小鳥も囀る午前7時。世間の者は目覚め働きに行く準備をする頃だろうが
紅魔館とそこに居る住人には事情がいささか異なる。
夕方から続いた夜通しのパーティも朝日の出と共に終わり、ベッドへと直行した後、
意識はようやく夢の入り口を過ぎたところ。
しかも今回の夢はなかなかの逸品である。珍しくティーセットを床に落とすという粗相をした咲夜。
その罰として手を頭の上に組ませスカートの端を口に咥えさせる。御仕置の恐怖にふるふると震える細い睫毛。
おお、なんというシチュエーション。こんなの夢以外では絶対にありえないわよ。これはじっくり堪能しないと。
そして指はいよいよその露になった薄布へとかかり、さあうぇっへっへっへ
ばったーん
「お嬢様!! 冷蔵庫にあった私の杏仁豆腐食べちゃいませんでしたか!?」
「…………ようし。歯を食いしばれ、美鈴。3発はいくぞ」
・
・
・
3分後。すっかり目も覚めてしまい、昔話に出てくるこぶ取りの翁のようにぷくーっと腫れた頬を
涙目ですりすりと撫でる美鈴を前に、この奇妙な状況の説明を求める。くそう、いいとこだったのに。
「んで、あんたの豆腐? なんでそんな物わざわざ私が食べなきゃならないの」
「豆腐じゃないです、杏仁豆腐ですよ。れっきとした中華料理の一つです」
「尚更よ。寝る前にそんな重たそうな物食べるわけないじゃない」
牛乳プリンなら食べたけど。
「いや、重たくはないんですが……。はあ。参ったなあ。今日のスイーツ担当を咲夜さんに
代わって頼まれていたんですが。お出しするものがなくなっちゃいました。
でもおっかしいなあ……こっちの方から微かな匂いの残りがしたんだけど……」
「そんなのが私の部屋に乗り込んできて、近年稀にみる極上の夢を妨害してくれた理由? いい度胸じゃない。
このレミリア・スカーレットに対する敬意がお前にはいささか足りないようね。お仕置きが必要かしら」
「い、いえいえ。そんなことはっ。お嬢様のことは心から敬愛しておりますよ。ホントに」
「ふん、どうだか。大体、冷蔵庫の中身とか私に尋ねる前に、まず咲夜にでも聞けばいいじゃない。そうよ、
そっちの方がよっぽど適任だわ。あの子は今どこにいるのよ?」
「あ、咲夜さんなら昨日一緒に飲んだまま、まだ私の部屋で寝ていますよ。起こすのも可哀想かなって」
「ようし、歯を食いしばれ。もう一発いくぞ」
更に2分後。リスのようにぷくーーっと更に膨れた頬をさする美鈴と自分の前に、物音を聞きつけたのか
眠い目をこすりながらパジャマ姿のフランがやってきた。
「……なによう。こんな朝方にどったんばったん……。あれ。美鈴だ。こんなとこで何してるの……?」
「ほら見なさい。フランまで起こしてしまったじゃない」
「いや、物音を立てたのは主にお嬢様で、私は無抵抗だったのですが……。うう、なんでもありませんって。
申し訳ありません。フランドールお嬢様。お騒がせしてしまって」
「ん……別にいいよ。それより何でお姉様の部屋なんかにいるの?」
「ああ、そうでしたね。実は──」
かくかくしかじか。
「──というわけなんです。ごめんなさい、本当は今日のおやつにお出しする予定だったんですが。
フランドール様には昨日お知らせしていただけに……」
「そうだったんだ。でもいいよ。実はね、寝る前にすっごくおいしいおやつ食べられたから!
冷蔵庫にあったの。ふわふわでとろっとろの牛乳プリン!」
『え』
思わず声が重なる。いや、自分の声は小さかったので聞こえてはいまい。たぶん。
「あの……。フランドール様。たぶん、それです。それが私の作った杏仁豆腐です」
「ええ!? 杏仁豆腐って、あの、四角いコロコロしたのとフルーツが混ざったデザートじゃないの!?」
「昔はそれが主流だったのですが、今回はちょっと趣向を変えて外界で流行っているという
杏仁豆腐の作り方を、外の世界からきたばかりだという守矢の巫女さんに教えてもらったのですよ。せっかくですから
皆さんに食べて貰おうと、いつもおやつ担当の咲夜さんの代わりに作ってみたのですが」
そ、そうだったんだ。流石、食と健康には思わぬ知識と興味を見せるわね。このチャイナ娘。
ていうか。それじゃ何か。私が食べた牛乳プリンだったようなのも、本当は──
と、ふと、フランドールがじわりと涙目になり始めた。
「じゃ、じゃあ私が食べちゃったからみんなの分がなくなっちゃったの……?
ごめんなさい、美鈴。そんなことだとは知らなくって。ごめ、ごめんなさ──」
「あああ、いいんですって。それこそ。お優しいんですね、フランドールお嬢様は」
慌てて、ベソをかく前にと美鈴がふわっと、フランドールを自分の胸に抱え寄せる。
感情の勢いを外に出しそこなったまま、なすがままにされながらフランドールが力なく呟く。
「でも──」
「あはは。言ったじゃないですか。食べてもらうために作ったって。ですからちょっと時間が早まっただけで
何の問題もありませんよ。他の方の分はまた作ればいいんです。それに、私嬉しいんですよ。フランドール様が
『すっごくおいしい』っていってくれましたから。あれはお世辞じゃないんでしょう?」
「あ、当たり前だよ! だってその時は美鈴が作ったなんてことも知らなかったし!
本当に美味しかったんだから!!」
「なればこそ、ですよ。そういって頂けると作り手冥利につきます。それにもう一つ。
フランドール様は、悪いと思ったらちゃんと謝ってくれたじゃないですか。そういうことがきちんとできる
立派な淑女になってくださったこと、それが嬉しいです」
「そ、そんな──」
「ほら、そうやって謙遜もできる。どこに出しても恥ずかしくない淑女(レディ)ですね」
何やら感動的な話になりつつあるフランと美鈴を前に、背中を冷や汗がつたう。
……言えない。逆切れして往復ビンタまでかました自分が、今更「自分も犯人でした」とか言える状況じゃない。
しかも、フランが食べたと思われる後、残り2つあったのを一つだけ食べたらややこしいことになると思い
「最初からそんなものはなかった」というために、もう片方──おそらく咲夜の分──まで食べてしまったとは
もはや口が裂けても言えない。言えないったら言えない。
どうしましょう……。
──────────────────────────────────────────────────
「お嬢様」
「あ、あら、咲夜。どうしたの? 何か用かしら?」
「お嬢様は淑女(レディ)でいらっしゃいますよね」
「!? なな、何をいっておろうのかしら? 私は紅魔館の誇る生粋の淑女よ!?」
「それを聞いて安心いたしました。お嬢様はやはり私がお仕えするに相応しき淑女(レディ)にございます」
「………………」
・
・
・
次の日。私は咲夜の無言の圧力を背に受け、日傘を手に紅魔館を後に空へと旅立った。
【アレ】は全てを知っている者の目と微笑みだった。流石紅魔館の誇る完全で瀟洒なメイド。日常におけるボンクラ度には
定評のある美鈴とまだ幼いフランの目をかいくぐることはできても、彼女の目をごまかすことはできなかった。
まあ──順当に行けば何かしらの形で『詫び』を入れろということなのだろう。日付も変わり今更、犯人が云々いうのは
不毛だと皆が承知している以上、蒸し返したりはせず、違う形で『淑女』の振る舞いを見せろと。中々に難しい注文を
つけてくれる。だが、ある意味執行猶予のようなものだ。否応もない。
むしろいいわよ。そんならそれで立派に淑女っぷりを見せ付けてやろうじゃないの……!
