結論から言うと、私の部屋の棚が爆発した。
轟音を鳴らし破壊されたそれは、今も私の眼前で瓦礫の山を作り上げている。
「困った事になったわ……」
朝の紅魔館。普段ならば私は夢の中に居る筈の時間帯。
その私が何故こんな時間に起きていて、且つ棚を破壊しているのか――と訊かれると、少々話は長くなるのだが……
「レミリアお嬢様。物凄い音が聞こえましたが……ご無事ですか?」
「――――っ!?」
ここで緊急事態発生、我が紅魔館の瀟洒なメイド――十六夜咲夜の登場である。
私はすぐに、自室の扉へ目を向ける。扉は既に3分の1ほど開き、全開まではもう時間の問題、という状況。
普段ならばノックをしてから入ってくるのだが、謎の轟音にその暇は無いと判断したか。
――まずい。もしこの大変な有様になった棚を咲夜に見られたら、私の未来は説教という漆黒の闇に包まれてしまう。
とか中2みたいな事を考えている暇はない。何とかしてこの瓦礫を隠さなければならないが、いったい何を使えば――
「っ! これを使って……っ」
そんな私の視界に入ったのは、ベッドの上でくしゃくしゃになっているタオルケット。
これを広げて持てば、咲夜の視線から瓦礫を隠すことが出来るかもしれない。というか、最早道具を吟味する時間は無いのだ、急げ私……っ!
「……お嬢様?」
「お、おお咲夜。今日もそのメイド服はチャーレムでエクセレントだな」
――数秒後。そこにはタオルケットを目いっぱいに広げ、咲夜に適当な社交辞令を贈る私の姿があった。
チャームを言い間違えてかくとうポケモンにしてしまったとか、そういう事故は基本的にどうでもいいのだ。
私の心中は今、うまく瓦礫がタオルケットで隠れているか、という事でいっぱいいっぱいなのである。
「……お嬢様」
「な、なにかしら?」
大丈夫――きっとタオルの裏に隠れてる。うん、そう信じたい。
しかし咲夜の声は訝しげだ。何かボロが出たのかもしれないが、取り繕う時間さえ今の私には存在しない。
不安を表情に出さないよう、必死に動悸を抑えつける。そして眼前の咲夜は、ゆっくりとその重たい口を開いた。
「恐れながら申し上げますが……」
「ん……」
「お嬢様は……その、闘牛をやっていらっしゃるのですか?」
「やってないよ!?」
秒で突っ込んでしまった。どうしてそんな思考に至った咲夜!
朝っぱらに棚を使用不能にする私が言えた義理ではないのだが、取りあえずタオルケットを広げた私がスペインの大地に立つ姿だけは想像でき……る訳ないよね……
「それでは、一体何を……」
「いい、お前が気にする事ではないよ。さあ下がった下がった」
ともかく、強引にでも帰って頂かなければならない。
咲夜は未だに納得しない様子で、「お嬢様がスペインデビューをする可能性が微粒子レベルで存在する……?」とか意味不明な事を呟いているが、もう面倒臭いので触れない事にする。
「それでは私は下がりますが……何か御用があればお呼び下さい」
「ええ、分かったわ。ありがとう咲夜」
よかった、まずはこれで一段落である。
果たして瓦礫の山をどう処理するのか等の問題は残っているが、それも時間があれば解決策を思いつくかもしれない。
ピンチを1つ乗り越えた私は、肩の力を抜いて息をついた――
――ぷーん。
「ひゃうっ!?」
――私の右耳付近で『あの音』が鳴り響いたのは、まさにその瞬間の事だった。
思わず奇怪な声を上げ、ピンと背筋まで伸ばされた私は、それとほぼ同時に憎悪の視線を右手の方向へ向ける。
そう――そうだ。棚が瓦礫の山になったのも、私が闘牛士になってしまったのも、全てはコイツが原因なのだ。
この……にわか吸血虫、その名も……『蚊さん』!
◇
時は僅かに遡る。
空も白み始めた朝方に、私は咲夜によってしっかり整えられたベッドに飛び込んだ。
最早語るまでもないかもしれないが、私とフランは吸血鬼であるが故に、他の面子とは幾分生活リズムが違う。
そういう理由もあって、私はいつも通り朝方に床に就こうとした。の、だが――
――ぷーん。
「んぐ……っ」
――パンっ!
