ぶんぶん、と腕を思い切り振ってみる。だが、振られている筈の私の腕は私の目には映らない。
だっだっだっ、と地を駆けてみる。だが、地を蹴っている筈の私の脚も私の目には映らない。
「よし、のーぷろぶれむ!」
身に着けている光学迷彩スーツに異常が無いらしい事が分かり、私はガッツポーズを作る。
妖怪の山に巫女達がやってきたあの異変から、早数年。
あの時は速攻でバレてしまう程度の性能だったこのスーツは、改良に改良を重ね、とうとうこの日、大妖怪の妖力を使っても見透かす事の出来ない、『おぷてぃかるかもふらーじゅばーじょん12改』へと成長を遂げたのだ!
「……らいいんだけどねぇ」
ぐったりと肩を落とす私。現実はそんなに甘くなかった。
改善点と言えば精々、スーツの耐久性をちょっぴり上げる事が出来た程度だ。
「まぁ、それだけでも御の字かな。後は、他の誰かを使ってテスト出来たらいいんだけども……お?」
ぐるりと回した視線の端、空の上に、私は一つの影を捕らえた。
額に手を当てて改めてそちらを確認すると、その影はくるくると回りながら、ゆっくりと空を舞っている。
「雛だ」
うん、あのくるくる具合は間違いない。我が愛しの厄神様だ。
……我が愛しの、だって。恥ずかしいなぁ私。てれてれ。
でも、これは何と言うグッドタイミング。山の神様の思し召しに違いない。早速彼女にテストをお願いしよう。
「ひ――」
その名前を呼ぼうとして、しかし私は、慌てて自分の口を塞いだ。
……ちょっとぐらい脅かしても厄はもらわないよね?
心に芽生えた悪戯心と共に、私はスーツを着込んだまま、その影に向けてひゅいっ、と飛翔する。
「うわっ、今日はまた暑いなぁ」
木々の間から空に飛び出すと、容赦の無い日差しが私を襲った。
幻想郷は只今、夏真っ盛り。こまめに水を補給しないとやってられない。何処に?とは訊いちゃいけないお約束。
そんな厳しい夏空の中を、私は彼女に向かって飛んでいく。
近づくにつれて、くるくると回るその姿がより鮮明になってくる……うん、やっぱり雛だった。
私は迷彩の中に姿を隠したまま、彼女に寄り添うようにして飛び始める。
くるくる、くるくる。
雛の飛び方は、まるでダンスのステップを踏んでいるみたいだと思う。
身体に少し遅れてたなびく、深い緑色の髪。風と回転力とを受けて、ふわりとはためくスカート。
一つ一つのパーツがとても綺麗で、それが合わさった彼女は更に綺麗で……まぁ、その周囲を漂っている厄はまたちょっと印象が違うけれど、もう私はそんなの気にしない。
そうして並んで飛び続ける事暫し。
全く変わらない雛の様子に、私は試しに、彼女の回転が巻き起こす空気の流れと、厄の淀んだ気配とが感じられるぐらいに近づいてみた。
けど、それでも雛はただ、くるくると舞い続けるばかり。
「むう」
私は小さく唸り声を上げた。
これだけ近づいても気付かれないという事は、自身の作品が上手く仕上がっているという事で、嬉しい筈の事なのだけれど。
心の中には反対に、寂しい気持ちがちょっとずつ膨れ上がってきて。
「……ひーなっ!」
私はとうとう我慢できなくなって、雛に呼びかけながら、ぎゅっと抱きついてしまった。
――ぐらり。
「え?」
不意に、視界が傾いた。
そして次の瞬間、雛を宙に留まらせていた浮力が一気に失われて、
「え、ええええええ!?」
抱きついていた私もろとも、雛は真っ逆さまに地面へと落下し始めた。
「のっ、『のびーるアーム』っ!!」
私は慌てて、背中のリュックに潜ませていたメカを解放する……!!
「…………」
背中には、リュックごしに引っ張られる感覚。腕には、軽いけれど確かな重さ。
私はそれらを感じ取って、きゅっと瞑っていた瞼を開く。
リュックから伸びた長い二本の腕は、しっかりと地面に貼り付いて私を支えてくれてはいたけれど、ところどころが変に捩れていた。これは修理しないと駄目っぽい。でも、今はそんな事より、もっと優先すべき問題があった。
私は腕の中の雛を、改めて見る。
「良かった、怪我はしていないみたい……だ、ね……?」
一通り彼女の様子を確認していた私の視線が、その顔まで来た所で、ぴしりと固まった。
雛の顔は真っ赤で、目はぐるぐると回っている。頭からは何だか湯気が出ているような気さえする。
「ひ、雛?」
恐る恐るといった感じに、私は彼女に呼びかける。
すると、その唇が僅かに歪んで、
「……きゅう」
「雛ーーっ!?」
・
ぱたぱた、ぱたぱた。
私の発明品No1728である所の自動団扇扇ぎ機に扇がれつつ、雛は私の家の寝室で横たわっていた。辺りに厄の気配は無い。さっき落ちた時に霧散してしまったみたいだ。
けれどその視線はもうはっきりとしていて、私に向けて注がれていた。
「ごめんなさい、にとり。迷惑かけちゃったわね」
「あ、駄目駄目。まだ横になってなよ」
「ううん、もう大丈夫」
雛は私の言葉を制すると、私が額に置いていた冷たいタオルを手に取りつつ、布団から身を起こした。
……確かに、大分落ち着いてきたみたい。
私は心の中で安堵して、改めて雛に声をかける。
「熱中症にでもかかったのかな。神様も熱中症になるの?」
「……どうだったかしら。何時ものように厄を回収しに飛んでいただけだったんだけど、途中から何だかぼうっとしちゃって」
「今日は本当、暑いからねー……。あと雛の場合、その服のせいもあるんじゃない?」
私は視線で、雛が着込んでいる服を指し示す。
雛が着ているのは黒を基調とした、何と言うかもっさりとした服。見ているだけで暑くなってしまいそうな恰好だ。
もっと涼しい服を着ればいいのに、と私が提言すると、雛はふるふると首を横に振った。
「それは駄目。この服は特別製でね、これを着ていないと厄の集まりが悪いの」
……むう、だったらしょうがないのかな。
いや、やっぱり良くない。
毎年毎年、雛がこんなに苦しい思いをするなんて、良くない。
「そうだっ!」
「ふわっ!? ど、どうしたのよにとり。吃驚するじゃない」
慌てた素振りの雛に、私はずずいっと詰め寄る。
「ねっ、雛。私、雛が外でも涼しく過ごせるような機械を作ってあげるよ!」
「……ええ?」
「大丈夫大丈夫、どーんと任せておきなって」
どん、と自分の胸を叩く。
雛は呆気に取られたような表情で私を見ていたけれど、その時にはもう、私のエンジニア思考は猛スピードで回り始めていた。
――さて、涼しくなるものって言ったら何だろう?