普通に考えるなら、代わりのスイーツを探し出して振舞ってやるのがベストだろうか。
とはいえ、来るもの余り拒まず(変なのは正門で振るい落ちるので)の紅魔館とは違い、こちらから出向くとなると
それほどアテになる知り合いが多いわけでもない。
まあ、何事も物は試し。女は度胸。まずはその少ない知り合いのところからあたってみることにしよう。
案外あっさりと解決するかもしれないしねー。
──────────────────────────────────────────────────
「霊夢ー? いるんでしょー? 何か甘いものちょうだい!
戸棚の栗羊羹とか神棚に隠してある特製甘納豆とかでも、何でもいいからさー。この際、洋風和風は問わないわ!」
「……レミリア・スカーレット。貴様、何の賽銭も持たずに乗り込んできたばかりか、あろうことか
この私のなけなしの糖分・養分まで盗っていこうというか。その所業、神前においても断じて許しがたし。
腹を切れ。介錯してとらす」
「ちょ──!? なんで『ゆらあ』みたいな擬音つけてこっち寄ってくるのよ!?
それに御払い棒はそういう用途に使うものじゃないわ! 落ち着いて!!
やめ、アッ────!?」
残機 ★☆
──────────────────────────────────────────────────
・
・
・
「うう、酷い目に遭ったわ……」
大きなたんこぶのできた頭をさすりさすり、再び上空へと舞い戻る。
『次に同じことをやったら命はないものと思え』といった巫女の言葉はあながち嘘ではなかろう。食物を
あの紅白の巫女に強請るのは、よく考えれば危険極まりない事であった。
……さて。とはいえ、これでほとんど頼みの綱が切れてしまった。人里に買いにいき、普通の人間の客に並んで
買い物をするのは気が引ける。第一、買い物はほとんど咲夜任せにしているので、どこに何があるかすら
わからない。下手したらとんでもない所に入り込む可能性だってある。それが元で変な噂でも立とうものなら
薮蛇どころの騒ぎではなくなってしまう。
……となると。自分が他に知っている『店』は一つしかない。店と呼ぶかも怪しい所だが。
だが、他に選択肢もない。それに咲夜のほかにも霊夢、魔理沙といった面子もよく利用している所というし
悩んでいるよりは行ってみたほうがいいだろう。
・
・
・
「やあ、…………これは。いらっしゃい」
「……何よ。その『また変な厄介そうなのがきた』みたいな顔は。私はれっきとした客よ。
客商売をする者の態度としては失格ね。ああ、気に入ったものがあれば代金は後で館の者に届けさせるから
心配しなくていいわ」
「それは失礼をした。何分、これが地なものでね。それにこの幻想郷は愉快に店を荒らしまくった挙句
何も払わずに退散する連中が多すぎる。きちんと買って行ってくれるのであれば歓迎するよ」
訪れたのは魔法の森の一角。香霖堂と名乗る一件の古道具屋。眼鏡をかけた地味な店主は
最初こそ無礼な態度を取ったが、一応は話を聞く気になったらしい。
「それで今日は何をお探しかな」
「スイーツを」
店主は眼鏡を外すと、柔布でその表面を磨いてかけ直した後、もう一度問いかけてきた。
「すまない。それで今日は何をお探しかな」
「耳が遠いのかしら? スイーツよ」
無駄に年を経て老朽化したらしい器官に、親切にもう一度同じ音を吹き込んでやると、どうやら聞き間違えでは
ないらしいと判断した店主はゆっくりと壁の棚や辺りを見回した。
そこにあるのは主に怪しげなガラクタと金属と焼き物、強いて挙げても日常生活用品紛いの類。
「ないかしら」
「ないねえ」
使えない店主だ。そこは『そんなこともあろうかと思って今朝作っておいたんだ』とバニラパフェと保冷剤を
そっと出してくるのが一流の店主だろうに。咲夜なら3秒でやるぞ。だから寂れてるんだ、この店。
「一つぐらいないの? いくらなんでも皆無ということはないでしょう」
「生憎、ナマ物は置いておくのが難しいものでね。茶請けの煎餅ぐらいならないこともないが」
煎餅をスイーツというのには流石に無理があるだろう。
「本当に使えないわね……ウチの門番といい勝負よ」
「相当理不尽な事を言われている気がするが……まあいいよ。買って行こうとしてくれるだけマシだ。
そういや、この前も君と同じようなことを聞いた挙句、最初に煎餅を出したら『女の子にとってのスイーツを
何だと思ってるんですか!? これだから幻想郷は外の常識が通用しない…!』とか散々説教するだけして
帰っていった子がいたよ」
「ほう?」
ただの愚痴に聞こえた店主の言葉にピンとひらめく物がある。
「『外の』と言ったわね。もしかしてそれは、守矢の巫女とやらかしら?」
「ああ、ご明察さ。最初は君と同じくスイーツというのを買いに来たのだがね。ウチにそういうもの自体がないと
わかると、材料でもいいからと勝手に漁っていったよ。巫女っていうのは何でどこも傍若無人なんだろうね」
「それこそ私の知った事ではないわ。それで材料はあるの? この店」
「あるわけないよ。もっとも、彼女自体は自分で作れる腕はあるとのことだったからね。どうしても作りたかったら
人里か何かで材料を仕入れればいいんじゃないかと忠告したら、考えながら去っていったさ」
この店が更に使えないことは明らかになったが、有力な情報はGETできた。
守矢の巫女──東風谷早苗といったか。そういえば、美鈴もあの新作杏仁豆腐を作った際「守矢の巫女に教えて
貰った」といってたし、ヤツが自作でスイーツを作れるというのも嘘ではないだろう。しかも最先端の技術で。
「…………邪魔したわね。そろそろ、これで失礼するわ」
「何のお構いもできず、申し訳ないね」
「いいえ、それなりに有用な『情報』は買えたわ。お代は──そうね。私達、紅魔館の夜のパーティにご招待というのは
いかがかしら? 勿論、ウチのメイド長が作った逸品のスイーツ付きで」
「スイーツはもうお腹一杯だけどね。でも嬉しい申し出だ。『機会があったら』考えさせてもらうよ」
紳士淑女の社交辞令。こっちとしては本当になってもどうなっても構わないが──おそらくこの眼鏡は自分の家で煎餅を
横に緑茶を飲みながら本でも読んでいるほうが落ち着くのだろう。何だ。ウチにも一人いるじゃないか。そういうのが。
後ろに閉まるドアの音を聞きながら、ふとおかしくなって笑みがこぼれた。
・
・
・
妖怪の山。守矢神社。夕方に差し掛かろうという刻限、赤い鳥居をくぐった先の境内には
丁度よく、箒で庭を掃き清める風祝の姿があった。
緑の髪に白と青を基調とした巫女服──東風谷早苗その人である。
「あら……? 珍しいお客様ですね。ようこそレミリアさん。参拝ですか」
「いいえ、どちらかというと貴女に用があってね。少しお話、よろしいかしら」
「はあ、物騒な事でなければ構いませんが……。今日はお一人なんですね。咲夜さんはご一緒ではないのですか?」
「別にいつも年中一緒というわけではないわ。ま、そういう時もあるということよ」
まさかに無言の脅迫を受けて放り出されたとはいえない。
「それでご用件とは何でしょうか」
「いや、そのね。ウチの美鈴達から聞いたのだけれど。あなた、その、何でもスイーツを作るのが上手とか──」
瞬間。それまで営業用の微笑だったのが、その言葉を聞くなり、ぱああっと満面の笑顔に変わる。まさに、隠れた
同好の士を見つけた時のような。頭の片隅でWARNING、WARNINGと警報が鳴る。
やばい、何かこの子、スイッチ入っちゃった……!?
