妖精メイドとして徴用されて以来気の休まる日など無かったと断言する。
晴耕雨読の言葉に習い、晴れた日は弾幕戦演習・人間との知恵くらべ・未開地への旅立ちに励み、雨の日は人里及び魔法の森の奇矯な人々より無断拝借した挿絵付きの書籍を読みふける。
そのような健康にして文化的な生活が破られ、視覚に不要な負担を強いる紅い館に閉ざされたのは何故であるか。
始まりは、或る日突如として現れた紅い館の使いの一言であった。
「あなた達、今日からうちのメイドね」
銀髪の彼女は日々弾幕の鍛錬を欠かさぬ我々の目の前に降り立つや否やそう言い放った。
勿論我々(メイドという言葉を知らず『面白そう、やってみる』と即答した者を除く)はその暴虐に憤慨した。
しかしあちらは悪魔の使者である。
一舐めすればその甘さが全身を貫き骨を抜かれてしまう宝玉(俗に飴玉という)により味方の多くは陥落。残された精鋭達も使者が取り出したトランプカードにより繰り広げられる摩訶不思議な現象の数々(彼女はそれを手品といった)を目の当たりにし、皆一様に金剛石のように目を輝かせた。
我々の軍勢は私一人のワンマンアーミーとなるも、私は必死に悪魔の手先と化そうとしていたかつての仲間達に説得の言葉を投げかける。
気分はさながら祖国の誇りを胸に立つ孤高の英雄であった。
「三食にデザートの果物を付けましょう」
残念ながら、古来より英雄は団子に弱いものである。
かくして我々湖付近の妖精一団は職務という鎖で繋がれたのであるが、私は身体の自由は奪われど精神、思想の自由まで手放すつもりは無かった。
赤一色の面白みの無い館を模様替えすべく大量に淹れたコーヒーを絨毯にぶちまける、かつて過ごした森の空気を懐かしんで外気を遮断するガラス窓を破壊する、身体能力と独創性の向上を目指しアクロバティックな体勢で食器を運搬し時に失敗から成功の種を得る。
こうした具合に、風情のわからぬ人間には反抗期を迎えた子供にしか見えぬであろう文明人たる機知に富んだ生活を謳歌したのである。
悪魔の使いであるメイド長は風情のわからぬ人間であった。
私の数多の文明的活動は鉄拳制裁、デザートの削減、追加労働、食事の減量、鉄剣制裁と多角的な懲罰によって弾圧された。
もはや私に与えられるのは一日一食のパンとキャベツの千切りと塩水だけである。
妖精は食わねど戦はできる、我々は何を食べずとも飲まずとも身体的な生存は可能であるが、精神的な飢餓は訪れるのだ。それは牛丼に卵が載るか否かという問題に酷似する。
三食果物付きという条件が満たされていたのは三日ばかりの事であった。三日天下とはこのことか。
言語道断、まったくもっての横暴である。かの日の誇り高き英雄に与えられる処遇ではあるまい。
無情にも私を取り巻く不遇の根源たるメイド長には歯が立たないが、板垣死すとも自由は死せず、屈するわけにはいかない。
そうして私はゲリラ的文明的活動を続け、その尽くを看破され、もはや悪鬼そのものへと成り果てたメイド長の折檻を受けていた。
しかし或る日、そんな辛酸を舐め尽くし酸のテイスティングまで可能になるような日々に転機が訪れた。悪魔の妹にして我が同志、フランドール・スカーレットとの邂逅である。
*
「あなたを今日から妹様の専属メイドにします」
奇妙にも転機は諸悪の根源であるメイド長によってもたらされた。メイド長が現れた際に行われた数学的帰納法・ドミノ倒しの原理実践モデルin図書館本棚に対する懲罰のくだりは割愛しよう。
ともかく同僚である妖精メイド達からは惜しみなく同情の視線を、引き継ぎとして私に仕事の説明を行う包帯がチャームポイントの元専属メイドからは絶え間なく感謝と激励の言葉を頂戴し、私は怪訝な表情をして事務的で素っ気ない文字で『フランドールの部屋』と書かれたプレートのぶら下がった扉を叩く事になったのである。
『妹様は返事をしませんが、数秒待った後一言断ってから入室してください』とは元妹様専属メイドの言である。
私は扉を叩き続けた。横着は人を堕落させるという。これは妹様を堕落より救済せんとする誇り高き無償の愛による行為なのだ。
コンコンガンガンと扉を叩くうち「うるっさいなぁ早く入ってよ!」と猛々しくも愛らしい少女の声が聞こえた。
