この作品は神霊廟のネタバレを大いに含みます
ネタバレオッケー、もうクリア済み、という方のみスクロールしてお読みください
「ほら、私の伝説の一つに、こういうのがあるじゃないですか」
聖徳太子は二歳になるまで、まるで言葉らしい言葉を放ったことが無かった。
「ところが、二歳になったある日、《南無[ピー]》と口走ったかと思うと、その手に仏舎利を握りしめていたと」
「つまり、どういうこと?」
尋ねるのは、姫海棠はたて。
聖人に天狗がずかずかと、何を尋ねているのかという意見はあろう。しかし、とある風祝にも負けず劣らず、このはたてにも常識は通じない。自分が天狗だろうと、鬼や神様相手にも面白いネタは追いかけたい、気の合いそうな奴とは普通に友達になりたいと願って何が悪い、と公言するものだ。
そんな迷わない姿勢の結果、ライバルを差し置いて、はたてが幻想郷の烏天狗の中で、聖徳道士、豊聡耳神子への取材を申し込む第一号となった。
「ほとんど挨拶みたいな言葉を口走るたびに、指の間からポロポロと仏様の骨をばら撒いていたら、困りませんか?」
「あ、それって一回きりじゃなかったんだ」
頷き、神子は語る。
ことあるたびに指先から飛び出して、ときには犬の餌にもなった仏舎利のこと。手作りの肉餅の中に混ざって、豪族の歯を折った仏舎利のことを。
「あー、それは大変……。でも、ちょっと気をつければ、なんとかなったんじゃ?」
「そう思っていた時期は、私にもありました……」
神妙そうな神子の表情に、思わずメモ帳とペンを構えるはたて。
そして神子は言った。それも真剣な顔で。
仏様の骨は、そんな考えが馬鹿らしくなるほどに、空気も読めないし耳も悪かったと。
「いくつか例をあげます。南無[ピー]の他にも、隋からの贈り物の中に混じっていた干し鮑などの乾[ピー]を言葉にしても骨がポロリと落ちました。地方特"産[ピー]"もNGワードで、あるときは会議中に対面に座っていた豪族めがけて骨が飛び出し、おでこに当たりました」
「何の罰ゲームよ」
ツッコミを入れずにはいられない。
だが、はたてのツッコミにも、神子はこめかみを押さえながら頷く。
呼んでないのに出て来られる。それも緊迫した会議の場などで、指先から白い物体をいくつも転がしてしまうと、非常に気まずくなる。いくらこちらが真面目なつもりでも、豪族達には『お前はふざけているのか』と言われてしまう。
「そうでなくても、普段から見張られているようで、気が休まるときがありませんでした」
食事中はもちろんのこと、厠や風呂場でも。
喋らなければ良いのだが、無理矢理に黙らされていると思うと気は重たくなる。しかし、暗い顔をするわけにもいかないのが神子の役目だった。おまけに、つくり笑いは神子の性格にはあまり合わなかった。
「そんな、仏様の骨にストーキングに困り果てていたときのことです。青娥が大陸から渡って来て、私に道教を紹介してくれたのは」
ストーカーには、とにかく強気な態度を示すしかない。
それが仙人である青娥娘々が神子に強弁した、なによりも説得力に満ちた言葉だった。
仏教を国に広める傍らで、仏様の骨に単に『迷惑です』と言っても本気にされない。より具体的に相手に拒絶を示す必要がある、という道理だった。
「青娥は私と違い、そういう男女一対一のドロドロした関係にも経験豊富でした。ストーカーという言葉もそのとき知って、非常に心強く思ったものです」
道教は自然との一体化により、不老不死を実現するもの。
貪欲を捨て、解脱によって輪廻転生から抜け出すことが目的とされる仏教とは、対立的と言える。これを崇拝することで、仏様の骨の気勢を削ぐことが期待された。
