彼の猫、火焔猫燐にとって死体とは生きがいだと言う。火車という妖怪の本能であり、灼熱地獄の薪集めという仕事でもあり、彼女自身の個人的な趣味でもある。雑多な死体が火にくべられ燃え落ちていくのを見て身体を震わし、強者だったものが何一つできない骸となり転がっていることに劣情を催す。
姉の談によれば「私が死体になれば貴方はどうするのですかね」と聞いたところ、「ひとしきり泣いたあとに、嫌になるほど愛でるでしょうか」と言ってのけたそうだ。大切な主人を亡くした悲しみと、畏怖していた相手を自由に弄びたい欲求が同時に伝わってきて困惑したらしい。私は悪趣味だねぇと相槌を打ちつつ、心の中でひそかにお燐に同意していた。姉が死んだら着飾ってお人形さんみたいにしてあげたい。
そんな私、古明地こいしにとって死体は同類だった。過去の古明地こいし、眼を開けた私から見れば今の古明地こいし、眼を閉じた私は覚り妖怪の死骸か残り滓のようなものであろう。心を読まず、人に気付かれず、思考をひたすら飛ばして動く。覚り妖怪以外から見ても大層希薄な存在だろう。
けれども今の私はうすくうすく、気体のようになってしまっても、昔の私よりましなんだと思っている。心を読むがためにそれ以上の嫌悪を向けられることより、曖昧なものになって少しだけの忌避で済むことがどんなに楽か。
死体はそれと似ている。生前が闇を照らすような聖人であろうと鬼のような悪人だろうと、死体自身には死体であること以上の嫌悪と敬意は払われない。ここ幻想郷では魂がはっきりと存在する分、個人と死体の分離も顕著に見えた。
それに「死体自体が意識を持たないことで、死体も、私も、覚りであることを恐れなくていいのだ。
稀にエントランスに飾りたくなる人がいる、死体として。素晴らしく生きている彼女たちを自分の手でただの変哲もないものにしてしまって、時間が経ってぐずぐず見ていられないものになって、果てには何にも無くなってしまって。自分を見ているようでどきどきしてしまう。
さて、これは私が素晴らしく生きている巫女と魔法使いを仕留め損ない、濃く生きることに淡い憧れを抱いたあとの話。
ほぼ日課のようになった地上探索、よく晴れた今日は人里近くにできた命連寺に立ち寄ってみた。本堂では住職が何やら人を集めて説いていた。暇に暇を重ねる贅沢な私なので興味本位に耳に話を入れていこうか。実は顔馴染みになるくらいは回数を重ねているけれど、きっと誰一人気付いていない。大したことではないけど。
回数を重ねてわかったこと。命連寺の説法は人と妖怪の共存だけでなく、生きることの意味を強く説く。最近ちょっとだけ生死のバランスが正に傾いた位の自分には、まだあんまりわからなかった。お姉ちゃんは住職が強欲ですのでなんて言っていたが、見る限りとんでもないお人好しだ。帰り際には寺まで話を聞きに来た人たちにわざわざ餅なんて配っている。とりあえず、不自然にならない程度に餅をつまんでいる。寅のご本尊さまが、餅が足りなくなってきましたーと後ろへ呼びかけると、あんたがつまみ食いしてるんじゃないのーと入道使いより返ってきた。
本堂から離れ、境内をぶらついてみる。小腹も満たしたし、食後の運動も兼ねて寺を散策することにしよう。無意識に任せ辛気臭い方へ歩いてゆく。
寺の墓場といえば、雑草が蔓延っていたり、卒塔婆が乱雑で墓石も苔むしていたり。そういう如何にもな雰囲気があるべきなのに、日中なのも相まって命連寺の墓地は明るいところだった。夏の風が吹くと爽やかだと感じるほど。石を裏返しても出てくるのは呪いのお札ではなくムカデくらいだろう、石の裏にはダンゴ虫がいたので突っついて丸めてやった。
