――カラン、という音と共に、香霖堂の扉が開いた。
「いらっしゃい」
僕――森近霖之助は、本から顔を上げず、入ってきた人物の顔も見ず、とりあえず歓迎の言葉を言った。言葉だけで、態度には表さない。この店に来る者たちの大半が客じゃないからだ。
「……随分、態度の悪い店ね」
不機嫌そうなその声を聞いて、僕はすぐさま顔を上げた。聞き覚えのない声だったからだ。実際、見たことのない人物がそこに立っていた。紫色の髪、水色の服、黄色の飾り――そして、アレは……赤い、目?
まぁとにかく。奇妙な出で立ちの少女だった。まぁ、幻想郷において奇妙なじゃない服を着ていない者などほとんどいないのだが。それにしても珍しい。初見様など、一体いつ振りだろうか?
「いや、すまない。どうせ常連の客か常連の客じゃない者かと思ってね」
「分かってるわ」
分かってる? どういうことだろう。あぁ、ひょっとして誰かからの紹介だろうか。そんな気の利いたことをする者は――全く心当たりがない。強いていえば魔理沙あたりか。
「違うわ、貴方の心を読んだだけよ」
「……ほぅ」
心を読んだということは、ひょっとして彼女が魔理沙や霊夢が言っていた妖怪――
「古明地さとりよ。以後、お見知りおきを」
「ふむ……」
彼女が噂の覚妖怪か。地霊殿の主で、心を読む程度の能力を持つ、という……。ということは今のこの僕の思考も読まれているのだろうか?
「えぇ、読んでいr」果たしてどういう風に読んでいるのか。文字で見えているのか、映像で見えているのか。
「どちらでも見えるし音でも聞k」いや、そういえば魔理沙と霊夢が彼女と戦った時、己がトラウマを再現されたと言っていた。
「ちょ、聞いt」ということは映像が見えることは間違いないだろう。待てよ。ひょっとして、文字だけで見ている可能性もあるのでは?
「なんか段々思考速度が早k」文章として読んだ心を映像として出力する。それをするために、その文章はかなり細かく、そして多いはずだ。
「映像で見えてるっていっt」つまり、非常に情報量の多い映像を頭に浮かべれば彼女の処理能力を超えることができるのではないか。
いや違う、これは彼女が映像で見ていないという前提の結論に過ぎない。もし映像で見えてるとすればどうしたものか。
「うわ、速い速いはy」そうだ、思考速度を上げればいい。映像で見えているとしても、それはある種の過去の記憶を画として思い浮かべたときだろう。
逆にいえば、今こうしているように頭の中の議論は映像で見えていても何の意味もな――まて。読めるということに気を取られていたがひょっとして音で聞こえているのではないだろうか?
だがそれでもやはり思考速度を限りなく上げていけばいいのだ音で聞こえていたとしても早口言葉のようにかつ難解に回りくどく考えてしまえば彼女にとってそれはそれはとても読み取りづらくなるわけでそうなると
「やめい!!」
叫び声と共に、僕の頭に衝撃が走った。どうやらチョップを喰らったらしい。
「まったくもう、何なのよ貴方」
「いや、すまない。覚妖怪の話を聞いたときからやってみたかった対策法があってね」
だがまぁ、成功といえば成功か。感覚のほとんどを思考に費やしてるから何も見えないし何も聞こえないから対策といえるのかどうかは微妙だが。
「微妙どころか何の対策にもなってないわよ。チョップ喰らってるじゃない」
ふむ、たしかに。攻撃されても効かない身体が必要だろうか。それは嫌だな。鍛えるのは面倒臭い。
「嫌なんだ……」
さて、下らない遊びはこれまでにして。まずは彼女の用件を聞くことにしよう。まずはお客かどうかだ。
「客よ。魔理沙からこの店の話を聞いて、ちょっと買い物にね。中古雑貨屋兼ガラクタ屋だっけ?」
