妖怪といえど人のように怪奇に出くわすことはある。
特にナズーリンのような、あちこちへ赴いては探し物をしているような者はそうだ。
始まりは、あるとき命蓮寺に女が一人やってきて猫を探してほしいと依頼をしたことから。
こんな依頼を命蓮寺にもってきた理由は、ナズーリンという物探しの達人がいるからに他ならなかった。
ナズーリンは鼠の妖怪であるため猫が嫌いで、依頼を断ったが、主人である虎丸星が行ってあげなさいと言いつけたので了解した。
女は探してほしい猫を、茶色で小さく、耳がとがっていると説明したが、それだけでは不足していた。
「なにか目印になるものはないか」
ナズーリンが言うと女は、猫がよくじゃれついていたという手拭いを渡してきた。
手拭いにはたっぷりと猫の匂いが染み付いていて、ナズーリンはそれだけでたじろいだ。
ナズーリンはその日のうちにさっそく出立して、手拭いの匂いをたよりに部下の子鼠たちも使いながら、依頼主の猫を探した。
はじめは部下がすぐ見つけてくれるだろうと呑気にしていた。
だが日が暮れてもなお良い報せはいっこうに届いてこなかった。
仕方なしとばかりに、手拭い片手に自ら猫を探しはじめたナズーリンだった。
するといくらもかからない間に匂いの行方をかすかに掴みとったので、ナズーリンは部下の怠慢を疑いながら匂いをたどっていった。
たどり着いたのは小さな、今にも崩れ落ちそうな汚い小屋で、この頃にはあたりは暗くなりはじめていた。
匂いは中から漂ってきていたのでナズーリンは入ろうとしたが、玄関の戸は真ん中からぐにゃりと引き裂かれてその役目を果たしていなかった。
窓は木板でかたく閉じられていた。
人の姿のままでは入れないと感じたナズーリンは鼠へ化けて、壁に空いていた穴から潜りこんだ。
小屋の中は荒れ放題だった。
畳はぶすぶすとささくれだち波のように曲がり、暗い天井には蜘蛛の巣が霧のように張っている。
台所は流し場といい窯といい、全体に薄黒くなってしまっている。
冷たい空気とハッキリとした木の臭いが閉じこめられていた。
ナズーリンは猫を見つけだすために部屋の中央にきた。
猫の匂いはいよいよ強くなってきていたが、彼自身の姿はどこにも見当たらなかった。
床下にでもいるのだろうかと思われた。
そのときナズーリンの背後でギイ、ギイ、と物音が聞こえた。
木板のきしむ音はナズーリンの背後を回り、だんだん右へと進んでいくので、彼女は右なりに振り向いて様子をうかがった。
土間が見えるが、それ以上なにもなかった。
猫はそこにいるのかとナズーリンが目をこらしていたところ、今度は左のほうから物音が聞こえてくるようになった。
ス、ス、スと畳の上を一歩一歩に踏みしめる音だった。
ナズーリンは慌てて首の向きをかえてみたが、荒々しい畳にはこれといった変化はなく、しかし音ばかりが何もないところから発せられているようだった。
ああ、しまった。そうナズーリンは思った。どうやら霊か何かの潜んでいる穴場に飛びこんでしまったようだと悟った。
幽霊に絡まれるのは面倒だが、受けた依頼をほうり投げるわけにはいかない。
ナズーリンは物音にはあえて触れず、匂いに集中することにした。
そこで彼女がさらに気づいたのは、それまで嗅いでいた猫の匂いとは異なる個体の匂いが混じっていることだった。
しかも、どうやら匂いは前と後ろから流れてきているらしかった。
前からは畳の上を歩く音、後ろからは木板のきしむ音。
ナズーリンは考えた。
匂いの主はこのうろつきまわっている影だろうか。ならばなぜ手拭いの匂いをたどると、ここに来てしまったのだろう。依頼主の猫はもうこの世にはいないのだろうか。それにしては腐臭などが感じられない。
もう少し小屋を見てまわろうとしたナズーリンの耳に、突然ある音が伝わって、彼女の足を止めさせてしまった。
それはいまわしくも聞きなれた鳴き声で、ナズーリンを背骨の奥から震え上がらせるものだった。
猫の鳴き声をまじかに耳にしてしまうのは、さすがのナズーリンもうろたえた。
いくら猫とは言えとっくにお陀仏しているじゃないか何を怖がることがあるのだと、ナズーリンは自分に言い聞かせたが、足は動いてくれなくなった。
前と後ろから足音といっしょにやってくる、にゃあにゃあという声。