……
――ぷーん。
「っ……」
――パンっ!
……
――ぷーん。
「よし決めた殺す」
私の耳元で無限ループを繰り返してくれる蚊さんが、私を殺人鬼モードにチェンジしてくれたのだった。
ベッドで横になっていた私は0.2秒で床に降り立ち、そして1つの武器を手に取った。
そう、私の愛刀――もとい愛槍・グングニルではなく『瞬殺! 電気ハエ叩き』である。ダイソーで買った。
商品名に『瞬殺』とか付けちゃうあたり物凄く狂気を感じるが、だからこそ信用できるというものだ。
最早、負ける気は全くしない。持ち手に設置された電気を流すボタンに親指を添え、含み笑いを漏らしながら――私は小さく呟いた。
「ククク……蚊さん。楽しい朝になりそうね……」
そう思っていた時期が私にもありました。
おかしい。こんな筈じゃないのに。どうして蚊さんは、電気の網をすり抜けていくのだ!?
そもそも『ハエ』叩きなのだから、『蚊』退治には互換しねえよバーカ(暗黒微笑)という事くらい私には分かっていた。
ただ、私の中に存在するプライドが、その『敗北宣言』を決して許さなかったのだ。
そして――その悲劇は起きた。
「はあ……はあ……貴方は私を怒らせた……」
呟きながら私は、おもむろに電気ハエ叩きを右手でぶらんと持ち下げる。
狂戦士モードのような体勢で、一瞬私は静止した。
しかしそれも一瞬。ゆらりとハエ叩きを右に揺らした私は――その動きを反動に、全身を使って左回りの回転を始める。
「この『幻想郷の室伏広治』と呼ばれたレミリア・スカーレット――この技を見せるのは貴方が初めてよ、感謝しなさい!」
助走のように落ち着いた回転から、次第に空気を切る豪快な回転へ変わっていく。
そう、これが私のウラ必殺技『大回転電気ハエ叩きwith室伏』だ。
ハエ叩きの網に走る電流が、回転の遠心力の影響で特殊な磁場を発生させ、吸い取られた蚊を一網打尽にする――という最強の必殺技である。
まあぶっちゃけ机上の空論ですらないんだけども、勢いとインパクトがあれば何とかなる的な考えである。
ともかく、ここまでは良かった。何も問題なかった。蚊を倒せなかったとしても、私のくだらない自尊心が爆沈するだけだった。
しかし私の――『幻想郷の室伏広治』としての本能は、それをしてしまったのだ。
(いける……っ!)
その瞬間、私の脳裏に浮かんだ事は「これはGR(幻想郷レコード)まであるわっ!」だった。
気付いた時にはもう遅い。ハエ叩きは私の手を離れ、45度の角度で投擲されていた。
そう、咲夜から貰ったカップやアクセサリーが沢山飾られている、その棚に向けて――
◇
「お嬢様、如何なされましたか?」
私の発した奇怪な声に、ようやく出て行った筈の咲夜が戻ってきてしまった。
くそ……! 蚊め……! 許すまじ……!
「いいや、なんでもないわ」
「しかし先程の声は尋常ではありませんでしたし……」
「あれは……ちょっと、その、思い出し奇声」
「思い出し奇声ってなんですか!?」
ほらあれだよ、思い出し笑いみたいな、その、汲み取れ!
咲夜が突っ込んでしまうという普通ならばあり得ない現象が、現在の状況の厳しさを物語る。
特に咲夜、私の健康にはかなり気を遣うタイプだ。先程の奇声を神経障害かなんかだと思い、滅茶苦茶心配してくるに違いない。
そうなれば、隠し通せたと思われた棚の瓦礫が露わになるという危険性が再浮上する。
なんとかしなければ――そう考えた瞬間にも、奴は襲ってくる。
――ぷーん。
「ザケルガーッッッ!」
「第5の呪文!?」
半狂乱に呪文を唱えながら、私は耳元の蚊さんを追っ払うため頭をぶんぶん振る。
というのも、タオルケットを持つために両手が塞がっているのである。こんちくしょう!
