Coolier - 新生・東方創想話

トリプルハンドメイド!

2011/08/18 19:56:28
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――はんどめいどらじかるっ――



「デートをしましょう」

 告げられた言葉に理解が追いつかず、とりあえず茶碗と箸を置く。
 矯めつ眇めつ距離を取りながら見るも、そこには間違いなく私の友人がいた。
 とりあえず、偽物ではない、と思う。

「何言ってんだ? アリス」

 瘴気に覆われた魔法の森。
 私の暮らすこの森には、私の他にもう一人魔法使いがいる。
 青い瞳に金の髪、人形のように整った顔立ちの人形遣い――アリス・マーガトロイド。
 目の前で妙なことを言い始めたのは、確かにアリスで間違いなかった。

「聞こえなかったの? だから、デートよ。デート」
「……デートって、なんで」
「理由が必要なの? しょうがないわね」

 あからさまに肩を落としため息を吐くアリス。
 人形爆破、人形巨大化など時折突拍子もないことはするが、ここまで脈絡がないとは思わなかった。
 ……こともないけれど。なんにせよ、変だ。

「この子がね、三人でデートしたいっていうのよ」

 そう言ってアリスが自分の背中から引っ張り出したのは、銀髪に黒い帽子の少女。
 地底の異変時に出会った無意識の覚り妖怪、古明地こいしだった。
 なるほど彼女がアリスと私と三人のデートを申し込み…………いやいやいや。

「おかしいだろ!? だいいち、私はともかくアリスとは直接の面識すらないだろうが!」
「視野が狭いわね。私が居てこいしがいて、それが事実で真相よ」
「もっともらしいことを言って説明を省くな!」

 何を考えているかわからない笑顔のこいし。
 そんな彼女の隣で、涼しげな表情を見せるアリス。
 私はそんな二人を前に、ただ頭を抱えることしかできなかった。

 いやだって、朝食の最中に乗り込まれたら、こんな風になるのも仕方が無いじゃないか。

「だから私は、どうして二人揃って奇妙なことを言い出したのかって聞いてるんだよ」
「意気投合したからよ。ね? こいし」
「そうだよ魔理沙。お姉さんと、気があったの」

 そう言って笑うこいしの表情からは、邪気が見えない。
 無邪気どころか感情が透けて見えないので、こいしからなにかを読み取ろうとするのは無理だった。
 そうやってアリスに視線を移しても、同じことだ。相変わらず澄ました顔でお茶を飲んでいる。

「とにかくまずは理由だ、理由」
「はぁ、しょうがないわね」

 しょうがないのはおまえだ。
 そう言ってやりたくなったのを、ぐっと抑え込む。
 ここでまたアリスのヤツが奇妙なことを言い出したら、話が進まなくなる。

「こいしがね、私の噂を聞きつけて遊びに来たのよ」
「そう! 人里で有名な人形遣い! って」

 アリスの言葉に、こいしが乗る。
 無意識でふらふらと歩き回るこいしのことだ。きっと、聞かれた子供は気がついてもいないのだろう。

「それで興味を持って遊びに行って、人形を見せて貰ったの」
「それでこいしが、もっと楽しいことはないかって言うから」

 だから私か。
 いやいやいや、どうして私が“楽しいこと”にカテゴライズされてんだよ!

「おかしいだろ、どう考えても!」
「えー」
「えー」
「えー、じゃねえ!」

 こいしは前から訳のわからないヤツだったが、アリスはここまで変なヤツだったか。
 ……ううむ、変なヤツだった気もするぜ。
 唐突にスペルカードに藁人形を混ぜたりしてくるし。
 霊障が怖くて避けるスペルとか、なんか色々と違う気がする。
 相手が怨霊とかならまだしも、魔法使いという辺りが。

「玉露かしら? 美味しいわね」
「茶葉が上等……って、それは私のお茶だ!」
「あら、ごめんなさい」

 言いつつ飲み続けるな!
 っと言おうとして、口を噤む。
 ぐぬぬ、どうにも遊ばれているような気がする。
 というか、アリスがフリーダム過ぎるのが悪いんだろうとも思う。

「私の所へ来た理由はわかった。で、具体的にこいしはどうしたかったんだ?」

 理由はもう良い。
 経緯もわかった。
 それなら次は、こいつらの目的だ。

 どうせ、碌なことじゃないんだろうけれど。

「こいしは、暇つぶしがしたいみたいだったから」
「それなら魔理沙で……んん、魔理沙と遊べばいいってお姉さんが」
「で?! “で”って言っただろ! 今!」

 私の反論も何のその、二人は変わらず佇んでいる。
 余裕がありすぎて、どうにも言い返すことが出来ない。スルーされるという意味で。

「私はそんなのお断り――――いや、待てよ」

 ここで断ったら、どうなるのか?
 結果はきっと変わらない。家に居座られて、あれよあれよという間にいつもどおり。
 それでいいのかと問われたら、流石にそれは悔しいとしか答えられない。
 やられっぱなしは性に合わない。だったら、少しでもやり返す機会が欲しかった。

「あーもう……わかったよ、やってやるよ! デートでも何でもな!」
「流石魔理沙ね、信じていたわ」
「やった!」

 ハイタッチをする二人を見て、肩を落とす。
 そんな私に、アリスの側に控えていた上海人形が近づいて来てくれた。
 どうせアリスが操っているんだろうけれど、慰めようと肩を叩く姿には癒される。

 こんな簡単なことで、少しだけ元気になる。
 そう考えると、私も大概単純だ。

「はぁ、とんだ一日になりそうだ」

 そう呟きながら、キノコご飯を掻き込む。
 もうのんびりと食事を続けようなんて気分には、ならない。
 さっさと食べて、さっさと終わらせてやる。



 どうしてこう私には、変なヤツらばっかり集まるのか。
 考えても、答えは出そうになかった――。













トリプルハンドメイド!













――らじかる-すてっぷ――



 魔法の森に所謂“デート”に適した場所があるのかと問われたら、首を傾げざるを得ない。

 カラフルすぎて目を逸らしたくなるキノコ。
 芳しいけれど食べると苦いキノコ。
 抜くと奇声を発するキノコ。

 キノコだけならば、そのバリエーションは豊富だ。
 けれどキノコを魔法の燃料としている私でも、ちょっとお近づきになりたくないキノコもあったりと、とても楽しめたものじゃない。

「ほらこいし、あれが魔理沙の好きなキノコよ」
『キシャァァァァァッ』
「わぁっ、カワイイ!」
「誰があんなものを好くか!」

 劇画風の濃い顔っぽい模様の、赤紫色のキノコ。
 指で突っつく度に甲高い声を上げるそれは、筋弛緩系の毒キノコだ。
 もう色からして毒キノコなのに、どうして好きになれるんだ。

 声を上げた私を、こいしは横目で見る。

「なんだよ?」
「ううん、なんでもないよっ」

 こいしはそれだけ告げると、前を歩くアリスに並んだ。
 三人でデートと言っておきながら、こいしは常にアリスの側にいる。
 私の隣には上海が浮かんでいて、これじゃあアリスとこいし、私と上海のダブルデートだ。

「魔理沙、こいしはどれが好きだと思う?」

 かと思えば、いつの間に来たのか、アリスが私に並んでいた。
 整った顔立ちは、横から見ると芸術品のように見える。
 妖怪に使う言葉じゃないのはわかっているが、本当に、“人間離れしている”造形だ。

