突き刺すような夏の太陽光が、容赦なく幻想郷中へ降り注いでいる。体から汗が噴き出るほどの凶悪な日差しだ。
しゃがみこんでいる風見幽香の頬や額にも大粒の汗が張り付いていて、玉の肌を健康的に見せていた。麦わら帽子越しにも日差しが突き刺さってきて、とにかく暑い。着ている服がぴったりと体に貼りついて、家に帰ったら真っ先にシャワーを浴びようと幽香は心に決めていた。
彼女の周りにあるのは、太陽へ向かって精一杯背を伸ばす向日葵達。根っこをしっかりと地面に張り巡らせ、太陽に花を向けてしゃんとしているその姿からは、花のたくましさを感じさせてくれる。
「今年もみんな、綺麗に咲いてくれたわねぇ……」
そういった花の姿を見るたびに、幽香の顔がほころぶ。彼女にとっての喜びは、元気に咲き誇ろうとする花たちの世話をすることである。
今、彼女が見ていたのは向日葵達の根っこの張り具合だ。幽香の能力を使えば掘り返すこと無く、地面に近い茎を触れば根っこの様子を知ることが出来る。
花を操る程度の能力。花を咲かせたり、枯れた花を元通り咲かせることの出来るこの能力の副産物のようなもので、彼女は触れるだけで花の調子を知ることが出来るのだ。
触っただけで様子がわかるほどでないと、この能力を使いこなすことが出来ないということだろう。幽香はそう考えていた。もっとも、詳しいことは彼女には分からないのだが。
一本一本丁寧に、根っこの具合を確かめて行く。今年も、此処に咲く向日葵達は幽香の手を借りること無く元気に育ってくれているようだ。
「ふふっ……」
しゃがみこんでいた幽香が立ち上がり、自分の周りを囲む向日葵達を見て頬を緩ませた。幽香でなくとも、この一面に咲き誇る、素晴らしく美しい向日葵畑を見れば笑顔になるだろう。
嬉しさのあまり両手を広げ、くるりと回る。それから胸いっぱいに、向日葵の香りを吸い込んだ。向日葵と、太陽の、生き物が激しく燃え上がる夏を感じさせてくれる香り。
向日葵の花はそう、太陽のごとく。それが一面に広がるここは、正しく太陽の畑だ。
幽香の笑顔に応えるように、向日葵達が静かに揺れた。
花たちに囲まれて、幽香は幸せであった。そして思う。人妖の声ではなく、花たちの声を聞くことが出来ればどれだけ素敵なことだろうかと思う。彼女の能力でも、結局は様子を見ることや咲かせるといったことしか出来ない。
その能力をついでに授けてくれなかった神様を、すこしだけ恨んだ。
紅美鈴は紅魔館の門番である。そして、他人から見れば何時も貧乏くじを引かされる立場だ。もっとも、美鈴本人はそうは思っていないのだが。
無理難題を頼まれるほど、お嬢様は私を必要としてくれている。美鈴は誰からなんと言われようと、何時もそう返していた。
お嬢様のために働くことが美鈴にとっての生きがいだ。よくやっている昼寝も、就寝中でも不審者が現れ次第、即座に対応できるように、という鍛錬の一環である。
――さすがは美鈴だ。お前に頼むとちゃんと私の期待に応えてくれるね。
――お嬢様のためですから!
