『ピシリ』と音をたて、時間の止まる音がたしかに聞こえた。
長く生きてきたが、ここまではっきりと時が止まるのを感じたのは初めてだ。
どこぞのメイド長が使う秘技なんぞ、まるで比べものにならない。
永琳は自分の猪口へと酒を注いだ姿勢のままで固まってしまっているし、妖怪兎たちも、どうしていいか分からずにおろおろとしている。
まあ、楽しい宴の最中にいきなりあんなセリフが飛び出せば、そりゃそうなってもしょうがないだろう。
とりあえずは、床へとこぼれ続けている酒を拭くべきだと思う。
ちなみに、当の姫様は笑顔だ。笑顔なんだけど怖い。何というか、本来人が出しちゃいけないオーラが出てる。
あーもう。鈴仙は、酔っぱらうとたまに変なことを言い出すからなあ。
この前だって、酔いに酔った挙句、いきなり永琳に向けてガンガン弾幕を放って「師匠が死傷!『ししょう』だけに!」とかやって、あとで散々怒られてたし。
永琳が死なない体だったから良いようなものの、他の人だったら大惨事になりかねなかった。あの時は、意外と怖いことやるなあと、さすがの私も戦慄したものだ。
そんなんだから、飲みすぎるなっていっつも注意してるのに。
酔うといつもより陽気になる性質だから、別に泣き上戸とか、やたら他人に絡む輩とかよりはマシなんだけどさ。それでも、限度ってものがある。
久々にやる身内だけの宴会だってのに、何だか変な事態になっちゃったよ。
ニコニコと屈託なく笑う鈴仙を見つつ、軽くため息。
姫様を筋肉呼ばわりしといて、正直よくそんな顔ができるなあと思う。本当にこの子は、酔った時だけ気が大きくなるんだから。
(まったく、何やってるんだか。)と、私は心中で毒づいた。
でもまあ、言ってしまったものは今更どうにもしようがない。
ここは、この場で一番冷静さを保っているだろう私が、この空気を何とかするしかあるまい。
相変わらず固まっている永琳や、恐ろしい笑みを浮かべる姫様に代わり、私は鈴仙に問いかける。
「ねえ鈴仙」
「なあに?」
「何でさ、姫様が筋肉なのさ?」
『筋肉』という単語にピクリと姫様が反応し、笑顔のままこちらを睨みつけてくる。……私だって、別にこんなこと、言いたくて言ってるんじゃないんだけどなあ。
しょうがないじゃない。今この場で事態を解決できそうなのは、悲しいかな、私だけなんだし。
姫様には申し訳ないけれど、とりあえず、今は無視を決め込もう。
鈴仙は、私の言葉に対して笑みを深めると、嬉しそうに話し出す。
「だってさ、姫様って『竹』の『内』から出てきた『月』でも有数の『力』を持った『人』な訳でしょ?これ、ぜーんぶ合わせたら、『筋肉』になるじゃない」
「うん、あんたの頭が想像以上に悪いってことだけはよく分かった」
「えー?」
「一生懸命考えたのに、てゐったらひどーい!」とむくれる鈴仙を余所にして。
予想以上にムチャクチャな理由に、思わず私は頭を抱える。
まったく、屁理屈もここまで来れば大したものだ。
おそらくは、この前喘息の薬を貰いに来た紅魔館の魔女が「最近発見したのだけれど、漢字というものは常に正しいの。誰あろうこの私が身を持って実証したんだから間違いないわ」とか言ってたのを聞いて、素直にそれを信じ込んだのだろう。
それで自分なりに色々考えた結果が『姫様=筋肉』だと。何ともひどい話である。
「それでねー、師匠の場合はどうなるのかな、とかも考えてみたんだけど」
「聞きたくないけど一応聞いてあげる。何?」
嫌な予感は既にバリバリ漂っているが、ここで下手に鈴仙の機嫌を損ねでもしたら、ますます事態はややこしくなる。
そんなことを思いながら私が仕方なく口を開くと、鈴仙は先ほどと同じように、笑みを浮かべながら語りだす。
「んーとね、師匠は『月』の姫様の『旁』で、自分自身も薬師として、ずっと『月』のように、患者さんへ向けて『光』を放っているわけでしょ?」
「おお、意外とロマンチックなこと言うのね。でも、太陽の光じゃないわけ?」
「太陽の光なんて、ケガや病気してる患者さんたちにとっては眩しすぎるわよ。師匠が放ってるのは、もっとこう、月みたいにふんわり優しい光なの」