「魔理沙?」
「あれとか、かな?」

 その横顔に見惚れていたことに、気がつかれたくなくて。
 だから私は、慌てて適当なキノコを指し示した。

「ええ!? ひどいよ魔理沙っ。あんなのなんて!」
「んん?」

 慌ててしまったことすらも感づかれたくない。
 そんな私の願いは、思いがけない方向から叶えられた。

 眉をつり上げて頬を膨らませるこいし。
 その視線の先には、私が示したキノコがあった。
 ……納豆が如く糸を引く、エメラルドグリーンのキノコが。

「あー、間違えた」
「魔理沙の中の私は糸を引いてるんだね、もう!」

 声を上げるこいし。
 私の隣で笑うアリス。
 私の側にいてくれる上海。

 もう私の癒しはお前だけだぜ……上海よ。






 こいしを窘めると、今度は人里へ向かった。
 そういえばこいしの“無意識”はどうしたのだろう。
 普段は、何かをしている最中でも、ふらふらとどこかへ消えてしまう。
 そんな愚痴を、神社に遊びに来たお燐から聞いた事があった。

「お姉さん、魔理沙は何が好きなの?」
「魔理沙はおはぎが好きよ。甘めの」
「なんでおまえは私の好みを知っているんだ」

 眼を細めて、アリスを見る。
 涼しげな表情でさっさと前を見るアリスに、私は何も言えなくなった。
 そうやって態度で流すのは、卑怯だと思う。マジで。

「で? さっきからなんなんだよ、こいし」
「? なにが?」

 ちらちらと私を横目で見る、こいし。
 その瞳が余りに空虚で、だから私は声をかけずにはいられなかった。
 楽しげにしているこいしと無意識のこいし。
 その二つの顔が別人のように思えて、嫌だった。

「魔理沙、ひょっとして私が何か企んでるとか思ってる?」

 息を吐き眼を細めて、こいしが私を睨む。
 少し考えに耽っていたのを、妙な方向に勘違いされたみたいだ。

「そんなことはないのぜ?」
「怪しいなぁ」
「信じろって」

 こいしは最後にもう一度ため息を吐くと、今度こそ視線を前に戻した。
 その先では、茶屋でアリスが三人分の席をとっている。
 エスコート役でも買っているのか、アイツは。

「ほんとう、姉妹みたいね。貴女たち」
「止めてくれ。さとりに殺される」
「ふふ、はいはい」

 アリスに導かれて、赤い長椅子に腰掛ける。
 アリス、私、こいしの並びで座ると、ちょうどアリスから右肩下がりに背が並んだ。
 ……そのうち、アリスよりも高くなってみせるぜ。

「注文は?」
「おはぎとみたらし団子、それに渋いお茶……でしょ?」
「お姉さん、私は?」
「魔理沙と同じものを頼んでおいたわ」
「やった」

 好みを完璧に把握されていた。
 こいつは実は人形遣いなんかじゃなくて、ストーカーなんじゃないだろうか。
 スリーサイズとかも把握されていそうで、空恐ろしい。

 本当に知っているか、なんて聞けないが。
 知っていると答えられても、嫌だし。

「っと、来たか」

 注文したセットが届き、私はその皿を膝の上に置く。
 お茶は足の脇に置き、みたらし団子もそちらへ。
 まずは……おはぎからだ。

「あむ……ん、これこれっ」
「うん、美味しいおはぎね」

 人里の茶屋、ここのおはぎは本当に美味しい。
 甘すぎるから苦手なんてひともいるようだけれど、とんでもない。
 この味蕾を刺激して止まない甘さと必要以上に渋い玉露こそ、至高なのだから。

「幸せだ」

 頬を緩ませて、肩を下げる。
 ひとの奢りで食べる――ここは前払いだ――おはぎほど、美味しいものは無いのだから。

 私がそうして満喫していると、隣から似た様なため息が聞こえた。
 美味しいものを味わったときに幸せを感じて吐き出す、そんな吐息。

「なるほど流石魔理沙のオススメっ……んー、しあわせ」
「おまえ、おはぎも食べたこと無かったのか?」
「ないよ」

 頬を緩ませて目尻を下げるこいし。
 地底にもおはぎくらいあった気がするのだが、どういうことなんだろう。
 さとりのヤツ、案外過保護なんじゃ無かろうか。

「ふふ、魔理沙とこいしでマトリョーシカみたいね」
「私を割るとこいしが出てくるのか?おいおい、止めろよ」

 相変わらず保護者的な立場から離れずに、アリスは微笑む。
 アリスはもう少しクールだと思ったんだが……調子が狂う。

「はぁ、私の癒しはお前だけだぜ、上海……お?」

 呟きに答えるように、上海は私の膝に収まった。
 操り主であるアリスを睨んでも困ったようにしか笑わないので、仕方なくそのままにする。
 いや、これをどかそうとは考えられないだろ。

「美味しかった!」
「もう食べ終わったのか!?」

 気がつけば、こいしは皿の上のおはぎを綺麗に完食していた。
 みたらし団子も既に皿の上になく、さっぱりとしている。

「ほら、遅いよー魔理沙ー」
「ちょ、ちょっと待て! ああもう!」

 私を急かすこいしと、ただただ笑うアリス。
 私の膝から離れようとしない上海と、食べるのが惜しいお菓子たち。
 急がないと……駄目なんだろうなぁ。

 そう私は若干の名残惜しさを覚えながら、おはぎとみたらし団子を掻き込んだ。
 思えば、今日の食事運は最悪なような気がする……。






 茶屋を後にして、人里の端で次の予定を立てる。
 デートってこう、もっと緻密な計画の元に遂行されるものかと勝手に思っていたのだが……違うのだろうか?

「魔理沙、悩んでるの?」
「こいし……おまえは悩みが無さそうで良いな」

 かけられた声に、返事をする。
 横目でこいしを見ようとしたら、彼女の視線は既に私から外れていた。
 やっぱりどうにも含みがあるような気がする。視線に、含みがなさ過ぎるから。

「……失礼な、私にだって悩みはあるよぉ」

 肩を落としてため息を吐く、こいし。
 その表情は“デート”の最中にずっと見せていた表情で、だからこそ少しだけ安心させられた。

「こいし、魔理沙はちゃんと言ってあげないとわからないわ。鈍感だから」
「お姉さん……なるほど、魔理沙は鈍感なんだね。もう、魔理沙ったら」
「おまえら好き勝手に私のイメージを弄くるんじゃねぇ!」

 アリスと談笑するこいしは、楽しげに見える。
 そこになにも含まれていない、なんて、気のせいかとも思えるほどに。

「お姉さん、次はどこへ行く? 神社?」
「神社は……今日は止めておきましょうか」
「霊夢の所か……行っても良いと思うぜ」
「行くんなら、早苗の神社にしておきましょう」

 博麗神社に信仰を集めない作戦だな。
 いや、もちろんそんなことはないのだろうけれど。
 だがなんにせよ、博麗神社に行きたくないのは確かということだろうか。

「あの神社に行ったら退治されちゃうわ。だって私、お賽銭入れる振りして逃げたもの」
「自業自得じゃねぇか! まぁそれなら、行きたくないのは解るが」

 賽銭云々より、神社への悪戯という時点で烈火の如く怒るだろう。
 追いかけ回してぼこぼこにして酒を持ってこさせて宴会して、気がつけば和解。
 そのいつものパターンに巻き込まれる前に、逃げてきたということなのだろう。

 まず間違いなく、逃げられないと思うのだが。

「玄武の沢で釣りでもするか?」
「あら魔理沙、釣れるの?」
「アリス……私はこれでも湖の主を釣った大魔法使いだぜ?」
「湖に主なんかいないじゃない」

 アリスは私の言葉に頷くと、それなら、と手を打った。

「次は玄武の沢で釣り! 異論は?」
「ないよーっ」
「ないぜ。提案したのは私だし、な」

 それなら、決まり。
 アリスはそう微笑むと、こいしの手を取った。
 そうしてそのまま、私の手まで取る。

「お、おいっ」
「あら? こいしと手を繋ぎたかった?」
「いや、そうじゃなくてっ」

 邪気無く首を傾げる、アリス。
 人里で手を繋ぐとかどう考えても恥ずかしい……というか、買い物に来た咲夜あたりにでも見られたら、目も当てられない。
 だというのに、アリスは周囲のことなんか気にする風もなく、私の手を引いた。

