あなたの空は輝いていますか?
AM 7:00
地霊殿の朝は遅い。住んでいる自分がいうのだから間違いない。
暮らしているのはさとりさまに近いペットだけ。妹さんは流浪の旅にでていて、いつ帰ってくるかも定かはない。
ときたま亡霊がふらふらしていることもあるが、彼らは別に家族の一員というわけでもない。
そんなわけで、おはようからおやすみまで、みんなの生活スタイルはバラバラだった。
当然、食事だって別々だし、丸一日顔を合わすことがない日もある。
が、それもつい先日までのこと。
灼熱地獄跡にひきこもっていた友人が帰ってきたことで、事情は少しだけ変わった。
みんなで食事を取るようになり、会話も増えた。離れていた家族が一緒になったようなものだ。
地霊殿も心なしか賑やかになり、自分の朝も少しだけ早くなった。
それはいい。
いいのだが……。
「ねぇお空、朝なんだけど」
「うー、もうちょっと」
「はぁ……仕事遅れるよ?」
「にゅー、くー」
薄暗い洋室に並べられたベッド。その上でパジャマをはだけ、へそ丸出しで転がっている少女がいる。
幸せそうな笑みを浮かべ、口からはよだれを流している少女、霊烏路空。
長い黒髪をぼさぼさに乱し、遠慮することなくいびきをかきつづけるこいつこそ、全ての根源にして原因である。
今、自分はこいつを起こしている。
何故起こすのか。そりゃ、起こさなくちゃいけないからだ。
さとりさまから、『これからはおくうのことよろしくね』などと頼まれたのが先日のこと。
旧知の仲でもあるから断れず、『じゃあ同じ部屋でいいよねー♪』などと転がりこまれたのが運のつきだ。
今まで自由な生活をしていたというのに、いきなり寝不足生活。
あれからはや一か月が過ぎたが、なれる日なんてこなかった。
詳しいことは知らないが、お空には仕事がある。
起きてご飯を食べて仕事に行かなければ、河童たちに怒られてしまうのだそうだ。
だからって、なぜ自分がこいつのお守りをしなければならんのか。ぼやいた回数は数知れない。
友人といっても、一応は親友とか言うくくりにもはいるのだが、それとこれとは話が別だ。
ちょっとは気を使ってもいいはずなのに、人の部屋でやりたい放題。
間欠泉の一件で助けてやったことなど、気付いてすらいないのだろう。
本来ならお空自身が起きるべきなのだ。
なのにこいつは起きもせず、平気で遅刻する。
仕事なら勝手に行けよと思うのに、『朝起こしてねー』などと平気でのたまうのだから始末に負えない。
こちらもさとりさまから頼まれてしまったから仕方がない。
拒否しようものならトラウマ地獄が待っている。
何をされるか分かったものではないんだよ。
そんなわけで毎朝のように目覚ましの代わりを演じている。
文句の一つも言ってやりたいが、言ったところで待遇が改善されるわけでもない。
中間管理職は辛いよ。
「おーい。起きろ」
力いっぱい体をゆすり、ほほをつねる。
それでもお空は眠ったままだった。
「起きろってんだよ」
「むにゃむにゃ」
「起きないと朝ごはん抜くよ」
「やだ」
「……起きてんじゃんよ」
「くー」
このトリ野郎、と暴発しそうになる感情を懸命に抑える。
大体だ。
こっちはこいつを起こすためだけに、わざわざ人型になっているのである。
はっきりいって力の無駄遣いだがしかたない。
耳元で『にゃーん』と行ったところでこのトリ野郎が起きるわけないのだ。
そんなこと、最初の数日間で学習していた。
「はぁ、仕方ないか……」
ぼやき、お空の背に手を回す。
驚くほどに軽い体を持ち上げると長い髪がながれ、ふんわりといい香りが漂う。
慣れていなものなら虜になってしまいそうな甘い香り。
初めのころはドギマギしたものだが、こう毎日では反応するのも馬鹿らしい。
だからきまりきった動作で、用意していた猫車の上に移し替える。
着替えなんてどうでもいいから、さっさと食堂に運んだほうがマシだ。
その辺、成長したものだなと自分でも思う。
「さぁー、じゃあ行くよ、ってあれ」
気がつくと、猫車の上にお空の姿がなかった。
みればもとのベッドの上にもどり、丸くなって寝息を立てていた。
その間わずか二秒。
「お空……」
「先行ってて、後で行くから」
嘘だ。
以前一度だけ放置したが、朝食が始まっても起きてこなかったことがある。