「や、やはりお嬢様、何かお身体に神経系の問題が」
「貴方結構ずかずかと酷い事言うわね!?」
「しかし、そうでなければ何故頭を振るなどという――あ」
「……どうした?」何か思いついた様子の咲夜。
「もしやお嬢様――ライブで『idioteque』を歌うトムヨークの物真似を?」
「分かり易いボケをしろっ!」何の話か分かんねえよ!
後からググってみると、何かどっかのバンドの話らしい。
Youtubeから『radiohead idioteque ライブ』で検索かけたら出てきた。
「ってそんな事はどうでもいいのよ。もういいから、貴方は早く下がりなさい」
「しかしお嬢様……」
「大丈夫だって言ってるでしょう」
「それでも、万が一という事もありますし……」
堂々巡りの予感。これでは棚の惨状が露わになってしまうのも必至だ。
いよいよ、手段を選んでいる余裕は無い。
ああ――……もう。
「……主の言う事が聞けないの? あなたも偉くなったものね咲夜」
……この手は使いたくなかったのに。
「……っ! お、お嬢様、そんなつもりでは……」
「……分かってる。だから早く行きなさい」
わたわたと慌てる咲夜を見るのはとても好きだけど、怯えの混じったそれを見る事は――最も嫌いだ。
今の咲夜の表情こそ、正にその表情だった。自己嫌悪の念が私の心に湧き上がってくる。
その表情を見たくないが故、タオルケットを顔を覆い隠すまで持ち上げた。その表情を作り上げたのは、他でもない私だというのに。
「……あ……」
そんな中で――一際違った色を含んだ声を、咲夜がタオルケットの向こう側で漏らした。
少しだけタオルケットを下げて、咲夜の顔を盗み見る。するとその顔は――タオルケットを凝視し、そして真っ赤になっていた。
「……なによ」
「いえ、お、おおお嬢様……何でもございませぬ故に……」
何で大奥みたいな口調になってるんだコイツは。滑舌もすごい悪いし。
しかし、何故私のタオルケットでそんなに赤面して――
――あ。
「うわあああッッ!! 咲夜見るなぁッ!」
忘れていたっ! このタオルケットは、いわゆる……その、ちょっと痛い感じのタオルケットだったあっ!
何がプリントされているかなんて口が裂けても言えない。咲夜に内緒でオークションを使い落札し、大切に隠しながら使い続けていたこのタオルケット。
これまではしわがプリントを隠してくれていたようだが、顔を隠そうとタオルケットを上げた拍子に、しわが伸びてしまったようだ。不覚……!
「お、お嬢様……」
……まずい。終わった。完全に、咲夜に見られてしまった。
すぐにタオルケットの上へ覆い被さりプリントを隠したが、咲夜の反応からするに、もうプリントをガン見してしまったようである。
恥ずかしいを通り越して死にたいレベルだ。ああ神様、貴方は本当に非道なお方――
「その、後ろにある瓦礫は――?」
「……え?」
しかし神様、これだけの苦行を私に課しておきながら、未だに満足していないようであった。
一瞬何が起きたのか分からなかったが、すぐに私は理解する。
視界を遮るタオルケットが無くなったのだから、瓦礫の山は――丸見えだ。
「あ――」
「……お嬢様、これは一体」
そう言いながら咲夜も、どこか得心したような表情を浮かべる。
それは恐らく、先程の轟音の正体が分かった、というだけの事ではない。
散々この瓦礫を隠匿してきたのだ。誰がこの惨状を作り上げたかなど、最早明白だ。
「……咲夜。これは、その」
何か誤魔化す方法は無いか。恐らく無いだろう。
しかし私は、悪あがきを止めようとしない。跡形も無く破壊された棚を見つめて、視線を右往左往させる。