「目立ってる、目立ってるからっ」

 アリスの手は、冷たい。
 私が火照っているからだろうか、余計にそれが強く感じられた。
 アリスの右側で楽しそうに笑うこいしと、私とアリスの間に浮かぶ上海。
 彼女たちは誰一人として私の顔を見ていなくて、それが有り難かった。

「ったく、好きにしろよ。もう」

 照れやらなんやらで上気した頬。
 これを見られるのは……うん、恥ずかしい。

 だから私はただ、手を引かれて走ることしかできなくなってしまう。
 本当になんだってこいつは……今日に限って、こんなに強気なんだか。


 でもやっぱり、このままじゃいけない。
 アリス、こいし。二人の状況から、もっと広くを見る。
 そうして出て来た答えを、自分で言わないとならない。

 だって、そう――やられっぱなしは、性に合わないのだから。
















――ハンドメイドリリカル――



 玄武の沢で釣った魚を、三人で干物にする。
 魔法を使えば、そこらへんのこともスムーズに出来た。
 こいしの“無意識”は釣りと非常に相性が良くて、だからこそ大量の釣れてしまったのだ。
 この分なら、当分、食事に困ることはないだろう。

 朝はお茶と朝食、昼はおはぎとみたらし団子の早食い。
 飲食関係の運は最悪かと思ったが、そんなことも無いようだ。

「もう良い時間ね。そろそろさとりさんが心配するんじゃない? こいし」
「うんっ! 今日はありがと。お姉さん、魔理沙」
「いいえ、どういたしまして」

 ここで別れれば、明日からはまたいつもの日常が戻る。
 なんの変哲もない毎日を、自分で面白おかしく変えていく日々。
 その中に戻ること自体に、不満はない。

「魔理沙? どうしたの?」
「ぽんぽん痛いの? 魔理沙」

 けれど、やっぱり。
 ここで帰してはい終わり、じゃ、収まらない。
 ……アリスが私を完全に子供扱いしているというのも、気に入らないし。

「さて……そろそろ種明かしと行こうぜ」

 だから、笑ってやる。
 差し込んだ夕日が、川の水面に反射して、朱色に瞬いた。
 もうすぐ夜……妖怪たちの時間に入る前に、暴いてやる!

「種明かし? 種なんかどこにも――」
「――ある」

 苦笑して首を傾げたアリス。
 彼女の言葉を遮りこいしを見ると、こいしは変わらず笑っていた。
 普段からにこにこしているだけあって、その表情は“巧い”けれど、でも。

 巧い以上のものは、感じられないんだ。

「最初は、そう、魔法の森だ」

 あのキノコ。
 奇声を発するキノコに対して、私が驚いたとき。
 驚いて――憤ったときの、こいしの視線。

「私がアリスに憤り、その後直ぐにこいしは私に憤った」
「エメラルドグリーン糸引き納豆キノコだよ? 魔理沙」

 確かにあのキノコを指したのは、悪かったかなと思った。
 だからこそ、その時は違和感を感じなかった。

「そうだな。でも、人里の時は? 私が食べて、“反応を見てから”驚いたよな?」

 あの時、こいしは私が食べるまで口を付けようとしなかった。
 あれほどまでに大喜びしておいて、いきなりかぶりつきはしなかったのだ。
 食べても良いかわからないのなら、私が食べた時点でもう良いはずなのに、わざわざ反応を見ていた。

「その後も、私が悩んでから悩むそぶりを見せたな」
「ちょ、ちょっと魔理沙! こいしに、何が言いたいの?」

 止めに入った、アリス。
 彼女の身体が盾になって、こいしの表情が窺えない。

「こいしは本当に遊んでいたんじゃなく、私の感情をトレースしていたんじゃないのか?」

 それなら、博麗神社に行きたくないのはわかる。
 霊夢なら、情報がほとんど無くても、勘だけで見抜いてしまうのだろうから。

「さて、目的を話して貰おうか? こいしだけならともかく、アリスまで何考えてんだ」

 箒を肩に掛けて、笑ってみせる。
 振り回されたばかりの私なんて、私じゃない。
 誰よりも人を振り回すのが、霧雨魔理沙なんだと、見せつけてやる!

「はぁ、もう、敵わないわね」

 アリスが苦笑と共に横にずれると、彼女の背後にこいしがいた。
 張り付いたような笑みは、いつもの“安心できない”こいしの顔だ。

「あはは、すごいや。鈍感だと思ったけど、けっこう鋭いんだね」
「私は鈍感じゃねえ。だとしても、わかりやすすぎたが」

 こいしは、なんの感情も感じられない空虚な瞳で私を見る。
 その群青色の瞳に映るのは、きっと水底だ。何者をも寄せ付けない、光の届かない場所。

「知りたかったの。感情が。感じたかったの、ぜんぶ」
「……こいしがひとの感情を知りたいって言ったから、協力したのよ」
「そう、お姉さんは感情を持つ自立人形が作りたくて、私は感情が欲しかった」

 それで、私が選ばれたのか。
 確かに淡々とした連中が多い幻想郷に於いて、私は感情豊かな方だと思うが。

「ホントはこれで終わりだったんだけど、魔理沙はすごいなぁ」
「でもなんにせよ、悪気はないのよ? 私たちは、貴女に危害を加えるつもりは――」

 肩を竦めて、アリスが言う。
 ――その言葉の隙を縫うように、こいしから弾幕が放たれた。

「え?」
――ガギンッ

 私もアリスも動けずにいた中、ずっと私の側に張り付いていた上海が動いた。
 上海が構えた黄金の盾に、弾幕が弾かれて消える。
 その土煙の奥に佇む群青色を捉えて、漸く身体が動き出した。

「どいうこと?! こいし! 魔理沙に危害は加えないって――」
「あ、はは、あは、だってお姉さん。せっかく気づいてくれたんだもの」

 人の感情をトレースし。
 ただそれに合わせて変化させていただけの顔。
 覚えた幾つかの感情が混ざり合うその顔は、不気味だ。

「だったら手元に置いておきたいわ。剥製にして、ずゥっと」

 ハート型の弾幕が、展開される。
 幾重にも連なったハートを見て、私はアリスと一緒に飛び退いた。

「思いもよらず、地底の異変の焼き回しだな」
「本当……後で上等な紅茶を淹れてあげるわ」
「そうか、それならちょっと張り切るかな」

 私が箒に跨ると、アリスはその後ろに横座りになった。
 形は永い夜の異変時のもの。相手は、地底の異変の敵。

 ……なんだ、負ける気がしないじゃないか。

「ほら、ちゃんと避けてよ! あはははっ、ねぇ、楽しいってなぁに?」

 声で笑っているのに、眉を顰めている。
 悩んでいるという表情に合致しない、ちぐはぐな感情。

「アリス、迎撃は任せた!」
「任されたわ、魔理沙!」

 避けて、避けて、避けて!
 身体にかかる重圧を、振り払ってつき進む。

「もう、ちゃんと当たってよね!」

 憤る声で、笑っている。
 幸福そうな笑顔で表現される怒りは、滑稽で歪だ。

「爆発させるわ」
「おう――乗ってやる!」

 アリスが至近距離で爆破させた人形。
 その爆風を利用して、私は柔らかな軌道で弾幕を避けた。

「おかしいなぁ? なんであたらないのかしら?」

 憤りに満ちた表情で、淡々と告げられる悩み。
 憤りが嘘なのか、悩みが嘘なのか、仮面の下の真実は見えない。
 ただそこには、不気味な倒錯感だけがあった。

「ねぇ魔理沙! 私、まだわからない感情が在るの! だから教えて?」

 ハート弾幕を躱しながら、弾幕を展開。
 マジックミサイルが弾幕を打ち消し、アリスが投げる人形が爆発する。
 箒を前に倒して土煙を突っ切ると、顔の僅か横で笑うこいしが見えた。
 ギリギリの所を通り過ぎて、そのまま旋回、急上昇、急下降、急加速!