「失礼します」
私は瀟洒に両手でスカートをつまみ上げ、一礼を携えて部屋に入った。
読者諸兄には未だ伝えていない事であるが、今回の私の仕事は妹様に食事を届ける事である。
妹様への食事はトレイに載せられ、両手或いは片手で運搬できるよう配慮されている。
では私は如何にして両手でスカートをつまみ上げたか。勿論食事の乗ったトレイを地面に置くといった礼を失する事はしていない。
書籍に見る所の東アジアの人々を習い、頭に乗せているのである。様々な体勢での食器運搬を試み成功の種を巻き続けた結果、このような事は造作も無いことであった。
かのメイド長が見ればすぐさまその長の字を明け渡すことであろう。
どうやら私の流麗なる所作は妹様の心を捉えたようである。
「ねぇねぇ、どうしてあんな事できるの?」妹様はベッドから身を乗り出して私に尋ねた。
「日々の修練の賜物に御座います」
「いつもあんな事やってるの?失敗したりしない?」
「失敗も御座います。ですが失敗は成功の種と言います。種を撒かねば花は咲きません。私は種を撒き続け、花は咲きました」
「失敗って……咲夜に怒られたりしなかった?」
「折檻ならばメイド長がレパートリーに困るほどに受けました」
「この包帯もその一つ?」
そう言って妹様が指さしたのは私の頭に巻かれたものである。先程の元専属メイドと偶然にもペアルックであった。
「これは先ほど数学的帰納法を視覚的に得心しようと図書館の本棚を倒しにかかったところを目撃された結果ですね」
妹様は私の言葉を聞くとベッドに上半身を投げ出してけらけらと笑い始めた。実に機嫌が良さそうである。
「あなた、おかしいわね」
「おかしいとは趣深いという意味でしょうか、それとも普通から逸脱しているという意味でしょうか。どちらにせよ褒め言葉と受け取りましょう」
「本当におかしな妖精!」妹様は腹を抱えて大笑いした。
「ありがとうございます妹様」私は深々と頭を下げた。
「フランドール・スカーレット。フランでいいわ、名前で呼んで」
満面の笑みを浮かべるフラン様の目端に涙が見えたのは笑いすぎたせいであろう。勿論、私はその申し出を受け入れた。
*
その日から私の日常は大きく変転する。
1.同僚の妖精から尊敬のまなざしで見られるようになった。(以前は好奇のそれであった)
2.食事が一日三食、パンとスープと温野菜のサラダに変化した。
3.フラン様の遊び道具として要請すれば様々な物品が手に入るようになった。
4.一日の大半をフラン様の部屋で過ごすようになった。
番外.メイド長の折檻が多少緩くなった気がする。おそらくは私自身の慣れか包帯の代金が財政を切迫し始めたせいであろう。錯覚の可能性を考慮しナンバリングは行わない。
何はともあれ、私は正当な評価を勝ち得たのだ。
フラン様との蜜月を過ごすにあたり私達の命題となったのは部屋の模様替えだ。
部屋、特に自室というものは己を高める場所であり最も多くの時間を過ごす空間であり安息の地である。よって、部屋は人を創る。故に、これは最優先して行うべき事項であった。
フラン様の部屋は殺風景であった。20m四方の部屋の中央に絨毯こそ敷かれているものの、前後左右と天井には無機質な灰色コンクリートがさらけ出されている。ピンクを基調とした豪奢で華美なベッドや小さなタンスとその上に置かれたぬいぐるみとの不協和音が実に痛ましい。目下の敵は、この灰色の壁である。
「どかーんと壊しちゃう?」フラン様は豪胆であった。
我々が消去法により導き出した文明人の文明人による文明人たる結論はクレヨンによる彩色である。
ペンキはディストピア小説における監視機関も裸足で逃げ出す探知能力を誇るメイド長によって入手が差し止められた上、単色によって一面をべたりと塗り尽くす様は些か趣きに欠ける。
壁紙を貼るという手法は一般的過ぎており、我々の内より溢れんばかりのオリジナリティを発揮するに値しないと判断された。
そこでクレヨンである、一見幼稚とも思われがちなクレヨンであるがその実可能性は限りない。
一色を下地にもう一色を塗れば中間色も作れ、走らせた線は一面をべたりと塗り尽くすこと無く微かに下地の色・陰影を残すのだ。