そして、見つけてしまった。私が破壊してしまった……咲夜のくれたカップ。アクセサリー。ガラスの置物――
「っ……」
今更、胸が痛む。散々隠しておいて、いざバレた時に心を痛めるなんて……私も勝手な奴だ。
自嘲気味に笑う。そして、粉々に崩れた咲夜からの贈り物に、私は手を伸ばし――
「お嬢様っ!」
そうやって残骸に触れようとした私が実際に触れた物は――咲夜の柔らかな手の温もり。
伸ばした片手を、咲夜が両の手のひらで包み込んでいた。
「割れてしまったものを触ると……危ないですわ」
「……さく、や」
……うまく、声を出すことが出来ない。
咲夜は今、私によって破壊された贈り物を目の当たりにしているのに。
そんな仕打ちをされてもなお、咲夜は私の手を握りながら――私に微笑みかけてくれる。
「……咲夜は、何も思わないのか?」
思わず、疑問を投げかけてしまう。
「私にこんな惨い事をされて……怒ったり、しないのか?」
「……」
呟くように小さな声で、私は咲夜に問いかける。
咲夜は暫く私の手を握り、私の目を見つめ、沈黙していた。
そんな彼女と、目を合わせていられない。思わず私は俯く。
「……そんな、悲しいお顔をなされないで下さい」
咲夜の右手が、私の手から離れた。その手はゆっくりと――私の頬に当てられる。
私は顔を少し上げて、咲夜に向き直った。咲夜は少し悲しげな表情で、しかし微笑みはそのままに――口を開く。
「私はいつでも、お嬢様のお傍に居ますわ」
咲夜が、私の頬をゆっくりと下へ撫でていく。
その指が頬から離れた時、咲夜はもう1度だけ――優しく微笑む。
私の視界はいびつに歪んだ。今にも決壊してしまいそうな勢い。
しかし咲夜は、そんな私の情けない姿を見る前に、その場から消失した。
「あ……」
支えを失った私が、ガクリと床に崩れ落ちる。
視線を上げると、崩れた棚は既に片づけられ、代わりに新しい棚が置かれていた。
ゆっくりと立ちあがって、その棚を見つめる。今まで置いてあった棚に目が慣れているのか、微妙な違和感を私は覚える。
「……これは」
そんな私の視界に入ったのは、棚の中央に置かれた――小さな人形。
ガラスの扉を横へ開いて、その人形を手に取る。カウボーイのような帽子を被り、両手で布を持った女性の人形。
「……だから、私は闘牛士じゃないって言ってるでしょ……」
呆れたように漏らして、それから小さく笑う。
まったく、どこで手に入れてきたのやら。早速私の、私達の新しい棚には、1つの贈り物が飾られた。
――私はいつでも、お嬢様のお傍に居ますわ。
「……」
不意に、その言葉を思い出した。咲夜が贈ってくれた、暖かくて優しい一言。
咲夜はいつも、私の傍に居てくれる。過去の贈り物を壊されたとしても、やはり私の傍で、新しい贈り物を贈り続けてくれる。
甘えていいのか。……それは少し、違う気がした。
「……確か、この辺に」
机の引き出しをあさる。確か、この中にマジックがあった筈だ。
目的の物はすぐに見つかった。右手に握りしめて、人形の置かれた棚の前まで向かう。
それから闘牛士の人形を掴み、持っている布にマジックで文字を書き足した。
読み返して、物足りないように思いながらも頷く。
いや――今の気持ちを言葉にしようとすれば、余白がいくらあっても足りないだろう。
それなら、これぐらい簡潔な方が――すっきりしていて、いい。
◇
「お嬢様」
「ん。なに?」
翌日、廊下で声をかけてきた咲夜に返事をしながら目を向けると、そこには豚の置物を持った咲夜の姿があった。
「ふふ、贈り物です」
「あ、ありがとう……って何これ」
何か固い材質で作られた豚のようなのだが……何だこれ?
