「私って可愛すぎると思わない?」
「湧いたのレミィ」
「ひどい」
唐突なる親友の問いかけに対し、パチュリーは手元の本から顔を一ミリも上げることなく即答した。
レミリアは不満げに頬を膨らませる。
「ちゃんと聞いてよ、パチェ」
「聞えないわ」
「なんでそんな意地悪するの」
レミリアが半泣きになりかけたあたりで、やれやれといわんばかりに溜息をつきつつ、パチュリーはようやく顔を上げた。
「レミィ」
「はい」
「四十秒で説明しなさい」
「えっ、えっと、さ、さくやがね」
「はい時間切れ」
「まだ四秒しか経ってない!」
むきいと声を荒げて両手をぐるぐる振り回すレミリアの頭を、パチュリーは片手をつっかえ棒のようにして押さえつける。
いわゆる新喜劇的パフォーマンスである。
「……で、一体何だったんです? お嬢様。先ほどの意味深な問いかけは」
お約束のコントが済んだのを見計らったかのように、小悪魔が紅茶をトレイに載せて運んできた。
ようやく水を向けてもらえたことで、レミリアの表情は一気に明るくなった。
「そうそう、それよ。実はね、私がちょっと可愛すぎるんじゃないか、って思って」
「はあ」
「それで、あなたはどう思う? 小悪魔」
「……まあ、それについては全面的に同意しますが」
小悪魔は基本的に長いものに巻かれて卵焼きになるのが夢なので、こういうときに盾突くことはまずしない。
いつもの通りに、レミリアの意に沿うであろう返答をもって最善手とした。
しかし他方、その返答を聞いたレミリアは、満更でもなさそうでありながら、しかしどこか不満げでもあるという、なかなかに複雑な表情を浮かべていた。
「そっかぁー。やっぱり可愛すぎるかぁー」
「ええ、まあ」
「小悪魔。言うまでもないことだけど、ボランティア活動は無償でするものだからね。手当は出さないわよ」
「どういう意味!?」
唐突に割って入ったパチュリーのぼそりとした呟きに、またも半泣きになるレミリア。
パチュリーは眠そうな目で淡々と告げる。
「レミィの与太話に付き合うのはボランティア以外の何物でもないという意味」
「直球でひどい!」
レミリアが五秒後にはガチ泣きしそうな三秒前に、小悪魔が緩やかに宥めに入った。
「まあまあ、お嬢様。それで、どうしたんですか? お嬢様が可愛すぎることに、何か問題が?」
「……うん。実はさっき、お昼休みに咲夜の部屋に行ったらね……すん」
寸でのところで泣くのを堪えたレミリアは、鼻を微かにすすりながら話を始めた。
◇ ◇ ◇
「さ~くや。何してるの?」
「お嬢様」
レミリアの呼び声を聞いた咲夜は、椅子に腰かけたまま、肩越しに振り向いた。
その手元には、何やら一冊の本がある。
「少しばかり、読書をしておりました」
「へぇー、どんな本? 見せて見せて」
レミリアが歩み寄ると、咲夜はその表紙がよく見えるように、手元の本を持ち上げた。
そこには、荘厳かつ重厚な階書体で、こう記されていた。
『カッコよすぎる館の主・百選』
「…………」
なんとなく分かるようで全く分からないそのタイトルを前に、思わず首をひねるレミリア。
すると、咲夜がくすくすと笑いながら、説明を始めた。
「これは、外の世界の書物です。香霖堂で見つけたのですわ」
「へぇ」
「まだ読み始めたばかりですが……古今東西、様々な館の主が絵や写真付きで紹介されているのです」
「ほう」
咲夜はそう言って、レミリアに本を差し出してきた。
なるほど確かに、質実剛健な佇まいをした武家屋敷には、いかにも貫禄がありそうな殿様の絵が添えられているし、格調高い西洋風の館の頁には、貴族的な気品に満ち溢れた伯爵の写真が掲載されている。
「ふむ……」
「…………」
レミリアが真剣にページを捲っていると、何やら生温かい視線を感じた。
言うまでもない、目の前で微笑む瀟洒な従者のそれである。
「な……何よ。咲夜」
「いえ、別に」
「言いたいことがあるのなら、さっさと言いなさいよ」
「いえ、その……ただ……」
「ただ?」
咲夜は一旦言葉を切ってから、少し申し訳なさそうな表情になって、言った。
「……お嬢様は、館の主にしては随分可愛らしいな、と」
◇ ◇ ◇
「―――っていうわけなのよ」
「へぇ」
「それでさ、やっぱりちょっと考えるじゃない? この紅魔館の主として、あんまり可愛すぎるのもどうかなって」
「はあ」
咲夜の発言よりも若干ニュアンスが水増しされていることに多少の疑義を感じつつも、小悪魔はとりあえず相槌を打っておくことにした。
これも卵焼きになるための地道な努力の一環である。
他方、パチュリーは既に我関せずといった表情でヒンズースクワットを始めていた。
「まあ、確かにお嬢様は可愛いと思いますが……」
「やっぱり?」
反射的に羽根をぱたつかせるレミリア。
それを見た小悪魔は思わず卒倒しかけたが、なんとか寸でのところで踏みとどまった。
「……はい。でもそれで、館の主として何か問題があるとは……私には思えませんが」
「うーん。でももうちょっとこう、かっこよさというか、カリスマオーラみたいな、そういうのがあった方がそれっぽいかなあって」
どれっぽいのだろう。
目の前の幼女吸血鬼にはおよそ似つかわしくない単語が鼓膜を揺らしたことで、小悪魔の眉間の皺が五割増しになった。
「それなら話は簡単よ」
「パチェ」
いつの間にか上半身タンクトップになっていたパチュリーが、気持ち良さそうな汗を流しながら会話に戻ってきた。
「あなたは吸血鬼でしょう。レミィ」
「うん、そだよ」
「じゃあ、自由に姿を変えられるでしょう?」
「はっ!」
レミリアの表情に光が差した。
パチュリーは優しげに微笑みながら、続ける。
「思いのまま、思うがままの姿になればいいのよ。たとえばそう……背も頭身も高くした、スタイル抜群のカリスマ溢れる女吸血鬼(笑)とかに」
「なんで最後に(笑)付けたの!?」
「ちちち、ノーレッジジョークよ。ともあれ、外見を変えるのが一番手っ取り早いのは確かでしょう?」
「それは、確かに……」
自分の吸血鬼としての特性を使えば、どんな容姿になるのも自由自在。
貫禄も威厳もカリスマも、何もかもが思うがままだ。
レミリアは目から鱗が落ちる心地がした。
「ありがとう! パチェ!」