奥へ進んでいくと落ち着いた服装の少女が掃き掃除をしている。住職よりも余程お寺らしい。お経を謎のメロディに乗せて口遊み、そして頭上の耳がぴこぴこと動く。耳からしてヤマビコかな。山で見たような記憶がある。ひたすらに耳を澄ましては、叫ぼうとしている奴らだった。
避けられた経験もあって、意趣返しにペットにしてみるのも悪くないなと思った。何とはなしにお尻を撫で上げてみる。程よい大きさと柔らかさ。
「ひあっ」
ヤマビコだけあっていい悲鳴をあげる。後ろを振り返って怯えたような目できょろきょろとしている。驚きと軽い恐怖が混ざった表情を見ているともっと苛めたくなる。私のペットは人型が少ないからこういう楽しみ方が出来ないのだ。
「みょ、命連寺の一員であるこの幽谷響子に手をだすとは。今なら読経で培った寛大な精神で許してあげるわっ」
震えた声でそんなことを言われたら姉譲りの嗜虐精神が疼きに疼く。耳元へ息を吹きかけつつ、背中をなぞりあげた。
「ふわわっ。むうくふー、むうくふー! いじめないでー」
背中に怯える声を浴びながら、満足した心持でそこをあとにした。
さらに奥へ進んでいくと、雰囲気が気味の悪いものになってきた。人間にとって居心地が悪く、それ以外には快適そうなもの。手入れをされていないお墓が増え、刻んだ名前もわからない墓石、墓石以前に石を転がしてあるのみという一画もある。ふと見回すと、墓地を囲む森もそれとなく鬱蒼と暗さを増している。気づくと蝉の声が止んでいた。いつから鳴いていないっけ。ヤマビコを愛でていた時は散々うるさかった気がしたのに。
風が吹く。夏らしく熱気を孕んだ空気がぶつかってきたけれども、それでは済まない不快感。こういう温い感じはたびたび浴びている。そう、灼熱地獄跡への入り口とか。
散歩がいつのまにか冒険になってしまったのかしら。むしろホラーのプロローグにも思える。醜悪な化け物が出てきても可笑しくないなんてあまりにメルヘン、そう思って笑った。
「『慈悲溢れる命連寺の裏の顔! 死体を操る狂気の人体実験』、実に熱いわ」
大抵、最初の目撃者は犠牲になる。ただし古明地こいしであった場合、例外的に猟奇的体験をするのは相手なのでした。
頭の中で妄想の枝を育てつつ歩を進めていると、どこからともなく声が聞こえてくる。
「ちーかよーるなー!」
宝物庫でもあるんだろうか。人体実験ではなく麻薬の密売とかだったり。信者はみな中毒患者なのでしたバッドエンド。目撃者はやっぱりクスリ漬けにされちゃうんだぜエンド。
妄想の枝が葉を茂らせたころ、声の主が現れた。
「ここから先はお前が立ち入っていい場所ではない!」
中華風の服装に、藍色の髪。腕をぴんと伸ばした少女がそこにいた。
お燐から死体検定二段を貰った私の鑑定によると彼女はキョンシーだろう。実物は始めて見る。しかし肌色いいな。お姉ちゃんと並べたら、私を含めない十人中十人が死体はお姉ちゃんって言うね。そしたら私はお姉ちゃんを慰めるわ。
「うん? どうした。私の魅力に恐れ入ったのなら仲間にしてやってもいいぞう」
しかし、死体が生きているってのは言葉的には矛盾しているけれど、とっても魅力的で、ちょっぴり怖い。意志を持つ死人は私の死生観において全くのイレギュラー。自分の存在を過去にしてしまう死、それを経験している彼女には親近感を覚える。その一方で、今までお人形さんのように見てきたものに心があるとわかると、違和感が少しだけ。怨霊だのは見飽きたくらいなのに。
「言葉もでないのかー。うおー?」
何にせよ、もっと彼女のことを知らなくては始まらない。相手のことを知るには心を読むのが一番だけれど、そんなものは捨ててしまったし。次点としては仲良くなれればいいんだけれど……。仲良くなる方法、弾幕ごっこを終えれば何故か友情が芽生えって、都合がいいかなあ。お姉ちゃんで考えると仲がいいと言えば私? いや、やっぱり――。