魔理沙め、いったいどんな説明をしているんだ。しかし楽だなぁ、会話を声に出さなくていいというのは。本を読みながらだと思考と会話が混ざりそうなのでできないのが残念だが。
「……私の忌み嫌われた能力を『楽』だなんて言われたのは初めてよ」
忌み嫌われた、か。そういえば彼女はたしか地霊殿とかいうところの主だったか。追いやられた妖怪たちの楽園――しかも温泉があるらしい。いつかは行ってみたい。
とはいえ温泉のためだけに危険そうなところに行くのは嫌だし、面倒だ。理由が欲しいところだ。
「配達でも頼んであげましょうか?」
それはそれで面倒くさい。
「本当は来る気ないでしょう貴方! ……まぁいいわ。ちょっと店内を見させてもらうわよ」
どうぞ、と頭の中で呟く。さとりが店内の商品を見始めたところで、僕は再び本を読み始めた。あぁ、これを速読しても彼女を妨害することができるのかもしれないな。
「やめてね。勝手に思考が聞こえてくるんだから」
やはり聞こえていたらしく、釘を刺された。じゃあ読むのも止めておいた方がいいな、と僕は本を置いた。
しかしいったい何を買いに来たのだろう。雑多な商品たちをぼんやりと眺めているあたり、買うものを決めていたわけではないようだが。
「秘密よ、秘密」
こちらに振り向いてさとりが言った。別に問題はない、推測すればいい。頭の中でそう呟いて思考の海に入ろうとしたのだが――うんざりとした顔をしたさとりに頭を掴まれた。
「貴方の思考、五月蝿いのよ。教えてあげるわ。プレゼントよ、プレゼント。私には妹がいてね。もうすぐ誕生日なの」
妹への誕生日プレゼント、か。今年はそれをこの店で買うことにしたということか。今まではどうしていたのだろう。
「帽子をあげたり服をあげたりしてたけど……いつも同じような物、っていうのもちょっとね」
なるほど。そこで一風変わった物を探しにこの店に来たというわけか。なかなか妹想いの少女のようだ。
妹といえば……魔理沙の誕生日も結構近かった気がするな。僕も彼女に何か作ってあげることにしよう。
「妹で連想されるとは……苦労するわね、あの子も」
はぁ、とさとりがため息を吐いた。何故だろうか。口には出さないが、僕は彼女のことを大切な『妹や娘のような存在』だと思っているのだが。
「絶対口には出さないでね、泣くわよあの子」
ふむ……? まぁ、覚妖怪のいうことだ。覚えておこう。
あぁそうだ、プレゼントならこれはどうだい? と脳内で喋りかけながら、僕は机の引き出しからペンダントを引っ張り出した。
「貴方、どこまでも喋らないつもり? ……あ、でもいいわねこれ」
彼女に渡したのは真っ赤な石を使ったペンダント。その赤色は、さとりの身体に引っ付いている目玉の色に近い。
明りを反射して輝くそれをさとりがまじまじと見つめている間に、僕は色違いのそれを別の引き出しから引っ張り出した。こちらは青い石を使っている。
「これもいっしょに買うといい。姉妹でお揃いのペンダント、というのも素敵だろう?」
「あら、ようやく喋ったわね。……そっちは青いのね。貴方、ひょっとして妹のこと知ってるんじゃないわよね?」
そんなわけはない。妹がいるというのはさっき初めて知ったのだから。
「あぁ、そうだ。2つでセットだから単体で買うと割高になるよ」
と僕は嘘をついてみた。実際は、他にも色があるからセットでもなんでもない。あ、しまった嘘と思ってしまった。
「ふふ、いい性格してるわね。いいわ、買いましょう。2つとも、ね」
「毎度あり、○○円だ」
さとりから金を受け取り、ペンダントの2つを包装して渡した。何故だろう、久しぶりにまともにお金のやり取りというものをした気がする。……ん?