どうにもならないのでジッと身構えることにするナズーリン。
耳をこらしてみると前と後ろにいる猫の幽霊は、彼女を取り囲むようにぐるぐると移動し続けていた。
その動き方に、鼠を玩具にしてたわむれる獣の様子をどことなく感じた彼女は、いい気分ではいられなくなった。
そして、さらに彼女を身動きできなくさせる事態へと向かっていく。
時間が経つにつれ猫の数が増えているようだった。
はじめは二匹だけしかいないと、匂いと音で分かっていたが、新たにもう一種類の匂いが現れては戸口のあたりをうろついているらしかった。
かと思うと畳の上をゆっくり回る音が増え、それもまた他とは違う匂いを発散していた。
前触れ無くあらわれた二匹の猫、計四匹の猫たちにかこまれたナズーリンは、精神的というよりは、動物的本能から立ち上がる恐怖を感じながら、逃げ出そうにも逃げ出せずにいた。
動くと噛み付かれる。そういう危機感があった。相手は形さえない存在なのに。
こうしている間にも時は刻々と過ぎていき、外はすでに夜の景観をあらわす。
小屋の中は星空とはおよそ無縁で、墨で塗ったような暗さだった。
視界のまったく途絶えた中では、いっそう猫臭さとうろつく物音がよく分かった。
ナズーリンがじっと耐えているのは、単におびえているからではない、幽霊たちがいずれ去っていくのを待ち構えている心があった。
幽霊といえども元は生き物なので、飽きもするし疲れもする。彼女はそれを待った。
しかし考えてみると奇妙な光景だった。
幽霊におびえる妖怪とは。
妖怪でも下手に幽霊へちょっかいを出すと、祟られたり取り憑かれたりするもので、そうした事情を危ぶむのなら何ら不思議はない。
ただナズーリンの場合には、被捕食者としての恐怖が重なってしまい、いくらか大げさな怖がり方になっていた。
しばらくすると、そんなナズーリンは体をかちこちに強ばらせた。
自分のすぐ真後ろまで猫がやってきたようなのだ。
スス、ス、ススと畳と足がこすれあう音が間近まで迫って、背中を撫でまわすような近さだった。
まずいなあと冷や汗をかくままにしていると、またもや猫の増える気配を感じ取った。
増える。まだ増える。
もはや小屋の中は猫だらけと言ってもよかった。
恐るべき狩人の匂いは充満しているし、足音やきしむ音やでうるさいくらいだし、ナズーリンにとってみれば生きた心地のしない状況となっていた。
ニャア……ニャオウ……ニャオ……フウー……。
こうした鳴き声が近づいたり遠ざかったり、近づいたり遠ざかったり。
今にも獲って食われてしまいそうな錯覚に陥りながら、ナズーリンはほとぼりが冷めるのを待ち続けた。
願いが通じたのか。
やがて猫の数がしだいに減っていき、手拭いと同じ匂いだったはずの猫までもいなくなってしまった。
いや。
手拭いと同じ匂いはまだナズーリンの鼻を刺激していた。
今は真夜中、ナズーリンは匂いだけを頼りに森閑とする小屋から出ると、裏側へ回っていった。
そこから獣道が続いていたので、人の姿に戻ったナズーリンは踏みこんでいった。
月明かりに照らされて小屋よりずっと見えやすい道を進んでいくと、あるところで急に開けた場所に出た。
そこは名も知らぬ雑草がまばらに生えた平地だった。
強いていうなら岩がそこら中に転がっているのが不思議だという場所だったが、暗がりの中であっても目の冴えるナズーリンにはちゃんと見えていた。
平地にごろごろしているのが岩ではなく横たわる猫だということを。
ここは、猫の死に場所だった。死期を感じ取った猫が最後に訪れ、安楽にこの世から旅立てるための場所だった。
そうと分かると小屋に出没した猫の霊も察しがつく。小屋はこの場所に通じる道を隠すように建てられていることから門の役割をして、あそこの猫は門番だったのだろう。
ここにいる猫たちは息絶えているか、そうなる直前の者しかいない。
しかし不思議と腐臭や死臭が鼻についてこないのは、清浄な土地である証だった。
ナズーリンは気を引き締めて恐る恐るあたりを見てまわり、ついに目当ての猫を発見した。
依頼主が言っていたように、他に比べて一回り小さな体は茶色の体毛で覆われていて、耳はピンととがっている。
その猫も地面にぐったりと横たわり、決して動き出しそうにはなかった。