風? 水? 氷? あと幽霊なんかもあるかな?
リュックの中からノートとペンを取り出し、手当たり次第にアイデアを書き散らす。
――一番冷たそうなのは氷だよね。
氷と言えば湖に住んでる氷精だけど……氷精がいつもくっついてくれるような、氷精の好きな匂いを撒き散らす機械とか?
いや、駄目だ駄目だ。氷精が雛にいつもくっついてるなんて。却下却下。
今しがた自分が書いた文章に、大きくバッテンをつける。
――幽霊、は下手に使うとあちこちに怒られそうだしなぁ。
それに、霊夢や魔理沙が一度試してみたって聞くし。人が通った道の後追いをするのは、何だか癪だ。
も一つバッテン。
――風を使うにしても、ここに置いてる団扇扇ぎ機ぐらいの風じゃ焼け石に水だし。
天狗様の団扇みたいな凄いのが作れたとしても、空を飛んでる時にそんな凄い風に吹かれたら、吹き飛ばされちゃうだけだよねぇ。
やっぱり水かな? 私達河童の得意分野だもんね。でも、一体どう使ったら――
「にとり」
「あれがあーでこーなって……いや、それをこう繋いで……」
「にとり?」
「ひゅい?」
不意に声を投げかけられて、私は顔を上げた。
雛が何だかむくれっ面だ。どうしたんだろう?
「もう。にとりってば機械の事となると、本当に夢中になっちゃうんだから」
……あ。
「う、そうだよね。折角雛と一緒に居るって言うのに」
雛の為の機械を考えていて、雛本人を放ったらかしにしているとか。本末転倒もいい所だった。
これがエンジニアのサガかー、って誤魔化しちゃいけないよね。反省。
俯いて頭を掻きつつそんな事を考えていると、すり、と柔らかい感触が、私の肩の辺りに伝わってきた。
吃驚してそちらを見ると、雛が私に、ぴったりと身体を摺り寄せてきていて。
「ひ、雛?」
「何かしら?」
「……あのですね、ええと。……暑く、ない?」
「暑いわよ?」
平然と答えられる。
そしてその答えとは正反対に、雛はますます私との距離を縮めてくる。
ただでさえ暑さに火照っていた私の頬に、一層の熱が篭り始める。
「でもね、人肌というのは別腹なの」
「わ、私は河童で、雛は神様だよ? 人じゃないじゃない」
「にとり。それ以上、野暮な突っ込みは禁止」
今度はきゅっ、と軽く頬を抓られる。
しょうがないじゃない。こんな事でも言っていないと、どきどきし過ぎるんだもの。
気が付くと、雛は完全に私の肩口にもたれかかるような体勢になっていた。
私はちらちらと視線を泳がせてしまって……そして、所在なく置かれた雛の掌を視界に捉えた。
私はその上に、自分の手を、そっと重ねる。
「ね、雛」
「うん?」
「……涼しくなる機械、やっぱり作ってみるよ。雛が大変な思いをしてるの、ちょっとでも無くしてあげたいから」
「ん」
雛は、小さく頷き返してくれた。
強張っていた私の身体から、ふっと力が抜けるのを感じる。
その勢いのまま、私の方からもちょっとだけ、雛に寄り掛かってみた。
・
それから数刻後。
私と雛は、日の暮れかけた空を、昼間とは逆の方向にふよりふよりと飛んでいた。
向かう先は雛の家。雛はすっかり快復したようではあったけれど、やはり不安が拭いきれなかった私は、帰る彼女を送り届ける事にしたのだ。
「此処までで良いわよ。家、もうすぐそこだし」
丁度太陽が山の向こうに消え始めた頃、雛はくるりと私に向き直り、そう告げた。
私も足を止め、軽く辺りを見渡す。確かに其処は、もう数分もあれば雛の家に辿り着くであろう場所だった。
しかし私は、雛に渋い顔を向ける。
「ううん、でもやっぱり、家まで一緒に行った方が」
「全く、貴女は放任主義なのか過保護なのか良く分からないわね」
「う゛」
ぼそっと皮肉を飛ばされて、固まってしまう私。
雛はそんな私に、からかいを込めた笑いを投げかけてくる。
私は何だかばつが悪くなって、自分のお下げ髪をくりくりと弄り回し始める。
と。そよ、と一筋の風が頬を撫でた。随分と涼しい、気持ちの良い風だった。
そう言えば、この辺りには……
「……いい風。こんな風がずっと吹いてくれていたら、涼しくて良いのに」
雛も同じ風を感じ取ったらしい。目を細めて、身を委ねるようにしている。
「近くに川が流れてるからだよ。ほら、あそこ」
私は足の下、風の元を指し示す。
「風が吹くと、あの川に冷やされた空気がこっち側に流れてくるんだ。山中を流れる川の水はこの時期でも凄く冷たいから、吹いてくる風も涼しくなるってわけ」
「へえ……」
此処の川はとっても綺麗で、河童仲間にも評判が良い。
また泳ぎに来ようかな。きっと、物凄く気持ち良いに違いない。その時は雛も一緒だと嬉しいな、なんて。
「川って凄いのね。こんなに暑い中で、こんなに涼しい空気を振り撒けるなんて」
私がそんな事を考えている横で、雛は、ごく何気無くといった感じに呟いた。
しかしそれは、私の心をがつんと揺さぶる一言だった。
「へ、へへ」
「どうしたの? 頬っぺた真っ赤よ」
「ああ、うん、えっとね」
頬を掻きつつ、雛の方を向く。
「何だか私が褒められたみたいで、嬉しくなっちゃった。ほら、河童って、川とずっと一緒に生きてるようなものだからさ」
私がそう言うと、雛は暫く目を瞬かせていたが――やがて、くすっと笑みを零した。
「あ、あれ? 私、何かおかしい事言った?」
「ううん、そうじゃなくて。……にとり、可愛いなって」
はい?
私の頭の上にハテナマークが浮かぶ。
「ふふ、気にしないで」
雛はぱたぱたと手を振ると、結局私のハテナを取り去ってくれないまま、次の言葉を飛ばしてきた。
「言われてみればにとりの弾幕も、川の力を模している物が多いわよね。何て言うんだったかしら……ぽろろろっか?」
「ポロロッカ。ロが一つ多いよ、雛」
「そうそう、ぽろろっか」
「ポロロッカって言うのは、物凄い勢いで川が逆流する事、って言えばいいかな。弾幕ごっこの時はあくまで弾幕だけれど、私が本気になれば本物の川だって」
ん?