意識を彼女に戻すと、目の前まで近づいていてちょっとびっくり。そんな些細なことはどうでもいいのであって、今重要なのは。
「私のペットになって!」
「へぇ、宮古芳香ね。可愛らしい名前だわ」
「う、うむ! 当然だけどなんだか照れるな」
幻想郷のお決まりのごとく、とりあえず弾幕ごっこに興じた彼女と私。もちろん私が勝ったけれど、被弾した芳香は腕が肘のところからすっぽり取れてしまった。こんな時に役立つのがお姉ちゃんである。いつだったか、生傷をこしらえて帰ってきた私を見かね、必ず、包帯と塗り薬を持たされるようになった。
「ぐっ。も、もっと優しく……」
「うふふー、腕が取れても平気なのに塗り薬はだめなのね」
ゾンビのイメージに似合わず微笑ましいものだ。
腕をくっつけながら包帯を巻いてあげると見事に接合完了、さすがゾンビだった。
石に腰掛けていたのだが、ぴんと立ち上がって嬉しそうにしている。
「さて、弾幕勝負で勝ったのだから、あなたは今から私のペットよ」
人差し指を立てて自信たっぷりに言ってみる。
「ペット? 何をすればいいんだ?」
「そうね。一緒に暮らして、愛されるのかな」
「好きになってもらうのはいいけど、私はここから離れられないぞ」
首をかしげて言う芳香の発言に、思わず声が出てしまった。
「えっ」
「命令でなー、ここの霊廟を命連寺の奴らから守らなきゃいけないんだ」
近寄るなとも言っていたけれど、ようやく意味がわかる。
「守る理由って教えてくれない」
「おお、覚えていない」
「その命令をしたのは誰かしら?」
「私の主のことか。うん、誰だっけ?」
「わかったら聞いていないわ」
頭の方は妖精みたいにとろけているようだ。お姉ちゃんも私に対してはこのぐらい、話が通じないのだろうか。同情は禁じ得ないが開く予定は白紙のままである。
理由がわからないのに解決策を探るには、強硬手段であろうか。
「どうしても動けないのかな」
「こいし?」
そおっと額に触れてみる。
札にそって肌をゆっくりなぞってみると、芳香はわずかに体を震わせた。
「そこは触っちゃだめだぞぅ」
無視をして、今度はお札を剥がれそうなところまで引っ張ったり戻したりした。
「あー、あー、昇天しちゃっ」
ゾンビギャグだろうか。こっちは地獄に来てほしいのだけれど。
彼女は涙目で息を荒げている。ひざは曲がらないけど、足を見れば今にもくずおれそうだ。いい塩梅だろう。
「私のペットになろうよ」
「め、命令には逆らえないんだぞ……」
必死に絞り出したのは否定の声だった。確かに虐めて仲良くなるってのは虫がいい話か。
それでもこの番人的な役割、芳香本人に得が無さそうな役割に固執するっていうことは、もう命令が芳香の本質みたいになっているのだろう。こうなると説得は難しい。
ふらふらしていた芳香を辺りの石に座らせ、じっと見てみる。お互いにぼうっと見つめ合っていた。
そもそも、死体が意志を持っているから近づいたわけだ。ところが知り合ってみると、普通の妖怪少女である。頭は腐り気味だけど。叩くと記憶が落ちていきそうなのは烏にもいるし、まだ、不思議と気になってしまうのはなんでだろう。意地なんだろうか。美少女が誘惑してるのになびかないからという、違うか。無意識が力へと変化してから他者と触れ合わなくなって。やっと興味を持ったのに人の命令なんかに疎外されてしまう。納得がいかない。そういう、意地。
自分で彼女の意識を少しは変えることもできる。でも、多分私はそうしない。
「宮古芳香」
「な、なんだぞー」
「諦めないから」
言った後で、むず痒くなって、逃げるように私は飛んだ。
次の日、芳香のもとへあるものを持って訪れた。