「おわかりですか!レミリアさん! そうですよね!女の子はやっぱりスイーツですよね!」
「ええ、うん、そうよね。それで──」
「ああ、紅魔館の人達ならわかってくれると思ってました……! 幻想郷の人たちはどうしても
和菓子の方向に流れ勝ちで、人里にもなかなかそういうお店はなかったんです……!!」
既に頭からは境内の掃除のことは消えうせ、思うまま、スイーツへの情熱を語り始める緑巫女。
ああ、なんかデジャヴ。咲夜が前にこんな風になったことがあるわ。何か可愛い物を見つけたときだったと思うけど
どんな時だったっけ……。
「──それでですね! 香霖堂の店主なんか、スイーツ頼んだら煎餅出してきたんですよ! 信じられますか!?」
うん知ってる。さっき薦められたからね。
──────────────────────────────────────────────────
「……なるほど。事情は納得しました。こっそり、紅魔館で働く人たちのためにスイーツを振舞いたい、と」
「そうそう。そういうことなのよ。それであなたの腕を借りたいのだけれど」
上手く微妙な部分ははぐらかして目的を伝える。
「わかりました。及ばずながら東風谷早苗、お力になりましょう。この神社には、あれから材料もふんだんに
取り揃えてありますし。ただし──、一つ条件があります。レミリアさん、あなたも一緒に作るんです」
「ええっ!?」
「皆さんの労をねぎらう、というのであれば、やはり当主手づからというのが一番効果的なのではありませんか?」
「そ、それはそうかもしれないけどね、私はそんなことやったこともないし」
「だーいじょうぶですって! ここは私にどーんとお任せください! こう見えても昔から料理には
自信があるんです! 大船に乗ったつもりでいてください!」
「ええ……。じゃあ、御願いしようかしらね……」
天真爛漫の朗らかな笑顔で胸を叩いて見せる早苗。
なんだこの調子に乗ったときの美鈴のような感じ。もしかして地の部分は似た者同士なのか。
違うのはいつもウチの美鈴は馬鹿と失敗しかしないから最初から鉄拳を入れられるのに対し、あくまで今回は
人様の子、しかもこちらから頼む立場である以上手荒なこともできず、流れに任せるしかない。やり辛いわ……。
思えば、この時、右から左へ聞き流していた発言をもう少しだけ注意して聞いてれば良かったとも思う。
後の祭りなわけだけれど。
・
・
・
「それで、レミリアさん。スイーツといえば何を連想しますか?」
「えーっと……食べてて幸せになる、かしらね」
「ええ。その通りです。疲れた自分へのご褒美……癒しの一時。そんな時に甘いものが身体に染み込む……。
それは何にもまして至高。至福の時間といえるでしょう」
「はあ。まあ、そんな感じで何か適当なものを頼みたいんだけど。あま~い物を──」
「と、いうのが世間一般の常識です」
「へ?」
思わぬ発言に目が点になる。一体何言い出すの、この子?
そして──そんな二人の様子を遠い陰からうかがう、ニ柱の姿があった。
「また始まったよ。早苗の病気が。あの子、熱中しすぎるといつも一周して別の所にすっ飛ぶんだ」
「本人は真剣かつこれ以上なく本気なのにね」
・
・
・
「あの、ちょっと東風谷……さん? あなた一体、何を──」
「そもそも、スイーツとは何か。確かに甘いものを食べる事での幸せは天上の心地でしょう。
しかし、その後に待っているのは落差のある現実です。それを誤魔化すためにまたスイーツを食べる。
それでは違うのです! スイーツというのは食べてていて、なんていうか救われなきゃあいけないんです。
静かで、豊かで……。断じて、その場凌ぎの代用品であってはいけない! そうは思いませんか!?」
「うーん、まあ、言わんとすることはわからないでもないけど……。あれ……?」
「私は、館の方達を思うレミリアさんの心意気に打たれ、今新しい境地に辿りつきました!
そもそも──その発想の根底をひっくり返してみたらどうでしょう! 甘いものを取って幸せになるのではなく、
スイーツによって、普段の生活を甘いものに感じる事ができたなら──そう、別にスイーツは甘くなくとも構わない!!
つまり、今の私たちはスイーツ=甘いものという常識に囚われているのですよ!!」
「な、なんだって──!?」
まさに晴天の霹靂。目から鱗。流石『常識とは投げ捨てる物』を座右の銘にする緑巫女。
そんな考え方があったとは。
・
・
・
「……ねえねえ、神奈子。スイーツって『Sweet(甘い)』からの派生だよね?」
「ばっか、余計なこと言わなくていいの。こっちにまでとばっちりが回ってきたらどうすんのさ。
あたしゃヤダよ。あの無双モードの早苗止めるの」
・
・
・
「さあ! そうと決まったら早速用意です!何かご希望はありますか!?」
「そうねえ……最初に振舞うのは美鈴にしようかと思っているのだけれど。まずは一人目ということで」
「でしたら中華風がいいですね! じゃあアレにしましょう! 丁度この前とピッタリですし!
レミリアさんは──そうですね、でしたら最初はこちらの小ボウルの中身を水で溶いていて貰えますか?