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………足りないんだが」
「……………………持ち合わせがなかったわ」
※
数刻後。僕はさとりと共に地霊殿にある彼女の住処に向かっていた。足りない分の金を払ってもらうことになったのだ。
飛んでいけばあっという間に着くらしいのだが、僕は飛ぶのが得意ではない。そんなわけでのんびりと歩いて向かっている。
「おんやぁ? さとり様じゃないか。おかえり!」
突然、誰かに声をかけられた。洞窟のようになっているせいか篭って何処からの声かわからず、きょろきょろと辺りを見回すがそれらしき者は誰もいない。
「こっちだよ、こっち!」
まさか、と思いながらも上を見上げると――そこには、天井から白い糸のような物でぶら下がっている少女がいた。
「そっちのお兄さんは初めましてかね。私は黒谷ヤマメ。この地霊殿へ続く道の門番のような者さ! ここは通さないよ!」
「なっ……!?」
招待されてきたというのに通さないというのは一体どういうことだ。ひょっとして、さとりに騙されていたのか。
「そんなわけないでしょ! こら、ヤマメ。来訪者で遊ぶのやめなさいよ」
「そうよ、しかも勝手に番人の役目を奪わないでもらえるかしら」
さとりの抗議の声の後に、さとりともヤマメとも違う声が聞こえてきた。
「げげ! パルスィ! 痛ぁ!」
ヤマメにパルスィと呼ばれた少女は、いつのまにか彼女の背後にいて、その頭をバシンと殴って彼女を叩き落とした。
「全く。『通さないよ』、なんて私が言うべき台詞じゃない。役目どころか台詞まで奪うなんて……妬ましい!」
頭を抱えて踞るヤマメを踏みながら、少女が叫んだ。
「彼女は水橋パルスィ。嫉妬心を操る程度の能力を持つ橋姫よ」
さとりが呆れ顔をしながらもパルスィの紹介をしてくれた。橋姫か、なかなか珍しい種族だ。能力も気になる。少し興味があるな。
「というかさとり。貴方どうして男を連れてるのよ。恋人? 恋人なの? 妬ましいわ!」
「彼女は自分の嫉妬心を操ることはできないのかい?」
「知らないわ、多分操る気がないだけじゃない? というか店主さん、己の知識欲を満たそうとする前にまず彼女の言葉を否定しなさいよ」
怒られてしまった。正直、パルスィがそう思ってくれれば話をしやすいんじゃないかと思って否定しなかったのは秘密だ。
「秘密になってないわよ」
さとりにジト目で睨まれる。しまった。
「彼はただの道具屋よ。お金が足りなかったからついてきてもらっただけ」
「そんな言い訳を作って気になる男を引っ張ってきたってわけね! その腹黒さが妬ましい!」
「……パルスィさん、『まぁ絶対ないだろうけど。恋なんてしたことなさそうなさとりがそんな上手く事を運べるはずがないもの』って思ってるならそんなこと言わないでくれませんか?」
どうやら、パルスィは単に『妬ましい』と言いたいだけのようだ。現に、さとりの指摘に対してバレちゃった、とでも言いたげな顔をしている。
「はじめまして、パルスィ。僕は森近霖之助という者だ」
「はじめまして」
「君は嫉妬を操る能力を持っているらしいね」
「そうよ。恐ろしい? 恐ろしいでしょ? あぁ、恐れられるほどの能力を持った自分が妬ましい!」
彼女の嫉妬心の懐は存外広いらしい。
「いや別に恐れないが……」
「恐れない!? 恐れない心を持った貴方の強さが妬ましい!」
……マズい、いま面倒くさいと思ってしまった。知人に対してそう思っていることが知られれば、さとりの機嫌を損ねてしまうかもしれない。
「大丈夫ですよ、私も普段からそう思ってますから」
「そうか、よかった」
そういって、二人同時にため息を吐いた。
「さて、私はそろそろ去るわ。私の居場所は本来、ここじゃないもの」
ため息に気づかなかったのか、パルスィはそれだけを言うとヤマメの身体を自分の肩に乗せた。
「じゃあ何故ここに?」
僕の言葉を聞いて、パルスィはフッ、と笑った。
「嫉妬チャンスを感じ取ったのよ!」
「それ、カッコつけていう必要あった?」
「それじゃ。ヤマメは水責めの刑にしておくわ」
さとりのツッコミを無視して、彼女は去っていった。ヤマメの助けを求める叫び声が段々遠くなっていく。さようなら、ヤマメ。
※
パルスィと別れて再び歩き出した僕らは、ようやく地下世界へとたどり着いた。意外と、大きく綺麗な街並みが広がっている。
なかなか見ごたえがあるな、とキョロキョロと辺りを見回しながらさとりの後ろを追っていると――いきなり誰かに肩を掴まれた。
「よぉ! 久しぶりじゃあないか!」
知り合い? と頭に疑問符を浮かべつつ振り返ると、全く見覚えのない女性が立っていた。金色の髪に白い服、片手には桶を抱え――そして、何より目立つのは額から生えた大きな赤い角。
間違いない、彼女は鬼だ。だが、鬼の知人など萃香ぐらいしかいないはずだ。だが、彼女は僕に久しぶりと言った。どういうことだ?
