季節は冬。
秋の神様が仕事を終え、冬の妖怪が喜び空を飛びまわる季節である。
そして幻想郷には、冬になったら毎年あわただしくなる場所がある。
いや、正確には場所と言えるかは解らないのだが。
「さて、今年もこの季節がやってきたか」
九本に分かれた、金色の尾をもつ妖怪、八雲藍は誰に言うでもなく、独り呟いた。
ここはスキマ。幻想郷の大妖、八雲紫の統べる空間では結界管理の引き継ぎ作業が行われていた。
何故そんなことをしなくてはならないかというと、藍の主とどこぞの巫女に原因がある。
そもそも、博麗大結界の管理を行っているのは博麗の巫女、博麗霊夢だ。
しかし、彼女の性格を知るものなら解るだろう、まぁ真面目に管理などしているわけも無く。
大まかな管理を霊夢がしつつ、細かいところは結界を構築した本人である紫が行っているのが現状である。
そして冬と言えば、紫が長い眠りに就く時期。冬が近づくにつれ、紫は使い物にならなくなってくる。
若干ながら妖力が弱まる、ということもあるが、それに加えただでさえ長い睡眠時間がさらに増え、やる気も確実に無くなっていくのだ。
そして冬眠してしまうと、もうどうしようもない。当然結界の管理にも支障が出てくる。それは流石にまずいので、紫が冬眠している間は、彼女の式である藍が結界の管理を引き継いでいるのだ。
……そもそも藍が大半の管理を行っているという事実については、ここでは深く言及しないことにしよう。
「ふむ、現状は何の問題もなさそうだな……」
「藍、いるかしら?」
「はい紫様、……なんですかその態勢は」
寝転がった状態で、外からスキマの中をのぞいている主の姿を見て、藍は苦言を呈する。
冬も次第に深まってきて、紫がこのような状態であることも多くなってきた。最近では食事の時間以外はほとんど寝ている。この状態にまでなるともう冬眠まで秒読み段階だ。
「もう眠くてしょうがないのよ。多分、明日か明後日には冬眠しちゃうと思うわ」
「例年通りですね、承知いたしました。……おや、萃香様。いらっしゃっていたのですか」
「よう、藍。相変わらずこき使われてるねぇ」
紫の奥に藍が見とめたのは、紫の友人、伊吹萃香の姿だった。
「これも役目です故、ところで萃香様は今日、どういったご用事でしょうか?」
「いやね、そろそろ紫が寝ちゃう時期だからさ、しばらく会えないことを口実に酒盛りでもしようと思ってね」
言って、手にした瓢箪を揺らす。見ると奥にはいくつか酒瓶が置かれていた。
「なるほど、それで」
「ああ。藍も、と思ったけどちょっと忙しそうだね」
「申し訳ありません、今日は手が離せそうにありません」
「いいって、いいって。ていうか今さら言うのもなんだけどさ、なんか藍ってば他人行儀だよね。もうちょっとこう、砕けた感じでいいのに」
藍が頭を下げるのを見て、萃香が言う。藍にとっては紫の友人である萃香は最大に敬意を払う対象なのだ。
「そういう訳にも参りませんから。それでは、失礼いたします。紫様、作業は本日中には終了すると思います」
「よろしい、それじゃ、あとは任せたわ」
「そんじゃ、藍、またね」
スキマが閉じる直前、萃香が浮かべた寂しそうな顔を藍が見とめることは無かった。
そして再び空間には藍が一人。
「さて、作業の続きを……っ?」
作業に戻ろうとした藍の頭に鋭い痛みがはしった。
「…………」
藍はその場に立ち尽くしていた。痛みそのものは大したものでは無かった。問題は、それに伴って起きたある現象。
「……なんだ? 今のは……?」
その痛みと共に、藍の脳内にある光景が映ったのだ。
それは九本の尾をもつ狐が何者かに今にも命を奪われそうになっているというものだった。しかも……
「あれは、私か?」