レミリアは笑顔で手を振り、軽快な足取りで大図書館を後にした。
そんな親友の後ろ姿を見送りつつ、パチュリーは鉄アレイを両手に取り、交互に上下し始めた。
―――数分後。
紅魔館の廊下に、かつかつとハイヒールの音が木霊する。
すれ違う妖精メイド達は、その余りの美しさに頬を染め、また吐息を漏らす。
その影はやがて、一人の人物の背を見据える位置で立ち止まった。
「……咲夜」
「?」
背後からの不意なる呼び声に、くるりと振り向く咲夜。
その視線の先には、深紅のドレスに身を包んだ、驚異的な外貌的変化を遂げたレミリアの姿があった。
「…………」
誰もが羨むほどの美貌に加えて、すらりとした上背。そして、抜群のプロポーション。
あまりにも唐突すぎる主の変貌ぶりに、咲夜はぽかんと口を開き、ただ呆けるのみだった。
「ふふふ」
レミリアは得意気にハイヒールを踏み鳴らし、咲夜の方へと歩み寄った。
そして頭一つ分ほど高い位置から、咲夜を見下ろしながら言う。
「どうかしら? 咲夜」
「え、あ」
「ふふ。びっくりして、声も出ないのかしら」
「あー……、えっと」
咲夜は頭をぽりぽりとかきながら、
「お嬢様」
「うん」
「気持ち悪いです」
―――再び戻って、大図書館。
「うわぁああああん!! パチェー!!」
「どうしたのレミィ」
泣き泣き飛んできた親友の小さな体を、パチュリーは全身で受け止めた。
彼女の服装はタンクトップのままであり、背後に置かれているストレッチベルトから察するに、今は背筋を重点的に鍛えていたようだ。
「さくやが! さくやがああ!!」
「咲夜がどうしたの」
「きもっ……、きもちわるい、って……ひっく」
嗚咽を漏らすレミリアに対し、パチュリーはいつも通りの声色で告げる。
「まあそうでしょうね」
「分かってたの!?」
「当たり前でしょう。私を誰だと思っているの?」
知識の魔女―――パチュリー・ノーレッジ!
「……よ」
「いや、意味分かんないんだけど!?」
「要するに、レミィの可愛いキャラにカリスマ溢れる容貌は合ってなかったってことよ」
「!!」
衝撃の事実を告げられ、レミリアは心臓が麻痺したかのような錯覚を覚えた。
心臓、元から動いてないけどね!
「そ、そんな……じゃあ、私はどうすれば……」
失意に暮れ、がっくりと項垂れるレミリア。
その肩に、パチュリーがそっと手を乗せる。
彼女は、いつになく真剣な表情で言った。
「レミィ」
「…………」
「外見がダメなら、中身で勝負よ」
「中身……?」
「つまり、キャラ勝負」
パチュリーはぐっと親指を立てる。
だが、レミリアの表情は晴れない。
「ダメよ、そんなの……今パチェも言ったでしょ? 私のキャラは可愛すぎるって」
すぎるとまでは言ってねぇよ。
パチュリーは喉元まで込み上げたその言葉を三週間前から刺さっていたサンマの骨と共に飲み下すと、
「だったら、キャラ変えろよ」
「!」
何故か男前な口調で言った。
しかしそのパチュリーの端的にして野太い言葉に、レミリアは全身をグングニルで貫かれたかのような衝撃を覚えた。
かつて一度自分の身体でその威力を試してみたところ、円環の理に導かれかけたのは今となっては良い思い出だ。
「キャラを、変える……! そうか、そんな簡単なことでよかったのね!」
「行きなさい! レミィ!」
「パチェ!?」
「誰かの為じゃない! あなた自身の願いの為に!」
力強いパチュリーの言葉に、レミリアは天使の輪を冠して覚醒の産声すら上げそうになった。まあ悪魔なんだけどね!
「ありがとう! パチェ!」
レミリアは弾けるような笑顔になり、羽根をパタパタさせながら一直線に飛んで行った。
パチュリー、そして本棚の陰から紅茶のおかわりを出すタイミングをうかがっていた小悪魔は、その後ろ姿をまるで賢者のような面持ちで見送っていた。
―――数分後。
紅魔館の廊下に、蝙蝠のそれのような羽音が反響する。
すれ違う妖精メイド達は、その姿を認めるや、慌てた様子で姿勢を正し、ぺこりと丁寧にお辞儀をした。
その影はやがて、一人の人物の背を捉えた位置でふんわりと着地した。
「……咲夜」
「?」
背後からの呼び声に、再び、くるりと振り向く咲夜。
その視線の先には、いつも通りのレミリアの姿があった。
「お嬢様」
先ほどとは打って変わって元通りとなった主の姿を認め、ほっと安堵の息をつく咲夜。
しかし、レミリアはにやりと笑うと、腰に両手を当て、尊大に言い放った。
「……どうだ? 仕事の調子は」
「……え?」
途端に、疑問符を顔に浮かべる咲夜。
レミリアは貫禄を滲ませた口調で繰り返す。
「仕事の調子はどうだ、と聞いている」
「え、ええ……順調、ですわ」
「そうか。ならばいい」
レミリアはそこでククク、と笑った。
ナイスタイミング! と心の中でガッツポーズをすることも忘れない。
「お前はこの館のメイド長なんだ。これからもしっかり頑張ってくれ」
「は、はあ……」
「ククク。もっと自信を持っていいのだぞ。何せお前は―――」
「あの……お嬢様」
目を閉じ、やや陶酔気味に語りかけたレミリアの言葉を、咲夜の声が遮った。
「ん? なんだ?」
威厳たっぷりに問うレミリア。
咲夜は、少し考え込むような素振りをしてから、
「えっとですね」
「うむ」
「似合わないです」
―――再び戻って、大図書館。
「うわぁああああん!! パチェー!!」
「どうしたのレミィ」
再び飛んできた親友の小さな体を、パチュリーは全身で受け止めた。
彼女の服装は未だタンクトップのままであり、背後に置かれているエキスパンダーから察するに、今度は胸筋を重点的に鍛えていたようだ。
「さくやが! さくやがああ!!」
「咲夜がどうしたの」
「にっ……、にあわない、って……うぐっ」
またも嗚咽を漏らすレミリアに対し、パチュリーはやはりいつも通りの声色で告げた。
「まあそうでしょうね」
「やっぱり分かってたんだ!?」
「当たり前でしょう。私を誰だと思っているの?」
知識の魔女―――パチュリー・ノー…
「それはもういい!」
「……まあ普通に考えて、レミィの可愛い容姿じゃカリスマ溢れるキャラ作りは無理があるわよ」
「!!」
衝撃の事実を告げられ、レミリアの顔面は蒼白した。
お肌、元々美白だけどね!