かき混ぜるだけでいいですので」
……………………………。
「……はいはい。わかったわよ。よろしくご指導頼むわね」
「ええ、頑張りましょう! 美鈴さんが喜ぶような美味しいものを作りましょうね!!」
ふーんふふーん、と上機嫌で、流石に料理は得意と自分で言うだけの事はあるのか手馴れた様子で手早く
材料をカットしていく早苗を横目に、渡されたボウルの中の粉末を溶いてかき混ぜる。
事の起こりから考えれば、どうしてこうなった、と思わなくもないのだが────
……まあ。今、ちょっとだけ。運命の片鱗が見えた。
だから、もう少しはこの奇妙な展開にも乗ってやろうと思う。
当の早苗はどこまで自分で気付いているか怪しい所ではあるが──確かに。
ある意味、これは素晴らしいスイーツになりそうな感じがするのだ。
少し癪ではあるのだけれど。
──────────────────────────────────────────────────
・
・
・
所変わって──日も暮れた紅魔館。夜が支配する魔族の時間。吸血鬼の時間。
日中の仕事を終えた咲夜や美鈴、そしてフランを迎え、つい先程持って帰って来た
守矢神社の御土産を披露する晩餐を催すことになった。勿論、咲夜の暗黙の注文どおり、犯人を名乗らぬ代わりに
最後まで淑女ッぷりを貫き通すことには変わりはない。
「お仕事ご苦労様。咲夜、それに美鈴」
「ふたりともお疲れー!」
「恐縮ですわ。直々に労いのお言葉を頂けるなんて」
「あはは、ホントに……。それにいつもはお呼ばれしない私までこんなとこきちゃって、何か更に畏れ多いというか…」
「心配する事はないわ。美鈴。貴女も呼んだのはこの前のお詫びも兼ねてのことだから。
随分と強く引っ叩いてしまったし。痛かったでしょう?」
「へ? ああいえ、あんなのどうってことありませんって! もう忘れちゃってましたよ! あははは!!」
「私はそういうわけにもいかないわ。ということで、守矢神社の巫女の所でスイーツの作り方を教わってきたの。
私も一緒に作ったのよ。これはあなたの分。是非、食べてもらえると嬉しいわ」
そう言って、用意していた『スイーツ』の容器をテーブルの上に置く。御土産としてもちょっとした物だろうと
思っていたらしい面々から、おおお、と声があがる。まさか自分がこんな物を作ってくるとは思わなかったらしい。
「味の方はあの守矢の巫女が担当してるから、問題ないわよ。私も作りながら少し食べたけど、美味しいと思うわ。
なんでもこの前の『杏仁豆腐』をヒントにしたといっていたけど。どうかしら?」
「ほ、ほんとにいいんですか、お嬢様!? 結構量ありそうですけど、これ全部食べても!?」
「ええ、他の皆には違うものも用意しているし。おあがりなさい」
「くうっ、お嬢様の淑女っぷりがまぶしすぎる……!! あんな粗相をした私にも、こんな寛容に接してくださるとは!
ありがとうございます、お嬢様!! それじゃ失礼して、お先にいっただきまーす!」
パカッ
「わあ! これは本当に美味しそうな…………麻婆………豆腐…………」
「温め直したのでアツアツよ。冷めないうちに召し上がれ」
はい、と手渡したレンゲをどうすることもできず、そのまま麻婆豆腐を掬う美鈴。
「こ、これの味付けをしたのは早苗さんなんですよね? あの人、意外に料理は本格的に作るから……
やっぱり辛────ッッ!! 本場の味並に辛──ッ!!」
「はい、他の皆には御土産で貰った早苗御手製のショートケーキ。甘くて美味しいわよ」
「うわー! ありがとうお姉様!」
「わ、私の分は!? 甘いケェキは!?」
「ないわよ。それがあなたのスイーツだって言ってるじゃない。嘘だと思うなら早苗からの手紙もあるわよ。はい」
「そんなわけがあるか……って本当だー!? 『美鈴さんのために全力で美味しいスイーツを作りました! b(グッ)』
ってどういうことー!?」
「さあ。聞こえた話によると、あの子、熱中すると思考が一周するって言ってたけど」
「一周どころか二周半ぐらい吹っ飛んでますよ!? さ、早苗さーん!?」
うん。まあ正直あの子の思考の全部は私も理解するのは諦めたんだけれど。まあそれでもこれが
彼女公認の『スイーツ』であることは間違いない。味も悪くはないんだから。ということで。
「さ、さてはお嬢様、まだあの時のこと恨みに思ってますね!? 眠りばな起こしちゃった事とか、いい夢見てたのに
この野郎とか──」
「まだまだあるから全部食べてね?(にっこり)」
「はい…………」
──────────────────────────────────────────────────
1時間後。誰もいなくなった食堂に一人、テーブルに突っ伏す美鈴の姿があった。
パワハラだ……。と思わなくもないが、あの気位の高いお嬢様が無理に淑女を装って徒労の旅をしてきたのだから
このぐらいの八つ当たりは予想の範疇といったところでもある。むしろそのぐらいで済んで御の字というべきか。
流石に、助力を頼むかもと思ってはいた早苗の暴走具合に関しては、予想の遙か斜め上だったが。
そんな未だヒリヒリする唇を宥めていた所、不意に一人の影が音もなく横に立った。
「大変だったわね」
「咲夜さん」
ちょっと困ったような笑顔でこっちを労わるメイド長に、なんとか笑みを返す。
「お嬢様のワガママにつきあってくれてありがとう。今回は私がけしかけた部分もあるし、ごめんなさい」
「いやいや、そんなこともないですよ。これはこれで結構楽しいですし」
結局の所──これなのだ。やりたい放題されている割には──どこか憎めない。あのお嬢様にはそういう所がある。
振り回されているのを楽しんでいるフシが憚りながら自分でもある。それは、そこに籠められているのが
全くの悪意ではないからだろう。上手くは言えないが……それも一種の人徳とでもいうのだろうか。
本人が聞いたら鼻で笑い飛ばしそうだけれど。
「あなたがそういうのなら、それはそれでいいけれど。無理はしないようにね」
「大丈夫ですよー。私は頑丈なのがとりえなんですから。今日寝ちゃえば、明日には直ってますよ──むぐっ!?」
「大したものじゃないけど、はいこれ。少しは楽になるかもしれないわ」
そっと。
細い人差し指が唇から離れる。その後でじわりと広がってくるイチゴミルクの甘い味。これはキャンディ……だろうか。
咲夜さんの指が自分の唇に触れていた……という事実とその甘さに、それまでの辛さによる疼きが上書きされるように
うっすらと消えていく。
「今日は御疲れ様。美鈴」
そういうと、いつものように咲夜さんは来た時と同じ様に姿を消した。
誰も居ない静寂が食堂に満ちる。
先程と同じように、一人、ただ口に残るほのかな甘い味を感じながら、美鈴はぽつりと呟いた。
「……たはは。参ったなあ。最後の最後で、極上のスイーツが待ってましたよ」
紅魔館とそこに居る住人には事情がいささか異なる。
夕方から続いた夜通しのパーティも朝日の出と共に終わり、ベッドへと直行した後、
意識はようやく夢の入り口を過ぎたところ。
しかも今回の夢はなかなかの逸品である。珍しくティーセットを床に落とすという粗相をした咲夜。