いつぞや交わした会話と、微笑むレミリアの顔を思い出して、美鈴の頬は緩む。
たとえ無理難題であっても、彼女はお嬢様からの頼みごとを全力で遂行しようとする。そうすることでレミリアはとびきりの笑顔を美鈴に向けてくれるものだから、それが美鈴にとっての幸せだ。
その幸せが美鈴の日々の糧となる。変化の無い門番の仕事も、お嬢様のためと思えば苦でも何でもない。
その日も彼女は何時もと変わること無く、東の空に太陽が登り始めた時間から門の前に立っていた。
花壇への水やりと、簡単な太極拳の型を行っただけで汗ばむほどの陽気である。額や首筋に流れる汗を手ぬぐいで拭きながら「今日も暑くなりそうですねぇ」と呟いた。
門の裏に置いてあるビーチパラソルを引っ張り出し、地面に突き刺す。それを開くと、丁度美鈴一人分の日陰が出来上がり、そこに体を潜り込ませた。
これで突き刺すような日差しを、大分と和らげることが出来るだろう。さらに水筒の蓋を開け中に入っている水を飲み始めると、徐々に体温が下がり始めていくのが分かる。
水筒を一つ空にすると、美鈴の口から幸せそうな息が漏れた。まだまだ門番の仕事は始まったばかりなのだから、ここで潰れてしまっては意味が無い。
「お、今日も大変そうだね。ご苦労ご苦労」
日陰で涼む美鈴の背中によくしった声が投げかけられて、彼女は振り向いた。
そこに居たのは日傘を持った咲夜と、その影に入っているのは美鈴が一番大切だと思っている存在、レミリア・スカーレットである。
二人はとことこと近寄って来ると、
「今日はちょっとやってもらいたいことがあるから、門番の仕事はいいよ」そう言うレミリアはやけに上機嫌だ。
「なんでしょう。私に出来ることならいいんですけど」
「ああ、そんなに難しいことじゃないよ。うちに花壇があるだろう? 美鈴とフランが世話をしているあれだよ。あれ、少し寂しい気がするのよね」
「そうでしょうか? 夏の花が咲き誇っていて、今でも十分綺麗だと思いますけど」
首を傾げる美鈴に対して、レミリアはけらけらと笑った。
「それは分かってるつもりだよ。だから、これは私のわがまま。あのねぇ、向日葵がほしいのよ」
「向日葵、ですか。確かにあの花壇にはありませんね」
美鈴は、今朝も水を上げてきた、自分と妹様の二人で世話をしている花壇の様子を思い出した。
あそこに生えている花たちは背の低いものばかりで、夏の代表格である向日葵は一輪もない。なるほど、確かに向日葵があればより一層あの花壇は立派なものになるだろう。
「でしょう? 前から綺麗だとは思ってたけど、どこか物足りなかったんだよ。そんな時にこれを見てね」
レミリアは懐から一枚の紙を取り出すと、美鈴に手渡した。
それは天狗の発行している新聞で、見出しには『今年も満開に咲き誇る向日葵畑』とある。それと一緒に載っている写真には、向日葵畑をバックにぎこちない笑顔を浮かべる幽香が写っていた。
なるほど確かに、立派に咲き向日葵は立派で、お嬢様が欲しがるのも無理は無いと美鈴は感じた。これほど美しい向日葵畑は美鈴自身、見たことがない。
「どうかな、ここから貰ってきてくれる?」と訊ねるお嬢様に向けて美鈴は深く頷くと「任せてください!」と胸を叩く。その美鈴の様子を見て、レミリアは太陽のような笑顔を見せた。
「ああ良かった。こんなこと言ったら不機嫌になるんじゃないかって、少し心配だったんだ」
「そんなことありません。あの花壇は私と妹様、それにお嬢様の花壇です。お嬢様が満足されるための花壇なんですから、気兼ねなくどんな花がほしいかリクエストしてください。私はそれを叶えることが仕事なんですから」
