最強とは、絶対的な言葉なのか。それとも、相対的な言葉なのか。
何かのうちで最も強い、という時点で、それは明らかに相対的な意味を持つということはわかるのだが、しかし比べるまでもなく頂点に位置しているもの、と考えると、それはとても絶対的なものにも思える。
それなら、彼女の言う「最強」とは、何を意味するのか――そこまで夢想して、小悪魔は考えるのを止めた。
§
「あたいを最強にして」氷精は言った。
「彼女を最強にして」七曜の魔女は言った。
暦の上ではとっくに秋だというのに、蝉の声しかしないとある日の午後。チルノは見慣れない場所にいた。
真夏日を感じさせない薄暗さ、そして日本の夏を忘却の彼方へと捨て去る快適な湿度を保つ、少し埃っぽいこの場所は紅魔館の地下にあるパチュリーの書斎だ。
普段パチュリーが本を読んでいる机周りのちょっとしたスペースで、3人が向かい合っている。
「いやまぁその、最強と言われましても。というか、本気ですか?」
「本気よ。いいじゃない、面白そうだわ」
一瞬の沈黙の後、声を上げたのは小悪魔だ。本を抱え、赤く長い髪を揺らせる彼女に対し、パチュリーは答えた。
湖の妖精が、ちょっと遊びに入った紅魔館で変な部屋を見つけて忍び込んだのが少し前。そこは謎の文字で書かれた大量の本しか無かったのだが、つまらないと思って出ようにも出口が見つからず、さ迷っているうちに見つけた本の落書きをチルノが真似て床に書いてしまったことから始まる。
巫女やら魔法使いやらメイドやら――大勢が使っているのを見た模様だったので興味を持ったのだが、そこに魔力を通してしまったのがまずかったらしい。
魔法の発現を意味する光と共に、魔法使いの使い魔が現れ、便宜上とは言えつい願いを聞いてしまって今に至る。
「うーん、同じ空間内で召喚のパスが適応されてしまったとは言え、詠唱もありませんでしたから、このまま何も無かった事にもできますが……。二重契約なんて面倒なだけですよ? それに対価もないし」
「契約者の私からの命令、という形にすればどうかしら? それなら二重にならないし、対価も簡単なもので済む」
館の主が気まぐれなら、そこの図書館の主も気まぐれなのである。しかしマスターとしての命令なら仕方ない。
いつものことかな、と思いながら、小悪魔は小さな召喚者に向き合った。
「さて……願いを叶えると言っても、悪魔にも限界があります。それに基本的には適材適所なので分野の制約もいくつかありますし、使い魔としての力しか持っていないというのも事実です」
そう言いながら、小悪魔はチルノに歩み寄る。人と人にはあまりに近い、触れ合いそうな距離で立ち止まると、小悪魔は微笑み、でも、と続ける。
「幸いにもあなたは女の子ですし、『数字』的にも私と相性が良い。もっとも、名前がバレちゃうとまずいのでこの辺りはぼかしますが……」
目の前にいる小悪魔を、チルノはきょとんと見つめる。妖精の知能では何を言っているから理解するのは難しいのだろう。
すっ、と小悪魔はチルノの額に手をかざす。反射的にチルノは目を閉じた。そのチルノに、小悪魔は顔を近づける。
「いいでしょう。私はあなたに知恵を授けます」
§
基本的に、博麗霊夢は動かない。
それは調停者たる博麗の巫女として、無意識に自分から何かをするということを避けている故か、あるいは単に性格から、そうすることに向いていたためにこの位置に立つことになったのか。しかし本人にはそんなことはどうでもよいことだった。
霊夢は、湖へと向かって飛んでいた。
何者にも縛られない、何物からも解き放たれている、空飛ぶ巫女が一直線に湖を目指すということは――すなわち今は異変が起きていて、その原因は湖にあるということを意味する。
完膚なきまでに異変だった。
昨日まではそれこそ、生き急ぐ蝉たちが太陽を親の仇かのように騒ぎ立てる真夏日だったのだが、霊夢が今飛んでいるのは吹雪の中だったのである。
結界により風と寒さは凌いでいる物の、視界の悪さだけはどうしようもない。自分が今どこを飛んでいるのかをわかっているのは、ひとえに彼女の勘によるものだった。
「暑いのは辛かったけど……。ここまで寒いと西瓜が美味しくないじゃない。勘弁願いたいものだわ」