「お腹を見れば見てみれば分かりますわ」
「お腹……」お腹に、一体何があると――
『KINCHO』
「……」
「お気に召されましたか、お嬢様」
「う、うん。なんかその、すいませんでした」
「何故お嬢様がお謝りになるのですか」
何かこう、色々と情けない気持ちになった私だった。
轟音を鳴らし破壊されたそれは、今も私の眼前で瓦礫の山を作り上げている。
「困った事になったわ……」
朝の紅魔館。普段ならば私は夢の中に居る筈の時間帯。
その私が何故こんな時間に起きていて、且つ棚を破壊しているのか――と訊かれると、少々話は長くなるのだが……
「レミリアお嬢様。物凄い音が聞こえましたが……ご無事ですか?」
「――――っ!?」
ここで緊急事態発生、我が紅魔館の瀟洒なメイド――十六夜咲夜の登場である。
私はすぐに、自室の扉へ目を向ける。扉は既に3分の1ほど開き、全開まではもう時間の問題、という状況。
普段ならばノックをしてから入ってくるのだが、謎の轟音にその暇は無いと判断したか。
――まずい。もしこの大変な有様になった棚を咲夜に見られたら、私の未来は説教という漆黒の闇に包まれてしまう。
とか中2みたいな事を考えている暇はない。何とかしてこの瓦礫を隠さなければならないが、いったい何を使えば――
「っ! これを使って……っ」
そんな私の視界に入ったのは、ベッドの上でくしゃくしゃになっているタオルケット。
これを広げて持てば、咲夜の視線から瓦礫を隠すことが出来るかもしれない。というか、最早道具を吟味する時間は無いのだ、急げ私……っ!
「……お嬢様?」
「お、おお咲夜。今日もそのメイド服はチャーレムでエクセレントだな」
――数秒後。そこにはタオルケットを目いっぱいに広げ、咲夜に適当な社交辞令を贈る私の姿があった。
チャームを言い間違えてかくとうポケモンにしてしまったとか、そういう事故は基本的にどうでもいいのだ。
私の心中は今、うまく瓦礫がタオルケットで隠れているか、という事でいっぱいいっぱいなのである。
「……お嬢様」
「な、なにかしら?」
大丈夫――きっとタオルの裏に隠れてる。うん、そう信じたい。
しかし咲夜の声は訝しげだ。何かボロが出たのかもしれないが、取り繕う時間さえ今の私には存在しない。
不安を表情に出さないよう、必死に動悸を抑えつける。そして眼前の咲夜は、ゆっくりとその重たい口を開いた。
「恐れながら申し上げますが……」
「ん……」
「お嬢様は……その、闘牛をやっていらっしゃるのですか?」
「やってないよ!?」
秒で突っ込んでしまった。どうしてそんな思考に至った咲夜!
朝っぱらに棚を使用不能にする私が言えた義理ではないのだが、取りあえずタオルケットを広げた私がスペインの大地に立つ姿だけは想像でき……る訳ないよね……
「それでは、一体何を……」
「いい、お前が気にする事ではないよ。さあ下がった下がった」
ともかく、強引にでも帰って頂かなければならない。
咲夜は未だに納得しない様子で、「お嬢様がスペインデビューをする可能性が微粒子レベルで存在する……?」とか意味不明な事を呟いているが、もう面倒臭いので触れない事にする。
「それでは私は下がりますが……何か御用があればお呼び下さい」
「ええ、分かったわ。ありがとう咲夜」
よかった、まずはこれで一段落である。
果たして瓦礫の山をどう処理するのか等の問題は残っているが、それも時間があれば解決策を思いつくかもしれない。
ピンチを1つ乗り越えた私は、肩の力を抜いて息をついた――
――ぷーん。
「ひゃうっ!?」
――私の右耳付近で『あの音』が鳴り響いたのは、まさにその瞬間の事だった。
思わず奇怪な声を上げ、ピンと背筋まで伸ばされた私は、それとほぼ同時に憎悪の視線を右手の方向へ向ける。
そう――そうだ。棚が瓦礫の山になったのも、私が闘牛士になってしまったのも、全てはコイツが原因なのだ。
この……にわか吸血虫、その名も……『蚊さん』!
◇
時は僅かに遡る。
空も白み始めた朝方に、私は咲夜によってしっかり整えられたベッドに飛び込んだ。
最早語るまでもないかもしれないが、私とフランは吸血鬼であるが故に、他の面子とは幾分生活リズムが違う。
そういう理由もあって、私はいつも通り朝方に床に就こうとした。の、だが――
――ぷーん。
「んぐ……っ」
――パンっ!
……
――ぷーん。
「っ……」
――パンっ!