結局さとりさまに怒られるはめになったことを、あたいは忘れない。
が、それも昔のことだ。いまは全て計算済み。
予定ではここから五十分ほど、乗せては戻りを繰り返すはず。
「起きろー!!」
「やだー!!」
移しては戻り、移しては戻り……。
今はこんな調子だが、いずれは観念し、猫車の上で丸くなるだろう。
むろん、無駄な時間なことくらいわかっている。
もう諦めているんだよ。
どうにでもなーれ。
AM 8:00
壮絶な移し替え合戦は予定通りに終わった。
眠りこけたままのお空を猫車にのせ、食堂についたのはちょうど8時。
すでにさとりさまは席についていた。
「あら、おはよう」
長方形のテーブルの上には多数の料理があった。
ご飯のほかはみそ汁や煮物、豆腐ハンバーグなど手の込んだものも見える。
どれもおいしそうに湯気が立っているところから見ると、ちょうどいいタイミングだったということか。
まずはさとりさまを待たせなくてよかった。
その思いでほっと胸をなでおろす。
「おはようございます。さとりさま」
「う゛にゅー」
「今日はちゃんと起きてきたのね、ふたりとも」
何の問題もないかのようなさわやかな笑顔。その返答に、思わずむっとした。
どこをどうみればちゃんと起きているように見えるのだろう。
方や必死の形相で猫車を押し、方やその上で爆睡中なのだ。明らかに実力行使である。
「ん、『どこをどうみればそうなるんだ』」
「うげ」
「『あたいの苦労も少しは理解してくれよ』ねぇ」
こちらの心の中を読み取ったさとりさまは、意地の悪い笑みを浮かべ、紅茶のカップを口に運んだ。
駄目だ。こうなると助け船はもらえない。明らかに楽しんでいる。
しかたなく、お空を猫車からおろした。
そのまま椅子に座らせ、箸をつかませる。
「うー」
「ほら、ちゃんと座る。箸も持つ」
「にゅー、持つ」
「本当、夫婦みたいよね」
「違いますからね!」
「むぐむぐ」
自分が吠えるとなりで、お空はすでにご飯を食べ始めていた。
対するさとりさまも涼しい顔で箸を運んでいる。
いつものことながら自分だけが取り残されていた。
非常に馬鹿らしい。
だいたい、なんで毎日あたいが……。
「『面倒みなきゃいけないのか』ねぇ、本当は嬉しいくせに」
「洗いざらいしゃべらないでくれませんか。あと捏造するのやめてください」
「あら失礼。さっさと食べないと冷めますよ」
もう言葉もない。
諦めて箸をつかみ、溜息をつく。さとりさまとお空はすでに半分近く食べ終わっていた。
急がなければ食事が終わってしまう。
とりあえずみそ汁を飲むことにした。朝からしゃべりすぎて喉が痛い。
「まぁ、おくうも明日からはちゃんと起きるのよ?」
「はーい!」
「ぶふっ」
威勢のいい返事に軽くせき込み、飲み込んだみそ汁が喉に逆流する。
嘘だ。絶対嘘だ。
毎日のように言われてるわりに、治った試しなんて一度もない。
しかも、さとりさまへの返事だけは元気がいい。いつの間に起きたのか笑みすら浮かべている。
どの面下げてと思ったが、言うだけ無駄なので諦めた。
「でもお燐の楽しみを奪うのも可哀想よね。生きがいだし」
「ん、そうなの?」
もう何を言っても無駄だ。
お空の問いを無視したあたいは、やけくそ気味でご飯をかきこんだ。
AM 10:00
お空を送り出して数十分後。
ようやく自分の時間が持てたあたいは、自分のベッドの上で横になる。
正直朝のドタバタでぐったりだ。
これを毎朝のように繰り返すのだから、嫌になる。
思えばもう一カ月。そろそろ精神的に持たないなと、内心で溜息をつく。
とはいえ、難しく考えてもしかたながない。
休めるときに休む。とことんリラックスしてやろうと決意する。
「にゃーん」
今は姿かたちが猫のモノ。
人間形態でいると疲れるから、たまには猫に戻らないとやってられない。
普段からトラブルメーカーが近くにいるせいで、余計なストレスがたまりすぎる。
だから少しくらい休むのも当然だ。
あたいは自分を正当化し、ベッドの上でまるくなる。
このまま昼ごはんまで寝るか。
そんなことをかんがえていると、ばたんと部屋の扉が開いた。
「お燐ー」
さとりさまが顔を出し、あたいを手招きする。
見れば、その手には大きな風呂敷包みがあった。
(何かあったんですか)
「あの子、忘れ物したのよ。ほら、おくうの変身セット」
(はい?)