試しに一本空色の線をえいやと引いてみると、コンクリートのキャンバスも手伝い掠れ方に侘び寂びを思わせる見事な一筆となった。
クレヨンという頼もしき道具を得た我々文化追求活動会(会員二名)であるが、言葉の通り、壁は些か大きかった。
1.妹様の部屋は20m四方の大きさである。
2.天井の高さは4mほどもある。
3.キャンバスは前後左右と天井の5面と大盤振る舞いである。
そう、20m×4m×4箇所+20m×20m、締めて720平米の壁が私達のキャンバスであった。
クレヨンの大量輸入についてはメイド長の黙認という形での許しが出たものの、この大きさに何を描くかである。苦労は買ってでもするものであるから労力については問わない。
豊潤なる知識を持つ者も、その引き出しを自在に開閉できるわけではない。
私は発想の助けを得るべく図書館へと赴き、本を開いてうんうんと唸る前に絵やら写真やらが載っている本を捜して途方に暮れていた。
「今度は何をやらかすつもり?」
後ろからかけられた不機嫌そうな声は図書館の主パチュリー様のものである。振り返れば、蔑みを含んだ目から私を過小評価している様子がひしひしと伝わってきた。
「フランドール様のお部屋を彩ろうと思いまして」何処吹く風で答える程度の社交性を身につけているのが文明人である。
「……へぇ?」その目からは蔑みが薄れ、幾らかの興味が見て取れた。
「前後左右そして天井の五方をクレヨンのキャンバスとするのです。課題は何を描くか。その題材を閃く手掛かり、あるいは題材そのものがあればと尋ねた次第です」
「それは貴方一人でやるの?」期待が少し。
「いえ、フランドール様との共同作業ですよ」
「なるほどね、ちょっと向こうで紅茶飲んで待ってなさい。美術本は奥にまとめてるのよ、何点か見繕ってあげる」
パチュリー様は満足気に書棚の列へと姿を消し、私はどこからか現れた小悪魔によってテーブルへと導かれ紅茶を頂いた。香り高さからおそらくは上等なものである。
「妹様をよろしくね」
程なくして数冊の本を携えて姿を現したパチュリー様は、わずかに微笑んでいるように見えた。
*
東に日の出で稜線光る山を、南に日を向く向日葵を、西に斜陽に赤く染まった海を、北には蛍の舞い飛ぶ夜を。
決めるや否やその絵は完成したように思われた。
パチュリー様に薦められた文献を参考に、昼も夜も無くクレヨンの空き箱を作り続けた結果である。
四方の壁をカーテンで覆い、どれか一つを開ける事を基本として時には思うがままに二つや三つ、時に全てを開け放つ。
非常に魅力的である。
事実、完成した時には体中をクレヨンの油で汚した私は何が何だかわからなくなり、フラン様に抱きついてくるくると回り続けた結果目を回して部屋の一角を占拠していたクレヨンの空き箱にダイブするという醜態をやらかした。
私と同じく油まみれのフラン様も、実に満足気であった。
しかし我々は未だ途上である。一仕事を終えた気になって横になった私達の目の前には、むき出しになった灰色の天井が現れた。
ここに限って、何を描くかは未定だった。全ての壁のうち最も広く、上という独自の場所である。
フラン様もここには何か特別なものが良いと言い、私もそれに同意したのであるが、その「何か」が見つからない。
「ねぇ、貴方は昔どんなところに住んでいたの?」
「湖畔の大きな木の上が私の寝床で御座いました」
「じゃあ、さぞかし景色も綺麗だったんでしょうね」
「ええ、特に夜に見上げる星月はこれ以上と無く」
「素敵!見に行きましょう!」
「えっ」
呆気に取られた。
「貴方のおうち、そこから見た夜空をこの天井に描くの。とても楽しそう!」
フラン様は胸の前で両手を合わせ、ニコニコとそれは楽しそうに笑っていた。
*
私は図書館の片隅に創り上げた自室(ダンボール製。過去に門番の方が愛用していたものを譲り受けた)にてうんうんと頭を抱えていた。
華麗なる弁舌によって天井に何を描くかの問題は保留としたものの、フラン様の様子を見る限り、ほぼ決定を避けられない。
「図書館の一角を占領するに飽きたらず、うんうんぬぬぬと此れ見よがしに声を上げるのはやめて貰えるかしら」
