不覚という意味では、博麗霊夢のまだ短い生涯においてこれ以上のものはなかったと断言できる。
「……」
「……」
神社の静謐さとはまた違った、いやーな感じの沈黙が茶の間を支配する。
天才妖怪バスターであるところの私と、ちゃぶ台を挟んで対面に座る、泣く子も逃げる大妖怪・八雲紫。
幻想の結界コンビとして幻想郷に名を轟かせてしまった私たちにすら、この空気はいかんともし難かった。
「……」
「……」
どうしてこうなった。
いや、原因はわかり切っている。
結論から言えば、百パーセント私が悪い。
あー思い出すのやだー。でも回想シーンは必要だろう。
遡ること、まだ数分前。
『私たちがコンビを組んでもう七年よ、早いわねー』
『いきなりなんの話よ』
『七年。霊夢も大人になるはずだわー』
『いやいや、あんたと違って私はまだまだ少女のつもりなんだけど』
『ああ、そういえば幻想郷はサザエさん時空を採用しているのだったわね、うっかりうっかり』
『本当になんの話だ』
『都合のいい話ですわ』
『というか、あの時組んだのはコンビじゃなくてトリオじゃないの』
『はて、なんの話かしら』
『きつねの話よ』
とまあ、こんな感じでまったく中身も意味もない話を二人でしていたわけだ。
意味はないけど、まあ、そんなに悪くもない時間がのんびりだらだらと流れ、そしてカラスがどこかで鳴くのを聞いて紫はさて、と帰宅の気配を見せた。
『あ、そうだ』
紫に結界の管理について聞いておきたいことがあったのを思い出し、私は紫に呼びかけた。
『お母さん』
お母さん。
お母さん。
お母さん、である。
もちろん八雲紫は私の母親などではないし、博麗霊夢は紫の娘でもない。
しかし、お母さん、である。
『……』
『……』
狐につままれた表情、とでも描写すればいいのだろうか。
あんた狐のご主人様だろしっかりしなさいみたいな気の利いたツッコミは、この時の私には浮かんでこなかった。
ただただ訳がわからなかった。なぜ紫がそんな顔をするのか、信じられないことに私は一瞬その理由がわからなかったのだ。
多分この瞬間、私と紫は同じ顔をしていたのだろう。母娘のように、みたいな形容が今思い浮かんだが、それはマジで笑えないからやめろ私。
『れ、霊夢……?』
こいつの上ずった声とか、もしかしたら初めて聞いたかもしれない。
その貴重な声色は、狐に化かされた私を覚醒させるには十分過ぎた。
『……あ』
想像できるだろうか。この瞬間の私の心境を。
自分がどれほどとんでもない所業を犯してしまったのか、それに思い至った私の羞恥と絶望を。
お母さん、である。
よりにもよって、胡散臭さに定評のある妖怪、割と困ったちゃん、八雲紫に向かって。
お母さん、である。
数ある言葉の選択肢の中からおよそ最悪と呼べる物が私の口から発せられ、数ある対象の中でもおよそ最悪と呼べる者の耳に届いてしまった。いったいどれほどの不運が積み重なれば、こんな最悪の事態が引き起こされるのか。運は良い方だと思っていたが、どうやらそれは私の勘違いだったらしい。
「……」
「……」
そして、現在。
邯鄲の夢でもないので、ここまでの回想には結構な時間が流れているが、この間私たちの間で交わされたやりとりはと言えば「……」だけ。
「……」
「……」
口は災いの元とは言うが、私の発した言葉が招いた災禍は、いよいよ私たちの手に負えないものとなりつつあった。
このまま点々だけを積み重ねてしまってはあらゆる意味でよろしくないと思うのだけど、だがいったい、どうすれば。
「……」
「……」
そもそも。
私が「お母さん」なんて抱腹絶倒もんのセリフを吐いたのだ。そこを紫がいつものように人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべながらからかいの一つでも入れてくれさえすれば、こんな取り返しのつかない空気にはならなかったのだ。もちろんその場合、私はしばらく布団の中で顔真っ赤にしながらジタバタする日々を送るだろうけど、この空気に押しつぶされるよりはマシというものだ……多分。
「……」
「……」
なのにお前が顔真っ赤にしてどうする。
もちろん私も恥ずかしさで死にそうになっていたが、目の前のスキマを見て、逆にちょっと冷静になってきてしまった。
それくらい、紫の動揺っぷりは度を越していた。目とか超泳いでるし。
「ね、ねえ……」
「は、はひっ!?」
そろそろ本気で点々だけのセリフはマズイということで、勇気を出してみたらこれである。
もう上ずってるというか裏返っているというか、そんな声で返事されると、こっちも動揺してしまう。ダメだ、このままではまた点々のお世話になってしまう。がんばれ私! 負けるな私! ついでにユカリしっかりしなさい!