「一時は仏様の骨も出なくなりました。青娥曰く『あれ、この子はちょっと違うのかな?』と思ってくれたそうです」
「良かったじゃない」
「ですが、本格的に仏教と道教の対立が始まって、私が表向きとはいえ仏教の側につくと、また元通りでした。いえ、青娥曰く『さてはツンデレか』などと誤解されて、事態は悪化したそうです」
ツンデレとは、つい最近になってやっと幻想郷に入って来た言葉である。
しかし、仏様や完全な仙人には時間の概念など関係無いのかもしれない。それが骨でも。
「さて、この話の続きを話すには、もう一人、大切な仲間が関わってきます」
「仏に立ち向かう人間っていうと……物部氏?」
「はい、布都といいます。ちょうど近くにいるようですし、せっかくだから呼びましょう」
豪族相手なのに下の名で呼び捨てるとは、本当に親しい仲のようだ。
そうして呼ばれて来た方も、一目で分かるほどに上機嫌であった。
「ふふふ、我こそが神子様の一番の家来である物部布都じゃ!」
「そんな、親友と言っても良いのですよ。日頃から、布都には足を向けて眠れないほど感謝しているのですから」
どちらも道士であるから仲が良い、と言うには似合わない。醸す空気からも、深い関係が窺えた。
「それで、二人にいったい何があったわけ?」
「これも仏様の骨がきっかけでした。丹薬の調合の最中、仏様の骨が足元に何故か転がっていて、真っ赤に融けた丹砂が入った窯をひっくり返してしまったんです」
「あぶなっ」
「えぇ、おかげで私は全身火傷を負って、すっかり身体を悪くしてしまいました」
これには思わずはたても苦笑い。
いやはや、ありがたい筈の仏舎利がとんだ疫病神である。
神子の方も、いかに聖人とはいえ人間の身体には限界があったわけだ。
「けど、丹薬で身体を壊すって、そういうのじゃなくない? っていうか、なんで足元に骨が……」
「何[ピー]も、そのときNGワードだったのだと知りました。意識しない独り言で……」
「粒じゃん、ツブ。ブツじゃないし」
「なにはさておき、そのとき重度の火傷を負った神子様のもとに一番に辿り着いたのが我! 治療したのも我じゃ!」
と、ふいに布都が気勢を上げる。
それは、さながら恋人との馴れ初めを自慢げに語る若い男だ。布都は女だが。
「以前から同じ道教を崇拝する者として、神子様には一目置いていた。その時もいつもの如く、どんな道術の研究をしているのかと屋根裏から覗き見しておったのじゃ」
「それってストーカーじゃ――」
「いえいえ、布都の場合はいいんですよ。そんなこと、細かいことです」
神子の方も、まぁ、お熱いことだ。仏様の骨とはえらく扱いが違う。
しかし、こういうのは俗に吊り橋効果と言った気がするが、違わないだろうか。
「以前から未練がましい骨に神子様が悩まされているとは知っていた。じゃが、いやしくも聖人の骨よ。当時の我にはどうしようもなかった」
「そうですね。けれど、それでも布都が私の願いを聞き届けて、付き従ってくれたのなら、今よりもっと布都に感謝しなくては……」
あまり二人の仲の良さに言及しても、話が進まない。
手っ取り早く、はたては何があったのかだけ聞かせて欲しかった。
「もはや命少ない私は、尸解仙として復活しようと決めました。決めたのですが……」
「しかし、身体を壊してすっかり気弱になられた神子様は、一人では決意が揺らぐとして、道連れを求めた。そして選ばれたのが、この我というわけじゃ!」
布都が胸を張る。ちなみに胸は薄い。
しかし、なるほど。布都は古墳の埴輪になったわけだ。それなら、神子が足を向けて眠れないことも理解できる。
「あぁ、言っておくが、我は連(むらじ)の姓を賜っている者なうえに道士でもあった。神子様の力からして復活もほぼ確実。誘いはまさに望むところだったわけじゃ。神子様を悪くいうでないぞ」