その罰として手を頭の上に組ませスカートの端を口に咥えさせる。御仕置の恐怖にふるふると震える細い睫毛。
おお、なんというシチュエーション。こんなの夢以外では絶対にありえないわよ。これはじっくり堪能しないと。
そして指はいよいよその露になった薄布へとかかり、さあうぇっへっへっへ
ばったーん
「お嬢様!! 冷蔵庫にあった私の杏仁豆腐食べちゃいませんでしたか!?」
「…………ようし。歯を食いしばれ、美鈴。3発はいくぞ」
・
・
・
3分後。すっかり目も覚めてしまい、昔話に出てくるこぶ取りの翁のようにぷくーっと腫れた頬を
涙目ですりすりと撫でる美鈴を前に、この奇妙な状況の説明を求める。くそう、いいとこだったのに。
「んで、あんたの豆腐? なんでそんな物わざわざ私が食べなきゃならないの」
「豆腐じゃないです、杏仁豆腐ですよ。れっきとした中華料理の一つです」
「尚更よ。寝る前にそんな重たそうな物食べるわけないじゃない」
牛乳プリンなら食べたけど。
「いや、重たくはないんですが……。はあ。参ったなあ。今日のスイーツ担当を咲夜さんに
代わって頼まれていたんですが。お出しするものがなくなっちゃいました。
でもおっかしいなあ……こっちの方から微かな匂いの残りがしたんだけど……」
「そんなのが私の部屋に乗り込んできて、近年稀にみる極上の夢を妨害してくれた理由? いい度胸じゃない。
このレミリア・スカーレットに対する敬意がお前にはいささか足りないようね。お仕置きが必要かしら」
「い、いえいえ。そんなことはっ。お嬢様のことは心から敬愛しておりますよ。ホントに」
「ふん、どうだか。大体、冷蔵庫の中身とか私に尋ねる前に、まず咲夜にでも聞けばいいじゃない。そうよ、
そっちの方がよっぽど適任だわ。あの子は今どこにいるのよ?」
「あ、咲夜さんなら昨日一緒に飲んだまま、まだ私の部屋で寝ていますよ。起こすのも可哀想かなって」
「ようし、歯を食いしばれ。もう一発いくぞ」
更に2分後。リスのようにぷくーーっと更に膨れた頬をさする美鈴と自分の前に、物音を聞きつけたのか
眠い目をこすりながらパジャマ姿のフランがやってきた。
「……なによう。こんな朝方にどったんばったん……。あれ。美鈴だ。こんなとこで何してるの……?」
「ほら見なさい。フランまで起こしてしまったじゃない」
「いや、物音を立てたのは主にお嬢様で、私は無抵抗だったのですが……。うう、なんでもありませんって。
申し訳ありません。フランドールお嬢様。お騒がせしてしまって」
「ん……別にいいよ。それより何でお姉様の部屋なんかにいるの?」
「ああ、そうでしたね。実は──」
かくかくしかじか。
「──というわけなんです。ごめんなさい、本当は今日のおやつにお出しする予定だったんですが。
フランドール様には昨日お知らせしていただけに……」
「そうだったんだ。でもいいよ。実はね、寝る前にすっごくおいしいおやつ食べられたから!
冷蔵庫にあったの。ふわふわでとろっとろの牛乳プリン!」
『え』
思わず声が重なる。いや、自分の声は小さかったので聞こえてはいまい。たぶん。
「あの……。フランドール様。たぶん、それです。それが私の作った杏仁豆腐です」
「ええ!? 杏仁豆腐って、あの、四角いコロコロしたのとフルーツが混ざったデザートじゃないの!?」
「昔はそれが主流だったのですが、今回はちょっと趣向を変えて外界で流行っているという
杏仁豆腐の作り方を、外の世界からきたばかりだという守矢の巫女さんに教えてもらったのですよ。せっかくですから
皆さんに食べて貰おうと、いつもおやつ担当の咲夜さんの代わりに作ってみたのですが」
そ、そうだったんだ。流石、食と健康には思わぬ知識と興味を見せるわね。このチャイナ娘。
ていうか。それじゃ何か。私が食べた牛乳プリンだったようなのも、本当は──
と、ふと、フランドールがじわりと涙目になり始めた。
「じゃ、じゃあ私が食べちゃったからみんなの分がなくなっちゃったの……?
ごめんなさい、美鈴。そんなことだとは知らなくって。ごめ、ごめんなさ──」
「あああ、いいんですって。それこそ。お優しいんですね、フランドールお嬢様は」
慌てて、ベソをかく前にと美鈴がふわっと、フランドールを自分の胸に抱え寄せる。
感情の勢いを外に出しそこなったまま、なすがままにされながらフランドールが力なく呟く。
「でも──」
「あはは。言ったじゃないですか。食べてもらうために作ったって。ですからちょっと時間が早まっただけで
何の問題もありませんよ。他の方の分はまた作ればいいんです。それに、私嬉しいんですよ。フランドール様が
『すっごくおいしい』っていってくれましたから。あれはお世辞じゃないんでしょう?」
「あ、当たり前だよ! だってその時は美鈴が作ったなんてことも知らなかったし!
本当に美味しかったんだから!!」
「なればこそ、ですよ。そういって頂けると作り手冥利につきます。それにもう一つ。
フランドール様は、悪いと思ったらちゃんと謝ってくれたじゃないですか。そういうことがきちんとできる
立派な淑女になってくださったこと、それが嬉しいです」
「そ、そんな──」
「ほら、そうやって謙遜もできる。どこに出しても恥ずかしくない淑女(レディ)ですね」
何やら感動的な話になりつつあるフランと美鈴を前に、背中を冷や汗がつたう。
……言えない。逆切れして往復ビンタまでかました自分が、今更「自分も犯人でした」とか言える状況じゃない。
しかも、フランが食べたと思われる後、残り2つあったのを一つだけ食べたらややこしいことになると思い
「最初からそんなものはなかった」というために、もう片方──おそらく咲夜の分──まで食べてしまったとは
もはや口が裂けても言えない。言えないったら言えない。
どうしましょう……。
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「お嬢様」
「あ、あら、咲夜。どうしたの? 何か用かしら?」
「お嬢様は淑女(レディ)でいらっしゃいますよね」
「!? なな、何をいっておろうのかしら? 私は紅魔館の誇る生粋の淑女よ!?」
「それを聞いて安心いたしました。お嬢様はやはり私がお仕えするに相応しき淑女(レディ)にございます」
「………………」
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次の日。私は咲夜の無言の圧力を背に受け、日傘を手に紅魔館を後に空へと旅立った。
【アレ】は全てを知っている者の目と微笑みだった。流石紅魔館の誇る完全で瀟洒なメイド。日常におけるボンクラ度には
定評のある美鈴とまだ幼いフランの目をかいくぐることはできても、彼女の目をごまかすことはできなかった。
まあ──順当に行けば何かしらの形で『詫び』を入れろということなのだろう。日付も変わり今更、犯人が云々いうのは
不毛だと皆が承知している以上、蒸し返したりはせず、違う形で『淑女』の振る舞いを見せろと。中々に難しい注文を
つけてくれる。だが、ある意味執行猶予のようなものだ。否応もない。
むしろいいわよ。そんならそれで立派に淑女っぷりを見せ付けてやろうじゃないの……!