紫色の物静かな隣人兼地上げ屋が苦情に現れた。
「思想の自由を止める権利は何人にもありません、故に思索に伴う騒音公害も許されて然るべきですよ」
「貴方が悩むと言ったら妹様の事かしら。大方外に出たいとでもねだられた?」
隣人は地上げ屋だけでは飽きたらずエスパー或いはさとり妖怪までも兼業しているようである。
「はい。しかしフラン様を外に出さないようにと、今の役割に宛てられた際厳重に言いつけられました。フラン様を外に出してしまうのはフラン様と外部、双方にとって危険だと」
「へぇ、言いつけを守る事もあるのね貴方」
「念入りに言付けられましたし、何よりメイド長は普段見せないような不安な表情を浮かべておりましたから」
「ふぅん、そう、なるほどね」
パチュリー様は目を閉じて柔らかく微笑んだ。
「それで悩んでいるって事は、貴女はその言いつけを破りたい、フランを外に出したい、そういうことよね?」
やはり、さとり妖怪である。私は黙って頷いた。
「それじゃ、レミィに頼んでみましょうか。今夜12時中央広間で、一対一で話せるようにしてあげるから、説得は貴女自身でやりなさい」
「一つだけ、宜しいでしょうか」
「何?」
「パチュリー様はフラン様をあの部屋から出さぬように助力しているとお聞きします。フラン様があの扉を開けられないのもパチュリー様の魔法によってだとか。
……何故ここまで私を手助けしてくれるのでしょう」
「私は全てが上手く行けば良いと思ってるだけよ」
「う、ん……よくわかりません」
「言葉の通りなのだけどね。まぁ足りない所は考えなさいよ文明人」
パチュリー様はくすりと笑って姿を消す。どこか、悪魔のような笑みだった気がした。
*
私があの妖精をこれまで壊さなかったのは多分、アイツの運がよかったんだろう。
最初にガンガン扉を叩かれた時、出てきたらどかーんしようと思ってた。
でも頭にお盆を載せて、澄ました顔をしてるアイツを見たら忘れてた。
アイツはとても変な奴だった。
最近ご飯がおいしいだの、どうでも良いような事を静かな口調で情熱的に語り、賢そうな口ぶりで馬鹿なことをやっていた。
芸術と謳ってやっていることはクレヨンでのお絵かきだし、自己の研鑽と称してやることは大抵お遊びやイタズラだ。
そして妖精メイドのくせに私を怖がらない。何もかもがチグハグだ。
アイツは変な奴なのだ。
変な奴というのは面白いけど、そのうち慣れて、飽きてしまう。
それは新しいおもちゃと一緒。飽きたら壊してみると、最後にまた少し楽しめるのも一緒。
私は、アイツに飽きたら壊してしまおうと考えていた。
アイツと一緒にコンクリートの壁をキャンバスにして、クレヨンで塗りたくっていくのは楽しかったけれど。
うん、そうだ。楽しかったから、飽きたら最後に壊して最後の最後まで楽しませてもらおうと思ったんだ。
だから、なのだ。
あれを壊すのは私だから、勝手に壊されたんだから怒るのは当然のことなんだ。
アイツがお姉様に見下ろされてボロボロになって広間の床に転がってる姿を見て、心から愛する軽蔑するお姉さまクサレチビ吸血鬼に多分二、三十年ぶりの全力レーヴァテインで殴りかかっているのは。
当然のことなんだ。
*
事の顛末はこうである。
パチュリー様の約束通りに中央広間へ向かった私は無事レミリア様との接触に成功。
レミリア様は「フラン様に外出許可を出すことはできないか」という私の願いに対して、以下の回答を示した。
「貴方とフランには悪いけれどそれはできない。
もしもフランが外で暴れだしてしまった時、私達の全力をもってしても外部に漏れる被害を防ぎきることが出来なくなるから。
仮にあの子が外部に危害を加えてしまった場合、この閉じられた幻想郷ではあの子は危険なものとして知れ渡ってしまう。
フランを知らないどこかへ向かうという事もできない以上、それだけはなんとしても避けたいの。
だから、あの子が暴れだしても他の場所に被害が出ないような戦力が整うまで、許可はできない。
信用して出してあげたい所でもあるんだけどね、何分リスクが高いから、失敗しちゃった時のカバーは用意したいのよ」