その殺されかけていた九尾。それは自分である。何故かはわからないがその確信があった。さながら昔からの忘れられない記憶のごとく。
ちょっとした光景ならまだいい。記憶にないものだとしても大した問題にはなるまい。
しかし、いくらなんでも自分が殺されかけている光景は、藍には見過ごせなかった。
「少し、調べてみるか」
今日のところは仕事をこなすことにして、藍はときおりその光景に意識をやりながらも作業に戻ったのだった。
「……考えてみれば、おかしなことはたくさんある」
マヨヒガ。橙が猫を集めるのに使っている屋敷だが、今、藍はその一室にて多くの書物に囲まれていた。
紫の蔵書、スキマに漂っていたもの、香霖堂から譲り受けたもの。
その全ては外の世界の歴史書……否、伝説を記した書物というのが正しいか。
「そもそも、私の記憶。今まで何の疑念も持たなかったが、紫様の式となってからの記憶しか無い」
その書物の全てを読み切り、思考へと没入する。
「かといって、私の最古の記憶が幼かったころかというとそうではない。早い話が紫様に式とされる以前の記憶が全て抜け落ちている」
目を閉じ、思考を口に出し、自分の考えをまとめていく。
「式になる前となった後。記憶が区切られている……記憶と忘却の境界が操作されているのだとすれば、それは間違いなく紫様のなされたこと……」
だが、それは大きな問題では無い、と結論する。理由は簡単である、今まで問題にならなかったからだ。
しかし、記憶の断片を見てしまったせいで、起きる好奇心は止まらない。
その記憶の断片を手繰り寄せた結果、その影はどうやら鬼のようであることまではわかった。さらに奥にはどうやら天狗のような影があることにも気がついた。だが、今のままではどうしてもそれ以上思い出すことが出来ない。
紫が忘れさせておくために意図的に記憶を操作したのであれば、藍はそれにあえて逆らう気は無い。無いのだが……
「……とはいえ、気になるのは仕方ないですよね、紫様」
気配を感じて、目を開く。同時に部屋の外から声をかけられた。
「藍さまー! 御本借りてきましたー!」
「うん、入っておいで、橙」
「はい!」
ふすまを開けて橙が入ってくる。その手には一冊の本と、ひとまとめになった数枚の紙が握られていた。
「ありがとう。助かったよ、橙。しかし、よく借りられたものだ。いや、それ以前によくこのような本があったと言うべきか」
橙の持っているものを受け取りながら、藍は言った。
「こんな本ないですか? って聞いたらすぐに持ってきてくれました。あの魔女さんすごいですねー」
藍が橙を遣いにやっていた先は、紅魔館の大図書館である。図書館と銘打ってあるだけあって、正式に申し込めばちゃんと蔵書を貸し出してくれる。ただしそれには図書館の主たる七曜の魔女の求める対価を支払わねばならないが。
「それで、私は何をすればいいのかな?」
「はい、一週間後、本を返す時までにその計算をしておいてほしい、だそうです」
言って、橙は手渡した紙束を指し示す。
「計算……なるほど」
ざっと目を通したところ、それは魔力の効率運用に関する計算式のようだった。どうやら藍の計算能力に目をつけたらしい。
「ふむ、この程度なら朝飯前だ。他にも礼の品を持っていくことにしよう。ありがとう、橙」
「はい! あ、藍さま、集まった猫たちと遊んできたいんですが、いいですか?」
外から聞こえた猫の鳴き声に、思い出したように橙が言う。
「ああ、いいよ。いってらっしゃい」
「はい! いってきまーす!」
「……流石にこの本は、一人で読みたいからね」
慌ただしく駆け出していく橙を見ながら、藍は手にした本を開いた。
読む。今までの本のように速読では無く、じっくりと一ページずつ。そして……