「あれ、ひょっとして初対面かぁ?」
「あ、あぁ。そのはずだが」
首を傾げる鬼に対して、僕も首を傾げた。いったいなんなんだ。
「まぁいいか! 視界に入ったから酒に誘ってみただけだ! 大体が知人だから大丈夫だと思ったんだがな! はっはっは!」
豪快に笑う鬼。とんでもない考え方だ。やれやれ、と僕は肩をすくめた。
「もう、何してるんですか勇儀さん」
「おぉ! さとりじゃないか! いや気にするな! この男に飲みの誘いをしただけだ!」
背後の状況に気づいたらしいさとりが戻ってきて、鬼に話しかけた。どうやら、彼女の名前は勇儀というらしい。
「困るわねぇ、彼は私の客よ?」
「何っ! 私の物だとっ! こりゃあびっくりだ! さとりが男を捕まえてきたか!」
見た目と言動どおり、かなり大雑把な性格らしい。凄い勘違いをしている。
「だから! 貴方も! 『まぁ奥手で初々しいであろうさとりがそんな簡単に捕まえてこれるわけないか』って思ってるなら! 言わないでよ!」
ぷんぷんと怒りながらさとりが叫ぶ。どうやら、地霊殿の主にもかかわらず色んな人に弄られているらしい。
「う、そ、そんなことないわよ!」
「目を逸らしながら言われてもね」
正直、全く説得力がない。
「と、ところで! 勇儀さんは何をしてたの!?」
「何を怒ってるんだ? いやなに、新しい酒を考えてな! 誰かと飲みたくてさまよってたんだ!」
そういって、勇儀は抱えていた桶を誇らしげに高く掲げた。
「ほう、鬼が作った酒か。……興味があるな」
「意外と好奇心の塊よね、貴方」
僕の言葉にさとりが呆れたように言った。そうでもない、とはいい切れないな。
「おや、あんたも飲んでみるか! 名前はそうだなぁ……キスメ酒、だな!」
「ちょっとまって嫌な予感しかしないんだけど」
さとりが慌てて勇儀から桶を奪って中を覗き込んだ。その様子が気になったので、僕もいっしょに。
桶の中には透明の液体が半分ほど注がれていて――そして、緑色の髪をした誰かが入っていた。顔を赤くしてぐったりしているが、生きてはいるらしい。酔っているようだ。
「ちょ、何やってんの!?」
「ふふん、可愛い子を肴に酒を飲むと美味い、っていうだろ? だったらいっそ可愛い子を酒に入れたら美味いんじゃないかと思ってね!」
「酷い思考回路してるわね貴女! あぁもう、酔っ払って寝ちゃってるじゃない」
叫びながらもさとりは桶の中から少女を引っ張り出した。酒の名前からして、少女の名はキスメだろう。
「だ、大丈夫キスメ!?」
動かないキスメの身体をさとりが揺らす。震えた手を伸ばし、ゆっくりと口を開け――声を発する。
「さけ……うま……」
「うん、大丈夫そうね」
しらけた顔で、さとりは意外と余裕のありそうなキスメを放り出した。
「はっはっは! すまんすまん! 私が介抱しておくよ!」
豪胆に笑いながら、勇儀はキスメを抱きかかえ、歩いて行った。さすが地下、何でもありだ。
「いや、あんなことするの彼女ぐらいだから勘違いしないでね」
感心している僕に対して、さとりはげんなりとした表情で諭した。
※
色々と衝撃的な出来事を経て、ようやく僕らはさとりの住処へとたどり着いた。だが家に入ってすぐに椅子に座らされ、彼女は何処かへ行ってしまった。おそらく金を取りに行ったのだろう。
「はいお兄さん、お茶だよ」
「あぁ、ありがとう」
僕の目の前の机に紅茶を置いてくれたのは、さとりのペットの一匹である火焔猫燐という名前の猫だ。お燐と呼べ、と言われた。さとりが戻ってくるまでの間、僕の相手を頼まれたらしい。
ここに来るまでで非常に疲れていたので、出された紅茶をすぐに飲んだ。中々美味い。いっしょに出されたお菓子も、甘すぎず僕好みだ。
「意外だな、ここでこんなに美味い物が味わえるなんて」
「ふっふーん。深い深い地下にあるからって舐めちゃいけないよ?」
えっへん、とお燐は自慢気に胸を張った。ひょっとして彼女が作ったのだろうか。優秀なペットだ。
「それにしても、さとり様が男の人を連れてくるなんてね! こりゃあ、結婚式の準備を始めた方がいいかな?」
「勘違いにもほどがあるよ。僕と彼女は今日初めてあったばかりで、売り手と買い手の関係に過ぎない」
お燐のとんでもない発言に、僕はやれやれと肩をすくめた。まぁ、娯楽の少なそうなところだ。そういう話題に敏感になるのもしょうがないのだろう。
「えー、だってわざわざここまで連れて来たんでしょ? なんかあるって、きっと!」
「単に害より利の方が高くなっただけさ」