「じゃあ頼むね。フランにはもう話は付けてある。この向日葵が来るのって、あの子も喜んでたよ」
「それなら、妹様のためにも一番元気の良さそうな向日葵を貰って来ないといけませんね」
そんな頼もしい門番の姿に、レミリアの笑顔はますます輝くのだった。
猛暑日というのは、こういう日のことを言うのだろう。うだるような暑さに、体からどんどん水分が蒸発していくのが分かる。
燦燦と照りつける太陽の光を浴びて、嬉しそうな向日葵を見れるのは嬉しいが、自分が倒れては笑い話にもならないと懐から水筒を取り出し、一息に飲み干した。
幻想郷の奥地にある此処へ来るほどの物好きが居るとは思えず、仮に熱中症でぶっ倒れる事があれば、そのまま向日葵たちの養分になること間違いなしである。
「それでも良いかもしれないわね」
どこかにそう考える自分がいて、幽香は自虐的な笑みを見せた。死んでしまって何になるというのだろう。この花たちを見ることが出来なくなるなど、耐えられることなど出来ない。
万が一倒れでもすれば、自分を訪ねてくる物好きが居るとは思えないので一巻の終わりだろう。
なにせこの前、向日葵たちを取材させて欲しいとやって来た文が久方ぶりの来客だったのだ。最近は向日葵に付きっきりだったので、会話を交わしたのはかれこれ一ヶ月ぶりである。
――今年もまた見事な向日葵ですね~。是非取材させてくださいな。
――……それぐらいならまぁ良いわよ。
自分より明らかに強いものと取材対象にはおべっかを使い、だが自分より弱い者に対しては心の奥で見下している。幽香は射命丸文という天狗が苦手である。
いや、そういった態度を取る相手全てが苦手なのだ。なまじ力の強い彼女はそういった相手を増やしやすい。
だから苦手な相手を増やさないよう、彼女は極力人付き合いをしようとしない。霊夢とそれなりに付き合いがあるのは、裏表なく接してくれるからである。
幽香の顔に張り付く笑顔は拒絶の証。それに臆すること無く話しかけてくる相手にだけ、それ以外の表情を見せるのである。
花はそんな気遣いなどいらないのだ。何時でも幽香に裏表のない笑顔を投げかけてくれる。
今日も幽香はそんな花たちの世話をして、幸せであった。
幽香は麦わら帽子を取ると、額にびっしりと貼りついている汗を拭きとった。
麦わら帽子をかぶり直し、息を吐く。作業を初めて半日が経過し、幽香の頬や作業着には土が至る所に付着していた。しゃがみこんだり土を掘り返したりと、忙しくしていた結果である。
自分が土で汚れきっていることに漸く気がついた幽香は「帰ったら水浴びね」と独りごちた。
花の世話をしていると土で汚れることは日常茶飯事だし、そのことを気にすることも殆ど無いが、さすがにそのままで過ごすわけには行かない。一人で居るからと、汚れきったままで過ごすことは幽香には考えられなかった。
幸いにも今日の作業は終わっているのだから、早く家に帰って汚れを落とし、ゆっくり紅茶でも楽しもう。
そうと決まれば善は急げだ、と道具を素早く持って来たカゴの中へと仕舞い始めた。
すべてを仕舞い終えるとカゴを背負い立ち上がる。向日葵たちに別れを告げようと見渡したところで、幽香の視界に妙なものが映った。
向日葵畑の中を、赤い何かがふらふらと動いている。それは行った来たりを繰り返すと、幽香へと振り向いた。
それは真っ赤な髪の誰かで、ハッキリとした顔までは分からない。そいつは数歩幽香に近づいてきたかと思うと、崩れ落ちた。
「一体何だって言うのよ」
放っておくわけにもいかないだろうと、カゴを背負ったまま近寄っていく。畑荒らしの可能性もあるので、警戒しながらゆっくりとだ。
