それは満月の夜の出来事だった。
薄暗い部屋の中、パソコンの画面を食い入る様に見つめる男がいた。彼の手はゲームのコントローラーを握っており、しきりに指を動かしている。
この状況は果たして何時間続いていたのだろうか、彼の顔にはじっとりとした汗が伝い、精神的にもかなり疲弊してきていることが窺える。
手元から聞こえるかちゃかちゃ音は段々と激しくなっていき、耳にあてられたヘッドホンからは激しい音楽が漏れている。
そして急に画面が白くなったかと思われた瞬間、男はバッと立ち上がり、ずっとコントローラーを握っていた両腕を高く掲げて雄叫びを上げた。
「やった、やったぞぉ! 会社を休んでまで挑戦し続けた甲斐があった!」
彼の喜びようは凄まじく、ヘッドホンのケーブルが抜けてスピーカーから直接大音量の音楽が溢れ出した程だった。
慌てて一時ミュート状態にすると、ボリュームを下げてから再び歓喜の舞を踊った。まるで見ている者のMPを奪ってしまいそうな異様な光景である。
何が男にこれ程の衝動をもたらしたのか。
「ついに、ついに……」
拳を握り締めて全身を震わせると、近所迷惑をかえりみずに心の声を大きく吐き出す。
「ついに紅魔郷のイージーをスローモード無しでクリアしたぞー!!」
「ハードル低いわ!!」
「はぶしッ」
男の目の前で突然星が散り、後方に倒れ込む。初めは何が起こったのかわからなかったが、すぐにやってきた頭の痛みでどうやら殴られたらしいことを知る。というか痛過ぎて頭が割れたような錯覚さえする。
しかしこの部屋には自分一人しかいない筈だ。ではいったい誰が?――そう思い、体を起こしながら激痛で閉じられていた瞼を開くと、目を疑うような状況がそこにあった。
「慧音先生、慧音先生じゃないか!?」
目の前には若干おでこを赤くした、東方のキャラクターである上白沢慧音が立っていた。パソコンの画面の中ではなく、現実にそこにいるのだ。
「どどどどどどどうして先生が」
明らかに動揺している男に、仏頂面で腕を組んでいた慧音はフッと表情を緩める。
「プレイヤーとしてはゴミクズだが、一応東方ファンを名乗るお前なら私の能力ぐらい知っているだろう?」
「れ、歴史を隠す程度の能力」
「まぁ正解。今は創る方だがな」
改めて見ると、確かに彼女は白沢化していた。
「私が“二次元のキャラクターである”という歴史を弄った」
「そんなんありですかー!?」
得意気に言ってのけた彼女に、思わずツッコミを入れたのはほぼ反射的な行動である。
「いくらなんでもチート解釈過ぎますよ。そもそも歴史っていうのは事象そのものじゃなくて、事象を誰かが記録したもののことでしょ? この状況はどう考えても歴史とか関係無しに、ただ世の理を覆しちゃってるだけじゃな――」
「だまらっしゃい」
「はぶしッッ」
慧音は言い募る男にいきなり頭突きをかました。ごつんという鈍い音が響き、また彼の視界に星がうつった。
「私に歴史を語るな」
鬼だ。この部屋に鬼がいる。
男は頭を抱えて悶絶しながら、とにかくもう反論するのはやめておこうと心に決めた。
「えーと、わかりました。先生のお力にはほとほと尊敬の念を抱くばかりでございます」
「あまり褒めないでくれ。照れるじゃないか」
「ハッハッハ、いやそれにしても、どうしてこのようなことを?」
尋ねると、彼女はスッと表情を引き締めた。
「おぉそうだった。危うく忘れるところだった。元はと言えばお前があまりに情けないから、ついつい私も出てきてしまったんじゃないか」
「俺、ですか?」
自分を指さして呆ける男に、彼女は頷く。