「いや……なんか、その、ゴメン」
顔が火照るのが嫌でもわかる。よくよく考えたら「素直に謝る」というのも「お母さん」発言ほどではないけど、私にとっちゃかなり恥ずかしいことだった。恥の上塗りとまで言う気はないが、それでも相手が紫ということもあって、私は今すぐにでも地底への洞穴に飛び込みたい気分だった。いかん、なんかすごく誤解を招く表現だこれ。
紫は私の謝罪にまた呆気にとられた顔をしたと思うと、無理やり気を取り直すように息を一つ吐き、
「あ、あらあら。まったく霊夢ったらいきなりおかしなことを言うんだから。その、お、お母さんだなんて! ああでも、謝ることじゃないのよ? だってびっくりしたけど嬉しかった……じゃない。ええと、その……そう! 霊夢がおかしなことを言うなんていつものことじゃない! ね!? そうよね!?」
ボロボロだった。
一応いつもの不遜で胡散臭さ全開の態度を再現しようと努力しているようだが、顔は真っ赤だわ目は泳ぐわ汗びっりょりだわ、とにかくしどろもどろという言葉がこんなにもふさわしい挙動は私もついぞ見たことない。肝心の話の中身も早口すぎて全然内容が把握できない。点々に頼りすぎて喋り方を忘れてしまったのか。
「あー、うん、そう、ね?」
とりあえず適当な相槌を打つのが関の山だった。私の方もこの空気をなんとかしたかったし、紫の努力に協力するのはやぶさかではない。
「あ、あはは……」
「ふ、ふふふ……」
一応押しつぶされそうな沈黙は解消されたが、私の気恥ずかしさが完全に無くなったわけではない。紫のほうもいったいなにをそんなに動揺しているのかわからないが、顔の赤らみは健在だ。ぎこちなく笑い合ってみるものの、私たちの視線が交差することはない。あ、こいつ扇子で顔隠しやがった。なんて姑息な。
「……霊夢」
「へ!? あ、な、なに……?」
「いえ、その、私、そろそろ帰ろうと思うのだけど」
「あ、ああ」
そうだ。そういえばこのわけのわからん大事件が起こったのは、まさに紫が家に帰ろうとしていた時なのだった。紫としては完全にタイミングを逸した形になったわけだ。……普段のこいつならタイミングとか関係なしな気もするが。つくづく今日の、というか今の紫はどこかおかしい。
紫が立ち上がって、スキマを開く。と、私はまた一つ、紫のおかしいところに気付いてしまった。
「あんた、何をそんなにニヤケてるのよ」
「えっ!?」
いつもの胡散臭い笑みではなく、喜びを隠そうとしてまったく隠し通せていない、そんなニヤケ面だった。紫は心底慌てた様子で、再び扇子で顔を覆った。……まさか自覚がなかったのかこいつ。だがどうあれ、この状況でこうしてこいつが喜びそうなことなんてただ一つだ。
「……そんなに私の弱みが握れたのが嬉しかったのかしら」
「え? 弱……? あ。え、ええ。そう、その通りよ。それはそれは思わずこうして笑ってしまうくらいに」
くそぅ、やっぱり。先ほどの動揺も、あまりに大きな笑い話のタネが唐突に降ってきたからだったのだ。確かにこれは笑える人の失敗談としては最上級のものだろう。
「紫!」
「はい!?」
「お願い、さっきのことは誰にも言わないで! ホント、この通り!」
だがこんなことを誰かに話された日には、マジで恥ずか死してしまう。こんな出来の悪い造語が日の目を見ないためにも、手を合わせて全力で紫に懇願した。所詮無駄な抵抗だとは思ったが、
「い、言わない言わない! 絶対に言わないわよ!」
意外にも紫はブンブン首を横に振って、私の頼みを受け入れた。
「え……いいの? いや、私が言うのもなんだけど」