温泉に行きたいと金を取りに行きたい、この2つの欲求がたまたま重なったから来ただけだ。どちらかだけだったら面倒臭がって行かなかっただろう。
「色気がないねぇ、お兄さんもさとり様も。……あ、いいこと考えた♪」
にひひ、と悪戯っぽく笑ってから、お燐は何処かへと走っていった。どうしたのだろう――と首を傾げるとほぼ同時に、さとりが戻ってきた。
「不足分持ってきたわ。ごめんなさい、わざわざ来てもらって。……あれ? お燐は?」
「さぁ……突然何処かに行ってしまったよ」
「まったくもう、何してるのかしら――あっ!」
呆れた顔をしているさとりの後ろに、いつのまにかお燐が立っていた。
「ちょっとお燐……えっ!?」
さとりはお燐に文句を言おうとしたらしいが、その前に彼女の思考を読んだようだ。驚いたような顔をして――同時に、お燐がさとりの背中をどん、と押した。
「きゃあっ!」
「おっと!」
お燐に押され、僕の方に倒れかかってきたさとりを慌てて受け止める。必然的に、さとりと僕の顔が近づいた。
こうして改めて至近距離でみてみると、驚いた表情を浮かべた彼女はかなり可愛らしい顔をしている。こうして受けてもかなり軽いし、柔らか――いや、僕は何を考えているんだ。読まれてしまうというのに。
我に返ったらしいさとりが、真っ赤な顔をして僕から離れた。やはり読まれていたらしい。申し訳ないことをした。
「あ、い、いえ。お、男の人に触ったこともないし、可愛いと言われたこともないので動揺しちゃって、いや、なんでもないわ」
更に真っ赤になるさとり。ふむ、可愛いと言われたことがない、というのは正直意外だ。誰がみても彼女を可愛いと思うのだが。
あぁ、そうか。忘れていた、彼女は忌み嫌われた存在、さとり妖怪なのだ。誰も彼も、彼女をみてまず湧きでるものは、『恐ろしい』という感情であるに違いない。
それに、彼女はこの地霊殿に追いやられていたし、その能力ゆえにここでは有名すぎるのだろう。彼女を知らない男、いやそれどころか他人に会う機会も少なかったというわけか。
「だ、大体当たり。えぇ。だから、その。可愛いって言われると、えへへ。照れるわね」
「ヒャッホゥ! さとり様がデレデレだ! 結婚式の準備だ!」
さとりの奇妙な様子をみて、彼女の背後にいたお燐がテンション高く叫んだ。そして次の瞬間――鳩尾にさとりの拳を喰らって倒れた。
「ぐほぉ!!」
「逃げていればよかったのにね……さぁ、『お仕置きの時間』よお燐」
背後にゴゴゴという音が響いているような気がするのは気のせいだろうか。
「い、いえ待って下さいさとり様! 私はたださとり様のためを思って!」
「次にお前は、『面白そうだから、なんて決して思ってません!』と言う」
「面白そうだから、なんて決して思ってません! ……ハッ!?」
さとりに自分が言うつもりだった言葉を当てられ、お燐は驚いた顔で口を押さえる。……いや、何故驚いているんだ。覚妖怪なんだから出来るに決まっているだろう。
そんなお燐の姿をみて、さとりはにっこりと笑った。かなり恐ろしい。目は全く笑っていないからだ。そして、彼女はゆっくりとスペルカードを構え――発動させた。
「テリテリテリテリテリテリテリテリテリテリテリテリテリテリテリテリテリテリテリテリィィィ!!」
「ちょ、そんなスペカじゃっ! ふにゃああああああああああああああああああ!!」
物凄い量の弾幕がお燐に当たる。休みなく、しかも大量に全身に直撃しているので、お燐の身体が段々と宙に浮かんでいる。
「テリブルスーヴニィ――――――ルッ!!(トラウマを刻みな!)」
「ぎにゃああああああああああああああああああああああ!!」
さとりの叫びと共に、お燐が何処かへと吹き飛んでいった。まぁ、生きてはいるだろう。しばらく再起不能だろうけれど。
「見苦しいところを見せてしまったわね。さ、温泉に案内するわ」
すっきりした顔のさとりの後ろについて、温泉に向かうことにした。さようなら、お燐。
※
「今の時間ならほとんど貸切のはずよ。ゆっくり入っていて頂戴」
そういい残してさとりは去っていった。ありがたい話だ、のんびりと楽しませてもらおう。酒ももらったし。
服を脱いで、タオルを頭に乗せて熱燗とお盆をお風呂に浮かべてから、お湯に浸かった。いい温度だ。すごく気持ちい。
……温泉の端の方に、水責めにされたと思しき金髪の少女と介抱=温泉だとでも思われたに違いない緑髪の少女が浮かんでいるが、まぁ気にしないでおこう。