「わかってるわよ、そのくらい。仲良しなのは一目見ればわかるし」
双方納得のことなら、他人がとやかく言うことでもない。
恋路やらなんやら、個人の人間関係に余計な口を挟む輩は馬に蹴られて死ぬのだ。
「ほほぅ、妖の者にしてはなかなか見る目があるな」
「で、二人そろって眠りにつきました。めでたしめでたし?」
二人の話は、これでおおよそ終わりだろう。
「いや、そうとも言えません。もう一人、大事な仕事をしてくれた仲間が残っていますから」
「へぇ。っていうと?」
「蘇我屠自古といいます。布都、彼女も呼びましょう。あの功績をきっちり人前で褒め称えましょう」
「ふふ、蘇我の奴も幸せ者よな。神子様にこのように言ってもらえるとは」
そう、はたては思っていたのだが、どうも違うらしい。
しかし、話に聞く限りではその仲間とは蘇我氏のようだ。それは、はたてにしてみれば意外である。仏教を篤く信仰していた蘇我氏の者が、どのように神子の悩み解決に立ちまわったのだろうか。
「呼びました?」
「おっ、来おったな。遠慮知らずの亡霊め」
やってきたのは、両足が無くて、見るからに分かりやすい死人だ。
蘇我氏の方は、やはり仏教を信仰していた噂通り、仙人にはならなかったらしい。
「馬鹿にされるために呼ばれたんですか?」
「いやいや、そうじゃない」
「貴女がきちんと仏教の僧達をけしかけてくれたおかげで、助かっていると話していたのです。裏のみとはいえ、しっかり私という存在を仏教と対立する方向に持っていってくれて感謝しています、と」
だが、神子の話ぶりからすると、仙人にならなかったことこそが、この蘇我氏の功績らしい。
そこまで思って、はたては気付く。
神子は、表向きは仏教の聖人である。復活して仙人になったとしても、仏教も道教もないまぜの七福神のような前例はある。神子がいくら道教を崇拝しても、仏教の神として崇められておかしくないのだ。
そうすると、神子は仏様の骨からは逃げきれない可能性が出てくるが……。
「私を封印していた僧達の存在自体が、私が仏教側の人間ではないということを声高に証言してくれます。これで、仏様の骨の追跡からまた少し距離を置くことができました」
「千四百年の大計画を経ても、まだ神子が安心できないなんて……。憎らしいストーカーめ」
「蘇我氏って仏教を信仰してたんじゃないの?」
「はぁ? 神子様にしつこくつきまとう骨の主を、誰が信仰するって?」
この蘇我氏、いや、屠自古が仏教の側を上手に誘導して、道教を崇拝する神子と仏教を完全に対立させたようだ。いわば、全ての仕上げを彼女が任されたわけだ。
「壮大な計画ねー」
「そうですね。では、その壮大な計画が達成された、その成果をここに示すとしましょう」
神子は幸せそうに笑っている。
仲間と一緒に大きな困難を一つ乗り越えた、自信のほどが窺える。
布都と屠自古も、片や誇らしげで、片方は照れ臭そうにはにかむ。
「久しぶりに、南無仏、とか言ってみたりして♪」
「神子様、それは少し軽過ぎでは」
「これ屠自古、こういうのはな、軽くやってしまった方が良いものなんじゃ。っていうか、お前さっき神子様を呼び捨てにしたな?」
「さてなんのことか。それはさておき、なにを知った風な口を。千四百年死んでいただけの凡人が、神子様の一番の家来とかなんだと、偉そうなことまで言って――」
「お前、盗み聞きしていたな。お前こそ、尸解仙にもなれなかった分際で――」
「あ、こら、喧嘩は駄目ですよ。私も、確かに少しはしゃぎすぎたかも――」
コロリ……
罰ゲームあたりと、仏様の骨ストーキングあたりのくだりがすごく面白かったです。
で霊夢に供養してもらおう