燃えるように赤い髪と、緑色のチャイナドレス。顔に見覚えのないその少女は、仰向けにひっくり返っていて何かを言いながらピクリとも動かない。
ゆっくりゆっくり近づいていくと、少女が何を言っているのか分かった。
「水……お茶~……」
それを聞いて、幽香の肩から力が抜けた。
少し様子を見てみたが、それは壊れたレコードのように「水」と「お茶」を繰り返すだけだ。
とりあえず話を聞いて、畑荒らしなら向日葵の養分になってもらおう。こんな間抜けな姿を晒していて、そういうことはないだろうが。
幽香はかごから水がたっぷり入った水筒を取り出すと、少女に近づけた。
その瞬間、そいつは跳ね起きて水筒をひったくると、一心不乱に飲み始めた。少女の喉が動くたびに水が体内へと流れこんでいく。
全部飲み干したのかぷはぁーと息を吐き、少女はようやく、目を丸くして自分を見ている幽香の存在を認識した。
「あ、これ貴女の水筒でしたか? すいません、全部飲んでしまって。道に迷ったせいで水筒がすっからかんになってしまったものですから、もう死ぬんじゃないかってぐらい喉が乾いてて……ありがとうございました」
「良いのよ。あげるつもりで近づけたんだし、話を聞くまでに死なれても困るしね。この子たちの養分になってもらうのは、私が貴女から話を聞いてからよ」
「え、それって」
「さぁ、何をしに来たのか話してもらいましょうか」
少女は少し戸惑った様子だったが、威圧感たっぷりの笑顔を見せる幽香に観念したのか口を開いた。
真剣な顔つきと視線が幽香へ向けられる。
「私は紅魔館で門番を務めている紅美鈴と言います。お嬢様がここの畑の向日葵が花壇に欲しいと仰るので、譲って欲しいとお願いしに来ました」
「紅魔館? 名前だけは聞いたことがあるわね。ふぅん……。私は風見幽香。幽香で良いわよ」
「あ、私のことは美鈴と読んでください。えっと……。幽香さん、お願いします! 向日葵を何輪か譲ってください!」
「そうねぇ。譲るとして……」
値踏みするかのような視線が向けられて、さらに幽香の顔が近寄ってきたものだから、美鈴は思わず後ずさった。
幽香の鼻が、かすかに残る花の匂いを感じとる。これだけの向日葵の中にありながら、かき消されていない香り。
よく育った花が発する香りを確認してから、顔を離し、幽香はにこりと微笑んだ。恐らく今朝も花の世話をしてきたのだろう。そういう匂いだ。
その笑顔の真意を測りかねて、美鈴が怪訝そうな表情を見せる。威圧感たっぷりの笑顔から、突然含みのない笑顔に変わったのだから当然である。
「良いわよ。譲ってあげる。ただ、ここのは育ちきってて移植は難しいから、私の家の周りに咲いてるまだ小さい向日葵をあげるわ。別に構わないわよね?」
「ああ、ありがとうございます! これでお嬢様も喜ばれますよ!」
美鈴が嬉しさのあまり満面の笑顔を見せた。
それを見て、思わず幽香の動きが止まる。
彼女の笑顔は、幽香がそれまで見たことのないタイプだった。霊夢や取り巻きの魔法使いが見せるものとは明らかに違う、それはまるで太陽のように光り輝いていて、幽香は思わず見惚れてしまう。
何時までも見たいし、この笑顔は何度見ても飽きないだろう。心のそこから嬉しいと思ったからこそ見せるタイプの笑顔。砂一粒ほどの他意もない。
いわば一目惚れだ。花が太陽に惹かれるのと同様に、幽香は美鈴のそれに惹かれた。ここにある向日葵と同じように、太陽へと顔を向けていく。
しかし「これでお嬢様の喜ぶ顔を見ることが出来ます」という言葉を聞いて、チクリと胸の奥が痛んだ。
この笑顔は『お嬢様』のためのものだ。自分へと向けられてはいない。
少しだけ落胆しながら、美鈴に背を向ける。