「やっぱり、か。いや、もうはっきりと思い出した。……操作された境界を越えた、ということか?」
本を閉じ、再び声に出しながら改めて考えを整える。
「まぁ、良い。ともあれ。……申し訳ありません、紫様。しばし私情で動くことをお許しください」
少し経った後、橙は屋敷から離れたところで猫と遊んでいた。
「それにしても藍さま、あの本何に使うのかなぁ?」
猫とじゃれあいながら、橙は呟いた。
「天狗の書いた歴史の本かー。うーん楽しそうだけど嘘も多そうだよね。どう思う?」
「にゃーん?」
「あはは、わからないよね。ま、いっか!」
ふと沸いた疑問を脇に置いて、橙は再び遊びに戻って行った。
藍が記憶を取り戻した次の日の朝、妖怪の山の中腹には三つの影があった。
そのうち二つは藍と烏天狗の射命丸文である。
「……文殿、天魔を呼びつけたつもりだったが、何故あなたが居るのか?」
「いやぁ、最近ごたごたが続いて天魔様はご多忙でして。直々に命じられて私が出向いた次第です」
ブンヤのスタイルでは無く、公的な天狗としての衣装を身にまとった文が頭をかきながら返事をする。
「それにしても、いやはや天魔様を呼び捨てにできる方に丁寧に話しかけられると恐縮しますねぇ」
「かつての私なら呼び捨てにするどころか歯牙にもかけなかったでしょうが……まぁ、良いでしょう。あなたの力量は知っていますし……天魔の人選に間違えは無いでしょう。それに今回の本題は天魔ではありません」
言って、藍はもう一つの影に目をやる。その先には岩に腰かけ、愛用の瓢箪から酒をあおる萃香の姿があった。
「いやいや、せっかくだから天魔もいれて一緒に飲みかわしたかったんだがねぇ。残念だ。ま、山ほっぽりだしてどこぞかに引っ込んでた天魔をひっぱりだしたのは私らだし、しょうがないね」
カラカラと笑いながら、萃香はそんなことを言う。そして、藍に向き直り、問うた。
「で、何て呼べばいい?」
「ここは幻想郷。ここでの私の名は八雲藍だよ、萃香」
それを聞いて萃香は愉快そうに笑い声をあげた。それは藍が幻想郷で聞いたことがないほどに愉快そうで……かつて、よく聞いていた笑い声だった。
「あー久しぶりだ、この感じ。あんたに呼び捨てにされる日が来るなんて思ってもみなかった。うれしいねぇ」
「……文殿、天魔から何か聞いていますか?」
「あー、いえ何も。正直この状況に混乱することしきりです」
あっけにとられた文を前に藍は苦笑を浮かべる。
「変わっていませんね、天魔も。……このたび、あなたにお願いしたいのは立会人です。そのためにはこの状況が起きた原因を知っておいていただく必要がありますね」
「……それは記事にしても構いませんか?」
「それ相応の覚悟をお持ちなら、構いませんよ?」
どこからか筆記具を取り出す文に、藍はやんわりと、しかし鋭く警告した。
「あやや……それでは止めておくことにしましょう。それで、どういうことなのでしょうか?」
筆記具こそ収めたものの、興味津々の様子で文が詰め寄ってくる。
「よし、私からも話そうか。今の藍だけじゃ流石に厳しいだろ」
「そうしてくれると助かるよ、萃香」
岩から飛び降り、萃香はこちらに近づきながら語り始めた。
「それじゃ、どのあたりから話したもんか。そうだね、まどろっこしいことは抜きにしよう。藍が人間にやられるちょっと前からにしようか……」
太古の昔、それは幻想郷に博麗大結界が張られるよりもさらに昔の話である。
「よう、九尾の。今は何て名乗ってるんだ?」
「……伊吹のか。何でもいいだろう。なんと名乗ろうとお前は九尾としか呼ばないだろうが」
「はは、違いない」
日本において、最も強大な妖怪と伝えられる三体の妖怪。天狗、鬼、そして九尾の狐。古代において、この魔物たちはつながりがあった。