「行くぜ、アリス!」
「ええ、行きなさい!」

 アリスが展開した、八体の人形。
 七色プラス一のレインボーワイヤーが、こいしをその場に縫い付けた。

「教えてよ、魔理沙! 大切な友達が死ねば、得られるの? “寂しい”って感情ッ!」
「教えてやるぜ、だから身体に刻め、こいし!」

 放たれたハート弾幕が、逆流して戻ってくる。
 だけど私は、そこに意識を裂こうとはしない。
 アリスが全て撃墜してくれる――そう、信頼しているから。

「星符【エスケープ……ベロシティッ】!!」

 こいしの足下に向かって、一直線に飛ぶ。
 私のその動きに対して飛び上がったこいしに対して、私は真下から、箒の柄を向けた。
 飛び上がった瞬間ほど、避けにくいものは無い。

「星符【グラビティ――」

 目を瞠るこいしと、視線が交わる。
 殺し合い一歩手前の弾幕ごっこ。
 その終焉に、こいしは“苦笑”した。

「あは」
「――ビート】」

 巨大な星弾幕に、こいしが包まれる。
 瞬間、空気を震わせる爆音と共に、こいしが吹き飛ばされた。

 その姿を追うように、私は箒を傾ける。

「あうっ」
「よう、大丈夫か?」

 吹き飛ばして、回り込んで、それからこいしの身体を受け止めた。

「なん、で?」
「こいし。お前今、ここで終わるのが惜しいって思っただろ?」
「え?」

 自分でもわかっていなかったのか、こいしは考え込む。
 だから先に気がついたアリスが、私の後ろでため息を吐いた。

「覚えておけ、こいし。それが“寂しい”って感情だ」
「え? ぁ――これ、が?」

 こいしを地面に降ろすと、笑ってみせる。
 弾幕ごっこの終わりに見せた表情の、意味。
 あんな笑顔が出来るなら――きっとまだ、わかり合えるから。

「これからアリスが上等な紅茶を淹れてくれるそうだ。一緒にどうだ?」
「もう……美味しいクッキーも用意するわ。こいし」

 私とアリスが手を差し伸ばすと、こいしは逡巡してみせる。
 どうしようかと宙を泳ぐ手を見て、私はそれを掴んだ。

「わわっ」
「さーて行くぞーっ」
「ま、魔理沙!?」
「それなら私は左手を」
「アリスまでっ」

 戸惑うこいしを引っ張りながら、最後にもう一度振り向いてやる。
 夕日に照らされたその顔に、“似た様な”笑顔を返す。

「それが、本物の“嬉しい”って感情だぜ」

 私の言葉、隣で佇むアリスの笑顔。
 その両方に視線を泳がすと、やがて、こいしはゆっくりと頷いた。

「うん――うんっ」

 思ったよりも長い一日になったが、これでだいたい片付いた。
 後は、アリスの家に行って上等な紅茶を飲んで、仲直り。

 どんな形にせよ、宴会で和解。
 それが、幻想郷の鉄の掟なのだから――。
















――hand-made-exist――



 疲労感満載の身体で、アリスの家に辿り着く。
 椅子に座った私の側に上海が浮かび、その隣にこいしが座った。
 最初はどこか照れていたこいしも、どこか落ち着いたように見える。

 その顔に浮かぶのは、優しい微笑みだった。

「今日はお疲れ様。紅茶とクッキーよ」
「お、待ってました!」
「美味しそう!」

 こいしはもう私の反応を見たりせずに、どこか新鮮な表情でクッキーを食べる。
 急に感情が増える訳ではないので、まだ嬉しいと寂しい以外は見せられないようだ。
 けれどそれで十分と言わんばかりに、ぎこちなくも自然な笑顔を浮かべていた。

「おお、本当に良い茶葉だな」
「記念ですもの。最高のものを用意したわ」
「はは、記念か。なるほどな」

 ミルクと砂糖たっぷりの、美味しい紅茶。
 それに高級感のあるチョコレートを使ったココアクッキーが、良く合う。
 一噛みする度に口の中広がるカカオが、たまらない。

「魔理沙は、本当にすごいわね」
「なんだよ、アリス」

 アリスは頬杖をつきながら、微笑む。
 その笑顔が、何よりも優しくて、私が見たことのない表情だった。

「瞳を閉ざしたままのこいしの、心。僅かにでも開いてみせるのは、やっぱりすごいわ」
「そんなに褒めるな。その、なんだ……照れる」

 どうしたってんだ、こいつ。
 たまらず視線を隣に向けると、こいしは机に突っ伏して眠っていた。
 よほど疲れたのだろうか。感情ってのは、そんなに負荷があるのか。
 ああいや、笑ったり怒ったりは確かに疲れるな。

「すごいわ。やっぱり、ちょっと急いだ甲斐があったなって思うもの」

 アリスの言葉に、引っかかりを覚える。
 けれどアリスの顔を見ても、なにがおかしかったのかわからない。
 ただただ、誰よりも優しい表情で、私を見て――あれ?

 アリスって、こんな“優しく”笑うヤツだっけ?

「ぁ、れ?」

 身体から力が抜けて、ふらつく。
 どうにか耐えようとしていたのが災いして、私は床に転がることになった。

「あだっ……つつ、ぅ、ぁ」

 襲いかかる眠気。
 疲労で眠いのとは、訳が違う。
 アリスがサポートしてくれた以上、疲れてすら居ないのに。

「もっとゆっくりでもって思ったけど、行けそうだなって」
「ぁ、りす?」
「閉ざされた心を開くほどに、強い心。ふふ、素敵」

 アリスはゆっくりと私に近づく。
 落ちていく瞼の端で、私はただ、そのブーツを映すことしかできなかった。

「愛しているわ、魔理沙」
「ぇ?」
「愛おしいの、貴女の心が」

 私の頬を、アリスが優しく撫でる。
 そうして顎を持ち上げられて、初めてアリスの顔を見直せた。

「我慢できないの。魔理沙もこいしも、霊夢も早苗も咲夜もパチュリーだって」

 熱い吐息。
 ――空恐ろしいほどに澄んだ、瞳。

「みんなみんなみんなみんな、愛おしくて、切ないの。ねぇ、だから」

 糸が満ちる。
 空間に糸が満ち、部屋の奥から人形が姿を現す。
 私の姿……寸分の違いすらない、完璧な人形が。

「私の人形になって、魔理沙」
「ぁ、ぁり、す、どうし、て」

 紅茶に、睡眠薬が入っていた。
 魔法のトラップなら、ある程度は警戒することが出来る。
 けれど、薬品は……砂糖とミルクに満ちた、香りの強い紅茶に入れられた薬品は、気がつけない。

