キスメとヤマメは自分自身に使命を課した。
地上と地底に友好関係が結ばれた今、二人はその力を旧都のため、地霊殿のために役立てようと誓ったのだ。
温泉や、新エネルギーの開発所等。そんなところでは役に立てないかもしれないけれど。
自分たちの力で、地底を元気にして見せる、と。
「いくよ、キスメ」
「……」
上手く話せず、人見知りなキスメは正直この仕事に向いていないと思っている。旧都の知り合いからも、やめときなさいと忠告されること数十回。今朝だって、こんな手紙が届いていた。
『キスメへ、お母さんと一緒に、舞台で金ダライ落としましょう?』
つるべ落としから見事なジョブチェンジを果たした母親からの甘い誘惑。けれどキスメの決意を揺るがせすことはない。そろそろ家族の縁を切ろうか、とすら思わせてくれる手紙はもしかしたら背中を押すメッセージなのかもしれないが、そんな暗号を短文に込められる知能は母親にはない。
「キスメ?」
「っ……(こくんこくん!)」
だから、彼女は進むしかないのだ。感傷になど浸っていられない。
ヤマメの声に頷きを返し、意思の炎を抱いた瞳を地面の方へと向けた。と、そのとき、コツコツと硬い岩肌を叩く音が、地上の方から聞こえてくる。
何者かと、息を殺し様子を見守っていると……
特殊な光コケと淡く光るゾンビフェアリーのおかげで、正体が掴めた。大小混ざった数人の人間だ。
「お父さんっ! 今日はどこにいくのー?」
「そうだね~、こわ~いこわ~い妖怪さんが住んでる旧都ってところにいってみようか」
距離の測り方はヤマメに教えてもらっていたから、キスメでもわかる。
横方向での距離は、おおよそ、30メートル。
地上からの高さ、3~4メートル。
こわいこわい、と声を上げながら楽しそうに手など繋ぎ、奥へと向かおうとする家族連れの目的はどうやら観光。
キスメたちが暮らす旧都が第一目標らしい。
「あなた、怖がらせないで」
「ははは、大丈夫さ。ここの妖怪は何もしなければ安全だって、阿求さんも言ってたじゃないか。何より、地上にはない珍しいものも売ってるらしいからね。おもちゃだっていっぱいあるかもしれないよ?」
随分と地底に詳しい人間だと、キスメは感心してしまいそうになるが、そうではないことを思い出した。地霊殿の近くに温泉を作ってからは、積極的に外と情報交換を行っていて、今では夏場の避暑地として人気が高まっていると。
それにキスメだって見たことがあるのだ。
『おいでませっ! 地霊殿っ!』
いつもの服装のさとりを中心に、右に鮮やかな着物を身に付けたお空、左に男性用の浴衣姿の勇儀が並ぶポスターを。
なんか服装がバラバラとか、そんなことが気にならないくらい三人の笑顔が輝いていて、遠目で見たら、もう、親子にしか見えない。もちろん中央が幼児で。と、心の中で考えていたら、さとりにマジ泣きされたことを思い出し、キスメは思考を切り替える。
歓迎すべき、人間の家族へと。
しかし、もうすでにあの家族は旧都へ向かうと言っている。挨拶以外特に何もする必要がないのではないだろうか。そうキスメが思い始めた頃。
「キスメ、地底は旧都だけじゃないだろう?」
心を覗き込むように、ヤマメがキスメに語りかけた。
旧都によってくれるのも嬉しいが、やはりここは地霊の湯や他の場所もご案内した方がいいと、的確に注意する。
さすがだ、と。素直に心を打たれたキスメは改めて気合を入れなおした。
そして、眼下に迫りつつある家族との距離を再度確かめ、
――高度、良し。 距離、5、4、3、2……
しゅるるるるるるるっ
「あれ? 変な音?」
「ほんとだね、いったいどこから――」
何かがこすれるような摩擦音だった。
それに気付いた家族が足を止めてしまい。
(あっ……)
すこーんっ、と小気味よい音がしたと思ったら。
父親と思しき人間の頭に、桶がクリーンヒット。いや、正確には桶の妖怪がクリーンヒット。
「はぅっ!?」
『通り過ぎたところで、後頭部スレスレに落下。
インパクトのある登場の後で、笑顔で挨拶』
と、書かれたメモとは違い、別な意味でインパクトしてしまった。