今日は色々あったので、疲れた身体に温泉の湯が染みこんでいく。あぁ、いい気分だ――そう呟いた瞬間、誰かに声をかけられた。
「あれ? どちらさま?」
声の方へ振り向くと、全裸の少女が立っていた。髪は黒く、大きな翼も黒い。そして、胸には赤い…なんだろう、アレは。
「僕は森近霖之助だ、君は?」
「私? 私は霊鳥路空だよー。あなたは?」
「え? だから、森近霖之助だよ」
「私は霊鳥路空だよー。あなたは?」
「……森近霖之助」
「霖之助さん、だね。初めましてー」
三回目でようやく覚えてもらえた。おそらく、さとりのペットの一人だろう。見た目の特徴からして鴉か何かだろうか。
そういえば、霊夢が言っていたような気がする。地霊殿には強大な力を持った地獄鴉がいると。
「見たことないってことは……侵入者かな?」
「違うよ、さとりに招待された客だ。それより、君は少しは隠す努力をした方がいい」
空は僕がいるというのに前を隠すことなくさらけ出している。一応、僕も男なのだから羞恥心を持って欲しいところだが。
「さとり様のお客さん? なんで一人で入ってるの? さとり様は?」
「え。そういわれてもな」
男女別で入る習慣は地霊殿にはないのだろうか。地下と地上の違いがこんなにも大きいとは。
「待ってて、いま連れてくる!」
そう叫んで、僕が何かを言う暇もなく空は飛んでいった。全裸で。騒ぎにならないだろうか。
まぁいい、酒もそろそろ十分温まったことだろう。熱燗をとくとくとお猪口に注いで、ぐいっと飲み干した。
ふむ、これも美味い。観光名所として地霊殿を売り出すのもアリなのではないか。ここに来るまでが非常に大変だが。
そんなことを思っていると、遠くから騒ぎ声が聞こえてきた。……それも、上空から。嫌な予感がして上を見上げてみると――全裸のさとりが落下してきた。
上手い具合に温泉の中に落ち、ばしゃん! と大きな水しぶきが舞った。無事だろうか、と心配になったが、彼女はすぐに立ち上がった。
「うわっぷ! もう、何なのよ空ったら! いきなり脱がしてきたかと思えば無理矢理運んで――あれ、待って、ここって」
ぎぎぎ、という音がしそうなほどぎこちなくゆっくりと、さとりがこちらへと顔を向けた。
「きゃああああっ!!」
悲鳴をあげて、さとりが身体を隠すようにお湯の中に潜った。ふむ、やはり地霊殿にもちゃんと羞恥心というものはあったらしい。おそらく、あの空という少女が知らないだけなのだろう。
「な、なんでそんなに平然としてるの!?」
「そういわれてもな」
しかし、いわれてみれば僕にも羞恥心というのはないらしい。知らないわけではないが、まぁ遠い昔に無くしてしまったのだろう。
「まぁ、気にしないでいい。別に君の身体を見て欲情したりはしない」
「そ、そういわれても!」
まぁ、簡単に抑えられないのが羞恥心、か。とりあえず場を和ませようと、僕は熱燗を手にとった。
「熱燗は無事だったようだ。君も飲むかい?」
「えっ!? え、あ、はい」
真っ赤な顔で頷くさとりのためにお酒を注ごうと思ったのだが――お猪口が一つしかないことを忘れていた。しょうがない、と呟いて僕は自分のお猪口に酒を注いで彼女に手渡した。
「ほら、どうぞ」
「あ、ありがとう……」
渡されるなり、彼女はぐっと飲み干した。そして、何かに気づいたような顔をする。どうしたのだろう。
「こ、こここここれって……あの、アレじゃ」
「アレ?」
赤かった顔を更に真っ赤にさせて、さとりが言う。はて、何のことだろうか。
「か、間接……キ、キスとか……」
「あぁ、なるほど」
そういえばそうだな、と頭の中で呟いた。そうか、男性に慣れていないとそういうのでも羞恥心を持つものなのか。初々しくて可愛らしい、と僕は苦笑した。が――
「い、今! ま、また可愛いって! あーもう! あー! もう――うにゃああああ!!」
「さ、さとり!?」
限界まで赤くなったさとりは――ばたばと手足を暴れさせながら、ぐるぐると目を回してばしゃんとお湯の中へと倒れた。
※
「う、うーん。……あれ、ここは」
「君の部屋の君のベッドだよ」
「にゃっ!?」
パタン、と本を閉じて目を覚ましたさとりに近づいて話しかけた。なぜかとても驚いた顔をしている。
「いや、すまないね。君がお酒に弱いとは知らなかったよ」
「そ、そういうわけじゃなかったんだけど……」
そう呟いて、顔を赤らめてさとりは俯いた。ふむ、まだ調子が悪いのだろうか。ひょっとして、風邪か何か引いてしまったのか?