「さ、行くわよ。付いて来ないと置いていくから」
足早に歩き出す幽香の後を、美鈴が慌ててついて行った。
幽香の自宅はレンガ造りの一軒家で、その周りには幾つかの花壇があり様々な花たちが咲き乱れていた。
家の壁には蔦が絡んでいて、周りの花が創りだす明るさとは違う、おどろおどろしい雰囲気を醸し出している。まるで花は見てもいいが、家に入ってくること自体は拒絶しているかのようだ。
そんな家の前で、美鈴は幽香を待っていた。中からはかすかに水音が聞こえてきて、何故か美鈴はそわそわしながら、人が持てる程度の向日葵の束を抱えている。
「幽香さんはまだですかねぇ」
幽香の家の周りには花以外には何もなく、殺風景さと花の華やかさが見事にミスマッチだ。
水音が消えると、いよいよもって周囲から音が消える。背の高い木がないせいか、それともたまたまなのか、鳥の囀りすら聞こえない。
より一層そわそわし始めた美鈴の耳の横でがちゃり、と音がした。
音のした方へ顔を向けると、そこには幽香が立っていた。その服装は先程まで着ていた作業着ではなく、白シャツと赤いチェックのベスト、それにベストと同じ色のチェックのスカートを履いている。
顔や髪に付着していた泥は綺麗に落とされていて、畑の中で見たときの雰囲気はない。今の幽香は触れるだけで切れそうなナイフといったところだ。
美鈴にとっては、そういう雰囲気は咲夜やレミリアが時たま見せているので気にするものでもない。むしろ心地いいとさえ感じるぐらいで、なにせ毎日この雰囲気に曝されているのだ。
家から出てきた幽香は、ドアの横に立っていた美鈴の姿を見るとほんの少しだけ雰囲気を和らげた。
「よし、準備も出来たことだし、美鈴の花壇の確認ついでにご主人様の顔でも見に行きましょうか」
「え、幽香さんも来るんですか!?」
「当たり前でしょう。向日葵を渡してはい終わり、じゃちょっと味気ないもの。美鈴をわざわざこんな所まで寄越した主人の顔を拝んでおきたいのよ」
「え、あ、うーん……。幽香さんがそう言うなら止めはしませんけど……。大丈夫かなぁ」
雰囲気もそうだが、何処か幽香さんとお嬢様は似ていると美鈴は思う。恐らく極端に反発するか、微妙な距離感を取るか……どのみちあまり良い結果にならないような気がする。
さてはて、二人を会わせて良いものやら。会わせたとして、二人が殴り合うような事態に発展しないだろうか。そんなことになればお嬢様も幽香さんも傷ついてしまうし、咲夜さんに怒られてしまう。ああ、どうしたものだろう。
煮え切らない態度を取る美鈴にしびれを切らしたのか、幽香は水筒の一つを美鈴に押し付けると、ずんずんと歩き始めた。
「わあ、幽香さん紅魔館の場所を知ってるんですか?」
「知らないわよ。でも美鈴がやって来た方向へひたすら行けば、そのうち着くでしょう。それならさっさと行くわよ」
「駄目ですよ。来たときの私みたいになっちゃいます! 結構遠かったんですから」
一日の中で最も暑いであろう時間帯は過ぎていたが、それでも殺人的な日差しが和らぐ気配はない。だが、夏というのはこういうものだ。
美鈴の忠告は聞こえているはずなのだが、それでも幽香は歩くスピードを緩めようとはしない。
こういう、せっかちな所もお嬢様ソックリだ。そんな事を思いながら、美鈴は遅れないよう幽香のあとを追った。
針のむしろに座らされる気分というのは、ああ、まさにこういうのものだろうか。まぁ実際には座っていないんですけど。
そんなくだらないことを頭の中では考えながら、美鈴は可哀想なぐらいビクビクしていた。
