昼食の後、紅魔館の主レミリア・スカーレットはぼそっと呟いた。
「夕食は茶漬けがいいわ」
ただそれだけの言葉で、十六夜咲夜に戦慄が走った。
昼食の片付けも終わり、そろそろ夕餉の下拵えを始めなければならない時間になっても、
紅魔館のキッチンメイド達は動けずにいた。
いつもならテキパキと指示をだすメイド長が、机に伏せたまま動かないためだ。
紅魔館の食事の用意は、始めにメイド長指揮の元、お嬢様の食事を用意し、
それが終わるとメイド達の食事などを作り始める。使用人が主より先に食事をとるなど許されない故である。
そのため、早くお嬢様の食事の用意をしないと、自分達の食事がどんどん遅くなる。
「メイド長、あの……いかが致しましょうか?」
キッチンメイドの一人が弱々しく聞いてきた。
「……」
だが咲夜は沈黙を貫く。
理由はもちろん『茶漬け』である。
昔、とある人は
『和食を理解するのに四十五十ではまだ早く、
六十を過ぎたあたりでようやく足りる』
と述べた。
言わずとしれた話だが、レミリア・スカーレットは六十など遙か彼方に置き去った五百歳である。
故に料理に対する造詣は深い。
そして情けを知らず、妥協を許さない。
かつて、誤ってほんの少し塩加減を間違えた汁物を出した際、
笑顔でそれを絨毯にぶちまけ、「作り直せ」とだけ言ったのは、今もキッチンメイド達のトラウマとなっている。
ついでに絨毯を洗濯したハウスメイド達にグチグチ文句を言われたのも、思い出したくない思い出である。
そんなレミリア・スカーレットが注文せし『茶漬け』
只、飯に茶をかけたものであるはずがない。
贅沢品としての、一級料理としての『茶漬け』を求めているのだ。
そもそも『茶漬け』という料理にも色々あって、
やれ鯛だ塩昆布だ車海老だと、まあ概ね海産物を使うのが主流である。
有名所では鯛茶漬けであろうが、困ったことに、幻想郷には海産物が余り出回らない。
海がないから当然である。
それでも、博麗結界に綻びでもあるのか、それともスキマの気まぐれか、市場に海産物が並ぶ事もあった。
だが、そういう事情故にいつも狙った魚があるとは限らず、こういう時には悩み所である。
「メイド長、考えていても時間が過ぎるばかりです。
できることから始めませんと」
キッチンメイドの長が咲夜に苦言を呈した。
たしかにその通りだ。すでに時間は昼を過ぎ、しばらくすれば空の色も徐々に変わり始めるだろう。
残された時間は多くない。
「……わかったわ。貴方はお米を炊く用意をして。
それから何人かを市場に出して使えそうな魚を調達して。
私は器を探してくるから」
「「「了解です!!」」」
料理の前にすべきこと。それは食器選びである。
一級の料理に一級の食器は欠かすことはできない。
およそレミリアほど長く生きて、食にも喧しくなれば、同時に料理を盛るものについても喧しくなるのだ。
故に碗一つといえど妥協は許されない。
咲夜は食器棚の奥からいくつかの木箱を取り出した。
箱を開け、中から適当に器を取り出す。
貴族の家ともなれば『名物』と呼ばれる器の一つや二つ保有していて当たり前である。
もちろん紅魔館も例外ではなく、いくつもの器を保有していた。
その中で、茶器の様にレミリアにとって全く使い道のない物は倉庫で埃を被っているが、
普段の食事に使えそうな物は手近なところに置いてある。
「どれがいいのかしら?」
いくつかの器を並べて首を傾げる咲夜。
日頃洋食器ばかり使っているせいか、咲夜は和食器を見る目があまり肥えてない。
だが器を眺めている内に一つの茶碗が目に留まった。
「これでいいわね」
咲夜が選んだのは、『博麗朱色茶碗』と呼ばれる物だ。
これはちょっと前、色具合を気に入ったレミリアがほしがり、
あまり物に執着の無い霊夢から二つ返事で貰ってきたものである。
昔、空飛ぶ大老亀から先代の博麗の巫女が分捕った由緒正しき器であるのだが、
無論咲夜がそんなこと知るはずもなく、お嬢様自ら貰ってきた器なのだから文句も出ないだろう、