「そうね。暑さにも寒さにも、それぞれ良い面もあれば強い面もある。なのにそれを忘れている人間のなんと多いことか」
霊夢が呟いたのは自分の勘に従ったからだ。彼女は先程から、自分が”ずっと湖の上を飛び続けている”ことをわかっていた。
まるで妖精に迷わされているかのように。そしてそろそろ、その迷わせている相手が出てくることを確信したからこそ声に出して言った。
しかし疑問はある。はたして、異変の時の巫女を迷わせる程に力の強い妖精がいるのだろうか、と。
「人は適応する生き物なのよ。克服する努力をしてね」
「あなたが努力なんて言葉を使うとはね……。克服して、勝った気になって、努力を止める。向かい合うのを止める。それが問題なのよ」
――近い。そう思ったのは勘。とっさに身を返し、符を投げつつ距離を取ったのは経験だ。
一瞬前まで自分がいたところを、氷の刃が切り裂く風切り音がした。刃は見えない。吹雪で視界が悪いのに、透明な氷が見えるわけがない。
急な動きで翻した、自身を包む結界が悲鳴を上げる。霊夢はそれが空気中に固定された氷弾によるものだと予測し、すぐに新たな符を構え臨戦態勢を取る。
放った符、警醒陣が切り捨てられる音がした。
「あら、さすがは博麗の巫女ね。ワンショットワンキルのつもりだったんだけど」
「斬りかかっておいてショットはないんじゃない?」
「剣も弾幕のうちよ」
吹雪の雪のカーテンの間から、人影が浮かび上がる。
頭に青いリボンを付けた、青いワンピースの少女。胸元にある赤いリボンがアクセントになっているとは言え、長く腰ほどまでに伸びた水色の髪が、不自然な冷気を漂わせている。
その背には美しい氷の羽もなく、全体的な雰囲気も違う。長い髪とすらっとした体格が大人っぽさを感じさせるが、それは紛れも無く氷精チルノだった。
「随分とイメージ違うわね。悪いものでも食べた?」
「あえて言うならリンゴとでも言っておこうかしら」
チルノが両手を広げると、辺りに氷の塊がいくつもできる。それに呼応して霊夢も陰陽玉を取り出し、霊力を込める。数多くの異変を解決してきた、妖怪退治の専門家の姿だった。
「力を持ちすぎれば、それは恐怖の対象になる。あんたは妖精? それとも妖怪?」
「残念だけど、まだこの異変を終わらせる訳にはいかない。邪魔をするというなら……、9番目の嘆きの川で、永遠に震え続けるがいい!」
先に動いたのはチルノだった。
「氷符『アイシクルフォール』!」
浮かんでいた氷が扇状に放たれ、それらが左右から襲いかかる。
霊夢も見慣れたチルノのスペルだが、その密度はこれまでのそれとは比べ物にならない程であり、吹雪の影響もあり視認し辛い。
しかし霊夢は冷静にチルノを見る。距離にして15歩、離れれば離れるほど風で予測し辛い動きを見せる氷弾を避けるため、霊夢は距離を詰めようとして、しかし陰陽玉を前に放った。
ガリ、という音。
先程動いた際、結界が軋んだのを霊夢は忘れていない。
彼女が読んだ通り、氷の滝のかからないチルノの前に、吹雪に紛れていた氷の刃の破片が舞う。
自機外し。
迂闊に動けば突き刺さっていたであろう剣山があったそこに、陰陽玉で空間を作った霊夢は、次の瞬間には移動していた。
博麗の巫女は何物にも縛られない。空間にすら。
すぐさまチルノは壊された氷弾を作るが、既に霊夢は陰陽玉に霊力を込めている。
「宝具『陰陽鬼神玉』」
3歩ほどあった距離を埋めるように、陰陽玉は爆発的に巨大化した。
間に残っていた硬い氷弾を、ガラスの砕けるような音と共に粉砕しながら、鬼神玉はチルノに迫る。
命中した。
「――いきなり飛ばすじゃない!」
チルノが砕け散るのを見て、霊夢は急いで結界を展開する。自身を吹雪から守るのとは違う、攻撃を防ぐための結界。
直後、チルノは爆散した。
アイシクルボム。
チルノに見えたそれは、その実人型をした不安定な低温の塊だった。チルノはそれを盾に後方へと飛び退っている。
「面倒ね……」
爆発を防ぎながらも、霊夢は忌々しげに呟く。
距離を取られるということはより時間がかかるということであり、それは異変解決の観点から見て好ましくない。
吹雪を防ぐのに霊力は刻一刻と消費されるし、加えて霊夢は、先程から息苦しさを覚えつつあった。