私の姿を見ると、芳香はお札を押さえて後ずさる。肘が曲がらず、腕でばつの字を作っているようだ。思わず、口から空気がこぼれる。
「あー、笑うなー」
「だって可笑しいのはほんとだもの。大丈夫、もうしないわ。それより関節は治らないの?」
「うーん、柔軟体操がなんとか良いらしい」
「じゃあ後でしてあげるわ」
「うん」
いやに素直でまたもにやにやしてしまった。笑顔はいつも忘れないけど、何か違う気がした。
「そうだ。こ、こ、こ」
「い?」
「こい? やっぱり鯉こくが」
「こいし、ね」
「こいし、それは何だ?」
指の指した先には私の手に紫色のお化け傘。これは、と説明しようと矢先――。
「かえせー!!」
単体ではそこらの女の子にしか見えない片割れが突っ込んできた。
水色の髪は乱れ、肩で息をしている。よほどのことらしい。第三の眼が放り投げられるようなものかな。
「返せ、傘泥棒!」
「はい」
応じて、すぐに手渡した。
「これはどうもご親切に、ってあなたが盗んだんじゃない!」
「もう要らないし」
「ひどい! とてもひどい! 3分で捨てられるなんてわちきのプライドずたぼろ!」
傘を振り回しながら、ぷんすかという様子がぴったりで彼女は怒っていた。傘は傘で一つ目玉は泣きそうだ。余裕があればこの子もお持ち帰りしたい。
「あ、傘の奴」
唐突に芳香が思い出したようにしゃべった。
「げっ、妖怪パラソルかじり」
傘は傘で驚きのまま後ろに跳びさすり、芳香との間に私を挟む。
「知り合いだったんだ」
「違う、被害者! 傘かじられた上に、追い出された」
「傘かじった。追い出した。それにしても傘はおいしくないな」
芳香の方は何とも思ってないみたいだけど、化け傘は小動物のように怯えている。
これは思ったより使えるだろう。
傘の子にそっと耳打ちをする。
「あなた、名前は」
「多々良、小傘だけど」
「そう。小傘、あのかじった子、私は連れて行きたいんだけど、人も驚かさずにここで番人やってるのよ。もし、人を驚かすように妖怪の本分を伝えられたら、ここから離せるんだけどなー」
「なんと! うまくいけば大団円ね」
「そこで人間を驚かすのが十八番のあなたならば」
「なるほど。久方ぶりの期待、私がんばる」
私の後ろから出ていくと、小傘は仁王立ちで話しかける。
「あんた、妖怪として人を驚かすっていうのは」
「今度は人型の方をかじれば……」
その瞬間の小傘は風であった。紫と水色の影が夏の空へ吸い込まれていった。
「あの速さなら人くらい、簡単に驚くのになあ」
「ねえこいし、かじっていい」
「ダメ」
「はい」
また次の日だ。今度は説法の道の求道者を連れてきた。件のヤマビコである。
「いやー、説法なんて初披露だわ。それなのに私がいいなんてきっと読経による修練のおかげね」
彼女が寺の中で一番御しやすそうだったのだが、よく考えるともっと手慣れた妖怪の方が良かった気もする。相手が相手なんだもの。
「よしかー、今日も来たよー」
「おー、こいしー」
どうやら名前を覚えてくれたらしい。やったと叫びたくなったけど、きっと彼女が忘れっぽいからでそれ以上の理由はない、と思う。
「こんにちは! 命連寺の誇る読経少女、幽谷響子です!」
「む、こんにちは。宮古芳香だぞー」
「彼女に説法をすれば良いのですね」
「うん、できれば妖怪の本分とか本分を変化させたことの話がいいな」
「なるほど、ヤマビコから寺ヤマビコに進化した私にぴったり。益々もってやる気が出るわ!」
何故か響子は急に正座になった。つられて芳香も正座をしようとするが少ししか膝が曲がらず、こてんと転がってしまった。
しょうがないので肩を持って座らせてあげる。