「東方を楽しんでくれるのはありがたいが、スローモードにばかり頼り、スローモードが無いからといってわざとメモリを重くして動作を遅くさせたり、開き直って無敵チートなど落としおってからに。ようやく心を入れ替えて正攻法で挑むかと思えば、ノーマルやイージーモードに丸一日かかる始末。別にゲームの腕を責めるつもりは無いが、会社を休んでまですることか」
くどくどと説教をする慧音の姿は、まさに“先生”だ。
男は大人しく正座で彼女の話を聞いている。先に全裸になろうとしたのだが、頭突きのモーションに入られたのでそれはすぐに止めた。
「つまりだな、私はお前のようなどうしようもないやつを更生してやる為に神主が用意していたプログラムなんだ。『東方のせいで私生活が堕落した』なんてファンの話は聞きたく無いからな」
その言葉に男は心底感動した。何というOMOIYARIの精神だ。その為にこんな奇跡まで起こしてしまうなんて、流石幻想郷は常識に囚われない。絶対に囚われない。
「で、具体的に何してくれるんですか?」
もしかして奥さんとして私生活をサポートしてくれるのかなぁ――などと期待に胸を膨らませながら尋ねる男はたくましい。
が、返ってきた答えはそんな妄想とは全く違っていた。
「私の能力でお前でも簡単にクリア出来るようにゲームを作り変えてやろう。要望があれば叶えてやるぞ」
「さっきチートのこと怒ってませんでしたぁ!?」
「公式パッチと言え」
「いや、違うでしょそれは」
「頭突くぞ」
「すみません」
人間とは弱い生き物である。力に屈することは決して罪ではない。それが生存本能というものだからだ。
かくして男の要望と慧音の独断と偏見により、彼のパソコンに入っている東方シリーズはことごとくデータを書き換えられていった。
後半はノリノリになってきた慧音が少々暴走し、もはやほとんど男の意見も無視されていたが。
「よーし、出来たぞ」
「お疲れ様です」
「全くだ。さぁ、とりあえずちゃんと動くか試しにどれかプレイしてみてくれ」
言われて、彼は風神録を起動した。グレイズでの点数加算やスペルカードによるド派手なボム演出は無いが、その分シンプルなシステムは初心者でも馴染み易く、秋をコンセプトにした弾幕や背景はとても綺麗だ。
また、守矢神社組の初登場作品でもあり、その後のシリーズに設定やストーリーで影響を与えている重要な作品だ。
ただ、哀しいかな彼のスキルでは未だノーマルモードまでの魔理沙エンドしか見れていない。いくらレーザーバグを使おうとも、ハード以上やエクストラでは道中で死んでしまう為、話にならなかった。
「まずはオプションを見てみろ」
「おっ? おぉ! スローモードがある!」
「それだけじゃないぞ。残機も霊撃のストック数も選べるようになっている」
「風神録でこんなにも充実したオプション画面を見れるなんて」
「さらに出血大サービスでBGMをMidiバージョンにも出来るぞ」
「あなたが神ですか」
「先生だ」
男は興奮しながら設定を弄ると、いよいよ本編を開始してみた。
難易度、ハード。キャラクター、霊夢。使用武器はホーミングアミュレットで確定。少女綺想中…………始まった。
慣れ親しんだ音楽とともに体で覚えた敵の出現パターン、そして目に映る美しい弾幕に緑色の背景。
「……緑色?」
違和感を覚える。確か一面では紅葉が舞っていて背景は赤や黄色が目立っていたような気がするが、現在それは代わりに緑の生い茂った木々で埋め尽くされている。
「季節を夏にしておいた」
「それはやっちゃダメでしょー!?」
「何故だ?」
さらりと告げた慧音に精一杯抗議する。