……
――ぷーん。
「よし決めた殺す」
私の耳元で無限ループを繰り返してくれる蚊さんが、私を殺人鬼モードにチェンジしてくれたのだった。
ベッドで横になっていた私は0.2秒で床に降り立ち、そして1つの武器を手に取った。
そう、私の愛刀――もとい愛槍・グングニルではなく『瞬殺! 電気ハエ叩き』である。ダイソーで買った。
商品名に『瞬殺』とか付けちゃうあたり物凄く狂気を感じるが、だからこそ信用できるというものだ。
最早、負ける気は全くしない。持ち手に設置された電気を流すボタンに親指を添え、含み笑いを漏らしながら――私は小さく呟いた。
「ククク……蚊さん。楽しい朝になりそうね……」
そう思っていた時期が私にもありました。
おかしい。こんな筈じゃないのに。どうして蚊さんは、電気の網をすり抜けていくのだ!?
そもそも『ハエ』叩きなのだから、『蚊』退治には互換しねえよバーカ(暗黒微笑)という事くらい私には分かっていた。
ただ、私の中に存在するプライドが、その『敗北宣言』を決して許さなかったのだ。
そして――その悲劇は起きた。
「はあ……はあ……貴方は私を怒らせた……」
呟きながら私は、おもむろに電気ハエ叩きを右手でぶらんと持ち下げる。
狂戦士モードのような体勢で、一瞬私は静止した。
しかしそれも一瞬。ゆらりとハエ叩きを右に揺らした私は――その動きを反動に、全身を使って左回りの回転を始める。
「この『幻想郷の室伏広治』と呼ばれたレミリア・スカーレット――この技を見せるのは貴方が初めてよ、感謝しなさい!」
助走のように落ち着いた回転から、次第に空気を切る豪快な回転へ変わっていく。
そう、これが私のウラ必殺技『大回転電気ハエ叩きwith室伏』だ。
ハエ叩きの網に走る電流が、回転の遠心力の影響で特殊な磁場を発生させ、吸い取られた蚊を一網打尽にする――という最強の必殺技である。
まあぶっちゃけ机上の空論ですらないんだけども、勢いとインパクトがあれば何とかなる的な考えである。
ともかく、ここまでは良かった。何も問題なかった。蚊を倒せなかったとしても、私のくだらない自尊心が爆沈するだけだった。
しかし私の――『幻想郷の室伏広治』としての本能は、それをしてしまったのだ。
(いける……っ!)
その瞬間、私の脳裏に浮かんだ事は「これはGR(幻想郷レコード)まであるわっ!」だった。
気付いた時にはもう遅い。ハエ叩きは私の手を離れ、45度の角度で投擲されていた。
そう、咲夜から貰ったカップやアクセサリーが沢山飾られている、その棚に向けて――
◇
「お嬢様、如何なされましたか?」
私の発した奇怪な声に、ようやく出て行った筈の咲夜が戻ってきてしまった。
くそ……! 蚊め……! 許すまじ……!
「いいや、なんでもないわ」
「しかし先程の声は尋常ではありませんでしたし……」
「あれは……ちょっと、その、思い出し奇声」
「思い出し奇声ってなんですか!?」
ほらあれだよ、思い出し笑いみたいな、その、汲み取れ!
咲夜が突っ込んでしまうという普通ならばあり得ない現象が、現在の状況の厳しさを物語る。
特に咲夜、私の健康にはかなり気を遣うタイプだ。先程の奇声を神経障害かなんかだと思い、滅茶苦茶心配してくるに違いない。
そうなれば、隠し通せたと思われた棚の瓦礫が露わになるという危険性が再浮上する。
なんとかしなければ――そう考えた瞬間にも、奴は襲ってくる。
――ぷーん。
「ザケルガーッッッ!」
「第5の呪文!?」
半狂乱に呪文を唱えながら、私は耳元の蚊さんを追っ払うため頭をぶんぶん振る。
というのも、タオルケットを持つために両手が塞がっているのである。こんちくしょう!
「や、やはりお嬢様、何かお身体に神経系の問題が」
「貴方結構ずかずかと酷い事言うわね!?」
「しかし、そうでなければ何故頭を振るなどという――あ」
「……どうした?」何か思いついた様子の咲夜。
「もしやお嬢様――ライブで『idioteque』を歌うトムヨークの物真似を?」
「分かり易いボケをしろっ!」何の話か分かんねえよ!
