関係ないですね。
 そんな風に思いながら、私は早苗さんの部屋に忍び込んだのでした。
 少しだけ周囲に気を配りながら、素早く早苗さんの机のそばに近づきます。
 机の上には先程まで読んでいたであろう書物が置き去りにされていました。
 ふふと口元を緩めて、私がその本を手に取った瞬間でした。

「んー懐かしいねえ、早苗が向こうにいたときの教科書じゃないか、それ」
「……!」

 その時の驚きは説明する必要はないでしょう。
 声にならない叫び声を上げるどころか、驚きすぎてしばらくは口を鯉のようにパクパクとするよりほかありませんでした。
 しばらくしてから少し深呼吸をして、呼吸を整えると、私は諏訪子さんを咎めるように口を開きました。

「もう吃驚しましたよ。諏訪子さんいきなり顔を出さないでくださいよ」
「勝手に人の部屋に忍び込んだ奴の台詞じゃないよね、それ」

 かんらかんらと笑いながらそう言うと、諏訪子さんは呆れたように頭を掻くのでした。
 その様子から、諏訪子さんは早苗さんの部屋に不法侵入した私を、怒って咎めに来たという訳ではないことが分かりました。
 どうやら、たまたま見かけたから声を掛けた、そんな程度のものでしょう。

「早苗とは仲良くしてくれてるようだね」
「まあ、それなりに」
「ふふーん、もしかして変な気を起こしてたりはしないだろうね」

 蛙と言うより、蛇が絡んでくるような細い目をして、私に顔を近づけると、諏訪子さんはそう囁くのでした。

「はは、まさか」
「そういう反応はそれはそれで腹が立つねえ」

 鼻で笑うように言った私に、諏訪子さんは不満げに頬を膨らませたのでした。

「……どうしろって言うんですか。そもそも、あんな暴風巫女、私の手には負えませんよ」

 そりゃあ、暴走する風神の相方を長きにわたって続けている諏訪子様なら大丈夫でしょうが、と続けたくなる衝動を押し止めて、私はそう返すのが精一杯でした。

「そうかい? それが楽しいんだけどなあ。ま、いいや」

 どこか、物足りなさげにそう言ったあと、諏訪子さんはわざとらしく手を打ったのでした。

「それはそうと、最近早苗が何処かに足繁く通っているのを知っているかい?」
「え? いえ、知りませんが」
「ありゃ、あんたにしては珍しいね」

 心底驚いたように、諏訪子さんは私を見返したのですが、本当に一体どういう目で私を見ているのでしょうかね。

「諏訪子さん、私をストーカーか何かと勘違いしてませんか?」
「パパラッチだって似たようなもんじゃないか」
「私はただの新聞記者です!」
「へいへい」
「分かってます? ストーカーとパパラッチと新聞記者には大きな隔たりがありますよ」

 憤懣やるかたなしといった私を体よく無視すると、諏訪子さんはたちの悪い表情を向けるのでした。

「それは置いとくとして、一度こっそりついて行ったら良いと思うよ。きっと面白い物が撮れると思うから。あ、その時の写真は私にもちょうだいね」

 それだけ言うと諏訪子さんは、現れたときと同じようにさっと姿を消してしまいました。
 再び一人きりになった私でしたが、早苗さんが戻ってこないうちに、部屋を後にしたのでした。
 そして、我が家に戻ってきて気付きました。
 慌てて出てきたのがいけなかったのでしょう、早苗さんの本を持ち帰ってしまっていたことに。

「やってしまいました……」

 と悔やんでみたところで、後の祭りです。
 まあ、後日帰しに行けば良いでしょう、と気を取り直したわけですが、そうなってくると俄然その本の内容が気になってくるのが天狗情という物です。

「思わず手に取ってしまいましたが、これはどういう本なんですかね。諏訪子さんは教科書とか言ってましたが」

 パラパラとめくっていくと、そこには様々な種類の文章が断片的に掲載されていました。

「なるほど」

 寺子屋で使われているものとそんなに大差はないようです。これを使って早苗さんは昔勉強していたのでしょう。

「しかし、所々に描かれている落書きを見る限り、真面目な生徒というわけではなかったようですね」

 微笑ましい落書きが随所に見られて、思わず苦笑が漏れてしまいます。

「まったく、早苗さんったら」

 ふと、ある頁で私の手が止まりました。そこを早苗さんは何度も読み返したのでしょう。一見してすぐ分かるほど手垢で汚れていましたし、繰り返し開かれたからでしょう、折り癖が付いていました。
 その頁の内容は簡単です。読んでいるこっちが恥ずかしくなるような、恋の詩でした。