「本物の川、かぁ」
呟いて、腕を組む。
頭の中で、ぼんやりとした像が少しずつ鮮明になっていく。
その像は一旦ばらばらのパーツとなって、そして再びカチャカチャと組み上がっていく。
「にとり……?」
突然押し黙ってしまった私を怪訝に思ったのか、雛が覗き込んできた。
私はその存在を感じて顔を上げると、飛びかからんばかりの勢いでぎゅ~っ、と抱きしめた。
「きゃっ!?」
「ありがと、雛! おかげで良いアイデアが浮かびそうだよ!」
「え、ええ??」
そして間髪入れずに踵を返し、全速力で飛び出す。
「すぐに作ってくるから! 待っててねー!!」
「ちょ、ちょっとにとっ…………もう」
ぶんぶんと思い切り手を振って、そのまま飛び去る私。
後に残された雛が言葉を発した頃には、私は既にそれを聴ける範囲の外に居て。
また叱られる種を蒔いてしまった事に、発明の高揚感に包まれていたこの時の私は、気付く由も無かった。
・
「ひーなっ!」
それから何日かが過ぎた、やはり強い日差しが照りつける日。
雛の家の扉の前で、声高らかに彼女の名前を呼ぶ私が居た。
「いらっしゃい……ってどうしたのその恰好。油でべとべとじゃない」
「ん? これぐらい何時もの事だよ。平気、平気」
私を見るなり目を丸くした雛に、私はぐるりと自分を見渡す。確かに、服のあちらこちらが機械油で黒ずんでいた。
でも機械いじりをした直後はこんなものだし、この服はちょっと洗えば油汚れもすっきりな特別製なので、気にする必要は全く無いのだ。
と言う内容を雛に伝えても、雛は呆れ顔を私に向けて、
「平気じゃないわよ、顔まで真っ黒にしておいて。ちょっと待ってて、顔だけでも拭いてあげるから」
と言って小走りに部屋の奥へと消えていった。
……うーん、鏡とか見ないで出てきちゃったからなぁ。顔まで汚れているのには気付かなかった。
思わず顔を手で拭ってしまいそうになったけれど、余計に被害が大きくなりそうなので我慢する。
「お待たせ。少しじっとしていてね?」
「ん」
程なくして濡れタオルを思しきものを持って戻ってきた雛は、ぺたぺたと押すようにして私の顔を拭っていく。
「ああもう、こんな所までべっとり」
「にっとりがべっとり、なんちゃって。えへへ」
「面白くないわよ」
「むぐ」
容赦の無いツッコミと共に、口元にタオルを押しつけられた。しょんぼり。
「で。顔を洗う間も惜しんで私の所にやってきた理由は何かしら?」
雛はそのまま私の顔を拭き終えると、苦笑いを浮かべつつ言った。
その表情からして、雛にはもう理由の想像がついているのだろう。
私はそれを承知した上で、わざと含みを持たせた調子で応える。
「ふふー、知りたい?」
「そうね、是非知りたいわ?」
雛も意味ありげに微笑んでくる。
傍から見れば、白々しいと思われそうなやり取り。でも、こういうのが楽しかったりする。ちょっとくすぐったいけど。
「ではではお披露目タイム。これに取り出しまするは雛に涼を与える発明品。私の発明品No1993。名付けて――」
私はたっぷりと間を取りつつ、右腕の袖をまくっていく。下から現れたのは、銀色の腕輪。
「――『いつでもどこでもポロロッカ』!」
その中央に嵌まった鉱石が、きらりと光を放った。
・
雛の家の前はちょっとした広場のようになっていて、発明品を試すにはうってつけの場所だった。
私はその広場で、雛を前に、『いつでもどこでもポロロッカ』を構えつつ口を開く。
「ま、百聞は一見に如かず。今から使ってみせるから、私の近くに居てくれる?」
「分かったわ」
地を蹴り、二メートル程浮かんだ所に陣取る。
雛も浮かび上がって、私の左隣へとやって来る。
「使い方は簡単。こうしてこいつを掲げて――」
私は右腕で天を突くと、すうっと深く息を吸い込み、宣言する。
「カモォン、ポロロッカっ!!」
すると私の声に応じて、腕輪から一つの金属体が飛び出した。
それはガシャガシャと威勢の良い音を立てつつ私の足元で展開し、大きなすり鉢状の物体へと変化していく。
そこへ、ザザザザッ…と飛沫を立てながら、水流が何処からか空中をわたってやってくる!
「わ、あ……!?」
息を飲んで周りの光景に見入っている雛を掠めるようにして、水流はすり鉢へと流れ込み、その淵に沿ってぐるぐると回転を始めた。
「うん、期待通りの動き!」
私は満足げに頷きつつ、腕輪を着けた腕をぶんっ、と振る。
するとすり鉢は瞬く間に小さな金属体へと戻り、腕輪に元通りに収まった。水流も解け、元やって来た方へと流れ去っていく。
数秒後には、周囲に漂う冷たい空気だけを残して、辺りは全く元通りになった。
「……とまぁ、こんな感じだよ」
「ひゃ?」
まだどこかぼうっとしている感じの雛を、ちょんと小突いてやる。
雛は此方を向き、目をぱちぱちさせた。
「こんな感じと言われても、凄すぎて良く分からなかったわ……確かに涼しくはなったけど。一体どういう仕掛けなの?」
「んーとね、今流れてきたの、川の水なんだ。この場所で使ったんならきっと、この間雛と一緒に見かけたあの川のだと思う」
そこまで説明すると、私は人差し指を立てて腕を横に薙ぎ、自分の周りに円を描いた。
「で、その川の水を周りに思い切り流してやる事で、自分は水で冷やされた空気を堪能できるって寸法。雛のおかげだよ。ほら、この間、川の近くの風が涼しいって話をしたじゃない? だったら、川を自分の所に持ってきてやればいつでも涼しい風が味わえるんじゃないかって」
「成る程ね……。効果は抜群、ってところかしら? ちょっと大仰すぎる気がしないでもないけど」
「ええー」
軽く苦笑する雛に、大仰なのがいいのに、と口を突きだす私。
「……でも確かに、もうちょっとコンパクトにできると良いかなぁ。水を呼び寄せるのには、この魔法石に溜めた私の妖力を使ってるんだけどさ」
腕輪の中央の石を、雛に指し示す。
「今のままだと一回に使う妖力が多くて、この魔法石に溜めておける妖力じゃ、使えて精々五回が良い所。もっと良い魔法石が手に入ったら良かったんだけど」
魔法石の提供元、魔理沙がケチったせいだ。
人間にしろ妖怪にしろ、魔法使いという奴はなんであんなに足元を見てくるのかね。
「つまり、五回使う度ににとりの妖力を籠めてやらないといけないってこと?」
「私の、と言うか河童の、かな。河童なら皆、同じような力を持ってるし」
私がそう言うと、雛は何を言っているんだとばかりに、即座に言い返してきた。
「私にはにとりが居るんだから、にとりにお願いしに行くわ。それで良いんでしょう?」
「……う、うん」
慌ただしく頷く私に、雛は満足げな微笑みを見せる。
やばい。今の、なんかナチュラルにきゅんときちゃった。
自分の顔が耳まで熱くなっているのが、自分でも分かる。
私は何となく話題を切り替えたくなって、雛に訊いてみた。
「ええ、と。じゃあ、今度は雛が試してみる?」
「いいの?」
「勿論。元々雛に使ってもらう為に作ったんだしね」
腕輪を外して手渡すと、雛はそれをおっかなびっくりといった感じに腕に嵌めていく。
「……一つ聞いて良いかしら」
「ん、何?」
「さっきの台詞。あれ、絶対言わないと駄目?」
「うん。あと、嵌めている腕を高く掲げないと駄目」
私が即答すると、雛は何故かげんなりした表情になった。どうしたんだろ?