ほう、と私は、思わず感心して声を上げた。さっきの姫様への言葉からして、どうせロクなことを言わないと思っていた鈴仙が、こんなまともなことを言うとは。
これはもしかしたら、さっきのよりは良いモノが期待できるかもしれない。
ふと見てみれば、思わぬ鈴仙からの褒め言葉に、固まっていた永琳も思わず顔を綻ばせていた。
そりゃそうだろう。自分の弟子からこんな風に言われて、嬉しくない師匠はいないよなあ。
しかし、期待できるというのは分かったが、まだ鈴仙が何を言うのかいまいち予測できない。
私は、鈴仙へと続きを促すことにする。
「それで?結局永琳を一言で表すとどうなるの?」
「鈍いわねえ、決まってるじゃない。『月』の『旁』の『月』の『光』よ?」
「だから、何よ?」
「膀胱」
「鈴仙!逃げるよ!」
とっさに後ろから放たれた弾幕を避けつつ、私は鈴仙の手を取ると、外へと向けて走り出す。
希望を持たせるだけ持たせといて、結果、さっきよりひどいじゃん。どうなってるのよ。
振り向けば、鬼も裸足で逃げ出すだろう永琳の形相。
そりゃそうだろう。自分の弟子から膀胱呼ばわりされて、怒らない師匠はいないよなあ。だって膀胱だもん。うん、ちょっとあんまりにもあんまりだ。
そんなどうでもいいことを思いつつ、私と鈴仙は、ひたすら竹林の中を走り抜けるのだった。
もうどれくらいの間、こうして走っただろうか。
たっぷり一刻は経っているような気もするし、まだ半刻も経っていないような気もする。
ともかく、この辺りまでくればもう大丈夫だろう。
そう思い、私は足を止めて、ハアハアと息を切らす鈴仙と向かい合う。
「もう、何でいきなり走り出したりするのよう。ビックリしたじゃない」
「何でって、鈴仙が永琳に向かってあんなこと言うからじゃないの。あのままあそこにいたら、今頃鈴仙も私も大ケガして寝込んでるわよ」
「えー?私、師匠に何か言ったっけ?」
「あのねえ……」
私の言葉に、きょとんとした表情を浮かべる鈴仙。どうやら、敬愛する師匠に対して、とんでもない暴言を吐いたという自覚はないらしい。
平和なやっちゃなあ、と呆れもするが、酒の席でのことだ。偉そうに説教する気にもならなかった私は、一つため息をつくに留めておく。
「鈴仙のそういうとこ、たまに羨ましくなるわ」
「羨ましいの?へへー、そんなに褒めないでよ~?」
うん、私一言も褒めてないからね。まあ、いいけどさ。今、何を言ったって、どうせ通じないんだろうし。
赤ら顔の鈴仙は、またも何かを思い出したかのように、私に語りかけてくる。
「ねえ、ねえ、てゐ。良いこと教えてあげようか」
「何よ。またくだらない話じゃないでしょうね」
「くだらなくなんかないわよう。紅魔の魔女さんから聞いた、何だかとっても深い話なんだから」
そう前置きすると、鈴仙はちょっとだけ表情を真剣なものにして言い始める。
「『歩』って字、あるでしょ?あの字は、よく見てみると『少』し『止』まるって書くのよね」
「ああ、たしかにそうね」
「でも、歩くというのは本来『前進する』ということなんだから、少し止まるっていうのは、何だか矛盾してる感じがしない?」
「……」
そんなこと、考えたこともなかったが、言われてみればそんな気もしてくる。
『歩む』というのは、たしかに前進するという意味だ。それが実際の『歩く』という行為であれ、何かの比喩として使われるものであれ、その意味に変わりはない。
では、はたしてその『前に進む』ということを表す漢字が『少し止まる』というのは、一体どういうことだろう。
一人考える私の心を見透かすように、鈴仙は続ける。
「それでね、紅魔の魔女さんはこんな解釈をしてくれたの」
―――曰く、闇雲な前進は、前進と呼べるものではない。
本当の前進というのは、しっかりと目的地を定め、たどり着くための準備をして、そこに向かって最初の一歩を踏み出した時に、初めてそう呼べるのだ。
そして、その準備を万端にするためには、一度、少しの間立ち止まって考える必要がある。