彼女の視線の先には、真紅の椅子に座って幽香を睨みつけるレミリアと、同じように睨みつけながら直立不動のまま動かない幽香が居た。
紅魔館へ帰ってきた二人は咲夜に出迎えられ、そのままレミリアとの謁見室へ通された。
そこにはすでにレミリアが待っていて、先ず入ってきた美鈴が両手いっぱいに抱えている向日葵を見て笑顔になった。
だが、その後に続いて入ってきた幽香の放つ雰囲気を感じ取って、一瞬にしてその表情がこわばった。
初対面の相手に、まるで抜身のナイフのような雰囲気をぶつけられたのだから、仕方ない。
結果として、美鈴が恐れていたような状態に至る。予想通りというか、一言だけでも幽香さんに言うべきだった。そう今は後悔している。
「それ、で。お前が風見幽香?」
このまま永遠に睨み合いを続けるのかと錯覚する程、微動だにしない二人だったが、先に口を開いたのはレミリアであった。
それに対して短く「ええ」と幽香が答える。それにレミリアは「ふぅん」と短く口に出してから、
「私は紅魔館の主、レミリア・スカーレット。知らなかったのなら覚えておきなさい」
「それはよく分かるわ。これで貴女より上がいるとしたら、その態度は変よね」
「へぇ、モノが分からないわけじゃないのね。さて……」
幽香はまだナイフのままである。
「貴女が美鈴にあげたっていう、あの向日葵は実に素晴らしい。さすがはフラワーマスター。礼を言うわ」
「お褒めにあずかりなんとやら、ね」
「そう、素直に受け取っておくべきね」
そう言ってから、レミリアは美鈴へと顔を向けた。
「美鈴もご苦労様。これであの花壇がもっと立派になるわ。今日は美鈴の好きなものを作るよう言ってあるから。あとはゆっくり休みなさい」
「わ、あ。ありがとうございます!」
微笑むレミリアへ、美鈴が笑顔を見せ「お嬢様のためですから!」と続けた。
まただ。美鈴の心を映す、太陽のような笑顔はやはり主人であるレミリアに向けられたもので、幽香の胸の奥がズキリと痛んだ。
幽香に見せるものと、幽香に向けるものとは意味が同じようで異なる。幽香にとっては
しかし「この笑顔を自分のものにしたい」そういう欲望が沸々と沸き上がってくるのが分かる。
この笑顔が自分に向けられていないのなら、自分に向けられるようにすればいい。花だからといって、ただ太陽を追いかけるだけではなく、太陽を此方へ引き寄せる。
語り合う美鈴とレミリアは、幽香の考えに気がつく様子もない。
幽香が紅魔館に足繁く通うようになって、はや一ヶ月が過ぎていた。
毎日というわけではないが、だいたい一週間のう三日は紅魔館を訪れていて、時たま土産として花を持って行く。
その度に美鈴は素敵な笑顔をみせてくれて、だがレミリアが絡まない限り、あの太陽のような笑顔をみせてくれることはなかった。
それが幽香にとっては少しばかり不満である。やっぱりあの笑顔をみせて欲しい。
「あ、今日も居らっしゃったんですね」
幽香の姿を確認し、美鈴が笑顔になる。もうすっかり友人同士だ。幽香が居るだけで花たちが元気になるので、美鈴は幽香の来訪をありがたがっている。
花壇のことを抜きにしても、幽香との会話は美鈴にとって楽しみの一つになっていた。
「そりゃあ私のところの向日葵があるんだから、気になって気になって仕方がないし……。美鈴にも会いたいからね」
「またまた~。でも幽香さんのおかげで花壇の花たちも元気に育ってますし、来てくれると助かります」
「そう言ってもらえると来る甲斐があるわね」
紅魔館の門の前で二人の少女が仲良く笑う。
とても仲の良い友達同士のように、朗らかな笑顔で笑いあう。
その様子を紅魔館の窓からレミリアが眺めていた。
「ねぇ、幽香はしょっちゅうやって来るのかしら?」