「あ、お姉ちゃん起きたみたいね?」
「こいし!?」
扉から顔をのぞかせたのはさとりの妹、古明地こいしだ。さとりをここまで運んできていた僕の後ろにいつのまにかついてきていた。
さとりの家の扉を開けようとした瞬間に至近距離で話しかけられたのでびっくりして彼女を落としそうになったのは秘密である。
「はい、お姉ちゃん。おかゆ作ってきたよ」
「あ、ありがとう……え、あれ?」
手に持っていたおかゆの入った器をさとりに渡すのかと思いきや、こいしはそれを僕に渡してきた。
「貴方が食べさせてあげてねー♪ 私はお燐の様子を見てくる」
そういって、こいしは部屋を出ていった。お燐は生きていたらしい。
「あの子、分かってやってるのかしら……?」
「何のことだい?」
「な、何でもない!」
頬を染めて、さとりはそっぽを向いた。何か気分を害すことをしただろうか。
それにしても何故僕が食べさせるのだろうか。彼女はもう大分元気そうだし、別に一人で食べられそうなものだが。
まぁ、いいか――妹だけが分かる何かがあるのかもしれない、と思い、僕はレンゲでおかゆを掬い、ふーふーと息を吹きかけてからさとりの口元に近づけた。
「はい、あーん」
「ひゃっ!? あ、あーん!?」
こうしていると、魔理沙のことを思い出す。彼女が子供の頃、よくせがまれたものだ。
その癖が残ってしまっているのか、今でもたまにやってしまうが……強く拒否されてしまう。寂しいものだ。
「そ、それ多分恥ずかしがってるだけよ!」
「まぁ、そうだろうね。子供扱いされるのが許せないんだ、きっと」
「そういう意味じゃないと思うわ……」
ならばどういう意味だろうか――と思ったが、それを考える前に彼女にお粥を食べさせなければ。
「ほら、あーん」
「あ、あーん……」
顔を真っ赤にして口を開けるさとり。別に『あーん』を返す必要はないのだが。
「……!? そ、そうよね! あ、あはは!」
「ほら、いいから食べて」
笑うさとりの口にレンゲを突っ込んだ。
「むぐっ!? ……うん、おいしい。意外と料理上手なのよね、あの子」
「ほう……」
幸せそうに咀嚼するさとりを見て、なんとなく僕も食べたくなった。そういえば、今日は朝から何も食べていない。食べなくても死にはしないのだが。
「えっ!? あ、じゃあそれを食べてもいいわよ……あれ」
許可をもらったので、レンゲでお粥を掬って口に入れた。ふむ、美味い。今日は美味いものをよく食べられる日だ。
「………………ああああああああ! まって、まって!! いいいいい、今! 私のレンゲ使った!?」
「あ、しまった。すまない。つい」
うっかりしていた。ふむ、さきほども気にしていたし、一度水で洗ってきた方がいいかもしれない。
「え、あ……えーと……」
「ん?」
赤い顔で目をきょろきょろさせているさとりだったが、すぐに意を決したような表情になった。変わらず赤いが。
「そ、そんなに赤い……? い、いえそれよりも。別にいいわよ、洗ってこなくても! ……もう間接キスしちゃったし」
「そうかい? 君が気にしないなら」
最後の方がよく聞こえなかったが、彼女がいいというならそれでいいだろう。再び、お粥を掬って彼女の口元へと運んで食べさせた。全部食べ終わるまで、彼女の顔は赤いままだった。
※
「じゃあ、僕はそろそろ失礼するよ」
「えぇ、色々とごめんなさい。そしてありがとう」
見送る、という彼女の言葉を断って僕は帰り支度を終えた。まだ本調子じゃない彼女に無理をさせるわけにもいかない。
「お姉ちゃんの看病は任せてね、まぁもう必要じゃないんだろうけど」