「だ、だってこの風神録は秋だからこその情緒っていうか楽しみがあって、それに神奈子様の衣装だって、こう、秋をイメージしたデザインじゃないですか。ていうかそれ以前に秋姉妹が出られませんよ!」
「大丈夫だ。代わりに夏姉妹が出てくる」
「秋姉妹ファンに死ねと申されますか」
「夏姉妹は秋姉妹が水着姿になっているだけだが」
「ちくしょう、許せる」
人間とは弱い生き物である。力とエロスに屈することは決して罪ではない。それが以下略。
さて、その後も色々とツッコミどころはあったものの、スローモードと初期残機八の恩恵により、次々とステージを突破していく爽快感に男のテンションはうなぎ昇りであった。
もう細かい事には目を瞑ろう。それが賢い選択だ。そう確信して彼は遂に最終局面へと到達した。
画面に映しだされる「我を呼ぶのは何処の人ぞ」というセリフに、思わず舌なめずりする。
「お初にお目に掛かるぜ、ハードモード神奈子様」
セリフを送れば、どぅーんという効果音と共にカラフルなシルエットが重なり、ようやくその姿を現した……上白沢慧音。「おや? なんだ、霊夢じゃないか。私に何か用か?」。
「なんでやねんッ」
「私じゃ不服か」
「不服とかそういう問題じゃな……いやもう、そうです、不服です」
「さっきは『あなたが神か』とか言ってた癖に」
「その後自分で『先生だ』って答えてた癖に」
「いいじゃないか。私だってたまにはラスボスをやりたいんだ」
「やりたいんだでやれるなら一ボス二ボスは苦労しませんよ!」
そこで男はまさか、と恐ろしい想像に行き着き、さらに他のシリーズも起動していった。
紅魔郷――
「こんなに月も紅いから本気で頭突くぞ」
妖々夢――
「皆の頭が春だった頃の……桜の下に埋められた青春時代の黒歴史を掘り返すんだ」
永夜抄――
「悪いな。実は本物の月の歴史を隠していたのも私だったんだ」
花映塚――
「悪い子にお仕置きするのは先生の務めだからな」
地霊殿――
「うにゅー、うにゅー。とりあえず核エネルギー手に入れたから地上を滅ぼすでうにゅー」
星蓮船――
「私が寺子屋にいた頃と人間は変わっていないな。遅刻欠席宿題放棄であるッ! いざ、南無三──!」
「これはひどい」
「むしゃくしゃしてやった。今はスッキリしている」
「後悔して下さい! あと先生の空に対するイメージ酷過ぎますよッ! 教師にあるまじき偏見です」
「あんまり会ったこと無いからなぁ。一応ネット上で得た知識で頑張ってみたんだが」
「二次で過度に主張されたバカのイメージに惑わされ過ぎです」
がっくりと肩を落として呟く男に、流石の慧音も少々申し訳無さそうにする。
「まぁ私だって完璧ではない。時には間違うこともある。どうか許してくれ。そうだ、気分転換に萃夢想や緋想天もやってみると良い。こっちはかなり自信があるんだ」
そう勧められて、半信半疑でゲームを起動する。一応期待する気持ちもあるのだ。何だかんだで今度はまともな展開になっているのではないかと。
が、それはすぐに裏切られた。
「何でRPGになってるんですかー!?」
「格ゲーっぽいのはちょっと苦手で」
「それ完全に先生個人の好みじゃないですかッ」
あぁ、もう嫌だ。自分が望んでいたのはこんなものじゃない。もっとまともな東方がしたい。
喚く男を、しばらく黙って見ていた慧音だったが、不意に彼の前で体を反らせると、
「わがまま言うなーっ!!」
本日渾身の頭突きで無理矢理男を黙らせた。
滲む視界に段々と遠のいていく意識の中で、彼は「理不尽だ」とかすかに呟いてからバタンと倒れた。
「ハッ」
男は全身をびくりと震わせると、突っ伏していた頭を持ち上げた。目の前にはゲームオーバーと表示された東方お馴染みの画面とBGMが流れており、部屋は窓から差し込む朝日でうっすらと明るくなっていた。