頭の中真っ白なあたいをさしおいて、さとりさまは苦笑いする。
「私は忙しいから届けてほしいのです」
(えっ)
「そう、届けてくれるんですね!」
(ちょっと待ってください)
「ごめんなさい、毎日毎日」
(いや、あの)
間髪いれずに差し出された手が、前足を握る。合わせてさとりさまの顔が眼前に現れた。
口元は笑っているが、目は感情を湛えていない。相手をトラウマ漬けにするときの表情だ。
「お願いね?」
圧迫される肉球。
全身に針を突き刺されたかのような衝撃が突き抜け、力が抜けた。
「返事は?」
(……は、はい)
負けた。
有無を言わせぬ圧力が全身に押し寄せ、反発心を叩き潰していく。
無理だ。逆らえっこない。
すぐそこまでトラウマがきているのだ。やれというほうが無理である。
「そういえば、お弁当も持ってなかったわね」
(え、でも朝作りましたけど)
「おくうがでかける直前、ふらっと帰ってきたこいしが持っていったから」
「こいしさまー!!」
思わず人型に変化し、天を仰ぐ。
なぜ持っていかせる。なぜとめない。
頭の中で様々な感情がぐるぐる回る。
一日や二日ってレベルじゃないのだ。
ここ一カ月毎日なのだ。そりゃ嫌にもなるさ。
「じゃあよろしくね!」
もはや呆然とするしかない。
そそくさと逃げるように立ち去っていくさとりさまを眺め、ぺたんと尻もちをつく。
「うがー!」
やっと出た声は純粋な叫び。
頭をかきむしると、衝撃で髪の毛が何本か抜けた。
まったく、世知辛い世の中だよ。
PM 0:00
旧灼熱地獄のはるか上空、妖怪の山の山麓に、ひと際大きな穴がある。
間欠泉地下センター。地獄を炉心とした巨大なエネルギー生成システムである。
山の神様が作り上げた巨大な研究所は河童たちによって運営され、日夜、さまざまな研究がおこなわれているのだった。
その最下層にお空の職場はある。
核融合炉心。文字通り、灼熱地獄から上がってくる熱を調整する空間だ。
床のいたるところには放熱孔が開いており、そこから明るい液体の海が見える。
吹きあがる熱は大気を焦がし、空間全体を異様な高温で包み込んでいた。
「暑い……よ」
普通の人間なら焼け焦げてしまうほどの熱量。
そんな中に、入っていかなければならない自分。
そもそもどうしてこんな場所にこなくてはならなかったのか。
明るい液体を眺めながらぼんやりと考える。
「あ! おりーん!」
ぼーっとしていると声が聞こえた。
みれば、お空が元気いっぱいに手を振っている。
暑さなんて微塵も感じていないようだ。
そこまできて、ようやく忘れ物の件を思い出した。
「何しに来たの?」
「ああ、あんたが忘れた制御棒届けに来たんだよ……」
「ありがとう!」
「っていうかいい加減に……いいや」
言ってもわからないことなどわかっていた。
それよりも、早くこの極高温の世界から逃げ出したい。
灼熱地獄に満ちる気温を何十倍も濃縮したような暑さは、まるで太陽の中にいるかのような錯覚を受ける。
業火の世界になれているあたいでも、長時間は滞在したくない。
たとえ毎日こようとも、核融合の熱は慣れるレベルのものではなかった。
対するお空は平気な顔だが、どこかとんでしまっているようにしか見えなかった。
「よくこんな職場で働けるよね……」
「慣れてるからねぇ」
「地底のマグマより熱いよ」
「そりゃ太陽だからねぇ」
やはりどこかが抜けている。
とにかく、早々に退散しようと決意する。
「忘れてた、こっちお弁当!」
「ん? ああ、忘れてたよありがとう」
受け取ったお空は、突然その場にどっかりと腰を下ろした。