大天狗……天魔は己の部下たる天狗達とのつながりを大事にし、それほど他種族との交流を持つことはしなかったが、それでも彼と並び称されるものとは親しくしていたのだ。
そして、他の二体……すなわち、今、幻想郷に住まう伊吹萃香と八雲藍は特別親しい関係であった。
「まーた、人間たぶらかして国を操ろうとしてるらしいじゃないか。相変わらず面倒なことが好きだねぇ」
「ふん、これが私の楽しみでな。力があるからと言ってそれをふるうだけではただの獣と変わらぬだろう」
「そうかい? そのほうが単純で楽しいと思うよ、私は。獣なんかよりはるかに強いからね」
この二人、考え方は違えど、なぜか気があった。己の力とつりあうものが少なかったからこそ生まれた親近感だったのかもしれない。
ふだん山の奥に住まう萃香は時折山をおり、当時は様々な名を名乗り分けていた九尾と酒を酌み交わしていたのだ。
「で、どうだい、調子は」
「順調……とは言えないな。どうにも最近の人間は勘が鋭くなった」
二人は萃香の瓢箪からあふれる酒を互いに煽りながら、どうということも無い近況を語り合う。
「そのうえ、半端な術まで身につけ始めた。障害になるとは思えないが、面倒には違いないな」
「ほらみろ。やっぱなぎ払った方が楽だって」
「言ってろ」
何でも無い日々……妖怪にとっては、人間を脅かすことこそが日常なのだから……は過ぎていく。しかし、ある事件が起こった。
「九尾の奴、へま打ったな……!」
人間が藍を退治すべく用いた、彼女の言う半端な術により、九尾が暴走状態へと陥ったのだ。その姿は、もはや彼女の嫌う獣同然の姿であった。
それはもはや人間にとどまらず、他の妖怪にまで影響を及ぼすほどにまでなっていた。
当時、日本で大きな勢力を誇っていた天狗衆と鬼たちは話し合いのすえ、ある結論へと至った。
すなわち、九尾の狐の討伐。
そしてそれは、萃香が行うこととなった。当然の流れであった。九尾に比肩しうる力を持つのは萃香、もしくは天魔だけであり、天魔は人間の数が減り過ぎないよう、人間の軍勢へと紛れ込んでの工作に奔走することになったからだ。
周囲の、二人の関係を知るものは気をつかったが、萃香自身は迷いは無かった。所詮他種族、完全に相いれるものではない、と。
そして、討伐のなされる時が来た。
「よお、九尾の……」
「グ……ガ……」
とある巨大な洞窟。そこには人間の幾度とない攻撃にさらされながらも衰えることのない、九つの尾をもった化物が居た。
念のために、とひきつれた鬼と天狗の精鋭を下がらせ、萃香は妖狐と向き合った。
「たく……そんな姿になっちまって。だから変なことは企むもんじゃないって言っただろう……」
その妖狐には、もはやかつての面影は無かった。
「いいよ、私がちゃんと殺してやる!」
戦いは熾烈を極め……などはしなかった。単純な力比べであれば、いかに暴走していようが鬼の優位は揺るがない。
人間に最強の鬼として恐れられた萃香の前では、ただ力をふるうだけの九尾などものの数では無かったのだ。
「グ……!」
九尾は瞬く間に制圧され、もはや一撃で息絶える、という時、萃香は手が止まった。
「すまないね、九尾の。……本当に……!」
一瞬の躊躇い。しかし、その拳は……振り下ろされた。
「ガァァァァァ!」
しかし、九尾は咆哮と共にその拳から逃れ、洞窟の外へと飛び出した。
萃香は、追おうとする部下たちを制止する。
「いいよ。あれだけ弱らせちまえば天魔が人間をつかって何とかするだろうさ」
九尾が消滅したことが人間にも解れば、この先、他の妖怪に迷惑をかけることも無いだろう、と萃香は続けた。
そして、その言葉通り、九尾は人間の手によって退治されることになったのだ。
「えっと、それはつまり……」