「いつも私と私の同志を付け狙っている極悪な君たちだったが、浄土へ行くとなれば何の区別もない。安らかにしておくれ」
ナズーリンはこの冥土の一つ前に手を合わせた。
彼女が命蓮寺に帰ってきたのは空が白む頃だった。
ひっそりと裏口から帰宅したなら、汗を流すために、だが命蓮寺の住人を起こさぬよう、静かに井戸水で体を洗った。
ナズーリンが水を頭からかぶりながら新鮮を覚えていたところ、眠たそうな顔をした幽谷響子と出くわした。
「わあ、ずいぶんお早いご起床でナズーリンさん……あ、それ小さいですね」
指をさされてそう言われたので、裸のナズーリンはムッとした。
「一言余計だね、君は」
短く言葉をかわし終わり、響子がとなりを横切っていくとき、ナズーリンはなぜか猫の匂いを嗅ぎとった。
鼻が麻痺しているのか、猫の匂いが詰まってしまったのかと嫌な気分になった。
ナズーリンは寺へ入るといったん眠ろとしたが、まずは主人に報告してからだと、布団を敷かずにおいた。
朝がきて寺が慌ただしくなりはじめた頃に星のもとへ向かった。
「ご主人、もどってきたよ」
「ああ、どうもお疲れ様。して、猫は見つかりましたか」
「いやそれが災難な目にあったんだ。猫どころではなかったよ。でも猫がどうなっているのかは分かったよ」
そこまで言ったところでナズーリンは、やはり猫の匂いが離れて消えないことを感じていた。どうやら匂いが染み付いてしまったようだった。
「依頼主の猫は死んでいた。幽霊にも会った。実体がないとは言え、やはり猫と対面したくはないね、まったく」
「はあ、なるほど、どうりで」
「……どうりで?」
「いえ、猫嫌いなはずなのに、あまりに自然に肩へのっけているものだから」
星がにっこりと微笑んできたが、ナズーリンはそれどころではなくなった。
余談だが、後になって猫の死に場所を探しにいったナズーリンは、一日中探してもとうとう見つけることができなかったという。
特にナズーリンのような、あちこちへ赴いては探し物をしているような者はそうだ。
始まりは、あるとき命蓮寺に女が一人やってきて猫を探してほしいと依頼をしたことから。
こんな依頼を命蓮寺にもってきた理由は、ナズーリンという物探しの達人がいるからに他ならなかった。
ナズーリンは鼠の妖怪であるため猫が嫌いで、依頼を断ったが、主人である虎丸星が行ってあげなさいと言いつけたので了解した。
女は探してほしい猫を、茶色で小さく、耳がとがっていると説明したが、それだけでは不足していた。
「なにか目印になるものはないか」
ナズーリンが言うと女は、猫がよくじゃれついていたという手拭いを渡してきた。
手拭いにはたっぷりと猫の匂いが染み付いていて、ナズーリンはそれだけでたじろいだ。
ナズーリンはその日のうちにさっそく出立して、手拭いの匂いをたよりに部下の子鼠たちも使いながら、依頼主の猫を探した。
はじめは部下がすぐ見つけてくれるだろうと呑気にしていた。
だが日が暮れてもなお良い報せはいっこうに届いてこなかった。
仕方なしとばかりに、手拭い片手に自ら猫を探しはじめたナズーリンだった。
するといくらもかからない間に匂いの行方をかすかに掴みとったので、ナズーリンは部下の怠慢を疑いながら匂いをたどっていった。
たどり着いたのは小さな、今にも崩れ落ちそうな汚い小屋で、この頃にはあたりは暗くなりはじめていた。
匂いは中から漂ってきていたのでナズーリンは入ろうとしたが、玄関の戸は真ん中からぐにゃりと引き裂かれてその役目を果たしていなかった。
窓は木板でかたく閉じられていた。
人の姿のままでは入れないと感じたナズーリンは鼠へ化けて、壁に空いていた穴から潜りこんだ。
小屋の中は荒れ放題だった。
畳はぶすぶすとささくれだち波のように曲がり、暗い天井には蜘蛛の巣が霧のように張っている。
台所は流し場といい窯といい、全体に薄黒くなってしまっている。
冷たい空気とハッキリとした木の臭いが閉じこめられていた。
ナズーリンは猫を見つけだすために部屋の中央にきた。
猫の匂いはいよいよ強くなってきていたが、彼自身の姿はどこにも見当たらなかった。
床下にでもいるのだろうかと思われた。
そのときナズーリンの背後でギイ、ギイ、と物音が聞こえた。