遠慮の欠片すらなく、すぐに箸をつかんで食べ始める。
「お腹すいてたんだよねぇ。これお燐がつくってくれたのかな」
「違う、今朝の余りもの」
「うん、ありがとう」
人の話なんて聞いちゃいない。
まぁ実際は余りものなんてなくて、一から作ったのだが言ったら負けだと思った。
そういえばお空って焼き肉が好きだっけか、なんて考えながら作っていたことがばれたら取り返しも付かない。
まぁ基本的に鈍感だからそんなことを気にしなくても済むのだが。
ともかくやることはやった。
後はこの空間から逃げ出すだけだ。
「じゃあ、そろそろ……」
「ねぇ見ました奥さん。愛妻弁当ですよ愛妻」
帰ろうとした途端、声が聞こえた。
「これは決定的だね」
「まさか、あの二人がそんな関係だなんて……」
「これは認めるしかないよね。みんなに広めてね」
振り向けば、はるか遠く、昇降エレベータ付近で会話する二つの影。
一つは河童、もう一つは……古明地こいし。
獲物をとらえる強靭な視力。
さらに超音波すら聞き分ける猫だからこそなせる探知だ。
お空には全く聞こえないだろう。
いや、聞こえてもらっては困る。
今話している内容は、非常によろしくない。
「いやでも、愛情たっぷりの手作り弁当と決まったわけじゃ……」
「アレ手作りだよ。今朝の残り物は私が持ってるから」
「なるほど、前聞いたときは、否定してたんですけど」
「ちなみに、手抜き弁当は毎朝私が奪って食べてるから、いつも手作りだよ。ラヴだよラヴ」
「……おい」
冷や汗が流れた。
耳をそばだてると、穏健ならざる会話が次々に聞こえてくる。
そういえば、夕食や朝食の残り物で作った弁当は、決まって毎朝のようになくなっていた。
一時期はさとりさまが食べているのだと思っていたがそうでもなかった。
あの放浪者、毎回やってたのか。
どうりでいつも手作りになるはずだ。いや、気付かなかった自分も自分だが。
「それだけじゃないよ。家ではいつも、にゃーんなことしてるんだよ」
「え……」
「ほんとだよ。部屋も一緒だし。にゃんにゃんしてるにきまってる」
「過激なんですね……」
「そうだよ。広めないと、このスクープを」
それにしてもこの妹ノリノリである。
あることないこと吹きこむくせに、相手の河童も聞き入っている。
信じるなよそんなこと。
「ん、帰るよ」
「うにゅ、どしたのお燐」
「なんでもないさ。仕事がんばってね」
口の中いっぱいに食べ物を詰め込んだお空が不思議そうな表情をする。
その顔をもう少しだけ見ていたかったけれど、しかたない。
ゆっくりと歩き出す。
手には銀色の猫車。
「ふふ、あの二人を叩きのめして、業火の車は重くなる……」
あたいたちの未来のためだ。
泣かせてやる。
PM 5:00
戦いを終えたあたいが自室のドアをくぐったのは、すっかり夕方になってからのことだった。
「いたた……」
あちこち傷だらけで服は破れ、三つ編みもほどけた酷いありさま。
それもこれもあの放蕩娘にこっぴどくやられたためである。
理不尽な仕打ちに対抗しただけだったが、現実は残酷だった。
力の差は歴然。弾幕ごっこでも防戦一方だ。
ただ、一方的にやられたわけではない。
こちらも、あの河童にあることないこと吹きこんでやった。
シスコンだのシスコンだのシスコンだの。
『おぼえてろよー!』と逃げ去るこいしさまの顔は少しだけ見者ものだったが……。
「なんだ、帰ってきてたのね」
「ひぅ!?」
物思いにふけっていると、いきなり背後に気配が現れた。
驚いて振り向けば、そこには怪訝そうな表情をしたさとりさまの姿がある。