「夢、だったのか」
ぼんやりした頭で時計を見て、ぎょっとする。
普段起き出す時間はとっくに過ぎていた。慌てて顔を洗いに洗面所へ駆けて行く。
その後慌ただしくも部屋の中を見回し、ゲームをチェックしたが、どれも変わったところなど無かった。やはり二次元のキャラクターが飛び出して来るなど有り得ない事だったのだ。
とは言え、原作のありがたみというものがよくわかった。しっかりと調整されたゲームバランスに、シリーズ毎に多少の違いはあっても芯のところでしっかりとした設定。
チートなどでそれらを蔑ろにしていた自分は愚かだったのかもしれない。もっと真正面からゲームを楽しむべきだったのだ。
仕事に行く準備をしながら、今朝見た夢の内容を振り返る。
少々おかしな夢だったけれど、何だか妙に気分が良い。いつもは出勤前の朝なんて憂鬱なものだが、今日だけはあまり嫌ではない。
丸一日ゲームをして、飽きがきて疲れが溜まった状態でクリアしても感動は薄れてしまう。チートで楽をしても同じだ。
仕事に追われた日常で、開いた時間の中で頑張れば、その分だけ後に得る達成感もまた格別というものだ。
「まず当面の目標は永夜抄エクストラで道中突破だな」
そしてあの先生に一泡吹かせてやろうと決意して。さぁ、仕事に出掛けよう。帰ったらまた東方が待っている。
男は意気揚々と部屋を出て行った。
「やれやれ、手のかかる生徒だったな」
地の文や会話文、ともにテンポが良くてサクサク読み進められましたね。
男と慧音先生の距離感も好き。地雷認定を受けやすいこの手のジャンルでは絶妙なバランスだと思う。
素直に思いましたもん、「羨ましい奴っちゃな」と。
>「私に歴史を語るな」
のところで凄ぇ笑った。
けだし名言だと思う。この作品限定ではあるのだけど。
地霊殿になんか恨みでもあるのかこの先生はw
夏姉妹は俺も見てみたいです。
なかなかどうして面白かったです!
それはいけません先生
「原作への愛と敬意が そこかしこに滲み出てる良作だが」
「ちくしょう、許せる。」
というわけで文句なく
最初から最後まで爆笑させて頂きました。
>「大丈夫だ。代わりに夏姉妹が出てくる」
>「秋姉妹ファンに死ねと申されますか」
>「夏姉妹は秋姉妹が水着姿になっているだけだが」
>「ちくしょう、許せる」
この下りが特に秀逸すぎです。真夜中に声を上げて笑ってしまったじゃないかw
ラストも実に爽やかで読後感は大満足です。何より作者様の「東方」への愛がストレートに伝わってきて、
ちょっとこそばゆいくらいの好感を抱きました。これを書き終わったらすぐに原作を起動させようと思うほどに。
文句なしの100点満点です。次作も楽しみにお待ちしています。
>「皆の頭が春だった頃の……桜の下に埋められた青春時代の黒歴史を掘り返すんだ」
やめて!
秋姉妹の水着の描写があれば110点でした。
あと全てのボスがけーねに変化した後の
「これはひどい」
で、確かに他に言いようが無くてわらた
台詞の選び具合が良いですな。楽しそうなのが伝わってくる。
さとりに来てほしいから頑張って自堕落な生活送る
夏姉妹はぜひともイラストにされるべきではないでしょうか
夏姉妹は二人そろった立ち絵を…
>「皆の頭が春だった頃の……
なにげにひでぇ事いいやがるw
このノリは大好きだwwwww
……俺の馬鹿! なんで俺はいつもタイトルだけで読む読まないを判断しちゃうんだ!!
言い方が悪いくなるけど古臭いファンアートってかんじ
それなんてpc-98時代のゲーム?
こいつは最高だwww