「愛しているからよ、魔理沙。愛おしくて愛おしくて愛おしくて、は、ぁ」

 切なげで艶美な吐息。
 陶酔に満ち上気した頬。
 潤み熱を宿して瞬く瞳。

「ん、あは、もう――――我慢できないの」

 どろりとした視線が、私の背筋を冷やす。
 逃げられない、そう思わせるほどに、冷たい。

「もしものためにって、地底に残しておいた人形が声を拾ったときは、嬉しかったわ」

 私の心を蝕むように、啄むように、声が響く。

「あの子が心の理解を望んでいるって、わかったから。だから、調整できた」

 眠気が、睡魔が、私の身体を縛る。
 どんなに逃げ出すことを望んでも――叶わない。

「準備は万端なの。だから、ね? おいで――」

 アリスの手が、伸ばされる。
 そこに宿った輝きに、私はなにもすることができない。
 血が流れるほどに唇を噛みしめても、眠気は覚めなかった。

「――ようこそ魔理沙。私の楽園に」
「ゃ、め」

 そして、その光が、私の額に――

「ッ」

 ――触れなかった。

「ぇ?」

 アリスを退けるように放たれた、レーザー。
 その赤紫色のレーザーを放ったのは……上海だった。

「いつの間に糸無しで動けるようになったの?」

 自分で動き出した上海を見ても、アリスの顔に動揺はない。
 たださっきまでよりもずっと、嬉しそうな顔で佇んでいる。
 なにもかもが愛おしくて仕方がないのだと、その瞳が語っていた。

『教える必要は無いわ』

 可憐な容姿に反して、勝ち気な声。
 上海はただそう言い放つと、鋭く、アリスを睨んだ。

「ふふ、反抗期ね。あは、いいわ、本当に素敵よ。あなた」

 アリスの糸が、こいしを連れ去る。
 それをただ、見ていることしかできない。
 四肢に力は入らず、ただ、睡魔に負けまいと歯を食いしばることしかできなかった。

『私一人で、貴女を連れ出すことは出来ない』
「しゃん、は、い」

 上海は、アリスから目を逸らさない。
 逸らさずに、ただじっと、アリスを睨み付けていた。

「ねぇ次は何を見せてくれるの? あハ、ふふ、は」

 自分の指先を舐めて、爪を噛むアリス。
 誰も傷つける気がないのか、魔法を使う様子は見られない。

『だから自分で、立ち上がって。その先は、なんとかするから』
「でも、ちから、が」

 力が入らない。
 けれどそれ以上に……きっと私は、ショックを受けているんだと思う。
 パートナーだと思っていた。信頼できる、相棒だと。
 それなのに、アリスは――裏切ったんだ。

『しっかりしなさい霧雨魔理沙ッ!』
「え?」

 上海の声が、私の耳朶を打つ。
 鼓膜を震わし、脳に響かせ、心に満ちた。
 強くて――どこか懐かしい、声。

『あの日“究極の魔法”を打ち破った貴女は、もっと強かった。もっと、気高かった!』
「上、海、おまえ」

 上海の言葉に、アリスは片眉を上げる。
 その言葉が気に入らなかったのか、周囲に満ちる糸が、上海に殺到した。

「上海!」
『この程度!』

 上海はそれをレーザーで焼き切り、ついでにアリスにも同様のものを放つ。
 けれどアリスは、それを片手で弾いてしまった。赤子の手を、捻るように。

「無駄よ。ねぇ、あは、無駄なの。だから貴女も、いい加減に大人しくなさい」

 手を握りしめ、爪が掌を傷つける。
 その痛みで、私は睡魔と戦っていた。
 どうしても、上海の言葉が、気になったから。

「絶望的な実力差じゃない。意味はないわ。戦い、傷つくだけよ」

 アリスはそう零すと、途端に切なげな表情になる。
 自分に酔っている――それだけじゃ、説明できない。

「あァ、私、貴女たちが傷つくなんて耐えられないわっ」

 大げさに天を仰いで嘆いてみせる、その姿。
 狂おしいほどの、愛情。

『どんなに圧倒的な実力差でも、抗うことに意味はある』

 上海が、言い放つ。
 迫り来るレーザーを焼き払い、一人で私を護る彼女。
 その背中が、いつか出会った“彼女”のものと、重なった。

『圧倒的な戦力を薙ぎ払って見せた彼女が、私たちにそう教えてくれた』

 アリスの糸が、上海の腕に巻き付く。
 上海はそのまま床に引き摺り倒されると、苦しそうに足掻いた。
 それでも――その瞳から、光りは消えない。

『くっ、あ、ねぇ? ……あな、たは、そんなことも忘れてしまったの――』

 上海を縛る糸が、強くなる。
 アリスの表情は変わっていないのに、そこには、心なしか焦りが浮かんでいるようにも見えた。

『――――“Grimoire”』

 グリモワール・オブ・アリス。
 ……それは、アリスが肌身離さず持っていた、本のことだ。

「……しようがない子。でも私は、我が儘な子も好きよ」
『た、ち、あがりなさい、霧雨……魔理沙ッ!!』

 声が、弾けた。
 足掻きながらも前を向く姿勢に、私の中で何かが弾ける。
 やられっぱなしは性に合わない――そう云ったのは、私じゃなかったのか。

「“グラウンド……スター、ダスト”」

 懐から落とした魔法の瓶が、床に当たる。

――ドンッ
「ぐぁッ」

 設置起爆の魔法爆弾は――私の身体を、吹き飛ばした。
 驚くアリスを視界に入れながら、糸に絡まった上海を救出。
 強力な睡魔はこれほどの痛みでも癒えない……けれどもう少し意識が保てれば、それでいい!

「上海!」
『任せなさい!』
「っそっちは!」

 上海が私の襟を掴み、そのままアリスの家の奥へ飛ぶ。
 そして真っ暗な穴――魔法による、地下室――の中に、飛び込んだ。

『よく頑張ったわね、魔理沙』

 意識が途切れる間際、耳元に響いた声。
 その懐かしさの理由を、私は緩やかに思い出そうとしていた――。
















――exist-step――



 瞼の裏で揺れる、微かな炎。
 柔らかなそれに促されるように、私は目を開いた。

「暗、い」

 暗い部屋。
 蝋燭の明かりだろうか、ぼんやりと揺れる炎に、目眩を覚える。
 同時にあばらに傷みが走り、それで私は全部を思い出した。

「そうだ、アリス! 上海、アリスはッ」

 身体を起こして、漸くその場所が小さな部屋であることに気がついた。
 見回せば、上海の姿も直ぐに見つけられた。
 何故か、こいしの腕の中に収まっていたが。

「あー、なにやってんだ?」
「落ち込んでるのよ、魔理沙」
『どうにかしてちょうだい』

 体育座りで上海人形を抱きかかえるこいし。
 その表情は、“寂しい”に固定されていた。

「せっかく友達になれたと思ったのに、裏切るなんて」
「アリス、か」

 こいしの隣に、腰を下ろす。
 こいしはそれに対して僅かに肩を震わせるも、逃げようとはしなかった。
 狭い部屋だから逃げられない、という可能性もあるが。

「なぁ上海、アリスは……裏切ったのかな?」

 未だに、私はアリスが裏切ったとは思えなかった。
 それはまだ敵じゃないと思っているとかそんなんじゃなくて。
 そう――最初からアリスは、何も変わっていないんじゃないかって、そんな風に思うんだ。

『アレは、そういうものよ。魔理沙の考えているとおり』

 上海に、私とこいしの視線が集まる。
 人形の表情は、ほとんど変わらない。
 けれどその瞳には、確かな感情が宿っていた。

『彼女は最初から、全ての存在を“愛”しているの。研究が進んで、最近はとくに顕著になったわ』

 出会った頃と比べて優しいのは、それが理由だったのか。
 なんにしても、わからないことは山ほど残っている。

「上海、おまえは――」
『――貴女の思うとおりよ、魔理沙』
「え? え? どういうこと?」

 目を丸くして首を傾げるこいしに、説明をしてやる。
 スペルカードルールが適用される前、私が体験した異変。
 魔界で戦い、幻想郷で再戦した“小さなアリス”の、ことを。

「へぇ……それなら、なんて呼べばいいの?」
『私をアリス。向こうを“グリモワール”とでも呼びなさい』
「ふぅん。それなら私は、“アリス”に裏切られてないねっ」
『……ええ、そうね』