「……貴方、やっぱ色々分かっててやったわね?」
にこやかに笑うこいしをジト目で見るさとり。何の話だろう。
「そういえば、お燐は?」
「………………」
「………………」
僕の問いに、二人は目を逸らして無言になった。彼女は果たして生きているのだろうか。
少し話しただけだが、悪い子ではなかった。少し悪戯っ子だっただけだ。だが、もう会えないのだな……。
「いやいや冗談よ、生きてるわ。一応」
「一応!?」
さとりの言葉を聞いて思わず叫んだ。だが、それ以上は聞かないことにした。藪をつついて蛇を出す趣味はない。
「あぁそうだ。空に送らせるわ。それだけなら多分大丈夫でしょう。帰ってきたらお仕置きだけど」
恐ろしいことを言いつつ、さとりは地面に何か絵を描いて遊んでいる空を見つめた。目には殺意が宿っている。
「……悪気はなかったんだろうし、勘弁してあげてくれ」
苦笑しながらさとりを宥める。どうでもいいが、未だに空が全裸なのには誰も突っ込まないのだろうか。まぁいいか、と呟いて僕は扉に手をかけた。
「あ、あの! 霖之助さん!」
「ん?」
大きな声で呼び止められ、僕は振り向いた。さとりは顔を赤くして、自分の服をぎゅっと掴んでいる。
「ま、また地霊殿に遊びに来てくれるかしら?」
「ふむ、すまないが断る」
僕の返答を聞いて、さとりが物凄い傷ついたような表情になった。こいしはこちらを凄い目で睨んでいる。なぜか空まで。……しまった、言葉が足りなかったな。
「えっ?」
「一人でここに来るのは大変だから、自分から来るのは断る、という意味だ。また僕の店に来るときがあったら――そのとき、案内してもらえるかな」
「………えぇ!」
力強く頷くさとり。その顔は、相変わらず真っ赤だったが――心の底から嬉しそうな笑顔だった。
一瞬、その笑顔に見惚れてしまったので――僕の滞在は、もう少し伸びることになった。(完)
さとり様の初々しい可愛さ堪能させて頂きました。
面白かったですよ!さとりかわいい!
貴様…俺の密かなジャスティスを何故知ってる!?
ご馳走様でした。おかわりを正座しながら要求します。一ヶ月以内に。
そうしないと正座で足が逝かれちまう…
さとりの可愛さがよく出てる。
さとりが可愛くて生きていくのが楽しい。
さとりん可愛いよ、さとりん。
フラグ建築士1級とフラグブレイカー1級を
金揃えている男
頑張れ魔理沙。もう直接気持ちを伝えるしか残ってる道はないぞ
『えへへ』とか、可愛すぎるでしょう。さとりんテラカワユス。
いよっし! 結婚式の準備じゃ~~~!!!
んで触れてみた結果が上物とくりゃあ高得点を入れざるを得ねぇ。
照れるさとりん可愛いってこった。
……それはともかく、とにかくブレないと思ってた霖之助が、最後にデレた!?
さとりさん凄いですね!
そしてファニーな地底の面子、面白かったです。
ぜひ結婚編まで突き進んで欲しいです
口元がニヤついていたせいで、口から息が抜けるだけの間抜けな音になってしもうた。
さとり「させない! 想起:霖之助「僕は彼女のことを大切な『妹や娘のような存在』だと思っているのだが」」
魔理沙「……うわああああああああん!!」
お燐「あの魔理沙が泣いて逃げて行った!?」
お空「さとり様、いったいどんな恐ろしいスペルカードを……」
初々しいさとりと霖之助さんのやり取りが面白かったですw
霖之助さんの思考弾幕もさすがでしたww
久しく見なかった顔があるのは一読者としてはうれしいな。
場面の繋ぎは少し強引過るかな。
なんだかんだで仲の良い地霊殿面子も良いですね。
霖之助と絡んだときのさとりんはやっぱいいなぁ!!