その後も雛は暫く逡巡を見せていたけれど、やがてふーっ、と息をつくと、意を決したように右腕を掲げた。
「か、かもーん、ポロロッカっ!!」
彼女の詰まったような掛け声に合わせて金属体が展開し、水流が回転し、周囲の空気が冷たい風となって私達に降り注ぐ――私が使った時と全く同じように発動する『いつでもどこでもポロロッカ』。
良かった、私以外の人妖が使っても問題はないみたいだ。
内心でほっと胸を撫で下ろしていると、雛は腕輪をしげしげと眺めながら、呟いた。
「水が冷たいんだから当たり前と言えば当たり前だけど、効果てき面ね……今が真夏だなんて嘘みたい」
「へへー、良いもんでしょ?」
「そうね、凄い発明だと思うわ、にとり」
ストレートに褒められてしまって、鼻の頭をぽりぽりと掻く私。
発明品を作り上げる事は勿論嬉しい事だけれど、その発明品を使った人に評価してもらえるのはやっぱり、もっと嬉しい。
それが自分の大好きな人であるなら、尚更だ。
「……これだけ涼しいと、厄集めも捗るってものね。この間逃がした分、今取り戻しちゃおうかしら」
そう言うと雛は、ゆったりと回転を始めた。
間もなく周囲から厄の淀みが引き寄せられてくるのを感じて、私はちょっとだけ距離を取る。
別に厄が怖いってわけじゃない。こうしないと、雛にこっぴどく怒られてしまうのだ。
そんなの構わないってどんなに言っても聞きやしないので、今はお仕事の邪魔をしちゃいけないんだー的に自分を納得させている。
「~♪」
なるほど、捗るんだろうか。雛は珍しく、鼻歌なんて口ずさんでいる。
回転するスピードも、いつもより少しばかり速い気がする。
ぐるぐるぐるぐる。
それは更に速まっていく。
ぐるぐるぐるぐるぐる!!
しまいには雛を中心に、渦を巻くように風が吹き始めた。
うわー、凄いなぁ。こんな勢いの雛、初めて見たよ。
あれ? でも、今ここでそんな風が吹いたりしたら――
「――うえええぇっ!?」
いつの間にか様変わりしていた、周囲の光景に驚愕する。
元々回転していた水が雛から発せられている風にあおられて、あり得ない速度で渦巻いていた。
耳をそばだてると、水流を支えているすり鉢状金属体からも、ギシギシ、バチバチ、という嫌な音が響いているのが分かった。
「ひ、雛! 回転ストップ! なんだかまず……!」
気付いた時にはもう遅かった。
すり鉢状金属体から怒涛が巻き上がり、そして私と雛を飲み込んでいく。
慌てて雛の身体を捕まえたけれど、河童の泳ぎの技術をもってしても、私はすぐに自分の姿勢を制御できなくなって。
水飛沫の音を最後に、意識が、闇に沈んだ。
・
慣れ親しんだ冷たい水の感触と、暖かい心地との中で、私は目を覚ました。
何だろう。ほっぺたがふかふかしたものに包まれて……。
間もなく視界が像を結ぶ。
私は、水溜まりの中に横たわっているらしかった。そして、すぐ前には雛の顔。
ええと、つまり、今私の頬を包んでいるものは。
「ひゅいっ!?」
「だ、大丈夫、にとり?」
慌てて起き上がる私に、心配そうな声をかけてくる雛。
私は、こくこくと頷き返す事しかできない。
ちらりと辺りを見回すと、此処はすり鉢状金属体の底の部分だった。
「そっか、私達水流に巻き込まれて……」
さっき起こった事が漸く思い出されてきて、そう呟く私。
すると、横で雛がしゅんとうなだれたのが傍目に見えて、慌てて私は雛の方に向き直った。
「……ごめんなさい。やり過ぎちゃった」
「いやいや、私の見通しが甘かったんだよっ。まさか雛があそこまで回転出来るだなんて……あの回転力に耐えられるように設計し直さないとなぁ」
「ううん、にとりは素敵な物を作ってくれたわ」
私の言葉は遮られ、そして両手で両手を、ぎゅっと握られた。
私の心は途端に、どぎまぎとし始める。
「ね。これ、厄集めの最中に使わなければ問題ないのよね?」
「ま、まぁ、そうなんじゃない、かな。壊れてはないみたい、だし」
「なら、使わせてもらうわ。折角にとりが私の為に作ってくれたんだもの」
そして、穏やかな笑顔で、まっすぐに見つめられる。
「ありがとう、にとり」
「……うん」
頷いた拍子、目元を水滴が流れ落ちた。
視界が遮られそうになるけれど、雛の手から離れたくなくて、手では拭わずに、目をぱちぱちさせて無理矢理やり過ごす。
そんな私の様子を見てか、雛がくくっと噴き出した。
「もう、そんなにびしょ濡れになっちゃって。河童の川流れも良い所ね」
私もけらけらと笑い返す。
「そう言う雛だってずぶ濡れじゃないか」
「良いわよ、これはこれで涼しいし」
「あは、違いないや」
水濡れのまま笑う雛は、信じられないくらいに綺麗で。
私は半ば無意識に、その笑顔に自分の顔を近づけていく。
時を同じくして、雛も私に向けて、顔を近づけてくる。
「雛」
「にとり」
私達は笑い合ったまま、お互いの名前を呼んで、
――ああ、山の神の皆々様。
私河城にとりは、河童として、エンジニアとして生まれてきたことに、
そして、この愛しい厄神様の笑顔をこんなに近くで見られることに、
心から感謝致します――
だっだっだっ、と地を駆けてみる。だが、地を蹴っている筈の私の脚も私の目には映らない。
「よし、のーぷろぶれむ!」
身に着けている光学迷彩スーツに異常が無いらしい事が分かり、私はガッツポーズを作る。
妖怪の山に巫女達がやってきたあの異変から、早数年。
あの時は速攻でバレてしまう程度の性能だったこのスーツは、改良に改良を重ね、とうとうこの日、大妖怪の妖力を使っても見透かす事の出来ない、『おぷてぃかるかもふらーじゅばーじょん12改』へと成長を遂げたのだ!