 よくわからない理論で持ち直したこいし。
 とにかく、彼女が元気になってくれたのは良かった。
 誰かが落ち込んだままだと、調子が出ない。

「それなら私はあの“グリモワール”に嵌められたのね」
「それなんだが……里の子供から噂を聞いたんだって?」
「そう! その時点で怪しむべきだったのよ。“無意識”の私に声をかけられるなんて」

 ……偶然聞いたんじゃないってことか。
 無意識を捉えられるなんてこと、可能なんだろうか。
 むむむ、これは流石にわからない。

『……人形たちに意識なんか無い。だから、無意識を捉えることができる』
「人形にやらせた……いや、人形の視界で捉えたのか。器用なこって」

 人形の視界だったとしても、見る方は意識をしている。
 けれどそれを乗り越えてやったのだとしたら、それは間違いなくグリモワールの“腕”だ。

『私はアレに……グリモワールに身体を奪われたのよ。幻想郷で負けたとき、その隙を突かれて』

 上海――アリスはそう言うと、僅かに目を伏せた。
 何かを感じ取るように、ゆっくりと。

『ゆっくりと説明したいところだけど……そんな暇は、無いみたいね』
「え?」

 アリスはこいしの腕から抜け出すと、手を掲げた。
 それに呼応して、周囲に明かりが灯っていった。

「おわっ」

 壁に背中を預けていた私は、壁が無くなったことで頃が得る。
 その下は、さっきまでの冷たい石畳ではなく――芝生だった。

「は?」

 芝生、木々、空、雲。
 太陽以外の全てが広がった――“幻想郷”の姿が、そこにあった。

「何したんだよ、アリス」
「え? 外に来たの?」
『奇襲を掛けられる前に、居場所を示しただけよ。どうせ、掌の上だから』

 アリスが睨む方向。
 そちらに顔を向けると、見知った家の前で佇む“グリモワール”の姿があった。
 優しげな笑みと狂愛に満ちた瞳を持つ、私のよく知る“アリス”の姿をした、それが。

「ようこそ、私だけの“幻想郷”へ。気に入ってくれたかしら?」
『気をつけなさい、二人とも。ここはあの“グリモワール”が展開している世界よ』

 晴天の空。
 そこに太陽がない不自然さは、私にだってわかる。
 ここは、グリモワールが管理する場所なのだろう。

「グリモワール、おまえの目的は何だ」
「目的? そんなの、決まっているじゃない」

 手を広げて、唄うように告げる。
 澄んだ声と、愛情に満ちた微笑み。
 なにも知らなければ、彼女を疑うことなんか出来ないことだろう。

「私はね、魔理沙。全部愛しているの」
「全部?」
「そう! 全部よ」

 こいしが、その異様な空気に一歩下がった。
 赤黒い光、銀の光、紫の光、白い光。
 その全てが霞のような形をとり、グリモワールに纏わり付く。

「草も木も花も、湖も大地も空も、虫も動物もひとも……全部全部全部全部全部っ」

 両手で己の身体を抱き締めて、アリスは言葉を紡ぐ。
 熱を持った吐息で己の熱を吐き出しながら、ただただ。

「魔理沙もこいしも、アリスも……愛おしくて愛おしくて愛おしくて愛おしくて」

 己の“愛”を、紡ぎ出す。

「だからね、嫌なのよ、貴女たちがいずれ老い朽ち崩れ壊れ息絶えてしまうのが、辛いの」

 痛々しく言い放つ姿から、本気が垣間見える。
 彼女は確かに、本気なのだろう。長寿たる妖怪にまでそんな心配をして。
 そうして助けてあげたいと――傲慢に、言い放っているんだ。

「あハ、あはハは、アはハはははハハハははハはハハハっ」

 笑い声が響く。
 その中で、アリスは私とこいしにだけ聞こえるように、小さく呟いた。
 グリモワールが自分に酔っている間、その時間しか、ないのだろう。

『私をアレに接近させて。そうしたら、なんとかするわ』
「わかった――行くぞ、こいし!」
「うん、魔理沙っ」

 アリスの小さな身体を掴み、箒に跨る。
 こいしはそんな私の首筋に手を回して、掴まった。

「駄目よ、そんなに我が儘を言っては。直ぐに楽にしてあげるからっ」

 グリモワールが展開した、弾幕。
 それは“アリス・マーガトロイド”のものだった。
 赤符【ドールセラミティ】の大玉が、私たちに迫る。

「振り落とされるなよ! “ミアズマスィープ”!」

 短距離高速移動の技。
 箒の尾に点火された青白い魔力が、星形弾幕を散らしながらつき進む。
 スペルカードを用いらずに放たれた魔法は、避ける隙も無く襲いかかってきた。

「表象【夢枕にご先祖総立ち】」

 グリモワールの背後から現れた、弾幕。
 彼女はその白いレーザーを一瞥することなく、身体を反らして避けた。
 周囲に張られた糸……あれが、“レーダー”なんだろう。

「行って、大江戸」
『させないわ。黒の魔法!』

 アリスの放った焔弾が、大江戸人形にぶつかり、爆発する。
 その土煙は、チャンスだ。

「行くぜ! 彗星【ブレイジングスタァァァァッッッ】!!」

 こいしが私の背から降り、それから私の身体が加速する。
 そんな私を迎えようとしているのか、グリモワールは、笑顔で腕を広げていた。

「悪いが、飛び込むつもりはないぜ」

 箒の向きを魔力で固定。
 ブレーキを掛けなければ、八卦炉無しでも真っ直ぐに進むはずだ。
 だったら――私が乗っている必要は無い!

「っおぉ!」

 箒を蹴って、後ろへ飛ぶ。
 膝を抱えて回転しながら、私は箒を“発射”した。

「面白いことをするのね。でも駄目、軌道がわかりやすすぎて避けられてしまうわよ」

 確かにそうだろう。
 真っ直ぐ進むだけの弾幕だ。避けられないヤツはそんなにいない。
 でも――弾幕が、派生したら?

『私の意識を残したこと、後悔なさい!』
「アリスっ?!」

 箒の上。
 こいしの“無意識”で姿を隠していたアリスが、飛び出す。
 そして腕を広げていた為無防備だったグリモワールに――渾身の、頭突きをした。

『せぇい!!』
――ガヅンッ
「いだっ!?」

 よほど鬱憤が溜まっていたのか、その一撃でグリモワールが転倒する。
 ……なんつーか、見るからに痛そうだ。

「大丈夫か? こいし」
「うん。私は大丈夫だけど……」

 私たちの視線の先。
 並んで倒れる、アリスとグリモワール。
 どちらが立ち上がるのか、私とこいしはじっと見つめることしかできなかった。

「ふ、あはは、はは」

 そうして立ち上がったのは……グリモワールの、方だった。
 アリス――上海人形は、身動きすら取る様子がない。
 その姿に、二パターンしかなかったはずのこいしの表情が、僅かに歪んだ。

「もう一戦行けるな? こいし」
「うん、アリスの仇討ちだね」

 箒はなくとも、ミニ八卦炉はある。
 こいしだって、まだ手はあるはずだ。
 昼間に戦ったばかりで体力は尽きかけているが、そこは精神力でなんとかすればいい!