「では、始めますね。妖怪の本分ということですが、これは人を驚かすことに主に集約しています。多くの妖怪がそうですね。我々は人を驚かすことで腹を満たしています。この腹はどちらかといえば概念的なもので実際の胃腸とは異なります。普通に白米も食べれますしね。さて概念の腹を満たすために人を驚かすのですが、ここで二つにわかれます。実際に人の肉を食べるもののと驚いた故の恐怖や怯えをを食べるもの。前者は妖獣、後者は概念然とした妖怪に多いですね。さて命連寺では基本的に妖怪は後者、感情を味わうだけで妖怪として生きていけると説いています。何故なら――」
「こいし、こいつって命連寺の?」
「そうだけど」
嫌な音がした。芳香が響子の頭に噛みついたのだ。
「痛っ! 痛い、ちょっと耳取れちゃう!」
そのままにして眺めるのも良かったが、文字通り話が進まないので何とか引き剥がす。
「何で噛みついたの」
「命連寺の奴らは近づけるなって言ってたのを思い出した」
「これ以上近づかせないよ」
「それなら良いか」
響子を見ると頭を押さえながら呻いている。声をかけようか迷ったが、突然立ち上がり呟き始める。
「うふふ。そう、これも試練だわ。ヤマビコの誇りにかけて説法を止めてはならない。聖さまも言っていた。話を聞かず襲ってきた妖怪もいたけど拳で語り合ったらわかってくれたと!」
それは説法じゃないだろう。
「さあ、芳香! 一緒にににに、……霊廟を守るわ!」
さあこれから殴り合いだ、弾幕だという場面でこの方向転換だった。本格的に頭をやられてしまったのだろうか。
「ああ、感染しちゃった」
ぽつりともらした芳香の言葉で疑問は氷解した。キョンシーに噛みつかれると噛まれた者もキョンシーになってしまうのだ。しばらくすれば治るらしいが。
響子は芳香と肩を組み始めて気合十分であった。
とりあえず背中をなぞった。悲鳴の上げ様から感度は変わっていないようだ。
彼女は食べることが好きなようだった。近頃湧いてでた神霊というものをよく口にしている。神霊は欲から生まれるようだけど、心を読むのをやめた私にとって人の心に関したものは不安になる。あの墓地には神霊も多かったが、芳香の近くにいるとみんなたいらげてしまうのだ。
そういうわけで大食漢の彼女のため、お燐から猫車を借りると、そのまま地霊殿で食糧強盗と化し、積めるだけ積んだ猫車を押して豪と発進した。
その時の姿は滑稽だったろうけど、自分は使命のようなものに駆られていて突き進むのみだった。
てんてこ舞いな私の姿を見てもお姉ちゃんは何も言わないでいてくれた。言葉が出なかったの間違いかもしれないけど。ごめんね、お姉ちゃん。後で説明するから。もう一人、一緒に連れて帰って。
幻想郷上空で入道雲を背景にお菓子をこぼしながら疾走するのも恋、なんだろうか。
もう仲良くなるっていう段階は突破しただろうに、相も変わらずペットにするのは諦めていない。むしろペットにするってのが方便で、ただ通いたいがためなのかもしれない。
今日は型から入ろうと思い、首輪とリードを持ってきた。妖怪には様式美が重要なのだ。
いつも芳香のいるところへ着陸したが、なかなか出てこない。寝坊でもしているのだろうか。
探そうかと思ったところで、墓石の影にその姿を見つける。
「芳香」
「う、うお。こいし?」
よく見ると衣服がかなり汚れている。弾幕決闘を連戦したように。彼女は丈夫なので怪我とかはないだろうけど。
「誰かと戦ったの? 女の子なんだから綺麗にしないと」
「そうだ。紅白のや、黒白のと」
巫女と魔法使いだろうか。ということは異変解決の線が濃厚だろう。うまく解決してくれれば、芳香の主人に直接会える。目的達成が見えてなくもない。
「こいし」
名前を呼ぶと、彼女は私の腕を掴んだ。今までにない、強い力で。
「芳香?」
「こいし、私の命令はなんだ」