「……らいいんだけどねぇ」
ぐったりと肩を落とす私。現実はそんなに甘くなかった。
改善点と言えば精々、スーツの耐久性をちょっぴり上げる事が出来た程度だ。
「まぁ、それだけでも御の字かな。後は、他の誰かを使ってテスト出来たらいいんだけども……お?」
ぐるりと回した視線の端、空の上に、私は一つの影を捕らえた。
額に手を当てて改めてそちらを確認すると、その影はくるくると回りながら、ゆっくりと空を舞っている。
「雛だ」
うん、あのくるくる具合は間違いない。我が愛しの厄神様だ。
……我が愛しの、だって。恥ずかしいなぁ私。てれてれ。
でも、これは何と言うグッドタイミング。山の神様の思し召しに違いない。早速彼女にテストをお願いしよう。
「ひ――」
その名前を呼ぼうとして、しかし私は、慌てて自分の口を塞いだ。
……ちょっとぐらい脅かしても厄はもらわないよね?
心に芽生えた悪戯心と共に、私はスーツを着込んだまま、その影に向けてひゅいっ、と飛翔する。
「うわっ、今日はまた暑いなぁ」
木々の間から空に飛び出すと、容赦の無い日差しが私を襲った。
幻想郷は只今、夏真っ盛り。こまめに水を補給しないとやってられない。何処に?とは訊いちゃいけないお約束。
そんな厳しい夏空の中を、私は彼女に向かって飛んでいく。
近づくにつれて、くるくると回るその姿がより鮮明になってくる……うん、やっぱり雛だった。
私は迷彩の中に姿を隠したまま、彼女に寄り添うようにして飛び始める。
くるくる、くるくる。
雛の飛び方は、まるでダンスのステップを踏んでいるみたいだと思う。
身体に少し遅れてたなびく、深い緑色の髪。風と回転力とを受けて、ふわりとはためくスカート。
一つ一つのパーツがとても綺麗で、それが合わさった彼女は更に綺麗で……まぁ、その周囲を漂っている厄はまたちょっと印象が違うけれど、もう私はそんなの気にしない。
そうして並んで飛び続ける事暫し。
全く変わらない雛の様子に、私は試しに、彼女の回転が巻き起こす空気の流れと、厄の淀んだ気配とが感じられるぐらいに近づいてみた。
けど、それでも雛はただ、くるくると舞い続けるばかり。
「むう」
私は小さく唸り声を上げた。
これだけ近づいても気付かれないという事は、自身の作品が上手く仕上がっているという事で、嬉しい筈の事なのだけれど。
心の中には反対に、寂しい気持ちがちょっとずつ膨れ上がってきて。
「……ひーなっ!」
私はとうとう我慢できなくなって、雛に呼びかけながら、ぎゅっと抱きついてしまった。
――ぐらり。
「え?」
不意に、視界が傾いた。
そして次の瞬間、雛を宙に留まらせていた浮力が一気に失われて、
「え、ええええええ!?」
抱きついていた私もろとも、雛は真っ逆さまに地面へと落下し始めた。
「のっ、『のびーるアーム』っ!!」
私は慌てて、背中のリュックに潜ませていたメカを解放する……!!
「…………」
背中には、リュックごしに引っ張られる感覚。腕には、軽いけれど確かな重さ。
私はそれらを感じ取って、きゅっと瞑っていた瞼を開く。
リュックから伸びた長い二本の腕は、しっかりと地面に貼り付いて私を支えてくれてはいたけれど、ところどころが変に捩れていた。これは修理しないと駄目っぽい。でも、今はそんな事より、もっと優先すべき問題があった。
私は腕の中の雛を、改めて見る。
「良かった、怪我はしていないみたい……だ、ね……?」
一通り彼女の様子を確認していた私の視線が、その顔まで来た所で、ぴしりと固まった。
雛の顔は真っ赤で、目はぐるぐると回っている。頭からは何だか湯気が出ているような気さえする。
「ひ、雛?」
恐る恐るといった感じに、私は彼女に呼びかける。
すると、その唇が僅かに歪んで、
「……きゅう」
「雛ーーっ!?」
・
ぱたぱた、ぱたぱた。
私の発明品No1728である所の自動団扇扇ぎ機に扇がれつつ、雛は私の家の寝室で横たわっていた。辺りに厄の気配は無い。さっき落ちた時に霧散してしまったみたいだ。
けれどその視線はもうはっきりとしていて、私に向けて注がれていた。
「ごめんなさい、にとり。迷惑かけちゃったわね」
「あ、駄目駄目。まだ横になってなよ」
「ううん、もう大丈夫」
雛は私の言葉を制すると、私が額に置いていた冷たいタオルを手に取りつつ、布団から身を起こした。
……確かに、大分落ち着いてきたみたい。
私は心の中で安堵して、改めて雛に声をかける。
「熱中症にでもかかったのかな。神様も熱中症になるの?」
「……どうだったかしら。何時ものように厄を回収しに飛んでいただけだったんだけど、途中から何だかぼうっとしちゃって」
「今日は本当、暑いからねー……。あと雛の場合、その服のせいもあるんじゃない?」
私は視線で、雛が着込んでいる服を指し示す。
雛が着ているのは黒を基調とした、何と言うかもっさりとした服。見ているだけで暑くなってしまいそうな恰好だ。
もっと涼しい服を着ればいいのに、と私が提言すると、雛はふるふると首を横に振った。
「それは駄目。この服は特別製でね、これを着ていないと厄の集まりが悪いの」
……むう、だったらしょうがないのかな。
いや、やっぱり良くない。
毎年毎年、雛がこんなに苦しい思いをするなんて、良くない。
「そうだっ!」
「ふわっ!? ど、どうしたのよにとり。吃驚するじゃない」
慌てた素振りの雛に、私はずずいっと詰め寄る。
「ねっ、雛。私、雛が外でも涼しく過ごせるような機械を作ってあげるよ!」
「……ええ?」
「大丈夫大丈夫、どーんと任せておきなって」
どん、と自分の胸を叩く。
雛は呆気に取られたような表情で私を見ていたけれど、その時にはもう、私のエンジニア思考は猛スピードで回り始めていた。
――さて、涼しくなるものって言ったら何だろう?