「ええ。よくよく考えたらこんなこと、お酒の肴にもならない些事ですわ。それでなくても霊夢は笑い話に事欠かないというのに」
今更カリスマ溢れる偉ぶった返答をする紫。私としては些細と片づけることは到底できない話だが、まあ紫が黙ってくれるのなら何でもいい。
「ま、そうは言ってもなかなか愉快な時間だったわ。それでは霊夢、御機嫌よう」
今までの分を取り返そうとするように、気取った様子でスキマに入ろうとする紫。ああ、さっさと帰ってくれ。私は今日という日を一刻も早く過去にしたいのだ。
「……」
だというのに、紫はスキマの前で立ち止まったまま、何事かを考え始めた。ええい、この期に及んでなんなんだ一体。
「ねえ、霊夢」
と、紫は私に呼びかけて言った。
「たまには私のこと、お、お母さんって呼んで、いいのよ?」
また目が泳いでいた。顔も真っ赤だった。ちなみに私はというと。
「……いや、いいわ」
素で拒否した。呆気にとられた私にはそれしかできなかった。そもそも紫のセリフの意味も理解できてなかったかもしれない。
「……そ、そうよね」
なんだか残念そうな顔を見せる紫。私はそれにいかなる反応も返せなかった。
「……」
「……」
最後の最後でまた点々に頼ってしまった。紫は逃げるようにスキマに向かって身を翻し、
「ご、御機嫌よう、霊夢」
「あ、う、うん。またね」
微妙な感じの挨拶を交わして、紫は音もなく去っていった。
「……」
一人になって点々も気兼ねなく使えるようになった今も。
私は紫の申し出の意味が頭では理解できなかった。でも。
「う、うっきゃああああ――――――!」
なぜか体を駆け巡る身悶えるような気恥ずかしさのままに、私は布団を突っ込んである押し入れにダイブした。
読んでてニヤケが治まらないw
ビバ・ゆかれいむ!
ありがとう、ぼくらのゆかれいむッ!!
終始ニヤケっぱなしですハイ。
同じようなことは小学生のときにやらかした記憶があるぜぇ…そのときの恥ずかしさといったらね。
親子ゆかれい最高!
妖怪を精神的に撃破するとはこのことか…霊夢のダメージも大きそうだけど
ゆかりん頑張ってお母さんって呼んでって言ったのに霊夢に素で拒否されたー!
ゆかりんも帰った後布団にダイブして涙で濡らすのかww
ゆかりんも霊夢も可愛いわぁ
朝から素晴らしいゆかれいむ補充ありがとう!!
ナイスゆかれいむ!
これはぜひ、恥ずかしがりながらも二人きりの時は「お母さん」と呼ぶようになる続編が読みたい……!
初々しいゆかりんの反応が溜まりません。
「にやにや」といった表情をするゆかりんを想像していたものだから、このゆかりんは新鮮。
また忘れた頃に間違えて呼んでくれたら俺得です
こういうネタ好きやわー
お前ら養子縁組しちゃえよ!!
いいゆかれいむでした
許す、超許す!!
最っ高にニヤニヤでした
ゆかりんは「お母さん」って呼んで欲しいのかwwと思いながらニヤニヤさせて頂きました。本音と建前のせめぎ合いを無自覚にも霊夢は一刀両断ww
所々のギャグも良かった。
素敵なゆかれいむをごちそうさまでした。
霊夢の最後の部分の勘違いもまたいい味出しています。
これをゆかれいむと呼ばず、なんと呼ぶのか ふさわしい呼び方がわからない。
イイじゃないか。実にイイ。
ごめん、『お母さんアウトブレイク』だったね
微妙なあの空気がおいしすぎる!ボロボロゆかりんをずっと眺めていたいです。
しかし、中学時代先生相手にリアルに言ってしまった恥ずかしさがああああああああ!!
フッ・・・こうやって大人になっていくんだな・・・
ニヤニヤが止まらないです。
こういう場の微妙な心境を上手く表現していると思います。