タイムアウトを狙う余裕はない。霊夢は認めざるを得なかった。この脅威を、退治するために。
「……強いじゃないの」
「私は最強だからね!」
相手距離を詰めるための牽制に、霊夢は封魔針を放つ。自身を包む結界を強化しての本命は、零時間移動からの直接攻撃だ。
しかし、通らない。
「凍符『パーフェクトフリーズ』――」
牽制の封魔針も、死角狙った蹴りも、チルノの宣言により凍りついた。
いや、実際には蹴りではない。霊夢の形こそしていたものの、パーフェクトフリーズの影響を受けた途端にそれは無数の札へと姿を変えた。しかしそれすらも、チルノに届くことなく完全に動きを止める。
二回の空間跳躍の後、結局霊夢は距離を取ることしかできなかった。
「――ジェントリー・ウィープス」
霊夢は見た。時々反射によってダイヤモンドダストのように輝いている氷の壁が、チルノを覆っているのを。
まるでそこだけ時間が止まっているかのような美しさだった。チルノの周りで、全てが止まっている。
「超低温は静止の世界だ……ってね。物体の運動は分子の運動だけど、超低温ではそれすらも止まる。絶対零度なんてマイナスKに比べれば温い」
妖精は自然の具現である。そしてチルノは冷気の妖精だ。
冬や寒さを司るのでなく、冷気を司る妖精。
しかし冷たさも温かさも、本来相対的なものでしかない。温度さえも、エントロピーが零となる状態を幻想して基準とした尺度に過ぎないのだ。
自然界には絶対零度など存在しない。ならば、冷気は妖精程度に扱える力なのか。
チルノが得たのはわずかな知恵にしか過ぎない。しかしそれは、あまりに危険な代物だった。
「恐怖という信仰を得た現象は妖怪として名を与えられ、理解しやすいものへと姿を変える。妖怪は退治されるべき存在だから。克服できるものだから」
「でも、名前がついても理解されないものだってある。名付けたことを忘れられ、でも克服されずに名前だけが縛られてしまう。形を信じられないと存在出来ないのに、名前だけが信じられて形を忘れられてしまったら、生き残るために出来ることは一つしか無い」
結局、彼女の異変は他と同じように、単純な願いから起きたものに過ぎなかった。
なぜ最強を求めたのか。最強でなければならなかったのか。
最強の妖精はチルノだと、そして妖精でも最強を名乗れるのだと知らしめたかったその理由。
チルノは一人の友人を思う。力を持ちながら、個を持ちながら、名前を持たない親友を。
知識を得たチルノは知っている。彼女は名前を与えられなかったのではなく、名前を捨てなければならなかった、ということを。
「別に妖精でも強い奴はいくらでもいる。それに妖精だろうと精霊だろうと、妖怪だろうと神様だろうと、たいして力に関係はない。『彼女』だって私に比べれば、力の弱いちっぽけな妖精に過ぎないんだから――」
チルノは霊力を込める。次で終わりにすると、大切な友人を救いたいのだと、強く想って。
霊夢ももとより、これ以上時間をかけるつもりはなかった。予想以上の強さに驚きもしたが、異変解決の専門家を止めるほどでもない。
巫女はただ、異変を解決するだけである。彼女もまた、自らの持つ符に霊力を込めた。
チルノは願う。
勝ったつもりの、克服した気でいる人間たちに。
中途半端はやめろと、自然の全てと向かい合えと。自然は、決して簡単に扱えるものではないのだと、レッテルを剥がすために。縛られてしまった、友人の名を呼ぶために。
吹雪を起こしていた冷気全てを取り込み、既にチルノの背には翼が生まれている。羽ではなく羽ばたくための白い六の翼は、羽の一枚一枚が鋭い氷で出来ていた。
そして世界は動き出す。
「――氷結『エターナルフォースブリザード』」
§
初めは彼女にも、名前がなかったらしい。
彼女は彼女たちだった。
彼女はどこにでもいて、どこにもいなかった。それは彼女自身にとっても同じだった。
難しいことはわからない。ただそれでも、毎日仲間たちと遊んで、時々いたずらをして、自由気ままに生きる日々は幸せだった。
変化は突然現れる。
どこにでもいる「ありふれた」彼女は、ある日突然「強大なもの」になった。
どうやらその強大さは、世界の四分の一を一手に請け負うほどらしい。