風? 水? 氷? あと幽霊なんかもあるかな?
リュックの中からノートとペンを取り出し、手当たり次第にアイデアを書き散らす。
――一番冷たそうなのは氷だよね。
氷と言えば湖に住んでる氷精だけど……氷精がいつもくっついてくれるような、氷精の好きな匂いを撒き散らす機械とか?
いや、駄目だ駄目だ。氷精が雛にいつもくっついてるなんて。却下却下。
今しがた自分が書いた文章に、大きくバッテンをつける。
――幽霊、は下手に使うとあちこちに怒られそうだしなぁ。
それに、霊夢や魔理沙が一度試してみたって聞くし。人が通った道の後追いをするのは、何だか癪だ。
も一つバッテン。
――風を使うにしても、ここに置いてる団扇扇ぎ機ぐらいの風じゃ焼け石に水だし。
天狗様の団扇みたいな凄いのが作れたとしても、空を飛んでる時にそんな凄い風に吹かれたら、吹き飛ばされちゃうだけだよねぇ。
やっぱり水かな? 私達河童の得意分野だもんね。でも、一体どう使ったら――
「にとり」
「あれがあーでこーなって……いや、それをこう繋いで……」
「にとり?」
「ひゅい?」
不意に声を投げかけられて、私は顔を上げた。
雛が何だかむくれっ面だ。どうしたんだろう?
「もう。にとりってば機械の事となると、本当に夢中になっちゃうんだから」
……あ。
「う、そうだよね。折角雛と一緒に居るって言うのに」
雛の為の機械を考えていて、雛本人を放ったらかしにしているとか。本末転倒もいい所だった。
これがエンジニアのサガかー、って誤魔化しちゃいけないよね。反省。
俯いて頭を掻きつつそんな事を考えていると、すり、と柔らかい感触が、私の肩の辺りに伝わってきた。
吃驚してそちらを見ると、雛が私に、ぴったりと身体を摺り寄せてきていて。
「ひ、雛?」
「何かしら?」
「……あのですね、ええと。……暑く、ない?」
「暑いわよ?」
平然と答えられる。
そしてその答えとは正反対に、雛はますます私との距離を縮めてくる。
ただでさえ暑さに火照っていた私の頬に、一層の熱が篭り始める。
「でもね、人肌というのは別腹なの」
「わ、私は河童で、雛は神様だよ? 人じゃないじゃない」
「にとり。それ以上、野暮な突っ込みは禁止」
今度はきゅっ、と軽く頬を抓られる。
しょうがないじゃない。こんな事でも言っていないと、どきどきし過ぎるんだもの。
気が付くと、雛は完全に私の肩口にもたれかかるような体勢になっていた。
私はちらちらと視線を泳がせてしまって……そして、所在なく置かれた雛の掌を視界に捉えた。
私はその上に、自分の手を、そっと重ねる。
「ね、雛」
「うん?」
「……涼しくなる機械、やっぱり作ってみるよ。雛が大変な思いをしてるの、ちょっとでも無くしてあげたいから」
「ん」
雛は、小さく頷き返してくれた。
強張っていた私の身体から、ふっと力が抜けるのを感じる。
その勢いのまま、私の方からもちょっとだけ、雛に寄り掛かってみた。
・
それから数刻後。
私と雛は、日の暮れかけた空を、昼間とは逆の方向にふよりふよりと飛んでいた。
向かう先は雛の家。雛はすっかり快復したようではあったけれど、やはり不安が拭いきれなかった私は、帰る彼女を送り届ける事にしたのだ。
「此処までで良いわよ。家、もうすぐそこだし」
丁度太陽が山の向こうに消え始めた頃、雛はくるりと私に向き直り、そう告げた。
私も足を止め、軽く辺りを見渡す。確かに其処は、もう数分もあれば雛の家に辿り着くであろう場所だった。
しかし私は、雛に渋い顔を向ける。
「ううん、でもやっぱり、家まで一緒に行った方が」
「全く、貴女は放任主義なのか過保護なのか良く分からないわね」
「う゛」
ぼそっと皮肉を飛ばされて、固まってしまう私。
雛はそんな私に、からかいを込めた笑いを投げかけてくる。
私は何だかばつが悪くなって、自分のお下げ髪をくりくりと弄り回し始める。
と。そよ、と一筋の風が頬を撫でた。随分と涼しい、気持ちの良い風だった。
そう言えば、この辺りには……
「……いい風。こんな風がずっと吹いてくれていたら、涼しくて良いのに」
雛も同じ風を感じ取ったらしい。目を細めて、身を委ねるようにしている。
「近くに川が流れてるからだよ。ほら、あそこ」
私は足の下、風の元を指し示す。
「風が吹くと、あの川に冷やされた空気がこっち側に流れてくるんだ。山中を流れる川の水はこの時期でも凄く冷たいから、吹いてくる風も涼しくなるってわけ」
「へえ……」
此処の川はとっても綺麗で、河童仲間にも評判が良い。
また泳ぎに来ようかな。きっと、物凄く気持ち良いに違いない。その時は雛も一緒だと嬉しいな、なんて。
「川って凄いのね。こんなに暑い中で、こんなに涼しい空気を振り撒けるなんて」
私がそんな事を考えている横で、雛は、ごく何気無くといった感じに呟いた。
しかしそれは、私の心をがつんと揺さぶる一言だった。
「へ、へへ」
「どうしたの? 頬っぺた真っ赤よ」
「ああ、うん、えっとね」
頬を掻きつつ、雛の方を向く。
「何だか私が褒められたみたいで、嬉しくなっちゃった。ほら、河童って、川とずっと一緒に生きてるようなものだからさ」
私がそう言うと、雛は暫く目を瞬かせていたが――やがて、くすっと笑みを零した。
「あ、あれ? 私、何かおかしい事言った?」
「ううん、そうじゃなくて。……にとり、可愛いなって」
はい?
私の頭の上にハテナマークが浮かぶ。
「ふふ、気にしないで」
雛はぱたぱたと手を振ると、結局私のハテナを取り去ってくれないまま、次の言葉を飛ばしてきた。
「言われてみればにとりの弾幕も、川の力を模している物が多いわよね。何て言うんだったかしら……ぽろろろっか?」
「ポロロッカ。ロが一つ多いよ、雛」
「そうそう、ぽろろっか」
「ポロロッカって言うのは、物凄い勢いで川が逆流する事、って言えばいいかな。弾幕ごっこの時はあくまで弾幕だけれど、私が本気になれば本物の川だって」
ん?