「もう一度仕掛けるぞ、こい――」
「――待ちなさい! 魔理沙、こいし!」
「ぇ?」

 グリモワールに、呼び止められる。
 そこにさっきまでの狂気は見られず、強気に輝く瞳が瞬いていた。

「上海人形として大人しくしていたのも、全てはこの瞬間の為よ!」
「ってことは、まさかおまえっ!」

 上海人形の身体を持って、飛んでくる。
 呆然とする私とこいしの前に降り立ったのは――“アリス”だった。

「っと、急に背が伸びるとバランスが取りにくいわね」
「アリス! 生きてたのか!」
「ふん、当然よ!」

 当然と言い切り、胸を張る。
 成長してはいるけれど、その姿はまさしく、魔界で出会った“アリス”のものであった。

「良かった、アリス!」
「こいし……私こそ、なんか、ごめんね」

 こいしは、笑顔でアリスに抱きつく。
 それをアリスは、苦笑しながら受け止めた。

「“魂摘出魔法”……魔理沙たちに掛ける為に“アレ”が研究していた魔法よ」
「それを使ったのか……えげつない魔法だぜ」

 ということは、アリスもその魔法を掛けられてこうなったということか。
 グリモワールに魂を抜き取られて、何年も。

「さて、これで最後よ。気張りなさい」
「は?」
「魔理沙、前!」

 こいしの声で、顔を上げる。
 さっきまでアリスが倒れていた場所。
 そこにぼんやりと灯る、赤黒い光。

『どうしてわからないの? アリス。それが私たちの望みなのに』

 霞が集まり、形を作る。
 グリモワール・オブ・アリスを中心に、それは姿形を作っていった。

『誰も彼もを恒久的に愛する世界、それこそ至高だと――教わらなかったの? アリス』
「おいおい、マジかよ」

 宙に浮かぶグリモワールの文字が、塗り替えられる。
 文字が溶け出し、別のものへと変わっていく。
 ――解き放たれ、元の形に戻っていくように、強く。

「“Diary of Shinki”――アレは、私が持ち出した日記帳。創生の、ね」

 霞は形を持ち、やがて赤黒い光に包まれた“神綺”に変わる。
 魔界の全てを生み出し、万物を愛する柔らかな笑みを浮かべる、創造神。
 いつか戦った彼女が、ただ悠然と佇んでいた。

「魔理沙、アリス……あれ、瞳を閉じても内心が伝わってくる」

 薄く開いた第三の目。
 その瞼を隠しながら、こいしは青白い顔で呟いた。
 二パターンと少ししかなかったはずの、表情に浮かぶ、“怯え”の色。

 心を読む種族ではない私ですら感じる、胸を締め付ける感情。
 アレが、魔界神の――“心”の在り方なんだ。

「気を確かに持ちなさい……来るわよ!」
「っ、こいし!」
「ぁ、うん!」

 三方向に散って、迎え撃つ。
 神綺の身体が緩く霞むと、そこから大量の魔力弾が解き放たれた。
 青、紫、白、黄色、様々な色が飛び交う。

『誰も彼も、愛してあげる。私の胸に、飛び込みなさい』
「はっ、ごめんだね! “ナロースパーク”!」

 波動砲を放ちながら、移動。
 箒がないと大幅に機動力が下がるが、仕方がない。

「【紫の魔法】――貫きなさい!」
「本能【イドの解放】――行け!」

 紫色のレーザー。
 その軌道を隠すように、ハート型弾幕が放たれる。
 こいしの無意識下の行動は、的確に仲間に合わせた弾幕を選択していた。

『愛しているわ』
「アリス、後ろだ!」

 魔法は、確かに直撃した。
 だというのに、神綺はアリスの背後に移動していた。

「抑制【スーパーエゴ】!」

 戻ってきたハート型弾幕。
 けれどその攻撃も、神綺によって弾かれる。
 ――圧倒的なまでの、戦力差。

「アリス!」
『貴女の相手も私よ。あは』
「っ……そうか」

 ここは、神綺の――グリモワールの生み出した世界。
 なら、この空間は、彼女によって支配されている。
 周囲に無数に現れる、神綺の姿。こんなことまで可能なんだ。

「がぁっ!」

 吹き飛ばされて、地面を滑る。
 辛うじて踏ん張った頃には、神綺が私の目の前にいた。

「っぁ」
『お願い、もっと声を聞かせて、もっと私に“愛”させて』
「っ、ざけるな!」

 至近距離で、弾幕。
 星を散らして解放され、離れる。

「誰の意思も存在しない愛に、なんの価値がある」

 そうだ。
 圧倒的な戦力差、だからどうした。
 アリスもこいしも、手を取りたくて取り合った仲間だ。
 一方通行に築いた関係なんかじゃ、ない。

『愛を与えれば還ってくる、心に思いが募るのよ』
「愛し合って初めて、想いは繋がって恋になる。それがないなら、それはただの独善だ!」

 ミニ八卦炉を握りしめ、体中に魔力を巡らせる。
 何が圧倒的だ。簡単に諦めてどうする。
 壁を打ち破り想いを成就させることこそ、霧雨魔理沙の在り方だ!

『私はみんなと恋しているのよ。素敵で満ち満ちた恋を!』
「心のない愛に、恋を語る資格は無い。恋を語って良いのは、恋を繋げる少女だけだ!」

 足下で魔力を爆発。
 神綺にタックルをかます。
 けれど霞となって避けられて、捉えられない。

『それなら見せてみなさい。私は貴女の云う恋なんか、知らないわ』

 神綺の雰囲気が変わる。
 愛を語っていた神綺が、どす黒い感情を私に向けてきた。
 気持ちの悪い一方通行な愛なんかより、そっちの方がわかりやすい!

「そんなに知りたいなら、教えてやる。そんなに欲しいなら、くれてやる」

 ミニ八卦炉をかざして、目を伏せる。
 私は今、一人で戦っているんじゃない。
 大切な仲間達と、戦っているんだ。

「これが、“恋の力”だ」

 ミニ八卦炉から極光が放たれて、空間に満ちる。
 その光に紛れるように、こいしの声が、響いた。

――なんとなくだけど、理解できたよ。魔理沙の云う“恋”が。

 目を開いた、その先。
 こいしのスペル“嫌われ者のフィロソフィ”に囚われた、影。
 空間の至る所に神綺の姿があるのに、その神綺の周りだけ、弾幕の形が変わっていた。

『……本体がわかったところで!』

 数ある神綺の内一体が、私に向かって襲いかかった。
 しかしそれも、遠くから放たれたレーザーによって退けられる。

「咒詛【上海人形】――ふふ、何年“上海”やってたと思うの? 今では一番得意な魔法よ!」

 こいしが居て、アリスが居て、私が居る。
 これで負けられる、はずがない。

「しっかり受け止めろよ? 恋心【ダブル――」
『ぁ』

 目を瞠る神綺に、渾身の魔砲を放つ。
 絆と絆、恋と愛。恋愛を紡ぐのはいつだって、思い合う者同士の心。
 二つ繋いで繋げていくのが、“恋”の真髄だ!

「――スパァァァァクゥゥゥッッッ】!!」
『きゃあぁぁぁぁっ!?』

 神綺の影が掠れ、消える。
 残ったのは、ボロボロの本だけだった。
 しかしその本も、少しずつ灰に変わっていった。

『望まぬ愛すら望めぬ世界も存在する――覚えておきなさい霧雨魔理沙』
「それが意思を否定して良い理由にはならない――彼岸まで覚えておけ、グリモワール」

 ぱらぱらと削れて消えた先。
 そこには最早、何もない。
 ただ、崩れゆく空間だけが――って、まずい!?