「さ、ささささとりさま」
「何よ、驚いて。ん。どうしたのその傷」
「なななんでもありませんよ」
まずい。非常にまずい。今一番会いたくない存在が目の前にいる。
嫉妬にかられて妹に喧嘩を売ったなんてばれたら怒られる。
あたいは顔を隠し、ベッドに飛び乗った。
さとりさまは妹に甘い。
状況を説明したところで一笑されて終わりだ。
その次に来るのは地獄。
トラウマをもてあそばれ、あることないこといじくられるのがいいところだ。
とにかく今は何とかしてこの場を乗り切らなければならない。
「またこいしと遊んだのね。元気のいいことで」
「うわーん!」
終わった。ばっちり読まれた。
さようならお空。あんたのおかげで、いい人生だったよ……。
もはやこれまでと、ベッドにもぐりこみ目をつぶる。
が、肝心のトラウマ攻撃はいつまでたっても飛んでこなかった。
「泣かないの。おやつにマタタビクッキーあげるから」
「……怒らないんですか?」
「なんで怒る必要があるのよ」
椅子に腰かけ、おいでおいでするさとりさま。
その手にはマタタビクッキーが。
ああ、信じられないけどマタタビには弱い。
疑問がないと言えばうそになるけれど、やっぱり食べたい。
このあたり、あたいも甘いものだ。
すぐさま猫にもどると、ベッドから跳躍。
さとりさまの膝めがけてダイブする。
「にゃーん」
「よしよし」
膝の上は心地よいベッドだった。
背中をさする手は優しく。マタタビの匂いを嗅げばリラックスせずにはいられない。
放蕩妹にやられた傷も癒えるというものだ。
それにしても怒られなくて本当に良かった。
「ただいまー……ってあー!」
にゃんにゃんしていると急にドアが開いた。
見れば制御棒スタイルのお空が顔を出し、目をまんまるにしている。
その表情が、明らかな嫉妬のそれになるのはすぐだった。
「お燐ばっかりずるい! 私も」
「え、あ、ちょっとおくうまちなさい」
「そーれ!」
さとりさまの制止すら聞かない。
勢いよく制御棒を投げ捨てると、お空はダッシュをかける。
流れるようなフォルムで屈み、大ジャンプ。
慌てるさとりさまの膝へとダイブする姿には神々しさすら見える。
だがそこには猫化している自分がいるわけで。
ここが着地地点なわけで。
「(え、あれ)にゃ、にゃーん」
「うーーにゅ!」
「(ちょ、ちょっとたん――)に゛ゃ!?」
背中に膝がめり込み、肺から息が漏れる。
間髪いれずに吹っ飛ばされたあたいは、腹側から壁面に激突した。
全身がきしむような音を立て、壁のほうが大きく陥没する。
つ、潰れ、息が――
薄れゆく意識の中見えたのは、呆れたようなさとりさまの顔と、膝の上で満足そうに座り込む親友(人型)の姿だった。
PM 8:00
「やーだー!」
午後八時、地霊殿の浴場前にお空の声が響く。
その甲高い音を、あたいはどこか頭の遠くで聞いていた。
お空の飛びひざ蹴りを受けても呼吸困難程度で済んだのが幸いだった。
夕ご飯も食べられたし、こうして風呂に入ることもできる。
できるのだが……。
「なんであたいがこんなことまで……」
目の前には駄々っ子がいる。
すのこに座り込んでじたばたするお空。
風呂に入るのが心底嫌なのだろう。
なんとか服は脱がせたものの、浴場のドアにしがみついたまま、引っ張っても怒っても動こうとしない。
「いいから風呂入りなよって……」
「やだ!」
「風邪引くって。あたいだって裸なんだから」
「やだやだやだ!」
まぁ烏の行水という言葉があるくらいだから、お空も水は苦手なのかもしれない。