「そ、そんな……じゃあ、私はどうすれば……」
絶望に暮れ、がっくりと床に手をつくレミリア。
その肩に、パチュリーは優しく手を乗せた。
「レミィ」
「…………」
「外見を変えてもダメ。キャラを変えてもダメ。それはよく分かったわね」
「……うん」
「でもそれは、可愛いキャラにカリスマ溢れる外見が、あるいは可愛い外見にカリスマ溢れるキャラが、各々合っていなかったというだけのこと」
「……?」
「詰まる所、カリスマにカリスマを合わせれば―――カリスマにしかならないわ」
「!!」
パチュリーの言葉に、レミリアは全身をレーヴァテインで貫かれたかのような衝撃を覚えた。
あれの避け方を覚えるのに、一体何機費やしたことか。
攻略に情熱を燃やした日々が走馬灯のように蘇り、レミリアは、かつて抱いていた熱き想いを今完全に取り戻した。
「今度こそ分かったわ! パチェ! ありがとう!」
レミリアは溢れんばかりの笑顔で羽根をパタつかせながら最高速で飛んで行った。
パチュリー、そして本棚の陰から二回目のおかわりを出すタイミングをうかがっていた小悪魔は、その後ろ姿を賢者から大賢者へとクラスチェンジした面持ちで見送っていた。
―――数分後。
紅魔館の廊下に、再度、かつかつとハイヒールの音が木霊する。
すれ違う妖精メイド達は、やはりその余りの美しさに頬を染め、また吐息を漏らす。
その影は案の定、一人の人物の背を見据える位置で立ち止まった。
「咲夜」
「…………」
背後からの呼び声に対し、無言のまま、心底気だるそうに振り向く咲夜。
その視線の先には、再び深紅のドレスに身を包んだ、レミリア(大)の姿があった。
「…………はぁ」
その瞬間、咲夜は目に見えてげんなりとした表情になり、大仰に溜息をついた。
(あ、あれ………?)
レミリアは早くも嫌な予感を覚えたが、そんな内心はおくびにも出さず、必死にハイヒールを踏み鳴らして咲夜の方へと歩み寄った。
おほんと大きく咳払いをしてから、ありったけの威厳と貫禄を込めた口調で問う。
「……ど、どうだ? 仕事の、調子は」
「…………」
咲夜は何も答えず、ただ死んだトカゲのような目をレミリアに向けている。
(お、おかしいわね……)
レミリアの胸中に焦燥が募る。
「さ……咲夜?」
「…………」
「お、おい。聞いているのか?」
「…………」
「な、なんだ。もしかして、体調でも悪いのか? だったら―――」
「あの」
そこでようやく、咲夜が口を開いた。
「な……なんだ? 咲夜」
安堵の表情で息をつき、言葉を返すレミリア。
しかし咲夜は、この上なく無感動に呟いた。
「……ぶっちゃけめんどくさいんで、もう行っていっすか」
―――再び戻って、大図書館。
「うわぁああああん!! パチェー!!」
「どうしたのレミィ」
三度飛んできた親友の小さな体を、パチュリーは全身で受け止めた。
彼女の服装は、ようやくいつものパジャマ的なアレに戻っていた。
どうやら無事に一通りのノルマをこなすことができたようで、その肌はツヤツヤとしていて実に健康的だ。
「さくやが……さくやがあ……ひぐっ」
「咲夜がどうしたの」
「とうとう……えっく、相手にしてくれなくなって……ひっく」
「ふんふん、それでそれで?」
「まるでウミムシを見るかのような目で私を……えぐっ」
もはやお馴染となった嗚咽を漏らすレミリアに対し、パチュリーは安定と信頼の声色で告げる。
「まあそうでしょうね」
「やっぱり分かってたんだ……」
レミリアには既にまともにツッコむ気力すらなかった。
そんな彼女に対し、パチュリーは優しげな笑みを向けた。
「まあまあ、レミィ。兎にも角にも、これであなたが目指すべき方向性が定まったでしょう」
「……え?」
「外見を変えてもダメ。キャラを変えてもダメ。そしてその両方を変えてもダメ、とくれば―――」
「……どっちも、変えない」
そう言って、湯気の香り立つティーカップを差し出してきたのは小悪魔だった。
レミリア、そしてパチュリーの顔を順々に見て、にっこりと微笑む。
「……でしょ? パチュリー様」
「……ええ、正解よ。小悪魔」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
それだけで全て疎通したと言わんばかりに頷きあう主従の間に、未だ納得のいっていない顔でレミリアが割り込んだ。
「それだったら、結局、元の私のままってことになるじゃない。元の、外見もキャラも可愛すぎる私の」
「それでいいのよ」
パチュリーは、全てを包み込むような血色の良い顔でそう言った。
この際、ツッコミは全力で投げ捨てる。
「レミィ。紅魔館って、何だと思う」
「えっ」
突然すぎるその問いかけに、虚を突かれたレミリアは目をぱちくりとさせた。
だが、すぐに平静を取り戻して答える。
「そ……そんなの、言うまでもないじゃない。この館のことよ」
「そうね」
そこで一拍置いてから、パチュリーは落ち着いた声で諭すように言った。
「でも……本質は、そこじゃないのよ」
「え?」
「紅魔館は、ただの館じゃない」
「?」
首を傾げるレミリア。
パチュリーは優しげに微笑みながら、続ける。
「……私がいて、咲夜がいて、私がいて、美鈴がいて……。そして私がいて、妹様がいて……私がいて」
「なんかパチェの比率高くない?」
「……あと一応、そこの小悪魔とかいうのもいて」
「ひどっ!?」
思わぬ不意打ちに涙目になる小悪魔。
ツッコミをスルーしてのキラーパスには定評のあるパチュリーである。
「そして何より……あなたがいて」
「!」
そう言って、パチュリーは真摯な眼差しでレミリアを見た。
レミリアはごくりと息を呑む。
「それで初めて、紅魔館なのよ」
「……パチェ……」