そのようになった。
彼女は一人きりの、強大なものになった。
長い年月が過ぎた。
彼女は変わらず、どこにでもいて、どこにもいなかった。
とても強い彼女は、その力ゆえ、その在り方を強く期待された。
だから彼女は在り方と変えることができない。
彼女はみんなといることこそが幸せだったのに、期待されなかった友達は去りつつある。
少なくなってしまった友達も、彼女に会いに来ることはほとんどなかった。
彼女の住む場所は、とても寒いところにあったから。
それでも彼女は、在り方を変えることができない。
さらに長い時間が経った。
彼女は一人きりだった。
仲間も、友達も、既にどこにもいなかった。
しかし彼女はまだ、どこにでもいて、どこにもいないらしい。
そもそもの在り方がそんなだから、彼女が真にどこにもいなくなることはきっとないのだろう。
紫色の少女が現れたのはそんな時だ。
少女は言った。力を捨てれば、友達に会えると。
どこにでもいないものになれば――名前を捨てれば、ありふれたものになれるのだと。
彼女に悩む理由はなかった。
§
――世界の割れる音がした。
宇宙空間にも匹敵するほどの超低温が、霊夢を襲う。否、それは宇宙をも超えた、完全な絶対零度だった。
急激な冷却により、空気は液体を通り越して個体となる。そもそも彼女の能力は氷を作ることでなく、冷気に起因している。チルノの弾幕の氷も、空気中の水分を凍らせることによって生まれていた。
しかし彼女のラストスペルはそんなものではない。窒素・酸素・二酸化炭素……それら主成分とする空気は、およそ-219度で凍りつく。そして空気が凍りつけば、次に生じるのは気圧差による暴風だ。
凍りついた空気は暴風により砕け散る。しかし絶対零度は、砕け散るエネルギーすら許しはしない。
凍る。散る。凍る。散る。
連鎖的に起こる冷気の暴力に、空気は均衡化を求め果てしなく流入し続ける。吹きこむ風は湖の水を巻き上げ、さらに凍り、散る。
凍りつき密度を増した個体は、しかし圧縮されることにより生じる熱すらも奪われ、際限なく凍りつく。零点振動もできない超密度の物体は、もはや白いブラックホールと化した。
そんな世界の終わりのような空間で、チルノの翼である氷の刃だけが、ただひたすらに切り裂く。
こんな攻撃に、人間が耐えられるはずもなかった。
身を守る結界は須臾のもとに消え去り、霊力を込めた符を解き放つ前に体は凍りついた。
痛みに声を漏らすが、それを伝える空気は既に凍っている。先程から息苦しかったのは、空気が少なくなっていたためか。ルール故か心肺機能こそ生きているものの、そこにいることすら辛い。さらには視界も凍り始めた。
移動封印、目隠しという最強のスペル。
ただ一つチルノに誤算があるとすれば――それは相手が博麗の巫女であることだった。
「夢想天生」
霊夢が一つ念じた。そしてそれだけで、彼女は全てを無視してチルノに肉薄する。
周囲に浮かぶ陰陽玉も、それが放つ大量の符も、あらゆる物理法則を無視して単純に『弾幕』として迫った。
相殺こそすれど、それらは凍りつくことはない。博麗霊夢はこんなものには縛られない、とでも言うように。
行われるのはただ、ただひたすらに弾幕ごっこだった。
「こんな馬鹿なことが許される訳が……っ!」
「バカはあんたでしょうが。避けられない弾幕とか、どう考えてもルール違反じゃないの」
「だから! その避けられない弾幕をどうして避けてるのよ!」
「決まってるでしょ。これが弾幕ごっこだからよ」
異変解決のとき、博麗の巫女は絶対に負けない。
この荒唐無稽な話は、しかしなかば常識として幻想郷に住むものは認識していた。
非常識ゆえ、誰もが信じていない、にもかかわらず誰もが無意識に抱く常識。
だからこそ、チルノはルールすら忘れるほどに必死に、弾幕を放つ。
しかしチルノはその必死さ故に気づかない。涼し気な表情の霊夢が、しっかりとチルノの弾を避けていることに。
霊夢の放った物理法則無視の弾幕も、チルノの弾には消し去られていることに。
行われているのが、弾幕ごっこだということに。
避ける。撃つ。相殺する。そしてまた避ける。
喚き散らすように放たれるチルノの弾幕はあまりに異常な密度で、しかもその一つ一つが触れれば命を失いかねない凶器だ。