「はい、だいたい一週間のうち半分ほどはいらっしゃいますね」
レミリアは窓から視線を外すと、傍らに立つ咲夜を見た。
その顔からは驚きの感情が見て取れる。
「え、そんなに!? でも私に挨拶に来たことなんて、数えるほど……。いや、それどころか自分から挨拶に来ることなんて、記憶にないわね」
「私やパチュリー様にいたっては、会話を交わしたことすらありません。妹様は少しはあるそうですが」
「そうか……。なら本当に花壇が目当てかそれとも」
そう言って視線を窓の外へ戻した。
二人はまだなにやらか言葉を交わし、楽しそうに笑い合っている。何を話しているのかは分からなくて、レミリアは眉をひそめた。
明倫は朗らかな笑顔をみせている。
「……気にくわないわね」
忌々しげに言うレミリアの顔を、咲夜は静かに見つめていた。
幽香の口ずさむ鼻歌が、オレンジ色に染まった幻想郷の空へと消えて行く。
どちらかといえば、今日は機嫌よく家路につくことが出来ているだろう。しかし、やはり心の何処かに不満はあった。
今日も美鈴は友人に見せる笑顔はしてくれたが、あの笑顔は見せてくれなかった。
それほどまでに自分とレミリアとで、美鈴の中では違いがあるのだろうか。それとも側に居た時間のせいだろうか。
仮に側に居た年月だったとして、幸いにもまだまだ時間はあるのだ。ゆっくりゆっくり、美鈴の素晴らしい笑顔を自分のものにしてしまえば良い。
「何時か必ず、あの笑顔を私だけのものに……。なんて、これじゃあ危ないヤツでしか無いわね。そう思うでしょ?」
「ああ危ない、凄く危ないね。あいつを私から盗ろうだなんて、とんだ泥棒猫だ」
「美鈴を盗ろうだなんて欠片も思ってないわよ。ただあの娘が見せる笑顔がほしいだけ」
「それは許さないよ」
日傘を手に、広げた翼をバサリとたたんで、吸血鬼が幽香の正面に降り立つ。
紅魔館を出てからこっち、ずっと気配だけは感じていた。いや、レミリア自身がその身から放つ敵意を隠そうともしなかったのだ。
事を構えるとして、少しばかり離れた場所でなければ、美鈴に見られてしまうかもしれない。主を叩きのめす自分を見て、いい気分はしないだろう。嫌われては元も子もない。
「あいつの笑顔だって? あいつは私のものだ。笑顔を含めて、誰にも渡すつもりはない。あいつはうちの大切な門番なんだ。誰が渡すものか」
「随分と欲張りね。良いじゃないの、笑顔ぐらいなら減るものじゃないんだから」
「だから渡さないって言っただろう! その笑顔も全部、私のものだ!」
言うが早いか、レミリアが魔力を形にしてぶつけてきた。
それを日傘ではじいてやる。露骨な舌打ちが聞こえて、幽香はニンマリと笑った。
「ああ、こういうのだったら分かりやすいわね!」
瞬時に距離を詰め、右ストレートを繰り出す。
だがそれはレミリアの左手によって受け止められ、反撃とばかりに右ストレートが飛んできた。
それをこちらも左手で止めると、顔を近づける。レミリアの顔を食いちぎらんばかりの勢いだ。
レミリアも同じように、幽香へと顔を近づける。
「私が勝ったら、金輪際美鈴には近づくな!」とレミリア。
「私が勝ったら、これからも自由に美鈴に会わせてもらう!」と幽香。
二人の魔力がぶつかり合い、額がぶつかり合う。
互いに頭蓋が砕けるかのような衝撃を受けて、それでも引くこと無く、相手の頭を砕かんばかりの勢いで何度も何度も叩きつける。
額から血が流れても、ここで引くわけにはいかないとさらに叩きつけた。
「引きなさいよ!」
「あんたこそ!」
意地と意地のぶつかり合いが立てる音は、夕焼けの空にいつまでも鳴り響き続いていた。
美鈴は早朝からそわそわしていた。