レミリアは、胸の奥がじんわりと満たされていくのを感じた。
パチュリーは微笑を湛えながら、続ける。
「だからね、レミィ。あなたはあなたらしくあればいいの。……ううん、そうでなければいけないわ」
「…………」
「無理に着飾る必要もないし、格好つける必要もない。在りのままの、在るがままのあなたでいいの。見た目も性格も可愛らしい、元々のあなたのままで」
「…………」
「そんなあなたが主でいるからこそ、この館は紅魔館たりうるのよ」
「…………」
レミリアは一瞬だけ目を閉じ、すぐに開いた。
それは全ての迷いを断ち切ったかのような、晴れ晴れとした表情だった。
「……ありがとう、パチェ」
「どういたしまして」
「……私、もう迷わない」
「そ。じゃあ、早く行きなさい」
「うん」
レミリアは力強く頷くと、大きく一歩を踏み出し、そのまま、堂々たる足取りで大図書館を後にした。
パチュリーと小悪魔は、その小さな背中を、いつまでも優しい眼差しで見つめていた。
―――数分後。
紅魔館の廊下に、威勢の良い靴音が反響する。
すれ違う妖精メイド達は、その姿を認めるや、慌てた様子で姿勢を正し、ぺこりと丁寧にお辞儀をした。
その影はやがて、一人の人物の背を見据える位置で立ち止まった。
「……咲夜」
「…………」
背後からの呼び声に、数秒の間を置いてから、咲夜はようやく振り向いた。
その視線の先には、いつも通りのレミリアの姿があった。
「…………」
咲夜は訝しげな表情で、レミリアの言葉を待つ。
レミリアは少し緊張気味の面持ちで、ごくりと唾を飲み込んでから、切り出した。
「あ、あのね。咲夜」
「…………」
「えっと、その……」
「…………」
沈黙の視線が痛い。
しかし、ここで退くわけにはいかない。
レミリアは、決死の勇気を振り絞った。
「さっきは、色々ごめんね」
「…………」
「私、その、紅魔館の主として、もう少しカッコよくならないと、とか、思っちゃって」
「…………」
「それで、つい、色々……」
「…………」
咲夜は暫し無言のままでいたが、やがて口元を緩めて言った。
「……お嬢様」
「な、なに?」
「……今日の晩御飯は、何がよろしいですか?」
「えっ?」
予想だにしていなかった返答に、レミリアは目を白黒させた。
咲夜はくすくすと笑って言う。
「お嬢様の大好きな、デミグラスハンバーグに致しましょうか? それとも、ふんわり卵のオムライス?」
「……あ、えっと……」
レミリアは確かめるように頷いて、
「……ふんわり卵の、オムライス」
「……畏まりました」
咲夜は軽く頭を下げ、再び上げた。
その表情は、慈愛に満ちた聖母のようなそれだった。
「お嬢様」
「な、なに?」
「咲夜はやっぱり、いつも通りのお嬢様が一番ですわ」
「!」
突然の告白に、レミリアは言葉を失う。
「え、えっと……」
「いつも通り、今まで通りの……可愛らしいお嬢様が、一番ですわ」
「さ、咲夜……」
「だからこれからも、ずっとずっと……可愛いお嬢様のままでいて下さい。咲夜からの、お願いですわ」
「…………うん」
レミリアは頷き、咲夜の目をまっすぐに見る。
そして、飾りのない、心からの想いを口にした。
「……咲夜」
「はい」
「……こんな主だけど……これからも、よろしくね」
「……はい。こちらこそ、こんな従者でございますが」
「……ふふっ」
「……くくっ」
二人、顔を見合わせて笑いあう。
確かに、これで初めて紅魔館なのだと、レミリアは思った。
―――同時刻、大図書館。
「…………」
「…………」
パチュリーと小悪魔は、水晶玉に映る二人―――レミリアと咲夜―――の姿を、じっと眺めていた。
一定範囲の対象物を遠隔視できるという、パチュリーの魔法である。
パチュリーは水晶玉に視線を注いだまま、隣の従者に話し掛けた。
「……小悪魔」
「……何でしょう。パチュリー様」
小悪魔も視線は動かさないままで、返事をする。
パチュリーは、少し力を込めた声で言った。
「私、本を執筆しようと思うの」
「ほう。何の本ですか?」
小悪魔の問いに対し、パチュリーは軽く息を吸ってから、紳士的に口述した。
「可愛すぎる、館の主の本。その名も―――『可愛すぎる館の主・一選』」
「!」
その瞬間、小悪魔は反射的に主の横顔を振り仰いだ。
パチュリーもそれに応える形で、ゆっくりと顔を向ける。
「…………」
「…………」
目と目で、通じあう。
大賢者の頂きにまで上り詰めた彼女達にとって、もはや何も言葉は要らなかった。
『では、デザートは如何致しましょう?』
『えっとねぇ、じゃあ、プリンパフェ!』
水晶玉越しのはしゃぎ声が、大図書館によく通った。
これから忙しくなりそうだと、小悪魔は思った。
了
「湧いたのレミィ」
「ひどい」
唐突なる親友の問いかけに対し、パチュリーは手元の本から顔を一ミリも上げることなく即答した。
レミリアは不満げに頬を膨らませる。
「ちゃんと聞いてよ、パチェ」
「聞えないわ」
「なんでそんな意地悪するの」
レミリアが半泣きになりかけたあたりで、やれやれといわんばかりに溜息をつきつつ、パチュリーはようやく顔を上げた。
「レミィ」
「はい」
「四十秒で説明しなさい」
「えっ、えっと、さ、さくやがね」
「はい時間切れ」
「まだ四秒しか経ってない!」
むきいと声を荒げて両手をぐるぐる振り回すレミリアの頭を、パチュリーは片手をつっかえ棒のようにして押さえつける。
いわゆる新喜劇的パフォーマンスである。
「……で、一体何だったんです? お嬢様。先ほどの意味深な問いかけは」
お約束のコントが済んだのを見計らったかのように、小悪魔が紅茶をトレイに載せて運んできた。
ようやく水を向けてもらえたことで、レミリアの表情は一気に明るくなった。