と選んだだけなのであった。
「次は……」
器が決まれば次は米である。
広いテーブルの上に赤い布をかけ、そこに米を薄く敷いてゆく咲夜。
他のメイドとともに目を凝らして形の良く濁りのない米粒だけを選別する。
こうして選び抜いた米が十分な量になったら、それを形を崩さぬよう気をつけながら軽く洗って釜に入れる。
「後は任せるわよ」
「はい、メイド長」
咲夜は米炊きをキッチンメイドの長に任せる。
そろそろ市場に行ったメイド達が帰ってくる頃合いだ。
どたどたどた、と賑やかな足音が近づいてきた。
普段なら『廊下走るべからず』とナイフを投げている処であるが、今は夕食の準備が最優先である。
「「「ただいま戻りましたメイド長」」」
「お帰りなさい。首尾は?」
「はい!!上々です」
「苦労しましたよ。ホントに」
「見てください!」
メイド達は元気良く返事をしてキッチンに戦利品を持ち込んだ。
『でかい』
それを見て、咲夜が第一に抱いた感想である。
全長三メートルほどあるだろうか。その上鼻が槍のように延びている。
重量は妖精メイド三人分以上あるのではないか。
良く三人で持って帰ってこれたものだと、咲夜は妙な感心をした。
それは、世に『カジキマグロ』と呼ばれる大型魚類であった。
「……」
無言で睨みつける咲夜。
咲夜とて一流のメイドであるからには、魚の捌き方ぐらい修得していたが、
それは並みの大きさの魚の捌き方であって、これほど大きな魚を捌いたことはなかった。
これはおそらく料理用の包丁では捌けまい。
咲夜は自分のスカートの中からナイフを数本取り出す。
魚臭くなったら捨てなきゃなダメね、などと内心涙しつつ
一気に輪切りにいくつかのブロックに切り分けた。
そしてブロックの一つをまな板に乗せると、
断面にそって、脂が乗っている所、赤くなっている所、
など特徴ごとに分類していった。
さてどの部分を使うか、咲夜は思案したが、
レミリアはああ見えて納豆などヘルシーな物を好むので、
あまり脂の乗っていない赤身を使うことにした。
「メイド長、もうじきお米が炊けます!!」
「そう、そのまま続けてちょうだい」
咲夜にはまだ、米が炊ける前にやることがあった。
それは茶を煎れることである。
咲夜は茶葉置き場の中から一番上等な茶を取り出す。
茶が良くなければ茶漬けの意味はない。
粉茶を専用のざるに入れ、少し水をさす。
そして出てきた汚れた水を捨てて、とりあえず準備完了である。
「お米が炊けました!!」
ちょうど良く米も炊けたようだ。
咲夜が蓋を開けると、目の前を覆い尽くす蒸気と共に食欲を誘う匂いが鼻をくすぐった。
蒸らし加減もちょうど良い。さすが長くキッチンメイドをやっているだけのことはある、と咲夜は頷く。
炊き立てのお米をしゃもじで切るようにして混ぜ、茶碗に少な目に盛る。
米を少な目に盛るのが贅沢者の茶漬けである。
それを少し放置しなま暖かいぐらいまで冷ますと、先ほど切り分けた赤身を三切れ乗せ、少々の醤油を垂らし、
粉茶を濃いめになるようざるを通して少しづつ熱湯を注いだ。
そうして、赤身が茶に浸るぐらいまで茶を注いで完成である。
ここからは時間の勝負、急いでお嬢様の所に持って行かねばならない。
と、ここで咲夜は一つの壁にぶつかった。
蓋をすべきか否か、である。
蓋をすれば、それを開けたとき、ふわっとした匂いが鼻をくすぐり、嗅覚で楽しむことができる。
だが反面、熱が籠もりすぎ必要以上に赤身に熱が通ってしまう。
悩んでる時間は無い。
咲夜はとっさに蓋をする方を選んだ。
理論ではない。お嬢様に仕えた者として、こちらが正解であろうと直感したのだ。
蓋をすると即座に時間を止め、主の私室に急いだ。
「お嬢様、お夕飯にございます」
レミリアの前に碗を差し出す。
レミリアは無言で蓋を開けた。
ふわっとした良い匂いが咲夜の所にまで届く。
レミリアが軽く頷いた。
咲夜は自分の直感が正しかったことを確信した。
「いただきます」
レミリアは静かに碗を持ち上げると、