「つまり、萃香は私を一回、ほとんど殺してしまっている、ということです」
再びあっけにとられた文にむけて、藍はとても端的にまとめた言葉を言い放った。
「そうだね、その辺は、まぁおいとこうよ……ってわけにもいかないんだろ?」
「当然。それが本題なのだから」
二人の視線が交差する。それに秘められたものは、文には理解することが出来なかった
「しかし……今はさておくとしましょう。ここからは、私と萃香。お互いが知らないことを補い合いながら話さないといけませんね。というか萃香には私の知らないことを教えていただきたいものです」
「あー、私は紫に大体の事情を聞いてるからねえ」
「……そうでしたね。まったく不公平極まりない」
私は途中までしかわからないから、続きはお願いします、と言って藍は続きを語り出した。
「……私は洞窟から逃れ、人間から討伐されてからも消滅することは無かった。もの言わぬ石の姿になりながらも私は生きていたのです」
九尾が討伐された、数日後。
討伐後に残された殺生石。瘴気に満たされたその空間に、人影が降り立った。
「あらあら、こんな姿になっちゃって……三国に名をはせた九尾の狐ともあろうものが情けない姿」
紫の衣をまとい、異国のものと思しき傘を携えた女性……しかしそれは人にあらざるもの。
「しかし、その力は十分ね。何よりこうまでしても生きよういう姿勢。長きを生き、いつ果てるかわからない。果てることが出来るかもわからない私の式にふさわしい」
その女性はおもむろに石へと手をかざす。
「あら……面白い意識が残っているわね。……なるほどなるほど。それならば……面白い『縁』が生まれそうじゃない」
クスクスと、笑い、独り呟く。否、それはその石に語りかけていたのかもしれない。
そして、彼女は境界を操る。生と死の境界。存在と消滅の境界。そして
「私……は……?」
「ごきげんよう、九尾の狐さん。あなたは今日から私の式。名はそうね……紫の下に着くのだから、藍色かしら。いいでしょう。八雲藍の名をあなたに与えます」
……記憶と、忘却の境界を。
それからの藍は慌ただしくも、充実した生活を送った。幻想郷に入り、橙という式も得た。
その記憶からは、すっぱりと抜け落ちていたのだ。過去の自分も、過去の友も。
されど疑問には思わなかった。それほどにその時の生活が充実していたということだろう。
「…………」
九尾が生きている。
その事実が萃香の耳に入るのには大した時間はかからなかった。
「そうか……生きてたか……」
安堵。友の生還を聞いて喜ばない者はおるまい。しかし、それに続いた報告は萃香に大きな衝撃を与えた。
どうやら記憶を失っているらしいこと。八雲藍という名を与えられ、ある妖怪の式として使役されていること。しかし……かつて無いほどに幸せそうであるということ。
「なら、邪魔できないねぇ。ま、それはそれでかまわないさ」
その報告を聞いてからも、しばらくは萃香は藍に会いに行こうとはしなかった。
無事であるのならそれでいい、記憶にない私が急にきても混乱させるだけだ。そう自分に言い聞かせて。
しかし、気がついた時には萃香の足は幻想郷へと向かっていた。
「ようこそ、いらっしゃいませ。お待ちしていましたわ」
幻想郷の入り口……ただの郷であったこのころの幻想郷に入り口と言えるものがあるとすれば、の話だが……には紫色の女性が立っていた。
ただ立っているだけ。しかし強大な妖力がその姿からあふれ出していた。
「お前かい。九尾を従えているって妖怪は」
「八雲紫と申します。八雲藍ならば私の式ですが、それがどうかいたしましたか?」
「……待っていた、と言っておいてそんなことをほざくか。全て知っているんだろ?」
優雅に礼をする紫に萃香は強い口調で言い募る。