「そうそう、それよ。実はね、私がちょっと可愛すぎるんじゃないか、って思って」
「はあ」
「それで、あなたはどう思う? 小悪魔」
「……まあ、それについては全面的に同意しますが」
小悪魔は基本的に長いものに巻かれて卵焼きになるのが夢なので、こういうときに盾突くことはまずしない。
いつもの通りに、レミリアの意に沿うであろう返答をもって最善手とした。
しかし他方、その返答を聞いたレミリアは、満更でもなさそうでありながら、しかしどこか不満げでもあるという、なかなかに複雑な表情を浮かべていた。
「そっかぁー。やっぱり可愛すぎるかぁー」
「ええ、まあ」
「小悪魔。言うまでもないことだけど、ボランティア活動は無償でするものだからね。手当は出さないわよ」
「どういう意味!?」
唐突に割って入ったパチュリーのぼそりとした呟きに、またも半泣きになるレミリア。
パチュリーは眠そうな目で淡々と告げる。
「レミィの与太話に付き合うのはボランティア以外の何物でもないという意味」
「直球でひどい!」
レミリアが五秒後にはガチ泣きしそうな三秒前に、小悪魔が緩やかに宥めに入った。
「まあまあ、お嬢様。それで、どうしたんですか? お嬢様が可愛すぎることに、何か問題が?」
「……うん。実はさっき、お昼休みに咲夜の部屋に行ったらね……すん」
寸でのところで泣くのを堪えたレミリアは、鼻を微かにすすりながら話を始めた。
◇ ◇ ◇
「さ~くや。何してるの?」
「お嬢様」
レミリアの呼び声を聞いた咲夜は、椅子に腰かけたまま、肩越しに振り向いた。
その手元には、何やら一冊の本がある。
「少しばかり、読書をしておりました」
「へぇー、どんな本? 見せて見せて」
レミリアが歩み寄ると、咲夜はその表紙がよく見えるように、手元の本を持ち上げた。
そこには、荘厳かつ重厚な階書体で、こう記されていた。
『カッコよすぎる館の主・百選』
「…………」
なんとなく分かるようで全く分からないそのタイトルを前に、思わず首をひねるレミリア。
すると、咲夜がくすくすと笑いながら、説明を始めた。
「これは、外の世界の書物です。香霖堂で見つけたのですわ」
「へぇ」
「まだ読み始めたばかりですが……古今東西、様々な館の主が絵や写真付きで紹介されているのです」
「ほう」
咲夜はそう言って、レミリアに本を差し出してきた。
なるほど確かに、質実剛健な佇まいをした武家屋敷には、いかにも貫禄がありそうな殿様の絵が添えられているし、格調高い西洋風の館の頁には、貴族的な気品に満ち溢れた伯爵の写真が掲載されている。
「ふむ……」
「…………」
レミリアが真剣にページを捲っていると、何やら生温かい視線を感じた。
言うまでもない、目の前で微笑む瀟洒な従者のそれである。
「な……何よ。咲夜」
「いえ、別に」
「言いたいことがあるのなら、さっさと言いなさいよ」
「いえ、その……ただ……」
「ただ?」
咲夜は一旦言葉を切ってから、少し申し訳なさそうな表情になって、言った。
「……お嬢様は、館の主にしては随分可愛らしいな、と」
◇ ◇ ◇
「―――っていうわけなのよ」
「へぇ」
「それでさ、やっぱりちょっと考えるじゃない? この紅魔館の主として、あんまり可愛すぎるのもどうかなって」
「はあ」
咲夜の発言よりも若干ニュアンスが水増しされていることに多少の疑義を感じつつも、小悪魔はとりあえず相槌を打っておくことにした。
これも卵焼きになるための地道な努力の一環である。
他方、パチュリーは既に我関せずといった表情でヒンズースクワットを始めていた。
「まあ、確かにお嬢様は可愛いと思いますが……」
「やっぱり?」
反射的に羽根をぱたつかせるレミリア。
それを見た小悪魔は思わず卒倒しかけたが、なんとか寸でのところで踏みとどまった。
「……はい。でもそれで、館の主として何か問題があるとは……私には思えませんが」
「うーん。でももうちょっとこう、かっこよさというか、カリスマオーラみたいな、そういうのがあった方がそれっぽいかなあって」
どれっぽいのだろう。
目の前の幼女吸血鬼にはおよそ似つかわしくない単語が鼓膜を揺らしたことで、小悪魔の眉間の皺が五割増しになった。
「それなら話は簡単よ」
「パチェ」
いつの間にか上半身タンクトップになっていたパチュリーが、気持ち良さそうな汗を流しながら会話に戻ってきた。
「あなたは吸血鬼でしょう。レミィ」
「うん、そだよ」
「じゃあ、自由に姿を変えられるでしょう?」
「はっ!」
レミリアの表情に光が差した。
パチュリーは優しげに微笑みながら、続ける。
「思いのまま、思うがままの姿になればいいのよ。たとえばそう……背も頭身も高くした、スタイル抜群のカリスマ溢れる女吸血鬼(笑)とかに」
「なんで最後に(笑)付けたの!?」
「ちちち、ノーレッジジョークよ。ともあれ、外見を変えるのが一番手っ取り早いのは確かでしょう?」
「それは、確かに……」
自分の吸血鬼としての特性を使えば、どんな容姿になるのも自由自在。
貫禄も威厳もカリスマも、何もかもが思うがままだ。
レミリアは目から鱗が落ちる心地がした。
「ありがとう! パチェ!」
レミリアは笑顔で手を振り、軽快な足取りで大図書館を後にした。
そんな親友の後ろ姿を見送りつつ、パチュリーは鉄アレイを両手に取り、交互に上下し始めた。
―――数分後。
紅魔館の廊下に、かつかつとハイヒールの音が木霊する。
すれ違う妖精メイド達は、その余りの美しさに頬を染め、また吐息を漏らす。
その影はやがて、一人の人物の背を見据える位置で立ち止まった。
「……咲夜」
「?」
背後からの不意なる呼び声に、くるりと振り向く咲夜。