「可愛らしいところもあるんですね」

 私は、その頁の片隅にあった消された名前を意図的に目にしないようにして、私はその本を閉じたのでした。 

*    *

 翌日、私は守矢神社のそばの森に潜んでいました。目的は、当然早苗さんが外出するのに合わせて、後を付けるためです。

「別に諏訪子さんにけしかけられて、気になって仕方がないからではありませんよ。そんな個人的な興味じゃなくて、……そう、記者としての勘がスクープが待っていると告げているのです」

 そんな誰に対しての弁解か分からないような言葉を呟きながら、私は早苗さんに気付かれないように、距離を取って追いかけるのでした。
 幸いあの馬鹿犬ほどではありませんが、鴉天狗の目もかなり遠くまで見通せますから、その点は心配ありません。
 まあ、昨晩眠れなかったので少し目が充血してますが、その程度で目がくらむほど柔ではないですよ。

「しかし何処に行くんですかね。神社も人里も通り過ぎて、魔法の森でもないようですし、後こちらの方で残っているのは……、あ、まさか」

 あることに気付いて、私は思わず怖気を震って中空で立ち竦むところでした。

「いやいや、そんなことはありません」

 自分の想像を追い払うように頭を振ると、再び早苗さんの後を追いました。
 しかし、悪い予感というのは大概当たるものです。早苗さんが降り立った場所は、季節外れの向日葵が咲き誇る太陽の畑のすぐそばでした。
 思わず頭を抱えた私をよそに、早苗さんはずんずんと畑の中に入っていきました。それはまるで勝手知ったる庭のようです。

「全く分かっているのですかね、ここにはあの人がいるというのに……」

 太陽の畑の主である、あの人、風見幽香さんの姿が目に浮かびました。

「あやややや、どうしたものですかね。普通に行くと早苗さんはともかく幽香さんには気付かれるでしょうからねえ」

 早苗さんを追いかけて、私も太陽の畑のそばに降りたのですが、すぐに中に入ることはしませんでした。
 幽香さんに用がある時は、何も気にせずに空から行くのですが、今日はそういうわけにはいきません。
 そんなことをすれば早苗さんに見つかってしまいます。
 それどころか、出来れば幽香さんにも気付かれないように畑の中に忍び込みたい、私はそう思っていました。

「できればお二人に見つからないようにして近づきたいものですが……、ん?」

 どうやら長々と思案している時間はなさそうです。畑の奥から微かに聞こえてくる弾幕の飛び交う音は、中で行われている惨状を私に想像させるのに十分でした。

「仕方ありませんね……、まったく手の焼けることです」

 私は一つ舌打ちをすると、巨大な向日葵の並木の下を、素早く駆け出しました。
 音を頼りに、弾幕ごっこが行われているところまで辿り着いて、私は強い衝撃を受けたのでした。

「あれは、誰でしょうね……」

 我知らずそう呟いていました。
 いや誰かなんて事は分かっています。
 ですが、私は目の前で幽香さんと対峙している風祝が、いつもの彼女と同じであるようには、とても見えなかったのです。
 そこには、霊夢さんや、魔理沙さんと弾る時とは明らかに違う表情の早苗さんがいました。
 彼女達との良く言えば競技、悪く言えばごっこ遊びに興じる時に見せる子供の顔とは違う、大人の顔がそこにはあったのです。
 いえ、大人の顔というのも語弊がありますね。
 あれを一言で言えば、そう、女の顔でした。
 強烈な嫉妬の炎が私の胸を焦がします。
 私はカメラを構えることも忘れて、呆然とその光景を眺めるより他ありませんでした。
 相対している幽香さんは、いつも通りの嗜虐的な表情を浮かべたまま、それはそれは愉しそうに早苗さんを追い詰めているのでした。
 かつてどこかの誰かが、弾幕ごっこはお互いを理解するためにやるもんなんだぜ、とか言っていたのを何とはなしに私は思い出していました。
 暫く私は撮影もせずに眺めていましたが、胸を押さえつけるようにいたたまれなくてその場を後にしました。
 頭を垂れた向日葵が、私を哀れんでいるような気がして、無性に癇に障りました。
 そして、そのまま重い足取りで私は家へ戻るのでした。
 気分を変えるために原稿でもしましょうと、私は机に向かったのですが、まったくもって集中することが出来ません。
 理由は自分でも分かっているのですが、それは絶対に認めたくないものでした。
 結局、私は深々と椅子に体を投げ出すと、まんじりともせずに真っ白な原稿を眺めているだけでした。
 そうしていると、ふと持ってきてしまった早苗さんの本が目に入りました。