後からググってみると、何かどっかのバンドの話らしい。
Youtubeから『radiohead idioteque ライブ』で検索かけたら出てきた。
「ってそんな事はどうでもいいのよ。もういいから、貴方は早く下がりなさい」
「しかしお嬢様……」
「大丈夫だって言ってるでしょう」
「それでも、万が一という事もありますし……」
堂々巡りの予感。これでは棚の惨状が露わになってしまうのも必至だ。
いよいよ、手段を選んでいる余裕は無い。
ああ――……もう。
「……主の言う事が聞けないの? あなたも偉くなったものね咲夜」
……この手は使いたくなかったのに。
「……っ! お、お嬢様、そんなつもりでは……」
「……分かってる。だから早く行きなさい」
わたわたと慌てる咲夜を見るのはとても好きだけど、怯えの混じったそれを見る事は――最も嫌いだ。
今の咲夜の表情こそ、正にその表情だった。自己嫌悪の念が私の心に湧き上がってくる。
その表情を見たくないが故、タオルケットを顔を覆い隠すまで持ち上げた。その表情を作り上げたのは、他でもない私だというのに。
「……あ……」
そんな中で――一際違った色を含んだ声を、咲夜がタオルケットの向こう側で漏らした。
少しだけタオルケットを下げて、咲夜の顔を盗み見る。するとその顔は――タオルケットを凝視し、そして真っ赤になっていた。
「……なによ」
「いえ、お、おおお嬢様……何でもございませぬ故に……」
何で大奥みたいな口調になってるんだコイツは。滑舌もすごい悪いし。
しかし、何故私のタオルケットでそんなに赤面して――
――あ。
「うわあああッッ!! 咲夜見るなぁッ!」
忘れていたっ! このタオルケットは、いわゆる……その、ちょっと痛い感じのタオルケットだったあっ!
何がプリントされているかなんて口が裂けても言えない。咲夜に内緒でオークションを使い落札し、大切に隠しながら使い続けていたこのタオルケット。
これまではしわがプリントを隠してくれていたようだが、顔を隠そうとタオルケットを上げた拍子に、しわが伸びてしまったようだ。不覚……!
「お、お嬢様……」
……まずい。終わった。完全に、咲夜に見られてしまった。
すぐにタオルケットの上へ覆い被さりプリントを隠したが、咲夜の反応からするに、もうプリントをガン見してしまったようである。
恥ずかしいを通り越して死にたいレベルだ。ああ神様、貴方は本当に非道なお方――
「その、後ろにある瓦礫は――?」
「……え?」
しかし神様、これだけの苦行を私に課しておきながら、未だに満足していないようであった。
一瞬何が起きたのか分からなかったが、すぐに私は理解する。
視界を遮るタオルケットが無くなったのだから、瓦礫の山は――丸見えだ。
「あ――」
「……お嬢様、これは一体」
そう言いながら咲夜も、どこか得心したような表情を浮かべる。
それは恐らく、先程の轟音の正体が分かった、というだけの事ではない。
散々この瓦礫を隠匿してきたのだ。誰がこの惨状を作り上げたかなど、最早明白だ。
「……咲夜。これは、その」
何か誤魔化す方法は無いか。恐らく無いだろう。
しかし私は、悪あがきを止めようとしない。跡形も無く破壊された棚を見つめて、視線を右往左往させる。
そして、見つけてしまった。私が破壊してしまった……咲夜のくれたカップ。アクセサリー。ガラスの置物――
「っ……」
今更、胸が痛む。散々隠しておいて、いざバレた時に心を痛めるなんて……私も勝手な奴だ。
自嘲気味に笑う。そして、粉々に崩れた咲夜からの贈り物に、私は手を伸ばし――
「お嬢様っ!」
そうやって残骸に触れようとした私が実際に触れた物は――咲夜の柔らかな手の温もり。
伸ばした片手を、咲夜が両の手のひらで包み込んでいた。
「割れてしまったものを触ると……危ないですわ」
「……さく、や」
……うまく、声を出すことが出来ない。
咲夜は今、私によって破壊された贈り物を目の当たりにしているのに。
そんな仕打ちをされてもなお、咲夜は私の手を握りながら――私に微笑みかけてくれる。