至極真っ当な理由であるように思えた。
そしてレミリア様は「こんな事を言って来る妖精メイドは初めてだ。良かったらあの子の話でも聞かせてくれないかしら」
と続けて指を鳴らすと、メイド長によってすぐさま紅茶が運ばれてきたのである。
これでこの話は終わりだと言わんばかりに。
「お待ちください。戦力が整うまで、と言いましたがその目処は立っているのでしょうか」
「立ってるよ、詳しくは話せないが二ヶ月後の初夏に大々的に協力者を探す予定だ」
「どの程度の力を持った協力者が必要ですか」
「そうねえ、弾幕ごっこで私くらいは倒せないとだ」
「ならば、レミリア様の実力をこの身をもって拝見させて頂きたく存じます」
レミリア様は一つ溜息をつくと、澄まし気味だった表情をにやりと嗜虐的なものに変えた。
「二言はないね?」
「はい」
早い話が、喧嘩を売ったのは私のほうなのである。
一体何故このような暴挙に出たのか。
それはきっと、話を聞いてなるほどと頷き帰るのはなんとしても避けたかったからであろう。
レミリア様があっさりと応じてくれたのもそうした私の心境を汲み取ってのことだと思われた。
なんともはや、申し訳のない事だ。
*
クレヨンの匂いもまだ残る部屋、ベッドで眠るフラン様の横でシャリシャリとリンゴの皮をナイフで剥いて行く。
先日凄絶なる姉妹喧嘩を繰り広げた結果大怪我を負い負わせたフラン様はレミリア様共々自室での療養を余儀なくされた。
一方その発端となった私は、妖精独自の回復力も手伝ったとはいえ損傷軽微であった。レミリア様も手加減してくださったのだろう。
つまり、今現在私は極めてバツが悪い。
初めてフラン様の部屋に入った時と同様、頭に包帯を巻いてはいるがその下は全くもっての無傷である。この程度のズルはきっと許されるべきだ。
「あのさぁ」
唐突にかけられた声は普段とトーンが違っていた。心なしか普段よりも大人びたような、感情の読み取れない抑揚のない声である。
「……起きてらっしゃいましたか」
続く言葉を気にしながらも平静に答えた。
「嫌がらせで言ったのよ、あれ」
「あれ、とは?」
「この部屋の天井に貴方の家から見た夜空を描こう!ってやつ。……アンタがどんな反応するかって見てみたかっただけ。
知ってるもの。私がこの館から出られないってことも、アンタに私をここから出す力が無いって事も」
*
それから何を話したかは殆ど覚えていない。ただ最後に「一人になりたいから出ていって」と言ったとは思う。
アイツはただただ黙って私の言葉を聞いていた。泣き出したり、どうしてそんな事をするのか、と問い返す事もせず、一言だけ失礼しますと残して出て行った。
別にアイツが軽傷だったとか私が勘違いしたことなんかに腹を立てたわけではない。ただ何故か私の本心のクロい所を見せたくなっただけだった。
翌日からアイツは姿を消し、私の世話をする妖精メイドは新しく入れ替わった。
新人メイドが私を怖がらず、妙にニコニコして接していたので何故かと問い質したらアイツが私のカワイイ仕草だのちょっとした失敗だのをつぶさに語っていた事が明らかになる。
なんだかモヤリとしたものを感じたから、とりあえず新人メイドには「どかーん」ではなくアイツと研究と称した遊びの一環の集大成「アームロック」をかけておいた。
新人メイドは私を怯えた様子で扱うようになった。これで、今まで通りといった所だろう。
ある日、あんまりにもアイツを見かけないものだから話を聞いてみれば、アイツは研修とやらで館を出ているそうだ。大方、厄介払いされたんだろう。
アイツが居なくなってから一ヶ月が経っただろうか。部屋に漂っていたクレヨンの匂いはもう殆ど残っていない。
なんとなく、壁に塗られたのと同じ色でもう一度クレヨンを走らせてみたが、色がクドくなったのですぐにやめた。
この掠れた具合が丁度良いのだ。そう思う。
横になって見上げれば無機質なコンクリートの天井が私を見返していたが、一人でクレヨンを振り回す気にはならなかった。
それからまた一ヶ月。館内が慌ただしい感じがする。
何か起きたんだろうか、私が暴れでもしなければいつも静かな紅魔館なのに。
いや、一時期はそうでもなかったか。