あたいだって本当は嫌なんだよ。猫だから、濡れるのは元来好きじゃない。
でもさとりさまに頼まれたら嫌と言えないわけだ。
ここに住むなら二人で入りなさいって言われた以上、その命令は絶対なのだ。
「ほーら入らないとさとりさまに怒られるよ」
「う……や、やだもん!」
目に涙をため、全裸でぷるぷる震えるお空。
ちょっと可愛いと思ってしまうあたり、駄目なのだろう。
「はぁ、一回漬かったらでていいからさ」
「ほんと?」
「今日だけだけどね」
「うー、わかった。入る」
色々と誘惑に負けた。
加減してやったなど、さとりさまにばれたらあとで大目玉だ。
つくづく甘いものだなと頭をかく。
まぁ、ばれないように切り抜ければ問題ない。
「う」
「ほら」
たじろぐお空をしり目に、ゆっくりと浴槽に足を踏み入れる。
温かい感覚が足を濡らし、震えが尻尾の先まで突き抜けるが、今逃げてはいけない。
なんとか湯船に体を沈め、手招きする。
「ほ、ほら……ってえ」
言いかけたときには、お空の体は中空にあった。
目をつぶってジャンプした。それを理解したときには大きな音が響き、水柱が立ち上る。
揺れる水面に、潜ったままゆらゆらとたゆたう黒髪が映る。
ちゃんとお風呂に入っている。もぐってはいるが、一応成功だ。
これでさとりさまに怒られずに済む。
「はは、やればできるじゃないのさ……ん?」
が、安堵したのもつかの間。
すぐに新たな異変に気がついた。
風呂全体が淡い光に包まれている。
肝心のお空は潜ったまま、泡だけはいて上がってこない。
というか、上がってくる泡の量がおかしい。
炭酸水を通り越し、まるで風呂全体が沸騰しているかのようだ。
しかも水温が急激に上昇している。
「え、なにこれ熱ッ!」
本能が危険を察知し、逃亡命令を出す。
その時、お空が水面から勢いよく顔を出した。
「うぅ」
声をかける暇すらない。
全身から漏れ出る光。核融合の輝きが最高潮に達する。
「にゅー!!」
「ちょ――」
直後、浴室全体がまばゆい光に包まれていった。
PM 11:00
地上では日もとっぷり暮れた時刻。
薄暗い地底もまたひっそりと眠りにつく。
そんな時刻になってようやく、さとりさまの説教から解放されたあたいは、自室で寝る準備をしていた。
準備といっても、一人の頃はほとんどすることはなかった。
ただ、今ではお空のちらかしたお菓子や衣類といったものを片付ける仕事が待っている。
それが終わるとようやく自分のベッドメイキングだ。
寝るときは猫型なので、それ用に整えなければならない。
「くー」
溜息をつきながらベッドを整えていると、寝息が聞こえた。
ちらと横目をやれば、部屋の隅に置かれたもう一つのベッドで、お空がやすらかな寝息を立てている。
その寝顔に殺意を覚えたあたいは、ぐっと拳を握りしめた。
入浴時に起きたアビスノヴァは、浴室に悲惨な結果をもたらした。
発生した小型の太陽は浴槽を消滅させ、湯は完全に蒸発。
溶けた壁は溶岩のように流れだし、水道管は連鎖的に水蒸気爆発を起こした。
発生した衝撃波は壁を突き破り、余波は隣家まで及んだ。
周囲には暴風が吹き荒れ、気付けばいくつかの長屋が倒壊していた。
誰がどう見ても、容易には修復できないレベルの破壊。
駆けつけたさとりさまが怒ったのは言うまでもない。
裸で正座させられ説教だ。
まず生きていたのが奇跡だと思ったのだが、完全に無視された。
ちなみにお空は眠気に耐えられなくなったため、途中から寝ていた。畜生。
「ったく……」
結局、あたいはこいつのぶんまでこってりと絞られてしまったわけだ。