木板のきしむ音はナズーリンの背後を回り、だんだん右へと進んでいくので、彼女は右なりに振り向いて様子をうかがった。
土間が見えるが、それ以上なにもなかった。
猫はそこにいるのかとナズーリンが目をこらしていたところ、今度は左のほうから物音が聞こえてくるようになった。
ス、ス、スと畳の上を一歩一歩に踏みしめる音だった。
ナズーリンは慌てて首の向きをかえてみたが、荒々しい畳にはこれといった変化はなく、しかし音ばかりが何もないところから発せられているようだった。
ああ、しまった。そうナズーリンは思った。どうやら霊か何かの潜んでいる穴場に飛びこんでしまったようだと悟った。
幽霊に絡まれるのは面倒だが、受けた依頼をほうり投げるわけにはいかない。
ナズーリンは物音にはあえて触れず、匂いに集中することにした。
そこで彼女がさらに気づいたのは、それまで嗅いでいた猫の匂いとは異なる個体の匂いが混じっていることだった。
しかも、どうやら匂いは前と後ろから流れてきているらしかった。
前からは畳の上を歩く音、後ろからは木板のきしむ音。
ナズーリンは考えた。
匂いの主はこのうろつきまわっている影だろうか。ならばなぜ手拭いの匂いをたどると、ここに来てしまったのだろう。依頼主の猫はもうこの世にはいないのだろうか。それにしては腐臭などが感じられない。
もう少し小屋を見てまわろうとしたナズーリンの耳に、突然ある音が伝わって、彼女の足を止めさせてしまった。
それはいまわしくも聞きなれた鳴き声で、ナズーリンを背骨の奥から震え上がらせるものだった。
猫の鳴き声をまじかに耳にしてしまうのは、さすがのナズーリンもうろたえた。
いくら猫とは言えとっくにお陀仏しているじゃないか何を怖がることがあるのだと、ナズーリンは自分に言い聞かせたが、足は動いてくれなくなった。
前と後ろから足音といっしょにやってくる、にゃあにゃあという声。
どうにもならないのでジッと身構えることにするナズーリン。
耳をこらしてみると前と後ろにいる猫の幽霊は、彼女を取り囲むようにぐるぐると移動し続けていた。
その動き方に、鼠を玩具にしてたわむれる獣の様子をどことなく感じた彼女は、いい気分ではいられなくなった。
そして、さらに彼女を身動きできなくさせる事態へと向かっていく。
時間が経つにつれ猫の数が増えているようだった。
はじめは二匹だけしかいないと、匂いと音で分かっていたが、新たにもう一種類の匂いが現れては戸口のあたりをうろついているらしかった。
かと思うと畳の上をゆっくり回る音が増え、それもまた他とは違う匂いを発散していた。
前触れ無くあらわれた二匹の猫、計四匹の猫たちにかこまれたナズーリンは、精神的というよりは、動物的本能から立ち上がる恐怖を感じながら、逃げ出そうにも逃げ出せずにいた。
動くと噛み付かれる。そういう危機感があった。相手は形さえない存在なのに。
こうしている間にも時は刻々と過ぎていき、外はすでに夜の景観をあらわす。
小屋の中は星空とはおよそ無縁で、墨で塗ったような暗さだった。
視界のまったく途絶えた中では、いっそう猫臭さとうろつく物音がよく分かった。
ナズーリンがじっと耐えているのは、単におびえているからではない、幽霊たちがいずれ去っていくのを待ち構えている心があった。
幽霊といえども元は生き物なので、飽きもするし疲れもする。彼女はそれを待った。
しかし考えてみると奇妙な光景だった。
幽霊におびえる妖怪とは。
妖怪でも下手に幽霊へちょっかいを出すと、祟られたり取り憑かれたりするもので、そうした事情を危ぶむのなら何ら不思議はない。
ただナズーリンの場合には、被捕食者としての恐怖が重なってしまい、いくらか大げさな怖がり方になっていた。
しばらくすると、そんなナズーリンは体をかちこちに強ばらせた。
自分のすぐ真後ろまで猫がやってきたようなのだ。
スス、ス、ススと畳と足がこすれあう音が間近まで迫って、背中を撫でまわすような近さだった。
まずいなあと冷や汗をかくままにしていると、またもや猫の増える気配を感じ取った。
増える。まだ増える。
もはや小屋の中は猫だらけと言ってもよかった。
恐るべき狩人の匂いは充満しているし、足音やきしむ音やでうるさいくらいだし、ナズーリンにとってみれば生きた心地のしない状況となっていた。