「式にするだけに飽き足らず、何故記憶まで奪った?!」
萃香は激昂していた。……何故、と聞かれてもこの時の萃香には答えられなかっただろう。
ただただ、感情があふれ出して止まらなかったのだ。
その言葉にも、紫は態度を崩さない
「それは、あなたの胸に手を当てて聞いてみるのが良いのではなくって? 伊吹萃香さん」
「何……?」
何故名乗りもしない名を奴は知っているのか。そんな些細なことは構わない。問題はその前の言葉だ。
「私は彼の地に残された思念の意思を酌んだだけ。そして、その思念の持ち主は伊吹萃香という鬼でしたわ……もしや、人違いでしたか?」
微塵も人違いだと思っていない顔でそう問いかける。
「……奴の記憶を奪うことが、私の望みだとでも?」
「違いますか?」
一瞬の間もなく返されたその言葉に、萃香は沈黙で返すしかない。
「罪悪感。鬼も感じるものなのですね。いや、嘘を嫌う鬼にとってはその感覚自体が度し難いのかしら?」
「…………」
「己の手で命を奪いかけた友に、その記憶を失って欲しいと思うのは当然だとおもいますわ。でもそれを願ったことを意識していないなんて純粋というかなんというか」
萃香はその言葉をただ聴いていた。考えていた。
「……そうか、ははっなるほど。なんでこんなことにも気付かなかったんだか。あははは!」
そして、自分で自分のことがおかしくてたまらなくなった
「ははははは! 我ながらここまで情が移ってたなんてね! 鬼の頂点として恐れられた私がこのざまとは! 友に嫌われたくないなど、人間じゃあるまいし!」
ドンと座り込み、大笑する。その笑顔は憑き物が落ちたようだった。
「私の気遣い、理解していただけましたか?」
「ああ。考えてみれば私はあんたに感謝こそすれ、暴言なんざ吐く理由は無いわけだね!」
頭を下げ、礼を、心の底からの礼を紫へとむけた。
「私の友を、助けてくれてありがとう!」
紫はその言葉に微笑を浮かべ
「いえ、こちらこそあなたの友達には助けられっぱなしで。私が感謝の言葉を言いたいくらいですわ」
そういって、再び頭を下げたのだった。
数刻後。二人は連れ添って幻想郷の端を歩いていた。
「それで、あなたはどうしたいのかしら?」
間をおいて、紫が切り出す。
「……幻想郷、っていうのかい? 私もここに置いちゃくれないか?」
「ここは全てを受け入れる場所。ご自由にどうぞ。お望みなら、藍の記憶の境界をいじってあげてもよくてよ?」
その言葉に、萃香は首を振った。
「いや、それは流石に卑怯が過ぎる。再び一から、奴との関係を積み上げていくとするさ」
「……鬼が嘘をつかないというのは迷信のようですわね?」
「おっと、私が嘘をついているとでも?」
その言葉に紫はため息をひとつつき、砕けた調子で続けた。
「何が一から、よ。顔にでかでかと、『隙あらば自力で記憶を取り戻させて見せる』と書いてあるわ」
「はっ、ばれたか。ま、一から積み上げていくってのは嘘じゃあない。まだちょっと覚悟がたりないからね」
上機嫌で萃香は携えた瓢箪から酒をあおった。
「さて、見えてきた。あれが私たちの住まいよ」
紫は彼女の住まいに萃香を案内していたのだ。当然、目的は一つ。
「帰ったわよ、藍」
「あ、おかえりなさいませ、紫様。歩いてお帰りなんて珍しいですね。……そちらは?」
「紹介するわ、藍。彼女は私の友人の……」
そして、藍と萃香と紫の、今の関係が始まったのだ。
「……とまぁ、これが私と藍と、紫の話の顛末だよ」
萃香はそう締めくくって、酒を口に含んだ。
朝に集まったはずであるのに、すでに太陽の位置は正午を示している。
「なるほど……これは本当に記事に出来ないのが口惜しい……」
「…………」