アイツと出会う前の数週間、妙に館が騒がしい時期があった。
ああそうか、私が地下室で一人思いを馳せたここの喧騒はアイツが作っていたのだろう。
今、この喧騒を作っているのは誰なのだろうか。
部屋から出る扉を開ける。鍵は掛かっていなかった。
*
「お、箱入り娘の登場だ」
階段を上り広間に出ると、白黒の服を着て箒に跨り空を飛ぶ、見知らぬ金髪の女がそこにいた。
「残念ハズレ」
「おや、当たりだと思ったんだが」
「私じゃなくてアンタがハズレなのよ。アンタ誰さ」
「初対面の相手に失礼だな。私は博麗霊夢、巫女だぜ」
「その格好で巫女は流石に無理があるわ」
「はは、そりゃそうか。でだ、実は私はお前にあるものを見せに来たんだなこれが」
「あるもの?手品でも見せてくれるのかしら。でもそれならうちのメイドで間に合ってるわ」
「残念ハズレ、じゃあもう一つヒントといこう」
言うや否や彼女の掲げた手からミサイルのような魔法弾が飛んでくる。軽く回避。
「不意打ちとは良いご挨拶ね。弾幕ごっこって正々堂々始めるものだって聞いてたけれど?」
「半分正解といったトコかな、私が見せるのは確かに弾幕だ。もっとも、ご依頼の本分は違うんだろうが」
「まだるっこい」
「だな、そろそろ始めるか」
その弾幕ごっこで白黒の魔法使いが切ったスペルカードは、アイツと二人で読んだパチュリーの本に載っていた星空によく似ていた。
それに見惚れて、ああなるほどと納得して、自然と笑みが浮かび、私は負けたのだ。
翌日、お姉様からこれからは自由に外に出て構わないと告げられた。
*
部屋にノックの音が二つした、返事はしない。
更に三つのノック音、返事はしない。
次は五つほど強くノック音。
「はいはい、どうぞ」
かつて何度も交わした懐かしいやり取りだった。
「失礼します」
緑の髪をサイドテールにしてメイド服に身を包んだ、以前のままの姿のアイツがそこにいた。
「ずいぶん長かったじゃない、研修」
「ですが成果は上がりましたよ」
言ってにこりと微笑む。
「ありがとね。それと、ごめん」
「それは何に対しての謝罪でしょうか」
「うー、あー」
「答えなくて構いませんよ、ちょっと意地悪を返させて頂いただけですから。それより、見て欲しい物があるのです」
背中に結んでいた荷物をほどき、彼女が取り出したのは中空の四角い黒箱だった。
おもちゃ箱くらいの大きさのそれに足を付けて内部にランプを取り付けていく。
「部屋の灯りを消していただけますか?それと火を一本こちらに」
暗い部屋の中、ロウソクの灯りを黒箱の中のランプに移すと、黒箱の上部からいくつもの光が漏れ出した。
「上を、見てください」
「……わぁ」
そこには星空があった。まんまるい月に、散りばめられた無数の光、光が束になって川のように繋がっている所もある。
光は時々揺らめいて、生きているように輝いていた。思わず立ち上がって手を伸ばしてみると、星の一群が消えて私の形の影が現れた。
「プラネタリウム、天象儀、というものだそうです。私が用意したのは投影機だけですが」
座り込んだまま、満足そうに彼女は告げる。
「星月を壁や天蓋に投写する機械です。これは私が作ったので簡単なものですが、手前味噌、うまく作れたと思います」
少し飛び、映された星に触ってみようかと思ったけれど、やめておいた。
「ホントに、綺麗」
しばらく、二人でじっと星を眺めていた。
「完成、かな」
これ以上無い。私の部屋の四方は様々な景色に囲まれ、天井には星空が映し出される。
「なんだろ、嬉しいけど、少し残念」
嘘をついた。残念だというこの感情の理由はわかっている。
一緒に作りたかったんだ。もっと長く、そして最後を。
私は楽しかったんだ。コイツと一緒に部屋の壁を塗りたくっていくのが、どうしようもなく。
けれども、こんなに綺麗な光景なんだ。それを言い出してしまうと嬉しさに水を差すようで、だから言わないことにした。
「未完成ですよ」
彼女は言った。
「星月は一日毎に姿を変えるのです。季節が変われば大きく形を変えて、全く違った夜空がそこに広がるのです」
「それってつまり、その」
「365日分の投影機が必要ですね、もしくは改良」