その視線の先には、深紅のドレスに身を包んだ、驚異的な外貌的変化を遂げたレミリアの姿があった。
「…………」
誰もが羨むほどの美貌に加えて、すらりとした上背。そして、抜群のプロポーション。
あまりにも唐突すぎる主の変貌ぶりに、咲夜はぽかんと口を開き、ただ呆けるのみだった。
「ふふふ」
レミリアは得意気にハイヒールを踏み鳴らし、咲夜の方へと歩み寄った。
そして頭一つ分ほど高い位置から、咲夜を見下ろしながら言う。
「どうかしら? 咲夜」
「え、あ」
「ふふ。びっくりして、声も出ないのかしら」
「あー……、えっと」
咲夜は頭をぽりぽりとかきながら、
「お嬢様」
「うん」
「気持ち悪いです」
―――再び戻って、大図書館。
「うわぁああああん!! パチェー!!」
「どうしたのレミィ」
泣き泣き飛んできた親友の小さな体を、パチュリーは全身で受け止めた。
彼女の服装はタンクトップのままであり、背後に置かれているストレッチベルトから察するに、今は背筋を重点的に鍛えていたようだ。
「さくやが! さくやがああ!!」
「咲夜がどうしたの」
「きもっ……、きもちわるい、って……ひっく」
嗚咽を漏らすレミリアに対し、パチュリーはいつも通りの声色で告げる。
「まあそうでしょうね」
「分かってたの!?」
「当たり前でしょう。私を誰だと思っているの?」
知識の魔女―――パチュリー・ノーレッジ!
「……よ」
「いや、意味分かんないんだけど!?」
「要するに、レミィの可愛いキャラにカリスマ溢れる容貌は合ってなかったってことよ」
「!!」
衝撃の事実を告げられ、レミリアは心臓が麻痺したかのような錯覚を覚えた。
心臓、元から動いてないけどね!
「そ、そんな……じゃあ、私はどうすれば……」
失意に暮れ、がっくりと項垂れるレミリア。
その肩に、パチュリーがそっと手を乗せる。
彼女は、いつになく真剣な表情で言った。
「レミィ」
「…………」
「外見がダメなら、中身で勝負よ」
「中身……?」
「つまり、キャラ勝負」
パチュリーはぐっと親指を立てる。
だが、レミリアの表情は晴れない。
「ダメよ、そんなの……今パチェも言ったでしょ? 私のキャラは可愛すぎるって」
すぎるとまでは言ってねぇよ。
パチュリーは喉元まで込み上げたその言葉を三週間前から刺さっていたサンマの骨と共に飲み下すと、
「だったら、キャラ変えろよ」
「!」
何故か男前な口調で言った。
しかしそのパチュリーの端的にして野太い言葉に、レミリアは全身をグングニルで貫かれたかのような衝撃を覚えた。
かつて一度自分の身体でその威力を試してみたところ、円環の理に導かれかけたのは今となっては良い思い出だ。
「キャラを、変える……! そうか、そんな簡単なことでよかったのね!」
「行きなさい! レミィ!」
「パチェ!?」
「誰かの為じゃない! あなた自身の願いの為に!」
力強いパチュリーの言葉に、レミリアは天使の輪を冠して覚醒の産声すら上げそうになった。まあ悪魔なんだけどね!
「ありがとう! パチェ!」
レミリアは弾けるような笑顔になり、羽根をパタパタさせながら一直線に飛んで行った。
パチュリー、そして本棚の陰から紅茶のおかわりを出すタイミングをうかがっていた小悪魔は、その後ろ姿をまるで賢者のような面持ちで見送っていた。
―――数分後。
紅魔館の廊下に、蝙蝠のそれのような羽音が反響する。
すれ違う妖精メイド達は、その姿を認めるや、慌てた様子で姿勢を正し、ぺこりと丁寧にお辞儀をした。
その影はやがて、一人の人物の背を捉えた位置でふんわりと着地した。
「……咲夜」
「?」
背後からの呼び声に、再び、くるりと振り向く咲夜。
その視線の先には、いつも通りのレミリアの姿があった。
「お嬢様」
先ほどとは打って変わって元通りとなった主の姿を認め、ほっと安堵の息をつく咲夜。
しかし、レミリアはにやりと笑うと、腰に両手を当て、尊大に言い放った。
「……どうだ? 仕事の調子は」
「……え?」
途端に、疑問符を顔に浮かべる咲夜。
レミリアは貫禄を滲ませた口調で繰り返す。
「仕事の調子はどうだ、と聞いている」
「え、ええ……順調、ですわ」
「そうか。ならばいい」
レミリアはそこでククク、と笑った。
ナイスタイミング! と心の中でガッツポーズをすることも忘れない。
「お前はこの館のメイド長なんだ。これからもしっかり頑張ってくれ」
「は、はあ……」
「ククク。もっと自信を持っていいのだぞ。何せお前は―――」
「あの……お嬢様」
目を閉じ、やや陶酔気味に語りかけたレミリアの言葉を、咲夜の声が遮った。
「ん? なんだ?」
威厳たっぷりに問うレミリア。
咲夜は、少し考え込むような素振りをしてから、
「えっとですね」
「うむ」
「似合わないです」
―――再び戻って、大図書館。
「うわぁああああん!! パチェー!!」
「どうしたのレミィ」
再び飛んできた親友の小さな体を、パチュリーは全身で受け止めた。
彼女の服装は未だタンクトップのままであり、背後に置かれているエキスパンダーから察するに、今度は胸筋を重点的に鍛えていたようだ。
「さくやが! さくやがああ!!」
「咲夜がどうしたの」
「にっ……、にあわない、って……うぐっ」
またも嗚咽を漏らすレミリアに対し、パチュリーはやはりいつも通りの声色で告げた。
「まあそうでしょうね」
「やっぱり分かってたんだ!?」
「当たり前でしょう。私を誰だと思っているの?」
知識の魔女―――パチュリー・ノー…
「それはもういい!」
「……まあ普通に考えて、レミィの可愛い容姿じゃカリスマ溢れるキャラ作りは無理があるわよ」
「!!」
衝撃の事実を告げられ、レミリアの顔面は蒼白した。
お肌、元々美白だけどね!