文は記者精神をむき出しにして頭をかきむしり、藍は無言で萃香を見つめていた。
「さて、藍。それでは本題を聞こうか?」
「そうですね。文殿も私たちの関係は理解していただけたでしょうし……」
そういうと、藍は身構えた。
「では、戦おうか」
「おー、そうだろうと思ったよ。良い感じに酔いも回ってきたところだ」
萃香もそれに応じ、構えをとった。
「え、え? いや、やはり理解できないのですが!?」
「私は、一度殺されかけて黙っていられるほど温和では無いということですよ」
「まーまー、理由なんていいじゃん。私は久しぶりに藍と全力でやりあえそうでうずうずしてるんだ!」
待ちきれない、というように萃香が腕を回し始める。
「いいのか? 勢い余って殺してしまうかもしれないよ?」
「やれるもんなら、やってみなよ!」
言葉と共に、萃香が藍へ飛びかかった。
「ちょっとおおおおおお!?」
「やれやれ、せっかちな……」
文は大きく跳躍し、距離をとる。藍はというと、ほんの少し身をかわしただけでその一撃をかわしていた。
「……萃香、忘れてはいないか? ここは幻想郷だよ」
そして、その手に握られているのは一枚の術符。
「ああ、忘れかけてたよ。これはあとで紫に怒られるね!」
萃香も懐から術符をとりだす。
「それじゃ来な、九尾の狐! 云百年ぶりの喧嘩、楽しませてくれよ!」
「はっ、言ってろ伊吹の鬼! 云百年前の借り、存分に返してやるよ!」
萃香の挑発的な言葉に、藍は昔の口調で返す。そして二人の喧嘩は始まったのだった。
「あーあー、お二人とも派手にやっちゃって……山の地形変わったら上に何を言われるやら」
数刻後、戦いは続いていた。
ときおり飛んでくる瓦礫をかわしながら、少し離れた位置で二人を見守る文は嘆息する。
「全く、正直命かかってますよ、これ。あとで何か貰わないとつりあいがとれませんね」
「あら、お礼なら私からさせてもらうわ」
「……それも楽しそうなんだもんなぁ。立会人だなんて必要だったのか疑問ですねぇ」
「楽しそうなのは当然ですわ。なんと言っても、遊びなのだから」
「……この戦いの立役者がお出ましですか」
どこからともなく聞こえた声に、一度は無視を決めたものの、二回目となって文は返事をする。
「全く、眠いというのにこんなに騒がれてしまっては眠れませんわね」
そう言いつつ、いつの間にか開いていたスキマから紫が降り立った。
「で、どういった思惑があったのかお聞かせ願えますか?」
「思惑も何も。今回のことは全く私の力の外ですから」
「それほどあなたが言っても説得力の無い言葉はありませんね」
紫の否定にも、文はひかずに詰め寄る。
「ここまできたら、全部聞いておきたいものです」
「いえ、本当に今回は何も関係していないわ」
欠伸をしつつ、紫はあきれ顔で言った。
「そうね、私のわかることと言えば、萃香が『疎』縁だった藍との仲を『密』にしたことくらい」
「疎と密を操る能力……あなたの力も相当ですが、あの方のも何でもありですね」
「それがこんな効果を及ぼしたのは、萃香にも予想外だったでしょうね。まぁ、冬の眠気のせいで私の能力も弱まっていたからこそかしら」
紫はもう一つ欠伸。眠いというのは本当のようだ。
「まったく楽しそう。混ざりたいくらい」
「やや、それは勘弁して下さい。いよいよ山の消滅を危惧しないといけなくなります」
「うふふ、そんなことはしないわ。今は眠いし、何より……」
「何より?」
紫は言葉を区切って、戦う二人の方に目をやる。つられて文もそちらを見た。
「大事な従者と大切な友人があんなに楽しそうに遊んでいるところに、ちゃちゃをいれるほど野暮ではありませんわ」
そこには、心底楽しそうにそれぞれの技をぶつけ合う、鬼と狐の姿があった。