ニャア……ニャオウ……ニャオ……フウー……。
こうした鳴き声が近づいたり遠ざかったり、近づいたり遠ざかったり。
今にも獲って食われてしまいそうな錯覚に陥りながら、ナズーリンはほとぼりが冷めるのを待ち続けた。
願いが通じたのか。
やがて猫の数がしだいに減っていき、手拭いと同じ匂いだったはずの猫までもいなくなってしまった。
いや。
手拭いと同じ匂いはまだナズーリンの鼻を刺激していた。
今は真夜中、ナズーリンは匂いだけを頼りに森閑とする小屋から出ると、裏側へ回っていった。
そこから獣道が続いていたので、人の姿に戻ったナズーリンは踏みこんでいった。
月明かりに照らされて小屋よりずっと見えやすい道を進んでいくと、あるところで急に開けた場所に出た。
そこは名も知らぬ雑草がまばらに生えた平地だった。
強いていうなら岩がそこら中に転がっているのが不思議だという場所だったが、暗がりの中であっても目の冴えるナズーリンにはちゃんと見えていた。
平地にごろごろしているのが岩ではなく横たわる猫だということを。
ここは、猫の死に場所だった。死期を感じ取った猫が最後に訪れ、安楽にこの世から旅立てるための場所だった。
そうと分かると小屋に出没した猫の霊も察しがつく。小屋はこの場所に通じる道を隠すように建てられていることから門の役割をして、あそこの猫は門番だったのだろう。
ここにいる猫たちは息絶えているか、そうなる直前の者しかいない。
しかし不思議と腐臭や死臭が鼻についてこないのは、清浄な土地である証だった。
ナズーリンは気を引き締めて恐る恐るあたりを見てまわり、ついに目当ての猫を発見した。
依頼主が言っていたように、他に比べて一回り小さな体は茶色の体毛で覆われていて、耳はピンととがっている。
その猫も地面にぐったりと横たわり、決して動き出しそうにはなかった。
「いつも私と私の同志を付け狙っている極悪な君たちだったが、浄土へ行くとなれば何の区別もない。安らかにしておくれ」
ナズーリンはこの冥土の一つ前に手を合わせた。
彼女が命蓮寺に帰ってきたのは空が白む頃だった。
ひっそりと裏口から帰宅したなら、汗を流すために、だが命蓮寺の住人を起こさぬよう、静かに井戸水で体を洗った。
ナズーリンが水を頭からかぶりながら新鮮を覚えていたところ、眠たそうな顔をした幽谷響子と出くわした。
「わあ、ずいぶんお早いご起床でナズーリンさん……あ、それ小さいですね」
指をさされてそう言われたので、裸のナズーリンはムッとした。
「一言余計だね、君は」
短く言葉をかわし終わり、響子がとなりを横切っていくとき、ナズーリンはなぜか猫の匂いを嗅ぎとった。
鼻が麻痺しているのか、猫の匂いが詰まってしまったのかと嫌な気分になった。
ナズーリンは寺へ入るといったん眠ろとしたが、まずは主人に報告してからだと、布団を敷かずにおいた。
朝がきて寺が慌ただしくなりはじめた頃に星のもとへ向かった。
「ご主人、もどってきたよ」
「ああ、どうもお疲れ様。して、猫は見つかりましたか」
「いやそれが災難な目にあったんだ。猫どころではなかったよ。でも猫がどうなっているのかは分かったよ」
そこまで言ったところでナズーリンは、やはり猫の匂いが離れて消えないことを感じていた。どうやら匂いが染み付いてしまったようだった。
「依頼主の猫は死んでいた。幽霊にも会った。実体がないとは言え、やはり猫と対面したくはないね、まったく」
「はあ、なるほど、どうりで」
「……どうりで?」
「いえ、猫嫌いなはずなのに、あまりに自然に肩へのっけているものだから」
星がにっこりと微笑んできたが、ナズーリンはそれどころではなくなった。
余談だが、後になって猫の死に場所を探しにいったナズーリンは、一日中探してもとうとう見つけることができなかったという。
そんな気持ちで読み終わって後書きを見たらなるほど納得。
「浄土へ行くとなれば何の区別もない」って言うナズーリンがいいなー。しかし最後のナズーリンはいったいどんな慌てっぷりだったのかww
でも、もうちょっとひねってほしかったです。
面白かったです!
主人公が一人だけで事象と関わったお話というのは新鮮でした。雰囲気も好きです。