見上げる天井からの人間には重すぎる不意打ちに、父親はあっさりと気を失ってしまい。
「おとうさぁぁぁぁんっ!?」
「あ、あなたああああああっ!」
残された二人が悲鳴を上げる中頭の上でバウンドしたキスメは、くるりっと空中で身を翻して……
どうすればいいのかわからなかったから、とりあえず、にこっっと。
無言のままに営業スマイル。
ただ、残された二人からしてみれば……
「ひぃっ!」
なんかいきなり降ってきて、愛すべき家族を昏倒させた。
『恐怖! つるべ落としの怪!』以外の何者でもない。
身を寄せ合って震える母と子を前にして、キスメは慌てて桶の中にしまってあった。『ヤマメちゃん特性接客マニュアル本』を開き対処法を探るが、その作業を終えるより早く、もう一つの影が動いた。
「やぁやぁ! ようこそいらっしゃいました!」
『しゅるる』と音を立てて降りてきたヤマメは、キスメの横に並ぶや否やぺこりっと仰々しく頭を下げる。謝罪と、歓迎、両方の意味を込めて。
その登場時に人間の親子は揃って悲鳴を上げていたが、今度は会話が通じそうな相手だったからだろうか。母親の方が声を震わせながら、紫色の霧を纏うヤマメの方へ歩み寄る。
「いきなり何をするのよ!」
「何って、ああ、ごめんね。ちょっと段取りがくるっちゃってさ」
キスメの失敗をその身に受け止め、それでもヤマメは優しい笑顔で対処する。けれど、その程度では人間の母親の気はすまないらしく、襟首を掴んでしまいそうなほどその身を寄せてきた。
ヤマメを覆う、紫色のもやを気にしながら。
「段取りって、何よ! それに、この煙も!」
「ああ、これ?」
「まさか、毒霧で私たちを……」
「ああ、違う違う。そんなんじゃないから、安心して、ね?」
母親の表情にわずかながら安堵が生まれた。
そう、確かにヤマメのいうとおり、これは『毒』ではない。
「だって、病気の元だもん」
病原菌である。
少しだけ心を落ち着かせてから、真実を告げるとはさすがヤマメだ。
と、キスメが感心するのと、うってかわって半狂乱の人間たち。
病気、という単語を聴いた瞬間、母親がまた悲鳴を上げて子どもを抱いてしまった。泣きながら名前を呼び合う親子を見下すろ、ヤマメは困ったように後ろ頭を掻く。
それからゆっくりと、微笑を作りながら手を差し伸べた。
まるで、女神様のように……
「大丈夫だよ。この病気ね。二日間ほどほっといたらあっさり人間の命くらい奪っちゃうんだけど。地霊殿から出る温泉の成分がよく効くんだよね。10分くらい浸かるだけで、もう元気びんびん! ほら、そこ父親の打撲の方にも温泉がよく効くんだよ。うんうん、だからさ、これから一緒に温泉にいってみない? え、いくって? いかせてほしいって?
はーい、さんめいさまごあんなーい!!」
キスメは気絶した父親を運びながら思った。さすが、ヤマメだ、と。
誠心誠意を込めた、思いやり。
それが、人間と妖怪の隔たりを埋めた。
ヤマメと一緒なら、きっと。
ヤマメと一緒にこの仕事を続ければ、
地底をもっと親しみやすい世界にできる、と。
「はーい、こめかみぐりぐりの刑かなぁ~?」
「お燐、お空……本気でやっていいですからね?」
満面の笑みで、けれど、なぜか額の横に青筋を浮かべた二人と、二匹がヤマメに迫る。
『地底で傷害事件発生っ! 犯人は蜘蛛の妖怪か!』
なんていう、天狗の書いた新聞をヒラヒラさせながら。
「え。えっと、ゆーぎさん、さとりさん? ……笑顔が……コ、コワイナァ…… は、はははっやっぱり、ほら、地底の人は助け合いが大事ってことで、私は私なりに、人間にいろんな場所を見てもらうために何をすればいいかなって、思って……
や、やっぱり病気だからこういうのもありかなーって、ね、ねえ、キス……
っていないし!」
だが、とりあえず……
命あってのものだねだと、キスメは世界の摂理を知った。
☆ ☆ ☆
「よし、今度は流しそうめんで客引きをしよう! 夏だし!
え? タレはどこにいれるのかって?
キスメの桶の中」
そして、友人を選んだ方がいいかなと思い始めるキスメであった。
ヤマメの出番多くて歓喜