「逃げるぞ、アリス! こいし!」
「任せなさい!」
「う、うんっ!」

 アリスと三人、光り輝く空へ駆け抜ける。
 そうして……その先の空間に、飛び出した。

 愛を望み求め与え続けた妄念の姿を、背後に残して――。
















――トリプルハンドメイド――



 グリモワールを打ち破り、私たちの日常は、少しだけ変わった。

 未だ感情を理解しきれず、けれど瞳を開く選択肢を覚え始めたこいし。
 新しい身体に慣れず、けれど元々夢だったという自立人形の作成に着手し始めたアリス。
 私たちは三人で集まっては、充実した時間を過ごすようになった。

 この結果は、望むべきものだ。
 あのグリモワール以外は誰もが成長――もちろん私も――して、前を向けるようになった。
 それが尊いことでハッピーエンドの形だと云うことは、わかっている。

「相変わらず、じめじめしてるな」

 箒を傾けて、降り立つ。
 目の前に広がるのは、大きな屋敷。
 地底の中心に位置する管理者の館――“地霊殿”だ。

「おーい、誰かいるかーっ」

 声が、地霊殿のエントランスに響く。
 ここに来たのは、こいしに会う為……なんかじゃない。
 こいしは今、アリスの家でクッキーを習っている。

 私はそれに“食べる係だ”と適当なことを言って、抜けてきたのだ。
 この怨霊と怨嗟渦巻く館に来て、その主と話をする為に。

「そんなに大声を出さなくても、“聞こえます”よ」

 エントランスへゆっくりと降り立つ、淡い桃色の髪。
 古明地こいしの姉にして地霊殿の……地底の管理者、古明地さとりだ。

 私は今日、彼女に用が有って来た。

「私に用、ですか? ふむ、『真相について』と言われましても」
「読むな。いや、読んでも口に出すな」
「『まずは答え合わせ』ですか。ええ、いいでしょう」

 背を向けたさとりに着いていくと、客室に案内される。
 そこで出された麦茶を、一口舐める。
 ……薬も魔法も、大丈夫そうだ。

「アリスは、グリモワールは、地底に残した人形からこいしの目的を知った」

 何かあったときのために、地底に人形を残す。
 それの想定されるところは、“緊急”の場合だ。
 新たに怨霊が吹き出したら止める。それは、“愛”を語るグリモワールらしい行動だろう。

 けれどそこまで誰かを傷つけることを拒んでいた彼女が、あんな杜撰なタイミングで動くのだろうか。
 霊夢にすら“危険な存在”と認知されることなく、異変の解決に乗り出したことすらある彼女が。

「だがアイツは一度だって、“こいしから聞いた”とは、言わなかった」

 こいしが自分の目的を語りながら、歩くのか。
 そんな間抜けな話はないだろう。

 麦茶で喉を潤わせると、私はさとりを見る。
 こっちの思考なんか全部呼んでいるくせに、未だに平然としていた。
 これがきっと、本来の“覚り妖怪”の在り方なのだろう。

「例え心が読めなくても、長年過ごした妹のことは、だいたいわかる。違うか? さとり」
「……ほんの僅かですよ。私が、わかることなんて」

 言いつつも、動揺はない。
 だがその言葉は、確かな“肯定”だった。

「きっとグリモワールは、忘れていたんだ。自分がどんな妄念から生まれた存在なのかということを」

 忘れて、ただ他者を愛する妖怪になっていた。
 どんな場面でも本気は出さず、壊すのは自分の手で一から作った人形だけ。
 妖精すらも家に招き入れ、のんびりと一日を過ごす。

 そんな妖怪に、なっていたんだ。

「しかしそれを望めば、“アリス”は永遠に、己を取り戻せませんよ」
「ああそうだ。だからこれは、“ベター”な形で“終わった”ことだ」

 これ以上は、望めない。
 そう思わせるほどに、誰もが“解放”された。

「話を戻すぜ。さとり、おまえはこいしの瞳を開かせたかった。そうだな?」
「ええ。あの子は、目を閉ざしたことを後悔していましたから」
「――だから、他者を使って“切っ掛け”を与えた」

 さとりは、催眠術によって深層意識を掘り出して、表層意識まで持ってくることが出来る。
 人形の視界を用いて“アリス”のトラウマを想起させることくらい、なんてことはないのだろう。

 距離が離れすぎているから、読めない。
 それでも対象を絞れば、やってのける。
 だからこそ彼女は、地底を任されているのだろう。

「私たちを利用したな? さとり」
「偶然、ですよ。貴女に限っては」

 アリスが選ぶのが、誰であっても良かった。
 こいしの感情を解き放たせるための駒が、誰であるというのは、さとりにとって重要なことではない。

「唐突に全てを思い出したグリモワールはそれを行動に移し、結果がアレだ」

 力を解放し、破れ、消えていったグリモワール。
 その最後の言葉は、未だに私の胸にこびりついていた。

――望まぬ愛すら望めぬ世界も存在する――覚えておきなさい霧雨魔理沙。

 それこそが、隔離された世界。
 嫌われ者たちの楽園――地獄――である、地底のこと。
 彼女は最後の最後で、私に対してヒントを残していった。

 それが悔しさか、それとも身体を奪った“アリス”への罪悪感からかは、わからないけれど。

「もし、こいしが心を閉ざすことになったら、どうする気だったんだ?」
「そうしたら仕方がありません。また、“次の機会”を待ちましょう」

 長い寿命を持つ、妖怪。
 彼女にとって、チャンスなど急ぐものではないのだろう。
 だから多少計画が杜撰でも、構わない。

 また“次の機会”にやり直せば、良いのだから。

「それで、全てはわかった貴女は――『どうもしない』のですか?」
「ああ。どうもしない。結果は、間違いなくハッピーエンドだ」

 アリスは人形の身体から解放され、こいしも望んだものを手に入れつつある。
 私は前よりも魔法の扱い方が上達しているし、癪だがさとりの願いも叶いつつある。
 これ以上は望めない、大団円だ。

「そうですか。ええ、私も妖怪です。退屈を嫌う、妖怪です」
「そうかよ」
「ですから、ふふ――楽しみに、していますよ」

 麦茶を飲み干して、席を立つ。
 そのまま箒に跨って、地霊殿のエントランスを抜けた。

 外に出て見下ろす館は、常に薄暗い。
 あの世界で生きることは、どんな意味を持つのだろうか。

――望まぬ愛すら望めぬ世界も存在する――覚えておきなさい霧雨魔理沙。

 その意味するところは、きっとここにある。
 目を逸らさずに見続けた先、それでも表層しか窺えはしないのだろう。
 如何なる者からも嫌われ続けた妖怪たちの、住処なんて。

「楽しみにしてる、か」

 私が最後に思い浮かべたこと。
 それに対して、さとりは笑って見せた。
 始めて見せる、心からの笑顔で。

「“やられっぱなしは、性に合わない”」

 顔を洗って待っていやがれ。
 私は逃げも隠れもしないし、力を磨くことを忘れもしない。



 いつか絶対に、その澄ました顔を、驚愕に染めてやる!



 そう一つの決意を胸に、地底から飛び去る。
 縦穴を抜け、その更に上から覗く地底は、ほんの僅か先すら見えないほどに暗い。

 私はその深淵にもう一瞥だけすると、今度こそ背を向けた。
 今やるべきことは、アリスとこいしにクッキーを貰うことなんだから――。






――了――
 ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
 またお会いできましたら、幸いです。
I・B
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コメント



0.2060簡易評価
1.100奇声を発する程度の能力削除
>抜くと奇声を発するキノコ。
ピクッ
濃い感じがして良かったです
19.100名前が無い程度の能力削除
アリスこいし魔理沙で甘い話かと思ってたら、いい意味で予想を
裏切られました。
少年漫画的な熱い展開が良かったです。
24.100名前が無い程度の能力削除
うーむ、複雑だな
31.100名前が無い程度の能力削除
I・Bさんのお話はどれもひとひねりあって先が読めないです
今回も面白かったです
36.100名前が無い程度の能力削除
妖怪らしさ
45.100名前が無い程度の能力削除
展開が二転三転して飽きない
面白かったです
48.100名前が無い程度の能力削除
面白かったし不快でもないがすっきりしないという複雑な心境
正体はどうあれ、確かに存在していた一人の妖怪が失われてしまった、というところに寂しさを感じてしまうからかもしれない
ともあれ素敵な作品でした
57.100名前が無い程度の能力削除
正統派アリスかと思いきや
面白かったです