普通に考えるなら、代わりのスイーツを探し出して振舞ってやるのがベストだろうか。
とはいえ、来るもの余り拒まず(変なのは正門で振るい落ちるので)の紅魔館とは違い、こちらから出向くとなると
それほどアテになる知り合いが多いわけでもない。
まあ、何事も物は試し。女は度胸。まずはその少ない知り合いのところからあたってみることにしよう。
案外あっさりと解決するかもしれないしねー。
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「霊夢ー? いるんでしょー? 何か甘いものちょうだい!
戸棚の栗羊羹とか神棚に隠してある特製甘納豆とかでも、何でもいいからさー。この際、洋風和風は問わないわ!」
「……レミリア・スカーレット。貴様、何の賽銭も持たずに乗り込んできたばかりか、あろうことか
この私のなけなしの糖分・養分まで盗っていこうというか。その所業、神前においても断じて許しがたし。
腹を切れ。介錯してとらす」
「ちょ──!? なんで『ゆらあ』みたいな擬音つけてこっち寄ってくるのよ!?
それに御払い棒はそういう用途に使うものじゃないわ! 落ち着いて!!
やめ、アッ────!?」
残機 ★☆
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「うう、酷い目に遭ったわ……」
大きなたんこぶのできた頭をさすりさすり、再び上空へと舞い戻る。
『次に同じことをやったら命はないものと思え』といった巫女の言葉はあながち嘘ではなかろう。食物を
あの紅白の巫女に強請るのは、よく考えれば危険極まりない事であった。
……さて。とはいえ、これでほとんど頼みの綱が切れてしまった。人里に買いにいき、普通の人間の客に並んで
買い物をするのは気が引ける。第一、買い物はほとんど咲夜任せにしているので、どこに何があるかすら
わからない。下手したらとんでもない所に入り込む可能性だってある。それが元で変な噂でも立とうものなら
薮蛇どころの騒ぎではなくなってしまう。
……となると。自分が他に知っている『店』は一つしかない。店と呼ぶかも怪しい所だが。
だが、他に選択肢もない。それに咲夜のほかにも霊夢、魔理沙といった面子もよく利用している所というし
悩んでいるよりは行ってみたほうがいいだろう。
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「やあ、…………これは。いらっしゃい」
「……何よ。その『また変な厄介そうなのがきた』みたいな顔は。私はれっきとした客よ。
客商売をする者の態度としては失格ね。ああ、気に入ったものがあれば代金は後で館の者に届けさせるから
心配しなくていいわ」
「それは失礼をした。何分、これが地なものでね。それにこの幻想郷は愉快に店を荒らしまくった挙句
何も払わずに退散する連中が多すぎる。きちんと買って行ってくれるのであれば歓迎するよ」
訪れたのは魔法の森の一角。香霖堂と名乗る一件の古道具屋。眼鏡をかけた地味な店主は
最初こそ無礼な態度を取ったが、一応は話を聞く気になったらしい。
「それで今日は何をお探しかな」
「スイーツを」
店主は眼鏡を外すと、柔布でその表面を磨いてかけ直した後、もう一度問いかけてきた。
「すまない。それで今日は何をお探しかな」
「耳が遠いのかしら? スイーツよ」
無駄に年を経て老朽化したらしい器官に、親切にもう一度同じ音を吹き込んでやると、どうやら聞き間違えでは
ないらしいと判断した店主はゆっくりと壁の棚や辺りを見回した。
そこにあるのは主に怪しげなガラクタと金属と焼き物、強いて挙げても日常生活用品紛いの類。
「ないかしら」
「ないねえ」
使えない店主だ。そこは『そんなこともあろうかと思って今朝作っておいたんだ』とバニラパフェと保冷剤を
そっと出してくるのが一流の店主だろうに。咲夜なら3秒でやるぞ。だから寂れてるんだ、この店。
「一つぐらいないの? いくらなんでも皆無ということはないでしょう」
「生憎、ナマ物は置いておくのが難しいものでね。茶請けの煎餅ぐらいならないこともないが」
煎餅をスイーツというのには流石に無理があるだろう。
「本当に使えないわね……ウチの門番といい勝負よ」
「相当理不尽な事を言われている気がするが……まあいいよ。買って行こうとしてくれるだけマシだ。
そういや、この前も君と同じようなことを聞いた挙句、最初に煎餅を出したら『女の子にとってのスイーツを
何だと思ってるんですか!? これだから幻想郷は外の常識が通用しない…!』とか散々説教するだけして
帰っていった子がいたよ」
「ほう?」
ただの愚痴に聞こえた店主の言葉にピンとひらめく物がある。
「『外の』と言ったわね。もしかしてそれは、守矢の巫女とやらかしら?」
「ああ、ご明察さ。最初は君と同じくスイーツというのを買いに来たのだがね。ウチにそういうもの自体がないと
わかると、材料でもいいからと勝手に漁っていったよ。巫女っていうのは何でどこも傍若無人なんだろうね」
「それこそ私の知った事ではないわ。それで材料はあるの? この店」
「あるわけないよ。もっとも、彼女自体は自分で作れる腕はあるとのことだったからね。どうしても作りたかったら
人里か何かで材料を仕入れればいいんじゃないかと忠告したら、考えながら去っていったさ」
この店が更に使えないことは明らかになったが、有力な情報はGETできた。
守矢の巫女──東風谷早苗といったか。そういえば、美鈴もあの新作杏仁豆腐を作った際「守矢の巫女に教えて
貰った」といってたし、ヤツが自作でスイーツを作れるというのも嘘ではないだろう。しかも最先端の技術で。
「…………邪魔したわね。そろそろ、これで失礼するわ」
「何のお構いもできず、申し訳ないね」
「いいえ、それなりに有用な『情報』は買えたわ。お代は──そうね。私達、紅魔館の夜のパーティにご招待というのは
いかがかしら? 勿論、ウチのメイド長が作った逸品のスイーツ付きで」
「スイーツはもうお腹一杯だけどね。でも嬉しい申し出だ。『機会があったら』考えさせてもらうよ」
紳士淑女の社交辞令。こっちとしては本当になってもどうなっても構わないが──おそらくこの眼鏡は自分の家で煎餅を
横に緑茶を飲みながら本でも読んでいるほうが落ち着くのだろう。何だ。ウチにも一人いるじゃないか。そういうのが。
後ろに閉まるドアの音を聞きながら、ふとおかしくなって笑みがこぼれた。
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妖怪の山。守矢神社。夕方に差し掛かろうという刻限、赤い鳥居をくぐった先の境内には
丁度よく、箒で庭を掃き清める風祝の姿があった。
緑の髪に白と青を基調とした巫女服──東風谷早苗その人である。
「あら……? 珍しいお客様ですね。ようこそレミリアさん。参拝ですか」
「いいえ、どちらかというと貴女に用があってね。少しお話、よろしいかしら」
「はあ、物騒な事でなければ構いませんが……。今日はお一人なんですね。咲夜さんはご一緒ではないのですか?」
「別にいつも年中一緒というわけではないわ。ま、そういう時もあるということよ」
まさかに無言の脅迫を受けて放り出されたとはいえない。
「それでご用件とは何でしょうか」
「いや、そのね。ウチの美鈴達から聞いたのだけれど。あなた、その、何でもスイーツを作るのが上手とか──」
瞬間。それまで営業用の微笑だったのが、その言葉を聞くなり、ぱああっと満面の笑顔に変わる。まさに、隠れた
同好の士を見つけた時のような。頭の片隅でWARNING、WARNINGと警報が鳴る。
やばい、何かこの子、スイッチ入っちゃった……!?