もはや溜息をつく他にない。
思えばあわただしい日々だった。
今日だけではない。こいつが戻ってきてから一ヶ月間、朝から晩まで振りまわされる毎日だ。
自由時間も少なくなった。胃だって痛くなった。
それに引き換え救済措置は全くない。
さとりさまからの風当たりも、心なしか強くなった。
息付く暇もなく問題が起こり、それを自分が何とかする生活。
こんな毎日が、これからもずっと続く。
ずっとずっと続いていく。
それで、自分は幸せなのだろうか。
いろんなものに縛られて、時間も失って。
何気なく見つめたお空の表情は、悩みなどないほどに幸せそのものだ。
その顔に手を当て、小さくため息をつく。
「ねぇお空」
本当に自分勝手で、周りに迷惑をかけて。
他人の苦労なんて何にも知らないで。
心配ばっかりさせて。
「このままじゃあたい、あんたのこと嫌いになっちゃうかもしれないよ」
お空は親友だ。そんなこと、頭ではわかっている。
嫌いになんてなりたくない。
それでもこんな生活が続いていくのなら、今後のこともまじめに考えていかなければならない。
そもそも自分はお空のお守り役ではないのだから。
面倒だって掛けられるのもごめんだ。
「う、ん」
そのとき、お空が一つ身じろぎし、声をあげた。
「お燐」
「ん?」
寝言だった。お空は安らかな寝息を響かせる。
そのくせ、誰もがうらやむ太陽のような笑顔を浮かべていた。
「大好き」
部屋の時間が、止まった。
「……あー」
静寂に包まれた中、妙に顔がほてり、心なしか鼓動も早まる。
酸っぱいような恥ずかしいような、どうしていいのかわからない焦り。
この一カ月、すっかり忘れていた感情が沸き上がり、真っ白になった頭をぼりぼりとかいた。
「ったくもー」
自分の負けだな、と内心でぼやく。
気がつけば先ほどまでの不平不満など、どこかに吹っ飛んでしまっていた。
結局、好きなのだから仕方ない。
単純で、トリ頭で、他人のことなんて考えないで動く。
そのくせ太陽のように笑って皆を惹きつける。
本当にうらやましい。嫉妬しそうになるくらい輝いている少女。
そんな天真爛漫な少女に惹かれたのだから。
なんだかんだいって、一緒にいられることがうれしいのだから。
「それに、皆と一緒の生活も楽しいし、ね」
こんな場をさとりさまに見られたらどうなるか。
自然と笑みが浮かんだ口に手を当て、猫の姿に戻った。
お空のベッドに飛び乗ると、その脇で丸くなる。
すぐに心地よい間隔があたりを包み込んだ。
寝ぼけたお空に抱っこされる形で、体が固定される。
「ん……」
すぐそばで寝息が聞こえる。
その温かさを感じて目を閉じる。
明日もまた大変な一日だろう。
そんなことを考えながら、意識はまどろみに消えた。
おやすみ、お空。
あたいの空は、いつもキラキラと輝いている。
お燐ちゃんには苦労が似合う
うん、やっぱりお燐はこんな感じだよね。
お燐は人じゃないよとかそういうのは基本的にどうでもいいんですが、それにしても少し待遇悪過ぎじゃね感の拭えないところがあるなあ。
いわゆる「お燐が良くても俺が許さねえ」的個人主観なんですけども、そこは勘弁してください。
とはいえ最後の展開では思いっきり2828させられました。ちくしょうw
おりんくう要素をしっかり頂いたのでこの点数で。
それともう一つ……お空は俺の太陽。
雰囲気がいいですね。
さとりはもうちょい優しくしてあげれ!
>>入浴時に起きたアビスノヴァは、浴室は悲惨な結果をもたらした。
浴室に?
いやあ、しっかし良い子だ、お燐。