宮古芳香は脅えていた。
「私の命令はなんだ。主や目的は記憶の彼方でも命令は忘れなかったのに。今朝、倒されてから出てこないんだ。怖い、怖いよ」
腕を掴む力が一層強まり、鈍い痛みを覚える。それでも離してと言えなかったのは、彼女の方が今にも倒れてしまいそうだったんだ。
「命令がないと、ただの死体に戻っちゃうのかな。生きていた時のことも、死ぬ時のことも忘れてしまったけれど、生き返るときは、まるで暗い水の底から連れ出されたようだった。また水底には帰りたく、ない」
そこまで一息に言うと、腕を掴んだまま俯き、ぶるぶると震えるだけになってしまった。
私は自分と芳香がひどく似たものだと感じた。
妖怪にとって存在意義は重要だ。それが無ければ消えてしまう程度には。だから覚りにとって心を読むことを放棄するなんてのは自殺にも等しい。私が眼を閉じても生きているのは、嫌われたくないという強い感情が根底にあったから。それでも閉じる時は死ぬかもしれないと思った。
今の芳香は、目的もなく眼を閉じた私だ。生き返らされて、命令を与えられて、それをこなすことで何とか死ぬ前の自分を失くしても自分を保っていた。しかし、その拠りどころがない。
芳香に惹かれたのはそんな危うさを持っていたからかもしれない。生き返らされた、ふとしたことで物言わぬ骸へ戻ってしまいそうな儚さ。
怯えて小さくなった彼女は、いつもの彼女とはとても同一人物とは思えない。のんきで能天気に振舞っていたことを考えると、今の目の前のあなたは本当に死んでしまいそう。
ああ、でも私の能力なら新しい命令を刻み込めるかもしれない。無意識に働きかけるこの能力、人の本質に手を出せるこの能力で。
札に手を伸ばしたところではたと私は止まってしまった。
なんて彼女に命令するんだ。同じように霊廟を守れ。いや、既に異変の解決が始まった今、それは意味をなさない。なら、なら私のペットになるように、ペットじゃなくても一緒に地霊殿に来るよう、命令できるのでは?
とても魅力的な考えだったが、同時に今までの行動をすべて否定することにもなる。命令なんかに縛られることなく、私は芳香と仲良くしたかったのに。
このまま、また芳香に霊廟を守らせるのも嫌だった。ただ番人として、無為に日々を過ごさせるのは、彼女は辛そうな顔をしない分、苦痛だ。
放置、このまま土に還ってしまいそうな彼女を見捨てて。幻想郷において、死は絶対の別れではないけれど、芳香は死にたくないって言ったのだ。
私は額の札に手を置いた。
私の思いを踏みにじっても、彼女の意志すら捻じ曲げても、今はそれで構わない。
ゆっくりと、芳香を名残惜しむかのように、命令を下した。
無意識を操るっていうことは、本能も衝動も抑えて、理性的にだって行動できるんだ。もっといい選択も私にはできただろう。それなのに、彼女に傍にいるように命じた私は、やっぱりどこまでも我が侭なのだろう。
オクタン価の高い萌えを燃料にしたネクロマンティック。
作者様のバランス感覚に脱帽だ。
登場するキャラが一々可愛いな。
こういう文体だから可愛く見えるのか、可愛く見せるためにあえてこの文体なのか。
どちらにしても凄く好き。
作者検索をかけたら前に二作も投稿されているんですね。
己の迂闊さを恥じながら過去作にジャンプしてきます。
それはともかく、こいしと芳香、どちらも可愛らしく生き生きと描かれていて楽しかったです。まだ未開拓な部分の多い芳香ですが、色んなカップリングが増えてほしいですね。
ちょっとエピローグ的な部分が欲しかったかなあ。幕引きがあっさりしすぎている感じがします。
楽しく読ませて貰いました
満足するのが早過ぎだ!
そしてあんたは俺に芳香の可愛さを教えてくれた、なんてことしてくれてんだ