一気呵成に口にかきこんだ。
そして皆が時間と苦労と知恵をそそぎ込んだ茶漬けは、ものの十と数秒で消えた。
「ごちそうさま」
茶の一滴まで飲み干して、レミリアは茶碗を置く。
その清々しい姿を見たとき、咲夜の頭の中に去来した想いは
『感動』
であった。
かつて『鉄は熱い内に打ち、飯は熱い内に食え』と誰かは言った、かどうかは知らないが食事とは元来そういうものである。
もし仮に、この茶漬けをパチュリー・ノーレッジに出したとしたらどうなっていただろう。
「あらこの茶碗は……」とか「この魚は……」とか蘊蓄言っている内に風味は失われてしまうだろう。
ならフランドール・スカーレットならどうだろうか。
舌の肥えぬ彼女のこと。この茶漬けの奥深さは到底理解できまい。
もし自分なら、これを作った苦労を思い出し一口にかき込むことなどもったいなくて出来はしない。
そしてゆっくり食べている内に風味は失われ最後の一口は微妙な味になっていたに違いない。
確かな舌を持ち、下々の苦労など一切省みず、良い器や材料など当たり前すぎて述べるに値しない。
そんなレミリア・スカーレットだけが、この茶漬けの、匂いも味も余韻も十二分に味わえるのだ。
まさしく『王の食事』と呼ぶにふさわしい。
「失礼します」
咲夜は感動のあまり涙が出そうになるのを必死に抑え、碗を下げて部屋を退室しようとする。
「美味しかったわ」
咲夜が部屋を出る直前、レミリアの声が聞こえた。
明日も頑張ろう、と咲夜は想った。
しかもそのまま終わってしまってまたわらった。
「ぶぶ漬けでもどうどす?」ってさ!
以上、貧乏舌の俺からグルメな方々に対する心の叫びでした。
冷や飯に永谷園、そこにただのお湯こそが至高のメニューなのだ。
具? そんなものあるわけないでしょうハハハ
切り身は、どんな切り方だったんだ?
薄さとか、やまとか、筋の入りかたとか……
あと、吸血鬼相手だろうと、鉄分たっぷりの血合を白っぽいカジキの赤身に、赤っぽい彩りのアクセントとして加えるとかはしないのか……
うん、そういう見た目重視は素人考えだよな……
くそっ
いや、作品全体で一つのネタなのか……。
いやいや、方針転換したのかもしれない……。
作者名を見直してしまうレベル。
ごちそうさまでした。
オチもネタもないのに一気に読まされてしまう、これがお茶漬けの力か…!
的なオチを想像してたら本気の終わりっぷりに逆に笑った
面白かったですw
だが、アジの刺身のお茶漬けも極上だ。これは間違いない。
早速作るとしよう。
お、おら今まで鮭の茶漬けしか食ったごとねえだ!
でも茶漬けは良いですよねー
むしろこの戦慄が日常って所で既にオチがついている
紅魔館メイドはこうして日常的に鍛えられてより完全で瀟洒に洗練されていくんだろう
瀟洒な咲夜さんや若干美食家寄りのカリスマがまぶしいレミリア様が素敵でした
少々生臭くなるから好みは分かれるかな。
良いお話御馳走様でした。
面白かったです。
しかもその中にお嬢様の絶対のカリスマと咲夜さんの絶対の忠誠がしっかりと味わえる
まさに徹頭徹尾最高のお茶漬けでした
しかし鯛茶漬けは知っていましたがマグロ茶漬けは初めて聞いた、食べてみたい。
オチがもう少し強ければ、なお良かったかなと思います。
ってオチだと思ってたら…
昼メシは茶漬けにしよう
個人的には思い切り塩辛くした鮭が好き
食に対するこだわりからなにからなにまで、ほっこり堪能しました!
面白かったです!
まさにお茶漬けのようなお話
ごちそうさまでした!
王としての厳しさと威厳も素晴らしい。
でも、レミリアはもうちょっと下々の人たちに思いやりをみせていいとおもうんだ。
切り身をそのままお茶漬けにするとは露ほども思っていなかった。
料亭で出されるお茶漬けってこういうのだったりするのかな。
凄く日本的ですよね。そして食べ方も。
それを理解なさってるとはさすがお嬢様と思います。
食っているのは米ですかね、それとももてなしの心ですかね。お米かな。どっちもかな。