「そうだ。これを帰しに行きましょう」

 良い口実が出来たとほくそ笑みながら、私は再び家を出ると、茜色に染まり始めた空を背に私は守矢神社に向かうのでした。

*    *

 私が守矢神社に着いたのは、ちょうど大きな太陽が山の端に沈んでいく頃でした。
 真っ赤な夕焼けを背中に受け、私の影が人気のない境内に長く伸びていきます。

「やっぱり、いらっしゃいませんか」

 わざわざ呼ぶまでもなく、早苗さんが帰宅していないのは明らかでした。

「それにしても何でしょうね、この気持ちは……」

 肩すかしを食らったような気持ちがしている反面、心の何処かで分かっていたのでしょう、あまりがっかりしていない自分がいました。
 むしろ、いなかったことにホッとしている自分がいたのです。
 ですが、ホッとした瞬間から、胸の内で黒い衝動が首を擡げ始めたのを、私は感じていました。
 それは一言で言えば、例の花の妖怪に対する嫉妬心に他なりませんでした。
 また早苗さんへの邪な情念も混ざった物だったと思います。
 このままこの境内にいたら、そんな昏い、妄念とも言える感情を抑えきれなくなりそうでした。
 私は一つ息を吐くと、最大限の理性を振り絞って心を落ち着けることに終始

「帰りますか……」

 ある種の終局を自分で起こす前に、一つ息を吐いて、踵を返そうとしたときでした。

「あれ、もう帰っちゃうのかい?」

 あっけらかんとした声に呼び止められて振り返れば、とても嬉しそうな諏訪子さんの顔がそこにありました。
 余所行きの仮面で表情を隠すことも出来ず、きっとその時の私の顔は明らかに渋面だったことでしょう。

「どうもお邪魔しました」

 取り繕うように精一杯の愛想笑いを浮かべて、私はその場を立ち去ろうとしたのですが、そんなことを許してくれるような神ではありませんでした。

「早苗が帰ってくるまで待てば良いのに、用があってきたんだろう?」

 ニヤニヤと良くない笑みを浮かべたまま諏訪子さんはそう言うのでした。
 どう考えても分かって言ってます。

「いえ、また日を改めることにします」

 きっぱりとそう言って帰ろうとしたのですが、私はあっさりと諏訪子さんに押しとどめられてしまいました。

「いやー、文、良い顔になったねえ」

 憔悴したような私の声を聞いて、諏訪子さんはじろりと私の顔を舐めるように見ると、本当に愉しそうにそう言ったのでした。

「……そうですか」

 まともに相手をすることを諦めてがっくりと肩を落としながらそう呟いた私に、諏訪子さんはさらに追い打ちを掛けるように言うのでした。

「で、写真は?」
「……撮ってません」

 この神さまは本当に酷い神さまだと思います。私が撮れなかったことなどお見通しのくせして、そういう質問を投げてくるのですから。

「まあ、伊達に祟り神やってないからねえ」
「口に出してないこっちの思考を読むのは止めてくれませんかねえ」
「ははは、まあ珍しい物が見られて良かったんじゃない?」
「ええ、まあ、それはそうですが」

 私はそう言いながら、今でも目に焼き付いている早苗さんの姿を思い返すのでした。

「でも、あれは期間限定だよ。撮るなら今のうちだと思うけど」

 相変わらずどこか愉しそうに鼻を鳴らしながら、諏訪子さんはそんな私を見返すのでした。

「そうでしょうね、早苗さんはまだ自分の気持ちに気付いていないようでしたから」
「そうそう、肩に力はいっちゃってさ、おかしいんだから」

 諏訪子さんは馬鹿にしたような口調でしたが、その中に幽かに憂愁の色が混じっているような気がしたのは、私の穿ちすぎでしょうか。

「確かに良い表情でしたね。……でも」
「でも?」
「やっぱりああいう表情は自分と弾っている所を撮りたいじゃないですか」
「はっはっは、なるほどねえ。うん、こいつは一本取られたなあ」