「そ、そんな……じゃあ、私はどうすれば……」
絶望に暮れ、がっくりと床に手をつくレミリア。
その肩に、パチュリーは優しく手を乗せた。
「レミィ」
「…………」
「外見を変えてもダメ。キャラを変えてもダメ。それはよく分かったわね」
「……うん」
「でもそれは、可愛いキャラにカリスマ溢れる外見が、あるいは可愛い外見にカリスマ溢れるキャラが、各々合っていなかったというだけのこと」
「……?」
「詰まる所、カリスマにカリスマを合わせれば―――カリスマにしかならないわ」
「!!」
パチュリーの言葉に、レミリアは全身をレーヴァテインで貫かれたかのような衝撃を覚えた。
あれの避け方を覚えるのに、一体何機費やしたことか。
攻略に情熱を燃やした日々が走馬灯のように蘇り、レミリアは、かつて抱いていた熱き想いを今完全に取り戻した。
「今度こそ分かったわ! パチェ! ありがとう!」
レミリアは溢れんばかりの笑顔で羽根をパタつかせながら最高速で飛んで行った。
パチュリー、そして本棚の陰から二回目のおかわりを出すタイミングをうかがっていた小悪魔は、その後ろ姿を賢者から大賢者へとクラスチェンジした面持ちで見送っていた。
―――数分後。
紅魔館の廊下に、再度、かつかつとハイヒールの音が木霊する。
すれ違う妖精メイド達は、やはりその余りの美しさに頬を染め、また吐息を漏らす。
その影は案の定、一人の人物の背を見据える位置で立ち止まった。
「咲夜」
「…………」
背後からの呼び声に対し、無言のまま、心底気だるそうに振り向く咲夜。
その視線の先には、再び深紅のドレスに身を包んだ、レミリア(大)の姿があった。
「…………はぁ」
その瞬間、咲夜は目に見えてげんなりとした表情になり、大仰に溜息をついた。
(あ、あれ………?)
レミリアは早くも嫌な予感を覚えたが、そんな内心はおくびにも出さず、必死にハイヒールを踏み鳴らして咲夜の方へと歩み寄った。
おほんと大きく咳払いをしてから、ありったけの威厳と貫禄を込めた口調で問う。
「……ど、どうだ? 仕事の、調子は」
「…………」
咲夜は何も答えず、ただ死んだトカゲのような目をレミリアに向けている。
(お、おかしいわね……)
レミリアの胸中に焦燥が募る。
「さ……咲夜?」
「…………」
「お、おい。聞いているのか?」
「…………」
「な、なんだ。もしかして、体調でも悪いのか? だったら―――」
「あの」
そこでようやく、咲夜が口を開いた。
「な……なんだ? 咲夜」
安堵の表情で息をつき、言葉を返すレミリア。
しかし咲夜は、この上なく無感動に呟いた。
「……ぶっちゃけめんどくさいんで、もう行っていっすか」
―――再び戻って、大図書館。
「うわぁああああん!! パチェー!!」
「どうしたのレミィ」
三度飛んできた親友の小さな体を、パチュリーは全身で受け止めた。
彼女の服装は、ようやくいつものパジャマ的なアレに戻っていた。
どうやら無事に一通りのノルマをこなすことができたようで、その肌はツヤツヤとしていて実に健康的だ。
「さくやが……さくやがあ……ひぐっ」
「咲夜がどうしたの」
「とうとう……えっく、相手にしてくれなくなって……ひっく」
「ふんふん、それでそれで?」
「まるでウミムシを見るかのような目で私を……えぐっ」
もはやお馴染となった嗚咽を漏らすレミリアに対し、パチュリーは安定と信頼の声色で告げる。
「まあそうでしょうね」
「やっぱり分かってたんだ……」
レミリアには既にまともにツッコむ気力すらなかった。
そんな彼女に対し、パチュリーは優しげな笑みを向けた。
「まあまあ、レミィ。兎にも角にも、これであなたが目指すべき方向性が定まったでしょう」
「……え?」
「外見を変えてもダメ。キャラを変えてもダメ。そしてその両方を変えてもダメ、とくれば―――」
「……どっちも、変えない」
そう言って、湯気の香り立つティーカップを差し出してきたのは小悪魔だった。
レミリア、そしてパチュリーの顔を順々に見て、にっこりと微笑む。
「……でしょ? パチュリー様」
「……ええ、正解よ。小悪魔」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
それだけで全て疎通したと言わんばかりに頷きあう主従の間に、未だ納得のいっていない顔でレミリアが割り込んだ。
「それだったら、結局、元の私のままってことになるじゃない。元の、外見もキャラも可愛すぎる私の」
「それでいいのよ」
パチュリーは、全てを包み込むような血色の良い顔でそう言った。
この際、ツッコミは全力で投げ捨てる。
「レミィ。紅魔館って、何だと思う」
「えっ」
突然すぎるその問いかけに、虚を突かれたレミリアは目をぱちくりとさせた。
だが、すぐに平静を取り戻して答える。
「そ……そんなの、言うまでもないじゃない。この館のことよ」
「そうね」
そこで一拍置いてから、パチュリーは落ち着いた声で諭すように言った。
「でも……本質は、そこじゃないのよ」
「え?」
「紅魔館は、ただの館じゃない」
「?」
首を傾げるレミリア。
パチュリーは優しげに微笑みながら、続ける。
「……私がいて、咲夜がいて、私がいて、美鈴がいて……。そして私がいて、妹様がいて……私がいて」
「なんかパチェの比率高くない?」
「……あと一応、そこの小悪魔とかいうのもいて」
「ひどっ!?」
思わぬ不意打ちに涙目になる小悪魔。
ツッコミをスルーしてのキラーパスには定評のあるパチュリーである。
「そして何より……あなたがいて」
「!」
そう言って、パチュリーは真摯な眼差しでレミリアを見た。
レミリアはごくりと息を呑む。