頻繁にやってきた友人が、もう五日も姿を見せないからである。
もし、今日やって来なかったら一度様子を見に行ってみよう。
彼女があまりにも足しげく通っていたものだから、そんな事まで考えてしまう。
そして自虐気味に笑った。
何かの用事で忙しいだけなのかもしれない。そういうこともある。
あんまり心配しすぎても仕方ないだろうと、美鈴は日課である太極拳の演舞を始めた。
ひとしきり行ったところで、懐から手拭いを取り出し汗を拭う。突き刺すような日差しが和らぐ気配はない。
うだるような暑さに顔がゆがむ。
その顔が、彼方からやってくる人影を見てキリリと引き締まった。どんな来客だろうと、先ずは門番である美鈴と顔を合わせることとなる。狼藉者ならば門番としての美鈴と仕事となるわけだ。
だがその人影の顔が良く見えるようになって、美鈴の表情が和らいだ。
風見幽香である。
思わず駆け寄ると、
「幽香さん、最近いらっしゃいませんでしたけど、どうしたんですか?」
「んー、昨日の朝まで立て込んでててね。まだ体の節々が痛むぐらいだよ」
当然だ。なにせ、昼夜を問わず三日間も幽香とレミリアは戦い続けていたのだから。
レミリアは体が気化することも――全身にたっぷり遮光クリームを塗りたくっていたようだが――気にすること無く食らいついてきた。
幽香は一睡もすること無く、目を真っ赤に腫らして戦い続けた。
四日目の朝、壮絶な相打ちを遂げたレミリアを咲夜が回収していって、幽香は自力でボロボロの体を引きずって家へ帰った。
それから丸一日眠り続け、起きた頃には次の日の朝になっていたのである。
そうして、紅魔館の主は、幽香が美鈴に会うことを止めることはできなくなった。
これで幽香は大手を振って美鈴と会うことができる。あとの課題はあの笑顔を自分のものにできるかどうかだ。
「幽香さん、楽しそうですね。すごく素敵な笑顔ですよ」
「ええ、凄く楽しいわ。なにせ美鈴に会えるんだからね」
「またまた~」
美鈴は友人に向けて、朗らかな笑顔を見せた。
紅魔館の中から、レミリアがそれを眺めていた。
美鈴の笑顔を見て、思わず歯ぎしりをする。何でだと頭の中で叫び、心がズキリと痛む。
その顔を傍らに佇む咲夜に向けて、
「ねぇ、どうしてだと思う? 美鈴は何であの笑顔を私に見せてくれないんだ?」
「恐らく美鈴自身は気がついていませんが、あの娘は自然と区別しているのです。お嬢様はお嬢様のままで、幽香さんは幽香さんのままである限り、そして美鈴が気がつかない限りは……」
「……どういうことなのよ?」
しかし咲夜は答えない。
レミリアはまた顔を外に向け、談笑を続ける二人を羨ましそうに眺め続けるのだった。
最高すぎる。恋する幽香さんが可愛いし、嫉妬しているレミリアも可愛いし、自覚なしの美鈴も可愛いよ。
続きがほしいです。
1か所間違いが。
> 明倫 → 美鈴
こういう幽香も好きです。
これは続きに期待したい。
無いものねだりってやつかぁ
>>自由に美鈴に合わせてもらう!
会わせて
仲間も思いなレミリアに、けっこう一途な幽香と、
ただやはり、内面描写が急な感じも否めません。
美鈴に対してレミリアはどうしてそこまで感じ入るものがあったのか、他の住人たちは幽香と美鈴の会合をどう思っているのか、など。
また妖怪なのに熱中症とか、そんなに脆いの?という点と、いやそもそも何故空を飛ばなかったのか、など。
ストーリー展開の為にキャラクタに無理をさせてしまっているような、そんな印象を覚えました。
長々と失礼致しました。
今後の作品も、楽しみにしています。
にしても、三角関係とは実にもどかしいですねぇw