「なまってないねぇ、藍! むしろ妖力上がってる気がするよ!」
「伊達に長年紫様についてないよ。それに、妖力だけではない」
萃香の拳を、体術のみで受け流す。萃香は勢いを殺さず、距離をとった。
「あはは、そうみたいだね。ところで、口調はもどらないのか?」
楽しそうに笑いながら、萃香は問いかける。
「戻らないかな。さっきは無理してみたけど、もうこの喋り方が私だよ」
楽しそうな笑みを浮かべながら、藍は答える。
「そうか、違いないな」
がはは、と萃香は再び笑い声をあげた。
「さて、日も暮れてきたしそろそろお仕舞にしないか?」
「おお、そうだな。この後は天狗も巻き込んで夜通し宴会としゃれこもうじゃないか」
「子供は早く帰らないと悪い人にさらわれるよ」
「残念、私はさらう側だ」
「そうだったね」
言って、二人は最後のスペルを構える。
「いくよ! 『百万鬼夜行』おおおおおおおおおお!」
「受けて立つ。幻神『飯綱権現降臨』!」
閃光と轟音。巨大な力がぶつかり合い、その場に居るものの視界を奪う。
「……はは」
「……ははは」
視界が晴れた後、そこには二人ともが立っていた。ぼろぼろになりながらも、両の足で
しっかりと。
「あははは」
「あはははは」
幾数月の年月がたとうと、本気の二人は互角で、対等だった。
「「はははははははははははははははははは!」」
こうして世に名をはせる二大妖怪の大喧嘩は引き分けで幕を閉じたのだった。
数日後、博麗神社。紫が寝てしまってもこの神社は変わりなく。
「ふぅ」
「んっ、ぷはぁ」
いつも通り、働かない巫女がお茶をすすり、居候の鬼が酒をあおっていた。
そんな神社に、今日は思わぬ来客があった。
「……ふふん」
「なによ萃香。変な声出して」
「いやぁ、別に」
いち早くその気配を感じた萃香は笑いを噛み殺しながらもう一口酒を口にする。
「ちょっと、気になるじゃない。はっきり言いなさ……」
「邪魔するよ」
「……いよって、藍、あんたなにしてるの?」
そこにあったのは、藍の姿だった。
「紫様が冬眠なさったからね。ここに居た方が管理のために何かと便利だし、冬の間はここに住ませてもらうよ」
「ちょっと、なに勝手に……」
らしくも無く、霊夢があわてたような表情をする。
「いいじゃないか。どうせ部屋も余っているだろう。なんなら食事も作ってやるぞ」
「……あんた、そんな性格だったかしら?」
「ああ。世の狐は皆こんなもんさ。そうだ、橙もこっちに来るからそのつもりで頼む」
はあ、と霊夢はため息をひとつ。
「まぁ、今になってもう一人や二人居候が増えても変わらないけどさ」
霊夢の声に、横から声がわりこんだ。
「それじゃ決まりだね。ほら、きなよ藍。一杯どうだい?」
「おや、萃香。奇遇だね。ありがたく貰うとするよ」
萃香が手招きし、藍はそれに近寄っていく。
奇遇という割に、藍から驚きを感じないのは何故だろうか。
「……藍、あんた萃香のこと呼び捨てにしてたっけ?」
「ああ、していたとも。昔からね」
藍は酒をあおりながら答える。
「萃香、あんたそんなに藍と仲よかった?」
「ああ、仲良しだよ。昔からね」
返された瓢箪を受け取って、萃香も酒をもう一口。
「……やっぱあんた達、なにかあったでしょ」
「「いやぁ、別に」」
「あっそ……」
ますます妖怪が集まって、どうやらこの冬の神社は、いつもより騒がしくなりそうである。
九尾の狐
>萃香は妖孤と向き合った
妖狐
狐の字を間違えるのはちょっとなぁ…
冗談はさておき、本来ならばラスボス張れるクラスの実力者たる
九尾の狐なんですから、こんな秘話ってアリだと思います。
こんな藍様もいいな。
細かいことは気にしたら駄目か…普通にスラスラ読めて面白かったです
二人ともかっこいいな。
とても楽しめました