しかし霊夢は繰り返す。その表情には焦りも恐怖もなく、ただ避け続ける。距離を詰める。
霊夢は風の影響を受けないし、動きが鈍ることもない。とは言えチルノの弾幕はいくらでも変化する。
吹き荒れる風に弾は煽られ、突然砕けて数が膨れ上がり、また何もないところに弾が現れる。
自分でも予想できない弾幕を避け近づく霊夢を見て、チルノは動いた。
一息に、背の翼を砕く。
ケタ違いの氷の雨。襲い来るその密度はもはや、滝と言うにふさわしい。
霊夢は止まらない。
陰陽玉を射出し、滝を割る。砕けて細かくなった氷の粒が新たに道を阻んだ。
あまりに細かいそれらは、わずかな気流の変化でさえ、霊夢に襲いかかるだろう。無数の羽を避けることは不可能だ。
それでも霊夢は避ける。少しだけ体を逸らして、またチルノに近づいた。
霊夢は飛んでいるのではない。浮いている彼女は、僅かな空気の流れも作らなかった。
暖簾に腕押し、柳に風。流水のように彼女は避ける。
距離が零になる。届く。霊夢はお祓い棒を振りかぶった。
「寒い夏はこれでおしまい。妖精は妖精らしく、太陽の下で遊んでなさい」
強い衝撃を受け、チルノは後方へと吹き飛んだ。
冷気が一気に霧散し、均衡を保てなくなった氷が砕け散る。攻撃性のない氷の粒へ。途端に上昇気流が発生し、それらは上空へと舞き上げられた。
太陽の光を反射させ、きらきらと輝くダイヤモンドダスト。
それはただただ、美しかった。
§
チルノは見慣れない場所にいた。
真夏日を感じさせない薄暗さ、そして日本の夏を忘却の彼方へと捨て去る快適な湿度を保つ、少し埃っぽいこの場所は紅魔館の地下にあるパチュリーの書斎だ。
普段パチュリーが本を読んでいる机周りのちょっとしたスペースで、3人が向かい合っている。
「あら、終わっちゃったのね。なるほど、博麗の巫女は最強、と」
「いや、私の力にも限界がありますし、判断するのは尚早かと……」
正確には、向かい合っているというのは間違いだ。チルノは仰向けに寝ていて、それを助け起こそうとしている小悪魔をパチュリーが見ている、という構図が正しい。
チルノは自分が何をしていたのかが思い出せなかった。夏の日差しを避けて忍び込んだここで一悶着あり、最強にしてくれと頼んだのは覚えているのだが――
しかし妖精にはよくあることなので、チルノは考えるのを止めた。
「でも不思議ね。氷精としての象徴に依存している、という予測は当たっていたけれど」
「すみません……。見逃してしまって」
「いいわよ。確認出来なかったということは、つまりそういう存在だと言うこと。自然に発生して、自然に消える」
魔女たちが何を言っているのかも、イマイチわからない。立ち上がったチルノは、魔女に尋ねる。
「えーっと、あたいは最強になったのね?」
「そうね、それに答えるには、まず最強という言葉の定義について考えなくてはいけない。あなたの言う最強とは、絶対的なものなのか、相対的なものなのか」
「よくわかんない」
「まぁ、あなたが幻想郷最強の妖精であることに間違いはないわね」
「ホント!? あたいったらやっぱサイキョーね!」
そんな二人を、小悪魔は苦笑しながら見つめていた。小悪魔は既に、蔵書の整理へと戻っている。
ふと、彼女は風の無いはずの部屋に風を感じた。
「あ……。やっと見つけたよ……。チルノちゃん何してたの?」
爽やかな風と共に、何もなかった場所に少女が現れる。チルノと同じ青いワンピースに身を包んだ、緑色の髪をした少女だ。
それを見ると、チルノは少女に駆け寄って行った。
「約束してたのに、チルノちゃんったらどこにもいないんだから……。探したよ?」
「う……。ごめん、一回休みだったみたい」
「もう、心配したんだから」
辺りを見回した少女と、小悪魔の視線が交錯する。どちらからともなく会釈した。
用がないならさようなら、とパチュリーが言うと、二人は慌ててドアへと向かう。
今日も幻想郷は平和だった。
「さて! 今日はどこに行こうか、――!」
割としっかりした中二病だったと思います。
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