「本物の川、かぁ」
呟いて、腕を組む。
頭の中で、ぼんやりとした像が少しずつ鮮明になっていく。
その像は一旦ばらばらのパーツとなって、そして再びカチャカチャと組み上がっていく。
「にとり……?」
突然押し黙ってしまった私を怪訝に思ったのか、雛が覗き込んできた。
私はその存在を感じて顔を上げると、飛びかからんばかりの勢いでぎゅ~っ、と抱きしめた。
「きゃっ!?」
「ありがと、雛! おかげで良いアイデアが浮かびそうだよ!」
「え、ええ??」
そして間髪入れずに踵を返し、全速力で飛び出す。
「すぐに作ってくるから! 待っててねー!!」
「ちょ、ちょっとにとっ…………もう」
ぶんぶんと思い切り手を振って、そのまま飛び去る私。
後に残された雛が言葉を発した頃には、私は既にそれを聴ける範囲の外に居て。
また叱られる種を蒔いてしまった事に、発明の高揚感に包まれていたこの時の私は、気付く由も無かった。
・
「ひーなっ!」
それから何日かが過ぎた、やはり強い日差しが照りつける日。
雛の家の扉の前で、声高らかに彼女の名前を呼ぶ私が居た。
「いらっしゃい……ってどうしたのその恰好。油でべとべとじゃない」
「ん? これぐらい何時もの事だよ。平気、平気」
私を見るなり目を丸くした雛に、私はぐるりと自分を見渡す。確かに、服のあちらこちらが機械油で黒ずんでいた。
でも機械いじりをした直後はこんなものだし、この服はちょっと洗えば油汚れもすっきりな特別製なので、気にする必要は全く無いのだ。
と言う内容を雛に伝えても、雛は呆れ顔を私に向けて、
「平気じゃないわよ、顔まで真っ黒にしておいて。ちょっと待ってて、顔だけでも拭いてあげるから」
と言って小走りに部屋の奥へと消えていった。
……うーん、鏡とか見ないで出てきちゃったからなぁ。顔まで汚れているのには気付かなかった。
思わず顔を手で拭ってしまいそうになったけれど、余計に被害が大きくなりそうなので我慢する。
「お待たせ。少しじっとしていてね?」
「ん」
程なくして濡れタオルを思しきものを持って戻ってきた雛は、ぺたぺたと押すようにして私の顔を拭っていく。
「ああもう、こんな所までべっとり」
「にっとりがべっとり、なんちゃって。えへへ」
「面白くないわよ」
「むぐ」
容赦の無いツッコミと共に、口元にタオルを押しつけられた。しょんぼり。
「で。顔を洗う間も惜しんで私の所にやってきた理由は何かしら?」
雛はそのまま私の顔を拭き終えると、苦笑いを浮かべつつ言った。
その表情からして、雛にはもう理由の想像がついているのだろう。
私はそれを承知した上で、わざと含みを持たせた調子で応える。
「ふふー、知りたい?」
「そうね、是非知りたいわ?」
雛も意味ありげに微笑んでくる。
傍から見れば、白々しいと思われそうなやり取り。でも、こういうのが楽しかったりする。ちょっとくすぐったいけど。
「ではではお披露目タイム。これに取り出しまするは雛に涼を与える発明品。私の発明品No1993。名付けて――」
私はたっぷりと間を取りつつ、右腕の袖をまくっていく。下から現れたのは、銀色の腕輪。
「――『いつでもどこでもポロロッカ』!」
その中央に嵌まった鉱石が、きらりと光を放った。
・
雛の家の前はちょっとした広場のようになっていて、発明品を試すにはうってつけの場所だった。
私はその広場で、雛を前に、『いつでもどこでもポロロッカ』を構えつつ口を開く。
「ま、百聞は一見に如かず。今から使ってみせるから、私の近くに居てくれる?」
「分かったわ」
地を蹴り、二メートル程浮かんだ所に陣取る。
雛も浮かび上がって、私の左隣へとやって来る。
「使い方は簡単。こうしてこいつを掲げて――」
私は右腕で天を突くと、すうっと深く息を吸い込み、宣言する。
「カモォン、ポロロッカっ!!」
すると私の声に応じて、腕輪から一つの金属体が飛び出した。
それはガシャガシャと威勢の良い音を立てつつ私の足元で展開し、大きなすり鉢状の物体へと変化していく。
そこへ、ザザザザッ…と飛沫を立てながら、水流が何処からか空中をわたってやってくる!
「わ、あ……!?」
息を飲んで周りの光景に見入っている雛を掠めるようにして、水流はすり鉢へと流れ込み、その淵に沿ってぐるぐると回転を始めた。
「うん、期待通りの動き!」
私は満足げに頷きつつ、腕輪を着けた腕をぶんっ、と振る。
するとすり鉢は瞬く間に小さな金属体へと戻り、腕輪に元通りに収まった。水流も解け、元やって来た方へと流れ去っていく。
数秒後には、周囲に漂う冷たい空気だけを残して、辺りは全く元通りになった。
「……とまぁ、こんな感じだよ」
「ひゃ?」
まだどこかぼうっとしている感じの雛を、ちょんと小突いてやる。
雛は此方を向き、目をぱちぱちさせた。
「こんな感じと言われても、凄すぎて良く分からなかったわ……確かに涼しくはなったけど。一体どういう仕掛けなの?」
「んーとね、今流れてきたの、川の水なんだ。この場所で使ったんならきっと、この間雛と一緒に見かけたあの川のだと思う」
そこまで説明すると、私は人差し指を立てて腕を横に薙ぎ、自分の周りに円を描いた。
「で、その川の水を周りに思い切り流してやる事で、自分は水で冷やされた空気を堪能できるって寸法。雛のおかげだよ。ほら、この間、川の近くの風が涼しいって話をしたじゃない? だったら、川を自分の所に持ってきてやればいつでも涼しい風が味わえるんじゃないかって」
「成る程ね……。効果は抜群、ってところかしら? ちょっと大仰すぎる気がしないでもないけど」
「ええー」
軽く苦笑する雛に、大仰なのがいいのに、と口を突きだす私。
「……でも確かに、もうちょっとコンパクトにできると良いかなぁ。水を呼び寄せるのには、この魔法石に溜めた私の妖力を使ってるんだけどさ」
腕輪の中央の石を、雛に指し示す。
「今のままだと一回に使う妖力が多くて、この魔法石に溜めておける妖力じゃ、使えて精々五回が良い所。もっと良い魔法石が手に入ったら良かったんだけど」
魔法石の提供元、魔理沙がケチったせいだ。
人間にしろ妖怪にしろ、魔法使いという奴はなんであんなに足元を見てくるのかね。
「つまり、五回使う度ににとりの妖力を籠めてやらないといけないってこと?」
「私の、と言うか河童の、かな。河童なら皆、同じような力を持ってるし」
私がそう言うと、雛は何を言っているんだとばかりに、即座に言い返してきた。
「私にはにとりが居るんだから、にとりにお願いしに行くわ。それで良いんでしょう?」
「……う、うん」
慌ただしく頷く私に、雛は満足げな微笑みを見せる。
やばい。今の、なんかナチュラルにきゅんときちゃった。
自分の顔が耳まで熱くなっているのが、自分でも分かる。
私は何となく話題を切り替えたくなって、雛に訊いてみた。
「ええ、と。じゃあ、今度は雛が試してみる?」
「いいの?」
「勿論。元々雛に使ってもらう為に作ったんだしね」
腕輪を外して手渡すと、雛はそれをおっかなびっくりといった感じに腕に嵌めていく。
「……一つ聞いて良いかしら」
「ん、何?」
「さっきの台詞。あれ、絶対言わないと駄目?」
「うん。あと、嵌めている腕を高く掲げないと駄目」
私が即答すると、雛は何故かげんなりした表情になった。どうしたんだろ?