「それで初めて、紅魔館なのよ」
「……パチェ……」
レミリアは、胸の奥がじんわりと満たされていくのを感じた。
パチュリーは微笑を湛えながら、続ける。
「だからね、レミィ。あなたはあなたらしくあればいいの。……ううん、そうでなければいけないわ」
「…………」
「無理に着飾る必要もないし、格好つける必要もない。在りのままの、在るがままのあなたでいいの。見た目も性格も可愛らしい、元々のあなたのままで」
「…………」
「そんなあなたが主でいるからこそ、この館は紅魔館たりうるのよ」
「…………」
レミリアは一瞬だけ目を閉じ、すぐに開いた。
それは全ての迷いを断ち切ったかのような、晴れ晴れとした表情だった。
「……ありがとう、パチェ」
「どういたしまして」
「……私、もう迷わない」
「そ。じゃあ、早く行きなさい」
「うん」
レミリアは力強く頷くと、大きく一歩を踏み出し、そのまま、堂々たる足取りで大図書館を後にした。
パチュリーと小悪魔は、その小さな背中を、いつまでも優しい眼差しで見つめていた。
―――数分後。
紅魔館の廊下に、威勢の良い靴音が反響する。
すれ違う妖精メイド達は、その姿を認めるや、慌てた様子で姿勢を正し、ぺこりと丁寧にお辞儀をした。
その影はやがて、一人の人物の背を見据える位置で立ち止まった。
「……咲夜」
「…………」
背後からの呼び声に、数秒の間を置いてから、咲夜はようやく振り向いた。
その視線の先には、いつも通りのレミリアの姿があった。
「…………」
咲夜は訝しげな表情で、レミリアの言葉を待つ。
レミリアは少し緊張気味の面持ちで、ごくりと唾を飲み込んでから、切り出した。
「あ、あのね。咲夜」
「…………」
「えっと、その……」
「…………」
沈黙の視線が痛い。
しかし、ここで退くわけにはいかない。
レミリアは、決死の勇気を振り絞った。
「さっきは、色々ごめんね」
「…………」
「私、その、紅魔館の主として、もう少しカッコよくならないと、とか、思っちゃって」
「…………」
「それで、つい、色々……」
「…………」
咲夜は暫し無言のままでいたが、やがて口元を緩めて言った。
「……お嬢様」
「な、なに?」
「……今日の晩御飯は、何がよろしいですか?」
「えっ?」
予想だにしていなかった返答に、レミリアは目を白黒させた。
咲夜はくすくすと笑って言う。
「お嬢様の大好きな、デミグラスハンバーグに致しましょうか? それとも、ふんわり卵のオムライス?」
「……あ、えっと……」
レミリアは確かめるように頷いて、
「……ふんわり卵の、オムライス」
「……畏まりました」
咲夜は軽く頭を下げ、再び上げた。
その表情は、慈愛に満ちた聖母のようなそれだった。
「お嬢様」
「な、なに?」
「咲夜はやっぱり、いつも通りのお嬢様が一番ですわ」
「!」
突然の告白に、レミリアは言葉を失う。
「え、えっと……」
「いつも通り、今まで通りの……可愛らしいお嬢様が、一番ですわ」
「さ、咲夜……」
「だからこれからも、ずっとずっと……可愛いお嬢様のままでいて下さい。咲夜からの、お願いですわ」
「…………うん」
レミリアは頷き、咲夜の目をまっすぐに見る。
そして、飾りのない、心からの想いを口にした。
「……咲夜」
「はい」
「……こんな主だけど……これからも、よろしくね」
「……はい。こちらこそ、こんな従者でございますが」
「……ふふっ」
「……くくっ」
二人、顔を見合わせて笑いあう。
確かに、これで初めて紅魔館なのだと、レミリアは思った。
―――同時刻、大図書館。
「…………」
「…………」
パチュリーと小悪魔は、水晶玉に映る二人―――レミリアと咲夜―――の姿を、じっと眺めていた。
一定範囲の対象物を遠隔視できるという、パチュリーの魔法である。
パチュリーは水晶玉に視線を注いだまま、隣の従者に話し掛けた。
「……小悪魔」
「……何でしょう。パチュリー様」
小悪魔も視線は動かさないままで、返事をする。
パチュリーは、少し力を込めた声で言った。
「私、本を執筆しようと思うの」
「ほう。何の本ですか?」
小悪魔の問いに対し、パチュリーは軽く息を吸ってから、紳士的に口述した。
「可愛すぎる、館の主の本。その名も―――『可愛すぎる館の主・一選』」
「!」
その瞬間、小悪魔は反射的に主の横顔を振り仰いだ。
パチュリーもそれに応える形で、ゆっくりと顔を向ける。
「…………」
「…………」
目と目で、通じあう。
大賢者の頂きにまで上り詰めた彼女達にとって、もはや何も言葉は要らなかった。
『では、デザートは如何致しましょう?』
『えっとねぇ、じゃあ、プリンパフェ!』
水晶玉越しのはしゃぎ声が、大図書館によく通った。
これから忙しくなりそうだと、小悪魔は思った。
了
レミリアが可愛いのは正義!
しかし、ぶっちゃけどのお嬢様も良かったので、一人連れて帰ってもかまいませんか?
レミ咲はもちろんパチェさんが好きすぎて2828
しっかしこのパチェさん健康的すぎやしませんかw
突き抜ける疾走感というか…カリスマの失踪感というか…
とかく、パッチェさんが健康で何よりです
途中のウミウシで地味に腹筋が持ってかれた
タイトルにホイホイされた口でしたが、読んでよかった。
>「パチェ!?」
>「誰かの為じゃない! あなた自身の願いの為に!」
突然クライマックスw
発売は何時でしょうか?
無論抱腹絶倒しました!
すげえ面白かった!
なにこのパチュリー良すぎる…
タイトルはよかったのに。
全体的に楽しく読ませていただきました。
小悪魔のクラスチェンジ早すぎ吹いた
泣きつく回数が多くて冗長に感じられたかも?
立派な卵焼きって可愛いなw