「おわかりですか!レミリアさん! そうですよね!女の子はやっぱりスイーツですよね!」
「ええ、うん、そうよね。それで──」
「ああ、紅魔館の人達ならわかってくれると思ってました……! 幻想郷の人たちはどうしても
和菓子の方向に流れ勝ちで、人里にもなかなかそういうお店はなかったんです……!!」
既に頭からは境内の掃除のことは消えうせ、思うまま、スイーツへの情熱を語り始める緑巫女。
ああ、なんかデジャヴ。咲夜が前にこんな風になったことがあるわ。何か可愛い物を見つけたときだったと思うけど
どんな時だったっけ……。
「──それでですね! 香霖堂の店主なんか、スイーツ頼んだら煎餅出してきたんですよ! 信じられますか!?」
うん知ってる。さっき薦められたからね。
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「……なるほど。事情は納得しました。こっそり、紅魔館で働く人たちのためにスイーツを振舞いたい、と」
「そうそう。そういうことなのよ。それであなたの腕を借りたいのだけれど」
上手く微妙な部分ははぐらかして目的を伝える。
「わかりました。及ばずながら東風谷早苗、お力になりましょう。この神社には、あれから材料もふんだんに
取り揃えてありますし。ただし──、一つ条件があります。レミリアさん、あなたも一緒に作るんです」
「ええっ!?」
「皆さんの労をねぎらう、というのであれば、やはり当主手づからというのが一番効果的なのではありませんか?」
「そ、それはそうかもしれないけどね、私はそんなことやったこともないし」
「だーいじょうぶですって! ここは私にどーんとお任せください! こう見えても昔から料理には
自信があるんです! 大船に乗ったつもりでいてください!」
「ええ……。じゃあ、御願いしようかしらね……」
天真爛漫の朗らかな笑顔で胸を叩いて見せる早苗。
なんだこの調子に乗ったときの美鈴のような感じ。もしかして地の部分は似た者同士なのか。
違うのはいつもウチの美鈴は馬鹿と失敗しかしないから最初から鉄拳を入れられるのに対し、あくまで今回は
人様の子、しかもこちらから頼む立場である以上手荒なこともできず、流れに任せるしかない。やり辛いわ……。
思えば、この時、右から左へ聞き流していた発言をもう少しだけ注意して聞いてれば良かったとも思う。
後の祭りなわけだけれど。
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「それで、レミリアさん。スイーツといえば何を連想しますか?」
「えーっと……食べてて幸せになる、かしらね」
「ええ。その通りです。疲れた自分へのご褒美……癒しの一時。そんな時に甘いものが身体に染み込む……。
それは何にもまして至高。至福の時間といえるでしょう」
「はあ。まあ、そんな感じで何か適当なものを頼みたいんだけど。あま~い物を──」
「と、いうのが世間一般の常識です」
「へ?」
思わぬ発言に目が点になる。一体何言い出すの、この子?
そして──そんな二人の様子を遠い陰からうかがう、ニ柱の姿があった。
「また始まったよ。早苗の病気が。あの子、熱中しすぎるといつも一周して別の所にすっ飛ぶんだ」
「本人は真剣かつこれ以上なく本気なのにね」
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「あの、ちょっと東風谷……さん? あなた一体、何を──」
「そもそも、スイーツとは何か。確かに甘いものを食べる事での幸せは天上の心地でしょう。
しかし、その後に待っているのは落差のある現実です。それを誤魔化すためにまたスイーツを食べる。
それでは違うのです! スイーツというのは食べてていて、なんていうか救われなきゃあいけないんです。
静かで、豊かで……。断じて、その場凌ぎの代用品であってはいけない! そうは思いませんか!?」
「うーん、まあ、言わんとすることはわからないでもないけど……。あれ……?」
「私は、館の方達を思うレミリアさんの心意気に打たれ、今新しい境地に辿りつきました!
そもそも──その発想の根底をひっくり返してみたらどうでしょう! 甘いものを取って幸せになるのではなく、
スイーツによって、普段の生活を甘いものに感じる事ができたなら──そう、別にスイーツは甘くなくとも構わない!!
つまり、今の私たちはスイーツ=甘いものという常識に囚われているのですよ!!」
「な、なんだって──!?」
まさに晴天の霹靂。目から鱗。流石『常識とは投げ捨てる物』を座右の銘にする緑巫女。
そんな考え方があったとは。
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「……ねえねえ、神奈子。スイーツって『Sweet(甘い)』からの派生だよね?」
「ばっか、余計なこと言わなくていいの。こっちにまでとばっちりが回ってきたらどうすんのさ。
あたしゃヤダよ。あの無双モードの早苗止めるの」
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「さあ! そうと決まったら早速用意です!何かご希望はありますか!?」
「そうねえ……最初に振舞うのは美鈴にしようかと思っているのだけれど。まずは一人目ということで」
「でしたら中華風がいいですね! じゃあアレにしましょう! 丁度この前とピッタリですし!
レミリアさんは──そうですね、でしたら最初はこちらの小ボウルの中身を水で溶いていて貰えますか?