その後も雛は暫く逡巡を見せていたけれど、やがてふーっ、と息をつくと、意を決したように右腕を掲げた。
「か、かもーん、ポロロッカっ!!」
彼女の詰まったような掛け声に合わせて金属体が展開し、水流が回転し、周囲の空気が冷たい風となって私達に降り注ぐ――私が使った時と全く同じように発動する『いつでもどこでもポロロッカ』。
良かった、私以外の人妖が使っても問題はないみたいだ。
内心でほっと胸を撫で下ろしていると、雛は腕輪をしげしげと眺めながら、呟いた。
「水が冷たいんだから当たり前と言えば当たり前だけど、効果てき面ね……今が真夏だなんて嘘みたい」
「へへー、良いもんでしょ?」
「そうね、凄い発明だと思うわ、にとり」
ストレートに褒められてしまって、鼻の頭をぽりぽりと掻く私。
発明品を作り上げる事は勿論嬉しい事だけれど、その発明品を使った人に評価してもらえるのはやっぱり、もっと嬉しい。
それが自分の大好きな人であるなら、尚更だ。
「……これだけ涼しいと、厄集めも捗るってものね。この間逃がした分、今取り戻しちゃおうかしら」
そう言うと雛は、ゆったりと回転を始めた。
間もなく周囲から厄の淀みが引き寄せられてくるのを感じて、私はちょっとだけ距離を取る。
別に厄が怖いってわけじゃない。こうしないと、雛にこっぴどく怒られてしまうのだ。
そんなの構わないってどんなに言っても聞きやしないので、今はお仕事の邪魔をしちゃいけないんだー的に自分を納得させている。
「~♪」
なるほど、捗るんだろうか。雛は珍しく、鼻歌なんて口ずさんでいる。
回転するスピードも、いつもより少しばかり速い気がする。
ぐるぐるぐるぐる。
それは更に速まっていく。
ぐるぐるぐるぐるぐる!!
しまいには雛を中心に、渦を巻くように風が吹き始めた。
うわー、凄いなぁ。こんな勢いの雛、初めて見たよ。
あれ? でも、今ここでそんな風が吹いたりしたら――
「――うえええぇっ!?」
いつの間にか様変わりしていた、周囲の光景に驚愕する。
元々回転していた水が雛から発せられている風にあおられて、あり得ない速度で渦巻いていた。
耳をそばだてると、水流を支えているすり鉢状金属体からも、ギシギシ、バチバチ、という嫌な音が響いているのが分かった。
「ひ、雛! 回転ストップ! なんだかまず……!」
気付いた時にはもう遅かった。
すり鉢状金属体から怒涛が巻き上がり、そして私と雛を飲み込んでいく。
慌てて雛の身体を捕まえたけれど、河童の泳ぎの技術をもってしても、私はすぐに自分の姿勢を制御できなくなって。
水飛沫の音を最後に、意識が、闇に沈んだ。
・
慣れ親しんだ冷たい水の感触と、暖かい心地との中で、私は目を覚ました。
何だろう。ほっぺたがふかふかしたものに包まれて……。
間もなく視界が像を結ぶ。
私は、水溜まりの中に横たわっているらしかった。そして、すぐ前には雛の顔。
ええと、つまり、今私の頬を包んでいるものは。
「ひゅいっ!?」
「だ、大丈夫、にとり?」
慌てて起き上がる私に、心配そうな声をかけてくる雛。
私は、こくこくと頷き返す事しかできない。
ちらりと辺りを見回すと、此処はすり鉢状金属体の底の部分だった。
「そっか、私達水流に巻き込まれて……」
さっき起こった事が漸く思い出されてきて、そう呟く私。
すると、横で雛がしゅんとうなだれたのが傍目に見えて、慌てて私は雛の方に向き直った。
「……ごめんなさい。やり過ぎちゃった」
「いやいや、私の見通しが甘かったんだよっ。まさか雛があそこまで回転出来るだなんて……あの回転力に耐えられるように設計し直さないとなぁ」
「ううん、にとりは素敵な物を作ってくれたわ」
私の言葉は遮られ、そして両手で両手を、ぎゅっと握られた。
私の心は途端に、どぎまぎとし始める。
「ね。これ、厄集めの最中に使わなければ問題ないのよね?」
「ま、まぁ、そうなんじゃない、かな。壊れてはないみたい、だし」
「なら、使わせてもらうわ。折角にとりが私の為に作ってくれたんだもの」
そして、穏やかな笑顔で、まっすぐに見つめられる。
「ありがとう、にとり」
「……うん」
頷いた拍子、目元を水滴が流れ落ちた。
視界が遮られそうになるけれど、雛の手から離れたくなくて、手では拭わずに、目をぱちぱちさせて無理矢理やり過ごす。
そんな私の様子を見てか、雛がくくっと噴き出した。
「もう、そんなにびしょ濡れになっちゃって。河童の川流れも良い所ね」
私もけらけらと笑い返す。
「そう言う雛だってずぶ濡れじゃないか」
「良いわよ、これはこれで涼しいし」
「あは、違いないや」
水濡れのまま笑う雛は、信じられないくらいに綺麗で。
私は半ば無意識に、その笑顔に自分の顔を近づけていく。
時を同じくして、雛も私に向けて、顔を近づけてくる。
「雛」
「にとり」
私達は笑い合ったまま、お互いの名前を呼んで、
――ああ、山の神の皆々様。
私河城にとりは、河童として、エンジニアとして生まれてきたことに、
そして、この愛しい厄神様の笑顔をこんなに近くで見られることに、
心から感謝致します――
二人とも可愛かった。素敵なにと雛、ごちそうさまです
ちょっとすり鉢状の金属隊がうまく想像できなかったけどにと雛が素晴らしかったからどうでもいいや
完全に百合じゃないですかぁー!
素晴らしきにとひな、ご馳走様でした。