「未完成!」
胸の前で強く手を叩く。パン、と大きな音が部屋に響いた。
「それでですね――」
言葉を続けようとした彼女の口を私の手が塞いだ。
「作らせて、一緒に。私から貴方へのお願いよ」
「ええ、勿論ですとも」
彼女はとても満足そうに頷いた。
*
夏ももうじき終わる夕暮れ時、紅魔館の門前でわいわいと騒ぐ影が三つ。
妹様と例のメイドと、もう一人は恐らく湖の氷精だろう。
大きな氷を囲って何かしようとしているようだ、また何か妙な事でも思いついたに違いない。
「世は全てことも無し、ね」
友人に勧められた紅茶を一服、満足して私は呟く。テラスに吹き抜ける涼風が心地良かった。
「ねえパチェ、私どうにも腑に落ちない所があるのだけれど」
友人は無作法にもテーブルに上半身を投げ出しジト目でこちらを見上げている。背中から生やした蝙蝠の羽根をパタパタとさせる様が愛らしい。
「何で私とあのメイド妖精が話し合ってる時に限ってフランが広間にきたのよ……フランの部屋の結界パチェが管理してるはずじゃない」
「ああ、それは私が結界解いたもの。ついでに音を届ける魔法も」
「はぁ……まぁそんな事だろうとは思ったけれど。うん、まぁいいわ。うん、まぁ……報われないのには慣れてるしね」
大きく溜息をついて両腕を組みテーブルに突っ伏す。
私はそんな友人の帽子を手に取り、紫色のくせッ毛にそっと口付けをした。
「貴方が満足できるほどの報いになるかはわからないけれど、私はずっと貴方の努力を見ていたわよ」
我ながら小っ恥ずかしい事を口走っているが、レミィの境遇を思えば友人としてこの程度はするべきだろう。
「……ありがとう」
友人はテーブルに突っ伏したままそう一言だけ返す。髪から覗く耳が真っ赤に染まっていた。
「どういたしまして」
私の頬もきっと彼女の耳と同じような色を浮かべている事だろう。
心のモヤモヤが晴れました
ハッピーバースディ!!
王制側への配慮を怠らなかった作者様にも拍手。
真に自由な魂と行動、それに伴う責任を背負うことをも貫いた妖精メイドちゃんはとてもかっこいい。
まさに〝大〟革命家の名に相応しいと私は思うのです。
素敵な作品をありがとうございました。
彼女こそ大妖精だ
後年、某大戦争に参戦したのも頷けるカッコよさ。え?妄想ですよハハハ
文章も物語も大好きです。
未完成って決して悪い事だけじゃないんですよね
後主人公の妖精は後半の描写から大妖精なんだろうけど、
この内容だと特に隠す必要性が感じられなかった。
更なる活動報告に期待してます
メイドとフランの話はいくつか見ましたがこれは別格です。
デカい芸術家の絵を地下室で実際に見たい。
メイド視点から見た脇役たちの魅力が光ってますね。
真面目にバカやる奴は大好きです。それと、最後にホロリと来るお話もね
→前後左右に?
ひねくれもの達のまっすぐで良い話でした
しかし大妖精だったのか、その辺りにいる妖精の方が私的には良かった
次回作も期待
大人びた大妖精はもちろん好きですが、いたずら大好きな大妖精も気に入りました
こんな大ちゃんは初めてだ
しかしあったかい館だなあ。
の割に悪戯ばかりしたり菓子に釣られるあたり妖精っぽくていいですね。
とても面白かったです
ここ3ヶ月くらいでは1番好きな作品です。
それこそ「本当におかしな妖精!」
妹様のクロさも、スパイスが効いていておいしゅうございました。
こういう爽やかな作品大好きです。
終わりも気持ちいい読後感でよかったです。
こんな魅力的な人物がかけるとは!
個人的にはこれくらいのさりげない登用の仕方の方が好みです。
濃いなぁ。キャラが立ってる。
大妖精を見る目が変わりそうですw
これほどまで名無しの妖精が活躍した作品が他にあっただろうか。
あのアニメの影響か…w
堅苦しい文調でやっている事は全く下らない内容、
そのギャップがすごくツボでした!楽しめました!!
中盤:あれ……なんかいい話……?
今:(´;ω;`)
おもしろかったですw
頭の中に詳細なイメージがあり、それを実際に筆で再現して見せたあたり。
全部読んだら面白かった
やるじゃない
こんな変態妖精いたらまじ惚れるわー