かき混ぜるだけでいいですので」
……………………………。
「……はいはい。わかったわよ。よろしくご指導頼むわね」
「ええ、頑張りましょう! 美鈴さんが喜ぶような美味しいものを作りましょうね!!」
ふーんふふーん、と上機嫌で、流石に料理は得意と自分で言うだけの事はあるのか手馴れた様子で手早く
材料をカットしていく早苗を横目に、渡されたボウルの中の粉末を溶いてかき混ぜる。
事の起こりから考えれば、どうしてこうなった、と思わなくもないのだが────
……まあ。今、ちょっとだけ。運命の片鱗が見えた。
だから、もう少しはこの奇妙な展開にも乗ってやろうと思う。
当の早苗はどこまで自分で気付いているか怪しい所ではあるが──確かに。
ある意味、これは素晴らしいスイーツになりそうな感じがするのだ。
少し癪ではあるのだけれど。
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所変わって──日も暮れた紅魔館。夜が支配する魔族の時間。吸血鬼の時間。
日中の仕事を終えた咲夜や美鈴、そしてフランを迎え、つい先程持って帰って来た
守矢神社の御土産を披露する晩餐を催すことになった。勿論、咲夜の暗黙の注文どおり、犯人を名乗らぬ代わりに
最後まで淑女ッぷりを貫き通すことには変わりはない。
「お仕事ご苦労様。咲夜、それに美鈴」
「ふたりともお疲れー!」
「恐縮ですわ。直々に労いのお言葉を頂けるなんて」
「あはは、ホントに……。それにいつもはお呼ばれしない私までこんなとこきちゃって、何か更に畏れ多いというか…」
「心配する事はないわ。美鈴。貴女も呼んだのはこの前のお詫びも兼ねてのことだから。
随分と強く引っ叩いてしまったし。痛かったでしょう?」
「へ? ああいえ、あんなのどうってことありませんって! もう忘れちゃってましたよ! あははは!!」
「私はそういうわけにもいかないわ。ということで、守矢神社の巫女の所でスイーツの作り方を教わってきたの。
私も一緒に作ったのよ。これはあなたの分。是非、食べてもらえると嬉しいわ」
そう言って、用意していた『スイーツ』の容器をテーブルの上に置く。御土産としてもちょっとした物だろうと
思っていたらしい面々から、おおお、と声があがる。まさか自分がこんな物を作ってくるとは思わなかったらしい。
「味の方はあの守矢の巫女が担当してるから、問題ないわよ。私も作りながら少し食べたけど、美味しいと思うわ。
なんでもこの前の『杏仁豆腐』をヒントにしたといっていたけど。どうかしら?」
「ほ、ほんとにいいんですか、お嬢様!? 結構量ありそうですけど、これ全部食べても!?」
「ええ、他の皆には違うものも用意しているし。おあがりなさい」
「くうっ、お嬢様の淑女っぷりがまぶしすぎる……!! あんな粗相をした私にも、こんな寛容に接してくださるとは!
ありがとうございます、お嬢様!! それじゃ失礼して、お先にいっただきまーす!」
パカッ
「わあ! これは本当に美味しそうな…………麻婆………豆腐…………」
「温め直したのでアツアツよ。冷めないうちに召し上がれ」
はい、と手渡したレンゲをどうすることもできず、そのまま麻婆豆腐を掬う美鈴。
「こ、これの味付けをしたのは早苗さんなんですよね? あの人、意外に料理は本格的に作るから……
やっぱり辛────ッッ!! 本場の味並に辛──ッ!!」
「はい、他の皆には御土産で貰った早苗御手製のショートケーキ。甘くて美味しいわよ」
「うわー! ありがとうお姉様!」
「わ、私の分は!? 甘いケェキは!?」
「ないわよ。それがあなたのスイーツだって言ってるじゃない。嘘だと思うなら早苗からの手紙もあるわよ。はい」
「そんなわけがあるか……って本当だー!? 『美鈴さんのために全力で美味しいスイーツを作りました! b(グッ)』
ってどういうことー!?」
「さあ。聞こえた話によると、あの子、熱中すると思考が一周するって言ってたけど」
「一周どころか二周半ぐらい吹っ飛んでますよ!? さ、早苗さーん!?」
うん。まあ正直あの子の思考の全部は私も理解するのは諦めたんだけれど。まあそれでもこれが
彼女公認の『スイーツ』であることは間違いない。味も悪くはないんだから。ということで。
「さ、さてはお嬢様、まだあの時のこと恨みに思ってますね!? 眠りばな起こしちゃった事とか、いい夢見てたのに
この野郎とか──」
「まだまだあるから全部食べてね?(にっこり)」
「はい…………」
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1時間後。誰もいなくなった食堂に一人、テーブルに突っ伏す美鈴の姿があった。
パワハラだ……。と思わなくもないが、あの気位の高いお嬢様が無理に淑女を装って徒労の旅をしてきたのだから
このぐらいの八つ当たりは予想の範疇といったところでもある。むしろそのぐらいで済んで御の字というべきか。
流石に、助力を頼むかもと思ってはいた早苗の暴走具合に関しては、予想の遙か斜め上だったが。
そんな未だヒリヒリする唇を宥めていた所、不意に一人の影が音もなく横に立った。
「大変だったわね」
「咲夜さん」
ちょっと困ったような笑顔でこっちを労わるメイド長に、なんとか笑みを返す。
「お嬢様のワガママにつきあってくれてありがとう。今回は私がけしかけた部分もあるし、ごめんなさい」
「いやいや、そんなこともないですよ。これはこれで結構楽しいですし」
結局の所──これなのだ。やりたい放題されている割には──どこか憎めない。あのお嬢様にはそういう所がある。
振り回されているのを楽しんでいるフシが憚りながら自分でもある。それは、そこに籠められているのが
全くの悪意ではないからだろう。上手くは言えないが……それも一種の人徳とでもいうのだろうか。
本人が聞いたら鼻で笑い飛ばしそうだけれど。
「あなたがそういうのなら、それはそれでいいけれど。無理はしないようにね」
「大丈夫ですよー。私は頑丈なのがとりえなんですから。今日寝ちゃえば、明日には直ってますよ──むぐっ!?」
「大したものじゃないけど、はいこれ。少しは楽になるかもしれないわ」
そっと。
細い人差し指が唇から離れる。その後でじわりと広がってくるイチゴミルクの甘い味。これはキャンディ……だろうか。
咲夜さんの指が自分の唇に触れていた……という事実とその甘さに、それまでの辛さによる疼きが上書きされるように
うっすらと消えていく。
「今日は御疲れ様。美鈴」
そういうと、いつものように咲夜さんは来た時と同じ様に姿を消した。
誰も居ない静寂が食堂に満ちる。
先程と同じように、一人、ただ口に残るほのかな甘い味を感じながら、美鈴はぽつりと呟いた。
「……たはは。参ったなあ。最後の最後で、極上のスイーツが待ってましたよ」
我ながら境界は曖昧なのですが、美鈴はコメディ的に、早苗さんはギャグ的に、
そして咲夜さんはほのぼの的にそれぞれ美味しいところをさらっていった印象です。
まあ、それもこれもレミ様のナチュラルに我がままだけど、やっぱり大きい存在感があったればこそなんでしょうが。
確かに憎めんわ、このお嬢様は。
個人的に「オッ」と感じたシーンはレミリアが眼鏡にもやしを重ねるところ。
ダウナーかつ無駄にロジカルな会話を交わす場面しか思い浮かばないけど、なんか見てみたい二人だなと思いました。
楽しい作品をありがとうです。
炊きたてご飯が欲しくなりますねb(グッ)
しかし暴走早苗も可愛いな……
ってかどーしていきなりめーさくになっちゃったのかしら
美鈴は苦労人だね。
笑わせていただきました。