 どうやら私の言葉は諏訪子さんの琴線に触れたようでした。
 諏訪子さんは抑えきれないと言わんばかりに、腹を抱えて大爆笑したのでした。
 私は憮然としてその様子を眺めていましたが、まったく腹立たしくありませんでした。
 むしろ自分が同じ立場でしたら、同じような反応をするのでしょうね、と思うくらいには冷静に眺めることが出来ていたのです。
 諏訪子さんは、ひとしきり笑い続けてようやく落ち着いたみたいです。
 ですが、それでもまだ腹筋が引きつるのでしょう、横腹を押さえたまま私の方に向き直ると、

「無理じゃない?」

 そんな風にあっさりと言ってのけました。

「ですよねー」

 間髪入れずに私がそう返したものですから、再び諏訪子さんは爆笑の渦に巻き込まれたのでした。
 今度は私も笑っていました。それは決して追従の笑いではありません。自然と体の中からこみ上げてきたものでした。
 おかしなもので、そんな風に笑い合っていると、不思議とさっきまで胸の中にあったどす黒い衝動がすうっと消え、さざ波立っていた心が、次第に落ち着いていくのを、私は感じていました。
 そうしているうちに、早苗さんが帰ってきました。

「ただいま帰りました。あれ、文さんいらしていたんですね、こんにちは」
「どうもお邪魔してます」

 早苗さんは丁寧な口調でしたが、その声には疲れの色が見えました。巫女服も、一見すれば変わりがないようですが、布の端々が痛んでおり、袖口が少し破れかかっていました。
 その姿に、私は予想していたこととはいえ、少なからず驚いていたのですが、諏訪子さんはいつものことなのか、全く気にした様子は見せませんでした。

「ん、おかえり。今日はどうだったの?」
「また負けてしまいました。……でも、次こそは勝ちます!」

 早苗さんは少し悔しそうにそう言ったのですが、すぐにけろっとした表情を見せると、再戦に燃えているようでした。
 そんな早苗さんを見ていると、なんだか先ほどまで悩んでいた自分が馬鹿らしくなってくるのでした。

「ん、何かやられているのですか?」

 私は馬鹿のふりをしながら、そんな風に早苗さんに尋ねるのでした。

「え? 私、最近太陽の畑で幽香さんと弾っているんですよ」

 早苗さんは、全く何の意識もなく、自然な返答をするのでした。
 分かってはいたことですが、そのとき私ははっきりと早苗さんから意識されていないことを覚りました。
 だからこそ私は、気負いなく提案することが出来たのでした。

「それは面白そうですね。取材に行ってもかまいませんよね」
「はい、私が勝つ姿を見ていてくださいよ」

 そう言って早苗さんは太陽の花のような笑顔を浮かべたのでした。

「ええ、期待していますよ」

 そう言った私の顔を、諏訪子さんが、それで良いのかい、と言わんばかりに、ちらりと眺めましたが、私はまったく気にしていませんでした。
 早苗さんが楽しそうにしているのならそれで良い。私はそう思っていたのでした。
 翌日、私は早苗さんの弾幕ごっこに付いていきました。まるで保護者のように付いてきた私を見て。幽香さんが一瞬、嫌そうな表情を浮かべたのですが、私は全く気にしませんでした。
 そんなことよりも私は早苗さんの姿を撮ることだけしか頭になかったのです。
 カメラに収めるだけでなく、胸に焼き付けるように、弾幕ごっこに興じる早苗さんの姿を撮りました。
 いつかこの想いが思い出に変わっても、胸に焼き付いているように、全てを逃さぬように写真を撮り続けたのでした。

「さあ、今がシャッターチャンスです!」
久々に投稿しました。
丁寧語で話すのは簡単だけど、文章にするとくどくて面倒臭い。
というか一人称自体が……何というかグダグダ。
うちの考える文と早苗さんの関係はこんな物というか。
片思いって良いよね。
片思いのベテラン的にはそういうのが楽しいのですよ。

最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。
久我暁
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ちょっと唐突な感じがしました。もう一伏線か、理由があると良かったなあ。
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なんか、この雰囲気が好きです
妖怪の恋愛観とはどのようなものなんだろうか
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いいですね。でも片思いはやっぱアレですよね
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いいですねえこの雰囲気。あややとすわっちのこういうやり取りも良かった。