「……咲夜は、何も思わないのか?」
思わず、疑問を投げかけてしまう。
「私にこんな惨い事をされて……怒ったり、しないのか?」
「……」
呟くように小さな声で、私は咲夜に問いかける。
咲夜は暫く私の手を握り、私の目を見つめ、沈黙していた。
そんな彼女と、目を合わせていられない。思わず私は俯く。
「……そんな、悲しいお顔をなされないで下さい」
咲夜の右手が、私の手から離れた。その手はゆっくりと――私の頬に当てられる。
私は顔を少し上げて、咲夜に向き直った。咲夜は少し悲しげな表情で、しかし微笑みはそのままに――口を開く。
「私はいつでも、お嬢様のお傍に居ますわ」
咲夜が、私の頬をゆっくりと下へ撫でていく。
その指が頬から離れた時、咲夜はもう1度だけ――優しく微笑む。
私の視界はいびつに歪んだ。今にも決壊してしまいそうな勢い。
しかし咲夜は、そんな私の情けない姿を見る前に、その場から消失した。
「あ……」
支えを失った私が、ガクリと床に崩れ落ちる。
視線を上げると、崩れた棚は既に片づけられ、代わりに新しい棚が置かれていた。
ゆっくりと立ちあがって、その棚を見つめる。今まで置いてあった棚に目が慣れているのか、微妙な違和感を私は覚える。
「……これは」
そんな私の視界に入ったのは、棚の中央に置かれた――小さな人形。
ガラスの扉を横へ開いて、その人形を手に取る。カウボーイのような帽子を被り、両手で布を持った女性の人形。
「……だから、私は闘牛士じゃないって言ってるでしょ……」
呆れたように漏らして、それから小さく笑う。
まったく、どこで手に入れてきたのやら。早速私の、私達の新しい棚には、1つの贈り物が飾られた。
――私はいつでも、お嬢様のお傍に居ますわ。
「……」
不意に、その言葉を思い出した。咲夜が贈ってくれた、暖かくて優しい一言。
咲夜はいつも、私の傍に居てくれる。過去の贈り物を壊されたとしても、やはり私の傍で、新しい贈り物を贈り続けてくれる。
甘えていいのか。……それは少し、違う気がした。
「……確か、この辺に」
机の引き出しをあさる。確か、この中にマジックがあった筈だ。
目的の物はすぐに見つかった。右手に握りしめて、人形の置かれた棚の前まで向かう。
それから闘牛士の人形を掴み、持っている布にマジックで文字を書き足した。
読み返して、物足りないように思いながらも頷く。
いや――今の気持ちを言葉にしようとすれば、余白がいくらあっても足りないだろう。
それなら、これぐらい簡潔な方が――すっきりしていて、いい。
◇
「お嬢様」
「ん。なに?」
翌日、廊下で声をかけてきた咲夜に返事をしながら目を向けると、そこには豚の置物を持った咲夜の姿があった。
「ふふ、贈り物です」
「あ、ありがとう……って何これ」
何か固い材質で作られた豚のようなのだが……何だこれ?
「お腹を見れば見てみれば分かりますわ」
「お腹……」お腹に、一体何があると――
『KINCHO』
「……」
「お気に召されましたか、お嬢様」
「う、うん。なんかその、すいませんでした」
「何故お嬢様がお謝りになるのですか」
何かこう、色々と情けない気持ちになった私だった。
初めて聞いたw
耳元で飛ばれると本当にビビりますよね、とても素敵なお話でした
お嬢様は世界陸上がんばって下さい!!
ところでタオルケットは一体どんな代物だったんだろう……
もちろん表現方法や言い回しを真似ることは上達への一歩ですが、まだまだとってつけたような文章感が拭えずに、作者さんの創造した世界の中へ入っていくことが難しかったです。
たとえ万人が使う表現方法でも、ただ押し込まれただけの表現と使い慣れている表現では雲泥の差があります。前者ならば不格好に飛び出た釘。後者ならば俺達が吸っている空気のような存在でしょうか。悪目立ちする文章は、やはり良くないのです。
ギャグというのもなかなか難しいものですが、表現や言い回しを使い込んで精錬し、俺色に染めちゃってください。新境地に至れる日を期待しております。
って事はさてお、き咲夜さんアフターケアもばっちりだ