だからこそ、本当に『歩』くためには、敢えて『少』し『止』まることが必要なのだ―――
鈴仙の話を要約すると、そんな感じのものだった。
……何よ、本当にちょっと深い話じゃないの。全く期待してなかったのに、私は思わず「うーん」と唸ってしまった。
「鈴仙、さっきの酒の席でも、それだけ言っときゃ良かったのよ。変に自分で考えたネタとか言うから、皆を怒らせちゃうんだから」
「ネタなんて言ったつもりないわよう。さっきのだって、二つとも、一生懸命考えて思いついたやつだもん」
「世間では、それをネタって言うのよ」
言いつつ、私は空を見上げる。そこにあるのは、今夜も綺麗な輝きを放つ、真ん丸お月様。姫様や、永琳や、鈴仙がやってきた場所。
彼女たちも、やっぱり、ここへやってくるまでには紆余曲折があったんだろう。まさか、ただ闇雲にこの地を目指してきた訳でもあるまい。
自分たちは、どうすれば本当の幸せを得られるのか。そのためには、どこへ行くことが必要なのか。
彼の地で、しばらく立ち止まったままそんなことを考えて、そして、ここへとやってきたのだろう。
「……鈴仙」
「なあに?てゐ」
「もう、漢字遊びは禁止。あんたが誰かに何か言う度に、弾幕飛んできそうな気がしてしょうがないから」
「えー?せっかく、面白いのを見つけたと思ったのにい」
ぶうぶうと文句を垂れる鈴仙に向かい、私は「その代わり、明日からは私が色々、不器用な鈴仙にもできそうな遊びを教えるからさ」と微笑む。
別にわざわざ危険な目に遭うリスクなど冒さなくても、面白い遊びなど山ほどある。
それに、この場所でこうして出会ったのも何かの縁だ。それならば、幸せを運ぶ地上の兎として、目いっぱいこの苦労人を楽しませてあげようじゃないか。
そんなことを思いながら、私は鈴仙へと声をかける。
「さ、そろそろ二人の機嫌も直ってる頃でしょ。帰るよ。帰ったら、まずは姫様と永琳に謝ること」
「むう。何だか納得いかないんだけど」
「それから、鈴仙明日はたしか仕事休みでしょ?朝から外へ遊びに行くから、早起きしてよ?」
「……うん!」
私の言葉に、鈴仙はパアっと顔を輝かして頷く。その顔が、本当子供みたいに可愛くて、何だか照れくさくなってしまう。
さて、明日のことを色々と考えておかねばなるまい。遊びにおいて、しっかりと段取りを決めておくことは重要だ。それがなければ、全てはグダグダになりかねない。たかが遊びと舐めてはいけないのだ。
「振り返ってみると、てゐと二人で遊んだことってない気がする。楽しみ~♪」
「そういえばそうかもね。覚悟しててよ?一日あっちこっち飛び回るから」
「了解!」
ニコリと笑う鈴仙に対し、私も笑みを浮かべる。
「私、久しぶりに人里のお店とか行ってみたいなあ」
「神社もいいよ。人妖問わず、誰かは必ず来てるから退屈しないし」
鈴仙と二人、そんなことを話しながら、手を取り合って。
私たちは、元来た道を行くのだった。
そして最後のあとがきに拍手を。
次回作も楽しみに待ってま~す!
けど膀胱はひどいw
でも膀胱ww
でも膀胱。
しかし膀胱……
永琳の例えはカッコイイのに膀胱とはww
しかし永琳から膀胱を想像したのか膀胱という字から永琳を想像したのか。どっちにしてもこの発想力の高さは変態じみている。
酒を飲むと気が大きくなる鈴仙はなんか凄いしっくりくるなぁww
とりあえず膀胱はひどい
意外と部品のクオリティが高い膀胱には一本取られましたが(笑)
愛されてるなぁ鈴仙、ほのぼのしました
でも膀胱はダメだwwww
だが膀胱はやめとけwww
でも、みんなから愛されているようで良かったです。
そして後書の笑顔がいいなぁ、と、細かい事は気にしない!
アホなのにいい話だ。
鈴仙が幸せそうでなにより。
排泄物に例えられたのなら無用な物の意として怒るかもしれませんが
てゐちゃんがどう例えられるかが気になったです。
中尉の薀蓄がとってもぶっ飛びで楽しかったです! 超門番
タイトルがとっても私好みのテイストだったけど、中尉の薀蓄がとってもよかった!
中尉の書く霖之介さんモノも見てみたいかも。 お嬢様
しかし膀胱